★ 【閉鎖戯曲】Solomon's seal ★
<オープニング>

 始まりは、突然だ。
 一切の予兆もなく、銀幕市立中央病院特別棟――その最奥に併設された研究棟の一角が、突如迷宮じみた館へと変貌を遂げ。
 そして、そこに≪死≫が溢れた。
 振り上げられた凶器を目にしたモノが、別の狂気に魅入られて。
 繰り広げられていくのは、装飾された死者たちと、装飾した生者たちと、そのどちらかにいずれ分類される出演者と、彼等によって≪登場人物≫に指名された観客たちで進行される≪惨劇≫だ。
 大きなソファをベッド代わりにして横たわり、ローブで覆われた女の腹は横に裂かれ。
 冷たいステンレスの調理台の上で、男は額を割られ。
 ピアノが置かれたサンルームでは、白い布でひと括りにされた男女が天井から吊り下げられ、ぽたりとぽたりと床に鮮赤を滴り落とす。
 現実と非現実は入り乱れ、舞台は周囲を巻き込みながら広がり続け、どこからともなく聞こえてくる繊細な歌声に乗って人々は『死』を演出し続ける。
 そうして、書斎と思しき部屋でもまた、ひとつの≪死≫が展開されていた。
「……ヒトは、他者に与えれた役割を全うしようという心理的作用が強いものですが……」
 アンティークの安楽椅子に細い鎖で全身を絡めとられた精神科医は、まるでそこが自室であるかのようにゆったりと思案する。
 背後では、7つの文字が刻まれた古い柱時計が振り子と連動し、ギリギリと音を立てて鎖を巻き取っていた。
「だからと言って、進んで死体役に立候補したがるヤツもいないんじゃないか、ドクター?」
 それを、江戸時代の蘭学者は形容しがたい表情で見つめ、嘆息する。
 文字通り死に至るまでの時間が刻まれていくにも拘らず、顔色を変えない相手へのいかんともしがたい感情だ。
「……わたしも『出演者』に選ばれてしまったようですから仕方ありません。ですが、この世界を支配している『見えない脚本』と、『それを紐解いてしまった方』を探すことで、これから先の悲劇は回避できるかと」
 お願いできますか、源内さん。
 そう続く穏やかな問いかけに、返す言葉を選ぶことなどできない。
「どんな手段を使ってでも捜査員を掻き集め、見つけ出す。だからアンタはそこで待っていてくれ。ただし、いざという時はせめてその頭を貸してほしい。……頼めるか?」
「ええ、もちろんですよ」
 蘭学医と精神科医は視線をかわし、頷きをかわし、そうしていくつかの言葉をかわし、やがてひとりだけが部屋を出た。

『館』の窓一面が、奇怪なモチーフのステンドグラスに覆われている。
 差し込む光は歪みねじれて、悪夢の泡のような影を降りこぼす。
 ――外は、秋晴れのはずなのに。
 神の兵はもういない。神殿ごと、幼い死神も姿を消した。集ったひとびとが、異形と知りながらも守り抜いたこの街は、抜けるような青空を取り戻しているものを。
 思わぬ幕切れにそれぞれの苦い痛みを呑み込んで、哀しいほどに強い彼らはいつものカフェで、明るく談笑していることだろう。陽光に満ちたその場所が、今はこんなにも遠い。
 また、彼らに助けを乞わなければならない。鎖に絡め取られた精神科医が、そして、この館を彷徨う自分が、プレミアフィルムになってしまう前に。
 血と闇の濃霧に満ちた廊下に佇み、蘭学医はサングラスを外して懐に仕舞う。代わりに取りだしたのは、小さなネジのついた、からくり仕掛けのペンギン――
「ったく、こんなときに限って携帯が電池切れとは。こいつで外に連絡をつけるか――受取人は『対策課』の植村直紀。頼んだぞ」
 機械のペンギンは渡されたメモをくわえるなり、小さな翼を上下させて了承の意を伝え、走った。
 ペンギンにあるまじき、風のような速さで。
  
「あ〜〜れ〜〜〜?!」
「ぴ? ぴいいー!」
 凄まじい勢いで市役所に走り込んできた『からくり飛脚ペンギン』は、風呂敷包みを抱えた珊瑚に正面衝突し、すっ飛んだ。
 包みを死守しながらも珊瑚は盛大な尻餅をつき、ペンギンはくるんと空中で一回転して、植村の机の上にちゃっかり着地した。
 メモを差し出すペンギンを怪訝そうに見て、それでも、銀幕市の荒波に揉まれ、ちょっとやそっとのことでは動じなくなった植村は、そのまま源内の走り書きに目を通す。
「これは……!」
 神からの電話を受けたときに似た驚愕が、植村の双眸に現れる。
「銀幕市立中央病院の研究棟に……猟奇的なムービーハザードが出現して――ドクターDが囚われている?」
 横合いから覗き込んだ珊瑚も、目を見張り息を呑む。
「何ということ……! 源内の就職の御礼に、れぎなんに頼み込んだ特製『楽園』のすいーつ詰め合わせを、差し入れに伺うところでしたのに!」
 風呂敷包みを抱え直し、珊瑚は、市役所に居合わせた面々を振り返る。
「皆を誘って研究棟を訪問しかけた矢先にこんなことになりましたが……。猟奇なぞに負けず、どくたーにすいーつを届けたく思うのは、無茶ですかのう?」
 
 ★ ★ ★

 柱時計が、時を刻む。
 ギリ、と、鎖がまた少し、締め上げられていく。
 巻き込みたくは、ないのだけれど。そう思いながらも、ゆっくりと携帯を取りだした精神科医は、信頼しうるひとびとの顔を思い描き――伝える。
 午後のお茶にでも誘うような声音で。
「――よろしければ、手を貸していただけませんか?」

種別名シナリオ 管理番号240
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメント 始まりは突然ですこんにちは。コラボ好きが高じてぷちイベントに至る病に取り憑かれております(おまえもう黙れ)、神無月まりばなです。
今回は、高槻ひかるWRの胸をがっつりお借りしまして、ダークで美しい猟奇ミステリーの世界に挑戦いたします。って、『からくり飛脚ペンギン』を走らせた時点で猟奇だいなしですみません。

全共通OPでございますが、情報の入手先により、これから皆様は二手に分かれます。
・『対策課』にて、植村さん&珊瑚姫からの依頼→【脚本探し:刻一刻と惨劇が重ねられていく『館』を探索し、このハザードを止める】
・囚われのドクターDからの電話依頼→【真犯人探し:研究棟全体を対象に、このハザードを引き起こした黒幕を突きとめる】

もちろん、上記以外の手段で情報を入手することも可能です。

私は【脚本探し】を担当いたします。
惨劇は、一定のルールに則って進行しています。時間が経てば経つほど事態は悪化していきますので、可能な限り早くこの『脚本』を見抜きましょう。ハザード内で有効であれば、どんな方法を使っても構いません。
また、館の中は危険に満ちています。戦闘力を有しているかたも、そうでないかたも、同様の危機に晒されます。くれぐれもご用心ください。
こちらのパートも、ドクターと随時電話連絡が可能です。源内の携帯が電池切れ(そんなもん力ワザで何とかしやがれって感じですが、そこはそれ)ゆえ、どうか皆さま携帯持参でお越し下さいませ。

それでは、惨劇の迷宮にて、お待ちしております。

参加者
栗栖 那智(ccpc7037) ムービーファン 男 29歳 医科大学助教授
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
昇太郎(cate7178) ムービースター 男 29歳 修羅
大鳥 明犀(crby5925) ムービースター その他 17歳 悩める少年
白木 純一(curm1472) ムービーファン 男 20歳 作家志望のフリーター
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
<ノベル>

 病院、なのだそうだ。
 かつては家で生まれ家で死んだひとびとから、《生》と《死》を隔離したのは。
 だからひとにとって、生まれることや死ぬことは、非日常の範疇にある。
 病院の結界に、守られて。

 しかし惨劇を告げる鐘が鳴ったとき、ひとは思い出す。
 死に至る病は翼を広げ、我が身の影に潜んでいることを。

  †

 栗栖那智が銀幕市立中央病院を訪れたのは、これが初めてではない。
 神の兵団が銀幕市に舞い降りた、あの日。
 夢の中の出来事のようなオブラートに包まれてしまったけれど、関わった人々にとってはまだ記憶も新しい9月17日に、この病院は後方支援拠点のひとつとなった。市外への避難を選択するつもりなどなかった那智は、ここで医療活動に従事したのだ。
 当日は文字通りの野戦病院状態であったから、まず求められたのは負傷者の応急処置だった。加えて那智は、専門の公衆衛生学の観点から、戦場と化した市街に危険なウイルスが蔓延しないよう、医療班へ予防の呼びかけを行い、各種ワクチンの手配をした。
 ――今。
 戦争の爪痕は跡形もなくなっている。
 ご立派な神々は、幼い死の神と幼い夢の神に罰を与え、それで戦後処理を済まそうとしているらしい。
 しかし地上の世界のことわりは、天上の方々とは違う。なるほど、壊されたはずの建物は戻り、あのときの犠牲者は何事もなかったように日常に復帰しているけれど。
 神々にとってはどうでもよいことであろう雑多な事務処理を、人間は抱えている。
 一時的に中央病院に移管した予備のワクチンは、公立、私立を問わずに、さまざまな大学の研究室からかき集めたものだ。未使用分は返却しなければならない。その返却手続き書類に押印するために、那智は病院庶務課に出向いたのだったが。
 書類は、なかった。移管の記録すら残っていない。那智があれほど奔走した事実さえも、夢にされてしまった。
「帰るか」
 ならばもう、用事は済んだ。眼鏡の奧の双眸をふっと細め、那智は踵を返す。
 外科棟の1階を、通り過ぎたあたりだった。
 ざわり、と、何かが変質したのは。
 空間がぐにゃりと歪んだ錯覚を覚えたが、そのまま足を進め――
 迷ってしまった。
 入口へ向かったつもりが、いつの間にか研究棟に来てしまったようだ。
 否。

 ここは――どこだ?

 異様にくすんだ光を投げかけるシャンデリアに照らされて、那智は立ち止まる。いつの間にか、ルネサンス様式の洋館を思わせる大ホールに足を踏み入れていたのだ。
 高い天井付近を一面に覆うのは、息を呑むほどに壮大な薔薇窓。7分割されたステンドグラスには、宗教画風の7つの場面が描かれている。
 ……不意に。
 ぼう、と、六芒星が浮かび上がった。薔薇窓を囲むように、ひとつ、ふたつ、みっつ。
 肌が粟立つ。巨大な魔物の腹に呑み込まれたような、この不快感は何だろう。
 広間の中央、まっすぐに敷かれた緋色の絨毯は、2階に続く階段へと繋がっているようだ。迷いついでに歩を早めた那智は、階段から下りてきた源内と出くわした。
「助っ人か。ありがたい。……あんたは医療班にいた――たしか、栗栖准教授だったな」
「那智でいい、平賀源内。助けに来たつもりはないが……こんなところで何してる? もう戦争は終わったのに」
 うっとおしそうに前髪を掻き上げ、視線だけを右に流す。
 那智のすぐ横では、死体がふたつ、男女仲良く並んで吊り下げられている。シャンデリアを暗く感じたのは、彼らが光を遮っていたからだった。
 ぽたり、ぽたりと、血が滴る。
 謎めいた《館》と化してしまった病院で、謎めいた《死》を遂げた、犠牲者の血が。
「いったいこれは、何事だ」
「それがわからないから、困ってる」
 那智の問いに、源内が何の役にも立たない返答をしたとき。
 濃密な惨劇の匂いを打ち破るがごとく、すこやかな声の持ち主たちが現れた。
「うひゃあ! 死体がごろごろだぞ、姫さん」
「あ〜〜れ〜〜! どなたか生きているかたはいらっしゃいませぬかえ〜? ちとお尋ねしたいことが」
 きょろきょろしながら場違いな呼びかけを行っている珊瑚姫は、唐草模様の風呂敷で包んだ菓子箱と、太助を抱えていた。吊された死体の向こうに人影を見いだした子ダヌキは、珊瑚の腕から身を乗り出す。
「あ、源内みーっけ! 生きてるかぁ?」
「まだ今のところはな。俺も、ドクターDも」
「色男、金と力はなかりけりってほんとか? なぁなぁ」
「……具体的に誰のことを指しているのかは置いとくとして、精神科医と蘭学医なら絶体絶命だ」
「んなこったろうと思った。しょうがないから、この名探偵太助様が守ってやるよ」
 太助は鼻をうごめかし、小さな前脚を伸ばして源内の肩をぽんぽん叩く。
「那智もこちらにいらっしゃいましたか。その節は医療活動のご協力にてお世話になりましたえ」
「どういたしまして」
 ぺこりと頭を下げる珊瑚に、那智は礼を返す。そういえば彼女は副司令官で、あの戦争を夢にしたくともできない者たちのひとりだったな、と思いながら。
「どくたーにすいーつを届けるまでには、いろんな難儀がありそうですのう」
 珊瑚は風呂敷包みに目を落とす。『楽園』特製のパウンドケーキは、『対策課』を出る前にふたつに分けた。半分は『対策課』に預け、真犯人を探す目的で研究棟へ向かう予定の人々に託したのだ。
 ちなみに菓子箱を包んでいる風呂敷は、太助の勝負服であるところのマントを借用している。本日の珊瑚は、いわば名探偵太助様の付き人であった。
「あのさ。今更だけど、ここ、病院だよな?」
 壮麗な薔薇窓に圧倒され、太助はくりくりと丸い目を動かす。
「なんでステンドグラスがあるんだ? 『みわくのほけんしつ』か?」
「うん、と言ってしまいたいが、そんな楽しいハザードじゃないんでなぁ」
「右回りに、《受胎告知》、《洗礼者ヨハネ》、《カナの結婚》、《病めるバッカス》、《ラザロの危篤》、《聖セバスティアヌスの処刑》、《キリストの埋葬》」
 那智はすらすらと、ステンドグラスに刻まれた7つのモチーフを解いていった――が。
「……いや、しかし。最初の3つが、何か……変だ。こんなおぞましい聖母やヨハネやカナなんてあり得ない」

 薔薇窓の中で、
 聖母は腹を裂かれ、
 洗礼者は額を割られ、
 新郎新婦は並んで首をくくられている。

「これは……。ついさっき、別の部屋で見かけた犠牲者と同じ殺され方です。応接間のソファには腹を横に裂かれた女の人が、厨房には額を割られた男の人が横たわってました」
 少年がひとり、よろよろと階段から下りてきた。大鳥明犀だ。彼自身は特に病院に用はなかったのだが、取り憑いている死神の事情により、巻き込まれてしまったのである。
「それから……サンルームには……シャンデリアに吊されているこの人たちと、まったく同じシチュエーションの死体がありました。血まみれの男女がふたり、天上から白い布で吊されていたんです」
 まだ状況が掴めていないようで、悩める少年は力なく首を横に振る。
(久しぶりの昼の「仕事」で、この病院が最後の仕事先だったっていうのにな。とんだ営業妨害だ)
 明犀の第三の目が赤く光った瞬間、漆黒の死神デ・ガルスが現れ、面白くなさそうな声音で愚痴った。
 が、その顔はどこか浮かれているようにも見える。濃厚な死の匂いが立ちこめる空間は、死神にとっては心地よい場所でもあるのだろう。
(こんな……。こんなことって。酷すぎる。あんまりだわ……。せめて)
 第三の目は再び瞬き、今度は青い光を宿す。
 白いローブがふわりと明犀を包む。死神と入れ替わりに、癒しの天使エステリアスが姿を見せた。
(せめて彼らが、平穏な眠りにつけますように)
 その美貌を曇らせて、天使は両手を組み合わせる。犠牲者のために祈る横顔は蒼白だ。彼女とは対極にある忌まわしい死臭に、ひどく気分が悪そうだった。
「いわゆる劇場型犯罪なんじゃないかな。何か元になるシナリオがあるのかも知れないね」
 明犀の後ろでは、白木純一が手帳を広げ、真剣にメモを取っている。作家志望の彼は、猟奇的な状況に辟易しながらも、一刻を争う事態であることを認識し、情報収集に余念がない。
 出発前には『対策課』から、ファングッズの貸し出しも受けていた。持参したスポーツバッグにはディレクターズカッターが収められ、肩にはシトラスのバッキー『シルキー』がちょこんと乗り、出番を待っている。
「たとえばだけど、キリスト教の《7つの大罪》とか、ソロモン72柱に関係するシナリオ――」
 ボールペンの先でこんこんと手帳を叩き、純一は考え込む。
「7つの大罪を悪魔に対比させるなら……。《傲慢》はルシファー、《嫉妬》はレヴィアタン、《憤怒》はサタン、《怠惰》はベルフェゴール、《貪欲》はマモン、《暴食》はベルゼブブ、《色欲》はアスモデウス。このうち、ベルゼブブはソロモン72柱のバアルゼブルでもあり、《高き館の主》を意味するから」
「《館》繋がりが、発生したかも知れないと?」
後を引き取って、那智が呟く。
「あ、はい」
「着眼点は悪くないと思う。だが」
 優秀な教え子に講義を行っている最中、テキストの該当ページを指し示しでもするかのように、准教授は薔薇窓を振り返る。
「《7つの大罪》と、ステンドグラスのモチーフが一致してないのが気になるな」

  † †

 昇太郎が《館》を訪れようと思ったのは、誰に呼ばれたからでもない。
 充満する死の匂いを嗅ぎ付けて、ふらりと足が向き、迷い込んだ。
 ……それだけだったのだ。
 惨劇に満ちた迷宮をあてもなく彷徨い、目についた扉を開けては、装飾された死体に遭遇し――
 その演劇性を、激しく憎んだ。
「……死を見世物にしとるのか――吐き気がするな」
『神殺し』の異名をもつ男は、端正な顔を歪める。銀と薄緑のオッドアイに、怒りと悲哀が宿った。
 傍らを飛ぶ金の鳥は、呼応するように翼をばたつかせる。

   ぎぎ……ぎぃ……。

 昇太郎の怒りをあざ笑うかのように、冷たい炎に似た六芒星が、壁に浮かんだ。
 途端、石と石が擦れる音を立てて、迷宮の構成が組み変わる。
 廊下が広くなる。部屋数が増えていく。
 たった今までなかったはずの、階下へ降りる階段が出現し、大ホールへと続いている。
 シャンデリアから下がっているのは、白い布でくくられて、ぽたぽたと血をこぼすふたつの死体。
 しかしホールにいるのは、死体だけではなかった。
 カフェで、市役所で、見たことのある人々が集っている。

 ――彼らまで、犠牲にするわけにはいかん。

 思わず、昇太郎は階段を駆け下りた。
「死体役なら幾らでも引き受けてやる。……じゃけぇ、もう誰も、死なせんでくれや」
 見えぬ演出者に、そう呼びかけながら。

  † † †

    鐘はすでに、みっつ、鳴っている。

  † † †

 階下に降りた昇太郎が一同と合流したとき、ホールにはもうひとり、すこやかな生者が増えていた。
 ドクターDからのホットラインともいうべき電話連絡を受けた、流鏑馬明日である。
 ――よろしければ、手を貸していただけませんか?
 そのひとの声は、いつもと変わりなく、穏やかだった。
 だから明日も、告げられた状況に戦慄を覚えながら、冷静に頷いた。
 そう……、今からそちらに向かうわ、と。
 そして、巻き込んでしまうことを柔らかく詫びた精神科医に、明日は刑事の声で言ったのだ。
 貴方が心配だからと、続けようとした言葉を呑み込んで。

 ――事件だもの。……気にしないで。

 通話を切るなり、きっ、と顔を上げ――そして明日は走った。
《館》の奧で、鎖に絡め取られている青年医師を、《病》の手から取り戻すために。

 ……病?

 唐突に浮かんだ単語は、おそらくはこのハザードの象徴。

 洋館を彷徨ううちに、明日は大ホールに辿り着いた。今は薔薇窓の傍の、付箋のように浮かんだみっつの六芒星を見上げている。
「六芒星――ダビデの星――Solomon's seal……ソロモンの封印。ステンドグラスのモチーフも含め、暗喩を散りばめているのは……何かを隠したり誇示したりするための、目くらましかしら?」
「脚本、かな」
 純一は、手帳に記したメモを読み返す。
「《7つの大罪》ではないとしても、何かに乗っ取って、このシナリオは進んでいるはずだから」
「見立て殺人というわけやな」
 昇太郎が、忌々しそうに吐き捨てた。
「不愉快なシナリオや」

  † † † †
 
   よっつめの、鐘が鳴る。
   六芒星がひとつ増える。薔薇窓の《病めるバッカス》が鮮血に染まる。
   そこここで増殖するのは、同じように病んだ死体。

  † † † †  

 一同は結局、揃って《館》の探索に出発することにした。
 ばらけるよりは、その方が安全な気がしたからだが――それが果たして正しい判断かどうかは、まだわからない。
 純一はディレクターズカッターを構え、明日はヒップバックにいるバッキーに話しかける。
「パル、なにか感じる?」
 ピュアスノーのバッキーは、落ち着かなさそうにうごめく。
 痛いほどの異変に、動揺しているようだ。無理もない。ここは、血塗られたムービーハザードの只中なのだから。
「源内さん。これ……後で返してくれれば良いわ」
 ヒップバックを探り、携帯電話を2台取りだした明日は、1台を源内に渡した。
「おっ。すまんな」
「それでドクターとも連絡が取れるし、もし、これから手分けして探索することがあれば、みんなとも逐一情報交換できたほうがいいでしょう?」
「ありがとう。助かるよ」
「あのさ」
 血塗られていく薔薇窓。
 増えた六芒星。
 大ホールを後にして階段を上がりかけ、太助はひげをぴくつかせる。
 踊り場に、新しい死体が出現していたのである。
 その男は全身に赤い斑点を浮かび上がらせ、自らが吐いたらしき血の海に横たわっていた。
「……なんか、時間がたてばたつほど、やばくなってく気がすんだけど」
「同感だ」
 頷く那智に、太助は何とも現実的な提案をした。
「『きゃくほん』があって、それのとおりに死体が増えてくんだとしたらさぁ、『けんし』っての? どうやって殺されたかとか、どの死体が『古い』かとか、そういうの、那智や源内なら調べりゃわかるんじゃね?」
「検死……。そのとおりね。お願いできるかしら?」
 日常に立脚した言葉が、地に足のついた感覚を呼び戻す。殺人現場に立ち会うときの厳しい表情で、明日は、医学の心得を持つふたりを交互に見た。
「法医学は専門じゃないのでね。そこらじゅうにある死体を、どういう順番で殺されたか整理するのは難しい。が、ある程度、死因を調べる事くらいならできると思う」
「ううーん。腑分け(解剖)の場数は、たいして踏んでないんでなぁ。俺はパス。那智にまかせた」
「うわ。源内、使えねぇ。たのむ、那智!」
「ただ……。ホールの死体を見たときも思ったことだが」
 目の前の死体にしゃがみこみ、ひととおり観察しながら那智は言う。
「犯人はひとつの凶器を用いてはいないと……。あるいは、単独犯ではないように見える。だが、それすらカムフラージュだとしたら」
「動機が、わからないわ……」
「ドクターに犯行を――暴いてほしかったのかな?」
「だけど、それだと、ドクターに関係のあるひと、ということになってしまうわ」
「でなければ、挑戦状か。ドクターへの」

 犯人は、きっとどこかで見ている。《館》に迷い込んだものたちを。
 ――さあ、この謎を解いてみせろと。

「愉快犯じゃろう、どう考えても」
 昇太郎は、傍らで旋回する金の鳥を見やった。
「犯人に心当たりがないか、いっそドクターに聞いてみるのもいいかも知れんね。俺は携帯を持ってないけど、鳥を経由すれば受信できるけぇ」
(一刻を争うんだろ。まだるっこしいことはやってられない。俺は直接、ドクターに会いに行く)
 言うなりデ・ガルスはふいと姿を消した。一瞬で千里を駆ける死神の足【闇渡り】の能力だ。
 ――そしてすぐに、戻ってきた。
(ドクターに何か聞きたいヤツは、今のうちに済ませておけ。かなり鎖がきつくなってる。もうすぐ、電話にさえ出られなくなるぞ)
「わかりました。脚本について、どうしても確認したいことがあるんです」
 すぐに純一は携帯を取りだし、プッシュする。
『……どうなさいました?』
 ふたコールめで、精神科医の声が聞こえてきた。まるでカウンセリングルームで患者に向き直っているかのような落ち着きようだが、その声音は細く、かすれている。
「ドクター。『見えない』んです、脚本が。どこを探せばいいんでしょう。それとも俺たち、何か見落としてますか?」
『いいえ。見えないことに気づいていらっしゃるのなら、それが真相です。そのうち、脚本のほうから現れてくるでしょう』
「でも、これ以上時間が経つとドクターが。……ドクター? ドクター!」
 そしてふつり、と通話は切れた。
 純一が、那智が、明日が、源内が、それぞれかけ直してみても、コール音が鳴り響くばかり。
「ドクターD」
 明日は呟く。誰にも聞き取れぬ小さな声で。
 
 あたしはまた、『貴方』を失うことになるのかしら。

  † † † †  †

    鐘は、いつつめ。
    またひとつ増えた六芒星が、《ラザロの危篤》に付箋をつける。

    そして見えない脚本は、昇太郎を選んだ。
    登場人物として。
    新たな被害者として。
    それは、昇太郎の望みでもあったので――
   
  † † † †  †

 2階の奧にある書庫を、調べていたときだった。
 いきなり悲鳴を上げた昇太郎は、自分で自分の身体を抱きしめ、床に転がった。
 駆け寄った一同は、昇太郎の腕に顔に首すじに、見えない爪が無数の赤い切り傷を付けていくのをまざまざと見た。
「みんな、近づいたらあかん……。これで、これでええんよ」
「昇太郎!」
 抱き起こした源内の手が血まみれになる。切り傷は鮮血を吹き上げたし、咳き込んだ昇太郎は大量の血を吐いたのだ。
(待って……。今、助けますから)
 エステリアスが手をかざし癒しの力を使おうとしたが、その身を案じた死神が制止する。 
(よせ。お前は出るな)
(でも……!)
「ありがとな、エステリアス。……せやけど、俺にはこれしか出来んのよ」
 静かに微笑み、昇太郎は源内の腕の中でこときれる。

 ――そして。
 金の鳥は形容しがたい鳴き声を放って、「神殺し」の青年を生き返らせた。

「……何度だって死んでやるけぇ。他の誰かを死なせるくらいなら、俺が死ぬ」
   
  † † † †  †  
 
   組み変わる迷宮を、一同は歩く。
   すでにそれは、探索ではなかった。
   部屋の扉を開けるたび、万華鏡のように死体は繰り出される。
   昇太郎は幾度も、幾度も、同じ死に方をし――蘇った。

  † † † †  †  

「このままだと、『きゃくほん』が見つかる前にドクターが死んじまうぞ。てか、まだ生きてるよな?」
 誰もが胸に抱いていた恐れを、太助が口にする。
「いったんドクターのいる部屋に、様子見に行ったほうがいいんじゃね?」
(今、見てきた)
 またも姿を消したガルスが、すぐにもとの位置に現れる。
(鎖に喉を締め上げられてもう声も出ないようだが、まだ生きてる。そして俺の力でも、あの鎖は切れない。助けるには脚本とやらを探すしかなさそうだ。……そういえば)
 死神は珍しくも、物思わしげな表情をした。
(俺は謎解きは不得手でな。ドクターが捕らわれている時計の文字盤には、7つの文字が刻まれてたんだが、誰かこの意味がわかるか?)
「7つの文字……って、中途半端ね。文字の刻まれた時計なら、普通12か4……」
 明日は、ふっと、形の良い眉を寄せる。
「後の5つの文字は、亡くなった人達と一緒に消えたのかしら……? それとも」
「その刻まれた文字に、意味があるかだな。何て書いてあった?」
 那智が問う。
 ガルスは純一の手帳とペンを借りて、見てきた文字を記してみせた。

  Born…Christened…Married…Took ill…Worse…Died…Buried…This is the end

「誕生、洗礼、結婚、発病、危篤、死亡、埋葬。そして、終わり。……これは、どこかで見たようなモチーフ」
 那智に最後まで言わせずに、太助が叫んだ。
「あれじゃん、なっち! 『みわくのほけんしつ』」
「全然違うが、言いたいことはわかった」
 一同を促し、大ホールへと取って返す。
 薔薇窓に描かれた7つのモチーフは、たしかに時計の文字盤と対応していた。

 どこからか、歌声が聞こえる。
 ……歌?
「そうだわ……。どうして気づかなかったのかしら」
 明日が、はっと息を呑む。
「マザーグース……」
「そうか!」
 手帳を見つめ、純一も大きく頷いた。
「これは、マザーグースの歌に合わせて進行する見立て殺人だったんだ。そのタイトルは」
「ソロモン・グランディ」
 那智がそう言った瞬間――

 薔薇窓は、粉々に砕け散った。
 虹色の硝子の破片が、雨のように降りしきる。

 ♪ 

  Solomon Grundy,
   ソロモン・グランディ。
     Born on a Monday, 
        月曜日に、誕生。
      Christened on Tuesday,
           火曜日に、洗礼。
        Married on Wednesday,
             水曜日に、結婚。
         Took ill on Thursday,
           木曜日に、発病。
         Worse on Friday, 
        金曜日に、危篤。
     Died on Saturday,
      土曜日に、死亡。
   Buried on Sunday.
     日曜日は、埋葬。
       This is the end
        ソレで、おしまい。
        Of Solomon Grundy.
         ソロモン・グランディ。

 ☆

 あたしたちは、脚本を見つけました。
 さあ、時計を止めて。
 鎖を解いて。
 そのひとを、返して。

 ☆

 ソロモンの封印は解け、惨劇の迷宮は少しずつ消えていく。
 日常を取り戻しつつある研究棟を進んだ一同は、いつしか、満天の星空の下に出た。

 ☆

 五つの棟の中心にある吹き抜けのラウンジでは、お茶会の準備が整えられている。
 見知った顔が席に着いて、彼らを待っていた。
 その半分を託したケーク・オ・フリュイ――オレンジ、いちじく、アプリコット、レーズン、プラムをたっぷり入れたパウンドケーキはすでに切り分けられ、配られている。
 ドクターDは、『犯人探し』を終えたメンバーと穏やかに談笑していた。 
「どぉぉくたぁぁぁ〜〜〜! 心配しましたえ〜〜〜!!!」
「無事でなによりだ」
 珊瑚は風呂敷包みを解き、源内に手伝わせて、残りのケーキを切り分ける。
「……お世話をかけました」
 精神科医は微笑む。
 明日に、那智に、明犀に、昇太郎に、純一に、太助に、それぞれ目線を合わせて。
 白い首についた鎖の痕こそ痛々しいものの、命に別状はなさそうだった。
 それを確かめて、『脚本探し』に奔走した人々はようやく安堵し、ここに辿り着くまでの物語を反芻する。
 星空の下、素晴らしいケーキと、淹れたての紅茶の香に包まれて。

「なぁなぁ、姫さん」
 ケーキを頬張りながら、太助がちょいちょいと珊瑚の袖を引く。
「何ですかえ?」
「あの木の陰からこっち覗いてるの、SAYURIじゃね?」
「おんや?」
 見れば確かに、夜目にも華やかな面差しが、こちらをそっと伺っているようだ。
 話しかけたいのに遠慮している。そんなそぶりが見受けられる。
「何かドクターに用があるのですかの。妙にしおらしいですな、さゆりらしくもない」
 やりとりに気づいたドクターは、SAYURIを見て、唇だけを動かした。

 ――大丈夫ですよ。ご心配なく。

 大女優は、ほっとした風に、踵を返す。
 
 ☆

 もう、惨劇の鐘は鳴らない。
 病院は《生》と《死》を再び非日常へと隔離して、現実へと帰還する。

クリエイターコメントこんにちは、神無月まりばなです。
たいっへんお待たせいたしましたぁ! 皆様、『脚本探し』お疲れ様でございました。
今回、美的ダーク世界に大張り切りで、猟奇……迷宮……惨劇……はっちゃけは封印……と、呪文のように呟きながら書き進めてまいりましたが、何しろ記録者が私なものですから、押さえても押さえても隠し味のようににじみ出る、そこはかとないくすぐりはお許しのほどを。

★栗栖那智さま:後方支援活動にご参加くださっていたという設定に小躍りし、そこから始めさせていただきました。抑制の利いたかっこよさにほれぼれします。
(余談)「助教授」が廃止されて「准教授」になったのって今年の四月からなのですが、未だに慣れなかったりする記録者でございます。ミステリー的にはやっぱり助教授の呼称が馴染み深くて。

★太助さま:珊瑚が押しかけ付き人になったせいで天然オブラートに包まれてしまいましたけれども、実は今回、真相に一番近い推理をなさり、的確な行動指針を示されたのが太助さまなのでございますよ。いよっ、名探偵!

★昇太郎さま:記念すべき初のお申し込みをいただきましてありがとうございます。誰も死なせたくないがため、ご自分が犠牲になると仰った昇太郎さまに涙ぐみました。

★大鳥明犀さま:死神ガルスさまは力強くて頼もしく、天使エステリアスさまは優しい癒し系でいらっしゃいますが、明犀さまは素で可愛いかたですね。お三方とも、お疲れ様でした。

★白木純一さま:着実・堅実な下準備を整えられ、手帳とメモを持参なさって事件に臨む純一さまの姿勢は、ずぼらな記録者にはことのほか眩しゅうございましたことをここで白状。

★流鏑馬明日さま:心配を押し隠して駆けつけてくださった明日さまに、かーなーりトキメキました。明日さまと茶飲み友達なドクターが羨ましゅうございます。いやほんとに。

それでは、名残を惜しみつつ。
皆様の今後のご活躍と、再び邂逅できます日を楽しみにしております。
公開日時2007-11-02(金) 22:30
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