★ しろいひかりへ ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-1420 オファー日2007-12-12(水) 07:46
オファーPC ルースフィアン・スノウィス(cufw8068) ムービースター 男 14歳 若き革命家
ゲストPC1 ルウ(cana7787) ムービースター 男 7歳 貧しい村の子供
<ノベル>

 暖かい室内から、いきなりふわりと冷たい外気にさらされ、ルースフィアン・スノウィスはひとつ小さくため息をついた。ほうと白い吐息が、既に陽の落ちきった闇の中へ漂う。
「ありがとうございました」
 いつものレストランでディナーを終え、ルースフィアンはひとつ会釈を返しながら路地へと歩み出た。杖を使ってゆっくりと歩いていく。
 その姿にはいつもの彼とは何ら代わりが無いが、時折吹きすさぶ冷たい冬の風が、ズボンの裾の片方を攫っていく事に、ひとつの違いがあった。
 彼はその風に思わず目を細めて下を向いた。その拍子に靴がない、膝から下が空っぽの左足が視界に入る。
 だが、そこに今や何の感慨も持たず、再び彼は前を向いていた。自然に。
 澄み切った空には、半月の月がぽかりと浮かび、青白く彼の白い髪を照らしていく。ルースフィアンが歩いている路地は、時折彼の隣にぽつりと錆びた金属が浮かんでいる街灯が並ぶだけで、ほとんど人気もない、黒いアスファルトが延々と並ぶだけであった。
 いつもの静かな通りをゆっくり、ゆっくり自らの住処であるマンションに向けて歩いていく。いつもの夜の一場面であった。
 そのはずだった。

 ――Ave verum corpus――

 彼の歩いている通りとは別の場所から、か細い、まだ幼さを多分に残したひとつの歌声が静けさを打ち破った。静寂の中に響く声。ゆったりとしたボーイソプラノ。
 その声に、彼は思わず杖をつく手を止めていた。その歌が気になったからでは無い。
「――僕の……声……?」
 思わず呟きが漏れる。内から自らの声を聞くのと、外から自らの声を聞くのには差があるのであって、それは不確かな思いであったが、あの声の雰囲気は、響きは、かつての自分の頃のものではないのか。
 そう思った途端に、身体がぞくりと震えを帯びた気がした。混乱を始めた心の中とは対照的に、まっすぐにその声のもとを辿る始める身体。
 心の中の大部分は、どうしようもないくらいの焦燥感に駆られ、切迫感に追われ。
 けれども幾ばくかの懐かしさがぽつんと心の隅に佇んでいた。

 ――natum de Maria Virgine――
 
 声は途切れる事無く続いている。
 だがそれでも、歩いている内に僅かずつながら普段の冷静さを取り戻していっていたルースフィアンの心に浮かぶ思いがあった。
 あれがかつての自分だとすると、どうして「彼」は歌など歌っているのだろう、賛美歌などを知っているのだろう。
 彼の心の疑問を反映してか、アスファルトの地面が続く道が、一瞬血でどすぐろく染め上げられた埃だらけの道に変わった、気がした。
 かつての傷だらけの自分。それは思い出したくない、自分の一部。封印した、つもりの記憶。
 その光景は、ルースフィアンが瞬きをした間にふ、と消えて幻と確信する。
 だが、それでも彼は自らも知らない間に、掌を固く握り締めていた。
 あの頃の自分が耳にしていた音は、心に沁み込む音では無かった。
 人が命の限り叫ぶ音。武器が振るわれる、独特な金属音。そして命の最後の声。
 全ては戦争の音であった。リズムに乗せて声を出す、という文化は自分のいた国には無かったのだ。

 ――Vere passum immolatum――

 ゆったりとした、賛美歌特有のメロディは流れ続けている。
 ルースフィアンはゆっくりと、細い路地への角を曲がる。
 そこで、ひとつの小さな子供の姿を目にし、自然と足は止まっていた。
 白い、ふわりとした髪。ちっぽけな背中を見せている子供がひとり、いた。
 そこにいる少年は、間違いなく過去の自分だ。間違いようの無い、自分の姿。
 そうか。小さい頃の自分も、実体化していたのか。澱みなく回転する思考が、ひとつの理解を彼の脳裏にもたらしていた。
 どれほど戻りたいと願っても、決して叶う事の無い願い。その過去の自分が、ここにいる。
 ふと、ルースフィアンの知人達が、彼にしてきた奇妙な質問を彼は思い出していた。
 それは、自分の世界の魔法の制御方法を質問された事。その時は、そんな事をどうしてわざわざ質問してくるのだろう、と不思議に思っていた事を覚えている。
 そして、その奇妙な質問の理由は、「彼」にあったのだと今、理解した。
 そういえば、自ら話してもいない過去を彼等は知っていた事も思い出していた。話す筈も無い、ルースフィアンでさえも思い出したくない過去なのだから。
 それも全て、「彼」が原因だったのか。
 ルースフィアンはひとつ小さくため息を吐くと、そっと「彼」の肩へと手をかけた。


 * * *


 ルウは、ほてほてと夜道を壁伝いにゆっくり歩いていた。歩きながらも、彼が呼ぶところの「ぱぱ」に教えて貰った賛美歌を気持ちよく歌っている。
 歌う、という事は、生まれてからここに来るまで彼の思考には一切なかった。それどころではなかったのだ。
 初めてメロディーにのせた言葉を聴き、それを教えて貰った。そして自ら声に出して、その歌を歌えた時の開放感は、初めて触れる自らの感覚であった。
 歌うことは、楽しい事だ。
 どうしようも無い程の劣悪な環境に生まれ育った彼にとって、それは未知の感覚であったのだ。
 それがどこかむず痒いものを感じながらも、嬉しかったのを覚えていた。
 そして彼は、今日もそのメロディーを自然と口ずさんでいた。口ずさみながら、友人が贈ってくれた白い手袋をぱふ、と音を立てて合わせる。
 するりと風が吹いて、彼の髪と、白いマフラーを静かに攫っていた。
 その時だった。 
 急にルウの肩に、誰かの手が力を加え、驚いた彼は歌うのを止めていた。
「……?」
 そっと振り返った視線の先には、ルウと同じ白い髪、青い目をした少年――ルウよりも歳は幾分重ねていた、が静かにルウを見下ろしていた。
 その瞳からは、この場が暗い事もあってか、ルウには何の感情も読み取る事は出来なかった。
 このおじちゃんは、ぼくをなぐるのかな?
 ふと、初対面という事もあって、ルウの心にそんな考えがよぎっていた。そう思い出すと、恐怖がじわじわと湧き上がってきて、思わずどこかに身を隠したい衝動に襲われる。

 ぐぎゅるるるるるる。

 そんな時、ふと場違いな音がその場に響いていた。
 まだまだルウは育ち盛り。常にそのお腹は空腹を訴えているのである。
 やや頬を赤くしながらも、そろりそろりと彼の表情を伺ってみる。
 彼は、口をぽかんと少し開けていた。やや間延びした時が過ぎた後、彼はふと、小さく笑みをルウに見せていた。
「おいで」
 ルウの頭にそっとのせられた掌の感触は、優しかった。


* * *


 どうしてこんな事になったのだろう。
 ルースフィアンは自分のマンションの玄関の鍵を探りながら、密かに首を傾げていた。
「うわー、すごいたかい。ぼくこんなたかいところ、はじめて」
 後ろでは、とことことついてきた少年――ルウが、そっとマンションの向こう側へと背伸びをして、驚きの声を上げている。
 ――そう、ルウを呼び止めて、消し去りたかった過去の自分と向かい合って。
 それで、ルウのお腹が鳴った事に今までの混沌とした思いが、張り詰めていた気持ちが急に抜けてしまった。
 気がついた時には、思わず「おいで」と呼んでしまっていた。
「さ、入って」
 ドアを開き、玄関の電気をつけてからルウを招き入れる。
 彼に促され、そろそろとルウは、ルースフィアンの住居へと足を踏み入れた。
 ルースフィアンの住居は、そのことに本人は至って頓着してはいなかったのだが、綺羅星ビバリーヒルズにある高級マンションの一室である。
 その為、彼の部屋の玄関の床には、さりげなく大理石が使われていたりする。ルースフィアンの性格からか、あまり生活感が出ていない事もあって、それがさらに高級感を出していた。
 ルウは何となく場違いな気分を覚えたのか、半ばびくつきながら、そっと部屋へと上がる。
 中のリビングも、玄関と同じく、ほとんど生活感が無い部屋であった。
 部屋の隅には背の高い観葉植物が置かれ、ほとんど何も置かれていない棚の上には空っぽの写真立てが置かれている。
 ダイニングの部分に置かれている、大きなテーブルの上からは、柔らかな橙の照明が照らされていた。
 ルースフィアンも続いて部屋へ入り、ルウをリビングダイニングに置かれているテーブルにつかせた。
「どこいしょー」
 何やら不思議な掛け声を発しながら座るルウを背後に、ルースフィアンは隣にある、カウンターキッチンに入る。
「あ……そうだった」
 そこで初めて……というか、知っていた事だったのだが、改めて気がついた。
 ルースファインは常日頃から料理をしないので、冷蔵庫にはほとんど何も入っていないのだ。
 仕事がある朝や、出かけるのが面倒な時に軽く食べるパンと、インスタントのスープくらいしかない。
「……パンとスープしか今ないんだけど、それでも良い?」
 そっとルウに尋ねると、ルウは驚いたように目を丸くしていた。
「ぼく……ごはん、たべてもいいの?」
 その言葉に、今度はルースフィアンが一瞬目を見開いた。
 そして、目の前に座っている自分が、改めて過去の自分だと言う事を思い出す。
「……勿論、良いんだよ」
 ルースフィアンは微笑んで、コンロに水を入れたやかんをかけながらも、内心では首を傾げていた。
 あれほどまでに消し去りたいと思っていたのに、どうして自分は彼の御飯を用意しているのだろう、と。
 ひとまず、先に用意をしよう。それからどうしてなのかはゆっくり考えよう。そう思いながら、ルースフィアンはパンを袋から出していた。


「はい、お待たせ」
 ルースフィアンはルウが座っているテーブルに、温めたスープとパンをひとつ、置いた。
「ほんとに、ほんとにたべていいの?」
 ルウは何度もそう聞き返し、ルースフィアンはその度に頷いて。ようやくルウはスプーンを握っていた。
 ルウがスープを飲む間、ルースフィアンは向かい側で紅茶を口にしながらゆっくりとルウを見ていた。
 そこには、消し去りたいとあれ程までに願っていた、自分がいる。
 過去の、忌まわしい記憶のさなかに立つ、自分が――。
 ふと、目の前に幻が浮かぶ。

 
 彼の目の前には、荒れ果てた焦土が広がっていた。何度も見慣れた自分の村の光景。その中をルースフィアン――ルウは、ゆっくり、左足を半ば引き摺りながら歩いていく。
 戦乱の世の中だった。人々は争い、農地は焦土と化し、集落は火で焼き尽くされる。
 幾人もの人が死に絶え、辺りには血の臭気が漂い、暗い澱んだ大気が流れていたが、やがてそれも慣れて分からなくなっていた。
 ルウの家も、戦乱のあおりを受けた、ぼろぼろの家屋だった。辺りは寒さで大地が凍っていると言うのに、その家はようやく寒さがしのげるというもので、容赦なく隙間風が吹き込む家であった。
 ルウは玄関を避け、裏の戸口から気付かれないように家に入る。
 家の外に出た事に気付かれたら、また殴られるであろう事が分かっていたから。
 だが、どうやら家族には気付かれてしまっていたらしい。
「お前はどこに行っていたんだ!」
 そろりと居間に足を踏み入れた瞬間、一番上の兄に蹴りを入れてきた。腹部に痛みが奔り、よろけてしりもちをついてしまう。
 何とか痛みを堪え、立ち上がった。何も感情を表す事は無く、何も言わないまま。
 何か言えば、またそれで殴られ、感情を露にすれば、またそれで殴られる事を学んでいたから。
 兄はそんなルウを蔑んだ目で見下ろし、ふと酷薄な笑みを浮かべた。
「何も出来ない、お荷物の癖に」
 兄はまたひとつルウを殴りつけ、それでようやく腹の虫は収まったらしく、居間の中心へと戻っていった。
 ルウは黙ったまま、居間の隅へと向かう。その場所は、暖炉の火も行き届かない場所であったが、ルウが家族の視線から身を隠すことの出来る唯一の場所であった。暖炉の近くなんかに行ったら最後、上の兄から姉まで、自分を袋叩きにする事が分かっていたから。
 ルウは小さい頃に悪病で、右目の視力と左足の感覚を失っていた。
 右目だけならまだ良かったのだが、左足が動かなくなってしまった事により、家の手伝いも、仕事も出来ない身となっていたのだ。
 あの場所では、何も出来ない事は致命的であった。おまけに、誰しも心が荒んでいた。
 お荷物になった彼に、暴力が振るわれ、暴言を吐かれ。そんな中、まだ小さかった彼には、対抗する術も、精神も持ち合わせていなかった。
 ルウは、その場でじっとうずくまり、動かなくなる。
 ぎゅっと拳を握り締め、感情を抑えながら。
 そんな中、がらりと大きな音がして、ひとりの男が入ってきた。ルウの父親である。
 仕事を終えたらしい父は、兄に声を掛け、奥の部屋で家事をしていた母に声を掛ける。
 そのさなか、どうやら兄がルウの事を父に話したらしい。父が、一番目に付きにくいところにいる筈のルウを見つけると、眉を吊り上げた表情を見せ、その一瞬後には彼を殴りつけていた。
「お前はなんで何も出来ないくせに、ちょろちょろと目障りな事ばかりするんだ!」
 怒声を浴びせかけられる。思わず痛みに耐えた強い眼差しで見上げると、父はそれが癪にさわったのか、さらに蹴りを入れてきた。
「なんだその目は!」
 ルウは何も言わず、ただ黙ってそれに耐えている。寒い冷気が忍び寄る家の隅で。
 やがて、彼の母親も、奥の部屋から戻ってくる。
 だが、その母親の目には、子供を慈愛に満ちた表情で見つめる視線などはない。
 あるのは、ただの嫌悪と侮蔑の視線。
「お前には、ご飯を食べる資格なんかないんだよ」
 その冷め切った言葉に、ルウは思わず瞳に涙を浮かべそうになって、慌てて瞬きした。泣けば、また暴力を振るわれるのが、分かっていたから。
 ただ、ただ拳を握り締め、ひたすら自分に興味を示さなくなるのを待ち続けている。



 ルースフィアンは、自然と浮かび上がってきた記憶に、思わず拳を握り締めていた。爪が皮膚に食い込み、ぴり、と何かが裂けるような音が聞こえる。
 あれ程までに理不尽を受けた過去の自分。
 どれ程、今まで消し去りたいと願ってきただろうか。
 ――それを生きる原動力へと変えるくらいに。
 その過去の自分が、今まさに目の前に実体化して、存在している。
 ――だけども。
 不思議と、目の前の過去の自分――ルウに、今までのその消し去りたいという思いは浮かんでこない。
 どうしてあの憎しみが湧き上がらないのだろう。どうして殺意が、浮かばないのだろう。そう考えて、ふと、思い出した事があった。
「ねえ、どうやって、あの歌を覚えたの?」 
 そっとルウに聞いてみる。ルウはルースフィアンの問いに、それまでややお行儀悪く食べていたパンを皿の上に置いた。
「うんとね、ぱぱにおしえてもらったのー」
「ぶっ」
 半ば無邪気に答えたルウの言葉に、ルースフィアンは飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。ギリギリの所で抑えて、ルウをまじまじと見つめる。
 今ルウは「ぱぱ」と言った。それはもしや父親の事か、と一瞬考えたのだが、すぐに考え直す。
 昔の自分は父親の事をぱぱなんて呼んでいなかった。しかも過去の自分であったのなら、そんなに無邪気に彼の事なんて話さないのだろう。
 ということは、違う誰かなのか。
「そ、そうなんだ……」
「うん。けーたいでんわくれたの」
「け、けーたいでんわ?」
「そー、これ」
 半ば呆気に取られたルースフィアンに、ルウはまたもや感情を抑えながらも無邪気に答えて、ポケットなどをごそごそと探り始めた。ややあって、その携帯電話をテーブルの上へと置く。
「ほんとだ……ちょっと、見ても良い?」
「うん」
 再びもぐもぐと口を動かしながら頷いたルウを見て、ルースフィアンは携帯電話に手を伸ばし
 履歴や、アドレス帳を覗くと、そこにはルースフィアンも知っている名前が幾つか並んでいた。
「なまええらんで、むかえにきてっていえばきてくれる」
 そうか。彼らが、面倒を見てくれていたのか。何とも言い難い、こそばゆいような気持ちが浮かび上がる。ルースフィアンはそっと携帯電話をルウへと返した。
「他には何を教えて貰ったの?」
「うんと、『ハグはいいこと。ぎゅうはうれしい、ぬくぬく』と、『とても好きはキス』」
「……そっか……良い人なんだね」
「うん」
 真顔で答えたルウの言葉に、再びルースフィアンは紅茶を噴き出しそうになった。
 何だか、どさくさに紛れてとんでもない刷り込みをされているような気がするのは気のせいだろうか。
 それでも、ルウはこの世界で、大事にされて、抱き締めて貰っている。沢山の笑顔に囲まれて。
 もう、ルウは過去のルースフィアンではない、「ルウ」なんだ。
 そう思うといつの間にか、ルースフィアンの口元に、自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。


 *  *  *


「すごいあわあわ」
「そうだね」
 ご飯を終えた二人は、猫足の白いバスタブの中にいた。元々既に夕食を終えていたルースフィアンは、家に帰ってからすぐ風呂に入るつもりであったのだが、ルウを部屋の中に放っておく訳にもいかない。そんな訳で、二人は一緒に風呂に入る事となったのであった。
 じゃあ折角だから、とルースフィアンは、泡が出る入浴剤をお湯の中に入れ、バスタブに付いている蛇口を勢いよく捻った。どうどうとお湯が迸る音と共に、たちまちバスタブの中が泡で満たされていく。
 ルウはその泡に目を丸くし、滅多に出さない喜びの感情を表に出しているようであった。
 ルースフィアンはそんなルウを見つつ、お湯が溢れないように蛇口を捻って止める。
 何とはなしに、二人の間に沈黙が訪れていた。
 ルウは膝を抱えながらぶくぶくと口元までお湯につかり、無言でルースフィアンを見上げている。
 ルースフィアンもバスタブの中で膝を抱えて半ばぼんやりとルウを見ていた。
 銀幕市に来てからは、本当に不思議な事ばかり起こっている。
 よもや今の自分がこうやって小さい子供の面倒を見ることになるとは思っても見なかった。
 しかも、過去の自分と、こうして向き合うことになるとは。
 そう思うと、自分は変わったのだな、と改めて実感する。
 かつては、復讐しかなかった。復讐を夢見て、生きてきた。
 けれども、今は、その虚ろだった自分が、ささやかだけれども幸せを噛み締める事が出来ている。
 ルースフィアンはそっと腕を持ち上げた。そこには、幾重にも奔る、傷痕がある。虚ろだった自分がつけた傷が。
 けれども青銀の髪の人が、この傷の痕に唇を寄せて、これまでの全てを受け入れてくれたから。傷が傷でなくなった。
 ささやかだけれども、愛を得る事が出来たから。
 だからきっともう、復讐とか憎悪とかに囚われる事無く、前に進めるのだろう。
 そしてきっと、目の前の――ルウも。
「そろそろ出ようか」
「うん」
 ルースフィアンは小さく笑んでバスタブの向こうに降り立ち、ルウがすべらないで出られるように手を貸してやる。
 そして、まだ幾分泡が残っているルウの身体に、ややこの時代には幾分レトロさを残すデザインのシャワーでじょわじょわとお湯をかけてやっている時、ふとある事に気が付いた。
「……痣」
 ルウの腋の下に、黒い、小さな痣があったのだ。これは誰かに殴られてついたものではなく、生まれつきある痣だ。
 それはルースフィアンの身体にも、もう大分薄くなってしまったが残されている。
 やはり、ルウは過去の自分なのだ、と改めて実感した。それでも、もうそこに憎悪の気持ちは浮かぶことはない。
 ここにいる過去の自分は、もう違う未来へと進んでいける、「ルウ」である事を理解していたから。


 お風呂から出て、またひとつうっかり忘れていた事を思い出した。
 寝る服である。
「あー……しまった……」
 それを思い出したルースフィアンは思わずため息をついていた。
 日頃、ルースフィアンは裸で眠りにつく習慣があるので、パジャマなんていうものは用意していなかったのだ。
 今日は彼も裸で寝るわけにはいかないので、とりあえず傍に掛かっていたガウンを纏い、そしてごそごそと衣装棚をかき回して丁度良い具合の服を探してみる。
「これでいいかな? ちょっとだぼだぼかもしれないけど……」
 仕方が無いので、ようやく取り出したシャツをルウに渡した。ルウはそれを大人しく受け取り、もそもそと着ていく。
「ズボンは……いらないか」
 ズボンを手に振り返ったルースフィアンの先には、かなり大きめのサイズのシャツを着たルウの姿があった。丁度良い具合に膝の辺りまでシャツが彼を覆っていて、ズボンは不要そうな感じである。ひとまず服を用意できた事に、ひとつため息を吐いた。
「寝る場所はこっち」
 そう言って、ルースフィアンは寝室のドアを開けた。
 二人が入っていった寝室もやはり、豪華な部屋である。壁のほぼ一面に、大きく開けられた窓からは、最上階の部屋という事もあって、銀幕市の眺望を一望する事が出来る。今も、闇に幾重もの光が瞬いていた。
 そしてもう一面の壁には書棚が備え付けられていて、そこにも分厚い魔導書、そして広辞苑などの辞書が所狭しと並べられている。
 キングサイズの白いベッドには、白いレースでの天蓋が掛けられていて、これまた豪華さを醸し出していた。
「さ、おいで」
 ルースフィアンはベッドの手元にあった間接照明だけ付けて、ベッドに向かった。ルウをベッドの毛布にくるんで入れてやり、自らもベッドの中にすべり込む。
 ふと、ルウと向かい合い、自国でのおまじないを思い出した。
「そうだ、おまじないをしてあげる」
「おまじない?」
「そう」
 首を傾げたルウに、ひとつ頷いて、彼はそっと、ルウの額、左瞼、右瞼、額へと口付けた。
「これからも君に降り注ぐ全てが、正しい、優しいであるように」
 そして、くすぐったそうにしているルウの髪の毛を優しくなでてやる。
「もう、良いよ、目を閉じて。おやすみ……ルウ」
 ルースフィアンは静かに笑んで、間接照明の灯りを落とした。

(おやすみ、僕でなくなった、僕……。)
 これからも、君に降り注ぐ全てが、正しい、優しいであるように。
 ルースフィアンもぼんやりと胸中で呟いている内に、疲れもあってか、いつの間にか眠りについていた。

 誰しも平等に夜明けはやってくる。

 静かに眠る過去に同じ凄惨な体験をし、これから新たな未来へと進む二人にも、やがて夜明けの、白い柔らかな光が降り注いでいた。

 それはまるで、二人のこれからを象徴するかのように。



  





クリエイターコメントお待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
素敵な一場面をゆったりと切り取らせて頂きました。この出会いが、素敵な明日へと繋がる事を願っております。
今回、一部捏造などがありますが……少しでも楽しんで頂けると幸いです。何かございましたら、遠慮なくどうぞお願いします。

それでは、オファーありがとうございました。またいつか、銀幕市のどこかでお会いできる事を願って。
公開日時2008-01-01(火) 21:00
感想メールはこちらから