オープニング

開かれた雨戸の向こう、夜の薄い闇が包む静かな庭の中、糸のように降り注ぐ雨の気配ばかりが広がっていた。
 畳敷きの部屋、板張りの廊下。小さな書棚やテーブル。気持ちの問題だろうか、蚊遣りの煙が空気を小さく揺らしている。

 ――怪異ナル小咄ノ蒐集ヲシテオリマス。代価トシテ、茶湯ヤ甘味、酒肴ナド御用意シテオリマス

 長屋の風体をしたチェンバーの木戸、風に揺れる浅葱色の暖簾の下に、そんな一文がしたためられた、小さな木製の看板が提げられていた。目にした客人が暖簾をくぐり、現われたチェンバーの主に案内されたのが、この部屋だった。
 雨師と名乗る男は、和装で身を包み、細くやわらかな眼光は、眼鏡の奥でゆるゆると穏やかな笑みを浮かべている。
 テーブルには酒と肴の用意が整えられていた。定食じみた食事の用意も、甘味と煎茶の用意も出来ると言う。
 
「それでは、お聞かせくださいますか?」
 言いながら、雨師は客人の前に膝を折り座った。
「あなたが経験したものでも、見聞したものでもかまいません。もちろん、創り話でも」
 怪異なものであるならば。
 そう言って、雨師は静かに客人が語り始めるのを待っている。 

品目ソロシナリオ 管理番号2990
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメント櫻井です。
季節などお構いなしに、怪談は付きまとうものなのだと思います。ええ、好きですよ。イワコデジマイワコデジマ。
ということなので、よろしければ少し立ち寄られてはいきませんか?
雨師が申しておりますように、怪異なものにまつわる話であるならば、内容は問いません。文字数の関係上、短めなものにはなるとは思います。
どうしても浮かばなければ、お題をいくつかご提示いただき、櫻井にお任せいただくという荒業もございます。

それでは、ご参加、お待ちしております。

参加者
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

ノベル

 雨雫が庭の枝葉を叩く音がする。鼻先をかすめるのは夜気を含み湿った土の匂い。
 渡された盃を口に運びながら、横目に縁側の向こうに広がる庭を見やる。目を瞬かせるたびに赤燈のような双眸がじわりじわりと明滅を繰り返した。
 ――いやはや、この酒の銘は何と言うものでありましょうかな。なかなかの美味、肴もまた格別でありますな。
 雨師が用意した酒は特徴的な酒気を揺らす古酒だった。盃の中で黄金色の波を打つその飲み口を楽しみつつ、ヌマブチはわずかに気を浮かせながら双眸を明滅させる。
 ご満足いただけましたようで何よりです。安穏とした笑みを浮かべた雨師はそう応え、数種のキノコを炒め煮たものやカツオのたたきを並べていた。
 盃を何度目か干した後、ヌマブチは深々とした息を吐き出した。呼気に酒の名残が含まれている。雨の音を耳先に流しながらわずかな間を置き、ヌマブチはゆっくりと、記憶の頁を捲るようにしながら言葉を編みだした。

 兎角、戦場とは血と死に溢れた場であるからして、生臭い話との縁も浅からずでありましてな。さらに加えるのであれば、いかな列強なる兵士と言えども、所詮は人の子である事にも変わりはないわけでありますな。歴戦であろうとも、いかなる前線を長らえて来ようとも、人の子である以上、その内には常に恐怖心というものを抱えてもおりましてな。
 ゆえに、やれ何処ぞの天幕の裏で死んだはずの傷痍兵を見ただの、やれ何処ぞの森の中から毎夜のごとくにすすり泣く声が聞こえるだのといった噂話には事欠かぬ有り様でしてな。正体見たり枯れ尾花なんぞという言葉もありますが、何しろ誰彼知らぬ者達の血肉を喰らい啜る戦地でありますからなぁ。

 そう言って、ヌマブチはどこか危うさすら思わせる眼を糸のように細め、注がれた酒の面を揺らす波を見つめながらふつりふつりと言葉を続け、落とす。
 庭の枝葉を鳴らす風が心もち強くなったような気がした。

 某が耳にしたそれは、顔を持たぬ男に関するものでありました。
 何れの隊のものとも違う立襟、目深に被る軍帽。帯刀もせず、ただただ朧に戦地を徘徊しているだけなのだと言いますな。某は終ぞ目にする機を得られずじまいでありましたが、同期の者がある夜に目にしてしまったと蒼白したまま戻って来た事がありましてな。聞けば、歯の根の合わぬ聞き取りにくい有り様ではありましたが、漸うと解するならば、すなわちこういった次第。
 寝入りから小便を催し天幕を抜け、同期はふらふらと天幕を離れたのであります。敵兵が忍び待ち伏せていたやもしれぬ闇中を、されど同期は夢見のままに進んだのでありましょうな。やがて湿った林の傍で足を止め、折りよく見出した手頃な窪みを定め小便を足していた同期は、林の中を危なげな足取りで徘徊する男を見たようであります。すわ、敵兵かと、同期も急ぎ構えたのだそうですが、男は一向に林の中より出てくる気配を持たず。陰鬱とした影だけが繰り返し林の中を徘徊し、時に思い出したようにまろび倒れて姿を消して、そうかと思えばまるで離れた場所から立ち上がっては再びの徘徊を繰り返す。――まぁ、奇行でありますな。尤も、戦地に立つ同輩の中には惨状の中で正常を保てず瓦解していく者も少なからずはおりますわけで。同期も、林を徘徊するそれは精神を瓦解してしまった者の何れかであろうと判じたそうであります。
 さて、小用は済ませた、天幕に戻り休息を取らねばならぬ。安定した休息が約束されているような場でもありませんからな。しかしながら林を徘徊する何者かが同輩であったなら、まして精神を瓦解させているならば、それを一人捨て置き帰るというのも忍びない。同期は悩んだ末、自らも林に踏み入る意を決めたのであります。

 盃の中、夜風を受けて酒の波が立っている。ヌマブチの眼光は変わらず不定に明滅していた。
 土の匂いがする。ヌマブチはふと視線を移し、庭先に注ぐ細かな雨の糸を見つめた。

 あれは確かに、月も無い曇天の夜でしたな。照らすものも持たぬのでは天幕を出て小用を足す場所までの距離だけでも充分に覚束ない闇夜ではありますが、照らす物を手にしての移動では、敵兵が放った弾の的になって終いになるかもしれませんのでな。何れにせよ、林の中はことさらに暗澹とした闇で覆われていたそうであります。
 腐った枝葉を踏む己の足音と、風が揺らす林の波打つ音より他に、何の音も無く。徘徊しているはずの男の足音は不思議と何処にも聞こえず終いであったそうであります。
 同期は男の気配を探りながらしばらく林を徘徊し、その所々で土饅頭だの窪みだのに足を取られ転げたそうであります。そうしてしばし考えて、その林が何たる用途のもとに使われている場所であるかを悟ったのですな。そうと気付けば、自分の周りが如何なるものに囲まれているのかも知れる算段。さすがに居心地が良いはずもなし。
 ――ならばもしや、自分が目にしたあの男、戦地を惑う死霊の類か。
 思い至った同輩は、文字通りに転げ回るように林を脱しようとしたのであります。けれども足は再び土饅頭に躓いてまろび、手をついた窪みに滑ってそのまま浅い穴の内へと転げ落ちたのだそうですな。
 やけに軟らかな土、飛び交う蝿、蠢く蛆の群。転げた拍子に蛆をまとめて口中に押し込んでしまった事で、同期は図らずも動転し、虫のように這いながら先を急ぎ始めただけであります。
 漸うと林を脱する位置に着いた同期は、自分の顔のすぐ目前に、自分の顔を覗きこむ何者かの顔があるのに気がついたのだそうでありましてな。自分と同じく小用と足しに来た同輩なのかと判じ、その首に縋ったのだそうでありますよ。

 言って、ヌマブチは酒を煽る。炊いた筍も運ばれてきたところだった。筍に箸をつける。
 ――それでどうなったんです? 雨師が問う。ヌマブチは小さな瞬きをひとつ返し、酒で喉を潤した後、再びうっそりとした口を開いた。

 あれは、確かに、よく知る何某かの顔だった。同期は幾度となく繰り返し述べておりましたな。その顔が誰のものであったのかを記憶してはいないが、比較的に身近な何某かのものだった。某は訊ねたのでありますよ。身近な者の顔を思い出す事が出来ぬとは如何なるものか、と。同期は頷き、幾度も幾度も、捉われたように繰り返し思案しておりましたな。思案に捉われて寝食も忘れ、同期は見る間に瓦解し病んだ者へ豹変していきました。されどある日、激しい銃撃戦の中、同期は徐に壕を飛び出て何処とも知れぬ場所を指し、笑い狂ったのであります。
 なんだ、そうか、己であったのか。
 全身に弾を浴びて穴だらけとなりながら、同期はゲタゲタと笑った後、自らの銃を顎下にあてて引金を引いたのであります。当然に唇も鼻も目玉も吹き飛びましたな。

 その後、同期の屍は林の傍にあった窪みの中に埋められたのだと続けたヌマブチに、その窪みというのはその方が小用を足した場であったのではと雨師は訊ねる。ヌマブチは赤燈をうっそりと明滅させ、頬をわずかに歪め上げながら、何杯目とも知れぬ盃を口に運ぶばかりだった。

クリエイターコメントこのたびは当ソロシナリオへのご参加、まことにありがとうございました。
題目を得ての完全創作というご指定、ありがとうございました! 楽しかったです!
顔の無い男というとやはり無貌を連想してしまいますね。せっかくだからそれでいこうかとも思ったのですが、今回はあえて自制してみました。シンプルなものとなったように思います。

少しでもお気に召していただけましたら幸いです。またのご縁、心よりお待ちしております。
公開日時2013-10-13(日) 22:20

 

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