★ 泥上格闘大会 ★
<オープニング>

 山の裾野に広がる、雑木林の中――そこに、小さな国の一部が実体化していた。
 『旅人』というFT映画の、小さいながらも近隣諸国では随一の戦力を誇る国である。
 「戦場の悪魔」と呼ばれる程の好戦的な国であったためその狂気にも似た残虐な面ばかりが描写されており、対策課も警戒していたのだが、どうも様子がおかしい。
 何やら、国を挙げての行事の真っ最中らしいのである。
 
★ ★ ★

 映画『旅人』の概要は、深緑色の外套(マント)ととんがり帽子をかぶった奇妙な青年が様々な国や都市を訪れて人々に問いを投げかけていくというもの。
 今回実体化した国も、主人公の深緑色の青年が訪れた国の内のひとつだった。実に国民の3分の1が軍人という戦闘民族国家として恐れられていたが、同時にお祭騒ぎの好きな国としても知られていた。良くも悪くも派手好きな国であるのかもしれない。
 主人公が訪れた時、この国ではあるイベントが行われていた。
 その名も――泥上格闘大会。

★ ★ ★

 泥上格闘大会。
 それは、格闘大会とは名ばかりの、敵味方区別のつかない戦場である。
 ルール?そんなもんあったっけ?という会話の交わされるこの競技、もはや競技と言って良いのかすらわからない、100メートル四方の泥のフィールド上での単なる取っ組み合いである。
 禁止されているのは、武器の使用と再起不能な怪我を負わせる直接的な攻撃のみ。
 泥玉があちこちを飛び交い、体中泥だらけにした血気盛んな男たちが喚声とも怒号とも歓声ともとれる声を上げてぶつかり合っていく。
 そして、参加者の顔が泥まみれになりもう誰が何やら区別のつかなくなってきた頃、公然とは参加できない面々がこっそりというにはあまりに堂々とした態度で参加していくのだ。顔に泥を塗って隠してはいるが、将軍や、皇太子や、若い頃戦姫と呼ばれた王妃や、確かもう齢80を超えた左大臣などである。
 ちなみに毎年、いささかならず羽目を外して騒ぐ大人気ない男たち(一部女性含む)のなかに泥を喰わされて腹を壊す者がいるため、医療テントもばっちり設置されている。
 医療テントに常駐しているのは暗殺、隠密両部隊の女性陣。オトナの事情により美人揃いのその医療テントに入りたいがためだけに参加する者もいるという。

「来なさい、野郎共。女の怖さをみっちり教え込んであげる」
 栗色の長髪を優雅に結い上げた小柄な女性が、泥を跳ね飛ばしつつ巨漢に鋭い回し蹴りを放つ。
「げっ!あれ王妃様じゃん!」
「毎年必ず10人くらいに泥食わせてるヒトか!?逃げろ!っげふぅ!」
「隙だらけだな。兵たちの模擬戦のメニューを作り直す必要ありか」
 30代後半の精悍な男が、鍛え上げられた動きで手刀を振り下ろす。
「だだだ大将軍様!?何で今回に限って参加してるんゴフッ」
「落とし穴―――!?俺の非常食が泥に沈んだー!」
「おい爺さん、いい年なんだからそろそろ引退しろ?」
 引き締まったしなやかな体躯の若者が荒削りな拳を飛ばす。
「ふふふふふ皇太子殿下、ワシには初孫にプレゼントを贈るという使命がありますでの」
 三つ編みにした見事な白い髭の老人が、老人とは思えない軽捷な動作で繰り出された拳を避け、目を炯々と光らせ隙を探る。
「あっ、王子さんじゃねーか楽しんでるかひゃっほう!」
「あそこには近づくな!皇子殿下と左大臣様とどっかの馬鹿の作りやがった落とし穴がある!っがふウ!?」
「注意力散漫だな、今回はダークホースが結構いるぜ」
 長身の割に素早い男が、油断している男たちを次々と泥の中に沈める。
「あっ、将軍!今回は先王陛下も参加してらっしゃるって知ってました?」
「何ィィイィィ!?迂闊にそこらの奴殴れねぇじゃねぇか!」
「陛下は仕返しが怖いですからのう」
 黒い長髪を翻した「元・王様」が力任せに哀れな犠牲者たちを殴り倒し蹴り飛ばし、盛大に泥の飛沫をあげる。
 
 さて、この騒ぎ、本人達はいたって楽しそうなのであるが、如何せん喧しすぎる。昼も夜も休みなく続く怒涛のエネルギーをなんと表現すればいいのか、なんというかやはり大人げないと表現するしかない。
 昼も夜も途切れなく続く歓声と時折響く火薬の音に、近隣の住民から対策課に苦情が上がってきている。
 植村が困ったように説明した。
「最後に立っている者が優勝者で、優勝者が出るまで続くんだそうです」
 今まで、最高で19日と13時間23分闘い続けた猛者がいるとかいないとかいう話だが、半月以上も騒ぎが続くのはやはり好ましくない。
「そこで、皆さんにはその競技に参加してもらいまして、手っ取り早く優勝者を決めて欲しいんです」
 ちなみに、優勝賞品の中身は毎年違うらしく、優勝するまでそれが何かはわからない。
「腕っ節に自信のある方々の参加をお待ちしています」

―――泥の戦場で生き残るのは誰だ。


種別名シナリオ 管理番号171
クリエイターミミンドリ(wyfr8285)
クリエイターコメント初めまして。のっけから濃いシナリオを出したような気がしてならない新米ライターのミミンドリです。

今回は、みなさんには騒ぎを迅速に収拾すべく「泥上格闘大会」に参加してもらいます。
プレイングに書いていただきたいことは3点です。(参考というだけですので他にさせたい行動があればご遠慮なく)
・泥上での戦い
・背景との絡み
・優勝賞品への反応
背景とはオープニングで騒いでいる面々です。絡むという選択をされる方がいらっしゃらなければ背景は背景で終わります。
泥上格闘大会2大ルール
・武器使用不可
・相手を死亡させる、もしくは再起不能に至らしめる攻撃は禁止
なんにしろ、大会参加者をどんどん倒していただければ「騒ぎを収束する」ことに繋がります。

どなたにでもご参加いただけますが、素手での戦闘スキルのない方にはあまり動いていただけない可能性があります、あらかじめご了承下さい。

皆さんには泥の上での乱闘を思いっきり楽しんでいただければ、と思います。

それでは、皆さんがご参加してくださることを祈りながらお待ちしております。

参加者
ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
レモン(catc9428) ムービースター 女 10歳 聖なるうさぎ(自称)
ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
<ノベル>

■Are you ready?■

 結局、対策課の要請に応えて泥上格闘大会へと参加したのは数人のムービースター達だった。ランドルフ・トラウトはそう聞いている。
「確かに……これは近所迷惑所の話ではありませんね」
 会場の外から大騒ぎを見て呟いたランドルフは、ぱっと見かなりの強面で、よく見ても物凄く強面だった。スポーツ用のスパッツ姿の彼は大柄な体躯とスキンヘッド、そして泣く子も黙るかもしれない悪人面の持ち主である。しかし内心そんな自分の悪人顔を気にして丁寧な言葉と笑顔を絶やさない、気の良い青年でもある。彼は、その格好を見てもわかるように、対策課の依頼に応えて泥上格闘大会へと参加しようとしていた。
「さっさと片付けましょう」
 穏やかな性質の彼にしても、祭は楽しいのだ。


「あら、可愛いうさぎさんね。どこから紛れ込んだのかしら?」
「ホント!服を着てるなんて珍しいわねー、かっわいーい!」
「可愛い!あたしが?いいわ、許すわ、どんどん言いなさい!」
「やだわ、可愛いわ〜」
「あ……あの……治療してくださーい……」
 医療テントでは、聖なるうさぎレモンがナースの格好をした女性たちに囲まれてちやほやされていた。テントに寝かされている大会脱落者達はぶっちぎりで治療放棄され、男泣きに泣いている者すらいる。まあ恐らく、泣いているのはナースが目的で来ている者だけだろうが。
 レモンはいつものゴスロリファッションでテントの中を闊歩していた。
「このテントは美人揃いだって言うじゃない、じゃああたしが混ざっても違和感ないわね!」
 えっへんと小さな胸を張るレモンは美人とかいう以前にうさぎである。三頭身のうさぎがゴスロリファッションとなれば、可愛い物好きの女性陣が放っておかない。うさぎが喋るという現象に対する驚きなど、物に動じない彼女らにとってはどうでもいいことらしい。
 テントに常駐している暗殺・隠密両部隊の女性陣は、噂どおりなるほど確かに美人揃いだ。超ミニのナース服を着ていたり、網タイツを着ていたり、胸元が肌蹴ていたりして多少お水っぽいヒトもいるが、きっちり白衣を着ている女性や事務的な格好をしている女性まで全員が文句のつけようがない美人だ。ただ、超ミニのナース服の裾からナイフが見え隠れしたり、肌蹴た胸元の銀のペンダントがやけに鋭く光を反射していたり、白衣の内側からたくさんの金属が触れ合う音がしていたりするのはご愛嬌。仕事柄仕方のない装備、だ。……たぶん。
「可愛いわ〜、癒されるわ〜」
「もって帰りたーい」
「お持ち帰りは厳禁よっ」
 きゃらきゃらと笑う女性たちの声を掻き消すような喚声が会場の方で上がり、レモンはテントの外へ顔を覗かせた。その動作につれて耳が動くのへ、女性陣からは更に黄色い声が上がるが、それに気を取られる間もなく。
 飛び交う泥玉がべっちゃり、とレモンの顔面に当たった。聖なるうさぎ様のご尊顔に泥がべったりとこびりついている。ピンとはったひげを震わせて、神の使いはご立腹だ。
「あたしの美貌に何するのよっ!?」
 美貌とかそういうもの以前にうさ(以下略)だが、白い毛皮を泥で汚された彼女は怒りに震えてテントを飛び出していった。
「ええい、この際優勝でもなんでもしてやるわっ!」
 神の使いによる天罰はこれから始まるのかもしれない。


「おっし、準備は万端!」
 ルイス・キリングは気合を入れるように威勢良く声を上げた。人によってはそれは一体何の準備なのかと訊ねたくなるような格好である。もしここに彼の相棒がいたらコンマ数秒で地の底に沈められたかもしれないが、しかし幸か不幸か彼の相棒はここには来ていなかった。
 彼は参加前の下準備として、足場の悪い泥のフィールドということを念頭に置き、平地と変わらず動けるよう、あらかじめ風の魔術で脚力補正を行っていた。
半吸血鬼であり、またトップクラスの吸血鬼ハンターでもある彼の高い身体能力を考えれば相手が人間である以上そこまで念を入れなくてもいいのかもしれないが、そこはそれ、ろくな休息や食事を取らずに約20日間戦い通したという本当に人間なのか疑わしいバケモノのいる国である。油断は禁物、実際にルイスがそこまで考えて風の魔術を使ったのかどうかは本人にしかわからないが、侮るなかれ、といったところだろうか。
「面白そうだよなぁ」
 とやる気に満ち満ちた言葉を吐くと、ルイスは「黙っていれば二枚目」と口々に言われる整った顔に笑みを浮かべ、耳が割れそうな喧騒の中へ踏み出していった。


 李 白月はぽきぽきと指を鳴らして大会会場を見渡した。
 彼は、白く長い髪を包帯で括り、青いカンフースーツという出で立ちだ。精悍な顔立ちの中にある赤い瞳は楽しげに細められ、鋭い光を宿している。
 20歳ほどで、未だ若い半人狼たる彼は、血気盛んなお祭騒ぎが大好物だ。好きに暴れていいとくればもう最高、文句なしで一も二もなく騒ぎに加わる。喫茶店で働いていて久しく暴れていなかった彼が対策課の依頼を受けた理由もまあ、なんとなく解ろうというものだ。
 会場では、どこを見ても泥まみれになった男たちが取っ組み合いをしていた。怒号が飛び交い悲鳴が満たすその空間は、まさに馬鹿騒ぎと言うにふさわしい光景だ。喧嘩祭のようなその光景に、自身の身の内からうずうずとした衝動が湧き上がってくる。
「いっくぜー!」
 テンション高く、白月は会場に飛び込んだ。


「まさかあの賑やかなところじゃないよね……」
 クラスメイトPは物凄く嫌な予感と共に自転車をこいでいた。九十九軒でバイト中の彼は、注文を受けて出前に来ていた。
 クラスメイトPはごくごく平凡な、一般人の鏡とでもいうべきムービースターだ。だからといって一般大衆に埋没しているかといえばそうでもなく、性格・外見・能力共にぶっ飛んだムービースターたちの闊歩する「銀幕市内の一般大衆」の中では目や精神の休めどころとして希少な人物である。
 ただ、あらゆる事象に巻き込まれ酷い目に遭うという事故頻発性体質の持ち主でもあるので、彼を見ているとあらゆる意味でハラハラドキドキできるだろう。
 とにかくそんな不運に恵まれている彼は、バイトの出前先でも様々な天災人災に見舞われてきた。それでもめげないところが何気に根性があることを示しているが、根性があるからといって不運の女神が彼を嫌ってくれるワケでもない。
 落とし穴に非常食が落ちたからラーメンとかいう食べ物をくれっつーかこれでホントに食べ物届けてくれんのかよ?バカ静かにしろ、ってうわああ先王陛下が来たああ助けてママーとか電話口の向こうで叫んでいたことからして刻一刻と不安が大量生産されていくのだが、ここまで来てしまった以上引き返すという選択肢はクラスメイトPには残されていなかった。
 出前で辿り着いた彼の目前には、泥の戦場で暴れまわる人、人、人。雄叫びがあちこちで上がり、戦いの熱さを物語っている。泥水が跳ね飛び、泥の塊を投げ合う屈強な参加者たちがなし崩しに取っ組み合いになり、一部ではぽーんと高く放り投げられた男が情けない悲鳴をあげていたり、女性の待ちなさい!という鋭い声も聞こえている。
 この、取っ組み合った男たちがクラスメイトPの方になだれ込んでこなかったり、投げられた泥の塊が飛んでこなかったり、泥水がまったく飛び散ってこなかったという時点で不運に恵まれている彼にとってみれば奇跡だ。被害が全く無いなんて、奇跡だと思いませんか。思いませんか、そうですか。
 とにかく彼は、今のところ奇跡的に被害は被っていないがこれから絶望的なまでに被害を被るだろう場所に飛び込まねばならない。出前だから。
 全員にラーメンを届ける前に倒れるわけにはいかない。そう決意したクラスメイトPは、しかし泣きそうな声で呟いた。
「ううう……泣いていいかな……!」
 全ては出前の為に。
 アーメン。



「ひゃっほぉぉう!」
 歓声を上げて突っ込んでいったのは誰だったか。泥上の戦いは熾烈を極めていた。
 相手を殺してはいけないのでやりにくいとぼやいている者もいるようだ。
 ルイスは泥の中を軽快に走り抜けていた。足が一歩踏み出す度に泥に沈み、歩きにくいことこの上ないが、もともとの身体能力がずば抜けて高い上に魔法を使っている彼の足取りは他の参加者達とは違い軽かった。
「待て!」
「追いついてご覧なさーい王・子・様?」
「そんなカッコでブリッコすんな!気色わりぃ!」
 今、ルイスを追いかけているのはこの国の次期王位継承者だ。王族にも関わらず妙に崩れた口調が闊達で親しみやすい印象を与えるが、国を統治するべき王族が親しみやすくていいのだろうかという根本的な疑問が多少残る。
「そんなカッコとは失礼な!童心に返るってヤツじゃん」
「返りすぎだろ!何十年返ってんだお前!」
「え、20年くらい?」
「ありえねーだろ!その顔は40代だ」
ちなみに、ルイスはまだ29歳である。
「ええ!?ひどっ!王子様ひどっ!俺まだ29よ!?」
 民族の特徴として童顔の多い国であるから、彼がルイスの歳を間違えるのも無理はない。しかしそれにしても40歳は酷い。
「王子って呼ぶな、俺はナナキだ」
 振り向いて文句を言いかけたルイスの目の前に、ナナキの拳が迫っていた。洗練されてはいないが充分な速さを持ったそれを素早く身を翻してかわし、ちょうどそこにいた他の参加者をついでとばかりにナナキの方へ鮮やかに投げ飛ばす。
 ぶつかった男が「何しやがるっ!」と喚くのへ無造作に拳を打ち込んで沈め、ナナキはルイスの後を追う。ルイスは走っていく先々で他の参加者を挑発してまわるため、怒号を上げて追いかける者はナナキだけではなくなっていた。
「待てやぁぁ!」
「てめぇ何処のもんだコラァ!」
「誰がハゲだぁん?オイコラ」
 ぶっちゃけチンピラの集団にしか見えない連中が、先を競ってルイスを追いかける。ルイスは更に参加者達を煽りながら走る。走る。走って――跳んだ。そのすぐ後ろを走っていたナナキがそれに違和感を覚えたとき。
 どぼ、ばしゃ、どぽん。
 いきなりナナキの体が泥の中に落ち込んだ。それに続き、ナナキの上体にけつまづいて男たちが転び、将棋倒しのように次々地面に転倒していく。そしてそのまま沈んだ。
「落とし穴ぁぁ!?何だこれでけぇぞウブッ」
 底無し沼のように泥にゆっくり沈んでいく恐怖は計り知れないが、その恐怖を味わう暇もなく次々と倒れこんできた男たちの体に潰されて落とし穴に完全に沈んだナナキの冥福を、とりあえず祈ろう。死んでないが。
「ふうっ、いい仕事したぜ俺☆」
 6人の男たちを一網打尽にしたルイスは実に爽やかな笑顔で額の汗を拭う。やり遂げた漢(ヲトコ)の顔だ。その場面、その顔だけを切り取って見れば実にいい男なのだが。
「おっ?」
 ルイスの青い目がちらりと動いて、泥の中で跳ね回る小さな影を捉えた。


 レモンは小さな身体をばねのように使って戦っていた。
 【聖なる者の使い】である筈のうさぎ様は、格闘戦が得意だ。
 なんで動物がいるんだ、と胡乱な目で見てきた男をうさぎキックをかまして瞬時に気絶させるなど朝飯前、えぇえ!?と叫んでいた他の参加者に泥を投げて怒らせ、突進してきたところを背負い投げして別の参加者に思いっきりぶつけたりなどもあっさりこなす。
「ふん、大の男が情けないわね!」
 ふふんと鼻で笑うが、うさぎな上に泥まみれなのでイマイチ伝わらない。きぃーと内心地団太を踏んで、いや現実でも地団太を踏んで、泥があたりに飛び散る。ゴスロリの衣装は飛び散った泥であちこち茶色く変色してしまっていた。
「あたしの服……もう、優勝しなくちゃ気が済まないわっ」
 そもそもここにそんな衣装で来なければいいだろうという突っ込みがツッコミ属性の参加者達の心中で木霊するが、突っ込んだら終わりである。突っ込んだら、きっとうさぎ様は突っ込みを封じるだろう。その白い毛皮の美しいおみ足でもって。
 その、うさぎ特有の赤い瞳が、自分を見つめる強い視線を感じてそちらを見やる。
「ふん、あたしに挑戦するなんていい度胸じゃない。可愛がってあげるわ!」
 聖なる者の使いであらせられるはずのうさぎ様の口から己も充分挑戦的な声が吐き出され、そしてその赤い視線を受け止めたのは、頬に泥の飛沫の散った、美しい女性だった。

 女性ながら泥上格闘大会に参加していた王妃は、熱気溢るる戦いの最中に、白いものが動くのを見た。己の目が信じられなくて、隣にいる男の腕を捻りあげて訊ねる。
「あれは何?」
「いててててててっ、勘弁して下さいよ王妃様、なんかうさぎが立ってて喋ってて服着てるんです」
「もっと正確にお願いできるかしら?」
「だっ、ちょっ、いっぎゃあああああ!!!!いてえいてえいてえいててててて!いたいッス王妃様カンベンしてー!だってアレはうさぎで立ってて喋ってて服着てるだけじゃないスか!なんかあとべらぼう強いってだけ、おゴッ」
「ありがと、お休み坊や」
 容赦なく男を落とした王妃は、結い上げた栗色の髪を揺らしてうさぎを真っ向から見据える。するとその視線に気付いたのか、うさぎもその赤い瞳をこちらに向けてくる。
 面白い。
「一戦、申し込んでみたいわね」
 艶麗に微笑み、うさぎの元へ足早に歩を進める。
 と、彼女の見ている先で、うさぎに何か泥色と肌色の混じり合った物体が素早く巻きついた。よく見るとそれは人間で、人間だが、人間なのだがしかし。
「ちょっと―――――!!!!??」
 一拍置いてうさぎの口からそんな声が飛び出し、王妃の変態撲滅センサーがいきなりMAXに達した。

 ルイスはぴょこぴょこ跳ねるレモンを見つけ、とりあえず抱きしめて愛を囁いてみた。何度かレモンと面識のあるルイスは彼女のツンデレ属性を知っていたし、それにつけこむことでちょっと精神的ダメージを与えてみようと思いたっての行動だった。が。
「離れろ変態痴漢男――!!」
 突然横から鋭い女声と共に超高速の飛び蹴りが来るなど誰が予想できようか。いや、泥の戦場にいる限り油断は禁物なのであるが、それにしてもあまりにも殺る気満々の蹴撃だった。
 しかもその妙に硬い爪先が狙っていたのは頭部、もっとも骨の薄いこめかみの部分だ。
「マジっ!?」
 かわそうとしてかわしきれず、ルイスは頭部に強烈な衝撃を喰らって見事に泥の中へ突っ込んだ。殺る気満々の蹴撃の主はばちゃん、と音を立てて泥に着地し、構える。
「起きなさい変態痴漢男、確実にこの世から抹殺して差し上げるわ」
 ハッキリキッパリと宣言した王妃の隣に並んで、レモンも声を張り上げた。
「ちょっとちょっとちょっと!あたしがそんな安い愛の言葉にのると思ってるの?褒めてもらうのは嬉しいけどちょおっとルイス、いつから痴漢になったのかしらっ!?」
「そんなー、俺の愛の篭ったスキンシップじゃーん」
 ルイスが半ばからかうように言いながら立ち上がる。確かにまあ変態痴漢男は酷いが、しかしそれはルイスの格好にも起因していることでもあるのでちょっと自業自得である。しかし彼の名誉のために断言しておくが、勿論ルイスは変態などではなく、ただ単純に悪ふざけが過ぎるだけだ。それはそれでタチが悪いのかもしれないが。
 さて、なぜだろう、なぜかルイスVSレモン&王妃の構図が出来上がっている。なぜそんな構図が出来上がったのかと聞かれればやはりルイスの格好に起因するだろう。慎ましやかな乙女は直視できない戦いだ。実に様々な意味で。
 なぜなら。
 彼は全裸である。
 泥がその白い肌を半分ほど覆い、辛うじて、辛うじて何なのかという状況だが、とにかく全裸である。
 実は肌色のスパッツを履いていて全裸ではないのだが、よくよく見なければ一見はどっからどうみても全裸にしか見えないのである。勿論確信犯だろう。
 繰り返す。
 彼は「童心に返った」結果、「パッと見全裸」「実はスパッツ着用」で大会に臨んだのである。
「くっ、見据えることすら困難だとは……こんな戦法を使ってくる奴がいるなんて」
 おそらく戦法ではなくただの悪ふざけだ。
「ちょっと、何か履きなさいよっ。顔が良いのにそんな痴漢やってたらもったいな……ハッ。しまった……今のナチュラルに褒め言葉だったわ。あ、あたしには敵わないけどね!」
 レモンの言葉の前半は万人が抱く感想だったが、ツンデレうさぎは最後によくわからない一言を付け足した。
「ええい変態撲滅に躊躇いは不要よ!いざ!」
 王妃が泥を蹴立てて一歩、踏み出す。
 同時にレモンも飛び出した。
「あーあ、オレ様女性に手を上げることなんて出来ないぜ?」
 からかうように、しかし戦いを待ち望むように、ルイスはそれを迎え撃つ。
 

「ピッチャー振りかぶって、投げましたー!」
 白月はガッチリ固めた泥玉を思いっきり投げた。
 白月の投じた剛速球は6メートル程先にいた男の顔面に派手な音を立ててぶつかった。声も無く倒れ伏す筋肉。「ジョバンニぃぃぃ!」友の叫び。ただの泥の塊が、白月の手にかかると恐るべき凶器と化した。
「第2球!いっきまーす!」
 白月は再び足元の泥を拾いあげ、思いっきり握って固める。水分の搾り取られた泥玉は、粘土の塊のようになって白月の手に握られる。大砲のような威力の粘土球を見れば、我が身の大切な者はそそくさとその場から去るだろう。
 しかし「泥上格闘大会」なんて馬鹿馬鹿しい騒ぎに参加する者達がそのカテゴリに入るだろうか?否。奴らは愛すべき馬鹿どもだ。
「おおっしゃー!かかってこいや若造ォ!」
「燃えろ俺の青春!」
「青春かよ!」
 白月の突っ込みと共に、粘土球が投擲される。
「ごふぁっ!」
「兄弟―!」
 粘土球を無謀にも受け止めようとして直撃を食らった男が吹っ飛ばされる。そして、それに気を取られていた男は、投擲と同時に素早く走り出していた白月への反応が遅れた。
 包帯に括られた白髪が、眩しいくらいの白い軌跡を戦場に残す。
「いただきっ!」
 鳩尾に一発。
「勝ォ―利!」
 ばしゃーんと倒れる男を前にガッツポーズ。泥で地面も人も真っ黒な場で、泥のあまり飛んでいない青いカンフースーツと白い髪の白月は、果てしなく目立つ。
 結果、彼には勝利の余韻に浸る間すら与えられなかった。
「強そうだなお前、オレと勝負しろ!」
「何だお前見かけない顔だな、さてはスパイか、おのれスパイめっ!」
「丁度居合わせたのも運命。来い!」
 目立つ=挑むという方程式が成り立っているのか、挑むのがさも当然のように次々と参加者が群がってくる。しかし、だからといってそれを嘆くような過剰なセンチメンタリズムなど、白月は持ち合わせていない。
 唇の端に笑みを刻みながら、白月は応えた。
「望むところだぜ、泣いて後悔すんじゃねぇぞ!」



「うーん……対策課の依頼を受けた人は後回しにしましょう」
 泥の戦場で目立ちまくっている、約3名の銀幕市民とおぼしき姿を見つけ、ランドルフはそうひとりごちた。
 そう言っている間にも、雄叫びをあげて飛び掛ってきた大会参加者をリフトアップし場外へ投げ飛ばす。身長が2メートルを越える彼がそれをやるとまるで大人が子供をあしらっているように見える。男性の平均身長が170センチの国の参加者が殆どなこの状況では致しかたない光景だ。
「ジャイアント・マン!すげー!オレ巨人なんて初めて見たよ!」
「オレもだ!つーか見ろよあの筋肉!凶悪な顔つき!憧れるぜ!」
「特攻だ!これは特攻するしかねえ!飛び込め筋肉!」
 ごく一部では妙な会話が流れていたが、とにかく身長2メートル超、軽々と大の大人を放り投げる怪力のランドルフは、他の銀幕市民3名に負けず劣らず目立っていた。
「すみません、ちょっとズルさせてもらいますよ!」
 覚醒状態になって、「咆哮」を上げる。もとより、常人より大柄な体だ。「覚醒」状態により、通常より骨格・筋肉を二回りほど巨大化したため、その巨躯は小山のように感じられる。彼の目は裏返り白目を向いていた。咆哮を上げる口には、牙が生えている。膨れ上がった筋肉は、ボディビルダーの大会に出れば速攻で優勝できるだろうそれだ。
 鼓膜が破れそうな咆哮を上げ、怯んだように足を止めた者達を唸りを上げる豪腕で叩き出す。怯まず挑んでくる者などは、ラリアットなどといったプロレス技でKОしていく。
 今も、一斉にかかってきた3人を、すぐ近くに倒れていた男の両足首を持ち上げ振り回す大技、ジャイアントスイングで蹴散らしたところだった。この技が始まると見ている観客はその回転数をカウントするのがマナーらしいが、生憎この場にマナーを知る観客はいない。
 咆哮を上げながら、硬直している者をラリアットで吹き飛ばす。頭から泥に突っ込んで気絶している人は呼吸できるように仰向けに寝かせるというちょっとした優しさを見せながら、ランドルフは突き進む。
 体重が160キロ前後の彼は、一歩、足を踏み出すたびに足が深々と泥の中に沈む。歩くだけでも他の人間より大変なのだ。彼が歩くたび、彼の後ろには大きな足跡が残され、その穴には瞬く間に泥水が流れ込んで見えなくなる。ちょっとした落とし穴をまるで無作為に生産しながら、彼は進む。
 と、ランドルフの方へ必死といった体で泥を蹴立てて走ってくる集団がいた。先頭の男の目は血走っていて、なりふりかまわないという表現が当てはまる様子である。
 と、その目が、B級映画のモンスターじみた外見のランドルフを捉えた。
「ぎゃあああバケモノぉぉぉ!?」
「バケモンがナンボのもんじゃーい!」
「俺たちの後ろにはマジもんのバケモノがいるんだぞ!アレに比べりゃこの巨人のなんと優しい顔をしていることかって来たァア!」
 傷つく暇もなく早口でまくしたてられる言葉に、ランドルフが目をぱちくりさせた、次の瞬間。
凄まじい勢いで「人間」が飛ばされてきた。
「ごッ!?」
「おボッ!?」
「げふぁ!」
 投げられた男は走っていた集団の後尾にいた3人にあたり、3人の男たちは派手な泥飛沫を上げて倒れ伏す。
「逃げろォォ!殺されるー!」
「ぎゃあああ!誰か助けろー!」
 必死の形相で叫ぶ男たちの声に反応して振り向いた者は、男たちを追っている主を見て即座に逃げ出す。同じく必死の形相で。
 彼らは一様に、人間を投擲した怪力の主を恐れているようだった。誰も彼もが蜘蛛の子が散るように逃走を開始する。
 ランドルフはその恐怖の根源を確かめようと前方に目を移した。いったいどんなキングコングがやってくるのか。
 はたして、恐怖の根源、キングコングの怪力の主は、ランドルフの目前で歩を止めた。
「……ほう」
 感心したような声音をこぼしたその男は、堂々たる体格の偉丈夫だった。
 不敵に、というよりは倣岸に笑う様は、さながら王者。ランドルフを見て、にやりと笑う。
「面白い客に会ったな。ちょうど良い、退屈していたところだ。相手をしてもらおうか」
 バリバリ悪役なセリフを吐いて、先代国王陛下はランドルフの前に立ち塞がった。



 上段の蹴りを繰り出す王妃の足を軽くかわしながら、ルイスはばしゃりと泥に両手をついた。レモンのうさぎキックが屈めた体の上を通り過ぎていくのを感じながら足を跳ね上げる。固い感触がして、王妃がその一撃をブロックしたのがわかった。
「くっ」
 ガードを吹っ飛ばされて王妃が呻く。小柄な彼女にしては、始祖の吸血鬼の血を受け継ぐルイスの一撃を受けることができただけでも僥倖だ。
 バック転して立ち上がるルイスに、レモンが飛びかかる。ひらりと翻るフリルやレース。拳打の嵐。全く、レモンはそのファンシーな容貌とは裏腹に格闘術も立派なものだ。ゴスロリファッションのうさぎが見事な体術を披露している光景など、非現実的すぎて我が目を疑う。
 しかし、その非現実が現実になるのが銀幕市だ。銀幕市に限って、夢は夢でないのだ。
「このセクハラ男!」
 王妃が大きく足払いをかける。ルイスはちょうどレモンの小さな体をぽーんと軽く放ったところで、足払いを跳んで避けると、そのまま王妃に足を引っ掛けて泥に叩きつけた。泥が大きく飛び散る。柔らかい泥に衝撃は吸収されて大したダメージにはならなかったようだが、悠々と王妃が立ち上がるのを待っている余裕綽々の男を見ると、王妃はどうにも悔しくて堪らない。
「女に手は出さないとか言っていたのは誰」
 ルイスの方を見ずに呟くと、ルイスは茶目っ気たっぷりにばちこーんとウインクをした。
「だからさ、手じゃなくて俺サマの美脚で相手してあげてるジャン」
「足……」
 王妃は考えた。
 全裸の男が、足技?
 それは、かなり、際どい、セクハラ、では。
「…………・・」
 王妃の顔が恐ろしいまでの無表情になった。
 突如跳ね起きた彼女は、その恐ろしいまでの無表情のままルイスに肉薄し右足で思いっきり蹴り上げた。
「あギャ――――!!!」
音程の狂った悲鳴を上げたルイスは必死に急所を庇う。
「ふっ……この私にここまであからさまなセクハラを仕掛ける奴がいるとは思わなかったわ……冥土への案内は必要かしら不埒者」
「謹んで辞退させて頂きますデスお姉さま」
 明らかに本気の殺意を感じて背筋が冷えた。アレ?この大会殺しは御法度だよね?と聞きたくなるような殺気をちらほら感じるのはきっと気のせいに違いない。
「ふふふ遠慮しないで頂戴きちんとあの世に逝けるようにガイドしてあげるわ」
「はははそんな〜こんな美しいおじょーさんにそこまでしてもらうのは気が引けるしほらオレって謙虚だから」
「まぁ謙虚だなんて、私のガイドが不要な理由にはならないわ。大丈夫よ、きっと地獄に送ってあげるから」
「えーと俺ちょっと急に大切な用事が出来て……」
「問答無用!」
 悪童は、いつか懲らしめられるものなのだ。




「へへっ、楽しー」
 右ストレートを決めて相手を沈め、白月は頬に飛び散った泥を手の甲で拭った。ふりむきざまにハイキックをお見舞いすると、こっそり近付いてきていた男が吹っ飛ぶ。
「どんどん行くぜ!」
 楽しそうな表情で宣言し、ぬかるむ泥を踏みつけて次の挑戦者に打ちかかる。相手の突きを左の前膊部を立てて受け止め、がら空きのわき腹に拳を打ち込む。呻き声を上げて身を折った相手の首の後ろに手刀を食らわせた。
「お次は誰だ?」
 ぐるりと周囲を見回すと、一人、踏み出してくる者がいた。
「手合わせ願おう」
 落ち着いた声。その足取りから、そこらにいる男たちとは別物の人間だ、とわかった。
「受けて立った!俺は李 白月。あんたは?」
「私か、私はアイザック・グーテンベルク。白月殿は旅人か」
 がっしりとした鍛え抜かれた体つきの男は、至極真面目な顔で問うてくる。白月はその問いに首を傾げながら、しかしきちんと答えた。
「旅人?あー、まあ前は旅人だったけど、今は普通に銀幕市に住んでるぜ。それがどうかしたのか?」
「む、大会を始めた以上中断するのは好ましくないと先王がおっしゃったために未だ継続中だが、いつのまにか国の外の風景が変わっていることに混乱を覚える者が少なくない。どうやら白月殿は外から来たようだから、何か知っているかと思ってな」
 至極真面目に話すアイザックの話の通りだとすると、泥上格闘大会開催中に銀幕市に実体化したこの国は、「なんだかよくわからない所に出たけど、難しいことはとりあえず大会が終わってから考えよう」という呆れてものも言えないような方針で大会を続けているらしい。何処の馬鹿だ、そんな方針を決めたのは。
「あー、じゃあ銀幕市のこととか全然説明受けてない……?」
「銀幕市というのが何かもわからないのだが」
 思わず天を仰いだ白月を、アイザックはやはり真顔で見返す。端整な顔を呆れに染めてこちらを見やった白月に、アイザックは続きを促すように瞬いた。
「あー、なんて説明すりゃいいんだろ……」
 白月は、銀幕市のこと、銀幕市にかかった魔法のこと、アイザックたちがムービースターと呼ばれる存在であること、そして自分もムービースターであるということをかいつまんで話した。
「つまり簡単に言うと、私たちの国があったところとは全然別の場所だということか?」
「まあ、そういうことでいいんじゃねー?実際、俺らが作り話の中の登場人物ですなんて言われたっていまいちよくわかんねぇし」
「確かにな」
 互いに苦笑して、距離をとる。
「んじゃあ、おしゃべりはここまでって事で」
「ああ」
 灰色の視線と赤の視線が戦意を迸らせて絡まりあう。
 白月がゆっくりと体の前で手を組み合わせ、拱手をする。
「李白月、参る――!」
 流れるように足を運ぶ。泥という足場の悪さをものともせず動く白月に、アイザックは感嘆をその顔に浮かべた。迫りくる掌底を弾き、膝蹴りを放つ。
白月はそれを弾かれた手とは反対の手でガードした。その蹴りは重く、片手で止められる攻撃ではない。驚愕に動きの止まった瞬間を狙い、ホールドした足に肘を叩き込む。
 白月は気の使い手だ。気の使い方ひとつで、衝撃を散らすことも出来るのだ。
 アイザックは低く呻き、しかし全く臆さず貫き手の連撃を全て片手で弾くと視界の外からの一撃を見舞う。
 白月は、受け損ねた手痛い一撃によるダメージを、同じ方向へわざと吹っ飛ぶことで軽減した。それでも、びりびりとした衝撃はそう簡単に抜け切るものではない。
「っつー……やってくれるじゃねぇの」
「それはこちらのセリフだ。足が折れるかと思った」
 軽口を交し合いながら、構える。
 白月の顔には純粋に戦いを楽しむ表情が浮かび、その目には強者と戦うことが出来るという興奮が宿っていた。
「では、今度はこちらから行くぞ!」
「ハハッ、いいぜ、来い!」


「どうも九十九軒でーす!ラーメン頼んだ人はどなたですかあ!」
 自転車に乗って力の限り逃げまくりながら泣きそうな声を張り上げるクラスメイトPは、あっちこっちいたるところで殴り合っている人々を避けながら進んでいた。
「あっ、レモンさぁぁぁぁ!?」
 知り合いの姿を遠目に見つけ、途端に嬉しそうな声を上げて手をふろうとし、落とし穴にはまる。クラスメイトPは今日も絶好調に不運であった。
残念ながら攻撃手段の全くと言って良いほど無い彼は、こっそりロケーションエリアを展開して自らの災害体質に周囲の人を巻き込み、自滅してもらうことを狙っていた。しかし、ロケーションエリアを展開すれば周囲は80年代のLA風、つまり現代となんら変わらぬ光景が広がる筈なのに、何故か風景は変わらず、地面も泥のまま。だからといってロケーションエリアが展開できていないわけではなく、クラスメイトPの見たところ、周囲の人間の泥に滑ってこける回数と泥玉に被弾する回数が増えているようである。
 そして勿論クラスメイトPがロケーションエリアを展開して自身が巻き込まれずに済むわけが無く、ラーメンこそ死守しているものの泥のフィールドに入って10秒で泥まみれになっている。
 気合と自転車捌きのみで全ての攻撃を回避しようとしている姿などは、無謀だと呆れるより先になぜか涙を誘う。これもある種の人望だろうか。
 戦場を駆ける悪運迷惑野郎、クラスメイトPは、装備はおかもち、武器は気合、乗り物は自転車という非戦闘員の鑑のような有様で、それでも一生懸命出前を果たそうとしているが、もしそのラーメンを受け取る相手がすでにリタイアしていたらどうするつもりなのか。
 そこらへんが、やはり、涙を誘うのである。
「うわああああ!?」
 ごく近くで聞こえた聞き覚えのある悲鳴に、ルイスは振り向いた。
「げっ」
 そこには、不運にも泥投げ合戦のど真ん中に踏み込んでしまったクラスメイトPの姿。
 2、3人の男たちが徒党を組んで左右に分かれ、泥の塊を投げ合っているところに踏み込んだ災害体質の若者は、やはりというか左右から投げられる泥玉の全てをその身に受けてしまっている。体でもってラーメンを庇っているのは見上げた出前魂だが、泥で前が見えないのか、落とし穴がある地点に向かって力一杯ペダルをこいでいた。
「やっぱ、リチャードだなあ……」
 ルイスはぼそりと呟いてそっと視線をそらした。クラスメイトPとは何度も話をしている仲のいい友人だ。故に、彼の能力、無差別災害空間の恐ろしさを知っている。この戦場ではそれは命取りになるし、可哀相だが、君子危うきに近寄らずともいう。無差別災害空間から距離をとった数秒後、叫び声と重い物が水に落ちる音が聞こえてきたが、意外とタフなので大丈夫だろう。
「さぁて、と」
 殺す気でやっているとしか思えないほど鋭く殺人的な攻撃を繰り出す王妃を首尾よく撒いたルイスは、ある企みを持って風と水の魔術を紡いでいた。
ルイスに操られた泥水が、うねってぐぐぐっと持ち上がる。
 泥水で構成された山を眺めて。
 ルイスはにやり、と悪童そのものの笑みを顔に刷き。
 目を見張る周囲の反応を楽しむように、それを思い切り良く決壊させた。

 その頃、ランドルフは先王と人間の常識を超えた闘いを演じていた。
 ランドルフはただの人間に本気を出しては不味いかと、あまり慣れないながらも手加減しながら戦っていた。そしてその分を差し引いても、先王は本当に人間なのか疑わしい身体能力を誇っていた。覚醒状態になったランドルフの、恐ろしく膨れ上がった筋肉から繰り出されるパンチを真横からの裏拳で浮かせ、その腕を取って背負い投げる。背負い投げる、と言っても、言葉で言うほど簡単ではない。なにせ、ランドルフの体重は160キロ、トンに換算すれば0,16tである。
 その巨大な体躯から投げられた経験などほとんど無いだろうランドルフは、背中から泥に落ちる。一際大きな泥飛沫が上がる。それでも仕返しとばかりに、ランドルフは逆に相手の腕を取って力任せに泥に叩きつけた。叩きつけてから、しまった、と息を呑む。
 並外れた怪力のランドルフが力任せになどしたら、腕がもげてしまってもなんらおかしくはないのだ。軽くて骨折だ。たとえ叩きつけた先が泥であろうとも、軽いダメージで済むはずがない。むしろ泥でなかったら殺していたかも、とひやりとしつつ慌てて立ち上がると、ぴんぴんしている男が黒髪を靡かせて立っていた。
「あ、大丈夫ですか?」
 尋ねると、先王はちょっと驚いたように目を見開いて、次いでくっくっと堪え切れないように笑った。
「喧嘩の最中に大丈夫かなんて聞かれたのは初めてだな」
 目を細める。ランドルフはどう反応すればよいのかわからず、とりあえず頭ひとつ分下にある男の顔を眺めた。
「手加減しないで戦える相手は久しぶりだ。楽しませてもらおうか」
 やはりバリバリ悪役な台詞を吐いて愉しげに笑う先王へ、本来穏やかな気質の彼は応答に困って相槌を打った。
「そうですね。争いはそんなに好きじゃないんですが……」
「争い?違うな。これは喧嘩だ。楽しまなければ損をする」
 断言した先王に、今度はランドルフが、ちょっと驚いたように目を見開いた。それから、にこりと笑って頷いた。
「そうですね。ごちゃごちゃ考えるのは止めにしましょう」
 戦う体勢をとったランドルフに先王は不遜に笑うと、腰を落とし、こちらも戦う体勢を作る。
 ランドルフは、咆哮を上げて腕を振り上げる。先王が反応して泥地を蹴った。当たれば致命傷は避けられないだろう打撃だ。懐に入り込んだ先王を叩き潰すように、拳を振り下ろす。
「ハハハハッ!」
 先王が笑う。その肩をランドルフの拳が掠める。たったそれだけで肩関節が外れる嫌な音がした。外れたランドルフの拳が地面にぶつかり、遠巻きに眺めていた男たちは地の揺れを感じた。直撃していたらどんなことになるのか。凄まじい威力だ。しかし先王は自分の肩になど頓着せずに、体重を乗せた一撃を正確無比にランドルフの鳩尾に打ちこむ。ランドルフの体がわずかに浮いた。
「うっ、く」
 思いのほか衝撃が響いたのか、ランドルフの顔が更に凶悪に歪む。バックステップで離れた先王が一瞬で肩の骨を嵌めたのを見てランドルフは前傾姿勢になり、タックルを仕掛けた。まるで山が高速で動いているような光景に、遠巻きに見ていた参加者たちが息を呑む。あれにあたったら、間違いなく吹っ飛ばされる。誰もがそう思うようなタックルだった。それを、同じように遠巻きに見ていたクラスメイトPが、思わず「ダンプカーみたいだ」と呟いたように。
 そして先王は、それを真っ向から受けた。
 轟音がしたのではと無意識に思ってしまうほど、二人の衝突は激しかった。
 ランドルフの肩の筋肉が盛り上がり、血管が浮かび上がる。
 ランドルフより一回り二回り小さい、しかし標準よりは大きいはずの先王は、至近距離にあるランドルフの顔にギラリとガンたれていた。二人はがっちりと組み合ったまま、ピクリとも動かない。
 次第に、先王が押され始め、じりじりとその体勢のまま泥の上を移動していく。周囲にどよめきが走った。おそらくは恐怖の代名詞として恐れられていた先王が、彼らの知る限りでは最強の先王陛下が、押されているのだ。
「力比べでは敵わんか」
 先王が呟いたのを聞いて、ランドルフは小さく笑った。
「それしか取り得がないもので」
 謙遜とも自嘲ともとれる言葉に先王は「ハッ」と笑って、突然がっちり組み合っていた身体を後ろに下がらせた。当然、バランスを崩したランドルフは前のめりになり、体を支えるために腹筋と背筋に力を入れる。その後頭部に強烈な踵落としが決まった。思わず両手を着いて頭から泥水を被るのを回避する。
 それは、すぐに無駄な努力となったが。
「…………」
 追撃がないことをいぶかしんでランドルフが目を上げると、そこには大きく立ち上がった泥の波が迫っていた。
「えっ!?」
 心の底から何が起こっているのか理解できずに、ランドルフは膨大な量の泥水に呑まれた。


「おおおおおい!ちょっ、何コレ!?何あの泥の津波!この大会こんなのもあるのかよ!」
「いや、私にもわからない。こんなことは初めてだ」
「落ち着いてる場合かよ!逃げるぞ!」
「いや、下手に逃げると場外へ放り出されてしまうかと」
「なんでこんな時にそんな冷静なんだあんた――!」
 白月とアイザックもなす術なく大波に呑まれ、
「誰よこんな災害引き起こしたのっ!あたしがお仕置きしてやるわ!」
 レモンは憤慨し、羽を出して飛ぼうとするが、あえなく呑み込まれる。
「えええええええええ!?」
 クラスメイトPは津波を見て慌てて逃げ出そうとし、前を見ずに自転車の向きを変え、お約束のごとくどちゃりと誰かにぶつかり、
「ああああすみませごぼっ!?」
 ちょうどそこに落とし穴があったらしく諸共に泥水の中にダイブした。
「ぎゃあああ」
「何っ!?待て、波……でかい波がああああ!」
「タスケテー」
「オカアチャーン」
 他の参加者も悲鳴を上げながら濁った水の中へ消えていく。
 ルイスが風魔法で起こした泥の大波は会場をざんぶと呑み込み参加者達を一掃した。


 だばーん、と波が通り過ぎたあと、なぜか無事なラーメンを抱え穴から這い出したクラスメイトP。
「なんだったの?今の……」
 死屍累々と大会参加者達が浮かぶ中、呆然と呟く。どちらかといえば白かった彼の肌は、いまや髪と同じ茶色に染まっていた。
 おかもちを抱えなおし、立ち上がる。どこかそこらへんにあるだろう自転車を探そうとして、いきなり襟首を掴まれて持ち上げられた。
「はへ?」
 吊り上げられ、思わず間抜けな声を出して顔だけで振り向くと、そこには泥にまみれて真っ黒な、しかし泥にまみれても妙な迫力のある偉丈夫が立っていた。
さっきぶつかって一緒に落とし穴に落ちた人だ、とさとると同時、津波から見事生還をはたしたそれなりに骨のあるはずの面々が怯えた悲鳴をあげた。
「せせ先王陛下ぁぁ!?」
「逃げろ殺されるぞォォ!」
 悲鳴は伝播し、瞬時に阿鼻叫喚地獄と化した場に煽られてクラスメイトPもパニックにおちいる。「わわわわわ」と繰り返してじたばたもがクラスメイトPをじっと――ぎろりと、とクラスメイトPには見えたかもしれない――見下ろして、恐怖の代名詞先代国王陛下は口を開いた。


「ごほっ……何が起こったんでしょう」
 ランドルフは咳き込みながら身を起こした。泥水に呑まれて流され、彼は自分の今いる場所がどこかもわかっていなかった。下が泥である以上会場の中なのであろうが、元の場所からだいぶ流されてしまったのは確かだ。彼と戦っていた先王も、波に呑まれてどこかへ行ってしまった。
 会場はあれほどたくさんいた参加者たちが一気に減り、ちらほらと立ち上がるものはいるものの、大部分が会場外へ流されてしまったようだった。
「あんなものが自然発生するとは思えませんし……誰かが起こした?」
 頭から泥まみれになったランドルフが立ち上がると、チョコレート色の壁が出現する。一際目立つ壁のようなランドルフを見た集団が、興奮したようにひそひそと話をしているのを見て、ランドルフは覚醒状態になり咆哮を上げた。集団で一斉に襲いかかられたら、通常状態では対処しきれないかもしれないからだ。
 しかし、そうやって警戒を露にしたランドルフを見て、その集団、6,7人ほどの年齢も性別もバラバラな集団は、更に興奮したように、今度は声をひそめることすらせずに会話を盛り上がらせた。ちょっとかなりハイテンションな方向に。
「筋肉……」
「筋肉だ」
「マッチョだ」
「すげえマッチョだ……」
「マッチョ」
「マッチョ?」
「マッチョ!」
「マッチョだ!」
「同志だ!」
「マッチョ最高ォォォ!」
「俺たちの憧れ!」
「マッチョだァァァァァァ!」
 異様な盛り上がりを見せる集団に、ランドルフは一瞬呆気にとられる。同時にランドルフの鋭敏な嗅覚は集団から酒のにおいを嗅ぎ取った。どうやら、酒盛りをしていたらしい連中の手には酒瓶が握られている。そのうちの一人が空になった酒瓶を振り上げ、音頭をとった。
「いいかてめえら!俺たちのモットーは!3にマッチョ!」
『おうっ!!』
「2にマッチョ!」
『おうっ!!!』
「1に美女だァァァァァ!!!!」
『おおおおおおおおおおうっ!!!!』
「マッチョじゃねぇのかよ!」
 その騒ぎを聞いていたのか、遠くから思わず突っ込んだ白月の突っ込みも空しく酔っ払い集団は更にテンションを上げていく。
「賛成!」
「賛成!」
「まさにその通りだ!」
「俺は今真実を悟った!」
「美女だ!」
「異議あり!美女じゃなくて美少女がいい!」
「……」
「……」
「死ね変態」
「堕ちろロリコン」
「王妃さまー!ここに変態がいまーす!」
「同志を売るかァァァ!」
 カオスと化していく空間を見なかったことにして、ランドルフはそっとその場を離れた。酔っ払いには関わらぬが吉だ。


 うねる泥水が暴れくるうままに会場の外へ逃げ出そうとした時。
 津波の前に小柄な老人が立った。
 編んだ真っ白な髭は、言わずと知れた左大臣様である。
「【立て、流の壁、水の壁、濁流を弾き返せ】」
 厳かに告げると、突如として大臣の足元から水の壁が立ち上った。泥流は水の壁にぶち当たり、エネルギーを溜めるように小さく泥の飛沫を撒き散らし――次の瞬間、掌を返すように再び会場内へとその牙を向けた。

「でぇぇぇぇえええ!?何しちゃってくれてんだよじいちゃん!」
 ルイスは己の魔法で起こした津波がリバースしてきたのを見て素っ頓狂な声をあげた。しかし顔は笑っている。
 愉しいのだ、この馬鹿騒ぎが。
 しかしこの国の連中のテンションの高さというか食いつきは度を越している。あの左大臣もそうだ。荘厳ですらある表情で魔法を唱え、波を跳ね返していたかと思ったのに、今は「キャホォォ!」とか言ってノリノリで波乗りしているあたりちょっとかなりやばい。
 そこまで考えたルイスは、ふと結構近くに親しい友人がいるのを見て、声を上げた。
「お。そこにいるのは我が友白ちゃん!」
 そう言って気安げに片手を挙げたルイスの姿を見て、白月の思考は寸の間停止した。
 眼前。
 ノリのいい気の合う友人の顔の下。
 全裸。
「あほかああああああああああああ――――――!!!!」
 白月の、突っ込みという名の鉄拳が炸裂した。
「何やってんだルイルイ!?なんで全裸!?」
「はっはっは全身泥パックで美肌を目指すためだ!」
「三十路に差し掛かってる男が美肌!?」
「これはヒドイ言われよう、世の中には40に差し掛かっても肌を気にしている男がいるはずだ!」
「仮定かよ!」
「じゃあ白ちゃんは40になっても美肌を目指している男がいないなんて言えるか!世界は広いんだぜ?」
「いや……それは……つーかルイルイが美肌目指してたらちょっと引くかも……40歳になっても美肌目指してる男って言ったらオネエ系とかしか思いつかないし。はっ、まさかルイルイそんな趣味が……」
「だあああああちょっと待て俺そんな趣味ないから!ない!ノンケ!ルイスちゃんは清廉潔白ですよ!」
 過去、銀幕市で脱ホームレスのために、某蜂氏の紹介でゲイ疑惑がかかるような場所で働いたことはあるが、「魅了の魔眼」で必死に誤魔化し続け貞操は死守したルイスである。
 これ以上変な疑惑がかかっては堪らない。白月とは気の知れた仲だから、勿論本気ではないとわかってはいるが。
「つーかマジで何で全裸なんだよ!」
「童心に返る!ってコレ誰かに言ったような……。それに、見えにくいだろーけどちゃんとスパッツ履いてるぜ」
「うーわー……絶対確信犯だろ!タチわりー!」
 コントを繰り広げている白月とルイスを尻目に、左大臣の跳ね返した大波は間近に迫っていた。

「ケホッ……んもう、ひどい目にあったわね」
 レモンは泥水でぐしょぐしょになってしまった服の裾をぎゅうとしぼっていた。ご自慢の白い毛皮も泥がこびりつき、ひどい有様だ。
 そしてその周囲ではやはり、何故動物が?という無言の視線がレモンに注がれていた。
「うるさいわね、あたしは【聖なる者の使い】よ!その他諸々のあなたたちに変な目で見られる筋合いないわねっ」
 喋ると尚更驚きの目線を注いでくるのが鬱陶しい。売られた喧嘩は買う主義の【聖なる者の使い】は、ぴんと耳を立てて近くの参加者に躍りかかった。
「鬱陶しいのよっ」
 うさぎキックで下から顎を蹴り上げ、
「あたしが美人だからって見てるんじゃないわよっ」
 前足で腹に三連打を打ち込み、
「もっと漢を磨いてから出直しなさいなっ」
 横蹴りで止めを刺す。
「まだまだ!あたしは負けないわよっ」
 姿はうさぎながらも、その構えは完璧だ。一分の隙もない。たじたじとなる男たちの真ん中に跳び込み、両足をそろえた2連うさぎキックを次々と食らわせる。体勢を崩した男の肩に身軽に飛び乗り、後頭部に裏拳を叩き込んだ。ジャンプして別の男に頭突きを食らわせ、その男が意外と石頭だったため痛む頭を押さえながら涙目を向ける。
 そこには、もうにっくき石頭はいなかった。
 頭に疑問符を浮かべながら瞬きをし、はっとして周囲を見回すと、3人の泥人形、間違えた、泥にまみれた人間が戦っているところだった。
 一人はずいぶんと手馴れているようで、あっという間に一人を泥の上に倒すと、鳩尾に踵を振り下ろして沈黙させる。その隙を狙って残る一人が後ろにいた。
「後ろっ!」
 レモンが思わず叫ぶ。後ろから迫っていた一人が、舌打ちして男にがっきと組み付いた。
 泥の上でごろごろと転がる二人は、泥にまみれて人相がわからないこともあって、どっちがどっちだか全くわからない。
 しかし、しばらくたって立ち上がった男の体つきを見て、レモンは手馴れている男の方だ、と悟った。後ろから迫っていた男は筋骨隆々だったし、この男のように痩身ではなかったからだ。
 レモンの方を向いた顔の表情はわからなかったが、レモンは慌てて声を上げた。
「べ、別に」
 言葉の途中でレモンの横をすり抜けて男に向かう人影を見て、レモンは咄嗟に足を引っ掛けて転ばせた。
「別にた、助けたわけじゃないわよっ!」
 うつぶせに転んだ人間の首に、照れ隠しの分も足して、びしぃと不必要に力の入った手刀を打ち込む。
「なんとなく手が出ただけよっ!」
 力強く、握り拳すら作って断言して睨みつけてくるうさぎに、男は興味を引かれたように歩み寄った。警戒を感じさせない、ごくごく自然な歩き方で。
「へえ。珍しいうさぎもいるもんだな」
 しゃがみこんで目線を合わせてくる。なんだこのベタな展開。
 男は自分の顔の泥をぬぐって、ついでにレモンの顔にこびりついた泥もぬぐって、感心したように眉を上げる。その顔は、精悍な顔立ちをしていて、それなりに整っていた。
「ななな何よ勝手に触ってんじゃないわよっ!……くっ……超好みだわ」
 最後の一言、目前の男にも聞こえないくらい小さな声で呟いたとおり、泥をぬぐった男はレモンのタイプだった。常識を超えた美男美女は銀幕市にいくらでもいるから、それなりにイイ男だったとかではなく、純粋にタイプだったのだろう。つーんと顔を背けたまま、ぶつぶつと呟く。
「これじゃ倒せないじゃないのっ」
「あン?なんか言ったか?」
「何も言ってないわよっ!ていうかあなた誰よ、名前も名乗らない男に触らせてやるほどあたしの毛皮は安くないわよっ」
 ツンデレの彼女は、普通に名前を教えてくれとは口が裂けても言えないらしい。男は何が面白いのか低く笑って、名前を教えてくれた。
「俺はこの国の将軍、ベオだ。で、うさぎのお嬢さんの名前は教えてくれんのか?」
「将軍様なのね。って、教えるわよ!あたしは【聖なる者の使い】レモンよ。……えっ!?」
 唐突にレモンを抱えて走り出した将軍様に、レモンはびっくりした声を上げた。
「驚いてる暇は無さそうだぜ、ツンデレのお嬢さん!」
 後ろ向きに抱えられたレモンが見たのは、一度目ほど大きくはないものの、再び会場を襲おうとしている濁った巨大な波のうねりだった。


 2度目の津波は一度目の津波に耐え何とか残っていた数十人の参加者たちを再び呑み込み、その数を激減させた。
 ちなみに、波に乗っていた左大臣殿は驚異的なバランス感覚で最後まで波に乗り、ノリノリのまま会場外へ流されていった。こうなってはもう、彼の頭の中からは初孫にプレゼント云々は消え去っていたに違いない。
 立っている者は十数人にまで減っていた。
 ルイス、白月はルイスの魔法のおかげで無事だったし、ランドルフは覚醒状態では水に浮かないためあまり流されずにすんだし、レモンは天使のような羽を持っていたため泥水に触れることすら無かった。クラスメイトPは――
「ああの、ありがとうございます」
 出前であるラーメンを先王陛下に食われていた。
「出前を注文した人がわからなくて困ってたんです。見つかってよかったぁ」
 クラスメイトPは、周囲の激烈な反応から、「先王陛下は怖い人らしい」ということを感じていたが、注文した人だと聞いてようやく出前が終わると安心していた。無論先王陛下が注文した兵であるわけがないのだが、それを知る術のないクラスメイトPはまんまと騙されている。
 ちなみに、先王がラーメンを食べているのは魔法で結界を張り泥水の影響を受けなくした会場内。先王が腰掛けているのは積み上げられた3人の気絶した男たちで、ラーメンの代金は先王が指につけていた指輪である。至極当然のようにそれを渡した先王に、現金でお願いしますと言おうにも積み上げられた男たちを見ると言い出そうにも言い出せず、クラスメイトPはどうやって切り出そうか悩んでいた。
 と、唐突に、拡声器で大きくしたような女性の声が響いた。
『ではー!みなさんお待ちかね、今年はちょっと趣向を変えて、今から優勝賞品を奪い合ってもらいまーす!優勝賞品は何の前触れもなく会場の真ん中に現れますので、みなさんそれを奪い合ってくださいねーぇ』
 蛍光ピンクのハートが乱舞しているような声である。可愛い声なのだが、あんまりピンク色過ぎて胸焼けがするような。
『今回はちょっと大会中にトラブルがあって全員を倒れさせるわけにはいかなくなりましたので、10分後に優勝賞品を掴んでいる人を優勝者としまーす』
 トラブルとは、銀幕市に実体化したことだろう。確かに、状況説明を聞く者は必要だ。本来の大会のルールどおり最後の一人になるまで戦っていたら、国の代表者たちまでが倒れることとなる。ノリだけで発展している国でなくてよかった、と常識家なら胸を撫で下ろすところだろう。
『ではーぁ、3,2,1,スタート!』
「うわあ!?」
 クラスメイトPは急に担ぎ上げられて悲鳴を上げた。先王陛下は、どういった気分の変化か、クラスメイトPを連れて会場の真ん中に走り出したのだった。
 

 白月とルイスは会場の真ん中に現れた妙な黒い球体を前に、闘いを繰り広げていた。
 最初見たときは何なのか全くわからず、白月などは「これッ!?」と驚いたものだったが。実際、何だかよく分からない変な黒い球体が優勝賞品とは考えにくい。
 しかし一応大会に参加しているのであって。白月とルイスは、戦う理由付けとして優勝賞品の前で闘いを始めたのであった。
「破ッ!」
 激しい気合と共に白月の鋭い足刀がルイスの胴に決まる。ルイスはにっと笑って、自身の腹にめり込んだ白月の足首を掴み、パンッと跳ね上げた。白月は跳ね上げられた反動に逆らわず、両手を地面に着いて倒立の体勢になり、跳ね上げられた方と逆の足でルイスの顎を蹴り上げる。気の籠められた攻撃は、掠っただけでもダメージが残る。ルイスは揺れる視界を堪えて、白月の腹に拳を叩き込んだ。
「けふっ……う、ハ、ルイルイと戦るのは初めてだけど、正直結構……いや、かなり楽しいかも」
「楽しい闘いってのは、嬉しいよな」
 互いに笑い合って、再び拳を交える。
 ルイスが放つ拳を五指を合わせた手刀でいなし、白月は流れるような中国拳法独特の動きでルイスの腕を絡め取る。そのまま投げ技を決めようとして、ルイスの腕からごきっ、という音がした。一瞬それに気を取られ、ルイスの蹴りを受け損ねる。みしりと骨が軋むのを感じ、白月はルイスから飛び離れた。
 ルイスの腕は関節が外れていて、投げ技に移行する流れから抜け出すために自分から外したのだろう、顔を顰めながらはめ直している。
「ルイルイ、関節は外すと後で腫れるぜ?」
「ふふん、ルイス様のゴキブリにも勝る生命力を侮るなよっ!これくらいならスグ治っちまうぜ」
「ゴキブリって自分で言うか!」
「いやん、ルイス恥ずかしい。そんな乙女の天敵と仲良くしたことなんてない」
「うわあルイルイゴキブリと仲良くしたことあんの?」
「ホームレスってゴキブリと仲良いんだぜ!」
「ホ、ホームレスッ!おとうさんはお前をそんな風に育てた覚えはなーいっ!」
 ▼白月から、秘技「親父の鉄拳」が飛ぶ。
「ゴメンよパパー!やってみたかったんだ!やってみたかったんだー!」
 ▼ルイスから、必殺技「青い春」が炸裂する。
 そんなナレーションが付きそうな二人の真面目とも遊戯とも付かないやり取りを、クラスメイトPはぼんやり眺めていた。ちなみに先王陛下に担ぎ上げられているため、彼は今までにないくらい被害が少なかった。落とし穴に落ちかけても、泥玉が飛んできても、他の参加者が襲ってきても、クラスメイトPを担いでいる先王陛下が全て受け、片付けてしまうからである。何処かから飛んできた石などがぶつかって痛いとか、そういう小さな不幸は受けているのだが。
「なんだあれは」
「ええっとルイスさんと、その知り合い……かな。なんだか仲良さそうですし」
 反射的に答えてからはうっと息を呑む。そういえば横にいたのはなんだか怖そうな先王さんだった。ここここんな答え方で良いのかな。
「つまり銀幕市とやらから来た客か」
「ああっ!リヒャルト!あんたどうしたの!人攫い!?」
「げっ!先王様!」
「レモンさん!クラスメイトPさん!何でこんなところに!?」
「先王陛下?その肩に担いでいる少年は?」
 いつの間にか、会場の中央には残った参加者全てが集まっていた。
 白月とルイスはまだ戦っている。
 クラスメイトPは先王陛下に担がれ、微妙に逃げたそうな顔をしている。
 レモンは一緒に津波から助かった将軍、ベオと並んでいる。ベオは先王を見ていつでも動けるように警戒していた。
 ランドルフは覚醒状態のままでいた。レモンとクラスメイトPを心配そうに見ている。
 アイザックは何故先王が見知らぬ少年を担いでいるのか考えつつも、きっと先王の我が儘に付き合わされているのだろうと心中で合掌した。
「ちょっとあんた何よ、リヒャルトを放しなさいよっ」
「ほう、リヒャルトというのか、お前」
「えーと、一応リチャードです……」
「先王様、何ですその子供。まさか攫ってきたんじゃありませんよね」
「こ、子供……あれ?クラスメイト、じゃなくてリチャードさん、何歳でしたっけ」
「十九です……」
「ちょっと、聞いてるのっ。リヒャルトを放しなさいって言ってるのよ」
「先王陛下、その少年が気に入られたのですか」
「まぁな。側にいると、向こうから騒ぎが飛び込んできて退屈しなくていい」
「実力行使するわよっ!」
「れれ、レモンさん落ち着いてえええ」
 クラスメイトPがあわあわと声を上げる。ベオも隣の小さなうさぎを諌めた。
「止めとけ、ツンデレのお嬢さん。先王様はバケモンだ」
「というかレモンさん、リチャードさん、何でこの依頼受けてるんですか!?」
 ランドルフは疑問を投げかけた。レモンなどは小さいしうさぎだしゴスロリだし可愛いし、見ているだけで楽しくなってくる。こんな泥まみれになって戦うというのは危険だと思うのだが。
 クラスメイトPにしても然り、戦闘能力皆無な彼がこの戦場にいるというのは危険ではないのか。
「あ、僕は依頼を受けてるわけじゃなくて、出前で……」
「あたしは格闘が得意なのよっ」
 それぞれ一言で状況説明。わかりやすくて結構だ。
「そういや、こんなまったり会話してますけどいいんですか?優勝賞品」
「最後の30秒で勝負をかければいい」
 先王陛下のきっぱりとした言葉に、将軍とアイザックが頷く。無駄な戦闘は省く主義のようだ。泥上格闘大会なんていう戦闘イベントを好む人種とは思えないが、まぁ最後の瞬間のために余力を残しておくということだろう。
「でも、あの、ただの黒い球体に見えますけど……」
「何言ってんだお前、あれは国宝級のシロモノだぞ。あれはな……」
 将軍ベオが説明しようとした時。
『残り、30秒でーす。29、28、27』
 またしても、あの、ピンク色の声が響いた。
 無言でアイザックが動く。戦っているルイスと白月を横目に、黒い球体に手を伸ばす。それを、追いついたランドルフがアイザックを体当たりで吹き飛ばし、黒い球体を見るとベオが空中に蹴り上げている。羽を出して飛んでいたレモンがそれを掴んだと思った瞬間、ルイスの風魔法が黒い球体をレモンの手から攫い、それがルイスの手に収まる前に白月が横から掻っ攫っている。レモンが白月の顔をびしっと羽で打つと、白月は驚いて球体をとりこぼした。それを先王が地面すれすれで鷲掴み、しかし片手でクラスメイトPを担いでいるため両手でホールドできず、アイザックがひょいとそれを取り上げる。ルイスがバスケの要領でアイザックの手から球体を叩き落し、ランドルフがそれに手を伸ばすと、白月がさせじとそれを蹴って遠くに飛ばす。先王が魔法で球体をリターンさせると、ルイスの風魔法がその軌道に絡んで進行方向を捻じ曲げた。レモンがそこに飛んでいくと、ルイスはまた器用に球体の進行方向を曲げ、そこにベオがハイキックで地面に叩き落そうとして、しかし風の魔法がまだ球体を浮かせようと働いた結果。
 ぐわしゃんっ
 謎の黒い球体はクラスメイトPの顔面に直撃し、大破した。
「「「「「「「あ」」」」」」」
『2,1,終―了―!栄えある優勝者はーァ、出前少年!おめでとうございまーす』
 これほど不幸な優勝もそうあるまい。
 クラスメイトPは顔面に黒い球体の破片をまとわりつかせつつ、くてりと気絶した。

「おーい、大丈夫かー」
 ひらひらと顔の前で振られる手に、クラスメイトPは意識を取り戻した。クラスメイトPの周りには、先程の面々が揃っていてクラスメイトPを覗き込んでいる。注目されるのが苦手な彼は、物凄く動揺した。
「え?え?な、何ですか?ぼぼぼ僕が何か」
「はい、優勝賞品」
 ベオに渡されたラーメンの代金分の硬貨に、クラスメイトPは「え?」と更に混乱した顔をした。当然だ。最初は、彼らもわからなかったのだから。白月が苦笑して教えてくれた。
「あー、なんかな、あの黒い球体は、欲しい物を念じながら割ると欲しい物が出てくるっていうシロモノらしい。で、リチャードだっけか?あんたがコレが顔面にぶつかるときに考えてたのが、ラーメンの代金だったというわけだ」
 白月も、ルイスも、レモンも、ランドルフも、なんだか気が抜けてしまって苦笑していた。優勝賞品を前に考えていたのがラーメンの代金とは、なんとも無欲なことだ。
 黒い球体がどんなお宝なのか、想像を巡らせていれば違う物が出てきたはずだ。顔面に直撃したのが彼の災害体質の賜物だったとしても、ラーメンの代金を考えているときに割れたのも、彼の不運ゆえだろうが。
「まあ、なんだか妙な結果になっちまったが、これで今回の泥上格闘大会は終わりってことだな」
「ああ。これからは銀幕市とやらに馴染むために忙しくなりそうだ」
 アイザックとベオが話していると、ルイスがそこに顔を突っ込む。
「銀幕市へようこそ!歓迎するぜ」
 銀幕市の住民達の歓迎の微笑みを受けて、彼らも笑って軽く頭を下げるのだった。




クリエイターコメント初シナリオをお届けします、かなりギリギリ感を味わいつつ何とかシナリオを完成させました、新米ライターのミミンドリです。
参加してくださったPCさん、ありがとうございました。頑張って書かせていただきました。
これでいいのか?いいのか?いいのか!?と三回ほど自分に問いかけました。「これでいい」と言ってもらえるようなノベルに出来ていればと思います。
どこかおかしい、気になる、というところがありましたら、こっそり教えてくださると幸いです。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
では、次のシナリオでお会いしましょう。
公開日時2007-08-14(火) 22:30
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