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<ノベル>
空は鈍色に染まり、風は生温く肌を舐める。
「降ってきそうだなー」
ヨミは呑気な声で一人呟きながら、歩みを速めた。前回立ち寄った村を出て、もう三日ほどになる。山間にあるという隣村へは、頼りない道しかなく、時々、木々に紛れて分からなくなった。
今まで、幾つの町や村を巡っただろうか。
そんなことをふと思い、数えてみるが、結局分からなくなったのでやめてしまう。年月をわざわざ数えることもしなくなってしばらく経つが、もう百年は過ぎたと思う。
「あ」
ぽつり、と水滴が頬に当たる。
見る間に雨脚は強さを増し、重みとなって降り注ぐ。ヨミは慌てて周囲を見回した。
すると、岩山が穿たれ、洞のようになった場所があるのを発見する。彼は急いでそちらへと向かった。
「はぁ……びしょぬれ」
一息つき、ヨミは背負い袋から出した布で顔と頭を拭く。雨音は穴に反響し、轟々と鳴るが、しばらくはここでしのげそうだ。
「誰かいるのかー?」
すると、どこからか声がした。まだ若い声だ。
「あ、はいー!」
特に敵意は感じられなかったので、ヨミは素直に返事をしてしまう。もしかしたら山賊などの一味かもしれないが、返事をしてしまったものは仕方がない。
やがて、木陰を縫って、ひとりの少年がこちらへとやってくるのが見えた。小柄でほっそりとしているが、靭軟な体つきをしている。
「ここにいると――」
ヨミの元までたどり着き、目が合った時、少年は言いかけた言葉を止め、大きく目を見開いた。
「どうかしましたかー?」
思わずヨミが声をかけると、少年は目を背け、大きく息をついてから、また口を開く。
「いや――ごめん。ちょっと、知り合いに似てたもんだから。……とにかく、ここにいると危ないぜ」
「危ない?」
「ああ、ここら辺、雨になるとすぐ崖が崩れるんだ。先月も二人くらい死んだよ。ここも埋まっちまうかもしれねぇ」
「ええっ!? そ、それはちょっと……」
流石に、ここで埋まってしまうのは困る。ヨミが再び外へ出る準備をしていると、少年が彼の肩を叩いた。
「まあ待てって。オレの村、すぐ近くなんだ。この雨ん中うろうろするのも大変だし、兄ちゃんも来なよ」
そう言って笑みを見せる少年を見て、ヨミは目を瞬かせた。どうやら、探していた村はすぐそばにあるらしい。
「ええ、ぜひー」
ヨミはもちろん、少年の申し出をありがたく受け入れた。
「それで、どのようなご用件ですかな? 旅のお方」
村の長老は、穏やかな物腰で問いかけてきた。質素な服を着、長い髭を蓄えている。孫だという女性が、茶を持ってきてくれたので、ヨミは頭を下げ、一口啜る。良い香りがした。
村に着いてすぐ、ヨミは村の長老に会うことを所望した。村や町に来たら、大抵、まず一番博識だと思われる者を訪ねるのが習慣になっていた。
「あのー、勇者と魔王について、何かご存知なことはないでしょうかー?」
ヨミが口を開くと、長老は不思議そうな顔で首を捻る。
「はて、勇者と魔王について……ですか」
「はい。どのようなことでもいいんです。お話を伺いたいと思いましてー。――ああ、すみません。小説の題材にしたいものですからー」
ヨミはいつものように嘘を言い、荷物から出した筆記用具を、それらしく構える。
突然このようなことを尋ねられるのも答えに困るだろうが、まず最初に、重要なことを聞いておきたかった。色々と面倒なことになることがあるので、ヨミはあまり、ひとつの場所に長くは留まれない。
「ああ、そうなのですか。では、そうですな……この世は、相反するもので出来ています。光と闇……」
正直、またか、と思った。
この手の話を、何度聞いただろうか。
百年の間、多くの村や町を回り、伝承や言い伝えを聞いて回った。そこに、何かのヒントが隠されているのではないかと思ったからだ。この世界を統べるシステムを打破するためのヒントが。
ヨミ自身、望みは捨てていない。だからこそ毎回、今度こそは何か違うことが聞けるのではないだろうかと期待しては、落胆する。その繰り返しだった。
「……そういえば、ここ百年ほどは、魔王の話は聞きませぬな。魔物たちも一昔前よりはずっとおとなしいようで」
それは、今の魔王がヨミだからだ。彼は、魔物を創ることもしていないし、破壊の力も使わない。魔物たちは、先代の魔王が遺したものだ。
何故、強大な力を持ったはずの魔王が、愛する女と子のたった二人を救えない。
そんな自虐的な思いが、一瞬、頭をよぎった。
「どうだった? 兄ちゃん」
長老の家から出ると、先ほどの少年が壁にもたせ掛けていた体を起こし、こちらへと寄って来た。どうやらこの雨の中、待っていてくれたらしい。
「ええ、まぁ、大した収穫なしですねー」
少年には、長老に会いたいとだけ言ったのだが、詳しいことは何も聞かれなかったので、伝えてはいない。
「――ああ、忘れてた。オレはトキって言うんだ」
そう少年――トキは言って笑顔を見せる。人懐っこい笑みだった。
「私は、ヨミですー」
そう言って、ヨミも微笑む。
「そうだ。ヨミ兄ちゃん、今日泊まるとこあんの?」
「ええと……まだ決めてません」
「呑気だなぁ」
いつも適当に宿を取るか、最悪の場合は野宿をすることもある。ヨミが笑顔で答えると、トキは呆れたように返す。
「そんならさ、ウチ来なよ。泊めてやるからさ」
「え? 本当にー?」
何故、そんなに自分に良くしてくれるのだろう。
ヨミはそう疑問に思ったが、口には出さなかった。人当たりの良い少年だし、きっと元々面倒見が良いところがあるのだろう。もしかしたら、村の外部の人間が珍しいのかもしれない。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかなー」
ヨミがそう言うと、トキは嬉しそうに頷く。
「よし、決まりな! 行こうぜ!」
そうして雨の中を走っていくトキの後ろ姿を見て、ヨミは何故か、寂しそうな背中だな、と思った。
「サキ! 帰ったぞ!」
トキの家は、長老の家からさほど遠くないところにあった。家の前には、色とりどりの花が咲いている。
トキに案内され、家の中に入ると、奥から華奢な少女が、体を拭く布を持って出てくる。トキはそれを受け取ると、ヨミに手渡した。ヨミは礼を言ってから、少女のほうに向き直る。
「こんにちはー。私はヨミといいますー」
トキと同じ、黒髪で黒い瞳の、可愛らしい少女だった。彼女は、緊張した面持ちでたたずんでいる。
「そいつは妹のサキ。ちょっと、口が利けないんだ。それに、サキは村のやつともあんまり会わないし、村の外のやつとは、ほとんど会ったこともないから、緊張してるんだと思う」
「そうですかー」
ヨミが笑顔を見せると、サキは家の奥へと、逃げるように駆けていってしまう。
それにしても――と、ヨミは思う。
ここには、トキたち二人だけで住んでいるのだろうか。両親はどうしたのだろう。
気にはなったが、色々な事情があるのだろうし、軽々しく聞けることではない。
その夜は、質素な食事を前に、他愛のない話をし、三人で一緒に寝た。
子供たちの寝顔を見ながら、子供と一緒に暮らすというのは、こういう感じなのだろうかと、まだ会えない妻と、まだ見ぬ我が子のことを想った。
翌日、泊めてもらった代わりとして、トキが狩りに行っている間、ヨミはサキと一緒に留守番をすることになった。
朝靄の中に、日の光が輝きを増していく。
「じゃあ、行って来ます!」
「行ってらっしゃい」
笑顔で見送るヨミの横で、何か考えるようにしていたサキが顔を上げ、トキに駆け寄ると、彼の服を引いた。
「何だ? サキ」
サキは、自分を指で示してから、トキを指差し、その指を森の方向に向けた。
「一緒に行きたいのか?」
トキが腰をかがめて言うと、サキはこくこくと頷く。そして、今度はヨミを指差した。
「……ヨミ兄ちゃんも一緒に行けばいいだろってことか」
それを聞き、サキは満足気に頷く。
なるほど。それならば、トキのそばにもいられるし、ヨミと二人きりで気まずい思いもしなくてすむ。なかなか頭が良いと、ヨミは感心した。
「しょうがねぇなぁ。……ヨミ兄ちゃんもいい?」
「ええ、いいですよー」
特に断る理由もない。ヨミは、もちろん承諾した。
しばらく狩りをした後、三人は森の中で昼食を摂った。
その近くには、少し開けた場所があり、花が沢山咲いていたので、サキは昼食が終わるとすぐに、喜び勇んで花を摘みに行った。家の周囲で咲いている花は、サキが育てているらしい。
「オレたちの父ちゃんと母ちゃんは」
その様子を眺めながら、ヨミが茶を飲んでいると、唐突に、トキが話し始める。
「……魔物に食い殺されたんだ。オレが十で、サキが四つの頃だった。サキの目の前で……それから、あいつは口が利けなくなった。父ちゃんと母ちゃんの顔も思い出せなくなった」
そう言って歯を食いしばるトキを見て、ヨミの中に切ないものが広がった。人は、色々な事情を抱えて生きている。
「いつか、もっともっと強くなって、魔物を――魔物を創り出した魔王を殺してやる。父ちゃんと母ちゃんの敵を討つんだ」
「……それが、意味のあることだとは思えません」
でも、思わず、そんな言葉が口を突いて出ていた。その言葉が、少年を傷つけるかもしれないと分かっていても。
「意味がない? どう意味がないって言うんだ!?」
トキは、苛立ちをあらわにして声を上げる。
「トキは、もっとトキらしく生きたほうがいいと思います。――恨みや、怒りに支配されて生きるのではなく」
ヨミは、穏やかにそう返した。
「兄ちゃんに、オレの気持ちなんか分かるかよ!」
「それは……分かりません。私は、トキじゃないから。でも、ひとつだけ分かることは、恨みや、憎しみからは、何も生まれないということです」
かつて、自分も幾度も恨みそうになった。
世界を――世界を形作るシステムを。
そして、それを変えられない自分自身を。
でも、ヨミはその道を選ばなかった。そこに、留まり続けることをやめた。
それは、意味がないと気づいたからだ。そこに留まれば、どこへも進めない。世界の仕組みを変えられない。
今でも、迷いや葛藤はわいてくる。全て、投げ出したくなる時がある。
でも、ヨミはその道を選ばない。可能性を捨てる気は、ない。
だから、この少年にも、自分で選んで欲しかった。
「そんなの、ただの綺麗事じゃねぇか!」
だが、そう言い捨てると、トキは弓を手に取り、また狩りへと行ってしまう。
余計なことだっただろうか。
息をつき、視線を上げると、木の陰に、サキの姿が見えた。目が合うと、彼女はおずおずと、こちらへやってくる。
「もしかして、聞いていたんですか?」
サキは、こくりと頷くと、手の中の花を見た。
「ごめんね」
ヨミが謝ると、サキは勢いよく首を左右に振った。そして、顔を上げ、ヨミの目を見ると、口をゆっくり、大きく動かした。
あ、り、が、と、う。
そして、ヨミに花を手渡し、また花を摘みに駆けていく。ヨミは、手の中の花を見た。
もしかしたら、サキもずっと伝えたかったのかもしれない。トキには、もっとトキの人生を生きて欲しいと。
――その時、悲鳴が上がった。トキの声だ。
声のした方を慌てて見ると、何か黒い大きなものが、木々をなぎ倒しながら走って来るのが見えた。
百足のような沢山の脚。形は、蜘蛛に似ている。しかし、とても大きい。体は人二人分ほどの高さがある。
――魔物だ。
「サキ! 逃げろ!」
トキが悲痛な叫び声をあげる。彼自身は無事なようだった。
魔物は、真っ直ぐにサキのいる方へと向かっていく。ヨミもトキも、急いで走った。
「サキ!」
魔物の硬い足が、サキに向かって伸びる。
迷っている暇などなかった。
「下がれ!」
強い声に、その場が静まり返る。
「その娘に手を出すな! ――下がれ!」
ヨミは、魔物に向かってもう一度言う。
魔物は、ゆっくりとこちらを振り向き、自分に向かって命令したのが、『誰』なのかをすぐに悟った。
そして魔物は、伸ばしていた脚を引き下げ、また木々をなぎ倒しながら森の奥へと消えていった。
「サキ!」
魔物が去ると同時に、トキはサキの元へと駆け寄り、震える彼女を抱きしめる。そして、その視線はヨミへと移った。
「――兄ちゃん、一体、何なんだよ!? あいつの仲間なのか!?」
トキの声がかすかに震える。
その瞳からは、戸惑いと怒りが見て取れた。そして、その奥にある怯えた光も。
無理もない。魔物に声をかけただけで撃退することなど、『普通の人間』には到底出来ない。そして、魔物はヨミに対して全く敵意を見せず、ヨミの言葉におとなしく従ったのだ。
ヨミは、トキの視線を正面から受け止めた。
「違います」
「ならなんで、あいつをやっつけてくれなかったんだよ!? 仲間じゃないんなら!」
そんなことをしたら、関係ない者まで傷つけてしまう。魔王の力は、破壊の力なのだ。けれども、そんなことを言えるはずもない。
「なんで、やっつけてくれなかったんだよ!? なんでだよ!」
トキは、俯いて泣いていた。
ヨミは、ただ黙ってそれを見守るしかなかった。
次の日、ヨミはまた新たな村へと向かうための道中にいた。
あれからトキはヨミを避け、挨拶をすることもないままになってしまった。
もしあの時、自分が現在の魔王だということを告げていたら。
そして、自分が妻と子を助けるために生きていることを知ったら、トキの心は少しは救われただろうか。
考えても、答えは出ない。
「おい」
その時、唐突に低い声がした。
ヨミの目の前を、無骨な剣を持った男が遮る。
「……金目のもん置いてきな」
山賊か。ヨミは内心舌打ちする。ヨミの場合、魔物よりも、こういった輩の方が厄介な存在だった。
後ろをちらりと見ると、やはり、道は他の男によって塞がれている。
こういう時のために、護身術は身に着けてあるが、出来れば戦いなどしたくはない。
その時突然、何かが目の前をよぎった。
――矢だ。
それは、山賊たちの腕を射、足を射る。
「くそっ、仲間がいたのか! ずらかるぞ!」
ヨミが一人だと思って余程油断していたのだろう。山賊たちはうろたえ、逃げていった。
ヨミは、矢の飛んできた方向――崖の上を見る。
「トキ。――何で」
そこには、こちらを見て笑顔を見せる、トキの姿があった。
「サキが言ったんだ。『おじちゃんは悪くないよ。サキのこと助けてくれたよ』って」
サキが――喋ったのか。
「兄ちゃんが何者なのかは知らねぇ。でも、サキを助けてくれたのは事実だ。……それに、父ちゃんもよく言ってたんだ。どんなことがあっても、誰かを恨んで生きるのはやめろって」
そう言って、トキは何かをこちらに向けて投げた。
それは緩やかな放物線を描き、つい伸ばしたヨミの手の中に収まる。それは、小さな本のように見えた。
開いてみると、木炭色の肖像画が描かれている。
幼子が、母と思われる女性のスカートの裾を引いていた。それは、幼い頃のトキだと、すぐに分かった。面影がある。
そして、赤子を愛おしそうに抱える女性と傍らのトキを、後ろから抱きしめるようにしている男性。
「――!?」
ヨミは、思わず息を呑んだ。
一瞬、自分の姿が描かれていると思ったからだ。それくらい、似ていた。
「俺、もう、何かを恨んで生きるの、やめにするから」
そう言って、トキは笑う。人懐っこい笑みだった。
ヨミも、顔を上げて笑みを返した。
長い旅をしたことを、いつか、妻や子に、話す時が来るだろうか。
そうしたら、この世界には、温かい人たちが沢山存在するということを、教えてあげたいと思った。
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クリエイターコメント | こんにちは。鴇家楽士です。 お待たせしました。ノベルをお届けします。 製作締切を少し過ぎての納品となってしまいました。申し訳ありません。
今回はお任せということでしたので、好き放題やってしまいましたが、少しでも気に入っていただければ幸いです。 ヨミさんの口調をどうするかで色々と迷ったりもしたのですが、少しでもPLさんのイメージに近いものになっていれば良いな……と思います。
それでは、ありがとうございました! |
公開日時 | 2009-07-18(土) 21:30 |
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