青い海が荒れている。 空は鉛色の雲に覆われ、岩に砕ける飛沫は鈍色をしている。 ああ、もう三十年か――この島に住む人々は、嵐の規模の度合いで『その時』の到来を知る。「なんで! どうしてまたうちからなんですか!」「落ち着け、アレンカ。三十年前はボハタ家からだったが、今回はプルシーク家からじゃ。偶然、お主がプルシーク家に嫁いでおっただけじゃ」「そんなの屁理屈です! 私から、姉と娘を生贄として奪うのには代わりはありませんっ」 中年の女性は曇った赤色の髪を振り乱して、泣いて長老に懇願する。しかし、決定が覆ることはない。「……仕方が無いのじゃ。この小さい島では十五歳~二十五歳までの娘の中で未婚の者は、今年はお主の娘、サーラしかおらぬのだから」「でも、でもっ……!」 アレンカという女性は力尽きたかのように床に座り込み、俯いて顔を手で覆い泣き続ける。長老は話は済んだとばかりに雨よけの外套の裾を翻し、玄関から消えて行ってしまった。残されたアレンカに駆け寄る一つの影。「お母さん、私なら、大丈夫。大丈夫だから……」 先月十五になったばかりのサーラは気丈にも涙を見せず、母親の背中をあやすように撫で続けた。 外では日々強くなる嵐が、生贄を求めるかのように唸り声を上げている――。 *-*-*「そういえばね、今日見つけた本、生贄の乙女を助けるかっこいい騎士さんのお話なんだよ」 図書館の片隅で、書棚を見上げていたシィーロ・ブランカに、とことこと駆け寄った臣 雀が小さな声で呼びかける。「そうか……この本は、どうやら魔法使いが生贄を求める話しらしい。面白いだろうか?」 シィーロが手にした本は挿絵が豊富で、内容もそんなに生々しすぎるということもなく、字も大きめなのでささっと読むのには調度良さそうだ。「魔女って生贄使って魔術使ったりするんでしょ?」「まあ、確かに魔女の大掛かりな儀式に生贄はつきものじゃが」 ひょこっと後ろから話に加わったのはジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ。一人がけのソファが並ぶ談話スペースへと二人を誘う。「例えば、神の怒りを沈める為に生贄を差し出すこともあるのじゃ」 得意げに語るジュリエッタを囲んで、おおー! と感嘆の声が上がる。「いけにえ? いけにえ?」 その声に惹かれたのか、ちょこんと輪に加わるカリシア。ソファを囲むテーブルに積み上げられているのは、なぜか生贄に関する小説や童話、民話ばかり。「モンスターにいけにえ、ささげる。ゲームあった、違う? 違う?」「そういえば、ゲームとかでも見かけるよね、そういう設定」 雀はどこからか仕入れた知識を引っ張り出して。思えば結構何かに生贄を捧げるって多いかもしれない。 それは人々が畏敬の念を込めて供物を捧げるのと同じ事。その供物が人間になったからこそ、注目度が変わるのだ。「ある意味王道だと思うのだけど。そういう冒険、ないかしらねぇ」 少し離れたソファに座っていたファウナッハ・ランディールが立ち上がり、雀たちのテーブルへと移動してきた。興味が有るようだ。「生贄の少女を助けて悪を滅ぼすなんて、素敵じゃない?」「なかなか希望に合う依頼に出会えることはない」 ピンポイントすぎる希望が合致する依頼を探すのは難しい。それはロストナンバー達が皆実感する事実。「「「はぁ~。生贄の乙女を助けて、かっこ良く敵を退治したりする依頼ってないかなぁ~」」」 多少言葉遣いは違うだろうか、同じような内容の呟きとため息が漏れた。その時。 パタパタと小走りな足音が彼らの横を通り過ぎた――と思ったら、戻ってきた!「ねえ、今暇?」 勢いで揺れている髪は銀色。ふりふりのアクセサリや裾も揺れている。「おや? そなたは……緋穂ではないか」 ガタリ、ジュリエッタが腰を浮かす。声をかけられた世界司書、紫上緋穂は「おひさー」と軽く手を振って。「あのね、ブルーインブルーにある小島で、少女が生贄にされそうになっているの。それを助けるために、原因の海魔を倒してきてくれないかなぁ?」「「「生贄の少女を助ける依頼、あったー!!!!」」」 ガタガタガタっ……その場にいた全員が前のめりになって腰を浮かす。 きょとんとしているのは話を持ってきた司書だけであった。 *-*-* 緋穂の話によれば、場所はブルーインブルー。中でも都市から離れた小さな島で、人口は百人少し。食料はほぼ自給自足で賄っているという。自給自足できないものは、貝や木を使った工芸品や草を編んだ民芸品などを都市で売ったお金で島の皆の分をまとめて購入している。都市までの移動手段は小さな船で、買い出しは必然的に若い者達が担当となる。 しかしこの島は昔から嵐に襲われやすく、酷い時は一ヶ月以上も嵐が続くという。こうなってしまっては漁も耕作も出来ず、島民たちは生きることさえ難しくなってしまうのだ。もちろん、海の荒れが酷ければ、都市へ買い出しに出ることもままならない。小さな船ではすぐに転覆してしまう。 そこで先人たちは考えた。きっとこれは、海神様がお怒りになっているのに違いない、と。海神様の怒りを鎮めるために、最初は畑でとれた作物を小舟に乗せて流した。次に、飼育しているなけなしの家畜を小舟に乗せて流した。それでも、嵐は静まらない。 だから、海神の花嫁となれそうな、十五歳~二十五歳の未婚の女性の中から一人を選び船に乗せて流した。 すると、嵐はぴたりと収まったのだ。 島民たちは喜び、平穏が戻ってきた島で以前のように暮らし始めた。自然災害程度の嵐はあれど、あれほどの不可思議な嵐に襲われることはなくなった。 だが、その喜びは前に乙女を差し出した時から二十年もたつと、薄れざるを得なくなったのである。 最初は一年に一、二度。次の年は五度ほど。だんだんと嵐の回数は増える。この島だけを襲う、不思議な嵐。 まるで次の生贄を差し出すまでの秒読みをするかのように、年々嵐の頻度は増えていき、前の生贄を差し出してから丁度三十年後、晴れぬ嵐が島を覆った。 それからというもの、この島では三十年に一度、生贄の乙女を選び、嵐の中小舟に乗せて海神様の元へ流すという風習が出来上がったのである。「丁度、今年がその年で、サーラっていう女の子が生贄として決まっているよ。というか、条件に合うのはこの子しかいなかったんだよ。あとは小さい子か既婚者かお年寄りで」 この風習を忌避するために、自活できるようになると島を出ていくものもいる。女の子が生まれると生贄の年にいつくになるか数えて、危なければ親は子供を連れて出ていく。生贄に選ばれないように、早めに結婚してしまう――そんな事情が相まって、島民は年々減り、老人の比率が上がった。逆に、こんな不自由な島だけれど、出たくても出られない者達がいるのも事実。「誰しも自分の肉親を生贄になんてしたくないに決まってるよね!」 そんな理不尽な理由で肉親を奪われたら、どこに怒りの矛先を向ければ良いのだろう。雀の声に皆が頷く。「サーラのお母さん、アレンカさんっていうんだけど、三十年前に実のお姉さんを生贄にされているんだ。お姉さんはすごい抵抗したらしくて、小舟に荒縄でぐるぐる巻きにされて流されたらしいよ……」 それが今度は、漸く授かった娘を差し出さなくてはならないのだ。その嘆きはいかほどだろう。 サーラは自分よりも母親のことが心配のようだ。いや、母親が悲しんでいるから、自分も泣けないのだろうか。「その海神の正体は?」 退治を依頼してくるということは、緋穂には海神の正体がわかっているのだろう。シィーロが静かに尋ねると、彼女は頷いて。「上半身が馬で、下半身が魚っぽい海魔だよ。嵐を起こす力があるの」「シーホースじゃな」 さらさらとシャープペンで描かれたイラストを見て、ジュリエッタが呟いた。「島は今、嵐に襲われているよ。外から見ると、島の周りだけ嵐になってて不思議な感じかもしれない」「カリシア達、ぶじに、島につける? つける?」「嵐の中に突っ込む事はできるよ。ただ、船は壊れて浜に投げ出されるかもしれないけど」 カリシアの問いに答える緋穂の表情はそんなに固くない。命に別状はないだろうということだ。「海神は波とか雨とか雷で攻撃するよ。近づくと、後ろ足……いや、尾びれか。尾びれや前足でも攻撃してくる。岸辺には寄ってこないから、海上での不安定な戦いになると思うから注意してね」「あら、近接攻撃は難しいかしら?」「そうでもないと思うよ。工夫次第だと思う」 ファウナッハの言葉に緋穂は大丈夫、と微笑んで。 そしてチケットが五枚、テーブルの上に並べられた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)カリシア(czzx2224)臣 雀(ctpv5323)ファウナッハ・ランディール(cfws2119)シィーロ・ブランカ(ccvx7687)=========
●古き因習は変え難く、老爺の心を頑なにさせる 数十センチ先も判然としない様な暴風雨が島を取り巻いている。 外から見ればそれは不思議な光景。その島の周辺だけが垂れ込む鉛色の雲に覆われているのだ。 潮風と雨の匂いが交じる。雨と風の壁がロストナンバー五人の乗った船を阻む。だが、ここで諦めるわけにはいかない。この島を悪しき因習から解き放たねば。 勢いをつけて船を嵐に突っ込ませる。激しい風と雨が身体を痛いほどに打つ。身体を丸めるようにしてそれをやり過ごす――目に入る雨に瞼を閉じた瞬間。 ふわっと感じる浮遊感。 どがっ……がっ、ガラガラバキッ……。 受け身は取ったつもりだが、覚悟はしていたつもりだが、そこそこの衝撃はあった。砂浜に投げ出された事はわかる。 まず詰まった呼吸を正常なものに取り戻して、口に入った砂を吐き出して。ゆっくりと上体を起こして身体を確かめる。鈍い痛みはあるが大きな怪我はなさそうだ。 激しい雨が、歓迎するかのように衣服を濡らしている。今回、濡れることを厭うてはやっていられない。 仲間達と頷きあって、立ち上がった。 *-*-* 五人が到着した浜の離れた所には村人が集まっていた。小舟が用意されていることから、それが生贄を送り出す小舟だと容易に想像できた。難破した船と投げ出された五人に気づいた村人が、何事かと駆け寄ってくる。 「おい、あんた達、大丈夫か!?」 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」 耳付きのフードの耳が濡れて垂れてしまっているが、カリシアがひょこ、と前に出て。ファウナッハ・ランディールはぱしぱしと髪についた砂を落とそうと試みている。 「無事(?)に着いたのは良かったけれど、汚れてしまったわー」 「あんた達、何でわざわざこんな島に……。島の外は晴れているだろう? わざわざ嵐の中に突っ込んでこの島に来る理由なんて……」 「理由なら、あるのじゃ!」 一同に大きな怪我がないことに安心すると、村人は不思議そうに首を傾げる。そんな村人に気合をこめた言葉を放ったのはジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ。 「この島では今年、生贄を捧げると聞いた」 シィーロ・ブランカちはらりと村人の背後の小舟と集団を見やって。 「あたし達、その悲劇の因習を止めに来たんだよ!」 濡れそぼって元気のなくなった黒髪。だがその声は元気だ。臣 雀の言葉に、村人は目を丸くした。 雨は降り続いている。生贄を手招きするかのように。 「駄目じゃ!」 生贄の儀式への闖入者五人の話と目的を聞いた長老は、豪雨にも負けない大声を放ち、その案を否定した。 彼らが提案したのは、生贄の少女サーラと年格好が似ているジュリエッタが代わりに花嫁衣裳を着て、生贄として小舟に乗り込むこと。そしてその船を残りの四人が追跡し、海神と呼ばれている海魔を対峙するという作戦。 「海神様を退治するなど、恐れ多い……!」 長らく因習に従い、嵐を経験してきた長老には因習をやめるという決断をすることに恐怖が伴うのだろう。祖父母から、両親から語り伝えられて固められた経験や意識のようなものは変えることが難しい。だが、この場に集っている比較的若い世代や子供の親の世代はどうだろうか。 「本当に……本当に海神様を退治してくれるんですか? 生贄を差し出さなくても良くなるんですか!?」 真っ先に反応を示したのは今年の生贄サーラの母親であるアレンカだ。泣き通して腫れた瞳に希望を宿し、五人の前に跪いて見上げる。その背後に目をやれば、長老の手前おおっぴらに出来ないが、殆どの者が夢の様な話に希望を見出し始めているようだった。 「勿論よ。私達に任せてー」 「わたくしが生贄の代わりになるのじゃ。すまぬが衣装を貸しては貰えぬか」 ぱちんとファウナッハはウィンクをしてみせる。続けたジュリエッタの言葉に、またもや長老が火を吹いた。 「駄目じゃ駄目じゃ駄目じゃ! 百歩譲って海神様を退治しに出るのは自由だとしよう。だがお前らが失敗したら海神様は更にお怒りになる。そうならない為にも、生贄は流さねばならぬ」 「だから、わたくしが生贄になるといっておろうが!」 「いや、生贄は島の娘でなくてはならぬ。誰がなんと言おうと、サーラを船に乗せて流せ!」 その声にびくりと身体を震わせたのは、白地の花嫁衣裳に身を包んだサーラだった。綿でできた質素な白衣(びゃくえ)は雨にぬれて肌に張り付いている。 「ひとでなし! 長老はそんなにもサーラの命を奪いたいのですか!」 砂浜に膝立ちになって振り返ったアレンカは怒りを隠そうともしない。そのまま立ち上がって長老に掴みかからんとする勢いだったので、落ち着いて、とカリシアがその両肩に手をおいて抑える。かくいう長老も、壮年の男に落ち着いて下さい、と宥められていた。 「分かった。サーラさんを連れて行くよ。それなら問題ないんだよね?」 「「え!?」」 小さいため息を伴って続けられた雀の言葉に、仲間達からも驚きの声が上がる。 「家族が生贄にされるのも離れ離れになっちゃうのもいやだよ。絶対助けてあげるからね、サーラさん! あたし達を信じて!」 不安に揺れるアレンカとサーラを交互に見て、雀は強い意志の篭った瞳で頷いてみせた。小さな少女であるというのに、その瞳か与えるのは信頼してもいいんだという安堵。 「だが、危険だぞ?」 「サーラさんはあたしが守るから。だから、お願い!」 不安を隠さない仲間達に雀は瞳を向けて、手を合わせる。仕方ないな……シィーロの口から出た呟きに、雀は瞳を輝かせる。 「サーラ、まかせる」 カリシアも、ファウナッハも、ジュリエッタも頷いて。彼女なら信頼出来る、仲間だから。 「海魔相手で手一杯になってしまうかもしれないからー頼むわー」 ぽんぽん、とファウナッハは雀の肩を叩いた。 一方、長老は。 「ふん……勝手にするが良い。お前たちが失敗してもサーラを捧げれば海神様はお鎮まりになるだろうからな!」 ふんっと鼻を鳴らして、浜辺を去っていく。お付きと思しき壮年男性は、小さく頭を下げて長老についていった。 「それにしても老人って、頑固よねー」 「仕方がない。年をとると新しいことへ挑戦するのは難しいと聞く」 長老の後ろ姿を見ながらファウナッハとシィーロが呟いた。そんな彼女達をいつの間にか、生贄の儀式の手伝いに来ていた島民たちが取り囲んでいた。 「どうか、お願いします……!」 「生贄を差し出す必要がなくなれば、わしらはもっと楽に暮らすことができるのです」 「島を出ていった娘夫婦が帰ってくるかもしれないわ」 「安心して、子供を産んで育てられるようになれば、島を出ていった人達も戻ってくるかもしれない。島民も増えるかもしれない」 「この島だけを襲う嵐がなくなれば作物も安心して育てられるし、好きな時に買い出しに行くこともできるんです!」 それはこの島に住む人々の切実な願い。島から出ることのかなわない人達の、望み。口をついて出る言葉が、どれだけ海魔がこの島の人々を苦しめてきたのかを表している。 「海魔も最初に生贄を捧げた際、味をしめたんじゃろうのう。ならばその根っこを断つのが一番。安心せい。わたくしは必ずや帰ってくるからのう」 ジュリエッタがぽん、と自分の胸を叩く。 「安心する。カリシア達、がんばる、がんばる」 「話を聞く限りでは生贄を始めたのは島の人達だが、海魔が嵐を起こさなければ差し出す事もないのだ。こんな理不尽な話、許せはしない」 「大・丈・夫! 大船に乗った積もりでお任せよっ! で、退治作戦のためにちょっと用意してもらいたいものがあるのだけど」 カリシアとシィーロ、ファウナッハは作戦のために必要な物と船を用意してもらう為、島民に交渉をはじめる。一方ジュリエッタと雀は、サーラから花嫁衣装を渡してもらうために彼女とアレンカと共に彼女達への家へと向かった。 嵐対策に石を使って作られた家は、嵐を凌ぐために外観はしっかりとしているが中は質素だった。それは母娘の暮らしの慎ましさを感じさせる。 「濡れてしまっていて、ごめんなさい」 「いいや、どうせこれから濡れるんじゃ。気にすることはない」 薄い板の扉一枚を挟んだ向こうで、サーラとジュリエッタが花嫁衣裳を着替えていた。サーラはジュリエッタのアドバイスで、動きやすい格好へと着替える。その間、雀はアレンカの側にいた。 「本当に、サーラの事……お願いします、お願いします……」 雀の細い足に縋らんとする勢いで、アレンカは頭を下げた。大丈夫、と口にしながら雀はそっと室内に視線を投げかけて。 (お父さん、いないのかな……男性の気配がない) 娘が生贄になる日に姿を見せない父親はいないだろう、雀が抱いた推測は、続いたアレンカの言葉で確信に変わる。 「サーラまで取り上げられたら、私……本当に一人になってしまう……」 聞けば、アレンカの夫は三年前に漁の最中に海に落ちて行方不明になったままなのだとか。形は違えど姉も夫も海に奪われ、そして今、一人娘も奪われようとしている。その悲しみはいかばかりか。 「あたしが絶対守ってあげるから、ね?」 サーラは一人になってしまう母親の事を思って胸を痛めているのかもしれない。アレンカの隣にしゃがみ込み、雀は子供をあやすかのようにぽんぽんと彼女の背中を叩いた。 「待たせたのじゃ!」 その時ぱんっと扉を開けて出てきたのはジュリエッタとサーラ。どうやら準備ができたらしい。ジュリエッタは先程までサーラが着ていた花嫁衣裳。サーラはカットソーとハーフパンツの動きやすい格好だ。 「生贄に捧げるから花嫁衣装かのう……皮肉なことじゃ。以前ドレスを作って式に出席したことはあるが海魔とバージンロードを歩くなんぞごめんじゃ! いつか必ず良き伴侶と歩くのじゃ!」 いざという時に浮くようにと持ち込んだ浮き袋を仕込んであるからか、サーラが着ていた時よりボリューミーに見える衣装。述べられた感想はちょっとずれている気がする。 「しかしこのドレスの裾は邪魔じゃのう……いっそ縛るか破っておくとしようかのう」 「浮き袋が視えない程度なら、いいんじゃないかな?」 クス、と雀は笑って。懐から呪符を取り出し、小声で詠唱をはじめる。最初はサーラに、次いでジュリエッタに掛けられたのは防御結界。これである程度の危険は防げるはずだ。 「さあ、節操のない花婿を懲らしめに行くぞ!」 ジュリエッタの気合の声に同調して、雀とサーラも雨の中、浜辺に向かって飛び出した。 「行ってらっしゃい、気をつけてね!」 家の中から心配そうにその後ろ姿を見守るアレンカに、雀は足を止めて振り返って。 「おかえりを言う準備、しておいてよね!」 彼女の明るい笑顔に、ここ数ヶ月笑ったことのなかったアレンカの顔に笑顔が浮かんだ。 ●悪しき海魔は花嫁を望むのか 小舟は波に揺られながら海面を進んでいく。転覆してしまうのではと恐れずにはいられない波にも飲まれることなく、潮の流れに乗って進む。 小舟には櫂が添えられていない。島民によればいつも海岸の同じ場所から生贄の小舟を流すだけで嵐は静まるとのことだから、潮の流れも海魔が操っているのかもしれない。このまま小舟に乗っていれば海魔の元に辿り着くのだろう。だが、それを大人しく待っているだけというのも芸がない。 「マルゲリータ、この嵐ではおぬしが飛ぶのは難しいかのう……」 花嫁衣装のひだに隠れさせたセクタンに声を掛け、ジュリエッタは辺りを見回す。島からはだいぶ離れた。雨のせいで見通しが悪く、島の姿はすぐに見えなくなってしまった。 「しかし……これでは気配を感じるどころではないのう」 雨や風の音と質感が感度を下げる。加えて敵は十中八九海中に潜んでいるだろう、ジュリエッタには出現を感知するのは難しい。せめていつ出てきても怯まぬようにと気持ちだけは張り詰めさせて。トラベルギアの小脇差を片手に握る。 と、その時。ぐわっと船が傾いだ。それは今までの波のうねりとは違い長く、ざばざばという水音を伴って引き起こされている。 「来たか!?」 ジュリエッタが小脇差を手に立ち上がる。振り向くとそこには見上げるほどの大きな海魔の姿が。 「現れおったな……マルゲリータ、頼むぞ!」 こうなっては雨が邪魔だとか言っている場合ではない。ぎょろりと品定めをするかのように己を睨む海魔の視線を受けて、ジュリエッタはいつでも攻撃を回避できるように備えた。 「これが流行の最先端うぇっとすーつよ! うーんピチピチ、でも寒くないのはいいわー」 ファウナッハが身体のラインを強調したウエットスーツの着心地を確かめる。そんな彼女の足元には縄で縛られた酒樽が10樽。 「島の人達を騙すばかりか、未婚の娘を生贄に要求するだなんて全く以って許せない、絶対に退治してやる!」 勢い込むシィーロは気合を入れた様子から一拍置いて。 「……ところでシーホースって理論上、上は馬肉で下は魚肉だな。それって美味いのかな」 じゅるり、零れそうになる涎を飲み込んで。 「食べる? 食べるの?」 「ちょっと大味そうよねー」 「いや思っただけだ、気にするな」 思わず漏らしてしまった心の声に返ってきたカリシアとファウナッハの返答に我に返り、シィーロは前方のジュリエッタの乗った小舟を見やる。 船の後方では怯えて小さくなっているサーラを雀が安心させようとしていた。島では母のために気丈に振舞っていた少女も、やはり海神とも呼ばれる得体の知れぬものは怖いのだろう。 「アレンカさんはサーラさんの事がとても大事なんだね。故郷のお母さんの事思い出しちゃった」 聴かせるように呟き、雀も屈む。 「大丈夫、大丈夫だからね。絶対帰って『ただいま』言おうね」 繰り返せば、立てた膝に埋めた顔を上げてこくん、彼女は頷いた。 ぐわんっ…… 今までとは違う大きな波の余波が船を揺らす。 「来たぞ!」 前方に巨大な海魔の出現を捉えたシィーロが叫ぶ。 「おいでになったわねー」 ファウナッハとカリシアも立ち上がり、海魔を見据えた。 ここからが勝負だ。急がねばジュリエッタが海中に連れ去られる。だが対応を間違えては全滅する恐れもある。 「もう少し、ちかづく」 カリシアが櫂を手に取り必死で漕ぐ。荒れた海には効果をなさないかと思ったが、潮の流れのおかげか海魔に近づく速度が上がる。加えて雀が呪符で風を起こす。それは追い風となった。 ぶんっ……! 雨風を弾くようにして、海魔がヒレを振るう。生贄を海へ連れ込もうとするその一撃をすんでのところでジュリエッタは避けた。船から掬うように横に薙がれたおかげで、船が転覆することは免れる。 そこでジュリエッタは気がついた。 もしもあのヒレが小舟をひっくり返したら? 尾びれの一撃が小舟の真ん中に落ちてきたら? そう、彼女自身が海魔の攻撃を回避しても、小舟がやられてしまってはジュリエッタは海中から戦わなくてはならなくなるのだ。それは海魔に対してあまりにも不利である。 「くっ……!」 ガッ! カッと光ったかと思うと一筋の雷が小舟の真上から注いだ。ジュリエッタ自身はまたもやすんでのところで避けたために衣装が少し焦げた程度ですんだが、雷が落ちた部分の船の底は黒焦げになり、ひびが入ったのか海水が吹き込み始めている。 このままでは、どちらにしろ海に投げ出される――仲間が来る前にそうなってしまっては、仲間は海中にいるジュリエッタを気にしながら戦わねばならなくなるだろう。足手まといになるのは避けたい。 どうすべきか……ぐっと拳を握り締める。額につ、と汗が流れた。 縫い止めるつもりで鋭い視線を投げかけると、海魔は全く意に介した様子はなく、本能のままに尾を振り上げていく。その動作が妙にゆっくりと見えた。 ホーウ。 「!!」 雨の音と波の音の中、その声はジュリエッタの耳に届いた。 (マルゲリータ!) 「ジュリエッタ、かがんてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 マルゲリータの姿を探そうと振り返ったその時視界に入ってきたのは、意外と近くにある仲間の船。そして耳に入ってきたのは、自然の音に負けぬようにと張り上げられたファウナッハの声。ジュリエッタはそれに素早く従い、小舟の中にしゃがみこむ。 「いくわよぉぉぉぉぉぉぉっ!」 後ろの船ではなんと、ファウナッハが10樽の酒樽を結んだ縄を纏めて持ち上げ、それをハンマー投げのようにブンブンと振り回している。他の者はそれに伴う揺れで海面に投げ出されぬよう、しっかりと船の縁につかまって。その中でもシィーロは獣の感覚でバランスを取り、船の上に立ったままでいる。 「全・力・全・開……ふぁいとぉぉぉぉっ! いっぱあああああっ!」 ブォォォォォォォォォォォンッ!!! ものすごい風を伴って、酒樽達が海魔に向かって飛んでいく。射撃が苦手でも、数打てばあたるということか。確かに的も弾も大きいからして、これならば幾らかは命中するだろう。 大量の酒樽は減速することなく、尾を振り下ろし掛かっていた海魔を目指す。 ドガァァァァッ!!! 幾つかの酒樽が海魔に命中し、そして砕け散った。中に入っていた酒が飛び散り、雨とともに降り注ぐ。命中しなかった酒樽も、事前の細工のお陰で海面に墜落したと同時に砕け散った。 「おらぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 向かい来る酒樽に気を取られていた海魔はさぞ驚いたことだろう。酒が目に入ったため一瞬閉じた瞳を開けると、そこに迫っていたのはファウナッハだったのだから。彼女は酒樽を投げたと同時に跳躍し、海魔を目指していた。酒樽が隠れ蓑となり、海魔の不意を打つことに成功したのである。そのまま素早く手に持った鎖を絡め、鎖にぶら下がるようにしながらその背に乗る。 だが海魔も黙ってはいない。ファウナッハを振り落とそうとその巨体を大きく振るう。 「そうはさせない!」 両手両足を部分獣化させ、鉤爪を生やしたシィーロは【アルコイリス】から虹色の衝撃波を放つ。直接攻撃ができなくて歯がゆいが、少しでも海魔を弱らせたい。海魔の体力を削れれば、仲間達も少しは楽になるだろうから。 「皆強いから心配いらないかもしれないけど」 サーラを護るように立つ雀が繰り出したのは水の呪符。彼女が詠唱する間にシィーロがもう一発、衝撃波を放った。 ズォォォォォォォォッ…… 突如、海水が盛り上がった。何事かと思わずそちらを見たのは仲間だけではなく、海魔もだ。 現れでたのは荘厳な水の龍。敵意を持って、くわ、と海魔に口を開く。自分と同じか大きい位の敵の出現に、当然海魔の意識はそちらを向いた。盛大な雷を撃ち落とす。だが、水で作られた龍だ。手応えがあるはずもない。 海魔の意識が大きくそれている間にカリシアはメタモルフォーゼで己の身体の一部を変化させた。変化したのは背中の部分。そこには翼が生えていた。 「いってくる、ね」 翼を羽ばたかせ、海魔の死角からカリシアは接近を試みることにした。 一方ファウナッハは、ぐいぐいと鎖で海魔を締めあげている。力技で動きを封じ込める牽制だが、仲間の行動と相まってそれはとてもよい効果をあげていた。 全面には本能的に敵だと認識するほどの大きな水龍。身体は拘束され、縛られているがゆえに身動きが取りづらく、自由な尾びれで攻撃をする余裕もない。本能で動く海魔とて、いずれは水龍に攻撃しても無駄だと悟るだろう。だが、それまでの時間が致命的な隙であった。その上、先ほどばら撒いた酒が体内に侵入したからだろうか、だんだんと海魔の動きが鈍くなっている気がする。 「雀、風を頼む!」 「うん!」 シィーロに請われ、雀が再び風の呪符を発動させる。風に後押しされた船は、だんだんと海魔との距離を詰めた。 海魔との距離を詰めれば同じ船に載っているサーラにも危険が及ぶが、絶対に守ってみせる――雀は鋼の意思で守護を誓う。 「この機を逃すわけには行かぬな……!」 海魔の対面にいるジュリエッタは相手の注意が自分から離れたのを好機と捉えた。もう隠しておく必要はないとばかりに衣装の裾を小脇差で破る。 「動きやすくなったのう。行くぞ!」 小舟の後方から前方へ向かって助走し、そして――ジャンプ!! ファウナッハの絡めた鎖にぶら下がるようにし、海魔の首っ玉にしがみつく。そして、そのまま登っていく。短く切られた衣装の裾からは細い肢体があられもなくさらけ出されているが、今はそんなことを気にしている場合ではない。 「ジュリエッタちゃん、セクシーでワイルドーっ」 「お褒めに預かり光栄じゃ」 ファウナッハの黄色い声に軽く声を返し、ジュリエッタは海魔の頭部へと行き着く。さすがにこれには海魔も暴れてジュリエッタを振り落とそうとしたが、ここまで来て振り落とされるわけにはいかない。 (振り落とされる前に……!) ザシュッ!! グォォォォォォォォォォッ!!! 海魔が初めて悲鳴のようなものを上げた。相当傷みが酷いのか、頭から身体から振って暴れるその勢いは今までの比ではなく。 「あぁぁぁぁぁぁっ!!」 「ひゃぁぁぁぁぁっ!!」 ファウナッハとジュリエッタは振り落とされてしまった。しかし落下したのは海面。ちょっとしょっぱい水を飲んだくらいで特に怪我はなさそうだ。 「ジュリエッタちゃん、何をしたのー?」 浮き袋のお陰でぷかぷか浮くジュリエッタに、すいすいと泳いで接近したファウナッハが問う。 「片目を潰してやったのじゃ。花嫁衣裳で判断している――と言っても色程度しか認識できぬのかもしれぬが――ということは、ある程度視覚で判断していると見てな。片方でも目をやれれば弱らせられると思ったのじゃ」 「なるほどー。あったまいいー!」 海魔はまだ、取り乱したように暴れている。暴れれば吸い込んだ酒が回りやすくなることを海魔は知らない。 ぐおん、と海魔の動きで起こる波が水面に浮かぶジュリエッタとファウナッハを流した。船底から水を吸い込んでいた小舟はその波を受けて、本格的に海底へと沈んでいく。 「いく、よ」 と、海魔の側を飛んでいたカリシアが、鳴き声をしぼり出すために大きく開かれた海魔の口へと飛び込んだ。ごくん、突然闖入してきた異物を反射的に海魔は嚥下する。 「この海に嘆きはいらない。この島から二度と生贄は出さない」 いつの間にか、海面から見上げるほどの位置に雀の姿があった。空中に放った無数の札を足場にし、新たに符を構える。 ファウナッハとジュリエッタが海魔の身体から振り落とされたのは都合がよかった。仲間が張り付いている状況では、どうしても攻撃に躊躇いが生まれるからだ。 (カリシアさんは体内にいるけど……きっと大丈夫) 彼の強い再生能力を知る雀は、思い切り雷の符を放った。 ピカッ……バリバリバリッ!!! 鋭い雷光が、海魔の脳天から落ちる。それを確認したシィーロが合わせるかのように飛んだ。 「乙女の怒りを思い知れ!」 それは全力の一撃。一撃しかチャンスがないことは彼女にもわかっている。だから、機を狙ったつもりだ。 己も操る雷に痺れさせられている今がチャンス。シィーロの鋭い爪が、今までに生贄にされた娘とその家族の怒りを代弁して海魔の喉元へ引っかかる。そしてそれを落下するに任せて深く深く押し込んで斬り裂けば、悲鳴を上げようとした海魔の喉からごぼっと血が溢れでた。 ちゃぽん……海面に落下したシィーロが顔を出して海魔を見上げると、海魔の腹が不自然にびくびくと動いている。動くたびに斬り裂かれた喉から赤い雨が滴り落ちる。 ガッ……ジャッ!! 音で表すとすればそんな感じだろう、海魔の腹から鋭い爪のようなものが顔を出したかと思うと、次の瞬間その腹が破れた。ばっくりと開いた腹は、海魔の上体の重さを支えきれず、上体は後ろにと倒れる。 ジャバーンッ!!! 海面に落ちた上体は飛沫を上げて。その飛沫に目を覆った者たちが瞳を明けた時に見たのは、ズタズタに斬り裂かれた海魔の腹の中から飛び出るカリシアと、水面を明るく照らす太陽の光だった。 不自然な嵐はいつの間にか、太陽の光に制圧されていた。 もう、二度と、戻ってはこない。 ●嵐去りし島は、希望に満ち溢れ 「アレンカさんのお姉さんも……安らかに眠ってね」 凪いだ海に勝利の実感を強めた一同は、皆で残った船に乗り込んだ。 雀の鳴らすギアの風鈴の音が、広い海原に響き渡る。静かになった海に染み渡るその音は、歴代の生贄の乙女に対する鎮魂。 「サーラさんのお父さんも、安らかに……もし奇跡があるのなら、何処かで生きていて欲しいけれど」 もう一度、風鈴を鳴らす。アレンカの夫は海に落ちて行方不明になったと聞いた。だから雀は祈る。 船に乗せてきた花束がふわりとした放物線を描き、ぱさりと音を立てて水面へと降りた。ゆらりゆらりとたゆたいゆく。 「そういえば、こんなの、ひろった」 思い出したようにカリシアが取り出したのは、手のひら大のブローチのようなもの。血と胃液にまみれていたので海に手を突っ込んで軽く濯ぐ。するとそのブローチは台座は錆びているが、真ん中に碧い宝石が付いていることがわかった。 「あの海魔が飲み込んだのか?」 「さすがに金属と宝石は消化できなかったのねー」 ちらっとブローチに目をやって、シィーロとファウナッハはさほど興味なさげに目をそらした。 「これはもしや、アレンカの姉のもの……だったりしたらいいのにのう」 何か形見でもあれば、と考えていたジュリエッタが希望を込めてそうつぶやいたのを聞いて、サーラが弾けるように顔を上げた。 「これ、どこかで見た事あるなぁって思ったんです……!」 「「ん……?」」 一同は、急に興奮しだしたサーラに視線を集め。 「これ、錆びているけど……お母さんが持っているのと同じブローチです!!」 「「ええっ!?」」 真相はアレンカ自身に確かめるしかない。だが全く同じブローチを海魔が偶然飲み込んでいたとは考えがたい。 きらり、太陽の光が、三十年ぶりに外に出た碧玉を照らした。 *-*-* 海神様が討伐されたのか、それとも討伐に失敗してサーラが生贄になったから嵐が去ったのか、島民達には判別のしようがなかった。 嵐の最中も、嵐が去ってからも、アレンカは浜辺に跪き、祈りを捧げている。 集まった大人達はある者は額に手をかざすようにして、ある者は望遠鏡を取り合いながら、海の様子を見ている。勿論、海神様を退治に向かったあの者達が戻ってくるのを願って、だ。 この忌まわしき因習から解き放たれることができたのか、それともまた三十年後に悲しむ者が出るのか、それは大きな違いだ。 「船だ、船がくるぞ!」 だから誰かが叫んだその時、皆が波打ち際へと駆け寄った。中には踝まで海水に浸かっている者もいる。アレンカもその一人だ。 「サーラ……サーラ! サーラ!!」 大きく叫んで手を振る。 「おーい! 無事かー!?」 島民達も、体中を使って大きく、大きく手を降っている。 向かってくる船から身を乗り出すようにして手を振っているのがサーラだとわかった時、浜辺の後方まで降りてきていた長老は踵を返した。 人の上に立つ者は、ときおり厳しい判断を下さねばならない。そうしなければ、従う者全てが駄目になるからだ。全滅してしまうよりは少しの被害で済むような方策を取る、それも下さねばならぬ決断。 だが、出さないで済むのならば犠牲など出さないでいたいというのが当たり前の心。 長老は心中で安堵し、そして五人の勇者たちに感謝の念を送る。 これでもう、島は嵐に苦しめられないで済むのだ。次の長老に、苦しい決断をさせなくて済むのだ。 (何十年か振りに、心から笑える気がするのう……) 彼もまた、生きてきた中の何十年かに渡って、因習に縛られてきた被害者であった。 浜辺では、戻ってきた船を出迎える歓声が聞こえる。 母子は抱きしめ合い、涙を流して再会を喜んだ。 島民も、呪われし因習から解き放たれた事を喜び、島中に知らせるべく若者たちが走る。 今夜はありったけの食材を使って、島をあげての祝宴が催されるだろう。勿論五人の勇者たちが讃えられるのだ。 もう、この島から生贄の乙女達が生まれることはない。 今夜、晴れた夜空に輝く星はきっと、今まで生贄となって散っていった少女たちの笑顔。 私たちのように理不尽に命を奪われることが、もう起こりまぜんように――きらめきは祈り。 ありがとう、ありがとう……またたきは、感謝。 【了】
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