★ 最後の手紙 ★
<オープニング>


 ほの暗い部屋の中、赤い炎がゆらり、ひとつ揺らめいて、青い炎に様変わりをする。
 仄かに部屋の様相が変わった。ホーディスは、正面の壁を向き、すっと目の色をその場に据える。その壁の手前には、二つの祭壇。そして、その黒い石の壁には自分と契約した、神と精霊達の姿が、綿密に、そして繊細に掘り込まれている。
 ふと、地面に紫の円が浮かび上がった。その中に、黄の正三角が生まれ、緑の逆正三角形が生まれる。
 ホーディスの顔の表情が微妙に変わった。いつもの男の顔つきではなく、完璧にリーシェのそれの顔つき。男か、女か、分からない中世的な顔。
 鎖骨の刺青と、頭の刺青が各々の色に輝きだした。
「――また、占いか――」
 ホーディスの目が色を無くした瞬間に音もなく、その部屋に入ってきたのは、今まさに、ホーディスと同じ顔つきになっている、リーシェだった。
 いつものように、男物のYシャツとズボンに身を包み、腰に下げたベルトには細身の剣が――ない。某事件以来、仕事以外ではめっきりつけなくなったのだった――、彼女は、自分の声に振り返ったホーディスの顔を見て、眉をややひそめてため息をついた。
「まあ、好きにすればいいけどな。で、何を『視』たんだ?」
 リーシェの声に反応したのか、ホーディスの瞳から、ひとつ、雫がこぼれ落ちた。
 そのまま、彼は謡うように言葉を紡ぐ――。
「ずっと、ずっと、愛していました。――これまでも、これからも――」
 その言葉はこの周辺に住む、誰かの胸に秘められた言葉。
 その言葉が決して外に漏れることは、ない――。
 

 *****


「リーダー」
 錆びた扉の音をさせて入ってきたのは、十歳ほどのひとりの少年だった。栗色の髪の毛を揺らし、やや息を弾ませている。
「どうした?」
 書き物をしていた彼は、ペンを机の上に置き、その少年の方を向いた。少年は、困ったような、諦めたような複雑な表情を浮かべて、言った。
「どうやら俺等の居所が割れちまったようです。噂によると、対策課に依頼がいっているとか、いないとか」
「そうか……」
 彼は、ひとつため息をついた。その表情に驚きの色が、浮かぶ事はない。既に覚悟が出来ているかのようだ。
「残るつもりのない奴等は、全員外に逃がせ。せめて真っ当に生きろとでも言っておいてくれ」
「……リーダーは?」
 少年の問いに、彼はどこか自嘲したような笑みを浮かべた。
「俺が真っ先に逃げてどうする。それに、逃げてもどうせ殺されるんだ、ならここで華々しく散った方が粋というもんじゃねえか?」
「……リーダーらしいな」
 少年は思わずといった風情で苦笑した。
「お前こそ、さっさと逃げろよ。まだ先は長ぇんだ、オチオチ死ぬことはねぇ」
「何言ってんだよ、リーダー。頭腐っちまったのか?」
 少年は笑みを浮かべた。その表情と言葉にやれやれ、と彼は頭を振る。
「こんな面白いもんに、俺が参加しねえでどうする」
「あー、もうお前にはなに言っても無駄だな、俺はちょいと野暮用があるから、お前、さっきの事やっといてくれ」
「イエス・サー」
 どこかひょうきんに礼をした少年は、くるりと振り返って、そのまま扉から出て行った。それを見届け、彼は再びペンを取った。



 *****



 ライエルが対策課に来た時、まだ他に呼び出されたメンバーは誰一人来ていないようだった。
「今日はまた一段と、いいお天気ですねえ」
 入り口付近で、自分の右肩上に乗っているバッキーをつつきながら佇んでいると、どうやら今日はそこまで事件が重なっているわけではないらしく、何やら資料をいくつか抱えた植村直紀がのんびりとそんな事を言いながらやって来た。
「まだ、皆は来ていないのね」
 ライエルがぽつりと言葉を漏らすと、植村は苦笑を返した。
「それはライエルさんが早く来るからですよ」
 確かに植村の言う事はあたっていたので、ライエルは少し憮然としたような、何とも言えない表情で押し黙った。現在は丁度正午を過ぎてから三十分程。依頼に集合してくれ、と言われた時間は午後一時。まだ三十分も時間があった。
 何事も早めに行動してしまうのは、常々からのライエルの癖である。
「で、今回の依頼は、何なの?」
 何とかその場の雰囲気を取り繕うと(大抵失敗するのだが)、植村ははい、と言ってテーブルの上に資料をひとそろい、置いた。
「今回の依頼は、ムービーハザードと言いますか、ヴィランズと言いますか、とにかくそれを壊滅して頂く、というお願いです」
 なるほど、それで私も呼ばれたのか、とライエルは納得した。ライエルは元々警官だ。その為、銃の扱いが得意で、しかも本人も銃などの火気物は大好きである。
 今はとある事情から、その職を辞し、こうして対策課の依頼を受けたり、私立探偵として活動したりしているのだ。それで、このような戦闘が絡みそうな仕事が回ってくることが多いのだ。
「それで、どんな奴らなの?」
「そうですね、今回はとあるミステリーといいますか、サスペンス映画のような映画から実体化ムービースターの集団がいるんですけど、その集団、映画の中では犯罪集団として出演していて、実体化してからも……」
「犯罪を起こしているのね」
「ええ」
 ライエルが続けた言葉に、植村は頷いた。
「最近、どうやらそこの集団の拠点と思しき場所を中心に、麻薬などの犯罪疑惑が持ち上がっていて、調べてみると、どうやら一番の原因はそこのようなのです」
 そう言って、テーブルの上に幾つかの資料を広げた。
 その中に、ひとつの見知った顔があることにライエルが驚く。
「この人は? この人も幹部なの?」
「ええ、この人が……」
「相変わらずライエルは来るのが早いな」
 植村の言葉を遮って颯爽と対策課に現れたのはリーシェだった。腰には細めの白銀の長剣を提げている。どうやらぼさっとしてないで、稼いで来なさいと兄に叩き出されてきた様である。
 彼女は何を話しているんだ? と資料を覗き込み、ライエルの目が留まった場所と同じ場所で目を留めた。
「こいつは一体何をしたんだ?」
「ええ、この人は、この犯罪集団のリーダーですよ」
 事もなげに植村が放った一言に、ライエルは体中の血が冷えて、足元に落ちていくような錯覚を覚えた。
「え……」
 隣でリーシェも絶句したきり、何も言葉を発しない。
 あの人が、犯罪集団のリーダーなんて信じられなかった。いつもは、そんな様子を少しも見せないのに。私の勘が、随分と鈍ってしまったのか。
 視界が反転した気がする。植村の顔がゆらゆらと揺らいだ。
「……? まさか、二人とも知っている人とかですか?」
 植村が二人の様子に訝しげに聞いた。
 その顔写真。
 その名前。
「アルフレッド……な、の……?」
 ようやっと言えた台詞が、それだけだった。上手く頭が回らず、言葉を出すことが出来ない。
 代わりに、リーシェが苦渋に満ちた顔つきで、ぽつりと呟いた。
「……アルフレッドは、ライエルの恋人だ……」
「……」
 その場に何とも言いがたい、沈黙が広がった。

種別名シナリオ 管理番号149
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
クリエイターコメントこんにちは、そしてはじめまして。

今回の依頼は、とある映画から実体化した、犯罪集団の壊滅です。ライエルとリーシェも(強制)同行致します。
皆様には、派手に破壊するなり、戦闘するなり、誰かの補佐をするなり、ご自由に、そして存分に暴れてくださいませ。その時にどんな敵と戦いたいかとお書き添え頂ければ、参考にさせて頂きます。

そしてどうやら、今回のリーダーは、ライエルと恋仲な様子。どうか、彼女を最後まで支えて下されば幸いでございます。何かお掛けになりたい言葉など、ございましたらお書き添え下さい。

そして今回、スケジュールの都合上、執筆期間をやや長くさせて頂いております。ご理解の程、お願い致します。

それでは、よろしくお願い致します。

参加者
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
夜乃 日黄泉(ceev8569) ムービースター 女 27歳 エージェント
西村(cvny1597) ムービースター 女 25歳 おしまいを告げるひと
<ノベル>

 その場に広がっていた居心地の悪い沈黙を初めに破ったのは、西村だった。遠慮がちにこそこそと入ってきた彼女を見て、植村がああ、そういえば、と声を上げる。
「西村さん、確か依頼を間違って受けたから、取り消したいという事でしたね? それでは、今から手続きの……」
「あ、の……」
 植村の言葉を遮って、西村は続けた。
「先程は、そう……言ってたん……ですけど、……やっぱり……依頼、……受け、ます」
「え?」
「す、いません、さっき……の事は、何でも……なかった、……事にして……ください……」
 西村はそう言って、頭をぺこりと下げた。
「……西村さんが、そう言うのなら、そうしますけど……」
 植村は、少し憮然としたような、よく内容を読み込めていないような、不思議な表情を垣間見せたが、すぐに頷いて、西村に書類を見せる。
 西村はそれに目を通し、ライエル達の方に身体を向けた。
「すい……ません、さっき、の……お話、……丁度ここに、来る所……だったので、聞こえて……しまいました……。足手、まといに、なって……しまう、かもしれない……ですけど、よろしく、です……」
 西村の言葉に同調するかのように、鴉がカア、と一声鳴いた。
 ライエルは緩く首を振り、そして微笑んだ。
「いいえ。手助けしてくれるだけで、ありがたいわ。ただの犯罪組織の壊滅だけだったら良かったのだけど、余計なものが混じってしまってごめんなさいね」
 ライエルの言葉に、西村は首を横に振った。そして、こっそりとライエルを心配そうに見つめる。
 ライエルは、先程の衝撃からは立ち直ったように、リーシェと短く会話を交わしていた。そこに、悲嘆の表情は見受けられない。
 でも、ライエルの心の中は、どうなのだろうか。そっと彼女の心中を思いやる。
 それはかつて、自分の心の中に、あったものだから。

「みんな、早いのね」
「俺で丁度全員揃った感じか」
 艶やかな声音と、落ち着いた声音と共に入ってきたのは、夜乃日黄泉とシャノン・ヴォルムスである。
 植村が二人に近付いて、今まで、西村やライエル達に話した事を簡単に説明し、さらにどうやらその集団のリーダーがライエルの恋人らしいと説明すると、途端にライエルの眉が跳ね上がった。
「……余計なことを……」
 苦虫を噛み潰した表情でそう吐き捨てると、植村はでも、と少し困った表情になった。
「皆さんに知っておいて頂かないと、後で困ることになりますよ?」
「……」
 再び、居心地の悪い沈黙が広がった。今度はその場を取り繕う気はライエルにはないようである。
「大丈夫……?」
 日黄泉が眉を軽く寄せ、心配そうにライエルに聞いた。ライエルはひとつ頷く。
「大丈夫」
「……あなたの気持ちは、どうなの……?」
 さらに聞かれ、初めてライエルは、その複雑な心境を表に少し出した。
 見たくない、でも見届けなければならない覚悟と、今まで隠されていた事への哀しみが合わせ混じった表情。
「……正直言って、今、何て説明したらいいのかは全く分からないわ」
 その言葉に、今まで壁に寄り掛かってその場を傍観していたシャノンが、言葉を挟んだ。
「……例え、どんな結果になったとしても、見届ける義務があると思うが。それが出来ないなら、来るべきではないな」
 その言葉に、ライエルはええ、とひとつ、頷いた。
「そうね。……私は、この目で見て、決めるわ」
「……まさかとは思うが、躊躇う様な事はするな」
 シャノンの、相手を全て見通すかのような冷静な眼差しを正面から受け止め、ライエルはそっと微笑む。
「それは大丈夫よ。こう見えても元警官。躊躇おうと思っても、きっと躊躇えないわ」
 職業病ね。その言葉に、シャノンは表情こそ変えなかったが、眉を少しだけ上げて応えた。
「貴方が彼に会いに行く覚悟があるのなら、どんな事があっても、彼の元に届けてあげるわ」
 日黄泉は、笑顔でそう言い切った。その表情につられて、ライエルも笑む。
「……お願いするわ」
「任せて」
 日黄泉が頷く。確固たる決意をその笑みに滲ませて。
 その間、植村から色々と資料を見せられていたリーシェは、その中から地図だけを抜き取った。
「行くか」
 そう言い、颯爽と対策課を後にする。他のメンバーもそれに続いて外に歩き出した。

 空は、澄み切った水のような青を浮かべ、白い雲を遠くにぽつん、ぽつんと流しながらも、ますますその橙色の太陽を輝かせていた。やや湿り気を帯びた風が五人の間を吹き抜けていく。
 それはまるで、彼らの心情を皮肉るかのように。




 *****



 段々とうだるような暑さになっていく中、黙々と彼らは目的地に向かって歩いていたが、彼らの周りはどんどん繁華街に近付いていく。
 リーシェ以外の全員が、こんな場所にあるのかと首を傾げつつ歩いていたが、ますます繁華街に入って行くのを見て、ついにシャノンが痺れをきらせてリーシェに問いかけた。
「……おい、本当にこっちの方向で合っているのか?」
 リーシェは立ち止まり、地図を見て首を傾げた。
「おかしいな。確かに地図はこっちの方向を指しているのだが」
 その地図を横からシャノンが覗き込み、少しばかり目を細めていたが、やがて大きくため息をひとつ、吐いた。
「――……地図が逆さだぞ……」
「え」
「しまった……」
 ライエルが迂闊だった、衝撃受けていたせいで忘れていたわ、と片手で軽く自分の額を叩いた。
 思わずその言葉の通りに口を開けて、そのまま固まったリーシェの手から地図をもぎ取ったシャノンは、もう一度、目を細めて正しい方向を確かめると、歩き出した。
「こっちだ」
「ごめんなさいね、皆さん、私が忘れていたのが悪かったの。……リーシェ、方向音痴なの」
 それも、天下無敵の。
「しょうが、ない……ですね……」
「無駄足だわ……。こんなに暑いのに」
 額に浮き出た汗を拭った西村と、これみよがしにため息をついた日黄泉がシャノンに倣いつつ、呟いた。
 鴉が弱々しく一声、鳴く。
(……主、もう私はバテそうです……)
「……鴉くん、……く、ろいからね……。もう少し、辛抱し……てね」
 西村はそっと気遣うように鴉に声を掛けた。途端に、鴉がそんな事ありません! という感じで首を横にぶんぶんと振ったのは気のせいだろうか。
「リーシェ」
 ライエルが目を伏せ、ため息をついて、彼女に声を掛けた。

 ――ひとり、違う方向に足を踏み出しているリーシェに。

「……こっちよ」
「……」
 リーシェが、口を開けたり、閉じたりしながらもライエルに倣う。

 ――教訓。戦女神に道案内をさせるべからず。



 今度はシャノンが先導しながら進んで行く先は、繁華街とは正反対の、あまり住居もなく、家庭菜園の小さな畑や空き地などが所々に敷地の隙間を埋めている一帯であった。
 人の気配もなく、言い様によっては、随分寂れている場所であるとも言える。
 建物が少ないからだろうか、先程よりも随分と風の通りもよくなり、体感温度も若干下がったよう気もする。
「このまま全てが開けてくれていれば、蒼い空と、地の色の混ざり具合が絶妙なのにな……」
 戦場にふさわしくなる。そう呟いたリーシェは、能面のような表情から口の端を上げて微笑した。
「そう言うという事は、貴様は気付いたんだな」
「……ああ」
 いつの間にか、地図をやや無造作に畳んでズボンのポケットにねじ込んでいたシャノンの問いかけに、リーシェは手短に答えた。
 シャノンの瞳に、隙無く辺りを窺うような、この状況を面白がっているような、そんな光が見え隠れしている。
「そういえば、気配があるような、ないような」
 日黄泉もやや首を傾げた。
「まあ、この道をまっすぐ行けば、もう拠点だからな」
 シャノンがそう言うとほぼ同時に、彼らの前に、ふっと紫の炎が揺らめいた。次の瞬間には、二つに、三つに分裂する。
 そうして分裂した炎は、何か大きな影を見せたかと思うと、一気にその影が質量を持ってその場に姿を表した。
 見た目は、灰色の岩を練り固めたような、人形のようである。大きさは、丁度二メートル程。体格は、でっぷりしていて、いかにも守護者のような感じだ。手には何も持っていないが、その固そうな、ミトンの手袋のように未発達な二本指で殴られたらひとたまりもないだろう。
「……人形のおでましって訳ね」
 ライエルが口を皮肉に歪めながら言った。太腿付近、レッグホルスターに装着している拳銃に手を伸ばしている。
「……魂の、気配は……感じ、ないです……」
 西村が、生き物かどうかを判断していたようで、静かに裁定を下した。
「遠慮はいらないな」
 シャノンも愛用拳銃、FNを既に手にし、臨戦態勢である。
「そうね、温度に反応はないものね」
 日黄泉も自らの眼鏡から読み取ったらしく、ひとつ頷くと、何処からか取り出してきたらしい愛用のキャノン砲「カミカゼ」を軽く肩に担ぎ、膝を衝撃に備えて曲げた。
 スコープを覗いているその表情は非常に楽しそうであり、口には極上の笑みが浮かんでいる。
「イッちゃいなさい……!」
 その言葉と共に、盛大に発射音を立てて、カミカゼが火を噴いた。

 ボ――ン!

 岩が衝撃に耐えられず、砕け散る音と共に、盛大に煙幕が舞い、前面が砂で覆われた。一瞬で砂煙は収まり、視界が上部から晴れていく。
 その光景を前に、何故か日黄泉は冷や汗をかいて焦り始め、他のメンバーは沈黙した。
「……」
「……えーと」
「……おい」
 こめかみを引き攣らせたい衝動を抑えながら、シャノンが言った。
「……何か、増えてるぞ」
「……私の目が悪くなったのか?」
 リーシェは目を瞬かせている。
 彼らの視界には、先程と同じ光景だった。

 ――より人形の数が増えたのを除いては。

「……つまり、この人形は、一定以上の衝撃を与えると分裂するという事か」
 リーシェがひとつ呟き、腰にしていた細身のバスタードソードを一挙動で抜き放った。
「だ、大丈夫、何とかなるわよ……!」
 日黄泉が冷や汗を流しつつも、艶やかに笑いながらキャノンをもう一度構え直す。
「ちょ……」 
 他の四人が止める間もなく、再びカミカゼが火を噴き、凄まじい衝撃が辺りを満たした。

 彼女の砲撃により、再び開けた光景には、当初の4倍もの数の人形が向き合っていた。
「……おーい……」
 四人はもはや、沈黙するしかなかった。



「まあ、起こったことはしょうがないわね」
 ライエルがすっぱりと諦めた表情でそう言いつつ、自らのピストルの照星(フロントサイト)と照門(リアサイト)を目標に合わせた。
 乾いた音が二発、そして人間で言う、脳と、心臓部分を性格に撃ち抜く。
 脳の部分に、銃弾が貫通された痕。
 そして、心臓部分が撃ち抜かれた時、人形が苦悶の唸り声をどこからか上げた。
 岩のような足がボロボロと崩れて行き、ついには砂の山となる。
「なるほど、核は心臓と言う事か」
 シャノンがそう言うと同時に、ひとつの人形を壊された事で敵と見なしたからか、一斉に他の人形達が地響きを立てつつ、彼らを潰す為に動き出した。
「貴方は下がっててね」
 キャノン砲をどこかにしまい、代わりに拳銃とナイフと手榴弾を出しながら言った日黄泉に、西村の代わりに鴉が一声鳴いて返事をした。
(何があっても私が主をお守りします!)
「……頼もしい限りだ……、これだったらレイピアを持ってくるんだった」
 前半は鴉に、後半は自分に呟いたリーシェは、目を一瞬細めると、片足で軽く地を蹴った。
 まばたきを一度する間に、人形の前に移動し、ドスッという音と共に人形に剣を穿つ。

 シャノンは、照星と照門を一瞬で心臓にあわせ、銃弾を放った。右側から彼の頭に振り下ろされた腕をしゃがんで避け、一挙動で左の腕のスリーブガンをすべらせ、構えて右側の人形に銃弾を放った。
 さらに左側にいた人形を素早く立ち上がって前蹴りで衝撃を与える。地響きと共に後ろに倒れた人形に右足で蹴りつけ、その上に乗り上がった。
 起き上がろうとする人形より早く、右足に威力を込めて、人形の胸を踏み抜く。人形は苦悶の声を上げつつ、その場にボロボロと崩れ落ちてゆく。
 彼を囲んでいた人形が砂の山になって行く中、シャノンは不敵に口に笑みを浮かべた。

 日黄泉は、名誉挽回とばかりに、西村の方向に近付く人形に銃弾を撃ち込みつつ、自分の正面に立ち、今にも左腕で殴りかかってきそうな人形の心臓にナイフを投げつける。
 丈の短いスカート、胸の開いたYシャツから今にも胸やら下着やら見えそうなのを気にも留めず、崩れ落ちてゆく人形の頭を踏み台に、優美に上空に飛び上がり、ひしめく人形の隙間に着地。
 その次の瞬間に、乾いた音、そして人形が上げる苦悶の声が響き渡る。
 
 ぶん、と水平に振られた腕を、右足はまっすぐに、左足を曲げてしゃがんでよけたライエルは、人形の足の隙間から、その人形の前面にいる人形の胸に照準線をひき、銃弾を撃ち込む。
 それが命中するかどうかを確認せず、さらに視線を上げ、自分の前に立っている人形に銃弾を撃ち込んだ。
 そして立ち上がり、自分の右側にいる人形に確実に、しかし無駄の無い動きで銃弾を撃ち込んでゆく。

「すごい……」
 西村は傍にあった電柱に身を隠しながら、目の前で、四人が一瞬で何体もの人形を倒してゆくの光景を目にして簡単の声を上げた。
 皆の動きは、一見バラバラのようではあるが、どこか、何かの舞いを合わせて舞っているように見えた。
 シャノンの、氷のような冷ややかさ、闇のような暗黒を孕みつつも、それでいて彼が身に纏うある種の哀しさがその黒さを優しいものにしている、静かなる舞い。金の髪が陽に煌き、ある種の神々しさを与えている。
 日黄泉の、大人の艶やかさを全身から放ちながらも、誰かを想う強さを秘めた華美なる舞い。彼女の周りで音が絶える事はない。
 芯の通った、力強い、だけどもある一点を押すと脆く壊れてしまいそうな儚い、リーシェの舞い。
 そして、ライエルの哀しみを込めつつも決して怯むこと無く前に進んで行く、力強き舞い。
 それらは、美しくもあり、破滅的でどこか寂しげな破壊の舞いであった。
 舞いは蒼い空とぽっかりとあいた畑、空き地を背景に、淀むことなく進んでゆく。

 その光景は、一枚の絵のようでもあった。



「まあ、いろいろあったが、とりあえずいい運動になった」
 リーシェがそうぼやきながら、剣を鞘に素早く収めるのを見ながら、シャノンと日黄泉も頷く。
 辺りに、先程のような人形は、もうどこにも見ることが出来なかった。代わりに、五人の周りには一面に灰色の砂が音も無く広がっていた。
 四人がその一帯を砂の一帯と変えるまで、ほんの三十分とかからなかったのではないだろうか。
「そういえば、今日は竜は連れてきてないの?」
 ライエルはふと思い出したように呟いた。竜のブレスは浄化の炎とも呼ばれている。ともすれば、もしブレスが効いたのなら、一瞬でカタが付いたのではないのだろうか。
 それを聞いて、リーシェは肩を力無く落とした。彼女の頭の中で先程の会話が再生される。
「……ホーディスが連れて行った……」
(リーシェ。あなたの竜を借りても良いですか?)
(別に構わないが、何かあったのか?)
(何を言ってるんですか! 今日はスーパーの特売日!)
(……)
(竜も借りれば、戦力になるでしょう!)
「――……詳しい事は突っ込まないでくれ……」
「……分かったわ」
 何となく事情を察したらしいライエルは、あっさりと追求を諦めたようだ。
「ここからは、さらに強力な敵も出るかもしれん。気を引き締めて行くぞ」
「そうね」
「……はい」
 シャノンの言葉に、日黄泉と西村が頷く。
 そして灰色の砂を軽く踏み締め、五人はやや顔を上気させながら前へ進み始めた。
 



 少し歩き、シャノンは足を止めた。そこは、ごく普通の、二階建ての一軒家の前である。
「本当に、ここで合ってるの?」 
 次に足を止めたライエルは、どうやら自分の想像とは違っていたようで、疑問をシャノンに投げかけた。
「地図には、ここと記されているのだが……」
 シャノンはポケットに捻じ込んでいた地図を再び取り出し、広げて首を傾げながら確認を始めた。
 地面を向いていた日黄泉が、唐突に声を上げる。
「どうやら、この家、地下に相当広がっているみたい」
 彼女の眼鏡のセンサーが、地下の空洞を捉えたようだ。
「何だか……ますます、怪しい……ですね」
 西村がぽつりともらした呟きに、鴉が一声鳴いて同調し、リーシェも頷いた。
「さて、問題はどう突入するか、ね……」
 ライエルがそう言いながら顎に右手を添えた時だった。

 ぴしり。

「!」
 僅かに、空間に亀裂が入ったような音を、高い身体能力を持つシャノンと、そして気配に敏感なリーシェが拾い上げ、素早く構える。
 その次の瞬間、前触れも無く、数人の人間が彼等の目の前に出現した。
 シャノンの目の前に、一人の少年が現れる。栗毛の髪をした、十歳ほどの少年だ。彼は、シャノンと目を合わせると、何かに興味を持った子供の無邪気な笑みを見せる。
 その瞬間、シャノンは思い切り地を蹴った。それに付いて来る少年。
 リーシェと背中合わせになっていた日黄泉の前に、一人は青年、一人は少年が姿を現した。その次の瞬間、彼女達のすぐ傍にいた、他のメンバーの姿が消え、その場に四人だけになる。
 ライエルと丁度その傍にいた西村の前に、一人の少女がゆらりと現れた。少女は哀しそうな、寂しそうな笑みを浮かべ、手をさっと振る。その場の景色が一挙に変わった。ロケーションエリアが展開されたのだろう。
 ふと、気付いた時には、時既に遅く。
 彼らは、バラバラに分断されてしまっていた。


 *****



「……これは、ロケーションエリアなのか?」
 ぽつりと呟いたリーシェの横で、日黄泉が首を傾げた。
 一瞬で誰もいなくなってしまった為に、ロケーションエリアが展開されたのかと思っていたのだが、自分達の周りの風景に変化は見られない。しかし、本当にロケーションエリアが展開されたのなら、その空間に自分達と、他のメンバーもいるはずである。
 もしかしたら、一種の亜空間の中に、自分達は取り込まれてしまったのかもしれない。
「ま、ともかく」
 そう言いながら、日黄泉は眼鏡を掛け直した。持ち前の艶やかな笑みを口の端に浮かべて、リーシェを見つめる。
 その女らしい艶やかさにリーシェは一歩、たじろいだ。
「こうなってしまった事だし、貴方の腕の力が不足するなら、私は貴方の腕になるわ」
「……」
「一緒に頑張りましょ?」
 再び艶やかに笑った。その姿はその世の人達が見たら思わず頬をだらしなく緩めてニヤけてしまいそうな、舞い上がってしまいそうな、そんな魅惑的な表情であったのだが、リーシェの表情は追い詰められた人のように、頬を強張らせ、氷漬けにされたような身体をやっとの事で動かしているような感じである。
 簡単に言うと、リーシェの周りには今まで絶対的な数で男の人の割合が大きかったので、このような女の人の表情に慣れていないのである。
 やがてリーシェは頬を真っ赤にして、心持ち顔を俯けた。
「……うん」
 蚊の鳴くような声の大きさだったが、日黄泉の耳はしっかりとそれを捉え、どうやら照れているらしいリーシェの反応に、ますます笑みを深くする。

「お喋りはすんだー?」
 突然、二人を小馬鹿にしたような声と共に、頭上に浮かんだ二つの影が二人を包もうとしていた。
 その瞬間に、二人は機敏に動いた。
 リーシェは、青年の剣を受ける為に、すっと前に踏み出た。
 日黄泉は、彼女の頭上を狙って小型のナイフを振りかざしてきた少年の攻撃を左にステップを踏んで避け、そして右手に持っていた拳銃をかざして少年の腕を狙い撃った。
 連続した銃弾の乾いた音が響き渡る。
 少年は器用に着地し、バック転、右足ステップで避けていった。子供だからこそ出来る、素早い動きだ。
「なかなかいい動きだけどね、あなたはさっさとお家に帰っていなさいっ!」
 日黄泉の言葉に、その少年はいかにもいたずらを思いついた、楽しそうな笑みを浮かべた。
「僕らにはね、帰る事の出来る『お家』はとっくになくなっちゃったんだよ?」
 どういうこと、と日黄泉が返そうとした時、目の前に何か黒い物が飛んできたので、瞬間的に頭を左にずらした。
 カツン! という小気味のよい音を立てて、それが後ろに突き刺さる。
 日黄泉はちらりと振り返って、それを確認した。
 それはダートと呼ばれる、投げ矢のような形をした小型のナイフだ。投げる事を専門に作られているから、そこらのナイフなどより、ずっと鋭く、そしてよく飛ぶ。
「余所見は良くないよ?」
 その声に意識をハッと前に戻した瞬間、漆黒の髪を揺らし、楽しそうな色を瞳に浮かべた少年の薄ら笑いが前にあった。



「……お前、女か」
「一応な」
 その短い言葉と共に、中くらいの大きさの剣、ハンガーと彼女のバスタードソードが凄まじい音を立てて重なりあった。
 二人はお互いに涼しい目元で相手を冷ややかに見定めながら、しばらくそのまま剣を重ねあっていたが、リーシェの方が先に後方に退く。
「ここは、一体何処なんだ、そして、何なんだ」
 剣を油断無く構えながら、リーシェは尋ねた。
「一種の空間さ。この俺の能力で、さっきの空間をコピーして創ったんだ」
 青年はくすりと微笑んだ。
「つまり、お前を倒せば元の空間に戻れると言う事か」
「まあな。それが出来ればの話だがな」
 ふと、冷たい空気の中に沈黙が広がった。
「お前、王族か何かか」
「……」
 突然、青年にリーシェの身分を当てられるも、リーシェは間合いを取りつつ、沈黙を続けていた。
「お前ほどの女が、何の為に剣を取る」
「……」
 さらに沈黙を続ける彼女に、ふいに青年は口の端を緩めて、ゆるやかに微笑した。

「……所詮、守るなんて綺麗事なんだぞ」

「黙れ」
 初めてその青年の言葉に反応したリーシェは、一層目つきを冷ややかに、そして鋭くすると、静かに、だが明らかな怒りを込めて地を蹴った。



 *****



 シャノンは付いて来る少年を試すように、尚も跳躍を続けた。少年は息を乱した様子もなく、かえって楽しそうな表情を浮かべ、跳躍して付いて来る。
 人並み外れた少年の力に、自然とシャノンの闘争心が浮き立つのを感じる。
 シャノンは軽く笑みを浮かべると、民家の赤い屋根を飛び越え、その家の垣根に身を潜めた。
 続いて飛んできた小さな影めがけて、抜かりなく構えていた拳銃を連射した。
 乾いた、しかし身体に響く音が辺りを満たす。
 少年は銃弾を器用に足をバタバタ振って避けながら、いつの間にか手にしていた拳銃をこちらに向けて連射してくる。シャノンは一気に地を蹴って後退。その間に少年の姿は横にあった背の高い塀の向こうに消える。
 チリ、と何か嫌な予感が頭をかすめるのと、民家にいた住民が何事かと窓を開け、こちらを確認しようとしているのを見るのと同時に、一瞬で少年が消えた塀とは別方向の塀の向こう側に飛び越えた。
 
 ダ――ン!
 ダダダダダダ!

 明らかに拳銃の銃弾とは威力の違う音と共に、先程まで彼がいた塀が一瞬で吹き飛ばされる。辺り一帯、塀が壊れた時に起きた埃で目が痛くなりそうだ。
(拳銃だけじゃないのか……。だとすると……)
 頭の中を新しく出てきた武器について見当を付けながら、素早く再び跳躍し、その塀の向こうにいる少年の影めがけて、埃の中を一挙に飛ぶ。
 埃で辺りに何があるか分からないらしい少年の襟を掴み、少年が発砲する前に思い切り道の丁度前方にあった電柱に叩き付けた。
 その次の瞬間、再び銃弾がシャノンを襲う。それを右にステップを踏み続けて避ける。
 避け切れなかった銃弾が何発か、左腕上腕をかすめ、シャツが切れた。
 霧吹きの霧のように、鮮血が溢れ、シャツをじっとりと濡らす。
「……アンタ、見たことある。……何度か」
 塀から湧き出てくる埃が収まって、視界が晴れてくるのと同時に少年がぽつりと呟いた。
 シャノンは拳銃を構えながら、少年と対峙する。
 少年の手には、いつの間にかサブマシンガンが握られていた。それをこちらに向けるわけでもなく、ただだらりと地面に下ろしている。
「ほう……それは光栄と言っていいのか?」
 おだてても俺は攻撃を止めないぞ。シャノンはそう続ける。皮肉に口の端を上げ、笑みを浮かべながら。
 例え、少年がもう攻撃はしないと言っても、彼は少年を撃つだろう。それが、断罪者としての彼の使命であり、そして、何よりも彼の優しさであるから。
 少年がそれを汲み取ったのかどうかは分からないが、一瞬だけ、今にも泣きそうな、顔を歪めた表情を垣間見せた。が、すぐにその表情は微笑みに取って代わられた。
「……?」
 その表情に、少しばかりシャノンが訝しげに眉を顰めた。
「アンタになら、伝えられるかもしれない」
 アンタなら、それを知っても、俺を殺してくれるだろうから。少年はさらに言葉を続ける。
「……どういう事だ。生き延びたいから、俺を攻撃してくるんじゃないのか」
 さらに訝しげに聞いたシャノンに、ふふ、と少年は皮肉めいた笑いを浮かべた。
「俺は、こういう事が、楽しくてしょうがないからアンタと戦ってるのさ。それだけ」
 でもね。
「もう、俺達は疲れたんだよ」
 俺達は、実体化しなければ良かったのかもしれない。



 *****



「……こ、こは……ロケーション、エリア……ですか?」
 西村の疑問に、鴉が鋭く鳴いて威嚇した。西村の言う通り、辺りの景色は一変していて、丁度自分達は森の木々に囲まれてた。どうやら森の中の、少し開けたところにあるらしい。二人と少女の間を挟んで小さな湖があり、澄んだ水を湛えている。
 地面には深緑のクローバーが敷き詰められていて、きっと素足で歩くとフカフカして気持ちがいいだろう。彼らが、拳銃やらサブマシンガンやらを抱えていなければ、きっとピクニックの一場面に見えるに違いない光景であった。
 他のメンバーはどこかに行ってしまったらしく、見回しても気配が無い。
「ふふ」
 二人の目の前いる少女は、そのビスクドールのような金の巻き毛を揺らし、肯定の意を示したらしかったが、すぐにその笑みは引っ込み、再び哀しそうな表情を浮かべる。
「ごめんね」
 ごめんね。ライエルお姉ちゃん。
「私の事を知っているの?」
「ええ」
 少女はにこりと笑みを浮かべて頷いた。
「リーダーが自慢してたもの」
「……あの馬鹿」
 少女の問いにライエルはひとつ、ため息をついた。
 西村はその少女に必死に問いかけようとした。
「そんなに……、謝るの……なら、どう、して……戦おう……と、するの……ですか……?」
 ここは銀幕市。映画の世界ではない。映画の世界のように、悪役を演じ続けて戦う必要も無い。
 それなのに、どうしてこんな事をするのだろう。しかも、こんな幼い少女までもが。
 西村の必死の訴えに、少女は哀しそうに笑む。
「私だって……戦いたくない。読みたい本も一杯あるし、皆と遊びたい」
「だった、ら、どうして……!」
 少女はふわりとした動作でサブマシンガンを構え、呟いた。
 リーダーは優しすぎるから。全部庇おうとするから。
「……庇おうとする? どういう事なの?」
 ライエルの疑問に、少女はそこまでは言えない、と首を横に振った。
「……私達は振り切る事が出来なかった。だからせめて」
 
 私達はここで戦い続けるの。
 真実を誰かに紡ぐまで。
 
 少女の澄み切った爽やかな声が森の中を駆け抜けていく。
「振り切る事が出来なかった……?」
 一体、それはどういう意味なのだろう。ライエルは心の中で首を傾げる。例え目の前の少女に聞いたとしても、少女は先程のように口をつぐんでしまうだろう。
「……そっちのお姉ちゃんも、ごめんね」
 でもね、私に出来ることは、これしかないの。
 そう言うと同時に、彼女は持っていたサブマシンガンの引き金を引いた。
「危ないっ!」
 ライエルは西村を突き飛ばしざま、自分も地に身を伏せた。
 銃弾が撃ちだされる重い音が森の中に木霊していく。
 西村とライエルの頭上スレスレを、幾つもの銃弾が飛んでいった。

 
 
 *****
 


 自分の目の前数センチの所で、橙色の火花が散ったように感じた。
 ほんの一瞬だけ遅れて、金属が交差する鋭い音が響く。少年の持っていたナイフが日黄泉の顔に到達する寸前に、咄嗟にナイフを取り出して防御したのだ。
 ナイフを交差させたまま、右膝を前に繰り出す。右膝が少年に当たる前に、少年は後方に後退。
 そのまま、出所を探るかのように、二人は動きを止める。
「……お家がないって、どういう事なの?」
 先程の言葉の意味を図りかねた日黄泉が問うと、少年は、ずっと浮かべていた薄ら笑いを引っ込めた。どことなく不安そうな表情を秘めたその真摯な瞳が、日黄泉を見つめ返す。
「……僕らは、見捨てられちゃったんだあ……」
 あの人に。あの町に。あの世界に。
「……一体、それは……」
 日黄泉はさらなる謎掛けのような少年の言葉に、やや戸惑いを覚えた。
 少年は日黄泉の問いには答えず、空を向いてひとつ、呟いた。

「ねえ。自分の在るべき場所って、何処だと思う?」
 僕らの在るべき場所は、何処なのだろう。
 
 言葉は、誰が答える訳でもなく、ただ澄み切った水が吸い取るかのごとく、空に消えていった。
 ほんの一瞬だけ、少年の瞳から一滴の涙が零れ落ちたように見えたのは気のせいだろうか。
 じっくり考える間もなく、次の瞬間、少年は素早い動きでダートを五つ、投擲してきた。
 日黄泉は一瞬で動くべき場所をシュミレートし、その通りに身体を素早く移動させていく。右足を踏み込み、腿の部分でしなやかに右からダートを弾き飛ばす。コースを逸らされたダートは、丁度真横にあったダートをも弾き飛ばし、そのまま失墜。
 さらに左腕を振り飛ばし、特殊生地で作られた服の袖でダートを振り落とす。
 そのまま右手で拳銃を構え、額に向かって飛んできていたダートに銃撃。
 ぐしゃり、という木材が崩れる音と共に最後のダートが粉々になった。
 破壊されたダートの最後の欠片が地面に落ちた時、少年はヒップホルスターに装着していた拳銃を抜き取り、一気に銃弾を放ってきた。
 日黄泉は拳銃が少年の腕に姿を見せた瞬間に左に大きく踏み込み、どこからか出してきた投擲専用のナイフを両手に四本、慣れた手つきで挟み、銃撃の音と共に優美に手を振り出し、ナイフを放つ。
 ナイフが太陽の光を浴びて流麗な姿を浮かび上がらせたまま、銃撃で隙が出来た少年の腕のシャツの一部を切り裂き、首筋を浅く切り裂いていった。
 ツ、と血が溢れ出る。
 少年が一瞬、ひるんだ隙に日黄泉は、装着していた睡眠薬の仕込み針入りの腕時計を少年に向けて放った。
 仕込針は鋭い音を立てて大気を切り裂き、少年の首筋に直撃。瞬間に睡眠薬が回り、少年が顔を歪ませながら地面に崩れ落ちていく。
「とりあえず、眠っていてもらおうかしら……詳しい事は、また後で……ね」
 確かに少年は、自分に向かって攻撃を仕掛けてきていた。どこか精神が壊れているかのような愉快さで。
 けれども。あの、真摯な瞳の意味は。少年の真意は。日黄泉は、そう考えて少年を倒さずに眠らせる事にした。
 しかし、日黄泉が、リーシェ達の方を振り返った時だった。
「……助けてあげて……リーダーを……」
 小さな呟き声と共に、銃声が一発。
 日黄泉が慌てて振り返ると、そこには眠りに落ちる前の最後の力を振り絞ったのだろう、少年が持っていた拳銃で自らの頭を撃ち抜いていた。
 鮮血が溢れ出る、そう思った瞬間にカラン、と無機質な音と共に少年の身体がフィルムに転じ、ひとつのフィルムが地面に転がり落ちた。
「どうして……」
 日黄泉は最期の少年の行動に激しく揺れ動く心の中、やっとの思いでそれだけを口にすると、そっとそのフィルムを拾い、自らのスーツのポケットにしまった。

「闇の神よ。我に力を。黒の闇を此処に」
 短い叫びに日黄泉が振り返ると、リーシェが白銀の剣の切っ先を青年に向け、素早く何かの記号を描いていた。
「!」
 次の瞬間、リーシェの剣が漆黒に染まり、日黄泉の目にも判別できない程の速さで、彼女の剣が青年の胸を突き刺した。
 途端に、剣の先から黒い、闇が溢れる。ぼたりと、それは地面に落ち、そして伸び上がって彼の首に巻きついた。
「――……」
 彼が何か言っているようだが、日黄泉の場所からは聞き取る事が出来ない。
 そしてカラン、と無機質な音が響き、ひとつのフィルムが地面に落ちた。
「……大丈夫?」
 日黄泉がそっと声を掛けると、リーシェはハッとしたようにフィルムを見、日黄泉を見て顔を剣を持っていない手で覆った。
「ああ。……すまない、暴走した……」
 剣からズル、ズルと闇が消え、元の白銀の剣へと姿を転じていく。
 パン! という音が何処からか聞こえ、周りの景色が一瞬だけ、揺らいだ。


 *****



「俺達はね、麻薬などの密売をしている、とか噂を流してはいるけど、本当は暗殺を行う犯罪集団なんだ」
 少年はそう言って、微笑んだ。何かを告白する者特有の、どこか痛々しさを混ぜた笑みで。
「……それで、貴様ほどの歳の奴が戦闘訓練を積んでいる訳か」
「そういうこと。普段は……」
 シャノンのどことなく納得した雰囲気を漂わせる言葉にひとつ頷いたが、そこで困ったかのように言いよどみ、視線を下に向けた。
「……普段は? また別に犯罪の仕事でもしているのか」
 シャノンのからかうような含みを込めた言葉に彼はさっと前を向き、違う違う、と首を横に振った。
「普段は、映画の中でも、銀幕市に来てからも、普通の小学生として生活させて貰ってた」
 少年は瞳に力を込め、前を向く。

「ここは、表向きには孤児院なんだ」

「孤児院? ……それはまさか」
 シャノンはいきなり出てきた単語に、驚きを覚えながらも、しかしながらも頭の片隅で感じた事の片鱗を口に出そうとした。己の勘だが、当たっているような気がする。少年は頷いた。
「ここは、リーダーと幾人かの面倒を見てくれる人しか大人はいないんだ。後は全員子供だ」
「つまり、子供全員暗殺者に仕立て上げて犯罪の片棒担がせてるって事か」
 最悪だな。彼のその言葉に少年は再び首を横に振った。
「違うんだ! ……リーダーは、俺達の師であり、父だ。唯一頼る事の出来る、人だ」
 リーダーは俺達を守ろうとしてくれていた。だけど。
「リーダーも、捕まっちまったんだ……」
 ギリリと口の端を噛み締め、俯きそうになるのを少年はグッと堪えているようであった。
「捕まった? どういう事だ?」
 シャノンの問いに、少年はぽつり、と呟いた。
「俺達の本当の黒幕は、リーダーじゃない」
 まだ上に、いる。ここじゃない、違う場所に。
「な、に……」
 少年の言葉の意味に、シャノンは出す言葉を失った。まさかこんな裏が隠されていると、この場で誰が思うのだろう。
 少年はやっと告白できた事で緊張が解けたからか、一気にまくし立てた。
「俺達はここで消えても、それは当然の報いだと思っている。だけど、俺達が消えても、誰も俺達の上にいる奴の存在を知る事が出来なかったら、また同じことの繰り返しだ」

 だから、たった一握りの人物でいい、誰かに真実を知って欲しかった。

「……ただ、それだけだ」
 少年は言い終えると共に、サブマシンガンを構えた。シャノンはハッと身を翻らせ、跳躍、少年の後ろ側へと彼の頭上を飛び越える。背中で、幾つもの銃弾の音。
 シャノンは着地と同時に、銃弾を連続で撃ち込む。一挙動で振り向いた少年は、幾つかの銃弾をさらにサブマシンガンで撃ち落とし、左へと踏み込んで避けていく。
 それでも、避け切れなかった幾つかの銃弾が彼の右腿を抉り取っていった。
「ぐっ……」
 少年はギリギリの所で崩れ落ちそうになるのを食い止め、残った左足で跳躍、さらに撃ちこまれてきた銃弾を避ける。
 そのままコンクリートの塀の上に身軽に着地、その場にサブマシンガンを放り投げた。
 シャノンも左足で地を蹴り、同じ塀の上に着地する。
 少年の拳銃の照準と、シャノンが構えている拳銃の照準がぴったり一致したまま、二人は動きを止めた。
「なあ……」
「……何だ」
 唐突に投げかけてきた少年の言葉に、ややぞんざいにシャノンは言葉を返した。
「こんな俺でも、救われる事はあるのか……?」
 少年のどことなく心細げな様子に、シャノンは瞬きし、口の端に緩やかに微笑を浮かべた。
「……祈れ。魂は救済される。どんな性質のものであっても、な」
「そっか……」
 そう呟いて、少年は笑った。
「アンタ、良い人だな……」
 少年が引き金に指を掛ける。それを見て、シャノンは引き金を引いた。
 シャノンは目を見開いた。
 少年は、引き金に指を掛けて銃をぶら下げたのだ。シャノンに銃弾を放つ事は無く。
 ひとつの銃声が響き渡る。

 笑みを浮かべた少年の額に、銃弾が一発、撃ち込まれた。



 *****
 


 ライエルは、やや身を起こし、少女の様子を垣間見る。
 少女は、唇を噛み締め、やや辛そうな様子を見せていたが、キッと目に力を込め、再びサブマシンガンを手にした。それを見て、ライエルはさらに身を上半身だけ起こし、拳銃を連射する。
「とにかく、逃げるわよ」
「……は、い……」
 ライエルの言葉に西村は頷き、鴉は弱々しく一声鳴いて答えた。そのまま、三人は森の木々の中へと身を隠していく。
 三人が通った後から、銃弾が撃ち込まれ続け、森の中に似つかわしくない銃声が響き渡る。
「ここでは、一体、何が起こっているの?」
 ライエルは息を弾ませながら、やや苛立たしげに呟いた。西村は既に息が上がり始めていて、激しく呼吸しながらも首を傾げる。
「分か……らない、です……。で、も……」
 ついに限界が来たらしい。その場に立ち止まり、手を膝に当て、息を整えている。
「と、ても……、哀しそ、うです……」
「……そうね」
 ライエルもひとつ、頷く。いつの間にか、銃声は止み、森は静けさを取り戻していた。太い広葉樹や針葉樹の木々に囲まれ、空から降ってくる光の量が柔らかく、そして少なくなっている。大気は澄み切っていて、やや冷えた冷気が肌を覆っていた。
 スッと、その冷気の中に違う気を感じてライエルは振り返った。
「危ないっ!」
 叫び、西村を突き飛ばそうとする。しかし、その一瞬前に少女の手が西村の首に伸び、少女側に彼女は引き寄せられてしまった。
「カァアアアアア!」
 鴉が激怒したようで、少女の肩や頭をその鋭い嘴でつつきまわっている。しかし、少女は動ずる事無く、西村の顎元に拳銃を突きつけた。
「……馬鹿なことは止めなさい」
 ライエルは少女にぴたりと銃口の照準を合わせた。
「私はこうして人質を取っているのに、あなたは銃を下ろさないのね」
「あなたが引き金を引く前に、私が貴方を撃つわ」
 少女の言葉に、ライエルは即答する。この状況ならば、例え少女が銃を下ろせ、と命令したとしても、彼女がそれに従うことはないだろう。
 それが、彼女の信念でもあるから。
「ふたり、共、……止めてください……」
 二人の間に、西村の言葉が割って入った。少女は西村を見る。
「私なら……、平気です……、だから……」
 そんな哀しい、虚しい事は止めて下さい。
 その言葉に、少女はふ、と笑い、西村を突き飛ばした。突き飛ばされた西村はよろけて木の根元に半ば倒れるように座り込む。鴉が常人ではない心配さで西村のもとに寄り添う。
「いつか、こうなる事は分かっていたわ。私達はそれだけの事をした」
 でも、あなた達がそれ程の強さを持っているのなら、大丈夫。託すことが、出来る。

「だから、行って」

「や、め……!」
 西村の叫びは、ひとつの銃声にかき消されていた。

 ――真実を、紡いで。

 その言葉とともに、森の木々が一挙に消滅し、二人の目の前に元の景色が広がった。
「あ、無事だったのね!」
 その場に戻っていたらしい日黄泉が駆け寄ってくる。後ろから、やや暗い面持ちをしたリーシェが歩み寄ってきた。
「一体、真実とは……」
 ライエルはぽつりと呟き、そっと手の中のプレミアムファイルを握り締めた。
 西村は衝撃に俯いていたが、ライエルの呟きを聞き、ライエルの方をそっと見る。
 先程歩いてきた道から、シャノンが姿を現した。シャツの腕の部分が所々裂け、そこから血が滲み出ている。見るからに痛そうだが、本人は全く気にしていないようだ。
「……大丈、夫ですか……?」
「ああ」
 西村の問いにシャノンはひとつ頷き、ライエルへと顔を向けた。
「全てを見届ける事は出来るか?」
「ええ」
 彼の言葉に、ライエルは強く言葉を返した。
「何でこんな事になったのか、殴り飛ばしてでも聞いてやるわ」
「そうか」
 シャノンは微かに笑いつつ、頷いた。
「これはまた新たに敵が出る前に、中に入った方が良いのかしら」
 日黄泉は首を傾げた。
「これだけいれば、何とかなるだろう」
 リーシェもその言葉に賛同する。
「じゃあ、正面突破ね。行くわよ」
 その言葉と共に、五人は一斉に一軒家の入り口から中へと突入していった。


 *****


 先程の敵襲が最後だったのか、拠点となっている場所は恐ろしいほど静かで、人ひとり見当たらなかった。
 五人は地下の階段を降り、ひとつひとつ部屋を見て回っている。ひとつの部屋には基本二つから四つまでベッドがあり、どれもサイズは小さめだった。部屋の中は思った以上に清潔感が漂っている。机の上には、子供の写真で溢れている写真が貼ってあったり、ベッドの上にはぬいぐるみがぽつんと置いてあったりしていたが、どの部屋も荷物はほとんどない。
「随分、子供の持ち物が多いのね……」
 日黄泉が銃を手に、部屋の中に入りながら呟いた。西村も頷く。
「ほとんどの部屋がそんな感じだな」
 リーシェも同感だったらしく、ポツンと呟いた。
 ライエルが奥まった所にある部屋の扉を開けようとした時、シャノンが素早くそれを制した。
「この部屋、人の気配があるぞ」
「……」
 他の四人に緊張が奔るなか、ライエルは全員と顔を合わせ、ひとつ頷くと思い切って部屋の扉を開け放った。拳銃を構えながら、全員で中に突入する。

「……まさか、お前が来るとはな……」

 その部屋は、他の部屋に比べて数段大人らしさを増していた。五人の向かい側に大きな机がひとつ。その机に、ひとりの青年が腰掛けていた。彼はライエルを見て目を瞠り、そしてそう一言漏らした。
 先程の少女の会話から、ここに居るのがアルフレッドであると理解してはいたが、改めてその顔を前にして、複雑に混ざり合った感情が浮かび上がるのをライエルは感じていた。
「ここは、一体、何?」
 簡潔にライエルが聞くと、青年――アルフレッドは、肩をすくめた。
「見ての通り。簡単に言えば、暗殺集団」
「な……」
 アルフレッドの答えに、ライエルは絶句した。代わりに、日黄泉が口を開いた。
「どうして、どうしてあなたは隠していたの?」
 本当の事を。
「そりゃ、言えないだろ。まさか自分は犯罪起こして飯食ってますなんて口が裂けても言えないさ」
「それはそうだけど……」
 更に言い募ろうとした日黄泉の横に西村が出た。
「あなた、は、映画の中から……犯罪集団、だったの……ですか?」
「ああ」
 アルフレッドは頷いた。
「でも、例え、あなた、が悪役……だった――としても、銀幕市に実、体化して……まで、悪役になる、必要は……ないで……はないですか……!」
 どうして、新しい道を歩もうとしないのか。愛する人と共に歩もうとしないのか。西村は必死に語りかける。
 ――何故ならば、過去、彼女は自分が愛した人をこの手であの世へと送ったから。その苦しみを知っているから。
 西村の言葉に、アルフレッドはふと、両手を広げた。ライエルは反応し、銃口を彼に向けた。それに構う様子も無く、彼は話し始める。

「なあ、自分が自分である為には、何が必要だ?」

「え?」
 突拍子もない言葉に、思わずライエルが聞き返した。
「自分が自分である為に、まず、自分の体、精神、自分の仕事、今までのキャリア、周りの友人、家族、敵……それがあって始めて自分は自分であると言える、だろ?」
「……」
「俺は善悪の前に、俺で居たかった。俺がそれで悪と認められてしまうなら、善と向き合うまでじゃないか?」
「……で……も……」
 何も言わずにただ銃口を突きつけるだけのライエルの横で、西村が口を開いた。
「新しい、道を歩む……事だっ、て、自分が……自分で、ある……為、に必要……では、な、いですか……」
「……」
 アルフレッドは笑みを浮かべたまま、沈黙した。
 その時、それまでリーシェと同じように、入り口付近の壁にもたれかかり、会話を聞いていたシャノンが口を挟んだ。
「この時まできて、まだ隠すのか」
「……お前は、聞いたのか?」
 アルフレッドの問いに、彼は口の端を上げた。
「ああ。栗色の髪の少年からな」
「隠すって、どういう事?」
 日黄泉が詰め寄る。女性三人衆の剣幕に、アルフレッドもお手上げと手を上げた。
「実際は、子供達が何不自由なく暮らせるように金が必要だったんだよ」
「……子供達?」
 ライエルは呟いた。そういえば、やたらと子供の部屋が多かったのを思い出す。
「ここは実際は孤児院だ。俺も、子供達も、皆親に死別や捨てられたんだ。俺がここをまとめ始めの頃は、まだそんな事はなかった。金はなくて貧乏だったがな」
 そう言って、ふと、彼の顔が真顔になる。
「ただ、ある日な、俺にひとりの男が尋ねてきたんだ。そいつは大量の金と見返りに、俺に暗殺の仕事を寄越してきた」
 俺だけなら、良い。そうすれば、皆が学校に行ける。そう思って受けたのだ。けれども。
「そいつは、いつの間にか子供達にまで要求、いや命令の手を伸ばしていた」
 気付いた時には、もう全てが手遅れだった。もう仕事はしない、そう言えばたちまちどこからか違う子供がやってきて、子供の命をかっさらっていく。
「……ライエル、よく聞け」
 ふと、彼が名を呼んだ。
「そいつは――……警察に癒着してるんだよ。だから誰も手ェ出せねえんだ。しかも実体化してやがる」
 彼の放った言葉に、ライエルは頬を強張らせた。過去の断片が甦る。
(どうして捜査を打ち切りにするんですか!)
(上からの命令だ。逆らうことは許されない)
 あの、理不尽な事件が甦る。ライエルは唇を噛み締めた。
「まあ、ここの事が露見したことはかえって良かったのかもな」
 やっと子供達はまともな人生を送れる。そう言ってアルフレッドは笑った。
 その安らかな笑みを見た瞬間、ライエルの脳裏にアルフレッドとの記憶が走馬灯の用に奔っていった。これまでの、様々な喜怒哀楽が。
 
 そう、大好きだった。
 一挙一動を見ているのが楽しかった。
 一緒に居るだけで、幸福な時間を過ごせていた。
 今までも、これからも一緒にいるのだと、思っていた。

 でも。
 この人は、自分がここのリーダーであると認めてしまった。
 何よりも彼の表情で、分かってしまった。彼の覚悟とそれにかける信念を。
 自然と銃を持つ手が震える。だが、涙を見せる訳にはいかない。
「……こんなことに、なるのなら……、あなたと出会わなければ、良かったのに……」
 その言葉に、彼は苦笑を浮かべた。
「いつまでも天邪鬼な奴だな。……悪いな、もう俺は決めているんだ」
 彼の手が、ポンポン、とライエルの頭に軽く触れた。


 その時不意に、西村が口を開いた。
「……つづけますか?……終わりますか……?」
 その生命を。
 アルフレッドは頷く。
「皆、死なせといて俺一人、つづけるわけにはいかねえさ……終わりに、する」
「……恨ん……で、く、ださい」
 答えを聞いた西村はぽつりと呟き、ライエルの横に歩み出た。何かを察した鴉が鋭く鳴いて西村の行動を阻もうとする。
(駄目です! 主!)
「ごめ、んね……」
 そう呟いた西村は鴉もろとも、ライエルを思い切り突き飛ばした。不意をつかれたライエルは床に転がされた。
 そして彼女は死神の力を発動する。強制成仏の力を。ライエルがアルフレッドの命を絶つ前に。
 ――ああ、そうだ。
 少しずつ、成仏の力によってその姿を薄くしていくアルフレッドが、何かを思い出したように呟いた。
 ――ここでは、二十歳になると、成人式とやらをやるらしいんだよな。
「え、え。……そうで、すけ、ど……」

 ――最後にあいつらの晴れ着姿、見たかったな――。

 その言葉を最後に、アルフレッドの姿は消え、カランという音を立てて、ひとつのファイルが床に転がった。それを半ば呆然とした表情で、ライエルが拾う。

「……間違って、いる、と、分か、って……います……」
 自分のした事が。ぽつりと西村が呟いた。
 けれども。あの時のあの苦しみを彼女に味わわせたくはなかったから。
 その罪の意識に苛まれる事がないように、それならば自分が罪を被る。だから敢えて、西村は普段滅多に使うことのない、強制成仏の力を発動したのだ。
「……あなたは、優しいのね……」
 ライエルは掌にフィルムを載せ、微笑した。
 その時、辺り一面が白い、白銀の光に包まれた。
 実体化していた、この拠点が、粉となって、消えていく。
 
 分かっている。
 誰が悪いなんて、所詮決めつける事の出来るものではないのだ。
 だから。だけども。


「――うわあああああああっ!」


 白い光の中で、ライエルは顔を歪め、自身の身体をもぎ取られるような、ねじれるような、心の痛みに絶叫した。喪失の痛みに。



 *****



 後日、コーヒーを飲みながら、送られてきた郵便物を確認していたライエルの目に、ひとつの手紙が留まった。
 それはアルフレッドからの手紙だった。
 ライエルは目を見開き、そして封を開ける時間さえ、もどかしく感じながら封を開いた。
 それは二枚からなる手紙で、一枚目はあの彼が話していた黒幕に関する情報のようだった。
 二枚目を開き、そこに連なる文面を見てライエルはふと微笑む。
「本当に不器用なんだから……最期まで」
 そして、青々と澄んだ空を見て、高らかに、強く、彼女は誓う。


 ねえ、アルフレッド。
 私は、戦うよ。



 ひらり、と彼女の持っていた一枚の便箋が、宙を舞った。


 ライエル 

 あなたと出会えて、一緒にいることが出来て、幸せだった。

 ――アルフレッド


クリエイターコメントお待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
今回、皆様のお力により、犯罪集団とならざるを得なかった彼らは、安息の時を得ることが出来ました。
そして、ライエルは、恋人を自らの手で消すという苦しみに陥る事無く、喪失の痛みを得ることだけで済んだ事にお礼を申し上げます。
そして、ライエルは再び立ち上がりました。いつかまた、彼女が戦いに赴く時があるかもしれません、その時、再びお手を貸して頂ければ幸いです。

今回、ハッピーエンドを望む方が多く、非常に心苦しかったのですが、このような最後にさせて頂きました。しかし、決して哀しい終わりではなく、どこかに光が差していることを感じていただければ幸いです。

それでは、またいつか、シナリオでお会いできたら嬉しいです。
公開日時2007-07-22(日) 22:40
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