★ Puppies ★
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号364-6138 オファー日2008-12-30(火) 20:13
オファーPC 理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
ゲストPC1 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
<ノベル>

 理月は動物が大好きだ。殊に小さくて可愛い動物など見ようものなら整った面立ちを完全に崩して頬ずりするところなのだが、その日ばかりは違っていた。
 雪の降った午後である。いつもの青いマフラーを巻いて外に出た理月は、偶然通りかかったその公園で、雪の中で力なく震える小さな亜麻色を見つけたのだった。
 仔犬である。とても小さな仔犬が、雪の中に埋もれている。
 三角形の小ぶりの耳に、すっと伸びた鼻筋。この世界では柴犬と呼ばれる種類の犬であるらしいことと、様子が明らかにおかしいことを理月は瞬時に見てとった。
 つぶらな瞳の縁は異様な量の目やにで爛れ、くるんと丸められて背に乗せられる筈の尻尾は力なく雪の上に投げ出されている。平素は溌剌と立っているであろう耳も力を失い、ビロードのようにつやつやとした黒い鼻には濁った鼻水がこびりついているではないか。
 考える前に体が動き、着衣が汚れることなど全く厭わずに雪の中に膝をついていた。
 「おい……大丈夫か?」
 慌てて抱き上げるも、幼い柴犬は力のない瞳を向けてくるだけだ。汚れた鼻を空気が通り抜けるかすかな音だけが辛うじて耳に届いた。
 「あ、そ、そうか、寒いよな」
 動揺した理月には青いマフラーで仔犬をくるんでやることしかできなかった。だが、贈り主の気持ちと一緒にいつも理月を暖めてくれるそのマフラーでは仔犬の体力を回復させることはできないようだ。
 大きな掌の中で小さな体が震えている。抱き潰してしまわないように細心の注意を払いながら暖めてやっても、痛々しいまでの震えが伝わってくるだけだ。
 どうすれば。どうすればいい。腕の中で衰弱していく様子をただ黙って見ているしかないのか。
 (ああ)
 既視感にも似た薄ら寒さが理月をぶるりと震わせる。
 目の前で命が消えようとしている。あの時と同じように。
 「ちくしょう」
 低く呻いて瞑目したところで状況は変わりはしない。動物病院というものが存在しない世界で生まれ育った理月に成す術などある筈がない。
 ああ、幾多の修羅場を潜り抜けてきたこの手では、目の前の小さな命を救うことはできないのか。
 仔犬を抱き締めたまま力なく雪の中に座り込む。黒檀のような肌の色からは分かりにくいが、理月の顔面からは血の気が失われていた。命のやりとりが傭兵の生業だ。人の生き死になら嫌というほど見てきたし、理月自身も己が身を幾度となく死地に投げ出してきた。それでも命が失われる瞬間というものに慣れることは永遠にないのだろう。
 黒い髪に、滑らかな黒い肌に、仔犬をくるんだマフラーに、白いものがちらちらと舞い降り始める。
 いったんやんでいた雪が再び降り始めたようだ。世界全てを等しく包み込む静かな雪も、今の理月にはただ冷たいだけの氷の結晶でしかない。
 「ちくしょう……どうすりゃ……」
 青いマフラーに包まれた仔犬と、小さな命を抱く傭兵の姿を低い雪空が無表情に見下ろしている。舞い落ちる雪は理月と仔犬の体温を冷淡に奪っていく。
 身を切るような寒さと無慈悲な雪から少しでも守るため、理月は背中を丸めて柴犬を抱き締めた。そうしてやることしかできなかった。
 漆黒の体ががたがたと震えているのは寒さのせいか、それとも仔犬の震えが伝播したせいなのか。


 同じ頃、杵間山に住まう刀冴も街に降りて来ていた。
 見知った気配を感じて視線を巡らせると、道路脇の公園の中で黒と青の色彩がうずくまっていた。それが弟分の理月であることを確かめ、ひょいと眉を持ち上げる。
 (何やってんだ? それに、ありゃあ……)
 半ば雪にうずもれるようにして座り込んでいる理月は仔犬を抱いているようだ。いつもの理月ならば目尻を下げて仔犬を撫でていそうなものなのに、滑らかな黒色の面は苦しそうに歪んでいるではないか。
 訝しがりつつも刀冴は早足で公園に踏み入った。


 小さな体の震えもいつしか止まってしまっていた。もはや震える体力すらも残されていないのかも知れない。脆弱に上下する腹部だけが辛うじて生命の存在を教えてくれるが、その灯が消えるのも時間の問題だろう。
 青いマフラーの下で仔犬はとうとう目を閉じてしまった。慌てて声をかけると大儀そうに瞼が開くが、つぶらな瞳はすぐにまた閉ざされてしまう。
 かち、と理月の歯が鳴った。眉尻が切なげに下がり、銀色の眼が小刻みに揺れる。
 (ちくしょう。このまま――)
 死んじまうのか?
 そんな思いが脳裏をかすめた時、ふ、と寒気が遠のいたような気がした。
 雪は相変わらず無表情に舞っている。しかしそこに冷たさはない。冷徹な北風の代わりに全身を優しく包んでくれる芳しい空気。
 確かめるまでもなくこの感覚には覚えがある。そうだ、これは――
 「おう。どうかしたのか、理月?」
 耳によく馴染んだ声が降ってくる。弾かれたように顔を上げると、そこには銀幕市で一番慕っているといっても過言ではない相手が立っていた。
 「と、刀冴さ……」
 泣いてしまいそうだ。顔が子供のようにくしゃくしゃになるのももはや条件反射と言って良いだろう。情けないと自分でも思うが、どうしようもない。刀冴の姿が、声が、眼差しが、彼の周囲の精霊が作る喜びに満ちた空気が。刀冴のすべてが理月を無条件に、絶対的に安堵させてくれる。
 「そいつ、弱ってるのか」
 刀冴は瞬時に状況を察したらしい。小さな柴犬は理月のマフラーの中にくたりと横たわったままだ。質問に肯くことしかできずにいる理月の様子を見てとり、刀冴はひょいと仔犬を抱え上げた。
 途端に、真冬には似つかわしくない清冽な空気が渦を巻いた。
 薫風の中になびく長い黒髪。瞳孔は白金色へと変じ、よく精錬された銀と同じ色の光が瞳の中でちらちらと瞬く。一片の躊躇いも見せずに解放されたそれは、天人のみが持つ覚醒領域。
 「刀冴さん、負担が――」
 覚醒領域を展開すれば心身にひどい負荷がかかる。それをよく知る理月は立ち上がって慌てて止めようとするが、刀冴が聞き入れる筈もない。仔犬の背を撫でながら静かに紡がれるのは呪文だろうか。ダイヤモンドダストのような微細なきらめきが螺旋をえがいて小さな体を包み込んでいくのが理月の目にも見てとれた。
 やがて刀冴の瞳が平素の色を取り戻すと、回復魔法によって癒された仔犬はむくりと起き上がった。くん、とひとつ鼻を鳴らしてもぞもぞと立ち上がる。愛らしく丸まった尻尾を左右に振りながら頬を舐められ、刀冴は思わず声を上げて笑った。
 「……あ」
 夏空のような笑顔の前で理月はへたりと座り込んだ。刀冴の腕からぴょこんと飛び降りた仔犬が今度は理月に飛びつく。
 ぷりぷりと尾を揺らすあどけない仔犬の前で理月の顔が再びくしゃりと音を立てた。
 「良かっ……良かった……」
 泣いてしまいそうだ。胸を塞ぐ安堵をうまく言葉にすることすらできない。亜麻色の柴犬は理月の周囲をよちよちと歩き回っている。仔犬らしい弾むような動きだが、くりくりと動く瞳は心配そうに理月を見上げている。両手で顔を覆って懸命に気を落ち着けようとしている理月の前にしゃがみ込んだ刀冴が快活に笑った。
 「元気になったから安心しろよ。もう大丈夫だ」
 刀冴は犬を指してそう言ったのだろう。だが、いつもの闊達な笑みとともに落とされた言葉は理月の全身にもしみ渡るかのようだった。仔犬と一緒に、自分までもが救ってもらったような気がした。もし刀冴が現れなければ仔犬は死に、それを傍観するしかなかった理月もまた責め苦を背負い込んでいただろう。
 いつもこうだ。刀冴にはいつも助けられてばかり、支えられてばかり。
 「ん、どうした理月。寒い……筈はねえよな」
 あらゆる自然から愛される天人の傍に居れば暑さも寒さも感じることはない。それを踏まえての刀冴の冗談だ。覚醒領域を使用したことで心身にのしかかっている筈の反動を微塵も見せずに笑う刀冴の前で理月はまた泣きそうになり、その後で表情を強引に笑顔に作り変える。そしてそれを見た刀冴はまた親しみのこもった笑みを向けるのだった。
 「何だ、妙なツラしやがって」
 「ん、あ、別に」
 冗談めかして頭を小突かれ、小さく鼻をすすり上げる。「なんか、どう言えばいいんだろ。もどかしい……っつーのかな、こういうの」
 「もどかしいって、何がだよ」
 「俺も刀冴さんのために何か出来ればいいのに、って思って」
 同じような虚無を抱える者として、刀冴の奥底に凝る絶望や虚ろを理月は知っている。大らかで陽気な彼の奥に凝る仄暗く寂しい場所を知っている。支えになれるとは思わないが、刀冴の抱く虚ろや絶望を知る数少ない者として何か力になれればどんなに良いだろう。
 しゃがみ込んだままの刀冴は幾度か目を瞬かせたようだった。きょとんとしたその顔に理月のほうが動揺してしまう。的外れなことを言ってしまったのだろうかという思いが頭の中を駆け巡り、継ぐべき言葉を懸命に探していると――刀冴が「くくく」と笑い声を上げた。
 「しょうがねえ奴だな、まったく」
 次に大きな手が降りて来て、まるで子供の頭でも撫でてやるかのように理月の髪をくしゃくしゃと掻き回す。
 慌てて視線を上げれば目の前にはいつもの笑顔があった。
 「まだそんなこと言ってんのか」
 「え」
 「お前の存在が、既に俺を楽にしてくれてる」
 形ばかりの拳骨をこつんと落として刀冴はまた笑った。「だからお互い様なんだよ――理月」
 せっかく作った笑顔がまた崩れてしまいそうになって、理月は慌てて唇を引き結んだ。
 支えになれるとは思わないなどと理月が言えば刀冴はまた同じように笑うのだろう。理月自身が気付いていないだけで、刀冴もまた、理月が刀冴を慕うのと同じように理月をよりどころのひとつにしてくれているのだろう。
 それが分かったから、何も言えない。ただ胸が詰まって、言葉を紡ぐことすらできない。
 くーん、という声で視線を落とすと、理月の膝に前肢を乗せて立ち上がった柴の仔犬がことりと首をかしげている。理月が仔犬を抱き締めたのは、表情豊かな真ん丸の瞳に動物好きの性格を刺激されたせいのみではなかった筈だ。
 「きゃふん!」
 「あ、悪い――」
 きつく抱き締めすぎたのだろう。小さく声を上げた仔犬が理月の腕の中でじたばたともがく。慌てて腕を緩める理月と、「手加減してやれよ」と笑う刀冴。そっと雪の上に放してやると、仔犬は離れる様子も見せずに二人の周囲をぱたぱたと跳ね回る。
 「はは。すっかり元気になったな」
 差し出された刀冴の手にふんふんと鼻を当てて仔犬はくーんと鳴いた。まだ吠えることもできないほど幼いらしい。旺盛な好奇心とゴム毬のように弾む体、それに人なつっこさ。すっかり仔犬らしさを取り戻したことに安堵して二人はまた笑った。
 「あー、仔犬とか仔猫ってなんでこんなに可愛いんだろうなぁ。動物はみんな可愛いけど、小さい動物の可愛さったら……」
 仔犬を抱き上げて額と額とつき合わせる理月はすっかり相好を崩している。ぺろぺろと鼻の頭を舐められて目尻を下げる横顔だけでは彼の奥底に居座る虚ろや絶望を推し量ることはできないだろう。
 柴犬を抱く弟分の姿を刀冴は静かに見守っている。出会ったばかりの理月は悲嘆や後ろ暗さばかりが目につく男だった。そんな彼がこの街で少しずつ癒されてきた過程を直に見ているからこそ、屈託のないこの笑顔を喜ばしく思う。理月がこんなふうに笑っていられるよう、彼を守ってやりたいとも。
 「ん、どうしたんだ刀冴さん?」
 不思議そうな視線を向けられて刀冴はふと我に返った。理月は怪訝そうに首を傾け、腕に抱かれた仔犬までもが小首をかしげて刀冴を見ている。同じようなしぐさを見せる一人と一匹に刀冴は笑みを浮かべ、「いや」とだけ答えた。
 雪は相変わらず降り続いている。しかし、冷たさも寒さも二人と一匹には届かない。幼い柴犬は降る雪にさえ鼻を鳴らし、尻尾を振って理月の腕から飛び出していく。しかし決して離れようとはせず、二人の傍をよちよちと駆け回るのだった。
 「所で、どうするんだそいつ。ずいぶんなついてるみたいじゃねえか」
 「うちで飼いてえところだけど……マンションだしな、俺んち」
 「ああ、マンションとかいう家では動物は駄目なんだったか。それならうちで面倒見てやるのもアリだぜ。古民家ならおまえもいつでも会いに来られるだろ?」
 「名案だけど、そこまでしてもらうわけには――」
 「まだそんなこと言ってんのかお前は。ま、いいさ、お前が見つけた犬だ。お前の好きにすりゃあいい」
 雪の中に座り込んだまま笑い合う大の男たちの傍らで、犬が「ぷしゅん」とくしゃみをした。鼻をすすり上げるようなしぐさときょとんとした顔が妙に人間臭くて、理月は更に目尻を下げ、刀冴はそんな理月を見て緩やかに笑った。


 (了)

クリエイターコメントご指名ありがとうございました。理月様には初めまして、刀冴様にはお世話になっております。ワンニャン大好き宮本ぽちでございます。
仔犬って可愛いですよね…!

あんなWRさんやこんなWRさんが手がけられたお二人のプラノベ一覧の中に自分の名前が並ぶのかと思うと恐縮すぎて穴掘って埋まりたいのですが、結局受託させていただきました。
犬=柴犬だと何のためらいもなく確信いたしました。理月様の柴わんこ天国BSのイメージが強すぎて。

お二人の思いや関係の一端を少しでも描き出すことができていればと思います。
素敵なオファーをありがとうございました。
公開日時2009-01-11(日) 22:10
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