★ 【続・銀幕★輪舞曲】エンドロールのそのアトに ★
<オープニング>

 銀幕市が見ていた《夢》は終わり、幼い夢の神様が与えてくれた奇跡は、数多の思い出とプレミアフィルムだけを残してこの地上から消えた。
 街は3年間の長い眠りから目を覚まし、長く短い夢を終えた街からはあらゆる魔法が消えてしまった。
 あの人はもういない。どこにもいない。愛を交わし、友情を交わし、絆を確かめ合って、共に過ごした隣人たちは夢の向こう側に消えてしまった。
 けれど、でも、これですべてが終わってしまったなんて思えない。
 だって、ほら。
 
「あのね、夢はまだ終わってないの。みんなだってそう思うでしょ? だから、ね、夢を見るためにあたしたちで《夢の住人がまだ銀幕市にいる》って教えてあげなくちゃ」

  ★ ★ ★
 
「大変ですたいへんですへんたいです邑瀬さん植村さん!」
「このシリアスな雰囲気を力ワザで和ませるあなたが大好きですよ山西くん。……誰が変態ですって?」
「ええっと、へんたいじゃなくて大変なんです。そこに、いるはずのない源内さんがいます!」
「源内さんが……?」
 山西が指さす先には、たしかに、馴染み深い平賀源内が、最新号の銀幕ジャーナルを手に、サングラスを外しながらこちらを見ている。しかし……。
 映画マニアである植村にはわかった。彼が本当は誰であるのか。そして、なぜこの街に来たのかも。
「初めまして、リュ・ジェヨンさん。いつ銀幕市に?」
「先ほど到着したばかりです。よろしくお願いします。『対策課』の植村さん」
「もう『対策課』では……」
「失礼、そうでした。実はここでキース・クロウと落ち合う約束だったのですが……。まだ来てないようですね。彼が時間に遅れるなんて珍しい」
 韓国のアクター、リュ・ジェヨンは柔らかな笑みを見せる。品の良い流暢な日本語だ。
 彼は、映画撮影のために銀幕市に来たのだ。『世直し姫君、からくり妖変』の続編――メガホンを取るのはなんと、ロイ・スパークランドである。
「ドクターDを演じられたキースさんを杉田玄白役に配するなんて、ロイ監督も思いきりましたよね」
 すちゃらか特撮時代劇『世直し姫君』は、もともと美形俳優の無駄遣い映画として定評がある。今回、田沼意次さえ、あっと驚く美壮年が演じるそうなので、玄白が美貌でもノープロブレムなのだった。
 つられて笑みを返してから、あれ? と、植村は疑問に思う。
 海外からやってきた俳優ふたりが、わざわざ市役所で待ち合わせする理由がわからない。
 その気持ちを読んだように、韓流スターはカウンターに進み出る。
「協力者を募る依頼を、お願いしたいのです」
「依頼……?」
「はい。肝心の主演女優、浦安まやさんが、珊瑚姫の役を降りると言い出してしまって」
 彼の依頼は、もう一度夢を作り出すために手を貸してほしいという願い。
 魔法はなくとも起こせる奇跡、見ることのできる夢のために、力を貸してほしいのだと彼は《平賀源内》の顔で告げる。
 だがしかし、《事件》はひとつだけでは終わらなかった――

  ★ ★ ★
 
 うそでしょう? キースが出演するなんて、あたしは聞いてないわ。
 いやよ。もう顔も見たくない。あたしがどんなに傷ついたか、知ってるくせに。
 ――それに。
 わかっているでしょう?
 今のあたしでは、元気で無邪気な姫君を演じることはできないの。

 この三年間、銀幕市で起こったことは知ってるわ。珊瑚姫がみんなに親しまれてきたことも。
 だけど、いえ、だからこそ。
 続編を作ってはいけないと思うのよ。

  ★ ★ ★

「続編というのは、劣化のリスクが累積し続けるギャンブルだとは思うけどね……思い出は思い出のままであった方がよい場合も多い」
 薄暗い部屋の中で、キース・クロウは両手を後ろで縛られ、イスに括りつけられたまま、小さく呟きを落とす。
 蘭学者の衣装をまとったこの姿で囚われながら、思い出すのは彼女――浦安まやの言葉だ。
 過去の出来事が罪悪感の棘となって胸を刺すけれど、だからといってあの時のあの言葉にも想いにも嘘偽りはなかった。
 だからこそ申し訳ないとは思うのだけれど。
「そういえば……今は何時なのかな……」
 平賀源内そのままの姿で、リュ・ジェヨンは銀幕市役所の前にいるはずだ。
 約束の時間はおそらく、とっくの昔に過ぎてしまっているだろう。
 夢から醒めたこの街で新たな夢を綴るために、ロイ・スパークランドはメガホンを取り、そして自分にも声を掛けてくれた。
 なのに自分はいま、いずこともしれない場所に囚われている。杉田玄白役のために黒く染めた髪を再び銀色に戻され、メガネをかけさせられて。
「さて、自力の脱出とヒーローの登場、どちらが早いのか。一緒に賭けてくれる人がいると楽しんだけどな……」
 独り言はむなしくコンクリートの壁に弾かれ、消える。
 しかし、足掻くことをやめたわけではない。
 キースは不自由ながらも後ろ手で、衣装の袖口に隠し持っていた携帯電話を操作する。

  ★ ★ ★

「あれ、この動画……ドクターD?」
 パソコンモニターの小さな窓の中で、銀の髪を持つ和装の男が解像度の低い画面の端で小さく身じろぎしていた――
 ソレを目にしたのは、偶然だった。
 動画の中の和と洋の入り混じった男の姿。
 見覚えがありながらも違和感のあるその姿から、彼が実は囚われ助けを求めているのだと、そう受け止めて行動を起こせたのは――偶然と洞察力とタイミングの合った、ごく限られたものだけだった。

種別名シナリオ 管理番号1065
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメントこんにちは、高槻ひかるです。
本当に本当の銀幕市的ラストダンスへ、神無月まりばなWRとともにお誘いに参りました。
夢の魔法が解けた銀幕市で、新たな銀幕の夢を綴るために、どうかお力をお貸しくださいませ。

こちらでは、かつてドクターDを演じ、この銀幕市で杉田玄白を演じることになるキース・クロウの救出がメインとなります。
いずこかに監禁されている彼を見つけ出し、犯人のやろうとしていることを止めてください。
動画関係や周辺からデータ収集をするもよし、街中で聞き込みをするもよし、犯人たちの動機を考察してアプローチを仕掛けるもよし、《続編》というものへの想いを語るもよし、でございます。

なお、この【続・銀幕★輪舞曲】シナリオは同時系列にて展開いたしますゆえ、同一PC様による複数参加はご遠慮くださいませ。

それでは皆様のお越しをお待ち申し上げております。

参加者
ジョシュア・フォルシウス(cymp2796) エキストラ 男 25歳 俳優
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
<ノベル>

 あたしたちで、まだ銀幕市の夢が終わっていないって、証明してみましょ?



「よお」
 イェータ・グラディウスはごく軽い気持ちで、たっぷりの新鮮野菜と卵、そしてハードバケットが詰め込まれた買い物袋を抱えたまま銀幕市役所を訪れた。
 買い出しの帰りに、顔見知りに一言あいさつを。
 そのつもりであったし、もちろんそれも叶ったのだが、思いがけない出会いを果たすことにもなった。
「あれ、あんた……」
「はじめまして」
 平賀源内の姿で、リュ・ジェヨンは穏やかで嬉しそうな笑みを浮かべる。源内でありながら源内ではない彼の姿は何かとても不思議なものに映った。
 それでも思いがけない出会いによって会話は弾む。
「へえ、続編か」
「スパーリング監督からオファーがあった時にはとても驚いたんですが、でも、この街のことを聞いて、ぜひ実現したいと思ったのも事実なんです」
「こんにちは、植村さん」
 そこへさらに声が重ねられた。
 一斉に視線が集まる、その怜悧な美貌の主はジョシュア・フォルシウスだった。
「おや、あなたは」
「どうも」
 ニッと笑ってみせるリュに対し、ジョシュアもまた無言ながらも、彼自身には似つかわしくない、けれどこの街にとっては馴染み深い自信家の笑みで応える。
 からくり設計者の蘭学医と教会に属するヴァンパイア・ハンター――ほんの一瞬だけ、そこにかつていた隣人たちの姿が重なった。
 植村はほんのわずか眩しげに、俳優たちの『演技』を眺める。
「しっかし、キース・クロウだったか? そいつ、ほんとに遅せぇな。約束に遅れる奴じゃないのに遅刻して、しかも連絡もないってのがまた」
「ええ。浦安まやさんの件もあり、キースとは『ふたりでみなさんに協力を仰いでみよう』という話になっていたんです。彼は一足早く銀幕市に来ていたんですが……いったい、どこで何をしているのか……」
「こちらで待ち合わせをしていたんでしょう? ジェヨンから彼の携帯には?」
「それがうまく繋がらなくて」
 ジョシュアからの問いに、沈黙したままの自身の携帯電話を取り出し、戸惑いつつ答える。
「キースはよく電話の電源そのものを切っているので、そのこと自体はあまり珍しいものでもないんですが」
「調べてやろうか?」
「え?」
「やっぱりおかしいだろ? なんだかんだで、心配事ってのはそのまんまにしとかねぇ方がいいんだ」
 イェータはリュ・ジェヨンとジョシュアの双方へ肩をすくめてみせ、
「なあ、植村、ちょっとパソコン貸してくれ」
 久しぶりの依頼の準備に取り掛かっていた植村へと声を掛ける。
 今の銀幕市で、そうそうアクロバティックで物騒な事件が起こるはずもないのだが、それでも培われた危機感がイェータに異変を告げている。
 だから、ソレが杞憂であることを証明するためにも、自身が所属する傭兵団【White Dragon】のメンバーに協力を要請するつもりでいた。
 人探しが得意な彼らが探索を開始すれば、たとえこの街で迷子になっていたとしても問題なく捕獲できるだろうと考えて。
 だが。
「ん?」
 その目に、不可解な映像が飛び込んできた。
「なあ、これ……」
「なんでしょう? ひどく不自然なような」
「……不自然なんてもんじゃねぇだろ? どう見たってこれは――」
「“万が一”という事態が起こってしまったと、そういうことでしょうね」
 ジョシュアは形の良い眉をよせて、思案深げに呟きを落とした。


 ――和装のドクターDが、薄暗い世界に囚われている――


 朝霞須美がソレを目にしたのも、やはり偶然だった。
 ヴァイオリンのレッスンもない休日に、須美はひとり部屋の中にいてパソコンを眺めていた。
 傍には、再読するつもりだったミステリ小説が数冊、借りてきてまだ手付かずの探偵映画のDVDとともに積み上げられている。
 何かをしていないと落ち着かないのに、何をしていてもうまく集中できない。
 何かをしていないと思いだして泣きたくなるのに、何をしていても忘れることができない。
 結局、動画サイトを目的もなく流し見するという、暇つぶしにも似た時間を過ごしていた。
 そんなタイミングでの『発見』だった。
「……これ、なんか変……」
 解像度の低い動画だ。
 有名どころとはいえない動画サイトに新着で上がってきたその画像には、他に見るような遊びの雰囲気がまるで感じられなかった。
 それは、直感だったのかもしれない。
 素人探偵として事件と関わってきた須美の、第六感。
「情報収集をしないと……正確な情報が、真相を導き出すんだもの……」
 だが、もし事件だとしたら一介の女子高生たる自分に関わるすべはない。いや、関わってはいけないのだ、本来なら。
 《彼》も言っていた。
 女の子が事件に関わるのは感心しない、と。
 そういいながら、あの時《彼》は自分のために自ら事件にかかわり、そして悲劇的な瞬間を自分に見せないように自ら盾になってくれた。
 その彼はもう、どこにもいない。
 いない。
 いないという事実を想うたび、じわりと胸が軋んだ音を立てる。
 結局、彼のことを考えている。何をしていても、何をしなくても、彼らがいない事実と向き合わざるを得なくなる。
「……人が起こした事件なら、必ず解決できるもの……」
 須美は携帯電話へ手を伸ばした。
 この街が引きあわせてくれた友人へ向けて、自分と同じ思いを抱いて過ごしているだろうひとりの刑事のもとへ。



「……誘拐事件、かもしれないのね?」
 友人である須美からの電話を受けながら、流鏑馬明日もまた同じように銀幕所のパソコンからその動画を見つめる。
 一見するとソレは、動画サイトにアップすべく素人が自作したプロモーション映像、あるいはMAD作品にしか見えない。
「須美ちゃん……」
 明日は友人を心配する。
 心配しながら、同時に胸が軋んだ音を立てているのを自覚する。
 ごく短い再生時間の中で、薄暗い画面の中に映し出される男の姿は、あの日からまだ一度も泣いていない明日の心の何かを揺さぶってくるから。
 けれど表に出すわけにはいかない。抱えている感情のままに行動することも、それを誰かに打ち明けてしまうことも明日にはできない。
 ただ、刑事の顔をして、努めて冷静に電話越しの友人に問いかける。
「……止めても、行くのね?」
 何もしないままではいられない、と電話の向こうで彼女が告げる。
 その声ににじむ決意は、強がりな少女のものだ。自分とおなじ。だから、明日は言う。
「待っていて。関係者への事情聴取というならあたしも行くわ。ロイ監督には会っておきたいから」
 携帯電話に動画のアドレスを転送し、席を立つ。
 ヒップバッグから電話が鳴っているからと差し出してくれた小さな相棒はもういないけれど、その淋しさも振り切って。
 だが、自分に送ったメール着信の後に、続けて通話の着信音が響いた。
「……はい」
 画面に表示されたのは、旧対策課の植村の名前だ。
 しかし電話口から聞こえてきたのはどこか懐かしい、けれど自分が知るものとは別人の――ジョシュア・フォルシウスの声だった。
 彼からの電話は、まるで計ったかのようなタイミングで、『動画』の解析を警察に依頼できないかという内容だった。
 そして、事の経緯についても彼の口から伝えられる。
「……そう……ええ、分かったわ。頼んでおくわね」
 驚くほど年齢不詳な銀幕所のあの鑑識ならば、この依頼を引き受けてくれるだろうか。
 先輩であり相棒でもある刑事に声をかけ、明日は署を後にする。
 バッグには、仕事件友人用の携帯電話と一緒に、もう二度と鳴らない《あの人》専用の電話も入っていた。
 ストラップのついたその電話はけっして鳴らないけれど、でも、明日を確かに支えてくれている。
 キース・クロウ――ドクターDを演じた彼に会うことにためらいがないと言えば嘘になるけれど、それでも、須美と同じだ。行動しないわけにはいかないから。



 あたし、まだ、夢を見てる。



 銀幕市の空は今日も冴えた蒼だった。
 そして、銀幕市立中央病院はその青の中でひときわ白い姿をさらし、五つの塔として悠然とそびえ立つ。
 ジョシュアはほんの少し眩しげに手をかざし、それを見上げた。
 かつてこの場所は、神の兵団をはじめとした街を上げて行われる戦争時には、避難所として、あるいは野戦病院といった位置づけで使われてきたのだと語って、一体だれがそれを信じるだろう。
「俺の仲間の話じゃ、ここでキース・クロウと思しき人物を見かけらしいな」
「彼がここに?」
「髪は黒かったらしいが服は杉田玄白のものを着ていたようだからな。まあ、間違えようがないと言えば間違えようがねぇだろう」
「彼はここで誰かと会ったのでしょうか」
「あるいは、ここで《犯人》に目をつけられた可能性もある」
 イェータの中には何かしらの犯人像ができているのかもしれない。
 ジョシュアもまた、思考している。
 なぜ捕らわれたのはキース・クロウであったのか、なぜキース・クロウでなければいけなかったのか、その理由を探り続けている。
 映画関係者にも辺りをつけ、今回の『続編』にまつわる周辺の噂などを収集し、情報を呼びかけているが、いまのところ大きなものは来ていない。
 もちろん、この映画製作やスタッフを含んだ製作サイドへの脅迫といったものも含めて。
「ジョシュア、お前から見て、あの動画からわかることとか気になる点とかあるか?」
「見たところ目立った危害は加えられていない、ということですね。誘拐に見えるけれど、要求も出されていないから目的がはっきりしません」
「だよな。イスに拘束されてっけど、怪我らしい怪我は見えなかった。もっとやべぇ状態かと思ったんだが、そこまでやる気はなさそうだ」
 いまのところはまだな、とイェータは続け、そしてぐるりと周囲を見回した。
 あれはどう見ても普通の建物ではない。
 だとしたら、目指すべきなのは数多のセットがひしめき合うスタジオタウンか、あるいはベイサイドの倉庫街だろうか。
「人目を避けて行動すんならベイサイドエリア、だろうな。あそこの一部はまだマスティマ戦の名残で立ち入り禁止になってるとこも多い」
「周辺でキースの足取り、あるいは彼と話していた人物がいなかったかを確認すべきでしょうね。そこから割り出せることもあるでしょうし」
「そもそも、目立ってしょうがねぇだろう、“和装のドクターD”を連れ回していたら」
 そういったイェータ自身もまた、今の自分たちがいかに目立っているのかを自覚している。
 すれ違う人の中には、驚きとともにジョシュアを視線で追いかけるものもいた。
 人気俳優へのミーハーな興味や好奇心をにじませるものもいれば、ジョシュアの中に懐かしい、けれど今はもうここにはいない隣人の面影を追いかけるものもいる。
 ハリウッドスターもムービースターも当たり前に街を歩いていた時期がこの街にはあったし、その時ならば埋もれていた光景でも、今は違う。
 そして、かつての状況下であっても、ある種の人間というのは人の目と意識を惹きつけずにはいられないものだ。
 強烈な吸引力こそが、《スター》だから。
「あの画像には若干の見覚えがありますから、きっと撮影で使われたものでしょうね」
「この街にそれがどんだけあんだよって話だな。だが、なんか妙に見覚えはある気がしてんだ」
「では、あなたも映画を?」
「どうかな。基本的に映画はそんなに観る方じゃねぇんだが」
「画面自体が暗いのでよく分かりませんが……警察の方に解析をお願いしておきましたし、何らかのヒントは得られるでしょうね」
「俺の仲間も引き続きキース・クロウを見かけなかったか聞き込みしてくれてっし、まあ、あれだ、人海戦術だっけか? とにかく情報だ」
 そして自分たちは次にどう動くかだな、と続けた時、ジョシュアの携帯電話に着信が入った。
「イェータ、リュ・ジェヨンからメールが……」
「なんだ?」
「キースから連絡が来たようです」
 ただし、ソレは電話でもなければ、文字による文章でもなかった。キース・クロウから転送されてきたのは、数秒の動画だったのである。
 彼が捕らわれている場所から彼ができる範囲で映した『場所』の情報。
「手掛かりがもうひとつ、か」
「メールを送ってこれる程度には彼はいま無事でいるのでしょう」
 ひとまずは誰かの話を、と正面玄関から一歩踏み込もうとした彼らの脇を、二人組の少女たちがすりぬけていった。
「ね、やっぱりドクターDと言えば中央病院なのよ」
「ここに立ってもらわなくちゃだめね」
「あとは?」
「あとは、どこがいいかしら?」
 ひとつの携帯電話の小さな画面を覗き込みながら肩を寄せ合って交わされる彼女たち。
 一瞬、ちらりと少女のひとりがこちらを見た。
 イェータではない、ジョシュアだけを見てほんの少し驚いた顔をして、ソレから隣を歩くもうひとりの少女を肘でつついて振り返るように促す。
「ね、いまの見た?」
「え? あ、見た! やっぱりまだいたのね」
 よかった、まだ残っているんだと、彼女たちは内緒話のように嬉しそうにはしゃいだ声で笑いながら会話を綴っていく。
 なんでもない、はずだ。だが、彼女たちの会話とその姿がイェータの眼にはひどく異質に映った。
「声、かけねぇ方がいいな」
「ええ……むしろ、気づかれずに追いかけるべきでしょうね」
 彼女たちはさほど特別なことをしているわけではなかった。日常に溶け込むような行為のひとつで、不自然な所などどこにもなかった。
 しかし、違和感を覚える。
 自身のその感性にイェータは従うことを決め、ジョシュアもまたそれに賛同する。



 想い出を思い出のままにしておくなんて、できないもの。
 だって彼がいるのに、まだそこに彼がいるのに、どうして思い出にしてしまえるの?



 須美は、電話によってすぐに駆けつけてくれた明日とともに、カフェ・プロスケニオンの一角でロイを迎えた形となる。
 芸術的なケーキが並ぶショーケースに、スポットライトのように演出された照明、そうして名の通りに舞台を思わせる店内で、三人は向かい合う。
「さて、話というのは何かな?」
 ロイ・スパークランドは、須美と明日からの突然の呼び出しにも快く応じてくれた。
 主演女優である浦安まやの件も抱え、さらにキース・クロウの誘拐事件までも勃発し、さしもの映画監督も参っているだろうと思ったのだが、彼は意外にもタフな笑顔を見せていた。
 神や魔法や怪獣が横行した銀幕市で過ごした三年の内にトラブルへの耐性がついてしまったのか、あるいはこの程度のトラブルなど映画業界では日常茶飯事、取るに足らないものということなのか。
 ともかくロイは、自分たちのために時間を作り、こうして非公式な事情聴取に関わることを選んでくれた。
「キース・クロウさんの失踪……場合によっては誘拐事件になるかもしれない件について、なんですが」
 切り出したのは須美だった。
「動機について考えたわ……どうして、彼が捕らわれたのか、とか」
「続編への妨害、が真っ先に浮かぶけど……」
 役を降板すると言っているまやが何らかの形で関係しているのだろうか。
 そんな考えが一瞬頭をよぎる。
 しかし、ソレはきっと疑心暗鬼に過ぎるのだと、須美の中の冷静な部分が告げている。
「ロイ監督はどうして続編を作ろうって思われたんですか? それと、どうしてキース・クロウさんを抜擢されたのかしら」
「なかなかいい質問だね」
 彼はふと目を細め、どこか物思いにふけるような、懐かしさに想いを馳せるかのような、そんな表情をのぞかせ、告げる。
「ひとつめ。どうして続編を作ろうと思ったか、だけど。これはね、罪悪感と絶望に打ちのめされていた僕が、自分の撮りたいものを撮るって決めた時、真っ先に浮かんだものだからさ」
 自分の左手首にそっと触れ、そのシャツの下にある傷をなぞるような仕草を見せた。
「……そうね、そうだったわ……」
 呟くように、明日が彼の言葉に頷く。
 直接そのシーンに立ち会ったわけではないけれど、明日もまた、ロイの囚われた『罪苦の物語』の終焉に関わった者のひとりだった。
「それに、僕はここで過ごした友人たちの、幸せな未来を描きたかった。だって彼は、映画の中で用意されている運命のせいで闇に囚われたことすらあったしね」
 ティターン神族アトラース――古の神が作り上げた計略の一端で罪の意識にさいなまれていたロイに差し伸べられたのは、この街の友人たちの温かな手だった。
 だから、同じように……とまではいかなくとも、それでも大切な友人たちのために映画監督としてできることをしたいと願ったのだという。
「そして、質問のふたつ目だけど、こっちはもっと簡単さ。ドクターDが平賀源内とこの街で出会い、友人となった。その事実をね、何かの形で示したかったから」
「そして、杉田玄白は蘭学者。医者という共通項を持ったドクターDの、その俳優を当ててみるアイデアもあったってことかしら?」
「そう、正解だよ、明日」
 にっこりと、ロイは笑い、うなずく。
「あたしからもいいかしら?」
「ん?」
「キース・クロウを抜擢するにあたって、何かトラブルはなかったのか教えてほしいの。あたしにはよく分からない、その業界ならではの問題がこの一件と絡んでいないのか、確認させて」
 できることなら、俳優としての彼の評価も、と明日は続けた。
 それを訪ねる時の表情は相変わらずどんな感情も乗せられていない、職業的無表情ではあるけれど、その下に隠された複雑な心境を須美は想う。
 大丈夫なのか、とは互いに口には出さない。
 大丈夫なわけがない、平気なはずがないことは、お互いがいちばん良く分かっているから。
 そしてロイ自身はその質問の意図をほぼ正確に理解し、
「ああ、なるほどね」
 そんな短い頷きの後に、言葉を続けた。
「まやとキースとジェヨンの間で《何か》はあったかもしれない。でも、それがもとで事件になるほどの何かではないと思うし、少なくともキース・クロウに役を奪われたといって恨むような相手とか、そういう類もないはずだ」
 人格者と言えるかどうかは別にして、恨まれるような人ではないとロイは保証した。
「彼は面白いよ。賭けが好きなんだ。何でも賭けの対象にしてしまう。下手な説得より賭けを持ちかける方がよっぽど容易く彼を動かすだろうね」
「ギャンブラーということかしら……?」
「まあ、広い意味でね。ああ、ただし彼は金銭を賭けるんじゃない。だから金銭トラブルでもないってこと付け足さなくちゃいけないかな?」
 そう言って肩をすくめる仕草は、おどけているようで、そう見せかけているだけに過ぎない。彼なりにキースの身を案じていることは、一瞬一瞬にのぞく物憂げな表情から垣間見える。
「怨恨の線は消えた、かしら」
「エンコンノ……、え、なんだい、ソレは?」
 聞き慣れない言葉に目を瞬かせるロイに、須美は短く、「恨みを持った者の犯行かということです」と説明する。
「さて、これでいいかな?」
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
 明日とともに礼を述べながら、須美は思考を巡らせていく。
 その合間を狙っていたかのように、明日の携帯電話が着信を告げた。
「あ」
「え?」
 ディスプレイに表示されたのは銀幕署、なじみの鑑識からだった。
 依頼していた画像の解析が終わったらしい。
 さらに続いて携帯電話は震える。
「次はリュ・ジェヨンだわ。キース・クロウから連絡があったようね。動画が添付されているみたい」
「え、それはどんな……」
 そう言って明日の形態を覗き込んだ須美の表情がふっと変わる。
「……須美ちゃん?」
「どうしたんだい?」
 訝しげに問いかける明日とロイの視線を受けて、須美はゆっくりと顔を上げ、そして携帯電話の画面をふたりに提示した。
「これ……知っています」
 小さく切り取られた画面の中に映りこむのは、コンクリートと配管が剥き出しのロフト調の天井だった。目を凝らせば、張り巡らされた配管に何か文字と桃洋ともつかないモノが刻まれているのがぼんやりと分かるだろう。
 そして、天井近くにある十字架を模した窓の形――
「須美ちゃん、ここに見覚えがあるの?」
「一度、対策課の依頼で訪れた場所だわ。その後にも関わったから、見間違えたりしない」
 行くべき場所が決まった。
 事態の急展開に乗り遅れたりしてはいけないというロイに送り出される形で、須美は明日とともに急いでカフェを出る。
 だが、プロスケニオンから飛び出したそのタイミングで、出入り口付近で携帯電話を掲げている少女たちの姿が視界に飛び込んできた。
 写真を撮っているのか、それともムービー撮影でもしているのか。楽しそうに、けれど真剣に何度も携帯電話の位置や自分の立ち位置を微調整している。
「これはこんな感じでどう?」
「うん、いいと思う」
「あ、そういえば他の人は? 連絡あった?」
「うん。【旧霧崎邸】に行ってきたって。あそこはもうほとんどなんにも残ってないんだけど」
「あ、あそこ行ったんだ? いいな、私も行きたかったなぁ」
「それはあとでゆっくり、ね? まずは素材集めなんだからさ」
「ん、そうだよね。完成が楽しみっ」
 彼女たちは言葉を交わす。
 楽しそうに、嬉しそうに、彼女たちはくすくすと楽しそうに肩を寄せ合う。
「ねえ」
「ちょっと、いいかしら?」
 顔を見合わせ、互いの瞳の中にある考えを読み取り、そうして須美と明日は思い切って少女たちへと声をかける。



 認めちゃったら、消えてしまう。
 あの日々が、なかったことになってしまう。



 イェータはジョシュアとともに、中央病院付近から追いかけてきた少女たちについてベイサイドエリアまでやってきていた。
 潮騒が遠く近く忘れられた旋律のように聞こえてくる。
 彼女たちはまだこの界隈でやりたいことがあるらしく、しきりに携帯電話をかざしては何かを撮影していた。
 その合間に彼女たちは誰かと連絡を取り合い、より楽しげに声をあげて笑う。
 ふいに、ジョシュアの携帯電話が無音のまま着信に震えた。
「……はい……ああ、はい、……ええ、ええ、……分かりました。ありがとうございます」
「誰だ?」
「明日からです。……キース・クロウが捕らわれている場所が確定できました。ここからそう遠くありません。急ぎましょう」
 彼が通話しているそのタイミングで、イェータにも無線で仲間から新たな情報がいくつか入ってきたらしい。
「こっちも面白い情報を掴んだぜ」
 イヤホン型の無線機に手を添えながら、彼は言う。
「携帯カメラ構えたやつらが数グループ、街のあちこちで見かけられてる。ほとんどが10代から20代の女ばかりだがな。回ってる個所がカフェだのジャーナルに乗った事件現場だのが多いのは偶然じゃないだろ」
 それから、と続ける。
「男物のスーツと、あと医療機関で使うような白衣だな。それを仕入れているやつらもいたらしい」
「今回の事件と結びつきそうな事案ですね。いえ、むしろ動機部分として大きく踏み込めたというべきかもしれません」
「動機?」
「つきつめれば……結局のところ、犯人の目的は『撮影妨害』、と言ってしまえると思います」
 リュ・ジェヨンから『世直し姫君、からくり妖変』の続編の話を聞いて喜んだイェータにしてみれば、ソレは半ば予想していたこととはいえ残念な回答だった。
 割り出された目的地へと行動を開始しながら、それでもつい聞かずにはいられない。
「なあ、お前はさ、どうなんだ? やっぱ続編は否定するか?」
「私ですか?」
 ジョシュアは質問の真意を探るようにほんの少し沈黙し、
「私自身は……とても《難しい》ものだと思っています。……いえ、その難しさを身をもって知っていると言うべきですね」
 それからわずかな苦笑を浮かべて答える。
「前作よりも良いものを作らなければならないんです。常に前作と評価され、少しでも劣化したと判断されれば見向きもされなくなるでしょう。望まれるままに、けれど惰性でもって続編を作り続けていけば、そこにはもはや良作の生まれる余地はなくなりますし」
 立ち並ぶ倉庫、潮騒と磯の香りで満ちたそこを、できるだけ音を立てずに身をかくしながら移動するふたりの間で交わされるのは、本来ならもっと別の場所で語られるべきものだったのかもしれない。
「パート2がパート1よりも面白い作品というのは、そうはないのです。そして、シリーズを重ねてなお成功し続ける映画はごくまれと言っていいでしょう」
 だから、思い出を穢されたくないという理由で続編を嫌う向きがあることもジョシュアにはわかる。
 その想いを否定することはできない。
 事実、シリーズを重ねるごとに一作目にあった世界が壊れ、劣化し、駄作となっていったものを見てきたし、そうした世界に身を置いてもいるから。
 だが、イェータはカシカシと頭を掻きながら、なんとも言えない表情を浮かべてみせる。
「俺だったら、この街で過ごしてきたやつらのさ、その後が見られるってんなら喜んで続きを作ってもらいてぇって思うんだよな」
 夢が醒めた後、イェータの中には、彼らのいなくなった淋しさ以上に、『いつかどこかでもう一度会える』という漠然とした想いが強くあった。
 二度目の奇跡を信じていると言ってもいい。
「たとえ俺たちの知ってる『本人』じゃなくても、どっかで繋がってる、でもってあいつらはあいつらの、俺らは俺らの日常がちゃんと続いてるって思えるじゃねぇか」
 だから、続編を望む。当たり前のように、いいことだと思える。ファン心理というよりはむしろ、友人たちの近況を知りたいという感覚に近いだろうか。
「だからさ、《世直し姫君》だけじゃなくって、《ムーンシェイド》や《星翔国綺譚》の続編だって作られりゃ喜んで観に行くぜ? もちろんハッピーエンドでお願いしたいがな」
 そう言ってみせるイェータの笑顔に迷いはない。
「……きっと、私たちはそう言ってくれる人たちに支えられているのでしょうね」
 ジョシュアの口元にも穏やかな笑みが浮かぶ。
「先ほど『撮影妨害にある』と私は言いましたが、実際にはもう少しポイントがずれているのだと思いますね」
 そうして、ほんの少し間を置いた。
 言葉を選び、どう伝えようか試行しながら、ゆっくりと話し始める。
「目的を考えていたんです。彼を捉えた理由。それは、おそらく、続編を作らせないというよりもむしろ、キース・クロウを映画に出演させないという意図が大きいのではないかと」
「どういうことだ?」
「人の“思い入れ”、あるいは“執着”というのは、時に思いがけないほど強烈な拒絶反応を生み出すものなんです」
「……」
「ドクターDはドクターDとしてしか認識できない。ドクターDを演じた役者という存在を認め、そのものに別の役を演じさせることは、ドクターDが実際にはいない作られた存在だと証明されてしまうものだという恐怖、ですね」
「……やっぱり、よくわかんねぇな」
「不思議な現象ですよ、とても。ですが、この街でならその想いはより一層強いものになるのではないでしょうか?」
 ジョシュアの声には、演者ではないイェータには少々理解しがたい複雑な色が滲んでいた。
「せめてこの件に、彼の近しいものが関わっていないことを祈るのみですよ」
 まるで祈るように一言、そう添えた。



「……そう、分かったわ。ありがとう」
 折り返しのジョシュアからの連絡を受けながら、明日も須美とともにタクシーでベイサイドエリアを目指す。
「イェータとジョシュアのふたりはもう間もなく潜入できるようね」
 情報の共有、そして交換。
 ふたりは先ほどまで名画座にいた。
 本来ならすぐにでもキース・クロウが捕らわれているだろう場所に向かうべきだったのかもしれない、だが、ふたりにはこの寄り道が必要だった。
 少なくとも、『彼女たち』からキース・クロウを無事に取り戻すためには――
「明日さん、あちこちで携帯のカメラを構えたあの子たち、別に悪い子には見えなかった、ですよね?」
「ええ。ごく普通に見えたわ。本当に、当たり前にいる感じ」
「でも、彼女たちで間違いない……」
「鑑識の彼が言っていたわ。キース・クロウが捕らわれている動画、あれは本格的な機材じゃなくてせいぜい携帯電話のムービーレベルだろうって。あの後にも、何秒か単位の連作でアップされているようね。中央病院やプロスケニオンもあったらしいわ」
「まるで、メイキング映像か実況動画みたいですね。すごく、何かが歪んでいる」
「……キースから送られてきた動画、須美ちゃんが見覚えがあるって言ってくれなかったら、きっともっと困ったと思う」
 ふたりは一瞬、沈黙する。
 カフェの前で声をかけた少女たちは、どこか楽しそうに、嬉しそうに、何かに夢中になるキラキラとした輝きでもって自分たちに話してくれた。

『きっとね、お二人も喜んでくれると思いますよ』
『素敵な計画なんです。楽しみにしててくださいね』
『あ、ねぇ、もう源内さんには会った? 私たちね、彼も見かけたの』
『リオネちゃんの魔法はまだ有効みたい』

 くすくすくすくす笑いあい、そんな言葉の合間に、彼女たちは明日たちに、ドクターと事件を解決した『探偵さん』に会えてうれしい、とも言った。
 夢見るように楽しげに、少女たちは携帯電話を持って、街中を飛び回る。
「……須美ちゃん、ねえ、これは友人として聞いてもらいたいんだけど……いいかしら?」
 タクシーの窓から銀幕市の町並みを眺めながら、ぽつりと明日は問いかける。
「ええ、もちろん」
 答える須美の視線は明日と同じものを見ている。
「あたし、この事件をあなたから聞いた時、犯人は夢をまだ見たい人間、または、銀幕市に夢がまだ続いていると思わせたい人間なんだろうって思ったの」
 かつて夢と踊った銀幕市。魔法の日々。あり得るはずのない出来事が、現実として実体化してしまった、まるでパレードのような毎日がここにはあった。
 けれど、いまはもう――
「ドクターに……いいえ、親しかったムービースターの誰かに固執して、夢が終わっていないと信じたい、そういう人の気持ちを、あたしは否定できないでいるわ」
 夢を見たい。
 夢はもう終わってしまったのだと、認めてしまうのがつらすぎるというのなら、刑事としては何かしらの行動を起こさなくてはいけないが、ひとりの恋をした女性としてなら、犯人たちを一方的に断罪することはできない。
「私はあの動画を知って、そして事件の存在を知った時、本当は全部警察に任せた方がいいんじゃないかって思いました」
 でも、と須美は窓の向こうを流れる景色に何かを見ながら、続けた。
「スターは居ない……なら人知を超えた手段が行使されることもないってことです。キースさんの行動を辿り目撃者を辿り思考を巡らせ情報網を張り巡らせば、きっと自分にも辿りつけるって思ったら、……行動してました」
 明日と須美の視線が、ふ、と交わる。
 互いの瞳の中に同じだけの想いを認める。
「……行動してしまうのね」
「行動してしまうんです」
 恋をした心は悲鳴をあげる。泣いて、怯えて、喪失の棘に苦しんで、あの日々がもう戻らないことへの、あの人がもういないことへの残酷さに打ちひしがれる。
 けれど、もうひとつの心が自分を立ち上がらせる。
 誰かのために何かをしたい、誰かの大切なものを守りたい、自分たちの大切な思い出を守るために、自分たちのできることをしたいと願い、あの人が心配しないように、あの人ならなんと言うだろうと考えながら、動く。
 泣き言はいわない。
 泣きごとは、言えない。
「ままならないものね」
「そう、思います」
「でも、あたしたちはやるべきことをやりましょう。手遅れになる前に」
 タクシーがベイサイドエリアへと滑りこんでいく。



 あたしたちはまだ、夢の途中。



「さて、到着ですね」
 遮蔽物には事欠かない倉庫街からいくらか距離をおいて存在する小さな建物の前でイェータとジョシュアは足を止めた。
「ここは……」
「ご存知の場所でしたか?」
「あれだ、ずいぶん前にうちの団員と一緒にちょっとだけ修復を手伝ったんだが……ここのどっかにキースが捕らわれてるってわけだな」
「銀幕署の鑑識に頼んだ解析結果とキースからの画像、そしてここに関わったお譲さんによって割り出されたのですから、おそらくこちらで間違いないでしょうね」
 イェータがジョシュアとともにたどり着いた場所。
 そこはかつて忘却の森の茨によって覆い尽くされ、一度は崩壊の危機に直面した【天使の映画館】だ。
 銀幕市民の手によって修復された姿は、古い洋館の趣と何かの予感を孕んだ不思議な雰囲気とを湛えていた。
「ねえ、どうだった?」
「成功。何とか見つけられたわ」
「やっぱり、探すんなら中央病院の方がよかったかもしれないわね」
「でもこれでばっちりよ」
 ふたりの耳に飛び込んできたのは、少女たちのさざめきだった。
 見張りというほどのものではないだろう。ただロケ地にもなった場所を訪れ、感傷に浸っているだけのようにも見える。
 イェータの目が、すっと細められる。
 ムービースターはまだここにいる。
 そう主張する者がいることは、分かった。
 だが、その主張のために誰かが犠牲になるのはひどく間違っているし、なにより、彼女たちがしようとしていることはこの銀幕市の3年間を冒涜しているように感じられた。
 だから、行動する。
「さてと、面倒が起きねぇようにお邪魔させてもらうか」
「どちらへ?」
「裏口」
 イェータは己の感覚を研ぎ澄まし、内部を探るようにそろりと慎重に一歩を踏み出した。
「では、私の方で彼女たちを引き付けましょうか」
「やれるか?」
「ええ」
 ジョシュアは、自らの長く伸ばした髪を後ろでひとつに括り、目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
 髪の毛の先から四肢の爪先まで、神経をいきわたらせる。
 そして、するりと正面入り口に佇む少女たちの方へと向かう。
 自信家なヴァンパイア・ハンターの表情そのままに、不遜とも取れる態度で優雅に彼女たちの前へと歩いていく。
「シャノン!?」
「シャノン・ヴォルムスまできてくれた!」
 少女たちの驚きの声が歓喜の色を交えてはじけた。
 だがそれを受けて応える声音は穏やかで、どこか茶目っけのある表情を覗かせる。
「……ああ、あなたたちは《彼》を覚えていてくれてるんですね」
 携帯電話を手にした少女たちの視線と意識はひとりの《演者》に向けられていた。
 そのタイミングを物陰から確認し、建物の裏手側に回ったイェータは、そのまま従業員用の扉に手をかけた。
 たとえ鍵で閉ざされていようとも、ピッキング能力の高いイェータを扉は拒めなかった。



 ねえ、大好き。



 裏口から従業員通路を辿り地下室へと続く階段、そこに満ちたニオイはどこか懐かしさを呼び起す。
 彫刻の施された木製のドアノブに手を掛けて、かすかに開けた扉の隙間からイェータは気配を探りながら部屋に体を滑り込ませる。
 薄暗い室内にはひんやりとした空気が満ちていた。
 足音を立てず、己の気配すら消して、イェータはゆっくりと進む。
 むき出しのコンクリートの壁、配管が除く天井、高い位置にある十字架の形の窓、そこからわずかに差し込む光の下に、《彼》はいた。
「キース・クロウ?」
「やあ、ヒーローの登場が先だった」
 逆光になっているだろう自分に向けて、アンティークチェアに後ろ手に拘束された人影から嬉しそうな声が返ってくる。
「賭けをしてくれる相手がいなくて、淋しかったんだ。嬉しいよ」
 囚われの身でありながら、キースはにこりと笑いかけてきた。
「ずいぶんと余裕だな。ケガはねぇか?」
「ああ、ありがとう。大丈夫だよ。あの子たちの目的は僕へ危害を加えることじゃなかったみたいでね」
「これからもそうであるとは限らねぇだろ?」
「でも、僕は賭けたから」
「賭け?」
 訝しげに問い返しつつ、それでもイェータは手にしたナイフでキースを拘束する細いロープを流れるような所作で断ち切っていく。
 はらりと幾重にも巻かれたロープが解かれ、手を差し伸ばせば、ためらいなく彼はこの手を取って立ち上がった。
「それじゃ、いこうぜ。俺たちはあんたを連れ帰らなきゃならねぇんだ」
 かつて見た《夢》を汚さないために、ここにいた友人たちの幸せを信じるために、『杉田玄白』に『平賀源内』を救ってもらう物語をこの目で見るために。
 だが――
「だれ!?」
 悲鳴じみた声が、背後から突き刺さる。
「なんで? 何で邪魔をするのよ?」
 彼女は目に涙をいっぱいに浮かべて、それでも敵意をあらわにして声を張り上げる。
「どうして!?」
 その手に握られているのは、少女には似つかわしくないナイフだった。
「ねえ、きみ、僕たちはまだきっと帰れないと思うんだよ」
「みてぇだな」
 軽くため息をついて肩をすくめ、そしてイェータはキースを下がらせ、自分ひとり、彼女へと歩みよる。
「そういうもんを持つべきじゃねぇな。持っちまうと、使いたくなる。傷つけたくなくても、傷つけちまうから」
「――きゃっ」
 鮮やかな動きだった。
 彼はプロだ。プロの傭兵であるイェータの動きを、ただの少女にかわせるわけがない。どんな特殊能力もない少女に、彼を敵に回して対等に渡り合うことなどできない。
 それでも、イェータは優しかった。
 可能な限り丁重に、必要最低限の動きでもって少女からナイフを奪ったのだから。
 少女相手に《武力》は使わない。
 彼女は倒すべき対象ではなく、本来ならば保護すべき存在だから。
 だが、少女はそんなことに気づけない。わからない。だから、キーホルダー式の防犯ブザーを押してけたたましい音を倉庫内に鳴り響かせる。
 危険な存在を、排除するために。
「なぁに!?」
「だれ?」
「だれかきたのっ!?」
 決して広くはない場所に、少女たちが次々と集まってくる。
「そう全部うまくは運ばないか」
 入り口を固められ、これ以上、少女たちを傷つけずに、荒事を回避してキース・クロウを連れ出すことは難しい。
 だから、正面からイェータは自分の要求を口にした。直球で、なんの含みも持たせずに。
「なあ、こいつ、返してほしいんだけど」
「ダメよ。ドクターにはあたしたちに協力してもらわなくちゃいけないもの」
「ダメよ。まだ、ドクターにはお願いしたことがあるんだから」
「こいつは《ドクターD》じゃねえだろうが」
「ドクターはドクターだもの!」
「そうよ!」
「なんで、ドクターじゃないなんて言うのよっ!」
 言葉が弾ける。過敏に、劇的に、感情が弾けて、拒絶と否定を爆発させる。
「夢は醒めてないわ。夢は終わってない! まだ、この街には魔法が掛かってるの。だって、ねえ、ドクターがいるわ、源内がいるわ、そこにシャノンもいるし、ねえ、あたしたちはまだ誰ともお別れなんかしてないの!」
 精いっぱいの笑顔で、泣き出しそうにふるえながら、おそらくそこに強がりも入っているのかもしれないが、彼女は必死にそう宣言する。
 彼女の声に反応したのか、あるいは何か別のネットワークによるものなのか、監禁場所へと少女たちが駆け付ける。
 何人も、何人も。
 そして、彼女たちは侵入者に敵意の視線をぶつけた。
「ドクターを連れていかないで!」
「ドクター! ねえ、ドクター!」
 キースは少女たちの視線に晒されながら、何かをずっと考えている風だった。
「スーツを着て、白衣を着て」「黒髪なんてダメよ」「銀の髪で」「メガネをして」「ねえ」「ねえっ?」「否定しないでっ」「いなくならないでよ」「ドクターはずっとドクターのままでいて」
「あなたは《ドクターD》でしょう!?」
 ムービースターはいなくなっていない。
 夢はまだ終わっていない。
 そう言ってキース・クロウを取り囲み、少女たちは彼の衣装を掴み、揺さぶる。
 必死に、懸命に、彼から言葉を引き出そうとする。
 思わずイェータが一歩引いてしまうほどに、少女たちは真剣だった。
 だが――
「そこまでにしましょう?」
「……あなたたちがしていることは、誘拐および監禁罪だわ」
 再び大きく扉は開かれた。
 薄暗い部屋の電気が付けられ、蛍光灯の光が瞬き、あふれる。
「なんで? どうして二人がここに?」
「呼んでいただきましたから。そして、私が呼びましたから」
 明日と須美が並ぶその背後に、ジョシュアがまるで守護者のように佇み、そうして少女たちへと微笑みかけた。
「目を覚ましなさい。夢は終わったの。もう、彼はいない……もう、ムービースターはいないのよ」
 事実を告げながら、明日は自身の言葉に刺し貫かれる。
 だが、それでも続ける。
「あなたたちの気持ちを否定はしないわ。だけど、罪を犯しているのなら見過ごすわけにはいかないの」
「なんで?」
「なんでそんなことを言うの?」
「夢は終わってないもの。なかったことになんかならないモノ! だって、だってドクターはここに――」
 あなただってそれを望んでいるはずじゃない、と誰かが言った。
 大好きな人ともう永遠に会えないなんて、夢の魔法が終わったんだから仕方ないなんて、そんなことで割り切れるわけないじゃない、と別の誰かも言った。
 少女たちの言葉は、明日に、そして須美に刺さる。
 癒えていない傷口に、差し込まれる喪失の棘。
 明日は自分の中の揺らぎを自覚しながら、それでも言葉を紡ぐ。
「……夢に醒めてほしくない、ずっとそばにいてほしい、そう思う気持ちは……わかるわ。すごく。だけど……」
「そんなに不安がらなくても大丈夫」
 明日に重ね、須美もまた言葉をつづる。
「夢は消えても別の何かがちゃんと心の中にあるのよ。だから、大丈夫。すべてがなかったことになんか、ならない」
 ふたりがその手に抱えているのは、名画座から借りてきたたくさんのパンフレット、銀幕ジャーナル社から借りてきたたくさんの雑誌や写真、そしてかつていたスターたちが残してくれた言葉だった。
「なくなったり、しない。なくなったりしていない。誰も、あの日々が嘘だったなんて言わないわ」
「だけど!」
 ひときわ高く否定を口にしたのは、先ほどから繰り返し、「スターはいる」と主張し、他の少女たちをまとめていた子だ。
 少女たちをまとめ、少女たちと計画を共有し、動画サイトに細切れの動画をアップし続けた者、『ドクターD』を中央病院の前で連れ去った中心人物でもある。
「だけど、ほんとはつらいじゃない! スターが消えちゃったなんて、大好きな人が消えちゃったなんて、それで全部おしまいで、それで日常に戻るなんて、彼らと過ごした時間がゼロになったままなんて、そんなの辛いじゃない!!」
「あのな。少なくとも、俺たちに悔いはなかったんだ。たとえ夢は終わっても、俺たちは大切なもののために十全を尽くしたし、全力で出会ってきたやつらを愛した。そうだろ?」
 思わず、イェータが声を差し込む。
「……それ以上大切なことが、他にあるのか?」
 そうして、少女たち一人一人に問いかけ、心の底から願う。
「だから、なぁ……この3年間を、哀しいものに変えないでくれ」
 彼の願いに、少女の言葉が途切れ、一瞬、場はシン……っと静まり返った。
「私たちは彼らが残してくれた希望を大切するべきね」
「まだ夢が続いていることを証明しようとするのは、いまの銀幕市にとってはとても、とても残酷な、……犯行よ」
 少女たちに寄り添いながら、それでも……いや、だからこそあえて明日は罪を問う。
「あなたたちはたくさんの証拠を残しすぎたわ。そして、やりすぎた。これから大きな罪を犯すかもしれない予感で溢れているの。……本当は、これは正しいことじゃないと、心のどこかではちゃんと分かっているのではないかしら?」
 さらに、問いは続く。
 少女たちの言葉を受け止めながら、ドクターDならどうするかを考えながら、ゆっくりと、彼女たちひとりひとりを見て。
「キースがドクターD以外の役を演じることで、ドクターの存在が否定されるんじゃないか、ドクターと同じ顔をしているのに別人だって思い知らされて、これまでの夢がすべて否定されるんじゃないか、スターたちがいた事実が別の何かにすり替えられるんじゃないか……そう、思ったんじゃないかしら?」
 少女たちに心を重ねる。
 少女たちが発する言葉、その裏側にある想い、そこに自分を重ね、寄り添い、悲鳴と否定で声を上げる少女たちへ向けて『理解者』として彼女たちの前に立つ。
「その思いは、その不安は、誰かに否定されるものじゃない。だれかに違うといわれて、納得できるものでもないって、わかるわ……」
 けれど、でも。
「あなたたちは、思い入れ、確かな存在、そばにいた人、これまでの出来事、すべてが消えてしまったことを受けいれられないのかもしれません。ですが……」
 ジョシュアは、『演者』として彼女たちを見つめる。
「なぜ、キース・クロウという存在を否定するんです? 続編を作る事が出来るというのは希望があること。また、命を吹き込めるということ。彼に、ドクターの友人だった平賀源内を救うという《役割》を与えさせないつもりなのでしょうか?」
 演者と演じられた登場人物とは、切っても切れない関係がある。だから、重ねるな、比較するなとは言えない。
 だが、だからこそ、目の前の現象に囚われ、これから先に続いているかもしれない幸福な未来な可能性を見ずにいるのはもったいないとも思うのだ。
「それに、たとえ夢の魔法は解けても、スクリーンの中に、あるいはあなたの信じる世界に、夢は続いていくものだと思うのですが」
 そして、続編を望んでくれるモノがいるのなら、楽しんでくれるのなら、それを作り続ける義務があると思う、そう続けた。
 言葉が重ねられるたび、この部屋を満たす《色》が変わっていく。
 この部屋に吹き荒れていた激情と悲鳴と否定は完全に止み、少女たちは俯き、沈黙する。
 空気が凪いだ。
 激情が吹き荒れる嵐は収まり、静けさを取り戻す。
「ひとつ、質問させてもらってもいいかな?」
 それまでただの一言も発さずにたたずんでいたキースが、ふ、と顔を上げた。
「――あなたたちの目に映る、この僕は、いったい誰なんだろう?」
 銀の髪にメガネをかけて、杉田玄白の衣装をまとい、蛍光灯の下に佇む綺麗な男は問いかける。
 自分は、だれなのか、と。
 少女たちに、あるいはここまで助けに来てくれた者たちに、彼は問う。
 穏やかに心へと降りてくる声で。
「あなたは、……キース・クロウよ」
 最初に、答えたのは明日だ。
「キース・クロウ以外の何者でもなくて、何者にでもなれる人、かしらね」
「ドクターDを演じ、次は杉田玄白だっけ? やるんだろ?」
「楽しみにしていますよ、キース」
 そして、須美、イェータ、ジョシュアの言葉が連なり、《彼》を肯定する。
 少女たちは戸惑うように、縋るように、そうして泣き出しそうになりながら、キースへと視線を集めた。
 その瞳の中にはもう、拒絶の色はない。
 キースはほんの少しだけ俯き、迷うように視線を落として、それからゆっくりと顔を上げ、
「ありがとうございます。ドクターDと過ごしてくれた時間を、彼をひとりの存在として認めてくれていたことを、感謝します」
 深々と頭を下げた。
 その瞬間。
 少女たちを駆り立て、動かしていた《何か》が、ふつりと途切れたのかもしれない。

 ――ごめんなさい。

 ぽつり、ぽつりと、彼女たちの唇から、謝罪の言葉が涙とともにこぼれおちていく。



 大好きな人が、あの日永遠に消えてしまったなんて、信じたくなかったの。
 夢なんか、醒めなければいいってお祈りしてた。
 そうしたら、ねえ、源内とドクターをあたしたち、見つけることができたから……



 ジョシュアの手配した大型車で、一行は本来の待ち合わせ場所であった市役所前までキースを送り届けた。
「やあ、ジェヨン。ごめん、ずいぶんと待ち合わせに遅れてしまった」
 彼らを出迎えたのは、リュ・ジェヨンだ。
「キース、無事で何よりだったけど、君にはまだ仕事が残っているんだよ」
「ああ! 自分の都合でここまで遅刻した僕はキミから一体どんなお叱りを受けるんだろう? ねえ、何が起こるか賭けるかい?」
 肩をすくめて笑いながら一行を振り返ってみせる。
 だがわざとおどけてみせるキースのさりげないセリフ回しの中に含まれている意味を、彼らは察していた。
 だからただ笑う。顔を見合せながら、一緒に笑う。
「……まやが待っているよ、キース」
「ああ……なるほど……」
「キース」
 そこでようやく本心の覗く困り顔で苦笑する彼に、明日は思い切って声をかけた。
「キース、あなたにひとつ確認させてもらえないかしら?」
「ん? どうかしたのかい?」
 自分に対して首を傾げて笑いかけてくる彼は、ドクターDの面影を残してはいてもまったくの別人だと改めて思い知らされる。
 その彼の隣に立つ男もまた、平賀源内とすっかり同じ姿でありながら彼ではなく、彼を演じたリュ・ジェヨンなのだ。
 視覚の混乱。
 だが、混同はしない。
「なぜ、あなたは彼女たちに捕らわれたのかしら? 抵抗しようと思えば簡単だったはずよ」
 いわゆる裏の仕事のプロが介入してなかったことが判明したいま、ハリウッドスターとしてはあまりに警戒心がなさすぎる、不自然すぎることが引っ掛かっていた。
「ああ、メイヒ、あなたはなかなか鋭いところを突いてくれるね」
「えっ」
 ポンっと、キースの手が明日の頭に乗せられた。ご褒美だというように優しく撫でるその手に驚き、ポーカーフェイスが一瞬崩れた。
「実はね、賭けをしてたんだよ」
「賭け?」
 髪をなでる手は離れ、明日は勤めてポーカーフェイスのままでその手の先を視線で追った。
「僕はこの街で数年を過ごした《ドクターD》の物語を読んだ。銀幕ジャーナルを通してね。もちろん、それ以外の物語も。巨大な絶望が空を覆った時は、ネットでそれを見た」
 顎に手を添えて小さく首を傾げながら、銀幕詩という世界に流れる時間をずっと追いかけていたんだと彼は言う。
 そして。
「あの子たちを振り切ることは簡単かもしれない。あの子たちの考えを否定することだって簡単かもしれない。でも、それじゃあの子たちは救われないだろう? あの子たちの頑なな心を解きほぐせる存在がこの街にはいるって僕は思った」
「……あなたはソレに賭けたの?」
「ああ、僕はソレに賭けた。と言ってもまあ、賭けをしてくれる相手は《神様》しかいなかったんだけど」
 何でもないことのようにキース・クロウは頷き、返す。
「そして、僕は賭けに勝った」
 眩しげに、少ない手がかりから自分を救出に来てくれた明日たちを見つめ、笑う。
「それにね、《続編》について思うところもあったから。まやがいう《続編》や《銀幕市で過ごしたスターたちへの想い》をどう消化すべきなのかも考えたかった」
 隣に立つリュ・ジェヨンを見、それから、改めてキース・クロウは問いかける。
「メイヒ、あなたはどうかな?」
 続編への想いについて、この街の人間たちにとって『隣人』が紡ぐ続きの物語について、
「ジョシュア、イェータ、スミ、あなたたちはどうかな? 続編とは何だろう?」
 聞かせてほしい、と彼は言う。
「……あたしは、続編で彼等の元気な姿が見られるのは嬉しいわ……この銀幕市で過ごした、親しかった彼等とは、また別な気がしても、それでも……」
「望まれている以上、進むべきですね。幸せなことだと思いますよ?」
「俺は続編ができたら絶対見に行くぜ? ジョシュアにも話したんだけどな」
 イェータは、キースを探している間にジョシュアと交わした内容をさらりと繰り返した。
 最後に須美へと視線が向けられる。
 全員の視線を受けながら、彼女は堂々とその視線を受け止める。
「映画の価値を決めるのは観客だと思うわ。出来上がるまで映画に観客がどんな価値を抱くのかは判らない。それでも映画が作られるのは伝えたい何かが有るから、だから続編は作られていく。知ったからこそ伝えられる何かもあると思う」
 だから、と須美は続ける。
「私は続編の成功にチップを全額賭けるわ」
 清々しく晴れやかな、自信に満ちた笑顔だった。



 皆にも教えてあげたかったの。
 あんなに悲しいお別れだったけど、まだ大丈夫って。
 まだ、夢は終わっていないってみんなに教えてあげたかったの。
 だれにも否定されない、だれにも否定できないものを見せたかったの。
 だけど。
 でも。

 ……ごめんなさい……



 カフェテリアの一角で、ジョシュアはイェータとともに、ゆったりとコーヒーを口にする。
「無事撮影が開始されたらしいな」
 この銀幕市のどこかで、いま、《杉田玄白》は《平賀源内》救出のため、《珊瑚姫》とともに奔走しているはずだ。
 物語はハッピーエンドに向けて着実に動いている。
「そういえば、今回の監禁事件について、キースは『貴重なファンとの交流』ということで納めるつもりらしいですよ」
「動画サイトに上がってたのはどうすんだ?」
「サイトに上がっていた彼女たちの動画は削除されましたし、もし何か聞かれたとしても、そもそもあれは加工画像だという形でもっていくようです」
「つまり、あれは誘拐でも監禁でも、そもそも事件ですらなかったってことになんのか」
「ええ。まさしく『自分の都合で待ち合わせに遅刻した』ことにするようです」
「まあ、その方がいいよな」
 夢を見ていたかったと望んだ少女たちが起こした事件、少女たちの犯した罪、それを許せるかどうかはヒトによって違うかもしれない。
 だが、当の『誘拐された本人』が罪ではないというのなら、あとはもう少女たち自身の問題になるのだろう。
「いずれ、私も卒業する日が来るでしょうね」
「卒業?」
「一生《シャノン・ヴォルムス》を演じられるわけではありませんから」
「そうか……ああ、でも《シャノン・ヴォルムス》と言えば《ジョシュア・フォルシウス》だって、そしてその逆もあるってのは、ある意味幸せなことじゃねえかな」
「ああ、確かに……それはとても幸せなことだと思います」
 ふわりとジョシュアは微笑み、コーヒーカップを持ちあげ、口をつけた。
 派手な爆発も大規模な戦闘も映画になりそうな大規模な災害も騒ぎも何もない、ゆったりとした時間が流れていく。


「この銀幕市のどこかでいま、彼らは新しい物語を作っているのね」
「撮影、順調だって聞きました」
 向かい合わせに座る明日と須美は、揃って空を見上げる。
 銀幕市立中央病院のカフェラウンジから見る空は、驚くほど澄んだ宵の色を広げている。吹き抜けの天井、ガラス越しに見る夜空を、何度眺めてきただろう。
「……プラネタリウムみたいね……」
 かつて口にした台詞を、明日はもう一度なぞり、紡ぐ。あの時隣にいた友人はもういないけれど、あの時抱いた想いはまだ色褪せず、ここにある。
「星の光って不思議……今こうして私たちが見ている星が、もう何年も前に消えてしまった星かもしれないんですもの」
「目に見えているのにもういないかもしれない存在――ね」
 ふたりの間にほんのわずかの間だけ、沈黙が下りる。
 かちゃりと、ティーカップとソーサーの触れ合う音だけがふたりの間を埋めて。
 そして。
「あたしたちは進まなくちゃいけないのよね」
 ぽつりと、明日がつぶやく。
「ええ、そう思います。立ち止まっていられないし、ふさぎこんでもいられない。だって、そんな姿を見たら、彼らはきっと心配して、どうにかしようってすごくヘンなことを始めるわ」
 大切な友人たちの、大切な恋をした人の、慌てふためく姿が目に浮かぶ。
 けれど。
「……だけど……ちょっとくらい、泣いてもいい、気がします」
「そうね……ちょっとくらいなら、泣いても許されると思うの……」
 再びの沈黙。
 哀しみと切なさと寂しさを共有し、そして乗り越えるための時間。
「そういえば、少し前から探していた絶版の古典名作の話なんですけど。ようやく古書店で見つけたんです。訳は古いですがきっと楽しめると思うから、今度明日さんに持っていきますね」
「それじゃあたしからはDVDにしようかしら。恋愛モノだけど、ミステリーとしても楽しめる作品よ。……最近は映画がDVDになるのってとても早いから」
「DVD鑑賞会もいいかもしれませんね…あの子も誘って」
「そう、いいわね。それも楽しいかもしれないわ」
 かつてベイサイドホテルを定宿としていたあの少女も誘って、泊まりがけで観賞会を開くのもいいかもしれない。
 思い出を振り返りながら――銀幕の夢のひと時を。




 エンドロールのそのアトに、君と同じ夢を見る。
 エンドロールのそのアトに、君と物語について語り合う。
 エンドロールのそのアトに、新しい時間をキミと見つけたい――


END

クリエイターコメントはじめまして、こんにちは、そして大変お世話になりました!
夢の魔法が解け、エンドロールが流れた銀幕市での、その後の事件にご参加くださり誠に有難うございます!
『誘拐事件』を軸として、『続編』や『夢の終わり』への想いを綴っていただいた物語はこのような形となりました。
神無月まりばなWRとともに紡ぐ後日談、お待たせした分も含めて少しでも楽しんでいただけますように。

>ジョシュア・フォルシウス様
 まさしく『演者』ならではの視点、思考でのアプローチをありがとうございました。
 非常に興味深いスタンスであり、そこから紡がれる思考や感性に『なるほど』と唸りつつ、所々に『彼』の面影を差し入れる演出とさせていただきました。
 シリーズもの、続編への考察や姿勢にひっそりと感動しておりました。

>流鏑馬明日様
 喪失の棘を抱え、ためらいを持ちながらも、事件を止めようと動いてくださりありがとうございました。
 犯人の動機について、まさしく真正面から取り組み、言葉に変えてくださいました。
 いつもとはほんの少し違う、犯人側に思考を寄せるアプローチは、今回模範とする『彼』の行動をイメージしてみた次第です。

>朝霞須美様
 明日さまと同じ痛みを抱えながら、それでも思考し、懸命に行動する姿が素敵でした。
 細やかな行動プラン、推理、そして的確な質問内容に感嘆のため息をつきつつ、いつもより一歩踏み出した印象なのは、きっと彼らを安心させるためなのだろうと思いました。
 彼の提示した『賭け』に『全チップ』でもって乗ってくださり、ありがとうございました!

>イェータ・グラディウス様
 傭兵団員様も巻き込んでの人海戦術を駆使させていただきました。
 前向きに、まっすぐに、迷いもぶれもない姿勢と荒事も辞さない心意気により、あのようなスタンスとなりましたがいかがでしたでしょうか?
 大切な人と過ごした大切な時間をいつくしむ姿、そして告げる強い言葉がとても印象的でした!


銀幕市での物語には幕が下りましたが、またいつかどこかに続く『夢の中』で皆様と再びお会いできる日が来ますように。
公開日時2009-07-21(火) 10:00
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