★ Othello ★
クリエイターあきよしこう(wwus4965)
管理番号125-8312 オファー日2009-06-13(土) 00:00
オファーPC 手塚 流邂(czyx8999) エキストラ 男 28歳 俳優
ゲストPC1 栗栖 那智(ccpc7037) ムービーファン 男 29歳 医科大学助教授
<ノベル>

 
 ダークグリーンのフェルトボードに黒いライン。8×8=64マスの中に白い駒と黒い駒が並んでいた。挟んで裏返して自陣を広げていくという何でもないゲームだったが、これがなかなかに奥深い。
 大学の研究室。ビーカーやフラスコ、ウィルス培養用のシャーレや試験管エトセトラが無秩序に積み上げられ、かと思えば遠心分離機に保温庫、この前教授を半ば脅して買ってもらったばかりの高性能電子顕微鏡がずらりと並び、それでなくても狭い室内を更に狭めている。
 雑多なものに侵食を許す、一応、応接用だったソファーの上で、栗栖那智はううむと唸った。
 つい先刻まで自分の持ち色である白い駒が盤面を埋めていたはずなのだ。それがあれよあれよという間に黒く塗りつぶされたのである。
 ソファーの傍らに置かれたホワイトボードにはこのゲーム=オセロの対戦表。
 【流邂】と書かれた名前の下には『正』の字に一本足りない中途の文字。
 そして。
 那智の前でその男は不敵な笑みを浮かべて最後の駒を裏返してみせた―――決着。
「…………」
「ふっはっはっは! 勝利!!」
 ご丁寧に那智に向かってVサインまでしてみせて、無意識なのだろうが那智の屈辱をやんわり煽るとソファーから立ち上がり、手塚流邂は意気揚々と自分の名前の下の『正』の字を完成させた。
 そして対戦表をしばし見つめながら感じいったように呟く。
「中学からの連勝記録をまた伸ばしてしまった」
「負けた事を忘れてるだけじゃないのか?」
 間髪入れず、呆れたような那智のセリフは彼の特殊な耳には入らないのか、窓の外の明後日の夜空を見上げながら悦に入った調子で流邂は続けた。
「ふっ。不敗の男」
 夜空の星が彼の勝利を讃えるようにキランと光った―――ような気がしたのは流邂の目の錯覚だろう。
「そういえば腐っていたな」
 那智がその背をバッサリ切り捨てた。
「…………」
 『ふはい』の意味が違うだろ。流邂は内心嘯いたが表向きは無視を決めこむ事にした。その例を具体的にいくつも挙げ連ねられたりしたら堪ったものではないからだ。
 ちなみに対戦表の【那智】と書かれた名前の下は空白のままだった。要するに流邂の5戦5勝。或いは那智の5戦5敗。しかも5戦全て流邂の圧勝ときては、那智としても気持ちがおさまらないらしい。
「もう一勝負だ!」
 剥きになる那智に流邂は余裕綽々の態でソファに戻るとふんぞり返って応えた。
「ふっ。何度でも受けてたとう」
 手元にあった何かの紙束を扇子のようにして優雅に仰いでみせる。それに那智は口惜しそうな視線を一瞬投げたが、すぐに黙々と駒を半分づつそれぞれのケースに戻した。
「今度は私が黒だ」
「ああ、どこからでもかかってきなさい!」
 流邂はファイティングポーズに人差し指を折り曲げて、くいくいっと那智を挑発してみせる。だが那智はそれに一瞥くれただけだった。
「何様だ」
「手塚流邂様だ」
「世界一の殺人鬼になり損ねたVIPPERだったか?」
「容赦ないのね……」
 流邂はがっくり肩を落とす。内心で舌を出しながら。
 中央の4マスに白と黒が互い違いに並べられた。
 オセロは最初の一手が実は幾何学的に見ると、どこに置いても同じであるため、真の先手は白ということになる。とはいえ囲碁などと違って先手が有利なわけでもない。たとえばマス目が6×6=36なら黒の後手が必ず勝つのだ。それが縦横たった2マス増えただけで勝負の行方は全くわからなくなるのだから不思議なものだった。
 那智が駒を置いて裏返した。流邂も駒を置いて裏返した。
 そうして5手ほど進んだところで流邂はポツリと呟くように言った。
「なっちー、最近変わったよな」
「なっちー、言うな。私は特に変わってないぞ」
 言い返す那智に流邂は苦笑を滲ませる。
 駒を返しながら那智の顔を窺うと彼は真剣にダークグリーンのフェルトボードを凝視していた。本当に勝とうとしているのか、視線が忙しなくマスを入ったり来たりしている。この先の展開をシミュレートしているのだろう。

 ―――変わったじゃないか。

 流邂は内心で呟いた。
 昔から那智は面白い奴だと思っていたが、最近それに磨きがかかったような気がする。
 彼の学生時代はどこか諦観しているようなところがあった。最初から何かを諦めてしまったように。何に対しても執着が感じられなかった。
 たとえば。
 勝つ事にはこだわらないからといって参加する事に意義があるなどと思っているわけでもなく、ただ、負けてもいいと思っているような節があったのだ。負ける事は厭わない―――違う。勝っても負けてもどうでもいい。そんな諦め。
 その時は納得のいかない顔をしてみせる事も、不貞腐れてみせる事も、拗ねてみせる事もある。もしかしたらその瞬間は本気でそう思ってるのかもしれない。だけど、それさえも態度ほどにそう思っているのか疑問に感じるほど、次の瞬間には諦念を纏っているのだ。
 何に対しても執着がない。それは、人が変わるほどの豹変振りを見せる歴史に対してさえも、今公衆衛生学の助教授なんてものをやってる事実が流邂にはその証明のように思えてならなかった。
 山のような資格を持つリアリスト。世間ずれして堅実に生きる。危ない橋は渡らない。くだらない夢は見ない。見果てぬ夢は見ない。それが流邂にとっては、時に面白くもあり―――焦れったくもある。
 『なっちゃん』なんて冗談で呼ぼうものなら、殴りかかる事もあるくらい子どもっぽい一面や、剥きになる一面も持っているくせに、最初から何かを諦めてしまったような大人の部分が中学の頃からあった。
 だけど諦めの中に感じる憧憬。
 だからいつか、諦めることをやめたらいいと、流邂はぼんやり思っていた。
 それが。
 今那智は勝ちにきている。オセロなんてそれこそ勝敗なんてどうでもよさそうな何でもない遊びで。
 大抵の事は流邂より器用に何でもこなす。勿論そうでもない事もある。そういう時は自分には向いていないのだとあっさり引き下がってしまう。人間なのだから、向き不向きもあれば得意も苦手もある。そんな風に達観して、或いは言い訳して、頑張る事もしなければ、我武者羅になってあがく事もない。
 だから、そんな彼がこんなにも剥きになって勝つために頭を使っている姿なんて今まで見た事もなくて。


 何だか微笑ましい気分になって、流邂はつい笑ってしまった。
 そんな流邂を見咎めたように那智が顔をあげる。だが何も言わずに視線を落とすとオセロの駒を返す作業に戻った。
 ソファーの向こう側で那智のバッキーのランランがちょこんと心配そうな顔を覗かせているのに気付く。恥ずかしがりやで警戒心が強く、飼い主の那智ですら殆ど見たことがないらしいと噂のブラック&ホワイトのバッキー。だけど、ちゃんと那智の傍にいて那智を見守っていた。
 大丈夫だよ、と笑みを返すとすぐにソファーの影に隠れてしまったが。


 変わった―――いや、違う。彼は気付いていないのかもしれない。だけどほんの少しづつ、変わりつつある。
 大人から子どもに。そんなちょっと変わったメタモルフォーゼ。


 流邂は黒で埋められたボードを見ながらわずかに眉を顰めてみせた。一応ポーカーフェイスのつもり。劣勢を演じてみせながら、ぼんやり思う。
 那智が変わった理由はわかっている。


 こんなに歳を重ねてきたのに彼がまだ経験した事がないもの。彼の子どもの部分を引き出すもの。リアリストからロマンチストに揺らすもの。
 那智には“大切な人”が出来た。それを人は『恋』と呼んだりもするのだろう。そう、彼は『恋』をして、少しだけ思春期の心に戻ったのだ。なんてったって恋愛は思春期1年生なのである。
 その何だか気恥ずかしい響きを、那智は全力で否定するかもしれない。だけど凡そ彼には向いてないと思われるそれに、彼が無意識でも無自覚でも挑んでいるということは喜ばしい事だと思う。

 このオセロのように―――いや逆か?

 那智は“大切な人”が出来て少しだけ視野が広くなったのだと流邂は思う。彼の世界が広がったのだ。
もちろん、『恋は盲目』という点で、ある意味、局地的に視野狭窄している部分もないではないような気がしなくもないが、まあ、そこはそれ面白いから生暖く見守る部分でもあって。
 とにもかくにも中学の頃から自分なんかより遥かに頭が良かったくせに、肝心なところを何もわかっていない節があった那智が、大切な人が出来たことで、恋をしたことで、それに気付き始めているのは確かな事だと思う。
 人と人との関わりとか、交わりとか。
 彼にとって他人とは興味の対象物ではあっても、自分とは隔絶した世界に存在しているようだった。自分のテリトリーに他人を入れるのが怖いとか、他人に干渉される事に怯えるとか、そういう風に見えるわけではなかったが。どちらかといえば、自分がそうする事を嫌悪しているような。或いは、ただ違う存在として一線引いているような。だが内向的なわけではない。自分と他人に線を引いているというより、自分で自分に線を引いているような。
 視野が狭かったのか。とはいえ自分や自分の手の届く範囲しか見えていないという事ではなく、喩えるなら自分が見えていない、という気がする。何かを諦めて、執着するのをやめて、分相応におさまろうとする。
 うまく言葉に出来ないが、何と言うか那智の言動には『愛があっても愛情はない』―――そんな感じがした。
 だけど恋をして彼の中と外の世界が広がった。他人を思いやる、とか、優しくする、とか、何でもない事に感謝する、とか―――何かを望む、とか、執着する、とか。
 良くも悪くも乾ききって干からびていた彼のスポンジみたいな心が潤ったのだ。自分には向いてないと投げ出さず、貪欲にそれを吸収していこうとするように。
 いい傾向だ、と流邂は思う。
 そして今も勝とうとしている。何かを望んでいる。それが単純に流邂には嬉しかった。
 友として。
 いや、きっとそれは友情とか、そんなものじゃなく、息子を思う父親とか、弟を心配する兄とか、そんな愛情に似ている気がする。彼の成長が喜ばしい―――なんて本人言ったら怒るだろうが。


 那智が縦一列に駒を裏返した。既にボードの半分以上が黒で占められている。
 どうだと言わんばかりの目で流邂を見ていた。
 それに流邂はニッと口の端をあげて悪戯っぽい笑みを返す。この6戦目も終盤。そろそろ反撃の開始だ。
 流邂は白い駒を置いて挟まれた縦と横と斜めをどんどん白く裏返していった。
「あ……」
 那智が呆気に取られたようにボードを見つめている。必死に挽回しようとするが最早白の攻勢を止めることは出来ないでいた。
 オセロは単純に見た目の陣の広さで戦況を判断する事は出来ない。本当は裏返す事の出来る駒の数で戦況の優劣を判断するものなのだ。
 つまり4つ角をはじめとした返す事の出来ない駒を増やしていく事が肝要であり、相手の色の駒が多ければ多いほど実は返せる駒も多いという事になったりするのである。

 ―――だけど那智には教えてやらない。

 流邂は内心でペロリと舌を出して。
「…………」
 次々に駒を裏返されていくダークグリーンのフェルトボードを那智は半ば呆気に取られて見ていた。
 数えるまでもなく一目でどちらの勝利かがわかる。6戦目も流邂の圧勝に那智は納得のいかない顔でダークグリーンのフェルトボードを睨みつけていた。
「何故だ……」
「また勝ってしまった……」
 甲子園を目指す高校球児が地区大会決勝で勝利したような顔つきで暫し勝利の余韻に浸っていた流邂は、ほくほくと立ち上がるとペンを取りホワイトボードの自分の名前の下に『一』を書き加える。
「もう一勝負だ!」
 那智が人差し指を立てて言った。
 流邂はマジックを置いて振り返る。
「懲りない奴だな」


「お前の言葉を借りて言うなら、勝ってる途中だからな」
「負けてる途中かもよ?」
「次こそは勝つ。最後に私が勝ったら、今はお前が負けてる途中って事になるな」
「そこまで言うならさ」


 ―――なぁ、なっちー。賭けをしないか? この勝負、俺が勝ったらさ……。


 言いかけた言葉を内心で呟いて、それさえも結局飲み込んで。流邂はソファーに腰を下ろした。オセロの駒をケースに戻すのを手伝う。

 焦る必要はない。少しづつ変わっていければいい。
 昔から面白い奴だと思っていたが、最近本当に磨きがかかったと思う。


 ―――なっちー、気付いてるか? やっぱりお前、変わったよ。


 それはきっと“大切な人”が出来たせいだけじゃないんだ、と思う。“大切な人”を見つけるに至ったいくつもの事件。それによってたくさんの出会いを経験したおかげなんだと思う。
 素敵な夢を見た。普通なら見果てぬ夢を見た。
 流邂はダークグリーンのフェルトボードに白と黒の駒を互い違いに並べた。この4つは戦いの間、目まぐるしく白になったり黒になったりする。オセロの語源となった戯曲。白に黒にと移ろう心。見た目ではわからない。
 だけど最後には決する。
 もうすぐ夢の終わりがやってくる。魔法は解ける。


 ―――元に戻る……なんて事はないよな?


 白で終わるか、黒で終わるか?


「―――で、なんなんだ?」
「勝ってみせろよ」

 それは恋にか、自分自身にか。取り敢えず、流邂にはオセロで勝たせてやる気はない。
 那智が珍しく不敵な笑みを作ってみせた。

「言われずとも。次は私の白星だ」


クリエイターコメントオファーありがとうございました。
楽しんで書かせていただきました。
イメージを壊していない事を祈りつつ。

2人の決着はいつかつくのでしょうか。。。
公開日時2009-07-16(木) 18:10
感想メールはこちらから