★ 語られなかった物語 ★
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
管理番号314-6758 オファー日2009-02-21(土) 00:39
オファーPC 黒光(ctmb7023) ムービースター 男 18歳 世界の外側に立つ者
<ノベル>

 曇天の続いた空が、久しく晴れた。気持ちの良い冬晴れである。
 本の埃を払っていた男は、どうやら一段落したらしくハタキを置いて伸びをした。黒くさらりとした髪が首を擽る。
 彼の名は黒光という。銀幕市に実体化し、元々古書店でアルバイトをしていた、という事も相まって、この書店でアルバイトをしていた。本が好きな彼は、単純に本に触れるのが嬉しかったし、この仕事は気に入っていた。それに、この書店は商店街の人通りが多い中にあったが、一歩店内へ足を踏み入れれば不思議と喧噪が遠い。それも、気に入った一つだった。
 黒光は帳場へと腰を落ち着け、栞を挟んでいたページを捲る。個人経営の小さな書店である、いつもの事だ。

 ◆ ◆ ◆

「あの」
 ふいに声を掛けられて、黒光は顔を上げた。ひょろりとした頼りない男がしきりに瞬きをしながら、黒光を見下ろしている。
「あの、本を探しているんです」
「どんな本ですか」
 普段は口の悪い黒光だが、店番をしている時は話は別だ。
 男はしきりに瞬きをしながら、口籠もる。不審そうに見上げると、男は慌てて口を開いた。
「本じゃなくて、竹簡なんですけど」
「竹簡なら、その右端の棚に」
 黒光が指すと、男は瞬きをし、何度も頭を下げた。いそいそと棚に寄ると、片っ端から見ているようだ。黒光は首を傾げながら再び本に目を落とす。どこまで読んだっけ、とページを捲った。しばらく竹簡がカラカラと音を立てていたが、やがてそれも止まる。
「あの」
 再びの声に、顔を上げる。男は困惑したような顔で、しきりに瞬きをしながら口を開く。
「あの、これで全部ですか?」
「はあ」
「本当に?」
「はあ」
 気のない返事に、男はこつこつとつま先で床を叩く。
「確かにここに在るはずなんですよ。二回は確認したのに、見当たらないんです」
「じゃあ、売れたのかもしれませんね」
「それはありません。だから、在るはずです」
 その剣幕に、黒光は眉間に皺を寄せる。首を少し掻いて、瞬きをする顔を見上げた。
「タイトルはなんです?」
 聞くと、男は再び口籠もる。何か独り言でも呟くように、でも、とか、ああ、とか言っている。更に眉間に皺を寄せて見上げれば、男は首を振って帳場から離れた。
「また来ます」
 立て付けの悪いガラス戸を音を立てながら、男は扉を閉める。未練がましく何度も振り返る男をもう一度睨め付けると、慌てて去っていった。
 黒光は再び本に目を落とす。古書独特の匂いが鼻孔を擽る。
「どこまで読んだっけな」

「ただいまー」
 ガタガタと音を立てて、瓶底眼鏡にボサボサの髪を不器用な手でまとめた男が戻ってきた。黒光は読んでいた本から顔を上げ、腰を上げる。
「店主」
「やー、ごめんねぇ。もうちょっと早く帰ってくる筈だったんだけど。何かあったー?」
 店主と呼ばれた男は、どさどさと袋の中身を帳場に広げながら聞いた。沈黙が続くので顔を上げると、渋い顔をした黒光。店主は広げた物の中からアイスを取り出し、黒光に渡す。自分ももう一つを開けながら、帳場に腰掛けた。
「変な客が来た」
「うちは変わりもんが多く来るからねぇ」
 しゃりしゃりと店主の囓るアイスの音がする。袋を持ったままの黒光に「溶けるよ」と店主。
「形状は竹簡で、在るはずなのに無いって言う。売れたのかもって言ったら、それはない、って断言した。だから、ここに在るはずだと」
 袋を開けながら、黒光は続けた。
「ここ数ヶ月、店に入らねぇが中を気にする変な奴がいた。入ってきたのは、今日が初めて。……何か心当たりは?」
 沈黙。
 しゃりしゃりと二人がアイスを囓る音が響く。
「あるねぇ」
 しゃくしゃくとアイスを頬張りながら、店主が呟く。黒光が黒の瞳を向けると、店主は少し笑ったようだ。
「見かけはただの竹簡だし、文字も普段わたしたちが使っているようなものと変わらなく見えるのに、ちっとも読めない書」
 黒光の瞳が微かに細められた。店主は続ける。
「きみは、『世界の外側に立つ者』を知っているかい」
 黒光は頷いた。
 ──『世界の外側に立つ者』。
 それは、所謂『不老不死者』の事である。
 万物に等しく与えられる『死』というものが無い者。
 理から外れた者。
 それが、『世界の外側に立つ者』である。
 店主はしゃくしゃくとアイスを囓りながら、薄く汚れた天井を見上げた。
「わたしのご先祖様から伝わる書でね。その書の名を、『桜鋼』という。解読すれば『世界の外側に立つ者』になれるという、幻の書、らしい」
 黒光は出来るだけ平静にそれを聞いていた。
「ま、そんなものを欲しがる奴は、変人か奇人の類だね。店に出すつもりはないし、もしまた来たら、知らないって言っといてちょうだい。本物かどうかはさておき、代々伝わる秘伝の書だ、手放したくない。それに」
 店主は瓶底眼鏡の下でふっと笑った。
「解読する気もない古書店主が持ってるんなら、何も生み出しはしないし平和でしょう」
 まあ、と店主は笑った。
「解読する気もないのに持ってるっていうのも、奇人変人の類かもしれないけどね」
 店主は散らかした袋の中身を掻き集めて、奧へと引っ込んだ。
 黒光は天井を見上げる。
 古書独特の匂いが、鼻先を掠めていく。
 店主の声が、耳に染み付いて離れなかった。
 目を閉じた。
 ──確かにここに在るはずなんですよ。
 黒い瞳が光る。

 閉店の午後六時。冬の今頃では、日が落ちて空が藍色に染まる頃である。空には月が煌煌と浮かぶ。
 黒光は白い息を吐いて、立ち上がった。春が近付いてきたとはいえ、まだ息が白くなる程には寒い。
 店内へ戻り、書籍の埃を払う。初めはあまりに早い閉店に驚いたが、通い慣れればその理由はすぐにわかった。なんて事は無い、そうそう人がやってこないのだ。だから常連客というものがいるし、だから新しい客は記憶に引っかかる。
 立て付けの悪いガラス戸を閉めると、鍵を掛けてポケットに突っ込んだ。
 黒光は月に一度か二度、店の鍵を預かる事がある。それは、店主が小旅行と称して何処かへ出かけるからだ。何処へ出かけているのか、聞いた事はない。店主の気が向いた時にだけ、どんな旅行だったかだけを喋る。それに不満は無かったし、何より黒光は店主を信頼していた。だから仕事もきちりとこなした。そんな黒光を気に入ったようで、店主も彼を信頼し、元々店を黒光一人に任せてふらりと出かけてしまうような人だったが、鍵を預けるまでに至った。
 そして今日ばかりは、それはとても都合が良かった。
 白い息を一つ吐く。そうしながら、いつもの帰り道である角を曲がった。それから少し早歩きで、いつもは直進する道を曲がった。店をぐるりと迂回して、戻ってきた事になる。
 案の定、それは居た。
 白い息が頬を掠めながら後ろに流れる。
「とっくに閉店している」
 黒い刀身が男の頬を撫ぜた。男は喉の奥で高く悲鳴を上げる。
 煌煌と輝く月に照らされ、ガラス戸に映る男は見紛うことなく、昼間に店を訪れたやたらと瞬きの多い男であった。
 男は目を見開いて、同じようにガラス戸に映る黒光を見ている。
「あんた、何ヶ月も前から店先をうろちょろしてたろう」
「きっ、今日が初めてでっ……」
「店に入ったのはな」
 ぴしゃりと言い放つと、男は歯を食いしばった。顔は動かせない。黒光が持つ、金色と銀色とに刻まれた紋様が美しい黒帝剣が、男の首元で煌めいているからだ。頬には赤い筋が走っている。
「不老不死に、興味があるのか」
 言うと、男の喉がごくりと鳴った。微かに笑ったようだ。ちき、と剣を鳴らすと、男は素っ頓狂な声を上げた。
「な、仲間にならないか!」
 眼を細めると、男はまくし立てるように続ける。
「永遠の命が欲しくはないか! か、解読すれば『世界の外側に立つ者』になれる! 我々は『永遠の命を欲する会』という」
「……ダサいネーミングだ」
 男は脂汗を垂らしながら、しきりに瞬きを繰り返す。口元には狂気じみた笑みが浮かんでいる。
「我々は、魔術師や科学者、そして永遠の命を欲する者たちで構成されている! み、皆、永遠を欲している! そ、それは人類の夢だ! 最も永遠なる命を手にする技術に近しい筈の医師も、誰も手にし得なかったものが、手に入る!」
 黒光は片眉を上げた。
 それは、男には心が揺れたものと、判じられたらしい。
「どうだ、仲間にならないか! き、君は見込みがある! 音もなく背後に立つところや、どうやら剣の腕も立つ! 仲間にならないにしても、護衛はどうだ? ここの五倍の給料は出すぞ!」
 男の瞬きが増える。
 口元には引きつった笑み。
 目には滑稽な程の生への執着。
 ……それが、悪いとは、言わない。
 だが。
「気に入らないな」
 黒光は黒帝剣を肩に担いだ。瞬間、男が大きく息を吐いて、ガラス戸に背を打ち付けるようにして座り込む。脂汗が噴き出し、ひぃひぃと肩で息をしている。
「な、何が気に入らないっ!? 永遠の命が気に入らないのかっ!?」
 耳障りな声。こちらを向いたせいで、月に照らされた顔がはっきりと見える。憤りすら浮かべたその顔に、黒光は眼を細めた。
「永遠。それがどれほどのものか、知りもしないくせに」
 世界の外側に立つ者。
 書を解読した者のみがなし得る技。
 膨大な知識を得る代償に、それを永劫蓄え続ける事を義務づけられる、魔性の書。
 精神的な死を迎えるまで、流れゆく時を同じ肉体で生きていくしかない。
 精神的な死を迎えれば、残るは一巻の竹簡のみ。
 そう。
 『世界の外側に立つ者』になる為のその書とは、『世界の外側に立つ者』の遺体である。
 そして解読されたその瞬間、その遺体すら、燃えて炭と灰と化してしまう。
「俺がここにいるのは、『世界の外側に立つ者』の『遺体』が売られてくる可能性があるからだ」
 男の目が見開かれる。
「世界の外側に立って見る景色は、どんなものだと思う?」
 ちろりと視線を下ろせば、男は興奮して黒光に縋った。
「もちろん、素晴らしかろう! 素晴らしかろう! 永遠! き、きみはそれを持っているのだな!」
 黒光は笑う。
 男は色めき立った。
「素晴らしい! ぜ、ぜひ我が盗賊団『永遠の命を欲する会』に入っていただきたい! おお、素晴らしい! ここに生きた永遠がいた!」
 黒光はくつくつと笑った。
 鼻息も荒く縋る男の首に、ぴたりと黒帝剣を添える。
 男もぴたりと止まった。
「世界の外側。……それは、気安く踏み込むべき領域ではない」
「だ、だがきみはそれを持っている! 永遠を持っている!」
「俺がどれだけ生きてきたと思ってる」
 黒光の外見は、十八かそこらの少年とも呼べるほどしかない。
 しかし、その身に纏うものは、決して十八かそこらの少年のものではない。
 男の額から、汗が一筋、したたり落ちる。
「お前が欲しがっていた永遠がどれほどのものか、その身で味わうがいい」
 黒光は左手で、男の見開かれた目を覆う。男は身動きも出来ず、ただ無様な悲鳴を上げる。
「二百年分でもあれば、十分だろう」
 左手が淡く光る。
 途端、男は体の震えも呼吸すらも忘れたかのように静かになった。
 手を離す。
 男はずるずると崩れ落ちた。
 その目には、先ほどの生への執着も、永遠に魅せられた狂気も、なかった。
 そこに居たのは、ただのモノだ。
 黒光は冷ややかにそれを見下ろす。
 見下ろし、面倒だが魔術を用いてそれをどこかへ転移した。
 場所は特に指定しなかったから、何処へ行ったかは黒光にもわからない。
 何処へ行こうとも、彼が正気に戻る事はまずないだろう。
 二百年。
 今の黒光にとっては、たった二百年。
 しかし、人間にしてみれば、二百年とは平均寿命の倍である。
 老いる事もない姿を不信の、好奇の眼で見られる。
 やがて化け物と言われ、一所にはおられない。
 精神だけが老いていく。
 『死』から見放された者に、物理的な死は許されない。
 それを、悟り。
 見せつけられる。
 それだけの、年月である。
 黒帝剣を下ろし、引っかかれた腕を見やった。
 掻かれた赤は、墨のような紋様が蛇のように伝い、あっという間に傷口を塞いで消えた。
 黒光は空を仰いだ。
 ここの店主は知らない。
 『桜鋼』が、彼の先祖である事を。
 言うつもりも、ない。
 ──解読する気もないのに持ってるっていうのも、奇人変人の類かもしれないけどね。
 店主の声が、耳に響く。

「ただいまー」
 店主の声に、黒光は顔を上げた。
 立て付けの悪いガラス戸がガタガタと音を立てて閉まる。
「いやー、今回の温泉はすごく良かったよ。また行きたいねー。何かあったー?」
 少し大きめの鞄をどっかりと置き、帳場の上にビニール袋をひっくり返してどさどさと物を広げる。
「変な客が来なくなった」
「へぇ、そりゃー良かった。不審人物がうろついてると、ただでさえ客の少ない店に閑古鳥が鳴くことになっちゃうからねぇ。あ、これお土産」
 店主は桜色の栞を黒光によこした。
「ずいぶんとメルヘンなものを」
「本が好きでしょ」
 瓶底眼鏡の下で笑って、店主は散らかした袋の中身を掻き集めて、店の奥へと引っ込んだ。
 黒光は桜色の栞を光に翳してみる。
 そこには、一足早い春が咲き誇っている。

 ◆ ◆ ◆

「お兄さん」
 声に、黒光は顔を上げた。そこには、笑みをかみ殺した女性が立っている。
「これください」
 差し出された本に、黒光は「ああ」と首を掻いて、受け取る。レジに通して、金銭を受け取り、釣りを返して本を袋に入れ、それから渡す。女性は穏やかな笑みを浮かべて、店から出て行った。
「寝てたのか」
 そう呟いて、黒光は手を見下ろす。
 開いたページに桜色の栞が挟まっていた。

クリエイターコメント大変お待たせいたしまして、申し訳ありませんでした。
木原雨月です。

映画には描かれなかった事件という事で、こういう形で書かせていただきましたが、いかがでしょうか。
お気に召していただければ、幸いです。
何か気になった点などがありましたら、遠慮無くご連絡くださいませ。
この度はオファー、ありがとうございました。
公開日時2009-03-15(日) 09:00
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