★ 【ジャック・オ・ランタンの夜】ルーク&アディの章 ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-5133 オファー日2008-10-30(木) 15:30
オファーPC ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
ゲストPC1 アディール・アーク(cfvh5625) ムービースター 男 22歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

 橙色の果実の中で、橙色の灯がゆれる。
 そんな橙色が、まちの中には、たくさん、たくさん、たくさんだ。
 あの夜に限って、たくさんだ。
 ああ、橙の夜、銀幕市の夜、1年に365回訪れる夜のうち、ただ1回だけの夜。
 そんな橙の夜には名前があってね。
 そう、あれは特別な夜だったのさ。
 ハロウィンの夜、だったのさ。



「しかし……」
 トレードマークの仮面の位置を正して、アディールがしばらくぶりに口を開いた。
「街はまたずいぶんなお祭り騒ぎだけれど、今夜はとりわけ変わったお祭りのような気がするねえ」
 彼の声色と口元が、なかば呆れているのは気のせいではない。
 アディール・アークという海賊は、常日頃からマスケラや仮面舞踏会や怪傑を髣髴とさせる仮面をかぶっているのだが、今夜ばかりは彼の容姿もまったく奇異なものではなかった。銀幕市の繁華街は、マスクマンや魔女や吸血鬼であふれている。目出し孔を開けただけのシーツをかぶって、幽霊に扮している者もいた。人々は仮装しているのだ。それも、モンスターや幽霊という、不吉な存在に。
「ハロウィンという催しらしいぞ」
 アディールの疑問に答えたのは、ルークレイル・ブラックだ。
「なかなか面白いと思わないか」
「わざわざルークが散歩に誘ってくるから、何かあるだろうとは思っていたよ。海賊団の年少組も、やけにそわそわしていたし。そうか、ルークの入れ知恵だったのか」
 ルークレイルの情報の早さと正確さは、ギャリック海賊団でも信頼されているところだ。しかし、ルークレイルはさほど得意げな様子も見せず、どこか恥ずかしげにも見える苦笑をアディールに返した。
「俺もつい最近知ったばかりなのさ。いや、『知った』なんて言えるほどでもない。10月のはじめから、街でやけにオレンジ色のカボチャを見るようになっただろ?」
「ああ、そう言われてみれば……」
「そのカボチャの理由を聞いたまで、というわけだ。ハロウィンについて、詳しいことはまだ何も知らない」
「カボチャがシンボルで、みんながモンスターに仮装するお祭り……そんなところで片づけてしまってもいいような気がするよ」
「ま、確かに」
 笑い合う海賊たちは、ハロウィンを知らなかった。ギャリック海賊団は地球の大航海時代ではなく、まったくの異世界からやってきたに等しい。
 ルークレイルなどは、普段『知ったつもり』になることを避けているのだが、取り立てて危険な催しにも感じられなかったし、財宝にも結びつきそうにないので、さほど追究しようとは思っていなかった。
「この様子だと、カボチャのカクテルなんかが酒場にありそうだな」
「……」
「おい、今逃げようとしたか?」
 ルークレイルはアディールの服の襟をしっかり捕まえて、適当な酒場(現代日本の言葉に置き換えれば、『居酒屋』)に引きずっていこうとした。酒場はすぐそこにあった――カボチャのカクテル発言も、ルークレイルが目ざとく看板を見つけたがゆえのものだったわけだ。
 しかしルークレイルは酒好きなうえに酒に強すぎるので、生ビール(大)1杯680円という価格設定の酒場に入った日には恐ろしいことになってしまうのだ。アディールは焦りながら、連れていかれつつある酒場の入口を見た。
「ルーク! ルークルーク」
「なんだ?」
「私、チョト、オナカノ調子イクナイネ」
「どうしていきなりカタコトなんだよ!」
「ここはよそう。カボチャの紅茶はなかなか美味しいんだけれど、カボチャのカクテルはどうかわからないから」
 ルークレイルが目をつけた酒場の外観に、どこにも『飲み放題』云々の文字が見当たらなかったので、アディールは爽やかな笑顔ながら必死だった。ふたりはしばらく、はたから見ればやや奇妙な引っ張り合いをしていたが――

 悲鳴。

「!」
 それも女性の、断末魔めいた悲惨な悲鳴だ。特にアディールは過敏に反応した。紳士たるもの、女性の危機は見過ごせない。彼はルークレイルから手を離した。引っ張る必要はなくなっていた。ルークレイルの興味もまた、酒から悲鳴に移っていたから。
「何か聞こえたね」
「ああ。今のは、本気の悲鳴だったな――」
 どこから聞こえた? ルークレイルはそう続けようとしたが、次に上がった咆哮で口をつぐんだ。
 尋常ならざる咆哮。
 人の背丈よりも大きな『なにか』の悲鳴でしかありえない声。
 そして、さっきの女性の悲鳴が、再び起こった。恐怖の咆哮に、悲鳴は重なっていた。
 アディールはもはや何も言わず、ものすごいい勢いで走りだしていた。ルークレイルも、彼をとめない。ともに走りだしている。


 カボチャのランタンと『ハッピー・ハロウィン』の文字が舞う明るい通りから、わずかに一本だけ路地に入ったところで、空気は変わった。
 そんな気がした。


 走っていたアディールは何かを蹴飛ばしてしまい、足をとめた。アディールに蹴られ、からからとアスファルトを転がっていくのは……血まみれのプレミアフィルム。
 立ち止まったふたりの視線は、自然と、少しばかり上のほうへと向けられる。
「うぅ、アばぁぁあああア! ハッピイイ・ハロウィイインんん!」
 それはそれは醜い化け物だった。身長は4メートルくらいあるだろうか。身体や首筋や頭部には、太い釘が突き刺さっている。呆気に取られるルークレイルとアディールに、巨大で醜悪な怪物はそんな挨拶を投げかけた。
 そして、太い右手にぶら下げていた『長方形のもの』を振り上げた。
 それは、血みどろの大鉈か、菜切り包丁か、中華包丁のような――ともかく、刃物だ!
「アディ!」
「わかっているよ!」
 怪物に歓迎されているとは思えない。ルークレイルは銃を、アディールはレイピアを抜いていた。怪物の正体や目的はどうでもよかった。振り上げた鉈は、その後どうする? 振り下ろすだけしか道はない。
 力任せの一撃を、ふたりの海賊は右と左へ、ひらりと避けた。冷えたアスファルトに、巨大な得物がめりこむ。がら開きの怪物のこめかみに、ルークレイルは銃弾を見舞った。彼の狙いはいつでも正確だ。
 しかし、ばじょっ、というクリーンヒットの音とは裏腹に、醜い怪物は怒りの叫びを上げて両腕を振り回し始めた。
「おやおや、外したのかい」
「まさか。こいつはどうやら不死身だな」
 脳をやられたせいか、それとももともと知能はないのか、怪物はしゃにむに腕と凶器を振り回すだけ。ふたりがかわすのに苦労はしなかったが、逆になかなか仕掛けるタイミングがつかめない――
 やけなく後退をつづけるふたりの耳に、不意に、調子外れで場違いな、明るい音楽が飛びこんできた。とぎれとぎれだ、まるで古い蓄音機から流れているような……。
「ほ、ほぎぇへへへへへへ! えへへへへ、アハハハ! ハッピー・ハロウィン! ホはははははは……!」
「ルーク! 後ろ!」
「俺の後ろだけじゃないようだぞ……!」
「ハッピー・ハロウィン、ぅあはははははハ!」
 巨大な怪物の攻撃から逃れるふたりが身をひるがえしてみれば、そこには、奇声と凶器があふれかえっていた。人、マスクをかぶった人とマントをまとった人と、笑う人々。
 建物や塀の間から、急にわらわらと人が現れ始めていた。
 けたたましい哄笑だけでもある意味充分危ないのだが、彼らは全員、凶器を手にしていた。鉄パイプにナイフ、鉈、大鎌に、枝切りバサミ、金属バット。顔や服に返り血らしきものが飛び散っていることをのぞけば、彼らは、銀幕市のどこにでもいる一般市民に見えた。口の端から涎や泡を垂らして笑っているが、目から流れている涙がどうにも「嘘」には見えなかった。
「ハッピー・ハロウィン!」
「ハッピー・ハロウィン、あハハハハハ!」
 ぶおんぶおんと振り下ろされる凶器たち。例の怪物も、相変わらず追いかけてきている。
「くそ、ずいぶん荒っぽい祭りなんだな、ハロウィンってのは!」
「レディがヨダレまで垂らして楽しむお祭りか……その点はなんとも……」
 見た目だけでは、凶器と哄笑をもって襲いかかってくる連中が、ただの人間なのか凶悪なヴィランズなのかは区別がつかない。そもそもふたりの海賊は、ハロウィンの何たる可を知らなかったわけなので――かれらの物騒な振る舞いすら、ハロウィンという祭りの一環として受け止めてしまっていた。
 もしかするとかれらに悪気はないのかも。
 いや、もしかすると、こういった障害を一晩乗り越えるのがハロウィンなのでは。
 ならば、なるべく誰も傷つけず、この危険を回避していかねばならない!
「アディ! こっちだ!」
「どこへ行くんだい!?」
「決まってるだろうが。生きて船に戻るんだよ!」
 怪物と群集からの猛攻をかわしながら、ふたりは走り、狭い路地に駆けこんだ。このときはさすがのアディールも緊急事態ゆえに少しばかり焦っていたのか、肝心なことを忘れていた――ルークレイルは航海士なのに、お宝が絡まないかぎりは方向音痴なのだ。
 3分後、物騒な集団を無事にまくことはできたものの、ふたりは、すっかり道に迷っていた。


「ああー……私としたことが、迂闊だった……」
 どちらが海でどちらが山か、それ以前に北も南も、ここが本当に銀幕市なのかどうかもわからない。アディールは嘆いて頭上をあおぐ。船乗りとして最後の頼みの、星さえどこにも見つからなかった。
「何がどう迂闊だったって?」
「ルークに案内されるようじゃだめなんだよ。私が案内するべき場面だったということさ」
「じゃあおまえ、海の方角わかってたのか?」
「はは、面白いことを言うねえ。あの状況でも方角が正確にわかっている存在といったら、羅針盤くらいのものだよ!」
「爽やかに開き直んな!」
 思わずルークレイルの声が大きくなってしまった。
 その声が、わんわんと反響する。
 反響?
 ふたりとも、それにはすぐに気づいて、顔を見合わせた。
「アディ……」
 アディールは頷き、その左手の先に火を灯した。ぼハっ、と闇が焼き払われて、周囲の様子がふたりの目に飛びこんでくる。
「どうなるってるんだ。アディ、俺たち、建物の中に入ったか?」
「いいや。逃げてはいたけど、冷静だったつもりさ」
 竜の炎が照らしだすのは、鉄骨やコンクリートがむき出しの天井だ。しかし、空気は屋外のようにひんやりしているし、遠くで車が走るような音も聞こえてくる。
 壁も柱もコンクリート打ちっぱなしだったが、いたるところに橙色と黒のビラが貼られていた。

  『 ハッピー・ハロウィン!
    大人気のアドベンチャー・ライド、
    ハロウィンバージョンで期間限定運行!
    キミもこの興奮と迫力を体感しよう!  』

 ハッピー・ハロウィン、ハッピー・ハロウィン。ビラの中でも、壁や柱の落書きでも、祭りの合言葉が舞い踊っている。
 また、悲鳴が聞こえた。風の唸りのような音とともに。
「ハッピー・ハロウィン! ィエヘヘヘヘヘ……」
 注意深く周囲の様子をうかがっていたルークレイルとアディールの前に、突然、モーニング姿の胡散臭い中年が現れた。カカシのように痩せていて、顔にはピンク色のカイゼル髭をたくわえている。両手はひらひらと奇妙な動きを見せていた。
「ライドはあっちだよ。せっかくだから乗ってみるといい。今夜限りだからね、ヒヒヒヒ」
「いや、結構。俺たちは出口を探してるんだよ」
「探してる? そうかそうか、ライドを探しているんだな」
「……いや、だから、違う……」
「案内を呼んでやろうか。ハハハハ。案内してやろう、ヒヒヒヒ、ハッピー・ハロウィン! お客様だ、またお客様だぞう!」
 カイゼル髭の男は、両手を振り上げた。アディールの火が、一瞬、男の10本の指から天井に向かって伸びる、無数の糸の姿を暴きだす。
 次の瞬間だった。柱の影から、ついさっきまでふたりを追いかけまわしていた人々が、ふらふらとあらわれたのだ。
 アディールの炎がなめるようにかれらの顔と姿を照らす。肩、腕、首、足、そして手にしている凶器から、糸が天井に向かって伸びていた。
「クソッ! あのヒゲか、こいつらを操ってるのは……!」
 ルークレイルは銃を抜いていたが、パペットマスターの姿はすでに群集の中にまぎれてしまっていた。
 またしても、逃げなければならないのか。
 振り下ろされる凶器から逃れ、生きた操り人形の間を縫い、ふたりは再び走りだす。
「ぅホはははは、ハッピー・ハロウィン!」
 アディールのレイピアの切っ先が、マシェットを振りかざして突進してきた男の手元にすべりこむ。鋭い切っ先は、マシェットの柄ごと男の手を貫いた。
「うわ、はははははは! うあハハハハハ!」
 男は笑いながらマシェットを落とす。マシェットには血と肉片がこびりついていた。ルークレイルもアディールもまったくの無傷だ。まだ新しいその血は、いったい誰のものなのだろう。
「アディ! トロッコがあるぞ!」
「トロッコ? 私にはただの鉄の箱に見えるけど」
「下見ろ、レールがあるだろ、レールが!」
「ちょっと待って、乗るのかい!?」
 この騒ぎの中、不意に現れた『箱』。確かにそれはレールの上に乗っていて、中には座席が設けられているようだ。アディールは躊躇したが、その一瞬の隙に、背後の誰かに突き飛ばされてしまった。
 すでに箱に乗っていたルークレイルの胸に、まるでアディールが飛びこんだかのようだった――その瞬間、箱は動きだしていた。
 カキ・カキ・カキ・カキと、鉄の部品が回る音……。
 そして出し抜けに、爆発音のような音が「場内」にとどろき、箱は鉄砲玉の速さで前に向かって走りだしていた。
 いっそあわれでもある、ふたりの男の叫び声が尾を引いた。


「な、なんだこりゃ! トロッコにしちゃ速い、速すぎるぞ!」
「おおおおお……ルーク、これはやっぱりトロッコじゃない『何か』だったんじゃないかななななな……」
 箱のスピードと揺れは凄まじく、アディールの台詞は紳士にはふさわしくないくらいブレている。しかも彼は仮面を押さえるのに必死だった。風に持っていかれそうなのだ。
 トロッコでもただの箱でもない「乗り物」、この座席の前には、「どうぞこれにつかまってください」と言わんばかりのバーが設置されていたので、ルークレイルは両手でそれにつかまっていた。
 目を開けるのもやっとという速さで、箱は走る。暗い坑道のような道だった。黒にあざやかに映えるオレンジ色の光が、豪速で前から後ろへ、斜め前から斜め後ろへ流れていく。
『ハロウィンの世界へようこそ……ははははは……』
 腹に響くような低い声が、ふたりの耳の中にさしこまれる。
 ばしびしと、箱の前面に黒い何かがぶつかってきた。ルークレイルの眼鏡に、細かい赤い飛沫がかかる。アディールの髪に、黒い破片が引っかかる。
 コウモリだ。橙色の目を光らせて、吸血コウモリがぶつかってきている。コウモリはルークレイルとアディールの顔や肩もかすめていく――これはひょっとすると、コウモリがぶつかってきているのではなく、箱がコウモリの大群の中に突っこんでいるだけなのでは。
 ごうん、と箱が大揺れに揺れた。
 箱の後部がレールや地面にこすれているらしく、火花がしぶく。製鉄所の光景のようだ。振り返れば、箱の後部に、黒づくめの男がひとりしがみついている。男は火花を背負っていた。黒いマントがばさばさとはためいている。
 白い顔に、赤い目。くわっと開いた口からは牙がのぞく。牙も舌も、血まみれだ。この男は――コウモリどもの首領、吸血鬼!
 ルークレイルは舌打ちし、その眉間に銃弾を放った。
 至近距離で銃撃を食らった衝撃で、吸血鬼はあっさり後ろに吹っ飛んだ。断末魔がたちまち遠のいていく。
「ルーク! 右に急カーブだ!」
 コウモリの群れから顔をかばい、前方を注視していたアディールが警鐘を鳴らす。
 ルークレイルは素早く箱の側面につかまった。
 アディールの注意通り、直後、身体に箱の右側に転げ落ちそうになるくらいの負荷がかかる。また火花だ。ぎゃりぎゃりと車輪が叫び、火花を吐いている。
 やけに生臭い水飛沫が上がった。
 血と膿だ。
 アディールの火の灯が、急に要らなくなった。ぼんやりとした、橙色と白色の光が、赤い湿地を照らしだす。箱はおかまいなしに走りつづけたが、速度は急激に落ちていた。
「しかし……いったいここはどこなんだ……」
「それより、今私たちの身に何が起こってるのか知りたいんだけどねえ」
 街中を走っていたと思えば屋内へ、トロッコじみた箱に乗ったかと思えば次は沼。鼻をつく死臭は、とても幻覚の類とは思えない。
 得体の知れない獣と蛙の鳴き声に、かすかな悲鳴が混じっては消える。
 かたん、かたん、かたん、かたん……、
 今は、人が走るほどの速さで動いている箱。あやしい鳴き声や物音は、かえって沼地の静寂をきわだたせている。いかにも……いかにも、嵐の前の静けさのようだ……。
 ざわばっ、と突然、血の沼から何かが飛び出してきた。
 ふたり……いや、2体、2匹、2頭と言うべきなのか。箱の右側に現れたのは半魚人だった。左側に現れたのは、奇妙な白いマスクをつけた大男だ。大男が手にしているものからはけたたましいエンジン音が轟く。やけにブレードの長いチェーンソーだ。
 半魚人は大きく跳躍して、箱の右側に座るアディールに襲いかかってきた。
 びっしりと身体を覆う鱗には、血と膿と緑色のカビがべったり付着している。
 ほんの数秒、生臭い牙を剥いて、半魚人はしいしいはあはあと奇妙な声を上げていた。ひとの言葉らしい言葉ではなかった。それでも、耳をすませば、何となくその音が……
『ハァァァアアアッッッピイイイイィィィ、ハロォォウィィイイイインンンン……』
 そういうふうに聞こえてくるのは、すっかり洗脳されてしまったからだろうか。
 銃声。また銃声。チェーンソーの耳障りな音がやむ。
 ルークレイルが銃を撃ったのだ。
 アディールは、はッと息をついた。
 いや、火を吐いた。
 彼の口からは何も飛び出したように見えなかったが、それでも、半魚人は明るく燃え上がっていた。血と魚の焼ける匂いが立ちこめ、モンスターは奇妙な声で叫びながら躍り狂い、真っ赤な沼に沈んでいった。
 しかし、獰猛な叫び声はまだ残っている。マスクの大男は両手を見事に撃ち抜かれ、チェーンソーを取り落としていたが、まだ殺意も戦意も衰えていない様子だった。
 この事態でもかたんことんと呑気に進む箱に、つかみかかってきたのだ。
 ルークレイルはしたたかに身体のどこかを殴られて、吹っ飛びかけた。どこを殴られたのか見当もつかない。大男の拳は岩のように大きかったからだろうか、全身を強く打ちつけられたようだった。
「ルーク!」
 箱から落ちかけたルークレイルの腕を、アディールがとっさにつかむ。
「この野郎、やりやがったな!」
 いつもはクールなルークレイルだったが、今は全身を血だらけにして怒気を吐いていた。無論彼の出血は微々たるものだ。怪物たちが動くたびに跳ねる血の沼の飛沫や、怪物たちが流す血ばかりが、彼をどろどろの赤黒に染めている。ああ、彼だけではない、アディールもすっかり血まみれだ。
 マスクの男はくぐもった奇声を上げ、傷ついた両腕を振り回す。
 ざばあざばあと、血の沼が波打つ。
 まわりを見る暇などなかったのに、ふたりはそのとき、見てしまった。しなびた水草が茂る、ぬらぬらとした赤い水面に、白いものや腐った色のものが浮かび上がってきている。
 腕や骨や、歪んだデスマスクだ。
 仄白い燐の炎が頼りない光を投げかける、それは死体の群れ……。

 ハッピー・ハロウィン。
 ハッピー・ハロウィン。
 ハッピー・ハロウィン……。

 大男が、拳を振り上げる。

 そして、死者のささやくような合唱と、怪物の叫び声は唐突に聞こえなくなった。
 ルークレイルとアディールは、またあわれな悲鳴を上げていた。
 突然、箱が轟音を立てて、急斜面を滑り降りたからだ。



 ものすごい破壊音とともに箱は砕け散り、ルークレイルとアディールは外に投げ出された。聞く者が逆に腹を立てたくなるような、耳障りな哄笑があたりに響く。
「このライドはハロウィン限定! 今はもう0時00分! そういうことでおしまいだ、ハロウィンもお楽しみもおしまいだ! ぎゃはははははハハハハ!」
 投げ捨てられたボロ布のかたまりのように、ふたりの海賊はアスファルトの上を転がる。アディールの仮面が取れなかったのは奇跡かもしれない。ルークレイルの眼鏡にはヒビが入ってしまった。そんな眼鏡のズレを直して、ルークレイルは顔を上げる。
 そこには銀幕市の路地と、平常な空気があった。ルークレイルとアディール同様、ボロボロで、血やススで汚れた人々が、呆然と立ち尽くしたり座りこんだりしている。完全に「燃え尽きている」ように、ルークレイルには見えた。
 かれらの身体は、もう糸で吊られていない。
「おい……アディ、大丈夫か?」
「それはこっちの台詞だよ。君、まともに殴られてたじゃないか」
「そうだったか? 忘れたよ」
「忘れようとしてる、の間違いじゃ――」
「あー、うっさいうっさい、聞こえねえ」
 ぐったりと座りこんでいたふたりだったが、先にアディールが立ち上がると、ルークレイルに手を差し伸べた。ルークレイルは一瞬だけちらりとその手を睨んだが、何も言わずその手を握り、やっと立ち上がる。
「……大変な催しだったな。甘く見すぎていた」
「まったくね」
「……おい、ウチの若い団員もみんな街に繰り出してるはずだぞ」
「あ……まずいね。すぐ探しに行こう」
「……うまく生き延びててくれよ……」
 ハロウィンを『知った』ふたりの海賊は、よろよろふらふらと、目抜き通りに向かって歩き出していた。もう、道には迷わない。目抜き通りの明かりが、ビルの間から見えていたし――空には頼みの星が光っているから。


 一夜明け、ギャリック海賊団の船上でちょっとした言い争いがあった。
 どうも、一部の団員と多くの団員とで、ハロウィンという銀幕市の祭りの認識の仕方にひどい食い違いがあったらしいのだ……。




〈了〉

クリエイターコメントオファーありがとうございました! 「ハロウィン限定仕様」と銘打たれると心躍ります。
ライドと言えば、諸口が思い出すのはUSJのスパイダーマンです。でも、最後の急降下はジュラシックパーク・ザ・ライドをイメージしてしまったんですが。
スピード感や血なまぐささをお伝えできていたら幸いです。
公開日時2008-11-26(水) 19:10
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