世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 その名のとおり、「司書室」が並んでいる棟である。 ……それはそれとして。 司書だってたまには、司書室以外の場所に出向くこともある。 そこで報告書を書くこともあれば『導きの書』を開くこともある。 今日、クリスタル・パレスの一角にいるのは、朗報を聞いたからだ。 ……どうやら「彼ら」は助かったらしい、と。 フライジングに駆けつけたロストナンバーもいると聞くけれど。 司書はただ、ここで待つだけだ。 そして、傾聴するだけだ。 旅人たちの、想いを。 * その報らせを聞いて、ロック・ラカンの厳しい横顔にも、落ち着きが戻ったようだ。それは氷雪に閉ざされた峻険な岩山の稜線にも、等しく春の日差しはそそぐのに似ていた。「そこまで気にかけているのに、直接、向かわなかった理由を聞いても?」 モリーオ・ノルドがそっと話しかけるのへ、ロックはうっそりとした視線を投げ返す。「知れたこと。……それがしは女王陛下の騎士であった。本来ならば二君に仕えるはあってはならぬこと。だが……悟ってしまったのだ。すでにしてそれがしの忠心は、人狼公にあるということを。今さらとても顔向けなどできぬ」「人は変わるものだからね」 モリーオは静かに言った。「一概に、それが良いとも悪いとも言えないことだけれども」 言いながら、ロックのカップに茶を注ぎ足す。「かたじけない」 と、似つかわしくないほど小さな声で、ロックは応えた。「さて。そろそろお腹が空かないかい? もうこのままここで食事をしていこうか」 モリーオはそう言って、店員を呼ぶ。「よかったら、きみも一緒にどう?」 そして、ひとりの旅人に声をかけた――。●ご案内このシナリオは、世界司書モリーオ・ノルドとロック・ラカンがクリスタル・パレスにいる場に同席したというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・カフェを訪れた理由・司書(とロック)に話したいこと・司書(とロック)に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「ご自身の想いや今後の動向について」を話してみるのもよいかもしれません。このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】「【出張版とろとろ?】一卓の『おかえり』を」は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。
「ではご一緒させてもらうのです」 ゼロは遠慮なく、モリーオとロックのテーブルに加わった。 「うんとね、こんにちはなのですー」 ロックに挨拶をする。 フライジングから帰還したゼロがクリスタル・パレスに立ち寄ったのは、片隅の席でうたた寝をするためだったかもしれない。けれど誰とであれ、あれこれとお喋りをするのがゼロは好きだ。人は誰かの話を聞くことで、その体験や感覚を共有することもできる。穏やかな午後、カフェのテーブルでお茶を飲みながらでも、手に汗握る冒険に出掛けることもかなう。そんな静かな冒険旅行のなんと価値のあることか。 「お腹がすいたのです? これもどうぞなのですー」 モリーオがギャルソンをつかまえて注文をしているのをみとめ、ゼロはどこからともなく謎団子を差し出した。 報告書にもたびたび登場する、ゼロがナレッジキューブからつくったこれは、味がまったくランダムなロシアンルーレット食品。いささかデンジャラスな差し入れを挟んで、不思議な顔ぶれのお茶会は始まる。 * 「フライジングではお疲れ様だったね」 「あの世界が平和になってめでたいのですー」 「まあ、まだいろいろあるのだろうが、当面の大きな危機は去ったと考えていいだろうね。それで――」 司書は、黒翼の武人へ視線を投げた。 「きみはあの世界には戻ろうとは思わないの」 「言ったとおりだ」 ややむっとしたような調子でロックが反応したので、ゼロは無言で、そっと謎団子の皿をおしやった。 ロックは奪うようにひとつ掴むと口に放り込み――はげしく咽て咳き込んだ。 「はずれたようだね」 モリーオが笑った。 「シオンくんやラファエルがどうするかまだわからないけれど、再帰属の有無にかからわず、かれらはフライジングの今後の体制にも力を貸していくはずだよ。きみの力を借りたいと思うこともあるだろう。元の地位に戻るつもりはないにしても、きみは」 「何度言わせる」 お茶をがぶがぶ飲みながら、ロックは言った。 「ロックさんは人狼公の騎士の方だという認識なのです。『いけめん』なのに『りあじゅう』ではないのですか」 「どういう意味だ」 「?」 互いに首を傾げ合った。 「リオードル卿の立場は複雑だ」 とモリーオ。 「公の先行きはフライジング以上にわからないと言いたいのだな。ならばなおさら、それがしが尽力せねばならぬ」 「卿がきみの力を買い、信頼していることはわかる。だが彼の視線はもっと遠いところにあるからね。差し出がましいようだが、手段が目的化しないようには気をつけたほうがいいと思うよ」 「忠告痛み入る、司書殿」 ロックが言い返し、モリーオはわずかに肩をすくめた。 温かなガンボスープが運ばれてきた。 かるく焙ったバゲッドが添えられている。 「ゼロくんは、これからのことはどう考えているの」 モリーオは白い少女に向けて話題を変えた。 「ゼロは『ワールズエンドステーション』へいきたいのです」 「ほう。故郷に帰りたいから――ではなさそうだね」 「いろいろなことが知りたいのです。世界群の法則や構造。すべての世界に安寧をもたらす方法を」 「すべての世界に?」 「モリーオさんは思わないのです? モフトピアのように穏やかで安らかな世界であることが安寧だと。もふもふで、ふわふわで、ぷかぷかした、まさしく楽園なのです」 「なるほど」 「すべての世界を、モフトピアくらいに階層を上げるにはどうすればいいか、考えつくのです?」 「そうだねえ」 スープを口に運びながら、モリーオは少し考えて、そして言った。 「世界番号に『欠番』は見つかっていない」 「なのです?」 「ひとつの世界が滅びたら、上下階層どちらの世界群の真理数が繰り上がるか繰り下がるかする。……この理屈だと、すべてがモフトピアに近い階層まで上がるというのは理論上ありえないだろう。世界番号の『下限』が――そんなものがあるのだとして――大きく底上げするというほかはね。あるいは0世界が最下層になり、マイナスの世界群がすべてプラス階層に上がるか……いずれにせよなかなか壮大な話だ」 「世界群の中にその手段が見つからないようなら、その外にだって探しに行くのです」 「『答はいつも、旅の向こうにある』、か――。もし、すべての世界群が楽園になったらどうする?」 司書の問いに、ゼロは小首を傾げ、 「眠るのです」 と答えた。 「それは確かに楽園だ」 「えっとね、モーリオさん、ロックさんは眠れないこととかはないのです? ゼロがご相談に乗るのですー」 「特に眠れないということはないな。ここは毎日『夜』がこないのが、前は閉口したが、窓を閉めればいいことだからな」 とロック。 「わたしは結構、夜更かしだよ。眠れないというより、あまり眠らない」 「眠りにまさる安寧はないのです」 「だろうね。もし眠れなくて困ったときはゼロくんに言えばいい?」 「謎枕を進呈するのです」 「効きそうだ」 「眠らないでなにをされているのです?」 「たいてい本を読んでいる。これはきみたちが旅をするかわりのようなものだ」 「それはわかるのです」 「あとは……植物の様子を見る」 「植物は眠らないのですか?」 「人間のような意味で眠るかどうかは意見が分かれているようだね。多くの世界では周囲の光環境が周期的に変化をする。植物もこれに反応している場合がほとんどだ。光があたれば光合成をし、光がないときには呼吸をするというように。だから0世界で植物を育てるには照明の管理が必須なんだよ」 「面白いのです」 「一日の半分は、光があたらないようにしてやるんだ。それで……、傍に椅子を置いて、じっと座っている」 「どうするのです」 「どうもしないよ。じっとしてるんだ。そうすると植物の意思がわかるような気がすることもあるけど、気のせいかもしれない」 モリーオは微笑した。 「司書のなかでは常識人と思っていたが、貴君も相当な変わりものだな」 ぼそり、とロックが言った。 「樹海は夜がなくても茂っているのです」 「そうだね。あれは成り立ちが特殊だからねえ。……いつかもっと暇になったら」 「暇に?」 「『ワールズエンドステーション』が発見されて、帰還事業が本格的になったら、今のような冒険旅行は少なくなる可能性があるだろ? そうなったら、樹海の植物を調べに行こうかと思っているんだ」 「暇はいいのです。ゼロは暇になったら眠っているのです」 「そして、わたしは植物を見に行く。ひとつひとつ、草や樹や花を調べて、図鑑にまとめていきたいんだ」 「なんのために」 ロックが呆れたように言った。 「わかりやすい意味なんてないんだよ。学問とはそういうものだから」 「モリーオさんは学者だったのです?」 「どうかな。そうかもしれない。記憶は封印されたが、身体はそのことを覚えている気がする。緑に囲まれていると、落ち着く気がするからね。眠らなくても、そう、それが安寧なんだ」 「だったら言うことはなにもないのです」 ゼロは言った。 クリスタル・パレスの硝子の天井からは、やらかな0世界の光が注ぐ。 この店に置かれている緑たちも、モリーオが世話をしているのだと聞いたことがある。店が休みの日に、ひとり、植物の様子を見ている彼の姿を見たことのあるものもいることだろう。 もの言わぬ植物の声なき声にじっと耳を傾けて過ごすというモリーオ。 世界司書は、店をもつなどの副業(あるいは本業)を持つものも時にいるが、彼が植物に携わる姿は、どこかしら書物の頁をめくり、旅人たちの話を聞く司書のなりわいと、地続きに繋がっているように思えるのだった。 * まだもう少しいるというゼロを残して、モリーオとロックは席を立つ。 ロックはナラゴニアに戻り、モリーオは図書館に寄っていくという。ゼロは謎団子をロックの土産に持たせた。騎士は無碍にはしなかったが、どうしたものか困惑しているようだった。 ゼロは、ギャルソンが空いた食器を下げにきたときにはもう、うとうととまどろみはじめていた。 ゼロが夢をみるのかどうかはさだかではないが、もし見ていたとしたら、それはさやさやとそよ風にさわぐ、緑なす風景であったかもしれない――。 (了)
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