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<ノベル>
鍛えられた体を縮こまらせ、後頭部にたんこぶを作った理月は無言でいる。
「ま、いつものことだが――」
一方、どこか大袈裟に溜息をついてかぶりを振る刀冴は呆れ顔だ。
「馬ッ鹿だよなぁ、おまえ」
「……十三回も言わなくても」
「十四回目だ、馬鹿」
ささやかな抵抗をばっさりと斬って捨てられ、理月は唇をへの字に曲げるしかない。
「もう下ろしてくれよ、刀冴さん。自分で歩けるからさ」
「下ろしたらどうせ恵森(メモリ)を追っかけてどっか行っちまうだろうが。いいから大人しく背負われてろ」
「けど、重いんじゃねえかと思って」
「何言ってやがる」
馬鹿だ馬鹿だと言うばかりだった刀冴が初めて微苦笑を漏らした。理月には刀冴の表情までは窺えないが、どうやら好意的な苦笑であったらしいことは分かってこっそり安堵した。
刀冴におぶわれた理月の背には柴の仔犬と小さなドラゴンのような生き物がしっかりとしがみついている。ワイバーン型のドラゴンだろうか。仔犬とほとんど変わらない大きさだが、全身をびっしりと覆う硬質な鱗と鞭のような尾、大きく裂けた口でぎらりと光る鋭利な牙は見る者に恐怖を与えるには充分だ。
だが、ドラゴンと並んだ柴犬は楽しそうである。鎧のような鱗に鼻を押し付けたり、尾を前肢でつついたり、頬を舐めたり。ドラゴンもドラゴンでくるるると喉を鳴らし、くすぐったそうに体をもぞもぞさせている。
「しかし……ずいぶんと可愛らしくなっちまったもんだな、そのドラゴン」
「最初はでかかったんだって。恵森に吠えかかられたらびっくりしたみたいで、小さくなっちまってさ」
くるぅ、と鳴いたドラゴンが理月の肩に顔を押し付ける。しょげているらしい。逆に亜麻色の仔犬――恵森はどこか誇らしげに鼻面を持ち上げて「きゅん」と鳴いてみせるのだった。
「……理月」
肩越しに恵森の鳴き声を聞いた刀冴はちらりと視線を動かした。「今、にやけてるだろ。かなりだらしねえ顔で」
「え、なんで――」
「見なくても分かるっての」
当たり前だと指摘され、愛犬の愛らしいしぐさに目尻を下げていた理月はまたしても唇をへの字に曲げた。
首から籠を下げた青狼将軍と、将軍に背負われた漆黒の傭兵、傭兵の背中にしがみついた仔犬にドラゴン。穏やかな夕暮れに染め上げられた杵間山を奇妙な一行がゆっくりと下って行く。刀冴の籠に詰め込まれているのは薪と、とれたての山の幸たちだ。タラの芽、セリ、コゴミ、コシアブラ、ふきのとうなどがふんわりと詰め込まれている。
そう、元々は山菜採りに出かけた筈なのである。それにもかかわらず理月がなぜたんこぶを作り、あまつさえドラゴンというおまけまでつくことになったのか。その経緯を説明するには時間を半日前まで巻き戻さねばならない。
◇ ◇ ◇
季節は優しく移りゆき、雪に埋もれて行き倒れそうになっていた恵森も元気な姿で春を迎えることができた。マンション暮らしの理月のために古民家の一角を恵森の住処として提供している刀冴だが、毎日やって来ては締まりのない笑顔で世話を焼いて帰って行く飼い主に苦笑する日々が続いていた。
今日も理月がやってきたようである。くるんと丸めた尻尾をちぎれそうなほど振りながら軽快に吠える恵森がそれを教えてくれる。犬の鳴き声はどうしてこんなに表情豊かなのだろうと刀冴は時折思う。同じ吠え声でも、警戒している時の声と親しい者の来訪を喜ぶ声はまったく違うものだ。
ほどなくして姿を現した理月は煙管をくわえて縁側に腰かけている刀冴に手を振り、まっしぐらに恵森の元へと駆けて行く。
「恵森!」
「キャン!」
そわそわしながらその場をぐるぐる回っていた仔犬も待ちきれないといった様子で飛び出した。後ろ肢でぴょんぴょん跳び上がってだっこを催促する。しかし理月は催促などされるまでもなく愛犬を抱き上げて頬ずりしていただろう。
「恵森ー。また一段と可愛くなったなあ」
「昨日会ったばっかだろうが」
抱き締め、顔中を舐め回され、頭を撫で、そしてまた抱き締め……。抱擁と愛撫をせわしなく繰り返しながら頬を緩める弟分の姿に刀冴は呆れ顔で煙を吸う。
「そりゃそうだけど。やっぱ、日に日に可愛くなってくっていうか」
肩によじ登ろうとする恵森を片腕で抱きながら理月は刀冴の隣に腰かけた。
「仔犬は成長が早いって言うじゃん? ここ何か月かで見違えるくらい大きくなった」
「ああ……確かに、だいぶ立派になったもんな」
刀冴にくしゃくしゃと頭を撫でられ、恵森は大きな手の下で心地良さそうに目を細めた。あの公園で初めて見た時は瀕死の重体に陥っていた恵森だが、刀冴がかけた回復魔法のおかげですっかり元気を取り戻し、今は健康そのものの仔犬といった様子で餌を食べ、遊び、眠っている。
「立派だってよ。良かったなあ、恵森。刀冴さんに褒められたぜ」
高い高いの要領で恵森を抱き上げる理月と抱き上げられて尻尾を振る恵森、喜ぶ恵森を見てまた目尻を下げる理月。そんな理月の隣で、やれやれといった風情でぷかりと煙の輪を吐く刀冴。穏やかな日常が流れる古民家を春色の太陽と空が柔らかく微笑みながら見守っている。
「そうだ、理月。今日はどうすんだ? まただらしねえ顔して恵森と遊んで帰んのか」
「だらしねえ顔って、刀冴さん……いや否定はできねえけど」
「だろ? 仲間内じゃ有名だぜ」
愉快そうに「くくく」と喉を鳴らし、刀冴はゆったりと胡坐をかいた。「用事がねえなら山菜でも採りに行かねえか。そろそろ食べ頃らしいって今朝聞いてな。ついでに薪も調達してえし」
杵間山は刀冴の庭だ。山に住まう様々な精霊たちが土や木や沢の様子を毎日事細かに教えてくれる。
「ってことは、今夜は山菜料理?」
山菜採りに行くことを言外に快諾し、あまつさえ夕餉も馳走になることを決めたらしい理月が顔を輝かせる。刀冴は爽快に笑って肯いた。理月に求められるまでもなく、今晩はとれたての山の幸を使った料理を守役や理月とともに囲むつもりでいたのだ。
「そうと決まったら早めに出かけるか。ちょっと待っててくれ、籠か何か持って来る」
「あ、恵森も連れてっていいかな? 散歩にもなるだろうし」
「ああ」
言うと思った、と刀冴は苦笑し、理月は恵森を抱き上げて喜んだ。
「――ん? どした、刀冴さん?」
刀冴の視線に気付いた理月が顔を上げ、理月の腕の中の恵森もきょとんと首を傾げて刀冴を仰ぎ見る。
「いや。何でもねえ」
慈しみの色に染めた双眸を静かに眇め、刀冴は古民家の中へと入って行った。
雪の中で衰弱する一方だった恵森と、恵森を抱きながら青ざめ、己の無力感と目の前で命が喪われる恐怖に打ち震えるだけだった理月。そんな一人と一匹がこうして穏やかな時間を過ごしていることを、刀冴は何より嬉しく思う。
現在、恵森は生後四、五か月くらいなのだろうか。緩やかな斜面を登る刀冴と理月の後を懸命について来る。成人男性である二人とは歩幅が違い過ぎるが、健気な仔犬はへこたれない。幼いながらも骨太の足がちょこちょこと動く度、背中の上でくるんと丸まった尻尾がふりふりと揺れている。
「恵森。大丈夫か?」
数歩進んでは振り返り、その度に目尻を下げる理月に恵森は「キャン」と応じた。初めて訪れる場所に仔犬らしい好奇心を湧かせたのだろうか、前後左右にせわしなく動く三角形の耳が何とも愛らしい。小さく口を開けて舌を出した顔などはまるで笑っているかのようだ。
そして、そんな愛犬の姿に目尻を下げっぱなしの傭兵と、その傍らで呆れ顔を作る将軍の姿はもはや“お馴染みの光景”であるだろう。
「理月、お前な……」
「恵森、ゆっくりでいいぞ。足許気を付け――あ!」
理月の警告は一瞬遅かったようだ。地面に隆起した木の根に足を取られた恵森はこてんと転倒し、「きゅむ」と小さく悲鳴を上げた。
「恵森!」
「ほっとけ」
この世の終わりのような顔で恵森に駆け寄ろうとした理月を刀冴は溜息をついて制した。
「自分で立たせろ。これも勉強のうちだろうが」
「で、でも刀冴さん――」
「大丈夫だって。怪我したわけじゃねえんだから」
苦笑する刀冴の目線の先にはぷるぷると頭を振りながら立ち上がった恵森の姿がある。何事もなかったかのようによちよちと歩き始めた愛犬を見てほっと肩の力を抜く理月は初めての子を授かった親のようだ。
やがて辿り着いたのは山中を流れる清流のほとりだった。
「この辺にするか」
刀冴はこの場所を採集地と定めたらしい。理月と、数歩遅れて追いついてきた恵森は周囲を見回し、清浄な空気を胸一杯に吸い込むように深呼吸した。
適度に湿った土と木のにおい。木々が芽吹く季節にはまだ少し早いようだが、枝の先にちょこんとついた芽ははちきれんばかりに膨らみ、本格的な春の訪れを今か今かと待っているかのようだ。かすかに鳴る木の枝を通して降り注ぐ陽光のかけらはちらちらと揺れ、美しい。目の前の沢がきらきらと輝いているのは刀冴にじゃれつく精霊のせいばかりではないだろう。
さらさらと流れる水面を恵森が不思議そうに見つめている。動物は第六感が鋭いと言われているから、理月の視覚では捉えられない何かが恵森には見えているのかも知れない。
だが、つぶらな瞳に映っていたのは悪いものではなかったようだ。とてとてと駆け出した仔犬は沢に顔を近付け、鼻先を行き過ぎる流れに驚きながらもすぐに水を飲み始めた。
「喉乾いただろ。頑張ったもんなぁ」
整った顔立ちをでれっと崩して愛犬を撫でる理月の脇では刀冴が既に黙々と山菜採りに励んでいる。
穏やかに注ぐ光のシャワーと涼やかに流れる沢に見守られ、二人と一匹は早春の山の空気と香りを楽しむ。
「あ」
地面に顎がつきそうなほど体勢を低くした理月はぱっと顔を輝かせた。
「刀冴さん、あった!」
「……理月。そいつは毒だ」
軽く眼を眇めて冷静に指摘した刀冴に、理月は「え」と声を上げて手にした山菜を取り落とした。
「でもこれ、刀冴さんがさっき採ったそれとそっくりだぜ?」
「見た目はセリにそっくりだが、そいつはドクゼリって言ってな。見分け方は……ああ、いい、説明が面倒だ。ともかく、山菜もキノコと同じで慣れないと見分けがつかねえ種類もあるってことだ」
「そっか」
やっと見つけたと思った山菜が毒だと知ってうなだれる理月。その足許で恵森がきょとんと首をかしげている。
「お前、その辺で恵森と遊んでたらどうだ」
「俺も手伝うよ」
「はは、いいから遊んでな。毒草を採られちゃかなわねえ」
爽やかな笑顔で断言した刀冴に見送られ、理月はすごすごと前線(?)から離脱した。
一方、理月を独占できると思ったのか、恵森はひどく嬉しそうだ。足許をよちよちと跳ねながら飼い主を傍の沢へと導く。素晴らしい的確さと速さで採集を続ける刀冴の背中をちらりと振り返った理月は小さく溜息をついた。
「……役に立たねえのかなぁ、俺」
「くーん?」
「ん、ああ、ごめんな。一緒に遊ぶか」
抱き上げると、恵森はぱたぱたと尻尾を振った。
刀冴が近くにいるせいだろう、水遊びをするには早すぎる時期だというのに不快な冷たさは感じられない。流れに足を浸してみても日向に半日置いた水のような心地良い温度があるだけだ。幼い恵森もじゃぶじゃぶと水の中に入って行く。
理月の足許を小魚が泳ぎ過ぎる。早春の陽光を銀色の背中に反射させながら、流線形の体はすいすいと水の中を進んで行く。それを水面から恵森がじっと狙っている。動物は小さくて動く物にひどく興味を示すものだ。魚の動きを追う幼い体が緊張しているのが遠目にも見てとれて、理月は小さく声を上げて笑った。
周囲はまだ裸木が目立つが、新緑の季節もすぐそこだ。芽吹いた緑は旺盛に生い茂って季節を謳歌し、枯れ、散り、土へと帰って次代の命を育む。そうやって命と季節は流れていく。恐らくは、何があっても変わることなく。
――来年の今頃はこうやってここにいられるのだろうか。ふとそんな感慨が胸に入り込んで、理月の背をひんやりとしたものが撫でる。
水と戯れる恵森。さらさらと流れる沢と、風に吹かれて枝を鳴らす木々。青い空。空と同じ色の衣裳をまとった刀冴の背中。
目の前のひとつひとつを銀色の双眸に焼きつけ、漆黒の傭兵は鋭利な容貌に似合わぬ緩やかな笑みを浮かべた。
(……今を大事にするだけだ)
終わりが近付いて来ている気がすると少し前に刀冴が言っていた。どうあろうと最後まで十全を尽くすだけだとも。
自分もそうあろうと思う。かけがえのない仲間とともに過ごすこの日々を愛し、慈しもうと。銀幕市で邂逅したすべての出来事への感謝を込めて愛犬に恵森という名を与えたのもそんな心情があったからかも知れない。
願わくば、たとえこの身が消えたとしても、自分の存在の証が恵森の中に残るように。自分が傍に居られなくなった後も、この仔犬が森のように豊かな幸いと恵みに囲まれて健やかに育つように。
「キャン!」
悲鳴のような仔犬の声で理月の意識はその場に引き戻された。ばしゃん、という派手な水音。慌てて目を上げると、沢の中に座り込んでぷるぷると頭を振っている恵森の姿があった。魚をとろうとして失敗したのだろうか。
「恵森! 大丈夫か?」
ばしゃばしゃと水を蹴散らして駆け寄ると恵森はくーんと鼻を鳴らした。その後で「ぷしゅん」とくしゃみをひとつ。鼻水を垂らしながら首を傾げるいとけない姿に理月は安堵した――筈だった。
不意に、覚えのない気配がひとつ。がさがさと茂みを掻き分ける音。
顔と体を瞬時に緊張させた理月が弾かれたように振り返るのと、“それ”がぬうと顔を覗かせたのはほとんど同時だった。
3メートルは超えようかという巨体。体をびっしりと覆う硬質の鱗はまるで剃刀のよう。背中でばさりと開かれる翼は天空の覇者の証なのであろうか、目をみはるほど巨大で、猛々しい。大きく裂けた口には獰猛な牙がずらりと並び、ぎょろりと開いた目は瞳孔が縦に裂けていて、魔物やモンスターと呼ぶにふさわしい風体をしている。
そう、ドラゴンである。映画やゲームの中でよく見かける、翼の生えた肉食恐竜のような姿をしたワイバーン型のドラゴンだ。
ハ虫類のような眼が品定めでもするかのように理月と恵森を睥睨する。巨大なドラゴンからすれば身長180cmの理月など幼子同然の大きさだろう。仔犬の恵森に至っては豆粒のように見えている筈だ。反射的に愛犬を背後に庇おうとした理月であったが、恵森は沢の水を蹴立てて魔物の目の前へと躍り出た。
「恵森、よせ!」
理月の声は届かない。勇敢な仔犬は小さな足を踏ん張って飼い主の前に立ち、盛んに吠え立てる。この小さな体のどこにそんな勇気が潜んでいるのだろうか、絶え間なく放たれる声は凛として、逞しい。
恵森は魔物を追い払おうとしている。こんな幼い身で理月を守ろうとしている。雪に埋もれて震えていたあの仔犬がいつの間にここまで成長したのだろう。
と――次の瞬間、理月は我が目を疑った。
凶暴な姿をしたドラゴンが慌てたように右往左往したと思ったら、ぽふんと煙を上げて縮んでしまったのである。
煙が晴れた後には恵森とほとんど変わらない大きさのワイバーンがいて、親とはぐれた動物の子のようにおろおろとその場を行ったり来たりしていた。
恵森が地を蹴って飛び出す!
「あ――」
子供のドラゴンに子供の柴犬が襲い掛かり、もつれ合った両者は地面を転がる。そしてその先には小さな崖。
「恵森!」
「キャン!」
考えている暇などなかった。矢のように飛び出した理月は仔犬とドラゴンを腕に抱え、二匹を庇うように体をひねって背中から倒れ込んだ。
着地したと思った瞬間、背中の下の地面がずるりと動いた。
地面が動いたのではない。理月の体が崖を滑り落ちたのだ。
腕の中の仔犬とドラゴンを守るように体を丸めて転落した傭兵は、崖下に鎮座していた石に後頭部を打ちつけ――呆気なく気を失った。
◇ ◇ ◇
気が付いた時には理月は刀冴に背負われていた。恵森とドラゴンももちろん無事だ。すっかり意気投合したらしい二匹は理月の背中にしがみついてじゃれ合っている。
「そもそもだな」
理月を背に負い、夕暮れに染まる杵間山をゆっくりと下りながら刀冴は幾度目とも知れぬ溜息をつく。
「俺があのドラゴンに気付かなかったと思うのか?」
山菜採りにいそしみながらも刀冴はすべてを把握していた。精霊たちが周囲の状況を事細かに教えてくれるし、そもそも刀冴は気配に対して鋭敏だ。このドラゴンが見た目に反して臆病で穏やかな性質であることも最初から察していた。それにこの山の地形に精通している刀冴は、あの崖がごくごく小さなものであることもきちんと知っていたのだ。
「知ってたなら教えてくれたって……」
「心配ねえと思ったんだよ。ま、お前が崖から落っこちて目を回すとまでは思ってなかったが。ったく……」
どこまで馬鹿なんだと呟いた刀冴に、理月は後頭部のたんこぶをさすりながらもごもごと口ごもるだけだ。
「普通に受け身さえ取ってりゃ頭なんて打たなかっただろうが。どうせ恵森とそのドラゴンを庇って背中から落っこちたんだろ?」
「え、何で分かるんだ?」
「誰だって分かるぜ。しっかり抱きかかえたまんま目回して倒れてたんだから。――あんまり心配させんじゃねえよ、馬鹿」
「……ん」
呆れ返る刀冴の背中に額を押し付け、理月は懸命にくすぐったさをこらえた。刀冴の言葉は荒いが、本気で叱咤されているわけではないことはちゃんと判っている。刀冴が自分の身を案じてくれたことも、無事で良かったと思ってくれていることも。
刀冴の背中は大きくて温かく、心地良い。実の家族との思い出がない理月だが、自分が三つの頃に実の兄が家を出たということは知っている。だから――兄とはこういうものなのだろうかと感じて、ついくすぐったい笑みがこぼれてしまう。
「何だ? 何笑ってんだ、理月」
「刀冴さんの背中、太陽の匂いがすんのな」
「何言ってやがる」
夏空色の目を持つ将軍は快晴の空のように笑った。
――理月はこの日の記憶を幸福と断じるだろう。たとえこの先どんな未来が待ち受けていたとしても。
刀冴が笑ってくれたのが嬉しくて、理月もまた同じように笑みを浮かべる。少年のような主人の笑顔を一番近くで見守りながら、幼い柴犬は「くーん」と鼻を鳴らした。
(了)
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クリエイターコメント | ご指名ありがとうございました、そしてお待たせいたしました。 しっばしばプラノベ第二弾(?)をお届けいたします。
それにしても、理月様のキャラを崩し過ぎたでしょうか(あまり後悔していないような顔で)。 恵森ちゃんへの愛情と、刀冴様との御関係が微笑ましくえがけていれば幸いです。 仔犬って可愛いですよね…!
所で、刀冴様の背中は干した布団のようなのではないかとふと思った宮本でした。何ともいえずあったかくて幸せなあの感じ。 |
公開日時 | 2009-04-01(水) 18:30 |
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