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<ノベル>
ヨミは、平凡な男だ。
銀幕市に実体化してからは、ごく普通の一般市民として暮らしている。
対策課で市民登録をし、今まで着ていた中世ヨーロッパ風のなめし皮のチョッキの他にも、Tシャツとジーパンを着るようになり、様々なアルバイトをし、安いアパートに部屋を借りて一人で住み始めている。
たまにやってくる黒猫が一匹。それだけが同居人だ。
ヨミはどこからどう見ても、善良な青年で、人畜無害の存在だった。
しかし、彼は魔王だった。
ヨミは世界を滅ぼす力を持ち、勇者に倒される運命を与えられた魔王なのだった。
* * *
彼は散歩をするのが好きだった。剣と魔法のファンタジーを描いた映画から実体化したヨミには、この街は珍しいものばかりだからだ。
まだ寒さの残る春の日のことだ。彼は近所の公園へと出掛けた。
花見と言って、この街の人々は桜という花をこぞって見に行くらしい。そんなことを彼はアパートの大家から聞いていた。
「なんとも、のんびりした習慣ですねー」
思わず独りごちながらも、のんびり公園へと足を踏み入れるヨミ。
桜というものはすぐ分かった。辺りの木々には桃色の小さな花が、そこかしこに咲きほこっていた。桜は一気に咲いて一気に散るものだという。すなわち、この時期だけしか咲かないのだ。
「なるほどねー」
ヨミは思わず感心してため息を漏らす。ファンタジーの世界しか知らなかった彼にとっては、この銀幕市の街での生活は、驚くことや知らないことばかりだ。
桜然り。自動車然り。携帯電話然り。実体化してから最初のころは、行き交う車に驚き、小さな箱──携帯電話を耳に当てて話している人を不思議に思ったものだ。
さまざまな電化製品の使い方を覚えるのには、少々時間がかかったが、それだけだった。世界は違えど、同じ人間だ。人々の生活はヨミの世界とそれほど変わりはしなかった。
ほどなくして、彼は映画の中で暮らしていたように、自分の生活のペースを取り戻していた。朝、目覚めたら仕事に行き、夜には自宅に戻って夜食をとってから寝る。いつもの平凡な毎日を続けていくのだ。
だが、そんな生活の中でただ一つ、足りないものがあった。
──ミライ。
彼の妻だ。
それはむしろ、彼の生活の中心ともいえる存在であり、彼の生きがいであり、彼が最も大切にしている存在だった。
ヨミとミライは小さな幸せをかみしめながら、ただ普通に暮らしていた。
彼らは、自分たちの子供の誕生を心待ちにする、普通の夫婦に過ぎなかったのだ。
──いってらっしゃい。
──今日は遅くなるの?
まだ、結婚したばかりだった。
自分の大きくなった腹を、優しくそっと撫でながら。彼女は毎朝、ヨミを送り出してくれた。
それが──なぜ、あんなことになったのだろう。ヨミは公園の道を、桜の下を歩きながら物思いにふける。
突然、身重の妻が失踪したのだ。
そして、数日後。ヨミは“世界の中心”と呼ばれる地底の奥深くで、大きな繭の中に彼女を見つけた。
そっと手を伸ばすヨミ。
ここから彼女を助け出さなくては──。すると、触れてもいないのに繭の皮がめくれ、少しずつ破れていった。黒く蠢く影のようなものがヨミの身体から染み出て、繭を破り出したのだ。
──お前に彼女を救う力を与えよう。
声無き声を聞いた。
ヨミはいっそう精神を集中させた。愛する女を助けるのだ。何も迷うことなどなかった。
その時、何かの物音を聞いてヨミはふと、そちらを見た。地面にコウモリが落ちて死んでいた。これは一体──と、思ったそばからコウモリがまた一匹、地上に落ちて死んだ。次から次へと、まるで雨のようにボタボタとコウモリが命を失い、床へ落ちてくる。
まさか。ヨミは思った。
自分が使ったこの力が、この小さな生き物を殺したのか?
試しに影を自分に戻せば、屍骸の雨は止んだ。妻の姿はまだ見えなかったが、コウモリの大量死は止まっていた。
いけない。
彼は自らの拳をぎゅっと握り締めた。この力を使ってはいけない。
あとで分かったことだが、この力こそが魔王の破壊の力そのものだった。
『救おうとするが故に破壊を引き起こす力』それがヨミの持つ魔王の力だ。この力は魔王にとっては愛する女を取り戻すための力なのだが、彼女を取り戻そうとすればするほど“世界”は破壊されていく。
そう。魔王は、世界を破壊する存在なのだから。
「キャーッ!」
誰かが上げた悲鳴で、ヨミは物思いからハッと我に返る。
そうだ、自分は今、花見をしようと公園を歩いていたのだった。彼は辺りを見回して、どこから悲鳴が聞こえてきたのか探ろうとする。
声は女のものだった。
すぐに、何か怒号のようなものと、パン、パンという乾いた音が遠くから聞こえてきた。谷間の方かと、ヨミがそちらを見れば、まさにその方向から数人が走ってきた。花見客らしき彼らは後ろを振り返りつつ、足早に逃げて去っていった。
この下だ。一体何が起こっているというのだろう。
いずれにせよ、何か事件が起こっていることは間違いない。ヨミは心の赴くままに、谷間の方へ。坂道を駆け下りていった。
「──脅しじゃねえんだぞ!」
谷になった場所にも桜が多く咲いていた。そこにまだ、たくさんの人々がいた。ある者は立ち、ある者は座ったままで、皆一方向を凝視している。わぁんわぁんと子供が泣いている声だけが、のどかな春の公園の中に響いていた。
花見客が見ていたのは、チンピラ風の黒尽くめの男女だった。
彼らは手に何かの武器らしきものを持って、周りの者たちに向けている。ヨミにはよく分からなかったが、それは銃器だった。2丁ずつ、計4丁の拳銃を手に、彼らは何事かを大きな声で叫びながら、花見客たちを脅している。
怪我をした者はいないようだった。しかし、酒瓶が割られ、弁当などの食べ物がめちゃくちゃに踏み荒らされていた。
泣いていたのは、ある家族の一番小さな子供だった。まだ5歳ぐらいの少女だ。座ったまま身動きも出来ない母親にしっかりと抱きついて、泣きわめいている。
「うるさいねッ」
その子供に目を留め、女の方がつかつかと家族の元に歩み寄った。
「早く、有り金を全部よこしな」
身体を強張らせる母親に向かって、低い声で凄んでみせる。「財布をよこせば、解放してやるよ。さあ!」
母親が何か言ったが、それは言葉になっていなかった。若い母親は、ただ恐怖に怯えて子供を抱きしめている。
彼女の腕の下から、子供の細い腕が見えている。それが小刻みに震えていた。
「おい聞こえてんのかよ!」
「こいつ……ッ」
すると、男の方も足早に近寄ってきた。──まずい! そう思ってヨミが走り寄ろうとした時はすでに遅く。彼は母親の肩を蹴り飛ばしていた。
短い悲鳴を上げて、倒れ伏した母親。しかし子供はまだその腕の中にいる。
男はその母親の身体を踏みつけようと、なおも足を振り上げ──。
──弾き飛ばされた。
「ギャッ」
「あんた!」
仰向けに倒れ、しこたま背中を地面に打ちつけたのは男の方だった。相棒の女が驚いて彼に駆け寄ろうとして、はたと足を止める。
どこからどう現れたのか。そこに若い男が一人自分を睨みながら立ちはだかっていたからだった。
「罪も無い人を傷つけるのは、やめて下さい」
魔王ヨミ。彼は一時的に別次元を通り空間を移動する能力を行使したのだ。
彼は男を体当たりで跳ね飛ばし、その場にしっかりと立っていた。そしてハッキリとした声で女に言い放つと、背後で身体を起こしている男を振り返る。
「ここからすぐに立ち去ってください。さもないと──」
「何だテメエは!?」
男はヨミに最後まで台詞を言わせなかった。地面に落としていた片方の銃を慌てて拾い、それを新たな敵、ヨミに向ける。
「正義の味方、気取りか?」
探るようにヨミの全身を見回す男。
なおも彼が黙っていると、何かに気付いたようにニヤリと笑った。
「そうか、お前はムービースターだな。なら話は早ぇえや……ッ」
──パンッ。乾いた音がして、ヨミは自分の右足を見下ろした。ジーンズに穴が開き細く煙が立ち上っている。
撃たれたのだ。
男が銃器でいきなりヨミの足を撃ったのだった。
しかし──。
「もう一度言います。この場からすぐに立ち去ってください」
ヨミは何事も無かったかのように男に近づいた。普通の人間なら歩けなくなったかもしれない。しかし、彼の受けた傷はごく浅いものだった。
なぜなら、それが彼の力であり、彼という存在の持つ特性であるから。
──ヨミは世界を滅ぼす魔王なのだから。
ひぃっ、と男は彼の姿を見て、情けない声を上げた。銃撃が効かないということをすぐに悟ったのだろう。後ずさろうとして、女と目配せし合う。
このまま逃げ出してくれるか。
そう思ったのもつかの間、男はパッと脇に目をやり跳ぶように走った。
何をする気だとは思ったが、男の動きは素早く、ヨミは反応しきれなかった。見れば、彼は先ほどの母親に駆け寄りその腕から無理矢理、少女の身体をもぎ取っていた。
アッと思った時には少女の身体は男の腕の中に吸い込まれている。
上がった悲鳴は母親と少女、二人のものだった。
「イヤぁっ!」
「立ち去るのはテメェの方だ!」
少女のこめかみに銃口をピタリと当てながら、男はヨミに身体を向けた。「邪魔なんだよ! このガキ殺されたくなければ、お前が去れ!」
「動くんじゃないよッ」
回りの人々に、ヨミに。女が銃を向けた。
幼い子どもを人質に取り、その子を殺そうとしているのだ。金を盗ろうとしている強盗が二人、幼い子どもを人質に。
その光景を見たとき、ヨミの中で何かが蠢いた。
奴らが、泣き喚く子どもを、人質、に。
──ねえ、あなた。
──この子の名前、何にしましょうか。
「やめろ!」
もぞり。魔王の瞳は、黒に覆い尽くされた。
伸ばした手の先から、何か黒いものが吹き出す。その凶々しい影は、うねり、生き物の触手のようになって一瞬のうちに男に襲い掛かった。
「ヒャァァッ!!」
黒い影は、まっすぐに男の手の中に銃器に絡みついた。メリッ。ミシミシッ。固い鋼が一瞬にして曲がり潰されていく。持ち主と少女が恐怖に怯えて叫ぶ中、銃器は、まるでその影に食べられてしまったかのように姿を消した。
そう、忽然と。
しかし影は動きを止めなかった。
一際高い、男の悲鳴が上がると、彼の身体は地面から数センチ持ち上がっていた。そこへストンと少女の身体が落ち、走ってきた母親が彼女をすぐに助け起こす。
キャアアア! と今度は相棒の女が、恐怖の悲鳴を上げた。
男の身体は黒いものに巻かれて姿がどんどん見えなくなっていく。苦悶の表情を見れば、その中にいて無事ではないことは明らかだ。
先ほどの銃器のように。
男の姿もこの世界から消えてなくなるのだろうか。世界を破壊する力によって“破壊”されてしまうのだろうか。誰もがそう思った。
最後に影から突き出した男の腕、それが助けを求めるように空を掴む。
その動きが鈍くなり、力を失おうとした時。
ガシッ。誰かの手がそれを掴んだ。
ヨミの手だった。
魔王自身が、男の手を掴んでいた。同時に、影はサッと四散してヨミの身体の中へと戻る。男は腕をつかまれたまま、呆けたようにヨミの顔を見ている。
無言のまま、ヨミが手を離すと、彼はそのまま地面に尻をついた。
一瞬だった。
女が相棒の名前を呼び、男も、ヨミも我に返った。
男は、そのまま足をもつれさせながら立ち上がる。女の手を掴みながら、二人はその場から逃げ去っていった。文字通り、一目散に。
ヨミは、チンピラの命をも助けてやったのだった。
谷間には、まだ大勢の人が残っていて。この事件の顛末を見守っていたが、誰も、一人として口を利かなかった。
ヨミは──魔王は、その場に立ち尽くしていた。
彼は『救おうとするが故に破壊を引き起こす力』を使った。しかし、相手を殺さなかった。それは──。
風が、ごおっと吹いて、彼の頭上に桜の花を散らす。
──ミライ。
──見ていてくれているだろうか。
見上げれば、桜の桃色の花が彼を取り囲んでいた。たくさんの花。すぐに散ってしまうという、儚い花。
ヨミは自分の胸元で拳を握り締め、心の中で言う。
自分は、この力に頼らない、と。
きっと彼女なら。
優しい彼女なら、他人の命を奪うことを良しとするはずがない。
桜の木の枝が、彼に呼応するように優しく揺れた。それがまるで、彼の言葉にうなづいている妻のように見えて。ヨミは、微笑んだ。
もうすぐこの街の魔法は消えてしまうらしい。この桜の花のように、散ってなくなってしまう。それでも、自分は精一杯生きよう。彼はそう思った。
破壊の力を使わずに彼女を助ける方法をじっくりと考えるのだ。
それに──。もう一つの考えが心に思い浮かんで、ヨミは深く息を吸い込む。
もしかすると、この街での時間は妻が自分にくれたものなのかもしれない。そう思えば、何だか優しい気持ちにもなれるではないか。
「お兄ちゃん」
足元からの声に振り向けば。あの少女が自分を見上げていた。後ろにはあの母親がいて、目が合うと無言で頭を下げてくれた。
「助けてくれて、ありがとう」
ヨミは彼女の頭に手を置いた。
「こちらこそ、ありがとう」
そうして、魔王は少女に礼を言ったのだった。優しい微笑みを浮かべながら。
* * *
ヨミは、平凡な男だ。
銀幕市に実体化してからは、ごく普通の一般市民として暮らしている。
それでも、花見に出かけて悪人に襲われそうになった母子を救ったりもする。銀幕市に住む人々に害を為そうとする存在に立ち向かうこともある。
ヨミはどこからどう見ても、善良な青年で、人畜無害の存在だった。
そう。それでも彼は魔王なのだった。
ヨミは世界を滅ぼす力を持ち、勇者に倒される運命を与えられた魔王なのだった。
(了)
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クリエイターコメント | 初めまして。そして、ご指名ありがとうございました!
オファー内容にお任せ要素が多かったので、いろいろこちらで加えましてこんな風になりましたがいかがでしょうか。 珍しく、セリフの少ないノベルとなりました。
何かご不明な点や誤字・脱字、設定の読み間違いなどありましたらご指摘くださいね。可能な限り対応させていただきますので。
それでは! まだまだ続く楽しい銀幕ライフを! |
公開日時 | 2009-04-23(木) 18:10 |
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