★ 2人仲良くケンカしよ! ★
クリエイター紅花オイル(wasw1541)
管理番号422-5395 オファー日2008-11-17(月) 00:09
オファーPC 玄兎(czah3219) ムービースター 男 16歳 断罪者
ゲストPC1 晦(chzu4569) ムービースター 男 27歳 稲荷神
<ノベル>

 晦 (ツゴモリ)にとってそれは、ただの稲荷寿司ではなかった。
 東京下町の老舗豆腐店で売られる1日限定100個のそれは、開店と同時に長蛇の列で、ものの1時間で売り切れてしまうという幻の一品だ。
 メディアで取り上げられて以降、全国的に火がついた。
 昔から変わらぬ味と良心的な値段から、今でも地元の人々にも愛されている、ソウルフード。
 厳選された素材から作られた油揚げはもちろん自家製。
 味の決め手となる煮汁は絶妙な甘辛さで、代々伝わるその調合は門外不出である。
 毎朝店主自ら丁寧に詰められるのは、関東では標準的な具材の一切入らないシンプルな酢飯のみ。ガス釜で炊き上げられた米粒は一つ一つがふっくらと輝き、割って中を覗けばそれはまるで宝石のようであるという。
 他県からも買いに訪れる客が後を絶たない人気の品。
 本業はあくまで豆腐屋であると決して量産されぬ限定品に、いつかは食べてみたいと喉を鳴らす者は多い。
 晦も、その1人だった。
 テレビで見掛け、その瞬間心を奪われた。
 稲荷寿司は晦の大好物だ。
 画面からでも伝わる絶品の味わいと、稲荷寿司を頬張る人々の笑顔と感嘆の声。
 未だに馴染めぬテレビではあったが、その動く映像に晦は釘付けとなった。
 しかし悲しいかな、彼は映画『妖し空蝉』より実体化したムービースター。稲荷神の力を持ってしても、この銀幕市からは外に出られぬ囚われの身である。
 半ば諦めていた。
 ムービーファンやエキストラの知り合いに頼むにしても、近所の住民でも入手が難しいというそれは、流石に誰かの好意に縋るには度が過ぎており躊躇われた。
 だから口にするのは叶わぬ願いと、諦めていたのだ。
 ところが――
「こ、これがあのお稲荷さん!!」
 夕食の買い物の後、たまたま通りかかったいつもとは違うスーパーの、いつもとは違う光景。
 長い行列に興味をそそられ何気なく覗いたその先頭で燦然と輝いていたのは、あの夢にまで見た黄金色の油揚げだった。
 スーパーの駐車場脇の特設スペースで、全国各地の名産品を集めた物産展フェアの中、はるばる大都会からやってきた老舗豆腐店の幻の稲荷寿司。
 もちろん並んだ。すぐさま並んだ。
 冬空の下、寒さなんかふっ飛ばし、高鳴る胸を押さえ大人しく行列に加わる事1時間。
 ようやく手元にやってきた5個入り1パックの透明パッケージの中、神々しくもどっしりと鎮座する黄金色の小さな米俵に、晦は打ち震えた。
「――ごくりっ」
 知らず、喉が鳴る。
 今すぐこの場で欲望の赴くままかぶりついてしまいたい。
 いやしかし、あかんあかんと晦は首を振り自らを律する。
 これ位の誘惑に打ち勝てないでどうする。わしは誇り高き稲荷の神や。
 手提げのビニールから立ち上る、芳しい砂糖醤油と酢飯と香り。狐としての嗅覚が、余計に晦の舌を、腹を、魅惑的に揺さぶるがグッと我慢する。
 買ってすぐかぶりつくなんて、そんな卑しい真似!
 でも。
 一瞬。ほんの少しだけ。
 子狐の姿に戻り、こっそり裏路地で喰らい尽くしてしまおうか。
 そんな考えによろめいたのは、秘密だ。
「ああ、ほんまあかん。まだまだ修行が足りんわ……」
 こんな事では偉大な親父殿に何時までたっても及ばない。
 未熟な己を恥じながら、それでも浮かれる歩みだけは押さえる事が出来ず、晦はこの街での住みかである輸入雑貨菓子店を目指し駆け出した。

 それ程、晦にとってそれは、特別な稲荷寿司だったのだ。

「ク、クロ、おんどれぇ……!」
「んあー?」
 目を離したのは一瞬だった。
 貴重な稲荷寿司をテーブルの上に置き、一息つく間もなく店から聞こえてきたお客の声に晦はその場を離れた。
 会計して、商品を袋に詰めて、時間にして5分もかかってはいない。
 それなのに。
「喰ったんか。われ、わしのお稲荷さん全部食ったんか!?」
 戻った時には、つい数分前まで確かにそこにあった晦の稲荷寿司は、見るも無惨に食い荒されていた。
 テーブルには、行儀悪くも乗り上がり胡坐をかきながらもぐもぐと頬を動かすウサギ耳。
 この輸入雑貨&輸入菓子専門店『clown's stage』で共に働き共に暮らすムービースターの少年、玄兎 (クロト)の姿があるだけだった。
 髪と同じ色に顔を染め拳を振るわせる晦の様に、玄兎は一瞬きょとんとしたが、何か閃いたように「あ!」と一声、ひらりとテーブルの上から飛び降りると、ペコリと頭を下げた。
「ご馳走ちゃんっしたー! あとついでに、イッタダキ!」
「はぁっ!?」
 宛てられた怒気とは場違いに、前後した挨拶を玄兎は無邪気な声に乗せる。
 以前食事の時、「ちゃんと作ってくれた人と食べ物に感謝せぇ!」と晦に叱られたのを思い出したのだろう。
 ゴーグルの奥、金色の瞳が期待に満ちた輝きでジッと晦を見つめてくる。
「いただきます」と「ご馳走様」がちゃんと出来た事に対して、褒めて褒めてと強請っている様だ。
 自分の仕出かした事に関しては、一切詫びはない。
 それどころか、何が悪いのか、何故晦が怒っているのか、全く分かっていない玄兎の邪気のない笑顔に、晦はぶわっと膨らみかけた真紅の尾を瞬く間に萎ませた。
「……ったく。しゃあないなぁ」
 分かっている。しょうがない。玄兎は元々こういう奴だ。
 はぁ、と大きく息をつく。
 ガックリと肩を落とす晦の頭の中を駆け巡るのは、銀幕市に実体化しこれまで玄兎と共に過ごしてきた様々な思い出だ。
 最後に食べようと残しておいた夕食のエビフライを取られた事。
 狐の姿で気持ちよく昼寝をしていたら腹を踏まれた起こされた事。
 自慢の尻尾にミント味のチューインガムをベッタリくっつけられた事。
 ふざけて猫みたいに首ねっこ掴んで持ち上げられた挙句、髭をぶちぶち鷲掴みで抜かれた事。
 苛立ちと共に湧き上がる、数々の我慢の記憶。
 でも、こんな事で怒っていては神としてはまだまだ未熟だと、晦は自分に言い聞かせる。
 鷹揚自若、湛然不動。
 晦が目指すのは、そんな偉大な稲荷神の親父殿のようになる事だ。
(くう。これも…修行や……っ!)
 神として、全ての人を幸せに出来るように。
 まだまだ未熟な自分だから、せめて自分の周りの人々だけでも幸せに過ごせるように。
「……美味かったか、クロ?」
「超☆美味びみぃー」
「そっか。そらよかったな」
 玄兎が美味かったというなら、それでいいじゃないか。
 くるると未練がましく低い音で鳴る腹を宥めながら、晦はいつものお日様のような笑顔を作った。
「さってと、クロ様満腹大満足だから、遊びに行ってきまーす」
 そんな晦の葛藤など知るはずもなく、つられ玄兎も笑顔を浮べると、大きく頷き拳を上げた。
「あ、コラ。クロ! 口の周りに飯粒付けたまま!! その前にわれ、今日は店番……」
「出っ撃〜〜〜っ!!」
 どんっ。
――ガシャーンッ
「え……?」
 玄兎が、前置きもなく跳ね上がった瞬間だった。
 2人の背後には戸棚があった。
 その上に乗っていたのは、晦の日本酒だった。
 それは銀幕市に来てから初めて飲んだ酒で、晦のお気に入りだった。
 この街にもこんなに美味い酒はあると、いつか親父殿と一緒に呑みたくて、大事に大事に取っておいた日本酒だったのに。
「アリャー?」
 狭い屋内の中、飛び跳ねた玄兎の背に当たり、大きく揺らされた戸棚は衝撃に耐え切れず、その上に置かれていた一升瓶を床一面にぶちまけた。
 部屋いっぱいに立ち上る濃厚な酒気。
「……ク〜〜〜」
 稲荷寿司のみならず、日本酒までも…!
「ガッシャン、ガラガラ、割れちったぁー」
「クローーーッ!!」
「アヒャ!」
 こうして、2人の鬼ごっこは始まった。


「こんクロ、おんどりゃ、待たんかいわれぇ!!」
「クキャキャキャキャキャ!」
 住宅街にヤクザ紛いの怒声と、奇妙な笑い声が響き渡る。
 ガンラガンラとアスファルトを打ち鳴らし、高下駄にも関わらず全力疾走で駆け抜けるのは怒れる狐の神様、晦。
 そんな怒りに燃え盛る炎に追われているのは、目にも眩しい原色蛍光色の衣服を身に纏う黒いウサ耳の玄兎だ。
 2人は賑やかな音声と色合いを周囲に撒き散らしながら、縺れる様にして爆走劇を繰り広げる。
 元々は映画の中では断罪者であった玄兎。
 自分の犯した罪から逃げる罪人を追い回すのが、彼の役目であった。
 それがどうだろう、今まさに正反対のこの状況。玄兎自身が晦に追い回されている。
「そんなんじゃ、まぁーだまだ! 全然オレちゃん捕まんねぇーしぃー。キャキャキャ、つごっち、つごっち、鬼さんこっちらー」
 テンションが上がり始めたのか、グルングルンと愛用の釘バットを軽々と、玄兎は奇声と共に回し出した。
 追われる自分には特に何の疑問も抱かず、どうやら玄兎はコレが『鬼ごっこ』と勘違いしているようだ。
 逃げる少年の顔には、晦に遊んで構ってもらって楽しくて仕方がない、という喜びの笑顔しかない。
「待てっつってるやろが、コラぁ!!」
「待ったら負けじゃーん? そんなんで待つわけないしぃー。勝負勝負! 勝負の世界は厳しいモンねぇー」
 右に、左に、上空に。
 よそ様の家の塀や電信柱、通りの街路樹を使い、文字通り縦横無尽に飛び跳ね回る玄兎。
 素早さには自信のある晦のスピードをしても、トリッキーな動きで逃げる玄兎は中々捕らえられない。
「われぇ! いい加減大人しゅう捕まれ、コノ!」
「バキューン☆ズキューン、オレちゃんガムゴム弾丸ーっ!」
 追う晦も、逃げる玄兎も、その走りはいつまで経っても止まらなかった。
 鬼ごっこが始まって、既に1時間は経っただろうか。
 蹴散らされる看板。衝撃に将棋倒しになる自転車。逃げ惑う野良猫達。
 疲れを知らぬムービースターの無尽蔵の体力だ。決着のつかない勝負に、周囲の被害は増すばかりである。
「待て阿呆クロ、待たんかいっ!」
「アホって言った方がアホなんだぜぇー? アホアホつごっち、こっちだぴょーん☆」
 いつの間にか、戦いの舞台は雑貨店より遠く離れた高台にまで移動していた。
 アップタウンの高台にある見晴らしの良い公園である。
 ブランコの後ろの柵の向こうには、急斜面とその下に住宅街が広がっている。
「いい加減にせぇ、こん阿呆んだら!」
「アーッヒャヒャウヒャヒャハハァーッ!」
 ジャングルジムに突っ込み天辺で飛び跳ねて、シーソーを挟みグルグル回り、鉄棒の上猛スピードで走り回る。
 そして、最後に玄兎が飛び乗ったのはブランコだった。
 すかさず晦もその後を追い、手を伸ばす。
「捕ったぁ!」
 捕まえた、と思った。
 晦の手は確かに玄兎を掴んだ筈だった。
 しかし手応えなく、手の中に残ったのは玄兎の耳の感触だけだった。
「わっ、オレちゃんソウル!」
 玄兎の悲鳴が上がる。
 晦が鷲掴みにしたのは、玄兎のトレードマークとも言える布製の黒いうさ耳帽子だった。
 24時間いつでもどこでも、寝る時でさえも、被ったまま体の一部と玄兎が言い張るその帽子。晦が掴んだ拍子にすっぽりと抜けてしまい、今は玄兎のピンク色の頭髪を露にしている。
「つごっち、返せぇ!」
「あ、すまん」
 叫ばれて咄嗟に、手を離した。
 その瞬間2人が無理矢理乗るブランコは大きく後ろに反れていた。
 スポーンと、空に放りだされる玄兎のうさ耳帽。
「うあああぁぁぁっ!!???」
「しまった!!」
 それは事故だった。晦の宝玉を使う暇もなかった。
 高台の上、投げ出された玄兎の帽子は、突如吹き込んだ風に飛ばされ遥か遠くに飛んでいってしまった。
「アカン、もうあない遠くに! クロ、行くぞッ…………え?」
 晦は慌てた。
 遠く小さくなっていく帽子を追おうと急ぎ玄兎の手を引っ張り、逆に引っ張り返され動きを止める。
「クロ……?」
 手を繋いだままの玄兎の体が、突如傾き地に沈んだ。
「クロ!?」
 慌ててしゃがみ叫ぶ晦に顔を上げようともせず、地面に横向きで倒れ込んだ玄兎とは小さな声で呟いた。
「オレちゃん…オレちゃん……」
「どうした! どこか痛くしたんか!?」
「身長縮んじゃった……」
「――ハァッ!?」
 そう言ってガクリと首を落としたっきり、玄兎はそのまま動かなくなった。


「オレちゃん…もうダメかも……」
「阿呆言うな。わしがすぐに見つけたるから、しっかりせぇ!」
 ダイイングメッセージよろしく、地面に『まいそおぅるうさみみぃー』なんて指で書きながら、一向に起き上がろうとしない玄兎を無理矢理引き起こすと、晦は耳なし少年を背中に背負い駆け出した。
 風に巻き上げられ飛んでいった玄兎のうさ耳帽子。
 小さく消えていったのは、確かにこの高台下の住宅街の辺りだった。
「すんません。こっちに黒くて2本にゅっと長いウサギの耳みたいな帽子、飛んできませんでしたか?」
 道行く人に聞きながら、晦は必死で玄兎の帽子を探す。
 突然色味派手めな2人組に話しかけられ、ほとんどの人は驚きながらも皆知らないと首を横に振った。
 何かの映画のハザードだったのか、突如銀幕市に吹き荒れた突風は色んなものを吹き飛ばしていったらしい。
 ウチの洗濯物も飛ばされちゃって、と頬に手を当てながらため息をついたオバちゃんは、これかしら、と庭に飛ばされてきたという黒いソレを見せてくれた。
「こ、これは……っ!?」
「……」
 確かに黒かった。そして2本にゅっと長い物がはえていた。でも、それは帽子ではなかった。
「と、とりあえず、被っとくか? クロ……?」
「…………」
「……せや、な」
 黒いパンストだった。
 いつもなら、甲高い奇声と意味不明な行動で返されるはずが、うさ耳を失った玄兎はいつもの玄兎ではなかった。
 少しでも少年の落ち込みを浮上させる為頑張った晦の必死のボケは、普通に首を横に振る玄兎に無言で流された。
 反応の鈍い玄兎の手を引きながら、それでも晦は必死で帽子を探した。
 電信柱の天辺に上って周囲を見渡したり、腰まである草ぼうぼうの川原を掻き分けたり、時には声をかけ人の家の庭を覗かせてもらったり、積まれたゴミ山までも覗き込んだり。
 木の上に引っかかっていた黒い物を見つけた時には、2人揃って歓声を上げた。
 オレちゃん復活ー、と喜んで被った帽子は、何故かネコ耳だった。
 ムキャーと叫びながら玄兎は「コレじゃないっ!」と地面にネコ耳帽子を叩き付けた。
 探し回ること1時間。
「どこいったんや……」
 玄兎がうさ耳を失ってから、同じく1時間。
「ムリ…も、ダメ……も、や……」
「クロ?」
 晦の後ろをトボトボ歩く玄兎は、何やらうわ言を言い出すようになった。
「耳ない、何も聞こえない、バランス取れない、上手く歩けない、体の半分ない……」
「クロ! コラ、クロ! しっかりせんかい!」
 ブツブツと呟くその肩を掴み必死に揺さぶるも、玄兎の目は何も捉えておらずボンヤリと虚空を見詰めるだけだ。
「クロ……」
 これはいかん、と晦は青くなった。
 今すぐ何とかしなければ。応急処置でいい、何か変わりになる物を!
 晦は慌てた。慌てて手に取ったのは、同じく突風で飛ばされてきたらしい新聞紙だった。
「と、とりあえずこれで……!」
 ハサミなんか無いから、手でちぎった。
 ビリビリ、ビリビリ、と勢いよく薄い紙を裂きながら、耳の部分と頭に巻く輪っかを部分を作る。
「よしっと! クロ、これでどうや? 少しはマシになったやろ!?」
 すぐにその場にしゃがみ込み寝転がろうとする玄兎を無理矢理立たせ、ピンクの短髪の後ろ結んでやる。
「どや!?」
「…………」
 ぺろん、と。
 当たり前だが、ペラペラの薄い新聞紙は立つ事無く垂れ下がり、2本の耳の部分は間抜けにも玄兎の顔をすっかり覆い隠しまう。
「駄目、か……」
 もちろんそんな物で、玄兎の様子が回復する筈もない。
 さっきよりも更に小さく、下がってしまった玄兎の肩。
 慌てて応急うさ耳の新聞紙を取り除こうと手をあげた晦は、灰色の紙の向こう聞こえてきた掠れた声に眉を寄せた。
「なんや? どうした、クロ?」
 ぺろりと暖簾を潜るように、手の甲で左右に薄い耳を掻きわけその顔を覗き込む。
 いつもより顔色も悪いように見える玄兎は、俯きながら本当に小さな小さな声で言った。
「……も、いーです……ありがと、ございました……」
「!!!」
 人々を幸せにする、偉大な神になりたかった。
 まだまだ遠く及ばぬなら、せめて自分の周りの人だけでも、幸せに。
 常に笑顔でいられるよう、頑張っていた。努めていた。
 それなのに――……

(――わしは、わしは、クロ1人も幸せに出来へんっていうんか……!?)

「クロ、ここで待っとれ!」
「え?」
 バンッと力強く、その両肩を叩き真正面から瞳を見据える。
 玄兎が頷くのも確かめぬまま、晦はその場でぽふんと白い煙をあげると、仔犬ほどの小さな赤毛の子狐に姿を変え、一目散に駆け出した。

(わしが、わしが絶対クロの帽子探してきたる。わしがクロの笑顔を取り戻すんや!)


 駆けていった子狐の後姿を無感情に見送りながら、玄兎はズルズルとその場に座り込むとブロック塀に背を預けた。
 住宅街のど真ん中、こんな場所に1人置き去りにされて、それでも玄兎は怒るどころか、その顔に一切の感情を浮かべない。
 ペタペタと頭部に手をやり、改めてそこにいつもはある筈の物が無い事実に肩を落とす。
 不意に玄兎は背中に納まりの悪さを感じ、背負う白ウサギのぬいぐるみ型リュックを下ろすと両手でギュッと抱きしめた。
 体を丸めると、ウサギに顔を埋めるような態勢になり、玄兎の表情を更に分からなくする。
 グイグイと額をウサギに押し付け、ふと顔を上げると、白いリュックの毛並みには米粒がついていた。
 さっき玄兎が食べた稲荷寿司の名残だった。
「美味びみぃー米粒ー……」
 口の中いっぱいに甦る、美味しかったあのお稲荷さんの味。
「ん?」
 そういえば、稲荷寿司は晦の好物ではなかっただろうか。
 頭の中閃いた晦の笑顔と、キラキラの稲荷寿司に、玄兎は金色の目を瞬かせた。
「オレちゃん全部食べちったーぁー……」
 1つも晦に残しておかなかった。美味しくって全部1人で平らげてしまった。
 この時初めて、玄兎は晦に悪い事をしたな、と少しだけ思った。
 あの稲荷寿司事体、晦が買ってきた晦の物であるとは夢にも思わない玄兎である。
 晦は、玄兎にとって初めて自分を受け入れてくれた人だ。
 初めて自分の罪を認め、初めてそこから逃げず、初めて、玄兎の存在を認めてくれた人。
「真っ赤、あったか、お日様、サンサーン……」
 玄兎にとって晦は、大事な、特別な、太陽みたいな存在だった。
 いつの間にか陽は大分傾いていた。
 西の方から徐々に、青は燃えるような紅色に染まっていく。
「早く帰ってこないかなぁーつごっちー」
 1人置いてけぼりで寂しくは無い。だって空は一面晦色だ。
 でも、どうせだったらやっぱり一緒がいい。本物が、隣にいる方がいい。
「♪こんこんコンコン子狐つごっちぃー ぴょんぴょんピョンピョン子ウサギオレちゃんー」
 即興で作ったメロディに適当な歌詞を口ずさみながら、玄兎は膝を抱え1人大人しく晦の帰りを待った。


「……コォーー…ン……!」
 遠くから、微かに聞こえた鳴き声とアスファルトを蹴り駆けてくる足音に、玄兎はガバリと顔を上げ音の方に顔を向けた。
「つごっち!」
 夕闇の向こう、目を凝らすまでも無い。近付いてくる太陽の如き存在に、彼が口許に咥えているソレに、玄兎は笑顔で立ち上がる。
「つごっちー!」
 待ちきれず、玄兎もまた駆け出した。
 両手を広げれば、その腕の中、子狐が勢いよく飛び込んでくる。
 狐姿の晦が咥えているのは、確かにあの時風に飛ばされていった、玄兎が無くしたうさ耳帽子だった。
「つごっちーつごっちー!」
 ギュウギュウに晦とウサ耳帽子を抱きしめながら、玄兎はその場でクルクルと回り出した。
「つごっち、ありがと! あと、美味びみ全部食べちゃって、残しておかなくて、超ゴメン!!」
 突然の詫びに、子狐は大きく両目を見開くと、次いで嬉しそうに薄く細め、玄兎の腕の中大人しく抱きしめられた。
「あっれぇー?」
 感動の再会の後、晦を解放し改めて手の中のうさ耳帽子に視線を落とした玄兎は、その姿に目を丸くした。
 元々黒い帽子ではあったが、玄兎の元を逃げ出したうさ耳は、元の物とは違いドロドロに薄汚れ湿っていた。
「ドロぐちゃじゃーん?」
「川に落ちとったんや」
 同じく泥まみれの狐から、人間の姿に戻った晦は、どこか得意げに拳で鼻先を擦り上げた。
 色鮮やかだった赤い着物も、晦の人懐っこい顔も、どちらも泥で薄汚れてしまっている。
「見つけてから、川に落ちたの取るのがまた大変やったんやで? 流されんようになんとか踏ん張ってな。こっちまで汚れてしまったんは、まあしゃあない。はは、気張った勲章や」
 カラカラと自分の様を豪快に笑い飛ばした晦は、ポンと玄兎の頭の上に手を乗せ、ピンクの髪を優しく撫でた。
「わしも、すまんかったな。クロに辛い思いをさせてしもうた。ほんま、わしは未熟者や。まだまだ修行が足りん。でも、帽子も元に戻ったし、これでわれも……」
 元通りや、と。
 まるで自分の事のように嬉しそうに笑う晦を前にして、玄兎はジッと手元に戻ったうさ耳を見詰めていた。
「んー」
「どうした、クロ?」
「ドロぐちゃドロドロー。コレ超汚過ぎだからー」
「あ?」
「オレちゃん、こっちのキレイなヤツ被んね!」
 ポンと、白ウサギのリュックから、玄兎が引っ張り出したのは、晦が必死に探し取り戻してきたそれとまったく同じ物。
「んなっ!」
 同じ、玄兎のうさ耳帽子だった。
「なっ、ちょっ、これ……っ!?」
 驚きウサギのリュックを玄兎の手から引っ手繰る。
 中を覗いてみれば、そこには同じ形のうさ耳帽子がたくさんみっしり詰まっていた。
「じゃーん」
 頭に乗せて、ゴーグル装着。垂れた耳をピンと立てれば、これでいつもの玄兎の完成だ。
 うさ耳が飛んでいったショックで玄兎自身忘れていたが、スペアの帽子は彼の背負うリュックの中にたくさん入っていた。
 必死になって走り回り、ドロドロになった晦にしてみれば、一体なんだったのかと思う。
 まさに頑張り損、汚れ損だ。
「何の為に…わしが散々苦労して……っ」
「ウサ耳ピョンピョン、これでクロ様もっとどおりぃー!」
 もちろん、スペアを持っていた持っていた事、それを忘れていた事に対しての詫びは一切無い。
 上機嫌で玄兎は戻ったうさ耳を飛び跳ね揺らす。
 そんな呑気な玄兎の様に、
「……ク」
 ブルブルと、拳が震える。怒りに髪の毛が逆立つ。
「……ク〜〜〜」
 晦の溜めに、玄兎は嬉しそうに顔を上げる。
 シャキッと背筋を伸ばし、地面に手をつく姿は、陸上競技のスタートのポーズ。
「クローーーーーッッ!!!」
 夕暮れの空に響き渡る晦の怒鳴り声を合図に、
「アヒャヒャ!」
 玄兎は弾丸のように走り出した。

 こうして、また始まる2人の鬼ごっこ。
 それは、どこまでも、いつまでも、2人一緒に居る限り終わりそうにない。


♪こんこんコンコン子狐 晦ぃー
 ぴょんぴょんピョンピョン子ウサギ 玄兎ぉー
 いつでも一緒ぉー 毎日一緒ぉー
 2人仲良くケンカしよぉー

クリエイターコメントお待たせいたしました!
子狐さんと子うさぎちゃんの追いかけっこ。
大変楽しく書かせていただきました!
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
公開日時2008-12-20(土) 22:50
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