★ 恋愛白書〜らぶらぶ大作戦〜 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-4197 オファー日2008-08-20(水) 10:17
オファーPC 清本 橋三(cspb8275) ムービースター 男 40歳 用心棒
ゲストPC1 新倉 アオイ(crux5721) ムービーファン 女 16歳 学生
ゲストPC2 北條 レイラ(cbsb6662) ムービーファン 女 16歳 学生
ゲストPC3 サエキ(cyas7129) エキストラ 男 21歳 映研所属の理系大学生
ゲストPC4 クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
ゲストPC5 クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
ゲストPC6 スルト・レイゼン(cxxb2109) ムービースター 男 20歳 呪い子
ゲストPC7 ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
ゲストPC8 吾妻 宗主(cvsn1152) ムービーファン 男 28歳 美大生
ゲストPC9 コーター・ソールレット(cmtr4170) ムービースター 男 36歳 西洋甲冑with日本刀
ゲストPC10 流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
<ノベル>

▽ちゃぷたぁ1▽

「ふむ、事情はよっくわかった」
 しきりにうなずく清本橋三(きよもと はしぞう)に、若者は露骨に顔をしかめてみせた。何度もうなずく奴に限って、話の本質を理解できていないことが多い。特に「よく」を「よっく」と強調するような輩ならなおさらだ。
 疑わしげな眼差しを向ける若者に気づき、橋三は声を荒げた。
「お、俺だけでは不安だというのか?!」
 返事がないのは肯定ととっていいだろう。
 そして、その肯定をさらにひっくり返す手段を、橋三が持ち合わせていないのもまた事実だった。
「むぅ、仕方がない」
 橋三が懐から取り出したのは、なんと携帯電話だ。銀幕市で生活するうち、ついに最新の文明の利器を使えるようになったらしい。
 侍と携帯電話という組み合わせを見た若者が「ロボットでも呼び出すのかよ」といぶかしんだのは、さすがヲタクといったところか。
 そう、若者はヲタクであった。
 アニメとゲームを主食とし、コミックやコスも多少嗜む、どこにでもいる雑食系のヲタクだ。その彼がなにゆえ侍などに物事を頼むハメにおちいったのか。
 そもそも事の発端は、彼らの眼前で展開するムービーハザードだった。
 恋愛SLG(シミュレーションゲーム)の名作『恋愛白書〜らぶらぶ大作戦〜』を元にした実写映画が、銀幕市の片隅に実体化したのだ。そのフィールドに足を踏み入れた者は、例外なく映画の登場人物になってしまう。本来なら恐ろしくて誰も近づきたくない(セーラー服に身を包む髭のおっさん等を想像してもらいたい)ハザードに、喜々として首を突っ込むのもまた、ヲタクゆえであった。
「あいつらは、原作ファンなんだよ」
 数十分後、橋三の呼びかけに応え現れたメンバーの前で、若者は事情を説明しはじめた。
 若者の友人たち、計三名がハザードに飛び込んだのには理由があった。
 公開当時この映画版『恋愛白書〜らぶらぶ大作戦〜』は、原作であるゲーム版にはない設定が盛り込まれていたことにより、ネット上で激しく物議を醸した。ゲーム版ではメインヒロインであるはずの琴平茜(ことひら あかね)がなぜか主人公にフラれる役どころとなっており、逆にサブヒロインである琴平葵(ことひら あおい)が主人公と結ばれるラストだったからだ。
 琴平茜と琴平葵は、姓が共通していることからもわかるとおり、姉妹だ。ところが、二人は似ても似つかぬ対照的なキャラとして設定されており、『恋白』ファンは茜派と葵派にわかれ、長年熾烈な戦いを繰り広げてきた。この戦いの火種に、映画版は大いに油をそそいだのだ。
「ははーん。なるほどねー」
 ルイス・キリングが、したり顔で相づちを打つ。
 北條レイラ(ほうじょう れいら)がそれを聞きとがめた。
「ルイスさん、その『恋愛白書』とかいうゲームをご存知なのですか?」
 映画から実体化したルイスが、過去に流行ったゲームを知っているということが不思議に思われたのだ。
「はぁ? レイラったら『恋白』知らないの?」
 素っ頓狂な声をあげたのは、新倉アオイ(にいくら あおい)だ。
「でも、昔に流行ったゲームなのでしょう?」
「『恋白』は今でもBEST版で売ってたりするから」
 アオイに代わってクラスメイトPが答える。どうやら彼も『恋白』経験者のようだ。
 がしゃりと重々しい音が響いた。西洋甲冑であるコーター・ソールレットが身じろぎしたのだ。
「拙者は、葵たん以外は認めぬ! 茜派など言語道断!」
 どんと刀の鞘を地面に突き立てた。
 大半の人間が呆気にとられる中、スルト・レイゼンが何かに耐えるように唇を噛みしめ、ルイスが涙を流しながらコーターに両手を差し出した。
「同志よっ!」
 それだけで通じたらしい。コーターとルイスは抱き合いながら、お互いを称え合っている。
「あのぅ、話を戻していいかな?」
 若者が遠慮がちに声をかける。そもそも彼の存在すら忘れかけていた一同は、はっとした表情をつくり、照れ笑いですべてを誤魔化した。
「さっきも言ったけど、あいつらは原作ファンでさ。ことあるごとにアオラスが気にくわないって叫んでて」
「アオラス?」
 眉をひそめる流鏑馬明日(やぶさめ めいひ)に、吾妻宗主(あがつま そうしゅ)が解説を入れる。
「サブヒロインである葵がラストシーンを締めくくるからアオラスだよ」
「そのとおり。で、このハザードを発見したときに、なんとしてでもアオラスを変えてやるって……」
「アオラスこそは至高のエンディング! それを改ざんしようとは、さらに言語道断!」
「そうだそうだ!」
「あんたらが出てくるとややこしくなるから」
 身を乗り出すコーターとルイスを制して、サエキが質問をする。
「で、アオラスじゃなくなるとどう困るんだ?」
 若者は言葉に詰まり、あらぬ方向へ視線を飛ばした。どうやら友人たちの救出以外は何も考えていなかったらしい。
「おそらく……」
 代わりに口を開いたのは宗主だ。
「ゲームでのメインヒロインである茜が主人公と付き合うように内容が改ざんされると、このムービーハザードを穏便に解決することができなくなってしまうだろうね」
「ならば、あたしたちのやるべきことはひとつね。そのお友達を連れ戻して、無事にハザードを消滅に導かないと」
 決意をあらわすように明日が、ハザード空間をきっと見据えた。
「随分張り切ってるね」
 サエキが煙草をふかしながら言う。
「え? ま、まぁ、ね」
 言えない。アオラス云々までは知らないが、映画を見に行ったことがあるなんて、言えない。言ってしまえば、そばで興奮しているルイスやコーターと同類に思われてしまう。絶対に言えない……
「まぁ、どうせ暇だしいいけどよ。それより気になるのが……」
 サエキが、ちらりと視線を流した。全員の目がつられてそちらに流れる。
「なんで俺たちを呼び出した張本人が寝てるんだ?」
 途中から(むしろ最初から)理解することを放棄していた橋三は、地面にあぐらをかいて船をこいでいた。

「さぁ、いくぞ、皆の衆! 準備は良いか?」
 橋三が腰の刀に手を置きながら、緊張した面持ちで訊ねる。
「さっきまで寝てたくせに」
 ぼそりと誰かがつぶやいたが、橋三は故意に無視した。
「中に入れば、それぞれの役割も果たさねばならぬこととなろう。しかし、俺たちの目的はひとつ。ゆめゆめ忘れぬよう」
 まず橋三が目の前の不思議空間に飛び込んだ。つづけて、新倉アオイが、北條レイラが、サエキが、クラスメイトPが、スルト・レイゼンが、ルイス・キリングが、コーター・ソールレットが、吾妻宗主が、流鏑馬明日が、ハザードへと身を投じていった。
「はぁ、あんな奴らに任せて大丈夫なのかよ」
 若者はため息をつかざるをえなかった。友人たちが自らの意志でハザードに呑み込まれたとき、近くにあのお侍しかお節介焼きがいなかったことが、すでに不運の始まりだったのかもしれない。
 だが、不安の種はこれだけでは尽きなかった。
「キヨモトクーン!! ルスデン聞いたヨー!!」
 嗚呼、どこからか木霊する絶叫。
 白衣の殺人鬼が金槌を振り回しながら爆走してくる。
「ネェネェ、みんなはドコ?」
 息せき切らすクレイジー・ティーチャー(以下、CT)に、若者は震えながら『恋白』ハザードを指さした。
「先にお楽しみナンテ、みんなずるいヨー!」
 若者はあまりの絶望感に、がくりと膝を折った。



▽ちゃぷたぁ2▽

「番長、とな?」
 橋三は着心地悪そうに学ランの裾をひっぱったりめくったりしながら顔をしかめた。
 その様子を見て、部下たちが不安そうに顔を見合わせる。彼らはいわゆるモブキャラで、映画内での出番は少ない。台詞もないし、ただ番長のあとについていくだけの役割しか受け持っていなかった。
 そのため、今日も今日とて金魚の糞を決め込もうとしたのだが……
「番長とはどのような役職なのだ?」
 今日の番長はひと味違った。なにせ番長のくせに番長がなんなのか知らないと言うのだ。
「あの、その、ええっと、番長は番長としか言いようがねっス……」
 全員が口ごもる。なにせモブキャラだ。しゃべるのは得意ではない。
「要領を得ぬな。たとえば、番長とはどのような職責を負っているのだ? ああ、ええっと、つまりだな、どのようなことをするのだ?」
 惚けたような部下たちの顔を見て、あわてて言い直す。
「生意気な奴がいたらシメたり」
「他校から縄張りを守ったり」
「授業をサボったり」
「女子をからかったり?」
 赤裸々に日常生活を暴露する部下たちに、橋三は頭を抱えた。番長という役柄が理解できない。
「まぁよい。とにかく手下がいるのは心強い。まずは渦中の人物を確認しておくか。おい、琴平茜と葵という姉妹を知っているか?」
 部下たちがいっせいにざわついた。
「どうした? 知らぬのか?」
「い、いえ、今回ばかりはさすがに無謀じゃないかと……」
「ん? いったい何を言っているのだ?」
「な、なんでもないっス!」
 しきりに首をかしげながら、橋三番長は部下に連れられ琴平姉妹のもとへと向かった。
 彼は知らない。『恋白』の番長といえば、あらゆる女子に告白しフラれるキャラだということを。

「どうやら俺は生徒役のようだね」
 宗主は少し照れくさそうにしていたが、十年ぶりに袖を通したという学生服も、そつなく着こなしている。
「なんていうか、すっごく自然よね」
 そんな宗主を、アオイがぼうっと見つめていた。気づいた宗主がレディキラーな笑顔を閃かせると、あわてて目をそらす。
「別に見惚れてたりしないんだからね!」
「は、はぁ……」
 さすがの宗主も反応に困った。ツンデレは扱いが難しい。
 そこに、いかにも快活そうな雰囲気の少女が現れた。
「委員長、新倉、おはよう!」
 元気いっぱいに挨拶をしてきた彼女の名は、琴平葵。この映画のヒロインだ。
 委員長と呼びかけられ少し呆然とした宗主だったが、すぐに状況を理解し「おはよう、琴平君」と応えた。
「生徒役は生徒役でも委員長か」
 アオイに向かい小さくつぶやいて苦笑する。
 彼女は、それはそれで似合っていると思ったが口にはしなかった。それよりも今はこのハザード解決の方が優先だ。この琴平葵こそがキーパーソンなのだから。
「ねぇ、琴平」
 アオイが呼びかけると、葵は「ん?」と首をかしげた。そう、この二人、ともに名前が『あおい』なのだ。だから、名字で呼び合っている。
「今日は新平(しんぺい)とはいっしょじゃないの?」
 新平とはこの映画の主人公の名だ。新平と葵をくっつけることで、アオラスは達成される。
「え?!」
 みるみる葵の頬が朱に染まっていった。これはイケると思い、アオイはさらに追い打ちをかける。
「なーに、赤くなってんの? やっぱり新平と琴平って……」
 意味ありげにニヤニヤしながら、肘で葵の脇をつつく。おっさんとよく行動をともにしているせいか、動きがちょっとおっさん臭い。
「違うわよ!」
「ホントに〜?」
「ホントにホント! だって……」
 そこで葵が目を伏せる。
「新平はお姉ちゃんのことが……」
 ここだ! 今ここが重要ポイントだ! アオイの直感が告げる。葵は、姉の茜に遠慮しているのだ。ここで説き伏せることができれば――
 アオイが勢い込んで口を開こうとしたとき、どこかで聞いたことのある物音をひきつれて、騒がしい人物(?)が教室に飛び込んできた。
「才色兼備だが喧嘩っ早いのが玉に瑕ッ! 女子剣道部部長、コーター――いやいや、ターコ・ソールレット見参ッ!」
 鎧だ。
 ここまでの流れが一気に崩壊した。
「ターコってなによ?!」
 まずはその微妙なネーミングに、アオイがツッコむ。
「むぅ! 婦女子の名といえば、〜子が基本であるッ! ちなみに、漢字で書くと――」
「漢字なんて知りたくないわよっ!」
「しかし……女生徒役なんだね」
 次にその微妙なセーラー姿に、目をそらしつつ宗主がツッコむ。
 そう、彼は、いや彼女は、鎧のうえから、いやいや素肌のうえからセーラー服を着込んでいた。
「うむ! スカートというのはスースーするッ!」
 宗主は「いつも服なんて着てないんだから、スースーするも何もないだろうに」とツッコみそうになったが、すんでのところで呑み込んだ。いちおう、今はコーターも女性なのだ。女性に向かって「いつも全裸だろ」とは言いにくい。
「ぬおっ!」
 コーターのヘルムのバイザーがじゃこんと開き、その隙間で両目らしきものが、びがっと光った。眼光の先には、葵がいる。彼女はとっさに後じさった。
「あ、あ、あ、あ、葵たんッ! 生の葵たんッ!」
 がちゃがちゃと鎧が歯咬みする。コーターが感動のあまり震えていることに気づいた者がその場にいただろうか。いや、いまい。ふつうの者が見れば、さまよう鎧が女の子に襲いかかろうとしているようにしか見えない。
 宗主とアオイが、本能的にコーターに飛びついた。
「むっ! 委員長、アオイちゃん、いったい何を?!」
「早まっちゃダメよ!」
「俺には見過ごすことなんかできない!」
「ウルトラ意味がわからん?!」
 どたばたとやりあう三人と、それを唖然として見つめるクラスメイトたち。
 カオスに拍車をかけるように、唐突に窓ガラスが割れた。
「ボクの愛する葵に手ェ出すヤツは馬に蹴られテ――イヤイヤ、むしろボクがこの手でブチ殺してくれるワァ!」
 テンション高く窓を突き破って教室に乱入してきたのは、ヨレたワイシャツにズボン、それに金槌を手にしたCTだった。ガラスの破片が頭とか顔とか身体とかに突き刺さっているが、本人に気にした様子はない。
「ちょ! なんでクレイジー先生がいるの?!」
 アオイが素っ頓狂な声をあげる。彼がハザードに突入したのはアオイたちのあとであったので、知らないのも当然だ。
「お、お兄ちゃん!」
 葵が叫ぶ。どうやらCTは葵の兄役らしい。
「ちょっと! やめてよ、こんなところで金槌振り回すの!」
 葵が必死に止めようとするが、まぁ、基本的には聞いていない。
「なんとっ! CT殿は葵たんの兄役だというのかっ! スーパーうらやましい! ゆるせん!」
 コーターが地団駄を踏んで、どこからともなく竹刀を取り出した。さすが女子剣道部部長だ。
「てめぇカァ? 葵を狙ってイル奴はァ?!」
 CTも金槌をコーターに向ける。
「ふたりとも落ち着いて――」
 宗主が止めに入るが、コーターもCTもやっぱり聞いちゃいない。
「あたしの妖刀『村雨』の錆にしてくれちゃうぞ!」
 構える竹刀は、妖刀でも村雨でもないのだが、もはや誰もそこまでツッコむ余裕がなかった。
「ソレは、こっちの台詞だゼ!」
 CTも応じるように金槌を振りかぶる。
 コーターの竹刀とCTの金槌がまさに交わろうとしたその時、宗主の右手が竹刀を、左手が金槌を流水のごとき動きで受け止め、いなした。
「ぬをっ?!」
「わーお?!」
 振り抜いた勢いを別の方向に流され、コーターもCTも見事に宙を舞い、床にたたき付けられる。
 仰向けになったまま、きょとんとしているふたりに、宗主はにっこり笑って言った。
「もうホームルームの時間がはじまるからね。コーター君は席について、お兄さんは家に帰ろうか?」
「う、うむ……」
「ハ、ハイ……」
 そのときちょうどチャイムが鳴り、教室のドアが開いた。
「みなさん、席についてください。ホームルームをはじめますわよ」
 教室に入ってきたのはレイラだった。リクルートなスーツに身を包んだ彼女は、その年齢も相まって教育実習生のような趣だ。
「こ、これは……」
 普段からあまり動揺を表に出さない彼女も、さすがにこの教室の惨状には頬を引きつらせた。
「モウこんな時間かッ?! 愛する妹ヨ、今晩のオカズはハンバーグだからネ」
 CTがウィンクしつつ、窓から脱走する。コーターもすごすごと席に着いた。
「先生、ホームルームをはじめてください」
 あくまでにこやかな宗主に、やっぱり委員長には逆らうまいと、誰もが思ったのだった。

 真願寺新平(しんがんじ しんぺい)は映画版『恋白』の主人公だ。そもそもゲーム版の『恋白』には主人公など存在しない。プレイヤー自身が主人公であるからだ。しかし、映画版が制作されるにつけ、主人公にも名前が必要となった。そのときにプロデューサーらがつけたのがこの名前らしい。
「新平!」
 サエキが声をかけると、ひとりの生徒が走って近づいてきた。
「なんですか、先生?」
 爽やかというよりは、泥臭い感じで、流れる汗をユニフォームでぬぐっている。やはり優等生タイプでは主人公は務まらないということだろう。
「おまえさ、好きな相手とかいるの?」
 サエキの直球勝負に、新平はひどくうろたえた。
「ちょ、突然なに言ってんすか?! そんなことより、今は週末の大会の方が大事でしょ?」
「俺にとっちゃあ、明後日の後夜祭の方が大事なんだけどな……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない。練習に戻っていいぞ」
 新平が首をかしげながらグラウンドに戻っていった。彼は野球部員であり、サエキにあてがわれたのは野球部顧問の役だった。
「さて、どうするアルか」
 葵や茜の方は他のメンバーがどうにかするだろう。顧問として間近にいられる以上、サエキが担当すべきはこの新平だと考えていた。
 考え事をしながら無意識にジャージのポケットをさぐり、煙草とライターを取り出す。
 と、突然手首に悪寒が走った。
「グラウンドで煙草はやめたほうがいいわ。今は教師なんでしょう?」
 気配も感じさせずに、いつの間にか明日がサエキの手首をつかんでいた。
「どうしたの? そんなに驚いて」
 きょとんとしている明日とは反対に、サエキは顔を青ざめさせている。
「め、明日、その格好……」
 サエキに言われ、何かおかしいことでもあるのかと、明日は自分の姿を見回した。
 この学園の制服姿なので、少し恥ずかしいが、生徒役なのだろう。襟章から察するに三年生のようだ。別段おかしな点はないように思われる。
 心底不思議そうにしている明日に、サエキは決定的な一言を放った。
「明日、足、足!」
「え?」
 見下ろしてみると、足がない。あわてて額に手をやると、なにやら三角形の頭巾のようなものがあった。
「これって――」
 典型的な幽霊の姿である。
「――随分変わったファッションね」
 サエキは盛大にずっこけた。こういうノリは嫌いではない。
「それ、どう考えても幽霊だろ?!」
 明日は「え? なに言ってるの?」と困ったように笑っている。
 この後、十分ほど押し問答がつづき、先にギブアップしたのはサエキだった。
「わ、わかった。もういい……」
「サエキさんったら、おかしいわね。それより、あの男の子ね」
 明日が言っているのは新平のことだ。
「今のところ、妨害はなさそう?」
「そうだな。ずっと見張ってるけど、特に何もないな」
「あたし、彼と少し話をしてくるわ」
「へ? いや、それはやめた方が……」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
 再び不毛な押し問答がはじまりそうになったとき、ふらふらと校庭をさまようクラスメイトPの姿が見えた。
「あれ、クラスメイトPじゃないか?」
 これ幸いとサエキが話題を転換する。明日も「本当だわ」とそちらに関心を向けた。
 すると、クラスメイトPがものすごい勢いで駆け寄ってきた。
「明日さん!」
「は、はい?!」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕と付き合ってくださいっ!」
「え?」
 沈黙が落ちた。静寂と言ってもいいかもしれない。いっそ静謐でもOKだ。それくらい静かだった。
「うぅ、やっぱりダメなんですね。幽霊にまで相手にされないなんて。そうだ、どうせ僕なんか、誰も相手にしてくれないんだ。もうダメだ。いや、でもこれで諦めるわけには……逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃ――」
 はらはらと涙を流しながら、ぶつぶつ呟いているクラスメイトPを前に、明日はおろおろとするばかりだ。
 サエキがぽんと手を叩く。
「そういや、映画にいたな。やたらと女の子を口説きまくる軟派なキャラが」
「それって、彼に一番似合わない役なんじゃない?」
 明日がそう言ったときには、すでにクラスメイトPは次のターゲットに向かってばく進していた。サエキが止めようとしたが遅い。
 夕焼けの校庭に、クラスメイトPの告白と涙声が、いつまでも木霊していた。

 ルイスは今日も今日とて授業をサボっていた。
 ピアス、タトゥー、髪染め、まるで校則違反の見本市のような彼は、いわゆる一匹狼であり、たったひとりでも番長率いる不良軍団と勢力を二分する生徒だった。
 その彼が、学校の裏庭で猫に餌をやっている。他の生徒たちが見たら腰を抜かす光景だ。
「どうだ? 美味しいか?」
 夢中になって煮干しにかじりついていた猫が、にゃーと嬉しそうに鳴く。
「明日は文化祭だってよ。みんな、浮かれやがって」
 愚痴をこぼすルイスの口調には、一抹の寂しさが見え隠れしていた。不良少年の悲哀というやつだ。
 ルイスのいつものおちゃらけた言動はすっかり成りを潜めている。完全にハザードに呑み込まれ、当初の目的など忘れ去っているようだった。
 ざっ、と草を踏む音がした。
 ルイスは咄嗟に振り向き、そこに立つ人物を確認したのち、険しい表情をゆるめた。
「あんたか」
 包帯で顔を覆った、見るからにアヤシイ男だ。通常であれば、速攻で警察に連絡がいくほどの不審人物っぷりだったが、事情を知っている者たちにとっては――いやいや、やっぱり不審人物だ。彼と平気で口をきけるのはルイスくらいのものだろう。
「またここにいたのか。授業に出たらどうだ?」
 口ぶりから教師だとわかる。わかるが、包帯巻きでは本当にそうなのか知りようもない。
「授業なんてクソ面白くもないモン、出てられるかよ」
 いつもの台詞に、包帯男――スルトは苦笑して、彼の隣に腰を下ろした。
 彼らは猫を通じて知り合った。裏庭でお腹を空かせて鳴いていたこの猫に、期せずしてふたりとも餌を与えていたのだ。お互いにそのことを知って以来、生徒と教師の垣根を越え、友情をはぐくんでいる。
「なぁ、ルイス」
「ん?」
「おまえ、琴平葵のこと、好きだろ?」
「☆△□☆◇▽?!」
 解読不能な音を出しながら、ルイスは地面を転げ回った。
「だ、だ、だ、だ、だ、だ、だ、誰があんな奴のこと!」
 ようやく絞り出したが、ベタな言い訳だ。
「本当にわかりやすいな、おまえ」
 スルトもさすがに冷や汗を垂らしている。
「う、う、う、うるせぇ!」
「なぁ、ルイス」
 ここで、包帯の隙間から覗くスルトの両眼が、邪悪な光を放ったことにルイスは気づかない。
「俺はさ、本当は葵を幸せにするのは、新平じゃなくておまえだと思っているんだ」
 ルイスが固まる。あまりの衝撃発言に解読不能音を発することもできない。
「俺はおまえを応援してるんだ。葵に似合うのは新平ではなく、間違いなくおまえだ」
「そ、そうかな?」
 ようやく衝撃の波がおさまってきたのか、ルイスは顔を真っ赤にして頭をかいた。さっきまでの威勢はどこへ消えたのか。
「明日、文化祭だろ? 知ってるか? 後夜祭のフォークダンスで結ばれたカップルは幸せになれるんだ」
「し、しあわせ?」
「そうだ、幸せだ」
「ぶ、文化祭ってスバラシーな」
 ついさっきまで文化祭を小馬鹿にしていた男の発言とは思えない。しかも、なにを想像しているのか鼻血まで垂らしていた。
「俺、文化祭の準備に行く」
 握り拳までかためているルイスに、スルトは(包帯で見えないが)笑顔を向けて励ました。
 ルイスがその場を去ったあと、スルトは(やはり包帯で見えないが)にやりと唇を歪めた。温厚誠実を絵に描いたような彼に何が起ったのだろう。
 ルイスの映画内での役割は、ヒロインである葵への横恋慕だ。主人公の前に告白し、「他に好きな人がいるの」「あいつのことか?」みたいなやり取りから、クライマックスを盛り上げるための噛ませ犬として扱われる存在だった。その役にはまりこんでいるルイスは、本気で葵のことを慕っており、ハザード解決とはまったく反対方向に進もうとしていることになる。
 すると、彼をけしかけたスルトはどうなるのだろう。スルトの役どころは単なるモブキャラ教師だ。職員室の場面で、ちらっと画面にうつる程度の出演しかしない。
 ルイスをけしかけるスルトの意図はどこにあるのか。
「アオラスこそ至高のエンディングだと? 笑わせる」
 そう、彼は生粋の茜派だったのだ。ゲーム版のみを崇拝し、映画版に唾棄する。彼の目的はヲタク青年たちと同じだったのだ。
 ハザードの影響か、本来ならこのような邪悪な行動などとるはずもないスルトが、いかにも悪役っぽい高笑いをあげる。
「ハーッハッハッハ!」
 まさに獅子身中の虫。裏切り者を抱えた橋三たちは、無事にハザードを抜け出すことができるだろうか。

 明日に控えた文化祭の対策を練るため、宗主、アオイ、レイラ、コーター、サエキ、明日、スルトは放課後の教室に集まっていた。放課後特別補習という名目になっているため、誰にも怪しまれずに済んだ。怪しまれはしなかったのだが――
「ほら、見てよ。悲惨よね、二人だけの補習だなんて」
「アオイちゃんに、コーターちゃんね。あの二人よっぽど試験の成績が悪かったのね」
「コーターはわかるけど、新倉はちょっとショックだな」
 などと、廊下を通る生徒たちがささやき交わすから、たまったものではない。
「むぅ! コーターはわかるけど、とはどういう意味でござる?!」
 廊下に飛び出しそうになるコーターを、(二度目なので)慣れた手つきで宗主が押さえつける。
「コーター君、落ち着くんだ」
 宗主に捕縛され身動きできなくなったコーターが、ぽっと頬(?)を赤らめた。
「生徒会長ったら、スーパー積極的……」
 宗主は顔を青ざめさせると、ものすごい勢いでコーターから離れた。いつもは冷静沈着な宗主にここまでの反応をとらせるほど、不気味なオーラが鎧から放たれていた。
「はっ! 拙者、いま何を?!」
 我に返ったようにコーターが自分と宗主を交互に見る。どうやら、ハザードの役柄に呑み込まれたり呑み込まれなかったりを繰り返しているらしい。
「俺たちまでハザードに呑み込まれたりしたら意味がない。気を確かに持とう」
 わざとらしく咳払いをしながら、宗主が席に戻った。
「だけどさぁ、なんであたしとコーターだけいろいろ言われて、委員長はなにも言われないわけ?」
 この場には、レイラ、サエキ、スルトという三名の教師がいる。対して、アオイ、コーター、宗主の三名が生徒だ。アオイとコーターという生徒二名に対して、三名もの教師がつきっきりで補習しているところに、「あいつら、そんなにヒドイの?!」といった興味が集まっているわけだが。その中に宗主は含まれていないようなのだ。
 ちなみに、いちおう断っておくと、明日は他の生徒には見えていない。
「それは……宗主様が優秀な生徒だから、ではないかしら」
 レイラがしごくまともな意見を出す。宗主の学生服の襟元には、委員会にだけ許された飾りチェーン付き白銀の校章がきらめいていた。アオイもそれ以上は何もツッコめない。
「ま、そういうことだろうな」
 サエキが煙草をふかそうとして、またもや明日に止められている。
「それよりも、四名ほど足りないようだけど……」
 宗主が言っているのは、橋三、ルイス、CT、そしてクラスメイトPのことだ。
「ルイスは――」
 スルトが口を開いた。
「話しをしたが、完全にハザードの役にハマっていたぞ」
「彼はどういう役どころなのでしょうか?」
 レイラが訊ねると、「ヒロインに横恋慕する玉砕キャラだ」とスルトは肩をすくめた。
 スルト以外の全員が、やっかいな奴がやっかいな役にハマりやがって、という顔をする。
「クラスメイトPもすっかり役にハマってたな」
 サエキの言葉に、明日もうなずく。
「それを言うならクレイジー先生もね」
 アオイが付け加えた。
「そうなると、残った橋三様も同じようにハザードに侵されて、我を忘れている可能性がありますわね」
 自分から呼び出しておいて……と誰の顔にも書いてあったが、口に出さないだけの分別はあった。
「とにかく、原作ファンの子たちは、明日の文化祭で葵君と新平君を引き裂こうとするだろうから、まずはそれを阻止しなければね」
 宗主の提案に、アオイが疑問を呈する。
「こちらから働きかける必要はないかな? 琴平と新平をくっつける作戦を考えるとか?」
「もともとが葵君と新平君が結ばれるシナリオなのだから、妨害を排除すれば自然とそちらの流れになると思うよ」
「たしかにそうね」
「では、拙者は葵たんの警護を引き受けよう!」
 コーターが竹刀を床に突き立てた。気合い十分だ。
「俺は部活の関係もあるから、新平を引き受けようか」
 サエキがだるそうに手を挙げる。レイラもまた新平の護衛を買って出た。
「俺は葵君といっしょにいよう」
「あたしも!」
 宗主とアオイだ。
「あたしも新平君を警護するわ」
 明日がはりきって宣言すると、全員がそっとを目をそらした。理由のわからない明日は不思議そうだ。
「俺は独自の方法で動くことにする」
 スルトはこっそりと暗い笑みを流して、自らの仕掛けた計略の数々に身震いした。明日、アオラスは終局を迎える。『恋白』のヒロインは琴平葵などではなく、琴平茜なのだ。
 数々の思惑が絡み合う中、そもそも事の発端である橋三はといえば――
「こ、これで、何人目だ?」
 肩で息をしながら部下に尋ねる。
「番長、四十二人目っす!」
「あと何人おるのだ?!」
「押忍! ちょうど半分っす!」
 橋三は膝からくずおれそうになった。あと半分。その言葉がどれほどの精神的ダメージを彼に与えたか。
 息つく暇もなく、次の生徒が襲いかかってくる。橋三は殴りかかってきた拳をつかむと、そのまま背負い投げで相手をのした。
 もうかれこれ一時間以上喧嘩している。近隣の不良どもが学園に乗り込んできたからだ。こういうときに縄張りを守るのも番長の役目と言われ、渋々ながら不良どもを蹴散らしていた。
 この事件がのちに大きな災いとなって降りかかってくることに、このとき橋三は知るよしもない。そして、すべてがヲタク青年たちの策略であったことにも気づかずじまいだった。



▽ちゃぷたぁ3▽

 文化祭当日。
 各教室では様々なお店や展示会が催されており、校庭では有志による野外ライブが、体育館では演劇発表会が行われていた。もちろん、この日ばかりは学園も対外的に門戸を開いており、他校の生徒や保護者を中心に一般客で賑わっている。
「これじゃ、ハザードに紛れ込んじゃった人たちがどこにいてもわからないわね」
 アオイが油断なく周囲を警戒しながら言う。その手には、出店で買ったたこ焼きと焼きそばが乗っかっており、あまり説得力はない。「せっかくだから楽しむことも大事」とは本人談だ。
「彼らはどういう妨害をしてくるだろうね」
 宗主もまた、手を振る女生徒に軽く会釈しながら、葵の姿を見失わないようにしていた。
 彼はクラス委員長として文化祭を見回っていることになっている。だから、いろいろな場所に顔パスで潜り込むことができ、非常に便利だった。
「葵たんに襲いかかってくる輩は拙者が容赦なく斬り捨てるわよッ!」
「危ないから、竹刀を振り回さないでよ」
 アオイの注意に「すまぬ」とうなだれるコーター。
「実際、そこまで過激な手を使ってくるかな?」
「だって、琴平を拉致っちゃうのが一番手っ取り早くない? あたしならそうするな」
 さりげなく過激発言をするアオイに、宗主は思わず笑みを漏らす。
「な、なによ! ニヤニヤしちゃって!」
「いや、べつに。アオイ君らしいな、と思って」
「そ、そんなこと言われても嬉しくなんかないんだからね!」
「お二人は恋人のように仲がよいな。拙者、スーパーうらやましいわ」
 コーターの突如乙女台詞に、アオイがぶんぶんと首を横に振った。
「違うわよ! あたしが好きなのは――」
「好きなのは?」
 アオイが耳たぶまで真っ赤になった。その目は宗主にもコーターにも葵にも向けられていない。
「あれはクラスメイトP君?」
 体力も気力も限界といった様子で、ひたすら女の子に声をかけてはフラれているクラスメイトP。アオイは彼に熱い眼差しを向けていたのだ。
「あいつったら、またあんな無駄なことしてるのね」
 口をとがらせているのは、ヤキモチからか。
「ちょっと行ってくるわね」
 そう言い残すと、アオイは任務も忘れクラスメイトPのもとへ走っていった。
「青春。良い響きでござる」
「そうだね」
 ふたりが微笑ましくアオイを見送っている間に、その事件は起こった。絹を切裂く女子の悲鳴。
「しまった!」
 宗主とコーターはあわてて葵のもとへ向かった。
「こ、これは?!」
 人混みをかき分けて進むと、学ラン姿のおっさんが脳天に花瓶を乗せた状態で倒れていた。まるで学生探偵が解決する殺人事件の現場だ。
「橋三さん!」
「橋三殿!」
 宗主とコーターが同時に声をあげた。伏せっているのはまさしく橋三だった。
「俺としたことが不覚をとった」
 くらくらする頭を軽く振りながら、橋三はコーターと宗主に肩を貸してもらった。
 彼の話によれば、今日になりようやく葵を見つけ出し、いざ話しかけようとしたところ、校舎の三階の窓から誰かが花瓶を落とすのを発見したというのだ。咄嗟に葵をかばったのだが、いつもの癖で自分が花瓶を受けて、やられてしまったと。
「奴らはそこまでやるのかっ!」
 怒髪天を衝くとはまさにこのことで、コーターのヘルムの房飾りが怒りのあまり立ち上がっている。奴らとは原作ファンたちのことだ。
「それで葵君はどこに?」
「む? 俺が突き飛ばして――」
 橋三の顔が蒼白となった。確かに助けたはずの葵が、どこにもいない。
「まさか本当に拉致するとはね」
 普段は穏やかな宗主の瞳に、鋭い光が宿る。
「映画本編ではこのあとどうなるのだ?」
 橋三が訊く。
「このあと、意を決した新平が葵のもとへやってくるストーリーのはず。そこで、ふたりはウルトラ楽しいひとときを過ごし、明日の後夜祭での至高の告白シーンにつながるでござるよ」
「ということは、今日新平君が葵君を見つけることができなければ、告白シーンにはつながらないということか……手分けして葵君を捜そう」
「いや、待たれよ」
 橋三が余裕たっぷりにふたりを制した。
「俺に任せてもらおうか」
 彼はおもむろにポケットから笛を取り出し、空に向かって勢いよく吹いた。ピーっと、甲高い音が木霊する。すると――
「御用だ! 御用だ!」
 口々にそう叫びながら、学園内の不良たちが次々と集まってくる。その数まさに無限大。モブキャラの本領発揮だ。
「俺は番長という役らしくてな。手下がたくさんいるのだ。捕り物はお手のものだ」
「清本さん、彼らにいったいどういう教育を……」
 宗主はこっそり呟いた。
 
「おかしい」
 スルトは苛立たしげに教室内をうろうろしていた。
 彼の計画は完璧のはずだった。身の毛もよだつ恐ろしい策略のはずだった。それによって、新平と葵の仲は完璧に引き裂かれるはずだったのだ。
「おかしい」
 スルトはもう一度つぶやいた。
「あのぉ……」
 遠慮がちに手を挙げたのはでっぷり太った若者で、なぜかセーラー服を着ていた。
「なんだ? 配下C」
「僕はBです。Cじゃない」
 配下Cと呼ばれた若者は、不満げに反論した。
「そんなことはどうでもいい。それよりも今は作戦だ! なんとしてでも新平と葵を別れさせないと……」
「その件なんだけど、僕らは作戦の概要も知らされてなくて、成功しつつあるのか、失敗しつつあるのかもわからないんだけど。まぁ、先生の様子からすると失敗なのかなっと」
「なに? そうだったか?」
 スルトは今更のように「そうかそうか。そんなに聞きたいか」と奇妙な笑いを漏らしながら肩を揺らした。だんだんと役にのめり込んでしまい、ほぼ別人になっている。
「あまりの恐ろしさに気絶しても知らないぞ。まず、ひとつ――」
 スルトが指折りかぞえる。
「――新平と茜ちゃんを日直に任命してやった! これでふたりの親密度アップ間違いなしっ!!」
 しーん。
「ふたつめ。職員会議で、明日の後夜祭の係りの数を三つほど増やしてやった! これで新平と葵が同じ係りになる確率が減った!!」
 しーん。
「みっつめ――」
「先生、もうけっこうです」
「けっこうってなんだ! けっこうって! 最後まで聞――」
 喚き散らすスルトに配下Bは冷ややかな視線を向けている。
 この配下B。要するにスルトたちが助けに来たヲタク仲間のひとりだ。隠れ原作ファンだったスルトは、最初から彼らとは知り合いであり、協力して新平と茜をくっつけようとしていたのだ。
「なかなかイイ感じの悪役になってると思ったのに、スルトさん天然だからなぁ」
「なにか言ったか?」
「いえ、なんでもありません。それよりここは配下AとCの帰りを待ったらどうでしょう?」
 配下Bが提案する。配下AとCは、いまごろ葵を拉致監禁するという実力行使に出ているはずだった。それが成功すれば、もう新平と葵が付き合う可能性は限りなくゼロに近くなる。
「ささ、先生。胡麻団子でも食べながら、AとCの帰りを待ちましょう」
「そ、そうだな」
 スルトは勧められるままにテーブルについた。なにせ胡麻団子には目がない。
 彼らのアジトは胡麻団子愛好会の部室だった。

 クラスメイトPは名もない報道部員だ。先ほどもクラスメイトの女子に声をかけ、「あんた誰?」と言われたほど、影が薄い。
「うぅ、僕、なんでこんなことしてるんだろう」
 そういう役柄だから、とは本人にはわからない。なにせすっかり役になりきっているのだから。
 とん、と後ろから肩を叩かれた。
「またナンパしてんの?」
 振り向くと、アオイがいた。
「なんだ、アオイさんか」
「なんだとは何よ、なんだとは」
 ふくれっつらを見せるアオイに、クラスメイトPはため息をついた。
「アオイさんには僕の悩みなんかわらかないよ」
「なによ、その言い草!」
「だって、アオイさんはモテモテじゃないか。僕なんか、僕なんか……」
 涙ぐむクラスメイトP。
「あんた、どんだけネガティブキャラなのよ!」
 わざわざアオイがクラスメイトPのことを捜し出した事実に、彼はまったく気づかない。鈍感そのものだ。
「ほら、涙ふいて」
 アオイがハンカチを差し出し、クラスメイトPがそれを受け取ろうとして……
「ふぎゃっ!」
 思いっきり誰かとぶつかった。運悪く、そのまま石ころにつまづき、屋台の列につっこむ。盛大に水がしぶき、クラスメイトPは頭から金魚すくいのプールに飛び込んだ。
「ちょ、大丈夫?!」
 あわててアオイが抱き起こそうとする。しかし、彼は思いも寄らぬ凄まじい勢いで自ら立ち上がると、頭に金魚を乗せたまま遠くをキッと見据えた。
「どうしたの? 頭でも打っておかしくなっちゃった?」
 おそるおそる訊ねるアオイに対し、クラスメイトPは真剣な口調で訊ね返した。
「アオイさん、さっきの女子、誰だか知ってる?」
「さっきの女子?」
「僕にぶつかった子だよ」
 よくよく思い出してみる。彼にぶつかったのは、女生徒を抱きかかえた女生徒だった。女子を抱えて走る女子なんて、よっぽど奇妙な取り合わせだ。
「あれ? 抱きかかえられてた方って、もしかして――」
 アオイが言い終わる前に、クラスメイトPがふたりを追って走り出した。
「――琴平?!」
 たしかに連れ去られていたのは葵だったのだ。
 
 そのころ、レイラとサエキ、そして明日は校舎裏で息を潜めていた。もちろん、教師ふたりがこのような状態でいるからには理由がある。
「ここは邪魔をした方がいいのか?」
「それは無粋というものでしょう」
 サエキとレイラが囁き交わす。彼らが見つめる先には、映画の主人公である新平と、ゲーム版ヒロインであり、葵の姉である茜がいた。
「大丈夫よ。原作ファンの子たちの邪魔さえ入らなければ、このあと新平が茜をふっちゃうから」
 明日が(実は隠れなくても問題ないのだが)校舎の陰からそう言った。
「やっぱり映画を見たことがあるんだな……」
 サエキの発言を意図的に無視する明日。
「あ、茜さんが泣きながら立ち去りましたわ」
「ここで俺たちの出番だな」
 サエキの言うとおりだった。映画内では、ここで部活顧問が新平の背をそっと押すのだ。それによって勇気を得た主人公はヒロインのもとへ向かうのだ。この説得で、新平の迷いをただせるかどうかが勝負の分かれ目だ。
「わたくしも行きましょう」
 レイラがサエキのあとを追う。
「あ? 俺ひとりでいいけど」
「これから大切な生徒と話をするというのに、煙草をふかしているような先生には任せきれませんわ」
 にっこり笑って、サエキの唇から煙草を取り上げる。有無を言わさない迫力の笑みに、サエキは「ま、いっか」とあきらめた。結局そのあたりはどうでもいいようだ。
「じゃあ、バケツとってくる」
「バケツ?」
 新平は呆然と空を見上げていた。茜に告白されて嬉しくなかったわけではない。だが、それ以上に、自分の葵への想いを確信してしまったのだ。
 唐突に背筋が凍った。まるで冷水を浴びせられたような――
「なにしてんすか、先生……」
 半眼でふり返ると、空のバケツを持ったサエキがいた。
「よぉ、頭は冷えたか?」
「んなことしなくても、じゅうぶん冷えてますよ。ま、先生の奇行には慣れてますけどね」
「頼もしい言葉ですわね」
 そこでレイラが後ろに控えていることに気づいた。
「北條先生まで。どうしたんです?」
「すこし、新平君とお話しがしたいと思いまして」
 新平とサエキ、レイラは校舎の壁に背をもたせかけて座った。
「茜さん、泣いていましたわね」
 レイラの言葉に、新平はつらそうな顔をした。「俺のせいです」とつぶやいて、うつむく。
「わたくしも、学生時代にフラれたことがあります」
 レイラの告白に新平が目を丸める。
「北條先生でもフラれることあるんですか?」
「ありますわ。だって、好きになった人が必ずしも自分のことを好いてくれるとは限りませんもの。でも、今になってふり返ってみれば、フラれてよかったとも思いますし、告白してよかったとも思いますわ。どちらも後悔するよりはマシですもの。そうでなくって?」
 レイラが優しく微笑むが、新平はまだ下を向いたままだ。
「新平君」
 実はずっとそこにいたものの、当然気づかれずにいた明日が、新平の肩に手を置く。当然すりぬける。当然幽霊が触れられるはずがない。
「今日は疲れてるのかしら」
 明日はその一言ですべてを済ませた。
 新平が身震いした。
「いまちょっと悪寒がしたんですけど……」
「そ、それはサエキ先生が悪いわ。頭から水をかけられたんですもの」
「女の人の声も聞こえたような……」
「き、気のせいですわ」
「なにをそんなにあわててるんです?」
「べ、べつに。ね、ねぇ、サエキ先生?」
 サエキは物憂げに考え事をしている様子だったが、遠くを見つめたまま、ぽつりと必殺の一撃を口にした。
「俺にも、いるぞ。彼女」
「なっ――」
 しばし絶句する新平。その衝撃は海よりも深く、山よりも高かったようで、正気に戻るまで数秒かかってしまった。
 ようやく絞り出すように、
「先生、こんなに変な人なのに彼女いるんですか?!」
 ものすごい失礼な物言いだったが、サエキ自身は気にもしていない。飄々としている。肯定も否定もせず、にやりと笑った。
「俺、葵のとこに行ってきます!」
 新平ががばっと立ち上がった。
「俺、やれるような気がしてきました! 先生のおかげです!」
「ま、がんばるアル」
 新平は元気よくうなずくと、葵のもとに駆け出していった。
「なんとなく納得いかない展開だわ」
 明日は柳眉をひそめて不機嫌そうだ。
「そもそも、新平君ったらあたしの話しを聞かないし」
 聞かないのではなく、聞けないのだが。
「これでよかったのでは。彼が勇気を出すことができたのですから」
「それはそうだけど。ねぇ、ところで、さっきの恋愛話はどこまでが体験談でどこまでが作り話なの?」
 明日が事情聴取でも行うようにさりげなく訊く。レイラは教師役をしているが、実年齢は十六だ。学生時代の話しとなると……
「さぁ、どうでしょう」
 レイラはにこやかに受け流した。
「それよりも何か起こったようですわ」
 レイラが指さす先で、クラスメイトPとアオイが懸命に走っていた。



▽ちゃぷたぁ4▽

 胡麻団子愛好会の部室に、最初に到着したのはクラスメイトPとアオイだった。
 勢いよくドアを開けたアオイとクラスメイトPの目に飛び込んできたのは、逃げだそうと暴れる葵と、手を焼いている感のある配下A、B、Cと、スルトだった。
「スルト先生?! これってどういうこと?」
「あ、いや、これは……」
 見つかってしまい慌てふためくスルト。クラスメイトPが果敢にも前へ進み出る。
 咄嗟に、配下Cが葵の喉元に楊枝を突きつけた。さっきまでスルトが胡麻団子を食べるのに使っていた長めの楊枝だ。
「動くな! う、動くと、こいつを突き刺すぞ!」
 配下Cの声はうわずっている。彼は葵の頭上に花瓶を落とした犯人だ。もちろん当てるつもりはなく、地面に落とすつもりで落とした。人々の注意をそちらに引きつけるためだ。
 つまり、橋三の行為はまったくの無駄だったと言える。放っておいても花瓶は葵に当たらなかったのだ。しかし、当初の意図とは微妙にずれてしまったものの、配下Cの目的は達成できた。生徒たちの注意が橋三ひとりに集中したからだ。
「さすがにそれはマズくないか?」
 冷静に配下Cをたしなめているのは、セーラー服姿の配下Aだ。彼は、衆人の関心が橋三と花瓶に集まった瞬間に、葵を連れ去った人物だ。ヲタクにしては筋力に自信があったので、葵を抱きかかえて走ることに問題はなかった。
 緊迫した空気の中、クラスメイトPは毅然とした態度で原作ファンたちの前に立った。
 彼の行動次第では、肉弾戦もやむをえない。その場にいた全員が背筋に冷たい汗を感じていた。
 クラスメイトPは裏切り者のスルトなど気にも留めず、ただ葵たちの方を見て、こう言い放った。
「ひ、ひ、一目惚れです! つきあってください!」
 アオイががっくりと肩を落とす。
「いきなり追いかけだしたから、葵を助けるつもりかと思ったわ。ってゆーか、これじゃ、琴平と新平をくっつけるって目的とまったく逆じゃないの」
 あまりに場違いなクラスメイトPの行動に、葵も混乱している。
「あの、えっと、私は――」
 だが、そこでクラスメイトPは「君じゃありません」ときっぱりさえぎった。
「え?」
 彼の視線が注がれる先には――
「へ? 俺?」
 配下Aがいた。
 彼は確かに割り振られた役柄上セーラー服に身を包んでいる。包んではいるが、男だ。断じて男だ。
「あの、俺、男なんだけど……」
 ひかえめに主張する配下Aに、「そ、そんな回りくどい断り方をしなくても……」と、別の意味でクラスメイトPは涙目だ。
「いや、ホントに男なんだって」
「ほ、本当に?」
 配下Aはけっこう必死にがくがくと首を振った。
 と同時に、床に泣き崩れるクラスメイトP。
「男に告白して、さらにフラれるなんて、僕っていったい……」
「いや、フラれたとこは気にしなくていい、というよりむしろ気にしちゃいけないとこだと思うけど」
 配下Aにツッコまれる。
 とにもかくにも、クラスメイトP撃沈。
「こうなったら、あたしがやるしかないみたいね」
 アオイはスルトらを糾弾すべく、意を決した。ここで葵を助け出さなければ、ハザードは無事に解決しない。
「あんたたちね、映画のラストを変えちゃおうって奴らは」
「ラストを変えるんじゃない。元に戻すだけだ」
 配下Bが心外とばかりに声を荒げた。
「スルト先生も、同じ意見だったってこと?」
「アオラスなど反吐が出る」
 スルトは包帯の裏で笑ったようだった。すっかり悪役が身に付いている。配下たちからは歓声が上がった。
「アオラスとかアカラスとか、知ったこっちゃないわ。ただ、あんたたちのせいで迷惑してる人たちがいるってこと。琴平は返してもらうわよ」
 とは言ったものの、多勢に無勢だ。しかも、相手は全員男子で、こちらは女子。クラスメイトPは失意のあまり真っ白のまま座り込んでいて、役に立ちそうもない。
 さてどうしようかと悩んでいたところに、威勢の良い気合いといつもの金属音がなだれ込んできた。
「才色兼備だが喧嘩っ早いのが玉に瑕ッ! 鉄の剣道部長、コーター・ソールレット見参ッ! 葵たんを攫ったのは貴殿らかッ!」
 橋三の手下たちの連絡を受け、真っ先に到着したのがコーターだった。
「もうすぐ橋三番長もここに到着いたす。観念するがよいッ!」
 そう言って竹刀を構えるコーターは、いつになく頼りがいがある。
「コーター! 助かったわ」
 アオイが諸手を挙げて喜ぶ。いざ肉弾戦となれば彼ほど力強い味方はいない。
「なんだ?! 鎧が動いてる? しかもセーラー服?!」
 配下Bの台詞に、コーターが敏感に反応した。
「むぅ、このポニテが見えぬのか! 拙者は立派な女子高生ッ!」
 コーターが指さしているのはヘルムの房飾りだ。まぁ、ポニーテールに見えないこともない。
「さぁ、葵たんに向けたそのウルトラ薄汚い楊枝を捨てるがよい」
 竹刀の切っ先で牽制され、さすがに配下たちも動揺した。茜をヒロインにするという野望に燃えてはいても、しょせん彼らはただのヲタクだ。戦闘力などゼロに近い。
「ここは俺の出番だな」
 スルトだ。ただの教師役なので邪術や呪いのたぐいは行使できないかもしれない。それでも、コーターに比肩する力を持っているとしたら彼しかいないだろう。
「スルト先生殿?! なぜ、我々の同志たる貴殿が――はっ?! まさか!」
「そのまさかだ」
「……なるほど、たしかにその方法もある」
「その方法?」
 『まさか』が、どんな『まさか』なのかいったいぜんたい判然としないまま、会話が進む。
「スルト先生殿がそこまで考えていたとは」
「そこまで??」
「拙者、ウルトラ感服つかまつった! かくなるうえは拙者も協力することやぶさかでなしッ!!」
 なぜかあっさり身を翻して、スルトの隣に移動するコーター。竹刀の切っ先はもちろんアオイに向けている。
「ちょ、何やってんのよ、コーター!」
 アオイが食ってかかるも、コーターは「つーん」などと言いながらそっぽを向いた。
「ど、どういうつもりだ?」
 小声で訊ねるスルトに、コーターも小声で返す。
「スルト先生殿、拙者にはわかっておりますぞ。みずから巨悪を演じることにより、わざと彼女らに討たれ、事態を納めようという魂胆。スーパー立派でござる」
 ものっそい勘違いだ。
「いやいやいや、全然ちが――」
 素で訂正しようとしたスルトを、配下Aが止める。「スルトさん、ここはアカラスのために彼を利用した方が得です」と耳打ちした。
 なるほどと手を打って、スルトはコーターとかたい握手を交わした。
 なんだか違う意味で、コーター撃沈。
「あたしにどうしろって言うのよ」
 なぜか敵がひとり増えてしまった状態に、アオイは頭を抱えた。
 クラスメイトPは、ついには床に伏せっていた。やはり動き出す様子はない。
「ヒャッホォゥイ!!!」
 唐突に、部室の窓ガラスが割れた。
「この登場の仕方は?!」
 アオイの胸に希望がわいた。彼は葵を溺愛しているはずだ。だったら、裏切って敵側につくこともない。スルトやコーターとも互角にわたりあってくれるだろう。
「ボクの愛する葵に手ェ出すヤツは馬に蹴られテ――イヤイヤ、むしろボクがこの手でブチ殺してくれるワァ!」
 どうやってこの場所を嗅ぎつけたのか、葵の兄であるCTの登場だった。
「お兄ちゃん、なんでここに?」
「ボクの妹センサーをなめてもらっちゃあ困るナ。どこにいても、がっちりキャッチ! 愛ゆえニッ!」
 ガラスの破片で血だらけのまま、ぐっと親指を突き出す兄を、妹はきっと睨みつけた。
「そういう意味じゃないわよ! お仕事はどうしたの?」
「アウッ!」
 見えない弾丸に撃ち抜かれたかのように、CTが胸を押さえる。
「ホラ、仕事なんかヨリ、葵のホウが大切だったり――」
「そんなことだから、いつまでたっても、お兄ちゃんは定職に就けないんでしょ!」
「アウッ!」
 次々と浴びせかけられる愛の鞭に、CTのハートがズタボロになっていく。その様を、敵も味方も「うわー」といった同情の目で生暖かく見守るしかなかった。
 三分経過。
 ようやく落ち着いた葵が「ごめん、言い過ぎちゃった」と口を閉じると、ようやくCTの顔に生気が戻ってきた。いや、もともと生気などないのだが。
「クックック。効いター、愛の目覚めーッテね。サァ、とにかく葵を放してもらオウカッ!」
 ちょっと無理をしながらCT復活。
「ど、どうする?」
「返してやってもいいんじゃね?」
 敵からまですっかり同情票が集まっていた。
「そのようなこと、許されるはずもないッ! まだ巨悪として倒れるべき時ではないぞ」
 コーターが竹刀をかまえた。
「昨日は邪魔が入ったケド、今日コソは決着をつけてやるゼ」
 CTも金槌をかまえる。
 まさに一触即発。そこへ、配下Aが口を挟んだ。
「お兄さんは、このまま葵さんを自由にしていいと思ってるんですか?」
「ン?」
 配下Aはさらに続ける。
「ここで自由にしたら、葵さんは新平のもとへ行ってしまうんですよ」
「チョ、それ、ボク、聞いてナイヨ?!」
 動揺のあまりCTの身体が震える。
「チ、チ、チ、チガウよな? お兄さん以外に好きなヤツがイルなんて、ソンナの間違いだヨナ?」
 すがるように言い募る兄に、妹は頬を赤らめてうつむいた。それだけで十分だった。
「ノォォォォォォォッ! この世にカミは存在しないのカッ!」
 取り落とした金槌が、まるでCTの胸中を代弁するかのように、乾いた音をたてた。
「ボクは、これから、なにを信じて――」
 そのまま、クラスメイトPの真横に倒れ込む。リアルorz体勢のまま、しくしくと動かなくなった。
 妥当な展開で、CT撃沈。
「なんでこう微妙なメンバーしか助けに来ないのよ……」
 アオイはもういっそ泣いてしまいたい気分になった。
 バンと扉が開いた。
 アオイの顔が希望に輝き、一瞬で絶望に沈んだ。扉の向こうに立っていたのは、ギターをかついだルイスだったからだ。
 アオイはとにかく疲れたので、そこらにあった椅子に腰掛けて傍観することにした。
「これはいったいどういうことだ?」
 ルイスから本気の敵意を向けられ、スルトは平然と答えた。
「おまえだって、葵と新平が付き合うことになったら困るだろう?」
「だからって、こんなことしていいはずねぇだろ?」
「『恋白』のヒロインは茜なんだ。断じて葵などじゃない。そのためだったら、俺は……」
「それがあんたの本心か?」
 スルトは答えない。いや、答えられないのだ。ルイスの気迫が凄すぎて。
「『恋白』だか、ヒロインだか、なんのことかわからねぇ。わからねぇが、こんなことあんたがやるようなことじゃないぜ」
 すっかり役にハマりこんでいるルイスは真剣だ。端で見ていたアオイも、意外な流れに少しだけ期待してみる。
「俺は知ってるんだ。あんたは、こんなこと本気でできる人じゃねぇ。あんたは優しい人だ。こんな俺にも普通に接してくれた――唯ひとりの『先生』だ」
 なんということだろう。ルイスの心からの言葉に、その場にいた全員が感動していた。涙すら流している者もいる。アオイなどは「いっそこのままずっとこのハザード内にいた方がルイスのためなんじゃないかしら」と思ってしまったほどだ。
「ルイス……」
 スルトが泣いていた。顔を覆っているのではっきりとはしないが、目のあたりの包帯が濡れているので、そうなのだろう。
 ルイスがギターを手にした。
「俺の作った歌を聴いてくれ。先生のために作った歌だ」
 そして、どこかで聞いたことのあるようなメロディーが流れ出す。ルイスはストリートミュージシャンをしている設定だった。設定とは恐ろしいもので、ルイスでもギターが弾けている。
「俺と〜先生が〜出会ったきっかけは〜猫の餌〜」
 歌詞はともかく、なんとも綺麗な歌声だった。歌の力は銀河を駆けるというが本当らしい。
 誰もが、配下たちまでもが、胸に迫る感動にすべての悪意をなくしてしまった。
「……すまない、ルイス。俺が間違っていたよ」
 歌を聴き終わったスルトが、素直に謝罪した。本来の彼に戻ったといったところか。
「俺たちも間違ってたっす」
「こんなことをして、ごめんな」
 配下A、B、Cも口々に反省して、葵を解放した。
 ルイスの前に立つ葵。
「ありがとう。ルイス君」
「礼なんていいんだ。俺は――俺は――」
 ルイスは積年の想いを伝えようと、勇気を振り絞った。走馬燈のように、葵との思い出がよみがえる。たいていは、葵のことを悶々と陰からストーカーしているシーンだったが。
「俺は、おまえのことが好――」
「じゃ、あたし、新平のとこに行かなくちゃ」
「へ?」
 さらりとルイスの脇をすり抜けて、映画のストーリーに忠実に、主人公のもとへと走るヒロインだった。
 ルイスが、砂上の楼閣のごとく、がらがらと崩れていく。終わった。すべてが終わってしまった。
 予想通りに、ルイス撃沈。
 なんだかすごく気まずいものを目撃した気がして、全員が一分ほどルイスに黙祷を捧げた。
 最初に正気に返ったのは、配下Aだった。
「なんだかうやむやなうちにアオラスに進んでるぞ!」
 配下BもCも、はっとした表情をつくる。しかし、スルトは静かにかぶりを振った。
「もうよそう。自分たちの都合で他人の恋路を邪魔しようなんて、俺たちが間違ってた」
「スルトさんが正気に戻ってる?!」
 コーターもまた「巨悪は討たれた。偉大なる歌声によって」などと詩人になっていた。
「しょうがない、俺たちだけで行こう」
 配下三人が部屋を出て、葵を追いかけようとしたとき、立ちはだかる人影があった。本当に影だったので、三人は腰を抜かして床にへたりこんだ。
 目をこらしてもよく見えない。目をこすってもよく見えない。眼鏡をはずしても――そりゃ見えない。
「アナタたち」
 しかも、影がしゃべったものだから、逃げまどうしかない。
 影が迫ってきて、彼らを捕まえる。触れられた部分から、全身に悪寒が走った。
「ひぃ! お助けを!」
「ナムアミダブ、ナムアミダブ」
「あ、悪霊退散!」
 それぞれに有効だと信じていた行為を実践してみたが、効果はなかったようだ。彼女に触れられたからか、明確に姿を認識できるようになった。
 学園の制服を着用しているが、ついでのように頭に三角頭巾までつけている。古来からの習わしどおり、足がなかった。
「なにをそんなに怖がっているの? 警察手帳を見せてもいないのに、刑事だってバレたのかしら」
 本人は呑気にそんなことを言っている。
「あ、あ、足が、足が……」
 配下たちが息も絶え絶えに明日の足下を指さす。それを受けて、明日も下を向き、「何もないじゃない」と平然と答えた。「何もないから、問題なんじゃないかっ!」というツッコミはガン無視だ。
「もうしません! もうしませんから、あの世に連れて行くのだけは勘弁してください!」
 両手をすりあわせる配下Cに、小首をかしげる明日。
「あなたたち、未成年でしょう? 連れて行ったりしないわ」
 最近の幽霊は年を気にするらしい。いや、地獄にも年齢制限ができたのかもしれない。
「まぁ、いいわ。アナタたち、ちょっとそこに座りなさい」
 全員が、言われてもいないのに、正座する。
「殊勝な心がけね。あたしは銀幕署の刑事よ」
 手帳を見せようとしたが、学園の制服にそんなものは入っていなかった。一方、ヲタクたちは、「学園に潜入操作中に殉職した刑事か?!」などと勝手な憶測を話し合っている。
 明日は腕を組むと、「そもそもアナタたちは、自分の身勝手で、どれだけ多くの人たちに迷惑をかけたと思っているの」と、淡々とお説教をはじめた。
 そこにレイラとサエキが遅れてやって来た。
「明日様、とても足が速いですわね」
「そもそも足がないしな。つーか、壁とか普通にすり抜けていくし」
「ふたりとも、ちょうどよかった。こっちを手伝ってよ」
 アオイが呼んでいる。
「こいつらを復活させるの手伝って」
 ため息の原因は、クラスメイトP、CT、ルイス、三体の魂の抜け殻だった。
 そのころ、そもそも事の発端である橋三はといえば――
「こ、これで、何人目だ?」
 肩で息をしながら部下に尋ねる。
「番長、八十九人目っす!」
「あと何人おるのだ?!」
「押忍! ちょうど半分っす!」
 橋三は膝からくずおれそうになった。あと半分。その言葉がどれほどの精神的ダメージを彼に与えたか。
「橋三君、がんばろう。これも学園のためだ」
 襲いかかってきた生徒のみぞおちに当て身を食らわせ気絶させつつ、涼しげな顔で宗主が言った。
「確かに。ここで俺たちが負けては、文化祭がめちゃくちゃになってしまう」
 昨日に引き続き、近隣の不良どもが学園に乗り込んできたのだ。しかも、昨日のお礼とばかりに、数が倍に増えている。いっしょにいた宗主が手伝ってくれているものの、実質昨日と同じ人数を相手取っていることになる。
 拉致された葵を助け出すどころではない。
「どうやら、学園を襲うように、誰かに吹き込まれたようだね」
 腕をひねりあげて捕らえた不良から事情を聞き出したようだ。
「いったい誰が……と、考えるまでもないか」
「きっと原作ファンの子たちだろうね。たしかゲーム版のバッドエンディングにこういうのがあったと思うよ。他校の生徒たちが乗り込んできて、後夜祭がめちゃくちゃになるんだ」
「後夜祭? 今日は文化祭のはずでは?」
「だから、明日が本番だろうね、この襲撃も」
 橋三は覚悟を決めたように学ランのポケットから布きれを出すと、鉢巻代わりに頭に巻いた。



▽ちゃぷたぁ5▽

 学園の文化祭は、後夜祭のシメに行われるフォークダンスで最高潮を迎える。
 夕暮れが迫るころ、校庭の中央にくまれた薪に火がくべられた。学校行事の一環であるため、とっぷりと日が暮れてからでは、生徒の帰宅が遅くなってしまうからだ。
 真っ暗な夜空に火の粉が舞い上がる様も美しいが、夕焼けの赤に、炎の赤がとけ込む景観もまた美しかった。
 文化祭実行委員が陣取る簡易テントに設置されたスピーカーが、なめらかにオクラホマミキサーを歌い上げる。生徒たちは皆、男女に分かれて輪を作った。そこに、学年の垣根はない。ただ、意中のお相手の近くに並ぼうと、一部の者たちがこそこそ動いていた。
 後夜祭のフォークダンスで結ばれたカップルは幸せに慣れるという言い伝えがあるからだ。
 レイラとサエキは教師という立場から、フォークダンスに参加もせず、遠くから教え子たちを見守っていた。
「葵さんと新平君、楽しそうに踊っていますわね。よかったですわ」
 昨日、あれから葵は無事に新平のもとへたどり着けたようで、ふたりはハニカミながらも、しっかりと手をつないで踊っていた。
「これで、ハザード解決だな」
 またもや煙草を取り出すサエキを「ハザードが消滅するまでは、まだ教師ですわよ」とたしなめる。
「他のみんなは?」
 サエキはしぶしぶ煙草をしまい、訊ねた。
「橋三様たちはなんだかやることがあるとかで」
「自分から呼び出しといて、最後までなんの役にも立ってないな、あの人」
「そうでもないですわ。橋三様はもともと斬られ役。縁の下の力持ちですから、わたくしたちの知らないところできっとご活躍なさってますわ」
 サエキは「ふーん」と興味なさそうだ。
「あれって、アオイとクラスメイトPじゃねぇか?」
「あら、本当」
 アオイがいかにも強引に、クラスメイトPをフォークダンスに誘っているのが見えた。最後にはアオイがクラスメイトPを引きずるようにして輪に入っていった。
 それと入れ替わりに、踊りの輪の方から明日がやってきた。浮かない足取り(?)だ。
「原作ファンの子たち、反省してくれたみたい」
 サエキもレイラも「あの調子で三時間近く説教されたら、誰でも反省するだろう。相手が幽霊ならなおさら」という台詞をすんでのとろこで呑み込んだ。
「明日様、なんだか気落ちなさってるようですわ。どうかされたのですか?」
 レイラの気遣いに、明日は苦笑しつつ「せっかくだからと思って、フォークダンスに参加してみようかと思ったのだけど、誰も相手してくれなくて。やっぱりおばさんじゃ無理ね」と肩をすくめた。
 そもそも誰にも見えてないのだから、相手にされなくて当たり前だ。十九の若さで、おばさんと自嘲する明日のメンツのためにも、そこは説得したいところだが……
「明日様は幽霊役なのですよ。皆に無視されて当然ですわ」
 レイラが果敢にも挑戦する。サエキはもう諦めている。
 明日は少しだけ眉をひそめたあと、
「レイラさんったら、面白い冗談だわ」
 ころころと笑って誤魔化した。ハザード消滅まで、長い戦いになりそうだった。

「番長とは、弱きを助け強きを挫く者らしい……さながらこの学び舎の用心棒だな」
 橋三はひとりごちて竹刀の柄を強くにぎりなおした。彼の前には、後夜祭をめちゃくちゃにしようと学園に集まってきた不良どもがわんさかいる。モブキャラ大集結だ。
「それは生徒会長の役目でもあるね」
 ふり返ればそこに宗主がいた。
「宗主殿……」
「俺だけじゃないさ」
 宗主だけではない。コーターも、ルイスも、CTも、スルトまでもが戦闘準備万端で立っていた。
「巨悪とは、倒されたあとに、主人公の味方として再登場するものッ!」
 コーターがスカートを風になびかせながら、見栄を切った。
「葵が新平のことを好きなら、ふたりの邪魔をする奴らを俺はゆるさねぇ」
 このハザードが消滅しても、今のままのルイスでいて。何人がそう思ったことか。
「右に同じダヨ、キヨモトクン」
 CTはただ妹を彼氏に奪われた鬱憤を晴らしたいだけかもしれない。
「俺も戦う。みんなに迷惑をかけてしまったから」
 スルトはすっかり悪役から足を洗ったようだ。
「かたじけない。さぁ、いくぞ、皆の衆! 準備は良いか?」
 橋三が竹刀をかまえ、緊張した面持ちで訊ねる。
 全員が心を一つにうなずいた。

 数時間後、凄惨な戦いの幕引きとともに、映画『恋愛白書〜らぶらぶ大作戦〜』が実体化したハザードは消滅した。
 その後、橋三がゲームに興味を持ち、『恋白』にハマったとかハマらなかったとか。事実は定かではない。

クリエイターコメントお届けがたいへん遅くなりました。
今回はもうそれしかありません。申し訳ありませんでした。
その分、ボリュームアップはしているかと……

口調・呼び名その他で気になる点がありましたら、遠慮無くおっしゃってください。
公開日時2008-12-22(月) 18:00
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