★ 【アズマ研究所襲撃】誓約 ―I pledge to be loyal to...you.― ★
<オープニング>

 ──明日、ムービーキラー・ミランダの身柄を渡してもらう。

 その紙切れには、簡素な黒いマジックでただそれだけ書いてあった。
「心当たりは、あるんか?」
 竹川導次は紙片から目を上げ、目の前の人物に尋ねる。
「無い」
 一言で答えたのは、奇妙なゴテゴテした機器のついたゴーグルをかけた初老の
男である。名は、東栄三郎。七月にこの街にやってきて、一躍有名人になった人物だ。
 そしてここは、アズマ超物理研究所。海辺の倉庫街の一角に居を構えた彼らは、あの騒ぎの後、特に何事を起こすわけでもなく、何某かの研究を進めていた。
「ミランダ、か」
 導次は眉をひそめ、ゆっくりと横を向く。
 視線の先には強化ガラスがあり、その向こう側に話題の人物がいた。ミランダだ。
 青白い光の下で、簡素なパイプベッドに腰掛けてうなだれたように頭を垂れている。

 ミランダを奪還する──。その予告がアズマ超物理研究所の正面玄関に張られていたのは、正確には昨日のことになる。
 非常に簡潔な文章である分、有無を言わせないものがあった。これは、つまり力付くでもミランダを奪う、という意味であろう。
 東は早速、市の対策課に連絡を取り助けを求めた。──これは悪役会とやらの仕業じゃないのか、と余計な一言を添えて。
 導次が、今日この場にいるのも、その一言のせいであった。
 話を聞いたとき彼は、アホ抜かせ、何をカンチガイしとるんやあのジジイ、バラされたいんかと、キレかかったのだが。それでも彼はアズマ超物理研究所にやってきた。自分の手勢を引き連れ、ミランダの身柄を守るために、だ。

「誰が来るか、分からんからな」
と、前置いて、導次はガラスの中の女を見ながら続けた。「この女を、どこか別の場所に移送することも考えておきたいんや」
「というと?」
「ここに連れてきた時みたいに、他に移せるようにしとけっちゅうことや、ボケ」
「ボケ?」
 東は、不幸にしてヤクザという人種との付き合いは浅かった。
「その表現は間違っておるぞ、竹川。我輩の頭脳は明晰にして、優秀。霞のかかるような状態になる、すなわち"ボケ"という状態に陥ることはそうそうは──」
「分かった分かった。なんでもええから、とにかくミランダを動かせる状態に……」

 その時、遠くでドォンと大きな音がした。続いて、振動。細かいチリが、パラパラと導次と東の頭上にも落ちてきた。

「──襲撃か!?」
 悪役会のボスは、言葉を切って隻眼を光らせた。一転。とにかく用意しとけや、と東に言いつけると、彼は素早い身のこなしで廊下へと飛び出した。
 窓を見れば、どこかから黒い煙のようなものが昇っているのが見える。正面玄関の方だ。
 親分、と、手下の男が二人駆け寄ってくる。
「相手はどないな連中や?」
 その二人を伴い、すぐに導次は走りながら尋ねた。
「敵は一人です!」
「一人ですが、もう一体デカいのが──」
 ダン! 導次は手下の言葉を聴き終える前に、玄関へとたどり着いていた。観音開きの戸を開け、彼は目の前で暴れまわる影を見上げた。
 彼の手下──悪役会の護衛チームと戦うその姿は、彼の想像のどれとも違っていた。
 巨大なドラゴンと、その背に乗った若い女。剣を持ち、眉をキッと寄せた強いまなざしが導次のそれとぶつかった。

「ミランダの身柄を渡してください!」

 戦乙女、リーシェ・ラストニア。
 それが襲撃者の名前だった。
「──ど、どうなっとるんや!?」
 さすがの導次も、予想外の相手が現れたことに、その姿に。残った片目を丸くしていた。


★ ★ ★


 リーシェは、つと研究所を襲わせていた自らと共にいる竜の攻撃の手を止めた。ふいとその場にいる、全ての者達から視線を逸らし、そして竜の背から飛び降りる。
 ふわり、と一瞬、彼女の服が風にはためいて、丸みを帯びたかと思うと、次の瞬間にはひゅ、と風を切り、足音も軽く地面に足を着けた。
 竜は相変わらず、リーシェの後方十数メートル上を滞空したままである。
「……頼む」
 強い意志を放ったまま、それでもその言葉に、表情に半ば懇願の色をリーシェは浮かべていた。その場にいた、悪役会の護衛チームの全ての者達が、誰もがその敵の姿も、そしてその敵が浮かべるその表情も、彼等が想像していたものとは明らかにかけ離れていたそれに、困惑と、そして驚きをない混ぜにしたかのような感情を抱えていた。
「……頼まれたって、はいどうぞ、と渡せるもんじゃないことぐらい、お前にも分かっているだろうに」
 護衛チームのひとりの、リーシェに一番近い所にいた、三十代前半くらいの、頭を短く刈り上げている男性が、ぼそりと呟く。
 彼女は、その言葉に、口の端を上げたかのような、それとも、眉根を僅かに顰めたかのような、微妙な、些細な変化を見せるのみであった。
 それはまるで、大事な探し物が見つからずに、途方に暮れている小さい子供のような。
 だが。
「あくまでも抵抗するのであれば――」
 その言葉と同時に、リーシェは全ての表情を心の奥底に封じ込めてしまったかのような、完璧な無の表情をその端整な面持ちに浮かべ。
 リーシェの持つ、白銀の細身の剣が、陽を受けて、光を帯びる。
 ぶわり、とその場にいた彼らの服が、髪が、風にたなびいた。その風がまるでその場の音を全て持ち去ってしまったかのように、その場の音が消え去った。
 彼女の銀の髪が一部、風に流されていく。リーシェの顔が、ほんの一瞬、上を向いたように見えた――まるで、空を仰いだかのように。
 そして、形のよい唇から、全てを押し殺した、月の光のように冷えた、そして冴え冴えとした声音の言葉が紡がれていた。

「――私は、お前達を殺さなければならない」

 その完璧なまでの無表情な紫の視線は、声は、一般人よりも遥かに戦い慣れし、人が発する殺気というものにも慣れている悪役会の護衛メンバー達さえも固唾を呑まずにはいられない、背筋に冷やりとしたものが奔るのを感じざるを得ない程の凄まじい冷たさの殺気であった。
 その言葉で、リーシェが本気で彼等を潰そうとしているのを理性よりもずっと奥の、本能で感じ取る事が彼等には出来ていた。
 そして、研究所と、自らを護る為に彼等は動き出してもいた。
 それでも、彼等の頭の片隅には、疑問が残っている。

 ――どうして、彼女が?

 彼等の疑問をよそに、リーシェは、先程彼女に言葉を返した男性に向け、一歩を踏み出した。次の瞬間、彼がまばたきをした間に、その男性の前方、丁度剣が振れる間合いにリーシェの身体は移動を終えている。
 そしてリーシェは、その場に着くと同時に、その冴え冴えと煌く剣を右上方に振り上げた。


★ ★ ★


 その日も、市役所の一角に設置されている対策課は、ヴィランズの退治の依頼やら、ムービーハザードの出現やらで、多忙を極めているようであった。
 勿論、植村直紀もその例に漏れる事は無く、彼はひたすら書類の作成やら、窓口に来る市民からの相談への対応やら、市民からの苦情への謝罪やらに追われている。
 そんな中、彼の元へ、息を切らせて一人の職員――主に研究所の依頼を担当している、灰田汐が飛び込んできた。
「た、た、たたた大変です!」
 その言葉に、植村はちらりと机の上に置いてある、例の胃薬に目をやった。思わずため息をつきそうになるのを何とか堪える。
「何が起きたんですか?」
「その、研究所の、あの予告状の件なんですけど――、実際に襲撃を仕掛けてきたのが、リーシェさんなんですっ!」
「えええっ!?」
 襲撃か何かしらが起きるのは彼の予想の範囲内の事であったが、まさか研究所を襲撃してきたのがリーシェである事に、植村は心底驚きの声を上げた。
 リーシェは、実体化してからは、自分の剣などの腕を生かし、よくヴィランズ退治などの依頼を受けに来ていたので、植村も見知っていた人物であった。まあ、多少の危険人物ではあったが。
 それでも、今回のような行動に移るとは彼には到底信じられなかった。
「ひ、ひとまずホーディスさんに連絡――!」
 植村は対策課に備え付けられている電話を引っ掴むと、ホーディスの携帯の番号を探し出し、電話を掛け始めた(リーシェが破壊魔な行動を起こした時の緊急連絡先が常にそれであるらしい)。
 機械的なダイヤル音が数回続いた後、受話器からは人の声が流れ出してくる。
「お掛けになった番号は、現在電波の届かない所にあるか……」
「……通じない?」
 植村は、半ば呆然と受話器を手にしたまま、呟いた。隣で、灰田が叫んでいる言葉が機械的に耳に飛び込んでくる。
「今、ラストニア家での、住み込みのお手伝いさんが教えてくださったんですが、ホーディスさんは今はお家にはいらっしゃらないそうです!」

 ――だとすると、一体、彼は?

★ ★ ★
 
 
 私は、小さい時から国の民を第一に護るように聞かされてきた。
 私にとっても、民、自らを慕ってくれる人、全ての命が大切であった。
 だが、それ以上に、護りたい人が、いた。
 その人を護る事で、この国における自らの居場所も見出す事が出来ていたから。
 そして――。


 斜め右上から下へと、閃光が奔った。
 ざしゅ、と手に鈍い感覚。それと同時に、自らの顔に生温いものが降りかかるような感覚を覚えた。
「が、ふっ……!」
 口からごぼりと肺からの血液を噴き出させながらゆっくりと地に伏していく男性。どさり、という音を聞くか聞かないかのうちに、彼はフィルムに変じ、からん、という乾いた音を立てて地面に転がっていく。
 隣で、鮮やかな橙が踊りあがった。彼女と共にいる竜が、細く範囲を絞ってブレスを吐いたのだ。 その灼熱の炎は、護衛チームの幾人かをあっけなく巻き込み、建物の一部をどろり、と溶かしていた。竜へと幾人かが走り、刀や銃弾をその鱗へぶつけていたが、彼の鋼のごとき強さの鱗は、そのことごとくを跳ね返していた。
 一気に音を取り戻した騒乱の場の中で、渦中の人物であるリーシェは、自分の行動、そして周りの声や景色を半ば他人事のような気分で自らの視界の中に入れていた。
 ――私の行動を見て、ホーディスは私の事をどう捉えるのだろう。
 感謝の気持ち? それとも、見下して、突き放すのだろうか?
 きっと、見下して、突き放すんだろうな。そう思って、自嘲の笑みを浮かべつつ、機械的に剣を目の前に、怒りの表情を持って飛び込んできた護衛チームの一人に向かって振り下ろす。
 剣と刀が打ち合う鋭い音。そして散る火花。

 いっそ、心を無くした人形になってしまいたかった。ただ戦う為だけにいる、人形に。
 自分は、何を護る為に、この剣を振るっているのだろう。
 あの時、生きてきた中でただひとり、自ら膝を折って誓った人物の為?
 それとも、その時の誓約の言葉の為?
 私の剣は、命を救う為にあるのでは無かったのか。
 私達の命は、民の為にあるのでは無かったのか。

 頭の中を際限なく巡る、どうしようもない疑問。やりきれない、黒々とした、感情。
 そんな中、彼女の頭の中に、新たな疑問符が浮かんでくる。
 それは彼女自身に対するものではなく、彼女を取り囲む、護衛チームに関する、素朴な疑問。
 剣を放すと同時に、後方に跳び退ったまま、次の攻撃を仕掛けてこないリーシェに、今まで彼女と対峙していた男性が、不審さに眉を顰める。
 そんな彼に、リーシェはぽつりと、言葉を放った。
「なあ、お前は何の為に、自ら生死の狭間へと、飛び込んでいくんだ?」

 ――何の為に、あなたは戦うんだ? 

 それは彼女の、今の苦しみの源泉にある疑問なのかも、しれない――。


種別名シナリオ 管理番号271
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
クリエイターコメント今回、巻き込んで巻き込まれた結果、アクションの大御所WR様方とご一緒してシナリオを出す事になり、恐れおののいている志芽です、こんにちは、そしてはじめまして。

今回の依頼は、ミランダ奪還の為に、研究所を襲撃してきたリーシェと竜から研究所を守る、というものになります。(ホーディスを奪還するという依頼ではありませんので、ご注意下さいませ)

プレイングに盛り込んで頂きたい事が幾つかございます。
・どうやって、研究所を守るか(リーシェや竜と真っ向から血みどろな戦闘を繰り広げる、それとも必死に説得を試みるなど。)
・何の為に戦うのか。(もちろん肉体的な意味以外の戦うという事でも大丈夫です。)
ひとまず、この二点を最重要視でお願いしたく思います。

以下に、リーシェと竜の戦闘時の特徴を書きますので、ご参考にして下さいませ。
リーシェ
・剣技、格闘技は師範の腕前。魔法もチラリと使う時あり。
・身軽なので、力で男性に負ける分、速さを生かした戦闘が特徴。
・ちなみに、風の魔法を使って速さを倍増させているので、一般の男性ではまず追いつけない速さ。
・精神は結構脆いタイプ。

・灼熱のブレスを吐く、ブレスの温度は数千度とも言われている。
・鱗は硬いので、基本的に刃や銃弾などは弾く場合が多い。
・鋭い爪も攻撃に使う(鋼並みの硬度です)。
・勿論、飛ぶが、動きは基本的に鈍い。

なお、今回の【アズマ研究所襲撃】事件は、同一軸でのものとなりますので、重複してのご参加はご遠慮くださいませ。
スケジュールの都合上、執筆時間を多めに頂いております、ご了承ください。
それでは、よろしくお願い致します。

参加者
ルースフィアン・スノウィス(cufw8068) ムービースター 男 14歳 若き革命家
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
<ノベル>

 鎮国の神殿は、本日も魔法などの暴走は起きていないようで、いつもの姿で穏やかな時間を過ごしていた。
 だが、何か違う。今日もその場を訪れようとしていたバロア・リィムは、黒塗りの重々しい正門の前で首を傾げた。その心の隅にぽつりと浮かんだ疑問は、門をくぐり抜け、入り口の扉の前に着いた時、氷解していた。
 そうだ、扉が勝手に開かないのだ。門も、そういえばくぐり抜けてき来ていた。
 ホーディスはいつも大抵この城にいる。例えいない時でも勝手に扉は開いていき、バロアはそれをくぐり抜けるだけで済んでいたのだ。
 だが、今日はこの城に一切の魔導の気配を感じ取ることは出来ない。
 一体どうしたというのだろう。さらに首を傾げながらも、彼は自分の手で扉を押し開け、奥の書庫の入り口の扉も押し開けていた。
「……」
 いつもの受付にある、ホーディスが座っている椅子は空っぽであった。受付には、どうやら読みかけらしい分厚い本が一冊、しおりを間に挟んだ状態で閉じられて置かれている。その本の名は、魔導の特殊な言語等で書かれているからか、見たことのない綴りではあったが、似たような綴りは、バロアの脳に記憶されていたようであった。
「……にん、ぎょう……か? 一体何……?」
 人がほとんどいない書庫に響いた彼の声は、突然どこからか発せられた魔力によって遮られていた。
 ふとバロアの青の瞳が、強さを帯びる。
 彼は入り口へと首を巡らせた。
 銀幕市には、バロアやホーディスの他にも、独自の言語を解き明かし、魔力を行使して魔導や魔法を発動する事の出来るムービースターは大勢いる。バロアも勿論それは承知済みの事であるし、今発せられた魔力が、彼のよく知らないものであったのなら、バロアはそれをそのまま受け流していた事であろう。
 だが、その魔力は彼のよく知るものであり、何より今のちょっとした心配の種となっているものであった。
 ホーディスの微弱ながらも、それでもどこか電波を彷彿とさせる魔力は、明らかにバロアの良く知る、彼の魔力の形態であったのだ。
「……?」
 バロアは咄嗟に、その魔法を感知出来ないかと外に飛び出つつ、その魔力を受信出来るような魔法を組み立てていく。
 「影よ、空に一輪の花となれ」
 彼の真下に潜んでいた影が少しずつ形を成し、そして頭上にふわりと広がった、花びらのような半透明のアンテナ。
 そのアンテナは他の幾つかの魔力と同時に、そのホーディスの魔力をも捉える事に成功していた。
 ノイズのように途切れつつも、脳裏に広がるイメージ。それは朧なるものであったが、バロアに彼の状況を理解させるには十分過ぎる程であった。
 そしてその時、彼の視線の先に、橙の火柱が家の屋根を超えて噴き上げていた。同時に再び感じる、ホーディスに良く似た微力ながらの魔力。
「……そういう事か……!」
 バロアはその火柱が上がった先を真剣味を帯びた瞳で見据えた。
 そして手を前に翳し出し、瞳を伏せていった。


★ ★ ★


 彼らが瞼を開いた先にあった世界は、惨劇の始まりと化していた。
 研究所襲撃で慌てふためく対策課から急遽新たに現場へと派遣された、ルースフィアン・スノウィス、そして李 白月は、その場にほんの僅かの時間立ち止まった。
 彼等の衣服を血と灼熱の炎によって焦げた匂いを帯びる風が、そよいでいく。白い髪が、その風に攫われて。
 研究所の正面は既に半分以上が黒く焦げ、一部分は高温の熱によって溶け出している所も見受けられた。
 そして、その前で研究所を守るべく戦っていた護衛チームの面々は、皆誰もが大きな傷を負っていた。肩口から、腹部から、足から腕から零れ落ちる血、血。
 地面にはどろりと黒い染みや、未だ新しい鮮血の染みがあちらこちらで広がっている。そして護衛チームも人員を減らし、立ち上がっているのは残り数人。
 その中央に立つリーシェもまた、幾ばくかの傷とそして彼等の返り血で服を染めつつも、未だ武器を放す事無く戦い続けていた。
 彼女の横で共に戦っていた竜が、ふとこちらに顔を向ける。二人も、竜が向けた視線に気が付いたようである。
「おー、何だかやべえ感じだな」
「そうですね。……ひとまず竜の攻撃は僕が防ぎますから、白月さんは、その隙に」
「……ああ、分かったぜ」
 短く会話を交わして小さく頷きあう。それを知ってか知らずか、竜は前足で護衛チームの面々の内二人を薙ぎ払うと、かぱりと口を開いた。
 鋭くて大きな牙が並ぶ奥から、赤い光が見え隠れしている。と思った次の瞬間、その口から、灼熱の火が噴き出してきた。
 竜のブレスは真っ直ぐに二人の立つ位置まで伸びてくる。赤い炎が、壁のように、海岸に打ち寄せる波のように、二人の前に立ちはだかろうとしていた。
 つい、とルースフィアンが指を振った。その次の瞬間には、彼の身体から魔力が放たれ、それが巨大なそして背の高い、青い氷の壁となって炎とぶつかり合っていく。
 じわりと二つの魔法が拮抗し、やや少なめの魔力で創られた氷の壁の上部が溶け出していく。そしてそれと同時に、炎の威力もじわりと弱まっていっていた。
 青と赤の色が混ざっていく中、白月が走り出した。それを見て、ルースフィアンは壁に僅かに切れ目を入れるように再び魔法を放つ。
 ざわり、と大気が揺れて、巨大な氷の壁の一部に縦にすうっと切れ込みが入り、人が通れる程の隙間が出現した。
 白月はその瞬間を見逃す事無くその隙間を通り抜け、壁の向こう側へと向かう。肌に感じる、異常に上がる外気温度。
 背中に、うなじにチリチリ粟立つ何かを感じながら、息を整え、どろどろに汚れた地を蹴った。
 ぶわりと、括られた髪が身体の後ろになびいていく。
 竜の中でも、柔らかそうに見える部分を狙って、気を上乗せした蹴りで一撃を加えた。足に反動の衝撃が奔る。
 一旦地面に落下しつつ竜の様子を伺ってみるが、やはりかなりの衝撃を与えたつもりでいても、向こうにはそんなにダメージとはなっていないようであった。
 だがしかし、竜は邪魔か何かと受け取ったようで、白月にぎょろり、と目を向け、その鋭い爪を有した前足を振り上げた。
 白月もそれに対抗しようと棍棒を眼前に構えたその時、その横から鋭い気配。
 リーシェがこちらを見据えて、剣を構えつつあったのだ。
 一体とひとりがこちらに向けた殺気に、ざわりと白月の背中に冷たい線が奔った。二つの鋭い牙が同時に白月に襲い掛かろうとする。
 その時、白月の頭上でぎりりりりと、金属がぶつかり合うような鋭い音が響いた。
 彼はそれを聞いてか聞かずか、リーシェの突きを横に前に足を踏み、流麗に彼女の剣を避けていく。ざらりと響いて舞う、彼等の足音。
 その時頭上では、竜の前足の付け根部分に氷の刃のようなものが突き刺さり、竜の動きを止めていた。といっても完全に貫通した訳ではなく、竜が力を込めて足を振り切るとその刃はするりと抜け、地面に落ちて粉砕されていった。
 竜の目線は、完全にルースフィアンへと向けられている。
 竜に睨まれて尚、いや、だからこそルースフィアンの整った口元が、笑みの動作へと動いていく。
 その表情にはどこか不思議な、艶めいた雰囲気も漂わせて。
 そして彼は杖を移動し、一歩前に右足を踏み出そうとした。
 白月とリーシェは距離を十メートル程取って、向かい合っていた。僅かだが、二人の動きが止まる。
 二人の間に奔るのは、決して殺気だけ、とは言えない空気が、気配が奔っていた。
「止めてくれ……っつても止まるひとじゃねえよな」
 白月はそう呟き、一瞬だけ苦笑する。そしてその笑みをすぐにしまい込み。
 未だ無言のリーシェへと、一歩を踏み込もうとした。
 

★ ★ ★


 梛織は、どうしてもその一歩が踏み出せずにその場でただ立ち尽くしていた。彼の視線の先には、何やら突然変形して出現した、怪しげな機械と共に移動しているミランダの姿が小さく見える。
 彼は、自らにとってのアクションの師匠であるミランダを守ろうという決心の下に、この場を訪れていた。
 だが。最後の一歩がどうしても踏み出せない。
 この一歩さえ踏み出すことができれば、自分はすぐさま彼女の所へ走り、護送に参加する事が出来るだろうと思っているのだが、どうしても踏み出せない。
 ――理由は、自分でも勿論理解していた。
 ミランダの、彼女の突然の変化に、彼の心が追いついていかないのだ。
 おそらく今の自分では、あのまま彼女の近くに行っても、自身のこの戸惑いが、周りに、そして何よりも自分自身に歯痒い思いをさせることが明らかでであった。
 それでも、守りたいという思いに偽りや迷いは一切無い。
 そこまで考えた時、大地を打ち砕く轟音と共に彼の後ろで火柱が再び上がった。一気に自らの体感温度が何度か上がった気がする。
 勿論梛織は、ミランダを気にかけると共に、リーシェの突然の行動にも驚きを隠せないでいた。
 彼女とは戦いもしたが、普通に言葉を交わしたことも、共に行動した事もあったから。
 このままではいけない。彼女も止めなければならない。
 そしてそれが、ミランダを守ることにも繋がるのなら。
 彼は振り向き、後ろへと一歩を踏み出した。
 その瞳に今度は揺ぎ無い光を湛えて。


 正面玄関の所まで来て、梛織の足は再び止まった。本能的に。
 やはり未だに彼女の行動に自分は未だ当惑しているのだ、と半ば苦笑しながら、辺りを見回す。リーシェとは一度やりあったこともあったので、やはり生身の身体でぶつかっていくのは難しい、と判断しての事である。
 現場には、既に白月とルースフィアンがリーシェ達と戦闘を繰り広げているた。
 最初にその横を通り過ぎた時よりも、一気にその場の色味が増し、鮮やかになっていた。緋、赤、橙。青、蒼、水色。そして白。
 首を捻って右斜め後方まで目をやった時、地面にどうやら襲撃を受け、建物から剥がれ落ちた灰色のやや太めな、そして頑丈さは申し分ないパイプが目に入った。
「お、これはいけそうだな」
 彼はひとつ頷き、それを拾う。ごん、と壁などに何回か打ち付けてさらに頑丈である事を確認すると、前を見据え、今度こそ大きく右足を踏み出した。


★ ★ ★


 白月は、リーシェに接近して攻撃を仕掛けようとする為に、一歩彼女へと踏み込もうとしていたが、一瞬後、彼は大きく右へと跳んでいた。
 その瞬間、その場に竜の左後ろ足が、大きな地響きと共に沈み込んでいた。竜は口を再び開きつつ、右前足で攻撃を仕掛けるべく、大きく左前足を振り上げつつある。明らかにそれは、ルースフィアンを狙ったものであった。
 ブレスは魔法で防げるから大丈夫だとしても、前足の攻撃は、大丈夫だろうか。
 ――彼は速く歩く事が不可能なのだ。
 白月は自分の思考の行き着いた先にハッとなり、彼に叫びかける。
「ルースフィアン! マズイぞっ!」
 そして叫びつつ、自らもその攻撃を防ぐ為に、気を右腕に乗せていった。
 だが、勿論その為に起きる躊躇をリーシェが逃す筈も無い。彼女はふ、と息を吐いて一歩を踏み出した。
 再び彼の背中に冷たいものが奔った瞬間、彼女は後ろへと振り返った。
 そこには、パイプを両手に構えた梛織がきりりと前を見据えて跳んできていたのだ。白月はひとつ息を吐き、前足を見据えてひとつ、跳んだ。
「僕は大丈夫ですよ、白月さん」
 ルースフィアンは笑みを浮かべたままそう言うと、再び指をつい、と動かした。
 その瞬間、竜の顎の辺りで小規模な爆発が起きていた。
 微かに爆発の色が青い。
 跳んでいた白月の頭上に、冷たい冷気のようなものがパラパラと落ちていく。
「はっ!」
 予期せぬ衝撃を受けてやや後ろへと身体を傾かせた竜の前足に、白月の気を乗せた力強い押しが加えられた。
 ばり、と竜の皮膚に衝撃が奔り、一部分が裂けて血液が溢れ出していた。
 そして、竜はとにかく先ず体勢を立て直そうと、ばさりと背中に収まっていた翼を動かし、身体を元の位置に戻そうと試みていた。
「うわっ!」
 竜の広げた翼によって突風が起き、その場にいた白月は後方へと吹き飛ばされていく。


「悪いけど……今ここで取り返しのつかない大罪になる前に止めさせて貰うっ!」
 梛織のその叫びと同時に、二人の剣とパイプは盛大にぶつかり合った。その場に響く、金属がこすれる鋭い音。
 梛織は頑丈とはいえ、刃物程の強度を持たないパイプを破壊される前に、ひとまず後方に飛びのく。
 一旦距離が開いた二人の間に、竜の翼が巻き起こした強風によって吹き飛ばされた白月の身体が地面へと投げ出された。
「ぐ、うっ……!」
「白月!」
 何とかギリギリの所で受け身を取ったようで、背骨が折れるという致命傷は避けたようであったが、相当の衝撃が掛かったようである。息が詰まったような声を出しつつ、それでも何とか起き上がろうとしていた。
 梛織は突然の闖入者に、驚きと心配を織り交ぜた表情を浮かべつつ、反射的に白月に駆け寄っていった。
 だが。半ば戦闘の人形と化し始めていたリーシェがそれを許す事は無い。
 彼女はすっと剣を右上段の位に構えつつ、一歩を踏み出していた。
 唐突な彼女の行動に気付いた梛織は、反射的に身構えつつ、咄嗟に叫んでいた。
「リーシェさんはそこまでして戦いたいのかっ!?」
 その言葉が放たれた一瞬だけ、リーシェは攻撃を躊躇したかに見えた。無表情を貫いていたその面が、一瞬だけ歪んだようにも見えた。
 だが彼女はすぐにその表情をしまい込み、大きくその剣を振りかぶる。
 ざしゅり、と音がして、白月の前に立った彼の肩口に刃が潜り込む。その時だった。
「闇よ、我の力と共に」
 短い、澄んだ詠唱が彼等の耳に届くと同時に、リーシェと梛織の間に、どろりとした粘着性のある、黒いものが壁となって立ち塞がった。
 リーシェは反射的に刃を抜き、後ろに退く。その間に白月は体勢を立て直し、梛織は鮮血が溢れ出る肩を抑えつつ、壁から一歩、また一歩、後退した。
 役目を終えた壁は、どろりと溶けて地の影に潜っていきつつあった。
「……バロアさん」
 一番初めに彼の魔力に気が付いたルースフィアンが、竜とリーシェとを警戒しつつ、後ろに顔を向け、呟いた。
 彼等からやや離れた位置に、するりと、僅かな音を立ててバロアが現れていたのだ。
「やっぱり、こうなっていたか……」
 バロアはぼそりと呟くと、ひとつため息を吐いた。


★ ★ ★


 バロアの出現によって、正面玄関周辺には一瞬静寂が訪れていた。
 彼等の周りでは、忙しくあちこちを動き回っている導次の指示によって、怪我人が運び出されていたりで、今リーシェと竜を止められるのは、実質四人だけのようであった。
 遠くの方では、銃声やら魔法やらが放たれる独特の音が響いている。
 そんな中、リーシェはつと四人を見回し、それから竜の方を向き、ひょいと手を振った。その動きを認めた竜は、ばさりと翼を動かし、高く飛び立つ。
 空へ。青い、空へ。
「どこへ行くんだ?」
 白月が竜の動きを見ながらぼそりと呟いた。竜は上昇する動きを止める事無く、高く、高く昇っていく。やがて、ばさり、という羽音も聞こえなくなり、竜の姿も上空の雲に紛れて消えてしまっていた。
「どういうつもりだ?」
 白月が消えた竜を見やり、それからリーシェに向き直った。リーシェは何かしら竜に指示を与えたようであるが、それは飛び去れ、と言う事なのであろうか。
 この人員が増えた時に、そんな無謀な事をするのだろうか。彼等の脳裏にそんな疑問が浮かぶ。
 だが、リーシェはふ、とひとつ笑みを浮かべただけであった。
「さあな。好きにしろ。私は戦うのみだ」
 その言葉と同時に、鋭い剣の切っ先を白月に向け、次の瞬間には彼を攻撃できる間合いにと踏み込んでいた。白月が衣服の一部を切らせるギリギリの間合いで避けると同時に、彼の棍棒が風の抵抗による唸りを上げてリーシェに襲い掛かる。
 彼女はそれを頭を屈め、ギリギリの所で避けきった。何本か髪の毛が巻き込まれる。ぴん、という髪が切れる音が響く。
 そのままリーシェが攻撃に切り替えようとしたその時、彼女の頭の中にぱしり、と、何かの雑音のような、パルスのような音が流れ、続いてとある声が響いてきていた。

「本当か?」

 それはバロアの声であった。彼はルースフィアンよりも少し離れた位置に立ち、こちらの戦闘を見据えながら、直接リーシェの頭の中に声を送っているようであった。
 一瞬、彼女の攻撃が止まる。それを白月は見逃す事無く、棍棒でリーシェの腕、そして首の辺りに打撃を加えるべく動き出していた。我に返ったリーシェは、咄嗟に後ろに飛び退く。だが、短い衝撃音が数回響き、同時に彼女の眉が顰められる。
 白月と距離が開いた時、今度はバロアの声が、その場に響き渡っていた。

「本当に戦いたいのか?」

「……お前に何が分かる」
 今までほとんど表情を変えることの無かったリーシェが、初めて憎々しげに顔を歪め、一言吐き捨てた。
 全ての自分の行動を拒否するかのように。
 そしてさらに後ろに退き、白銀の剣を一閃する。それを合図に、剣先が深緑に輝きだした。剣を中心に、大気が凝って渦巻いているようにも見える。
「風、遠き力を借り、真空の刃となり給え」
 その言葉と同時に、彼女は剣を縦横無尽に振るい出した。と同時に、何か大気が動いたような感じが見て取れる。
 目に見えない「真空」の刃が彼女が剣を振るった数だけ、放たれたのだ。
「!」
 ルースフィアンとバロアは、持ち前の魔力を発揮して彼女が放った魔法を瞬時に感知した。バロアは時折自らの前に壁を立て、さらには身体を捻って刃を回避する。
 ルースフィアンは咄嗟に速く動く事は不可能なので、指をつい、と振り、冷気を真空にする魔法を発動、それを刃に的確にぶつけて相殺していった。
 梛織も、直前でその「危険なもの」を感知し、右にステップを踏んでかわそうとするが、何しろ目に見えるものではないので、左肩や脇腹に幾つか避け切れなかった刃が突き刺さった。
 ぱかりと傷口が開き、少ないながらも鮮血が零れ落ちる。
「ぐっ……!」
 何とか堪え、足を踏ん張って転倒を避ける。更なる刃が直前に迫ってきたように感じたが、自らの前に先程見たような、黒い壁が突然出現してその刃を吸収してくれたようであった。
 彼がバロアの方を向く。バロアは幾つかの真空の刃を避けつつも、にやり、と笑んだかのように見えた。
「あ、がっ……」
 白月にもその刃は襲い掛かっていた。何とかその見えない刃の軌道を肌で感じ取り、左に、右に踏み込んで、身体を捻ってかわしていくが、幾つかの読みきれなかった刃が、太腿に、腕に、直撃した。
 ざばり、と身体に嫌な音が響き、ぬるりとした感覚が腕に、そして足に伝わっていく。
 さらなる軌道を前に感じ取った時、白月の前にも壁が立ち、その刃を吸収してくれたようであった。
「恩に着るぜ!」
 白月はに、と笑んでバロアのいるであろう位置に向けて手を上げると、再びリーシェに向かい合った。
 リーシェは再び剣を構え直すと、ざ、と右足を一歩踏み込んだ。それを見て、白月も一瞬瞼を伏せ、集中力を高めていった。
 そして自らの体内に気を循環させ、身体能力を高めていく。
 次の瞬間、風の魔法で更にスピードを上げたリーシェと、気を使って自らの身体能力を上げた白月は、凄まじい音を上げながらぶつかり合った。
 白月の放った腕の一撃がリーシェの左肩に直撃し、リーシェの剣が白月の肩に抉りこんでいる。 そのまま二人は動きを止めた。
 灼熱感が、肩を腕と、そして、足を襲うのを感じていても、白月はその場から退く事はしなかった。 
「……俺は、そんなにあんたと面識がある訳じゃないけど、何となく理由は分かるぜ」
「何がだ?」
 リーシェも、左肩に攻撃を受けつつも、表面上は冷静に返していた。
「あんたがこうなった原因は、あんたの兄さんに関連してるんだろ?」
 途端、リーシェの表情は無表情の中にも、凍りついているのが白月にも見て取れた。


★ ★ ★


 ルースフィアンは、リーシェの放った真空の刃を粉砕しつつも、上空に凝り始めた暗い雲と、そして時折感じる上空からの強い魔力が気に掛かっていた。
 竜は、人によっては雲と仲が良いと言う人もいると耳にした事がある。もしかしたらこの雲は、竜が呼んでいるのだろうか。
 ざわ、と風が横殴りに吹きすさぶ。ルースフィアンは彼の髪が攫われていくのも構わず、顔を上空に向けてじっと目を凝らしていた。
 雲はますます凝り、そして――。
 唐突に、彼は強い魔力が一点に集中され始めていることに気が付いた。
 彼はそれに気が付いた瞬間に、掌を上空に向けた。次の瞬間、その掌から幾つかの複雑に組み合わされた青い魔法陣が上空、研究所を覆うように増大しながら浮かんでいく。
 さらに彼は魔法を続け、ルースフィアンを中心に冷気が凝り集まり、薄い氷の膜が上空を覆った。
 消費した魔力が身体に影響を与え、彼は少し荒くなった息を静めるかのように胸に手を当てる。
「バロアさん」
 丁度バロアも上空に集中している魔力に気がついたようで、ルースフィアンの魔法を増強するように、バロア自身の魔力を上空の魔法陣と氷の膜に注ぎ込んでいた。
 二人が視線を合わせた瞬間。
 彼等の視界は、一瞬にして白い光に覆われた。
 少し遅れて轟く、太い大きな雷鳴。
「!」
 ルースフィアンが顔を上げた先では、ガラスが粉々に粉砕されるような脆い音が響き渡り、完全に結界として張っていた魔法が粉々に砕け散っていた。
「まずい!」
 バロアが一声叫ぶ。その次の瞬間には、ブレスが炎の弾、そして炎の刃となって、研究所正面玄関付近へと降り注いでいた。
 杖を前に出したルースフィアンの肩の部分に、炎の刃が潜り込む。じわり、とシャツが血の色に滲んでいく。だが、彼はそれに構わず、さらなる攻撃を防御する為、まず自身の周りに壁を作った。
 だが。それも次いで襲ってきた巨大な炎の弾に粉砕された。今度は脇腹にその炎が直撃する。
「……ッ」
 さすがのルースフィアンも小さく息を呑んで痛みに耐えようとしていた。
 その時バロアは魔法陣と共鳴していたのと、今までの魔法の反動から、肺の血管にひびが入り、口から霧のような鮮血を噴き出していた。
「ごふっ……くそ」
 肺に鈍く、時々鋭く痛みが奔る。さらに、何とか動き、結界を張って避けようとはしているものの、痛みによって上手く動けず、何回も炎の弾が直撃していた。
 脇腹に灼熱感。そして、ぬるりとした、嫌な感触。

「うわっと……!」
 その瞬間、梛織は上空から降り注ぐ炎の刃を何とか、かいくぐろうとしていた。だが、目の前に殺気が奔る。
 白月の攻撃を避け、何とか呆然とした精神状態から回復したリーシェが、彼の目前に迫ってきていたのだ。
「ぐ、あ……」
 彼女の剣をパイプで受け止めた刹那、まともに今まで何とか避けきれていた炎の刃の攻撃を受け、うめき声を上げながらも、彼は何とかその場に踏みとどまった。
 肩が、左腕が焼ける痛みに、悲鳴を上げている。
 目の前では、大気の歪みを帯びた剣がパイプとぶつかり合い、ぎちぎちと嫌な音を上げている。
 ――大気の、歪み?
 梛織がその事に気がついた時には、既に遅かった。
 ピシリ、とパイプにひびが入り、次の瞬間にはぱきいいんとパイプが砕け散る音と共に、リーシェの刃の先から真空の刃が放たれていた。
 そして腹部にひとつ、鋭い、嫌な感触が奔る。
「つ、がっ……!」
 梛織は真空の刃と共にやってきた衝撃波を抑えきれず、腹部に真空の刃がめり込むのと同時に、後方へと吹き飛んだ。
「梛織! しっかりしろっ!」
 やや横で炎の弾を必死に避けていた白月は、棍棒を手に、再びリーシェへと向かう。だが、既に足と肩と腕を負傷していた彼は、いくら「気」で速さを上げているとはいえ、リーシェの速度に追いつく事が出来なかった。
 白月の叫びに一瞬で反応したリーシェは、今度は風の魔法を再び自らにかけ、身体速度を一気に上げて白月へと踏み込む。
 そして白銀の剣を彼の腹部目掛けて素早く一閃した。

 ずぶり。
 鈍い、肉を絶つ音が、騒乱状況に陥っているこの場でさえ、やけに静かに響き渡った。

「あ、ぐあ……?」
 白月はそのまま足の力を失い、がくりとその場に膝をついてしまっていた。
 腹部が、熱い。どうしようもなく、熱い。
「白月! 白月――!」
 近くで誰かが、彼の名前を必死に呼んでいるようであったが、今の彼にはそれが誰なのかさえ、理解する事が出来なかった。
 彼女の刃が心臓目前に迫っている事さえ、白月は気がつくことが出来なかった――。


★ ★ ★


 自らも炎の弾を避けるために闇の結界を張りながらも、目の前で白月がリーシェに攻撃を受け、倒れかけているのを見て、咄嗟にバロアは魔力を放出していた。
 ぼわりと、彼の纏っているフード全体が、黒く、淡く明滅を繰り返す。
「闇よ、闇の精霊よ、糸となりて動きを留め給え」
 バロアの短い呪文と共に、リーシェの影から黒い糸が行く筋も生まれ、それが彼女に絡みつき、彼女の行動を阻んでいた。
「がはっ!」
 同時に、再び魔力の放出による反動によって、口からごぼりと血が溢れ出す。掌に溢れ出た血をやや忌々しく見つめ、そして彼は再びリーシェの方へと向き直った。
 強い、ひとつの意思を抱えて。


 ルースフィアンはどうやら全ての上空での自らの役目を終えたらしい竜が、ふわりと舞い降りていくのを視界の隅に入れながらも、リーシェの行動にも注意を払っていた。
 竜が、どすり、と地に足を着けてこちらを見据え、さらにリーシェもバロアの魔法を剣で半ば無理矢理取り除こうとしながらもこちらを見た時、彼はふふ、とひとつ微笑んだ。
 ――どうやら自分は、この二人をまだまだ見くびっていたらしい。

 そう感じた彼は、この戦場の真っ只中で優雅な紳士の如く、リーシェと竜に一礼したのだ。

「?」
「これはこれは大変失礼致しました。レディに丁寧に接するのが紳士たるもの。本気でお相手しなければ無礼に当たりますね」
 その唐突な言葉にリーシェだけでなく、共に戦っていた三人も呆気に取られる中、ルースフィアンは艶やかに微笑んだ。どこか含みを感じさせる笑みで。
「……やっと古代文字を解読しまして。古代の魔の力、神聖言語の力を持ってお相手致しましょう」
 その言葉と同時に、彼の青い瞳が、爛々と力を得たかのように輝きだした。
 風も無いのに、ルースフィアンの白い髪が、そして纏っている衣服の裾が、ふわりと持ち上がっていった。
 彼の脳裏に、幾多もの言語が流れていき、大いなる力が体の中に満ちていくのを感じる。
『大いなる大地の恵みよ、白き光の筋となり給え』
 その言葉を発したと同時に、彼の青い瞳が一層輝きを増して、その言葉と共に大気に魔力を放出していった。
 途端、リーシェの、そして竜の足元からじわりじわりと白いものが浮き出てくる。
 次の瞬間には地を裂く轟音と共に、一瞬にして幾多もの、大きな氷の棘が出現し、彼らの身体へと潜り込んでいった。
「ぐあ……!」
「ギャアアッ」
 リーシェの未だ負傷せずに残っている肩、太腿に巨大な氷の棘が突き刺さる。彼女は咄嗟に魔法を使い、後退していったが、かなり大きな傷がその身体には刻まれていた。
 竜も翼の付け根、そして後ろ足の部分に大きく棘が抉り込み、悲痛の叫びを上げていた。
 リーシェはその竜の様子に僅かだが眉を顰めた。
 だが、再び剣を手に、血を流す身体のまま、彼らに向かおうとしていた。
 そこに、再びバロアの言葉が飛び込んで来ていた。

「君は、本当にこれを望んでいるのか?」

 攻撃に向かおうとしていた彼女の動きが、ぴたりと止まった。僅かな時間、無表情の中にどこか途方に暮れたような表情を忍び込ませて、バロアを見つめる。


★ ★ ★


 リーシェの動きが止まった一瞬を見て、梛織は思い切り右足を踏み込んで彼女の方へと跳び込んでいった。
 彼が参考にしていた、あの映画の中でのミランダの動きを頭の中に浮かべながら、右足を地に着け、そして思い切り左足を前に出す。
 リーシェもそれに対応すべく足を踏み込んでいたが、バロアの言葉で反応が遅れていた。
 梛織の蹴りが、リーシェの脇腹に突き刺さる。彼女は衝撃に顔を歪めながらも、剣を水平に振りかざしていた。
 彼は後ろに一歩踏み込んで上体を逸らし、剣を避けようとしたが一瞬遅れ、脇腹の端に刃が突き刺さった。
 ざり、という音を耳にしつつ、そして身体に衝撃を浴びながらも梛織は止まる事無く、さらにリーシェに向けて今度は右足で回し蹴りを放った。一瞬遅れて脇腹の痛みが脳に到達する。
 今度の回し蹴りは、リーシェもすぐに対応できていたようで、その身体を伏せてその攻撃範囲から逃れていた。
 だが、梛織はもともと避けられるのを覚悟で蹴りを放っていたので、回し蹴りが避けられるのは一向に構わず、今度は着地した右足を軸足に、瞬間で後ろを向いて左足で後方に蹴りを加えた。
「!」
 最後の蹴りには、リーシェの予測の範囲外だったようで、彼の足は彼女の右肩の辺りをまともに捉えていた。確かな感触が梛織に伝わっていく。
 リーシェはその衝撃がさらに大きくなるのを避ける為に、慣性の法則のままに後方へと自ら跳んだ。
 何とか足を地に着け、再びどの攻撃にも構えられるような体勢をとる。
 そのまま、真摯に真っ直ぐな表情で見返してくる梛織と目を合わせた。
 無表情の中に僅かに滲み出るのは、困りきった迷子の子供のような表情。


 腹部からは大量の鮮血が溢れ出し、口からも幾つかの血が筋を作って顎へと落ちていくのを感じながらも、白月は足に力を込め、ゆっくりとだが立ち上がった。
 足に力を込めるだけで、灼熱の半ば火傷のような痛みが、彼を襲う。
 だが、それでも足の力を緩める事は無い。
 その気配に気がついたのか、梛織とリーシェがこちらを向いた。
「白月」
 梛織のどことなく、身を案ずる表情にただ片手を上げてにやりと、いつもの調子で笑む事でそれに応えた白月は、リーシェにうって変わった、真剣な表情を向けて棍棒を構えた。
 その姿に、リーシェの表情が一瞬歪む。
「……そこまでして、どうして戦うんだ?」
 純粋な、彼女の悩みが、ぽつりと呟きとなる。白月はそれに、ひとつ微笑みを見せると再び真摯な表情に戻った。

「誰かの為だなんてかっこいい事は言わねえ。俺はただ、その人達の傷つく姿を見たくない、見て嫌な思いをしたくないから……だから、俺は自分の為に戦っているんだ!」

 白月のその言葉に、その態度に、一点の迷いはなかった。
 その言葉には、白月の真摯さが、優しさが真っ直ぐに滲み出て。
 再び困ったような表情を一瞬だけ見せたリーシェに向けて、白月は大きく一歩を踏み出した。


 目の前で、白月とリーシェがお互いに人間離れした、凄まじい勢いの速さでぶつかり合うのを目に、注意深くリーシェの隙を探りながらも梛織は自らに問いかけていた。
 彼の横では、再びルースフィアン、そしてバロアと竜が魔法の応酬で、炎と氷の競演が起きている。華やかな音が、魔法言語が、魔力が飛び交う。

 梛織は、今までは万事屋の依頼をこなす為に戦ってきた。それはこれまでも、そしてこれからも、自らの中で変わる事の無い「戦う理由」であろうと思っている。

 けれども。この銀幕市に実体化してからは。戦う理由はそれだけでは無くなった。
 自分には幾人もの、大切な人がいる。銀幕市で出来た、大切な、かけがえの無い仲間たちが。

 その大切な人たちを守りたいから。

「……だから、俺は戦うんだ」
 それに、きっと……。
「リーシェさんだって、そうだろ?」
 ぽつりと呟いた梛織は、一瞬だけ微笑むと、再び右足で地を蹴ろうとした。
 丁度その時、彼の後方から凄まじい勢いの熱風が押し寄せ、爆発音が響き渡った。


★ ★ ★


 轟音と共に、ルースフィアンが放った神聖言語の冷気を放出する魔法と、竜が放ったブレスの猛烈な温度差により、その場で激しい水蒸気爆発が起きていた。
 その爆発は研究所の一部、そして大地を巻き込み、猛烈な霧とそして砂埃を発生させている。視界が一気に狭まる。
 一番近くにいたルースフィアンと竜はその爆発に一瞬にして呑み込まれていた。二番目に近くにいたバロアも、その衝撃を喰らって身体を吹き飛ばされる。
 霧の中で、今までの大きな魔力の放出の連発に加えて、爆発による身体への大きな衝撃を受けたルースフィアンは、胸に手を当てて激しく咳き込んでいた。
 地面に強く身体を打ち付けられ、息をするのも苦しいと感じていた。
「はあ……、はあ……」
 霧が少しずつ、少しずつ晴れていく。自らの視界も段々と見えてくる中、ルースフィアンは目の前に竜が爆発の衝撃に巻き込まれること無く鎮座しているのに、初めて気がついた。
 竜がゆっくりと前足を振り上げていく。それに気がついたルースフィアンは、咄嗟に何とか杖を頼りに後退しようとしていた。
 だが、そこに重量のある前足が振り下ろされていった。
「!」

 痛みは、なかった。否、もともと痛みなどはその場所には感じていなかった。
 ただ、そこには自らにとって、とてつもなく大きな誓いを秘めていた場所であった。
 それを支えに、生きていた時もあったから。


 バロアはしたたかに打ち付けられた身体を起こしながら、体勢を整えようとしていた時、ざくり、という鈍い音を聞いていた。
 咄嗟に霧の中に目を凝らす。
 晴れてきた視界の中に、ルースフィアンと竜の姿が飛び込んできた。
 竜が、その前足をルースフィアンの左足にめり込ませている光景が。
「……!」
 その姿を認めたバロアは、猛然と走り出しながら竜へと魔法を仕掛けていっていた。


 ルースフィアンは半ば呆然としながらも、何とか竜の前足の攻撃範囲から逃れていった。
 そろり、と自らの左足を見下ろす。
 そこにあるはずの左足は、膝から下が消失していた。
 地面に、大量の鮮血がぼたぼたと溢れ落ちている。地面の血の染みが増え、血の水溜りと化していた。
 だが、ルースフィアンは、自分が想像していたよりも自らの大切なものを奪った竜に対する憎悪の気持ちや、大切なものが消えてしまった事に対する呆然とした、大きな喪失感が少ない事にかえって驚いていた。

 どうしてなのだろう――。

「大丈夫かっ!」
 その時、バロアが竜に対して動きを封じる魔法を投じながら、ルースフィアンのもとへと走って来るのが目に入った。
 それに気付いて顔を上げると、左耳につけられたブルームーンストーンのピアスと、右耳につけられたサファイアのイヤリングが可憐な音を立てる。
 遠くからは、事態を察した梛織がこちらに向かってきている。

 ――ああ、そうか。

 彼は、ピアスの音に、心の中が温まり、そして神聖言語の魔法の連発で疲弊しきった身体に際限なく力が湧いてくるのを感じていた。
 同時に、イヤリングの音に、自らの立つ場所も感じて。
「――大丈夫ですよ」
 ルースフィアンは心配そうに駆け寄ってきたバロアと梛織に微笑むと、膝の切断されて大量に出血している部分を凍らせる魔法をかけ、その部位を無理矢理止血させた。
 その行為に、梛織とバロアは驚愕の眼差しを向けてくる。
「そんな無茶な! もっとちゃんとした治療をしないと!」
「まあまあ。ひとまず一段落するまでは持つでしょう」
 二人に向けて緩やかに首を振って微笑を返したルースフィアンは、視線をゆらりとリーシェに向けた。
 今までの行動を白月と戦いながらも視界の中に入れていたリーシェは、ルースフィアンに驚愕の眼差しを送っていた。
 一旦後退し、白月と距離を取り、そして半ば呆然と呟く。
「どうして……、そこまでして、お前も」
 その言葉に、ルースフィアンは再び微笑んだ。
「そんなの、決まっているじゃないですか」

 生まれてから今まで、際限なく見せられてきた世界の醜い部分。この醜い世界で、自分に唯一幸せを教えてくれた大切な人、青銀の髪のあの人に報いる為。
 ――今度こそ、叶わなかった幸せを掴みたい。
 彼は決然と、真剣な表情で一瞬空を仰ぐ。

 だから僕は、もう嘆かない。

「それに僕は、革命家でもありますからね」
 そっと微笑んだルースフィアンの瞳が、再び青く明るく輝きだした。


★ ★ ★


 ルースフィアンの青い瞳の魔力と共に放たれた神聖言語は、その場で大気に潜む水分と同化して氷の槍となり、リーシェ、そして竜へと襲い掛かっていた。
 細いながらも長さのある青い槍は、さらに風の魔法に乗せられて勢いを増していく。
 リーシェは器用にそれを避けていっていたが、そんなに速く動く事が不可能な竜は幾つもの槍がその鋼の如き強さの身体に突き刺さっていった。
 幾つかの槍は、その竜の鱗よりも強度が低かったようで、折れて砕け散っていったが、大部分の槍は鱗を打ち破っていた。
 竜の突き刺さっていった部分から、血が溢れ、竜からは苦悶の叫びが上がる。
 それでも竜は何とか抵抗するそぶりを見せていたが、ついに力尽きた様子で、ぽん、というコルクが抜けるような音と共に、小さないつもの姿へと戻っていった。
「!」
 リーシェは竜が力尽きた事の驚きに、目を開き、竜のもとへと駆け寄ろうと、白月に猛然と突きを出そうとしていた。剣が閃く。
 だがそこに、白月の消えそうになる体力を振り絞って気を乗せた蹴り、さらには左腕の突きが加わった。
 一瞬氷の槍、そして竜に気を取られていたリーシェは、その蹴りを太腿の部分に受け、その場に倒れそうになる。何とか倒れるのを堪えてはいたが、次の突きで完全に膝をついてしまっていた。
 それでも何とか剣を振るおうと、剣を水平に構え、立ち上がろうとする。
 そしてそこに、隙を見計らって飛び込んできた梛織の飛び蹴りが炸裂した。
 横にステップを踏んで避けようとしたリーシェの顎を捉え、リーシェの身体を後方へと吹き飛ばしていく。
「がっ……!」
 吹き飛ばされ、地面へとその身を打ち付けられる。その場に、さらに氷の槍が勢いを増して向かっていた。
 彼女が薄っすら目を開き、その槍を認めながらも地面に打ち付けられた衝撃に動く事が叶わず、襲い掛かるであろう痛みに目をつむる。
 ――だが、彼女が予想していたように、氷の槍はリーシェの身体を貫く事は無かった。
 リーシェが再び目を開いた先には、バロアが先程、仲間達に放っていた闇の壁が立ち昇り、氷の槍を吸収していた。
「バロア? どういうこった?」
 白月が、ゆっくりと歩みよってきたバロアに疑問の声を上げる。梛織も、突然のバロアの行動に驚きの表情を見せ、ルースフィアンは体力の消耗によりやや咳き込んだりと辛そうな表情を見せていたが、表情を変える事無く、じっと成り行きを見守っているようであった。
 そして、誰よりも一番驚きの表情を見せていたのは、リーシェであった。驚愕に目を見開き、じっとバロアを見つめている。
「どうして……、どうして」
 バロアはじっとリーシェを見返した。真摯な表情で。

「今は君を止めたいから戦っている」

 そして、更に静かにリーシェに近付いていった。リーシェは剣に手を伸ばす事無く、ただ、彼の動きを見ている。
「君はどうして戦っているんだ?」
 バロアのその問いに、リーシェは唇を噛んだ。
「私は……、私は……」
「こんな事になるまで、君の気持ちを揺らがせる何かは……、ホーディスか?」
 問いへと答えられないリーシェに、バロアが続けて問いかける。続けての問いかけの言葉に、リーシェの表情は再び凍り付いていた。
「さっき、ホーディスの魔力を察知したんだ。兄は捕らわれているんだろう?」
 リーシェはその言葉に、全身の力が抜けたかのように、腕を投げ出した。苦く笑い、それから項垂れる。
「……私は……本当は民の為に命を張るべきなのだ。それが……、こんな……」
「そんな事はない」
 ふと真剣な言葉に、項垂れていたリーシェは顔を上げた。そこにあるのは、バロアの真摯な表情。
「本当は、民だけでなく、大切な人の為に戦いたいんだろう?」
「……」
 無言のリーシェに、尚も重ねて問いかける。
「だって、普通はそうだろう。家族だって、親しい人だって、大切なんじゃないのか?」
 バロアのその言葉に、揺らぎや迷いは無かった。
 何故なら、今の彼もそうであるから。
 彼の脳裏に、自らの大切な人達の笑顔が浮かびあがる。
 その表情に、彼も自然と微笑みが出ていて。
「――ホーディスなら、きっと大丈夫だ。あいつは粘っこい人間だし、きっと皆が助けてくれる」
 リーシェはバロアの言葉に、ふと、苦笑した。
「……そう、だな。粘っこいもんな」
 リーシェがそう呟いた時、彼等の後方から、役所の職員と思しき男性に支えられ、ゆっくりとした足取りで、ホーディス・ラストニアが姿を見せていた。


★ ★ ★


「ホーディスさん!」
「あ……」
 梛織の叫びに、リーシェは一瞬びくりとし、そしてゆっくりと立ち上がった。
 ルースフィアンの、白月の、バロアの視線の先には、ホーディスがよろよろとした足取りでこちらに向かって歩いている。大分衰弱した様子ではあったが、身体に目立った外傷は見受けられなかった。
 だが、彼女はホーディスの顔を直視する事が出来なかった。
 無事で良かったと心からの安堵と共に、湧き上がる不安。
 ホーディスは、確かにいつも優しい。
 だが、国の為になら、と冷酷な判断を下す事の出来る人間であったから。

 ――自分も切り捨てられるのであろうか――?


 ホーディスは、彼等の近くまで歩み寄ると、ゆっくりと皆の顔を見回し、それから現場の状況を見回す。 
 そして、唐突に膝をつき、頭を伏せたのであった。
 四人も、そしてリーシェも、ホーディスの行動に目を見開いた。
「……申し訳、ありません……。全ては……私の、責任です。責めるのであれば、私を責めてください……」  
「ちょ、ちょっとそんな事すんなよ、あんた、国の王だったんだろ?」
 白月が、少し慌てながらホーディスを起こそうとする。それでもホーディスは身体を起こす事をしなかった。
「今はしがない銀幕市の一住人。そんな事は関係ありませんよ……。全ては私が、不甲斐ないばかりに……、……でも」
 ホーディスは、そこまで言うとやっと身体を起こした。そして微笑む。

「でも……、皆さんならリーシェを止めてくださると、信じていました」

 今まで銀幕市において沢山の人と触れ合う中で、この銀幕市に住む人達の強さ、親しみやすさ、そして優しさを彼は知っていた。だから、信じていた。
「……妹を止めて下さり、ありがとうございました」
「……気にすんなって事さ」
 白月はやや照れたように笑う。ルースフィアンもただ静かに微笑んでいた。
「そうそう。これから倍返しにしてもらうしね」
 バロアもそう言ってにやり、と笑んで。梛織も頷いて笑っていた。
 ホーディスはその言葉に再び笑んで、ゆっくりと立ち上がった。
 そして、ゆっくりとリーシェの所へと歩いていく。
「リーシェ」
 名前を呼ばれたリーシェは、びくりとと顔を上げ、ようやくホーディスと目を合わせた。
 ホーディスは、どことなく不安そうな表情を浮かべるリーシェの額に、こつん、と真剣な表情で軽く拳骨をお見舞いしていた。
「あなたは、また! ……なんて嘘ですよ」
 最早泣きそうな表情を浮かべていたリーシェに、ホーディスは苦笑した。

「……ごめんなさい、リーシェ」

 あなたは、あなたの好きに、あなたらしく生きていいんですよ。
 ――国の民を守る責は、私が背負いますから。
 ここでも、そして元の世界でも。
 その言葉にリーシェは目を見開いた。



 それまで、ルースフィアンは何とか平気な表情を見せてその場に立ち続けていたが、魔法の連発で体力は限界にきていた。
 ホーディスが現れ、そしてリーシェのもとへと向かった時、ようやく全てが終わったと実感した時、彼の身体は前のめりに傾いでいた。一瞬で視界が変わったと思った途端、視界が隅から白く、そして黒く塗りつぶされていくのを感じる。
 そして闇へと意識が落ちていく寸前、彼の脳裏に、あの青銀の髪の人がよぎっていた。
 ルースフィアンにとって、誰よりも大切な、あの人。
「……逢いに、行かなくちゃ……」
 そして、彼の意識は闇へと塗りつぶされていった。



「わ、ルースフィアンが!」
「白月! しっかりしろ!」
「と、とにかく病院に運ぶんだー!」
「ていうか俺達も病院に行かないと!」
 唐突に倒れ伏したルースフィアンと白月に慌てふためく梛織とバロア。
 研究所の正面玄関は、戦場と言う非日常空間から日常空間へと音を取り戻しつつあった。
「……ホーディス」
 リーシェは、何とか彼らに手を貸そうと後ろに振り返ったホーディスへと声を掛けた。
 ゆっくりとその場に片膝をつく。そして右手を左胸に。
「……?」
 ホーディスが振り向いて訝しげに首を傾げる中、ただリーシェは真摯な表情で彼を見つめ、そして頭を垂れた。
 言葉はなかった。
 だが二人の間には、揺ぎ無い何かが、確かに流れていた。
  
 ――あなたが民を守るのならば、私はあなたを守りましょう。

 それは、かつて、彼等の世界で交わした誓約とは違う誓約の言葉。
 だが、その言葉には嘘偽りは欠片も無い、真実の言葉。
 
 その場を一陣の澄み切った風が、吹き抜けていった。



クリエイターコメント大変お待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。

今回、何だか説得すると言うよりは、拳でものを語るぜ的なシナリオとなってしまいました……。まあ、何はともかく、楽しんで戦闘シーンetcを書かせて頂きました。少しでも皆様の戦いに対する思いが描かれていると幸いでございます。

そして、今回は暴れ出すリーシェにお付き合い頂き、ありがとうございました。皆様の素敵なプレイングにより、何とかリーシェは消えずに済んだ事にお礼を申し上げます。

それでは、いつかまた、銀幕市のどこかでお会いできる事を願って。
公開日時2007-12-03(月) 23:00
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