★ ワン・ナイト・イン・チャイナタウン ─銀幕黒夜─ ★
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
管理番号106-519 オファー日2007-05-27(日) 00:00
オファーPC ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
ゲストPC1 カレン・イップ(cypw7948) ムービースター 女 36歳 中華料理店の女店主
<ノベル>

 黄の法衣に赤い顔、腰まで垂れた顎鬚のその神像は、関聖帝君。つまりは三国志の武将、関羽である。線香の煙に包まれた像の前に女が一人。膝を付き、作法にのっとり叩頭していた。
 そこは銀幕市の中華街にある関帝廟である。商売の神であり、華僑の守り神として知られる関聖帝君は、ムービーハザードが起きたときに、チャイナタウンとともにこの場所に具現化した。元々銀幕市に住んでいた者も、映画の中からやってきた者も、皆、彼を歓迎した。
 今、ここで膝を折る女も同じである。
 これから夜も始まろうという七時半。参拝者もまばらな中で、高襟の白いチャイナドレスの女は顔を上げた。右目につけた眼帯、高く結い上げた黒髪。
 彼女の名前はカレン・イップ。金燕会を率いる女侠である。
 カレンは視線を、関聖帝君の持つ青龍偃月刀に移した。キラリ。冷たい金属に、一人の人物の像が映る。
「イップ・ガーヤン(葉嘉恩)、久しぶりだね」
 ふいに背後から、中国名で彼女を呼ぶ声がした。しかしカレンは振り向かず、ただ唇の端を歪めて笑った。
「高(ゴウ)先生。わたしはもう済みましたので、どうぞ、ごゆっくり」
 声の主は、違うよ、と言って前に進み出た。八十代にもなろうかという老人である。灰色の人民服を着ており、貧困とは無縁の体格──つまりは肥え太った身体を、持て余したように揺らせていた。後ろには当然のように黒服の男が二人控えている。
「──私は、数刻前に参拝を済ませておいたのだ。貴女が来るのを待っていた」
「わたしを?」
 僅かな衣擦れの音をさせて、カレンは立ち上がった。老人と相対し、失礼のないように目を伏せる。
「貴女は今一人だね? ちょうどいい。今夜、私の店で食事をしていきなさい。──もう一人、会わせたい者もいるのだ。構わんね?」
 老人は、身体にぴったり張り付くような細身の白いチャイナドレスを着たカレンの姿を見て目を細める。何でもないことを言っているようでいて、その実、有無を言わせない口調だった。
 カレンは、ひたと相手を見据え、目でうなづいた。
「もちろん言っておくが、私の店に無粋なものは持ち込まないように。銃はこの男に預けなさい。それから外にいる貴女の手の者はここに残していくといい」
 つらつらと言われて、長く息を吐くカレン。
「分かりました。今はプライヴェートの時間なのですけれど。貴方には従います」
一つしかない目を相手に向けて言う。「──三合会、黄鎗幇のゴウ・ウィン(高永)先生のお誘いであれば」


 ★ ★ ★


 その男は目前の闇を恐れていた。
 ヒイッ、と息を呑み、地面に尻をついたままの格好で後ろへ、後ろへと逃げようとする。
 栗色の髪をした白人の若い男である。赤いシャツに灰色のスーツ。真っ当なカタギには決して見えない男は、大粒の汗をかきながら後ろ手に何かを探しはじめる。
 白くぽっかりと、街路灯の明かりが闇の中に空間をつくる。その下で。
 闇が男を一人、生んだ。
 全身漆黒のスーツをまとった──これも白人だった。
 そびえるような長身である。灰色がかったプラチナブロンドが白く、浮き上がるように明かりに映えている。右目と左頬には、大きな傷。彼は地面を這いずる目の前の男の足先から、その頭にいたるまでを、残った一つの目で舐めるように見た。 
 ユージン・ウォン。白人ながら、香港三合会の一派・新義安の幹部であり、組織の荒事を一手に引き受ける武人である。
「や、やめろ、元はといえばお前らの方が──!」
「知ったことか」
 ジリ。ウォンは一歩踏み出す。「誰であろうと、三合会の人間を殺した者は死ぬ」
「ま、待て! 俺を殺せばファミリーが黙ってないぞ」
「ファミリー?」
 尻をついた男の言葉に、ウォンはフンと鼻を鳴らした。
「くだらん。ダンスの相手が増えるのなら歓迎するがな」
 言いながら、右手のグロック34を傾けるウォン。カラン、とマガジンを落としながら、また一歩。取り出した新しいマガジンをセットする。

「──踊れ」

 哀れな犠牲者が光の中から闇へ。逃げ出そうとしたその時。
 ウォンはただゆっくりと、グロック34を持った手を上げた。轟音。闇の中から聞こえたのは悲鳴というより、何かがつぶれたような音だけだった。
 間。何事もなかったかのように拳銃を懐に納めると、ウォンは手を伸ばし地面から何を拾い上げる。
 それは一本のプレミアフィルムだった。
「王大哥」
 後ろから声を掛けられても、ウォンはそのフィルムを見つめていた。今まで命乞いしていた男の成れの果てを。
「王大哥」
 声の主は、ウォンの耳に届いていないと思ったのか、もう一度彼を呼んだ。部下のラウ(劉)である。
 どうした、とウォンが尋ねると彼は、失礼しました、と前うってから続けた。
「先ほど、香主から連絡がありました。黄鎗幇のゴウ・ウィン先生が王大哥をお呼びだそうです」
「ゴウ・ウィンが?」
 意外な名前に、さすがのウォンも振り返った。ラウの顔を見ると、部下も肩をすくめてみせる。
「そうか。理由は分からんが、行かぬわけにはいかないな」
 振り向きざまに、手にしたフィルムを落としてウォン。フィルムは地面の上に落ち、乾いた音を立てて転がっていく。
「人の命なんてものは紙切れのようなものだが、この街ではフィルムときたもんだ。おかげで仕事はやりやすいが、ジョークととしては全く笑えんな」
 そう言いながら英系華人はフィルムを足で踏みつけて破壊した。


 ★ ★ ★


「私がお茶をいれよう。ゆっくりとしていってくれ」
「恐れ入ります」
 テーブルについたカレン・イップは背筋を伸ばしたまま、微動だにしない。その横で黄鎗幇のゴウ・ウィンは自ら、緑の龍が描かれている茶器を使い三つの器にお茶を注いでいる。
「もう一人も、すぐに来るだろう」
 カレンはうなづいた。豪奢な明朝風の部屋は広く、部屋の隅には高価な壷や工芸品が飾られている。中央に位置する丸テーブルには三つの席が用意してあった。ゴウと、カレンと、もう一人のためのものだろう。
 そして窓は縦長のものがひとつあるだけで、傍に黒服の男が控えている。懐に銃を呑んでいるようであり、明らかにゴウのボディーガードである。
 カレンは心の中で嘆息した。彼女も儒を尊ぶ華人の一人である。今でこそ銀幕市という日本の一都市にいるもの、映画の中でそうしていたように、金燕会は他の犯罪結社と不可侵の関係を維持している。そしてそれは同郷人であればまた一味違うのだ。
 ゴウの黄鎗幇は三合会の中でも一大勢力である。黄鎗幇の実権を息子のゴウ・ウェイ(高威)に譲り、今は悠々自適の引退生活を送っているというものの、老人の眼光は今だに黒社会の中に睨みを利かせている。
 その長老ともいうべきゴウが、格下の自分に対して自ら茶を振舞おうとしている──。カレンはすでに感づいていた。ゴウが自分に侘びを入れるつもりであること。そして自分を誰に会わせようとしているのか。
「高先生」
 不愉快な思いをする前に早くこの場を立ち去らねば。カレンは思い立ち口を開いた。
「寡婦という卑しい身分のわたしに過分なご配慮をいただき、亡くなった夫ともども感謝しております。……ですが、わたしはただの燕の一羽に過ぎません。龍の頭たる先生と食卓を囲み、その末席を汚すわけにも参りません。どうか、その先生のお茶をいただきましたのち退席することをお許しくださいませ」
 頭を下げ、また顔を上げると目の前のゴウは微笑んでいた。
「──青い目の男は嫌いかね」
 スーッと茶杯を差し出し、カレンの前にそれを置くとゴウは続ける。
「私も同じだよ。私も青い目の人間は好かん。……しかし」
一度、言葉を切り扉の方を見やる。「私は、よく斬れる刀を使うのが好きなのだ。それが西洋の刀であろうと切れ味が良ければ問題はない。貴女も私と同じ考えであることを願うよ。……さあ、来たようだね。もう一人が」
 扉がノックされ、若い使用人に連れられ長身の男が姿を見せた。

 ユージン・ウォンであった。

 彼は部屋に足を踏み入れ、ゴウ・ウィンに一礼しようとして目を見開いた。隣に、そこにいるはずのない女の姿を認めたからである。
「!」
 ウォンの左手が反射的に自分のスーツの襟を掴み──止まった。銃器の類を全てを預けてしまっていたため、抜くものが無かったこともあったが、彼とて新義安の幹部の一人である。瞬時にして、この状況の意味を察したのだった。
 ゆっくりと手を戻し、彼は改めてゴウに対し一礼した。
 視線をそのまま横に流し、カレンを見る。
 金燕会の女頭目は、不愉快そうに眉間に皺を寄せ、目を伏せた。
「よく来たね、ウォン・ユーツェン(王宇澄)。さあ、こっちへ来て座りなさい」
 やはり眉間に皺を寄せて、ウォンは無言で席についた。見ればゴウが自ら茶を入れて、自分に差し出すではないか。彼は苦虫を噛み潰したような顔になり、長く息を吐いた。
「�先生、あの件は──」
「ユーツェン」
 何か言いかけたウォンを手を上げて制し、三合会の長老は堂々とした仕草で両手を机の上に置いた。「まずは、ゆっくり食事を楽しみなさい」
 と、彼が言うのを見計らったかのように給仕が最初の料理を運んできた。なめらかな仕草で置いたその皿には、鮑(アワビ)とクラゲの冷菜が乗っている。
 給仕が料理を皿に取り分ける間、カレンもウォンも、相手を見ては無言で睨むなどの行動を繰り返した。
「さあ、食べなさい。──わたしの店で出すものは君たちが親しんでいる料理と同じはずだよ」
 そう言いながら、ゴウは鮑にさっそく箸をつけた。目上の者が箸をつけないと、他の二人が食事を楽しめないだろうという配慮からだった。
 一拍置いて、カレンが箸を持ち鮑を口に運んだ。それを見て、ウォンも料理に箸をつけ始める。
「この街は奇妙なことになっているね」
 誰も口を利かないため、続けてゴウが言った。まるで諭すような口調である。
「私も、君たちもそれぞれ出身の映画が違う。だが文化は同じだ。名誉を重んじる華人の心は、国や──そう、世界が変わっても、変わらない。そうは思わないかね?」
 対する二人は同意するように、目でゴウにうなづいて見せた。
「私は同郷人が争う様を見たくないのだ」
ゴウは二人を見、その視線をカレンで止める。「イップ・ガーヤン。どうだろうか、この老いぼれに免じて、先日の件は──」
「高先生」
 半ば慌ててカレンが声を上げ、ゴウの言葉を止めた。残った左目でウォンを一瞥した彼女は、一息ついてから落ち着いた声で続けた。
「わたしのような下賤な者をこういった場に招いてくださったことで、お気持ちは十分いただいております。わたしと彼の一件は取るに足らぬ遊戯のようなもの。わたしどもと三合会との関係も以前と変わることはないでしょう。どうかその話題はここまでに」
 このままゴウが話をすれば、彼に頭を下げさせることにもなりかねない。それは逆にゴウに貸しをつくることにもなる。それは今、三合会に属していないカレンにとっては避けたいことであった。
 彼女の言葉を聞いて、ゴウは太った身体を揺らせて微笑んだ。自分が言わせたかった言葉を、カレンが口にしたからだ。
 ゴウがカレンに詫びようとしたのは、先日、ウォンが金燕会の小さな売店を爆破した件についてである。取るに足らない小競り合いの一つにしか過ぎないが、この件を使って、ゴウはカレンを呼び出す口実を作ったのだ。
 もちろん、自分からカレンに侘びようとしたのは見せかけにしか過ぎない。その実は彼女を呼び出し、改めて金燕会に対する牽制をするのが目的だったのだろう。カレンの代になり、古いしがらみに囚われなくなった金燕会は小規模ながらも、銀幕市のあらゆる暗黒面に触手を伸ばしている。
 ──食えぬ老狸だ。
 自分をダシに使われたことに気付いたものの、ウォンは無言で食事を続けた。このぐらいの駆け引きができないようでは三合会の幹部は務まらない。
 とはいえ、同郷人の争いを見たくないという言葉も本心からだと思われた。
 急に上機嫌になったゴウは給仕に声をかけ、次の料理を早く持ってくるように言いつけた。
 すると給仕はスープと肉料理の皿を持ってきた。一人の給仕が、豆腐の五目あんかけスープと、豚の胃袋のトーシ炒めです、と料理の説明を加え、もう一人の給仕はゴウに耳打ちした。
「うん? ああ、そうか。珍しいな」
 ゴウはそうつぶやき、視線を客人二人に戻す。「失礼、私に電話が入ったようだ。しばらく席を外させてもらうよ」
 突き出た腹をなでながら、ゴウが席を立つ。老幹部は、そのまま隣室へと姿を消していった。


 ★ ★ ★


「──チッ」
 二人きりになって最初に口を開いたのはカレンだ。「高先生にああ言われちゃあ、仕方がない。反吐が出るが、お前とも口をきいてやるよ。ユージン・ウォン」
「それは有り難いな、売女(ビッチ)」
対するウォンは涼しい顔だ。「上っ面だけでも仲が良いように見せておかないと、流れ弾でお前がくたばった時に、私のせいだと疑われかねないからな」
「それは脅しかい?」
「蜂は夜目が利くが、燕は夜目が利かん。せいぜい暗闇では気をつけることだ」
 ムッとしたようにカレンは、手元の皿の肉に箸を突き刺した。
「フン、ならお前も風の強い日には気をつけるんだね。あたしは青い目の男が大嫌いなんだ。塵だけじゃない何かが飛んできて、お前の残った目を潰しちまうかもしれないよ」
「結構。この腐った世の中を見ずに済むのなら清々する」
 ウォンはカチャカチャと音を立て豪快にスープを飲む。二人の人物に、二つの瞳。カレンは眉間に皺を寄せ、クソ青目野郎が、と呟き会話を切った。
 早く食事を終わらせてしまおうとばかりに目の前の料理を片付けることに専念し始める。

 その時だった。カシャン、と窓が割れるような音が二人の耳に入ったのは。

「!?」
 椅子を蹴倒して、立ち上がる二人。音の方向は隣室。ゴウがいるはずの部屋である。
 窓際のボディーガードの男が動いた。
「──待て!」
 彼の動きを見、ハッとするウォンだったが、遅かった。
 部屋の窓が割れ、男は身体をくの字に折り、そのまま床に倒れた。窓の前を通りかかり、外からの狙撃を受けたのだ。そのままビクンと身体を震わせて静かになる。
 クソ、と舌打ちするウォン。身を低くし、跳ぶようにステップを踏んだ彼は窓際の壁に背中を張り付かせる。見れば、窓の反対側の壁にカレンがいた。彼女も同じように壁に背中を張り付かせている。その見事な足をチャイナドレスのスリットから覗かせて。
 二人の目が合った。
「誰だい? 相手は」
「心当たりはある」
「銃は?」
「持っているわけがなかろう」
 そう答えたウォンに、カレンは倒れた男に向かって顎をしゃくってみせた。
「なら、その男の銃を使いな。あたしは高先生を助けに行く」
 いきなり狙撃を受けたという状況に遭遇しているにも関わらず、二人は落ち着き払っていた。さすがは黒社会を長く生き抜いてきただけのことはあった。動ずることなく素早く次の対応を考える。
 カレンの言葉にウォンは無言でうなづくと、足元に倒れている男の身体を自分の方へと引き寄せる。
 それを確認すると、女侠もそろそろと隣室の方へ移動した。

 しばらくの間、窓の外からの狙撃はなかった。ウォンが死んだ男の胸元から拳銃を引っ張り出し、残りの弾数を確認している頃、カレンがゴウを庇うように連れてきた。
 こちらの部屋に来たということは、脱出口は一つだけか。
 ウォンは退路をイメージしながらも、ゴウに目礼する。
「ユーツェン。まずいことになった」
「モリコーネ、ですね」
 したり顔でウォン。
「そうだ」
 うなづき、ゴウは傍らのカレンに向かって手短かに説明してくれた。
「ガーヤン。息子ウェイの義理の弟が、モリコーネ・ファミリーとのつまらん小競り合いのすえ殺されたのだ。つい昨日の話だ。犯人はこのユーツェンが先ほど仕留めたし、今夜、ウェイは兵隊を連れて連中を叩きに出向いてるのだが……。迂闊だった、済まない。まさか引退している私を狙うとは──」
「いいえ」
 謝るようなことでは有りませんわ。澄んだ声でカレンは言った。
「ここには兵隊がいないのですね」
「そうだ。来る時に確認した」
 入口のドアを見据えながらウォン。
 二人は、武器と通信手段──携帯電話の類を全て、料理店の入口でゴウの手の者に預けてしまっていた。つまり今、武器はボディガードが持っていた銃一丁しかないという状態なのである。部下に連絡を取ることすらできない。
「──連中は『血の葬列』という映画から実体化したイタリアン・マフィアだ。派手好きで野蛮ときてるから、この建物をまるごと爆破しかねん。それを防ぐためにも早急にここを脱出する必要がある。外に出れば、部下たちを呼び寄せることもできるだろう」
と、彼は隣室から恐々と顔を出す給仕たちに目を向けた。「……お前たちはその辺りの棚の中にでも隠れて息を殺しておけ」
「高先生」
 カレンは太った老人の手を握った。「こうなったからには、蜂と燕が貴方を外にお連れいたしますわ」
「ハッ」
 この女、ここぞとばかりに恩を売る気だな──。彼女の言葉に、思わずウォンは凄みのある笑みを浮かべる。
「まさかお前と手を組む事になるとはな。足を引っ張るなよ、ビッチ」
「お前こそ、一丁しかない銃を渡したんだ。ヘマするンじゃないよ」
 カレンも結った自分の髪に触れながら口の端を歪めて笑う。取り出したのは細く長い針が三本だ。
「暗器か」
 お前らしい卑怯な武器だな、と言い掛けてウォンはその言葉を呑み込んだ。手の中の銃──FNハイパワーだった──のセーフティを外し、部屋の入口の扉へ視線を移す。
 そしてもう一度。横目で女を見る。
「行くぞ」
 カレンもうなづいた。


 ★ ★ ★


 ──ダンッ! と扉を蹴破ると、ウォンは半身を隠したまま銃を片方に向けた。エレベータのある方向だった。
 敵が居たのか。間髪入れずに彼は、ドンッドンッと二発撃った。
 遠くから聞こえる、くぐもった悲鳴。
 三秒間。ウォンは前方からの追撃を待ち、他に敵がいないことを確認した後、動いた。もう二歩踏み出し、ドアで遮蔽をとりながら、反対側に向かって銃を向けようとする。
 しかし今度こそは相手の方が早かった。
 拳銃の弾が分厚いドアに阻まれ、木目に銃弾がめり込んだ。
 ウォンはひとまずドアに全身を隠し、背中を付けて目を閉じた。ドアに次々に銃弾が撃ち込まれていく。いくら分厚い扉とはいえ耐えられる時間は限られているだろう。
「カンツォーネというわけにはいかないか」
 まるで音楽を聞くように、銃撃のリズムを感じ取るウォン。
 闇の中で拍を掴んだ彼は、カッと青い目を開いた。銃撃が止む、その一瞬。身を翻したウォンは、手を伸ばし見事なフォームで銃を構え、撃った。
 続けて5発の銃声。
 何かが重いものが倒れる音。悲鳴。──そして場は静かになった。ゆっくりと銃を降ろしウォンは動いた。倒れて呻いている男たちの元に大股で歩いていくと、彼らの手元の銃を蹴り飛ばす。
 エレベータ側の男たちは、とっくに絶命していた。
 一拍置いて、連れの元に戻ると、カレンは身を屈めて床に両手と耳を付けていた。階下の物音を聞いているのか。
「おい」
「一階にも、かなりの人数がいるね。ざっと三十ぐらいか」
 彼女がそう言うと、ウォンはひょいと眉を上げて見せた。
「そうか。ならお前もさっさと武器を調達しろ」
「言われなくても、そうするさ」
 金燕会の女ボスは立ち上がり、廊下に出てウォンが倒した男たちを一瞥した。そして足早にエレベータの方に歩いていき、倒れた男が手にしている銃を手に取って奪う。
 調子を確かめ、ウォンに見せるその銃は、小型の拳銃ベレッタM8000である。
「デカブツは嫌いでね」
「そうなのか? 女はデカい銃を好むものだと思ったがな」
「馬鹿言うんじゃないよ、大きさよりテクニックさ」
 ウォンのジョークを面白がるようにカレン。「さて──急ぐとするか」
 二人は、呻いている男たちを見た。


 ★ ★ ★


 ゴウの店の1階フロアは二つのホールで構成されている。その全域にイタリア人たちが息を潜めていた。ある者はテーブルの下。ある者は壁際に。明かりは卓上に置かれた洒落た灯篭だけである。
 これから2階へ攻め込むために、階段近くにいた者たちが物音を聞いて反応した。客用の階段ではなく、その裏にある従業員用の非常階段の方である。ドサッという音。そして誰か複数の者たちが階段の中途で何やらうごめいている気配がするのだ。
 一人の男が動き、厨房の入口に立っていた司令官らしき男に耳打ちした。グレーのクラシカルなスーツに白襟ピンク色のシャツ。乾いた血の色をしたネクタイを身につけた40代半ばの色男だった。髭を蓄え、黒髪はクセ毛をそのままに遊ばせている。
 モリコーネ・ファミリーの荒事屋。“地ならし”のヴィスコンティであった。
 目を閉じ、また開いて。ヴィスコンティは階段に向けて無言で顎をしゃくった。
 殺れ。
 そのメッセージを受けて、マフィア達は動いた。非常階段の踊り場に向けて一斉に機関銃を向ける。
 小窓から差し込むネオンの明かりを背後に、ゆらり。2つの影が躍り場に現れた。
 ダダダダッ!
 男たちは一斉に撃った。クラシカルなトンプソン短機関銃から発射された無数の弾が2つの人物に襲い掛かった。
 もろに被弾した一人は、後ろに飛ばされ窓に後頭部を突っ込んだ。もう一人は避けようとしたのか側面に被弾し、もんどりうって壁に叩きつけられ、木蓮の描かれた水墨画とともに床に崩れ落ちた。
 殺ったか!? 誰かが言った。
 しかしネオンの明かりが照らすのは、目隠しされた白人の死体だった。それは彼らの同胞だったのだ。

 ──チン。

 何ィ!? と誰かが声を上げようとしたその時、静寂の中に間抜けな音が響く。反対側のフロアで、エレベータが1階に到着した音だった。
 観音開きの扉が開き、そこに二人の人物が立っていた。

 男は両手に、女は片手に。まっすぐに銃を構えている。

 扉が開ききる前に、二人は同時に撃った。非常階段の方に気を取られていたイタリア人たちは慌てて体制を整えなおそうとするが──遅い!
 ウォンとカレンは目の前の敵を一掃すると、数歩踏み出し、エレベータから外に出てフロア中の男たちに容赦のない銃撃を加えた。
 エレベータの中には身を屈めた老人がいる。ゴウは、そっと手を伸ばしてボタンを押し、エレベータの扉を閉めた。
 隣りのホールの連中がこちらに向かって来ようと走りこんでくる。
 ウォンは傍らの重厚なテーブルを蹴り飛ばし、カレンに手招きした。彼女は跳ねるような動きで彼の傍へと滑り込んできた。彼女の動きはまさに女豹だ。
 時計回りにくるりと回り背中合わせになった二人。ウォンは厨房側を、カレンは窓側を向き撃った。喉を撃ち抜かれテーブルを転げ落ちる男、窓に背中を突っ込み絶命する者。絶え間なく鳴り響く銃声が死の戦慄を奏で、血と鉄の嵐が吹き荒れる。
 その間、約数秒。二人はサッと腰を折り、テーブルの影に身を潜めて敵から遮蔽をとった。
「──頭は?」
「10時方向、奥のフロアだ」
 カレンは目を細め、ひたとウォンを見た。
「あたしがそいつを直接叩きに行く。いいね?」
「いいだろう。お前に弾を当てないようにしてやる」
「そりゃ助かるね」
「武器は?」
「途中で寄り道していくさ」
 ニヤと笑い厨房を見やるカレン。テーブルの影から銃口を覗かせ、二、三発撃って相手を牽制して自分で道をつくると、サッと飛び出し観葉植物の植えられた長方形の花壇の後ろに隠れる。
 ウォンも彼女を援護するために撃った。とはいえそれはただの援護射撃ではなかった。彼は、一千もの修羅場を潜り抜けてきた強者である。今の五発の弾で三人の頭や手を撃ち抜いていた。
 その様子を見、彼に目配せすると、カレンは厨房に続く方へ姿を消した。
「さて」
 ウォンもテーブルの反対側の方へと移動する。「トマトどもには、とっておきのジルバがお似合いだ。踊りつかれてケチャップを床にブチ撒けるがいい──!」
 言いながら、彼は同じフロアにいる連中を一人ずつ確実に仕留めるために動き出した。


 ★ ★ ★


「ファック! 相手はたったの二人だぞ!」
 ヴィスコンティは、地団駄を踏むようにしながら先の尖った靴で床を蹴っていた。エレベータのあるフロアから続く銃撃が、確実の彼の勢力を削いでいる。
「おい、それを貸せ」
 部下たちの動きを不甲斐ないと感じたのか、彼は手近な者からトンプソン短機関銃を奪った。
 ジャキッとそれを構えた様子は、この上なく彼の容貌に似合っていた。
「アリヴェデルチ(あばよ)!」
ヴィスコンティは、薄暗いフロアに向けてフルオートで弾をばら撒いた。「ハッハー、人肉ミンチの出来上がりだぜェ!」
 フロアからの銃撃が止んだ。ヴィスコンティは手にした弾切れの銃を投げ捨て、代わりの銃をまた手近な部下から奪った。それを敵の潜む辺りに向けようとした、その時──!
 彼は側面からの殺気に気付き、無意識のうちに銃を向けようとした。

 ──ザンッ!

 機関銃の銃身が。ドラムマガジンを残して宙を舞っていた。
 その向こうに肉切り包丁を構えたチャイナドレスの女が一人。顔を上げた隻眼の女、カレンは口元に壮絶な笑みを浮かべ──もう一方の手で持っていた包丁をヴィスコンティの懐に放った。
 真ん中から真っ二つに斬られた銃が床に落ちると同時に、包丁は男の身体に刺さっていた。

 ただし、それはヴィスコンティでは無かった。

「クソアマが!」
 手近にいた部下の身体を掴み、咄嗟に包丁の一撃を受けさせると、ヴィスコンティは間髪入れず、部下の身体をカレンの方へ蹴り飛ばしたのだった。
 大きな身体に視界を遮られ、一瞬、彼女の反応が遅れる。
 身を屈め、左方へ避けようとしたところで、カレンの左腕を誰かが掴み、引き寄せた。
 とっさに手をひねり、包丁を持った手で相手に一撃をくれようと振り下ろすが、轟音と右手に衝撃を受けてカレンは武器を落とした。
 ヴィスコンティが包丁を撃ったのだ。飛ばされ、壁に突き刺さる包丁。
 そして、外しきれなかった腕を取られ、カレンは敵の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「──山猫め、動くんじゃねえぞ」
 ゴリ、と拳銃をカレンの首に押し付けるヴィスコンティ。肘打ちを警戒してか、彼女の腕もろとも固定するように手を回し、ぴたりと自分の身体を密着させる。
「チッ……」
 舌打ちするカレン。対するヴィスコンティは、今自分が捕まえた女が予想以上の代物であることに気付いて、ニヤリと笑った。その感触を確かめるかのように腕に力を込める。
「いい身体してんじゃねえか、ネェちゃん」
「今、試すかい?」
 耳元で囁かれ、カレンはただ低い声で返す。ヴィスコンティは彼女の髪の匂いを嗅ぎ、満足そうに笑った。
「ああ、そうだな。お前のむさ苦しい相棒を蜂の巣にしたら、たっぷり可愛がってやるよ」
 そして、彼女もろとも身体の向きを変える。
「おい、そこの!」
 カレンを人質にとりヴィスコンティは、すかさず隣りのフロアへと声をかけた。影に潜むウォンに対してだ。

「──このビッチの命が惜しけりゃ、銃を捨てな」

 ウォンは窓ガラスに映る二人の姿を見、舌打ちした。しかし、構わずウォンは同じフロアにいる最後の一人を撃つ。
 おい、聞いてやがるのか!? と、声を荒げるヴィスコンティ。
 もう同じフロアからの銃撃の心配は無い。ウォンは面倒くさそうに、銃を手にしたまま、のっそりと立ち上がった。
 無言だった。
 ゆらりと銃を上げるウォン。彼はそのまま撃った。
「ギャッ!」
 悲鳴を上げて倒れたのは、ヴィスコンティのすぐ横にいた男だった。イタリアン・マフィアの荒事屋は血相を変え、カレンの首に銃を強く押し付けた。
「女を撃ち殺されてもいいのか!?」
「──構わん。その女がどうなろうと、私の知ったことではない」
 ウォンは淡々と答えたものの、ふと笑みを浮かべた。それは、ヴィスコンティをもゾッとさせるような凄みのある笑みだった。
「……もっとも、その女にブチ込んでみろ。下の口でお前の××××を噛みちぎられるぞ」

 ダンッ!

 言いながら、いきなりウォンは撃った。また一人マフィアが倒れたが、しかし相手はまだ数人が残っている。
 代わりに部下の一人が撃ってきたた。離れたフロアの人間を撃つために半身を晒したウォンの肩に弾が当たる。
「ぐっ」
 目を細めたものの、構わず彼は前へ踏み出し、二丁の拳銃を乱射した。次々に倒れていくイタリア人。
 まるで戦車のように、ウォンは──黒服の死神は、その身を完全に晒し通路を歩きながら敵を一人ずつ撃ち殺していった。
「ち、畜生!」
 自分の頭上をかすって跳んだ弾に恐慌し、ヴィスコンティが吼えた。彼はカレンに押し付けていた銃を、正面から近づいてくるウォンに向ける。
「死ね!」
『──ど阿呆が』
 二人の華人は、同時に同じ言葉を口にした。
 
 ──ガツッ。

 カレンは足を上げ、ヴィスコンティの右足を力の限り踏みつけた。その苦痛に、悲鳴を上げた男は銃の狙いを外してしまう。
 次に彼を襲ったのは、カレンの強烈な肘の一撃だった。息がつまるような衝撃を受けて、後方に飛ばされかかるヴィスコンティ。
 振り向きながら腰を屈めるカレン。バネのように身体を縮めた彼女はその威力を生かし回し蹴りを男に放とうとした。
「退け、ビッチ!」
 しかし後ろからの声にハッとしてカレンは攻撃を思いとどまった。パッとそのまま身体を伏せる。
 間一髪。頭上を銃弾の雨が通過する。
 悲鳴、怒号、何かが割れる音、そして──。
 音が止むのを待ってカレンは立ち上がった。すぐ隣にウォンがいる。フン、と鼻を鳴らした男は窓際の方を見た。
「終わったぞ」
 そこには、手の平から血を流し、がくがくと震えているヴィスコンティの姿があった。


 ★ ★ ★


「腕は動くのかい?」
 ヴィスコンティを見下ろしながら、カレンは傍らのウォンに言った。黒い死神は銃を収め、怪我をしていない方の手をヴィスコンティに伸ばす。
 ひぃぃ、と情けない声を上げるイタリアン・マフィアの襟首を掴んで立たせてやる。
「──蜂には痛覚神経がない。無用な心配は要らん。むしろお前に心配されても気色悪いだけだ」
 ああ、そうかい。カレンは眉を上げた。ウォンはヴィスコンティから奪ったネクタイで、自分の腕に手早く止血処理を施していた。
「そいつは?」
「モリコーネとの交渉の材料だ。こいつにはもう少し生きてもらうことにする」
「フン……」
 相手の声に何かを感じ取り、ウォンは敵の襟首を掴んだままカレンの顔を見下ろす。
「不満そうだな」
「当たり前だろ? お前がさっき邪魔するからさ」
女侠はウォンから、憎々しげにイタリア男を見、言った。「最後にこのクソ野郎に一発くれてやらなきャァ、あたしの気がすまないね」
「そうか。なら今、やれ」
 面白そうな顔でウォン。
 カレンは斜に彼の顔を見上げ、いいのかい? ともう一度確認を取った。当然ウォンは、どうぞご自由に、と襟首の手を離す。
 トン。間をとって後ろに退いたカレンはニヤリと笑い、怯えたヴィスコンティに向かって、股間をいきなり蹴り上げた。

「……%#$ッ!」

 何か悲鳴のような声を上げて、イタリアの色男は白目を剥いて床に崩れ落ちた。あまりの痛みにまともな声を上げることも出来ず、みっともなく股間を押さえたまま床を転がったかと思うと、悶絶して静かになった。
「いい気味だよ」
 その様子を見て、カレンが身体を折りながら声を上げて笑い出した。つられてウォンも笑い出す。くっくっと可笑しさをこらえるように、しばらく。二人はまるで仲の良い友人同士で、冗談を言い合ったかように笑い合った。
 しかしそれも数秒のことだった。
 笑っているうちに二人はお互いの顔を見て、我に返ったように笑みを消した。そして押し黙る。
 数秒の間があった。
「ハッ、今日はプライヴェートだってのに、とんだ災難に巻き込まれちまッたよ」
 自らの表情を見られまいとしたのか。カレンは身を翻し、ウォンに背を向けて言った。
「まァ、三合会に恩を売れたんだから、差し引きゼロってトコかもしれないけどねェ。──あばよ、大黄蜂。あたしは高先生に挨拶してから帰る」

「カレン」

 ウォンもその場から動かずに、相手を呼び止めた。カレンも立ち止まる。
 しかしその後に続く言葉は無かった。何と声をかけてよいか分からなかったのか、それとも話題を切り出すのに言葉を選んでいるのか、それは彼本人にしか分からなかったが、とにかくウォンは黙ったまま、じっと立っていた。
「何だよ」
 カレンは痺れを切らし、斜に振り返る。
 窓の外からの赤いネオンが、長身の男のシルエットをくっきりと浮かび上がらせていた。夜の闇の中に立つ、青い目の男の横顔。カレンは何か嫌なものでも思い出したのだろうか。目を伏せて、顔をフロアの暗闇に戻す。
 するとようやく、ウォンが口を開いた。
「──お前はこの街に、何を見た?」
「何だよ、いきなり」
 女は眉間に皺を寄せた。
「この街はクソ溜めには違いないが、俺は、マシなクソ溜めだと思ってる」
「何を言いたい?」
「死ぬぞ」
 簡素な言葉ではあったが、それは彼の気持ちが十分すぎるほど込められていた。
 カレンはしばらく答えなかった。無言で目を伏せた彼女と、ウォンは視線を合わせないまま。その沈黙の間、店の外を車が一台通過した。ヘッドライトが窓の外から二人の無表情な横顔を照らし、そして走り去っていった。
 やがて、女は失笑を漏らした。

「──よしなよ。らしくないねェ。血の匂いにでも酔ったのかい?」

 そう呟くと、カレンはわざと大きな声になって続けた。
「今日、お前があたしを助けてくれたことについて礼を言うのを忘れたが、今聞いた言葉を忘れてやるから、それでおあいこにしようじゃないか。それでいいだろ? ユージン」
 ウォンは答える代わりに長く息を吐いた。
「あばよ」
 もう一度、別れを告げ、カレンは手をひらひらと振って暗闇に姿を消していった。
 ふとウォンは顔を上げ、その彼女の白いシルエットが闇に呑まれていくのをじっと見つめていた。何らかの感情を殺した青い目を向けながら。




                 (了)




クリエイターコメントお読みいただいてありがとうございます。おそらく、銀幕史上もっとも「お子様の教育上よろしくない小説」であろうものを書いてしまいました(泣)。
ハードボイルドって、こういう感じなのかなあーとか、そんな風にお楽しみいただければ幸いです。

わたし自身が大変楽しく書くことができました。
ウォンさん。プレイングと、三合会の設定についていろいろご相談乗っていただきましてありがとうございました(^^)。
こんな感じでよろしかったでしょうか??
公開日時2007-06-11(月) 12:10
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