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<ノベル>
少し景色が違うだけで知らない場所のように感じるいつもの通りは慌ただしかった。舗装されてた道路は土が見え、色違いの地層やそこにあると知っていても見たことの無かった水道管が剥き出しになっている。
視覚と感覚が伴わないだけで人はこうも脆くなるものか。例えるならちょっと洒落たレストランやホテル等の入り口でガラス張りの通路を歩くときに違和感や恐怖感を感じるものなのだろう。見えなくなっただけで歩ける道路を避け、細い場所をつま先立ちで歩いたり車も色が無くなる前の道路に止められているのをシュヴァルツ・ワールシュタットは笑いながら見ていた。
「本当に透明なんだ。色だけ食べるなんて器用だなー。オレも流石に色だけとかは食べられないなぁ…。美味しいのかな?」
足下の影が伸び、道路の端に横たわっていた鳥の下に染みのように広がると、鳥は底なし沼に落ちていくように影に沈んでいった。いつもなら塀が見えていたのだが、何もないと思った鳥は勢いよくぶつかったのだろう。本当に、最初から何もなかったように鳥は消える。
他の場所も見てみようか、と思ったシュヴァルツの視界に見覚えのある人が歩いていた。涼しくなったとはいえ未だ夏といえる気温の中、長袖のパーカーを目深に被り、可愛らしいペンギンの絵が描かれた大きな水筒を大事そうに両手で持って歩いている少年、レドメネランテ・スノウィスだ。
ジャーナルで見たことはあるが、知り合いではないレドメネランテがここに居るのは依頼でも出たのだろうか。それにしては俯いたままのろのろと歩いている。ぶつかった電柱を人と勘違いして慌てて謝り、あ、と小さく声を漏らして呆けると、痛くなったのか頭をさする。立ちつくしたと思えばまたふらふらと歩き出し、どこかに行ってしまった。
「あぁらら、電柱も見えないのか。やっぱり道路も電柱も見えなくなるのは迷惑みたいだね。ちょっと興味あるし、探してみよっと」
どこからか集まってきた羽虫がシュヴァルツの周りを飛び回ると、数匹ずつ固まって方々に散らばっていく。
シュヴァルツは楽しそうに空を見上げると、次の場所に歩き出した。
―夢 それは心と記憶の残像 形無き物が形を得る瞬間―
日付にするならば3日前になる。暇を見ては海賊船に遊びに来ていた来栖 香介は今の騒動の元となっている子供達のゲームの時にその場所に居合わせていた。子供達は来栖に気が付かず、彼も子供達を気にしていなかったのだ。
子供達が居なくなっても彼は楽器を物色し、自分が奏でる旋律に一番良い楽器を探していた。ゲーム音楽なら機械音だ、と納得できるし楽器が無いのならある楽器で希望の音を創り出す彼だが、目の前にこれだけの楽器が揃っているのだ。ここは音量も時間も気にしなくて良い。更に彼にとっての好条件はこの娯楽室には時計が存在しない事だった。あったとしても時報等という無粋な音で彼の邪魔はしていない。
誰も来ず、自由に、気が済むまで楽器を、そして武器を楽しみ、飽きたら帰る。その日もそのつもりだった。
いつもと違ったのは、来栖が海賊を呼んだ時だった。ありったけのマレットを使ってマリンバとグロッケンシュピールを鳴らし、何本か選んだ後、マレットの形を変えたくなり海賊を呼んだのだが、現れなかった。いつもならおい、と呼んだだけで出てくるのに、と部屋を見渡すが、テーブルの上で果物を食べてる彼の相棒、ルシフしかいない。
来栖が廊下にでると、宝物を周囲に浮かせた海賊が外から戻ってくる所だった。海賊の手元と思われる影の中心に透明な箱がある。
「……あんたが外にでるなんて、初めてじゃねぇ? こないだ人が集まった時も出てこなかったのに。あ、さっきのヤツらか?」
来栖が箱を覗きながらそう聞くと海賊の面は頷くように上下に動いた。中の宝石が小さく煌めく。
「……他の物なら放って置いたのだが、大事な物が混ざっていたのでな」
「ふ〜ん。あんたにも大事な物ってあったんだな。それ、開いてるみたいだけど、中の宝石全部無事か?」
他の宝物と違い、一つだけ大事そうにしていたその箱を来栖が指を差して言うと、面が動き箱を見る。ふわりと箱が浮いて二人の目線で止まる。来栖の言うように僅かに開いていた。
「…………一匹足りない」
「宝石しかみえねぇけど……」
「石はただの餌だ。色を喰うから一番無くならない物を突っ込んだ。私は虫を取り返したかったのだが……」
値段に換算すれば大金になるだろう大粒の宝石を石と言い、ただの餌だと言い切った海賊に来栖は笑った。
「…へぇ、その宝石そういうものだったんだ? 色って光の屈折だと思ったけど、つまり何食ってんだか…ナイフで殺せんのかな」
「……できれば、捕獲したい」
「めんどくせぇ」
退屈を晴らすくらいには、なるだろう。
―夢 それは未来への希望と生きる目標 不格好で不確定な形を綺麗に整える事。それはきっと永遠に終わらない事―
対策課では今日も新しい依頼が発生している。どれが一番急いでいるのか、ではなく、どれも急いで解決して欲しい依頼ばかりだ。
今の事件、色が無くなっている事の詳細が書かれた書類に目を通しているのは、仕事は確実にこなしてくれるが依頼料もそれなり、なヴォルムス・セキュリティ社長シャノン・ヴォルムス。
最近では対策課に行けば彼を見る確率が高いと噂され、彼のファンが用もないのに対策課付近をウロウロしたり遠くからじっと見つめている様子もある。実際、彼が対策課にいるのは多いのだが、女性よりも男性の比率が僅かに高くなったのは某お茶会以来らしいが、誰もそのことには触れない。
「欲に目が眩むと碌な事にならないという教訓なんだろうか。俺のように清く正しく生きないとな」
対応しているの所員は言葉に詰まって苦笑するしか出来なかった。いつもより長めに書類を見続けるシャノンに所員は解らないことを聞かれたらどうしよう、断られるんだろうか、とはらはらしていた。対策課では植村も大変だが他の所員も大変のようだ。
「…色々と問題はあるが、解決させなければもっと良くないことになるという事だけは確かか。で、結局この依頼は討伐と捕獲、どっちになるんだ?」
明確な答えが返ってこないまま、シャノンは一応討伐、色が戻る方法があるならばそれを最優先として依頼を受け、対策課を後にした。一番近くの色が無くなっている場所に向かって歩きながら、情報を整理する。
シャノンが来る少し前に海賊が直接対策課に来た事にドクターDからの伝言も交えると、原因である虫は一匹という事と色が無くなっている人は六人、家屋や道路は多数あって数には表せない。羽化させるか殺す事で色が戻る可能性はあるが、確証はできない事。
討伐したが色は戻りませんでした、だとまた問題が出てくるのは明白だ。なんにせよ虫に関して少しでも情報が欲しいところで、シャノンに思い当たる人物は一人、だが、
「あの海賊絡みなら斉藤さんに聞くのが早そうだが、対策課の態度といい、虫に関する情報がドクターDから来てるってことは、無理なんだろうな」
シャノンは斉藤がムービースターに好意的であることを確信している。幾度か会い、会話をしたことも含めて、主催と参加者の殆どがムービースターであったあのお茶会ですら彼女は変わらず微笑みながら話しをしていたのだ。そして対策課も彼女が海賊について詳しい事も知っている筈だ。それなのに、彼女からの情報どころか彼女の名前すら出てこない。
彼女は、今回の事件に関してなのかどうかはわからないが、海賊に関する情報を出すことを拒否しているのだろう。今会いに行っても時間の無駄になる。
これといって新しい情報が無いまま、色が無くなっている場所を辿っていると後ろから声をかけられた。
「キミ、シャノン・ヴォルムス だよね? 対策課で依頼でてるのかな? この件」
シャノンが振り返ると高校生くらいの男の子がいた。黒く、腰まである長い髪と銀色の瞳はシャノンもジャーナルで見覚えがあった。
「シュヴァルツ・ワールシュタット、だったか? 貴様もこの依頼を受けていたのか」
「ううん、オレはちょっと興味あったから探してるだけだよ。迷惑生物っぽいし、要らないって言うなら捕まえたら食べようと思ってさ。あ、持ち主が要るって言うなら返すけど」
「食べる、ね。そうなると色はどうなるんだか」
色?と不思議そうにシャノンを見上げるシュヴァルツに一匹の羽虫が戻ってきた。どうやら目的の虫を見つけたらしく、シャノンとシュヴァルツはお互いの情報を交換しながら一匹の羽虫の後を歩いていった。
シャノンは対策課で手に入れた情報を、シュヴァルツは色が無くなった場所と現場で起きていることを話し合うが、シュヴァルツは色が元に戻るかどうかはどうでもいい感じだった。歩き続け、話をしている間も二人は周囲の色が無くなっている場所が多くなっているのに気が付いていた。羽虫が行く先は森だったが、その入り口付近からぱったりと色は無くなっていなかった。
獣道にすらなっていない道を進むと羽虫が止まる。辺りを見渡しても薄暗い森だが、一つだけ、巨大な黒い物体がうぞうぞと動いていた。見上げるほど大きな黒い物体が探していた虫のようだ。
「確かに一匹だが、なんでこんなに大きくなってるんだ?」
「そりゃ、食べたら大きくなるさ。それに、どうも卵っぽいのがいっぱいあるんだよね。一匹の周りに糸が殻みたいに何重にも重なってるんだけど、その隙間にまだ孵化してない卵がいっぱいいるんだよね」
「……バームクーヘンの間にピーナッツでも挟まってるのか」
「まぁ、そんなとこ? 」
言いながらシュヴァルツは糸を繰り出し、虫を覆うようにしゅるしゅると巻いてみた。捕獲目的の糸は粘着質で簡単には解けない筈だが、虫に絡み付いたところからじわじわと白く氷ってきた。
攻撃されたと思ったのか、ガラスを擦ったような奇声をあげた虫は、目に見える白い冷気が立ち上る氷りの糸をシャノンとシュヴァルツに向けて放った。無数の氷の糸にシュヴァルツの糸がぶつかり綺麗な音をたてて砕け散るが、全ては防ぎ切れていない。
糸、というより氷の槍と言う方がいいだろうか。虫を中心に繰り出されるそれはシュヴァルツに砕かれた後も伸び続け、地面や木々に刺さる。獲物を捕獲する大きな蜘蛛の巣が氷っていると思えばいいのだろうか。自分と同じ糸を出す虫にシュヴァルツはどこか楽しそうに糸を絶えず繰り出し、巣を破壊する。
シャノンが向かってくる氷の糸を避け、虫に向かって何度か銃を撃つが、効いているようには見えなかった。
「捕獲したいんだけどー?」
「俺の仕事はコイツの始末だ。哀れな虫共よ…俺の利益の為に死んでくれ」
目の前に氷が迫ってきていたが、すぐ横にシュヴァルツの糸も見えていた。避ける必要がなさそうだ、と思った瞬間シュヴァルツの糸が急に消えた。シャノンは先の尖った氷を避けるが、コートに穴が開きその周りが氷っていた。手近な木に身を隠すと氷の糸が刺さる音が数回続き、止まった。虫も様子を見ているのだろうか、シャノンは木の上で傍観していたシュヴァルツを見上げると、彼は口元だけ歪めて
「アンタの利益のために死にたくないんだよ」
と笑って言うが、銀色の目は笑っていなかった。
シュヴァルツは捕獲目的だがシャノンは討伐目的だ。共闘する理由が無くなったところでシャノンのする事は何も変わらない。銃は効かないなら蹴り潰せばいい。タイミングを見計らって木から駆け出し、虫を蹴りつけようとしたが、シュヴァルツとは別方向から人が割り込んできた。鈍い光が刃物だと解る前にシャノンは後ろに飛んでいた。虫を護るように立っている人物を見て、シャノンは一つ、溜息を零した。
来栖だ。
よく見れば彼が来た方向に海賊もいた。虫が大きすぎて見えなかったらしい。持ち主である海賊は居ると思っていたが、来栖がいるとは思わなかったが、邪魔をするなら誰であろうと関係ない。
「なーんか。前にもこんなことあった気がする」
「そうだったか? なら決着でもつけるか? くるたん」
「……いいね、二度とその不愉快な呼び方をできないようにしてやるよ」
―夢 それは誰もが一度は憧れるであろう幻想 目に見えぬ物でありながらその形は何よりも明確 ですが―
銀幕市内でも海賊は浮いていた。いくらムービースターに見慣れた銀幕市民でも見るからにヴィランズのような外見の海賊には距離を置き、様々な目線と囁きが送られた。人々が道をあけるのも気にしていないのか、対策課ではどこか怯えたような所員に言葉少なに説明を済ませ外にでると、来栖が待っていた。
「……ここの住民は余程おしゃべりが好きらしいな」
「あんたの外見じゃぁ一発でわかるさ。探しに行くんだろ? 付き合うぜ。暇だし」
来栖を見た海賊の面はゆっくりと下を、そして左右を見渡した。一緒に来ることを拒否しているようではないが、何かを探しているようでもある。
「……相棒はどうした」
「相棒? あぁ、ルシフ? そういや見ねぇな…どっかその辺にいるだろ」
市内に海賊が来るのはもちろん初めてだ。だが、来栖は観光案内するでもなく、かといって楽しいおしゃべりに花が咲くこともない。虫の後でも追っているのか、右に左にとあちこちを移動する海賊の後を終始無言でついて行く。
暫く歩き続け、海賊は迷うことなく森の中へ入っていった。段々と薄暗くなっていく森を行く先に、一カ所だけぽっかりと陽の光が射し込んでいる場所に大きな黒い塊が見えた。
面が塊を見上げるように上に移動すると、海賊は音もなく止まった。これが、探していた虫なのは来栖にも解ったが、こんなに大きな虫を人が、それも高校生達が持ち出せるとは思えない。
「…何もしなければ害はない。虫がこんなに大きくなったのは初めてだ……本来なら一色の色しか喰べさせない虫はその一色に染まっている。だが、短い時間で多くの色を喰べたせいでこんなにも漆黒になるとは…いや、それだけでここまで大きくなるのもありえないか、何か色以外のものを喰べたとしか思えないが、色以外を喰うとは聞いたことが……なんだ。」
海賊が話している間、急に来栖が肩を震わせながら笑っていた。
「そんなに饒舌に話すあんたが珍しくてさ」
「…………大事なものだからな。」
海賊の返事に間があったのがまた面白かったのか、来栖はさらに笑い出した。そんな来栖を気にもせず、海賊はじっと大きくなりすぎた虫を見続け、言葉を漏らした。
「……色と共になんらかの魔力も喰らってしまったか?」
魔力を喰らい異常成長。魔力には何通りかあるが、体内に蓄積されているそれならばありえるか。
ふいに、か細い声が聞こえた。海賊は振り返って来栖を見るが、彼もまた辺りを見回している。聞こえた方向、虫をぐるりと廻った所に倒れている人らしきものが見えた。横たわっているソレは身体のあちらこちらを虫に喰われ色を失っていた。かろうじて人とわかるのは虫食い葉のように残された部分があったからだ。腕や脚はまったく見えず、顔も疎らだが半分ほど無くしているが、身体の内部、本来なら見えないはずの色がとても鮮やかだった。さすがの来栖も知り合いの姿に驚いたのか、口の中で小さく彼の名を呼ぶことしかできなかった。
「……真白き王よ。喰われることを望んだか」
―大人になり憧れと幻想は薄れていく。幼子が目を輝かせている幻想を眩しそうに、鬱陶しそうに、否定する それが日常でした―
何も考えずに歩いていたレドメネランテはがくり、と急に膝をついた。長く歩いたせいか、身体が疲れ切って足が笑っている。耐えきれず地面に膝を付き、仰向けに転がるとカタン、とペンギンの絵がついた水筒から小さく音がした。周りは見慣れない森だった。銀幕市であるのは間違いないのだろうが、こんなに歩いても彼の故郷には遠く、その面影すら見えない。それが、今の彼には無性に悲しいことだった。
一面白い景色が見たくて、あの鼻の奥がツンとするような冷たい空気が吸いたくて、雪の匂いを嗅ぎたくて、ただ、歩いていた。だけど、どこにも彼の故郷は存在しない。
風が吹いて木々を揺らすのを寝転がりながら見ていた彼の耳元でかさかさと音がした。顔をそちらに向けてみると一匹の芋虫に似た虫がレドメネランテに向かって動いていた。芋虫にしてはすこし大きい虫をそのまま見ていると、虫は彼の指によじ登る。くすぐったいな、と思ったが、振り払うことはしなかった。
じっと虫の動きを見ていると段々指がピンク色に、そして細い白になると綺麗に無くなった。
「あぁ、アナタが、そうなんだね」
色を食べる虫の話は聞いていたし、ちゃんと見ていなかったがその場所も歩いてきた。そして聞いたように目の前で自分の手が消えていく。それでも彼は振り払うことをしなかった。そこまで疲れていたわけではないのに。この虫はまだ幼虫なんだろな。成虫になったらどんな姿なんだろう。と、その虫の事ばかり考えていた。消えていく自分の事は、あまり気にしていなかった。
「羽化したいなら、ボクを全部食べて良いから。そうしたら……ボクも…………」
目を閉じることなく彼は喰われ続ける自分を見ていた。手から腕、感触で首から顔に。次第に虫は彼の見えない部分に移動してしまったが、重さでどのあたりにいるのかはなんとなくわかっていた。どれくらいそうしていたのか。気が付くと自分を見下ろしている人がいた。くるたん、と呼ぼうとしたのだが、彼の声はでなかった。
「レド……か?」
「……真白き王よ。喰われることを望んだか」
真白き王、と言われて目の奥が熱くなったが涙は流れなかった。実際には流れていたのが残された顔にできた涙の跡でわかるが、涙は見えなかったのだ。あの虫は涙の色まで喰べるらしい。
「これ……は、治さないと、じゃねぇか? 」
来栖は少し戸惑ったように言う。色がないだけで、身体そのものは存在しているはずだが、見るからにレドメネランテは憔悴している。考える時間が欲しいときに限って、時は待ってくれないものだ。
「確かに一匹だが、なんでこんなに大きくなってるんだ?」
「そりゃ、食べたら大きくなるさ。それに、どうも卵っぽいのがいっぱいあるんだよね。一匹の周りに糸が殻みたいに何重にも重なってるんだけど、その隙間にまだ孵化してない卵がいっぱいいるんだよね」
「……バームクーヘンの間にピーナッツでも挟まってるのか」
「まぁ、そんなとこ? 」
虫の向こう側でそんな会話が聞こえると、来栖は声の主が誰なのか思い当たる節があったのか、声がした方を見て
「シャノンさんと、シュヴァルツか。討伐依頼でもでたんじゃねぇか? 殺して、治るの……」
来栖がそう言い終わる前に虫が奇声をあげた。虫一匹隔てた向こう側では何やら始まった音がすると、冷たい空気が白い冷気となって地面を伝ってゆらゆらとこちら側に来る。
捕獲したい、とシュヴァルツの不満そうな声が微かに聞こえると、仕事は虫の始末だとシャノンが言った。その会話が終わると、シュヴァルツが木の上で留まるのが見えた。どうやらシュヴァルツはもうやる気がなくなったのだろう。
そうなると、虫を殺しに来たのはシャノンだけになる。来栖はニヤリと笑うと何も言わずに駆けだし、虫に向かってきたシャノンの蹴りを短剣明熾星で妨害する。奇襲が決まると来栖も思っていなかったのか、シャノンが後ろに飛び退くと、足場を確認して彼に構えなおす。
治せるのかどうか解るのは海賊だけだろう。なら、少し時間を稼いでおこうと思ったのだ。何よりまたシャノンとやりあえるのが楽しそうだった。
「なーんか。前にもこんなことあったきがする」
「そうだったか? なら決着でもつけるか? くるたん」
「……いいね、二度とその不愉快な呼び方をできないようにしてやるよ」
シャノンと来栖がほぼ同時に動き出した。威嚇の意味も込めてシャノンが銃を撃つ。流れ弾に当たった虫がシャノンに向けて氷の糸を放ってきたが、来栖には向かっていかなかった。銃を使うと虫まで敵に回るのはやっかいだ、と二丁の拳銃をしまうが、接近するにも周りは木と氷の巣、遮蔽物の多い場所を得意とする来栖のほうが有利にも見えるが、シャノンも負けてはいない。
「ナイフもってんだろ? 使わねぇの?」
「ナイフコンバットは趣味じゃないんでね」
「……ほんっと、気にくわねぇ」
二人が闘っているのをシュヴァルツは傍観していた。この氷りに覆われた場所が寒く、少々身体の動きが鈍っていたのもあるが、それよりも虫の持ち主が傍にいるのであれば、食べて良いか聞く方が彼にとっては重要だったのだ。遠回りになるが、彼は木の上から静かに虫の向こうへと移動し始めた。
「……虫にあのような能力はなかった筈お前の魔力で変わったか。何を思ってその身体を捧げたのか知らんが、王がこれではお前の国も大変そうだな」
海賊はレドメネランテを見もせずそう言葉を落とす。
彼はただあの虫を羽化させてやりたかった。それで自分が消えたとしても、もしかしたら自分の故郷に帰れるかも、と思ったのもある。だが、それすらもままならなかった自分を、海賊は王と呼ぶ。確かに自分は王になるんだ、と故郷を思い出し同時に女剣士とそっくりな同居人とを重ね合わせる。
帰れば、彼女に会える。変わりに、銀幕市には二度と来られないのではと、どこかで思っているせいで、帰るに帰れないのも事実だ。あの一面の雪を見てから望郷の思いは大きい。それでも、比べられないほど、この銀幕市も愛しいのだ。
王になる自分とそれを支えてくれる人達、ただのレドメネランテとして見てくれる友人達、何物にも代え難いこの二つをどうして選べるだろう。
海賊と来栖が通ってきた道をいつのまにかシュヴァルツが歩いてきた。海賊の傍に立ち、しゃらしゃらと綺麗な音をたてて氷の糸が砕ける中で闘う来栖とシャノンを見ながら、
「この虫いるの?いらないなら食べちゃうんだけど」
と言い出した。返事がないので海賊を見ると、面がシュヴァルツの方を向き、左右に振られた。
「やっぱりいるのか。残念。ちょっと食べてみたかったのに。あ、じゃぁさ、そのお面みたいなのは? どうか……」
シュヴァルツの言葉を遮って急に虫が奇声をあげだした。攻撃したわけでもないのにシャノンと来栖を、そしてシュヴァルツや海賊、レドメネランテにすら氷の糸が次々と向かって伸びてきた。
―銀幕市 夢が現実になった今、憧れと幻想は目の前に。さぁ、どこからどこまでが夢でしょう。今貴方の前にいる私は夢でしょうか。それとも貴方が夢でしょうか―
虫は、苦しむような声を発しながらその身体を突き破って糸が木や岩すら氷り付けにし始める。
「良い純氷だな。ウイスキーでオンザロック、といきたいところだ」
「帰ってからにしてくれ」
シャノンの言葉に来栖が呆れると、先程まで闘っていた二人は虫の無尽蔵な攻撃を避けるのに集中していた。何度目かの氷の糸を避けきれなかったシュヴァルツの片腕が吹き飛び、切り口も吹き飛ばされた腕も氷っていたからだ。当たれば来栖は致命的だろうし、シャノンもただではすまないだろう。
向かってくる氷の糸は一本に見えても、途中で増えるのだ。これ以上時間をかけられないか、とシャノンが身体を霧状にし、一気に虫に近づいて仕留めるかとした時だ。傍にいたシュヴァルツがこうして移動しているにも関わらず海賊は動いていなかった。前の依頼の時にみたものとは色も形も違うが、身体全てを防ぐ用に文様が浮かんでいたのだ。
問題は、その足下。見間違うはずもない。ペンギンの絵が描かれた水筒は、レドメネランテのもの。
舌打ちをして霧状になった身体は虫を通り過ぎ、腕を縫いつけようとしていたシュヴァルツの傍に現れた。
少し離れて本体が外にでて縫おうにも氷ったままの腕はうまく縫いつけれない。
「えー? なんで止めちゃうの?」
「従業員の家族が被害者だからな。俺は良心的な雇い主だからそういった事も気にするのさ」
「うっわ、寝言は寝て言え」
「酷いなくるたん。おい海賊。時間は稼いでやるからこの虫も色もなんとかしろ」
海賊はシャノンに答えることなく、足下に横たわるレドメネランテを見下ろし、
「真白き王よ。おまえは未だ何色にも染まらぬ王。だがその白さ故にどんな色にも染まる。とても脆く不安定でもあり、純粋でもある。おまえは、何色に染まろうとしているのだ?」
と、問いかけた。
「ボクの色は白なの?」
そうだ、ボクは、どんな時でも、白くあれ、と言われたんだ。彼女に。
『淀みの中でも清くあれ、異色の中でも白くあれ』
すぅ、と息を吸うと懐かしい匂いがした。故郷の空気にそっくりな空気が、知り合いの声も伝えてくれる。帰るとか、帰らないとかじゃなくて、そうじゃなくて、今は、
『炎の中でも背筋を伸ばし、氷雪のように気高くあれ』
シュヴァルツの腕はまだ氷っているし、来栖とシャノンの衣服も所々氷っていた。砕いた氷は鋭利な刃物のように三人の身体に小さな切り傷を付け続けている。
自分のせいで、大好きな人達を傷つける方が、嫌だ。
見えなくなっている身体に力を込め、レドメネランテは真っ直ぐに立ち上がると身体の中に残っている魔力を制御する。同時に、虫から飛び出していた氷の糸がぴたりと止まり、虫に戻っていく。大きくなりすぎた虫全部を覆い尽くせなかったが、背中を少し残して虫は氷り付けになった。
まだ何かあるか、といつでも動けるよう体勢を直し、じっと虫を見ていると氷りに覆われなかった背中に罅がはいった。
一羽、また一羽と蝶々が出てくると、裂け目が広がり、大量の蝶々が一斉に銀幕市へと向かって飛んでいく。海賊の面を同じ透き通った虹色の羽根をもった蝶々が、昼間の空にまっすぐ一筋の線をつくったそれは、季節外れの天の川にも見えた。
「すっげぇ……」
来栖がそう呟くと、数匹の蝶々がレドメネランテに止まり彼の身体に色が戻ってくる。全ての色が戻ると、蝶々は消えてしまった。
「えー。どうなってるんだろう。これ」
「ま、これで問題は解決だな」
色が戻った自分の身体を見ていると、海賊の面がレドメネランテを見た。
「erekyariyayi ……感謝する真白き王。」
どこかぼうっとしたままだったレドメネランテは、慌てて両手を振り、フードを引っ張って顔を隠した。
「ボクは……何も……ボクのせいでこうなっちゃったようなもんだし」
「……虫が喰ったのが真白き魔力だったからこそ……余計な色は取り除かれたのだろう。……無事虫は羽化を迎え、失われた色は戻る。これはあなたのおかげだ。ありがとう」
その言葉を聞いたレドメネランテは両手をフードから離し、海賊を見上げる。まだ涙の跡が残る顔で嬉しそうににっこりと笑うと意識を手放してしまった。倒れてきたレドメネランテをは海賊が抱き留めると、シュヴァルツが
「この残りは食べちゃっても良いかな?」
と抜け殻を指差して言いだした。幾つか孵化できなかった卵が残っているらしく、摂取して傷を治したいらしい。孵化できなかった分の色がどうなるのかわからないが、シュヴァルツが言うには今一緒に孵化できなかったのなら、もう死んでる可能性の方が高いらしい。この大きな抜け殻を放って置くわけにもいかないので、彼に任せることにした。
シュヴァルツは、一応、と孵化しなかった卵を一つだけ避けて海賊に投げ渡すと、抜け殻を影のなかに沈めた。
「どんな味がするんだ?」
「味?んーー、氷?いや、野菜の味もするけど、水っぽいし、この甘いのなんだろう。あれ、でもドレッシングの味もする。んーーー。あ、この前海岸でみたかき氷ってこんな……」
かき氷の一言で全員が気を失ってるレドメネランテを見た。
抜け殻はレドメネランテのかき氷の味がしたようだ。
―夢から覚めた夢は どこにいくのでしょうね。一年も考えて、それでも答えは見つかりません。それでも―
目を覚ますとレドメネランテは見慣れた部屋にいた。銀幕市の自分の部屋で、すぐ隣りには眠っている同居人が居た。家主はきっと今日も仕事なのだろう。眠っている同居人を見て、レドメネランテは彼女とそっくりなもう一人の女性も思い出す。本当に自分はどうしたいのかまだわからないし、帰りたくないっていったらウソになる気がする。
だけど、今だけは
「ボク、役に立ったんだよ。ありがとうって、言われたんだ」
無くした涙の色は戻り、彼の瞳で光っていた。
シャノンは新しい依頼を受けて海賊船に来ていた。中にはいると何故か修理している筈の船が前より壊れている印象を受け、音がする娯楽室に入ると武器も楽器も入り乱れて散らばってる。娯楽室には来栖と、すみっこで背中を向けてまるまってるルシフがいた。
「……何事だこれは。また誰か盗みにでも入ったのか」
「別に変なトコなんかないだろ?」
「つまり、この状況は普通なんだな。海賊は」
おもちゃ箱をひっくり返した子供部屋のような娯楽室でも呼べばすぐ海賊は姿を現した。
「船が前より壊れてる気もするし、部屋はこうだし。どうなってるんだ? この船は」
「……船が前より壊れてるのは置いてけぼりをくらったヤツが拗ねてそこら中食い散らかした。……この部屋は来客があればいつもこうだ。気にするな」
まるまってるルシフは拗ねてるらしい。この状況でも気にせず来栖は楽器で遊んでいるを見てシャノンはなんとも言えない顔で海賊を見る。
「貴様も大変だな。まぁいい。斉藤さんから伝言だ。銀幕市はいかがですか。だと。確かに伝えたぞ」
「シャノンさんそれ言う為だけに来たのかよ」
依頼だからな、とだけ言うとシャノンは次の仕事でもあるのか、早々に部屋を出ていってしまった。
「仕事熱心な事で。あ、このマレットも削っても良いか? 」
「……思うがままに」
それだけ言うと海賊も姿を消してしまった。
シャノンが外に出ると夕暮れが銀幕市を紅く染めていた。彼はレドメネランテを送り届け、市役所へ報告に行った後偶然斉藤に出会った。彼女が言うには海賊が取り戻したかった虫は海賊の友人の宝物だったらしい。
よければ、と依頼された伝言のために彼はわざわざ海賊船に足を運んだのだ。
そして、彼の収穫は一つあった。
シャノンの耳に届いた海賊の言葉を斉藤も言っていたのだ。斉藤にとってあの海賊が特別なのだろう事はこの一言でわかる。
「思うがままに、か。とても単純で何よりも難しい言葉だな。まぁ、俺には造作もない事だが」
―私はこの銀幕市も、大好きです。あなたはどうですか?―
シュヴァルツは学校帰りの途中、先日の虫の持ち主を見かけた。人がいるところに来るイメージではない海賊がいたので、
「やぁ、また何か盗まれたりしたの?」
と声を掛けてみた。面だけが動く海賊は暫く沈黙した後迷った、と言ったので、彼は大笑いした。人が避けてしまう海賊が迷子だったのが、余程おかしかったらしい。
「どこに行くのか知らないけど、連れてってあげるよ。キミがウロウロしてたらみんな怖がるだろうし」
失礼なことを言われているのだが、海賊は気にしていないのか、短く頼む。とだけ言い、シュヴァルツの後について歩いた。海賊の行き先は市役所だった。住民登録する気になったのは良かったが、いざ登録となると色々と面倒がある、とシュヴァルツが説明する。
「能力とか色々書かないといけないし、あ、キミがその面の下に本体があるなら見せないとダメだよ? オレも色々書かされたし」
シュヴァルツの言う本体とは違うのだろうが、彼の言うように隠している状態ではダメだ、と怯えた所員に言われた海賊は、面をシュヴァルツに向けると、喰うかと聞いてきた。
「え? そのお面みたいな生き物? いいの?」
「……ここまで連れてきて貰ったからな」
律儀だねと楽しそうに笑うと、彼の影が海賊の足下に広がった。影が影を包み込むような光景に、一瞬市役所はざわざわと騒がしくなった。シュヴァルツの影が元に戻ると、ちゃんと一人の人間がそこに、いた。その場にいた全員が、ほう、と安堵の溜息を漏らしたのは、何も無くなってなかったからか、それとも人がでてきたからなのかは、わからないが。
褐色の肌と長い黒髪を部分的に編み込んだ人が、何事も無かったように所員に向かい、登録を続ける。そんな海賊をみてシュヴァルツが、魔術師じゃなかったらなぁ……と思っていると、海賊が
「……面はどんな味がした」
と、振り返りもせず聞いてきた。
「ん?あのねぇ―――」
その答えを聞いた、いや、聞こえてしまった職員が一人、青ざめて震えていた。
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クリエイターコメント | こんにちは、桐原です。 参加してくださった四名様、有難う御座いました。
予想外な展開に私が一番驚いていますが、いかがでしたでしょうか。 皆様が参加して良かった、面白かった、と思っていただけると嬉しいです。
お読み下さりありがとうございました。 また次のシナリオでお会いできる事を願って(礼) |
公開日時 | 2007-09-20(木) 18:00 |
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