壱番世界にある大型図書館と同じように、世界図書館には関係者以外立ち入り禁止の場所がある。修繕の必要な書物が一時的に集められる部屋や、異世界より持ち帰った物の保管部屋、反省部屋、日々なんらかの形で使われている部屋の他、物置になっていたり、中には何の部屋かもわからないまま閉ざされ続ける部屋もある。 窓から温かな日差しが差し込む廊下をリベルが歩いてる。威勢よく靴を鳴らして歩く廊下にはリベルの足音しか響かない、はずだった。ふと、リベルは何か聞こえたような気がして足を止め、あたりを見渡す。しんとした廊下と等間隔に続く木漏れ日は、いつもと変わらない風景だ。 気のせいかと思った時、また、リベルの耳に微かな音が届く。ざわざわとした、小さな物が動く様な音が聞こえ、リベルは耳を澄まし、音のする方へと歩き出す。ゆっくりと歩き音がだんだんとはっきりしてきた頃、その音が誰かの、女性が声を殺しすすり泣いているようだと気がつくと、リベルは一つの扉の前にたどり着いた。何の部屋かを確認したリベルがドアノブに手をかけると、ぴたりと声が聞こえなくなる。不思議に思い、リベルが扉をあけようとするが、扉には鍵がかかっている。「誰か、いるのですか」 扉越しに声をかけてみるが返事はない。リベルはポケットから鍵を取り出し部屋の中へと足を踏み入れるが、やはり誰もいなかった。そもそも、鍵がかかっている時点で中に人がいないはずだ。鍵をかけて部屋の中に籠る、というのはサボリか悪戯相談かと考えられるが、どちらにせよ廊下に声が漏れ聞こえるような事はしないだろう。「気のせい? ……そういえば、何か報告があったような」 首を傾げ、リベルは先日聞いた不思議な話を思い出しながら鍵をかける。扉には【竜刻保管室】のプレートが付いていた。 シャカシャカ、シャカシャカと何かを振る様な音が聞こえ、シドは足を止めた。リベルを含め数人が女のすすり泣く声を聞いた、という話が司書達に通達されたのを思い出し、シドはふむ、と顎に手を当てて考え込む。確かリベルが言っていたのは【竜刻保管室】だし他の者たちもその辺りだったと言っていた。しかし、シドが今いるのは【竜刻保管室】のある階より一つ下の廊下だし、何より今の音を女のすすり泣く声だと聞くのは、無理がある。とはいえ、報告もあり実際聞こえてしまった異音を放っておく事もできず、シドは音の聞こえる方へと歩き出すと、シャカシャカという音に加え、トトトン、トトトン、という音も聞こえ出した。「なんだか、聞き覚えのある音だが……あぁ、太鼓のような音だな」 シドはリベルの報告と同じ行動を繰り返すかの様にドアノブに手を伸ばし、音が止まるのを確認すると鍵のかかっている扉を開け室内を見回る。異世界より持ち帰った品々を保管する【物品保管室】には武器や日常品を始め、触れてしまうとちょっと面倒な事になる曰く付きの品々が並んでいるが、やはり、誰もいない。「ふぅむ、ここまで来ると手の込んだ悪戯、じゃぁないな」 扉に鍵をかけ、シドは足早に歩き出した。 女のすすり泣く声とは別に異音が聞こえる、という不思議な出来事の次に起きたのは、誰もいない筈の部屋に影が走る、という物だった。今の所、怪我や紛失といった被害はないものの、気味が悪い事に変わりはなく、こういった現象が苦手な司書達は精神的にぐったりとし始めている。 リベルとシドを初め、実際に音を聞き、影を見た数人の司書達が話し合っていると、悲鳴を轟かせながらエミリエが駆け込んできた。涙をぼろぼろと零し自分の後ろを指差すエミリエは口をパクパクと動かして「か、影が、影が」 と、繰り返し呟いた。余程驚いたのか、その場所や姿かたちを伝えようとするエミリエだが、その両手はただせわしなく動いているだけで何もわからない。どうどう、と馬でも扱うようにエミリエの背を撫で、落ち着かせていたシドは、エミリエの足元に落ちていた一冊の本に目が留まり、それを拾い上げる。「エミリエが影を見たのは【第十三書庫室】みたいだな」「……エミリエが何の要件でその書庫に行っていたのかは別として、これで三つの部屋で異変が起きている事は明白ですね」 女のすすり泣く声が聞こえる【竜刻保管室】 異音が聞こえる【物品保管室】 影が現れる【第十三書庫室】 実害はありませんが、と前置きをし、リベルは言葉を続ける。「今後も害がないとは限りません。各部屋の調査をしましょう。担当はいつもどおり、AMIDAで決めます」 司書達の中にも、得手不得手や興味のある物事は存在する。この様に、いつもの業務と違う事が発生する場合は、基本、第一発見者や関わった者に一任されるが、今回は多数の司書が関わっている。そして、今回のような不思議な現象に興味を持つ司書も複数いるのだが、誰が行くかを決めるのに揉めないよう、かつ、迅速に決められ、全ての司書が公平になるよう、AMIDAが実行されるのだ。 AMIDAによって選別された司書は、いかな理由があろうともこの仕事を全うせねばならない。のだが。『聞いてない聞いてない! なにそれ聞いてない! ていうかなんで夜になる日に調査させんだよ!』 「いえ、AMIDAの前に説明しました」『平気なヤツがいけばいいじゃないかー! やだー! おっさん怖いの嫌いーーー!』 不運にもAMIDAによって選ばれたアドの看板にはヤダヤダ行きたくないという言葉がびっしりと連なっている。「お前さん魔術師じゃなかったか?」『関係ねぇし! 理解不能意味不明な存在は無理!』 シドの言葉にアドの看板には大きく字が浮かぶが、その文字は指先で摘んだ筆先で書いたかのように震えていた。あの看板は持っている人の恐怖も伝えるらしい。 同じく選ばれた無名の司書もまた恐怖で身体をぷるぷると震わせ、へっぴり腰でエミリエに縋り付き泣きながら訴えかける。「ねぇねぇ、エミリエたんの悪戯なんでしょ、ねぇ、そうだといってお願いだからそうだといってぇぇぇ」『そ、そうだ! いまなら一緒に正座するから! 反省部屋にもはいったげるから!』「エミリエ楽しくないイタズラしないよー」「いやゃぁぁぁ! ルルーさんルルーさん! ルルーさんだって嫌で……」 最後の砦、とAMIDAによって選ばれた三人目ヴァン・A・ルルーに同意を得ようと縋るが、もっふりとした丸い手が祈るように胸元に添えられ、プラスチックの瞳が意志を持っているかのようにキラキラと輝いている。「ミステリー……」 どうみても全力で楽しんでいるの事がわかり、無名の司書とアドの身体がくず折れた。『ろ、ロストナンバーの同行を、希望する!』「……必要ですか?」『必要! 超必要! 見に行って俺たちが帰らなかったら、二度手間! 一度で済ませる! 合理的!』 リベルに向けられた看板の字は大きく、アドの叫びを伝えているがその文字は震えたままだ。小さなアドの身体を両手で掴み、コクコクと頷く無名の司書も交え、体全体をぷるぷると震わせる二人にリベルはそうですねぇ、と声を漏らす。「確かに、一度で済ませ方が合理的です。よろしい、特別にロストナンバーの同行を許可しましょう。ただし、司書も同行、関係のない部屋には入らない、備品破損は各自実費で弁償、以上が条件です」 かくして、司書以外が訪れる事の滅多にない、世界図書館奥地への道は、開かれた。『というわけで、俺の担当は異音のする【物品保管庫】です。入れるのはこの部屋だけ。中にある物は変な呪がかかってたりする物があります。触っても命の危険になるような物はありませんが、触らない方がいいです。室内はそれなりに広いです。壱番世界で言うところの、学校の体育館くらい、だそうです』 いつもと違う感じのする看板の文字からは投げやり、という感じが受け取れる。ハリネズミのように白い毛をピンと立てている様から察するに、アドは既に鳥肌が立っているようだ。『個人的な要望。おっさん匿ってくれる人超募集』 どうやら、本当に怖いらしい。!注意!『戦慄世界図書館』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『戦慄世界図書館』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
「心霊現象やって、嫌やわぁ。呪いとか受けてしもたらどないしよ。いやー怖いわぁ」 言っている言葉とは裏腹にニコニコと楽しそうな顔をしているのは虫取り網を持ち、Tシャツにオーバーオールに麦わら帽子という由緒正しい夏休みの虫取りルック姿の有明だ。 「やや、これはこれはシュマイトのお嬢。こんなところでお会いするとは夢にも思わなかったでやんす…って、わっちは睡眠不要でやんすが」 「ふむ、有明は昆虫採集、ススムは探検家か。それも手作りか?」 「もちろんでやんす。シュマイトのお嬢が一緒だと知ってたらお嬢の分も持って来たんでやんすがねー」 「僕のは兄上殿がこーでぃねいとしてくれたんや」 シュマイトの問いかけに腰に手を当て並ぶ二人が胸を張って言うが、シュマイトも頭に猫耳――聴覚強化装置――を着けており、三人並んでいるのは面白い絵になっている。ぱしゅん、とフラッシュが光り三人が不思議そうに振り返ると、デジカメを持ったシャニアがにっこりと笑顔を向けた。 「せっかくだから保管室内部と一緒に皆も撮らせてもらうわね」 異音の正体を暴きに行くメンバーとは思えない程、楽しそうに話し合う彼らを眺めるジョヴァンニの顔も穏やかな頬笑みを湛えている。 「秋の夜長のミステリーツアーか、面白い。若者にまじって肝試しも一興じゃて。おやアド君震えているのかね? よろしい、遠慮せず外套の懐に入りたまえ」 依頼内容を告げた時から震えていたアドが今も机の上で震えているのを見つけ、ジョヴァンニが優しい声と共に外套の前を開けると、アドは一目散に飛び込みスーツのポケットに潜り込んだ 「ふむ、ふさふさといい毛並じゃね……襟巻にちょうどいい……」 ポケットの中でもぞもぞと動いていたアドの動きが止まり、ジョヴァンニが笑いながら冗談だと言うとアドの看板がひょいと出てくる。 『いや、いっそ襟巻になったらもう何も怖くない、的な』 「はは、なぁにあれだけ元気な若者がいるんじゃ、アド君は安心して身を隠していてよかろう」 「あーー、ずるいずるい。 リーリスもアドをかまいた~い。エリマキしたーい」 「おや、これは失礼。アド君が怯えておったものじゃから」 リーリスが可愛らしくせがむとジョヴァンニは外套を大きく開き、ポケットでもぞもぞと動いているアドを見せる。流石に体が入りきらないらしく、ぽっこりと膨らませたポケットの中で収まりの良い体勢を探すアドの背中が飛び出している。その背中にリーリスが手を伸ばし撫でると、驚いたのか、アドが顔を出す。 「わーい! ふかふかー……ぷるぷるー? おー、すっごい震えてる。そんなに怖い? 音の原因なんていわゆる付喪神なんじゃないのかなぁ。物とかにトリツクあれ。大体、そこにどう見てもそのものな人が歩いてるじゃない? だったら別に怖くないでしょ?」 リーリスがススムを指差して言うと、何故かススムはサイドチェストポーズを決める。残念ながら誰もボディビルディングのルールを知らない為、声援はない。 『ススムはロストナンバーだから怖くねぇよ。……暗闇からいきなり出てきたらびっくりするだろうけどな』 「あー、確かに、今日みたいに夜の日に出会ったらびっくりしそうね」 何時の間にか近くに来ていたシャニアが苦笑して言うと、有明が早く行こうぜーと虫取り網を左右に振った。では、とジョヴァンニがリーリスにアドを渡そうとすると、リーリスは後でいいよ? という感じに首を傾げる。 「アド君も老いぼれより可愛らしい女性に匿ってもらうほうが嬉しかろう」 「んー。じゃあ、じゃぁね、皆でジャンケンしよう! ジャンケンで勝った人から交代でアドの面倒を見るの! それなら公平でしょ、エッヘン」 ジョヴァンニを含め全員がアドを匿う事に固執していない。誰も匿わないのなら自分が、という程度の考えであり、ずっと首に巻いていたそうだったリーリスが交代制という提案をしてきた事に皆、不思議そうな顔をする。 「リーリスも探検したいし、でもアドがいないとダメでしょ? だから全員で、順番に面倒みるの」 「確かに、アドを引きずり回して室内を物色すれば良いとはいえ、こうも怖がっている彼を匿っている者は自由に見学できないな」 シュマイトがそう続けると、公平なジャンケン大会が始まった。 保管室の扉を開けたジョヴァンニは中に入ると後ろ手に扉を抑え、シュマイトへ手を差し伸べる。レディーファーストの精神を忘れない紳士の動きはとても優雅なのだが、なぜかシュマイトは手を取らず室内を眺め、彼女の後ろにいる面々も困惑した様な顔で室内を見ている。 「どうしたんじゃ?」 「あぁ、すまない。予想以上に、その、すごい事になっていて驚いた」 シュマイトの言葉を聞きジョヴァンニは室内を見るが、特に変わった様子は見られない。壁に創りつけられている本棚は見上げるほど高く天井まで伸び、暗くて奥が見えない程広いフロアには通路と本棚が交互に並ぶ。通路に並ぶ本棚も背が高く、それ自体はいつも出入りしている場所の物と同じだが、棚には本の代わりに大小様々な箱が並んでいる。元々窓の無い部屋らしく、比較的明かりが多く設置されている様だ。夜が訪れている事も忘れてしまいそうなほど隅々まで明るい、それだけの部屋だ。 「そっか、ジョヴァンニさんには見えないのね。この部屋一面、色が変わって見える程に魔力でいっぱいなの」 「零世界ってぇ場所は、無駄に魔力に溢れてる場所でやんすが、こいつはちょいと多すぎじゃありやせんかね?」 「何や、いろんな物が混ざっとる割には害が無さそうやな」 各々は室内に目を配りながらゆっくりと入ってくる。 「扉は閉めてもよいんじゃろか?」 「あぁ、大丈夫だ。念の為施錠もしておいてくれ。密室にした方がよさそうだ」 ジョヴァンニは扉を閉め鍵をかけると、シュマイトに鍵を差し出した。【物品保管室】のタグが付いた鍵を受け取ったシュマイトは歪な形になっている帽子の中へ鍵を入れる。 ジャンケン一回目で一人勝ちをしたシュマイトは考えた末、アドを帽子の中に匿う事にした。怖がっているのだから見えない方がいいだろうと頭に乗せ帽子の中に匿っているものの、頭上でぷるぷると震えるアドの振動はむず痒く変形した帽子の中は蒸れていく。これは、気にならない程何かに集中するか、一刻も早く次の人に回すべきだろう。 「纏まって行動した方が良いのだろうが、異音が鳴るまで無為に時間を過ごす事もないだろう」 「はーい。武器触らないし、封印の札も触らないも~ん。それなら問題ないよね。 だって探さなきゃいけないことに代わりはないんだもん…ということで、エイッ」 何時の間にか本棚を物色していた有明とススム、リーリスが仲良く並び、掛け声に合わせて同時に箱を開けた。中には布や紙に包まれた物と説明書が入っている。 有明の開けた箱は新聞紙に包まれたガラス細工の置物が入っていた。がさがさと有明が取り出している横でシュマイトが説明書を読みあげる。 「なになに、壱番世界のファージ討伐の後に回収した置物。討伐した後に現れた為、なんらかの関わりがあると推測、綿密に調べたが、ファージとは無関係の只の置物であった。」 「なんや、普通の置物なら出してやればええのに」 「これ一つではないだろうし、沢山ならべてしまうと掃除が大変なんだろう」 「あー、せやな」 「こ、これはっ! 見事な万能包丁でやんすな~」 ガサガサと新聞紙を鳴らし元通りに仕舞う隣でススムが大げさな声を上げる。明かりにかざし包丁を光らせるとシャニアが説明書取り出した。 「えーっと、インヤンガイで行われた料理コンテストの覇王が持っていた包丁。王者の座を譲りたくなかった覇王がインチキで使っていた物。この包丁を手に持ったら最後、食べ物をなんでも千切りにしてしまう。が、手近な場所に食べ物が無ければこれといった変化は無い。間違って人を傷つけない様にもなっていて、食べ物以外にぶつかりそうになると紙のようにへにゃんとなる」 「ふむ、千切りが苦手なご婦人にはオススメしたい一品だが」 「微妙に迷惑でやんすなぁ」 「それ以前に千切りができるだけで覇王になれる料理コンテストって、どうなの?」 「木彫りのペンダントー。んー、これ可愛くな~い。ただのペンダントじゃないみたいだけど、なんだろこれ」 リーリスが取り出したのは魔除けのお面にも似た顔の掘られたペンダントだった。ジョヴァンニが右目のモノクルを動かし書類に目を落とすと、簡単に説明を始める。 「ヴォロスより回収したペンダントのようじゃな、身につけていると霊力や魔力等が見えるようになるらしい」 「じゃあおじいちゃんにあげる。 おじいちゃんだけ見えてないんだし、見えてた方がいいと思うしね」 「え、持ってっていいの?」 シャニアが帽子を見ると、出てこないアドに変わってシュマイトが彼女に答える。 「触れない方がいい、と壊すな、は言われたが〝 持ち歩いてはいけない〟とは言われない。故に、ここで何かあった場合ここにある物を使う事はアドを含め他の司書達も想定しているだろう。ジョヴァンニなら壊す心配も無いんだ。後で返せばいいさ、なぁ」 シュマイトはぽふぽふと帽子を叩くと、そのまま帽子を外し、胸元へと持ってくる。帽子の中には丸まったアドがちらりとこちらを見るが、すぐに顔を隠してしまう。 「アド君が何も言わないあたり、そういう事なんじゃろうな。では、暫しお借りするとしようかの」 「そうするといい。さて、いい加減頭がムレてしかたがない。次、はリーリスか」 「わーい、いっぺんフェレットを首に巻いてみたかったんだよね~。エリマキエリマキ~」 アドを持ち上げ、首に巻いたリーリスが楽しそうな声を響かせながら軽い足取りで奥へと進みだすと、皆がそれに続く。 「ほう、皆の眼にはこんな景色が見えておったのか。この黄緑色の霧が魔力なんじゃろうか? 空気が色づいたみたいで綺麗じゃの」 「こんなにはっきりと視覚できる事は滅多にないのだが、まぁ、調べていけば何かわかるだろう」 異世界各地の品々が集められた物品保管庫は探検しがいのある、いわば宝の山だ。ジョヴァンニとシュマイトは知的好奇心を刺激され、手ごろな大きさの箱を開けては説明書だけを読み、手際よく中身を見極めている。シャニアは敬愛する祖父が取り扱っていた魔法機械に近いものがあれば、と色々探している。特に魔法機械を扱えるシュマイトとは会話が弾んでいる。出身世界も違う為、同じ魔法機械でありながら似て非なる物を知る二人は、傍から見れば楽しいショッピングをしている二人と、付きそう紳士、といったところだろう。 有明とリーリスはススムと一緒に動いている。 「魔力乾電池みたいなものがあるなら、今後是非お借りしたいもんでやんす。なんせ下手に異世界に行くと、魔力が尽きて戻って来れやせんからなぁ。おかげで何人のわっちが異世界の粗大ゴミになったことか、ヨヨヨヨヨ。なんでやんしょう、この筒」 壊さないように気をつけながらも、次々と箱を開け、実際に身に纏ったり使ってみたりするススムの行動は面白く、 有明とリーリスの笑い声は絶えない。痛覚が無く、呪の類にかかっても困らないススムが頓着せず触っていくのにつられ、有明が触ると電撃が走ったり、体が小さくなったりと色々な変化が発生しては焦り、戻っては笑う。異音が聞こえる、という怪奇現象解明に来たとは思えない、賑やかで楽しい時間が過ぎていった。 ふと、有明がすんすんと鼻を鳴らし、辺りを見渡しだす。 「なんや? この香り……えろう懐かしい香りやんなぁ」 急に香り出した匂いは不快感のない、むしろ心が穏やかになりそうな、香りが皆の鼻をくすぐる。 「ほんとだわ。これ、樹の香りかしら?」 「ヴォロスのペンダント、ではなさそうだな」 「おっちゃんからやないな……」 有明がくんくんと鼻を動かし、匂いの強くなる方へと歩いていくと、びしっと発生源を指差した。 「あんたや、あんたが臭い!」 「わっち!? わ、わっちは臭くないでやんす! そりゃ、わっちの体は木製でやんすが、匂いがするようなボディじゃないでやんす!」 「確かに、ススムが臭かった事は今までなかったが……」 「臭いっていう言い方は止めて欲しいでやんすシュマイトのお嬢! なんか異臭を放ってるみたいで嫌でやんす!」 「ねーねー、おにんぎょさん、こんなにぺかぺか光ってたっけ?」 何気ないリーリスの疑問の声に促され、視線がススムに集中した。言われてみれば、ワックスをかけた様につやつやとした肌に、服の隙間から見える臓器の色も鮮やかのような気がする。 「あ! 思い出した! これ檜の香りや!」 「ふ、ふおぉぉぉぉ! わっちの体が高級木材ぃぃぃぃぃ!? あぁ! 臓器に触っても塗料が剥がれないでやんす! 塗料も進化!? 見ておくんなせぇこの健康的なマイストマック! 綺麗なピンク色!」 「落ち着けススム」 「でもどうして急に変化がでたのかしら?」 「数え切れんほど色々触ったり着たりしたんやし、原因もわからんとちゃう?」 「そうじゃのう、それ以外に変わった事といえば、この魔力の霧が色濃くなった事かの?」 「んー、とりあえず、嬉しそうだしいいんじゃない?」 シュマイトの懸命な呼び掛けにより多少の落ち着きを取り戻したススムは、いきいきとした動きで先頭を歩く。 「思うにアレでやんす、リーリスのお嬢も言ってやしたが、わっちらのお仲間が居るんじゃないかと思いやしてね? こう新たに自我を持たれた方には、パスホルダーを発行して差し上げる必要があると思うでやんす。アドの旦那がいらっしゃれば、パスの発行なんぞすぐでやんしょう?」 「はは、アド君がすぐ仕事をしてくれたら、の話じゃの その為にはまず、怖がらない様に異音の正体を突き止めねばいかんのじゃが」 かしゃ、という音と共にフラッシュが光る。撮影したばかりの写真を見ながらシャニアが不安そうな声を漏らす。 「それにしても、音が全然しないわね。特に目立った物もないし」 「音からして、楽器系のものに憑いてるのかなぁ。太鼓とマラカスっぽい音だったわけでしょ? 楽器がいっぱい置いてある所とか、仕舞ってありそうな箱を調べるのが早いんじゃないかなぁ」 「太鼓の音とかやなんて、お祭り好きのお化けさんやねぇ。案外いたずら好きの小人さんやったりしてな」 「そうじゃの、悪戯好きな小人が演奏会を開いてるのやもしれぬ」 「な、会うてみたらええ人かもしれへんで。お? なんや」 本棚に挟まれた通路を抜けると、広い廊下へとでた。前方にはまだ同じ様に並んだ本棚があるが、左右に伸びる何もないまっすぐな一本道は、区画分けの大通り、といたところだろうか。どちらに向かおうか、と改めて辺りを見渡すと壁際にデスクと書類棚がある。 「リーリス疲れた~。ちょっと休憩した~い」 そういえば保管室に入ってからずっと動きっぱなしだったと思いだし、丁度椅子や保管室に関する資料もありそうなデスクを見つけた事もあり、ひとまず休憩をとる事にした。 ジョヴァンニが音もなく椅子を引くと、レディ扱いされたリーリスは嬉しそうに座る。シャニアとシュマイトがデスク周りを探り、何か使えそうな資料はないかと調べていると簡単な見取り図が出て来た。いままで通ってきた場所は日常品が集められており、先程の分かれ道を逆に、目の前に伸びる広い通路をまっすぐ行くと武器関係が、あのまま真直ぐすすんでいたら機械と魔法機械関係があるらしい。 「大まかな分け方でしかないし、楽器となれば日常品に分類されていそうだが……。ん?」 誰かに呼ばれたようにシュマイトが顔をあげ、辺りを見渡すと、近くの棚に置かれている箱がガタガタと揺れ出した。最初は小さく、次第に大きく飛び跳ねるように揺れる箱に注意を向けていると、ススムが徐に箱を手に取った。 「中にどなたか入ってるでやんすかねぇ」 そう言いながらもススムがさっさと箱を開けると、中から何かが飛び出し、シャニアの悲鳴が響く。 「きゃぁぁぁ!」 箱から飛び出した物は床の上をあちらこちらに蛇行し、駆け回る。シュマイトの足の間を潜り抜け、リーリスの座る椅子の下を通過する。そこにいる人を順番に巡っていくように、影がシャニアへと近づいていくとジョヴァンニが彼女の肩を抱き、影から遠ざけた。最後の一人、有明の元へと真直ぐに向かった影は、有明の振り下ろした虫取り網に捉えられ、網の中でもがいている。 「あぁ、びっくりした。ありがとう、ジョヴァンニさん」 シャニアが礼を言うと、ジョヴァンニは口元を緩め微笑んだ。有明が網越しに飛び出した物を掴み、その正体を見極め様とすると、その動きがぴたりと止まる。網の中から出て来たのは小さな人形、薪を背負ったまま本を読んでいる、有名な銅像のミニチュアだった。 「わ、わっちのお友達でやんすー! やっぱりお仲間がいたでやんすー!」 「いや、違うな」 人形を両手で持ち空に掲げ、テンション高く言うススムの言葉をシュマイトがばっさりと切り捨てる。ススムの表情は変わっていないが、がっかりした様子でシュマイトを見て瞬殺、と呟く。 「魔法機械の一種ではあるようだが、ススムのように自我はない。電池を入れたら動くおもちゃと一緒だ」 「そのようじゃな。敵の目を逸らす、陽動に使うアイテムだと書いてある」 開けっぱなしの箱から取り出した説明書を読みあげるジョヴァンニの声に、ススムはさらにがっくりと肩を落とし、人形に向かって早く自我を持つでやんすよ~と声をかける。 「でも、どうして急に動き出したのかしら? 保管してあるのなら原動力は切っておくはずでしょう?」 「まぁ、仮説は立てられるのだが……」 「まだ決定打にかけているようじゃの。休憩の合間にこの辺りの箱を少し調べてみたらどうかね?」 「そうだな、調べながら考えを整理したいのだが、仮説を聞いてもらってもいいか?」 「勿論じゃよ」 ジョヴァンニが頷き、箱を手渡すとシュマイトは話しながら中身を確認していく。 「まずこの部屋に漂う魔力だな。実を言うと、部屋に漂っている魔力が一番見えているのはキミだ、ジョヴァンニ」 「このペンダントの力じゃな?」 「そうだ。例えば、わたしとシャニアは〝魔法機械 〟を扱うが、実際に扱える物は違う。それと同じく、わたしたちが見えている魔力は全て違う物だろう。有明が混ざっていると言った様に様々な力が、魔力や神通力、付喪神等のアストラル体、幾つもの名称があるようにそれぞれは根本が違うものであり、別物だ」 「なるほど、わしに見えているのはそれら全てが混ざりあった物、ということじゃな」 シュマイトは頷くと調べていた箱を元の場所に戻し、新しい箱に手を伸ばす。 「本来混ざりあう事のない筈の力が混ざりあっている原因は、ある一つの協力な力がこの保管室へと流れこんでいるからだろう。そうだな、本棚に置かれた箱一つ一つを水槽とする。別々に置かれている水槽の水が混ざりあうには……」 「保管室そのものを水で満たせばいい、ということかの」 「その通りだ。そして、この保管室を満たす程の大量にして強大な魔力、それが流れて来ているのは……天井だ」 シュマイトが天井を見上げるのに合わせ、ジョヴァンニの顔も上を向く。ちらちらと発光する魔力の色が天井に溜まっているのは、雨漏りしている様だった。 椅子に座り二人を眺めていたリーリスはシャニアを手招きで呼ぶと、首に巻いていたアドを差し出した。 「そろそろ次のヒトの番だよね? ハイ、アドをどうぞ」 「あら、随分顔色が良くなったみたい?」 『だんだん慣れて来た』 「よかったでやんすなー」 近くにあるものが機械か機械魔法だという事もあり、一番詳しいシュマイトに任せるのが一番だろうと勝手に判断したシャニア、ススム、アドの三人が座ると、リーリスはシュマイト達の方へと歩き出す。 絶好の機会が訪れた、と心の中でガッツポーズをした有明は、三人からそっと離れ本棚の裏へと隠れ、ちらりと皆を覗き見る。 「隙あらば化かすくらいの気概がのぉて狐さんやってられへんでなー」 くすくすと笑いを噛締め、一番驚いてくれそうなアドとシャニアが一緒にいる今がチャンスだ。今までもどこかで驚かせようとしたが、一人の時に驚かせるのは可哀相だなとも思ってしまい、シャニアとアドが一緒になるのをずっと待っていたのだ。棚の裏に身を潜め、ぽふん、とから傘お化けに変身する。 この、お狐様のちょっとした行動が大変な事態を巻き起こすと、誰が予想できただろうか。 一本足のお化けになった有明がコツン、と下駄で床を叩いた。その音にいち早く反応したシュマイトは素早く聴覚強化装置のスイッチを入れる。天才を自称する彼女の発明品は可愛らしい猫耳でありながら、実用性に富んでいる。骨伝導を併用して聴覚を高め、細かい音を感知し、残響レベルの小さな音も拾えるので音がした瞬間でなくても位置が特定できる優れ物だ。しかし、感度が良好すぎて普通のボリュームの音を拾うと耳に途方もない大音が響いて聴覚にダメージを受けてしまう難点も、ある。 なんとなく、何か起きたかわかるだろう。 から傘お化けに驚いたシャニアの悲鳴が響き、シュマイトの耳には計器を振りきるほどの大音量が轟いたが、これだけでは終わらない。急に現れたお化けに驚いたススムがカッと目を見開き、口から幾つもの心臓を吐きだした。これには有明も驚きシャニアとそろって悲鳴をあげ、あたりには木製の臓器がばら撒かれる。びっくりした有明の変装は解け、人でなく本来の銀狐の姿になるとシャニアはそれにも驚きさらに悲鳴が重なった。 臓器が散らばる中驚きすぎたシャニアは恐怖を飛び越えて爆笑し、本棚の後ろから覗きこむ銀狐はぷるぷると震え、目を回しているシュマイトには時折、ぽぽぽぽーんと吐き出され続ける心臓がぶつかっている。 「はは、にぎやかじゃな」 「あっはははは! あっは! こわ、こわか、あははは」 「あ~、び、びっくしたわ~!」 「びっくりして内臓まで飛び出たでやんす。あ、食べやすか? イチゴ味でやんすよ」 ひょいひょいと内臓を拾いながら、多数ある心臓を差し出すススムに、シャニアと有明は大きく首を横に振った。 「うん? リーリス君はどこにいったんじゃ?」 一人穏やかなジョヴァンニがそういうと、人の姿に戻った有明が 「さっきそっちに行ったんやけど?」 と首を傾げる。 「心配はないだろうが、一応探してみたほうがよいじゃろうな。手伝ってくれたまえルクレツィア」 優しい声でそう言うと、オウルフォームのセクタンが羽を広げ飛んでいく。 「? おかしいでやんすね、まだ内臓を入れてないのにお腹がいっぱいな気分……、ややっ! アドの旦那! いつの間にわっちの中に入ったでやんすか!」 ススムの胴体に入り込んでいたアドがたしたしと地団駄を踏み文句を言いたげに腕を伸ばすが、その手に握られていたのはススムの心臓だった。皆がアドの持っている心臓に目をやり、視線を合わせる。ぽい、とアドが心臓を捨てると――ススムの悲しい声が響いたがお構いなしだ――アドはぱたぱたと体を叩く。ポケットにいれていた物を全てばらまき、ススムの胴体に残っていた内臓までも放り投げ、おろおろと辺りを見渡す。 「わは、わは、ひひゃ、いやんアドの旦那そこはらめぇでやんす。いや、わっちにくすぐったいっていう感覚もないでやんすが。それはさておき、どうしやした?」 「もしかして、アド君の看板が見当たらないんじゃろうか?」 ジョヴァンニの言葉は当たっていたらしく、ぷるぷる震えるアドは今にも零れそうな涙目になる。 「えぁ!? さっきまであったわよね? あ、今のでびっくりして放り投げちゃったのかしら」 「あー、そりゃすまん事したなぁ。絶対見つけて返す……」 有明の言葉を遮るようにどこからかシャカシャカと音が聞こえ出す。はっとして辺りを見渡すと直ぐにトトトトン、トトトトン、と新しい音が聞こえ出す。 「む、結構近いようだな。よし、い、行こう」 まだ頭がくらくらしているのか、ふらつくシュマイトをジョヴァンニが支えると、皆揃って音のする方へと駆け出した。 打楽器の音に続き、弦楽器や管楽器の音が聞こえ出す。曲名はわからないが、聞いていて笑みがこぼれるような、可愛らしい曲が本棚の向こうから流れてくる。顔を見合わせ、皆は本棚から顔を覗かせると、沢山の箱が落ちていた。空箱に囲まれるように大勢の小人が円形に並び、一つの楽譜立ての周りに集いその上を泳ぐ一本の指揮棒に合わせ演奏している。 「なんや、あの小人ら、人やなさそうやな」 「しのみぃと似てやすな」 「しのみぃ?」 シャニアの問いかけにススムはオウム返しのようにしのみぃ、と言いながら両手で持っている人形を見せる。もしかしたらお仲間になるかも知れない、という期待をまだ捨ててないらしく、四宮銅三郎と名づけたらしい。 危険はなさそうだが、うかつに近寄ると小人が逃げてしまいそうだと判断したシャニアは、デジカメの望遠を使い落ちている説明書を撮影した。なんとか読める説明書を読みあげる。 「えぇっとね、寂しさを和らげる小人の演奏会。寂しいとか悲しいとかの感情に反応して、演奏してくれるみたいよ。入院してる子供とかが対象、ってなってるわ」 「保管室に満たされた魔力により魔力系統をエネルギーにして動く物が勝手に動き出した。動き出すキーが寂しいや悲しい等、負の感情だというのが気になるが、異音の正体みたり、というところか」 「異音が発生したのは上から流れてくる魔力のせい。一応、原因は解ったわけだし、これにて任務完了?」 「せやな。この魔力がどっから流れてくるんかとか、わからへん事はまだあるが、音の原因はわかったんやし」 「あー。はっきりしてよかったわ~。本当に訳のわからない物だったらどうしようかとおもってたのよ」 有明とシャニアが晴れ晴れとした顔で言うと、皆そろって笑顔を見せた。 どこかに行ってしまったリーリスがまだ見つからず、せっかく来たのだからもう少し色々見てみたい、という話があがると、皆の視線はアドへと向けられる。アドが頷くと有明は一先ず看板探してくる、と駆け出した。シュマイトとシャニアは魔法機械関係を一緒に眺め、ススムは付喪神を探している。 小人の演奏を聴きながら、それぞれ気になる物を見て楽しんでいるように、ジョヴァンニもまた自前のルーペで鉱石を観察していた。ヴォロスを始めまだ訪れた事のない異世界の鉱石や宝石を眺めていると、小さな箱が目にとまった。周りの箱より古く見えるそれを開けてみると、布に包まれた小さな丸鏡がでてきた。掌にすっぽりと収まるサイズの鏡は銀細工に似た縁に小ぶりの宝石が幾つかついている。説明書を見ると〝 真実の姿を暴く鏡〟とあった。包んでいた布を外し試しに鏡を覗きこんでみるが、見慣れた自分の顔しか映らない。この姿が真実の姿で良いらしい、と苦笑したジョヴァンニがもう一度鏡を見ると、自分の肩越しに銀色の狐と見知らぬ男が映っている。 銀色の狐が看板を差し出し、男が受け取るのを見たジョヴァンニがそっと後ろを伺う。麦わら帽子に虫取り網を持ったTシャツとオーバーオール姿の有明と、ずっとふるえていた司書を見たジョヴァンニは二本の指を器用に動かし、鏡を裏返すと手早く布で包んみ、箱へと戻す。 「覗き見しているようでいかんの、この鏡は」 口元に笑みを湛えたまま、ジョヴァンニは箱を棚の奥へと押し込んだ。 綺麗な曲と楽しそうな声を聞き、リーリスは天井近くの本棚に腰掛け足をぶらぶらさせていた。皆を見降ろしながら深呼吸をしては、満足そうな顔をする。 「ふぅ。たまにはこ~ゆ~役得も必要だよね」 これ以降、物品保管室から異音が聞こえる事はなくなったが、代わりに綺麗な演奏が聞こえる事がある、という。
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