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<ノベル>
ACT.0★Opening
ずっと、この街にいたい。
――帰りたくない。
この街の住人になりたい。
かりそめの住民登録、かりそめの住まい、かりそめの仕事ではなくて。
魔法がかかる前のこの街を知っている、彼らのように。
夢みる力の強さゆえに、神よりあの愛らしい生き物を与えられた彼らのように。
過酷な世界と、変えられぬ運命から逃れてきた者たちにとっては、この街こそが夢。
ACT.1★わたしは夢みる
リカ・ヴォリンスカヤが勤めることによって、ある意味すっかり銀幕市名物店のひとつになってしまったケーキハウス「チェリー・ロード」は、本日も絶賛営業中である。
アメリカンカントリー調の店内を満たしているのは、甘いバニラビーンズと洋酒漬けのダークチェリーの香り。ショーケースを華やかに彩るのは季節限定商品のアイスチェリーシフォン。
営業体制はばっちりだ。……ばっちりなはずなのだが。
なーんか先ほどから、ぱたっと客足が途絶えているのは、【チェリー・ロードが誇る可愛いパティシエ・リカちゃんの特製チェリークッキー、焼き上がりまであと35分! 早い者勝ちよ行列作るなら今のうちよ】というインフォメーションペーパーが、入口扉にぐさっとナイフで留められているのが原因と思われる。
しかし、リカ曰く、
「最近、ドキュメンタリー映画からアイスクリン屋の親父が実体化したみたい。ここらあたりを自転車で行商してるのね。木製の箱に氷とおがくず詰めて鐘鳴らすレトロ感が人気で、お客さんがそっちいっちゃうのよ。アイスなんかよりわたしのクッキーのほうが美味しいのに」
とのことらしいのだが。
「へえ。いいじゃんアイスクリン。帰りに寄ってみよう。……それにしてもこのペーパー」
ケーキを買うためではなく単にリカに会いに来た浅間縁は、ちょっと眉を寄せて腕組みをする。
商業科生としてはこの店のパブリシティ効果が心配なのだが、リカの友人としての結論は「ま、いいか」であった。
それでも一応は、
「ねー、リカ。これさぁ、もうちょっと可愛く演出したほうがいいんじゃない?」
と言ってみる。
「そうかもね。わたしもそんな気はしてたのよ」
リカは素直に頷いた。
そして、ナイフの周りを、きらきら輝くビーズ細工のチェリーでぐるりと囲ってみる。
「ホラ、可愛い!」
「……うーん。ま、いいか」
「ね、エンは? エンはどこ?」
縁がバッキーの定位置であるところのバッグを指さすより先に、ぴょこっとエンが顔を出す。リカは大喜びで両手を広げた。
「いらっしゃーい、エン。お姉さんと遊びましょうねー」
くんくん。ふんふん。
鼻をひくひくさせてバッグから出るなり、狭いところを好むエンは、リカのファンシーエプロンのポケットにもぐりこむ。
「キャー、くすぐったぁい。んもー、そんなにわたしが好き?」
「っていうか、狭いところがね」
縁のさりげないツッコミにもめげず、リカはエンをポエプロンごと抱きしめる。
「カワイイー! たまんないわ、このゴムまりみたいな感触。わたしもバッキーがほしいー! いいわねえ、縁にはエンがいて」
「うん。まぁね」
そっけない相槌ではあるが、銀幕市のバッキー持ちは例外なく「ウチのコが一番可愛いっっっっ! 銀幕市一世界一いや宇宙一!!!」という気持ちを、普段は表に出さずとも心の奥底にしっかと有している。だからして、縁もまんざらではない表情だ。
ポケットからぴょこんと出た尻尾を指先でうりうりしつつ、リカはなおもため息をつく。
「はぁー。わたしもバッキーがほしいわぁ。そしたら一緒にお散歩したり配達したり、まるぎんに買い物に行くときにも連れて行ったり、きっと楽しいのに」
「某山田さんみたいな愛玩用のメカバッキーだったら、某発明家に言えばもらえると思うよ? あれってもともと、バッキーが欲しくても持てないムービースター用に開発されたっていうし」
「いやよあんなクソ凶暴な暴走メカ」
にべもなくリカは却下した。エプロンのポケットからエンを出し、その頭を撫でる。
「女の子らしいわたしには似合わないわ。わたしは、本物のバッキーがほしいの」
バッキーが、ほしい。
切実な口調で、リカは何度も繰り返す。
性質は、そうね『おとなしい』か『人懐っこい』か『淋しがりや』で、体色はピーチかシトラスかハーブがいいわ――
ひょい、と、リカの手をすり抜けたエンが、よりグッドな狭いところを求めて移動した。
カウンターの上によじ登り、レジと壁の隙間にもぐりこむ。
その拍子に、レジ横のインテリアになっているアンティークオルゴールの蓋が開く。
奏でられる曲は、スティーブン・フォスターの「夢見る人」。
Beautiful dreamer, wake unto me,
Starlight and dewdrops are waiting for thee;
美しき夢みるひとよ わたしのために目覚めておくれ
星のひかりと露のしずくが あなたを待っている
「店長のジョージの趣味なんだけど、この曲、あまり好きじゃないのよね」
リカは眉をひそめ、ぱたんとオルゴールの蓋を閉じた。
ACT.2★バッキー誘拐事件
その日の朝、教室の空気は妙にざわついていた。
銀幕市を揺るがすような大事件が起きたときとも、また違う。固い廊下が急にぐにゃりと不安定になったような、ごく身近な戦慄が漂っている。
「おはよー、浅間。ね、聞いた?」
「おはよ、って、なに、エリ? いきなりどしたの?」
登校して自席に着くなり、隣の席のエリが待ってましたとばかりに話しかけてくる。
「保健室のユミ先生のバッキーがね、いなくなったんだって」
「そういや、エンも今朝から見あたらないんだよね。どっか狭いとこに隠れてるんじゃないの?」
「浅間んとこのバッキーはそうかもだけど。……それがね、ユミ先生の『夢子』さぁ」
チャームポイントのツインテールを揺らし、エリは声を潜める。
「誘拐、されたみたい」
ぞくりと背筋を走る、嫌な予感。
「……マジ?」
「最近、多いじゃん。バッキー誘拐事件」
「ジャーナルで聞いたことはあるけど」
銀幕ジャーナル編集部にしょっちゅう出入りしている縁は、このところ頻繁にバッキーの行方不明事件――事件性がまだ確定できないため公的には「行方不明」とされている――が発生していることを知ってはいた。あまりにも数が多いため『対策課』でも依頼掲示が間に合わないほどであるらしい。
「でもホントに誘拐かな? なんかピンとこないんだよね。バッキー集めてどうするんだろ?」
「わかんないけど、ファングッズの悪用とかさ」
「ファングッズかぁ……」
その線も考えられなくはないが、しかしファングッズは、それこそ無闇な使用がなされぬよう、厳重に管理されている。ムービーハザード関連の事件解決に使う場合のみ、『対策課』を経由して『ムービーファン』に貸し出されることになるため、不正使用は不可能だ。
「ところで夢子って、どの辺でいなくなったの?」
「ユミ先生が人気のアイスクリン屋に行った帰り道だって。ここんとこケーキ屋さんの近くで行商してるじゃん。ほら、赤毛のかっこいいお姉さんがいるお店のあたり」
「――チェリー・ロード」
不安が、大きくなる。
授業開始のチャイムが鳴った。
一限目の商業法規担当の教師が教壇に立ったとたん、縁は勢いよく片手を挙げる。
「先生! 壮絶に具合が悪くて倒れそうなので倒れないうちにダッシュで早退します。補習はちゃんと受けます。じゃ!」
おいこら浅間、と、教師が事情を聞こうとする間もなく、縁は教室を飛び出した。
(……エン)
朝から見あたらなかったバッキーを、実際のところ、縁はとても案じていた。
ことさらに平然としてみせたのは、縁はエンをよそんちに置き忘れた前科持ちで、いつぞや銀幕ジャーナルの記者にうっかり話したところ、ほのぼのコラム欄に「未来の同僚浅間縁さん九十九軒にエン置き忘れてきちゃった事件」として紹介され、エリにたいそうからかわれたからである。
ただ、今回については、おそらくはチェリー・ロードに置いてきたのだろうという気持ちもあった。
ならば、リカが預かってくれているだろうし、ひとまずは安心だと思ったのである。
わたしも、バッキーがほしい。
リカはそう繰り返していたけれど、だからといって、夢子をリカが誘拐したなどとは思わない。
今、胸騒ぎを覚えて縁が走っているのは、気丈なムービースターの淋しそうな横顔が、何かを示唆しているように感じたからだ。
エンが、チェリー・ロードにいればそれでいい。
縁のバッキー置き忘れ履歴が更新されるだけで、笑い話で終わる。
だけど、もし――
「いないわよ」
縁が学校を早退してチェリー・ロードにやってくるのを予期していたかのように、リカは店の前で待っていた。
「……じゃあ、エンは」
「さらわれたんだと思うわ。多発してるバッキー誘拐事件の犯人に。言っとくけど、わたしじゃないわよ?」
「うん、わかってる」
「ありがと。さっきお客さんから聞いたんだけど、ハングリーモンスターが出現したっていう知らせが対策課にきたようなの。何か関係あるかもしれない。行ってみましょう」
ACT.3★Monster
「ハングリーモンスターは聖林通りで暴れており、すでに何人もムービースターが食べられているようです」
対策課の職員は、眼鏡の奥の瞳を曇らせた。
変異に至ったバッキーに関する依頼は、必ず悲劇を纏っている。彼の声が沈んでいるのは、激務に追われて疲れているからばかりではなさそうだった。
「リカ・ヴォリンスカヤさんに浅間縁さん。これはムービースターのかたには非常に危険度が高く、ムービーファンのかたには精神的な負担が大きい案件です。リカさんは戦闘スキルをお持ちですから対応できると思いますが、浅間さんは現場には行かないほうが……」
「見てるだけになっちゃうからってこと?」
「とても、辛い思いをなさいますので」
ハングリーモンスターへと突然変異するのは、長期間飢餓状態におかれたバッキーだ。その原因のほとんどが、飼い主の死亡である。
以前の姿からはかけ離れた、醜怪で凶暴なモンスターとなったバッキーは、手当たり次第にムービースターを食べ続ける。
何人でも、何十人でも。どれだけ食べようと、その飢餓状態がおさまることはない。
「……そのバッキーは、飼い主が死んだからそうなったの? それとも、長い間、飼い主から離れてたせいで……」
縁は青ざめ、思わず力を込めてバッグを抱きしめる。本来ならばバッキーが中にいて、形を保つはずのそれは、今はくしゃりとつぶれた。
「誰の保護下にあったのか、まだ判明していませんが、お亡くなりになっている可能性が高いかと」
「私、行きます。たとえ見てるだけでも、行かなくちゃだめだと思う」
制服の裾をひるがえし、縁は走り出す。
リカは無言でその後を追った。
交通規制のなされた聖林通りに向かうにつれ――
血のにおいがむんと、鼻をつく。
車道中央。凄まじい量の血の海は、太陽に炙られて黒く乾き始めている。
食いちぎられた手足がそこここに転がる。血糊にまみれて散乱しているのは、いくつものプレミアフィルム。
くしゃり、ぐちゃりと、おぞましい咀嚼音を立てて、その怪物は終わりのない食事をしていた。
人間ほどの大きさの軟体動物に四つ足と鋭い牙をつけたような――もし不条理な白昼夢そのものが実体化したらこうもあろうかという、嫌悪感に肌が泡立つそのすがた。
頭には触覚に似た角がふたつ、何の感情も映していない魚に似た目が、身体のあちこちに5つ……いや6つ。
「――――!!」
綺羅星学園の夏服を着た少女の絶叫が響く。
おそらくは、食べられてしまったムービースターの誰かと親しかったのだろう。
遠巻きに見ていた男女の二人連れが、少女を支えて話しかけ、落ち着かせている。通りすがっただけだと思われる人々は逃げもせず、その場に踏みとどまっていた。
複雑な想いを抱えながらも、彼らがひたと怪物を見据えているのは、これが人ごとではないからだ。
「……かわいそうになぁ」
ぼそりといったのは、アイスクリン屋の親父だ。今日は聖林通りに行商に来て居合わせたらしい。
「――あんたは」
リカは何故か、きっ、と、親父を睨みつけた。
「なんだ、俺がどうした? ケーキ屋の嬢ちゃん」
「クソッタレ。わたしの前から消えやがれッ、チンカス野郎が!」
おもむろにナイフを構えたリカを見て、親父はびくりとする。
しかしリカは、親父越しにハングリーモンスターを狙っていた。
(思ってたより動作が鈍い。たぶんあの目が急所)
仕留める自信はあった。
だが、ナイフを放とうとしたリカに「まって……」と声をかけた者がいた。
「まって……。かわいそう」
自分のバッキーを胸にかき抱き、小さな女の子が泣いている。
彼女は、食べられたムービースターではなく、モンスターに変貌したバッキーを憂いていた。
「うちのこじゃないけど、かわいそう。たすけてあげて。たすけてよう」
構えを解き、リカは、なおも忌まわしい食事を続けているハングリーモンスターを見つめる。
この怪物は、もともとはどんなバッキーだったのか。
おとなしかったのか、好奇心旺盛だったのか、警戒心が強かったのか、それとも――
「リカ。可哀想だと思うのなら、倒して」
それまで、唇をかみしめて成り行きを見ていた縁が、一歩進み出る。
そして言う。
リカに、女の子に、自分に言い聞かせるように。
「バッキーは、いったんああなると絶対に元には戻らないんだよ」
「でも……。でもぉ……」
「他に止める方法はないの」
女の子を抱え上げ、縁は叫ぶ。
「飼い主だってこんな姿を望んでなんかいない。だから……!」
瞬間、リカのナイフが空を切る。
6本放たれた鋭い刃は、正確に、ハングリーモンスターの6つの目を射抜いた。
――そして。
ぱ、ァァァーーん……!
あっけなく。
あまりにもあっけなく、モンスターは消滅した。
風船が割れるような破裂音とともに。
食べかけの残骸を、血の海の中に残して。
ACT.4★Epilogue
「任務完了」
血を洗い落としたプレミアフィルムひと抱えを、リカは、はい、と、対策課職員に渡した。
「ついでにこれも。連続バッキー誘拐事件の真犯人よ」
さらに、もうひとつ渡したプレミアフィルム。
それは――
アイスクリン屋の親父であった。
彼を食べ、プレミアフィルムとして吐き出したのは、現場にいた女の子のバッキーである。
ハングリーモンスターの討伐直後のこと。
リカは、アイスクリン屋の親父に向き直って糾弾した。
「あんたが、バッキーを片っ端から集めてたんでしょう? その中に偶然、飼い主が亡くなっているバッキーが混ざってて、あんなことになってしまった」
「ほほう、何でそう思うかい?」
「かわいそうだと言いながら、あの惨状の中であんただけ目が冷静だった」
――どうしてこんなことをしたのよ!
――普通の市民になれるかなって思ったのさ。そこのちっちゃい嬢ちゃんみたいに。バッキーを飼い慣らせさえすりゃあね。
――なんですって……。
なあ、ケーキ屋の嬢ちゃん。
俺たちは『ムービースター』とやらだっていうじゃないか。ここにこうして生きてるってぇのに、そこらへんを歩いてる連中とどこがどう違うわけでもないってのに。普通に働いて普通に暮らしてても、肝心なとこでは人間扱いされねぇんだよ。ふざけんなってんだ。俺はずっとアイスクリン一筋に真面目にやってきたんだ。この街でだってやってるこたぁ変わらないじゃねぇか。バッキーがくっついてるのが普通の人間の証だってんなら、いくらでも懐かせてみせらぁ、そっちのちっちゃい嬢ちゃんのバッキーだって……、おい。なにしやがる。…………近寄る、な………… …… …
★ ★ ★
さらわれたバッキーたちは、親父が仮住まいにしていた聖林通り沿いのアパートで見つかった。
だが、室内をわしゃわしゃと歩いていたり、ころころじゃれ合ったりしているバッキーたちの中に、エンは見あたらない。
「エン! どこ? エン!?」
縁の呼びかけに、玄関先に置いてあったアイスクリンを入れる木箱が、もぞりと動く。蓋が開き、バッキーが一匹顔をのぞかせた。
エンだった。どれだけ狭いとこスキーを極めれば気が済むのか、おがくずだらけである。
「エン……!」
縁が木箱に駆け寄る。しかし、きょと、と、首をめぐらしてからエンが飛び乗ったのは、なぜか定位置のバッグではなく、泣きそうな顔をしているリカの肩の上だった。
対策課からの帰り道、リカは睫毛を伏せて呟く。
「わたし、ホントはあの親父をどうこうする資格はなかったの。だって」
わたしがバッキーをほしい理由のひとつは、ムービーファンに憧れているからだもの。
ムービーファンだったら、ずっと銀幕市にいられると思うから。
――魔法がとけても、消えることなく。
縁は、うん、わかる、と言ってから、リカの肩の上から動かないエンを見やる。
「でもねリカ。いつかいなくなってしまうのはスターだけじゃないんだよ。変わらないものなんてないもの」
こうしてる間にも時間は経つし、私だって年取るんだし。それに、いつ事故に遭うか、病気になるか――
誰だって、未来の日のことなんてわかんないじゃない?
だから、今日を大事に生きなきゃって思うんだ。
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チェリー・ロードの店内に、「夢見る人」が流れている。
好きではないと言っていたこの曲を、今日、リカはBGMとして選んだ。
Beautiful dreamer,
美しき夢みるひとよ
beam on my heart,
わたしの心の希望のひかり
――Fin.
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クリエイターコメント | おふたりとも、お疲れ様でした。 これはまた、非常に重く、かつ、さまざまな示唆を含むテーマゆえ、記録者もがっぷり四ツで受け止めさせていただきました。少しでも意図に添えていたら良いのですが。 事件の辛さもやりきれなさも含め、この街で暮らすということなのだと思います。 ハングリーモンスター(と親父)を退治するに至ったリカさまの決断と、生々流転を見据えてらっしゃるけれど「諸行無常」とは思っていない、縁さまの自然体が眩しゅうございました。 なお、エンちゃんは銀幕市の隠れ萌えキャラ(造語)ではなかろうかと。 |
公開日時 | 2008-08-07(木) 19:00 |
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