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クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-3097 オファー日2008-05-11(日) 20:00
オファーPC ギリアム・フーパー(cywr8330) ムービーファン 男 36歳 俳優
ゲストPC1 ジェイク・ダーナー(cspe7721) ムービースター 男 18歳 殺人鬼
<ノベル>

◇真夜中の虚構

 粘つくべっとりとした赤が、どくどくと脈打つ熱を伴いながら右手と視界を染める。
 抉られた傷。貫かれた痛み。悲鳴は声にならず、空気のように洩れていく。
 奪い去られた右目はすでに、どこかへ打ち捨てられているだろう。
 外灯のささやかな光も飲み込む漆黒の路地裏で、男が最後に目にしたのは、ゆらりと揺れる影と酷薄なアイスピックの光だけだった。

 世界が反転する。

 衝動のままに振りかざす狂気が、どくどくと脈打つ熱を伴いながら両手と視界と思考を染めた。
 切り裂いて、こじあけ、あふれさせて、浴びる鮮赤が、自分をひと時の愉悦に浸らせる。
 この瞬間だけは、虚ろな自分の中にも〈何か〉が満たされている気がした。
 夜が産み落とした漆黒の路地裏の中で、少年の目に映っているのは、無残なひとりの男の最期だった。



◆白昼の現

 何かと話題の新作映画の看板を掲げた広告塔が太陽の光をきらきらと反射する、そんな青空がさえる春先の午後。
 映画のプロモーション活動のためにしばらく銀幕市を離れていたギリアム・フーパーは、久しぶりに対策課へと出向いていた。
 ココアカラーのバッキーは、飼い主の肩からキョトキョトとまるく黒い瞳で辺りを眺めている。
「あ、お久しぶりです、ギリアムさん」
 書類を抱えて慌しげに歩きまわっていた職員が、一瞬足を止め、嬉しそうに声をかけてきた。
「依頼をお探しですか?」
「まあな。ちょっと見せてもらうよ」
 それに笑顔で手をあげ、応えると、ギリアムは市役所の一角に設置された掲示板の前で足を止める。
 この街で今、なにが起きているのか。
 何か自分にできることはないか。
 その両方を知る手掛かりがここにあるのだ。
 掲示板の前には数人の先客がいた。
 その合間を縫って眺めてみるが、ずらりと並ぶ依頼内容のほとんどが、実体化したばかりのスターに観光案内をしようという呼びかけや祭り行事への参加募集といった平和なものばかりだ。
 多い時には連続殺人や爆破テロ、猟奇事件を扱ったものが二桁にのぼることもあることを考えると、いまの銀幕市は比較的穏やかな日々を送っているらしい。
 ただ、その中にひとつだけ掲げられた、若い女性ばかりを狙ったシリアルキラー討伐の文字が目を引く。
 だが。
 募集期限にはまだ余裕があるが、スルリと職員がやってきて、募集が定員に達した旨の張り紙をしていった。
「俺の出番はなさそうかな?」
 周りの者たちと軽く言葉を交わして、ベビーピンクのかわいらしい花をつける少女型植物に手を振り、市役所をあとにしようとして。
「あっ、すまない……!」
 肩がぶつかり、とっさに謝罪を口にしながら振り返った瞬間。
 驚愕に目を見張る相手の顔が飛び込んできた。
 まぶかに被ったフードで顔の半分に影を落とした少年。
 見覚えがあるなどというものではない。
 驚いたのはこちらも同じだ。
 かつて〈自分〉を殺した相手。
 もちろん、それも数多ある役柄のひとつだ。ひとつではあるけれど、それでも〈自分〉が無残に殺されるラストを迎えたのはかなり珍しい。
 だからこそ、人気シリーズを抱え、その合間にも数え切れないほど映画に出演し続けていながら、彼のことがひどく印象深かったのだ。
 緊張が走る。
 飼い主の緊張を敏感に察知し、バッキーも威嚇の態勢をとる。
「……なんだ、あんたムービーファンか……あの時の、刑事じゃなくて……」
 彼も自分を覚えていた。
 かつて殺した、ひとりの刑事のことを。
 自分が殺人鬼の記憶に残っているという事実にわずかに驚きを覚えながら、改めてギリアムは少年を見やる。
 かつて自分が演じた〈刑事〉の右目にアイスピックをつきたてた相手、幾度も口にした〈彼〉の名は――
「……ダリオ……」
 全身を鮮赤にまみれさせた、不死身の怪物。
 だが。
「……ちがう……」
 ぼそりと、彼は呟いた。
 ひどく聞き取りづらい暗く沈んだ声で、それでも確かに彼は否定する。
「おれは、やめたんだ……おれはもう……その名前で呼ばれるつもりはない」
 視線を床に落としたまま、ボソボソと言葉は続く。
「さっき、役所のやつに聞いた……この街じゃ、『映画の中での自分』とは違う生き方ができるんだろ?」
 彼は語る。
「……もう、たくさんだ。殺して、殺されて、何度も何度も何度も倒されるような……、あんな日々には戻りたくない……」
 ここでは普通の高校生として生活したいのだということ、すでに綺羅星学園へ編入届けを出していること、せめてこの世界では敵を作らない日々を送りたいのだと言うこと。
 ギリアムは改めて、少年を見る。
 顔を背けるように視線を床に落としているけれど、まとう空気は、記憶の中にある〈役柄〉とは違う。
 彼が口にするのは、誓いの言葉にも等しいものだ。
 その彼の声に滲むのは、切々とした痛みに他ならない。
 彼は望んでいる。
 彼はこの街に、映画の中では叶わなかったのだろう『夢』を思い描いている。
「……殺人鬼ってのも大変なんだな。好きで殺しているわけじゃないってことか」
 再会した瞬間に相手へ抱いた緊張や警戒は、もう、自分のどこを探ってもどこにもない。
 いま、目の前にいるのは、かつて自分の知る〈殺人鬼〉ではないのだ。
「よかったら……、そうだな、時間があるならこれから少し話をしないか、ジェイク・ダーナー?」
 なんなら街も案内すると続けて。
「俺はギリアム・フーパー、こいつは相棒のスターバックス、これでお互い知らない相手じゃなくなった。どうだろう?」
 誘いの言葉に、彼は戸惑った表情で自分を見上げる。
「……どうして」
「俺はきみの力になりたいのさ。今日ここできみに会えたのも主のお導きかもしれない。だろ?」
 笑いかけると、今度は虚を突かれた顔になる。
 声にならない、けれど彼はもう一度、どうしてと呟いたようだった。
 ソレへの答えはすでにもう自分の中にある。
「俺たち演者は嘘をつくのが商売だ。そして商売道具のことはプロならば充分過ぎるくらいに熟知しているべきだと思っている」
「……それが」
「つまり、俺にはわかるってことだ。きみは嘘をついていない。きみの態度は演技ではないし、俺に向けたきみの言葉はホンモノだ。だから力になりたい。実にシンプルだろ?」
 わかってもらえたかな、と相手の目を見て笑いかける。
「……あんた……、ずいぶん変わってるんだな」
 呆れているのか、戸惑っているのか、素っ気ない態度から読み取るのは難しい。
 だが、ギリアムは気にならなかった。
 この瞬間、かつて殺人鬼だったジェイク・ダーナーに、18歳という年相応の少年らしいあどけなさを垣間見た気がした。
「褒め言葉として受け取っておくよ、ジェイク」
 さあ、いこう。
 そう言って、ギリアムは彼に手を差し伸べた。


「市役所と映画館は比較的近いから、カフェのついでに行ってみるのも悪くないんじゃないか?」
 市役所から始まり、聖林通りを楽しげに案内するギリアムの後を、ジェイクはほとんど無言でついて歩く。
 それでも、彼の表情やまなざしはずいぶんと穏やかに見える。
「そしてここが銀幕広場」
 円形の歩行者天国では、噴水を中心に親子連れやカップルに混じって、獣人や妖精、モンスターの姿もちらほらとうかがえて、そこはさながらハロウィンパーティといったところだ。
「……あいつら……、ホンモノか?」
「そうさ、すごいだろ? ヒーローも悪の組織の幹部もマフィアもモンスターも、ホンモノだ。なんならサインでももらうかい?」
「……いや、いい……」
 興味がないわけではなさそうだか、それでもそっけなく首を横に振るジェイクの視線が、ふと一箇所に吸い寄せられる。
 彼の視線を追った先には、ホットドッグの屋台がのぼりをはためかせ、数名の客を相手にパフォーマンスを見せていた。
 パンきり包丁を鮮やかに振るい、ブレッドに切れ目を入れて、そこにフランクフルトを手早く挟むと、ケチャップとマスタードの容器を包丁の柄でスルリと宙に舞わせて掴み、思い切りよくトッピングした。
 観客が拍手に沸き、店主はにこやかに完成品を幼い子供に手渡していく。
 まるで大道芸人だ。
「ここで待っていてくれ、すぐ戻る」
 ギリアムはそのままジェイクを置いて屋台に近づき、軽く言葉を交わすと、両手にホットドッグふたつを持って戻ってくる。
「カフェも悪くないんだけどな、こういう日はやっぱり外で買い食いに限ると思うんだ」
 そう言って、ひとつをジェイクに差し出した。
「……どうして」
 思わず受け取りながらも、また、同じ問いが彼の口から漏れる。
 どうして、と。
 どうしてこんなことをしてくれるのか、彼は不思議でたまらないとでも言いたげだ。
「腹が減っては戦はできぬ――この国のことわざさ、面白いだろ?」
 ホットドッグにかぶりつき、口に広がる馴染み深い味を堪能しながら、ギリアムは笑う。
「ここに来たばかりのきみは、これから住む場所と働く場所を探して、更にこの街のルールを覚えなくちゃいけないんだ。これはなかなか大変な作業だ。だからその前にエネルギー補給をしなくちゃ」
 頼るものはまだいない。
 けれど、彼はこの場所で生まれ変わろうとしている。
 住む世界が変われば、生き方も変わる。変わろうと思えばいくらでもチャンスを与えてくれるのがこの街だ。
 アイスピックとサバイバルナイフで深夜の街を跋扈した〈血染めのダリオ〉が、もう一度姿を現すことはおそらくない。
 そう思えた。
 あの〈刑事〉は〈殺人鬼〉を倒すことしか考えていなかった。
 あの〈刑事〉は被害者のため、〈殺人鬼〉を社会から駆逐することしか考えていなかった。
 けれど自分は〈刑事〉ではないし、ジェイクは自分の知る〈理解しがたい殺人鬼〉ではないのだ。
「俺の大好きな街だからね、きみも好きになってくれたらうれしいよ」
 少年は無言で視線を地に落とす。
 長く、自分の言葉を吟味しているようだった。
「……、ありがとう」
 そうしてようやく、手にしたホットドッグにかぶりついた。
 ぼそりと、けれどたしかに自分に向けて送られた言葉に、ギリアムは満面の笑みで応える。
「どういたしまして」
 この街ではどんな途方もない願いであろうと、夢を現実に変えるチャンスを与えてくれる。
 これはまさしく奇跡だ。
 そして、自分はジェイクに出会った。長い俳優生活の中でもかなり印象深いエピソードだった映画、その主人公もまた自分の演じた〈刑事〉を覚えてくれていた。
 彼はこの街で生まれ変わりたいと願った。
 その願いを、自分は聞くことができた。
 これを運命だというのなら、粋な計らいだと思えてしまう。
「さて、それじゃきみの住む場所を探そうか。決まるまで俺の所にいてもらうっていう手もあるけど」
 提案を口にした瞬間に浮かんだジェイクの微妙な表情を見て、笑う。
「いやだろ? だから、きみがきみだけの時間を持てる場所を探そう。どうせなら学校に近い方がいいな。通いやすいっていうのは重要だ。実は、ちょうど心辺りがあるんだけど、俺に任せてもらえるかい?」
 少年は笑わない。相変わらず戸惑い、不思議がる。
 それでも、たしかにこくりと、ジェイク・ダーナーは自分に頷きを返してくれた。



◇現に続く昼と夜

 撮影現場とはすなわち、華やかな映画世界の舞台裏だ。
 例えば荘厳な城や豪奢な宮廷の外観も、より臨場感あるセットを組みあげるための作業は土方と変わらない。
 ジェイクはリヤカーに乗せるようなセメント袋数個を軽々と肩に担ぎ上げて移動する。
「悪いな、兄ちゃん。それを置いたらこっちにきてくれ」
 作業着の男がひとり、ジェイクにすれ違いざま声をかけて行く。
「……わかった」
 撮影所の中にはいま、中世の城と、その地下洞窟のセット組みが進められている。石材を運ぶ手はいくらあってもいいのだろう。
 頷いて了解の意思を返すと、ジェイクは倉庫の一角に積み上げられているセメント袋の山に自分の運んできたモノを積んで離れようとした。
 とたん。
「あ」
 倉庫前に立っていた男の表情が変わる。
 なにか不味かったのか。
 次に相手から言われるだろう訂正の言葉を待って、動きを止める。
 だがしばらく待っていても、それから先の言葉が相手から出てこない。
「……、間違っているなら、指摘してほしい……」
 思いきって問い掛ければ、びくりと肩をはねあげる。
「ああ、いいんだ、いい。かまわない」
 慌てて取り繕うように首と両手を左右に振って、逃げるように男は荷物の積み込みが始まったトラックの方へと行ってしまった。
 改めて、自分の仕事を振り返る。
 何が悪かったのか分からないままというのは困る。
 どうしようかと周囲を見回せば、ぎこちない作り笑いを向けられ、すぐに視線を逸らされた。
 これ以上は何も聞けそうにない。
 無理に聞こうとすれば、余計彼らを怯えさせるだけだ。
 しかたなくジェイクは何を間違えたのかも分からないまま、先程『こっちに来てくれ』と声を掛けてくれた大道具係の男のもとへと向かう。
 こんなことは、何も今日がはじめてではない。むしろ、日常茶飯事と言っていいだろう。
 わかっている。
 仕方ないのだ、自分は殺人鬼で、しかも、それを演じた〈俳優〉ではなく、常人の常識を超えた能力を持つ〈役〉そのものとしてここにいるのだから。
 だから、これが普通なのだ。
 ギリアム・フーパーは自分を信じ、住む場所と、この仕事を与えてくれた。
 銀幕市という見知らぬ土地で、未成年である自分が自活するための術と当たり前の高校生活を送るための援助をしてくれた。
 それはいまも続いているし、綺羅星学園のクラスメイトたちにいたっては、殺人鬼など珍しくもないとばかりに当たり前に話し掛けてくる。
 だが、そんな人間ばかりではないのだ。
 現に、ここの人間の目は、怯えと不安と不審をはらんで訴える。
 殺人鬼を怒らせるな、刺激するな、機嫌を損ねるなと、無言のうちに互いの言動を牽制しあい、沈黙を守ろうとする。
 本当なら、これこそが正常な反応なのかもしれない。
 自分が〈映画〉の中で何をしてきたのかを知っていて、それでも〈映画の中〉と〈外〉で切り離して考えることは、それほど容易なことではないのだから。
 ふと、ジェイクは自分の手を見る。
 青白く冷たい両手。
 いまは泥やセメントやペンキにまみれているこの両手。
 もう二度と罪は犯さないと誓いはしたけれど、自分の手は本当にキレイなのだろうか。
 分からない。
 もう二度と罪を犯さないと誓っていながら、本当にその誓いを守れるのだろうか。
 分からない。
 分からない。
 分からないと胸の内で繰り返しながら、それでもジェイクは仕事をこなす。
 おそるおそるといった体で上司から残業を頼まれれば、従順に頷いて。
 黄昏が過ぎて、ポツリポツリと人の数が減り、喧騒がざわめきになり、やがてかすかな物音だけになっていく間も、黙々と仕事をこなした。
 先に帰るという同僚の声を聞きながら。
 そうして、気づけば、周囲には誰の姿もなかった。
 シンと静まり返った、張りぼての砦。静寂に支配されかけた、暗闇ばかりが広がる場所で、ジェイクは自分の時計を確認する。
 デジタルの数字は素っ気なく深夜である旨を伝えてくる。
 おそらく、残っているのはもう自分だけだろう。
 少し仕事に時間を掛けすぎただろうか。
 もう少し効率的に動かなければと思いながら顔を上げた瞬間、人影を見つける。
 この時間に、この場所に。
 誰だろうか、と思う間もなく、相手の方からこちらへ出てきた。
「……残ってる人間がいたのか」
 男は舌打ちし、輝きの鈍いナイフを構えて低く唸り、ジェイクを睨みつけてきた。
 追われるモノ特有の虚栄が透けて見える。
 自分の仕事を終わらせることが先決だ。残業を頼まれたということは、明日までに完遂しておかなければならないということだ。
 邪魔はされたくないと思う。
 邪魔をしないならそれでいいのだが、そこにいられるのは少々都合が悪い。
 そもそもここは関係者以外立ち入り禁止だ。
 それを告げるつもりで、男へ一歩を踏み出す。
「やろうってのか?」
 相手はお決まりの文句も精彩さに欠ける。迫力不足もいいところだ。
「そういや……、あんた、ヴィランズだっけ……」
 外灯の下に照らし出された顔には見覚えがあった。
 市役所職員が対策課について説明してくれた折、その男に関する討伐依頼も目にしていた。
 とっくに始末されていると思っていたのだが、思いのほかしぶとかったのか。
「……、あんた、殺してるんだよな……」
 握りしめた手の中には、いつのまにか馴染み深いアイスピックの柄がぴたりと収まっていた。
 赤い記憶。
 鮮赤を望むままに浴びる自分の姿がフラッシュバックする。
 あの人を殺した時もそうだ、引き裂いて、抉じ開けて、切り刻む、あの記憶が圧倒的な質量でジェイクの中に降りてくる。
「な……っ、お前、ムービースターか?」
「……」
 獲物はすでに様々なものを失っていた。冷静な判断も、まともな交渉も、正常な思考回路も、まともな運動機能も、なにもかもを失っていた。
 ジェイクは口を閉ざす。
 ただの一言も洩らさずに、闇をまとって走った。
 男は逃げる、だが、逃げきれるわけがないのだ。
 追いかける。
 追いかけようとさえ思えば、それで追いついてしまえる。
 逃がさない、逃さない、獲物になることを望んだのは向こうの方だ。
 自分は罪を犯さないと誓った。
 日本というこの国の法律に殉じ、当たり前の平凡な生活を手にいれると決めたのだ。
 だが。
 アイスピックが相手の頚動脈を貫いた瞬間、その確かな手ごたえに、懐かしい感触に、ニタリと歪で虚ろな笑みが口元に浮かぶ。
 引き抜けば、鮮赤が勢いよく噴き出し、痛みに転げ回る。
「……なんだあんた、口ほどにもないな……」
 ギシリと骨を砕くつもりで相手の腕をつかみあげる。
 怯えた瞳が、自分を映していた。
 知っている、見てきた、胸を掻き毟りたくなるような昂揚感が湧き上がる。
 ざわりと、血が騒いだ。
 目が眩む。
 ぐらりと、視界が揺れて。
 地面に縫いとめ、ナイフを突き刺し、引き裂き、切り刻んで、内側からあふれる鮮赤を両手ですくいあげては頭から浴びていた。
 それは、ジェイク・ダーナーではなく。
 それは、かつてダリオと呼ばれた殺人鬼の姿。
 うっとりとした感情に支配されるまま、相手がただのフィルムに変わるまで、ひたすら獲物をいたぶり続けていた。
 相手がフィルムに変わってしまった後には、無言のまま立ちつくし、殺して殺して殺しつくしたこの馴染んだ感触にひたる。
 だが。
 そこへ、不意にひどく場違いな電子音が鳴り響いた。
 一瞬、心臓が止まったかのように錯覚する。
 まどろみの中にいる者を夢から引き剥がす目覚まし時計のように、それは〈ダリオ〉を〈ジェイク〉に引き戻す。
 パーカーのポケットの中で、確かな存在を告げるもの。
 汚れた手で引き出せば、携帯電話の液晶画面が漆黒の闇の中でまばゆい光を放ち、闇の慣れた目を眩ませた。
 着信相手の名前など確認する必要もない。この携帯電話にかけてくるような相手は、ひとりしかいないのだから。
「……、フーパーさん」
 急速に、自分の中の温度が下がっていくのを感じる。

『title:Hi』

 そんな短い挨拶の後に続くメールの本文を、ほとんど無意識に追いかける。
『調子はどうだい? 今日、とても興味深いことがあってね。驚いたって言った方がいいかな』
 楽しげな雰囲気が文面から伝わってくる。
 思いがけないところで、思いがけない出会いがあったのだと語る、日の当たる場所にいる人間だけが持つ明るさがまぶしい。
『今度きみに彼を紹介するよ』
 耐えられず、そこでジェイクは携帯電話を閉じた。
 そうすれば、周囲を照らしていた眩しい光も闇へと閉じ込められる。
 後にはもう、夜の静寂しかない。
 仄暗い外灯と、望むだけの暗がりが広がっている中で、思う。
 ギリアムは自分を信じ、手を差し伸べてくれた。
 その手を握り返す資格が、この自分に、本当にあったのだろうか。
 もう一度手を見る。
 青白く罪深い両手には、ヒトを殺した感触がべっとりと張り付いている。
 昂揚感に打ち震えた事実が、ここにある。
 ジェイクは立ち尽くす。
 ひたすらにじっと、立ち尽くし、考える。
「……おれは、好きでヒトを殺しているのかもしれない……」
 かつて読みあさった本たちに刻まれた言葉が、じわりと胸に痛みを伴って浮かび上がってくる。
 神はたやすくヒトを見捨てる。
 ヒトはたやすくヒトを裏切る。
 信じるに足るモノなど、本当はどこにもないのかもしれない。
 かつて読んだ哲学書も聖書も、ヒトの罪深さと愚かしさばかりを説いているとしか思えなかった。
 膨れ上がるのは、罪悪感。
 あの日、あの時、彼に出会えたこと、ギリアムが自分にしてくれることにとても感謝している。
 なのに自分は、彼が与えてくれたもの、彼の信頼そのものを裏切った。
 胸が軋む。
 ギシギシとした痛みが自分を責める。
 この街は夢を見ているのだという。
 そして、どんな荒唐無稽な夢であろうとも、例えば殺人鬼が平凡な日常を送るという夢すらも見ることを許してくれるのだともいった。
 そして自分は平凡な日々を望んだ。
 なのに。

 ――きみは嘘をついてないね

 嘘なのかもしれない。

 ――好きで殺しているわけじゃないってことか

 違う、好きなのかもしれない、好きで殺しているのかもしれない。
 自分にはあの人の信頼に応える資格など、平穏な日々を望む資格など、まるでないのかもしれない。
 資格もないのに、望むのか。
 夢を見るのか。
 願うのか。
 惑い、迷いながら、それでもジェイクは任された仕事を再開した。
 せめてそれくらいはしておかなければならないという使命感で、自分のせいで飛び散った血液が機材やセットを穢していないかを確認しながら、丁寧に丁寧に仕事を終えていく。
 あの人が用意してくれた場所。
 あの人が与えてくれた、新しい場所。
 そこに自分は、血まみれの姿で帰るのだ。
 この途方もない罪悪感を、夢見ることへの罪悪を抱えて。

 ジェイク・ダーナーはたったひとり、寄り添うものもなく、未明の街を歩く――



END

クリエイターコメントはじめまして、こんにちは。
この度は、『最初の物語』の記録者にご指名くださり、まことに有難うございます。
殺人鬼と、彼にかつて殺された刑事を演じた者、本来交わるはずのないおふたりが住む世界が交差するというのは、やはりとても興味深く魅力的です。
市役所での再会シーンからラストに至るまで、小ネタを挟みつつ、実に楽しく書かせて頂きました。
心理描写をメインに、ふたつの視点から物語を綴るため、このような演出となりましたがいかがでしたでしょうか?
少しでもイメージにそうカタチになっていればと思います。

それではまた夢を見続ける銀幕市のいずこかで、お二方とお会いすることができますように。
公開日時2008-05-25(日) 00:00
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