★ escapism ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-2336 オファー日2008-03-15(土) 23:40
オファーPC 羊(ctrs3874) ムービースター その他 15歳 羊
<ノベル>

 ぽかぽかとして、とても気持ちの良い、晴れ渡った春の日のことでした。
 羊はいろいろな場所を旅してきましたから、いろいろな花や草のことも知っています。もちろんそれは羊が創りだされた”映画”のなかでの体験であって、その世界から飛び出し実体化した後の羊は銀幕市より外を知りません。そこから外へ出たら死んでしまうのだそうです。
 見上げた空は野辺に咲くスミレの花の色を思い出させるような色を浮かべていて、そのまんなかでいきいきとした顔で春を謳う太陽は桜の薄紅をあかるく照らしています。そういえば、スミレの花は銀幕市に来てから見ていないような気もします。ふさふさとした緑をたたえた牧場も、きっとどこかにあるのでしょうけれども、今のところまだ見れてはいません。牧草のうえで眠るのはとても心地良くてすてきなのですが。
 そんなことを思いながら空を見上げていた羊は、ぽかぽかとのんきに降る陽光の下、いつの間にかうとうとと瞼が落ちてくるのを感じていました。足を踏み入れかけた夢の中で、羊は確かに牧場を駆けていました。
 ふかふかとした草花の揺れる、広いひろい牧場です。その上で、羊は誰よりもずっとずっと自由でした。たくさんの仲間たちがいて、羊を迎えてくれています。
 ぽかぽかとした春の陽気の下、小さな公園の一郭にある古ぼけたベンチの上で、こうして羊はうとうとと気持ちの良い眠りの中に落ちていったのです。

 ★ ★ ★

 春の野辺に咲くスミレの花の色を少しだけ薄めた色味をたたえた空。その空の下で、青年は上着の内ポケットから顔だけ覗かせてうつらうつらしているバッキーの頬を静かに撫でた。
 彼のバッキーは、彼らの頭上に悠々と広がる空に浮かぶ雲のように真っ白で、そうしてとても懐こい性格をしている。青年はバッキーの愛らしい寝顔に目を細め、けれども次の時には少しだけ厳しい顔をして道路の向こう側に目を向けた。
 もともと比較的交通量のある車道は、ここしばらくその往来量が格段に増えている。それを挟んだ向こうにあるのは小さな公園だ。遊具もふたつほどしかない、しかもこうも車道に面していては、とてもではないが安心して子供を遊ばせておくわけにもいかないのだろうか。あるいはここしばらく続く市民の市外への流出も影響しているのかもしれないが、ともかくもそこには母子の姿などひとつも見出せなかった。
 けれど、彼が見つめているのは、その公園の一郭、古びたベンチの上でふかふかと眠っている一匹のちいさな羊の姿。春に咲く花の色を映したような薄桃の毛並に、にょっきりと伸びた一対の角。
「やっぱり……そうだ」
 呟き、青年は唇を噛む。
 
 彼は学生時代、映画研究部に所属していた。部員数こそ決して多くはなかったものの、心底映画が好きだという人間ばかりが集まり作り上げた、それなりに濃い集団であったように思える。彼はその中で副部長という位置にあり、いずれは子供たちが喜び楽しんでくれるような映画を作り上げたいという夢を抱いていた。
 そんな彼の他にも、部員の大半が”自分も映画を製作してみたい”と考えていて、そうしてある年、それは形となって達成されたのだった。
 四話構成からなるオムニバス形式のショートムービー。クレイアニメ・単色アニメ・演劇・人形劇と、それぞれ異なる趣向を凝らしながらも、それぞれに共通のキャラクターを起用し、テーマもそれぞれに共通のものとした作品だった。
 『残酷な童話』それをテーマに起用したのは脚本を担当した者のうちのひとりで、そもそも童話とは幼い子供の寝物語として聴かせるには残酷めいたものである、というのがその言い始めだったように青年は記憶している。
 部員たちの大半がそのテーマに賛同し、続いて共通のキャラクターを思案し始めた。さまざまな案が出されたが、結果的には”羊”とすることで、これもまた全員一致の賛同を得るに至った。
 出来るならば可能なかぎりにふわふわとした、愛らしい見目をもった羊にしよう。その意見から生じたのが、現実的にはあり得ないであろう特殊な毛色だった。
 薄桃色のふわふわとした毛並みをもった愛らしい羊は、その見目に反した設定をつけられることによって、部員たちが目指す『残酷な童話』をテーマとする四部作をかざるにふさわしいキャラクターとして正式に”誕生”した。
 けれど、彼はその当時からその羊を動かす作品を手掛けることに、しょうじきなところあまり前向きではなかった。残酷な物語は子供たちを震え上がらせるばかり。それでは彼の意に反したものになってしまうからだ。
 それでも、彼の意思とはうらはらに、製作は滞りなく進められた。出来上がったものは素人に手によるものにしては巧みな、たしかに素晴らしいものだった。けれど内容はやはり救いようのない陰鬱とした終わり方をするものばかりで、試写に立ち会った青年の心はやはりもやもやとしたもので覆われていくばかりだった。
 
 薄桃色の羊は青年の視線に気付く様子もなく、うららかな陽射しにうとうととした眠りを貪っている。青年のバッキーもまた、うつらうつらとした眠りについていた。
 バッキーは飼い主の夢を食の糧とする。これは飼い主の意識の有無に関わらず、ごくごく自然な流れのもとで生じていくものだという。それは青年が銀幕市に転居してきた日に出会ったバッキーに関して説明されたものである。
 そうして、バッキーはムービースターやハザードをも摂食できるのだという。
 映画を愛する青年にとって、銀幕市はまさに夢が具現化した街だ。彼が愛する映画の登場人物たちが、彼の目の前で動き、喋り、笑い、泣く――もちろん青年の理想を打ち砕くような出来事も多々あったが、それでも、彼には刺激的な、創作意欲をかきたてる毎日が約束された楽園だったのだ。
 それが、よりにもよって。
「……あいつまで実体化してるなんて」
 独りごちてため息にも似た深い息を吐く。
 銀幕市はあらゆる映画の登場人物が実体化する街だ。それはなにも有名なタイトルだけに限らず、例えば名もない学生たちが手掛けたようなものでも、だ。
 いつか、自分が手がけた映画が実体化するとしたら、それはとても夢のようだと、青年は長く描き続けてきた。子供たちをしあわせな気持ちにすることのできる世界が、人物が、形を得て青年の前にあらわれるのだ。それほどに幸福なことはない。
 けれど、いま彼が目にしているもの。それは彼が描いていたものとは異なるものだった。
 彼の視線の先で夢を見ている、かの羊は。
「あいつは……あいつだけはダメだ」

 彼らが創りあげた羊は、四話オムニバスにするための趣向として、主に四つの能力を与えられている。人の姿に化けること、生き物の感情や記憶を捕食すること、動物と自分の心を入れ替えること、羊の体に接触している者同士の考えをお互いの頭に送ること。その四つの能力を活かし、彼らの手による映画は完成したのだった。
 しかし、完成した映画は学園祭での上映時、盛大な苦情を受けるものとなってしまった。『内容が残酷で、あまりにも救いがなさすぎる』。それが寄せられた苦情を要約したものだ。どれほどに童話とは本来そういったものなのだということを主張してみたところで、それは受け入れてはもらえないものだった。
 ――それは、そうだ。
 当時も今も青年は思う。観客たちが寄せてきた感想はしごくまっとうなものであっただろう。
 かわいそうな村人たちの悲しみを食べ、食べすぎて、文字通り悲しみで胸が”張り裂けて”しまった物語も、
 人間にいじめられていたかわいそうな仲間を救けてあげるため、仲間が今まさに屠殺されるというその時に人間と仲間の心と感情とを”入れ替えてあげた”物語も、
 罠から助けてくれた青年を愛し、自らを人間の女へと変化させて、その青年の妻となり、そうしてとてもとても哀しい最期を迎えた羊の物語も、
 心優しい老人のために尽くし、けれども欲にかかれた老人の子供たちの手によって悲惨な末期を迎えることとなった物語も。
 どれも、どれもが救いようのない物語だった。観終わった後に残る後味も悪く、――つまり、それはどれも青年が理想としていたものからは遠くかけ離れたものだったのだ。
 ようするに、青年は自分も創造の一端を担った羊のことを好ましく思えなかったのだ。もしかすると結局はその一点が理由だったのかもしれない。
 ともかくも、青年はベンチで眠る羊を見て、そうして瞬間的に思ってしまったのだ。
 あの羊は危険だ。
 自分たちが与えたあの能力は、どれもこれもが羊の純粋さゆえに発動されるものとして設定されている。羊が自分を守るとき、あるいは大切な誰かを守りたいと思うときに発動される怖ろしい能力。
 けれど、それは純粋さゆえに恐ろしい結末を導き出すのだ。
 銀幕市に実体化したムービースターたちは劇中の能力をそのまま使うことができるという。青年はまだ目撃したことはないが、ムービーハザードというものを扱うことも可能だというのだ。
 それでは、羊が、劇中と同じように、純粋さゆえに恐ろしいことをしでかしてしまうかもしれない。
 
 バッキーの頬を指先で撫でる。
 真白なバッキーが心配げに青年を仰ぎ見た。

「……おまえたちはムービースターを”食う”ことも出来るんだろ?」
 独り言のように呟いて、けれども青年はバッキーの顔を見ることもせずに目を細ませる。
 そう。
 それも、対策課で受けた説明の中にあった。バッキーはムービースターを食うことが出来るのだ。そうして換わりに一巻きのフィルムを吐き出すのだと。
「でも……おまえたちに食われたスターは……それは結局死んじまうってことになるんだよな……」
 続けてそう呟いて、誰かを殺すという行為に身を震わせた。
 キラー化したスターが人びとを手当たり次第に殺しているという噂を耳にしたことがある。逆に、それを怖れたファンやエキストラたちがスターを殺すといった事件も生じているとも。いずれにせよ、それらは殺人という行為だ。誰かが誰かの命を奪うという行為は、決して赦されたものではない。
「でもさ……あいつは俺らが創ったんだよ」
 言いながら、青年はゆっくりと信号に向かう。一歩一歩、進めるたびに自分の心をしっかりと奮い立たせるようにして。
「俺らが創ったんだから、……あいつが誰かにひどいことをする前に、……フィルムに戻してやるのも俺の仕事だよな」


 ★ ★ ★


 誰かの気配がして、羊はふと目をあけました。
 うっすらと開いた目に映ったのは見たこともない、知らない男の人です。バッキーとかいう生き物もいっしょです。きっとムービーファンとかいうひとなのでしょう。
 ここは公園です。たぶんあのひとも休憩しに来たのでしょう。そう思って、羊はうっすらとあけた目を再びゆっくりと瞑りかけたのです。
 でも、次の瞬間、
 ごぅん!
 大きな音を立ててベンチが崩れました。驚いて目をあけ飛び起きた羊が目にしたのは、大きな石を両手で抱え上げた男の人の、それはそれはおそろしい顔でした。
「やめてください!」
 叫びながら飛び跳ねて、羊はその場から逃げ出そうとしたのです。でも、ベンチは公園の一番端にありました。すぐ向こうにはフェンスがあって越えられません。横には車の往来の多い車道があります。なによりも、男の人はもうすぐ目の前にまで迫っていて、羊には逃げ場を与えてはくれそうにありません。
「やめてください!」
 もう一度叫んで、そうして、恐怖のあまり、

 ★ ★ ★

 
 自分の中に湧きかけていた感情が突然薄らいでいくのを自覚して、青年は抱え上げた石をぴたりと止めて目を向いた。そうしている間にも感情はどんどん薄らいでいく。
 青年は目を見開いて目の前の羊を見下ろした。
 羊は青年が壊したベンチの横でふるふると震えながら、けれども口をぱっくりと開けていた。
「……! ああ、うわあ!」
 気がつき、青年は飛び退いて、勢いで無様に転んでしまった。
 羊は能力を発動しているのだ。かわいそうな村人たちの悲しみを食べてしまった、あの能力だ。青年の内にあった怒りや悲しみ、焦燥、そうして殺意。それらを食ってしまおうとしているのだ。
 青年は知っている。知っている。羊に感情を食われた人間がどうなるのかを知っているのだ。誰よりも、創造主であればこそ。
「あああああ……!」
 叫びながら立ち上がり、青年は羊に背を向けて走り出した。羊が何事かを叫びながら追ってきているのがわかる。それが余計に恐怖をあおった。
「来るな、来るなよ!」
 叫び、全身で羊を拒みながら、青年はそのまま車道に飛び出した。左右を確認する暇や余裕など、青年はもはや持ち合わせてはいなかった。

 ★ ★ ★

「あぶない!」
 羊はそう言ったのです。
 恐怖に顔を歪ませて走り去った男の人の背中を追いながら、羊は、そっちに行くと車が来るよと、そう言ったのです。けれど男の人はそれを聞いてはくれませんでした。
 車道に飛び出し、ちょうどそこに通りかかった、あれはきっと引越し屋さんのものでしょう。大きな二台のトラックに、次々撥ねられてしまったのです。
 男の人も、バッキーも、どちらもべっちゃり潰れてしまいました。その顔も、お腹も、引き裂かれて潰された魚のようです。
「ああ……」
 だから危ないって言ったのに。
 羊は悲しくなってメェェと泣きました。 

クリエイターコメントこのたびはオファーをいただきまして、まことにありがとうございます。
今回のプレイングは前回とは異なるものでしたし、童話調であるのを少しだけ変調させたものとしてみました。お気に召していただければ幸いです。
土壇場で書き直したくなってしまい、冒頭から書き直しを始めてしまいまして、お届けが少しばかり遅くなってしまいました。お詫びいたします。
それでは、またのご縁をいただけますように祈りつつ。
公開日時2008-04-06(日) 11:30
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