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<ノベル>
哀しくて 繊細な愛しさを持つ 遠い記憶
それは 現在の自分の闇
そして 未来の自分の光――
シーン1
西村は、対策課で受け取った地図を手に、ふわふわと依頼主の一人の家へと向かっていた。丁度三人この依頼を遂行してくれる人が集まったので、一人ひとつ、宝玉の破壊を担当することになったのだ。
依頼主の住んでいる所は閑静な住宅街らしく、丁度今頃は繁華街辺りは賑わっている時間帯であろうに、人が通ることさえあまりない。
午後特有の暖かさと、柔らかに過ぎ去る風を受けつつ、西村は目的の家を見つけ、その家の前で止まった。
こうして見上げる限りでは、この家の中に、あの突如出現したピラミッドの呪いが入り込んでいるなどということは到底見受けられない。
人差し指でインターホンを押し、中から出てきた若い女性に依頼で来た、ということを告げると、女性は安堵の表情を全身に浮かべ、どうぞ、と西村達を家の中へと招き入れた。
暖かな日差しの中、目を閉じて西村の肩に止まっていた鴉は、片目をゆるやかに開けた。
家の中を歩きつつ、話を聞いていると、問題の宝玉を拾ってきたのは、彼女ではなく、彼女と一緒に住んでいる恋人らしい。
「家に帰ってきてから、私に最初は誇らしげにそれを見せてくれたのですが……、次の日に彼がもう一度それを見に行った後、宝玉が保管してある部屋を出てきた時の彼の髪の毛は真っ白になっていたんです」
彼女は、静かに目をそっと伏せた。
「そんな、に変わって、しま……われた、んですか?」
西村は、少しの驚きを持ちながら言った。女性は西村の言葉に頷きつつも、眉をひそかにしかめた。
おそらく、西村の言葉が聞き取りづらかったからだろうが、自分の発言の仕方を至って普通と理解している西村には、きっと彼女が見た光景がよほど衝撃を与えたものに違いない、と考えていた。
まあ、実際、衝撃だったことには違いないのだろうが。
「それ以来、彼はほとんど喋らず、一日中家の中にいるようになってしまって……。最近は大分落ち着いてきたみたいで、私にその宝玉が見せたものについても少しですが話してくれるようになりました……」
「そ、れは、良かった……ですね」
はい、と彼女は再び頷き、ですが、と続けた。
「宝玉がどんなものを見せるか、と分かってくるに連れて、彼はもちろん、私もますます宝玉に近付くことが出来なくなってしまって……」
本当にご迷惑をおかけしてしまって、ごめんなさい、と彼女は続けた。
「い、え、その宝玉を破、壊する為に、来た……のですから気、に掛ける事、な、んてないですーよ」
西村の言葉に、その女性は弱々しくだが、微笑んだ。彼女は、一つのドアの前で止まった。
「この部屋の中に、宝玉が保管してあります。……よろしくお願いします」
「……はい」
西村は小さく頷き、そのドアに手をかけ、そっと開け、中に足を踏み入れた。
その部屋は書斎として使われていたようで、大きな本棚が二つ、壁に並んでいた。
光を遮る厚いカーテンが閉められた窓の下に、茶色のどっしりとした机がひとつ。
その机の上に、雫のような形をした、青い物体が厚い、タオル地のような白い布の上に置かれていた。
「これ、が……」
西村が小さく呟いてもう一歩踏み出した瞬間、不意に目の前が真っ暗になり、自分が立っている床が抜けるような錯覚を覚えた。
肩にいた鴉がバサリと翼をはためかせ、警告のようにカァカァと鳴く。
西村は思わず目を瞑った。
★★★
床が抜けるような錯覚を覚え、しばらくの間足元が頼りない浮遊感に襲われていたが、唐突に、足が地面に付いたのを感じた。
そろそろと目を開けたが、やはり目の前には闇が立ち込めていて、先程とは変わらない光景である。
「……?」
これが、幻覚に取り込まれてしまった事なのか、と首を傾げた時、不意に、彼女の頭の中に、ひとつの言葉が飛び込んできた。
――もう、終わりにしてください――。
西村は思わず身体を震わせた。その言葉は、彼女にとって、日常的に聞く言葉であり、そして、彼女に微かな寂しさと、悲しみをもたらす言葉であったからだ。
――おしまいにしたいです――。
再び頭の中に声が響いた。この世に彷徨う魂の悲痛な叫びが。
西村は、魂を見ることができる。触れることができる。魂の声を聞くことが出来る。
彼女は、魂を成仏させる役目を持っている。外見こそ人間であるが、本当は人間ではない。死神なのだ。
西村は「おしまいにする」という魂の声を聞き、成仏させる。生きとし生ける魂に、おしまいを告げる死神。
彼女にとって成仏させるという事は、少し哀しく、そして寂しい。
――もう嫌だ、続けたく、ない――。
――おしまいにしてください――。
――もう、終わりが、いい――。
最初は一言、一言頭の中に響いていた言葉が、段々と数を増して、そしてついにはガラスの破片のように西村の頭に降り注ぎだした。
どんどん、大きくなる、声。言葉の破片はますます鋭利になって、四方八方から西村に降り注ぐ。
やめてください。
西村は、その声に叫ぼうとするが、自分の声は暗闇に吸収されるようにかき消えてしまう。
私は、皆をおしまいになんてしたくない。
何で、皆おしまいを願うのか。
再び叫ぼうとして、喉から出掛かった言葉を飲み込んだ。その言葉は、死神である彼女が言ってはならない言葉だから。
胸が無力さと、惨めさで、つぶされそうになる。
あまりの「おしまい」の言葉の多さに、ついに西村は耳を塞ぎ目を瞑り、頭を抱え込むようにその場にしゃがみこんだ。
それでも、言葉の乱舞が止む事はない。
「あなたが、おしまいにしてくれるなら」
その時、一際大きな言葉が響いて、西村はハッと身を起こした。
どこかで聞いたような声――。
西村は、そっと耳に当てていた手を離した。声の乱舞は唐突に止まっていた。
目を開ける。そこには、先程まであった闇は取り払われていた。代わりにあったのは、いつも目にする、いつもの風景。
西村は、坂道の頂上付近にいた。空は分厚い、灰色の雲に覆われていて、自分を取り巻くもの全てが少し影を持った灰色に見える。
西村の少し後ろの、坂の真ん中に、ひとりの青年が立っていた。一見すると、普通の人間のようだったが、よく見ると彼が半透明であることが分かる。つまり、彼は魂の存在であるということだ。
一筋の風が吹き抜けた。西村の灰色のマフラーとまっすぐな黒髪が、凶暴なまでの冬の風に弄ばれるのを感じる。
青年は、空を見上げていた。分厚い雲からは、ぽつぽつと粉雪が零れ落ちてきている。
しばらく彼は空を見上げていたが、つと視線を西村に向けた。少し哀しげに、儚げに微笑した。
私は、この光景を知っている――。西村は頭の片隅で、静かに呟いた。彼が何を言うのかも、そして私が何をするのかも。その行動を変えることが出来ないことも。
決して、忘れた事のない、光景。忘れていたつもりでも、確実に頭の片隅に焼き付けられている、記憶のカケラ。
彼は、微笑を崩さないまま、静かに口を開いた。
その微笑には、何かを決心した、覚悟のようなものが滲み出ていた。
「……好きです、西村さん」
「……」
西村は何も言わない。否、何も言えなかった。
(僕は、死んだのですか……?)
彼との出会いは、コンビニだった。彼は、コンビニのアルバイトの店員だったのだ。
彼は、生きている間、何かと西村に話しかけてくれたし優しくしてくれた。お陰で西村は幾度となく助かったし、だから彼の顔を覚えてもいた。
ある日、使い魔である鴉と彷徨う魂を探り出していた時、半透明になった彼と再び出会った。彼は、自分が死んだ場所で、生きているのか、死んでいるのか、まだ完全に理解していない状態であった。
西村は、彼に死んだ事や、自分の役目などを説明したが(半分以上は魂となら会話出来る鴉が通訳したが)、彼は「おしまいにする」事を恐れ、あれこれと日々を過ごしているうちに、一年程、彼と一緒に行動をしていた。
彼は、西村の正体を知ってもなお、西村に優しかったし、西村を慕ってくれた。(お陰で幾度となく鴉の攻撃を受けていたが)青年が色々と教えてくれたお陰で、西村はこの世界についての知識を深めることも出来た。
いつの間にか、彼と行動することが当たり前のようになっていた。
そして、今の言葉で、自分も彼に惹かれる感情があったことに気付く。嬉しいような、恥ずかしいような、温かい感情。
しかし、彼はついに、ひとつの言葉を口にした。
「もう怖くありません……。……あなたが、おしまいにしてくれるなら」
それは西村にとっても、青年にとっても、決定的な言葉だった。胸の内にあった温かいものが、少しずつナイフのような刃物で切りつけられていくように感じる。
張り裂けるように、痛い。
それでも、これからのしなければならない事を止めることは、出来ない。
西村は、静かに手を差し出した。青年の魂を、静かに送る。
それと同時に、青年の魂が、少しずつ、少しずつ、空へと輝きを残して、この世から消えて行く。
……ありがとう……。
最後に、青年のそんな声を聞いた気がした。
後には、粉雪の舞う、西村と鴉以外は誰もいない、寒々とした坂道だけが残った。
もっと、あの人とは一緒にいたかった。
何で、自分には「おしまい」にする事しか出来ないのだろう。
誰にも、死んで欲しくはないのに。皆、生きて欲しいのに。どうして魂を助けてあげる事が出来ないのだろう。
もし、自分が魂を助けることが出来たのなら、あの人とももっと一緒にいれたのだろうか。
死んで欲しくなんか、なかった。
でも、そんな願いでさえも口にすることは許されない。自分は、死神だから。
何故か、視界が歪んだ。頬を冷たいものが伝っていく。
何て、無力なのだろう――。
その時、鴉が天を向いて、一声高く、鋭く、鳴いた。
西村はハッと我に返った。
そうだ。こんな所で無力さに、悲しみに押しつぶされている訳にはいかない。
皆、生きて欲しい。だけど、生きとし生けるものはまた死ぬのが宿命。
だから、せめて、恐ろしくない、苦しくない、辛くない、幸せな「おしまい」を与えたい。少しでも、楽になるように――。
それが、私が死神であり続ける理由。
だから。
西村は目に力を込めた。
「だから、この記憶を乗り越えて、前へ行きます」
その瞬間、周りの風景がひび割れ、大きな音と共に砕け散った。
★★★
ふと気付くと、西村は、元の書斎に立っていた。相変わらず、机の上に、先程の宝玉が乗っている。
つい一瞬前まで見ていたものが、遠い過去のように感じた。
静かに机に近付き、そっと宝玉を手にした。
もう、幻は現れない。
ふと、西村の脳裏に青年のあの微笑が浮かんだ。
自分のした事が、せめて彼に苦しくなければいい。
今までも、そしてこれからも。
おしまいを告げ続ける。
苦しくない、安らかな、おしまいを――。
西村は再び瞳に力を込めた。大きく腕を振りかぶって、宝玉を床に叩きつける。
宝玉は、あっけないほど簡単に、粉々に砕け散った。
しばらくすると、宝玉の破片は溶けるようにスッと消えていった。
それを見届けると、西村は静かにその部屋を後にした。
シーン2
ロスが担当する事になった依頼主の家は、ちょっとした繁華街の中にあった。地図を手にしながら沢山の笑顔や楽しさを纏った人々の流れの中を悠々と抜け、目的の場所まで向かう。
繁華街は、混む時間帯だからか、普段よりも多くの人々で賑わっているような気がした。ひどく疎外感を覚える。何だか同じ位置に立っていながら、違う次元を生きているような。触れたくても触れることのできないような。
依頼主の家は、お店の横の小さな通路を抜けた先にあった。通路を丁度抜けた時に、その目的の家から若い男性が出てきたので、依頼の事を告げると、その男性はどこか安堵した笑顔とロスに会った事からの緊張の表情のようなものを浮かべ、お願いします、とロスを中へと招きいれた。
「もう私はあの時以来、触れることはおろか、近寄ることさえ出来なくて……」
その男性は、宝玉に近寄ることさえ出来ない恥ずかしさやその恐ろしさを混ぜたような複雑な表情を浮かべた。
「……随分面倒な物を拾ってきたな」
「本当です。最初に見た時は、こんな物に呪いなんてかかっているとは思いも見ませんでしたし……」
ロスはその言葉を聞いて、ひとつため息をついた。
「大抵宝石や何かの貴重品には、盗られないように細工が仕掛けてあるもんだろ……。少しは気をつけるべきだったな」
今となっては、もう手遅れだが。
「そうですね。本当にお手数おかけします」
「まあ、気にするな。それだけの報酬はおまえから巻き上げさせて頂くからな」
ロスはぶっきらぼうに言った。どうやらその口調から、相手を気遣って言った事だということが分かってしまったらしく、男性は少し口元を緩めて微笑した。それを見たロスは何だか少し気恥ずかしい気分になる。
「この部屋の奥に、宝玉があります」
「分かった」
ある部屋の前で、男性が止まって言った言葉に短く返し、ロスは悠々とその部屋に入っていった。
その部屋は、どうやら空き部屋のようだった。洋服やベッドなど、何ひとつ生活感のあるものは置かれていない。ただ、一つの窓と、小さな机がひとつ、置かれているだけだ。
その机の上には、丁度掌にぴったり収まるくらいの小さな古びた木の箱が置いてあった。おそらく、その中に宝玉が入っているのだろう。そう考えたロスは、その机に近寄り、木の箱を手に取り、もう一方の手で、箱の蓋を持ち上げた。
ぎし、という木特有の軋みをいわせながら、木の箱が開く。
どんなものなのかと、宝玉を拝もうとした瞬間、ロスの視界はまばゆい光で覆われた。
その眩しさに、ロスは思わず目を細めた。
★★★
「お兄ちゃん、お誕生日、おめでとう!」
にわかに目の前に、少し大人びた少女が細長いシャンパンのグラスを差し出しながら、満面の笑みでそう言った。
「ありがとう」
ロスは反射的に、そのグラスを受け取って、彼女の持つもう一つのグラスと触れ合わせた。カシャンと小さな音がする。
「私からのプレゼント、楽しみにしててね」
「……ああ」
再び満面の笑みでそう言った彼女に、ロスは小さく微笑み、彼女の頭にやさしく触れた。
彼女が彼の元を立ち去って初めて、ロスは自分のいる場所が先程までいたあの男性の家ではないことに気付く。耳に流れるのは人々の喧騒、そして適度な音楽。
ああ、これはあの時の光景か――。ロスは静かにそんな事を感じた。
よく夢に見る光景、自分の18の誕生日に行われたパーティの光景――。あの時から、一度も忘れることのない、暗い、記憶。
それでも、夢よりも随分と現実的だ――。
そんな事も思った。夢ではこんなに周りの光景なんて見えなかったし、耳に流れる音楽が聞こえることもない。
軽くグラスを持っていない方の手を動かしてみる。いつもしている黒のグローブは、今はない。思った通りに動く。夢でこんな細々としたものが見えただろうか。
今度は頬をつねってみる。
痛みを感じた。――これは、現実なのか。幻ではないのか。夢ではないのか。
「何してんだ?」
後ろから訝しげな声が投げかけられ、慌ててロスは振り返った。そこに立っていたのは、ロスの弟だった。不審そうな目つきで、ロスを見ている。
「兄貴が今日は主役なんだから、もうちょっとはドンと構えてろよな?」
まさか弟に、これが夢か現実かと確認していました、とも言えず、焦っていたロスに、弟は少し呆れた口調で言い、その場を立ち去っていった。
「主役、か……」
近くにあった窓の自分と目が合う。依頼を受けた時の自分とはかけ離れた姿。もうとうの昔に捨てた名前で呼ばれる自分。自分の髪にそっと触れてみる。
そして視線を会場内に移した。そこには自分の友人達、家族の姿がある。かけがえのない、愛する者達。
これが夢でないならば、俺は今度こそ、愛する者達を護る事が出来るのか――。
ロスは静かに掌を握った。
しかし同時に冷めた頭の隅では、過去を変えることなど出来やしない、とも理解していた――。
そして丁度あの時、あの時間に、あの場所で最初の悲劇が起こった。
その時間にそれが起こると分かっていたにも関わらず、どうしてもそれが起こる前までに犯人を見つけ出すことが出来なかった。あるいは、それが起きる瞬間に、新たに付け加えられた幻なのかもしれない。
でも、例え幻でも。この身体が自由に動くのならば、あの時の事件を阻止したかった。
銃弾が命中する、鈍い音――それと共に、酔っ払って皆の前でスピーチを始めようとした父親の身体が妙にゆっくり宙に浮かび、そして床に倒れ伏した。床にじわじわと広がる血の染みが、現実を告げている。
会場にあの時と同じように広がる悲鳴。そしてその悲鳴が起きた次の瞬間には、何人もの人が床に、テーブルに、飛ばされ、沈んでゆく。
ロスは犯人の一人をようやく見つけ、犯人が銃を構えているのも構わず、強烈な回し蹴りを犯人の頭にお見舞いした。
「ぐっ」
犯人の醜いうめき声と共に、ロスの左脇腹に灼熱が走る。だが屈み込んでのた打ち回る時間は残されてはいない。
犯人から銃を奪い取り、ロスは必死に護るべき者達の姿を探した。会場の隅々まで視線を飛ばし、走り回っている間にも、沢山の人々が倒れていく。床や壁や天井に広がる血溜り。
「――!」
床を見回したロスが声にならない叫びを上げて、その場に立ち止まった。
そこには、母と弟が倒れていたのだ。母はうつ伏せになっていて、弟は、仰向けに倒れていた。弟は目をかっと見開いたままで、手には銃を握っていた。応戦している時に、撃たれたのだろう。床には、歩くと音を立てられそうなくらいの、血溜り。
「――……」
すまん、と言おうとしたが、それさえも言ってはならないような気がして、喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。弟の、無言の非難が目に表れているような気がして。
ロスは一瞬だけ目を伏せると、再び走り出した。
まだ、妹が見つからない。
焦りと、期待が入り混じった不安定な気分を抱えて視線をあちこちに飛ばし続ける。
「――!」
そして、会場の隅の、分厚いビロードのカーテンの隅に、妹を見つけた。怯えきった表情で、そこに隠れている。ロスは安堵から、妹の名を叫び、そこへ向かった。
それがいけなかった。完璧に感情が理性を超えていた。きっとそれがなかったら、ロスはそっと隅から彼女の元に行っただろう。
妹は兄の姿を見つけると、自分の名を叫びながら、飛び出してきたのだ。
「駄目だっ!」
自分の失態に気付いて叫んだ時は、もう遅かった。
一人を撃つには、多すぎる銃声と共に、彼女の頭、首、胸、腰、足にいくつもの銃弾が打ち込まれていた。
スローモーションを見ているかのように、彼女の顔が歪み、そして、血に濡れ、身体が前のめりに倒れていった。
ロスは、必死に彼女の名前を呼びながら、かろうじてその身体を受け止める。自分の手が、彼女の血でぬめっていくのが分かる。
膝をがっくりと床につけた。彼女の顔に流れる血を繰り返し、手で拭う。もう、かけるべき言葉さえも、何も浮かぶ事はなかった。
頭の片隅で、かつての自分も同じ事をしていたのだろうか、そんなどうでもいいような事を考えている。
彼女は、何かを訴えるように、一瞬、力のこもった眼差しで、ロスを見た。そして、そのままその眼は力を失っていく。
それと同時に、自分の体に幾つもの衝撃が奔るのが分かった。
視界が、闇に覆われていく――。
気付くと、ロスは何もない、闇の中に立っていた。自分だけが光に包まれたかのようにうっすらと光っているのが分かる。
結局、救えなかった。そう思って自嘲した。幻でさえも。
今得ている力、能力などが全て無駄に思えてくる。
結局、自分は大切な人を全て失ってしまうのだ。
だが、あの時とひとつだけ、違う思いを抱えているように思った。
そうだ、現実での自分は、あの、妹の何かを訴えるような眼差しを覚えていなかった。きっと、あの後に自分も撃たれて虫の息になったから、記憶が曖昧になってしまったのだろう。
幻覚は、曖昧になっていた記憶を鮮やかにロスの脳裏に焼き付けた。自分は改めて、はっきり、全てを失ったと理解させられた。
けれども。
突如、ロスの目の前に、スッとある警察官が浮かび上がった。あれから、絶望に陥った自分を救ってくれた恩人。
――お前が自分から死んだら、先に殺された家族達はあの世でお前を見放すぞ。お前はそんな弱虫だったのか、ってな。
ふと、自分が自殺未遂を起こし、生死の淵から戻ってきた時にかけられた言葉が甦る。
そして、眼を閉じて、あの妹の死の直前とは到底思えない、強い眼差しを思い浮かべる。
俺には、家族が残していった、代わりにやり遂げなければならない事があるのではないだろうか。
「俺は、前に進まなくては」
ロスは軽く自分の頭に触れた。色も変わり、短く切ってしまった自分の髪の毛。
途端に、先程のように、目の前が再び眩い光で覆われた。
今度は、それを強い意志を持って見つめる。
★★★
眩い光は、宝玉に吸い込まれ、先程と同じ風景がロスの周りを包んだ。
宝玉は、綺麗な丸い形をしていて、甘い飴のような橙色をしていた。
「……じゃあな」
ロスは静かに呟き、自分のあれから得た能力――炎を箱を持つ手に出す。
赤と橙が混ざった色の炎は箱を舐めるように包み、そして箱ごと宝玉を燃やし始めた。
宝玉は溶けるように、炎に混ざっていく。
後には、箱の燃えかすのみが残った。
「大丈夫でしたか!?」
ロスは男性の叫ぶ声のする方に、再び一歩を踏み出した。
シーン3
銀幕市の他の地域が暖かな日差しを享受している中、シャノン・ヴォルムスが向かった先だけは、分厚い雲が日差しを遮っていた。こんな近くでこの天気の違いがあるのも普通ではないが、銀幕市の事だ、きっと今日もこの近くで何かのムービーハザードが起こっているのだろう。
無論、シャノンが向かう先にも、一種のムービーハザードが起こっているのだが。
それにしても、今回の依頼は随分と性質が悪い。シャノンは対策課から貰ってきた地図やら例のピラミッドに関する資料やらを手に、静かに目的地へと向かっていた。
肉体的な傷や痛みなら、目に見えるし、傷を受けた時は痛いものだが、時が解決してくれる。
しかし、精神的なものは。例え時が解決してくれたとしても、目に見えない分、ふとした瞬間に目の前に傷口を見せつけてきて、再びその傷の痛みを思い知る事になる。
これ以上他の誰かが幻覚を起こす前に、片付けたほうがいいだろう。そんな事を考えながら、シャノンは目的の家を訪ねた。
中から出て来た依頼人の男性は、憔悴しきった表情だった。シャノンが依頼で尋ねた事を伝えても、微かに頬を緩めただけである。
ピラミッドから得体のしれない物を持ってきた事に、文句の一つでも言ってやろうかと思っていたが、何だかそれさえも気の毒に感じてしまうくらいに。
「……で、問題の宝玉とやらは、どこにあるんだ?」
結局シャノンの口から出て来た言葉は、棘などひとつもない、至って普通の内容だった。
「こちらです……」
依頼人は微かに頷くと、手で宝玉がある場所を示した。
「一回置いてしまったら、もうそこには近付くことが出来ずに……。それ以来、その近くを通る度に、幻を見せられてしまって困っています……」
宝玉は、何とその家のダイニングテーブルと思われる所に置いてあった。台所や洗面所などに行く為には、どうしてもそこを通らなければならないらしい。
おそらく宝玉は、一回何かの場所に落ち着くと、幻などを見せ始めるのだろう。
それにしても、ここに置かれてしまっては。これは本当に早急に処理しなければ。
「分かった。何とかしてやる」
「すみません、ありがとうございます……」
依頼人が頭を下げたのを横目に、シャノンは宝玉へと一歩一歩近付いていった。
宝玉は、窓から入る僅かな光を一杯に吸収して、瞬いている感じがする。深い森を思わせる緑。高貴な雰囲気が漂っている。
宝玉が大きく瞬いた。そう感じた瞬間、シャノンの周りに白い、深い霧が立ち込めた。
★★★
ふっと気付くと、シャノンは先程と同じ姿勢で、暗い地面に足を付けて直立していた。何だか身体はもちろん、意識までもが瞬間移動したような間隔に陥っている。
「ここは……」
これがあの宝玉とやらの幻か。そんな事を考えながら、シャノンは辺りを見回した。いつも片時も離さずに身に付けている十字架のネックレスの動く音がしないことに、その時初めて気付いた。
「は……?」
シャノンはほとんど暗闇と言ってもいい場所に立っていた。その暗闇が彼の本質である吸血鬼の感覚から、夜の暗闇である事がわかる。
その暗闇が、いつもと違う暗闇であることにも。
ああ、そうだ。
俺は、この場所を知っている。そう感じると同時にシャノンは全力で走り出した。
そう、俺はこの場所を知っている。
これから何が起きるのかも。
そして、それらから、決して逃げ出すことが出来ない事も。
いつも見る夢と、同じような、肌にまとわりつく夜の冷気。
あの時から、もう何年も経った。あの時以上の強さを俺は身に付けた。あの時とは違う。もっと俺は上手く戦える。
だから、せめて。幻の中では。幻では、護りきりたい。切羽詰ったような感覚の中で、シャノンはただ、それだけを願っていた。
しかし、その一端で、幻影でさえも、その事件を変える事は出来ないと理解もしていた。
それだけ、歴史の、過去が持つ重みは、強い。
しばらく走っていると、不意に眼前の視界が開けた。それと同時に、目の前を黒っぽい影が横切る。
それを横目で追い、足に力を込めて、軽く跳躍した。身体が中に浮くと同時に、拳銃を取り出し、つい先程いた場所を狙って、一発。
不意にその場所に黒い影が現れ、同時に醜い叫び声が響き、その場に倒れ伏す。
それを確認する間もなく、シャノンは足技を繰り出し、同時に銃で再び現れた黒い影を撃ち続ける。
辺りを埋め尽くす沢山の木々。その森の深さと同じくらいの勢いで殺気が満ちている。
敵は、十、二十なんていう可愛い数ではないようだ。
「上等だ……」
シャノンは黒い影を次々と地面に沈めつつ、ぼそりと呟いた。
過去の幻なんて、変えてみせる。
ある意味、それが一番残酷な所を目指しているのではないのかという微かな不安を払拭するかのように、彼は戦いの舞を舞い続ける。
それでも確実に、彼の身体には明らかに重傷と思わしき傷が刻まれていく。
その傷が、あの日と同じ場所に刻まれていることに、彼は気付かない。
一体、どれくらいの同胞を沈めたのだろう。あれから、凄まじい数の黒い影を沈めたのと引き換えに負った傷の痛みを半ばなだめすかすようにしながら、シャノンは走り続けていた。
辺りや、自分の体から漂う血の匂いが、これが夢でないことを思い知らせる。
だが、もうすぐだ。もうすぐであの場所に辿り着く。
今度はきっと、上手く戦える。
辺りには、まだ同胞がいる気配はない。どうやら、先回りできたようだ。
これで、リィナを護れる。そう思いながら、シャノンはやっと辿り着いく事が出来た、あの建物の扉を乱暴に開けた。
「リィナ!」
リィナの気配を追って、部屋の扉を開け、中に飛び込む。
「リィナ! ……無」
言葉を続けることが出来なかった。
そこにはシャノンの婚約者、リィナがいた。彼女はシャノンを見ると、緊張していた顔を緩め、安堵の表情を浮かべて、こちらに走り寄ろうとした。
丁度、窓に背を向ける形で。そして、その窓の外には。
同胞の、銃を構えた姿。
叫ぶことも、飛び出すことも、突き飛ばす事も、何一つ出来ないままに、甲高い音が、何発もシャノンの耳に届いた。
リィナの蒼い瞳が、驚きに見開かれる。
ゆっくり、身体が床に沈んでいって。
凄まじい血の匂いがシャノンを包む。
一瞬を永遠に感じた。
「……っ! リィナッ!」
我に返って駆け寄った時には、もう全てが遅かった。リィナの身体には、致命傷と思われる傷が幾つも幾つも刻まれていて。床に流れる、沢山の血。
自分が負っている傷の痛みなんかとは比べ物にならない、心臓が引き裂かれそうな痛みが身体を覆った。
ただ、愛する者と共に生きたかっただけなのに。
何故、それさえも叶わないのだろう。
リィナは、俺の全てだったのに。
何故、彼女が死ななければならない?
「リィナ……リィナ……」
シャノンはただ、ただ、彼女にそっと触れ、名前を呼び続けた。
そして、不意にふ、とリィナは緩やかに目を開けた。
「リィナ……!」
シャノンの声に、リィナは口をそっと震わせ、微笑みの形を作った。シャノンをいつも安らげる微笑み。 何故か切なさがシャノンを襲う。
唇が僅かに動いた。その僅かに動いた唇から発せられたその声は、常人には分からないものだったろうが、シャノンの耳には確実に届いていた。
生きて。
あなたは、生きていて。
いつも穏やかだったリィナの、声は小さいものの強い意志のこもった言葉に、シャノンの身体が思わず震えた。
その瞬間、シャノンの視界が暗闇に覆われた。
耳に、はっきりとリィナの言葉を残して。
再び最初と同じような感覚を持ちながら目を開けても、やはり周りは暗闇だった。夜の闇でもない、完璧な暗闇。そこにはリィナはいなかった。
「リィナ……」
呟きながら掌を見ると、そこにはリィナの形見の十字架のネックレスがあった。
それを見た瞬間、黒い、黒い沢山の負の感情が湧きあがってくるのを感じる。
自分が護れなかったやりきれなさと。リィナを殺した同胞への憎しみと。
復讐なんて空しいだけだ。確かにそれは正論だ。だが、世の中そんな綺麗事みたいな感情で、割り切って、リィナを無理矢理忘れて生きることなんて出来る訳がない。
俺は前に進まなければ。シャノンは強く感じた。この同胞を狩り続ける復讐の誓いと、リィナのあの願いの為に。
そんな生き方があっても、いい。きっと俺はそのようにしか生きられないのだ。
シャノンは十字架を首に掛けて、それに手で触れた。
俺に、力を。勇気を。希望を。
そう願った瞬間、闇が霧に代わり、一気に霧が晴れた。
★★★
おそらくあの幻を見ていた時間はほんの一瞬だったのだろう。依頼人の家に戻ってきたシャノンは最初にそんな事を思った。ほんの一瞬だったが、随分と長い時間を過ごした気がする。
宝玉は先程と同じ場所に置いてあった。シャノンは銃を取り出し、素早くそれに向かって銃弾を撃ち込んだ。
あっけなく、脆い、ガラスが崩れるような音がして、宝玉が粉々になる。一瞬、宝玉の欠片が輝いたと思った時には、もうそれは溶けるように消えていってしまっていた。
「よかった……」
背後に依頼人の安堵のため息の音がする。また、いつもの日常に戻ってきた。ふとそんなことを思った。
シャノンはかつて宝玉があった場所に背を向け、静かに一歩を踏み出した。
強い意志を再び胸に抱いて。
シーン4
「……あ」
「お」
「おう」
丁度対策課に戻る途中、三人はばったりと顔を合わせた。まあ、目的の場所が一緒なのだから、その確率は高いのであろうが。
「何とか、無事に破壊できたみたいだな」
ロスが、二人の顔を見つつ言った。やや乱暴気味に聞こえるのは、いつもの事である。
「当たり前だ。そんなものに負ける訳がないだろう」
シャノンは余裕たっぷりの表情で言う。西村が何か言う代わりに、肩に乗っている鴉がカア、と一声鳴いた。
その時、宝玉の呪いが微かに残っていて、三人揃って力を増したからであろうか、三人の前に、ひとつの幻が広がった。
それは、宝玉の持ち主の幻のようだった。
最初は幸せそうな王がその宝玉を首辺りに身に付けている。彼は生きる事に充足を覚えたかのような満ち足りた表情をしていた。
だが、王のその表情は次第に翳っていく。
政権争い。
覇権争い。沢山の戦。死んでいく、自分の国の民達。
そして王宮内部の泥沼化している、王位争い。自分の子供達が、妻が、様々な不審死を遂げていく。
そして、その暗い影は王自信にも襲い掛かって――。
どうして、こんなにこの国にはこんなに暗い影が満ち足りているのだろう。
始めはあんなに光溢れていたのに。
物言わぬ宝玉は、全ての出来事を見ている。その暗い力を、すこしずつ自身の中に溜め込みながら。
やがて、その力は宝玉から溢れ出して――。
宝玉は、人に悲しみを見せていくようになって――。
幻は、そこで消えた。
「持ち主の暗い出来事が、宝玉にあのような呪いの力をつけていたのだな」
「宝石や石などは、霊性が強いものは、そのオーラのようなものを吸い取る力があるそうだしな」
「きっと、す……こし、でも持ち主さーん……、の悲しみを吸い……取って、あげようと思っていたーん……ですよ」
西村の言葉に、二人は一瞬思案顔になり、そして頷いた。
「そうだな」
「ああ。どんなに今が暗くても、少しでも前に進めるように」
決して、過去の記憶は綺麗なものではないけれど。
でも、それがあるからこそ、自分は今日もここにいる。
三人は再び静かに歩き出した。
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クリエイターコメント | ご参加頂き、ありがとうございました。ギリギリのお届けになってしまって申し訳ないです。シナリオをお届けさせて頂きます。
今回、初シナリオを書かせて頂きましたが、皆様、本当にこんな得体のしれないライター(まて)のシナリオにご参加頂き、ありがとうございます! 感謝感激です。
哀しいけれども、どこか強さのあるプレイングをありがとうございました。 今回、皆様は、過去の自分の中にそのまま魂が入ったような形で幻を見て頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 何だか随分捏造してしまったような気がしてそわそわしていますが、ひとつの記憶の形として、皆様の心に届くものがあれば幸いです。
いつか、過去の記憶が、皆様にとって強さの欠片となりますように。
またいつか、シナリオでお会いできると嬉しいです。
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公開日時 | 2007-05-21(月) 19:10 |
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