オープニング

「……しかし、凄いことになってるね」
 『フォーチュン・グッズ』のハオは手にした差し入れの昼ご飯をテーブルに置き、エプロンをかけながら、溜め息まじりに『フォーチュン・ブックス』の天井を見上げた。
「ちょっとしたオブジェだよな?」
 右目に黒眼帯のフェイが苦笑いしつつ、腕まくりして額にタオルを縛る。
「一階から三階まで、きれいにぶっ刺してくれたからな」
 
 二人が眺めているのは、半壊した『フォーチュン・ブックス』だ。
 世界樹旅団との一戦でも崩壊することはなかった理由が、世界樹の根が建物全体を貫いているせいだというのは、皮肉なものだ。ハロウィンで使った一階のリビング中央から突き出して伸びていった根は天井を突き破り、空中で彎曲して建物の外壁を伝うように再び地中に没している。大人三人が手を繋いでようやく囲める太さのそれを不気味だとは思うし、いずれ枯れていくかもしれないのだが、今撤去してしまえば建物が崩れるのは自明の理、しかも、その根の高みには鳥の巣らしきもの(ロストナンバーの誰かだろうか?)や、風船が引っ掛かったりしていて、既にしっかりと0世界になじんでいる気配さえする。
「意外にすべすべしてるんだなあ」
 ハオはリビングに突き立つがっしりした根をそっと撫でてみる。今にももぞもぞ動きそうな躍動感溢れる造形を、感嘆を持って眺めながら階段を上がっていく。階段の一部が根に食い込まれているのを、フェイはとんかんとんかん、金槌の音を鳴らしながら、釘で補強している。
「フェイ」
「あん?」
「この根、いつかまた動き始めることがあるんだろうか」
 かん、と高い音をたてて、釘を打ち込み終わったフェイはハオを見上げた。
「そんときは」
「そのときは?」
「ここが崩れるだけだ」
「……そうか」
 にやりと笑うフェイの顔に、ハオは思う。
 フォンのことで再びインヤンガイに出かけた時も、こんな顔で笑ったのだろうか。そんときは俺が死ぬだけだ、とか何とか言って。ロンはいつまでたっても馬鹿です、と冷たく言い放ったが。
「上を見てくる」
「気をつけろよ。細い根があちこちに突き出てるかもしれねえぞ」
「わかった」
 再び釘音を響かせ始めたフェイを置いて、ハオは一階のリビングと書架を見下ろしながら階段を上っていく。
 二階も派手に根が貫いていた。倒れた本棚は何とか起こしてあるが、所蔵されていた魔術書、錬金術書、料理本はまだ大半が床に置かれたままだ。襲撃前後に大急ぎで封を施していったから、根が貫いて崩れた書架から零れた本も開放はされていないとフェイが請け負っている。だが、何かが狂ったのだろう、どうしても開かない本が出て来てしまっているらしい。
「……ロストナンバーの誰かなら開けるかも知れないな」
 本というより、厚手の金属の箱のように固まっているものを数冊拾い上げて棚におさめる。
 本が開いたなら、それが縁があったということだ、持ち帰ってもらってもいいな、とフェイは笑っていた。
 三階の不思議な生物や異世界についての記録も同様だった。根が貫いた時にうねりながら通ったのだろう、そこら中に本やファイルなどが散らばってしまっている。
 かつてハロウィンの時にここを訪れたたくさんのロストナンバーのことを思い出し、ハオの視界が揺らめいた。もういない人、怪我をした人、運命が変わってしまった人……一杯いる。
 戦争なんてない方がいい。きっと誰も戦いたくて戦ったのじゃなくて、何かを守ろうとして、生きようとして戦った、それが戦争の惨いところだ。誰の中にも正義があって、それが相容れないと断じてしまう、そこが戦争の酷いところだ。そして、誰も彼もかけがえのないものを確実に失ってしまう、誰も本当に心から満足する勝利なんて得られない……きっとそれが戦争の本質だ。
「フォン…」
 ハオも失った。かけがえのない友人を、かけがえのない友人が葬った。そのどちらも失いたくなかった。どちらかなんて選べない、今も。濁った傷みを抱えて、これからもハオは毎日を過ごすのだろう。
 突き当たりに厚いカーテンがあり、それをそっと引き開けると、大きな窓が現れた。この場所は知らない、そう思いつつも押し開けると、そこはオープンテラス、地上からは見えない凹みにある。金属の手すりに囲まれた板張りの空間の上には真っ青な空、そこに浮かんだナラゴニアが胸を締め付けた。
 青空を振り仰ぐ。
 ただただ広く、真っ青な空。
「………ばかやろーっっ!!!」
 誰を詰りたいのかわからない。
 ただ大声を出したかった。
「頑張ったんだからなああっ!!」
 そうだ、皆頑張ったんだ、それぞれの大切なものを守ろうとして。
 胸の中に、小さな灯がともった気がする。
 元気になろう、そう思う。
「……お茶、いれてこよう」
 溢れた涙をぐいと拭って、ハオは身を翻した。


「…てっ」
 フェイは釘を打ち損なって、手を止める。やはり片目だと距離感が狂う。
 遠く響いた罵声に静かに目を伏せる。
 詰られているのか。それともフェイもまた詰りたいから気になるのか。
 ロンは別の場所に赴いている。ロンなりに、何かをきちんと収めたいのだろう。
 じつは『フォーチュン・グッズ』は襲撃で崩壊し、店としては使えなくなった。今は近所の瓦礫の積み上げ場所だ。しばらくの間、2階の片隅にロンが居候することになる。その片付けもしなくてはならない。
「……人手がいるな…」
 溜め息をついた。
 ターミナルは復興で大忙しだ。どこもかしこも人出不足なのはわかっている。けれど、ひょっとすると、少し手の空いたロストナンバーがいるかもしれない。
「……よし」
 フェイは立ち上がり、張り紙を書いて、表に張り出した。


『 急募
 『フォーチュン・ブックス』の片付けを手伝って下さる方。
 本の整理と片付けをお願いします。
 開かなかった本を開かれたなら、持ち帰って頂いて結構です。
 もれなく、『フォーチュン・カフェ』の出前がつきます。
                     フェイ・ヌール』

 気がついて、最後に一行書き足した。

『追加
 屋上テラスから、思い切り叫べます』

品目シナリオ 管理番号2292
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントいろいろと様変わりしていく0世界です。
『フォーチュン・グッズ』は修復不可能なまでに壊れました。中身は多少取り出せて、二階へ運び込まれています。で、ロンはフェイのところに身を寄せることになっています。
『フォーチュン・カフェ』は何とか営業中です。
『フォーチュン・ブックス』はご覧の通りの有様です。

さて、このシナリオで参加して頂けることは以下です。
【1】一階の片付けとフェイの手伝い(根と建物の補強)
【2】二、三階の本の整理とロンの部屋のセッティング(新たに開いた本はお持ち帰り可能です)
【3】屋上で叫ぶ。内容は建物内には聞こえません。
【4】ハオとお茶する(お持ち込み可能です)。


まったりのんびりお片づけ、時々ストレス発散、という方向です(笑)。
お時間長めに頂いております。
ご縁がありましたらよろしくお願いいたします。

参加者
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
ジューン(cbhx5705)ツーリスト その他 24歳 乳母
アラクネ(cbew8525)ツーリスト 男 35歳 機織
マルチェロ・キルシュ(cvxy2123)コンダクター 男 23歳 教員
エク・シュヴァイス(cfve6718)ツーリスト 男 23歳 探偵/盗賊
二十八号(czfb3476)ツーリスト 男 35歳 漂泊の哲人
ほのか(cetr4711)ツーリスト 女 25歳 海神の花嫁
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望

ノベル

 鮮明に見える事に人は心を惹かれない。
 不鮮明だから想像する、確認の為に動き出す。
 片目の世界は貴方を豊かにしたかしら?
「あれ?」
 半開きになった扉から覗き込んだリーリス・キャロンを見つけ、フェイが笑顔で近づいてきた。
「いつか来てくれたよな? えーと」
「リーリスよ。リーリス・キャロン」
 張り紙を見て手伝いに来たの。
 魅了と精神感応、加えて精神感応防御常時全開モードで、外見上はあどけなくにっこりと、小鳩のような赤い瞳で彼女は相手を見上げる。腕まくりをし、埃塗れの白シャツと白ジーンズのフェイは、右目の黒い眼帯に無意識にだろう触れ、それからゆっくりと緑の左目を瞬いた。
「すまないな。まだ誰も来ていないんだ。ハオは差し入れを作りに、カフェの方へ一旦戻ってるから、茶もろくに出せないが」
「いいよ、リーリス、お手伝いに来たんだし」
 奥へ進む相手に続きながら、リーリスはその無防備な背中を凝視する。
 甦ってくるのは過ぎてしまった依頼。心の中で呟きが響く。
 殺したいほど執着した片目の男は今度こそ本当に消えてしまった。私が止めを刺してしまった。
 見ただけで殺したくはならないけれど…やっぱり私、片目の男は嫌い。見ているだけでざわざわするの。
 そう、ざわざわするのよ…。
「何を手伝ってもらうかな…」
 フェイはリーリスの視線に気づかないまま、一階のあちらこちらを見て回る。テーブルはかろうじて片付けられているが、床からねじくれて伸び上がる世界樹の根が衝撃で壊した棚や家具はまだそのままだ。
「他の場所に移動しないで、ここを再建しようとするのは何でなの? 樹、邪魔よね?」
「あん?」
 フェイが振り返る。二階か三階の窓から入り込んだ日差しが、天井の穴を擦り抜けて落ちて来て、きらきらと埃を舞わせる向こうで、フェイが苦笑した。
「逆に質問したいな。どうして移動しなくちゃならない? 俺は別にこいつが邪魔だとは思ってねえぜ」
 こん、と根をこぶしで叩いてみせた。
「俺はここで店をやってて、そこにこいつがぶち込まれた。ただそれだけだろ」
 傷みたいなもんじゃないかと思うんだ、とフェイは続ける。
「傷があったからって体を捨てやしない…それと似てるかな…いや、違うのか?」
 考え込んだ顔で首を傾げたフェイに、ぴく、とリーリスの指がひきつった。
 はからずも、フェイはリーリスがやってきた目的に触れている。自分の目を抉ってフェイの右眼窩に埋め込み、精気付与で同化させ、フェイを両目にしようとする目的に。
 以前も試みたが、果たせなかった。今度は痛みを感じさせないよう治療中も魅了し、自分の目は即座に再生させ、誰が治したかという記憶だけは思い出せないよう魅了するつもりだ。
「ねぇ…片目で居るのは楽しいの? それともわざわざ覚えておきたい傷なのかしら」
「楽しいか、かあ」
 フェイはうーん、と穴の開いた天井を見上げて唸った。じりじりと近づくリーリスを警戒はしていないようだ。
「楽しいとか言うんじゃなくて…」
「楽しいとか言うんじゃなくて?」
 くっと相手の手首を握った。驚いたフェイの顔を見つめ返す。
「それもまた、俺の一部だか…ら…」
「動くな…大丈夫よ、今度は痛くないわ。だってお前は今痛みを感じない」
 フェイが口を閉じた。魅入られたようにリーリスを見下ろす緑の瞳は、光を受けてきらきらと光る。小さな子どもの自分の手を自分の右目に伸ばしながら、リーリスは呟く。
「片目の男は嫌いよ、ざわざわするから。両目の男はどうでもいいわ…」
 両目にさえしてしまえば、リーリスはもうフェイに苛つかずに済む。この一瞬で全てが終わる。
 だが。
「失礼いたします。扉が開いていましたので」
 玄関から穏やかな声が響いた。
「片付けの人手を募集していらっしゃると伺いました。お手伝いさせていただけますか?」
 ひょこり、と覗いたのはピンクの髪にピンクの瞳、メイド姿のジューンだ。
「あ、ああ。ありがとう!…ちょっと、すまん」
 軽くウィンクしてフェイがリーリスの手から離れ、戸口へ向かう。
「助かるよ」
「これが全て誰かの中身を語る本…どなたかの記憶の形、なのですね。それではなおさら埃を被ったままにはしておけませんね」
 戸口からでも惨状は見てとれるのだろう、部屋の中を見回したジューンが小さく吐息をついた。
「実は二階もひどい有様なんだ」
「わかりました。では早速」
 リーリスに軽く会釈して、ジューンは雑巾とバケツ、ビニールシートなどの在処を確認し、両手に下げて二階へ向かおうとする。
「あ、もし開ける本があったら、そいつは持って帰ってくれていいぜ」
「…ありがとうございます」
 ジューンは優しげに微笑んだ。
「けれども、持って帰ってしまったら、他の方が読めなくなりますもの。その方が他の方と繋がる機会を奪ってしまうようで気が引けます。それにアンドロイドの私の記憶は写真記憶ですから。この場で読ませていただければ充分です」
「あ、なるほど」
 そういや、前にハオがカフェに来たって話をしてたな、とフェイが笑い返す。はい、と頷いたジューンは、同居を始めた子ども達のことを思い出したのだろう、柔らかな声で付け加えた。
「子供たちが喜びそうな民話や神話や童話、それに私が作れそうな料理のレシピがあればうれしいです」
「ああそれなら、二階にあると思うぜ」
 フェイが頷き、付け足した。
「神話や民話になると、三階にもあるかも知れねえ。どんどん片付けてくれて構わねえから」
 悪戯っぽく続けるのに、ジューンはなお目を細める。
「わかりました」
 ついでに、ロン様のベッドメイキングもさせて頂きますね。
「あ、頼めるか? 俺がすると皺がどうとか、うるさいんだよ」
「乳母ですから、ベッドメイキングは得意なんです」
「助かる」
「お任せ下さい」
 ジューンは階段を静かにそっと上がっていく。所々弱っている部分が、ぎい、と不気味な音を立てる。
「すまん、話の途中だったよな?」
 フェイがいそいそとリーリスの所へ戻ってきた。不安がる気配もなく、怯えた表情でもなく、リーリスが差し出した手にぽんと雑巾を載せる。
「俺が重い物を動かすから、棚とか拭いてくれるか?」
「……フェイ」
 一瞬、そのまま雑巾片手に流されそうになったリーリスは、軽く首を振った。
「私」
「あの……」
 話しかけたその時に、今度は控えめな声が聞こえた。
 そろそろと影のように扉から入ってきたのは、ほのかだ。琥珀の瞳、腰までの長い垂らし髪、常なら白い小袖に緋色の小袖を羽織っているのだが、今は小袖を細帯で締めている。
「学の無いわたしに、書の整理など務まるか分らないけれど…できる事があれば…お手伝いさせて下さる?」
「いやいや、助かるぜ、ありがとう! けど、大丈夫かな、着物が汚れたりしたら」
「大丈夫よ、ほら、こんなふうに」
 ほのかは持ってきた縫い紐でたすき掛けをし、手拭いを広げて艶やかな髪を覆った。ゆるゆるとフェイを見上げて、
「鉈も持ってきたのだけど」
「へっ」
 姿形のたおやかさに不似合いな道具の名称が出た。驚くフェイに、
「細かな根があれば鉈で断ち、乾燥させ薪にしましょう。きゅうぶが不足している今、備えの…代わりの燃料は必要だと思うの」
「あ、ああ、薪、薪ね、なるほど」
 フェイはキューブって燃えたっけ、と戸惑いつつ、いやしかし、そういう備えはいるよな、うん、と頷いて、じゃあ、こっちの細い根の方はいらないと思うんだよな、とほのかを導く。
「では、このあたりを片付けたら、二階の片付けに上がりましょうか……」
「よろしく頼みます」
 ぺこりと頭を下げるフェイの頭越し、リーリスの目の前を通り過ぎていきながら、ほのかがちらりと彼女を見やる。薄暗がりで黄金に光るような瞳が、一瞬リーリスを量ったように見えた。だが、別に何を咎めるわけもなく、少し頭を下げ、示された片隅に立つ。ふ、と鉈を差し上げた細くて白い腕が蛇を思わせる滑らかさでしなった後。
 かんっ。
 硬い音が響いて細い根が見事に断たれる。その背中を見ているリーリスの何が伝わったとは思えない、精神感応防御は全開だったのだから。だが、ほのかは誰に言うともなく、肩越しに呟く。
「邪魔なものは形を変えると扱いやすくなるわね…」
 リーリスは無言で相手のほっそりした姿を見つめる。再びリーリスの所へ戻って来ようとしたフェイは、今度はベルの音で玄関に呼ばれている。
「失礼します」
 現れたのは背の高い、全身傷だらけのリザードマンだった。胸に28を表す文字が刻まれており、二十八号と呼ばれている。フェイをやや見下ろす体躯、通常なら威圧感があるだろうに、それでも身動きはしなやかで端整だ。
「こちらで本の後片付けに人手を募集していると聞いたのですが」
「ああ、ここだ。…凄い傷だな。大丈夫か?」
「ご心配なく」
 紳士的な物腰は知性の高さを裏付ける。
「私なら壁や天井も這えますから、倒れて重なった本棚の向こうへ行って、押し上げて戻したり片付けることもできますよ」
「それじゃあ是非頼もう」
 もう上が酷くて。特に三階はまだほとんど手つかずなんだ。
「危険な本は術で閉じてあるが、触れてすぐに開いたり、興味がある本があったら、給料代わりに持って行ってくれていいぜ」
「では、三階へ行きましょう」
 二十八号はもともと世界の根本原理を求めて放浪する者、見知らぬ世界や生物の情報は、その思索を深める助けとなるはずだ。茶色の瞳を好奇心で輝かせて、階段を…いや、厳密に言うと階段に沿った壁をするすると上へ向かっていく。
 ほのかは、たん、たん、と鋭い音を響かせながら、根の整理を続けている。
「なかなか話せなくてすまんな。一段落したら話を聞くから」
 戻ってきたフェイが、リーリスに詫びる。
「どうしても話したいことなんだろ?」
「…私は」
 リーリスが続けようとする矢先、うー寒っ、とぼやきながら飛び込んできた坂上 健がフェイの肩を叩いた。
「よぉ、フェイ。男と同居おめでとさん。あー、でも確か兄弟だからやばい話じゃないんだよな。ターミナルにおもしろおかしい話題を提供してくれるのを期待してたんだけどなー。ほい、同居祝いのプレゼント。時期もんだからいいよな、甘くても?」
「グリューワインか? ホットで旨いやつだよな?」
 渡されたワインにフェイが歓声を上げる。
「やばい話ってなんだ、やばい話って」
 俺はそっち系の趣味はないぞ、健。
「ははっ……後で片付け手伝うからさ、ちょっと上、貸してくれよ」
 ふぃと背けた健の顔に、フェイは微かに頷く。
「ああ、いくらでも使ってくれ」
 何叫んだって、こんなに賑やかなんだ、聞こえやしねえよ。
「後で呑もう」
「了解」
 手を上げた健は急ぎ足に階段を駆け上がっていく。
 かんっ! 
 ほのかが鋭い音をたてて根を叩き切り、またちらりとリーリスを見やった。


「ここのカフェには初めてきました…ほんのちょっぴりドキドキします」
 吉備 サクラは『フォーチュン・カフェ』の前で大きく深呼吸する。眼鏡は外してきた。コンタクトもずれていない。改造蒼ストライプメイド服は胸元を大きく開けてミニスカ仕立て、白いガーターベルト、ストッキングも白、絶対領域確保の代物、オカマメイドアニメ、痛快屋敷・三之丞で唯一の女の子、リサリサのコスプレで決めてきた。
 何度か呼吸を繰り返し、カフェの戸口から人が出て来ないのを見計らって、
「笑いと色気のメイドニアン、リサリサの宅配サービスゥ」
 人差し指を唇に当ててウィンクしながら飛び込んだ。
「疲れた殿方を狙・い・打・ち! 三之丞先輩には出来ない高みを…ってロキさん!?」
 途中から声が吹っ飛んだのは、カフェにお客が一杯だったからではなくて、袖すりあうも多少の縁どころか、趣味趣向をがっちり把握されている相手、マルチェロ・キルシュが、ひさびさに見る呆気にとられた顔でこちらを見返していたからで。ついでに、その側に居たハオは、籠に焼き上がったばかりの菓子を入れて包み込もうとしていた状態で。
 ばさり。
 手にしていた布巾を落とした。
「おーい? 何だよ、いきなり?」
 ロキがそれとなく事情を察したのだろう、深く深ーい溜め息をつきながら、ハオの落とした布巾を拾う。甘いもの好きのセクタン、ヘルブリンディが、衝撃に茫然としていたハオの手から続いて零れ落ちそうになったマーラーカオを慌てて支える。
「普段行ったことのないカフェなら知り合いも居なくて良いかなって思ったのに…不覚です」
 サクラにとってはいろいろ大誤算だ。見る見る顔に集まってきた熱を必死に振り払いながら、弁解する。
「最近のメイド物は男の娘が多いです。今年の冬コミ参加できそうにないからメイド服着たかったしお手伝いしたかったし…まさか知り合いに会うとは思いませんでした」
 弁解になっていない気がするが気のせいか?
 ロキは溜め息まじりにハオを振り返る。ハオはしばらくまじまじとサクラを眺めていたが、やがてにっこりと笑った。
「ずいぶん可愛いね」
「おいっ?」
「そういう服で運んでもらえると皆楽しいかな」
「いやハオ、その発想はたぶん間違ってる」
「考えてみようかな」
「えええっ」
 話があらぬ方向へ流れていったのを幸い、サクラは両手を拳に握った。
「料理はそこそこ得意です、お手伝いなら任せて下さい!」
「ほら彼女もそう言ってるし」
「他人を元気にする紅茶やお菓子の秘蔵レシピ知りたかったので…頑張りますから任せて下さい!」
 うふん、と唇を突き出してウィンクを重ね、早速お仕事してみますねっ、と二人をおいて中に入り込む。
 今日は『フォーチュン・カフェ』は予約客のみ受け入れで、来客数は少なかったが、それでもお任せコースを頼んでいる客に次々料理を運びながら、ちょっと腰をくねらせてポーズしてみたり、いつもより深めに体を曲げてテーブルを拭いてみたりと、サクラの行動は次第にエスカレートしていく。
「ハオ止めろ今すぐ止めろ、でないと」
「でないと?」
「あの予約客の半数は次来なくなる」
「……皆楽しんでるようだけど」
「そういう店じゃないだろ?」
「そういう店?」
 ここでハオにサクラがなりきっているオカマメイドアニメ、痛快屋敷・三之丞やリサリサについて解説したところで事態の収拾は望めない。仕方ない、とにかく力づくで引きずってくるか、とロキは足を踏み出しかけたが、くい、とハオに腕を引かれて立ち止まった。
「見てごらん……皆、笑ってる」
 確かに始めはサクラの過剰なお色気サービスに傍迷惑そうだった客も居たが、一所懸命に、少しでも楽しくおいしく食べてもらおうとしているサクラの想いが伝わっていくのか、これはどんな食材、とか、熱いのがおいしいね、とか気軽に声をかけ始めている。
「コースを頼んでくれる人は特別な日だったりするけれど、ああやって一人で来てる人がいるのが気になってたんだ」
 二人、あるいは三人で予約しているコース料理なのに、一人だけでやってきている客が、静かにそっと食べている。
「……誰かを失った、のかな」
「あるいはまだ病床にいるのか」
 ロキの思いやった声音にハオが微笑する。
「一人の食卓を、彼女が暖かくしてくれてるよ」
「ああ…そうだな」
 いつだったろうか、サクラの声が耳に戻る。
『どんな形であれ笑いと元気が出るなら良いかなって思いませんか?』
「それもそうか」
 ロキは頷く。その前で、客の一人がサクラにリクエストしている。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、さっきのもう一度やってくれんかの」
「え?」
「ほら、さっき飛び込んできた時の」
「あ、あの、えーと……はい! では!」
 人差し指を唇に当て。少し腰を屈め、ウィンクばっちり。
「笑いと色気のメイドニアン、リサリサの宅配サービスゥ」
 わあっと笑い声が溢れる。
「疲れた殿方を狙・い・打・ち!」
「可愛い、可愛い!」
 笑って手を叩いた初老の女性が、吹き零れた涙をナプキンで拭う。
「とっても可愛いわ!」
 彼女のテーブルの空席には、小さな笑顔の写真が置かれている。
「頑張って! 頑張って!」
 それは誰へのエールだったのか。


「それじゃ『フォーチュン・ブックス』への差し入れ、行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
 賑やかな声に送られて、サクラとロキ、ハオは両手にそれぞれ籠を下げて歩き出す。
「皆凄いな」
「え、何が?」
 振り返るロキにハオは笑う。
「皆大変な想いをしてきているのに、ああやって、こうやって」
 ロキやサクラの籠を示す。
「まだ誰かのために頑張れる……凄いね、ロストナンバー達」
「……一人じゃないから、かな」
 ロキは去年のハロウィンのことを思い出す。あの時に作った地図に書き込んだ情報を元に、本の整理をしようとやってきた。もらった知恵の輪は未だ解けていないが、ラグナロクと名前をつけ、お守りとして常に持ち歩いている。あの時のお礼代わりを兼ねての片付け参加だが。
「一緒に過ごした時間があるから」
 繋がっている、いつかどこかでそれぞれに。


「……こりゃまた見事なまでに突き刺さってるな…」
 『フォーチュン・ブックス』近くに一行が来ると、黒豹の獣人が佇んで、建物の外観に感嘆していた。黒い背広、右目用の片眼鏡、金色の瞳は右目だけで、左目は機械仕掛けなのだろう、違和感のある輝きが日を跳ねる。
「周りを上手く片付けりゃ、根そのものはいいインテリアになりそうだがね……しかも、根を伝っていけばナラゴニア直行ときた、度胸がいるが」
 独り言のような呟きは、単なる感想というよりは後々の計画を夢想する、とも取れる。もちろん、彼が『盗賊探偵』であることは、ロキ達には想像しようがなかったが。
「凄い前衛芸術です。よくこのおうちを再利用しようと思いましたね…零世界と世界樹のマリアージュと言うかコラボと言うか…素敵です」
 立ち止まったサクラの感想に、相手はびくり、と体を震わせてこちらを振り返った。
「あなたも片付けに来てくれたんですか?」
 ハオの問いに、ちらちらメイド服のサクラの方を伺いながら頷く。
「瓦礫の撤去などは俺に任せてもらえばいい」
 黒豹の獣人はエク・シュヴァイスと名乗った。
「フェイが喜ぶでしょう……フェイ!」
 先に立って『フォーチュン・ブックス』に入ったハオは、あちらこちらでかんかん、どさどさ、ごしごしと響く物音に笑顔になる。
「ずいぶん来てくれたんだね」
「ああ、助かるよ」
 奥の隅からフェイが慌てたようにやってきた。
「ずいぶんあるな?」
「ロキさんとサクラさんも手伝ってくれたんだよ。どこへ置こう?」
 ああ、それから、彼はエク・シュヴァイス。
「瓦礫撤去を手伝ってくれるって」
 ハオの紹介に、エクはフェイに手を差し出して握手した。
「ギアの手袋の効果で重い物は持てるし、エクストラポケットに入れてしまえば取り除くのも簡単です」
 上着を軽く叩いてみせる。
「必要な物や取り除いて欲しくない物は事前に教えて下さい。ポケットに入れたら外からは見えないから、知らずに捨ててしまうかもしれない」
「もちろんだ、こっちに積み上げてある」
 奥へエクを案内するフェイの後から、サクラと一緒に差し入れを運び込んだロキは、フェイが向かい合っていた人物に気づく。
「リーリス…」
 それなりに会釈をして通り過ぎるが、無邪気に手を振る相手に釈然としないものを感じる。側を通り抜けていく着物の女性が、何か言いたげにロキとリーリスを見やって、するすると階段を上がっていく。
「で…ここが終わったら」
 フェイが戻ってきて、エクに二階を示した。
「二階にもまだ残ってるんだが…ほんとに大丈夫か?」
「ああ、任せて下さい」
 エクは頷く。探偵の仕事とはかけ離れているが、リーダーが確か幻想的な画集が好きだった。何冊か開くものがあるなら、報酬としてもらっておくつもりだ。
「ところで………一階の店は見事なまでに壊れていますが、再開店の目処はあるのですか? 人伝にいい店だと聞いていたので、このまま閉店って話になってしまうのは惜しいと思いまして」
「嬉しいねえ」
 フェイが笑み綻んだ。右目眼帯を思わせない明るさだ。
「大丈夫だ、これだけ手伝ってもらったのなら、開店しなくちゃ意味がねえよな?」
「疲れた人にはお茶があるって伝えて下さい」
 ハオがサクラの手を借りて、奥にミニ・カフェを準備する。ちょうどそこへやってきたのは、リエ・フーだ。
「一緒に茶ァしていいかい」
「ああ、リエさん、お久しぶりです、ええ、どうぞこちらへ」
 ハオは笑みを広げて誘った。
 そのリエの背後から、紫色の髪で赤い瞳の猫背気味の男がそろりと覗き込む。前髪が長く、左目がちらちらと見える無精髭の顔は人当たりのいい笑顔に緩んでいる。
「あんのぉー」
 こちらで本の整理をやってくれる人間を探してるって張り紙があったけどぉ。
 まったりした柔らかな口調で確認してきたのはアラクネだ。
「ああここだよ、もしよければ手伝ってくれ」
「それで、開けた本なら持って帰ってもいいって」
「それも縁だからな」
 フェイは笑いながらアラクネを手で招いた。
「どんどんやってってくれ」


 どうもひっかかる。
 ロキはリーリスの姿を横目で見やる。
 さっきロキ達が着いたとき、フェイはなぜかリーリスとじっと向き合っていたようだった。これほどどたばたがたがたしているのに、店主のフェイが突っ立っていただけとは思えない。現に、今は瓦礫を集めてエクの所に運んだり、二階へ上がりながら階段のゴミを集めたり、ハオと話し込んでいるリエを気がかりそうに眺めたり、アラクネと話し込んだりしている。
 一方のリーリスは確かに片付けにかかっているようだが、一階の隅に散らばっている本を少しずつ集めている程度、確かに幼い少女だから、それぐらいしか力になれないと言えばそうなのだが、時々妙な視線でフェイの動きを見ているのが、どうも気になる。
 だが、ロキもいつまでも一階でぐだぐだしているわけにもいかない。二階三階では片付けにまだまだかかりそうだ。料理に関して、最近は和食の勉強もしたいと思っているし、そのレシピなどにもあたりたい。
「ちょっと二階へ行ってくる」
「わかりましたっ。ばっちりおもてなしいたしますっ」
「…ほどほどにな」
 うっふん、と唇を突き出してみせたサクラに苦笑しつつ、階段を上がる。サクラの隣では、
「こんな感じかな……お茶を淹れるのは君の方がプロだよね」
 首を傾げるハオに、まあまあだな、と笑みを返し、リエは口調を変える。
「ハオ、聞いたぜ」
「え?」
「てめえもダチをなくしたって」
「……そうだね」
 他に客が増えそうにないのに、ハオは小さく息を吐いて、リエの前に腰を降ろす。
「どんな奴だったんだ? 話したらちょっとは胸が軽くなるかもしれねーぜ」
 そっけない、けれど突き放しはしないリエの声にハオは僅かに目を伏せる。
「……よく、覚えていないんだ」
 インヤンガイで保護されて、ターミナルに連れてこられた。それまで、インヤンガイでハオの面倒を見てくれていたと聞いた。
「連れてこられた時、かなりややこしいことがあったらしくて、無理矢理引きはがすような形になってしまった、ってフェイが話してくれた」
 僕もターミナルに来てから、何人もロストナンバーが保護されるのを見てきたし、報告書にも目を通した。
「僕自身の報告書、にも」
 それでも、その出来事が記憶に戻ってくることはなかった。
「フォン、って言うんだ」
 噛み締めるように口にする。
「フォンのこと…フォンがどうなったのかも、別の報告書で読んだ」
 誰が悪いってことじゃないとわかってる。どこをどうすれば、誰も傷つかなかったかって言えば、そんなことはなかった、とわかってる。
「ただ…フォンの気持ちが、フォンが僕を大事にしてくれたことが、フォンの幸せに繋がらなかった……それが」
 ハオは顔を伏せる。前髪に表情が隠される。
「今も辛くて苦しいよ。フェイは俺を憎めばいいって言うけど、憎めるわけがない。フォンのことだって憎めない。報告書では何がどうなったのか書かれているけど、僕の中にあるのは、僕が覚えているのは…」
 限りなく、優しい、誰かの笑顔、だけだ。
「だから……それを、守りたいって、思う。今も、これからも」
 ぎりっ、と普段のハオから想像もできない激しさで歯が食いしばられて鳴る音がした。
「誰が、正しいとか、そういうんじゃ、なくて」
 僕は生きていることを望まれた。
「だから、僕に、できるのは、もらったものを、なくさないように頑張る、それだけだよ」
「……」
 リエはこくり、と茶を飲んだ。
「俺にもダチがいたんだ。グレイズ・トッド……あいつはそう思っちゃなかったみてえだが」
 ほぅ、と吐いた自分の息がいつもより湿っている気がする。
「覚醒してからこっち、周りにいた奴は皆死んじまった。お袋も育ての親もダチも
皮肉な話、生き残ってんのは俺だけだ………長生きするつもりはなかったんだがな、これっぽっちも」
 それはハオのことばを反転するような台詞、静かにハオが顔を上げる。どんな表情をしているのか、リエには今見る勇気がない。
「あいつと俺は似てる。ほっとけねえのはそれもある。でもそれだけじゃねえ………もう何もできずダチをなくすのはごめんだ、どいつもこいつも俺を何だと思ってやがる、たまにゃ見送る側の気持ちになってみろ!」
 がん、とテーブルを叩けばよかったのだろう。詰った気持ちをどこかにぶつければ。だが、ののしりのことばは吐き出した側から切なく煌めく。
 俺を何だと思ってやがる。
 喜びも悲しみも、愛おしさも憎しみも、全ては時が流し去っていってしまう、ただリエ・フー一人を置き去りにして。
「……いい加減しみったれた過去とも決別しねえとな」
 鈴の音色が耳の奥に響く。ハオの顔を見ないまま、立ち上がって、かなり片付いた階段をゆっくり屋上へ上がっていく。


 口を開ける。
 口を閉じる。
 何度か繰り返す。
 最後まで傍に居なかった自分がいつまでも悲しがるのは違うんじゃないかと思う。
 告白しなかったら最後まで相談相手になれたかと言えば…役不足だったろう。
 その程度には客観的に突き放して考えられるようになった。
 健は静かに空を見上げる。
 冗談のように浮かんだ世界樹。
 少しだけ視界から外して、青い空だけ見上げる。
「…あーあ。生きてるってこんなもんなのかなぁ」
 背伸びして深呼吸して下に降りる。
 入れ違いにやってきたのはリエ。
 どこか細く見える背中を肩越しに見やる。
 あれだけぶっ飛んでる奴でも、堪え切れないものがあるのか。
 階段を下りる。
 一歩ずつ。
 フェイに渡したグリューワインが脳裏を掠める。
 同居祝いのプレゼント? 
 本当は、嘘だ。
 クリスマスを楽しみたくて買っていったと聞いたから買った。
 眺めたけど、開けられなかったから持ってきた。
 言えないことが少しずつ増えていく。
 人知れず奥歯を噛みしめる機会が増えた。
 これが大人になるってことかもしれない。
 ターミナルに来た頃よりも、健には苦みを帯びた記憶が増えた。


 ジューンは手際良く片付けていく。
 二十八号が倒れた本棚をあらかた元に戻してくれた。次は三階ですね、と上がっていった彼に頷き、床の邪魔にならない所にビニールシートを敷く。三階には黒豹獣人のエクと、アラクネが上がっているはずだ。
 本棚の汚れを固く絞った雑巾で拭き取り、すぐ乾いた雑巾で拭く。同じように本の外側の汚れた部分を拭い、すぐ乾いた雑巾で丁寧に湿気を取る。しみ込みそうな類はブラシで擦ったり布で叩いたりして、埃を落とし、綺麗にした本をビニールシートの上に置く。
 途中で手にした一冊の本を開いた。緑と赤の布貼りの表紙、刻印された文字は何とか読める、ということは、ジューンの記憶媒体の中にある文字なのだろう。
「これは楽しいですね」
 魔術書の類なのだろうが、子ども向きなのか、部屋の中に雪や氷の山々の幻を出現させる内容が童話のように書かれている。ジューンは素早く全ページを繰って記憶し、本棚に片付ける。確か三階は異世界についての本があると聞いた。二階の片付けが済んだら確認しに行こう。
「わたしにまじないの書などは、理解できると思えない……でも料理の書なら…皆さんのお役にも立てられる…?」
 ほのかは破片や埃を被った棚、床をジューンと一緒に掃除している。綺麗にした本を順々に本棚に詰めながら、時折中身を開いて見ている。
 二階には異世界料理の本もある。見たことのない食材が表紙に描かれているものは、なかなか開かないが、覚えのある食材に似たものが描かれている幾冊かはすぐに開いた。
「煮物……焼き物」
 このあたりはよく慣れたものだ。
「こういう工夫もあるのね…」
「煮炊きものはおいしいんだけどなあ」
 すぐ隣で、同じように本を片付けけながら開いていたロキが、しみじみと中身を眺めつつ、溜め息まじりに呟いた。
「しみ込み加減で全然おいしさが違うからなあ」
 困惑の響きを聞き取ってほのかは振り向く。
「和食に興味があるの…?」
「一度きちんと勉強したいんですよね」
 ロキは苦笑した。
「ヘルが好きだから、ついついお菓子ばかりが上手くなって」
「煮物は簡単よ」
 ほのかは微笑んだ。若い男の子が煮炊きものの出来に悩むのが可愛らしい。
「最後の最後まで煮るのではなくて、少し手前で火を止めるの」
「ひょっとして、和食得意ですか?」
 ロキは思わず尋ねた。
「え、ええ」
「もしよかったら教えてもらえませんか?」
「……わたしで良ければ」
「やった!」
 思わぬところで教師を得た、と喜んだロキは、視界の端をリエが掠めたのにはっとする。何だか珍しく思い詰めた顔で、どんどん上に上がっていくようだ。
 ひょっとして今一階は、フェイとリーリスだけだろうか。
 降りようか、と悩んだ矢先、入れ替わるようにばたばたと健が降りていくのが見えた。
 何だか今はフェイをリーリスと二人にしちゃいけないような気がする。少しほっとしていると、ほのかがどんどん片付けの済む二階に、大丈夫だろうと思ったのだろう、ロキを振り向いた。
「ちょっと一階に下りてきていいでしょうか」
「では、私も」
 聞きつけたジューンがビニールシートの上の一塊を片付けて立ち上がる。気がつけば、周囲の棚は9割方片付けられている。いつの間にか、ロンのベッドも、載っていた木屑などが掃除され、新しいシーツでベッドメイキングされているようだ。
「皆さんにお茶を配りたいと思うのですが」
 ああ、それはいいかもな、とロキは微笑んだ。ジューンの認識力を始めとする並外れた能力は、よく知っている。
「じゃあ俺はもう少し、このあたりの残った本を片付けてるよ」
 安心して、新しい料理の本を開く。ぶわんっ、と不思議な音とともに現れた陶器の器の中を覗き込む。出汁のいい香り、しいたけと高野豆腐と人参と里芋、三度豆の鮮やかな色に心が躍る。
「さつまいものきんとんもおいしいよな、栗の甘露煮もいれて」
 ヘルが嬉しそうに隣から覗く。


「ぼうやは下がって休憩してな」
「んー、そうさなぁ、それじゃ頼むかあ」
 ぼうや扱いはいささか不本意ではあるが、エクの仕事ぶりは手早く有能だ。アラクネは少し引き下がって壁にもたれて座り、積まれた本をぱらぱらと捲っていく。
 本棚の埃と汚れは、さっき上がってきたピンクの髪の女性が綺麗にしていった。それを手伝っていた二十八号は、今は開けることができた本を丹念に読み込んでいるようだ。時々感服したような溜め息が漏れる。
 分野別に分け、大きさ別に分け、ファイルはファイルでまとめて、とエクは書店員のような滑らかさで整理をしていく。余分な瓦礫はさっさと【エクストラポケット】とかに片付けたらしい。時折、画集のようなものを開けようと試しては、開いた数冊を別に置いている。
「こういうので機嫌を取っておかないと、いつまで経っても俺へのツケを返してくれねぇからな」
 ぼそりと呟いた顔はやれやれといった表情だが、それほど不愉快そうでもない。数冊をよけて、ふと気づいたようにアラクネを見やった。
「本にはあまり興味がないのか」
「いんやぁ」
 尋ねられてアラクネは首を振った。
「しかし、不思議な文字だなあ」
「そうだな。さすが異世界のものを集めたというだけある」
 エクが今開いた本から白い煙が立ち上がって、ぎょっとした顔で慌てて閉じるのを横目に、アラクネは次の一冊を開いてみる。赤い表紙、四方に銀色の金属が鋲で止めてあり、開かないのかと思いきや、がっそん、と埃を舞わせて開いた。
「んっ、ふ」
 ちょっと咳き込みかけながら、それでも開いたページの見たことのない文字や図形に見とれる。何が書いてあるのか想像するのも楽しいが、こうして眺めているだけでも、特別な紋様が描かれた布地のようにも見えてくる。ページを捲ると、次は薄青く染まった紙に繊細な絵柄が描かれている。文字の掠れ方さえ計算づくのような細かな描写、顔を近づけてみると、微かにインクの匂いがするようだ。
 アタクネの様子をしばらく眺めていたのだろう、エクが苦笑した。
「楽しそうだな」
「そうだなぁ。こうして開く手触りとかほこりっぽい匂いとか」
 懐かしいようなひどく親しいような。
「そういうのが何もかんも好きだなあ」
 新しく開いた本にはぎっしりと文字が描かれている。遠目から見ると、ねじくれた樹木の姿にも見える文字群に、ふいと視線を上げる。
 うねりくねった世界樹の根は一階からここ三階まで見事に貫いていて、もう家なのか森の中なのか不明、いやむしろ、森の中に作った秘密基地の様相を呈しているが、いっそ、この樹木を中心に据えて、家を造り直すのもありかもしれない、そう思った。階段は別に作り、樹木を本棚商品棚にするのもまた面白いのではないか。
「話してみるかなぁ」
 あの店主なら面白がりそうだ。
 

「じゃあ、これはこっちだよな」
「ああ、そっちを持ってくれ」
 よいしょ、と健はフェイと一緒に家具を持ち上げる。こんな重いローテーブルが吹っ飛ぶぐらいだ、根が突っ込んだのはずいぶんな衝撃だったんだろう。
「力仕事なら任せろよ。得意だぜ、こういうの。アリッサも0世界大祭やってくれたけどさ、ここも何かやるんだろ? もうすぐクリスマスだし、労働力はイベントで返して貰えると期待してるぜ?」
 明るく言い放ったつもりだが、
「…健?」
 フェイが訝しげに問いかけてきた。
「何だ?」
 素知らぬ顔で尋ね返す。
「どうした?」
 自分でもわかっている。フェイの顔を見ていない。
 いつかの枯れ木の桜の時に、まっすぐにぶつけた感情が、今は重く抱えづらくなっているのを意識している。
 ふ、と笑った。
「…気のせいだろ?」
「そうか? 何かあったんじゃないのか?」
 フェイが片付けの手を止めた。こちらの顔を覗き込んでいるのがわかる。
 その眼帯の顔を、ことさらきっちり見返した。
「クリスマスプレゼントでもくれるか?」
「…欲しいならやるぞ」
「プレゼントなら彼女が欲しいね…くれるのか?」
 冗談なのに、冗談の声じゃない。
 笑いながら嘯いたのに、フェイは笑わない。
「健」
「ここは笑うとこだ、フェイ」
「俺は」
「大人なら笑えよ」
 だだをこねている。
「笑えよ、フェイ」
 理不尽で行き場がなくて、どこまでいっても足りない自分の存在を。どうしたら慰められるかと聞かれたらきっとぶん殴るに決まっているが。
「わかった、笑ってやる」
「おう」
「その代わり、ミニスカサンタになれ」
「はあ?」
 俺が、ミニスカサンタ?
「それって、フェイ…」
 わかって言ってるのか、この男は。その格好が、重ならない訳がないだろう。
「笑えねえぞ」
「わかった。俺がミニスカサンタをやる」
 目の前の男が生真面目に応じて、口を開いた。
 なんじゃそりゃ。このむさい、眼帯のおっさんがミニスカサンタ?
「ミニスカサンタも終わりだな、あんたがやるようじゃ地に堕ちた」
「そうか、結構可愛いと思うぞ」
 世界を取り戻すために頑張るヒーローの姿じゃねえか。
 重なった。
「…っ」
 いきなり溢れた涙が何なのか、健にはわからない。
 ただ。
『終わるために始めるんじゃない。取り戻すために始めようぜ。世界を守りたくて探偵になった、あいつ自身をさ』
 いつか自分の放ったことばは、これほど苦いものだったのか、と思った。


「少し厨をお貸し戴ける…? 葛湯を作りたいの…疲弊した体にも優しいから」
 優しく声をかけられて、ハオは振り返る。ほのかが控えめに立っている。
「え、ええ、どうぞ」
 その隣から、さすがに埃に塗れた感じのジューンが、衣服を整えつつ、首を傾げる。
「お久しぶりです、ハオ様。忙しくてここまで降りてこられない方々にお茶を配ってこようと思いました。淹れさせていただいても宜しいでしょうか」
 ピンクの瞳はいつも真摯だ、人であろうとなかろうと、その真摯さにハオは微笑む。
「ありがとう、もちろんどうぞ」
 二人の女性に一階奥の厨房を譲って、ハオはフェイと健を見やる。
 飲み物を入れていった方がいいものかどうか。難しい話のようだし、健が珍しく苛立っている。あれほど明るくやってきたのに、一体何があったのだろう。
「屋上で何か叫んできたのかな…」
 それとも、叫びたくても叫び切れなかったから、ああしてフェイと話しているのだろうか。
 そういえば、リエも上がったきりだ。
「では、頂いて参ります」
 淹れたお茶をタンブラーに詰め、ジューンが再び階段を上っていく。疲れを見せない、それは当たり前かもしれないけれど、メイド服の袖口が汚れている。あれは帰る前にきちんと払って送り出そう、とハオは思う。
「皆さんお疲れ様…大した物ではないけれど、宜しければ…召し上がって頂戴」
 やってきたほのかが、こっくりとした茶色の器に入れた葛湯をそっと配り出した。すりおろし生姜ときび砂糖の葛湯、酸味と苦味とまろやかな甘さの柚子と蜂蜜の葛湯、葛湯を入れた器を冷水で冷やし少し固めた、黒蜜葛はきな粉をかけて、と工夫を凝らし、それぞれの手元に届けていく。
 フェイの前で俯いている健の前にも黒蜜葛をそっと置くと、掠れた声でありがとう、と返事が戻る。
 ああ、おいしい。あったまるなあ。何だか疲れがとれるねえ。
 上がる声に微笑んで、ほのかは静かにハオを振り向いた。
「…わたしの故郷でも、戦はあったの。幸い、村が戦火で焼かれた事は無かったけれど、租税は重くなり…男は人足として徴兵され、人手も失い……」
 語り出す口調は淡い。遠く彼方に過ぎた時間を思い出す。
「兵の通り道ならば、様々な物が接収された……理不尽な仕打ちは、敵から与えられるものばかりではない…身を縮こまらせ、嵐が過ぎるのを待つ…わたしにとって戦は…そう言うものだった」
 語る声は憂いと哀しみに満ちた。
 そうだ、戦争におそらく、正義などない。
「だから、旅団がここへ攻めて来た時…わたし、何もしなかったの。傷付く事だけは無いから、見掛けた幼子の盾になった位かしら…」
 手拭いをそっと取る。はらりと解けた黒髪を、そっと耳にかけた横顔が、寂しそうで儚げだ。
「戦が一収束したと知り、我に返って…列車には乗ったのだけど…恥ずかしい、話よね…」
「恥ずかしいことなんて、どこにもない」
 ハオはぼそりと応じた。
「恥ずかしいことがもし、あるとしたら」
 戦争をなかったことにしようとする感覚だと思います。
 ほのかが静かに顔を上げる。
 屋上から微かな歌声が聞こえてくるような気がする。
「僕は、フェイがこの世界樹の根を残そうとしたのがわかる」
 それはもう、起こってしまったことだから。
 起こってしまった時間もまた、僕達の生きている時間の一つだから。
 たとえば、こうして、元の世界から切り離されて、ターミナルで体を寄せあって暮らしていることさえも。
「みっともなくて、かっこわるくて、正義の味方なんかどこにもいなくて、それでも何とか生き延びて、今こうしてこれから先も生きていこうとしている、その毎日が、どれほど貴重なものだか、僕達はもう知っているんだ」
 僕の命が生きていていいものかどうか、僕は未だにわからなくなるけど。
「でも、僕に生きてほしいと望んだ人が居るんだから」
 僕はその人の記憶込みで生きていたいと思う。
 すん、とサクラが鼻を啜り上げる。


 屋上で、リエは母親の形見の鈴を捨てようとした。
 振り上げて、叩き付けて壊そうとして、結局できずにそのままで。
「く、そっ!」
 殴りつける、無力感と悔しさで。
「俺はいつも手遅れだった、誰も救えずじまいだった」
 誰もいないからこそ吐ける後悔。
「だから、てめえだけは……」
 あのリエが、こんなふうに呻くなんて、仲間が聞いたら腰を抜かしたはずだ。
「勝手な感傷だって嗤え、迷惑だって知ってるさ、でも譲れねえもんがあるんだよ!」
 フライトジャケットのポケットから、しまい込んできた菊を一輪、蒼く冴えた虚空に向けて投げる。
 風が弱くて遠くへ運んでくれはしない、けれどねじくれた根が再び地中に突き刺さる部位よりは遠くに、菊は日差しに花弁を煌めかせながら落ちていく。
 菊は思い出の花。
「これが俺の弔いの仕方だ」
 目を閉じる。
 生き別れ死に別れた仲間の顔を思い出す。
 口を突くのは、母親の十八番の子夜呉歌。
「長安一片月
 萬戸擣衣聲…」
 長安の空に冴える一片の月、全ての家々から響いてくる砧の音。
 秋風は吹き止まない……すべてあなたを思わせるばかり。
 いつになれば、あなたは遠い戦から帰ってくるのだろう。
 それは、遠く離れた戦場の夫を慕って孤閨を守る妻の歌だ。
「今の状況にぴったり……なんてな」
 リエは目を開き、遠い相手に問いかける。
 聞こえてるか。
 最高の皮肉だろ?
「……ふ…っ」
 息を吐き、思い切り深呼吸して、体中に空気を溜め込む。口を開いた声の先、冷ややかな視線を垣間みる。
「……グレイズの、馬鹿野郎ーーーーーっ!」
 叫んだリエはそのまままっすぐ、遥か高く、遠ざかるばかりの空を見上げた。 

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございました。
まったりのんびり、時々ストレス発散というよりは、もっと心情よりになってしまいました。
皆様のお心に、新たな生活へ歩み出す準備、明日への希望という『小さな灯』はともりましたでしょうか。

おかげさまで片付けが無事済み、ご存知の通り、『フォーチュン・ブックス』にてイベントを開催しております。
皆様のプレイングの方向はまことにいろいろで、全てを生かしたいと思って、その全てを繋ぐ糸を必死に探しておりました。うまく繋げたかどうか、非常に心配なのですが、これでまた一つ終わったな、という感じを持って頂けたら幸いです。


またのご縁をお待ちいたしております。
公開日時2012-12-18(火) 00:00

 

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