オープニング

 シオン・ユングがターミナルから姿を消した。
 アルバトロス館の彼の自室には、禍々しい黒い羽根が散っており、事情を知るものには、いったい何が起こったのかを彷彿とさせた。人目を避けるようにロストレイルに乗り込んだ、黒髪に黒い翼の少年を見たものもいるという。
「あぁ、オレがフライジング行きのチケットを発行した。むめっちには頼みにくかったんだろ。こんなすがたは見せたくねー、つってたから」
 図書館ホールで複数のロストナンバーから説明を求められたアドは、尻尾をひと振りした。いつもの会話用看板を使用せず、珍しくも声を発する。
「そんで、すぐにラファエルも後を追っかけたみてーだけど、帰ってくる気配もねーし、今、どういうことになってんのかはまったくわからん。むめっちの『導きの書』にはなんか浮かんでるはずなんだけどな」
 無名の司書は、司書室に閉じこもり、ずっと泣きじゃくっているらしい。
 モリーオ・ノルドが心配して様子を見にいってるのだと、ぶっきらぼうに、しかし気遣わしげに、アドは司書棟の方向を伺う。
 ……と。
 モリーオに支えられて、無名の司書が現れた。サングラスを取り去った目は泣き腫らして真っ赤だが、足取りはしっかりしている。
「すみません、皆さん。みっともないところをお見せして……」
 青ざめた唇を、司書は噛み締める。
「モフトピアに転移したラファエルさんが保護されて、始めてターミナルにいらしたとき……、同時期にシオンくんがヴェネツィアで保護されたとき、あたしの『導きの書』には、ほんの一瞬だけ、ある光景が浮かびました。どことも知れない世界で、黒い孔雀が形成した迷宮に、黒い鷺となったシオンくんが赴き、比翼迷宮を作り上げてしまうこと、そして、助けに向かったラファエルさんが、その迷宮に囚われてしまう未来が」
 すなわちそれが、現在の状況であるのだと司書は言う。
 その世界がフライジングであり、黒い孔雀と黒い鷺が形成した迷宮の場所は、霊峰ブロッケンであったことが今ならわかる、とも。
「あたし……、あたし、彼らには、笑顔でいてほしいと思って、だから『クリスタル・パレス』の運営を勧めて。いろんなお客さんが来てくださって、とても楽しそうで……。ホントはこんなこと考えちゃいけないんだけど、彼らの故郷なんて永遠に見つからなければいいのにって思ってた。ずっとこのまま、ターミナルにいればいいじゃない、って……」
 嗚咽で声をくぐもらせる無名の司書のあとを、モリーオは引き取った。
「ラファエルのことはわたしも心配だ。ごく個人的な思い入れではあるけれど、ダレス・ディーに捕らわれ、いのちが危うくなったとき、非常に案じてくれたことを今でも感謝している」
 それを前置きとしてモリーオは、晩秋の霊峰に《比翼の迷宮》が出現したこと、その再奥には《迷鳥》となったオディールとシオンがいること、ラファエルが虜囚となってしまったこと、そして──
 その周囲を取り囲むように、新たに複数の迷宮が発生したことを告げる。
 それらの迷宮群を消さなければ、《比翼の迷宮》には辿り着けないことも。


  * *


「お呼び立ていたしまして申し訳ありません。お久しぶりです、ヴォラース伯爵閣下」
「どうぞ、昔のようにアンリと。落ち着いておられて安堵いたしました。シルフィーラ妃殿下」
「妃殿下などという立場では……。アンリさまこそ、呼び捨ててくださいまし。非常事態でもあることですし」
「うむ、いずれ皇妃にと考えてはいるが、未だこの娘は、真の親離れも弟離れも出来ておらぬゆえ」
「恐れ入ります」
 メディオラーヌムの、シルフィーラに与えられた館の応接室である。
 霊峰ブロッケンに起こった異変。オディールとシオンによる《比翼の迷宮》と、それを取り囲む複数の迷宮の対応について、シルフィーラは、ヴォラース伯に連絡し協力をあおぐべきだと皇帝に進言したのだ。
 時間が経てば経つほどに迷宮は広がり、じわじわと大陸を浸食する。トリとヒトがいがみ合っている場合ではない。
 そして何より、シルフィーラにもヴォラース伯にも、支援者の心当たりがある。

 異世界の、旅人たちだ。
 
「ずっと思っていたのです。なぜ、わたしとシオンだけが特異な《迷鳥》だったのだろうと」
 焼け焦げた本を、シルフィーラは広げる。
 それは、黒い孔雀が飛び去り、崩壊した地下図書館跡から発見したものだった。
《始祖鳥》にまつわる神話や《迷鳥》に関する旧い伝承が記されたその本からは、僅かではあるが、うっすらと文字が読み取れる。

《迷宮》を作らぬ《迷鳥》は、この……して……

 ひとつ、《迷卵》の状態で保護……こと。
 ひとつ、あたたかな慈しみを持……養育され……
 ひとつ、翼を切り落と……、あるいは……

 ひとつ、孵化した雛を卵に戻……
 それには、この地の《理》を超越した……《真理》に目覚めた旅人の……」

「もしや」
 食い入るように読み込んでいたアンリが、顔を上げる。
「本来であれば、保護者なきまま孵化した雛は《迷宮》を作ってしまう。収束するには討伐しかなく、実際に《旅人》の力を借り、それを行って来た。しかし《旅人》の力は、《迷鳥》を卵に戻すことが可能かもしれないほどのものだと?」
「はい」
「そして、養親に恵まれ、愛情を持って育成されれば、穏当に生きることができると?」
「二百年前にそういった事例があったと、この本に記述されています。ですので」
「……お願いしましょう。旅のかたがたに。《迷鳥》の救済を」
「それがかなうのであれば」
 皇帝は大きく頷く。
「卵に戻った《迷鳥》は、いわば天災に見舞われた孤児のようなもの。後宮で保護するとしようぞ。雛鳥を養育するにふさわしいものはいくらもいようから、養親候補には事欠かぬ」
 皇太子も、強い決意をしめす。瞳いっぱいに涙をためて。
「ぼく……、ぼくも、育てたい。大事に育てて、家族になって、いつか巣立ちのときが来たら、ちゃんと見送って」
「さて、それは首尾よく卵を保護できてからのことになろう。養親には責任が発生するゆえに」


  * *


 数刻前、俄に世界図書館が慌ただしくなり始めた頃、世界司書アドは司書棟へと続く廊下の一角にインテリアとして置いてあるチェストの上に座っていた。導きの書を眺め、くぁ、と欠伸をしては目を擦り、何度も瞬きをする。
『あ~、眠ぃ。案外時間かかってんな。にしても、ほんと、導きの書って好きになれねぇなぁ。ちゃいぶれもだけど』
 世界司書は、自身の故郷に纏わる記憶を捧げ、世界との繋がりを完全に断ち切った存在だ。その司書が持つ導きの書に現れたのがフライジングの《迷宮》を消し、《迷鳥》を《迷卵》へと戻す条件が〝故郷を語る〟など、皮肉以外の何者でもない。
 ばたばたと、遠くから聞きなれた慌ただしい足音が聞こえだし、アドは導きの書に栞代わりに黒い羽を挟む。顔をあげれば、珍しく寝ていないアドの姿を見止めた無名の司書が青い顔をさらに青くし、全速力で駆けてくる。無名の司書は息を切らせて言う。
「シ、シオンくん……に、チケット」
『発行したぜ。丁度フライジング行きの準備をしてたからな』
「ラファエルさん、も」
『おう。もうフライジングに着いたんじゃねぇかな』
「どうして!」
 無名の司書が力任せにバンッ、と天板を両手で叩く。反動でアドの身体が一瞬、宙に浮いた。
『希望されたから』
「なんで! なんでよ! 止めてくれてもいいじゃない!」
『行きてぇってんだからいいだろうが』
「だって! 行ったらどうなるか! アドさんだって知ってるじゃない! なんでいっつも止めないの!」
『本人が行きたいって言うのをなんで止めるんだよ。俺たちゃ司書だぞ。司書が旅人のチケット発行し……』
「いっつも仕事サボってるのにどうしてこんな時だけ仕事するの! アドさんがチケット発行しなければシオンくんもラファエルさんもここにいたのに! 苦しい目に合わないのに! なんでよ!」
「あーーもう煩せぇな! 希望されたからだって言ってんだろうが!」
 急に発せられた怒声に無名の司書はびくりと身体を跳ねさせ、身を縮こまらせる。滅多に聞かない、それも耳元で囁かれた事しかないアドの大声に驚いた無名の司書は、大きく見開いた眼からぼろぼろと涙をこぼしだす。目の前には、チェストに腰を下ろす一人の男がいる。
「シオンもラファエルも、行ったらどうなるかくらいわかってんだ。それでも自分で決めて行きたいって、チケット取りに来たんだぞ、俺達司書が勝手に止めて良いわけねぇだろうが。そもそもだな! シオンとラファエルがお前んとこに行かなかったのはお前じゃチケット発行してくれないって解ってたからだろう!」
「だって、チケット発行したら行っちゃうじゃない!」
「阿呆が! 行きたいからチケット取りに来るんだろうが! あいつらは旅人だ! 0世界に留まるのも、フライジングに帰属するのも、別の世界に帰属するのも旅を続けるのも! あいつらが決める事であってそれをお前が邪魔してどうすんだ!」
「だ、だって、だってだってぇー」
「だってじゃねぇよ! 怪我してほしくないだ、笑っていて欲しいだ、全部お前の我儘じゃねぇか! 辛い事から逃げ続けて見たくない物から目ぇ逸らし続けて、それで笑ってりゃ幸せか! シオンとラファエルの人生をお前が遮ってんじゃねぇよ!」
「でも、避けられるなら避けてもいいじゃない! 皆で協力すれば、しなくていい怪我だって辛い思いだって……」
「自分一人の力でやりたい事も、やらなきゃいけない事だってあんだろ。それに、シオンとラファエルが、自分で決めて行った事を、〝しなくていい事〟だなんて言うんじゃねぇよ。しなくていいかどうかも、あいつらが決める事だろ」
 えぐえうと嗚咽を漏らし、無名の司書は言葉を詰まらせた。ぼろぼろと流れる大粒の涙を拭う事もしないまま、悔しそうにアドを見る。
「わかったらさっさと導きの書開け。俺の書にゃ《迷宮》に関する事しかでてねぇんだよ。お前の書なら詳しい事書いてあるだろ。生きてシオンとラファエルにまた会いたいならさっさと依頼をだすぞ」
 生きて、と敢えて言われ、最悪の事態を想像してしまった無名の司書は踵を返し、司書棟へ続く廊下へと走り出す。ばたばたと司書室へ向かう無名の司書の背を見送っていると、入れ違いでモリーオがやってきた。
「また、キツイ言い方をしたね」
「嘘は言ってねぇぞ。それに、ああでも言わないと今のむめっちにゃわかんねぇだろ。シオンとラファエルが帰ってきたら、一緒に怒られてやる……けほっ」
 けほけほとアドが乾いた咳をしだし、モリーオはポケットから飴の包みを一つ、取り出した。
「のどあめ、いるかい?」
「砕いてくれよ」
「そのままでいればいいのに」
「小さい方が飴を沢山くえるじゃん?」
 呆れた様に笑うモリーオは包み紙ごと飴を叩き、ちいさく砕けた飴をチェストの上に置く。アドはいつも通り、小さなフェレットの姿だ。小さく砕かれた飴一欠けらもフェレットの口には一杯になる。
 世界司書は、旅人に平等でなければならない。多くの依頼を出し、中には生命に関わる危険な事もある以上、そう、あるべきなのだ。とはいえ、司書も心ある存在である以上、何度も顔を合わせ言葉を交わし、親しくなった旅人と懇意になる事は、避けられるものではない。
 何時も笑顔で過ごし、しかし、繊細な心を持つが故に様々な事を胸の内に秘めてしまう無名の司書が思いの丈を吐き出したのも、アドと親しいからだ。泣き叫ぶ無名の司書の言葉を受け止めたアドが、人の姿になって自分の声で応えたのも、無名の司書と親しいからだ。そして、シオンとラファエルの事を、本当に案じているからだ。無名の司書もアドも互いに良く、理解している。だからこそ、遣り切れない、行き場のない思いは溢れ出る。
 無名の司書のように親しくなった旅人の無事を祈るのも、アドの様に旅人に全てを委ね自由にさせるのも、どちらも、間違いではない。しかし、正しいかどうかも、誰にも解らない。
 当然、モリーオにも判断はできない事だ。だから、敢えてどうこう言うつもりもない。モリーオもまた、無名の司書とアドと親しく、シオンとラファエルの無事を願う者だから。
「もう少し、かな」
「大泣きして気が済んで、泣きながら導きの書見て依頼書を書いて、だしな。あと、頼むわ。モリーオ」
「やれやれ、私は飴を配る係じゃないんだよ?」
「モリーオの鞭は痛すぎるんだって」
「そうかな?」
「うん。あとヴァンの鞭も痛い」
「あれは、君が未読の本のネタばらしをするから」
「ヴァンに未読の本があるなんて思わないだろー?」
「確認してからにするといいよ」
「そうしてる。あー。眠ぃのに超怖いから眠れねぇ……」
「はは、もう少しの我慢だよ。そろそろ、いいかな」
 モリーオが司書棟へと歩き出す背に、アドの声が掛けられる。
「なー。終わったら添い寝してくれよ」
「やだよ。君、寝相悪いじゃないか。それこそ、無名の司書くんに添い寝してもらえばいいんじゃない? あぁ、シオンかラファエルでもいいね」
「そうすっかなー。うぅ、眠い怖い眠い」
 うつらうつらと舟を漕ぐアドを残し、モリーオは無名の司書の司書室の扉を叩いた。


  * *


「お前らが行く《迷宮》な、実は放っておいても消える《迷宮》だ」
 机の端に座り、アドは言葉を話し続ける。
「霊峰ブロッケンの中腹に森がある。人が入らない、獣道すら頼りない森。その中にできた《迷宮》は廃工場を思わせる煉瓦造りの《迷宮》だ。壁や天井が壊れて通路が塞がれて、部屋にゃ殆ど何もない。ほったらかしにされて錆びついた、使えない機械や壊れた椅子とか、そんなんが転がってるだけだ。襲ってくる魔物もいない」
 アドの説明を聞いている限り、これといった弊害の無い迷宮に、説明を聞いている旅人達が不安そうな気配を漂わせ出す。
「《迷宮》を作った《迷鳥》はツバメ。このツバメ病気でな、ほっといても死ぬ。だから《迷宮》もそのうち消える。ただ、今回は《迷鳥》を卵に戻す試みがあるんで、お前らはこのツバメが《迷卵》に戻れるよう、話を聞かせてやりに行くんだ。あぁ、勿論、《迷卵》に戻らない可能性もある。だが、それを失敗だと思わないでいい。本当に《迷卵》になるかどうかもわかってねぇ、お試しなんだ」
 たとえ《迷卵》に戻らなくても責任はない、と強く念押し、アドはこう続ける。
「《迷宮》を適当に歩いていたら《迷鳥》のツバメに会える。そうしたら、話してやってくれ。故郷の話を」
 そう言って、アドはチケットを差し出した。



 鮮やかな黄色い葉が茂る木々と、そこから落ちた葉が一面に敷き詰められた森はどこまでも、見渡す限り黄色に染まっている。踏み進めるたびかさかさと乾いた音が聞こえる、落ち葉の絨毯を進み、目的の《迷宮》が見えてくる。煉瓦造りの廃墟も黄色い落ち葉に包まれていた。通路脇や吹き抜けた風に集められた落ち葉が山となり、色あせた建物を彩っている。
 視界の端をすいと、鳥が飛び行き、君はぽっかりと口を開けた部屋を覗く。
 欠けた天井から落ち葉が雨の様に降り注いでいるその部屋に《迷鳥》のツバメは留まっている。
 君に気が付いたツバメはちるちると鳴く。その声は鳥の鳴き声でありながら、何故か、君が理解できる声として耳に届いた。

 ボクは旅鳥だった。
 沢山の仲間達と共に、ずっと長い間、旅を続けていた。
 大陸から大陸へ。
 北から南へ。
 いつもいつも、気が遠くなるような距離を飛び続けて、皆で旅をしていた。
 ここは、中継地点。
 次の大陸に行くまでの通過点。
 病気になったボクは、ここに置いていかれた。
 一緒に旅をしていたら、皆にうつるから。
 追いかけようとしたけど、皆に攻撃されたから、諦めた。ひとりぼっちになって、とても寂しかった。泣いても泣いても、仲間は誰も戻ってこない。ずっと皆と一緒にいたのに、ずっと皆と一緒にいられると思ったのにね。
 でもね、ここにいるしかないんだって思ったら、ここの方が良い事もあって、そんなに悪くないかなって思うようになったんだ。
 へとへとになるまで飛ばなくていいし、食べ物だってたくさんある。気を抜くと襲われるけどね。
 旅をし続けるボクらには、故郷ってものが無かったけど、故郷っていうのは、こういう事をいうのかな。
 どっちにも、良い事も悪い事もあるんだ。ずっと旅を続けたかった。いまだって皆の所に帰りたい。でも、ここでずっと暮らすのもいいなって思うんだ。


 一度決めた事を変えるのは、悪い事?
 好きだった事を嫌うのは、悪い事?
 考えを変えるのは、悪い事?


 ボクにはわからないんだ。
 だから、聞かせてくれないかな。
 君の故郷の事。
 なんでもいいんだよ。好きだった事でも嫌いだった事でもいい。


 君には、故郷がある? 
 故郷が好き? 嫌い? 
 帰りたい? 帰りたくない?

 君の故郷は、どんなところ?


!お願い!
オリジナルワールドシナリオ群『晩秋の迷宮』は、同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。

品目シナリオ 管理番号3078
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。
 比翼迷界・フライジングの《迷宮》へと皆様をご案内です。

 あなたの故郷に纏わるお話を語ってください。
 どんな故郷だったのか、どんな事があったのか。そこで一緒にいた家族、友人や仲間、なんでもいいです。故郷を離れてから知った事でも構いません。ツバメは貴方の話を聞きたいのですから。

 語る内容は、他の人には聞こえません。

 ロストレイルも終着駅へと向かっています。よろしければ、貴方の行く先や終わりを、少しだけ、語ってください。

 それでは、いってらっしゃい

参加者
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
テオ・カルカーデ(czmn2343)ツーリスト 男 29歳 嘘吐き/詩人?
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
ユーウォン(cxtf9831)ツーリスト 男 40歳 運び屋(お届け屋)
鍛丸(csxu8904)コンダクター 男 10歳 子供剣士
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)

ノベル

 ユーウォンが大きな切り株に腰かけ、振り続ける落ち葉が齎す景色の変化を楽しんでいると、ツバメの鳴き声が聞こえた。落ち葉以外、何もなかった景色の筈だが、ユーウォンの視界を落ち葉が通り過ぎると枝が現れ、次に落ち葉が通り過ぎた時にはツバメが留まっていた。
「やぁ、君の故郷の話を聞かせてよ」
「故郷かぁ。おれにも不思議な言葉だよ。だって、おれは生まれたときから旅しかしてないし、世界の方も一時だってじっとしてないもの」
 急に現れたツバメに驚きもせず、ユーウォンは言葉を交わす。
「君もボクと一緒で、ずっと旅をして生きてたんだね」
「うーん、ちょっと違うんじゃないかな。きみは仲間と一緒に同じ場所を行ったり来たりするんだよね? おれが行く所はいっつもばらばらなんだ」
「同じ場所には行かないの?」
「行くけど、同じじゃないよ」
 ユーウォンの〝同じ場所には行くけれども同じじゃないという〟言葉にツバメが首を傾げる。
「世界はね、常に変化しているんだ。前に行った場所でもおれが次に訪れる時にはどこかしら変わっていて、同じじゃないんだよ」
「ふぅん、そうなんだ。なんか、楽しそうだね。じゃぁ、君も故郷はないの?」
「最初は親父やお袋、姉貴と一緒に旅をしてた。そのときの家族がおれの故郷ってことになるかな。生きるために大事なことを教わりながら、一緒に旅するのは楽しかったよ。
 その時が来て、みんなそれぞれの道を旅立ったけどね」
「仲間なのに、離れ離れになっちゃうの? 一緒にいるのが楽しかったのに?」
「生きてれば、変わる。何かに会うたびに、おれは変わるし、世界だって変わる。0世界に来て、おれも大分変わったよ。旅の仲間も知った。生きる事は変わる事さ。だから、一緒に旅をしていた仲間だって変わる。変われば一緒にいられなくなる事だってある。今、ここにいるこのおれは、すぐいなくなってしまうけど。どう変わっても、おれはおれなんだ。おれには、それで充分さ」
 ツバメは何かを考える様な鳴き声を漏らす。ユーウォンはその声を聞いて楽しそうに目を細めた。
「きみのように、新しい暮らしを始めるのも、言葉で世界を知るのも、やっぱり旅だよ。おれも最後までそうありたい」
「君にとっては、ボクがこうして話を聞く事も旅なんだね。でも……一人ぼっちは寂しくない?」
「一人で旅を続ければ、苦しい時も最後の時も一人。それでもおれは旅がしたい。少なくとも、今、ここにいるおれはね」
「旅を続けて、いつか君が変わったら、ひとりぼっちが嫌になって旅を止めるかもしれない?」
「かもね。それでも、今のおれは旅を続けるんだ」
「それじゃぁ、きみは故郷がいらないってことなのかな?」
「うーん、それもちょっと、違うかな?」
 切り株に沿う様に丸まっていた尻尾がもぞりと蠢き、地面に広がる落ち葉をぐしゃぐしゃにする。かさかさ、ぱりぱりという乾いた音が少し、響いた。
「きみの言う故郷っていうは、帰る場所の事なんだろうね。そういう意味では、おれに故郷はいらないかもしれない。でもおれの故郷は、昔、両親と姉と一緒に旅をしていた時だよ。おれにも子供がいるんだ。あの頃のおれは、あの子らの故郷の一部なんだろうな。あの子らも今頃は、おれの想像もしない世界を見て、驚くほどに変わっているんだろう。そうやって、おれの故郷は続いていくんだ」
「故郷が、続く……」
「うん。おれにとって、家族と一緒に旅をしていた時間が故郷だと思うから、きっと、おれの子供たちも、おれと一緒に旅をした時間が故郷だと思う。その時に比べておれもあの子らも変わったから、同じ故郷には二度と帰れないけれども、おれから子供たちに、子供たちからそのまた子供たちに、故郷は変わりながら続いていくんだ。そう思うと、嬉しくなるよ」
 ざぁ、と空から落ちて来る落ち葉の数が急激に増える。ユーウォンが肩から掛けている鞄の上や尻尾はあっというまに落ち葉にまみれ、山と積まれだす。
「お話、ありがとう。ボクも変われるかな」
「おれは旅を続けるから、変わったおれが変わったきみに、どこかで会うさ」
 落ち葉の向こうで、ツバメが旅立つ音が聞こえた。



 雨の様に降り続ける黄色い落ち葉は、ティリクティアの小さな足跡をあっという間に消してしまう。前も後ろも真っ黄色。辺りを見渡しても果ては見えず、空を見上げても樹木は見当たらないのに、延々と落ち葉は降り続いている。ただただ、何もない空から黄色い落ち葉がはらはらと落ちて来る空間に、ティリクティアは腰を下ろす。
「雨というより、雪の様だわ」
「どうしてそう思うの?」
 ティリクティアの呟きにツバメの鳴き声が応え、問いかける。声につられティリクティアが顔を見上げると、ツバメが一羽、大きな枝に留まっていた。枝が伸びている先は、落ち葉に隠されて見えない。
「あまり音がしないからよ」
「そういえばそうだね。雨はいろんなものを叩きつける。ボクもよく身体を叩かれたよ」
「旅をしていた時に?」
「うん。雨が降っていても飛ばないと行けない時とか、よくあったんだ。海の上で嵐に巻き込まれたときなんて、大変だった。風は強いし雨は痛いし、仲間が次々と見えなくなるし」
 静かに降り続ける落ち葉に囲まれ、ティリクティアと《迷鳥》のツバメは静かに語り合う。
「ねぇ、お話、聞かせてくれるんだよね?」
「えぇ、勿論よ。その為に私は来たんだもの」
「嬉しいな。来てくれてありがとう。君には故郷があるんだよね? どんな所? 故郷は好き?」
「そんな一度に聞かれても答えられないわ」
 くすくすと、楽しそうに笑う。
「貴方の言うとおり、私には故郷があるわ。故郷は好きというより大切よ。故郷へは帰りたいわ。今すぐにでも」
 ふと、遠くを眺める様な眼を見せ、ティリクティアは語り続ける。
「私は故郷で巫女姫として生きてきた。両親の顔は知らないわ。小さい頃に神殿にすぐ引き取られたから。それからずっと神殿の中で暮らしていたわ」
「ずっと? 外には出られなかったの?」
「外というか、神殿の中にある庭には出られたわ」
「じゃぁ、空は見る事ができたんだ。仲間もいたんだよね?
「仲間というか、お世話をしてくれる人達はいたわ。でも、その人たちは家族じゃない……。貴方のいう仲間は、家族の事よね? 貴方と一緒に、ずぅっと旅をしていた、ツバメ達」
 相槌を打つ様に、ツバメは短く一鳴きする。
「やっぱり。それなら、貴方の言う仲間とはちょっと違ったわ。一緒にいたけど、仲間ではなかったもの。孤独だったし、何で自分がこんな巫女姫なんて役割につくのか腹立たしく思った時もあったわ」
 悔しさなのか寂しさなのか、ティリクティアの声は少し震えていた。一呼吸置いたティリクティアはけれど、と話を続ける。
「教育係のサラ、庭師のウィル、婚約者のセルリーズ。皆、皆、優しくて強い人だった。自分にちゃんと誇りを持って生きていた」
「誇り?」
「そう、誇り。皆ね、自分の仕事に、与えられた役割に誇りを持って生きていたわ。だから、私もそうあろうって。私も自分で決めたの。この国の為に生きて死のうって。誰に強制されたわけでもないわ。私自身が決めた事」
 ティリクティアは顔を上げ、力強い視線をツバメへと向ける。故郷を懐かしんでいた儚げな顔ではなく、希望に満ち溢れた表情だ。
「その人たちは仲間じゃないのに?」
「そうね、その時は仲間とも家族だとも、思っていなかったわ。でも、仲間じゃなかったと思っていたのは、私だけだったのよ。皆との事を思い出す度に、私が受け取り方を間違っていただけで、ちゃんと、仲間だったの。家族だったのよ。だから私は必ず故郷へと帰る。あの場所に待っていてくれる人と守りたい国があるから。故郷とはたぶん守りたい、自分が在りたいと望む場所なのだと思うわ。貴方にとっての故郷は、群れの仲間達なのかもね」
 静かに聞き入るツバメに、ティリクティアはこう続ける。
「一度決めた事を変えるのも、好きだった事を嫌うのも、考えを変えるのも悪い事ではないわ。全部、貴方自身が決めて良いの。貴方がどうしたいのかと言う事が大事なの」
 ティリクティアは立ち上がると大きく両手を広げ、空を見上げる。その姿は空から降り続ける落ち葉を迎え入れるかの様だ。
「私も、沢山の仲間と出会って沢山の事を知ったわ。いっぱい大事な物を貰って、お友達もたくさんできたの。貴方はもう、私のお友達と会ったのかしら。それとも、これから会うのかしら。私達は自分達の考えを言うけれど、最終的に決めるのは貴方。貴方が自分自身の考えと選択に責任を持って自分がどうするのか、したいのか決めればいいの」
 ざぁ、と空から落ちて来る落ち葉の数が急激に増え、ティリクティアとツバメの姿を隠してしまう。
「……お話、ありがとう。故郷のお話が聞けて、楽しかったよ。最後に一つだけ聞いてもいいかな?」
「勿論、いいわよ」
「君は自分の考えを持って、ここに来るという選択をしたんだよね。ボクとお話するのに、君は何を思って、ここにきたの?」
「貴方に生きて欲しい、そう思って来たわ」
「そっか。君の選択がどうなるか、ボクにはわからないけれど、君が故郷に帰れるよう祈ってるよ」
 枝を撓らせ、羽ばたく音をさせてツバメは遠い空へと飛び立っていく。
「またね!」
 ティリクティアは輝く笑顔でツバメの旅立ちを見送った。




「一体何の工場なのでしょう」
 煉瓦造りの壁に手を置き、テオは辺りを見渡す。壁も天井もその役目を放棄し、ぽっかりと空いた穴から降り続ける落ち葉を受け入れている。
 錆びついた機械、破裂したよくわからない筒、足の折れた椅子。丸や四角や、ねじの様な物まで、様々な物が落ち葉と共に転がっているが、何に使うのかさっぱりわからない。一種、一つの物ごとを専門的に調べ学ぶ事よりも、どんなジャンルや物事でも学び、知りたいという知識欲を持っているテオは、当然、多種多様な知識を持っている。世界も種族も、科学と化学と魔法学も。この世に散らばるありとあらゆる事を知っている、そのテオですら、辺りに散らばる物を見ても建物が何の工場だったのか、見当も付かないでいる。
 解らない事すら楽しむテオが軽快な足取りで《迷宮》を進んでいると、視界が落ち葉に覆われ、隠された。黄色一色に染まった世界が横切った後には、落ち葉だけがあった。まるで、瞬きをした瞬間に全てが隠された様に、《迷宮》の廃工場は跡かたも無く消え去っている。
「ねぇ、君には故郷はある? どんなところ?」
 頭上から落とされるツバメの声に、テオは不思議そうに耳を傾ける。しかし、顔も視線もそちらへと向ける事は無い。
「はい。私にも故郷はありますよ? とても綺麗なんですよ。あなたと違って、カタチを同じくした同族はいませんけど」
 テオは目の前に広がる落ち葉の雨を眺め楽しそうに故郷を語る。降ってくる落ち葉一枚一枚をスクリーンに見立て、その小さな枠の中に故郷の景色を思い出し、語りだす。
 ある時刻に己の瞳と似た色合いになる薄紅の空。水晶の森は二種類。鉱石そのままが広がる森と、水晶の樹木が広がる森とが混在せず、独立して広がっていた。いつもどこかに建築中の塔の群れがあり、居心地のいい研究室では堅物の男装の友人と会話を弾ませ。地下書庫の羊頭の司書とは書物について語り合い、魔法使いと呼ばれる研究者たちとは日々、研究を重ね成果を語り合う。
「お城には創造主さまがいる、と言われていました」
 創造主さまの望む皆の幸福の為、研究を重ねたのだと語るハイビスカス色の瞳が揺らめいた。ひらひらと、テオの故郷が目の前を通り過ぎて行く。
 テオの世界には、一つの秘密があった。その秘密にテオは疑問を持ち、だが〝ソレ〟に触れる事は世界の存続そのものを脅かす禁忌だ。何一つ、不足していた物は無かった。塔も水車も薬も魔法も作り充実していたのに、テオは〝ソレ〟への疑いを持ってしまい、〝ソレ〟への探求心と知的好奇心を抑えきれず、〝ソレ〟へと少しずつ、近づいていく。無理もない、〝ソレ〟は、テオが常日頃から使い、研究している魔法の大元だったのだから。研究を続け、魔法を使い〝ソレ〟を知れば知るほど、〝ソレ〟を隠し続ける事こそが、大事な友人にとって危険な事だと知ったテオは、結局、〝ソレ〟を暴いてしまう。
 テオは〝ソレ〟をついて――大嘘を吐いて世界から放りだされた。
 今でもはっきりと、覚えている。世界から放り出された最期の瞬間に見た創造主は、寂しそうだった。
「きっと私の嘘も伝染するのでしょう。貴方と私は反対ですね」
「反対?」
「えぇ、貴方は共にいると病気が伝染するからと、群れを追われた。私は共にいないのに、あの世界の皆に嘘を伝染させているのです」
「きみはそこにいないのに広まっちゃうんだ」
「そういうものですからね」
「いてもいなくても伝染するなら、帰ってもいいんじゃないの? 帰りたくないの?」
「還りたいし、会いたいです。でも、私は帰りません」
 何故、とツバメが問う。
 テオはただ、微笑むだけだ。
 嘘を覚えた自分を故郷はもう受け入れない。終わりのない旅だとしても、〝ソレ〟を暴いたテオはその知識欲に従うことを続けるつもりでいる。
「ボクは帰れるなら帰りたいけどな。故郷っていうのはこうやって、一つの場所に留まって、帰ってくる巣がある場所だと思ってた。だから、ここがボクの故郷なのかなって思ったんだ。ご飯はあるし辛くない。でもね、やっぱり皆と一緒にいたい。おなかぺこぺこになって、飛び続けるのが辛くっても、皆と一緒がいいんだ」
「不思議ですねぇ。私は貴方の語る群れこそが、貴方の故郷に聞こえます」
「うん。きみと、きみの仲間とお話して、そうなのかもって思い始めてるよ。ここに仲間がいたらいいのになって思うのは、そういう事なのかもしれない。でも、これじゃぁボクの考えてた故郷っていうものが違う物になっちゃうんだよね」
「考えを変える事が、どうして悪いんです? 私はしょっちゅう変わりますよ。同じ考えを続けていては判らない答えもありますから。そして変えられない真実を知るんです」
「真実……」
 ざぁ、と視界に広がる黄色が増え、テオは目を細める。「落ち葉が急激に増えだしましたね。時間ですか?」
「うん。お話、ありがとう。故郷の景色を教えてくれたの、嬉しかった」
「貴方も、もっとたくさんの景色を見られるといいですね。貴方と私は違いますから、同じ景色を見てもきっと、違う感想がでますよ。そうできるかどうかも、貴方次第ですけどね」
 ちる、とツバメの鳴き声が聞こえた。テオが空を見上げると、大きく羽ばたいて行くツバメの姿があった。



 ふらふらと、あてどなく《迷宮》を行く鍛丸の表情はどこか、切ないものだ。乾ききった落ち葉を踏みしめる音の物悲しさと相まって、とても、物悲しい雰囲気を漂わせている。視線は前を向いている。姿勢も悪くない。それでも、侘しさは拭いきれない。
 足の向くまま《迷宮》を行き、周囲に落ち葉しかなくなっても、鍛丸はゆっくりと歩き続けた。
 視線の先にツバメの留まる枝を見つけ、鍛丸はその直ぐ傍まで歩み寄る。
「この景色、嫌いだった?」
「いんや、故郷の山の景色と似ておるよ」
「そうなんだ。じゃぁそれ、きみの故郷の話、聞かせてよ」
「儂の故郷か、何の話をしようかのう」
 言いながら、鍛丸は落ち葉の上に胡坐をかく。
「何を話すか迷う? じゃぁね、故郷の好きなところ、教えてよ」
「故郷の好きなところか、ふむ……。大きな桜の木があっての、そこで暫く暮らしておったんじゃが、春になると綺麗な花を目いっぱい咲かせてのう、あの桜の木は好きじゃったな。それから、桜が散った後に見る、田植え前の水面に月を映す田も好きじゃ。そうそう、井戸で冷やして食う瓜も好きじゃったな」
 季節を巡り、鍛丸は遠い故郷の景色を思い出しながら語り続ける。
「畑一面に咲く彼岸花も、ここの様な黄色と赤の落ち葉に染まる山々も、冬に囲む暖かい囲炉裏も好きじゃったな。それに何より家族や親しき者がおったからのう。……失くすまで気づいてはおらんかったが、あそこには優しいものがたくさんあったんじゃよ」
「失くしちゃったの?」
 ツバメの無邪気な問いに、鍛丸はハハッと乾いた笑いを漏らす。
「そんなに綺麗な物や好きな物が多いなら、嫌いなところはないのかな?」
「嫌いなところか。そうじゃな、こうして故郷を思い出すと、同時に自分の愚かさを思い出す。これが、嫌いな事じゃな。家族や親しき者に守られていたのに、とても優しいものに囲まれていたのに失くすまで気づかんかった。愚かな話じゃ」
「好きを思い出したら、嫌いも思い出す? あれ? 好きと嫌いって一緒になるものだっけ?」
「ハハハ、可笑しいのう、全く別の物のはずなんじゃがな。じゃがの、おんしもそうじゃないかの? 大好きな仲間と旅をした日々に、辛い事もあったじゃろう」
「そういえば、そっか」
 納得した声を聞き、鍛丸は楽しそうに笑う。だが、直ぐに溜息の様な息を漏らし、どこともなく視線を投げる。
「儂は家族を失った時に旅人となったんじゃ。憎悪と憎しみを糧に復讐する事だけを考えて過しておった。親しき者が傍に居てくれて、守られていた事にも気付かんでな。だからじゃろうか、儂は何もでいきないまま、全てが終わっていった」
 落ち葉の上に座っているのは幼い少年だ。しかし、コンダクターである鍛丸は見た目通りの年齢ではない。長い長い年月を、過ぎゆく時と時代を、ずっと見守ってきた。そのせいだろうか。胡坐をかいて座る鍛丸は全てを受け入れた賢老の様だ。
「完全に気持ちを入れ替える事はできなくとも、生きていかんとならんからな、新しい人生を歩もうとして、なんとかなりそうじゃと思った。じゃが、気づいた時にはもう旅人を止めて親しき者と共に生きる事は、できんようになっておった」
 遅すぎたんじゃ、と、鍛丸の小さな言葉は地面へと落ちていく。
「後はもう失うばっかりじゃったな。旅人であるばかりに知己の者からも化け物扱いされ、故郷での居場所も失った。逃げるように旅に出て、長い間、故郷から目を背けて生きてきた。それでも、やっぱり気になっておったからの。もう一度、故郷に帰ろうと思ったんじゃ。だがの、やっと向かい合おうと思うた時には、もう故郷と呼べるものはほとんど全て水の底に沈んでなくなっておった。家族の墓も、親しき者の墓も、儂を化け物扱いした者の墓も全部水の底じゃ。儂は、また、遅かったんじゃよ」
 遠い遠い、懐かしい故郷を語る鍛丸の顔に、僅かだが嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「素敵な故郷だね」
「あぁ、良い場所じゃった。住んでいた者たちも、良い奴ばかりじゃった」
「帰りたい?」
 鍛丸が語っているのは、過去だ。いくらロストレイルといえども、一番世界の過去に移動する事は不可能。鍛丸も、二度と帰ることのできない故郷だと解っている。それでも、鍛丸は願わずにいられない思いを、口にする。
「もし、帰れるのなら儂はあの頃の故郷に帰りたい。叶わぬ夢じゃろうが、それでも、あそこがいい。家族や親しき者、それにたくさんの者と暮らしたあの故郷に帰りたいのう」
 とても近くに感じながら、二度と訪れる事のできない故郷。鍛丸は久々に想いを馳せながら語ったせいか、緩やかに顔がほころんでいく。しかし、思いだせば思いだす程、もうはっきりと思いだせない皆の顔と声を、鮮やかなのにどこか歪んでいる景色を見る程に、鍛丸の瞳が潤んでいく。
「お話、ありがとう」
 ざぁ、と通り雨の様に空から落ち葉が降ってきた。涙を流さない鍛丸の代わりに泣いている空を、一羽のツバメが飛んでいく。
 ツバメの声を聞いても鍛丸は身動き一つせず、ただ、落ち葉の雨に打たれていた。



 スケッチブックを小脇に抱え、サクラは《迷宮》を突き進む。
 迷鳥が卵に戻る方法が分からないとシオンくんも女王様も助けられない。自分を全部空にして依頼の成功だけを考えよう。他の事は全部その後でいい。
 そう、心の奥に強い意志を抱え、サクラはツバメと出会う為に《迷宮》をずっと歩きまわっている。
 急に辺りの景色が一変し、サクラはぴたと足を止める。さらさらと振り続ける落ち葉はそのままに視界を遮るのだが、それ以外の物が、一切、無くなった。辺りを見渡し、一歩前に足を踏み出すと、先程まで感じたコンクリートの感触すら、無くなっていた。落ち葉の山を踏んだ時の、どこか柔らかな足場だが、崩れたり落ちたりする気配は無い。
 ちる、とツバメの鳴き声が聞こえ、サクラはもう一度辺りを見渡す。いつの間にか、枝の上にツバメが留まっている。
 サクラは枝にとまるツバメの前に行くと、抱えていたスケッチブックをぱらぱらと捲り、ページを見せる。
『こんにちは、燕さん。貴方とお話をしに来ました。私はサクラと言います。貴方のお名前を教えて貰えませんか』
「こんにちは。ボクに名前はないよ。キミは鳴けないの?」
 ツバメの問いに、サクラはスケッチブックにペンを走らせ答える。
『今は出せないんです』
「そうなんだ。鳴き声がないと、寂しいね。ねぇ、聞いてもいいかな」
 ツバメがそう聞くとサクラはこっくりと頷き、新しいページを開く。いつでも返事ができる様にという、彼女なりの意志表示なのだろう。
「きみは、故郷をどういう物だと、思っている? ボクはね、いつでもそこにある、帰るべき巣だと思ってたんだ。でも、皆とはまた、違ったんだ。同じ故郷な筈なのに、帰るヒト、帰らないヒト、帰れないヒト、続くヒト。皆、ちがった。考えを変える事は悪い事じゃない。皆変わるんだからいいんだって。選択するのは自分の意志でするんだよって、そう言うんだ。きみもそう思う?」
 ぱらぱらとページを捲り、サクラは前もって書いていた言葉をツバメに見せる。
『選ぶのも変わるのも悪い事ではないと思います。その人に選ぼうと言う意思がある限り。1つを選べば他の事は出来なくなるとしても、選ぶ自由は尊重されていいと思います』
「そっか。きみも、そう思うんだね。ねぇ、きみの故郷はどんなところだった?」
 また、サクラはスケッチブックを捲り、別のページをツバメに見せる。ツバメの問い掛けに対しサクラの返す答えは前もって記され、用意されていた様だ。
『私は両親と暮らしていました。仕事で忙しい父、勉強に口煩い母、私の居た世界ではどこにでもあるような普通の家族で大好きな両親でした。でも私は、他の場所で生きようとしてその両親を捨ててしまった。故郷はあります、でも帰れる故郷ではありません。間違った選択だったとしても、私は選択したから……その結果を違えたいとは思いません』
「きみはもう、自分で決めて、進んでいるんだね」
『選択は個人個人がなすもので、どの選択にも正解なんてないと思います。だから逆に貴方にお聞きしたい。他の選択肢があったら、貴方はどうなさいます?』
「うん? ボクに他の選択?」
 ツバメが鳴くよりも先に、サクラは鍵の形をしたネックレス――ギアを握り、周囲に幻影を映し出す。
 飛び交う燕達、ヴァイエン侯の領地の人々、帝都メディオラーヌムと霊峰ブロッケン、日差しを反射しきらきらと光るヴェルダ河。
 周囲に現れる景色にツバメは忙しなく顔を動かしていたが、次第に、見向きもしなくなった。枝に留まるツバメは項垂れているかの様に、サクラへと視線を落とす。
『貴方はもう1度、卵に戻って愛情を込めて育てられ、自分の生き方を選び直す事が出来ます。私達と一緒に行きませんか、そして貴方がその時に何を選ぶか私に教えて下さいませんか? 私はもっと貴方の話を伺いたいです』
「きみは………………」
 ツバメが見ていなくても、何かを語ろうとしても、サクラは何度も訪れたフライジングの美しい景色を連続で投射し続ける。降り続ける落ち葉よりも多く、早く、沢山の景色をツバメに見せる為に。
「きみは、自分が言っている言葉の矛盾に気が付いている?」
 劈く様なツバメの声に、サクラは一瞬肩を竦める。しかし、フライジングの景色の投影は止まらない。
「きみはボクに〝選ぶ自由は尊重されていい〟と言った。きみは〝選択〟をして、たとえそれが間違っていたとしても〝その結果を違えたいとは思わない〟と、言った。それは、きみが自分で選んで、自分で選択したからだ。そうだよね、きみがそうする事を〝尊重されていい〟と言ったのだから」
 ツバメは威嚇する様な声で鳴き続ける。
「でも、これは何? ボクだってこの世界が美しい事をしっているよ。ずっと生きていた場所だもの。きみが見た事のない景色だって、沢山しっている。きみは、ボクから〝選ぶ自由を奪おうとしている〟」
 ざぁ、と空から落ちて来る落ち葉が急激に増え、サクラの投影が歪んでいく。ざあざあと、豪雨の様に増え続ける落ち葉はサクラとツバメの間を遮る壁の様に、2人の姿も投影も隠す。
「きみの中では、答えが決まっているんだね。初めから、ボクに故郷の話をする気なんて無かったんだ。きみはボクを連れて行って、ボクを卵に戻して、もう一度新しい生き方を得させる。それが、きみの望みで選択だ。きみの答えに、ボクを合わせようとした。冗談じゃない。きみの〝選択〟をボクは〝選択しない〟」
 羽ばたきも影もないのに、サクラは何故か、ツバメが遠くに言ってしまうのを感じる。しかし、声の出せないサクラにツバメを引きとめる手は、無い。
「もし、最初にきみに合っていたら、どうだったかな。でも考えを変えて良いって知っちゃったし、きっと、きみ以外の人の話も聞いた。そうしたら、やっぱり、同じだったんだろうね。さようなら。例え、きみの望み通りボクが卵に戻ったとしても、それはきみの〝選択〟じゃない、ほかの皆が教えてくれた事を、ボクが、ボクなりには〝選択〟したからだ。ボクは、きみの考えだけは、〝選択しない〟」
 落ち葉は降り続け、サクラのスケッチブックも覆っていく。そこに、サクラの言葉があったのかも、見えなかった。



 落ち葉の布団にくるまれ、ゼロはまどろみの中に居た。緩やかなウェーブがかかった真っ白な長い髪に、黄色い落ち葉が絡みついている。初めは少しだけ寄せ集めた落ち葉の布団も、振り続ける落ち葉が重なり、今はもう、こんもりとした山となっている。なのに、ゼロの顔だけは落ち葉に覆われていない。
 ぱちり、と目を開けたゼロはゆっくりと起き上がり空を見上げる。黄色い景色の中に一本の枝を見つけたゼロは立ち上がる。身体を膨らませたツバメが枝に留まっているのを確認したゼロは落ち葉にまみれたまま、両手を掲げツバメへと声を掛ける。
「こんにちはなのです。ゼロはゼロなのですー。よければツバメさんのお名前を教えてくださいなのです」
「こんにちは。きみも、名前を聞くんだね。ボクに名前はないよ」
「お名前は大事なのです。ではツバメさんと呼ぶのですー」
「名前が、大事?」
「はいなのです。お名前は物や人を確立する大事なものなのです。ゼロはゼロという名前を手にれたからここにいるのです。だからツバメさんはツバメさんという名前があるから、ゼロとツバメさんはお話できるのですー」
 ぷっくりと丸まった身体に埋めた顔を傾げ、ツバメは不思議そうな声で鳴く。
「うん? なんか難しいね。きみの……」
首を伸ばし、ゼロに問いかけようとツバメが嘴を開くが、出てきたのは言葉ではなく、苦しそうな鳴き声だ。
「大丈夫なのです?」
「ごめんね、ちょっと、声が出にくくなってきた。もっと下に留まればよかったな」
「ゼロが近くにいくのです」
 そう言い、ゼロは自身の身体を大きくする。写真を拡大したよう、姿形をそのまま大きく大きくしたゼロの大きな顔を目の前にしたツバメは驚きの声を上げた。
「これでお話しやすいのです。ツバメさんの声はゼロにちゃぁんと届くのです。お話しやすい声で、一緒にお話するのですー」
「ありがとう。じゃぁ、改めて、きみの故郷の話を聞かせてよ」
「ゼロ以外に誰もいなくて何もなくて、でも静かで優しいところなのです。ゼロが旅立つ時に無くなったのです」
「無くなっちゃったの?」
「はいなのです」
 興味深そうに言葉を待つツバメに、ゼロはゆっくりと、言葉を選び自分の世界の話をする。
 その世界は、ゼロしか存在していなかった。
 ゼロ以外に何も無いその世界の内部は、ゼロの巨大化に合わせ常に身体に合う魔法の服の様に、様々な勢いで無限に広がり続ける。外観的以外にも時空間の次元数、概念的、内的、其の他様々な意味で常に矛盾を超え一瞬毎にカントールの絶対無限を超える増大率で巨大化し続けているゼロを納める事ができた謎時空であり、謎世界だ。
 ゼロを包むのに世界が存在し、世界が存在しているからゼロもまた存在していた。逆もまた然り。ゼロが世界であり、世界もまた、ゼロだった。
 ゼロが大きくなり、世界が共に大きくなる。それを永遠に続けていた、それだけの世界。
「うーーーーん? ごめんね、よくわかんないや。ゼロは故郷で何をしていたの?」
「ゼロは故郷でひたすらまどろんでいたのです。その中で、ここ以外の場所、誰か、何かがあるという考えが浮かび、その結果ゼロの旅が始まったのです」
「誰か、かぁ。なんか、いまのでちょっと、わかったような気がしたんだけど……。その故郷は無くなっちゃったって言ってたけど、きみは、帰れるなら、その故郷に帰りたい? 帰れなくても、帰りたいと思う?」
「ゼロの故郷は優しくて懐かしい場所だったのです。でもゼロはもう、ゼロ以外が存在する事を知って、こうして旅をしているのです。今は戻れても戻ろうとは思わないのです。それに、無くなってもゼロの故郷はゼロの中にあるのですー。どれほど永く旅を続けようとも、故郷は常にゼロと共に有り、其れ故旅を続ける事ができるのです」
 ゼロはえっへん、と胸を張り、自分の胸元に手を当て、笑顔でこう結ぶ。
「ゼロはゼロの夢の実現の手段を探し求め続けるのです」
 ツバメはゼロとの会話で得た言葉を何度も呟き、鳴く。時々、苦しそうな鳴き声を交えながらも、懸命に何かを得ようとするツバメを、ゼロは静かに眺めている。
「あ、あ、そうか、そうなの、かな。どうだろう。なんとなく、きみの故郷が、きみの言っている事が解った気がするよ」
 ツバメが急に羽を伸ばし、ばさばさと羽ばたかせた。大発見だと身体全体で伝えるツバメは嬉しそうにこう、語る。
「きみの故郷はボクと同じ、一つの卵だったんだね。きみは世界――卵の殻に包まれて、目覚める時の訪れを待っていたんだ。きみを認識する人がいないから、きみに名前はなかった。でも、きみは外を、世界の外があると知って、誰かが自分を見ていると知った。だから、きみはゼロになれたんだね。誰か、が外にいないとボクたちは産まれない。きみ以外が存在しないのなら、ゼロという名前は必要なかったのだから」
 ざぁ、と落ち葉の雨が強くなり、真っ白なゼロの頭に積もりだす。ゼロはツバメの上に手を翳し、ツバメの姿を見詰めたまま、その言葉に耳を傾ける。
「きみが世界に居た時、確かに世界はきみと一つだった。だけど、きみがゼロになった時、世界は割れて無くなった。不思議だよね。ボクたちは確かに殻と一つだったのに、名前を得たらボクたちと殻は離れ離れになってしまうんだから。でも、きみの言った、きみの中に故郷はあるっていうのも、なんとなく解った気がするよ」
 大きく翼を広げ、ツバメはゼロの顔の周りを旋回しだす。
「ありがとう、ありがとう。きみの話が聞けて、本当によかった。きみの夢が実現する事を、祈ってるよ」
 くるくるとゼロの周囲を旋回していたツバメは、ついと遠くへ飛んでいく。
「はいなのです。ゼロの夢がかなった時はツバメさんも一緒にふわもこを満喫するのですー」
 一足先に旅立ったツバメをゼロは何時までも見送っていた。



 ばさりという翼音が響き、黄色い落ち葉の中に赤褐色の羽が紛れ込む。落ち葉の雨が降り出してから玖郎はひたすら果てを目指して飛んでいた。落ち葉を落とす樹木を探し上空を目指しても枝は愚か、幹一つ見当たらず、どれだけ上空を目指しても雲一つ見かけない。眼下に広がる落ち葉の絨毯は何処までも続き、行けども行けども景色は変わらず、ただただ、黄葉が広がるばかりだ。
 玖郎が翼を泳がせる度、周囲の落ち葉がくるくると回る。これだけの落ち葉を茂らせていた樹木なら、いつか視界に入るはずと玖郎が飛んでいると、視界に小さな鳥の影が入り込む。
 つい、と真直ぐに飛んでいるツバメを見つけ、それの向かう先に、今までどれ程探しても見当たらなかった枝がある。あれに留まるつもりかと、玖郎がツバメに視線を向けると、ツバメの動きが可笑しい事に気が付く。身体が傾き、うまく風に乗れていないせいか、羽を懸命に羽ばたかせている。がくん、がくんと次第に落ちて行くツバメの羽は、次第に動かない時間の方が長い。
「いかん」
 玖郎は翼を大きく動かし、ツバメとの距離を一気に縮める。手甲の爪や装飾品で傷つけてしまわない様気を付けながらツバメと枝の間に身体を潜り込ませ、玖郎は小さなツバメの身体を腹の上で受け止める。
「ぶじか?」
「うん、ありがとう。もう少し、飛べると思ってたんだけど」
「その身体で飛べていた方が、おれには不思議だ」
「そう? どうせなら、最後まで飛んでいたいじゃない」
 もぞもぞと腹の上で蠢くツバメを見下ろし、玖郎はそうか、と短く応える。足が短く、歩く事に不慣れなツバメがよろよろと玖郎の腹の上を歩き、枝へ降り立とうとするが、玖郎の手がそれを拒むように、包みこんだ。
「そこにいろ。あまり動かない方がよい。居心地はよくないかもしれんが」
「そう? じゃぁこのまま、きみの故郷の話、聞かせてくれるかな」
「故郷とは広義での概念か。なれば、森と野と岩場と水域よりなる山並みと答えよう」
 腹の上で小さく丸まったツバメは、鉢金の隙間から覗く玖郎の瞳をしっかりと見つめている。
 その瞳の奥に、玖郎の故郷を覗き見るかのように。
「我が身や子を脅かす天敵がおり、しかしそれは八紘を巡り保つ摂理の内であり、易く好悪は語れぬ。ただ、本来のありかたでいられる意味では不自由はなかった。子を成すはおろか、狩りも儘ならぬ現状と比せば」
「仲間はいなかったの?」
「我らは留鳥でな。おまえの様に群れはせぬ。因って、そだてば子は父の縄張より出されるがならい。すなわち狭義の故郷は帰らざる地であり、とどまる場にあらぬもの。対し旅鳥はかつて生まれた故郷へ、子を成すため再び訪れると聞くがおまえは、さにあらずか?」
「産まれた場所が故郷だっていうのなら、ボクの故郷はそこなのかもしれないけど、どうなんだろうね。ボクはそこに帰る前にこうなっちゃったから」
「種の破滅を回避するうえでも、おまえを排した群れの判断は聡く渡りをやめたおまえの判断も、賢明であろう。病身をおして旅をつづけようと、結局は天敵の好餌となる。負傷した旅鳥が中継地にとどまるは、ままあることだ。初志を頑なにつらぬいた結果、自らや他の仇となれば元も子もない。見極めと適応は、先をつなぐ力ぞ」
 玖郎の言葉に、ツバメは首を傾げちる、と小さく鳴いた。何か言いたいのだろうかと思い、玖郎はツバメと視線を合わせたままじっとしている。さらさらと、振り続ける落ち葉の音だけが辺りを包んでいた。
「なんとなく、言っている意味はわかるんだ。仲間達は正しい事をした。ボクもそうだと思ったから、ここに留まった。それでも、ボクは皆と一緒にいたかったし、皆と旅を続けたかったよ。それがきっと産まれた場所に、故郷に帰る事だったから。ボクがここを故郷だと思う様になったのもそうなんじゃないかな。きみたちの話を聞いた今は、そう思う。ボクは、帰りたかったんだ。きみは? 故郷に帰りたくない?」
「おれが帰るべき場所は、縄張をかまえる山岳があり、共に子を成せる女がおり、その子を育て得るだけの獲物が棲む豊かな地だ。おれには特別な役目もなく、なにかを為さんとする意志もない。総ては己が生くため、先をつなぐためえらぶ。その時時の最良をさがし、変ずるも必定。それが不所存にあたうとはおもわぬ。……思わぬ、のだが……」
 それまで明瞭な言葉を紡いでいた玖郎の口が、籠る。鉢金の隙間から覗き見る瞳も、僅かながら戸惑いに揺れていた。玖郎がツバメの言葉を待ったように、ツバメも玖郎の言葉を待っていたかった。しかし、ツバメにはもう、時間がない。
「きみは、元の故郷に帰りたいのかな、それとも、故郷と同じ条件を満たす場所なら、そこでいいのかな」
 玖郎の返事を待たず、ツバメは言葉を続ける。
「ボクもきみも同じ。ヒトと違って、ボクたちはただ、自然の中で生きているだけだ。起きて、食事をして、時々家族や縄張りを護って闘って、子を成す。そこに意味も意義もない。ただ命を繋げていくだけ。でもそれなら、ボクはここで生きていけるのだから、別に旅を続ける事をしなくたって、いいんだよね」
「……まよっているのは、おれか。すまぬ。これではおまえを惑わせてしまうな」
「ううん、ボクときみは似てたんだね。ヒトに近い姿を持って、ヒトと意思の疎通ができる。こうやって、新しい事を知ってしまったから、迷いだす。きみの悩みは、今すぐ決めないといけないの?」
「いや、そうではないとおもう」
「なら、ボクみたいに誰かに聞いてみたり、もう少し悩んでからでもいいんじゃない? きみにはまだ、時間があるよ」
 時間があると言われ、玖郎は指の腹でツバメの喉を撫でてやる。
 別世界の生き物であっても、生命の灯が消えそうな事くらい解る。艶を失った羽とぎこちない動き。少しずつ冷えて行く身体。もう、何時消えてもおかしくない。
「おまえの病、生まれなおせば治るものであろうか」
「どうだろう。やったことないからわかんないや」
 ざぁ、と落ち葉の数が増えだす。ツバメが僅かに身動ぎすると、その身体を玖郎が両手で包みこんだ。ゆっくりと、優しく包み込むように掌に乗せる。
「おれがいこう」
「でも」
「最後まで飛びたいのだろう? 最後の最後、その瞬間に、大きく羽ばたけ」
 言いながら、玖郎は鉤爪で枝を丸く抉ると辺りの落ち葉を詰め込む。簡易的な巣の変わりなのだろう、落ち葉の中心にツバメをそっと置いてやった。
「ありがとう。きみの迷いが、少しでも和らぐ様に祈ってるよ」
「そうか、ならばおれは」
 ざぁと落ち葉が2人の間を遮る。目の前にいる筈なのに、その姿も声も、隙間から切れ切れにしか見えない。それでも、玖郎はツバメを見つめたまま、こう告げた。
「先をつなげるものならば、おれはそれを願おう」
 乾いた音の向こうから、玖郎の耳にツバメの声が届く。
「もし、繋げる事が出来たら、一緒に飛ぼうね」
「もちろんだ」
 玖郎の声がツバメに届いたかは、解らない。




 さくさくと、落ち葉を踏みしめる音がする。規則正しいその音は、ヌマブチの歩幅と速度が常に一定だと、伝えていた。
 雨の様に振り続ける黄葉と、それに埋め尽くされた辺り一面も司書から聞いていた為、何ら不思議ではない。むしろ、捨て置けば消える迷宮に自ら足を運んだ、その事の方が、ヌマブチ自身、一番不思議だった。らしくない事をしている自覚はある。理由は自分でもよく判らない。しかし、ヌマブチは自ら志願し、こうして《迷宮》を歩いている。
 死に瀕した病のツバメに会う為に。
 道の先に大きな切り株が見える。切断された切り株から伸びた枝は、もう一度樹木として聳え立とうとしていたのか、意外と大きく、太い枝だ。
 その枝の上に、ツバメがいる。黄葉の巣に丸まった姿は、鳥の生態にそう明るくないヌマブチの目にも、先が長くない事が明白だ。
「こんにちは」
「こんにちは」
 ツバメの挨拶に、ヌマブチは淡々とした声で挨拶を返す。これは優しさではなく、ただの礼儀だ。
 もぞり、と身動ぎしたツバメの下で、落ち葉の掠れる音がし、ヌマブチはツバメに掌を向けその動きを静止する。
「そのままで結構、そちらが聞きたい事は理解している。順に、全て、説明させていただく」
 ヌマブチの言葉を了承したのか、弱ったツバメは小さな瞳をヌマブチへと向ける。返事をする気力もなさそうだと思ったツバメだが、ヌマブチへと向けられた視線はきらきらと輝きに満ちていた。
「まず、故郷の話でしたな。家族が居た。戦争をしていた。
 守ろうとしていたものがあった。人殺しをしていた。以上であります」
 説明書の様に、ヌマブチは概要だけを羅列する。
「故郷を好きだったのかという問いには、少なくともあの世界に居た時は守ろうとしていた事になる。と答えさせていただこう。嫌いだったのかという問いには、そうですな。血腥い世界ではあったな。お陰でこんな性情になってしまった」
 聞き取りやすい様にしただけの、最低限の抑揚で語るヌマブチの言葉に耳を傾けていたツバメは、静かに問う。
「帰りたい?」
「……判らない」
「帰りたくない?」
「それは違う。己の情が故にではなく、帰りたいと願ってもそう在れなかった者達を見てきた以上、生きた己は帰らなければならないと、思っている」
 静かに落ち葉の雨が降る。
「なあ、ツバメよ。解は己で導かねばならぬ。それを伝えた上で、敢えて自分はお前に問おう」
 ツバメはただ、ヌマブチを見上げている。
「物事に善悪は無い、ただ結果だけが在る。事の善し悪しを定めるのは己だ。故に真に善悪の解を望むならば、まずその思考に至った理由を考えていくべきだろう。お前は何故残る道を選んだ。お前は何故此処を故郷と定めた」
 ツバメの返事は無い。しかし、まだその瞳は輝いている。その輝きに、ヌマブチは嘗ての同胞達を思いだす。
「それは輩の事を忘れるほどの情だったのか。それはどんな情だ。教えてくれ、ツバメよ。自分には……」
 それまで淡々とした声で語り続けていたヌマブチの声色が、変わる。
「僕には解らないんだ。その解を導いた時、お前の疑念の解もまた出るだろう」
「きみは、もう、知ってるよ」
「そんなはずはない。帰らなければならないと確かに強く思っている。けれど帰りたいという情が判らない。嘗て同じ立ち位置に居た筈のあの人が何よりも望んでいたそれがどういう情なのか」
「ううん、きみは、知っている。きっと、誰よりも知っていて、誰よりもそれに焦がれていて、それを理解してしまうことが、恐ろしいんだ」
 ざぁ、と、まるで空が壊れたとでもいう様に、大量の黄葉が落ちてくる。ヌマブチは落ち葉を掻き分けるように前に進み、丸くなるツバメの上に手を翳す。
「きみは、自分が帰りたいとは思わないけど、帰れなかった人がいるから、その人たちの為に、代わりに、帰らないといけないって、言ったね」
「そうだ。自分は生きている。だから帰らなければならない。けれどこんな不具な自分が帰る意味はあるのかね」
「意味は必要なの? きみの仲間には、意味なんてなくてもいいって、言ってた」
 一瞬、何かを言おうとしたヌマブチの唇がきつく結ばれる。
「考えとか、生き方とか、変わってもいいって、いってた。それは、きっと、きみも知っているんだよね。だけど、きみは聞きたかった。仲間でもないボクに。きみのいう〝あの人〟は、ボクと似てたんだね。帰りたいとおもった場所に、帰れないまま、死んだんだね」
 ツバメの声を聞きながら、ヌマブチは増え続ける落ち葉からツバメを護る様に身体で覆う。
「死んでしまった〝あの人〟にはもう聞けない。でも、ボクなら、同じ状況のボクの答えならって、そう思って、来たんだね」
 失った腕側から入り込む落ち葉に腹立たしさを感じながらも、ヌマブチは被っていた軍帽を傘代わりにし、ツバメの間近に顔を置いてその声を聞く。一言も漏らすまいと、耳を澄ます。
「なんか、嬉しいな。ボクはきみたちから、いろんな事を教えてもらって、それで終わりだと思っていた。最後の最後に、きみに教えるって事ができて、とっても、嬉しいよ」
 ツバメは大きく羽を広げると、片腕が無いヌマブチの身体をすり抜け、飛び立ってしまう。その小さな体のどこにあったのか、大きく翼を広げツバメが空へ昇るのと同時に、それまで降り続いていた落ち葉が、一斉に舞い上がる。
 映像を巻き戻しているように、風ひとつ感じないまま地面から空へと黄葉が昇っていく。軍帽を片手に握り締めたまま、ヌマブチは空を見上げ声を張る。
「教えてくれ、ツバメよ。僕に。お前が抱いた、情を」
 もう一度、ヌマブチは願う。
「きみは、もう、知っているよ。ボクと〝あの人〟が抱いていた想いを。それは――」
 ツバメと黄葉が、空へと吸い込まれていった。


 気が付けば、ヌマブチは森の中にいた。
 辺りを見渡せば、共に《迷宮》へと入った面々がそこにいる。どうやら《迷宮》は無事に、消えたらしい。
 ヌマブチはツバメの最後の声を思い出しながら、手にした軍帽を被ろうとすると、布と違う感触を覚え、不思議そうに眼をやった。
「……血塗られた軍帽に、新たな生命、か。酷い皮肉でありますな」
 軍帽の中には、一つの小さな卵が、転がっていた。

クリエイターコメント こんにちは、桐原です。この度はご参加ありがとうございました。


 今回のノベルはPCさん達の過去や想いを語っていただくので、プレイングはほぼまるっと使わせていただきました。組み合わせを変えたり言葉一つかえるだけで、まったく違う意味になってしまうので、極力そのままです。


 それでは、ご参加ありがとうございました。
公開日時2014-01-12(日) 00:10

 

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