永遠とも思える距離を遠くやってきた。 どこまで行っても、そこには多種多様な植物が繁茂し、旺盛な生命力を見せている。 しかし、それだけだ。 生命の息吹と喜びに満ち満ちた濃厚な緑の気配以外、ここには何もない。 否、植物たちが繁栄を享受する果てなき楽園、それこそがこの樹海の本領であるのかもしれない。 「見事なほど何もないな……緑以外は、だが。ゼロ殿は、かような遠くまで探索に来られたか」 ゲールハルト・ブルグヴィンケルは、進む先も来た道もすべてが緑、という樹海のただ中で、いっそ感心したように周囲の様子を伺っている。 「濃厚な緑気……生命の成り立ちと世界の精製……興味深い場所ではあるが」 現状、はた迷惑な属性を持ってはいても、世界の根源をなす魔女の血を持つゲールハルトである。この、エネルギッシュにして不可解、不可解にして躍動的な場所への興味は尽きないらしい。 「はいなのです」 シーアールシー ゼロはうなずき、自分たちの進んできた道を遥かに見やった。 そこは何の変哲もない緑、そして進む先もまた。 「ゼロは樹海に果てがないか見てみたかったのですが、残念ながらそれは存在しないということがほぼ実証されてしまったのです」 「ほほう、それは残念だ」 「はいなのです。樹海から何百光年も離れた場所から、緑の大地を俯瞰しつつ、ターミナルの過去やあまたの世界の変遷に思いなど馳せられればいいと思っていたのです。しかし、真実、果てが存在しないのか、それとも果てを求めると発生する事象が存在するのか、ゼロは極限の地へ辿り着くことが出来なかったのです」 しかしながら、今回において、ゼロの目的はそれではない。 そもそもこの、誰ひとり魅了されないが誰もが美しいと認識してしまう窮極理不尽美少女は、己の目的が果たされなかったから、成功できなかったからと言って落胆するようなタイプではない。 世界のすべてに安寧があればいい、という根本を持つゼロの探究姿勢は淡々としているが、同時に、彼女の探究心に終わりというものはなく、ゼロに諦めるという文字はない。 「世界にはさまざまな驚きが満ちているのです。それらをひとつひとつ知ってゆくことは、世界に安寧をもたらすための大切な準備とも言えるのです」 ゼロは、時間の概念を超越した存在である。 有限を理解できないわけではないが、有限ゆえの焦りもない。 ただ、いつか、世界のすべてがモフトピアのような安寧で満ちるように、との願いから、彼女は世界を歩き続けるのだ。 「さて……それでは?」 「はいなのです。師匠、しばしのおつきあいをお願いするのです」 ぺこり、と愛らしく頭を下げると、ゲールハルトが重々しくうなずいた。 それと同時に、ゼロは巨大化を始める。 * ゼロが彩音茶房『エル・エウレカ』を訪れたとき、ゲールハルトはいつものように給仕の真っ最中だった。 残念ながら本日は魔女ッ娘衣装ではなく――それを『残念ながら』と表現できるのはおそらくゼロだけだ――いつもの、ノーブルな出で立ちと所作でもって、完璧な給仕を展開していた。 といっても、いつなんどき例のビカァが発生するか、神にすら判らぬのが今の『エル・エウレカ』だったので、男性客の大半は戦々恐々としていたが。 「いかがされた、ゼロ殿。私に、なんぞお手伝いすることは可能だろうか?」 給仕を終えたゲールハルトに声をかけると、ゼロの言わんとするところを察したか、そう尋ねられた。 ゼロは小さく頷き、筋骨たくましい魔女の男を見上げる。 「会うは別れの始め、だそうなのです。だから、互いが会えるうちに、出来ることをしておくのだと。そしてこの試練もそのひとつだそうなのです」 ゼロはこれまで、この魔女ッ(漢の)娘おっさんことゲールハルトに師事し、さまざまな魔法を会得してきた。 たとえそれが砂粒に文字を刻む魔法であったり、髪の毛を一ミクロン伸ばす魔法であったり、墨の濃度を1%上昇させる魔法であったり、果ては小鳥の囀りのトーンを0.01%高くする魔法や、風呂湯を0.05度熱くする魔法であったとしても、ゼロにとっては大いなる進歩である。 ゆえに、ゼロはゲールハルトを師匠と呼び、更なる研鑽を重ねてきたのだった。 そして、ゼロが今回ゲールハルトを尋ねたのもまた、その一環だ。 否、集大成、と言うべきなのかもしれない。 「そうか……」 彼女の言葉に、ゲールハルトは感じ入ったように唸った。 「受け取られたか、『彼』からの言葉を」 「はいなのです。いよいよ、この時が来た……と」 「あい判った。では?」 「樹海の、奥の奥。あの場所こそ相応しいとゼロは思うのです。師匠に同行をお願いしても構わないのです?」 「無論。ゼロ殿の進歩と成長を見守るは我が歓びなれば」 話はすぐにまとまった。 ふたりは、準備もそこそこに、“約束の地”へと向かうこととなる。 * そしてついに、『彼』がその全貌を現す。 「おお……これが。なんという威容、なんという力強さ……!」 何が起きても問題ないよう、ターミナルからはるか遠くでそれは行われた。 大規模な破壊や崩壊が起きることを想定し、樹海の植物は引きはがして、絶対に安全なゼロのポケットへと仕舞い込んだ。 『何もない』場所で、魔女の衣装を身にまとったふたりが、次に行ったのは、『エル・エウレカ』で用立ててもらった南瓜を積み上げることだった。 中をくりぬかれ、異様にリアルかつおどろおどろしいカッティングをされた黄色い大南瓜は、積み上げられるごとに威圧感を増した。次に、深紅の『ペンキ』で“力ある文字”を書き付けた幾つものオレンジ南瓜を、十メートルもの高さに積み上げた。その周囲には髑髏や蝋燭、傍から見ればおどろおどろしいの一言に尽きるだろう呪具を飾りつけてある。 その前に並んで佇み、南瓜タワーを見上げる。 ――合図は必要なかった。 最初のステップはふたり同時だった。 たくましく鍛えられた肉体を包む、破壊力抜群の魔女ッ娘衣装は、「今日は最良の日」というコンセプトなのか、少々裾の長い、どことなく婚礼の日のドレスを髣髴とさせるデザインになっていて、ツッコミ属性のものがいればおそらく全力で、声がかれるまで裏拳を放ち続けただろう。ゼロだけであれば確実に感嘆するだけで済んだものを。 その魔女ッ娘おっさんと、誰もが窮極と認識できる超絶美形なのになぜかピクリともときめかないという理不尽かつ不条理な外見をしたゼロが、飛び跳ね、回転し、ターンをキめ、激しくもキレのある動きでダンスを繰り広げる、シュール極まりない光景である。 傍から見れば、山と積まれたカボチャの塔の前で、女装したおっさんと美形なのに地味、地味なのに美形な少女が激しいブレイクダンスを展開しているようにしか見えない。 ツッコミ属性のものがいれば以下略、である。 しかし、そこに絶大なエネルギーと何がしかの祈りのようなものを感じたかもしれない。 ダンスは白熱してゆき、ふたりの動きはますます激しくなってゆく。大地を踏みしめ、髪を空に舞わせて踊るふたりの額を汗がきらきらと彩る。眼にはあまり優しくないが、それは一種、芸術的でもあった。 アーティスティックなダンスに、何かが宿ったのだろうか。 おどろおどろしい南瓜タワー、この場においては祭壇とも言えるそれが、天辺からぐらぐらと揺れ始めるのはそのしばらくあとだ。 ふたりはそれを気にも留めず、一心不乱に踊っている。 ふわりと舞い上がった魔女ッ娘衣装の裾からたくましい太ももがチラリして、ツッコミ属性のものがいれば、吐血切腹の流れにいたったかもしれないが、残念ながらこの場にそんな便利スキルを持ったものはいない。 その間にも、振動は激しさを増してゆき、ついに南瓜がひとつ、天辺から転がり落ちた。 そうなると、もう、止まらない。 ずずううううううううんんん。 重々しい音を立て、南瓜タワーが崩壊してゆく。 そして、崩れゆく南瓜タワーから、『彼』がゆっくりと身を起こす。 「悪魔カボチャ王さん、なのです……?」 身の丈は二メートルばかり。 重厚なローブに身を包む、威風堂々たる巨漢であるが、その頭部は、どこか艶やかな深紅に輝くカボチャのかたちをしている。カボチャにはハロウィンを髣髴とさせるカッティングが施されているが、それは道行く無邪気な子どもであれば膀胱が決壊しかねないような、やたらリアルな代物なのだった。 ゼロの問いに、カボチャの偉丈夫が重々しく頷く。 「感無量なのです。ついに、最後の試練へと至ることが出来たのです」 「うむ……お見事である、ゼロ殿……! そして冒頭の、ゲールハルトの台詞へとつながるわけである。 「師匠、少し離れていてほしいのです。これは、ゼロと悪魔カボチャ王さんの戦い、そして語らいなのです」 そう、ゼロは、これまでの集大成として悪魔カボチャ王を召喚し、対決することを望んだのだ。 それが果たされた今、ゼロがなすべきことは、かの王と戦い、何かを得ることだった。 悪魔カボチャ王は、静謐ではあるが決して友好的ではない雰囲気を保ちながら、ゼロを真っ向から見据えている――ただしくりぬかれたカボチャの眼窩が本当の眼なのかは不明だ――。 「うむ。くれぐれも、気を付けられよ。慢心は、真理を極めた賢者すら、容易く地へ落とすと聞く」 「はいなのです」 ゲールハルトが離れると同時に、王がスッと手を掲げる。 黒い手袋に覆われた大きな手だ。 そう思った瞬間、王の周辺に巨大な火球が複数、出現した。 ワームの一体や二体、容易く消し飛びそうな火球である。それが、熱波を放ち、ぐるぐると回転し絡まり合いながらおそろしい勢いで飛来する。飲み込まれれば、ただでは済まないであろう、壮絶な魔力を感じさせる一撃だった。 しかしながら、ゼロは、こと防御においてはチート属性を持っている。 彼女は蟻一匹傷つけられない特性を持つが、同じく、いかなる攻撃も彼女を損なわせることはできない。 そんなわけで、火球は、ゼロへ肉薄すると、誰かに吸い取られでもしたかのようにしゅるるんと跡形もなく消えてしまった。 悪魔カボチャ王は、別段落胆する風情も見せず――といっても顔がカボチャなので表情が判るわけではないのだが――、次々と新たな、おそろしい力を解放し、ゼロへと差し向けた。 手をひとふりすると巨大な氷柱が無数に降り注いだ。 立てた人差し指で横一文字に線を引くと、すべてを喰らい尽くすブラックホールが発生した。 右足で軽く大地を踏み鳴らすと大地が沸騰した。 握った拳を開くと身の丈一メートルを超える肉食蜂が無数に発生してゼロへと群がった。 二本の指が宙を斬る仕草をすると真空の刃が発生し、辺りを空間ごと斬り裂いた。 両手が打ち鳴らされると樹海ごと飲み込んでしまうのではないかと錯覚する巨大なドラゴンの影がぐっとせり上がり、ゼロを一飲みにしようとした。 殷々と響く声が『光あれ』と告げると同時に、太陽よりもまぶしい、巨大な光球が突如出現し、何もかもを蒸発させようとすらした。 悪魔カボチャ王は、無窮の魔力でもって次々と“大いなる破壊”を解き放つ。 見た目はたいそう派手な戦いである。 神と見紛う強大な力を放つ悪魔カボチャ王と、それらをすべて、何ら脅威とは思っていない穏やかな表情で受け流すゼロ、まるで神代の対決のごとき戦いだ。 ――見た目だけは。 しかしながら、まことに遺憾ではあるものの、悪魔カボチャ王はゼロを傷つけられず、ゼロもまた悪魔カボチャ王にダメージを与えることができない。 要する、どこまで行ってもお互いに無傷である。 悪魔カボチャ王がそれに思い至ったのか、それとも最初からただの遊び程度の感覚であれらを放っていただけだったのか、 『汝、魔法の道を究めんと欲するか』 「はいなのです。ゼロは魔法の持つ可能性に魅了されているのです」 『ならば問おう。魔法とはなんであるか』 「魔法とは知の遊びなのです。そこには、深い真理が秘められているのです」 『魔法の秘訣をいかに心得るか』 「それは、三食しっかり食べて、よく眠ることなのです」 『では、うつくしい魔法に宿るものはなんだ?』 「紳士淑女がたわむれ遊ぶ庭園の夢のごとき、穏やかで平安な歓びなのです」 『ならば、魔法による破壊をいかに思う』 「強きもののもたらす暴虐は悲劇なのです。しかし、破壊のあとには再生があるのです……ならばそれは、希望をもはらんでいると言えるのです」 『では、南瓜と魔法の方程式について述べよ』 「それはとても簡単なのです。悪魔カボチャ王さんの操る魔法はとてつもなく強大だったのです。ということは、『カボチャ×魔法=窮極』の方程式が成り立つと言えるのです」 全体的にツッコミ過多な魔法問答である。 しかし、何度も言うが、残念ながらこの空間に、ツッコミなどという便利な――この場においてはストレスフルな、とも言える――スキルを持つものはいない。 滔々と、訥々と、よどみなく答えるゼロの文言を、後方で結界にて身を護りながら聴いているゲールハルトが、深い感嘆と共感を思わせる表情で、逐一頷いている。その眼差しには、慈愛さえあった。 『……よかろう』 また、悪魔カボチャ王から返った言葉にも、満足が感じられた。 『汝は、魔法について理解したいと欲し、そのために努力することを厭うことなく来たと見えるな』 「はいなのです。知ること、知識を溜めこむこと、そして溜め込んだ知識で実践を行うことは、とても楽しいことなのです」 『うむ、佳きことである!』 カッ! と、悪魔カボチャ王の眼――くりぬかれた眼窩部分――が爛々たる輝きを放った。 魔女化ビームの被害者たちなら、勘違いから悲鳴を上げてその場にうずくまりかねない代物だったが、 「これは……」 ゼロは目を瞠り、己が手の内を見やる。 そこには、 『この試練、汝は汝自身に打ち克ったと認めよう。汝の探究心、好奇心、真理を求める心に、幸いと歓びがあるように! これは餞別である!』 悪魔カボチャ王が祝福とともに言うとおり、目にも鮮やかな黄色のクリームでトッピングされたパイが、いつの間にか鎮座しているのだった。 以前、話題に上った激辛からしパイであろう。 常人はその場で毛穴という毛穴から液体を垂れ流しかねない破壊力を持つパイだが、『味』というものが感覚と直結していないゼロにとっては、悪魔カボチャ王がはなむけにそれを贈ってくれたことのほうが重大なので、特に問題ではない。 「さすがはゼロ殿……不肖ゲールハルト、よもやこのような感動的な場面に立ち会うことが出来ようとは……!」 結界を解き、彼女のもとへ駆けつけたゲールハルトは、感動のあまり男泣きに泣いている。 「ありがとう、ゼロ殿。憤りと絶望を抱いて覚醒し、佳き隣人のお陰でここまでやってきた。それを、今日のできごとはなおさら強く実感させてくれた……世界は、すべての艱難辛苦は、この日のために連なっていたのかもしれぬ……!」 ずいぶん話が大きくなっているが、当然、ゲールハルトは本気である。 ゼロは穏やかに首を振り、 「いいえ、これは師匠のお陰なのです。師匠との、たゆまぬ研鑽が、今日の勝利を与えてくれたのです……!」 「ゼロ殿!」 「師匠!」 いつものように、ゲールハルトと暑苦しい抱擁を交わすのだった。 誰が何と言おうと、そこには確かな敬意と友愛、歓びがある。 今日の、この日のことを、ゼロはきっと、忘れないだろう。 ――というちょっといい話はさておき、ターミナルに帰還してみたら、『エル・エウレカ』の甘味類がなぜかすべて激辛からしパイになっていて、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた、というのは、また別のお話である。
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