オープニング

 二対の翼を持つ、巨大な猛禽。
 羽根先を鮮やかな五行の色に煌めかせ、朱霧の残滓を火の粉のように散らせながら、悠然と、朱の籠る空を駆けて行く。
 其れに随って空を往くは、無数の魑魅魍魎の軍勢。朱に呑み込まれた人々の成れの果て。向かう先は、朱の霧に覆われた、赤煉瓦の都。

 其れはまるで、神代の行軍にも似ていた。

 ◇

「おう、来たんか」
 別たれた豊葦原での依頼を請け、集まったロストナンバーの前に現れたのは、見慣れた虎猫でも、旅人服の雀斑顔でもなく、電信柱のような青年だった。
「灯緒から手ぇが足りんけぇ手伝え言われての、今回の件はわしが担当する」
 テーブルの上に置かれた硝子の器、そこに盛られた朱の氷山をスプーンで崩しながら、世界司書・湯木は淡々と語る。スプーンで掬った雪を口に含み、しゃくしゃくと音を立てて咀嚼する様を見るに、それはどうやらいちごシロップの掛けられたかき氷のようだった。――氷山の頂が、立って話す湯木の身長と同じだけの高さがあるそれを、最早かき氷と呼んでいいものかは判らないが。
「朱昏の東国の都……真都言うんじゃったか。其処に無数の妖魔の群れが攻め寄せて来る、ちゅう話じゃ」
 正しくは、真都の中央、天帝の居城である東雲宮(しののめみや)である。
 統率された動きを見せる妖魔の大群は、都自体には目も呉れず、宮だけを狙って来ているのだと言う。
「群の大半は、元々人間じゃったらしい。浄化する事は出来ても、再び人間に戻す事は叶わんそうじゃ」
 大群の拠点であった《魔の森》河内(カナイ)は、朱霧が深く立ち込め、並の人間が立ち入れば容易く理性を手放し変生する、と噂される場所だ。実際に人の身を喪ってでも成したい願いのある者が森を訪れ、帰らなかった事が多く合った。そして、以前のロストナンバーによる調査で、さる天神の末孫がその妖魔達を掌握し、操っていたと明かされたのだ。
「……まあ、木端共は特に苦戦する事もなかろう。問題は群を率いる親玉じゃが――天狗、じゃそうじゃ」
「天狗?」
 首を捻るロストナンバーに、無心で氷山を崩しながら湯木は頷いて応える。
「天候と風雷を自在に操る、二対の翼を持った巨大な猛禽類らしくての」
 その表現に、何者かを思い出した旅人も居た事だろう。
 かつて彼の妖の棲処を訪れたロストナンバーの一人をそのまま模倣し、その大妖は人としての姿を棄て、魔として変生を遂げた。
「外見は能面を被った人面鷲、と言った所じゃ。能力も完全に同じとは言い難いじゃろう」
 その身体は朱霧で構成され、霧散し、水中、或いは大気中に漂ってはまた集う事ができるのだと言う。
 頂点から氷をざくりと削り取り、軽やかな音を立てて頬張ってから、湯木は話題を次へと移した。
「宮殿全体は第六小隊……六角さんの貼った結界で護られとる。おまえらは基本的には一カ所を護ればええんじゃが、万一結界が破られる可能性も考慮しておいた方がよさそうじゃの」
 木端妖怪の元が人間ならば、結界を創り出したのも人間だ。何かの弾みで破られる可能性もなくはない。第六小隊の側でもそれを考慮し、敵の勢いを一カ所に集中する為、態と庭園に面したホールの入り口部分だけ障壁を薄くしているとのことだった。
「簡単じゃが骨の折れる話じゃの。ま、よろしゅう頼む」
 そう簡単に言ってのけ、湯木はまた一口、いちご味のかき氷にスプーンを突っ込む。
 どしゃ。
「……あ」
 融け始めていた氷山の中腹に穴が開き、盛大な雪崩が起きた。

 ◇

 朱紫の雲が垂れこめ、今にも決壊しそうな空の下、臙脂の軍装が翻る。数人の男たちが回廊を、庭園を、慌ただしく走り回って準備を整える様を、朱のヴェールで貌を覆った貴人だけが見守っていた。盲いた眼を窓の外に向け、若い准尉の報告を聞き届ける。
「東雲宮周辺の人払いと結界の設置、完了致しました」
 不穏な空模様は時に稲光を孕み、硝子を閃かせる。僅か空いた窓から吹き込む風が、女の貌を隠すヴェールを煽った。
 ――妖魔軍侵攻中。迎撃態勢を取られたし。
 ロストナンバーからの連絡が飛び込んできた時、好機と呼ぶべきか否か、その場には天沢中尉率いる真都守護軍第六小隊の姿もあった。彼らは報を受け直に宮の各地に散って、符術による結界を施し、一部の皇族を除いた者達を避難させた。
 後はロストナンバーによる援軍を待つだけだ。
「……して、姫様は」
 促すような聲に、しかし娘はヴェールの奥の唇を曲げ、軽やかにわらう。
 訝しむ准尉を伴って、回廊を抜ける。庭園に面するホールへと階段を降りて行けば、広い床に陣を張り巡らせていた臙脂色の軍人がそれに気が付いて姿勢を正した。
「茜ノ上様」
 名の如き朱のヴェールが、一段一段と踏み出すごとに、焔のように揺らぐ。陽炎のように朧げで、しかし凛とした佇まいの女は、ゆっくりと陣の中へと足を踏み入れる。
 紋様と靴底とが擦れ合って、鮮やかな朱の光が散った。神威、妖気、そのどちらでもあり、どちらでもない。身を切る程の気配が場を包む。

 ――この扉が最後の要となるよう、布陣の指示を出した。
 ならば、それを維持するのは、己の役目だ。

「妾とて龍の末裔。宮と、都を護る為、場の礎と成りましょう」

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!注意!
このシナリオは、同時公開のシナリオ『【霧深き黎明の都】切能・八握脛』と同じ時系列の出来事を扱っています。
同一のキャラクターによる両シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。
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品目シナリオ 管理番号2995
クリエイター大口 虚(wuxm4283)
クリエイターコメントこんにちは、唐突に朱昏へお邪魔してみました大口 虚です。初の朱昏シナリオが何だかとても重要そうな局面でどっきどきです……!
OPはまるっと玉響WRに提供いただきましたがノベル本文は私が担当いたしますので、玉響WR好きなPL様はご注意くださいませ。

こちらはほぼ戦闘オンリーの内容になる予定ですので、難しいこと考えずひたすら格好良く戦いたい方々向けです。これまで朱昏に行ったことないという方も、WR自身今回が初朱昏なので遠慮なくどうぞ。
玉響WR監修の元、張り切って書かせていただきます。

尚、ご参加は1PL様につき1PC様にして頂けるようご協力をお願いします。



こちらのシナリオでは、真都の中央・東雲宮へと攻め寄せる妖魔の軍勢から宮を護る防衛戦を行っていただきます。

妖魔:
百鬼夜行さながらの魑魅魍魎の群れです。
大半は雑魚ですが親玉(能面の猛禽)を斃さない限りほぼ無限に湧いて出ますのでお気を付けを。

結界:
宮の外壁(東西南北)に貼られた四枚の符を基点として展開、ホールで茜ノ上の妖力を用いて強化、維持されております。

東雲宮:
天帝を初めとした皇族、臣下の殆どが避難済みです。
宮殿内に残っているのは後述の第六小隊と天帝の妹君、茜ノ上のみ。

第六小隊:
隊長の天沢蓮二郎以下十名が今も宮殿に待機しております。この内符術による簡単な防衛・除霊ができる者が天沢含め六名。何か御用があればプレイングにて指示をお願いします。
特にご指定がなければホールで茜ノ上の補助と護衛に回ります。

参加者
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
ハクア・クロスフォード(cxxr7037)ツーリスト 男 23歳 古人の末裔
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人
しだり(cryn4240)ツーリスト 男 12歳 仙界の結界師

ノベル

 東雲宮を喰らわんとする魍魎共の虚ろな呻きが幾重にも渦巻き、宮を守る者たちの鼓膜を揺する。泥のように淀む空気を飲み込めば、ぬるりと重く胸の奥へと沈んだ。
「妖の群れ、か。壮観というべきかな」
 浮遊の魔法で屋根から宮内へと戻ってきたハクア・クロスフォードが皮肉気に妖魔の群を振り返る。そこへ他のロストナンバーたちが通りかかった。
「揃って、何処へ行く?」
「茜ノ上さんに会いにいくのですー」
 シーアールシーゼロはその小さな手で茜ノ上のいるホールの方を指す。彼らの先頭には第六小隊の隊員が一人案内役として付いており、ハクアと目が合うと彼は小さく会釈をした。
「事の始まる前に問うべきを問えば、打てる手も変わるというものでありますよ」
 ヌマブチは軍帽の鍔を右の手で軽く持ち上げ、先程ハクアが眺めていた方向の空の様子を伺い、その赤い双眸を細くする。
「……ハクアは、どうするの」
「同行しよう。策の共有ができなければ、互いに足を引っ張り合いかねないからな」
 しだりに淡泊な声色で問われたハクアが案内役の男に視線を合わせると、彼は一つ頷いて「では」と一行を奥へ促した。

 ホールにて人の中で結界へと力を注ぐ茜ノ上は一時、訪れたロストナンバーたちを迎える。手身近に挨拶を済ませると、一行は時を惜しむようにそのまま本題へと話題を移した。
「茜ノ上さんは、妖魔さんたちの目的が東雲宮の何なのかご存知なのです?」
 ゼロがそう切り出すのを聞き、ハクアは抑えた声で真横に立っているヌマブチに尋ねる。
「妖魔の目的とするものがここに隠されている、と?」
「都に目を向けず宮のみを狙う行動からして、宮に排除したい、或いは奪い取りたい何かがあると推測するのは自然のことでありましょう」
「成程。妖魔に明確な目的があるとすれば……打てる手も変わるとはそういうことか」
 茜ノ上は思考するようにしばし黙した後、近くに控えていた軍人に何かを伝えた。一時ホールを出た男は駆け足で小さな箱を持って戻ってくると、それをロストナンバーたちの前で開けて見せる。
 箱の中に納まっていたのは、赤と青の陰陽の珠だった。それを見たヌマブチは俄かに眉を顰める。
「それは、」
 かつて真都での事件に現れ、そして今も真都に迫る大妖と天神の末裔によって持ち去られた神宝。そして後に、東南の地にてロストナンバーたちが発見したそれによく似た宝珠だった。先に持ち去られたのは世界計の欠片と既に判明している。しかし東南の地より持ち帰られ、これまで第六小隊の手に寄り保管されていたという宝珠については未だ語られていなかった。
「神宝十種……以前物部達が持ち去った二種の珠は、嘗て龍王が己の力の一部とすり替えたもの。此方は、そのすり替えられていた残りの二種です」
「すり替えたのは何のためです?」
 龍王の力の一部、というのは世界計の欠片のことを指すのだろう。ゼロが問うと、茜ノ上は一つ頷いた。
「神宝十種は十種全て揃って初めて、其の真の力――反魂の術を扱うことができるのです。龍王は其れを容易に人の手に扱わせぬため、十種のうちの二種をすり替えた後に本物を此処より遠く、東南の地へと隠しました」
「物部はそれを?」
「神宝のうちの二種がすり替えられていたことは知っていたのでしょう。故に、十種揃わぬ神宝を捨て置き、龍王の力の一部である珠のみを持ち去ったのではないかと」
「しかし、そのすり替えられていた『本物』の珠が戻ってきた。つまり欠けていた神宝が……」
 茜ノ上はハクアが言いかけた先を補って続ける。
「ええ。神宝が、十種揃ったのです」
「つまり、いらないと思って置いてきた神宝が使えるようになったから取り返そうとしてるのです?」
「少なくとも、放置はできぬと考えたのは確かでしょう」
「ならば敵の狙いは、その珠を含めた神宝十種」
 低く、ヌマブチが話の結論を出す。茜ノ上は再度頷き、これを肯定した。
「ええ。其の筈、かと」
「ならば、一つ提案が」

 魑魅魍魎は東雲宮を前にして、今にも結界を食い尽くさんとするかの如く広がり、既に東雲宮のホールに面した庭園の方へとその密度を寄せていた。東雲宮の屋根へと登ったハクアはパスホルダーから白銀の銃を取り出すと宙を睨み、魍魎の内の一体に狙いを絞って引き金を引く。
 乾いた一発の銃声が、一帯の澱んだ空気を鋭く裂いた。白い弾丸は魍魎の海の中へと飲まれて消える。そのまま又、沈黙が下りると思われた刹那。妖魔共は大きく一斉に沸き立ち、飛んできた銃弾の軌道を辿る一筋の濁流となって一瞬の間にハクアの立つ場所へ向かって雪崩れ込む。ハクアは屋根の上を駆け、自身の手の甲に描いた魔法陣を発動させた。瓦を蹴り、浮遊の術式によってそのまま宙へと躍り出る。手にした銃から放たれる弾丸は飛びかかる人間の成れの果てを正確に撃ち抜いていく。
 ハクアがさらに手を掲げると、既に空中に描かれていた魔法陣の一つに光が走った。浄化の光は一気に目映い閃光となって、迫りくる妖魔共を次々飲みこんで押し返し、東雲宮周辺の空を覆う魑魅魍魎の海を刺し貫く。
 庭園へ突入しようとしていた妖魔の一部がハクアの方へと向きを転換する。轟と風を感じて視線を落とすと、宮から一匹の青龍が飛び出してくるのが見えた。

 茜ノ上から話を聞いた後、しだりはホールにて水鏡を生み出し、茜ノ上の協力を伴って龍王への呼びかけを試みたのだが、ついぞ返答を得ることはできなかった。しかしそれでも今は、成すべきことを成さなければならない。
 しだりは龍の姿へと変じると、東雲宮から飛び立ち迫る妖魔の群へと飛ぶ。己が此処へ、今、この時に訪れたことには必ず意味がある。しだりはそれをしかと信じていた。
「……此処を護る」
 自分は、調和を保つ神へと、生きとし生けるもの達の命を護る神へと、成ることを選んだのだ。ならば、今は叶わぬ助力を惜しむより地上を荒さんとするものどもを一体でも多く退けねばならない。
 朱紫の空より、東雲宮へ迫る妖魔達を、異世界の青き龍は自身が生み出した幾つもの水流で弾き飛ばしていく。そこへ、浮遊の魔法を駆使しながら妖魔を次々撃ち落としていたハクアが接近した。
「ゼロは」
「……まだ。大妖は?」
 一言二言会話を交わす間にも、妖魔は雨のように結界やハクアたちへ降りかかる。一体一体を相手にするのにも限界があった。
「ここからは見えないな。準備はまだかかるのか?」
 ハクアは後方を東雲宮の方へ振り返り、屋根の付近に描いた魔法陣の一つをまた発動させる。魔法陣から放たれた光は、宮の庭園辺りへ迫ろうとしていた魍魎たちを一斉に浄化していくが、しかしそれでもまだ、完全に凌ぎきるには至らない。魔法陣はまだ幾つもあり、特に巨大なそれもまだ残してはいる。だが大妖の居所も分からぬままそれらを消費し過ぎるわけにはいかないのだ。しかし、妖魔たちは際限なく次々湧き出してくる。
「……うん。新しく、符を配置しないといけないから」
「そうか。それまで、庭園への攻撃はなるべく防がなければならないか」
「……」
 ハクアはまた銃を片手で構え、銀へと変じた銃弾を放つ。しだりは庭園の方を見た。魍魎共の進行を阻むには、圧倒的に手数が足らない。此処に己がやって来たのは、此処を護るため。しかし、龍王に呼びかけが届くことはなかった。そして今こうして、圧倒的な敵の数に圧されている。なら、己が此処に来た意味は。
「……」
 朱紫に沈む空を見上げる。それから両目を閉ざし、再度、心のうちでのみ、龍王へ呼びかけた。
(磐余日子様――どうか。その御力である朱の一滴、お貸下さいませ。貴方様と奥方が護る理、しだりにも護らせて頂きたく)
 両目を開き、しだりは朱紫色の天へと泳いだ。飛び交う妖魔を水流で薙ぎ、朱の霧へとその身を浸す。すると間もなくその霧は青い龍の身体へすうと沁み込んでいった。それが龍王の応えなのかは分からない。しかし確かに朱昏の力の一部が自身の身体に馴染んでいくのを、しだりは感じていた。
  尚も追いすがる妖魔達を睨む。しだりは自身に宿った朱の力に念じた。遠方、儀莱の地へ届くようにと。しだりに染みこんだ朱はその念に呼応し、その額へ一対の朱角を顕現させた。
 儀莱より呼んだのはやはり水。浄化の力を秘めたそれを水蒸気へと変じさせ、宮の上空のほとんどを覆う雨雲とした。やがて雲より下方の妖魔共に向かって、儀莱の雨が降り注ぐ。

 今は封鎖されている庭園のそれとは別に宮内の一角に設けられた階段を使い、地下に保管されていた十の神器――四の宝珠と二の水鏡、三の比礼と一振りの剣――が第六小隊によって丁重に運び出されていく。ヌマブチもそれに同行していた。庭園にては既に幾らかの数の妖魔が侵入しつつある。小隊の一部がこれの対応に当たっているが、時間的余裕はそれほどないだろう。
「沼淵軍曹」
 比較的若い年頃の男に声をかけられ、一瞥する。見覚えのある男だということだけ確かめると、呼びかけに応えた。
「各務准尉か」
「はい。符と、小隊の配置について伝達が」
 神宝を囮として使うことを進言したのはヌマブチであった。現状を切り抜ける策としては適したものであったが、神器を奪われれば今後大きく不利に働く。故に、神器の護衛は厳重であった。神宝の在処を上空にて羽ばたく大妖へ知らしめるために宝物を地下からホールに面する庭園の中央部へと移動させ、新たに結界を荷車に乗せた宝の周辺に配置し、それを囲うように小隊を配置する。
「符を扱う六名は」
  大妖は本来形を持たぬ朱霧。であるならば、有効であるのは物理的な攻撃ではなく霊的なものへの干渉である。つまり、符を扱うことのできる者はこの作戦においては最も重要な位置にあった。ヌマブチは小隊にその六名の防衛をまず小隊へ伝えていたのだ。
「配置の最後方、ホールへ続く扉の前面にて待機します」
「承知。ならばその位置は、」
「ええ。我々が、何としても護らなくては。それに――」
 軍靴の音が、忙しなく広い廊下を抜けていく。一旦言葉を切った准尉は、今まさに神宝を運び込むための準備が成されている庭園の方角を見やった。
「庭園とホールの間の扉を破られれば、茜ノ上様の御身も危うい。……最も、それは此処に留まるとお決めになった時から、茜ノ上様も御覚悟のうえでしょうが」
 ヌマブチも一度准尉と同じ方向へ首を動かすが、すぐに前方へと戻す。その表情には特に何かの機敏があるわけでもない。故郷の戦地においては、ああいった高潔たる権力者というものは往々にして百の兵を誇りなどというものの名の元に湯水の如く安易に消費するのだ。そういった意味で、ヌマブチからすれば茜ノ上という権力者は好まざる在り方だった。
 誇りも矜持も、知ったことではない。しかし彼女を欠けばこの場の失敗のみならず、この国の未来も危うかろう。彼女の命は一に非ず、この国の命を全に相違無し。
「女が己の矜持で家を守ろうと残るならば、男は其れを守る為剣を取るべし」
「それは?」
「某の郷里の言葉であります」
「成程」
 荷物を運び出し終えたのか、人がいよいよ庭園の方へ移動を始める。准尉が頷いたのに頷き返すと、ヌマブチもそれに続いた。
「願わくば、女の守る家へと無事戻りたいものです」
「あの娘か」
「はい。ようやっと身請けが叶い、先日結婚を」
「ほう、それはめでたい」
 戦地にて残してきた者を想う兵は珍しいものでない。問題は、それが戦意へ如何に響くかということだろう。ヌマブチは適切と思われる言葉を凄然と選び取る。
「なれば、奥方のためにも此処は勝たねばなりませんな」
「……ええ。必ず、勝たねば」

 朱色の角を生やした青龍が呼んだ雨雲は浄化の雨を降らし、宮へ集まっていた妖魔達を安らかに、永久の眠りへ誘う。
「六角さんにお願いごとをしてたのでちょっと遅くなったのですー!」
 声のした方。しだりが結界の外側の地面を見やると、小さな白い影があった。それは数度瞬きをする間に膨張し、空中に在っても尚見上げるほどの大きさの真っ白な少女となる。彼女の『何も壊さず、傷つけることがない』という特性によってか、その巨体で建築物の立ち並ぶ真都の一角に立っているにも関わらず、周辺に在るものはまったく損壊のないようだった。
「今回はちょっと大きくなりすぎないようにするのです」
 朱昏では過ぎたる力は好まれぬとものらしいと知っていた。ギアが知らせる巨大化の上限よりずっと抑えた大きさで止めると、ゼロはポケットから扇子を取り出す。ゼロと共に巨大化したその扇子には朱墨を使った護符が書かれている。それで軽く一振り扇ぐと、符の力の宿った風は魍魎達の無念が浄化され、群の一部が消えて逝く。
「迷わず成仏してくださいなのですー」
 そのままパタパタと扇いで、群を減らしていく。しだりの降らせた浄化の雨と相まって、妖魔の群の数は確実に減っているようだった。
 それと見て、ハクアは一度宮の屋根へ降り、庭園の様子を確認する。庭園にまで及ぶ程の群が削られたお蔭でようやく配置が完了したらしく、合図の旗が振られた。それを見て、ハクアは宮の屋根より上に浮かぶ魔法陣の中で最も巨大な図を発動させる。
 巨大な浄化の光が溢れ、それは一本の強固な柱の如く天へと伸びていく。その白銀の光は群の中央部から妖魔を次々掻き消し、群に大きな穴を開けていった。
「大妖は」
 呟く途中、視界が俄かに薄暗さに覆われる。目映い光を遮ったものの正体は、見上げればすぐに視認することができた。朱霧を散らせ羽ばたく猛禽の姿。頭部にあたる能面はただ虚空を眺めるのみだったが、その巨体は庭園に設置された神宝を目指し降りてくる。
 それを迎え打たんと青龍が前へ出た。朱角を生やしたしだりは、儀莱より呼びだしたる水を純水へと変えてその身に纏わせる。
「我が性は水、我が身は青き水の流(りゅう)――貴き朱き流(りゅう)の旺(おう)。その血から一滴を以て角と成す」
 猛禽はそれに雷鳴で応える。一つ羽ばたくごとに風が轟々と唸り、渦を巻いていた。両の翼に風と雷を纏い、大妖の巨躯はただ庭園を目指さんと空を切る。
「そうは、いかない」
 すかさず追いすがるしだりを追い払わんと、猛禽は一つ羽ばたいた。雷が四方の宙を裂き、またしだりの身体をも貫かんとする。しかししだりはそれを恐れることなど微塵もなく、そのまま大妖の巨躯へと迫っていく。
 しだりを覆う不純物のない水は絶縁体と化し、大妖の放つ稲妻をその身体へ届かせはしない。幾度も放たれる雷を一切厭うことなく突進する龍を退けんと、猛禽は続いて暴風を操りしだりのそれ以上の進行を止める。しだりはさらに降り続く雨の質が変わっていくことに気づいた。
「……儀莱の雨が、薄まってる」
 其れが大妖の仕業によるものであることは間違いようがない。一度を大きく数を減らしたはずの魑魅魍魎共が、再び何処かより湧き出したかのように数を増やしていくのが見える。しだりが再び儀莱の雨を降らそうと一度動きをとめかけたとき、己より下方から赤い炎が。己より上方から透明な壁が。ほぼ同時に現れた。炎は羽ばたく猛禽の翼を捕え、透明な壁は上空の雨と増えだした魑魅魍魎の群から大妖と東雲宮を隔離するように周辺を覆った。
 大妖が両翼に炎を受けたことにより、僅かに風が弱まったのを狙ってしだりは再度猛禽へと迫った。宙を泳ぎ飛ぶ刹那、下方にてはハクアが少しでも大妖の風を食い止めんと用意してあった魔法陣を次々惜しむことなく行使しているのが、上方にてはゼロが透明な円柱状の壁――恐らくは硝子瓶か何かだろうか――を両手に持って内部であるこちら側を覗いているのが見える。しだりは動きの鈍った大妖の間近へついにと至ると、その巨躯へ自身の長い身体を巻き付かせた。
「過ぎた時は戻らない」
 巻き付く身体に力が籠る。もがく大妖を逃すまいと、きつく、きつく。そして、龍はその虚ろな能面へと問う。

――かつての神は復活を望んだのか?

己の下に集った民を争いの道具とするものを誰が望むというのか。

おまえたちが朱昏に生まれたものを慈しまずして誰が慈しむのか。

 己が在り方を定めた神であるが故に、問うた。能面がそれに応えることはないと分かりつつも。
「己の欲のみに従い振る舞う堕ちた神使よ……もう眠れ、そして、儀莱で新たな時を待つがよい」
 朱角を宿した龍が、朱霧の大妖の喉笛へと食らいついた。暴れる猛禽の身体とその翼をさらにきつく締め上げ、そして、羽ばたくことを妨げられた大妖と共に、落ちていく。

「地下で見た絵に似てるのです」
 ゼロは硝子瓶の中の様子を伺いながら、増えだした妖魔達をパタパタと護符で扇いでいる。ちら、と予め聞いておいた住民の避難先の方向を見やり、そちらにはまだ妖魔が及ぶことはなさそうだと確かめた。それから扇ぐ手は止めないまま、また瓶の中の様子を覗く。
 地下で見た茜ノ上に見せてもらった反物、天孫降臨の図の一場面にちょうどこのような光景があったと思い出す。物部の祖先とされる丹儀速日が、王の妹が変じた青い木蛇によって共に南の海にて沈んだという神話を綴った天孫降臨の図。瓶の中で、あの図が再現されているのを、ゼロはその外側から見つめる。
 ひとまずこのまま瓶を被せたままで良さそうだと思うと、瓶が倒れないように、ぐい、と念入りに地面へめり込ませた。

 何時か見た反物の図と重なる頭上の光景を、ヌマブチはじっと睨んだ。庭園へ侵入してきた妖魔の一匹から銃剣を抜く。青い龍が猛禽の喉笛へと噛み付く様に、神宝を守る兵達も息を飲んでいる気配があった。どこか、先よりも幾らか高揚しているようにも見受けられる。
「このまま、沈むでしょうか」
 一人がそう誰に尋ねるでもなく呟く。否定の声がすぐに上がらないのは、神話を思わせる状況に、期待と希望を抱く者がほとんどだからなのだろう。
「――否」
 だからこそ、ヌマブチはそれを否定した。それは戦地にての過信の危険性を知る故でもあり、また、そのままでは終わらぬという確信を持っていたが故のことである。
 ギリギリと締め上げられる猛禽はやがてぐらりと落ちてくる。兵達が俄かにざわめく。ヌマブチは後方を振り返り、声を上げた。
「中尉!」
 最後方にいた天沢がヌマブチを見る。目が合い、ハッとしたように号令が発せられた。
「備えよ!!」
 落ちてくる刹那、猛禽の巨体が朱く霧散した。巻き付く青龍の身体から抜け出した朱霧はそのまま、吹き荒れる暴風に乗り庭園へと侵入する。
 庭園を囲う屋根の一ヶ所で魔法陣がまた一つ瞬く。ハクアが庭園へと降りてくると同時に大妖を逃がさぬよう庭園を一時外部から隔絶させたのだ。
 暴風と雷が麗しく整えられていた庭園を荒す。小隊は最後方と中央部にて護りを固めた。ハクアは風に圧されながらも神宝を守る結界の前面へと滑り込み、そこへヌマブチも駆けつける。
「ハクア殿、符を」
「…………ああ、分かった」
 ハクアは右の人差し指の先を短剣で僅かに切ると新たに魔法陣を空中に描き、それを速やかに発動させる。発生したのは、これもまた風だった。各所へ配置されている符を暴風と異なる空気の流れで保護する。
 朱霧は神宝をも己の風の中へ巻き上げんとするかのように庭園の中央部へ集まりだしていた。ヌマブチはそれをしばし見、やがておもむろに銃剣の口を天へ向ける。

 銃声。

 ハクアは風で保護した符のうちの数枚を宙へ舞わせる。符は朱霧を囲うよう大きな円を描くように回転を始め、同時に後方で控えていた天沢含む六名が符術により結界を展開させた。円柱状の結界は徐々に狭まり、霧と風と雷を檻の如くに庭園の中央・神宝を積んだ荷車の傍に封じ込める。
 庭園を隔絶させていた魔法陣の効果を止めると上空より降りてきたしだりがすかさず円柱の結界の内部へ入り、儀莱の水を招いて霧をその水流の中へと飲みこませた。霧は再度猛禽の姿を取り、水中より抜け出し開いている結界上部へ向かおうとする。
「えーい、なのですー」
 それを――既に離脱したしだりを除き、その円柱の結界と浄化の水ごと――大きな硝子瓶が捕まえた。いつの間にか庭園の方まで戻ってきていたゼロは先より幾らか身体が小さくなっている。ゼロは捕まえた大妖を出さないよう瓶に栓をすると、それを一旦ポケットにしまってするすると元の幼い少女の大きさまで戻っていった。

 庭園まで戻ってきたゼロが見せたのは、硝子瓶の中で浄化の水により少しずつその姿を失っていく大妖の姿だった。
「……こうなっては、如何に大妖とはいえ最早手も足も出ぬでしょうな」
 ひとまず預けられたそれをヌマブチは片方のみの手で摘むと、掲げてゆらゆらと揺らしてみる。瓶の中ではちゃぷちゃぷと水が揺れ、一度はそれより逃れかけた小さな猛禽がまたその中へと飲みこまれていた。
「その様だと、全て浄化されるまで半刻も持たぬでしょう」
 苦笑する天沢へと瓶を受け渡す。念のため、完全に浄化を終えるまでは第六小隊で監視を行うことになったようだ。大妖入りのガラス瓶は速やかに彼の部下の手によって宮の外へと運び出されていく。

「……これ、を」
 ホール内にては、童の姿となったしだりが茜ノ上へ朱角を献上している最中であった。あの後、しだりの頭部に宿った朱角は役割を終えたのを知ったかのように自然に取れて落ちたのだ。
「これは朱の結晶……磐余日子様のお力を借りたとするならば、御返しするのが筋かと」
「ええ。では、此れは此方の宮にて預かりましょう」
 龍王へ献上の叶う機会があるまで、と彼女が告げるのを聞きながら、しだりはふと雨の気配を感じた。

「今度は、朱の雨が降ってきたのです」
 しだりによるものでも、大妖によるものでもない。朱色の雨がしとしとと降りだしている。ゼロは宮の窓からそれを眺めていた。
「雨、か」
 ハクアは気だるげにその脇の壁へ背中を預けている。今回の作戦では流石に魔法陣のために血を使いすぎたようだった。
「この雨は、今度は誰が呼んだものなのだろうな」
 誰にでもなく呟くと、「少し眠る」と言い残して彼はその場を後にした。

【完】

クリエイターコメント大っっっ変お待たせいたしまして申し訳ありませんでした!
プレイングを諸々照らし合わせた結果、採用しきれなかったものや大幅に改変したものや完全に捏造したものまで発生してしまいました、が、果たしてお気に召していただけるかどうかガクブルしております……っ。
様々アドバイス頂いた玉響WRに感謝の念も送りつつ。

この度はご参加ありがとうございました。
少しでもお楽しみいただければ幸いに存じます。
公開日時2013-11-17(日) 21:40

 

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