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<ノベル>
第1幕
海には浪漫がある――
どこまでも広がる大海原は、眺めているだけでも飽きない。それはそこに浪漫があるからだ。
と、彼は言った。
浪漫じゃ腹はふくれねぇぜ。
と、返したある男に、にやりと笑った彼は、親指で自分の胸を指した。
「あいにく、俺の胸は浪漫でパンパンにふくれてるんでね。それでじゅうぶんなのさ」
酒場は水を打ったように静まりかえった。
ある者は失笑をこらえ、ある者は開いた口がふさがらなかった。中には、ほぅと感心した者もいたが、ごく少数だ。
そこに、彼の腹の虫が盛大に響き渡る。
沈黙は爆笑へと姿を変えた。
彼は公然と馬鹿にされながらも、胸を張って酒場をあとにした。
それが彼の生き様だった。
彼の名はキャプテン・ギャリック――ギャリック海賊団の団長であり、海賊船ギャリック号の船長だ。
これは、銀幕市に実体化したギャリックとその仲間たちの物語であり、海に浪漫を求めた者たちの戦いの記録でもある。
第2幕
何事にもタイミングというものがある。
タイミングは意図的に操作できる場合もあるが、人の力ではどうにもならないことの方が多い。そういった意味では、タイミングと偶然とはほぼ同義なのだろう。
ならば、彼らギャリック海賊団は完全に運に見放されていたことになる。すべてはタイミングの問題だったのだから。
「なんでわざわざこのタイミングで実体化するかな」
ウィズはそう愚痴った。海賊船ギャリック号を前にしての発言だ。
「これもまた運命というヤツだろうさ」
唇をゆがめるのはルークレイル・ブラックだ。そう言う彼自身が運命など信じていないのだから、これは皮肉というものだろう。
だれに対して?
それはもう、神様に対して、だ。彼らと海賊船をこの銀幕市に実体化させた夢の神様。
もちろんそれは実体化させられたことに対する皮肉ではない。要はタイミングなのだ。
「ま、いいじゃねぇか。こうして、『こいつ』がここに居てくれるだけで、俺は満足だぜ」
キャプテン・ギャリックが後ろからウィズとルークの肩を抱いた。
「団長、酒臭いッス……」
ウィズがため息とともに漏らし、ルークは苦笑する。
「海賊といえば宴会だろうが」
がっはっはと大笑するギャリックは、すっかりできあがっていた。
「団長の言うことも、もっともさね」
料理皿を片手にやってきたハンナが、まぶしそうにギャリック号を見つめる。
「もしかしたら、この船が実体化しないってこともありえたわけだろ。だったら、あたしたちといっしょにここに来てくれただけでよかったじゃないか」
彼らの船――ギャリック号は満身創痍の状態で銀幕湾に浮かんでいた。それというのも、映画のクライマックスである戦闘シーンから実体化したためだ。マストは折れ、帆は破れ、甲板も穴だらけ。こうして海に沈まずにいること自体が奇跡のようだ。
ラストシーンではなく、別の場面から実体化していれば、海賊船は無事だったろう。だからこそ、タイミングが悪かったと言える。よりにもよって、だ。
「そりゃ、そうだけどさ……」
ウィズが口ごもる。なんだか自分が子供じみた我儘を口にしているように思えてきたからだ。
「……直すから」
今にも泣き出しそうな声を出したのは、船大工のセエレだ。彼女はギャリック号のことを、手塩にかけて育てた我が子のように感じている。その痛々しい姿を見ているだけで、胸がしめつけられるようだ。
さすがのギャリックも、彼女にはかける言葉がなかった。
「はいはい、湿っぽい話はもうおしまい! せっかくのご馳走がまずくなっちゃうでしょ」
炊飯長のアゼルがお玉で鍋を叩きながらやってくる。団長の言いつけで宴会料理を作っていたものの、だれもやってこないのでしびれをきらしたのだ。
「ハンナったら、みんなを呼びに行ったんじゃなかったの?」
腕を組んで頬をふくらませるアゼルに、ハンナは「おっと、ごめんよ。ついついギャリック号に見とれちゃってね」と豪快に笑った。
「見とれちゃって、じゃないでしょ。もう!」
ふたりの間に「まぁまぁ」と割って入ったのは、仕立屋ヴィディスだ。ひらひらとマントの裾を翻しながら、
「こんなことしてたら、それこそ料理が冷めちゃうぜ」
と、笑顔を見せる。
「そうだぞ。せっかくのアゼルの料理が冷めちまう。野郎ども、宴会場へついてこい!」
ギャリックは勢いよくウィズとルークから離れようとして――だれもが予測したとおり、足をもつれさせた。あわててルークが肩を貸す。
「俺は大丈夫だ」
そう言ってルークの手を振り払おうとして、また、転倒しそうになる。
「ったく、うちの団長もしょうがないねぇ」
ハンナが唐突に、手にしていた皿をルークに向かって放り投げた。
「ちょ、うわっ!」
団長より料理を選んだルークは、ギャリックを放り出して皿を受け取る。胸をなで下ろすルークの手のひらの上で、料理はかけらもこぼれてはいなかった。「おお!」とウィズやヴィディスが拍手を送る。
一方、捨てられたギャリックは、ハンナのたくましい腕にすっぽりおさまっていた。
「な、なにをする! はなせ!」
じたばたするギャリックを、子供でも叱るように「おとなしくしてな」と一喝し、軽々と運んでいく。まるで母親と赤ん坊だ。
「団長もハンナにかかっては形無しだな」
片手に料理を捧げ持ち、口元を苦笑のかたちに歪めて、ゆるゆると首を振るルーク。
その頭頂部にお玉が激突した。
「いたっ!? 何をする!」
振り返るとともに青ざめる。
アゼルが冷たい目で見下ろしていた。
「それ、わたしの作った料理よね?」
「そ、そうだが」
声が若干裏返っている。いつもは超然とした態度をなかなか崩さないルークも、アゼルの前では蛇に睨まれた蛙のごとき有様だ。
「早く持っていく!」
ルークは返事もせずにものすごい勢いでハンナの後を追った。
「自分だって形無しじゃないか」
ヴィディスはくすくす笑いをこらえながら、宴会場へ足を向けた。ウィズは堂々と笑いながらあとにつづく。
セエレだけがいつまでもギャリック号を眺めていたが、アゼルはかけるべき言葉が見つからずにきびすを返した。
ぽつん。セエレは立ち尽し、足下にあった大工道具に手を伸ばそうとした。
そのとき、折れたマストをするすると降りてくる人影があった。船にはだれも残っていないはずだったが、どうやら違っていたらしい。海賊団の雑用兼戦闘要員であるナハトだ。
慣れた足取りで甲板を走り、船の舳先まで移動すると、ひょいと飛び降りる。海に落ちたかと思われたが、そこは器用に係留用のロープに降り立ち、綱渡りの要領で海を渡った。
「よぉ!」
片手を挙げて、セエレに挨拶する。
彼女は無言で大工道具をあさっていた。
ナハトはそんなセエレの腕をつかんだ。灰色の瞳に悲しみが揺れるのを認める。
「あ、あのさ! そんなに焦る必要ないんじゃね?」
セエレは無言だ。
「ええっと、セレさんの気持ちもわかるんだけどさ。こういうのって、ひとりでがんばっても仕方ないっつーか、いやいや、無駄だって言ってるわけじゃないぜ?! そうじゃなくてさ、なんつーのかな。ギャリック号はみんなの船なんだから、みんなで直していきゃあいいんじゃないかなって思って。セレさんひとりが背負う必要ないってゆーか……ああっ! オレ、何言ってんだよっ!」
わしわしと頭をかく。とがった耳がもどかしげに揺れた。
「……ありがとう」
「え?」
見るとセエレが微笑んでいた。
ナハトは、そこで初めて、自分がセエレの腕をつかんでいることに気づいた。頭のてっぺんから湯気が立つ。
「み、み、みんなのとこに行こうぜ!」
彼はチーターもかくやというスピードで逃げるように走り去った。
セエレは最後にもう一度だけギャリック号を見上げると、自らの心に誓うようにつぶやいた。
「……直してみせるからね」
そのあとは一顧だにせず仲間の元へ向かったのだった。
第3幕
ギャリック海賊団は極貧と呼ぶにふさわしい台所事情をかかえていた。
そもそも団員全員の三度の食事を確保するだけで莫大な経費がかかってしまう。
「ったく、うちはホントにエンゲル係数高いよな」
そろばんならぬ電卓をはじくのはウィズだ。銀幕市での生活に素早く順応した彼は、家計専門用語まで使いこなすに至っていた。
実際、彼の商才がなければ、海賊団はこの街ではやっていけなかっただろう。海賊喫茶、海賊クルーズなどの各種企画および、ある種のいかがわしい創作物の販売などなど、ギャリック名義の収入のほとんどがウィズの手によるものだった。
それゆえ、彼は今日の主役のひとりと言っても過言ではなかったのだが……
「そもそも、団長の宴会好きが一番問題なんだよなぁ」
その心中は複雑だ。
そのとき、船室のドアを開ける者がいた。ヴィディスだ。
普段から派手な服装を好む彼が、今日はさらに着飾っていた。まるでこれから貴族の舞踏会でステップでも踏んでこようかといったいでたちだ。
「ウィズ、こんなところに隠れてないで、おまえも早く来いよ」
上機嫌で手にした麦酒をあおる。おとなしめの彼にしては珍しい。どうやら外見だけでなく、彼の内心も華々しいことになっているようだ。
「ちょっと待てよ。もうちょっとで招待客名簿に――うひゃうっ!」
言い終わらないうちに、ウィズは椅子から跳び上がった。
ヴィディスが舌を出しながら麦酒のグラスを逆さまに持っている。その中身はいまや、ウィズの灰色の髪からしたたり落ちていた。
呆気にとられるウィズを残して、ヴィディスはそそくさと船室から逃げ出す。
ようやく、麦酒を頭からかけられたことに気づき、ウィズは「ンのやろー」と地団駄を踏んだ。
だが、不思議と腹は立たない。
ヴィディスもまた仕立屋の腕前を駆使し、【BIO】という名の個人ブランド商品を販売することによって、海賊団の財政を支えてきたのだ。それが本日報われたのだから、はしゃいで当然だ。
「そうだな。うん」
独りで呟く。
今日は、はしゃがない方がおかしい。こんなところで独りで招待客名簿とにらめっこしていい日ではないのだ。
ウィズは麦酒で濡れて、くたくたになった名簿をほっぽり出して、船室から外に出た。
そう、彼らがいたのは船室だ。それも、海賊船ギャリック号の船室。
映画『グランドクロス』のクライマックスシーンから実体化したギャリック号は、当初、水に浮かんでいるのもやっとの状態だった。それが長い月日をかけて、完璧に修復され、銀幕湾に昇る朝日を背景に、その雄々しい姿を衆目にさらしていた。
団員たちが一致団結して、修繕のための費用をかせぎ、また自前で作業することにより人件費を削り、少しずつ少しずつ努力を積み重ねてきた結果が、今日の出航式だった。
多くの銀幕市民が物珍しさに見物する中、甲板ではすべての団員が酒盛りに大忙しだ。
甲板に据えられたテーブルには、この日のために用意された極上の料理と極上の酒とが所狭しと並べられている。いや、テーブルの上だけではない。もはや床の上やあらゆる場所に食べ物や酒の空き瓶などが散乱していた。
千鳥足のキャプテン・ギャリックが葡萄酒の瓶を踏んでしまい、盛大にすっころぶ。
「大丈夫ですか?!」
駆け寄る団員をしっしと追い払うと、原始人が食べていそうな骨付き肉の塊をほおばった。
「ほへへひんはくほふひはへへはしはは」
おもいきり食べながらなので、なにを言ってるのかわからない。
「団長、朝から飲み過ぎじゃないかい?」
苦言を呈するのはギャリック海賊団の良心であり、母であるハンナだ。
ギャリックは口の中のものを葡萄酒で流し込むと、盛大なげっぷにつづけて言った。
「ギャリック号の新たな船出だ。祝い酒くらいいいじゃねぇか!」
笑い声が銀幕湾に木霊する。
ハンナもこれ以上言うのは野暮だとわかっている。微苦笑しただけで何も言い返さなかった。
と、その背後にするりと潜り込む人影がひとつ。
「おや? ヴィディーじゃないか」
ヴィディスはハンナの背中に隠れたまま、しーっと指先を唇に当てる。
頭上に疑問符を浮かべるハンナは、麦酒でべとべとになったウィズを発見するに至って、事情を察した。
「なるほどねぇ」
察したうえで、ひょいっと身体を横にずらす。
「あー! ヴィディー!」
すっかり丸見えになったヴィディスをウィズが指さす。
「は、ハンナの裏切り者っ!」
ハンナはにこにこしながら肩をすくめた。
マントを翻し素早く移動するヴィディス。彼がいた場所に、的確に麦酒の瓶が投げつけられる。
「危ないじゃないか! 俺は瓶なんて投げてないぞ!」
「うるさい! オレだけじゃなくて、濡れた三つ編みの恨みも込みなんだよ!」
言い争っているようだが、ふたりの表情は明るい。結局はじゃれあっているのだ。
それでも全力で酒瓶を投げつけるのが、男の礼儀というもの。
ウィズが投擲した酒類が容赦なくヴィディスを襲うが、ヴィディスもただの仕立屋ではない。するりするりと器用によけている。
「若いモンは元気が良くていいねぇ」
と、ハンナが、半分以上は自分の責任であることを忘れたかのように、笑いながら厨房へ戻る。時折飛んでくる流れ弾ならぬ流れ瓶を、片手で軽くはたき落としている様は、さすがと言うべきか。
「いい加減にっ!」
ついにはウィズが酒樽を持ち上げた。これには周囲の仲間たちもどよめく。
「ちょ、ちょっと待てって!」
さすがにヴィディスもあわてて両手を挙げた。
「っとっとっと……あら?」
体格もそれほど大きくないウィズだ。一度バランスを崩すと、お約束のようにあっちへふらふら、こっちへふらふら。
団員たちは酒樽とウィズが自分たちの方へ向かってくるたびに、わーきゃー言いながら逃げ出す。
そして、最終的に酒樽が到着したのは――
「あああああああああああああああああああああああああっ!」
悲鳴のようなどよめき。
「はは、はははははは」
ウィズの乾いた笑い。
酒樽はすっぽりとキャプテン・ギャリックの上半身におおいかぶさっていた。まるでアメリカン・コメディ・アニメの一場面のようだ。
馬鹿騒ぎが中断され、皆が固唾を呑んで見守る中、酒樽――いやいや、我らが団長がもそりと立ち上がった。ざざっと波が引くように、周囲の人間が後退する。
よろよろよろける酒樽は、あたかも海を割るモーゼのごとくに、人々を動かし、ひとりさまよい歩く。
「あ」
と声をあげたのはだれだったろう。
前が見えない泥酔状態の樽ギャリックが、甲板の縁に足をひっかけた。
墜落。
「だ、団長が海に落ちたぞっ!」
「ちょ、だれか! だれか助けろっ!」
「ギャ、ギャリー!? 死ぬなっ!」
「ぎぃやあああああ! ギャリック! ごめんよぅおおおぅ!」
青ざめるヴィディスとウィズを「おまえらのせいだろうが」と周囲が責め立てる。ふだんはおとなしいヴィディスも、アルコールも手伝ってか、このときばかりは混乱の極みに達したようで、両目をぐるぐるにしながら頭をかかえている。
「ヴィディー! 助けに行くぜ!」
意を決したようにウィズが握り拳をつくった。ヴィディスもまた力強くうなずき、マントを放り投げた。
「待ってなよ、ギャリー!」
ふたりは甲板を蹴り、大海原へと跳びだした。
「ええっと……助けなくていい?」
ナハトが鶏肉の串焼きを食べるのも忘れ、冷や汗めいたものを流しつつ訊く。
訊ねられたルークは、葡萄酒のグラスを優雅に手のひらで転がしながら、そっけなく答えた。
「樽だぞ」
「え?」
「団長がかぶってるのは樽だ。樽ってのは浮くんだよ」
そのとき、船外からギャリックの上機嫌な笑い声が聞こえた。
「おう、おまえたち、こんなところで何やってんだ???」
つづけてウィズの絶叫とヴィディスの脱力声が聞こえる。
「だーーーっ! 団長、ふつうに浮いてるしっ!」
「慌てて海に跳び込んだ俺たちっていったい……」
期待と不安がないまぜになった状態で甲板から海面を覗いていた海賊たちも、顔を見合わせ、首をふりながら宴会に戻っていく。
「なるほどね……」
ナハトは疲れたように鶏肉をほおばった。
「で、さぁ。さっきから気になってんだけど」
ルークは「ん?」といった感じで小首をかしげた。
「さっきからメアリが飲んでるのって……」
「ああ、これか。今日はめでたい日だからな。祝い酒だ」
そう言ってルークが撫でているのは、ゾウのメアリ=リードだ。海賊にゾウとはシュールな絵面だが、メアリは銀幕市にて開催されたカレークエストにてチャンドラ王子より賜った大切な仲間だ。
で、そのメアリが樽から飲んでいるのは、飼い主と同じ紫色の液体だった。
「ぞ、ゾウに酒って大丈夫なのかよ」
ナハトはメアリを気遣う様子だったが、当のメアリは上機嫌で浴びるように酒を飲んでいる。
「メアリだって喜んで――」
そこまで言って、ルークは身の危険を感じ、反射的に身構えた。グラスを放り投げ、腰に手をやる。丸腰だったことに気づいて舌打ちした。
ルークは銃とサーベルによる戦闘を得意とする。だが今は、新生ギャリック号の出航記念パーティーという名の宴会中だ。銃も、ましてやサーベルなど持ち歩いているはずもない。
ただし、ルークは非常に用心深い男だった。懐には常にナイフを忍ばせている。そのナイフを殺意の源に向け――
「ええっと……意味わかんないんだけど?」
切っ先が指し示しているのは、腰に手を当てたアゼルだった。気の強そうな眉が、はっきりとわかるくらいつり上がっている。まぁ、いきなりナイフを突きつけられれば、アゼルでなくとも怒って当然だ。
「あ、いや、これは、その、本能が危険を察知したというか……」
己の勘の鋭さを胸中で罵倒しつつ、今更ながらナイフを背後に隠す。頭上に落ちてくるであろう雷を予想して、ルークは首をすくめた。ナハトは巻き添えを食わないように、そっとメアリのうしろに隠れている。
ふっと、アゼルの表情がゆるんだ。
「もー、あんた達ったら本当に落ち着きがないんだからっ!」
台詞はいつもと変わらないのだが、口調がどことなく柔らかい。くるりと背を向ける口元には微笑すら浮かんでいた。
普段なら、泥酔するまで酒を飲む団長をたしなめたり、馬鹿騒ぎする団員たちを叱ったりするのが彼女の役目だったはずだが……この日ばかりは別だったようだ。アゼルもまた、ギャリック号で再び航海に出ることができる喜びを隠しきれないのだ。
ありえない展開に唖然とするルークとナハト。
そこで思い出したように振り返って「あ。せっかくナイフ出したんだから、厨房にあるジャガイモの皮むいといてね」と言い置くというアゼルらしさは忘れなかったようだが。
文句ひとつなく厨房へ行こうとするルークにナハトが声をかける。
「い、行くのか?」
ルークは疲れたように肩をすくめ、こう答えた。
「今日の料理は格別に美味いと思わないか?」
ナハトは手にした鶏肉をしばし見つめ「うん」とうなずいた。
「まぁ、料理の腕前も良いんだろうが、まず材料から違うんだよ。この日のために、こつこつ材料費を貯めたり、良い調味料を手に入れたり……その手間にくらべたら、ジャガイモの皮むきくらいなんてことないさ」
アゼルのそうした隠れた努力を、ルークはきちんと見ていたのだろう。ナハトは「台所の下僕1号の名は伊達じゃないな」とからかおうとして、やめた。
「ちょっと、ルーク! 早くしなさいよ!」
遠くからアゼルの怒鳴り声。
「はいっ!」
一も二もなく駆け出すルークに、やはり「台所の下僕1号の名は伊達じゃないな」と悲しげにつぶやくナハトだった。
このような乱痴気騒ぎの中、ギャリック号復活の一番の立役者である船大工は、ただひとり、酒とも食事とも無縁のまま黙々と座していた。
セエレは、ゆらゆらと揺れる甲板にただ腰かけ、物言わぬマストにただ手で触れ、いつまでもそうしていることで幸せだった。なぜなら、波にゆられる振動はこの船の鼓動であったし、マストから伝わってくる温かみはこの船の体温だったからだ。
ギャリック号の修理を終えたその日、セエレはそのことを真っ先にキャプテンに報告しに行った。団員の、船を待ちわびる気持ちに優劣はつけられないから、リーダーであるギャリックを最初に選んだ。それが筋というものだろう。
市役所からのハザード解決依頼をまっとうし、達成感と疲労感をいっしょくたにして麦酒とともに飲み干していたギャリックに、セエレは遠間から話しかけた。
「あ、あ、あの、その……」
声は蚊が泣くように細い。
セエレは生来、奇妙な劣等感を持っており、対人関係を上手に構築できないタイプだった。それは気の置けない仲間であるはずの団員たちに対しても同じで、長年いっしょにいるはずのギャリックもまた例外ではない。
「どうした、セエレ?」
ところが、ギャリックはいち早く船大工の存在に気づいた。
こうしたやりとりが日常的であるからこそ、ギャリックもまた彼女との接し方に慣れていたのだ。
「だ、団長、あの」
セエレは完成したギャリック号を指さそうとして、そこではじめて自分が木槌を持ったままだということに気づいた。あわてて木槌を背後に隠す。
ギャリックは訝しげに眉をひそめつつ、彼女の次の言葉を待った。
「……船が、ギャリック号が、その、修理が終わっ――」
セエレの報告を最後まで聞かず、ギャリックは雄叫びをあげた。それからはもう、とんとん拍子に話がすすみ、こうしてギャリック号の出航式が行われているのだった。
そしてセエレは今、誇らしさと嬉しさで胸をいっぱいにふくらませて、船と語らっているのだ。
これだけ大勢の人々に祝われて、船も喜んでいるのが伝わってくる。
「今後はギャリック号でのクルーズも私たちにお任せを。会社での記念パーティに、結婚式に、特別な日のお祝いに、是非ともご利用ください〜」
ウィズが拡声器で宣伝しているのが聞こえた。
こうしてたくさんの人たちがギャリック号を取り囲んでいるのにはちゃんと理由があった。事前に出航式の計画を綿密に立て、招待券を配りまくることにより、ウィズが人を集めたのだ。ギャリック号を今後の家計の足しにしようという魂胆だ。ちゃっかりしている。
「さて、ここで今回の新生ギャリック号誕生の立役者に登場してもらいます! 彼女の存在がなければ、あれだけ悲惨な状態であったギャリック号がここまで見事に復活することはなかったでしょう!」
セエレが「ん?」と思ったときにはすでに遅く。
「ギャリック海賊団船大工のセエレです!!」
ひときわ高い位置から紹介され、団員とまわりの招待客の視線がすべてセエレに向いた。
「え?! え!」
急に注目を浴び、セエレは真っ赤になっておろおろするばかりだ。
「さぁ、みなさん、偉業を成し遂げた我らが船大工に盛大な拍手を!! セエレ、ありがとう!!」
割れんばかりの拍手が彼女を包み込む。混乱のあまり、セエレの目はぐるぐると渦巻き状態だ。
不意にその肩をだれかが叩いた。
「船、直ってよかったね」
ヴィディスの笑顔があった。
気づけば、ウィズもアゼルもルークもハンナもナハトも、そしてギャリックもとびっきりの笑顔を見せていた。
セエレもまた自然とこわばった頬をゆるめるのだった。
第4幕
「ギャリック海賊団、総員配置につけぇい!」
キャプテン・ギャリックの号令は、これまでにないくらい気合いが入っていた。ならば当然、応える団員たちの気合いも十分だ。
「おう!」
「アイアイサー!」
「任せとけ!」
それぞれに叫びながら持ち場へと散っていく。操舵手が操舵輪を手に取り、マスト係は帆をあげる。ナハトはするするとロープを登って、メインマストのてっぺんにある見張り台についた。
ギャリックはキャプテンらしくデッキ中央に堂々と立っている。補佐役であるウィズがその右側に、航海士であるルークが左側にひかえた。ふだんは船室要員であり、外よりも内にいることが多い台所スタッフ――アゼルやハンナも、このときばかりは青空と潮風のもとにいた。
ギャリック号の――ギャリック海賊団の晴れの舞台だ。だれもが胸を躍らせていた。
「ハンナ! 見て、海よ!」
アゼルがぴょんぴょん飛び跳ねながらハンナの腕をつかむ。
「ああ、いつも陸(おか)から見てたはずなんだけどねぇ。こうして船から眺める海は、やっぱり違うもんだねぇ」
あわただしく働く若い仲間たちの姿に、ふと感慨深くなる。陸の男と結婚する前、若かりし頃のハンナは、とある海賊団に所属し美人女海賊としてそれなりに名をはせていた。あの頃の、活力に満ちあふれた日々が思い出されたのだ。
「わたしね、最近陸のうえでの生活も不便が少なくて悪くないかなぁって思ってたの」
アゼルが瞳をきらきらさせて言う。
「でも、やっぱりわたしたちは海賊ね。不便だろうがなんだろうが、海のうえが一番だって、あらためて思ったわ」
ハンナはそんなアゼルに昔の自分の姿を重ね合わせ、「ああ、そうさね」と満足げにうなずいた。
「団長、出航準備万端っス!」
ウィズがギャリックに告げる。自前の高性能デジカメに電源が入り、新たな門出の撮影準備も万端だ。
「ナハト!」
ギャリックがマストの見張り台を見上げ、ナハトが下に向かって叫ぶ。
「アイサー! 進路前方に障害物なし!」
「よし! 新生ギャリック号、出航!!」
ギャリックの命令に、団員たちは戦に臨む鬨の声のごとき雄叫びをあげた。
ゆるゆると船体が動きはじめる。港では招待客たちが歓声をあげ、しきりに手を振っていた。ゆっくりと、だが確実に、彼らの船は海を走りだしたのだ。
陸から離れれば離れるほど、揺れが大きくなり、船体がぎしぎしと音を立てた。それは悲鳴ではない。潮風の立てる波音を伴奏にして、海賊船が高らかに歌い上げる、まさに喜びの歌だった。
どんどん小さくなっていく銀幕市を後背に置いて、ギャリックは大きく胸を張った。
「これで銀幕の海は制覇したな。今度はこの船を空にでも飛ばしてみてぇな」
そばで聞いていたウィズもルークも、「まったくこの人は」といった感じで微苦笑した。もちろんこのときはふたりとも、こののちキャプテンの言葉どおりギャリック号が空を征くことになるとは、思いもしていなかった。それはすべての団員の心をえぐる悲劇でもあり、また別の冒険譚だ。
「ルーク、我らが航海の先を示せ」
ギャリックがルークにこう尋ねたのは当然のことだったろう。なにせルークは航海士だ。航路に関しては彼に一任される。
ところがルークは困ってしまった。目的地が明確でなかったら、ではない。どこにも行きようがなかったから、だ。
彼らは全員がムービースターだ。この船すらもムービーハザードの産物である。魔法によって造られたモノは、魔法の世界にしか存在できない。魔法の世界とは、すなわち銀幕市だ。ギャリック号もギャリック海賊団も銀幕市を出ることはできないのだ。
この状態でどこへ行けというのだろう?
遠く見透かせばダイノランドが見える。あそこまでは行けるだろう。ダイノランドもムービーハザードなのだから、現実と魔法の境界線はそのむこうということになる。
だが、その先は?
ルークは急速に心が冷めていくのを感じた。その顔は青ざめてすらいた。
まったく同じことにウィズも気がついたらしく、そっとデジカメのシャッターを押すのをやめた。このデジカメには楽しい思い出だけを詰め込みたい。そんな想いから、自然と手が止まってしまったのだ。
アゼルもハンナもヴィディスも、皆一様にうつむき加減になる。
心のどこかでは、わかっていたことだ。海に出ても、彼らに自由はない。
海には浪漫がある――どこまでも広がる大海原は、眺めているだけでも飽きない。それはそこに浪漫があるからだ。
と、かつてキャプテン・ギャリックは言った。
空は青く、ちぎれ雲が流れ、風は優しい。しかし、この閉ざされた海に浪漫などあるのだろうか?
不安にさいなまれたとき、集団が頼るのはリーダーだ。全員が次の団長の言葉を待った。
ギャリックは――ただひたすらに前を見つめていた。堂々と腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。隻眼は希望に満ちあふれていた。
もしや現状をまったくわかっていないのではないか、そう思われても仕方ないくらい動じていない。他の海賊たちがこの様子を見ていたら、いつものように彼を笑い者にして後ろ指をさしただろう。
それでも自らの信念を曲げないのが我らがギャリックだ。
「どうした、ルーク? 航海士のくせに海図も読めねぇのか?」
叱っているわけでも小馬鹿にしているわけでもない。とても楽しそうにギャリックは言った。
「遠慮するな。おまえの進路設定のおかげでヒドイ目に遭うのは慣れっこだぜ」
どっと笑いが巻き起こる。
ルークは彼にしては珍しく顔を紅潮させ、すこし怒った口調で反論した。
「しかし、団長。目的地はどこに?」
団長はにやりと悪戯っ子の顔で笑った。
「俺たちゃ海賊だぞ。海賊の目指すモンっていったら決まってんだろうが」
人差し指で遠く霞む水平線をさす。
「あの海の果てにある浪漫だ! ギャリック号、どこまでも、どこまでも、どこまでも全速前進だ!!」
だれもがあきれると同時に、不思議な高揚感を感じていた。彼らの団長は、いつもこうだった。どんなときでも子供のように、海と船とお宝に夢中なのだ。
ルークとウィズが顔を見合わせる。ハンナとヴィディスも顔を見合わせる。アゼルとセエレも顔を見合わせる。そして、示し合わせたわけでもないのに、全員が拳をふりあげ「おうっ!」と声を上げたのだった。
第5幕
ナハトは見張り台のうえで大きく深呼吸した。海の香りを胸いっぱいに吸い込むと、嫌なことすべてが泡となって溶けてしまいそうな、そんな感じがした。
「へぇ、こんなところにもいるんだな」
海鳥が心地よさそうに風を切っている。
ナハトはポケットから食べかけのビスケットを取り出すと細かく砕いた。
「来いよ」
慣れた手つきでビスケットのかけらを差し出すと、海鳥が一匹、ゆるやかな弧を描いて近づいてくる。ナハトはエルフに似た森の一族だ。動植物と会話できる。ゆえに、映画の中でもこうしてよく餌をやったものだ。
と、急に海鳥が方向を変えた。焦るようにしてギャリック号から遠ざかっていく。
動物というのは人間よりも敏感だ。特に身の危険に関してはおそろしいほどの勘の良さを発揮する。
ナハトはすぐさま周囲を見渡した。後方には小さくなった銀幕市、前方には水平線、右方にはダイノランドがあった。別段変わったことはない。
「おーい、いったいどうしたって――」
飛び去った海鳥に訊ねようと大声を出したとき、ナハトの鼻の頭がひくひくと動いた。
匂いがちがう。この匂いは……
「オヤジ!」
甲板を見下ろす。
「雨だ! スコールが――」
言い終わらないうちに、大粒の雨がナハトの全身を叩いた。なんの前触れもない。突如、雨雲の中心に放り出されたかのような豪雨。
「チクショウ!」
もはや忠告する意味はない。ナハトは下を向くのをやめて、足下にあったマントを頭からかぶった。手のひらを額にあて、庇のようにして雨粒をさける。
いま彼がすべきことは船に近づく脅威をいち早く発見することだ。
「いったいなんなんだよ、この雨は」
ヴィディスはお手製の防水マントを団員に配ってまわりながら小さく毒づいた。
嵐ならばある程度事前に予測がつく。スコールにしても、これほどなんの先触れもないのはおかしい。となれば、考えられる可能性は――
「ルーク、もしかしてこれは?」
この手の現象にもっとも詳しいだろうと思われる人物にマントを放りやる。
ルークは船室に向かいながら「おそらくムービーハザードだ」とマントを受け取った。
「団長、帆はたたむッスか?」
ウィズの問いかけに、ギャリックは「いや。なにが起こるかわからねぇ。帆は張ったままだ」と答えた。なにかがはじまろうとしている。ここは慎重に動くべきだ。
「ナハト! なにか見えるか?」
「オヤジ、なにも見え……いや、ちょ、いま海面でなにか動いた!」
「なにっ?!」
「北北西、この船から半海里もねぇとこ!」
ギャリックもウィズも必死に目を凝らす。
それはすぐに彼らの視界にもとらえられた。雨によって無数の穴を穿たれた海面に、ひときわ大きな波紋を起こしてうねくる『なにか』だ。
「鯨、か?」
「それにしちゃあ、一頭には見えないッスよ。海豚の群れじゃないッスか?」
ウィズは不安を隠しきれない口調だ。
そこにヴィディスが加わる。
「ギャリー、ウィズ、マントを……」
開いた口がふさがらなくなった。
「ちょ、あれさ、蛸の足に見えない?」
ヴィディスが、なにかの間違いだよねといった表情で訊ねる。ギャリックは思わずポンと手を叩いた。
「なるほど、鯨じゃなくて、蛸か。言われてみれば」
「な、納得してる場合じゃないッスよ! あれが足だとしたら、どんだけデカイ蛸なんスか?!」
甲板の各所で悲鳴や驚嘆の声が聞こえはじめた。いまやはっきりと、その物体が巨大な蛸の足だとわかったからだ。おそらく十本あるであろう太い足が、現れては潜り、潜っては現れる。
「海は広ぇな、おい! あんな生きモンがいるなんてよ。はっはっは」
「いや、ギャリー。そこは笑うとこじゃないよ!」
ヴィディスもさすがにツッコむ。
「まずは、なんだ、あれか。ちょいとデートにでも誘ってみるか?」
「冗談だろ?!」
「蛸だからって、悪い奴だなんて決まっちゃいねぇだろ?」
「まぁ、たしかにそりゃそうかもしれないが……」
それ以前に人間の言葉は通じないんじゃないかと思ったが、ヴィディスは口にしなかった。
船体が大きく揺れた。ヴィディスもギャリックもウィズも、近場のロープや甲板の縁にしがみつく。
「今ので落ちた奴はいねぇか!」
すぐさま確認するところは、さすがキャプテンだ。各所で点呼が行われる。雨水で滑りやすくなっていたから、もしやと思ったが、だれも海に落ちた者はいなかった。
「少なくとも俺たちに好意は持ってなさそうだ」
ヴィディスの眼光が鋭い。巨大蛸の足は、明らかに船を転覆させようと波を起こしたように思えたからだ。
「団長、反撃するしかないッスよ」
「反撃って言ったってなぁ。この雨じゃ大砲は使えねぇだろ」
ここで、逃げるという選択肢がはなから除外されているところがこの海賊団らしい。
このままこのハザードを放置しておけば、民間人に被害が出ることは明らかだったし、どうせこのあと市役所から派遣されたムービースターやムービーファンが対処することになるのだ。だったら自分たちが退治してやろうと、団員の意志は共通していた。
「大丈夫だ」
船室から戻ってきたルークが、うっとおしげに眼鏡の水滴を拭きながらつづける。
「セエレに事前に頼んでいたことがいくつかある。そのひとつが、大砲の防水加工だ」
銀幕市に実体化して、映画の中にはなかった技術や材料を手に入れることができた。それらを有効に活用して、ギャリック号は改修されたのだ。
「ははっ! さすがルークだぜ。航海術以外の腕前は一級品だな!」
「……ギャリック、その言い方はやめてくれ」
ルークのささやかな抗議など無視して、ギャリックは操舵手に指示を出した。
「面舵いっぱい! ギャリック号の腹を大蛸に向けるぞ! 砲員は大砲の用意だ!」
指示に従って、船が回頭する。さいわい、叩きつける雨さえどうにかすれば、風はそれほど強くなかった。
「ナハト! 大蛸までの距離を目算!」
「アイサー!」
キャプテンが各団員に戦闘準備を伝える中、参謀たちは今後の計画を練っている。
「で、今回のハザードはどんなやつなんだ? 調べてきたんだろ?」
ウィズがさも当たり前といった口調で訊ねた。
抜け目ないルークのことだ。セエレに頼んでいたことのひとつとして、おそらく船室に最新のパソコンと無線によるネット接続環境を整えているに違いない。そこから市役所のデータベースなり、映画情報のデータベースなりに接続して、情報を得ているはずだ。
ルークもまた当然とばかりに即答する。
「アニメ映画『目指せ海賊王〜幽霊船の秘宝〜』から実体化した、雨のオクトパルスだろう」
ウィズがアニメの部分に反応して「アニメってなんでもアリだなぁ」とつぶやき、ヴィディスが幽霊船の部分に反応してわずかに身を震わせ、ルークが秘宝の部分に反応して顔をゆるめた。
「それで、この大蛸の退治法は?」
ヴィディスの質問に、ルークは頭をかいて苦笑した。
「映画では主人公がぶっとばしてる」
「は?」
「そのまま言葉通りさ。主人公が素手でぶっとばすんだ」
自身が魔法を使えるヴィディスでさえ鼻白んだ。いったいぜんたいどうやったら、あの巨大な化け物を殴り倒せるというのだろう。
「アニメって本当になんでもアリだよなぁ」
ウィズがせつなげに首を振る。
横で聞いていたギャリックが意気揚々と腰のサーベルを抜いた。
「アニメだろうがなんだろうが、とにかくぶっ倒すぜ!」
いつも無茶ばかりするキャプテンだったが、今回の無茶はとびきりのように思え、ウィズもルークもヴィディスも大きくため息をついた。
「団長の言うとおりよ!」
いつの間に甲板に出てきたのか、アゼルが勢いよくフライパンを振りかざす。
「アニメだかなんだか知らないけど、あれだけ大きな蛸なのよ! 足一本で何日分の食料をまかなえるか! あんたたち、わかってんの?」
「え? ちょっと、大蛸退治の趣旨がズレてないか?!」
「いや、それよりも、いったい何日間、俺たちに蛸の足を食わせる気だ?!」
ヴィディスとルークがすかさずツッコんだが、アゼルは気にしない。操舵手や砲撃手を叱咤激励しながらフライパンをさらに振り回す。
「あっはっは。こりゃあ、蛸料理のレパートリーを増やしておかないといけないねぇ」
「……すごい、雨」
アゼルだけではない。ハンナも、そしてセエレも船室から出てきていた。
「セエレもハンナも、非戦闘員は船内待機だぜ」
ウィズが三人を船室に押し戻そうとすると、一斉に反撃を食らうことになった。
「緊急事態でしょ? みんなで協力しなくてどうするの!」
アゼルが腰に手をあてて、人差し指をウィズの鼻先につきつける。
「はて? ギャリック海賊団に非戦闘員なんて言葉あったかね?」
ハンナはとぼけたようにそう言った。
セエレは常のように無言だったが、力強くうなずいてみせた。
これにはウィズも口をつぐむしかない。助けを求めるようにギャリックの方を見る。
ギャリックはサーベルを器用にくるくるまわしたあと、心を決めたとばかりに切っ先を迫り来る大蛸に向けた。
「こいつぁ、見たまんま、今までで一番スケールのでかい戦だ。全団員が一丸となって相手を叩きのめす!」
それは言外に、すべてのクルーが戦闘に参加する趣旨を含んだ命令だった。もちろん命令などされなくとも、全員がキャプテンのためなら命を投げ出す覚悟を持っている。従わない者はひとりとしていない。
「はは。こいつは大戦(おおいくさ)になりそうだねぇ。久しぶりに腕が鳴るよ」
雨風もなんのその、ハンナが大笑する。
「わたしだって!」
フライパンを構えてみせるアゼルに、ルークが本気であわてる。
「ま、まさかそれで戦うつもりじゃないだろうな?!」
「まさか! 大切な料理道具を戦いになんか使うわけないでしょ?」
そう言って、手近にあった酒樽をひょいと持ち上げる。
「これでどう?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて。戦闘ってことは命のやりとりが……」
平素は冷静沈着なルークがアゼルの身を案じてこれほど狼狽しているというのに、当の本人はあっけらかんとしている。
そんなふたりのやりとりを断ち切ったのは、見張り台のナハトだった。
「オヤジ! 蛸野郎を砲の正面、射程距離内にとらえた!」
それを受けてギャリックが動く。真正面に敵を見据えて、砲撃命令を出そうとし――不意に振り返った。隻眼の先には、若き船大工がいた。
「セエレ」
名を呼ばれ、何事かと思い、「は、は、はい」と身をこわばらせる。
「――俺はまたこいつを壊しちまうかもしれねぇ」
ギャリックは、また、と言った。再びという意味だ。
過去に、と言っていいかはわからないが、彼が非常事態宣言をした例が一度だけある。映画『グランドクロス』のクライマックスのときだ。そのときもまた今回のようにすべての団員が戦闘に参加し、船はボロボロになった。状況は似たようなものだ。いや、もしかしたら相手が化け物であるため、そのとき以上に悪いのかもしれない。となれば、今回もまた船が壊れてしまう可能性が高いということだ。少なくとも船長はそのように考えている。
長い月日をかけて修理したギャリック号。出航式の日に再び壊れてしまうとしたら……
セエレは団長の意図をくみ取り――微笑んだ。
何度壊れようともそのたびに、この船は私が直す。船を傷つけることを恐れて、戦いをやめるようなことはしない。彼女の笑顔は、海賊船の船大工としての誇りに満ちていた。
ギャリックはもう振り返らない。
「左舷、全砲門――撃てぇっ!!」
ヴィディスがセエレの肩に手を置いた。少し悲しげな色に紫の瞳を染めて。
彼もまた、作る者だ。団員たちが無茶をして服を破くたび、文句一つ言わずに甲斐甲斐しく繕う。セエレの気持ちがいちばんよくわかる立場だ。
セエレは「ありがとう」とつぶやいて、だれにとはなく――いや、船に向かってこう告げた。
「……大丈夫だよ。ギャリック号、また直してあげるから……ね」
第6幕
ギャリック号から放たれる砲弾は、ルークの手によって改良が加えられており、着水するごとに猛々しい水柱を立てた。雨滴による水音などなんのその、爆発音があたりを支配する。だがしかし、砲撃の反動もすさまじく、船はいつになく揺れた。
「振り落とされるなよ!」
キャプテンの指示に、そこかしこから了解の掛け声が飛ぶ。
砲弾の一発が大蛸の足に直撃した。人間の二、三人をまとめて放り投げられそうな太い足が、中空にちぎれ飛んだ。船員たちから歓声があがる。アゼルが「だれかあれ拾ってきてよ!」と叫んだが、内心だれも大蛸の足など食べたくないのだろう。全員が心を一つに無視した。
「いけそうだな」
ヴィディスがこちらの優位を確認して言う。
ウィズも高らかに口笛をならした。
「いや、まだだ」
ルークはいつになく慎重な姿勢を崩さず、つづけて大蛸のまわりを周回しつつ、第二波を撃ち込むことを提案した。ギャリックもそれを受け容れ、手早く指示を出す。
大蛸は思ったよりも早く移動できないらしく、のたのたと船を追おうとするが、まったく追いつけない。
「こいつはいいや。ここまで来てみろってんだ」
ナハトは高みの見物とばかりに見張り台から大蛸を挑発した。
すると、彼の動物語が海棲生物にも通じたのか、大波をたてて大蛸の頭とも胴体とも言える部分が浮上した。なるほど、アニメ出身のムービースターというのは嘘ではないらしい。普通の蛸ではありえない部分に、つぶらな瞳がふたつ付いている。さらには、いかにも怒ったといわんばかりに体色が真っ赤に変化しつつあった。
「ナハト! あんた、なに余計なことしてるのよ! 夕飯抜きだからねっ!」
アゼルが下から叫ぶ。
「ちょ、たまたまかもしんねぇだろ」
反論する声音に力はない。
「しくじったな」
ルークが舌打ちする。
「どうした?」
ヴィディスが訊くと、ルークは手短に説明した。
この大蛸は、出演しているアニメ映画では、主人公たちの乗った船を雨で沈めようとする役どころらしい。ただし、映画内ではあくまで雑魚扱いの敵であり、主人公に一撃で倒されてしまう。その際、全身を真っ赤にして怒りをあらわすのだが、その怒りに呼応して、大蛸の主人が現れるというのだ。
「ええっと……これが雑魚で、ボスが別にいるってわけ?」
ウィズがまたまた悪い冗談をといった具合に白々しく笑う。
「ああ、そうだ。この大蛸はもともと幽霊船を護るためにいるらしい」
「じゃあ、その幽霊船ってのが現れるってこと?」
ヴィディスの確認に、ルークは「おそらく」と答え、つづけて「その証拠に雨があがりはじめた」としめくくった。
言葉どおりに雨の勢いが弱まってきている。先ほどまでは防水マントのうえからでも雨滴が当たると痛いくらいだったのだが、もはやマントがなくても問題ないくらいに雨脚は弱まっていた。
「ど、どういうこと?」
アゼルが不安げに眉をひそめた。
「要するに雨で船を沈める必要がなくなったってことかな」
ヴィディスが嫌な予感に苦笑しながら解答らしきものを提出する。
「そういう大事なことは前もって言っておくもんじゃね?」
ウィズの白い目に、ルークは「大蛸だけで浮き足立っていたんだぞ。下手に不安をふくらませるだけだ」とそっぽを向く。
大蛸は足を数本失ったが、まだまだ壮健といったところだ。むしろ怒りで戦闘力は上がっているかもしれない。そこに、幽霊船などという荒唐無稽な船乗り伝説めいたものが現れるというのだ。いったいどう対処しろというのだろう。
「……幽霊船か」
いったん砲撃をやめさせて様子を見ていたギャリックがつぶやいた。
「まさかこんなところで本物の幽霊船に会えるとはな! 普通に航海してたら絶対に会えねぇぞ、幽霊船なんて! さすが銀幕市の海は違うぜ! な、てめぇら?」
心底楽しそうに力説する。
このような状況でも不敵に笑えるのがキャプテン・ギャリックだ。そして、団員たちは彼のそのような態度を見ると、妙に落ち着くのだった。
「で、その幽霊船ってのはどうなんだ?」
船長の問いに、ルークは神妙な顔つきで、映画『目指せ海賊王〜幽霊船の秘宝〜』にて主人公たちの前に立ちはだかる敵たちの話をしだした。
「幽霊船アンラック号には、まず何十人というガイコツ船員が乗っている」
その話だけで、セエレが全身から嫌そうなオーラを発散した。ガイコツ船員という不吉な名前から、姿を想像したのだろう。
「きっとガイコツなんだろうねぇ」
ハンナは呑気にしていたが。
「ガイコツじゃ大蛸と違って食べるところがない、とか言うなよ?」
話の腰を折ってまでルークがアゼルに釘を刺す。
「なに言ってんの。スープに入れたら良い出汁が出るかもしれないじゃない」
相手はさらにうわてだった。ルークはこほんと咳払いをして、話を継いだ。
「ガイコツといっても、剣や銃で動けなくしてしまえば問題ない。問題はアンラック号の四天王だ」
「うっわー なんかいかにもアニメって感じの敵だなぁ」
ウィズが台詞を棒読みする。
「こいつらがめっぽう強くて……」
さらに講釈しようとしたルークの頭を、ギャリックがこづいた。それほど痛くはなかったのだが、いくら団長といえど話を途中で遮られては頭にくる。
「ルーク」
ルークの小さな不愉快など気にも留めずに、ギャリックは小さな子供に言い聞かせるように、一語一語を区切って言った。
「だれがガイコツだの四なんたらだのの話をしてんだ?」
ルークはギャリックの言いたいことがわからずにやぶ睨む。
「ルーク。いいか、おまえらしくもねぇ。幽霊船っていやぁ、お宝だろうが! 俺が訊いてんのはそこだ!」
ずばり指摘されて、さしものルークもかなりのショックを受けた。このルークレイル・ブラックともあろう男が、お宝以外のものにかまけて、肝心のお宝のことを忘れてしまうとは。
「俺さぁ、お宝なんかよりも四なんとかっていう敵の情報の方が大事だと思うんだけど……間違ってるかな?」
ヴィディスに賛意を示す者はいない。示すまでもないからだ。そりゃあ、この場合、お宝なんかより敵の情報の方が重要だろう。でもそこで、財宝を忘れてしまえば、海賊が海賊ではなくなってしまうのもまた事実だ。
ただ、だれかがツッコまなければならいのもまた、事実だった。
「あんたたちさぁ、あいつのことを忘れちまってるんじゃないかい? すっかりオカンムリみたいだよ」
ハンナの指摘で、ようやく大蛸の存在が皆の思考範囲に戻ってきた。足を吹き飛ばされた大蛸は、いまやゆで蛸のように深紅になり、いつまでも追いつけない船足に苛立ちも最高潮のようだ。最初に現れたときの恐ろしさは霧散し、必死で船のあとを追う姿が滑稽ですらあった。
「ま、ひとまずは大蛸退治だな」
ギャリックが砲撃を再開する命令を出そうとしたとき、雨上がりの曇り空が不意に厚みを増した。陽の光がさらに希薄になり、おどろおどろしい空気が場にただよう。生暖かい風が吹き付けてきたのは気のせいだろうか。
「なんだか、いかにもな雰囲気だねぇ」
台詞のわりにはちっとも動じていない風のハンナに、セエレが訊いてみる。
「……ハンナは怖くない、の?」
幽霊船と聞いて心底平気でいられる海賊は少ない。肉体の痛みや死への恐怖、そういったものとはまた別の畏れがある。幽霊という未知の存在が怖いのではなく、その姿を未来の自分たちと重ね合わせてしまうから、恐ろしいのだ。予測不可能な航海の連続で、海の藻屑となった我が身を連想させる。
そもそも幽霊船の伝説というのは、そのたぐいの船乗りたちの無意識の恐怖心から生まれたものかもしれない。
現にセエレも幽霊船は正直少し恐ろしい。アゼルだって気丈に振る舞ってはいるが、フライパンがかすかに震えている。ナハトだって、ウィズだって、ヴィディスだって、ルークだって、本当は逃げ出したいのを我慢しているのかもしれない。
「うーん、そうだねぇ」
ハンナはえらく真剣な表情で腕を組んだ。
「あたしには、たとえ幽霊だって逢いたい人がいるからかねぇ」
遠い目だ。
「――なんてね。あたしだって幽霊は怖いさ」
そうやって笑えるハンナがとても強い人のように思えた。
「オヤジ! 蛸とは反対側、右舷に敵影あり!」
ナハトの報告に、急いで振り返る。
ダイノランドを背景に、霧のような靄のようなものが立ちこめている。お約束のように、真っ白なスクリーンに映し出された影絵よろしく、巨大な船影が揺らめいていた。
「よりによって挟み撃ちかよ!」
吐き捨てるようにウィズが毒づく。
ぎしぎしと腐った木材のあげる悲鳴が押し寄せる。遠近感を無視したように、ひどくゆっくり、しかし息つく暇もなく、幽霊船アンラック号はギャリック号に迫っていた。
「速すぎる?!」
ナハトが目算する余裕もなくすぐそこにまで近寄られてしまう。
「そのまんまだね」
ヴィディスがそう漏らしたのも無理はない。アンラック号は、まるで絵本から抜け出してきたかのごとき、幽霊船の見本のような船だったからだ。
帆はずたずたに引き裂かれ、マストはメイン以外すべて折れている。帆船のくせにこれでどうやって風を受けているのか不思議だ。登場の仕方からして幽霊船に常識は通用しないということだろう。船体に使われている木材は緑色に変色し腐っており、碇や船首といった金属の部分も赤茶色にさびついていた。カラスのような黒い鳥が、ケーケーと周囲を飛び回っており、生き物の気配はそれしかないようだ。
生き物の気配は。
うげっとうめいたのはだれだったろう。
きっと最初にガイコツ船員を目にした団員だ。
ある程度の覚悟はしていたものの、ガイコツたちはやはり醜悪な姿をしていた。服装が自分たちと同じ海賊のものであるから、なおさら不気味さが増す。全身が白骨化している者もいたし、中にはまだ腐肉をしたたらせている者もいた。すべてのガイコツ船員たちが銃やサーベルなどで武装しており、しかも、数が多い。
気の早いアゼルがさっそく酒樽を投げつけようとする。接近しているとはいえ、普通なら敵船まで届くはずがない距離なのだが、彼女の場合は問題ない。腕力にはありすぎるほど自信がある。
「ちょっと待て、アゼル」
ギャリックが制した。
「え? 戦闘開始じゃないの?」
と、きょとんとするアゼルに、セエレが無言で幽霊船をさした。
なんの知性も理性も持ち合わせていないように見えたガイコツ船員たちが、隊列を整えはじめていた。舳先からメインマストまで、バージンロードよろしく真っ直ぐに道を空け、それぞれのサーベルや銃を捧げ持つ。なにやら海賊というより海軍めいた動きだったが、これから現れる人物が船長クラスの者であることは確かだ。
「四なんとかって奴らかな」
ヴィディスはいつでも魔法を発動できる状態にした。
果たして、ガイコツたちの合間を通って現れたのは、通り名どおり四名の奇妙な一団だった。
ひとりは、まるまると太った男で腰に二本のサーベルを差している。幽霊のくせにやたら血色がよくむしろ気色悪い。
ひとりは、身の丈ほどもある長大なライフルを背中に背負った男で、陰気そうに何やらぶつぶつ独りごちていた。
ひとりは、どこからどう見ても小さな女の子で、ピンクのフリルがたっぷりてんこもりのドレスを着ている。無邪気な笑顔がまぶしい。
そして、三人を両側にはべらせ中央に立つのは、セクシーな海賊服に身を包んだ長身の女性だった。出るところは出、ひっこむところはひっこんでいる。いわゆるダイナマイトバディーだ。面貌も、絶世と言ってよいほどの美しさ。
ギャリック海賊団の男性陣が高らかに口笛を吹き鳴らす。
「あんたたち、敵に向かってなにしてんのよ!」
アゼルが短気を起こすと、「いや、これはもうなんつーか、海賊の本能というか儀式というか……」すべての男性団員がそう誤魔化すしかなかった。
アンラック号は、ギャリック号からある程度の距離を保ったまま、ぴたりと動きを止めた。海には潮の流れというものがある。碇も降ろさずに停船するなど本来なら不可能なのだが。
中央の女性が船の舳先まで移動し、静かな声音で語りかけてきた。
「この船の船長はだれだ?」
声を張り上げているとも思えないのに、船員全員の鼓膜を震わせる。耳にした瞬間に背筋が凍るような音だ。
ギャリックは臆した様子など微塵もなく堂々と名乗りを上げた。
「俺がキャプテン・ギャリックだ」
「ふむ。なかなか良い面構えをしているな。悪いことは言わん。今すぐに船に積んであるすべての財産を明け渡せ」
この要求に真っ先に顔をしかめたのはウィズだ。団の財政管理は彼の管轄だ。ただでさえギャリック号の修繕費等で貧窮している彼らに、金品の要求をするなんて。
他の船員たちも似たような感想を抱いていた。よこせと言われても、持ってないものは渡せないぞ、と。
ギャリックは女海賊の要求にこう応えた。
「それはこっちの台詞だぜ。あんたの船には財宝がたくさんあるって話じゃねぇか。そいつをこっちに渡してもらおうか」
なんと幽霊船を相手にして本当にお宝をぶんどろうという魂胆だ。これにはさすがにお宝好きのルークも度肝を抜かれた。
「ほぅ。このキャプテン・ブラッディ・マリアンヌに向かってそんな口を利いたのは、おまえが初めてだ。褒めてやろう」
マリアンヌがぱちんと指を鳴らすと、ガイコツ船員のひとりがかぎ爪のついた荒縄をギャリック号へと放り投げた。かぎ爪は船の縁にがっちり食い込み、二船をつなぐ架け橋となる。これは敵船へと乗り込むためのものだ。
「おとなしく財産を渡せ」
ロープの端を結わえて固定したガイコツ船員が、それをつたってギャリック号へと渡ろうとする。
瞬間的に飛び出したのは、ギャリックその人だった。みずから敵の面前に身をさらし、サーベルで素早くロープを断ち切った。
渡りかけていたガイコツがあえなく海に落下する。
「それがおまえの返答か?」
マリアンヌの問いかけに、ギャリックはにやりと笑った。
「命惜しさにお宝を差し出しちまったら、そいつはもう海賊じゃねぇ」
「では、力ずく、ということだな?」
「それが海賊の流儀ってもんだろ?」
こうしてギャリック海賊団とアンラック海賊団の亡霊との戦いがはじまったのだった。
第7幕
威勢の良い啖呵を切ったのはよいが、さっそくギャリック海賊団はのっぴきならない状況に陥っている。
先ほども述べたように、帆船というものは風に乗って移動するものであり、海中に碇でも沈めない限りはぴたりと停船することができない。したがって、ギャリック号も風上から風下へとゆるゆると動いていた。
その進度と速度に合わせるように、大蛸と幽霊船も動いていることになる。幽霊船の移動方法は不明だが、あちらは風など無視して進めるため、ギャリック号の左舷と右舷から挟み込むような位置から動かない。つまり、囲まれているのだ。
右舷の幽霊船と左舷の大蛸。双方が同時に攻撃を仕掛けてきたらひとたまりもない。
ギャリックは最初、両舷の大砲をアンラック号と大蛸に向けて同時に斉射しようと考えた。だがすぐに無理だと悟る。
左舷の大蛸はそれなりに距離をとっているのでともかく、右舷のアンラック号は目と鼻の先に停泊中だ。この至近距離で大砲の弾を爆発させれば、こちらにまで被害が及んでしまう。
ギャリックの決断は早かった。
「操舵手! 面舵いっぱい!」
その一言で、他のメンバーはすべてを理解した。うちの団長ならば、それくらいの無茶苦茶はやってのける。
団長はすでに確認したではないか。我らが麗しの船大工に。
ギャリック号は窮屈な格好のまま、ゆったりと面舵をきる。逃がすまいと、ガイコツたちがかぎ爪ロープをいくつも投げてきた。
「やらせない」
ヴィディスのマントが風にひるがえる。きらきらと光の粉が舞い散ったのを、ガイコツたちは確認できただろうか。
不思議な現象が起こった。彼らの投げたロープが、まるで意志を持ったかのように、空中で身をひねって戻ってきたのだ。しかも、蛇のようにうねりくねって、ガイコツたちの身を縛る。
ヴィディスの魔法は、物にかりそめの命を与える。今やロープは仕立屋ヴィディスの親しき友だ。
「へぇ、魔法使いがいるんだぁ」
頭上から降ってきた声に、ヴィディスは空を振り仰ぐ。
四天王のひとり、ピンクドレスの女の子が宙に浮いていた。
「ほいっ!」
女の子が無造作に右手をふると、ガイコツたちを縛っていたロープが急に力を失い、甲板に落ちた。もとのロープに戻ったのだ。
「俺の魔法をやぶったのか?!」
ヴィディスは初めての経験に目を丸くするしかない。
「あたしの名前はピッピィよ。ブラッディ・マリアンヌ海賊団の魔法使い。よろしくね」
ピッピィは空を飛んだまま優雅におじぎをした。
ヴィディスは――名乗り返すことなどせず、船縁にしがみついていた。ピッピィが眉をひそめる。
その意味がわかったのは、数秒後のことだ。
アンラック号を激しい振動が襲った。同時にギャリック号をも。
ひとり空にいた魔法使いには関係のない話だったが、ふたつの船は船体同士をぶつけあったのだ。ヴィディスはこうなるまでの時間だけを稼げば良かった。
互いの船体がみしみしと音を立て、ひび割れる。スピードは出ていなかったので、沈没するほどのダメージにはならない。
体当たりをしてくるとは予想外だったようで、ガイコツ船員たちは船上でころげまわっていた。対して、キャプテンの面舵の指令から突撃を確信していたギャリック海賊団は、あらかじめ衝突にそなえており、すぐさま次の行動に移ることができた。
「ウィズ! メインマストからナハトといっしょに戦況把握および援護射撃!」
団長の指示に、ウィズは「アイアイサー!」とメインマストを登っていく。
「操舵手、取り舵! 左回りで蛸野郎の側面にまわる!」
まだ揺れがおさまらないのに方向転換とは無茶苦茶だ。それでも操舵手は命令に従う。
「砲撃手は蛸野郎への砲撃準備! 一気に決めるぞ! セエレはどこだ!」
「はい!」
緊急時だ。さしものセエレも恥ずかしがってなどいられない。勢いよく返事をして、ふらつきながらも団長のもとへやってくる。
「船底に水漏れ等がないか確認しろ! もしあれば――」
「応急処置を指示します」
言うが早いか、大工衆をてきぱきと動かす。
「ルーク! おまえは――」
航海士への命令は最後まで言い終えることができなかった。上空から何かが飛んできたからだ。その塊は、回転しながらギャリックの頭上に迫ってくる。
ギャリックはとっさに伏せようとしたが間に合わない。
鋼同士が咬み合う音が響いた。
船長を両断するはずのサーベルを受け止めたのは、ルークのカトラスだった。
「――っく! あんな遠くから跳んでくるなんて、化け物かよ」
アンラック号とギャリック号は衝突後の反発で、すでに離れつつある。両船の間に横たわる海をジャンプしてきたのだから、この肉塊は人間ではない。
「ぶひ! おいらの剣を止めるとはね。おいらはジョルジュ、覚えておいてな」
四天王のひとり、ふとっちょ剣士だ。
「ウィズの言葉を借りるなら、アニメってのは本当に……」
ルークは全力をこめて敵のサーベルを押し返す。体勢を立て直したギャリックも、下から土手っ腹を蹴り上げる。
「……なんでもアリだな!」
さすがのデブも大人ふたり分の力ではねのけられ、跳びすさる。去り際に、二振り目のサーベルを抜き放ち、ルークの首を狙ったのだが、どこからともなく飛んできた酒樽に邪魔をされた。投擲者は、アゼルだ。
「助かった」
礼の言葉に「もっとしっかりしなさいよ!」と叱咤がかえってくる。ルークは苦笑するしかない。
「動きの速いデブか……気に食わん」
ルークはギャリックを背後にかばうようにして、左手で拳銃を抜いた。
アゼルに危険な役割を与えるわけにはいかない。ウィズとナハトの援護を得ようと、メインマストの見張り台に視線をやると、とんでもない光景があった。
ウィズとナハトは思いも寄らぬ敵に苦戦していた。
「ナハト、動物語が話せるんだろ? 説得とかできねぇの?」
「ウィズ兄、それは無理!」
「なんでだよ?」
「人間にだって話が通じねぇ奴がいるだろ! そういうこと!」
「そういうことね……」
彼らはカラスに似た黒鳥どもに襲われていた。アンラック号のまわりをうろついていたあの鳥たちだ。鳥も奴らの仲間だったらしい。
ウィズもナハトもボウガンを装備しており、なんとか撃ち落とそうとするのだが、黒鳥の動きは素早く、なかなか仕留められない。逆に、嘴や足の爪でひっかき傷だらけだ。
交渉が主な仕事であるウィズは、口先三寸で闘うことが多い。言葉が通じない相手はそもそも苦手だ。
そのような状況下でも、ウィズは団長からの命令を果たそうとしている。隙をうかがっては眼下の戦局を探る。
「なんだよ、あれ……反則だろ?!」
ウィズは敵の魔法使い――ピッピィの攻撃に青ざめた。
魔法使いの少女は、マストとデッキのちょうど真ん中あたりに浮いている。ウィズからすれば見下ろすかたちだ。
「ほい! ほい!」
ピッピィは掛け声のような呪文とともに、人差し指を地上に振り下ろしていた。そのたびに指先から青い稲妻が迸る。稲妻が執拗に追いかけているのは――
ヴィディスだ。
彼は自由自在に船の上を駆け回り、ピッピィの攻撃をたくみによけている。目的を達成できなかった稲妻は、甲板のうえに無数の焼け穴をつくっていた。
「あららー あなたも魔法使いなら魔法で対抗したらどう? 逃げてるばっかりじゃつまんないよ」
猫が鼠をいたぶるように、わざとはずしているのではないかと、疑ってしまうほどの余裕っぷりだ。
ヴィディスは挑発を無視して、他のクルーに被害が及ばないルートで黙々と逃げ回る。
「もう! つまんないって言ってるじゃない!」
ピッピィの手のひらに火花の集まりのような雷球が出現する。今までのは手加減していたのだろう。いや、これでもまだ手加減しているのかもしれない。
ここにいたりヴィディスは初めて能動的な動きをした。
彼の外見的特徴のひとつである、大きな帽子を手に取った。そのまま、手首のスナップをきかせてピッピィに向かって投げつける。
ヴィディスの魔法がかかった帽子は、生き物のように舞い、ピッピィの顔に張り付こうとした。
「目隠しのつもり?」
ピッピィはくすくす笑って、すぐさまヴィディスの魔法を無効化した。そうできることは証明済みだ。
帽子が勢いを失い、はらりとこぼれ落ちる。
「ぎゃっ!」
と、魔法使いのピンクドレスの肩口を、銃弾がかすめた。
すさまじい勢いで射手を睨みつける。
右手にカトラスを持った男の、左手にある銃口が射撃の余韻をただよわせていた。ヴィディスの帽子に合わせて、ルークが狙撃したのだ。
物を操る魔法は効かないとわかっている。それでも帽子を投げたのは、敵の視界を塞ぐためでなく、注意をそちらに引きつけるため。別に事前に打ち合わせていたわけではない。長年ともに闘ってきたヴィディスとルークにとってこれくらいの芸当は朝飯前だ。
「ゆるさないわよ」
ピッピィが雷を放とうとヴィディスを捜す。ところが、彼は、彼女がルークに意識を向けている間に姿を消していたのだ。
「……っとに、もう!」
苛立ちのすべてをぶつけるように、今度はルークに電撃を浴びせる。
ルークは彼女の注意を引きつけるように、逃げはじめた。
「ぶひ! ターゲットが変わってんじゃんよぅ」
これからルークとギャリックを斬り刻んでやろうと息巻いていたジョルジュは、ピッピィが攻撃対象を変更したことに対して不満げに鼻を鳴らした。
「ぶひ! ま、いっかぁ。おいらはこっちのカワイ子ちゃんと……」
涎まで垂らすデブちゃんに、アゼルはすさまじい嫌悪を感じてあとじさった。
「ちょ、ちょっと! こっち来ないでよ!」
またもや酒樽を投擲するも、相手の身軽さは並ではない。どっちが酒樽かわからないような体型をしているのに、すべて軽々とよけて近づいてくる。
「ぶひ! カワイ子ちゃ〜ん!」
ジョルジュのサーベルが振り下ろされる。対してアゼルは丸腰だ。
アゼルはぎゅっと拳をにぎりしめた。彼女には竜の血が流れており、その恩恵としての怪力が身についていた。サーベルを相手にどれだけのことができるかはわからないが、最後まであきらめることはできない。それがギャリック海賊団だ。
「やれやれ、剣を持つなんていつぶりかねぇ」
彼女のピンチを救ったのは、ハンナだった。
ふとっちょの斬撃を、カトラスで弾き返す。
「ぶひ!」
だが、ふとっちょは二刀使いだ。もう一本のサーベルが唸りを上げる。
「……間に合った」
抜き打ちのカトラスで、そちらを止めたのは、セエレだ。船の応急処置の指示を終え、デッキに戻ってきてすぐに、焼け穴だらけの甲板にショックを受け、襲われているアゼルの救援に走ったのだ。
「ぶひ! カワイ子ちゃんがふたりも!」
「おや、残念だねぇ、セエレ。あんた、カワイ子ちゃんに入ってないみたいだよ」
ハンナの軽口に、セエレ本人ではなくアゼルがツッコむ。
「ふたりって、わたしとセエレじゃないの?!」
言ってしまってから赤面するアゼル。
ハンナは「だろうさね」と笑っていたが、ジョルジュがうんうんと同意する姿を見て、ぴたりと笑いを止めた。
「そもそもあんたがふたりなんて言うからだろ!」
カトラスで斬りつける。
セエレも無言で斬りかかった。
奮闘する団員たちを尻目に、ギャリックは大蛸を仕留めにかかっていた。砲撃の指示を下せるのは彼だけであり、それを放棄して仲間を助けにいくわけにはいかない。いつもなら最前線で剣をふるう彼がこうして我慢していたのは、この瞬間のためだ。
ギャリック号は大蛸とアンラック号との囲みから脱出し、大砲を撃つ準備も整った。
「左舷全砲門! 撃てっ!!」
轟音がひびき、反動で船が揺れる。このときばかりは、敵も味方も戦闘を中止せざるをえなかった。
ありったけの砲弾を海の怪物に叩き込む。
天高く水柱がそそりたち、二艘の船には雨滴のように水しぶきがふりそそいだ。大蛸の足が、頭が吹き飛んで、そのかけらまで落ちてくる。
ギャリックは小さくガッツポーズをとった。
「よっしゃ! 仕留め――」
船がひときわ大きく揺れた。そして、ぴたりと止まる。あまりにも唐突に。
ギャリックは信じられないものを目にしていた。大蛸の足の一本が船の縁に吸い付いているのだ。あの集中砲火でも倒すことはできなかった。しかも、なお悪いことに、捕まってしまったのだ。
さすがのギャリックも蒼白となる。このままではすぐにアンラック号にも追いつかれてしまう。そうなれば、ガイコツの群れが大挙して押し寄せるだろう。
「チクショウ!」
ギャリックは蛸の足にサーベルを突き立てた。何度も何度も。これを切り離さなければ、船が、仲間がやられてしまう。
その様子に、事の重大さを悟った他の団員たちも、手に手に刃物を持って蛸足の切り離しにかかろうとする。
そのとき、だれもが我が目を疑いたくなるような光景が展開した。
遠雷のような轟きに重なって、サーベルを大きく振りかぶったキャプテン・ギャリックの脇腹に、真っ赤な血の華が咲いたのだ。一瞬、みずからの腹に空いた小さな穴を見つめ、ギャリックはスローモーションのようにデッキに倒れ込む。
「団長!!!」
おそらくはギャリック海賊団の団員すべてが、言葉は違えど、ほぼ同時に彼の名を叫んだ。
第8幕
幽霊船アンラック号のデッキでは、キャプテン・ブラッディ・マリアンヌが静かに接舷をうながした。
大蛸オクトパルスが取り付いたことにより、ギャリック号の動きは完全に止まっている。あとは、ガイコツどもとともに敵船に乗り込み、彼らが所有してるお宝を奪いさるだけだ。
「よくやった、アーサー・ザ・シューター」
「お褒めの御言葉、恐悦至極に存じます」
マリアンヌの隣では、四天王最後のひとりが長大なライフルの銃口から白煙をくゆらせていた。たとえ標的が何海里離れていようとも、百発百中の命中率を誇るスナイパー。それがアーサー・ザ・シューターだ。敵船上に棒立ちの人間を狙撃することなど造作もない。
「ガイコツ船員どもよ、敵船に乗り込み、命も宝もすべて奪い尽くせ!」
船長の命令に熱狂的な掛け声で応えるわけでもなく、船員たちは淡々とかぎ爪ロープを投げかける。彼らがこの世にさまよい出た意義は、ただ命令に従順であることなのかもしれない。
一方で、何十人という敵兵に攻め込まれようとしているのに、ギャリック海賊団のメンバーは、迎え撃つどころか、武器を放り出す者までいる有様だった。彼らが敬愛してやまないキャプテン・ギャリックが凶弾に倒れたからだ。
たしかに彼らのキャプテンは無謀ともいえる行動をとることが多い。戦闘となると先頭を切って特攻しては、ウィズに「団長にもしものことがあったらどうするつもりッスかー!」と怒られるのが常だ。それでも「うるせえ」の一言で前線にいすわるものだから、怪我も絶えない。しかし、こうして倒れ伏すことなどただの一度もなかった。どれだけぼろぼろになろうとも、最後まで自らの足で立って戦うのがキャプテン・ギャリックだった。
そのギャリックがうつぶせになったまま動かない。
「だん……ちょう?」
セエレは自分の声がいつになく震えているのを感じた。
アゼルは蝋のように白くなった顔の半分を、両手のひらでおおっている。
いち早く動いたのは、海賊団の雑用係だった。
「あんたたち!」
遠く銀幕市内にまで届きそうな大音声。
「それでもギャリック海賊団の一員かい? 団長を信じて、幽霊どもから船を守るんだよ!!」
その一喝で皆はっと息を呑み、冷静さを取り戻した。気がつけば、ガイコツたちがロープをつたって船内に侵入しようとしている。だれからともなく「船を守れ!」と鬨の声があがり、武器を落とした者は拾い上げた。
そのあとハンナはギャリックのかたわらに膝をつき、すぐさま傷の状態を看る。
「ったく、うちの団長もしょうがないねぇ。こんなに仲間を心配させて」
いつもの台詞にも焦りが色濃く浮き出ている。
「あんたは、こんなところで死ぬような男じゃないだろ」
と、手早く応急処置をはじめた。
さすがのルークもこの事態には狼狽してしまい、初動が遅れてしまった。ギャリックの旗の下に集った仲間たちであれば、程度に差こそあれ、動揺してしまうのも無理はないだろう。それでも、いの一番に戦闘体勢を整えたのは彼だった。
カトラスを口にくわえ、二挺拳銃に持ち替える。目をすがめている暇もないため、ある程度狙いを付けてあとは乱射。
弾が当たりアンラック号とギャリック号をつないでいたロープが二本ほど切れる。ロープにつかまって海を渡っていたガイコツ船員が次々と落水した。
ルークは舌打ちしようとして、あやうくカトラスを落とすところだった。
間に合わない。船員たちがギャリックを注視している間、奴らは実に素早く行動していた。十数本の架け橋のうち、数本を切ったところで意味がないように思われる。なぜならすでに、ガイコツの群れの最初の一群がギャリック号の船体に手をかけるところだったからだ。水際で食い止めることができなければ、あとは乱戦だ。そして、乱戦に臨むにはまだこちらの準備は十分とは言えない。
なんとか打開策を考えなければ。
「おいらのことを忘れてないかい? ぶひ」
このような状況で、ジョルジュがルークに攻撃を仕掛けてきた。敵は待ってはくれない。当然のことだ。
襲い来る二刀を、すんでのところでかわす。距離をとって銃口を向けようとするが、なにせジョルジュのスピードは人間離れしている。遠距離戦になど持ち込めそうもない。
なにをするにしてもこのデブが邪魔だ。このままでは一気に総崩れになる算段が高い。ルークの胸中を不安の黒雲がおしつつむ。
「命も宝も奪い尽くせ!」
マリアンヌが高らかに宣言するのが聞こえた。
殺戮の熱狂もなにもなく、むしろ静謐さを秘めて、最初のガイコツ船員がついにギャリック号の甲板に足をつけ――
その場で硬直してしまった。
本人にも何が起こったのかわからないようで、きょろきょろと首を巡らせている。わけもわからずもがいてみるが、とにかく身体が動かないといった様子だ。
ルークは会心の笑みを浮かべた。ひとりだけ、ギャリックの負傷の影響をうけずにいた仲間がいたことをようやく思い出したのだ。
その後も、船に乗り移ろうとしたガイコツは原因不明のまま動けなくなっていった。まるで網にかかった魚のようだ。
そう、まさに、彼らは網にかかったのだ。
「悪いけどみんないっしょに海に落ちてもらうよ」
メインマストによりかかっていたヴィディスが、力をこめて何かをひっぱる仕草をした。手のひらから光の粒子がこぼれ落ち、かすかにだが、彼が張り巡らせた魔法の糸が陽光にきらめいた。
複雑に絡み合った透明な糸にひっぱられ、身動きできなくなっていたガイコツ船員たちがバランスを崩して海に落ちていく。
ヴィディス流のトラップだった。
仲間たちは彼の活躍に歓声をあげつつ、戦闘の準備を整えていく。魔法の糸も無限ではない。これはあくまで時間稼ぎだとわかっていたからだ。
「魔法のロープ、ってことかな?」
上空の魔法少女が感心するように言った。
ヴィディスは彼女を見上げると、「無駄に逃げ回っていたわけじゃないし、無駄に隠れていたわけでもない」と告げた。
「なるほど、あのときからずっとその見えないロープを船体に張り巡らせてたってわけね」
ヴィディスは戦闘から離れ、ひそかにトラップを作り続けていた。そのためギャリックの負傷を目にすることもなく、冷静にガイコツどもを一網打尽にできたのだ。
「なかなかやるじゃない、魔法使いさん」
ピッピィの言に、ヴィディスはゆっくりと首をふった。
「違うね。俺は仕立屋だ。そして――」
ヴィディスが再び糸をたぐる仕草をする。
「仕立屋は糸をあつかうのが上手い」
ピッピィは身体が引っ張られるのを感じて、凍り付いた。あわてて自身を振り返ると、いつの間にかヴィディスの魔法の糸が絡みついている。
「え? ちょ、いつの間に?!」
ヴィディスは答えない。
ピッピィは知らなかった。彼にはマッジという小さな友がいることを。その小さな友は、ふだん彼の帽子のうえにいるのだ。今そのマッジはピッピィとヴィディスをつなぐ糸をつたって主人のもとに戻りつつある。
「なによ、そのちっちゃなモノは!」
ヴィディスが彼女に帽子を投げたのは、目隠しでもなければ、注意を引くためでもなかった。マッジに糸をつないでもらうため。直後にルークの銃で狙われたのでさらに、彼女は帽子から自分の背中に飛び移った小さなスパイに気がつかなかったのだ。
「ありがとう、マッジ」
マッジは嬉しそうに身を揺すって、ヴィディスの帽子のうえに戻った。
「さぁ、あとはあんたの番だ。おとなしく海に――?!」
ガイコツ同様に少女を海に落とそうとして、ヴィディスは目を瞠った。ものすごい力で自分の方がひっぱられているのだ。踏ん張ろうとしても、ずるずると引きずられる。
「あたしの飛翔魔法はあんたの力くらいじゃ破れないわ!」
ピッピィが逆転したとばかりに笑う。
「ふぅん。じゃあ、わたしと力比べ、する?」
いつの間にか、ヴィディスに加勢するように、金髪の女の子が魔法の糸をつかんでいた。
ピッピィの眉が訝しげにひそめられる。
「あんた、たしか酒樽を……」
言い終わらないうちに、ものすごい勢いでひっぱられる。
「きゃっ!」
「よいしょ」
アゼルが全力でひっぱりかえすと、ピンクの魔法少女は、大きく弧を描いて、船の左舷から右舷へと空の旅を終え、終着駅である海底に沈んだ。なんともあっさりしたものだ。
「子供だし、思ったより軽かったわ」
一仕事終えてパンパンと手のひらをたたくアゼルに、やっぱり彼女に逆らうのはよそうとあらためて確認するヴィディスだった。
「ヴィディとアゼルがひとり倒した!」
ウィズは見張り台のうえで、ぱちんと指を鳴らした。と、同時に頭を黒鳥につつかれる。
「んにゃろ!」
ボウガンを振り回して追い払うが、すぐにまた鳥たちは襲いかかってくる。
ギャリックの負傷に、メインマストから飛び降りて駆けつけたい衝動に駆られたウィズだったが、そこはぐっとこらえた。そのようなことをしてもギャリックは喜ばないとわかっていたからだ。ギャリックが彼に与えた任務は、見張り台から戦局を冷静に判断すること。任務を放り出して仲間を危険にさらすようのまねをギャリックが赦すはずもない。
それになにより、ウィズはギャリックのことを信じていた。これくらいのことで、くたばるような男じゃないと。
「ナハト、まだかよ?」
「ウィズ兄、そろそろ来るはず」
ナハトは救援を待っていた。彼らを攻撃しつづける黒鳥は妙に小賢しく、ボウガンで射殺されることがないよう連携をとってくる。もちろん鳥に命を奪われるようなことはないだろうが、仕事をさせてくれないのだから困る。現に下では、ヴィディスの罠を抜けたガイコツ船員たちと団員とが激しい戦闘を繰り広げているにもかかわらず、なんの指示も出せなければ、援護射撃もできないでいるのだ。
「来た!」
ナハトが顔を輝かせる。果たして、飛来するのは海鳥たちだ。
ナハトは動物と会話できる。つい少し前にも銀幕湾の海鳥たちと語らっていた。スコールが降ってきたとき、つまり大蛸が襲来したときに危険を察知して船から離れていた鳥たちを呼び戻したのだ。
海鳥たちはナハトの呼びかけに応じて、黒鳥たちを牽制しはじめた。黒鳥たちは海鳥の相手をしなければならなくなり、必然的にナハトとウィズは自由の身になる。
「こうなりゃ、こっちのもんだぜ!」
ナハトとウィズはボウガンに矢をつがえ、黒い鳥だけを狙う。
海鳥は黒鳥よりも数が多く、連携をとらせる暇を与えない。ふたりの射手は確実に敵の数を減らしていった。
「ありがとう、これでまともに戦えるぜ」
すべての黒鳥を射落としたナハトが、海鳥たちに手を振る。海鳥たちも嬉しそうに飛び回っていた。
「ハンナ!!」
その尖った耳にウィズの絶叫が木霊した。何事かと下を見下ろすと、ちょうどハンナが海へ落下する光景が目に飛び込んできた。
「う、そ、だろ?」
ナハトは森の種族特有の鋭い視力で、ハンナが苦しそうに脇腹あたりをおさえていたのを認めていた。その原因がなんであるかも。
「あいつ、ハンナまで撃ちやがった!」
ナハトの言うあいつとは、アンラック海賊団のスナイパー、アーサー・ザ・シューターだ。
彼とマリアンヌだけはいまだ幽霊船に残っていた。マリアンヌはゆったりと戦闘を見物しているが、アーサーは、時折味方の隙間を狙い澄ましては、ギャリック海賊団だけを撃ち抜いているのだった。
「ウィズ兄、ハンナを助けないと」
皆、数に勝るガイコツ船員を相手取るのに精いっぱいで、ハンナを助けに行ける者などいそうもない。
ヴィディスは得意のマリオネットオペラ――衣服を自分の分身として闘わせる魔法――をフル活用してガイコツどもを文字通り砕くのに必死だったし、ルークとセエレはあの太った剣士に苦戦している。ギャリックは……いまだ立ち上がらない。
だとすれば、手の空いている自分たちがハンナを助けるしかない。
ところがウィズは唇をきつく噛みしめて言った。
「あの狙撃手を倒すぞ、ナハト」
「ハンナを見捨てるのかよ?!」
「いまあいつを倒せるのはオレたちだけだろ。違うか?」
たしかに現状で敵船にまで乗り込んでいけるのは、自分たちくらいのものだろう。
「オレは団長を……ギャリックを信じてるし、ハンナも信じてる」
そこにいつものお調子者のウィズ兄はいなかった。そこにいるのは、命を賭けて仲間とともに船を守る海賊だ。
ナハトも覚悟を決めた。ここで自分がやれることをやらなければ、ギャリック海賊団は全滅してしまうかもしれない。
「だけど、どうやって?」
「おまえなら見えるだろ? あいつの銃は単発式だ。一度撃ったら次の装填まで時間がかかる。そこを狙う」
説明しつつ、腰にさげたバックから紙と鉛筆を取り出した。一気になにかを書きつける。
「これを、海鳥に言付けてくれ」
ナハトは受け取ったメモにざっと目を通し、若干あわてた。アゼル宛のメモには、とんでもないことが書いてあったからだ。
「これ、大丈夫なのか?」
「他に方法があるか?」
そう言われてしまうと、ナハトも黙るしかない。たしかに船上は大乱戦で、あのガイコツの群れをくぐりぬけて敵船に乗り込むのは不可能だろう。この見張り台から敵船に飛び移るにしても距離がありすぎる。確実にあの狙撃手のもとにたどりつくには、この方法が一番に思えた。
ただ、いくら確実でも躊躇してしまう。
そんなナハトの肩をウィズが叩く。
「セエレもきっとわかってくれる」
ギャリックもこの戦いがはじまったときに船が壊れることを覚悟していたではないか。セエレもまた同じだったはずだ。
ナハトは意を決してその手紙を海鳥に託した。必勝の策をあずけられた海鳥は、滑るようにアゼルのもとへと飛んでいった。
そのころ、ルークもまた似たような決断を迫られていた。
「ぶひ! おまえら、本当に遅いな!」
おでぶ剣士のジョルジュが相変わらずの二刀をもちいて、すさまじい斬撃を繰り出してくる。遠距離においては銃で牽制し、近接戦闘ではカトラスで敵のサーベルを防いではいるが、反撃の糸口は見えない。最初からひとりでかなう相手ではなかった。
その証拠に今も一対一の状況ではなかった。船大工のセエレがだいぶフォローしてくれている。
いかにも弱々しい見た目の彼女だったが、ふだんから重い工具を操って船を修理しているのだ。力が弱いはずもなく、また、居合いにも似た抜き打ちのカトラスさばきは海賊団でも五本の指に入るのではないかと思われた。
「ぶひ! 早くおいらに斬られろよ」
実際、何十合と剣を打ち合わせているのに傷ひとつ負わせられないため、ジョルジュは苛立っているようだ。
「そこにつけいる隙がある、か……はてさて」
敵の最大の長所は身軽さだ。短所は……体重が重いところか。動きを止めてしまえば、こちらの勝ちかもしれない。しかし、この広い甲板上では敵は縦横無尽に動き回れる。
ルークは心を決めた。ジョルジュを銃弾で牽制しながら、セエレに近づく。
「セエレ、船大工であるおまえに頼みたいことがある」
セエレは手短なルークの説明を受け、一瞬のためらいもなく正確な『位置』を伝えた。ルークの口調に迷いはなかったが、表情にはいたわりが見え隠れしており、彼女にはそれでじゅうぶんだった。だから、船を傷つけることになっても躊躇などしない。
「じゃあ、頼んだぞ」
「……わかった」
ルークはいったん逃げるようにその場を離れた。
セエレはルークの作戦通りに、敵の剣士に向かってカトラスで積極的に斬りつけた。
「ぶひ! 急に威勢がいいね」
やたらに血色がいい頬をまるめて笑う。セエレは愛想笑いなどかえすはずもなく、持てる剣技のすべてを駆使して戦った。
船は修理すればまた元通りになる。だが、人の命はそうはいかない。一度失われたら二度とは戻ってこないのだ。それなのに、皆が皆、船を傷つけることにいちいち心を痛めてくれる。船よりも仲間の命が大切であるはずなのに、さもギャリック号にも命があるかのように考えてくれている。
それは、ギャリック号に命を吹き込むように作業している彼女にとって、とても、とても嬉しいことだった。
「……きみを倒す」
セエレにしては珍しく、積極的な台詞だった。
「ぶひ! やれるもんならやってみな」
ジョルジュの剣速が増し、セエレの頬を浅くかすめた。薄く血がにじむ。
ジョルジュのサーベル二本に対して、セエレのカトラスは一本。しかも、さっきまではルークとの共闘であったが、いまやひとりで戦っている。セエレの方が完全に分が悪い。
二の腕、脇腹、首もと、セエレの白皙の肌につぎつぎと朱色の線が刻まれていく。紙一重でかわせているのが奇跡のようだった。
「ぶひ! あの色男は逃げちまったのか? 薄情な仲間だな」
セエレはやはり無言で立ち回っている。なにがあろうと、ルークを信じているのだ。
「ぶひ! いいかげんに死んじまえよっ!」
なかなか仕留められない苛立ちから、ジョルジュが無駄に剣を大降りする。セエレはここぞとばかりに身をひねり、一撃をかわす。勢いよく甲板に突き刺さったサーベルの切っ先を、うえから踏みつけた。
「ぶひ?! 抜けない!」
当然も当然。彼が剣を突き刺した場所は、甲板の中でも一番大きな木材が梁として渡されている場所で、薄い板にめり込むのとはわけがちがう。船の構造をもっとも理解しているセエレならではの手練手管だ。
ジョルジュは仕方なくサーベルを一本あきらめなければならなかった。
「きみを倒す、と言っただろ」
セエレがさらに猛攻を加える。ジョルジュはサーベルが一本になり、文字通り戦力半減のため、後退せざるをえない。
そこで、何を思ったか、セエレが一気に身を引いた。てっきりつづけて攻めてくると思っていたため、でぶはそのまま後方に跳びすさる。
「後方確認はおこたらないことだ」
真後ろから声をかけられ、ジョルジュは咄嗟に首だけをうしろに曲げた。
ルークが眼鏡をくいっと上げながら会心の笑みを浮かべていた。その隣には――なぜかゾウがいる。
「ぶひ?! ぞ、ゾウ???」
ゾウのアメリが小さくジャンプした。このとき、ジョルジュの着地とアメリの着地が重なり、瞬間的に床板にかなりの重圧がかかる。
バリバリとものすごい音を立てて、甲板の一部が抜け落ちた。ジョルジュとアメリがいっしょに船倉へ落ちていった。
海賊船ギャリック号を一から建造したセエレだからこそ把握していることがある。床板にどれくらいの衝撃を加えれば破れるのかも、そのひとつだ。アメリが歩き回っても問題ないような強度に設計しているが、アメリがジャンプすることまでは計算に入れていない。そもそも、ゾウが暴れても大丈夫なほどの建材が資金的に手に入らなかったという理由もあるが。
あとは、被害が拡大しないように、ルークがあらかじめ床板に切れ込みを入れておいたのだ。セエレがひとりでジョルジュの注意をひきつけたのも、ルークの作業をやりやすくするためだ。
「おーい、アメリ、大丈夫か?」
ルークとセエレが空いた穴から下をのぞくと、アメリが元気そうに鼻で挨拶していた。彼女はいつもベッドにしているふかふかの藁のうえに落ちたのでたいした怪我もなさそうだ。そこは、ゾウのアメリのためにあてがわれた私室だった。アメリの部屋からベッドの位置まで、正確な位置をルークに教えたのも、もちろんセエレだ。
「自分の体重がアダになったな」
ジョルジュはなにもない床に落ちてしまい、見事に気絶していた。そうならなければ、狭いアメリの部屋で、身動きをとれなくしてから仕留めるつもりだったので、手間が省けた。
「セエレ、すま――」
船を壊したことを謝罪しようとするルークに、セエレは微笑みかけた。彼女はあまり言葉を口にしない。だからこそ伝わるものもある。
ルークもまた微笑み返し、セエレとともにすぐさまガイコツ退治に向かった。
アゼルはその様子を遠巻きに見て、ほっと胸をなでおろしていた。
自分が今からやろうとしていることに対しても、セエレが許しをくれたような気がしたからだ。
彼女は先ほどまで、力任せにガイコツ船員にいろいろなものを投げつけていた。戦闘技術はさほどではないものの、彼女には特別な剛力がある。竜の血がもたらす恩恵だ。
そのアゼルにウィズから伝書が届いた。海鳥がもってきてくれたことから、ナハトの仕事だとすぐにわかった。
メモの内容を読み、最初は目を丸くしたアゼルだったが、すぐに覚悟を決めた。ギャリックやハンナのあわれな姿を目の当たりにした彼女もまた、これしか方法がないと悟ったからだ。
大きく深呼吸するアゼルの前には、この船のメインマストがある。
自分の判断だけではやはり不安で、さっきゾウのアメリを連れて罠の準備をするルークに、手早く相談した。
ルークはマストが倒れやすくなるよう切れ込みを入れることや、打撃を加える角度や位置に気をつけることなどを要領よく伝えると、最後に「おまえならやれるさ」と頭をなでていった。いつもなら「下僕のくせに!」などと思うところだが、今回は素直にうれしかった。
「よーし! 気合い入れていくわよ!」
ぶんぶんと両腕をふりまわす。狙うのはマストの中心。
アゼルは渾身の力をこめ、両手でマストを押した。顔が真っ赤に染まり、全身から汗が噴き出す。
みしみしとマストがきしみだした。これを倒さなければ、みんな生き残れない。想いをこめて押し続ける。
パスンと気の抜けた音がした。
アゼルの真横にガイコツが立っている。しかも、その肋骨には真新しい弾痕があった。
状況がよく飲み込めないでいるアゼルに、遠くでヴィディスが「押し続けろ」と叫ぶ。
傀儡のワルツ――魔法の糸で敵の動きを操るヴィディスの得意魔法のひとつだ。ガイコツのひとりを操った彼が、狙撃からアゼルの命を救ったのだ。
アゼルは「ありがと!」と返しつつ、さらに力をこめる。
小さい頃はこの馬鹿力のせいでいじめられたこともあり、自分の血をうらめしく思ったこともあった。でも今はその力に感謝している。こうして仲間を助けることができるのだから。
「やあああああああ!!」
ついに、メインマストが折れた。アゼルは見事に自分の役目を果たしたのだ。
「よし、成功だ!」
当然のことだが、メインマストのうえにあった見張り台が、傾きはじめる。ウィズは緊張した面持ちで、ナハトに言った。
「あいつ、さっきアゼルを狙って撃ったよな?」
「ああ、ウィズ兄。だから、今は弾籠め中ってとこだぜ」
ふたりともしっかりと手すりにつかまっている。ここまでは作戦どおりだ。
「あとは、運と根性だ!」
「アイアイサー!」
しばらくゆらゆらと揺れていたメインマストが、一気に地上に向かって倒れ込む。アゼルの押し倒した方角は完璧だ。さすがルークのアドバイスを受けただけのことはある。
「ぬあああああああ!!」
「ひゃうううううう!!」
風圧でものすごい顔になりながらも、ウィズもナハトもしっかり目を開いていた。このまま倒れていけば、彼らの乗る見張り台は敵船であるアンラック号の甲板に落ちるのだ。
最短最速。これならば、地上のガイコツ軍団に邪魔されることもない。まっすぐにスナイパーを攻撃できる。
「今だ!」
タイミングを合わせて、ふたりはアンラック号の甲板に飛び降りた。見張り台とマストがアンラック号の船体にめりこむ衝撃が背後からくる。木片が背中にぶつかったりもしたが、気にしていられない。
足をもつれさせながらも、彼らの睨みつける先に、四天王の残りふたりである、アーサー・ザ・シューターとキャプテン・ブラッディ・マリアンヌがいた。マリアンヌは泰然自若といった風情ですこしも動じていなかったが、アーサー・ザ・シューターの方はひどく焦りながら新たな銃弾を装填していた。
ウィズとナハトはあらかじめ決めていた。ふたりの戦闘力では、両方とも倒すことは不可能だ。だから、最初からターゲットは絞ってあるのだ。
「くらえっ!」
「とうっ!」
ウィズが、ナハトが、短い助走から宙を舞った。小柄なふたりが大の大人を倒すには勢いというものが必要だ。ただし、この状態で攻撃を加えられれば、まったくの無防備でもある。ターゲットではないもうひとり――マリアンヌが横から手を出せば、ウィズかナハトのどちらかが命を失うかもしれない。しかしそれも覚悟のうえだ。
いそいで銃をかまえるアーサー・ザ・シューターの顔面と胸元に、ウィズとナハトの飛び蹴りが決まった。
「うぐっが!」
もともと近接戦闘が苦手ということもあるだろう。アーサー・ザ・シューターはもんどりうって倒れ込むと、そのまま気絶してしまったようだった。
「やったぜ!」
と喜ぶナハトに、「まだ油断するな」とナイフを抜き去るウィズ。ナハトもはっとして背中のボウガンを取りはずす。
まだ最大の敵が残っているのだ。幽霊船アンラック号のキャプテン・ブラッディ・マリアンヌが。
ウィズは多少距離をとった状態で、マリアンヌに問いかけた。
「あんた、そいつのこと助けなかったな」
そいつというのはアーサー・ザ・シューターのことだ。
マリアンヌは興味なさげな一瞥を床でのびている仲間に投げかけると、軽く冷笑した。
「なぜ助ける必要がある? やられてしまうということは、役に立たないということだろう?」
マリアンヌの美貌は、それこそアニメってのはなんでもアリなほど、すばらしい代物だ。ゆえに、冷たく笑う様も、やたらと美しい。それでも、ウィズはこのキャプテンを美しいとは思わなかった。
「キャプテンなのに仲間を助けないのか。それじゃあ、うちの団長とまったく逆だな」
ウィズも笑っていた。ただし、こちらは嘲笑だ。
「ほぅ。私を愚弄するのか。いつまで笑っていられるかな?」
マリアンヌがマントを翻す。いつの間にか右手にはサーベルが握られていた。
第9幕
ギャリック海賊団とマリアンヌ海賊団との決定的な差はどこにあるのか。
ギャリックたちはムービースターとはいえ生身の人間という設定であり、マリアンヌたちは同じムービースターとはいえ幽霊という設定だ。いくら、ギャリックたちがタフな海賊として映画内で描かれていようとも、人間という設定である以上、疲労は蓄積する。対して、幽霊という設定であるマリアンヌたちに疲労はない。
戦闘が長引けば長引くほど、ギャリック海賊団側が不利になるのは無理からぬことだった。
四天王のうち、魔法使いのピッピィをヴィディスとアゼルが、でぶちゃん剣士のジョルジュをセエレとルークとアメリが、狙撃手のアーサー・ザ・シューターをウィズとナハトが、それぞれ共闘することによって倒した。これによって強敵と呼びうる者は、あとキャプテン・ブラッディ・マリアンヌのみとなり、ギャリック海賊団が優位に立ったように思われる。ところが実際は、いっさい疲れを知らないガイコツ兵団によって、じりじりと戦力を削られているのは、彼らの方だった。
死者はまだ出ていないが、キャプテン・ギャリックを筆頭に負傷者は続出している。ハンナにいたっては、海に落下したまま行方知れずだ。
そのような状況下で、キャプテン・ブラッディ・マリアンヌが、ついにギャリック号に乗り込んできた。その両手には絶望がにぎられており、団員たちは皆息を呑んだ。
「ナハト!!」
「ウィズ!!」
気を失っているのか、動けないほどに痛めつけられたのか、アンラック号に攻め込んだはずのウィズとナハトが、無抵抗な状態でひきずられていた。
たいがいの団員は、ふたりの無惨な姿に注意を奪われ気づかなかったが、ルークは別の点に注目していた。若者ふたりを両手につかんだまま、飄々と移動しているマリアンヌの腕力は異常だと。
「これは返すぞ」
ギャリック号の甲板に足をつけた途端、マリアンヌはウィズとナハトを無造作に放り投げる。
「ちょっ!」
ウィズをアゼルが抱きとめる。ナハトの方はヴィディスのマリオネットオペラが受けとめた。
死んでいるのではないかと、アゼルが急いで呼吸や脈を確かめる。身体中に切り傷や打撲を負っているものの、息は安定していた。
「大丈夫、気絶してるだけよ」
アゼルの言葉に、皆が胸をなで下ろす。それと同時に、敵意の眼差しを女海賊に投げかける。
それを受けて、マリアンヌは路傍の石でも一瞥するように全員を見回した。玲瓏な口元に微笑がよぎる。
「どいつもこいつも半死半生といったところか。キャプテンも倒れ、こちらの戦力はまだおまえたちより遙かに多い。おとなしく死んだらどうだ?」
無数のボウガンや銃に狙いをつけられ、無数のサーベルやカトラスに囲まれているというのに、この女キャプテンは盤石の自信を持っているようだ。
これに、真っ先に噛みついたのはアゼルだ。
「そんなこと言われても、おとなしく殺されてなんかやらないわ!」
金髪を怒りに逆立て手近にあったサーベルを手に取る。砕かれたガイコツが持っていたものだ。彼女なりの抵抗の意志を示したのだ。
他の皆も同じ気持ちだった。最初はこのハザードが銀幕市に悪影響を与えないようにという想いが主な戦う理由だった。ここまでくれば、もはや理由はそれだけではない。これだけ仲間を傷つけられては、引き下がるに引き下がれないし、なにより相手はこちらの全滅を望んでいる言い草なのだ。抵抗しなければ、ギャリック海賊団がこの世から消えてしまう。
奇妙な静寂が場を支配した。
ガイコツたちも遠慮してか、命じられたからか、マリアンヌの登場からは刃をひいている。ギャリック海賊団もまた、キャプテンという存在を欠いているため、だれもが動けない。
一手目は、セエレだった。
彼女らしからぬ激しさをもって、マリアンヌにカトラスを突きつける。不意打ちに近いタイミングとスピードに、だれもが決まったと思う。
「きゃっ!」
場に流れたのはセエレの悲鳴。斬りつけた彼女の方が体勢を崩してしまうほどの斬撃できりかえされたのだ。さっきまで抜刀すらしていなかったのに、おそるべき剣速だ。
「まずひとり目」
マリアンヌが不気味に宣言する。よろめくセエレの頭頂に、サーベルが迫る。
「させない」
ヴィディスが躍り出た。手のひらからこぼれるのは魔法の光。糸に変じた魔力が、マリアンヌの腕にからみつく。
そのおかげで一瞬の隙ができ、セエレはサーベルの真下から移動することができた。そうでなければ、まっぷたつになっていたことだろう。それでも、肩口を斬られ、転がりながらなんとか距離をとるような有様だったからだ。
「そのまま捕まえていろ!」
ルークが二挺拳銃の銃口をマリアンヌに向けた。この距離で乱射すれば、いかに素早くてもどこかに命中するはずだ。
ところが、マリアンヌが軽く腕を動かしただけで、ヴィディスの身体は引き寄せられた。
「ヴィディ!」
アゼルが駆け寄り、彼の腰に手をまわす。魔法少女を倒したときの再現だ。
「笑止」
マリアンヌが強引に腕を振った。すると、ヴィディスだけでなく、あのアゼルまでもが空中に投げ出される。ピッピィの魔力よりも、マリアンヌの腕力の方が上だったということか。
「うわっ!」
「きゃっ!」
ヴィディスとルークが飛んだその先にはルークがおり、三人はもつれあうようにして甲板のうえを転がることになった。
「ギャリック海賊団とはこの程度か?」
キャプテン・ブラッディ・マリアンヌの問いに、激した団員たちが次々に攻撃をしかける。あらゆる武器と、あらゆる魔法を組み合わせての攻撃だった。結果は、次々と吹き飛ばされ、傷つけられ、倒れていく団員たち。
ガイコツ船員たちはいまだに黙して立ち尽しているだけだ。なのに、女海賊ひとりに何十人という屈強な海賊たちがやられていくのだ。とても現実の光景とは思えない。
「……ったく、アニメって本当になんでもアリだよなぁ。見てる分には楽しいのにさ」
よろよろと立ち上がったのは、意識を取り戻したウィズだ。マリアンヌに負わされたダメージが大きく、立っているのがやっとといった様子だ。
頭を振りながら、近くで片膝をついているルークに訊ねる。
「なぁ、原作の映画だと、こいつはどうやって倒されるんだ?」
ルークは口元の血をぬぐいながら、捨て鉢になって言った。
「主人公にぶっとばされる」
「そんなとこだろうって思ったよ」
その答えを予測していたウィズはさほど落胆していない。むしろ闘志をみなぎらせている。
「じゃあ、結局は力ずくしかないってことか」
ヴィディスは落ちた帽子を拾い上げ、ほこりを払いながら、自らの魔力の残量を確かめていた。もうほとんど残っていない。魔法はあてにならないだろう。それでもまだ自分は戦える。
「……上等だぜ」
苦しさをこらえて粋がったのはナハトだ。得意のボウガンは破壊され、武器らしいものはなにも持っていなかったが、それでも戦う意志が瞳に宿っていた。
「……負けたくない」
ぼそりとつぶやいたのがセエレだったので、アゼルは一瞬目をしばたたいた。そして、力強く同意する。
「わたしも、こんな奴に負けたくないわ」
ふたりは不敵な笑みをかわしあった。
「こいつは仲間のことをなんとも思ってない」
ウィズが、挑むような視線を、暴れ回るマリアンヌに突き刺す。左手は自然と右腕に巻いたバンダナを握りしめていた。海賊団のマークのついたバンダナだ。彼がギャリック海賊団である証だ。
「こんな奴、海賊でもキャプテンでもない。だから、ギャリック海賊団は負けちゃいけないんだ」
ルークが微笑んだ。ヴィディスも微笑んだ。ナハトも、アゼルも、セエレも。
「さすがウィズだ! 良いこと言うじゃねぇか!!」
突如響いた大笑に、団員すべてが驚き、歓喜し、涙した。
「ギャリック!」
「団長!」
「ギャリー!」
「団長!」
「オヤジ!」
「ギャリック!」
大海原を背に、潮風を胸に、キャプテン・ギャリックが立っていた。海賊船ギャリック号のデッキのうえに、両の足でしっかりと立ち上がっていた。まぎれもなく彼は復活したのだ。
「ウィズ! みんな! 待たせたな!」
「待たせ過ぎッスよ!」
ウィズが潤んだ目で言う。
「すまねぇ。ちっとばかり三途の川まで観光に行ってたぜ」
と冗談にもならないような冗談を言う。団員たちも笑うに笑えず、苦笑するしかない。それと同時に、我らがキャプテン・ギャリックが戻ってきたという事実を痛烈に感じた。
「なぁ、キャプテン・ブラッディ・マリアンヌ」
ギャリックは無防備にマリアンヌへと近づいていく。ガイコツ船員はもちろん、ギャリック海賊団の団員たちもまた、潮が引くようにふたりのキャプテンから離れた。ここはキャプテン同士の問題だ。
「あんたがどうして幽霊船の船長になんかなっちまったのか、俺は知らねぇ。けどな、幽霊船だろうがなんだろうが、あんた海賊だろ?」
マリアンヌは冷たく笑ったままなにも答えない。
「だったら、いったいなんのために海賊やってんだ?」
「……奪い尽くす。命も宝も。それだけだ」
ギャリックはおもむろに吹き出すと、そのまま大笑いした。
「小せぇ! 小せぇぜ、キャプテン・ブラッディ・マリアンヌ!」
涙まで浮かべて笑うギャリックに、マリアンヌは屈辱を感じたのか少しだけ唇を歪ませる。
そんな女海賊に、ギャリックはぴたりと笑いを止めて、ずいと顔を近づけた。
「あんたみてぇな奴ぁ、海賊じゃねぇ。盗賊ってんだ」
「ほぅ。自分たちは私とは違うと言いたげだな。おまえたちとて、命も宝も奪い尽くすのだろう? 海賊と盗賊とどこが違う?」
ギャリックはゆるゆると首を振った。
「あんた、本当にわかってねぇな。海賊には海って字が入ってんだろ? 海には浪漫がある。浪漫を追い求めてる俺たちは海賊。ただ奪うだけのあんたは盗賊。ぜんぜん違うぜ?」
「屁理屈だな」
「そうかい?」
ふたりは間近で視線をかわす。
先に折れたのはマリアンヌの方だ。すっと身を離した。
「私とおまえとは相容れないようだな」
「そんなもん、俺がロープを斬ったときからわかってたことだろ?」
にやりと笑って、サーベルを抜く。交渉は――交渉と言ってよいものかどうかわからない内容ではあったが――決裂した。
「ここでキャプテン同士の一騎打ち、と言いてぇところだが、俺もこんなんだからな。全員でいかせてもらうぜ」
ギャリックの脇腹にはハンナの包帯が巻かれている。銃撃された傷がそう簡単にふさがるものではない。純白だったはずの包帯は赤黒く染まっていた。本来ならこうして立っているのが不思議なくらいなのだ。
「真正直な男だ」
皮肉か褒め言葉か。
「どういたしまして」
ギャリックは褒め言葉と取った。そのまま、サーベルを天高くかざす。
「ギャリック海賊団! かかれっ!!」
キャプテン・ブラッディ・マリアンヌに向けて振り下ろした。
「おうっ!!!」
「ガイコツども、命も宝も奪い尽くせ!」
マリアンヌもまた鞘からサーベルを引き抜いた。
マリアンヌ海賊団とギャリック海賊団の乱戦が再びはじまったのだった。
マリアンヌはやはりまずギャリックの命を狙った。無意識にしろこの男の存在が大きいことを認めているのだろう。ギャリックを沈めてしまえば、船も団員も同時に沈むだろうと考えてのことだ。
ルークやヴィディスがフォローに入ろうとしたが、押し寄せるガイコツたちにはばまれてしまう。
マリアンヌは真っ正面から大上段に振りかぶった。セエレが簡単にはじきかえされた一撃を、ギャリックはうまく受け流す。
「ほぅ」
マリアンヌも思わず感嘆する。
ギャリックもまた海で戦い抜いてきた、それ相応の剣の使い手だ。自分より力の強い剣士とも戦ったことがある。剛剣をいなしつつ、互角に近い戦いを演じる。
「柔軟な剣だな」
「お褒めにあずかり光栄だぜ」
ギャリックはもともと貴族の出だ。きちんとした剣の型を、幼い頃から修得している。そこに実戦で鍛えた剣技が加わり、正統と我流とがうまく融合した、臨機応変の剣術に育っていた。
とは言え、自分自身で宣言していたように怪我のせいもあり、一対一では到底勝てそうもない。それゆえ乱戦を望んだのだが、敵も敵でギャリックを孤立させるように動いている。ナハトもセエレもアゼルもルークもヴィディスもウィズも、それぞれにガイコツたちと剣をまじえていた。救援は望めそうにもなかった。
さて、どうやってこいつを斬ろうかと、ガラにもなく悩んでいたとき、
「ったく、うちの団長もしょうがないねぇ」
いつものように声をかけられ、いつものように返事をしようとして、目を丸くした。
もちろん、声の主はハンナだ。
撃たれて海に落ちたはずの彼女が、海水を全身からしたたらせながら、サーベル片手にデッキの縁に立っていたのだ。
いやいや、ギャリックが驚いたのはそこではない。なにせ彼女が海に落ちたときには意識がなかったのだから。そんなことなど知らないのだ。
ハンナが髪をかき上げる。いつもは髪を編んでいるのだが、今は軽くウェーブのかかったロングヘアだ。服装も、いつものエプロン姿ではなく、刺激的なビキニ。体型はすらりとしており、どこからどう見てもおばちゃんには見えない。
ハンナのロケーションエリアである『ぴちぴちぎゃる』だ。今のハンナは若かりし頃の、『あの頃ハンナ』だった。
「ずいぶんとうちの若いモンをかわいがってくれたみたいだねぇ」
慣れた手つきでサーベルをくるくるとまわしながら、マリアンヌを見下ろす。
「おまえは……だれだ?」
その口調に警戒がにじみ出ているのは、相手の力量を感じ取ったからか。
「あたしかい? あたしゃ、ギャリック海賊団のただの雑用係さね」
そう答えて、剣をかまえる。
「……いくよ」
言うが早いか、一足飛びでマリアンヌに斬りかかる。
あのマリアンヌが、かわす余裕もなく必死の形相で受け止めたことからも、ハンナの一刀の素晴らしさがわかる。
「ははは。よく止めたねぇ」
ハンナが明るい笑顔を浮かべると、マリアンヌは冷たい笑顔で応じた。マリアンヌの美貌を蒼月にたとえるなら、ハンナの美貌は太陽といったところだろう。
あとはお互い無言のまま、壮絶な剣劇が展開する。どちらも人間離れした動きだ。
ふたりの力はほぼ互角に思われた。互角であるということは、あと一押しがあれば、天秤はそちらに傾くはず。
「よっと!」
ハンナが下からすくいあげるように斬りつけ、
「甘い!」
マリアンヌがその剣を地面におさえつけるように受け止めた。
「さてさて、甘いのはどっちかねぇ?」
「――しまっ?!」
ハンナの背後からギャリックが現れた。割って入る隙を、今か今かと待ち受けていたのだ。
「俺のことを忘れてんじゃねぇよ!」
マリアンヌは舌打ちし、返す刀でギャリックの斬撃を止めようとしたが、もう遅い。サーベルの刃が深々と彼女の肩に食い込む。彼女の手からサーベルが転がり落ちた。
「ぐっ!」
この瞬間、ガイコツたちを砕きながらも、三人の戦いの趨勢を見守っていた団員たちが、一斉に勝利の雄叫びをあげた。
「どうだ? 降伏するか?」
ギャリックはハンナとふたりで切っ先を突きつけつつ、キャプテン・ブラッディ・マリアンヌに降伏を求めた。マリアンヌは利き腕の肩をやられ、サーベルが持てない。こうなっては、ギャリックとあの頃ハンナに対抗できるはずもない。殺さないが信念のギャリック海賊団だ。ならば、降伏をすすめるのは当然の流れだった。
「……この私が負けたというのか」
「ああ、そのとおりだ。あんたに逆転の秘策でもねぇ限り、俺たちの勝ちだぜ」
ギャリックは誇らしげにまわりを見渡した。
敵将を仕留めたことにより、団員たちの士気が一気に高まっていた。負傷も疲労も忘れ去ったかのように、獅子奮迅の動きでどんどんガイコツを砕いていく。数で勝っていたはずのガイコツたちもいつしか逆に追い込まれる側になっていた。
「アンラック号のお宝さえいただければ、命までは取らねぇ。あとは銀幕市で暮らすといいさ」
「銀幕市?」
「ああ、おまえたちもあそこで暮らせば変わると思うぜ」
ギャリックは心底楽しそうに笑い、ハンナは少しだけあきれたような表情だった。
「私は――」
マリアンヌがなにか言いかけたとき、派手な水しぶきがあがり、上空から聞いたことのあるキンキン声が降ってきた。
「もう赦せないわ! あんたたち、みーーーんな、吹き飛ばしちゃうんだから!!」
ヴィディスとアゼルが海に落としたはずのピッピィだ。頭の先からつま先までびしょぬれだ。
「あ、あれって?!」
「このタイミングで復活するか?!」
アゼルもヴィディスも、驚くよりもあきれた表情だ。このまま大団円へと進むはずだったストーリーが崩れていくのを感じる。
彼女は顔を真っ赤にして、なにやら呪文を唱え出す。すると、彼女の手のひらのうえに稲妻の塊ができ、みるみるうちに大きくなっていくではないか。
「うおっ! なんだ?! こいつは逆転の秘策か?!」
ギャリックがうろたえてオタオタする。
「ヴィディス! なんとかならないのかい?」
ハンナが問いかけると、ヴィディスも今度ばかりはと首を横に振った。どうにかしようにも魔力が残っていない。
そのうちにも、雷球はどんどん肥大化し、船など丸ごと呑み込んでしまいそうなくらいの大きさになりつつある。
「ふははは! やれ! ピッピィ! 私たちもろとも吹き飛ばせ!」
勢いを取り戻したマリアンヌが狂ったように笑う。
「ちょ、どうしよう?! フライパンで打ち返すわけにもいかないよね?」
動揺しすぎてわけのわからないことを口走るアゼル。
「ええっと、海鳥たちに手伝ってもらって……って、意味ねぇ!」
ナハトも頭をかかえている。
「ふ、ふ、ふ、船が吹き飛んだら、あの本とかあのフィギュアとか、全部海の藻屑?!」
ウィズは別の意味でわたわたしている。
セエレはあの雷が船に落ちたとして、それを修理するのにどれくらいかかるのか、すでに計算しはじめていた。
「みんな、海へ飛び込め!」
そこでルークがもっとも適切と思われる指示を出し、ようやく全員が「おお、そうだそうだ」と従おうとしたとき、我らがキャプテン・ギャリックが叫んだ。
「いや、待て! ギャリック海賊団、総員アレの準備だっ!!」
アレの意味がわからず、総員きょとんとする。
だれかが「あ」と手を叩いた。そこから連鎖するように、「お」「あぁ」「そっか」などと理解の輪が広がっていく。
「あんたたち、みんな、死んじゃいなさい!」
ピッピィが魔法の雷を、真下にあるギャリック号に投げつけた。
「いいか、野郎ども!」
ギャリックが拳を天に向かって振り上げる。
「俺たち――」
つづけて、セエレが、アゼルが、ハンナが、ナハトが、ルークが、ヴィディスが、ウィズが、拳を振り上げる。
「ギャリック――」
破滅の魔法が迫り来る中、ギャリック海賊団団員は心をひとつにして、あの言葉を高らかに歌い上げた。
「海賊団だぜ!!!!」
どっぱーん。
ギャリック海賊団のロケーションエリアの効果で、銀幕湾に大波が出現し、ギャリック号もアンラック号も、そしてギャリック号にとりついていた大蛸も、すべてを押し流したのだった。
第10幕
「これまた見事にぶっこわれちまったなぁ」
感慨深げに地上からギャリック号を見上げるキャプテン・ギャリック。
彼は港でハンナに怪我の治療を受けていた。他の団員たちもめいめいに治療を受けている。大量のけが人が出たということで、救急車も数台かけつけていた。
「なぁ、ハンナ……」
ギャリックの珍しく真剣な物言いに、ハンナも「なんだい?」と真面目にかえす。
「……今度、ロケエリ状態でお酌してくれよ」
あれから30分以上経ち、ハンナはすでにいつものハンナだ。だから「冗談じゃないよ」と、おもいっきり背中を叩かれると、腕力ではなく体重によって前のめりにさせられた。
「いたた……冗談だぜ、冗談」
本当に冗談だったのかもしれないが、ハンナはとりあえず我らがキャプテンを白い目でにらんでおいた。
「しっかし、よく生き残れたよな……」
今度こそ感慨深く、ギャリックがつぶやく。
ヴィディスは自分の治療などほうっておいて、さっそく団員たちの服を直しにかかっている。
ウィズは病院のスタッフに食ってかかっていた。救急車まで来ているのだ。このあと請求される治療費のことを考えてのことだろう。
ナハトはひとりだけボロボロのギャリック号に残り、見張りを続けている。またいつムービーハザードに巻き込まれるかもしれないということか。
アゼルはてきぱきと夕食の準備を進めていた。こんなときだからこそ、お腹いっぱい食べなくちゃ、ということらしい。
ルークはもちろん彼女の手足としてこき使われていた。
セエレは――この街に実体化したときと同じように、ボロボロのギャリック号を眺めていた。彼女の心にはすでに、またもや新しく生まれ変わるギャリック号の図面が描かれていることだろう。
修理費用がいつ頃貯まるのか、それはだれにもわからなかったが。
実は彼らは幽霊船アンラック号の財宝を手に入れることができなかった。
魔法少女の攻撃に、ギャリックが機転を利かして一か八かで放ったロケーションエリアは、見事に船を押し流し、位置を入れ替えた。アンラック号があった場所にギャリック号が、ギャリック号があった場所に大蛸のオクトパルスが移動したのだ。結果、雷撃は大蛸に命中し、オクトパルスは焼き蛸になって海の藻屑となった。
さて、それからが実に急展開で、大蛸と同時に、アンラック号とそのクルーもまた一気に消滅してしまったのだ。もともとハザードとして実体化していたのは大蛸だけで、幽霊船はその大蛸が呼び出したものだったから、いっしょに消えてしまったらしい。
かくして、ぶっこわれたギャリック号とボロボロになった団員たちだけが海に残った。
しかし、それでも団員たちの表情が晴れ晴れとしているのはなぜだろう。
「お宝は手に入らなかったし、痛い目にあっただけだったけどよ――」
ギャリックがにやりと笑う。
「やっぱり海は楽しかったよな」
そこはハンナも同意見で「そうさね」と大笑した。
ギャリックはおもむろに立ち上がると、団員たちに向かってこう叫んだ。
「ここは面白い街だよな。退屈しねぇですむ。これからも皆そろってこの街で暴れまくろうぜ!!!」
ウィズも、ナハトも、ヴィディスも、ルークも、アゼルも、ハンナも、セエレも、団員全員が「おうっ!!!」と応じた
それが彼らの生き様だった。
彼らの名はギャリック海賊団――海に浪漫を求める者たちだ。
これは、銀幕市に実体化したギャリックとその仲間たちの物語であり、海に浪漫を求めた者たちの戦いの記録でもある。
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クリエイターコメント | 長らくお待たせいたしました。 ギャリック海賊団の冒険譚をお送りします。
大人数ということで、いろいろと絡めてみましたが、いかがだったでしょう? とにかく自分なりに熱い想いをぶつけてみたのですが、だいぶ趣味に走った展開になっているので、お気に召すか心配です。
もしお気に召しましたら、またいつの日か、どこか別の舞台でお会いできることを祈っております。 このたびは素敵なオファーをありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-07-30(木) 18:30 |
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