世界司書のシド・ビスタークより竜刻の回収依頼が出された。 竜刻のある場所に向い、探し出して回収する。言葉にすれば、ただそれだけで済んでしまうこと。 しかし、回収の障害となる存在が確認されていた。 今回の竜刻のある場所は、ヴォロスのとある地方にある古城。幾度の戦争の後に捨て置かれることになった所である。 その城は至る所に戦禍の爪痕が残っており、戦争での死者たちの無念が渦巻いているらしい。 元々はその無念を鎮めるために竜刻は準備された。しかし、儀式は失敗。逆に戦争の怨念を活性化させることへと繋がってしまったのだった。 儀式に参加した者たちはほぼ全滅。 どうにか生き残った者たちから得た証言によれば、儀式に参加した者たちは自分自身に殺されたという。 出現した「自分」の正体は、只々生に執着する無象の怨念。個としての意識は既に無く、儀式に立ち入った者の姿や能力を模倣し、原型を殺して「自分」と成り代わろうとしたらしい。 それ以降、竜刻の力を得ようとするならず者や国の調査団が乗り込むこともあったが、竜刻を持ち出すことに成功した者は誰一人としていなかった。 その竜刻に暴走の兆しが見えるということだった。「正直、放置しても構わないと思っている。暴走したところで古い城の一つが跡形も無く吹き飛ぶだけだ」 シドは導きの書に挟んでおいたチケットを取り出した。「予想される被害よりも、それを防ごうとする方がリスク高い。だから、好き好んで行きたがるヤツだけにチケットを渡してくれ。それと封印のタグも渡しておく。封印して回収するのが無理だと判断したら、破壊しろ」 そう言い終えたシドはヴォロス行きのチケットを差し出した。 そして、「呪われた城」と呼ばれる古城の前に、五人のロストナンバーが集まっていた。 シドよりチケットを手渡されたのは、玖郎。後ろに流した散切り髪は赤褐色であり、背には同色の二対の翼がある。膝から下は猛禽に似た鉤爪のある逞しい鳥足をした化生。 山伏に似た衣装を纏い、目元迄を覆う二重鉢金を身に付け、両手には爪付きの手甲を装備している。 そして、彼は集まった面々に語り出した。「他に世界司書から言われていた事がある。竜刻の暴走が近いゆえ、いかようにおのれが模倣されるか解らぬということだ」 それは、過去とは違い今暴走しつつある竜刻が引き起こす現象なので、報告されているような事例だけでは済まない可能性もあるということであった。 その話を聞いたうえでも、他の参加者たちにはそれぞれの思う処があるようであった。「自分と瓜二つの影となれば、わしにも覚えがある」 そう呟いたのは、ジョヴァンニ・コルレオーネ。ロマンスグレーの髪を品よく撫で付けた山羊のように柔和な風貌の老紳士であった。 上等な仕立ての三つ揃いのスーツにカシミアのコートを羽織る。そして、右目のモノクルが知的な印象を添えている。「気になるな。どんな自分が出てくるんだろう」 少し不安そうに呟いていたのは、ハルカ・ロータス。20代前半くらいの若者であり、左の目尻付近に蓮華のタトゥーがあった。 その耳には自らのESPを抑え込むためのピアスが沢山ついている。「自分に殺される言うんなら慣れとるし」 不思議なことを呟いたのは、森山 天童。香の焚き染められた女性柄の青い着物を一枚羽織った気だるい雰囲気を醸し出している優男であった。 その衣装の帯には葉団扇を差してあり、彼の左手の小指には、赤い紐が結ばれていた。「……おのれ、か」 言葉少なに何かを想っている様子なのは、コタロ・ムラタナ。灰と藤の中世風の軍服を身に付け、同色の首巻で口元を隠している。褪せた金髪は後ろで少量束ねられてあり、右耳には銀のイヤカフが鈍く光りを弾いている。 その顔に眉は無く、落ち窪んだ目の下には深いクマが刻まれている。ひょろりとした不健康そうな男であり、その双眸だけが不釣合いに蒼く輝いていた。「では、行くぞ」 誰からも城へ向うことについての反対意見がなかったことを受けて、玖郎は城へと足を進めた。 そして、それぞれはそれぞれの思いを胸に秘めたまま「呪われた城」へと足を踏み入れた。 一行は朽ち果てた廊下を通り抜け、城の中央に位置している広間へと辿り着いた。 その広間は、かつての栄光を偲ばせるようなものは何一つとしてなく、まさに廃墟となっていた。 広間の中央で足を止めた一行が、周囲の様子を確認しようとしたまさにその時。――玖郎の目の前が白く弾けた。「兄者」 ばさりと羽ばたきとともに声が降りてきた。「誰だ」 玖郎の目の前には、無数の羽根を散らして降り立った一人の青年がいた。 玖郎とほぼ変わらない巨躯であり、同じ匂いのする化生。その怜悧な金の瞳に猛禽を想わせる面差し。 後ろに流した散切り髪は黄褐色、黒みを帯びた黄褐色の二対の翼を背負い、膝から下は猛禽に似た鉤爪のある逞しい鳥足。 そして、その両手には鋭利な爪の付いた手甲をしている。「おれは、兄者が最初に仕留めた獲物だ」「そんな昔のことなどおぼえておらん」 玖郎はにべも無く切り捨てた。「兄者は、生きて何を成したいのだ?」 しかし、目の前の青年も動じることなく玖郎へと語り掛ける。「故郷のある世界にもどる」「戻って何を成すのだ?」「子を成す」「それはもうしているではないか。兄者には妻がいる。血を引く子もいる。さらに何を成すのだ?」 青年の問い掛けに玖郎が答えようとする前に、青年が言葉を続ける。「おのれの血を引く子を成したいならば、兄者でなくともできる。おれは兄者と同じ血を持っている。おれが妻を娶り子を成せば、兄者の血を引く子を残せる。これ以上何を成したいのだ?」 青年は不思議そうに首を傾げた。その姿は、巨体に似合わずとても稚くなく見える。「成したいことがないのであれば、おれと代われ」 青年の瞳に欲望が滲み出す。「生き物は他の利を侵すことで生き長らえる。生きるとは他の利を奪い、己の利を守ることの連続だ。それが偏らずに巡ることで世界は続いて行ける。兄者はそう思っているな?」 応じようとする玖郎の意志を、青年の言葉が押し潰すように圧し掛ってくる。「それならば、兄者は100年を生きたのだ。次は偏らぬよう、おれが100年を生きよう」 目の前の青年の放つ言霊が、玖郎の身を縛る。「心配は要らぬ。兄者の代わりに、兄者と同じ血を持つおれが子を成そう。それに、おれは兄者より強い。あの時、おれは兄者の首を折った」 玖郎は首に掛けられた鉤爪の感触を思い出していた。「もう十分だろう?」 青年の言葉が玖郎の心に食い込む。「次は、おれが兄者に代ろう。どちらかに偏らせぬために」――ジョヴァンニの目の前が白く弾けた。「ジョヴァンニ」 そう自分が声を掛けてきたように思えてしまった。「何だよ、そんな顔して。俺のこと、忘れたのか?」「そんなわけないじゃろう、兄さん」 ジョヴァンニの目の前には、若かりし頃の自分と同じ姿をしたただ一人の兄、ジャンカルロがいた。「ああ、そうだな。俺はジョヴァンニ・コルネオーネの兄、ジャンカルロだ」「これが竜刻の生み出す己自身なのか?」 自分の出現にも動揺することのないジョヴァンニを見て、ジャンカルロは不快そうに顔を顰めた。「何だよ、せっかくの再会だってのに。そんな事より、お前は俺に言わなきゃならないことがあるんじゃないのか?」「言わなきゃならないことじゃと?」 ジョヴァンニは訝しんだ。「その爺臭い喋り方は止めろよ、俺まで老けたみたいじゃないか。それとも何だ? 自慢してんのか? 自分は長生きしてます、俺みたいに早死にしてませんよって」「違う!」「そうそう違うだろ。お前はまず俺に謝罪しなくちゃ駄目だろう」「何を言っておるのじゃ、ジャンカルロ」「はあ? ジョヴァンニ、お前俺を殺したくせに悪いとも何とも思ってないのか?」 ジャンカルロの顔が憎しみに歪む。「ルクレツィアを奪い、組織を奪い、俺の命まで奪っておきながら、何とも思ってないのか?」「そんなことはない! わしは、兄さんとルクレツィアの幸せを願っていた!」 思わず叫んで否定したジョヴァンニの目の前で、ジャンカルロは腹を抱えて笑いだした。「何がおかしいのじゃ!」「これが笑わずにいられるかよ。あー、腹痛ぇ」 息切れを起こすほど笑ったジャンカルロは、目に浮かんだ涙を拭った。「お前が願っていたのはルクレツィアの幸せだけだろう? 俺のことなんか何とも思ってなかったくせにな」「それは違う。兄さんの命日には墓前に黒薔薇を捧げて祈り、その死を悼んできた」「ふん、俺を忘れてなかったってことか。ありがとうな、ジョヴァンニ」 ジャンカルロは嬉しそうに笑った。直後、その笑顔は憎悪に彩られた。「お前、解っててやったってことだな?」「な、何をじゃ?」「俺の幸せを願いながら、俺の事を覚えていながら、最期の最期にお前はルクレツィア、あいつの心まで手に入れたんだな」 ジャンカルロの口から憤怒と憎悪が言葉となって溢れ出る。「お前は、俺の幸せを願いながら、俺を想いながら、俺から本当に全部を奪ってくれたんだな。ありがとうよ! お前は全部知っててやったってことがはっきりと解った!」 溢れ出た憎悪はジョヴァンニの心を縛り、嫉妬はジョヴァンニの心を焼いた。「俺の幸せを願っていただと? ふざけるなよ! ルクレツィアと生涯を過ごし、娘まで作っておきながら、よくもそんなことが言えるな!」 ジャンカルロに応えようとしたジョヴァンニの意志は、ジャンカルロの憎悪に巻かれて焼け堕ちてしまう。「どうしてお前は生きてるんだ! お前が死んでいれば、俺とルクレツィアはお前の願い通りに幸せになっていたさ!」 ジャンカルロの目が、憤怒で爛々と輝いた。「でもまあ、いいさ。俺はお前の兄だからな。寛大な心で許してやるよ」 突然、ジャンカルロはその怒りを鎮めた。「俺に許して貰いたいだろう? いいよ、許してやるよ。だからさ、ジョヴァンニ。お前はここで死んでくれ」 ジャンカルロの紡いだ言霊の刃が、ジョヴァンニの心に突き付けられる。「だってさ、もうこれ以上、お前は何も要らないだろ? 最愛の妻を看取り、娘の結婚を見届け、孫娘もいる。金も愛も家族も得て、俺が欲しかったものを全部奪っていって、これ以上何を欲しいって言うんだ」 ジャンカルロは晴れやかに笑っていた。「もう十分だろう?」 ジャンカルロの言葉が、断罪するかのようにジョヴァンニの心に突き立てられた。「なあ、ジョヴァンニ。俺の幸せを願っていたって言葉が嘘じゃないなら、今ここで死んでくれ」――ハルカの目の前が白く弾けた。「初めまして、ハルカ」 気配もなく突然掛けられた声に驚きながら、ハルカは振り返った。「誰だ、あんた」「誰だって、見て解らないかな?」「俺と同じ姿をしてるのは解る。でも、あんたは俺じゃない」 ハルカの目の前には、もう一人のハルカがいた。ただ、彼はとても表情豊かで明るい雰囲気を纏っていた。 自分とは違う、ハルカは直感的にそう感じていた。「まあね。俺はハルカとは違うよ。あんたみたいなお荷物じゃない」「お荷物?」「あれ、自覚してない?」 目の前のハルカは呆れたように肩を竦めていた。「俺が何のお荷物だって言うんだ」「決まってるだろ、アキのお荷物だ」 目の前のハルカが告げたのは親友の名前であった。「な、にを言って」「だから、あんたは同居してくれている優しいアキのお荷物だって言ってるんだよ」 ハルカが否定しようとする前に、もう一人のハルカは言葉を続けていた。「自分でも解ってるだろ? アキに迷惑しか掛けてないってさ。今、住んでいる場所を見つけてきてくれたのは誰? 悪夢に魘されて目覚めた時に側にいてくれるのは誰? 料理をしてくれるのは誰?」 ハルカが嫌でも理解できるようにと、残酷なほど優しくもう一人のハルカは話してくれている。「そう、全部あんたじゃない。あんたが全てアキに依存してやらせているんだ。そんなあんたを迷惑に思わないわけがないだろ」「ち、違う! アキはそんなこと言っていない!」 しかし、ハルカの否定の叫びにも、もう一人のハルカは軽く肩を竦めただけだった。「当たり前だろう、アキは優しいんだから。そう思ってても口にするはずないじゃないか。それに、口にしたらあんたが暴走するって解ってる。だから、アキは仕方なく文句も言わずあんたと一緒にいるんだよ」 目の前で楽しそうに話すもう一人のハルカの言葉が、鋭いナイフとなってハルカの心を切り刻む。「暴走する兵器を野放しにできないという義務感だよ。兵器が暴走して、回りの皆に迷惑を掛けないようにしてるんだ。アキは優しいから」 もう一人のハルカは一つ一つ丁寧にハルカの心に出来た傷口を広げていく。「そんなことも解ってないだろ? そうだよね、だってアキは強力なテレパスだ。あんたが望む言葉、欲しがる言葉をいつでも与えてくれる。だから、アキの側は居心地が良い」 明るく楽しそうに話すもう一人のハルカの言葉が、ハルカの心を黒い絶望で塗り潰していく。「じゃあ、あんたはアキに与えたことがある? ないよな、だってあんたは自分で考えられない。あんたは命令がなければ何も出来ない。そして、アキは優しいからあんたに命令しない。だから、あんたは何もしない」 少し間を置いてから、もう一人のハルカは口を開いた。「もう十分だろう?」 もう一人のハルカは、本当にアキを案じているかのようだった。「なあ、ハルカ。これ以上、アキの負担になるのは止めよう」 もう一人のハルカはずばりと言い切った。「大丈夫、俺があんたの代わりになるよ。俺は料理も出来るし、悪夢に魘されたりしない。何よりに自分で考えられる」 楽しそうに笑うもう一人のハルカの言霊が、ハルカの心に芽生えていた自我を嘲笑い打ちのめす。「だから、ここであんたを殺して。代わりに生きようって思い付いたんだ」――天童の目の前が白く弾けた。「かーごめかーごめー、籠の中の鳥はー」「いーついーつ出会う~」 突然聞こえてきた歌に合せて、天童は歌を引継ぎながら振り返った。 「せやけど、わいとあんさんは、今会えたみたいやね」「夜明けも晩も座敷牢には関係あらへんからな」 そこには、艶然と微笑んでいるもう一人の天童がいた。そして、目の前の自分が身に着けているのは黒地に彼岸花柄の羽織であった。「やっぱり、そうなるんやねぇ」「そらそうやろう」 天童は目の前に忽然と現れたもう一人の天童を慈しむように眺めていた。「せやけど、いつもとはちょお違うことになるで」「せやなぁ、今日は夢で済まなそうやもん」 大変そうな言い方とは裏腹に、天童は葉団扇で口元を隠しながら微笑んでいた。「どうして来たん? 来ればわいと会うことになるって解っとるのに」「どうしてやろな」 天童は不思議そうに首を傾げた。そんな天童を見ながら、もう一人の天童は目を細めていた。「わい、あんさんの事が憎うて憎うて堪らんのや。どないかなってしまいそうなほど、憎う思うとるんやで?」「知っとるよ。わいも同じやん」 もう一人の天童の告白にも、天童は動じなかった。「そうや、わいとあんさんは同じやん。でも、あんさんは自由に外で遊べとる。狡いわぁ」「堪忍なぁ。あんさんが外に出たら大事になってまう。せやから、こうしてわいが遊んでやっとるんやで」 幼い子供に言い聞かせるかのように天童は優しく言葉を選んでいく。「そんなん知らんわ。あんさんとはいつでも遊べるやろ。わいはもっと色んな相手と遊びたいんよ」「そらあかんよ。わいと遊ぶことで我慢しぃ」 駄々を捏ねるもう一人の天童に、辛抱強く天童は言い聞かせようと試みた。「そらおかしいわ、天童はん。わいは今までずっと我慢してきたんや。そなら、わいと同じなあんさんやって同じくらい我慢するべきやないん?」「あかんて。あんさんが外に出たらどないな事になるか解っとるやろ?」「それこそや。解っとるからこそ、わいは外で遊びたいんよ」 もう一人の天童の顔がにやりと黒く澱んだ。「それになぁ、知っとるんやで。言うたよな、あんさんとわいは同じや。わいが思うとることは、あんさんも思うとる。それを素直に認めとるか、認めてへんかの違いだけなんよ」 応じようとした天童が話す前に、もう一人の天童は言葉を続けた。「何で来たん? どうしてわいに会おうとしたん? わいには解っとるで、無様に足掻いとる自由な自分に疲れとるんやろ」 もう一人の天童の言霊が、天童の心に忍び寄る。「あんさんは心の底でいっつも思うとる。殺したい殺されたい、壊したい壊されたいって。自由な空に焦がれながら、羽を毟られ不自由な籠に繋がれることを望んどる」 もう一人の天童の紡ぐ言葉の毒が、天童の心を侵して縛り付けていく。「今まで自由を楽しんできたんや、次は不自由を楽しんでみるとええ。それを望んどるんやしな」 もう一人の天童が愛しげに目を細めた。「もう十分やろ?」 天童の耳に、もう一人の天童の声が嫌に響いた。「わいがあんさんの羽を毟って籠に繋いだる。あんさんもそれを望んどるから、わざわざこうしてわいに会いに来とるんやろ? そうやなかったら、あんさんの中にわいの居場所なんかあらへんもん。なぁ、もう誤魔化さんでええんよ」 優しく語り掛けてくるもう一人の天童の言葉が、天童の心を甘く爛れさせていく。「あんさんは、あの居心地の良い不自由な座敷牢に居ればええ。わいが代わりに自由になったるよ」――コタロの目の前が白く弾けた。「蒼国軍戦列歩兵隊第十八番隊隊士、コタロ・ムラタナ! そこに立て!」 自分に向けられた号令に、コタロの身体が反射的に反応していた。「自分は貴殿に問う! 何故、貴殿はのうのうと生きているのだ?」 気を付けの姿勢のままコタロが目だけで相手を確認すると、自分に号令をしているのは自分である、コタロ・ムラタナであった。 直立不動の体勢、芯が通ったかのような姿勢の良さ、気迫の篭った声と蒼い目、自分でありながら自分ではない自分が、そこにいた。「蒼国軍軍規において、敵前逃亡、命令違反、上官殺害、これらを犯した者は、通常どうなる?」「……極刑は免れぬ」 もう一人のコタロの問い掛けに、コタロは浮かんだ正解をそのまま答えていた。「その通りだ。では、それらを犯した貴殿は何故生きているのだ?」「……こ、ここは、蒼国では、ない」 自分に向けられるもう一人のコタロの視線の強さにコタロは戸惑った。「その通りだ。ここは蒼国ではない。ならば、貴殿は極刑を免れぬ軍規を犯した軍人でありながら、何故未だに蒼国軍の軍服を身に付けているのだ?」 コタロが何かを答えようとする前に、もう一人のコタロは言葉を続けた。。「軍を捨てたというのならば譲歩しよう。しかし、貴殿は軍服を纏い、軍人として生きようとしている。ならば、蒼国軍軍規に基づいて、自らを極刑に処さねばならない。何故それをしないのだ?」 もう一人のコタロの言葉が矢となり、コタロの心を鋭く射抜いた。「罰しないのであれば、なぜ軍人を止めないのだ? 解らないだろう、コタロ・ムラタナ。それも当然だ。貴殿は、軍人としての生き方しか知らぬ。それゆえ、軍の鼠になろうと足掻いていた」 応じようとするコタロの舌は凍り付いてしまったかのように動かなかった。「鼠に考える頭は要らぬ。ただ命じられたままを走れば良いだけだった。だが、貴殿はそれさえも出来なかった。貴殿は逃げることしかしていない。他人から逃げ、会話から逃げ、己自身から逃げ、そして、任務に没頭することで考えることからも逃げている」 もう一人のコタロの言霊が、コタロの心に突き刺さり嫌悪と諦観を苦く広げた。「それは生きていると言えるのか? サクラコが貴殿に答えを求めた時、最も逃げてはいけない時に貴殿は逃げた。己自身を殺すことで。しかしそれさえ失敗だ。死ぬことからも逃げ、生きることからも逃げ、このまま逃げ続けてどうするのだ、コタロ・ムラタナ!」 覇気を持ったもう一人のコタロの声は、コタロの心を打ち据えるように響いた。「もう十分であろう?」 もう一人のコタロは声の調子を落として、言い聞かせるようにコタロに語り掛けてきた。「貴殿は自分自身を良く理解している。自分が逃げることしかできないと解っている。だからこそ、貴殿である自分が、貴殿に逃げ道を用意しよう」 もう一人のコタロの口からは、次々と明確な言葉が叩き出されていく。「コタロ・ムラタナ、貴殿は今よりこの地で生き抜け! ここには水もあり獣もいる。貴殿ならば生きていくことができるだろう。罠を仕掛け獣を狩り、その日を生き抜くことを任務とせよ!」 もう一人のコタロは堂々と言い放った。 「何も考える必要はない。目の前の獲物を仕留め、いつか死ぬその時まで自分を生かし続ければいいのだ。今のままの貴殿で良いのだ。何も難しいことはない。己自身を否定し、逃げ続ける貴殿だからこそ可能となる任務だ」 毅然と命令してくるもう一人のコタロの言霊が、凍り付いたコタロの心を無惨に蹂躙する。「安心するがよい。貴殿の代わりは、自分が立派に務めてみせよう」 5人は気が付けば、先程と変らぬ広間の中央に立っていた。「今のは一体?」「おれの知る幻術とは違うようだ」 いち早く周囲の状況を確認して呟いたジョヴァンニに、玖郎が答えた。「夢、なのか?」「……」「夢は夢でも、相当に性質が悪いものやろ」 ハルカは青褪めた顔のまま呆然と呟いていたが、コタロに関しては言葉も失っているようであった。 どこか呆然としていた天童は、無意識にハルカの呟きに応えていた。 突然、玖郎が気を張り詰めて広間の奥へと顔を向けた。それに気付いた天童も、玖郎の後を追うように広間の奥へと目を向けた。 何も見えない暗闇の向こうから、何者かが近づいて来ていた。「どうやら夢で済まされへんみたいやで」 突然に浮かび上がった無数の鬼火は、伽藍の暗闇から5人の姿形を照らし出していた。「なぁ、ジョヴァンニ。あの時と同じようにまた花を持たせてくれるんだろう?」 ジャンカルロの手にはいつぞやの決闘で使われたエペが握られていた。しかし、その柄には以前にはなかった黒薔薇を模した意匠が施されていた。「初めまして、ハルカ・ロータスっていうんだ。お互い全力で頑張ろうな」 親しい友人に出会ったような優しい笑顔のままハルカはサバイバルナイフを構えた。「ほな、何して遊ぼうか?」 天童は口元を葉団扇で隠しながら妖しく微笑んだ。「狩りの時間だ」 大きく羽ばたいた天狗の翼から、黄褐色の羽根が散った。「只今より、自分ら一丸となり全力を持って貴殿らを制圧する!」 毅然と立つコタロの構えたボウガンに、がしんと矢が装填された。!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>玖郎(cfmr9797)ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)ハルカ・ロータス(cvmu4394)森山 天童(craf2831)コタロ・ムラタナ(cxvf2951)
苦戦 「皮肉だな。貴方と再び剣を交える事になるとは。次にまみえるのは地獄、そう思っていたというのに」 「お前にとって地獄なら、俺にとって天国だな!」 2人の刃が打ち鳴らされる。 「そんなに私が憎いか、兄さん! 私に成り代わりたいか!」 「お前は冷たい土の下に居たいのか!」 ジャンカルロのエペが黒い炎を噴き上げる。 浴びたのはギアを握る手だけだったが、ジョヴァンニの全身に引き攣れるような痛みが伝わる。 痛みを堪えてギアを握る手に力を込めれば、その刃が白い輝きを放つ。 「はぁっ!」 裂帛の気合を込めて大地へギアを突き刺すと、無数の白い刃が土砂を突き上げながらジャンカルロへと押し迫る。 ニヤリと嗤ったジャンカルロが同じ動作でエペを地面へと突き刺すと、大地より迸った漆黒の炎が濁流となる。 黒炎は白刃の悉くを打ち砕き、構えたギアとともにジョヴァンニを呑み込み弾き飛ばした。 全身に走る火傷に似た痛みを堪えながら、ジョヴァンニは倒れたまま傍に落ちたギアへと手を伸ばす。 が、その手をジャンカルロが勢い良く踏み付けた。 「ぐっ!」 「大人しく死ねよ!」 体重を掛けて踏み躙るジャンカルロが、エペから黒い炎を出してジョヴァンニを焼いた。 憎悪と嫉妬の炎が身と心を焦がす苦痛に、ジョヴァンニは声も出せずに悶える。 「さようならだ、ジョヴァンニ」 ジャンカルロが振り上げたエペが冷たい光を放つ。それを見たジョヴァンニは、観念したように目を閉じた。 天童が羽織を翻せば、その姿は山伏の格好へと変わっていた。 「へ~、珍しゅう本気なんやね」 「あんさん相手に、お遊び気分は無理やろ」 天童が葉団扇を振えば、偽天童も葉団扇を振う。巻き起こる疾風が衝突し、激しい旋風となって吹き荒ぶ。 飛び立った2つの影が空中で何度なくぶつかり合っては、黒い羽を散らす。 (あかん。思った通りや) 天童は自分だけでは偽物を退けないと解っていた。自分はギアにより抑制されているが、偽物にはそれがない。同じ技では全て力負けしてしまう。 (おまけに呪縛や) 追い打ちを掛けるように、天童の心に刺さる楔が元々の力の差を更に広げている。 (ほんま、他人頼りやね) 偽物を倒した誰かの助けを待つ、その時間稼ぎに徹するのが天童の考えであった。 しかし、その考えが甘かったことを天童は思い知らされていた。 ぶつかり合った2つの影が、互いに弾け飛び地面へと叩きつけられた。山伏姿の天童は苦しげに立ち上がるが、着物姿の偽者は楽しげに佇んでいる。 (ここまで差があるんは予想外やわ) 「そろそろ違う遊びをしよか」 折り曲げた翼を偽者が愛しげに撫でる姿に、天童の心が苛立つ。 「あーぶくたったー、煮えたったー」 偽者の歌声が響くと、地面に散らばる黒い羽根が蠢き集まり出す。天童を囲うように集まった影は蛇に似た何かへとその身を変えていく。 「煮えたかどうか、食べてみよ」 鎌首をもたげた影が、大口を開けて天童へ一斉に襲い掛かった。翼を広げた天童は空へと逃げる。 「むしゃむしゃむしゃ、まだ煮えない」 続く歌に合せて、城内の闇より一層巨大な影が天童の上に浮き上がり、避ける暇も与えずその大口を開けて天童に覆い被さった。 2羽の天狗、茶褐色の翼を持つ玖郎と黄褐色の翼を持つ陸郎、が空で交錯する。 互いに身を離せば、玖郎にボウガンの矢が迫る。玖郎は風を起こすが、矢は風を貫いて飛来する。 翼を翻し急上昇するも、矢も軌道を変えて追いかけてくる。ギアから飛ばした電撃により、ようやく矢は撃ち落とされた。 「ナイフも金属だよ?」 玖郎の真上に瞬間移動で偽ハルカが現れる。そして、玖郎が反応する前にナイフを振り降ろした。 が、その動きが不自然に止まり、偽ハルカが顔を顰めた。 その隙に玖郎は飛び離れながら電撃を放つが、その間に空から舞い降りた陸郎が割り込み、電撃を浴びながら玖郎へと飛び掛る。 再び、2羽は掴み合い錐揉み状態で墜ちていく。 「邪魔するなよ、ハルカ」 念動力を打ち破った偽ハルカは、眼下に浮かぶハルカへと襲い掛った。 「避けるな!」 命令に反応して一瞬動きを止めてしまったハルカを、強力な念動力の一撃が吹っ飛ばす。 無防備に近い状態で入った一撃が胴体に嫌な軋みを広げる。 どうにか体勢を立て直そうとしたハルカの全身を念動力が捕える。両手足が磔のように固定され圧倒的な力で引き伸ばされる。 自分を包む念動力に、ハルカも念動力で抵抗する。 「身動きできない相手って、格好の餌食だな」 固定されたハルカを狙い、陸郎が上空より襲い掛る。が、玖郎が体ごと衝突して互いを弾き飛ばす。 「だぁっ!」 振り絞った念動力で偽者の呪縛を破ったハルカの頭上に、偽ハルカが瞬間移動した。 「動くな!」 命令に反応したハルカを上空からの念動力が地面に叩き付ける。そして、圧し潰すようにどんどんと力が込められる。 気を抜けば一瞬で圧死する程の念動力をハルカは必死に押し返す。 「笑えるくらい弱いな。兵器なのに碌に戦えないってどういうことだ?」 楽しそうに笑う偽者の横に、紅蓮の火が生まれる。 「ハルカは燃えるゴミだよな」 紅蓮の炎がハルカへと落された。 陸郎が素早く印を切れば、旋風が渦を巻いて竜巻となり地面の瓦礫を巻き上げ、崩落している天井の一部をも突き崩す。 風の害を受けぬ玖郎は、竜巻の中でさえ悠々と駆ける。そこへ巻き上げられた無数の瓦礫が降り注いだ。 瓦礫を避けるように飛ぶ玖郎に、幾つもの雷光が降り注いだ。 しかし、それは玖郎ではなく周囲の瓦礫を打ち砕いた。 一気に増えた瓦礫は稲光を浴びて大量の影を生み出し、竜巻が巻き上げる瓦礫と打ち当り激しい音を立てる。 稲光は玖郎の視界を眩ませ、影は陸郎の姿を隠し、音は陸郎の羽ばたきを掻き消した。 その一瞬、玖郎は陸郎を見失った。 「ぐぉ!」 玖郎の顔の右半分に衝撃と熱が走り、空に血飛沫が広がった。砕けた鉢金がずるりと血で滑り落ちた。 「鉢金に救われたな、兄者」 手甲の鉤爪に付いた血を陸郎は舐め取った。 額から右の目元にかけて斬られた傷を押える玖郎は、己の右目が何も映していないことを悟った。 「まず右目。次はどこだ、兄者」 身を隠したコタロが大きく息をついた。 (あれは俺だ。兵として生きる事を選び、彼女を殺す道を選んだ俺なんだ) 隠れた壁にボウガンの矢が突き刺さった直後、無意味な音が聞こえた。反射的にコタロが壁から離れた瞬間、壁が爆発した。 爆風に突き飛ばされたコタロは地面を転がった。 「どうした、逃げるだけか?」 ゆっくりと近づいて来たもう一人のコタロに向けて、跳ね起きたコタロが矢を放つ。が、目の前のコタロはボウガンの狙いを読みあっさりと避けてみせた。 「狙いも甘い。あの時に死に損なった貴殿には、もはや殺す価値もないのか」 「ならばお前は、あの時どうした?」 土に塗れたコタロは、立ち上がりながらもう一人の自分に問うた。 「これは良い。ここでさえ答えを求めて、己から逃げるか」 愉快そうに一頻り笑うと、目の前のコタロは顔を引締めた。 「自分は蒼国の兵士である。それを選んだ以上、国に仇成す者は始末するだけだ」 引き絞られた矢のように小気味良く言葉が放たれる。そこに一切の迷いはなかった。 「これで満足だろう。では、死ね」 土埃に塗れたコタロに向けてボウガンの引鉄を引いた。 覚醒 「生煮え食べたら腹壊すで」 天童の目の前には、赤い紐で縛り閉じられた巨大な口があり、続く体も赤紐が雁字搦めにしていた。 「あや取りするん?」 その上に偽者が降り立つと、巨大な影はしゅるしゅると細く解けて紐になっていく。 「ほな、わいの番やね」 縦横無尽に走る黒紐が四方八方より天童を狙う。 「そんな焦らんとき」 無数に枝分かれした赤紐が、それを迎え撃ち全て絡め取る。 互いに絡み合う赤と黒が、牢獄のように2人を囲い張り巡らされる。 膠着した隙に、葉団扇で口元を隠した天童が何事が呟き、葉団扇を振るうと一陣の旋風が巻き起こった。 「他人に構けとる暇あるん?」 「それはあんさん次第やろ」 天童は内心を押し殺して微笑んだ。 せめぎ合う赤と黒。しかし、赤紐を辿って黒紐は徐々に勢力を広げ、天童へ這い寄っていた。 「うわ!」 ジャンカルロの驚く声にジョヴァンニが目を開けると、ジャンカルロの顔にはセクタンのルクレツィアがへばり付いていた。 しかし、直に剥がされて地面に叩き付けられた。 「ルクレツィア!」 「なんて名前付けてんだ」 憎々しげに吐き捨てたジャンカルロの前で、よろよろと立ち上がったルクレツィアがジョヴァンニを守るように立ち塞がった。 「何をしておる、退きなさい!」 「ははは! いいぜぇ、2人仲良く灰になりな!」 掲げるエペの刃先で漆黒の炎は巨大な火球となり、その憎悪をジャンカルロは容赦なく振り下ろした。 その時、風に乗って言葉が届いた。 『偽者の言い分も一理あるんやろうけど、ほんまにそれだけなん?』 次の瞬間、白い決意が黒い憎悪を真っ二つにしていた。 「兄さん、次に逢うときは殺されても良いと思っていた」 煌煌と輝く刃を携えたジョヴァンニは、そっとルクレツィアを抱き上げた。 「だが、今は違う。我が名はジョヴァンニ・コルレオーネ! 最愛の妻に騎士道を捧げた男!」 構えたギアをジャンカルロへと突き付ける。 「断じて、貴方の影ではない!」 騎士の決意が楔を断ち切った。 「自らを卑下すればこそ影に堕とす。だが、それは最愛の妻を、愛しい光より生まれた娘を、そして、孫娘をも侮辱することになる! 私の人生は、私以外の何者にも歩めはせん!」 ジョヴァンニの腕の中でルクレツィアが嬉しそうに体を動かす。 「誰であろうと、私の掴んだ光と歩んだ誇りを汚すことは許さん! 兄さん、例え貴方であろうともだ!」 ルクレツィアはジョヴァンニの腕から抜け出すと、ジョヴァンニの頬に顔を寄せてから何処かへ飛び立った。 「我が人生は贖罪のみにあらず、愛に捧げし忠誠もまた我が人生と知れ!」 騎士の決意を力に変えて、ジョヴァンニのギアが今までにないほど白く烈しく輝く。その白い光が、夜明けのように2人の男を照らし出す。 「ジョヴァンニぃぃ!」 怨嗟の雄叫びを上げるジャンカルロが、再び漆黒の火球を繰り出す。 「ジャンカルロぉぉ!」 振り抜いたギアがジョヴァンニの周囲に無数の純白の刃を生み出すと、その刃は砕けて無数の欠片となって舞う。 白い花吹雪となった破片が漆黒の火炎を蹴散らし、ジャンカルロへと降り注ぎ、その身を切裂く。 ジャンカルロが怯んだ一瞬の隙に、白い花吹雪を縫って神速の刺突がその胸を貫いた。 「兄さん、貴方に憧れていた、愛していた。それは誓って真実。ですが、私の人生は私のもの。……それに孫の花嫁姿を見るまではまだ死ねない」 「何だよ、ちゃんと言えるなら、どうして俺が生きている間に言ってくれねぇんだよ」 胸を貫かれたジャンカルロの声はとても穏やかであった。 「なんだったかな、愛は遠くにあろうともってやつ」 「愛は遠くにあろうとも、しかしいつも、そこにある。星の光のように、とこしえに遠く、また近くに、です」 「そうそれだ。星なら一つくらい増えてもいいよな。仕方ねぇ、弟の我儘だ。兄貴の俺が叶えてやるよ」 ジャンカルロは自然と笑顔を浮かべていた。 「お前になら全部任せていいと思ってた。でも、お前は我慢して肝心なことを中々口にしやしない。やっと言ったと思ったら、遅過ぎなんだよ」 ジャンカルロは伸ばした手を、そっとジョヴァンニの頭に置いた。 「忘れるなよ、ジョヴァンニ。俺はお前を決して許さない。だが、それ以上に心から信じている。勝手に生きな、むっつり頑固め。途中で逢いに来たらブっ殺すからな」 そして、砂が崩れるようにジャンカルロは一瞬で消えてしまった。 呆然とするジョヴァンニの肩に、ルクレツィアが舞い降りてきた。 「そうじゃな。まだ終わってはおらん」 体は疲労していたが、ジョヴァンニの心は晴れ渡っていた。 「っ!」 咄嗟に、ハルカは分解を発動させる。 自分を包む念動力を分解しながら、体を起こし腕を突き出して火球も分解する。 その直後に、ハルカの体がぐらりと揺れた。分解の反動による消耗だった。 そのハルカの背後に偽者が瞬間移動で現れた。 「はい、良くできました」 偽者の念動力がハルカの右腕を綺麗に圧し潰した。 「あああ!」 ハルカが右肩を抑えて絶叫する。そこには、紙のように潰れた右腕が垂れ下っている。 「これくらい避けろよ。まともに戦えないなら、もう死んだ方が良いな」 屈託のない笑顔がハルカの劣等感を刺激し、激痛に鈍る思考が偽者の言霊に溺れていく。 その時、風に乗って言葉が届いた。 『偽物の言い分も一理あるんやろうけど、ほんまにそれだけなん?』 それは玖郎の言葉も喚び起こした。 『おまえが死したところで、うつつは変わらぬ。おまえが生きてなにかを為すほどにはな』 「そうだ。生きてるんだから考えるって決めたし、誓った。約束を破るわけにはいかないんだ」 ハルカの目に意志の光が戻る。 「お荷物でもなんでもいい。俺は確かに無力で何も出来ないけど、アキが俺を大切にしてくれる、その気持ちを疑うほど馬鹿じゃない」 思い出すのは、親友への信頼。 気が付いたのは、自分の中の我が儘。それは他の誰でもないハルカ自身の願い。 「俺がアキを好きなんだ。生まれて初めての友達ともっと一緒にいたいって思って、何が悪い!」 産声を上げたハルカの意志が楔を打ち砕く。 「それが迷惑なんだって、どうして解らないんだ?」 偽者は呆れたように肩を竦めた。 「あんたがアキの想いを口にするな! あんたはアキじゃない!」 「優しいから言わないだけだろ?」 「それなら、俺が直接確める!」 「迷惑だって言われたら?」 「謝る! そして、どうすれば許してもらえるか考えてみせる!」 偽者の言霊は、もうハルカには届かない。 「アキは、俺の家族への思いごと貴く思うって言ってくれた。なのに、何故あんたはアキの事しか言わないんだ。俺の中には家族への思いもある!」 「ははは! 顔も名前も覚えていないような連中を家族? それは家族じゃない赤の他人だ!」 偽物が笑いながら、ハルカの家族への思いを切り捨てた。 「違う! 家族がいたから、俺は強化兵士になったんだ。強化兵士になったから、アキに会った!」 顔も名前も覚えていないけど、自分の心に家族への思いは確かに息衝いている。その思いがあったから親友と出会えた。 「だから、俺は」 か細い糸のような繋がりかもしれないが、それは確かに俺の中に存在している。 「今ここに居られるんだ!」 心に息衝く暖かな思いをしっかりと掴む。――分解、万物の根源に立ち入り全てを解体する能力。 分解できるということは、それは万物の構造を見抜き理解できるということ。 (それなら、完成を目指して作ることだってできるはず) 無意識に行われるはずの手順を自らの意志で逆転させる。 (大丈夫。もう俺は知っている) 優しく暖かな思いが、ハルカの意志に従い一つの力へと組み上げられていく。 (分解して壊すんじゃない。組み上げて生み出すんだ) 偽物に潰された右腕が、白く柔らかな光に包まれ瞬く間に再生していく。 「何だその能力は!?」 偽物が初めて動揺を見せた。 「あんたは俺じゃない。俺の家族を否定したあんたは、俺の家族を貴いと言ってくれたアキの思いも踏み躙った。そんなあんたが、俺になれるはずがないんだ」 穏やかな光を纏ったハルカは、静かに偽物を断じる。 「なれるさ。今ここであんたが消えれば!」 飛び掛ってきた偽物とハルカが、がしっと組み合う。 「分解してやるよ!」 偽物の分解が発動する。掴む両手から溢れ出す力が、ハルカの体と心を分解していく。 「消えない! 消えてなんかやるもんか! 俺が生きている限り、俺の思いは絶対に消えない!」 しかし、分解された体と心をハルカは端から再生していく。分解の余波に煽られた足下の地面が抉れ出す。 「消せるもんなら、消してみろぉぉ!」 ハルカの放つ純白の光が2人を包み込むように広がる。一方、偽物の体は分解に耐え切れず自壊が始まっている。 「何故だ! 何故、分解しない!?」 「自分で考えられるなら、その答え考えてみろぉぉ!」 2人を呑み込んで広がった白い閃光は、直に収束して消えた。 そして、窪地に立っていたハルカは拳を握り締めると、すぐに瞬間移動した。 戦いはまだ続いている。 城内で、2羽の天狗が激突を繰り返し鎬を削っている。 玖郎は視覚に頼らず戦える。しかし、金属による傷は玖郎を苛み、溢れる血潮は体力を奪う。 やがて、競り負けた玖郎が羽を散らして大地へ墜ちた。 「次は、俺が兄者をくらう」 地に伏せる玖郎へ、鉤爪を閃かせて陸郎が襲い掛った。 その時、風に乗って言葉が届いた。 『偽物の言い分も一理あるんやろうけど、ほんまにそれだけなん?』 陸郎の鉤爪は、玖郎のギアにより喰い止められていた。 「最初、おまえは己を獲物と称したな」 玖郎は力任せに陸郎を跳ね退けた。 「つまり、おれはおまえを食ったのか。かつて、おれがおまえをしとめたなら、決着はその折りについている」 玖郎が翼から毟った羽を顔の傷に被せれば、血を吸った羽がべとりと貼り付く。 神鳴に走った小さな火花が羽に引火すると、燃え上る赤炎が傷口ごと金気を焼き払った。 「死して蘇ったおまえは鬼だ。もはや天狗ですらない。鬼が天狗にかわれる道理はない」 燃え盛る本能が楔を焼け落とす。 「己より生じた者を世に残す、先の滅びを防ぐため多を巣立たせる。それを阻むものは何者であろうと容赦せぬ。生存こそ覆しえぬ原理、兄弟とてみずから命を捧ぐ由はない」 灼熱する傷痕はもう血を流していない。痛みに鈍ることなく、玖郎が素早く印を次々と切る。 「たとえおまえがまことの弟であろうと。其は父母より生じた者であり、おれより生じた者ではない。おまえはおれになりえない」 ヴォロスの空より雷が降る。後を追うように玖郎の掲げた両腕のギアへ雷電が降り続ける。 「別たれたからこそ違うのだ。おれとおまえは同じものではない。互いの立つ場が決して重ならぬがその証左」 最後、轟音とともに巨大な稲妻がギアへと落ちて激しい雷鳴が引くと、陸郎の耳に鳥の鳴き声が聞こえた。 否、哭いているのは玖郎の神鳴であった。限界まで集めた稲妻が青白い火花を放ち、小刻みに震えて哭き囀る。 「どれほど雷を集めようとおれたちには無意味」 陸郎が黄褐色の翼を広げて飛び上がり、羽を体に添わせて空より玖郎へと襲い掛かる。 しかし、玖郎は何もせずに佇んだ。静かに隻眼を閉じた玖郎の全身がギアの纏う青白い光に覆われる。 「おれが生きる」 渾身の力で振り降ろす陸郎の鉤爪が、無防備な玖郎の頭を叩き割る、はずだった。 だが、甲高い音を立てて叩き割れたのは陸郎の鉤爪であった。 「なに?」 驚き固まった陸郎の顔を玖郎が鷲掴みにした。そして、己と変わらぬ巨体を玖郎は片腕で吊し上げ、その頭蓋を握り潰さんと力を込める。 苦しげに呻く陸郎が残った鉤爪を玖郎の腕に突き刺す。が、先程と同様に鉤爪の方が砕けた。 「あ、にじゃ、なにをし、た」 「旺な木は金を侮る。今のおれにその程度の金気は通らぬ」 軋む頭に呻く陸郎が腕から抜け出そうと必死にもがく。その抵抗を一顧だにせず玖郎は無造作に陸郎を地面へと叩き付けた。 その一撃は地響きを生んだ。 「かはっ」 衝撃で一瞬意識を飛ばした陸郎は、気が付いた先で己を見下ろす天狗を見た。その冴え冴えとした金色の隻眼に己の行く末を悟った。 「おれ、は、生きられぬ、のか、あにじゃ」 陸郎の声には怒りも悲しみもない。ただ己の行く末を、それを決める勝者に問うているだけだった。 「おまえはおれの内で生きる、陸郎」 再び陸郎の頭を掴み上げた玖郎は少し首を傾げると、躊躇うことなくその喉笛を食い千切った。 その瞬間、陸郎の姿は崩れるように溶けて消えた。 ぴぃ 玖郎は己が胸の内より雛鳥の声を聞いた気がした。 「まことおれには弟がいたのか、戻り父へ問わねばならぬ」 そのためにも生きる、玖郎は知らず胸に手を当てていた。 「何故避ける?」 心臓を貫くはずの矢は、コタロの左腕に刺さっていた。 「己を罰したいのだろう? 何故、生きようとする?」 (そうだ。何故俺は避けた) もう一人の自分の視線から逃げるようにコタロは顔を下げた。 コタロにとって、己とは最も罰したい存在に他ならない。 そして、それは目の前にいる自分でなくても構わない。自分はもう一人いるのだから。 「さあ、生きることから逃げるといい」 ボウガンに矢を装填する音を聞きながらも、コタロは依然として顔を上げられなかった。 コタロの弱った心が、もう一人のコタロの言霊に溺れていく。 その時、風に乗って言葉が届いた。 『偽物の言い分も一理あるんやろうけど、ほんまにそれだけなん?』 「一つ聞きたい。何故、貴殿は兵士であることを選べたのだ?」 コタロは俯いたままだった。 「愛国心だ、それ以外に何がある」 「国を愛しているから、彼らを殺せるのか?」 「その通りだ」 コタロは静かに顔を上げた。 「違う。そんなはずはない。そんな簡単に、口にできるはずがない」 左腕に刺さった矢を掴み、一気に引き抜いた。溢れ出す熱い血潮がコタロの軍服を赤く染める。 「彼らが居たから国を愛した、国があったから彼らと出会えた。その二つは切り離せない」 楔が引き抜かれ、その傷口から熱い情が噴き出す。 「俺は兵で在りたかった。師の教えに忠実に誇りを抱いていたかった。だが、人の心を捨てられなかった。友を犠牲にできなかった」 いつの間にかコタロの両目は涙を流していた。しかし、蒼い瞳から湧き出る情を止めようとも拭おうともしなかった。 「その通り。双方から逃げた結果が今の貴殿だ」 「そうだ。俺は逃げたのだ。弱い俺は、どちらを選んでも後悔しただろう。その証拠に、今尚選べずに苦悩している」 目の前のコタロははっきりと断ずるが、対照的に涙を流すコタロの声は情けなく震えている。 「涙を流すとは、それでも蒼国の軍人か」 もう一人のコタロは心底呆れているようだった。 「この情は! この涙は! 故国で彼らと出会った俺だからこそ抱くものだ! 姿形ばかりを模した偽者に、お前なんぞにあの地の、彼らの何が分かるというのだ!」 悔しさを滲ませてコタロは吠えた。 全てが悔しかった。友と国を切り離せる目の前の自分も。己の情を否定されたことで、故国で出会った彼らが蔑ろにされたことも。師より教わった己の誇りを軽々しく口にする目の前の自分も。それを言わせてしまった己の不甲斐なさも。 そして何より、それらを知らずして己と成り代わろうと言い放つ目の前の偽者が! 「この苦しみは俺のものだ! 偽物のお前なんぞに盗られて堪るか!」 握り締めていた矢がみしみしと歪む。コタロが全力で投げ捨てた矢が、瓦礫に当たり激しい音を立てた。 「そのようなもの欲しくもない」 顔色一つ変えず偽者が、はっきりと切り捨てた。 「やはり貴殿は自分ではない。苦悩しない自分など、自分であるはずがない」 スイッチを切り替えるように、コタロの心が冷たく澄み渡る。 「敵は排除する」 コタロは右腕で素早くボウガンを構え、血の滴る左腕で取り出した符をボウガンの矢に刺した。 そして、コタロの口が意味のない音を紡ぎ出す。 「逃げることしかできぬ貴殿には無理な話だ」 偽者がコタロの喉を狙い撃つ。しかし、その矢が貫いたのはコタロの左腕であった。 「ほう」 続けざまに撃たれた矢も、コタロは左腕を犠牲に防ぐ。矢の刺さる衝撃に体は震える。しかし、コタロの右腕は微動だにせず、紡がれる音も乱れはしない。 そして、矢に刺した符が蒼く輝き出す。それを見た偽者が、三枚の符を取り出して発動させる。 「符を合わせれば、その魔法は即座に発動できる。それさえ忘れたか」 偽者のボウガンの矢にも蒼い輝きが宿る。 「……知っている」 偽者が眉を顰めた。 「覚悟する時間を作っていた」 「死ぬ覚悟か?」 「……向き合う覚悟だ」 コタロの持つボウガンが、ギアが覚悟を力に変えて鮮烈な光を放つ。向き合うと決めた覚悟を、弱い自分が抱いた小さな勇気を矢に宿らせる。 その光に危機感を覚えた偽者がボウガンの引鉄を引いた。 「もう、逃げない。この苦悩もまた自分」 コタロのボウガンから迸る白い閃光が偽者の矢をかき消す。その中を煌めく蒼穹の矢が渡る。 避ける間もなく体を撃ち抜かれた偽者が溶け崩れた。 「……任務完了」 コタロは左腕に刺さった矢を引き抜き始めた。 決着 「天童くん!」 地中より突き上がる無数の白刃が偽天童に迫る。 「怖いわぁ」 駆け寄るジョヴァンニを眺めながら、楽しそうに偽天童が後ろへ飛び退いた。 刹那、その翼にボウガンの矢が刺さり爆発すると、翼が半ばから千切れ落ちた。 「油断してもうたわ。でも、羽だけに一枚上手やで」 落ちた漆黒の翼の表面が泡立つと、無数の鼠が湧き出し、群れと成りコタロへと襲い掛かった。 即座にコタロは符で防壁を張った。が、その防壁が群がる鼠に削られていく。 「それ、厄介な病持っとるで気ぃつけや」 千切れた偽天童の翼はもう再生を始めている。 「くっ」 コタロの翳した符が端から見えない小さな歯形で削られていく。符に描かれた陣が削られる直前、青白い電撃が鞭のようにしなり鼠の群を一掃した。 「鼠は獲物だ」 続いて、玖郎が空より落とした稲妻が偽者を打ち据える。しかし、その稲妻が見る間に黒く染まった。 「こんなんどうや?」 偽天童が振った葉団扇から黒い雷が迸る。 「避けぇ!」 天童が叫ぶが、風雷の害を受けぬ玖郎の反応は一瞬遅れ、黒雷の直撃を喰らった。 「ぐぁ!」 生まれて初めて味わう全身を貫く雷の衝撃。本来、味わうはずのない苦痛に玖郎の膝が折れた。 「五行の理を外れた外道の雷や。痺れるくらい気持ちええやろ?」 偽者が翼を広げると、その表面を黒い稲妻が這う。 「ほな、皆で仲良う楽しんでや」 放たれた黒い稲妻の前に、ハルカが瞬間移動で出現する。そして、ギアのワイヤーチェーンを絡めた腕を突き出す。 「消えろ!」 その手が触れる全ての黒い稲妻を、千々に分解して消滅させていく。 「へ~、凄いやん」 感心する偽者を赤い紐が一気に縛り上げた。 「あや取りはもう飽きたで」 身を縛る赤紐を跳ね退けようと偽天童が力を込める。 「あれの気を引いてくれへんか? ほしたら、後はわいがどないかする」 天童は頭を下げて頼んだ。 赤紐を跳ね退けた偽天童を、空より玖郎が強襲する。 「ええで、鬼ごっこやね」 ふわりと飛び上がった偽者と玖郎が、黒い影と茶褐色の影が互いの羽を散らして幾度となく交差する。 何度目かの衝突で押し負けたのは玖郎であった。 墜ちる玖郎を目掛けて、偽天童が黒い稲妻を放とうと動きを止めた時。 花吹雪と見紛う白刃の欠片が吹き荒れ、偽者の翼を撃ち抜いた。 「おっと」 偽者は体勢を崩したが慌てはしなかった。傷付いた翼は既に再生しつつある。 その真上にハルカが瞬間移動で現れた。 「はぁぁ!」 ギアを巻き付けた腕から念動力を全開にして、上空より偽天童を叩き落す。 「おお!?」 体勢を立て直す間もなく偽者は地面に磔にされる。 「まだまだぁ!」 破壊音を撒き散らして偽者を中心に地面が抉れていく。その陥没する大地の四方に符を刺した矢が突き立った。 朗々と紡がれる音に応じ、四方の符が蒼く輝く。 四点を結ぶように光が走ると、描いた四角の内で真紅の炎が噴き上がった。 詠唱を続けるコタロが魔法理論を更に深く展開し、荒れ狂う真紅の炎を静謐な蒼白い火焔へと昇華させる。 金属すら数秒で溶解する炎の中で、黒い影が揺らめいた。と思った瞬間、四方の符が漆黒に染まりコタロの蒼炎が破られた。 「残念やねぇ。運悪く失敗したみたいやな」 幽鬼の如く佇む偽天童が嘲笑うと、背に広がる黒翼が凶風を巻き起こす。 襲い来る黒い疾風にコタロは符を構えた。が、その眼前に天童が飛び出した。 「天童殿!」 全身を凶風に切裂かれた天童が声も出せずその場に崩れた。 「なんや、お終いなん?」 残念そうに呟いた偽者の腕に赤い紐が絡まった。そして、服の上に絡まったはずの赤紐が服をすり抜けた。 驚いた偽物が袖を捲ると、そこには紐と同じ赤い痣が這っていた。しかも、痣は枝分かれしつつ広がり腕から体ついには翼にまで及んだ。 偽者の黒い翼を赤い痣が血管のように這い回る。 「こんなんできるんか」 「外から無理なら、内からやろ」 偽者が目を向ければ、倒れたはずの天童が立っている。切裂かれた服から見える体には偽者と同じ赤い痣が這っており、天童の左手首からは血が滴るように赤紐が地面を這って伸びている。 「それで、この後どないするん?」 「わいと一緒に残ってみる?」 「残るんは、あんさん独りで十分や」 偽者の手に紫電が宿る。それを放とうと天童へ手を翳す。が、その雷は偽者の意に添わず霧散した。 眉を顰めた偽者にのんびりとした声が届いた。 「この紐なぁ。こないして縛った相手の命を吸えるんよ。あんさんと喋るのに夢中で言い忘れてとったわ」 それを聞いた偽者が飛び立とうとするも、ぴんと張った赤紐が阻んだ。 「どこ行くん? あんさんとわいは同じや。ほなら、わいがここに残ろう思うとるんやったら、あんさんもそう思うとるはずやろ」 背筋が凍るような笑顔を天童は浮かべた。 「まさか違うはずないやんなぁ?」 ギアを一気に手繰り寄せながら天童が音より速く駆けた瞬間、偽者の背に天童の右腕が生えた。 直後、周囲に風と音が広がった。 「あんさんとわいは同じもんや。せやから、わいはいつかあんさんになるんやろうね」 天童は偽者の胸を貫いていた腕をゆっくりと引き抜いた。 「せやけど、それはいつかであって今ではないんよ」 楔がゆっくりと引き抜かれた。 「ほなら、あんさんがわいになってもうたら、あんさんは何処に行くん?」 着物姿の天童は、どこか寂しげに呟いた。 「そんなん、知らんわ」 葉団扇で口元を隠した天童の前で、偽者は崩れて消えた。 終幕 「どうかな?」 ハルカは不安げに尋ねた。 「見える」 玖郎の右目は世界を映していた。 「目は創れたけど、顔の傷は消せなかった。ごめん」 「十分だ」 「そやそや、かえって男振りが上がったんちゃう?」 初めて玖郎の素顔を眺めた天童が茶化すが、意味が解らない玖郎は不思議そうに首を傾げただけだった。 その向こうでは、コタロが治してもらった左腕の調子を確めている。 「そうじゃ、ハルカくん。年寄りから一つ助言をさせてもらいたい」 「え、な、何?」 「沢山考え沢山傷付いて、優しくなりなさい。自分を信じてくれる人が傍におるなら、それはきっと出来るはずじゃ」 「……っはい!」 ハルカは嬉しそうに笑った。 「さて、そろそろ竜刻を探さねばな」 「それが目的だ」 「わい休んどるから、誰か探して来てくれへん?」 「若者が何を言うのじゃ。ほれ、さっさと立ちなさい」 「わい、こん中だと最年長やと思うで~」 「俺が探して来ようか?」 「ハルカはん、ええ子やなぁ。感動してもうたわ」 「そんな子にたかるような真似を年長者がするのかね?」 「食えない爺さんやねぇ」 その遣り取りを玖郎が不思議そうに眺めていた時。 「あ」 「どうした?」 コタロが指差す方へ玖郎が顔を向けると、そこにはいつの間にか水晶が宙に浮かんでいた。 「あれ、竜刻ちゃうん?」 「罠かもしれんぞ」 「封印のタグを試せばいいんじゃないか?」 「それや!」 「だれがはるのだ?」 「いたた、急に腰が痛み出したわい」 「爺さん、卑怯やで」 天童はジョヴァンニをジト目で睨む。 「あ」 再び声を上げたコタロの目の前で、水晶に亀裂が走り砕け散った。 「お」 「む」 「え」 「……」 無数の欠片となった竜刻の水晶は城壁の穴から飛び出して、ヴォロスの各地へと飛び去っていった。 「ひろいに行くか?」 首を傾げる玖郎は、至って本気であった。
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