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<ノベル>
ゆらり、ゆらり。
どこまでも透き通ったエメラルドマリンの海の中。無人の緑の小島近くの海域に、人魚がいた。
黒く艶やかな長い髪に、瑠璃色の瞳。耳には鰓があり、下半身は透き通るウルトラマリンの鱗。
あぁ。そうだ。これはわたしだ。
わたしはゆっくりと、小島の周辺を泳ぎだす。
流れる景色。透き通った綺麗な水はどこまでも先が見える。
わたしは綺麗な色の魚の群れを追い越し、その先にいたイルカの横に並ぶ。イルカはくりりとした目をわたしに向けると、くちばしをすこし動かした。笑ったように、わたしは思えた。
しばらく並んで泳いでいると、気を許したのか、イルカはわたしの身体ギリギリまで寄って泳ぎだす。
――ギキキキッ。
何度も鳴き声を響かせるイルカに応じて、わたしも軽く歌を口ずさむ。
――ピュィーピュィー。
喜んでくれているのだろうか、イルカはその場でぴたりと止まると、今度は自分の尾を追うように何度もその場でぐるぐると回転しはじめる。
ひとしきり泳ぎまわったあと、遊び疲れたのかイルカはわたしの周りをぐるりと二週してから何処かへ泳いでいった。
わたしはぴたりとその身体を止め、水の流れにその身を任せて揺蕩う。
すぅ、と。大きく深呼吸をして呼吸を整えると、目を細めて左の手を伸ばす。
そして、歌う。
瞬間。水が震え、音が揺れる。
水の中を歌がはしり、水が、魚が踊る。
いつもの、それは習慣。歌う事は義務で、でもそれ以上に歌う事は喜び。
だからわたしは歌う。
「――?」
しばらく歌っていたわたし。ふと、その違和感に気がついて、歌を止めた。
そして違和感を探ると、それは直ぐに分かった。
音の揺れ。
わたしの歌とは違う、音の揺れ。
耳を済ませてみると、不思議な、音色。海や空、緑の奏でるそれとは違う。初めて聴いた音色。
ほんの僅かに聞こえるそれに、わたしは音を聴き、音を感じる。
どのくらい前から響いていたのだろうか。わたしの胸を強くうつその音色は、なのにいつのまにか自然とわたしの歌と混ざり合っていた。
そうだ。あの音色はハープ。確か竪琴という名の楽器の奏でる音だった。
水に溶け込むその旋律はどこまでも綺麗で。わたしのこころを震わせ、そして安らぎをくれた。
「らら――ら」
気がついたら、わたしは再び歌を歌いだしていた。その音色にあわせて。
それはとても心地よく、楽しく。わたしのこころを満たした。
ひとしきり歌った後、段々とわたしは気になり始めていた。
『いい、藍玉。大きな島には近づいてはならないよ』
それは、小さな頃から繰りかえし聞かされていた言いつけだった。
わたしたち人魚たちの棲む島と離れた大きな島。人魚の島と大きな島は、干潮の時に現れる白い砂の道で繋がれている。
竪琴の音色は、大きな島のほうから聞こえていた。
今は満潮。けれども、白い道は海中で確認できる。
あの音色は誰が奏でているのだろう?
もっと近くで、あの音色に合わせて歌いたい。
気持ちを抑える事なんて、出来なかった。
『白い道を辿って行ってはいけない』
忘れていたわけじゃない。
けれどわたしは、竪琴の音色に誘われるままに白い道を辿って大きな島まで行った。
近づくにつれて、次第にはっきりと聴こえる音色に、自然と心が高鳴った。
こんなにも心震わす音色を奏でる誰かに、早く会いたい。
近くでその音色を聴き、歌いたい。
大きな島の砂浜が近づいてきた。
そろそろかな。
わたしは水面に顔を出し、砂浜を見渡す。
するとそこには竪琴を奏でる人影が――。
「――!!」
――ざぱぁ。
眩しさに、目が眩む。
今のは……夢?
辺りを見回すと、そこは噴水の中。銀幕市の小さな美しい公園。お気に入りの場所だった。
「あぁ……夢」
思わず、呟く。どうやらすこしうとうとしてしまったらしい。噴水から出した半身。髪を滴り落ちた水滴がぽちゃりと音を立てる。
そうだ、さっきのは実体化する前の出来事。
そしてあの人影は、確か……。
確か……?
「……でも、まだ夢の中?」
夢の世界から、夢の街へ。
けれど、あの竪琴の音色はもう聴こえない。
あの音色は誰が奏でていたんだろう?
あの人影は誰だったのだろう。
何度も何度も、必死に思い出そうとしてみても、思い出すことは出来なかった。
とても大切な、大切な。
「らんぎょくおねーちゃん」
遠くからの呼び声に、考えを中断してわたしは声の方向を見る。
すると遠くから子供たちが走りよってくる。
もうそんな時間。
わたしの歌を聴きに、近くの保育園や小学校からこうして子供たちが来てくれるのだ。
走ってくる子供たちに、わたしは笑顔で微笑む。子供たちのうしろから、保母さんがにこりと会釈をする。同じようにわたしも返す。
「らんぎょくおねーちゃん。こんにちはー。」
噴水前に集まってきた子供たちが口々に言う。
「うん。こんにちは」
「らんぎょくおねーちゃん。あれやってよ」
小さな男の子が目を輝かせて言う。
「ねぇねぇらんぎょくおねーちゃん。歌ってよ」
別の女の子が噴水の塀に手をかけ、身を乗り出して言う。
「えー。ずるい。その前にあれやってよ、おねーちゃん」
何人もの子供たちが、噴水の前でそうねだる。
「いやだ。歌が先だもん!」
「なんだよそれ。オレの方が先に言ったんだぞ!」
わたしは口論を始める二人の頭に優しく手を置いて、諭すように言う。
「ケンカしたら駄目だよ。ね? どっちもちゃんとやるから」
「でも……」
それでもまだ何か言いたそうな二人に微笑みかけ、さらにわたしは言う。
「ね?」
「らんぎょくおねーちゃんがそう言うなら……」
いい子。と、二人の頭を撫でる。
そして、わたしは歌いだす。
「わぁぁ」
途端に笑顔になる子供たちを見ると、わたしも嬉しくなる。
歌いながら、私は魔法を使って、噴水の水に少し仕掛けを施す。
すると噴水から噴出す水の雫が、その形を保ったままゆらゆらと漂う。
それはまるで宝石。どこまでも澄んだ、水の宝石。
その水の宝石をいっぱいに敷き詰めた空間は、とても綺麗。
漂う水の宝石を、子供たちは手に乗せて眺めたり、頬にあててひんやりとした涼を楽しんだり。歌を聴きながら、楽しそうに遊ぶ。
わたしの歌に合わせて、子供たちは笑い。風は踊り。鳥も歌ってくれる。何処からだろうか、一緒に歌う誰かの声も聞こえる。
夢のように、とても幸せな時間だった。
けれどもあの音色は。竪琴の音色は聴こえない。どんなに耳を澄ませても、その音だけは聞こえなかった。
傾いた陽に、わたしはそっと顔を落とす。
橙色に染まった水面を、ちょんと指で突付く。
瞬く間に波紋が広がり、移った風景を歪ませる。
子供たちは帰っていった。風は止んでいて無風。鳥も何処かへと姿を消した。
竪琴の音色は、まだ、聞こえない。
「……それでも、いい」
自然と。想いは呟きとなった。
強がっている訳では決してない。諦めている訳でもない。
ただ、信じていた。
いつの日か、あの音色に似た何かが聴こえる、と。
そう信じていた。
「ふふふっ」
ああ、可笑しいな。
なんでだろう? 唐突に思い出し、わたしは笑う。
それは、先日の出来事。わたしが誘拐された時の事件。助けてくれた彼。
ぎゅうと、彼の首にしがみついた時に感じた、早鐘のように鳴る彼の鼓動。なんだろう。それが懐かしく感じた。何がなんて分からない。けれど、思わず微笑んでしまうような、そんな幸せな懐かしさ。
思えば、あの時からかもしれない。自分の中の何かが少しずつ変化しているのは。
何と言えばいいのだろうか。全ての事に何処か遠くから眺めるような感じだった自分に、少しだけ変化が訪れた。
それが一体何なのか、どんな感情なんだろうか。自分自身よく分からない。
けれど、それは決して悪いものではない。と。
きっと、もっと。これからわたしは変わっていくのかもしれない。
ドキドキと、いつもよりほんの少し高鳴る鼓動を意識して、わたしは思う。
けれど、やっぱりそれは、悪いものではない。と。
そう、思うのだった。
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クリエイターコメント | こんにちは。依戒です。
プライベートノベルのお届けにまいりました。
ええと、まず最初に この度は素敵なプライベートノベルのオファー。ありがとうございます。 夢のお話、そしてこれからの変化の予兆を描かせていただき、幸せいっぱいです。
例の如く、長くなるお話は後ほどブログにて語らせていただきますが(よろしければ見に来てくださいね)ここでは少し。
今回、迷いましたが一人称にて書かせていただきました。 途中まで一人称で書き、三人称で書き直し、やっぱりまた一人称に戻す。というなんともあれな状態に。 もうオファーを受けた時から一人称で書きたいと思っていたのですが、好みがありますからね。 一人称の場合、キャラらしさというのが大きくでると、私はおもっているので、なんかちがーう。とかのあれも……その(ゴニョゴニョ。
あ、あと。書いてしまった後なのですが。 イルカとか魚とか、レアムスグドの世界に普通にいる感じで書いてしまいましたが、よかったのでしょうか……。ちょっと不安。
と、それではこのへんで。 素敵なオファー。ありがとうございました!
オファーPC様。そしてノベルを読んでくださった方のどなたかが。 ほんの一瞬だけでも、幸せな時間と感じて下さったなら。 私はとても嬉しく思います。 |
公開日時 | 2008-08-04(月) 17:30 |
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