男は煮詰まっていた。研究が行き詰まっているのだ。 元々両親が残した莫大な遺産と土地を使った自分の趣味の研究。誰に発表するわけでもないのだが、素晴らしいものを創りだして、自分の事を変人、金食い虫などと言っている親族を見返したい気持ちがあるのも事実。 本土にある本宅の管理を他人に任せて、男はこの島に立てた研究所にこもりきりだった。助手も設けずただ一人で、セキュリティばかりに気を使った施設で延々と研究を続ける……そんな毎日。 食材や必要機材の配達員達以外は気味悪がって研究所には近寄らない。そもそも近寄ってほしくないと思い、そう仕向けるような研究所を作ったのだから思惑通りといえばそれまで。何の研究をしているのかわからないから近づかないように、と地元民は子供に言い聞かせているらしい。 ある日の早朝、男はそっと研究所を出て近くの浜辺へと向かった。 朝特有の澄んだ空気とまだ残る夜の匂いを肺に吸い込んで、とぼとぼと砂浜に足跡を刻みながら歩く。 ザザザザー……寄せては返す波が話しかけてきたけれども、男は返事をする気分ではなかった。 あまりにも上手くいかないので気分転換でもしようと、何週間ぶりかに外に出たのだが、優しい波の声も爽やかな空気も男の心を動かしはしない。 昔の自分はこんなではなかった……気がする。だがいつからだろう、自分の琴線に触れるものはがらりと変化してしまった。自然は彼の心を動かさない。 だから、彼はそれを見た時に自分の胸がドクンと一度強く音を立てたことに驚いた。そして慌てて『ソレ』に駆け寄った。籠って研究ばかりしている足では砂浜を走るのは骨が折れるものだったが、それでも構わずに。 さらり…… 波打ち際に横たわる人影。波に濡れていない部分の金色の髪がさらりと潮風に揺れる。(女性……?) 長い髪、横たわった腕の影から覗く放物線は胸の膨らみ。青白い肌色が下半身へと続き――男は目を見張った。(これ、は……!?) その女性の下半身は、魚の尾びれのようだった。 明るい薄紫色をした尾びれには鱗も――男はゆっくりと手を伸ばした。それは人命救助的な意味でではない。自然には心動かされない、人との接触は絶っている、そんな自分の心を動かし掛けたこの女性は何なのか、確かめるために。 水平線から顔を出している太陽の光が彼女の身体に反射して男の視界を襲う、その理由を確かめるために。「……!」 触れた指先が感じ取ったのはひんやりとした金属の触感。何の金属でできているのかは分からないが、生物ではないようだ。彼女の下半身を見ると、海水につかったその尾びれの鱗は上手く描かれているが本物ではないようだ。触っても鱗特有のザラザラとした触感はない。(……なんなんだ、これは……)「……っ! ……!?」 薄っすらと瞳を明けた女性が、何事かを口にして男へと手を伸ばす。言葉はわからなかったが助けを求めているように感じられた。 金属でできているというのにその肢体にはつなぎ目のようなものはなく、動きもまるで人間のようだった。(これだこれだこれだこれだこれだこれだ――!) 男は、この女性は行き詰まった研究のために、天が与えたものだと思った。 だから、他の人が彼女を見つける前にその冷たい身体を抱え上げて、研究所へと運んだ。 抱え上げられたことで安心したのか意識を失った彼女が、これで助けてもらえると思ったことなど、露も知らずに。 *-*-* ターミナルのいつもの部屋。世界司書の紫上緋穂は自分の司書室を持っているにもかかわらず、いつもこの部屋でロストナンバー達を出迎えている。今日も同じだ。「やっほー」 先に席をついていた彼女は、指の間にシャープペンシルを挟んだままの手を上げて、軽く挨拶をした。そして人数が揃ったことを確認すると、ゆっくりと今回の任務を告げる。「壱番世界に飛ばされちゃったロストナンバー保護お願いー」 かるーく言われたからって任務が簡単なものだなんて思ってはいけない。それを学んだロストナンバー達は次に続く言葉を待った。「えっとー……壱番世界日本の鹿児島県に種子島って離島があるんだけど、そこに行って欲しいんだ。離島といっても結構大きいんだけど。その島の一角に、その土地を有している人が研究所を立てたんだって。保護対象はその研究所にいるよ」「研究所内に飛ばされたということですか?」 椅子にかけていたユリアナ・エイジェルステットが白く細い指をぴんと伸ばして小さく手を上げた。「ううん、飛んできたのは海で、波打ち際だったみたい。浜辺に倒れているのをこの研究者――えっと、名前は……瀬戸拓篤(せと・たくま(35))に見つけられて、運ばれたんだよ」「では、研究所で手厚く保護されているということでしょうか」 緋穂の言葉を受けたユリアナは平和的に考えたようだが、他のロストナンバー達はちょっと考えるようにして。「その研究所で行われている研究と、転移したロストナンバーの情報を教えてくれ」 急くような問いに緋穂は頷いて、口を開く。「行われている研究は、よくわかんない。でも難しそうな機械がいっぱいあるから、機械系なんじゃないかな? ごめん、そっち系専門外でー」 てへーと笑った緋穂を、ロストナンバーは目で促す。さっさと続きを言え、と。「転移したロストナンバーの名前はリエルカ。一言で言うと人魚さん」「……それって、常人でも不思議対象じゃないか! 専攻が違うからといっても研究者という人種はそういうの、研究したがるだろっ……いそがないとやばいんじゃ」「それがねぇ……、正確に言うと、金属でできた人魚さんなんだよね。アンドロイド? ロボットみたいな感じかなぁ?」「ど真ん中じゃねぇかっ!!!」 集まったロストナンバー達の顔色が変わる。これは、まずい。急いで保護せねば確実に――「研究対象にされてしまうということです、よね……?」 皆の心を代弁するかのように呟かれたユリアナの言葉に、緋穂は頷く。ユリアナも青ざめていた。「だから、リエルカさんを保護してしいの。研究所の中に入って!」 緋穂の話を要約するとこうだ。 何を研究しているのかよくわからないし瀬戸は滅多に姿を表さないしで地元民は研究所にめったに近づかないが、さすがに爆発とか崩落とか火事とかになれば警察や消防を呼ばれていまうので注意が必要だ。大事にならない程度の破壊なら止むを得ないが、壱番世界では事件として扱われるかもしれない。ちなみに研究所内に瀬戸以外の研究員はいない。 研究所に入るには門を開ける必要がある。研究所の周囲は鉄格子のような柵が張り巡らされていて、電流が流れている。開けるには門柱にある操作パネルで所定の操作をする必要があるが、これがまた初見で何とかなりにくいもので。だが門を壊せばセキュリティが感知して、瀬戸に知らせるだろう。 続いての研究所の扉。こちらもロックが掛かっていて、所定の操作をしなければ開かない。以下同文。 リエルカは『No.16』という部屋の水槽に、下半身を海水に浸す形で囚われている。どうやら水は平気なように作られているようだが、海水は動作系統をおかしくするらしく、動くことが出来ない。また、彼女の水槽の周りには赤外線のようなものが無数に貼られている。彼女の入っている水槽の蓋を開けるのも赤外線を解除するのも、その部屋の中にある機器での操作が必要だ。 ロストナンバー達が研究所にたどり着いた時、瀬戸は自室にしているリビングのソファベッドで眠っている。けれども何か異常があればアラームが瀬戸に知らせる。「できれば瀬戸さんに気づかれずにリエルカさんを連れ出せればいいんだけど。そうすれば瀬戸さんは被害届とか出せなくなる。でも気づかれれば――わかるよね?」 壱番世界で事件として扱われることになるだろう。ちょっと不思議な事件、で済めばいいのだが。「本当は装置を解除してこっそり、が理想だけど機械は専門的なものだからさ、解除できなくても仕方ないと思うんだ。その場合は、多少の破壊はやむをえないと思う。旅人の足跡の効果もあるし、ね」 瀬戸一人くらいなら何とか、といったところか。さすがに島民が集まってくるような大事はまずいだろうが……。「あとごめん、ちょっと部屋の配置まではわからなかったんだ。研究所が二階建てなのはわかったんだけど。だからリビングも、No.16の部屋も、現地で探して欲しいな」 こっそりとリエルかを救い出すか、あえて瀬戸と接触するか。やむを得ず瀬戸との接触を選ぶか。 全てはロストナンバー達に任せられた。「難しい依頼だとは思うけど、くれぐれも気をつけてね」 緋穂はチケットを差し出した。
0世界とも壱番世界の大きな都市とも違う、緑と潮の匂いの混ざった風がそよそよと吹いていた。この島の店は、夜7時8時には閉まってしまう所が多いという。きっと夜は早いうちから街は薄暗くなり、夜空が綺麗に見えるに違いない。 仲間の心遣いもあって、シーアールシー ゼロは一番最初に瀬戸の家の門前に立っていた。 行きのロストレイル内でゼロは他の皆とは時間をずらして瀬戸と接触するつもりである旨を伝えた。すると同じく瀬戸と接触するつもりのジャック・ハートから、それなら最初に済ませたほうがいいと言われたのだ。 「ゼロはリエルカさんは皆さんにお任せして、瀬戸さんのフォローに回ろうと思うのです。皆さんの到着と時間をずらして、瀬戸さんを訪ねるのです」 「奇遇だなぁ。俺サマもちィとばかし奴に接触するつもりなんだ。具体的には……」 ロストレイル内で自ら予定していた計画を語るジャック。それを聞いたゼロは綺麗な銀髪を揺らして頷いて。 「本人居ない方がデータ消去が楽だからヨ。紙レベルの情報は多少残っても仕方ねェ」 「それならば、ゼロが最初に訪問するのがいいのです。ジャックさんの行動を考えれば、ゼロが先に訪問してお話ししたとしても、瀬戸さんの警戒が強まってリエルカさんの救出を邪魔することはなさそうです」 「リズとニコ、それにユリアナ。突入は頼むゾ」 ジャックは話を聞いていたであろうリズとニコ・ライニオ、ユリアナ・エイジェルステットを見る。 「ええ。リエルカを助けるのが楽になりそうなら反対する理由はないわ」 「そうだねー。僕も同じ意見だね」 「よし、なら決まりだナ」 ユリアナにも異論はないようだ。 こうしてそれぞれの行動目的を果たすべく、順序が決定したのである。 「大きな建物なのです」 いつもの白い服で門前に立ったゼロは、研究所を見上げて感嘆の声を漏らした。 「研究に勤しむ瀬戸さんには悪いのですが、リエルカさんを研究材料にされちゃうと困るのです」 だが、理由もわからずにリエルカがいなくなれば、彼の今後に悪影響があるかもしれないとゼロは考える。だから、彼女は瀬戸と話をすることにしたのだ。 「瀬戸さんに会うのです」 背伸びをして呼び鈴を押し相手が出るのを待つ。 『……はい』 眠っていたのだろうか、声がするまで時間がかかった。それにその声は少し不機嫌そうだ。ゼロはそんなことは気にせずに、いつものような調子で告げる。 「瀬戸さんはじめましてなのです。ゼロはゼロなのです」 『……は? ……わぁっ!』 恐らくドアモニターを見たのだろう。ぼーっと立っている小さな白い女の子に驚いたらしい声が漏れ聞こえた。寝起きであるがゆえに夢の続きに見えたのかもしれない。それをごまかすように咳払いをして、瀬戸は声を固くする。 『悪戯はやめ……』 「海岸に漂着したアンドロイド人魚さんについてお話しに来たのです」 『!!』 怒りの声で通信を切ろうとしていた彼の声に割り込んだゼロの言葉。可愛らしいその声は研ぎ澄まされたナイフのように全てを切り裂いて、瀬戸へと突き刺さる。 『そ、そんなもの知らな……』 「彼女が海水に弱いのをいいことに、海水につけて動けなくしているのをゼロは知っているのです」 『……! 金が目的か。話を聞こう。入れ』 瀬戸が一方的に言い捨てたかと思うと、ゼロの前で門扉が静かに開いていく。門が開ききるのを待っててくてくと進めば、次は建物へ入る自動ドアがあった。ヒュン……音がして扉が開く。 『目の前の階段から二階へ上がってすぐの部屋で待っている』 ゼロが建物に入ったことをセキュリティモニターででも見ているのだろう、エントランスに声が響いた。 「わかりましたです」 ゼロが声の案内に従って指定の部屋の扉を開けると、そこは広いリビングだった。一面をガラス張りにした壁からは海が臨めて、とても素敵な部屋だ。しかし生活感があまり感じられない。ただ、ソファのまわりだけは毛布だの栄養食品だのの箱が散らばっていて、瀬戸がここで寝ているらしいのは分かった。 「はじめまして、ゼロなのです」 「いくら欲しいんだ? ゆすりに来たんだろ? それともアレを買いたいとでも? いくら積まれても売らないぞ!」 礼儀正しくぺこりと頭を下げたゼロに対して、瀬戸は警戒心を隠そうともしない。まるで毛を逆立てた猫だ。こんな小さな女の子にまで怯えに似た感情を見せるのは、人付き合いがご無沙汰だからだろうか。 「座ってもいいです?」 ゼロはそんな瀬戸の様子を意に介さず、彼が寝ていたであろうソファと別のソファを目で示した。いきなり訪ねるのだから、すぐに受け入れて貰えないだろうことは予想できていた。だからまずは落ち着いて話が出来る環境を作ろうとして。 「あ、ああ……」 一気に向けた強い感情の矛先をくいっと逸らされた瀬戸はというと、複雑そうな顔をして頷くしかできなかった。 「第一に、知っていると思いますが彼女は自我と知性を持った存在なのです。地球の通常の倫理観においては、知性と自我を持った存在は尊重することが是なのです」 「な……」 何で彼女が知性と自我を持っていることを知っている? そんな心情を顔にありありと浮かべて、瀬戸は喉から小さな声を発した。彼女の話す言葉は理解できなかったが、仕草や行動は人間とよく似ていたのは確か。だがそれを何故この少女は知っているのだろうか。 「第二に、彼女は地球以外の文明に属し、その尊厳を損なう行為は地球人全てを貶め、その汚点となるのです」 「地球外生命体……」 確かにざっと見たところ、あんなに滑らかで人間にそっくりのアンドロイドは今の地球の技術では作れない。それはその道の研究をしている瀬戸には痛いほど分かる。だが、地球外生命体だと言われてそう簡単に納得できるものではない。 「ゼロは彼女の保護を目的として来たのです」 「ちょっと待て。やっぱりアレを奪いに来たんじゃないか。海岸でアレを拾うところを見たんだろ? 見て――」 そこまで言って瀬戸は押し黙る。自分の言っていることが辻褄が合わないと気がついたからだ。 人魚を拾った時、瀬戸は誰かに見られていないか注意深く研究所まで運んだ。瀬戸は誰にも見られていないと思ったし、もし遠くから見られていたとしたら『女性を連れ帰った』様には見えても『知性と自我を持ったアンドロイドを連れ帰った』様には見えない。そんな近くまで接近してきた者はいなかった。 研究所は瀬戸ご自慢のセキュリティで固められている。人魚を拾ってからは研究所内に誰も通していなかった。 では、何故この少女は知っているのだ? その答えは彼女が今、語ったではないか。だが信じられない、その思いで瀬戸は若干混乱をきたしている。 「……地球外生命体ということは、その、いわゆる宇宙人というやつか?」 短絡的思考だと思ったが、地球外生命体だと言われるとやはり結びつくのはそれ。だが目の前の少女は大きくかぶりを振った。 「ゼロ達は宇宙人じゃないのです。説明するのはひどく難しいのです。でも……」 普通の人相手だったら「宇宙人です」で済ませてよかったかもしれない。けれどもゼロは、瀬戸相手にそれはしたくなかった。下手に宇宙人だといえば、彼は今度は宇宙人の研究を始めて今後の人生を空費してしまう可能性があるからだ。 しかし真理に抵触しないように異世界の住人であると説明するのはなかなか難しく。少し口ごもる。何処までがOKでどこからがタブーなのか。考え始めた時、瀬戸が口を開いた。 「宇宙人でないとしたら、小説とかによくあるパラレルワールド、ああいう異世界から来たと思えばいいのか?」 「はい。それが一番近いと思うのです」 「他に、証明できるか? 今のままじゃまだ、秘匿されていた先進技術を取り戻そうとしているエージェントという可能性も捨て切れない」 瀬戸の言葉にゼロはリビングの天井を見上げる。普通の天井より高く作られているから、大丈夫だろう。 「よく見ていてくださいです」 ずずずずず…… 「!?」 瀬戸は目を疑った。少女が立ち上がったと思ったら、だんだんと大きくなっていく。すぐに彼女は瀬戸の身長を追い越し、そして最終的には天井ぎりぎりまでの大きさになった。服も、愛らしさも全て大きくなり、瀬戸を見下ろしている。 「これで信じてもらえるですか?」 しゅるるるるるる…… 元のサイズに戻りながらゼロ。瀬戸は頭を抱え、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。と思ったら、急にソファから降りて土下座をし始めた。 「小説のような事が自分の身の上に起きていることは分かった。でもアレは行き詰まった研究をすすめるために必要なんだ! アレを持って帰られたら、どうしたらいいのか……」 「人と交流すればいいのです。交流は自分では思いつかない考えをもたらすのです。行き詰まった時にピッタリなのです」 「そんなっ……見捨てないでくれっ!!」 驚くべき速さで近寄ってきた瀬戸は、ゼロの足元にすがるようにしながら頭を擦りつけている。ゼロが理解を求めた事柄を理解はしたものの、諦めきれないようだ。 「仕方がないのです。ジャックさんーお願いするのですー」 ゼロは天井を見上げるようにして、大きく手を振った。 *-*-* ゼロが天井に向かって手を振る少し前。時間的にそろそろかということで、ジャック、リズ、ニコ、そしてユリアナの四人は研究所前に集まっていた。 「そろそろかね……俺サマ後で合流するからテメェら好きに暴れとけ? ッてもあんま無駄に壊すなヨ……俺ァ電子機器制御は出来ても修繕は出来ねェゾ」 「了解ーでも壊さないって約束はできないかもー」 にへらーっと笑ったのはニコ。そもそも機械は得意ではない。 「中にいるゼロが警報とか止めてくれればいいのだけれど。さすがにそこまでは望み過ぎよね。適当に弄ってみるわ。ええ、適当に」 リズが真顔で頷いて見せる。中にいるゼロも同様だろうが、リズも機械が得意というわけではない。 「機械はあまり自信はないですけれど……」 ユリアナが遠慮がちに意思表示をした。 「……俺サマ、暫く外して平気か?」 「大丈夫よ」 「なんとかなるよー」 「が、がんばります……」 一抹の不安を覚えたジャックの言葉に、三人人は即答。余計に不安が募るが、まあ仕方ない。 「じゃあ、行ってくるゼ」 断り、ジャックは飛んだ。研究所上空を見渡せる位置にまで上昇し、見下ろす。 「所詮個人レベルだナ……空中ががら空きだゼ」 その言葉の通り、空からの侵入は全く警戒されていないようだった。ぶっちゃけ個人趣味の研究所である。国家機密を扱っているわけではないから、空襲されることなど想定していないのだ。 「さて、奴さんは何処だ、と」 透視の能力で研究所内をくまなく探っていく。と、案外すぐに見つかった。二階がリビングになっているおかげで、上から見ていった時にすぐに発見できたのである。 「お?」 土下座をしている瀬戸が、ゼロへと近寄って再び頭を下げた。そして、ゼロがこちらへ向かって手を振っている。これは予め決めておいた、話が終わった証。一応説得はしたがどうにもなりそうにない時や危険な時の合図にもなっていた。 「よし、任せとけ」 シュンッ 次の瞬間、ジャックの腕の中には瀬戸の身体があった。 「ヨォ、瀬戸ッつったナ? テメェ暫く人情に触れて来いヤ、ヒャヒャヒャヒャヒャ」 耳に残る笑い方をしたジャックはすかさずスタンガンレベルの放電でその意識を奪う。ぐんっ、と気絶した瀬戸の体重が腕へとかかった。だが彼はそれを物ともせずにそのまま精神感応を施す。 「ふーん、なるほどナ」 ジャックが読んだのは瀬戸の記憶。特にリエルカの記録を何処に残しているのかを覚えておく。あとで必要だからだ。 「さてと。方角はあっちか」 ばさり、空中で片手を使って日本地図を開く。現在地は出発前に記しておいた。確認するのは目的地。 サイコシールドを張り、時速200km超えで向かうのは、鹿児島県の佐多岬。九州本島最南端である。 種子島から北方へ進み、目的地へと辿り着くとジャックは人目につかなそうな場所を物色した。丁度よい木陰が眼下に有る。 「北海道でないだけありがたく思いナ」 未だ気絶したままの瀬戸をアスポートで人目の付かない木陰に捨てる。勿論、そのまま放置してジャックは研究所へと戻っていく。 「……それでも人に助けられりゃ変わるかもしれねェだろ」 時速200km超えの移動中に呟かれたその言葉は、風ですら認識できなかった。 *-*-* 「誰も来ないとこで女の子とふたりっきりなんて……なんてうらやま、もとい、けしからん!」 軽く憤るニコ。 「そもそもさー、女の子の扱いがなってないよね。女の子はやさしく、紳士的に扱うもんだって相場が決まってんの!」 「じゃあリエルカを最初に助けた人が王子様ってことでいいわね」 「えぇっ!?」 ニコの言葉を聞いていたのかいなかったのか、リズがバッサリ。これにはニコもユリアナも慌てて。 「えー、協力してくれないの?」 「まあ、別に競うわけじゃないし要所要所で協力するわ」 その言葉を受けてニコは笑む。 「女の子二人で両手に花だよねぇ」 心底嬉しそうであるが、研究所内に残された三人の前には最初の難関となる門が立ちはだかっている。インターフォンの下に小さなドアがあり、そこを開けると操作パネルのようなものが現れたが、どうすれば開くのかさっぱりわからない。 「ジャックが計画を実行しているのならば、中に瀬戸はいないのでしょう? 力ずくで進んで警報が鳴ったら、なにか不都合はあるの?」 「えっと、多分、警報が鳴ると自動的にセキュリティ会社に連絡が行くようになっていると思います。しばらくすると、武装したセキュリティ会社の人達がやってきます」 リズの問いに壱番世界出身のユリアナが答える。セキュリティ会社の人達が来るとしても、進めなければ壊すしかないのだが。 「ちょっと思ったんだけどさ、ここって壱番世界じゃん? 空飛べる奴なんてそうそういないしさ、飛んでって上から入ったら、門も扉もスルーできるんじゃね?研究室はさすがに無理かもだけどさ」 「門を飛び越えるのは私も考えたわ」 ニコの問いに頷いたリズは、獣化して門を飛び越えようと考えていた。ニコ自身は本来の姿である龍の姿に戻ることも考えていた。女の子を救うためならやぶさかではない。 「けどさ、多分超目立つね。ま、ひとつの案として」 「飛び越える間の短い時間くらいでしたら、多分ごまかせるのではないでしょうか」 考えるようにしていたユリアナが顔を上げて口を開く。 「ただ……この建物の向こう側、例えば庭があるそちらに降り立っても、そこから建物に入れるとは限らないと思うのですが……窓などには鍵が、かかっていると思うのです。どうでしょう……」 「あ……そっかぁー確かに、窓が空いてるとは限らないね。屋上の扉も開いているとは限らないし」 これだけセキュリティに気を使っているのだから、窓や扉を閉め忘れるなどということはほぼないはずだ。空調をきかせて一切窓をあけないでいるかもしれない。ニコは納得して。 「じゃあ、とりあえず門を抜けようか。怖がらないでねー」 言うが早いかニコは赤竜に姿を変え、ぶわっと飛んだ。あまり長い間その姿でいると目立ってしまうことがわかっているから、動きは早い。 「ユリアナは大丈夫? 飛び越えられなければ咥えていくけど」 「あ……ありがとうございます。ギアがあるので、大丈夫です」 リズの心遣いに嬉しそうに笑んで、ユリアナはギアによる光の翅を顕現させた。それを見て安心して、リズは一瞬で銀豹へと姿を変えた。そして鮮やかに跳躍し、門を飛び越えて姿を戻す。急激な身体変化による頭痛がするが、構ってはいられない。悟られぬように顔には出さない。 つづけてユリアナがふわっと飛び越えたのを確かめて、ニコとリズは第二の難関、入り口の扉の操作バネルへと目をやった。 こちらは門の所にあったものと同じタイプだが、やはり操作方法がわからない。 「誰か、案がある人はいる?」 「「……」」 リズの問いかけに帰ってきたのは沈黙。そういうリズも、仲間に任せるつもりでいた。だが戦力になりそうなジャックは、まだ戻ってきていない。 「壊すなって言ってたけど、守れそうにないねー」 「無駄に壊すな、って言ってたわ。これは必要な破壊」 ジャックの言葉を思い出して、ニコとリズが顔を見合わせる。どうやら門を破壊することに決まったようだ。 「ユリアナちゃんの話によれば、警報が鳴ったらあまり時間がないんだよね? じゃあ、急いでリエルカちゃんを助けないとね」 「扉を破壊したら突入するわよ。走りましょう。少し離れて」 頷き合う三人。そしてリズがトラベルギアであるライフルを構えた。装填した弾薬にはカットを施してある。ニコとユリアナは扉から離れ、固唾を飲んで見守った。 パァンッ……パンッ……パンッ!! 乾いた音が鳴り響き、自動ドアが歪む。その歪んだ扉を力づくでこじ開けている間に、無機質な機械の警報音が鳴り響きはじめた。 「リエルカちゃんの居場所なら任せて。女の子の気配読むの得意なんだよね~」 「こういうのって、地下室が定番だわ」 足を止めて気配を探っているニコの後ろでリズが言い切る。なんだか研究所の地下室にロマンを感じているようでもあった。 「リズちゃん凄い。気配は地下からするよ。地下に行く階段は……多分突き当り」 「こっちに行ってみましょう」 走りだしたリズにつづいてニコとユリアナも走る。警報が煩くて大きな声で話さねばならぬのが難点だ。 「あったわ!」 運良く最初に選んだ方向の突き当りに物陰に隠れるようにして階段があった。ここまで来る途中、研究室のプレートを見ていたニコは、階段側の研究室がNo.15であることに気がついた。ということは、階段の下にNo.16があってもおかしくはない。いや、この下からリエルカの気配がするのだから間違い無いだろう。ニコは女の子の気配を読み違えることはない。 先を争うように階段を降りる。地階の部屋の扉はひとつしかなかった。部屋もひとつしかないようだ。 「No.16! この中ね!」 パァンッ! リズのライフルが鍵を撃ちぬく。扉の意味をなさなくなったそれを身体で跳ね飛ばすようにして室内へ転がり込んだニコは、息を呑んだ。続いて入室したリズとユリアナも同じ反応である。 薄暗い室内は、電子機器の青白い光だけが明かりとなっていて。中央の大きな水槽のなかの塩水はその光を反射してきらきらと幻想的に輝いていた。 一見すれば美しい光景――だが、水槽の中心を見れば美しさに酔ってばかりはいられない。 柱のようなものに縛り付けられるようにして、ぐったりと頭を垂れているのは金色の髪の人魚。下半身だけ浸かっているのは塩水だろう。ピクリとも動かない。 「リエルカ!」 「リエルカちゃん!」 叫んだリズとニコの声は思った以上に響いた。急がなければという強迫観念に駆られていたから気づかなかったのか、そういえばこの部屋の扉を撃ちぬいた頃からそれまでうるさい程に響いていた警報が聞こえなくなっていた。おそらく戻ってきたジャックが警報を止めてくれたのだろう、そう判断してほっと胸をなでおろす。だがまだ全てが終わったわけではない。 「リエルカ、聞こえる? 助けに来たの、王子様よ」 「リエルカちゃん、聞こえたら返事をしてくれないかな? 僕達の言葉、分かるよね?」 赤外線を解除していないため下手に近寄ることはできない。まずはリエルカの安否確認だ。リズとニコが必死に呼びかける。 「……聞こえる、わ」 ふるっと金髪が揺れて、小さな声とともに彼女がその面を上げた。憔悴しきった様子が痛々しい。 「私の言葉、わかるのね……たす、けて……」 ほろり……鋼のその瞳から、雫がこぼれ落ちた。ニコとリズはその涙に心締め付けられる思いだ。 「機械はやっぱ分かんないしさ、もうちゃっちゃと壊しちゃった方が早くない? ここまできたらさ」 「そうね……」 早く助けだしてあげねば、その思いが二人の心を支配する。だが彼女を助け出すには赤外線を何とかして水槽の蓋を開けねばならない。 この際、彼女を傷つけなければ破壊もやむをえぬだろう――そう判断したその時。 「テメェら随分思い切ったなァ。これ以上はちょっと待てヨ」 「ジャック! 遅かったわね」 「ゼロもいるのですー」 頼もしい仲間の声に振り返る。ジャックの後ろから、ゼロもひょこりと顔を出した。警報を止めに行ったジャックと途中で落ち合ったらしい。リズが構えかけていたライフルを下ろした。 「今制御してやるから、ちょっと待て。ちなみに警報は解除して、警備会社がこないようにしておいた」 「やるねぇ」 ジャックは操作パネルに干渉し、全てのシステムを支配下においてしまう。彼にかかればこんな事、瑣末な作業であった。 グゥン……低い振動音を上げて水槽の蓋が動き始める。一拍の後にジャー……と水の流れる音がしはじめた。よく水槽を見ればすこしずつではあるが水位が下がっている。海水が抜かれているのだ。 「後は任せた……俺ァ記録を消せるだけ消してから戻る。あまり壊すなよ」 「壊しすぎたら瀬戸さんがかわいそうなのですー」 すでにこの部屋の電子機器からリエルカの記録を消したジャックは、セキュリティのコントロールルームへ向かうべく部屋を後にする。ゼロが呟いたが、すでに入り口の扉とこの研究室の扉で修理にはどれくらいかかるのだろうか、想像はできない。 「ほら、いま助けるわよ、リエルカ。私がリエルカの王子様よ」 「あ、抜け駆けはずるいよー。リエルカちゃん、僕も助けてあげるからね」 にっこりと微笑んでみせるリズに対抗して、ニコも水槽の中に入ってリエルカを縛る鎖を解きにかかる。 「本当に、助かるのね……」 泣きそうな表情でリエルカは言葉を紡いだ。精神的にも肉体的にも相当辛い思いをしたのだろう。恐怖にさらされていたのだろう。 「よし、ほどけたー」 ぐらっ……ニコが鎖を取り去ると、リエルカの身体が傾いだ。海水の染みこんだ下半身は動かないが、腕は動くようで、そのままリズの胸へと倒れこんで首に手を回す。 「もう大丈夫よ」 彼女を落ち着けようと背中へ手を回すと、その肩が小刻みに震えているのに気づいた。リズは母親が子供にするように優しく、背中を撫でてやった。 「いいなー。役得ー」 「ニコさんはロストレイルまでリエルカさんを抱っこしていけばいいと思うのですー。平等に役得なのですー」 「それがいいねー」 羨ましそうに指をくわえるニコに掛けられたのは、ゼロの提案。なるほど、それなら彼も納得だ。 ただし金属でできた彼女は普通の女性より多少重いかもれぬが……女性を抱っこできるのならば、そのくらいは大丈夫、だよね? *-*-* ジャックは一人、研究所のコントロールルームへと来ていた。一度警報を止めるために訪れたが、今度は記録を消すためである。 さすがに紙媒体の記録は多少残っていても仕方がないが、電子媒体のものは全て消しておきたかった。 ハードに記録されているものは勿論、ノートパソコンやカメラ、スマホ、携帯、SDカードやメモリースティックなどを透視でくまなく探す。スタンドアローンで別の機器に記録していることも考え、注意深く探しては消去を繰り返す。こうしている間に仲間達はリエルカを連れだしているだろう。 ジャックは、ジャックにしかできないことをするつもりだ。 「これで最後、か? 随分とたくさん残しやがって」 ぽいっとデジカメをソファに放り、ジャックはため息をつく。後は監視カメラの映像を削除すれば終わりだ。 「……少しは変わるかねェ」 佐多岬に置き去りにしてきた瀬戸はそろそろ誰かに助けられただろうか。 ぽつり、呟いた。 *-*-* ロストレイル車内までニコはリエルカを姫抱っこで運べて満足そうだ。優しく座席におろしてあげるとちゃっかり隣に座っている。対抗するように’王子様’リズが向かいに座る。ゼロとユリアナは通路を挟んだ隣のボックス席に腰を下ろした。 「おー、間に合った間に合ったゼ」 最後の一人、ジャックが乗り込んだ瞬間、彼が座るのを待たずにロストレイルは走りだした。これから0世界へと向かう。 「0世界には色々な人がいるから、きっとリエルカちゃんの足……足ひれ? も治ると思うよー」 「あの……0世界って……?」 救出されたことでそのまま保護されて連れられてきたリエルカだったが、そろそろ人心地ついて疑問も湧きだすだろう。ニコの言葉におずおずと彼女は口を開いた。 これから駅につくまで、皆でわかりやすく彼女の置かれた状況を説明していく作業がはじまる。 彼女の感じる最初の絶望が軽くなるように、新たな仲間が増えたことを歓迎しながら。 *-*-* がたん……ロストレイルが停車する。すると聞き覚えのある声がホームから響いてきた。 「おーい! おかえりー!!」 「あら、緋穂?」 窓を開けた顔を出したリズは、見覚えのある司書の顔を見つけて。 「行きにロストレイルに乗せておけばよかったんだけど、忘れちゃって。これ、持ってきたの」 ホームに立つ緋穂の前にはアンティーク風のデザインの車椅子が置かれていた。どうやらリエルカの移動に使用していいということらしい。 ニコが抱き上げてリズが寄り添って、リエルカを車椅子に座らせる。ジャックがゆっくりとロストレイルを下りながら、その光景を見つめていた。 「緋穂さん、お話があるのです」 ゼロは一番最初に列車を降り、緋穂へと近づいていた。声をかけると車椅子への乗降を見ていた緋穂はゼロの方を向いて。 「何かな?」 「瀬戸さんについてなのです。瀬戸さんは自力研究の末に覚醒する可能性があると思うのです」 異世界間文明や国家がカンダータのような特殊な例外を除き確認されていないことから、真理を明確に理論化した研究者は確実に覚醒し世界放逐されるとゼロは推測している。そして、瀬戸は旅団や図書館のロストナンバーとして過ごす方が安寧が増大するのではないか、そうとも思っていた。 ゼロの言葉に緋穂の動きが一瞬止まる。 「わかった、後で報告に来てくれるかな?」 「はい、なのです」 他の者に聞こえぬように言葉をかわし、二人はプラットホームから出ようとする一行に早足で追いついた。 佐多岬で眠っているところを発見された瀬戸は病院で精密検査を受けた後、無事に種子島の研究所へと戻った。 その破損具合と消去されたデータが彼が相対した人物達が夢の産物でないことを表していたが、彼はそのことを何処にも漏らさなかった。物証がない以上頭がおかしいと思われるのは確実に瀬戸の方なので、これは賢い判断といえるかもしれない。 彼はその後、今までの研究を捨てて新たな研究を始めたらしい。 その研究内容は『パラレルワールドと次元について』だと、風の噂が聞こえたとか。 【了】
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