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<ノベル>
風の匂いまで爽やかな六月の上旬。
梅雨も今はおとなしく、太陽の光は燦々と降り注ぎ、鮮やかな緑を輝かせている。
時刻は午前十時半。
空は快晴、気温は快適。
ピクニック日和だ。
「ぱぱ、はんす、あれはなに? とってもきれいないろ」
右手にシャノン・ヴォルムス、左手にハンス・ヨーゼフ。シャノンは右手に大きな紙袋を、ハンスは左手に大きなバスケットを持っている。
ルウは、ふたりの青年に手を引かれて歩きながら、はしゃいだ声を上げていた。
当然、大好きなぱぱと大好きなハンスとのピクニックだからだ。
平和記念公園にピクニックに行こう、とは、ずいぶん前から約束していたことだったが、春から色々なことがありすぎて果たされず、今日、ようやく実現したのだが、長く待っただけにあまりにも楽しみで、ルウは前日、なかなか眠れなかったほどだ。
今もルウは、楽しくて嬉しくてたまらない。
嬉しさのあまり跳ねるように歩きながら、ルウが、鮮やかな赤紫色の、歯ブラシのような花を指差して言うと、
「あれはアザミだ。キク科の多年草だな。茎や葉に棘針があるから、触ると危ないぞ」
くすりと笑ってシャノンが答え、
「でも、アザミの根っこは食べられるものが多いんだとさ。山ごぼうとか菊ごぼうと呼ばれて、粕漬けにされるらしい」
ハンスが、料理好きらしい視点で言葉を継ぐ。
「ふうん……ぱぱもはんすも、も……もしのり? なんだね。あっ、じゃああれは? あっちの、あおいはなは、なに?」
ルウは他愛ない好奇心に目を輝かせ――問えば答えてくれる人がいることも嬉しくて――、次から次へと、平和記念公園に咲き乱れる野の草花を指し示していった。
シャノンもハンスも答えを面倒臭がらず、穏やかに――微笑ましげに目元を和ませて、ルウの問いに答えてくれる。
口を開けば殴られていた故郷と比べれば、ここはてんごくみたい、とルウは思った。
「ルウ、見てご覧、四つ葉のクローバーだ」
一面のクローバー畑にしゃがみ込んだシャノンが、倒卵形の小葉が四つある葉を指し示しながらルウを呼び、ハンスと一緒に花で冠を作っていたルウは、完成品を手にシャノンへ駆け寄る。
「はっぱ、よっつ?」
「ああ、本来は三枚なんだけどな。時々、四枚のがあるんだ。中には、五枚や六枚というのもあるらしいぞ」
「へえ……すごいね」
ルウは、シャノンに抱きつきながら四つ葉のクローバーを観賞し、
「四つ葉のクローバーは持っていると幸せになれるんだよな。……よし、栞にしてルウにプレゼントしよう。絵本に挟んだら、きっと素敵だぞ」
そう言ったハンスが、摘み取ったクローバーをそっと手帳の中に挟み込むのを見て笑う。
それから、
「ぱぱ、ぷれぜんと。はんすといっしょにつくったの」
小さなクローバーの冠を、シャノンに差し出す。
「……そうか、ありがとう」
穏やかに微笑んだシャノンが身をかがめてくれたので、その眩しい金色の頭に、そっと冠を乗せた。
「よく似合うぞ、シャノン」
「当然だ、ルウの贈り物が俺に似合わないはずがない」
真顔で言ったシャノンがルウを抱き上げ、くるくるとその場で回転してみせる。
ルウはきゃーっ、と歓声を上げて喜んだ。
「はやいね、ぱぱ、はやい」
笑ったシャノンがルウを地面に降ろしてくれると、目が回ってぺたんと座り込んでしまう。それもまた楽しくて、ルウはくすくすと笑った。
と、不意にルウのおなかが大きな音を立てる。
シャノンとハンスが顔を見合わせた。
「……そういえば、もう十二時だな」
「ルウの時計は正確だ……お弁当にしようか」
ハンスが言って、バスケットを引き寄せる。
シャノンは紙袋から綺麗なシートを取り出し、野原に敷いた。
紙袋からは、次に、お茶のセットと赤ワインとが出てくる。
「また飲むのか」
「こんな楽しい日に飲まなくてどうする。心配しなくても、この程度はジュースのようなものだ」
「そのくらいは知ってるけどな。……まぁいい」
呆れ顔のハンスが、バスケットから紙包みやタッパーを取り出し、シートの上に広げていく。シャノンはその間に紙袋から紙皿とプラスティックのフォークを取り出し、各自に配った。
「すごーい!」
ルウは歓声を上げた。
「おいしそう。るう、はんすのつくるごはん、だいすき」
「そうか。なら……たっぷり食ってくれよ、腕によりをかけたからな。シャノン、あんたはとにかく野菜を食えよ」
「……善処しよう」
お弁当の中身はジューシィなからあげ、ゆでたまご、たこさんウインナー、甘いたまごやき、フィッシュソーセージとチーズが入ったポテトサラダ、玉子ときゅうりとトマトとハムが入ったサンドウィッチ、おにぎりなど、子どもが大好きなものから、スモークサーモンとスライスオニオンを挟んだベーグルサンド、にんにくの利いたアンチョビソースをつけて食べる野菜スティック、ベビーリーフとトマトをふんだんに使った野菜サラダなどの大人用のメニューまで様々だった。
デザートには、ハンスがこしらえたアメリカンチェリーのゼリーが冷たく冷やされている。
「るうのおにぎり、しゃけだったよ、ぱぱ!」
「そうか。俺はたらこだ」
「はんすは?」
「……具を入れ忘れたのが当たった」
「ええと……ざんねん?」
「そうだな」
おにぎりを頬張りながら、からあげをフォークで刺して、シャノンに向かってあーんとする。
「ぱぱ、どうぞ?」
「ん、ありがとう。なら……ルウも」
「ありがと。うん、おいしー。はい、はんすも」
「ああ……ありがとう。ルウにそうしてもらうと、美味さが増す気がする」
「俺もそれは思う。愛情と言うのは偉大だな。……お前にもしてやろうか、ハンス?」
「……一瞬悩んだ自分が嫌だ」
深刻な表情をするハンスに、ルウはくすくすと笑った。
嫌だと言いながらも、ハンスが、ちょっと嬉しそうなのが判ったから。
はんすもあーんしてもらえばいいのに、と思うが、おとなのじじょうというやつなのかもしれない。
「おいしいね、たのしいね、うれしいね」
ルウは終始ご機嫌で、笑顔だった。
ぱぱやはんすにタコさんウィンナーを食べさせて、渋い顔をするシャノンに野菜スティックを「あーん」してあげて、反対にゆでたまごに塩を振ってもらって「あーん」してもらう。
ゆでたまごは半熟で、とろとろで、夢のように美味しかった。
牛乳と蜂蜜を入れて焼いた甘いたまごやきは、ふんわりとやわらかく、やさしくて、ルウはうっとりした。
見上げた青い空を、真っ白な雲がのんびりと流れていく。
同じくらいのんびりした時間が、三人の間でも流れていた。
「……ほのぼのって、こういうことを言うのかな」
野菜スティックを齧りながらハンスが言うと、ワインを飲みながらシャノンが頷く。
「こんな時間が、もっと、ずっと続けばいい……」
ハンスがぽつりと言った。
グラスを手にしたまま、シャノンがまた、小さく頷いた。
女神となったリオネが告げた、夢の魔法の終焉について、実を言うとルウはあまりよく判っていない。ただ漠然と、自分たちは家に帰るのだ、と思っていた。
もちろん、故郷は苦しくて辛いところだから、帰ることを想像するだけで怖かったが、不可視の未来を思い悩む気持ちは、大好きな人たちに囲まれ、大切にされていると、どこかへ行ってしまう。そもそもルウは、まだそのくらいの年頃なのだ。
むずかしいことは、よくわからない。
「るうね、ぱぱとはんすのこと、だいすき」
だから、ルウが、シートの上から手を伸ばし、シロツメクサを摘み取りながら言ったのも、日常の幸いの延長線上から出たものだった。
「……ああ、俺も大好きだよ、ルウ」
「俺もだ」
しかしそれは、ふたりの男に、別の感慨を与えたらしかった。
シートから立ち上がったシャノンが、ルウをひょいと抱き上げ、それから広々としたクローバー畑に寝転がる。笑ったハンスが、ルウを挟んで同じように寝転んだ。
「わあ」
空を見上げると、どこまでも青いそれに吸い込まれそうだ。
「……いい天気だな」
「うん、いいおてんき」
「牧歌的だ」
三人で手をつなぎながら空を見上げ、短く言葉を交わす。
おなかがいっぱいで、胸がいっぱいで、幸せだ。
ふわふわとした温かな幸福が、ルウの小さな身体を満たしている。
「あのね、ぱぱ」
「どうした、ルウ?」
「あのね、るう……ねむ……い……」
あんまり幸せで、気持ちがよくて、穏やかな眠気に包み込まれていく。
お祭のような楽しい夢の中に、すとん、と意識が落ちるまで、そう時間はかからなかった。
* * * * *
シャノンが気づいた時、すでに太陽は西の空に沈んで行くところだった。
「……すごい寝坊だな」
同時に目覚めていたハンスが呆れたようにつぶやく。
「だが、まぁ、気持ちはよかった。いい夢も見たしな」
「前向きで楽天的な言葉だなぁ」
しみじみとした風情でハンスが言い、安らかな寝息を立てて眠っているルウを起こさないように、静かに片づけを始めた。
「可愛い寝顔だな」
「当然だ、俺の自慢の息子だからな」
「なるほど、そういうものか」
「……ということは、お前の寝顔も、可愛かったかな」
「え」
「いや、なんでもない。気にするな」
「……」
「どうしたハンス、顔が赤いぞ」
「なんでもない」
シャノンの言おうとしたことに気づいたらしく、耳の先までほんのり赤くしたハンスが無言で片づけを続行する。仏頂面に見えて、口元が緩んでいたから、多分嬉しかったのだろう。
シャノンは、それにも、深い感慨を覚える。
――この街に来て、シャノンにはふたり息子が出来た。
養子と実子という違いはあれど、双方、自慢の、愛しい息子たちだ。
たくさんの痛みと苦しみを超えて得た、大切な大切な家族だ。
魔法が終わるという事実よりも、今はただ、それが愛しい。
「さて、帰るか」
一通り片づけが終わったところで、シャノンはルウを起こさないようにそっと抱き上げ、おぶった。
大量の荷物はハンスが持ってくれる。
「夕飯はどうする、シャノン。帰ってから作るのも悪くはないが」
「そうだな、どこかで食べて帰るか。買い物もしたいしな」
「買い物?」
「揃いのペンダントをあつらえたい。プラチナとダイヤモンドに、サファイアを沿えて永遠を表現したい」
「なるほど。モティーフはどうするんだ?」
「そうだな……今日のこの日を記念して、四葉のクローバーにしようか」
「いいなそれ。じゃあ……どこに行く?」
「銀幕デパートが妥当だろうな。あそこなら、大抵の料理は食べられるし、大抵の品物が揃う。ハンスは何が食べたいんだ」
「そうだな……ルウは何が食べたいかな?」
「お前はいい兄貴だな」
「えっ」
「……何でもない。なら、最上階の展望レストランにでも行くとしようか」
そんな、他愛もない会話を交わしつつ、歩き出す。
シャノンは、背中のわずかな重み、小さな熱に、自分は心底幸せだ、と思いながら、ルウを起こさないようゆっくりと歩む自分に歩幅を合わせてくれるハンスに笑みを向けた。
そして、照れたような、はにかんだような笑みを浮かべるハンスにも、幸せと愛しさとを感じながら、夕方の銀幕デパートへと向かったのだった。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました! 銀幕市での思い出を描くプラノベ群【Sol lucet omnibus】をお届けいたします。
夢が醒める少し前の、なんでもないけれど特別な家族の時間、ということで、ほのぼののんびりと、ゆったりとした愛情を描かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
このご家族には、以前にもパーティシナリオやプラノベなどで幸せな時間を描かせていただきましたので、今回のノベルには特別な感慨がありました。素敵な時間をお任せくださって、どうもありがとうございました。
哀しい別れは迫るけれど、今このときの幸い、家族をいとおしく思う気持ちに何ら変わりなどないのだという、あたたかい愛情、温かい絆を、皆さんのお心に添って描けていれば幸いです。
それでは、オファー、どうもありがとうございました。 またいつか、きっと、どこかで。 |
公開日時 | 2009-07-24(金) 23:50 |
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