流刑惑星エンドア 定期報告 星間戦争で敗れた元主星。 最終戦で使用された兵器により、全生物が異形のミュータントと化している。 但し嘗ての人間形態に近い者ほど強いPSIを有している。 恒星間移動の手段は存在せず、第一級犯罪者の流刑星として使用されている。 なお、劣悪な環境下においても、人間形態に近い生命体の存在は確認されている。 彼らはダイヤ、ハート、スペード、クラブと四つの氏族を作り上げ社会的生活を営んでいる。 氏族間においては、限られた食糧プラントを巡っての闘争が絶えない。 その膠着状況においては変化なし。 それはいつもの通りの小競り合いに過ぎなかった。 今回の相手はダイヤ氏族のナンバーズであり、食糧プラントを巡った小競り合いだった。 ナンバーズ相手に後れを取るようなこともなく、ジャックはダイヤ氏族を苦戦することなく退けてみせた。 「面倒くせぇ」 正直、キングへの結果報告は気が進まない。 小競り合いとはいえ、自分たちの貴重な食糧プラントを狙ってきた他氏族の動向である。何も報告をしないわけにはいかないのだ。 そこまで出向くのが面倒というわけではない。瞬間移動を行えば、数秒でキングの場所まで辿り着けるだろう。 「ちっ」 ジャックは胸中に渦巻く感情を押し殺しながら、キングの元へと瞬間移動した。 「ご苦労だったな」 報告は終えたジャックに、キングが掛けた言葉は一言だった。 その目はジャックには見向きもせず、己の膝に頭をのせて凭れかかる銀髪の美女にだけ注がれていた。 ハート氏族の頂点であるキングの寵愛をその身に受けている美女、クイーンであった。 美しい銀髪を撫でるキングの手付きは、愛玩動物を撫でるそれと同じである。しかし、クイーンは気持ち良さそうに目を細めている。 その甘えるような仕草に、ジャックの劣情が嫌でも刺激される。 故意に見せ付けられているのは解っている。それでも、クイーンの姿はジャック欲望を煽った。 魅入られたように身動きしないジャックに、クイーンが初めて顔を向けた。 その目にはジャックの何も映していなかった。ジャックをジャックとして認識していない。そこにある空気と同じようにまるで関心を持っていなかった。 「まだ何かあるのか?」 キングの尊大な声がジャックの意識を引き摺り戻した。 「……報告は以上になります」 「解った。もう用はない、下がれ」 そう言われてしまえば、ジャックには退室することしかできなかった。 無言で一礼したジャックは、内心で歯噛みしながら部屋を後にした。 その足でジャックは酒場へと向った。 カウンターの席を陣取り、浴びるように酒を呷る。 重ねたグラスの数は2桁半ばに近付きつつあるが、ナンバーズを越えるジャックに対して声を掛けられるような猛者はいなかった。 (畜生がっ!) あれは牽制なのだろう。クイーンに軽々しく手を出すな、と。 クイーンが誰のものなのかを、自分に知らしめるためのデモンストレーション。 子供の頃から憧れていた。強く美しい力の象徴であるクイーン、彼女の強さは全ての氏族の中でもトップクラスのはずである。 惑星エンドアでただ1人の際立った異能、不死。 正確には不死ではないのかもしれないが、ジャックにはクイーンを殺す方法を思い付けなかった。 何者をも寄せ付けないクイーンの再生能力は、どれほど肉体を破壊されようとも瞬時に再生してしまう。 もしクイーンが氏族の男と子を成せば、その能力を受け継いだ子が生れるだろう。 クイーン並の再生力を備えた戦士が揃えば、エンドアに生きる全ての氏族の掌握も夢ではないはずなのだ。 (何で動かねぇんだよ!) ジャックは苛立ちのままグラスを握り潰した。 理由は解っている。クイーンは老いず死なない、ジャックが見抜けないだけなのかもしれないが、彼女の外見はジャックの幼い頃より変化はない。 クイーンの再生能力が老化を防いでいるのかもしれない。もしそうだとするならば、彼女の子らも老化しない可能性が出てくる。 そうなれば、何が起こる? (食うもんが無ぇんだよ) 今まで何度となく考え直しても、結局は同じ結論に辿り着く。 ここは食糧プラントのない場所では生き延びることすらできない死に満ちた惑星である。 流刑用の星として使われるエンドアには恒星間を移動する手段がない。放り込まれたら最後抜け出すことは決してできないのだ。 それこそキングやクイーンの能力を以てしても、星を渡ることなどできはしない。 作れる食糧には限りがある。老いず死なない者たちが増えれば、食料の減りは増えるだけ。 そうなれば、行き着く先は飢えである。力の弱い氏族のほとんどが死に絶えるだろう。 だが、本当の地獄はその先にあるのだ。 飢えても死なない者たちが残される。 飢えを抱え死ねない体を引き摺り、牢獄の星を這いずり回るしかない。 死が救いとなるような極限状況下で、死ぬ事も出来ずに永遠に彷徨う。 (地獄じゃねぇかよ) ジャックは酒を飲もうと手を伸ばしたが、あるべきはずのグラスが掴めなかった。 訝しんだジャックが顔を上げると、自分が飲むはずだった酒を美味しそうに飲んでいる女がいた。 「ジョーカー、何してやがる」 「いいじゃない。もう散々飲んだんでしょ?」 ジャックの睨みにも怖気づく事もなくその女は飄々としている。 何処の氏族にも属さない集団、ジョーカー。その規模も構成も謎に包まれている。氏族同士の争いには決して参加せず、全ての氏族と敵対することもない。 ジョーカーの扱う情報にはエンドアでは知る術のない惑星外のこともある。その貴重性を知る者は、ジョーカーを決して殺さない。 殺せば最後、二度とジョーカーから情報を買うことはできないからである。 「今はおまえに構う気分じゃねぇんだよ。さっさと消えな」 ジャックは追い払うように腕を振った。 「おや、残念。折角、耳寄りな話を持ってきたのにな~」 「へっ、どうせ与太話だろ」 「そうそう与太話だよ。それも何と食糧プラントに関わる、ね」 ジョーカーの目が三日月に細まる。 「詳しく話しな」 ジョーカーの予想通りにジャックの目の色が変った。 「もう一杯飲みたいな~?」 「おい、一番上等な酒持って来い!」 ジョーカーは嬉しそうに口を開いた。 「この前、落された罪人ね。どうも食糧プラントの開発に携わってた技術者らしいよ。それで、今はダイヤ氏族の所に居るって話」 ジョーカーは目の前に置かれたグラスを一口だけ飲んだ。 「ボクの話はそれだけ。後をどうするかはハートのジャック様次第ってね」 ジョーカーは人を食ったような笑みを浮かべている。その表情からは本心が読み取れない。 「おやおや、今日は本当にどうしたんだよ? いつもの軽口はどこに行っちゃったのかな」 何も言ってこないジャックを、ジョーカーは楽しそうに眺めている。 「ふ~ん、そんなになってるところを見るに、どうせハートのクイーン様絡みってとこだね。違う?」 ジャックの沈黙は肯定であった。 「諦めて他の女に乗り換えれば楽なのに」 「おまえには関係ねぇだろ」 「そんなことないよ~。例えば、ボクなんてどう?」 ジョーカーの手に持ったグラスの氷が音を立てる。 「はっ、笑えねぇな。その気もねぇくせに、寒気がするようなこと言うんじゃねぇよ」 「あはは、やっぱり分かるよね」 ――でもね、ここだけの話。彼女は止めた方がいいよ。 それはジャックの脳にだけ直接届いた、ジョーカーからのメッセージであった。 「どういうことだ?」 「それ以上を聞きたいなら、対価を払ってもらわないと、ね」 「いいぜ、ハートのジャック様に払えないもんなんかねぇよ。何でも言いな」 「強気だね。そういう向こう見ずなのって嫌いじゃないな」 ――対価はクイーンを諦めること。 「どう? 払えそう?」 ジョーカーは実に愉しそうに笑っている。 「おまえ、良い度胸してんじゃねぇか」 その瞬間、酒場の空気が張り詰め、店の喧噪が一瞬で消え去った。 店にいた者たちは己の不運を呪った。原因は解らないが、今、ジャックは激怒している。 氏族の上位者であるジャックの怒りは、全体を精神感応で繋げているハート氏族の下位者に圧倒的な恐怖を覚えさせる。 「度胸なかったら、ジョーカーなんてできないよ」 静けさが支配する酒場の中に、飄々とした声だけが響いた。 「失せろ」 「はいはい、それじゃ大人しく退散するよ。ジャック様の頭が冷えた頃にまた来るね」 肩を竦めたジョーカーは、ごちそうさまと言い置いて酒場から出て行った。 入れ替わるように、複数の足音が酒場へと近づいて来ると。 「無事ですか、ジャック様!」 酒場へ駆け込んで来たのは、ハート氏族のナンバーズたちであった。 精神感応で繋がっているが、それは上位者が下位者を監視する意味合いが強い。支配者である上位者の感情が故意でなく流れ込むなど滅多に起きることではなかった。 顔色を変えているナンバーズたちを見て、ジャックは己の失態に気が付いた。湧き上がった激情を伝わらないように意志で捩じ伏せる。 「何でもねぇ。それよりダイヤ氏族へ殴り込みを掛けるぞ、準備しろ」 「は?」 「俺の命令が聞けねぇのか?」 「た、直ちに準備します!」 直感的に今のジャックに逆らってはいけないと悟ったナンバーズたちは、来た時の数倍の速さで準備にと走り去った。 それを見ながら、ジャックは先程のジョーカーの話を反芻していた。 蟻のような序列がある氏族の生活。 精神感応で全体が繋がっていても、本来ならば同列には危機感情以外は響かない。 思考が丸見えになるのは氏族の下位者のみなのだ。 ナンバーズが下位者を仲介し、ジャックである俺がナンバーズとキングの間を繋いでいる。 そして、クイーンも俺と同じようにナンバーズとキングの間を繋いでいる。 だが、俺はクイーンにも思考を繋いでいる。それゆえ、俺の劣情はクイーン本人にもキングにもダダ漏れだろう。 むしろ、キングはクイーンとの仲を見せ付けて俺を煽って愉しんでいるんだろう。 ナンバーズや俺を介せず、氏族全員と思考を二重に繋いでいるのはクイーンとキングだけ。 そして直接繋いでいる人数を見ればクイーンの方が遥かに多い。 クイーンが不死者で壊れないから。 もし、食糧プラントの増設が可能となるならば、食糧の供給が増えて安定する、そうなれば、氏族が安心して暮らすことができる世界が創れるはずである。 そんな世界ならば、クイーンも自由に生きることができるはずであった。 彼女が今の立場に甘んじている理由は、ジャックには解らない。 ただ彼女が飼い殺しにされていることは許せなかった。 そして、何よりその状況を作っている張本人、キングを認めることができなかった。 (義務を果たしてこその上位者) クイーンの持つ力を抑えるだけで予想できる危機に対して動かぬキング。 (義務を果たしてこその権利) 食糧がキングに最優先で配分されるのは、それが氏族の繁栄に繋がると信じられているから。 (それを成さぬ者など死んでいい!) ジャックは歯を食いしばった。 目が覚めれば、そこはロストレイルの中であった。ジャックは見慣れた座席に腰掛けていた。 ディラックの空に敷かれる線路を走る車体。そこから伝わる微かな振動が体を揺さぶる。 未だにはっきりとしない意識のまま車外へと目を向ければ、虚空の闇を遮る窓に自分の顔が映る。 (義務を果たしてこその上位者であり権利。それを成さぬ者など死ねばいい) その思いは覚醒してエンドアを離れた後も変りなくジャックの根底に根付いている。 それがジャックを異世界へと駆り立てる。 ジャックの能力はキングのそれに遠く及ばない。このままエンドアに戻ったとして、駒として消費されるだけだろう。 それならば、クイーンを縛るものが何もない世界を見つければ良い。 そして、ロストレイルを使い、彼女が自由に生きられる世界を捧げよう。 邪魔をする者は排除するだけだ。それが、例えファミリーであろうと。 俺は今もそのためだけに生きている。
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