★ 【終末の日】始まりの場所 ★
<オープニング>

 その日は何のまえぶれもなく、訪れた。
 いや――
 兆しは、あったのだ。
 不気味に蔓延する『眠る病』。杵間山に出現したムービーキラーの城。青銅のタロスの降臨。そしてティターン神族の最後の1柱となったヒュペリオンの、謎めいた行動――。さらに言うのなら、2度にわたるネガティヴゾーンの出現も、それにともなう幾多の悲劇も、また。意図されたかどうかにはかかわらず、それらはみなこの日へとつながっていたのだろう。

 このままでは、いつか、銀幕市は滅びることになる。

 そうだ。そのことは、今まで、何度となく指摘されてきたではないか。
 そもそもこの魔法それ自体、人間が生きる現実には、あってはならないものなのだから。

「それでも……、人はいつだって生きることを願うもの。そうだろう?」
 言ったのは白銀のイカロスだった。
 タナトス3将軍が、その空の下にたたずんでいる。
 杵間山での戦いが決着した、その報せと時を同じくして、銀幕市の上空に、まるで鏡合わせのように、もうひとつの蜃気楼のような街があらわれたのだった。
 アズマ研究所では、ネガティヴパワーの計測器の針が振りきれたらしい。急遽、ゴールデングローブの配給が急ピッチで進んでいる。
「どう見る?」
 青銅のタロスが、空を睨んだまま、うっそりと訊いた。
『ネガティヴゾーンであろう。本来なら、山にあらわれるはずだった』
「そっちがふさがれてしまったので、別の場所にあふれてきたということか」
「もはやそこまで……猶予をなくしているのだな」
『左様。このままでは、我らの使命が果たされぬうちに、この街が滅びることにもなりかねぬが……』
 そのときだ。
 空を覆う蜃気楼が、ぐにゃりと歪んだ。
 そして、まるで絵を描いた布を巻き取るように、その図案が収縮していく。
「あれは……」
 人々は、戦慄と畏怖をもって、それを見た。
 蜃気楼の街は消えた。
 しかしそのかわりに……市の上空に、あたかももうひとつの太陽のようにあらわれた光球と、そこから、いくつもの小さな光が飛び出すのを。


『非常事態だ。繰り返す。非常事態だ。これは訓練ではない』
 マルパスの声だった。
『あの巨大な光球は、それ自体がネガティヴゾーンであることが判明した。飛びだした光はディスペアーと考えられるが、中型規模で、強いネガティヴパワーの反応をともなっている。この対象を、以後、『ジズ』と呼称する。ジズ群は1体ずつが銀幕市街の別々の場所に向かっており、地上へと降下を行うものとみられる。降下予測地点について対策課を通じて連絡する。至急、各所にて迎撃にあたってほしい。……諸君の健闘を祈る!』


 ★ ★ ★


 滅びに抗う人達が、慌ただしく散っていく。
 対策課の責任者として、また一人の銀幕市民として、植村直紀は頼もしい背中を送り出した。
 後方支援の中心として植村は働き続け、気づけば、傾いた太陽が室内をオレンジ色に染める頃合いだった。
 銀幕市の各所でジズとの戦いが繰り広げられている。すでに決着がついた場所もあるだろう。
 あと一体、降下地点が判明すれば対策課の役割は終わる。職員一同がマルパスからの連絡を待ちわびていた。
「お疲れ様です」
 灰田汐がそっと、ミルク入りのコーヒーを差し出す。
「――り、……。ありがとうございます」
 植村は礼を言おうとして、喉が嗄れていることに気づいた。弱い苦笑を浮かべ、カップを受け取る。ぬるめの液体が喉を潤し、砂糖の甘みがじわりと舌先に広がった。
 各地から届く状況報告が、対策課を飛び交っていた。吉報と凶報が相次いで、植村は内蔵をかき乱されるような不安感に襲われる。
 汐が彼の顔色を伺う。
「少し休憩してください」
「ですが……」
「植村さんが倒れたら、元も子もありませんから」
 ね? と気遣う彼女に従い、植村は応接用のソファに移動した。職員が入れ替わり立ち替わり、甘い物やおにぎりを置いていく。
 植村はそれらを口にして、軽く目をつぶった。

 リオネの魔法が解けるまで、ディスペアーを含め様々な危機が銀幕市を襲うだろう。
 そして住民は、何度でもそれと戦うだろう。
 夢を見続けたいと望む限り。

 コーヒーカップを両手で包み、植村は息を吐く。
 その時、連絡担当についていた邑瀬文が叫んだ。
「マルパス司令より入電です! 最後のジズの降下予測地点は銀幕市役所、ここです」
 課内が一瞬、無音に満たされた。
 幸い、と言うべきか。市役所は通常業務を停止している。
 建物にいるのは対策課の人間と、最後のジズと戦うため、ここで待機している人達だけだ。
 沈黙にひびを入れるように、小声の会話があちこちで交わされた。不安げな顔がいくつも、植村の発言を待っている。
「皆さん、避難してください!」
 逡巡を振り払い、植村は職員に命じた。人命に勝るものはない。
「待って……待ってください」
 汐が止めた。
 彼女は住民名簿を抱えようと努力していた。ぶ厚いファイルは彼女の腕には重すぎて、バサバサと書類が散乱する。
 邑瀬が言った。
「内容はデータベース化されています。原本は諦めてください」
「そういう問題じゃありません!」
 汐が、彼女にしては珍しく声を荒げる。
「皆さん、ここへ来て住民登録していったんです。銀幕市の一員になって、新しい生活を始められて、色々な活躍をされて。その最初の一歩を、ジズが踏みにじろうとしているんです」
 涙が一粒、こぼれ落ちる。汐は怒りに顔を歪め、唇を噛んでいた。
 植村は対策課を見渡した。
 ジャーナルのバックナンバーやスタジオで撮影された写真が、掲示板や職員の机にある。
 注意深く見れば、住民からのプレゼントや、スターと一緒に実体化したアイテムも風景に溶け込んでいた。
 対策課が発行・無料配布している『ムービースターの背景を知ろう:世界観総まとめガイドブック』は三月にその99が発行されたばかり。その100記念号は何の特集をするか、皆で話し合ったのはつい先日のことだった。
 厳重に管理されているプレミアフィルムも、事件が存在した証だ。
 他にも、列挙するのが難しいほどの過去がぎっしりと詰まっている。
 対策課が発足してから二年半と少々。色々あった。ジズに蹂躙するのは何も、形あるものばかりではない。
「こうむいんがこうきょうのしせつをみすてるのー?」
 カウンターで、鉢植えの『人魚姫』が腰に手を当てて怒る。マーメイド型の肉食植物は、市役所のマスコットとして住民から可愛がられていた。
 植村はシャツの袖をめくり上げ、待機していた人々に告げた。
「皆さんには市役所で、ジズを迎撃していただきます」
 承諾の返事が重なる。
 植村は頷き、職員を振り返った。
「市役所は安全ではありません。すみやかに避難してください。けれど、戦えるのであれば協力を願います。――ここを守ってください」
「「「はい!」」」
 汐と、職員達は声を揃えた。



 まろやかな色の光をまとった中型のディスペアーは、銀幕市役所の上空へ飛来した。
 コウモリのような翼を生やした光球は、銀幕市役所を見下ろし。
 衝撃波を放った。





!注意!
イベントシナリオ「終末の日」は複数のシナリオが同時に運営されますが、一人のキャラクターが参加できるのはいずれかひとつになります。

種別名シナリオ 管理番号988
クリエイター高村紀和子(wxwp1350)
クリエイターコメントこんにちは、高村紀和子です。
一体のジズが市役所に降下します。被害を最小限に食い止めつつ、迎撃をお願いします。

皆様のプレイングによってはPC・NPCが負傷したり、建物が損壊する可能性があります。最悪の場合、取り返しのつかない被害が発生するかもしれません。
了解の上、ご参加ください。

市役所にいるのは対策課職員と皆様だけです。
職員の戦力はアテになりません。
スターの方はゴールデングローブを装備しての戦闘となります。能力が制限されますので、注意してください。

対策課職員一同と共に、皆様のご活躍を期待しています。
ご武運を。

参加者
ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
ベル(ctfn3642) ムービースター 男 13歳 キメラの魔女狩り
セバスチャン・スワンボート(cbdt8253) ムービースター 男 30歳 ひよっこ歴史学者
クロノ(cudx9012) ムービースター その他 5歳 時間の神さま
ウィズ(cwtu1362) ムービースター 男 21歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

●Resist the Negative

「対策課には色んな意味でお世話になってるしさ。全力で守らせていただきます」
 ウィズは真剣な目と軽い口調で請け負い、胸を叩いた。
 スチルショットを手にしたコレット・アイロニーは、邑瀬に話しかけた。
「出来たら、邑瀬さんが使ってたみたいな通信器具、みんなのぶん、欲しいな」
「ただの携帯電話ですが、急に人数分となると……」
「それなら任せて。こういうもの、用意してあるんだ」
 ウィズは持参した無線を全員に配る。それから、と言葉を続けた。
「船からギャリック砲も持ってきたんだ。誰か設置手伝って!」
「俺、行きます!」
 山西賢児が名乗りを上げた。体力のありそうな職員数名と共に、玄関先へと走る。
「本ッ当に危なくなったら逃げろよ、逃げろよ!」
 セバスチャン・スワンボートは職員達に念を押した。
「物より大事なのは、生きてるお前らなんだからな」
「わかっています、セバスチャンさん」
「はい、セバスチャンさん」
 うっかり本名を呼んだ植村に、天然の汐がつられた。
「フルネームで呼ぶな、ダメ、ゼッタイ!」
 セバンは強い口調で、数の暴力を非難した。
「あそんでるひま、あーるーのー?」
 カウンターの人魚姫が唇を尖らせる。
「セバンは余裕だね。ま、がつーんとやっちゃおっかー」
 ゴールデングローブを装備したベルは、軽く体を動かして具合を確かめた。
 いつもの動作に、倍以上の時間がかかる。少年兵として『作り出された』ベルにとって、感覚の調整は難しいものではなかったが――十全の力を発揮できない、というのは不満だ。
「危険だからさー。出来れば、戦えない人は隙を見て避難してよ」
 ベルの発言は強弱がないことも相まって、薄情に聞こえた。安全を考えての勧告だったが、残っているのは戦うつもりの人々なので、あまり効果はなかった。
 クロノはゴールデングローブを差し出した職員を、「待つにゃ」と片手で止めた。
「全員集合にゃよ〜。我輩に力を貸すにゃ!」
 呼び出し用のベルを連打して、他の時間軸から自分自身を呼び出す。
「任せるニャ」
「任せるニャ」
「任せるニャ」
「任せるニャ」
「任せるニャ」
 以下略。
 たちまち、黒い毛並みが対策課にあふれた。その数は三十匹を超えている。ゴールデングローブで力が制限されるなら、数で勝負しようという考えだ。
 過去と未来のクロノを大量に引き連れて、現在のクロノは胸を張った。
「猫海戦術にゃよ!」
「神様だろ!」
 セバスチャンの鋭いつっこみが入る。
「細かいことを気にするにゃ」
 やれやれ、とクロノは肩をすくめた。
 ファレル・クロスは場違いな明るさにため息をつき、特殊能力を使用した。
 市役所周辺の空気分子に干渉して凝固させ、対ジズの盾を形成する。
 ――スムーズな連携のお陰で、少ない時間にしては十分すぎるほどの準備が整った。



●Opposite of the Despair

 光の球が、夕暮れの空を横切って市役所に飛来する。
 ジズは上空で停止すると、衝撃波を放った。初撃はファレルの形成した防御壁とぶつかり、高周波の摩擦音を響かせる。
 第二撃の準備に入るジズに、ギャリック砲が浴びせられる。
 一方、ファレルとコレットは市役所と反対側の物陰に潜んでいた。
「鬱陶しいですね……」
 ファレルは腕のゴールデングローブに対して呟いた。
 空気分子を固めた槍は、ジズに遙か及ばない地点で霧散した。接近手段として空気分子の足場を作ってみたが、踏んだだけで壊れてしまう。
 予想以上に力を制限されている。彼の戦闘スタイルは、特殊能力を駆使することで真価を発揮する。能力を封じられたに等しい状態では、隣にいるコレットを守るのがせいぜいだろう。
 だが、今の限界が『そこ』なら、全力を尽くすまでだ。
 対策課にあったライフル銃を手に、ファレルは隣の彼女に言った。
「守りますから」
「ありがとう。でも……私の方に注意を引きつけることが出来たら、みんなだって職員さん達だって、ちょっとの間だけど……安全になるわ」
 コレットは決意を秘めた表情で、物陰から飛び出した。
 スチルショットから放たれたエネルギー弾が、ジズに命中する。痛手を負った奴は向きを変え、彼女に狙いを定めた。
「コレットさん!」
「「「我輩だってやるにゃ!」」」
 ファレルが引きずり戻すより早く、クロノ達が動いた。
 ジズを取り囲むように展開していた彼らは、一斉に【時間転換】を使う。
 時間をエネルギーに転換する、本来なら莫大な威力を持つ攻撃技だが――今は、本来の威力の数百分の一にも満たない。
 しかしささやかな攻撃でも、翼に集中すれば相手をよろめかせる役に立つ。横やりを入れられたジズは、クロノ達を確認するかのように一回転した。
「これでも食らいな!」
 ウィズの指揮するギャリック砲が、続けざまに火を噴く。先制としては上出来で、四方から翻弄されたジズは上空を旋回している。
 しかしスチルショットをチャージする間は、ギャリック砲に頼りきりになる。攻撃が外れれば、次の装填までジズの猛攻が続く。
 空中の相手に接近する手段を持たない以上、遠距離攻撃を重ねるしかない。長期戦にもつれ込んだ結果、じりじりと被害が増えていく。
 ファレルの防御壁は頑丈だったが、何度も攻撃を受けてぼろぼろになっていた。防ぎきれなかったエネルギーが壁を削ぎ、屋根を痛めつける。
 見守る職員の一人が、何も出来ないのか、と震える声で呟く。
 その時、対策課のセバンから無線連絡が入った。
「準備できたぞ!」
「取りに行ってきます!」
 挙手して、山西が対策課に走る。
 その間にとうとう衝撃波が防御壁を貫通し、駐車場に穴を開けた。
 次いで庁舎に、一撃。二撃。三撃。角部屋が粉砕されて、机やラックが植え込みに落ちる。
 人々が、悲鳴ともうめきともつかない声を漏らす。
 恐ろしく長く感じられるひとときが過ぎて、正面玄関から山西が戻ってきた。
「取ってきましたっ!」
 両腕に抱えた砲弾をウィズに渡す。セバンの発案で、ゴールデングローブを組み込んだものだ。山西はその場にへたりこみ、荒い呼吸を繰り返した。
「サンキュ、後は任せて」
 ウィズが装填する間、主砲が留守になる。
 クロノ達の、三位一体ならぬ三十余位一体攻撃と、ファレルの狙撃で空白の時間をしのぐ。
 攻勢を強めるジズに、職員が反撃に出た。
「俺だって囮ぐらい出来る!」
「お荷物で終わらないわよ!」
「戦うために残ったんだ!」
 対策課にあった武器を持ち出し、果てはカラーボールまで投げつけてジズの気を散らす。滅茶苦茶な動きはかえって標的を絞りにくいようで、ジズは無差別に衝撃波を繰り出す。
「死ぬぐらいなら逃げろって言ってるだろ! 最後の最後は敵前逃亡だからな!」
 勝手に動く職員に怒鳴り、セバンは対策課の窓から身を乗り出した。銛打ち銃を使い、ゴールデングローブを使った杭をジズに放つ。外れた上に、反動で後ろに転がった。
 ジズは空中に留まり、エネルギーを集約させる。
 防御壁はほとんど崩れ去っている。次が直撃すれば、市役所は跡形もなくなるだろう。
 植村が、汐が、邑瀬が、山西が。名も無き職員が。希望を信じた。
「かつわよー。まけるりゆうがないわ」
 自信たっぷりに、人魚姫は主張する。暢気な口調に、誰かが笑った。
「装填完了、ギャリック砲発射!」
 ウィズの号令が、無線を通して頼もしく響いた。
 思いと共にゴールデングローブ砲が放たれ、まっすぐにディスペアーを貫く。
 たまらず、ジズは落下した。しかし墜落直前に体勢を立て直し、低い位置に留まる。
「致命傷にはなりませんか」
 そのしぶとさに、ファレルは眉間の皺を深めた。
 ジズはコウモリの翼をばたばたと動かし、己の纏う光を変質させていく。不気味な色合いが渦巻く球を形成し、翼を含めたすべてをその中に隠した。
「いっくよー。息の根、止めないとね」
 ベルは無線で声をかけた。球はちょうど、対策課の窓から手を伸ばせば届くところにある。
 窓枠を蹴って飛び出したベルに、セバスチャンが、遅れてウィズが続く。



●Never say never

 その中は、生温い風が吹いていた。肌をなぶり、陰鬱な気分を募らせてくれる。
「ネガティヴゾーン……?」
「だね」
 セバスチャンの疑問に、ベルは頷く。
 小さなネガティヴゾーンは、宵の口のような、薄暗い空に包まれた世界だった。膝丈の草が一面に茂り、風にあわせてぞわぞわと葉擦れの音を立てる。
 そこに、ジズの本体がいた。
 全長は三メートルほどで、光球を脱いだ姿は蟹の甲羅に似ていた。足のかわりに毛むくじゃらな触手が何本も生え、湿り気を帯びてぬらぬらと濡れている。
 ジズは身体を上下させながら、回復しているようだった。千切れかけたコウモリの翼や、スチルショットに刻まれた断面から糸状の触手が伸びる。粘液で互いを絡めて、徐々に傷口を塞いでいく。
 風向きが変わって、生臭い空気が一同を襲った。
「ゴカイに寄生されたカニ……キモっ」
「言うな! こっちまで気持ち悪くなったぞ!」
 身近な生物に置き換えたウィズが腕をさする。つられて想像したセバスチャンも全身に鳥肌を立てた。
「あーあー、ゴールデングローブつけてなかったら、もーっと思いっきりやっちゃうんだけどさー」
 ベルが飛び出した。左手のランタン・シールドには、装備用とは別にチェーン状のゴールデングローブを絡めてある。彼もまた、ネガティヴの中和効果を期待していた。
 のたる触手をまとめて切り落とし、甲殻に刃を立てる。ぎぁん、と高い音にしびれる手応え。
 ベルは素早く飛び退いた。彼がいた空間を、触手が薙ぎ払う。草が刈り取られ、風に乗って流れていった。
 セバスチャンは銛を打って、また反動でひっくり返った。ウィズがそれを見て、ため息をつく。
「そんなへっぴり腰じゃ、狙いもブレるぜ」
「仕方ないだろ。後方支援のつもりだったんだ」
 セバスチャンは比較的非力な人間だ。持久力は平均以上だが、戦力には若干の不安がある。
 海の男として、ウィズは軽くコツを伝えた。そこから先は身体で覚えるしかない。
 ジズは触手を縦横に伸ばし、目の前のベルを執拗に狙う。
「市役所、なくなったら困るんだよねー」
 対するベルの口調や表情は平坦だが、攻撃の鋭さに本気がうかがえる。
 ジズの反撃を避けて距離を置くと、入れ替わりに二人がジズを狙う。
 暗灰色の甲殻に弾丸が当たり、パッと粉状の欠片が舞った。
「こいつ、手強すぎないか?」
 しぶとい相手にセバスチャンは呟き、銛の尽きた銃を捨てた。ウィズはジズに視線を据えたまま、予備のボーガンを渡す。
「それだけ、絶望が根深いんじゃないの?」
 何気なく言ったウィズは、その気まずさに閉口する。
「どーでもいいけどさー、この世界を楽しんでるのに、台無しにされたくないんだよねー」
 多少の怪我をものともせず、ベルはひたすら攻撃を繰り返す。粘液に毒でも含まれているのか、触手が触れた部分は炎症を起こしていた。
 じりじりと、じわじわと。
 敵は弱っていく。
 けれど、こちらも疲弊しダメージが蓄積していく。
 ボーガンもバズーカも残弾が心もとなくなった。
「ベル、倒せるか?」
「もうちょっと、かな」
「なら、援護がやばい。出直すぞ」
「りょーかい」
 ベルは身を翻した。三人は揃って退却する。
 それを見て、ジズが動いた。
 触手を足にして、這うように草むらを横切る。
 傷だらけの甲殻が突進してくる。
「反則だろ、このしぶとさっ!」
 ウィズはバズーカで牽制した。最後の一発だった。
 セバスチャンは逃げた。一番大切なのは人だ。無理に倒して死んでは、意味がない。
 ベルは攻撃に転じるべきか、走りながら迷った。一対一だと倒すか死ぬか、微妙なラインだ。
 あと少しで小ネガティヴゾーンを抜けるという時、明るい声が響いた。
「待たせたにゃ!」
 無数のクロノが続々と、加勢に現れる。
 彼らはジズが己の世界に籠もっている、ゴールデングローブの枷を外して時を操っていたのだ。市役所を襲撃直前の時間軸まで戻すことで、半壊の庁舎は元通りになっている。
「タイミングが悪かったな。弾切れで『戦略的撤退』の最中だ」
 ウィズは猫神様の肩を叩き、逃げろと促した。クロノはヒゲをそよがせ、醜悪なジズを見た。
 倒せない相手ではない。だが、まだ時間がかかる。
 ――それなら。
 クロノはジズに向かった。
「何するつもりだ!」
 セバスチャンが叫ぶ。ウィズの手も届かない。
 ぎりぎりまで接近したクロノは、【時間崩壊】を決行した。真鍮の懐中時計に、特製の金槌を振り下ろす。己の存在意義を否定する行為は、絶対の禁忌事項だ。
 しかしそれで、決着がつくのなら。
 懐中時計と共に、ジズの時間を崩壊させる。ゴールデングローブに制限された威力でも、弱った相手への決定打となり。
「皆さんが残された時間を大切に過ごしてくれれば、我輩は満足ですにゃ」
 言葉は、誰かに届いただろうか。
 時の神様は満足げに笑って消え去った。
 ジズと共に。



●Don't cry anymore

 市役所の防衛もディスペアーの迎撃も成功したが――
 犠牲者1。
 その被害状況が、残された者の胸に重く沈む。

「クロノさんが……」
 結果を聞いた汐は、その場に膝をついた。植村はその肩を支え、不自然な笑顔で五人をねぎらう。
「皆さん、ありがとうございました」
「やったよ。守ったよ」
「…………」
 最期を目の当たりにしたウィズとセバスチャンは、気丈にふるまった。握りしめた拳や、平静を装った声が揺れていたけれども。
「勝ったけど嬉しくないですー!」
 山西は号泣していた。豪快に流れ落ちる涙と鼻水に、邑瀬は無言でティッシュの箱を差し出す。
「どうしようもないバカだよね」
 ベルが辛辣な言葉を吐くと、職員の一人が激昂した。
「尊い犠牲を侮辱するんじゃない!」
「だって、死ぬのがバカなんだよ。死ななくても倒せそうだったし、倒せなくても死ぬ必要なんてないじゃん。どこにも」
 違う? と問われて、職員は沈黙した。
 コレットはうつむいていた。皆を守りたいと思っていたのに、この結果だ。自分の無力さを痛感してしまう。
 ファレルは悲嘆に暮れるコレットに、黙って付き添っている。
 窓の外に広がる夜空より、暗い空気が対策課に立ちこめていた。
 人魚姫がカウンターで怒る。
「かったんでしょー? しんきくさいくうき、いらないのー!」
「勝ったのに、どうして落ち込んでるにゃ?」
「そーよそーよ。どーしてよ」
 挟まった声に、全員がカウンターに注目した。当のクロノが人魚姫の横に座っている。
 誰もが我が目を疑った。
「生きていたんですか」
 邑瀬が失礼極まりない発言をする。クロノはヒゲをしょんぼりさせた。
「ちょっと違うにゃ……」
 ジズとの戦いで、クロノは確かに消滅した。【時間崩壊】の反動からは逃れられない。
 だが、『クロノ』の存在が消えることはない。限りなくよく似た別のクロノが、前のクロノを継承するのだ。
「別のクロノさん? じゃあ、何て呼べばいいのかな」
「花は花ですにゃ。散ってまた咲いた花を、別の名前で呼ばにゃいですにゃ」
 戸惑うコレットに、クロノは笑った。寂しさをごまかしながら。
 ファレルは冷静に、結果を分析した。
「被害ゼロですか。あの戦況で、奇跡ですね」
「心臓止まるかと思ったじゃないか! 心配させやがって!」
 額に青筋を浮かべたセバスチャンが、クロノに迫る。そうそう、とウィズが便乗した。
「この心労はちゃんと払ってもらうぞ。完済するまで、もう、こんな……っ」
 途中で、涙があふれた。ボロボロと流れて止まらない。
「バーカ」
 ベルはぼそりと呟いた。いくらか柔らかい声に聞こえたのは、耳の錯覚か。
 山西が涙と鼻水満載で、クロノに抱きつく。
「クロノさあああん!」
「やめるにゃアアア」
「よかったー」
 頬ずりがプラスされて、毛皮の状態は大変素敵なことになる。
 誰かと誰かの絶望が実を結んで、12体のディスペアーを含むネガティヴの脅威を生んだ。
 絶望しない人などいないだろう。しかし、絶望に抗う気持ちがあれば。どうしようもなくなり、諦めた者にも救いの手を伸ばせば。
「敵が発生しても、簡単に倒せたかもしれませんね。もっとも形のない絶望より、形ある絶望と戦う方がよほど簡単ですから……パラドックスですね」
 邑瀬は一歩退いた場所で、呟いた。
 ようやく安堵した汐は、植村に笑顔を向ける。
「また、ここで『いってらっしゃい』と『お帰りなさい』って言えますね」
「そうですね。明日もきっと忙しいでしょう」
 植村は顔をほころばせた。

クリエイターコメント皆様、お疲れ様でした。
そして防衛ありがとうございます。
正直、こんなマゾい戦闘になるとは思いませんでした。

対策課は無事です。
依頼を探しに、遊びに、いつでも気軽にお越しください。
職員一同、お待ちしています。

お楽しみいただければ幸いです。
公開日時2009-04-22(水) 19:30
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