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<ノベル>
元の世界に戻りたい、という気持ちはあります。だけど……でも。
ヨミが、ヒュプノスの剣もタナトスの剣も使わないことを選んだのは、ひとりの誰かを犠牲にして……という考え方が、どうしてもしっくり来なかった、納得できなかったからだ。
――まるでそれは、故郷での自分たち家族のようだ、と思ったから。
システムに取り込まれ世界の礎にされてしまった愛しい女と、彼女に宿る小さな命、そしてそれを救うために魔王となったヨミ。ひとつの家族を犠牲にしてまわる永久機関。それがヨミのいる世界だった。
ヨミは歴代の魔王がそうしてきたような、世界を破壊することで愛する家族を取り戻そうとはしていない魔王だった。システムに気づき、そのシステムを理解しながらも、別の方法で家族を救い出そうと足掻く魔王なのだ。
そんなヨミが、世界のために家族を犠牲にすることをよしとはしなかった、しかし世界を諦めようともしていなかった彼が、どちらの剣も使わないことを選んだのは、だから、ある意味必然だったのかもしれない。
誰かひとりを犠牲にする前に、足掻ける可能性があるのなら、その希望に賭けたいんですよ。
ヨミはそう、頭を掻きながら、選んだ。
* * * * *
ヨミは先日の戦闘で守った公園のベンチに腰掛け、空を埋め尽くすがごときマスティマの威容をぼんやりと見上げていた。
「巨(おお)きい……ですねぇ……」
六十七億の絶望が集って、あれになったというのだ。
人々の心の中に、あんな絶望がわだかまっているというのだ。
――見れば見るほど、巨きい。
本当に太刀打ち出来るのか、勝てるのか、神ならぬヨミに判るはずもない。
しかし、やらねばならない、と思うだけだ。
覚悟ならとうの昔に決めている。
絶望なら、この世界に実体化した時点で受け入れている。
「犠牲を……一番多く出す、のかも知れませんけど……ね」
しかしやはり、剣を使う選択肢は、ヨミにはなかった。
ヒュプノスの剣を使うことは、自分が魔王の力を行使して世界を壊すことに似ている、と思う。
蠢く闇から魔物が発生し、これからも変わりのない、スリリングな毎日が待っている。
そして、タナトスの剣を使うことは、愛する妻とその腹にいる子を、繭の中にそのまま眠らせておくことに似ている、と思う。
人同士の争いはあるかもしれないけれど、理不尽な力に脅かされることもなく、ずっと平和であるから。
「でも、なんというか……違うんですよねぇ……」
この未曾有の危機において神が示す選択肢は、彼の故郷でシステムが示したそれに似ている、と、ヨミは思う。
人々に、『これしかない』ように思わせて、他に選択や分岐点が存在するはずの未来を覆い隠し、システムの推奨する、決まった運命を甘受させようとでも言うような、むずむずと収まりのつかない違和感をヨミは抱いている。
だからこそ、ヨミは剣を使わないことを選んだ。
どちらの剣も使わないことは、システムから妻子を取り戻し、魔王にもならない、と決めた、システムに反逆することを選んだ故郷でのヨミが取っている行動に、似ているようで似ていないけれど。
「まだ、何も、決まってはいないんですから」
犠牲が一番多く出るかもしれない。
でも、誰の犠牲もなく勝利出来るかもしれない。
この街に、ヨミの世界を支配するシステムは存在しないのだ。
なにひとつとして、決め付けてしまう必要など、ない。
「『希望』があるのなら……私は、それを選びたい」
実体化したのだと自覚したときから抱いている、自分は間違っていないのだという思いに、反するような気がするから。
「絶望を受け入れ、ともに歩き、希望を見い出しましょう」
今は絶望しか見えなくとも、圧し掛かるそれに押し潰されそうな気さえしていても、その絶望の向こう側にある、希望という名の光を、諦めることも疑うこともしたくはない。――手を伸ばして、その光を掴み取りたい。
故郷でも、この世界でも、ヨミの思いは一緒だった。
「どっちの剣も使わない、に決まったって! 今メール来た!」
と、唐突に声が響き、同時にばたばたという足音がして、公園の前の道路を、数人の銀幕市民たちが走っていく。
どの顔も、ジャーナルで見たことのあるものだった。
どの顔も、厳しく引き締まり、まっすぐにマスティマを見据えている。
そこに絶望の色は、なかった。
「……」
ヨミはもう一度空を見上げ、マスティマがわだかまる天を見つめた。
絶望はまだ、そこにたゆたっている。
しかし、ヨミはふっと微笑んだ。
「さあ……行きましょうか」
自分に気合を入れるように――とは言え、のんびりとした静かな口調だったが――言って、ゆっくりと立ち上がる。
カフェでの話し合いで、ヨミは緊急時の避難経路確保と病院の防衛に当たることになっていた。
まだ、出来ることがある。
まだ、諦めるのは早い。
「もしかしたら、間違っているかもしれないけれど」
あちこちから、どこか見覚えのある銀幕市民たちが走ってくる。
中には、ヨミに声をかけながら走り過ぎて行く知人の姿もあった。
自然とヨミの足取りも速くなる。
唇は、静かだが強い意志の含まれた笑みを浮かべていた。
「ミライ。これが、私の取った選択なんです」
今は声も届かない遠くにいる、愛しい女に向かって告げる。
声が誇らしげですらあったのは、間違っているかもしれないと言いつつも、後悔はしていなかったから。
――巨大な絶望が空を埋め尽くしていても、ヨミは怯まない。
絶望の向こう側にある光を、信じている。
だから、彼は、戦う。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました。 お届けが遅くなりまして申し訳ありません。
ヨミさんの心を、このノベルに預けてくださったことに感謝いたします。
多くは語りません。 どうか、選択のすべてに救いと安息が満ちていますように。
ありがとうございました! |
公開日時 | 2009-05-31(日) 10:20 |
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