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<ノベル>
そわそわと、リゲイルは銀幕ベイサイドホテルの自室のリビングを行ったりきたり繰り返していた。
2月14日。世間ではバレンタインデー。リゲイルにとっては、プラス、誕生日でもある日だった。
そわそわとリビングを歩きながら、思いついたように辺りの埃を叩くリゲイル。勿論、ホテルの人がこまめに掃除をするので、埃なんてないことはリゲイル自身も知っているはずなのだが、半分無意識のようなそわそわした状態のリゲイルには、何かをせずにはいられなかった。
ちらりと時計を確認するリゲイル。約束の時間まではまだある。そう考えてからふるふると首を振り。違う。もうすぐ約束の時間だ。と、思い直す。
そう思うとたまらず不安になり、鏡の前に立って何度目かの服装をチェックする。
白いワイシャツの上に深い藍色のベスト。ベルトはハイウエストでとめ、ボトムスは英国チェックのモノクロカラーショートパンツ。胸元を飾るのは蓮とアメジストのペンダント。
伸ばした手で掛けてある黒のトレンチコートを取り、それを羽織る。今日着ていくコートだ。
服をただして、チェック。何度も、何度も。
鏡に映った、きらりと光るアメジストに目がいくリゲイル。そのペンダントは、クリスマスのプレゼントに恋人であるユージン・ウォンからプレゼントされたものだった。
途端にあの時の嬉しさがこみ上げてきて、リゲイルはそっとペンダントを握って思い出す。
クリスマスイブの夜。ウォンは、いつか一緒に外に出かけようとリゲイルと約束した。
様々な危険から、ある特定の場所でしか会わないと決めている二人。普段、二人で一緒に外を歩くことなどないのだ。
気を使わせてごめんなさい……。と、気持ちを察してくれたウォンに申し訳なさそうに言ったリゲイル。
いいや。俺もお前と一度は外に行きたいと思っていた。
その言葉に嬉しそうな笑顔のリゲイルに、ウォンは続けて言った。
それと、一つ約束してくれないか。もう『ごめんなさい』と言わないと。そう何度も謝る必要は、ない。
その言葉にしゅんとして『ごめんなさいね』と言いかけたリゲイルだったが、はっと気がついて笑顔で『ありがとう』と言った。
「ふふ」
ペンダントを握ったまま、思い出して小さく含み笑いをするリゲイル。
あのイブの日の約束通り、今日は二人で外へと出かける予定だった。
もう一度服装をただして、いろいろな角度からチェックしている時、不意にベルが鳴り、びくりと肩を上げるリゲイル。慌てて時計を確認すると、約束の時間だった。
コートを脱いで戻し、リゲイルがドアを開けると、そこにはウォンの姿。
ウォンはいつもより少しお洒落しているリゲイルを見て優しく微笑み、言う。
「似合っているな」
その言葉に、リゲイルは照れたようにはにかむ。
「どうぞ、あがって」
リゲイルが部屋にあがって少し休むように言い、二人でソファーに座ると、ウォンが懐から横長の封筒を取り出してリゲイルに渡した。
「……?」
はてな顔のリゲイルに、ウォンが説明する。
「写真だ。前に、言っていた」
驚いたように受け取り、その写真をテーブルの上に広げていくリゲイル。
それは、ウォン自身が撮った空の写真だった。
空を眺めるのが好きなウォン。以前、空の写真集を見ていたときに、リゲイルが言ったのだ。「ユージンさんも写真を撮ってみたら? きっと素敵な写真になるよ」と。
自身で写真を撮るとまでは考えてもみなかったウォン。デジカメを買い、知り合いから綺麗な空を見れるオススメスポットを聞いて、そこで撮ったのだ。
青空、夕暮れの空、雲がかかる空。様々な空をテーブルに並べていくリゲイル。しかし、その中に星空だけは一枚も無かった。
意図的にウォンが撮らなかったのだ。
ウォンは星空を嫌っていた。満天の星空は、ウォンに辛い過去の一つを思い出させる。
育ての親と言うべき人物を殺され、赤く燃え上がる家から飛び出して走り続けたあの日を。一人泣き崩れたウォンの頭上煌く星空を。
「……綺麗」
テーブルに並べたいくつもの空。ウォンの創ったいくつもの空を、リゲイルはじっと見た。
様々な想いが渦巻く。考えるべき考えたくないこと。
悟られないように、普段どおりを振る舞い、そっ、と。リゲイルは澄みきった青空をその手にとった。
「この写真、ちょうだい」
小刻みに揺れている写真から、ウォンはゆっくりとリゲイルの目へと視線を向け、ああ。と言って頷いた。
その後、二人は杵間山の麓までウォンが運転する車で移動し、麓で車を止めて徒歩で展望台へと向かう。木々に囲まれた緩やかな登山路を登る途中、リゲイルは一歩前を歩くウォンに向かって言う。
「ねぇ。ユージンさん」
「……?」
歩く足を止め、振り向くウォン。リゲイルがプレゼントしたマフラーがそっとなびく。
「手、繋いでもいい……?」
ウォンの手をちらりと見てそういったリゲイルに、ウォンは微笑んで答える。
「ああ」
そう言って、リゲイルの手を取るウォン。嬉しそうな笑顔のリゲイルを見て、再び歩き出す。
ただの登山路でも、手を繋いで二人で歩ける外は二人には新鮮だった。
二人が展望台に着くころには、辺りの景色は夕焼けに染まっていた。
「わ、すごーい」
展望台に着くなり小走りで市内を一望できる場所まで移動するリゲイル。その後姿を見ていたウォンは柔らかく口元を緩めてから、ゆっくりと歩いて後を追う。
夜景が自慢の杵間山展望台。まだ夕日の時間ということもあり、展望台には二人のほかに人はいなかった。
二人は展望台から銀幕市を眺める。
眼下に広がる銀幕市は、小さく。でも確かにそこにあった。
「見渡せるような広い場所が見たい」行き先を決めるとき、リゲイルはそう言った。
ムービースターであるウォンは銀幕市から出ることが出来ない。そのウォンにも市街が見れたらいいな。そう思って、リゲイルは展望台を選んだ。
ひときわ冷たく、強くなってきた風に、リゲイルが肩を抱く。
気がついたウォンはそっとリゲイルを後ろからコートで包む。
軽く見上げたリゲイル。ウォンと視線があうと、ありがとうの代わりに微笑んでから、頭をウォンの胸に預ける。
「……こうしていると、暖かい…………」
小さく、ウォンの胸の中でリゲイルは呟く。
「……冷たくはないか?」
心配そうに問いかけるウォン。死者として実体化したウォンの身体は、驚くほどに冷たい。
「ううん。暖かいよ」
「……そうか」
赤く。沈んでいく。
夕焼けに染まる街は、綺麗だけど。どこか人を感傷的にさせる。
空が高い。
視線を空に向けたリゲイルはふと、ウォンの撮った写真のことを思い出す。
いつかは別れの日が来る。それは分かっていた。
そのいつか必ず来る別れの時のために、リゲイルはウォンの創ったものを残しておきたかった。
だから、ウォンの撮った写真が欲しかったのだ。
しばらくの間、言葉なく市街を眺めていた二人。ふと、ウォンが口を開く。
「俺は、夢の存在……」
言い出した言葉に、はっとしてリゲイルがコートの中でウォンを見上げる。
「今、ここにいる俺は夢の神に作られた存在。だが忘れないでほしい。我々の出会い、今こうしている事は夢ではなく、現実であるという事を」
見つめ合う二人。ゆっくりと、ウォンが顔を近づける。
そっと、ふれるように。二人は口づけをした。
満天の星空になる前に、二人はリゲイルの部屋へと戻った。
ルームサービスの食事を頼み、何気ない話で時間を埋める。
会えない時間が多い二人。話す話題など沢山あった。
すぐに運ばれてきた食事に、話を中断して夕食にする。
ほうれん草、シーフードのキッシュにブイヤベース。二人とも、肉が好きではない為、肉料理はない。
「それ美味しそう。一口ちょうだい?」
ウォンが食べていたほうれん草のキッシュを見て、リゲイルが言う。リゲイルはシーフードのキッシュだ。
「ああ」
そう言って皿を出そうとしたウォンだったが、リゲイルが目を瞑って口を開けていたため、小さく笑ってその口にスプーンを運ぶ。
「ん。おいし。ユージンさんもこっち食べてみる?」
スプーンを持ち上げてにっこりと笑って言うリゲイルに、小さく苦笑してウォンが答える。
「いや、いい」
安らかな、時間。
食べ終わって少し休んだ後、リゲイルは部屋にあるグランドピアノを弾く。
奏でられるその音に、ウォンは目を閉じ、ほんの少しだけ歌をのせる。
ひとときの合奏。
悲しみを乗せた音ではない。それは、幸せを乗せた音。
弾き終えたリゲイルがウォンを見て微笑み、ウォンもそれに応える。
「ユージンさん。これ」
リゲイルがウォンに渡したのは、綺麗に包装されたバレンタインのプレゼントだった。
黒曜石で作られたタイピンとカフス。シンプルなデザインのそれは、ウォンにはよく似合いそうだった。
「ありがとう」
やわらかい笑みで微笑んで、ウォンはプレゼントをしばらく眺めた後、大切そうにテーブルに置き、コートのポケットからリゲイルの誕生日プレゼントを取り出して渡す。
「ハッピーバースデイ」
プレゼントはイエローゴールドのチェーンに蝶のモチーフは白蝶貝(マザーオブパール)のブレスレット。
光を受け、角度によって淡いグリーンやイエローに煌きを放つ蝶を見て、リゲイルは感嘆の声をあげる。
「わぁ。綺麗」
にっこりと、リゲイルはウォンを見て続ける。
「ありがとう」
大切な時間はあっという間に過ぎていく。
一秒だって無駄にしないように。リゲイルはウォンを見つめ、話し、その存在を刻む。
それはウォンも同じだった。リゲイルがくれる温かさ、安らぎ。何もかもがかけがえのない、大切なものだった。
どんな経験をして、どんなことを思った。
一日、何をして過ごした。
一度話したことだって構わない。何度話したって、お互いに楽しい時間を感じることが出来た。
話が途切れたって構わない。見詰め合っているだけで、同じ時間を過ごしていると感じれるだけで、二人は幸せだった。
うとうとと、リゲイルが重そうな瞼に耐えている。
気がつくと、夜は更けていた。
「そろそろ――」
「まだへーきー」
言いかけたウォンの言葉を遮って、リゲイルが眠たそうに目を擦りながら言う。とろんと眠たそうな声だ。
普段ならもう少しくらい夜更かししても大丈夫だろうけど、今日は結構な距離を歩いたし、身体的にも疲れている。あまり無茶をするとそのツケは翌日にまわってくる。だからウォンは、優しく諭すように言う。
「もう寝なさい」
「えー。折角一緒にいれるのにー」
子供のように言うリゲイル。ぷくーっと頬を膨らまして拗ねたようにした後、思いついたように笑顔になって隣に座るウォンの膝に上半身でのしかかって甘えたように言う。
「……一緒じゃなきゃ寝ないもんー」
眠気からだろうか、いつもと違うリゲイルの様子に苦笑しつつも、しょうがないなとウォンはリゲイルを抱き上げて寝室まで運ぶ。
リゲイルをベッドに寝せ、同じ布団にウォンも入る。
それでもまだ眠気を我慢しようとするリゲイルに、ウォンは軽いキスをする。
「おやすみ」
「おやすみ」
小さく返すリゲイル。その手を、ウォンが握る。きゅっ、と。リゲイルも返す。
「……ありがとう」
微笑んで。リゲイルは目を閉じた。
静寂の中、気がつけば、すう。とリゲイルの安らかな寝息だけが聞こえる。
重ねる手はそのままに、温もりが伝わる。
ウォンはリゲイルの寝顔を見ていた。
死者であるが故に眠れないウォンの過ごす夜は、長い。
暗く、寒い夜を。ウォンはいつも過ごしていた。
その苦しみに、ウォンはいつも耐えていた。
だが。
リゲイルと過ごす時間。リゲイルと過ごす夜は。
眠れずに過ごす長い夜も苦ではなかった。
いや。長いとすら感じない。
苦しみなど、一瞬たりとも感じなかった。
自分の寒さなど、忘れさせてくれるくらいに。リゲイルは温かかった。
「ありがとう……」
そっと、自由な方の手で安らかな寝顔のリゲイルの頬を撫でて、ウォンが呟く。
「……愛している」
優しく呟かれたその声に、リゲイルの寝顔は、ほんの少し笑みを浮かべた。
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クリエイターコメント | こんにちは。依戒です。 ハッピーバレンタインですね。
まず最初に。素敵なプライベートノベルのオファー。ありがとうございました。 恋人同士のお二人の素敵な一日に携わることが出来て、幸せです。
いつものように、後日、あとがきとしてブログにて想いを綴りたいと思いますので、もしよろしければ見に来てください。
オファーPL様。ゲストPL様。そして読んでくださった何方かが、一瞬でも幸せな気持ちを感じて下さったならば、私は嬉しく思います。 |
公開日時 | 2008-02-14(木) 20:00 |
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