「どっぱーん! ざっぱーん!」 「眩しい太陽!」 「どっぱーん! ざっぱーん!」 「気持ちいい風!」 「どっぱーん! ざっぱーん!」 「やっぱ海はいいぜ!」 ブルーインブルーの海は、どこまでも広くどこまでも青い。視力のつづくかぎり目をこらしてみても終わりがない。まさに無限の世界だ。 桐島怜生は大型商船のデッキのうえでおおおきく深呼吸した。潮の香りが鼻腔をくすぐる。 「で。おまえ、さっきからなにしてんの?」 軽蔑をこめた半眼を送ったのは舟の舳先だ。 前後におおきく股をひらき腕組みしたルイス・ヴォルフが意味不明な奇声をあげている。どっぱーん、ざっぱーん、と。その行為はすでに三十分もの長きにわたってつづけられていた。 「海、だろ?」 いい笑顔でふりかえるルイス。一気にげんなりする怜生。 「ああ。海、だな……で、なにしてんのよ?」 「海っていったら、やっぱあれだろ。漢の海だ!」 「言ってることまったくわかんねぇんだけど……」 「漢字の漢って書いてオトコな。これ重要」 「だから、言ってる意味わかんねぇって……」 ルイスが「こいつは全然だめだ」とでも言いたげに肩をすくめた。冷笑すら浮かべている。あまつさえフンと鼻を鳴らした。 ぷち。 「てめぇ、いい加減にしやがれよ」 ゴゴゴゴと背中から怒りのオーラを立ちのぼらせて怜生がルイスに歩み寄る。瞳には殺意の炎が燃えあがっていた。 「お、やっちゃう? オレ様とやっちゃおうっての?」 ルイスもルイスで犬歯をむき出す。 「ちょ、ちょっと、あんたたち、なにやってんだ。これからが本番ってときに、しっかり働いてもらわなきゃ困るよ」 闘志をぶつけあうふたりのあいだに、でぶっちょが割って入った。この船の持ち主である商人だ。汗を四方にふりまきながら大仰に両手をふってみせる。 「なんのために高い金を払ってると思ってるんだ。海賊どもが出没するのはこのあたりの海域からなんだぞ。海魔だって襲ってくるかもしれん。護衛のあんたたちが仲間割れしてどうするんだ?」 怜生もルイスも言葉に詰まった。悪気があってのことではない。彼らはいつもこうなってしまうのだ。 「オ、オレはただ漢の海を演出してただけだ! それをこいつが邪魔しやがるから!」 「だから、そのヲトコのウミってなんだよ?!」 「漢の海っつったら、こう、荒波が押し寄せる感じだろ? こう、波しぶきが、こう。な?」 「…………」 なるほど。それでさっきから自分で波の音をまねしていたわけだ。 怜生がさらにツッコミをいれようと大きく息をすいこんだとき、にわかに水しぶきがあがった。空に舞いあがった海水がしずくとなってふりそそぐ。 怜生はかざした手のひらで飛沫をよけながら、なにが起こったか見極めようと目をほそめた。 「砲撃だ! 海賊が出たぞ!」 マストにある見張り台からの警告とほぼ同時に船影を発見する。一隻だ。見る間にちかづいてくる。 「おい、ルイス! 迎撃す――」 「ぅおおおおっとこぉのをををををを、うみがあああああああ、きたあああああああああ!!!」 ルイスは弾丸着水による荒波に歓喜していた…… 船員たちがあわただしく甲板をかけまわる。ある者は船倉の品物をまもろうと武器を手にし、ある者は銃で撃たれないよう樽のかげに隠れている。 混乱の渦中、海賊船は威嚇砲撃をやめ、接舷しようと商船の舷側に縄ばしごを投げつけてきた。鉄製の鉤爪がくいこむ。 ここにきて、さすがのルイスも敵船をにらみつけた。 「漢の海を演出してくださったのはおまえたちかーっ!」 台詞はそこはかとなくおかしかったが、それでも戦う気にはなっているらしく、ぐいと首輪をひっぱった。彼のトラベルギアはこの首輪だ。 とりはずした首輪がかがやく。リードの先をもって投げつけた。 きれいな弧をえがいて、縄ばしごを切断していく光輪。縄を足がかりに海をわたろうとしてた海賊たちはつぎつぎと水中へ落下していく。 海賊たちからは悲鳴が、船員たちからは歓声があがり、ルイスは「へへへ」と鼻先をこすった。 釈然としないのは怜生だ。先ほどまでふざけまくっていたルイスが拍手喝采をうけ、なぜいま自分は冷たい視線にさらされているのだろう。 「お、俺だってなぁ!」 といきがってみたものの、近接戦闘を得意とする怜生にはできることがない。しかたないので海賊船にむかってびしぃと指をさした。こういうとき無駄に大きな声が役立つ。 「て、てめぇら! いい加減あきらめて退散しやがれ!」 まぁ、いい加減もなにも、縄ばしごを切っただけなのだが。 すると、相手の船長らしき人物が叫びかえしてきた。アイパッチに黒ひげという、いかにもな風体だ。 「俺たちの縄ばしごを切りやがったのはてめぇらかぁ?!」 びしぃと指までさしかえしてくる。 「み、見てたんだから、わかんだろ!」 海賊船の船長がぶわっと涙ぐむ。何メートルもの距離をへだてているのに、怜生はおもわずあとじさってしまった。 「なんで切るんだよおおおおおおおお」 「え? あ、いや。ご、ごめんなさい」 あまりの号泣っぷりに、頭をさげる怜生。って、はっと顔をあげる。 「なんで俺があやまってるんだよおおおおお!」 「おまえが悪いからだろおおおおおお!」 しばし静寂が場を満たした。 海賊の頭領は涙をぬぐい、怜生は赤面していた。 「てめぇらみたいな悪者には、天罰がくだるんだからな!」 念のために記しておくが、船長の言葉だ。怜生ではない。 なんだかとっても疲弊してしまった怜生の足首をひんやりしたものがつかんだ。いつのまにのぼってきたものか、海に落下した海賊のひとりが船べりと彼にしがみついていた。 海賊が片手で懐剣をぬこうとする。 怜生はにっと笑って、そいつを蹴り飛ばした。再落下する海賊の嘆きが小さく尾をひく。 「これだよ、これ! こういうわかりやすい展開がほしかったんだよ!」 ぞくぞくと上船してくるずぶぬれの海賊たちに、怜生はぐるぐると腕をまわしながら嬉々として突進していった。 古武術の使い手である怜生のトラベルギアは手甲と足甲だ。氣が収束された拳と足刀はあわい光をはなっている。その威力は一撃でだいの大人が吹き飛ぶほどだ。 「こいつは賃金を払いすぎたかな」 と、いかにも商人らしいことで舌打ちしたのは船主だ。安心して用心棒の戦いっぷりをながめながら、これならひとりで十分だったと思ったのだ。実際それほど怜生の強さはッ桁違いだった。 「なんでいじわるするんだよおおおおおお」 海賊のかしらがわめいている。 それもそのはず、海賊船には荒くれ者たちが何十人と乗っていたはずなのに、いまやその大半が甲板でのびているか、海でおぼれかけていた。すべて怜生の仕業だ。 「さぁて、お仕置きの時間だぜ」 ぱんぱんと手のホコリをはらう仕草をみせて、怜生はすごんだ。残った海賊たちのほぼ全員がおよび腰になり、ボスのしゃくりあげが号泣に変わる。 どうやって敵船に移動しようかと、きょろきょろさせていた目の玉が、後頭部への衝撃で1ミリほど飛び出た。 「っっっってぇ!」 ルイスが「あ、ごめーん。君がそこにいたのに気づかなかったよ。はははー」などと言いながら海賊船の甲板におりたった。人狼の脚力なら余裕の走り幅跳びだったろう。わざわざ怜生の頭を踏み台にしたのは、わざとだ。 「あいつ、俺の活躍に嫉妬しやがって……」 歯ぎしりする怜生もまたついさっきまで、活躍するルイスに嫉妬していたわけだが、そんなことはもうすっかり忘れている。 「いまさら泣いてあやまったって遅いぜ。てめぇはこのルイス様を怒らせた」 ルイスは泣きじゃくる船長の喉元にトラベルギアをつきつけた。雑魚どもは雑魚らしく、そこいらでちぢこまっている。 これぞ見せ場とばかりにルイスは鼻息を荒くした。 「オレ様の強さが身に染みてわかったら、今すぐ尻尾を巻いて逃げるんだな。まぁ尻尾があるのはオレのほ――へぐっ!」 「あ、ごめん。おまえ、そこにいたの?」 ルイスの背骨におもいっきりドロップキックを食らわせながら、怜生が「はははー」と笑う。そこにいたもなにも、全力でジャンプして、全力で足をあげて、全力で突進している。 ルイスの体は勢いよく吹き飛び、変なかたちをしたまま見事に船長を巻きこんで、マストに激突した。 「て、てめぇ……」 ルイスは、ぐったりと白目をむいている船長を片手でひょいと投げ飛ばし立ちあがった。ごろごろと転がっていく海賊には見向きもしない。 彼は怒りのあまり総毛立っていた。 「お? なに? 怒ったの?」 怜生がおちょくるような口調で言う。 「オレの渾身のオチをどうしてくれるんだあああああああ!」 「そっちかああああああ!」 「そっちだああああああ!」 ルイスと怜生。それが宿命であったかのように、ふたりは拳をかまえた。世界をへだてた同一の存在であるふたつの魂。それらがぶつかりあうときがきたのだ。 怜生の手甲が氣の輝きをはなつ。 ルイスの首輪も残光をゆらめかせる。 海賊たちはただただ震えている。 船長は気絶している。 商人はもはや止める気もおきずポカンとしている。 「おおおおおおおおおお!」 「ぐあああああああああ!」 怜生もルイスも走り出し、その中央で光が激突した。 どっぱーん。 今度はルイスの口まねなどではない。突如として商船と海賊船のあいまの海が割れた。 もちろん大砲を撃ったわけではないので、ブルーインブルーの人間たちは即座にそれがなんなのかを悟った。 「海魔クラーケンだ!」 恐怖に叫んだのは敵か味方か。 軟体生物特有のぬめりをもった足が何本も、海面をのたうちまわっている。波立ち、船体が揺れた。海賊も商人も関係なく皆が恐慌をきたす。 ルイスは薄れゆく意識のなかで自分が空にうちあげられたのを感じていた。浮遊感、そして急速な落下感。 強烈な衝撃はクラーケンの足による殴打だったろう。ちいさな生き物であるルイスにはなすすべもなかった。嗚呼、吹き飛ばされるのも今日はもう二回目だな、とそれだけをぼんやりと思った。 「ぐえ」 気を失っている船長のうえに落ちたような気がしたが、そんなことはどうでもよかった。ただ、意識があるのに、手足が動かない。 「ルイス!」 怜生が駆け寄ってくる。彼は無事だったようだ。さっきまで殴り合いをしていたのに、彼の無事を知りほっとしている。不思議だ。 「大丈夫か?」 怒りは消えていた。むしろなぜ怒っていたのか思い出せない。 かがみこんだ怜生に抱き起こされ、ルイスは必死に唇をうごかした。色をうしない、体温をもうしなった唇を。 「あ、あ……」 「なんだ?」 怜生が口元に耳をよせてくる。最後の力をふりしぼった。 「あ……し、しっぽがある、のは、オレのほ――」 「わかった! それ以上なにも言うな! てめぇのカタキは俺がとってやるっ!」 怜生はかかえていたルイスの頭を乱暴に放り投げると敢然と立ち上がった。 「ぐほっ」 強打した後頭部をかかえてのたうちまわるルイスを尻目に、怜生はクラーケンに向きなおった。 「なんでこんなときにクラーケンなんだ?」 商船と海賊が敵味方にわかれての戦闘中に、よりにもよってこのような難敵が現れようとはだれも予測していなかっただろう。タイミングが悪すぎる。 この巨体には彼の古武術など通用しまい。いや、それよりもまず海中の相手にどのような攻撃がとどくというのか。 ふと良いアイディアが浮かんだ。クラーケンの本体が水中から出てこないのならば釣りだせばいい。ただし、この作戦を成功させるには多くの力が必要だった。 大丈夫だ。この場にはいまたくさんの人間たちがいる。海魔という共通の脅威に対抗するため協力しあえるのではないだろうか。 「おーい、ここはみんなで協力するしかねぇ! 俺に考えがあるんだ!」 商船の船員たちに大声で呼びかけると、商人も聞こえたようで、ひとつうなずいたあと、船員たちに集まるよう指示をだしはじめたようだった。 「おい、てめぇらのボスはどこ行った? ここは全員で手を合わせるしかねぇ」 手近にいた手下に話しかける。 そいつはおびえながらも、怜生を指さした。意味がわからず眉をひそめる。 「あの、そ、そこに……」 「ああ?」 視線が下をむいていることに気づき、うつむいてみる。さっきから苛立ちをまぎらわせるためにゲシゲシと蹴りついていた物体が、文字どおり海賊のかしらだった。 「うぅ……蹴らないでえええええええ」 「おおぅ! ご、ごめん。え? いや、あやまんなくていいのか?! ま、まぁいっか」 度重なる巻き込まれダメージでなんだかすっかり半死半生なわけだが、船長は部下たちの手をかりてなんとか立ち上がった。 「クラーケンを釣り出すんだよ」 怜生の説明をうけた海賊は露骨に成功をうたがった。 「うまくいくはずさ」 断言する。怜生と海賊たちがいっせいに甲板の一点を見た。そこではルイスがあいもかわらず転げまわっていた。 「ぬわあああああああああああ!」 瀕死の悲鳴がこだまする。涙声なのはいたしかたあるまい。なにせいまルイスは宙を舞っている。 「おろせえええええ! オレをここからおろせええええ!」 「うるせぇ! ただでさえ重いんだから、じっとしてやがれ!」 怜生と海賊、そして商人たちは汗まみれで巨大な丸太をささえていた。丸太の先には荒縄が結びつけられており、その先にはさらにルイスが結びつけられていた。 まるで巨大な釣竿と釣り糸だ。するとルイスはまさに…… 「オレは餌じゃねえええええええ!」 ということだ。 「こんなくだらない作戦でクラーケンが海から出てくるのか?」 商人もまたこの作戦にはひどく懐疑的だ。 「大丈夫だ。あいつ、旨そうだろ?」 怜生の返事は返事になっていない。 「塩水は毛並みによくないんだぞおおおおおおおおお」 ルイスの叫びもなんだかズレている。 ふたりの用心棒以外の、その場にいる全員が不安に思った。作戦がどうこうというより、このふたりの存在が不安。 「あ!」 それまでうねうねとうごめいていたクラーケンの足が一気にせりあがった。徐々に海面がもりあがり、ついに体が浮かびあがってくる。 「きたきたきたあああああああ!」 「ひいいいいいいいいい!」 「うそおおおおおおおお!」 それぞれにそれぞの反応をしながらも、丸太を持ちあげる。ぐいっとルイスの体もうきあがり、釣られるようにして巨大海魔もまた上昇する。 どことなく小鳥に似た泣き声をあげつつ、クラーケンが手(足)をのばす。あきらかにルイスを狙った動きだ。 「ツマミにして醤油で食ってやる!」 怜生が必殺の一撃をはなつべく拳を腰だめにした。トラベルギアで氣弾をはなつ。ルイスが巻き込まれるかもしれないが、それくらいの犠牲はよしとする。 ぐっと力をこめなおしたとき、海賊の船長が怜生の腕をおしとどめた。 「ちょ、なにすんだよ?!」 「あの子、泣いてるわあああああああああああああああああああああ」 「いや、泣いてんのはあんただろ……」 数分後、クラーケンは小鳥のような声でかわいらしく挨拶しながら海のそこへともぐっていった。さようならをするように大きく足をふるたびに、荒波がたち船が揺れ、ルイスだけが喜んでいた。 「いやぁ、まさか海賊のおっさんがクラーケンと話せるなんてねぇ」 どこでどう学んだものか、海賊の船長は海魔の言葉がすこしわかるのだとか。それによるとあのクラーケンはまだ子供で、キラキラときれいな光が見えたのでもっとよく見たくて海底からあがってきたのだという。 「きれいな光、かぁ」 怜生がルイスの首をじっと見つめる。 「きれいな光、ねぇ」 ルイスが怜生の手甲をじっと見つめる。 「おまえかああああああああ!」 「おまえだああああああああ!」 海賊たちと商人たちが、そんなふたりをびしぃと指さす。 「おまえたちだあああああああああああああああああ!」 その後ふたりが護衛としての賃金をもらえたかどうかは定かではない。
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