★ そして、エルーカは道を行く ★
クリエイター西(wfrd4929)
管理番号172-8475 オファー日2009-06-29(月) 23:36
オファーPC 香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
<ノベル>

 カグヤは、努力していた。それこそこれまでの怠惰を払拭するかのように立ち回り、彼女なりに最善を尽くしているはずなのだ。
 ――だが。
「人との交流って、難しいのね」
 目立つ容姿の上、若い娘の一人暮らしは何かと人目を引く。特に迷信深い地方であれば、それだけで怪しまれるには充分だ。
「私に原因がない、なんていわないけれど。……せっかく決意した端から、これじゃあ、ね」
 結局、人々と実のある交流は出来ていなかった。初めから拒否され、対話にならないか、あるいは下心見え見えで近づいてくるか。どちらにせよ、まともに相手に出来る者たちではない。
 カグヤは人間に幻想を抱きたいから、なるべくならもっと誠実で、優しい人と話をしたいと思うのだ。例えるならば、老師のような。
『高望みのしすぎですね』
「やっぱり?」
『老師のような完成された精神を、並の人間が持てる訳ないでしょう。第一、誠実なだけの人間、優しいだけの人間は長生きできない。ならば、なかなか出会えないのも道理ではありませんか』
「希少価値のある存在に、初めから出会える事を期待するな……ってことね。ずいぶんと世知辛いじゃないの、人の世ってのは」
 水龍にさえ突っ込まれると、彼女も少しは堪えた。エルーカには別に、絶対に必要なこととはいえないものであるし、人との交流は、やはり避けるべきものかもしれない。
 カグヤがいつものように、思い悩んでいると……聞き覚えのある声が、遠くから響いてきた。
『存在自体が、やかましい男ですね。まったくもって、しつこいこと!』
「……あはは」
 水龍が忌々しげにつぶやき、カグヤも苦笑せざるを得ない。それほどまでに、つい最近に顔をあわせた彼らは、個性的であった。

「しゃらァァァァッ! 今来たぞ今度も来たぞさあ俺と戦えェェェッ!」
「観念するがいい。そうそう何度も、不覚は取らぬ。……このバオグーと、ジンイェン。同じ失策は繰り返さぬと知れ」

 カグヤにとっては、兄弟子に当たる二人。一人は感情的で、ひどく暑苦しい男。名をジンイェンといった。操る精霊も火や熱に関わる物が多く、ある意味わかりやすいエルーカである。
 もう一人はバオグーといい、こちらは涼やかな色男、といってよい。格好を付けたがるところがあり、そこがまた妙に似合っていた。彼が契約している精霊は、水や氷に近しい物が大半を占める。だが冷静に見えて激情家で、その点はジンイェンと良く似ていた。
「三日前に叩きのめしたばかりなのに、懲りませんね。私、そんなに恨まれているんですか?」
 カグヤは、これまでに何度も彼らと戦い、そのたびに勝利していた。彼女にとっては不毛な戦闘に過ぎないが、彼らにとって、己は師を殺した仇敵にあたる。
 もっとも、バオグーもジンイェンも、老師の命を狙ったことは事実であり、どうしてここまでの敵意を抱かれねばならぬのか。カグヤには腑に落ちないのである。
「当然であろう? 老師は、我々にこそ殺されるべきであったのだ。」
「あの人を横取りされた恨みは、とても言葉じゃあ言い表せねェ。それに、だ」
 ジンイェンが、歯を食いしばり、言う。
「俺たちは、たしかに老師を殺すつもりだった。けどな? ……本気で尊敬して、感謝してた。エルーカという道を教えてくれたのも、そのための力をくれたのも、あの人だったからだ!」
「その老師を、貴様は奪った。敬愛している人を他人に殺されれば、恨み憎むのは道理。不思議に思うことなどあるか?」
「わけがワカラナイ。だったらどうして、老師を殺す必要があったの? エルーカは確かに争い合うものかもしれないけど、避けようと思えばいくらでも避けられたはずよ?」
 そこまで好意を抱いていたのなら、どうして彼に敵対し、争ったのか。カグヤには、やはりわからない。あの人は言った。エルーカが真理の探究を忘れない限り、精霊は契約違反とみなせない、と。
 ならば、老師が契約した精霊を奪うことなど、最後の最後に取っておいても、良いはずなのだ。いや、可能であるなら、他の手段でエルーカの義務を果たせるよう、努力を重ねるべきではないのか。
「避けた先に、なにがある?」
「なにって……普通に、エルーカとして一人立ちすればいいじゃない」
「わかっておらんな。老師の存在が、いつ、どんな形で失われるかわからんのだ。エルーカである以上、その恐れは常に付きまとう。……現に、その通りになっているではないか」
 バオグーは、どこか悲しそうな目で、そう言った。彼も、ジンイェンも、老師の死を悼んでいる。カグヤにもそれは感じ取れるから、あえて口を挟まない。
「だから、傍にいるうちに。他でもない、我らの手で。――立派に成長した弟子の実力を、思い知っていただきたかった」
「何より、あの人が誰かの手にかかるなんて、考えたくもなかった。勝手にいなくなられるくらいなら、いっそ俺たちの手で……」
 ジンイェンが、拳を強く握り締める。目つきも若干、鋭くなったように見えた。
「理解したか? ゆえに、我らは貴様を憎む。老師を殺した貴様を恨み、あの人を殺す役目を我らに授けなかった、運命を憎む」
 バオグーの表情は、変わらない。だがこれまでにない雰囲気で、彼は語った。
 彼らには彼らの決意と理由があり、カグヤはそれを台無しにした。それで嫌われるのは、仕方ないと彼女は思う。
「ええ。なんとなく、だけど……理解できた気がするわ」
「納得したなら、始めようぜ。……ケッ、結局最後まで話を聞きやがるか。なんだ? そいつは余裕か? 気にいらねぇな」
「言い訳はしない。でも」
 ただ、カグヤもここで倒れるわけにはいかなかった。まだまだ学びたいことも、知りたいことも多くある。何より、老師だってこんなところで自分や彼らが果てる事を望むまい。
「できたら貴方たちとは、普通に話し合いたいと思う。老師のこと、エルーカのこと、精霊のこと。……きっと、有意義な話ができると思うから」
「戯言は仕舞いだ。水龍でも何でも呼ぶがいい。――いくぞ、ジンイェン」
「おうよ!」
 そうして、戦闘が始まった。
 結果はいつもどおり、彼らの惨敗であったが――少しだけ、カグヤは二人の気持ちが理解できたような、そんな気がしたのである。


 カグヤは戦闘後、すぐにその場の住居を引き払い、国境沿いの街に辿り着く。女の足なので四日もかかったが、今更面倒くさがるのはなしだ、と己を鼓舞した。
 久々に、人々の近くに住むことができる……と思ったのだが、どうにも慌ただしい雰囲気である。なんとなく、嫌な予感がした。
 調べてみれば、所属する国家が外交に失敗し、隣国との緊張状態が続いているらしい。国境近くの街であるから、危機感もひとしおなのであろう。
「悪い時期に移ってきたみたいね」
 せめて下調べくらいはするべきだったかと、カグヤは悔やむ。しかし、過ぎた事にとらわれ、くよくよとするのもよくない。
 開き直って住居を確保し、滞在し続けるか。いざこざを嫌って、さっさと移動するか。選ばねばなるまい。

――どうせ、あの兄弟子たちも近くまで来ているんでしょうし。どこにいようが、騒動には巻き込まれるんでしょうけど。

 せめて、他人に迷惑がかからないようにしなければ……と思考を進めたところで、遠くから大きな音が響いた。
『門が、閉まる音? ……隣国が攻めてきたのでしょうか』
「それは大変。逃げにくくなったわね」
 人との交流を学ぶにしても、極限状態でそれを試みようとは思わない。普通に接するだけでも難しいのに、余計な状況まで付け加えられては、カグヤの忍耐が持たない。
 戦争中ともなれば、よそ者にはさらに排他的になるだろう。これを乗り越えるには、今の自分では経験不足。だからこそ、早急にこの場から離れたかったのだが。
『大軍の気配がしますね。存外に、動きが早い。この程度の街など、数時間で囲い込んでしまいそうです』
「その前に、逃げられない?」
『どうでしょうね。エルーカの力を使えば、話は早いのですが……目立つのは、嫌でしょう?』
 流石にエルーカの能力を持って、力づくで臨めば、どうとでもなろう。だがそれは、カグヤの望むことではない。

――今から急いで外に出ようとすれば、明らかに不審者扱いされるだろうし。おとなしくしているしか、ないかな。

 ただの少女として、息を潜めているしかない。カグヤはこう結論付けたが、彼女は知らなかった。
 この事態そのものが、兄弟子たちが仕組んだ罠であったということを。



 バオグーにしろ、ジンイェンにしろ、学習機能は人並みにあった。
 だから、真っ当な戦闘で負け続ければ、他の策を試したくなるのも、当然の成り行きであったろう。その一環として敵の情報集めを行うことは、実に理にかなう。
「精霊に操られ、虐殺を繰り返した女、か。ぜんぜん、そんな風には見えなかったなぁ」
「性根は純粋なのであろうよ。でなければ、老師がわざわざ生かしておくはずがない。本当に見込みがなければ、情を捨てて殺す。そういう人であったからな」
 彼らは、カグヤの過去を探っていた。時間や距離は、この際関係ない。エルーカと精霊が組めば、過去の出来事を掘り返すことくらい、容易いことである。
「なんにしても、やつの精霊は強力すぎる。正面決戦は、勝機が薄いぜ?」
「ふむ、認めるのは腹立たしいが、その通りだな。少し、考えてみるか」
 ジンイェンと、バオグー。頭脳労働にむいているのは、当然ながらバオグーの方である。ほどなく、彼はもっとも有効であろう策を練りだした。
「……真っ向勝負で敵わぬのなら、搦め手で攻めればよいことよ。幸い、我らには仕掛けを施せるだけの余裕がある。まあ、ここは私に任せておけ」
 カグヤの主力となる精霊は、セラフ・レギオン・水龍の三体。このうち、彼らがその強さを実感しているのは水龍だけである。しかし、他の二体の強さも、事例を一つ一つ追っていけば、尋常な物ではないとわかる。
 だからこそ、正面からは戦わない。奇計を持って相対するのが最上と、バオグーは判断した。
「たしか、この近辺は最近色々と、きな臭いようだな」
「戦争が始まるかも、しれないんだっけな。この国は、元々隣国と仲が良くなかったみたいだし……って、おい。まさか」
「そのまさかさ。いかにエルーカが、強力な精霊を使役できるとはいえ――国家を敵に回せば、そうそう簡単に勝てはせぬ。まあ、あの女が相手であれば、せいぜい消耗させる程度が限界だろうが」
 さりとて、二人がかりで戦うことを考えれば、疲労を強いるだけでも充分有利になる。仕掛けとしてはいささか大仰だが、戦争を道具にカグヤを追い詰めるという策は、非常に面白く思えた。
「戦争が始まることで、うまみを得られる者もいる。そいつらをたぶらかしてやれば、案外早くに片付けられるかもしれんぞ?」
 カグヤの扱いについては、『敵方の魔導師』として説明すればよかろう。彼女の力を自分を通じて伝えてやれば、一軍を以って叩くのも当然と、理解してくれるはず。
「いいじゃねぇの。まずは、あちらさんの領主を焚きつけて、開戦させてやろうか!」
 そして、二人は動いた。カグヤが街に入り、異常を感じ取るのは、この一ヶ月後になる。
 つまり、彼らは一ヶ月も前から、彼女を倒す為の策を積み上げていたのだ。戦敗を繰り返すことさえ、作戦の一環に過ぎなかったのである。


 カグヤは何も知らぬままに、危地へと追いやられていた。巧みに隠れ続けているつもりなのに、兵に姿をとらえられてしまう。
 そもそも何故自分が兵に狙われているのか。その理由さえつかめないのだから、驚きもするし、まったくもって理不尽だと思う。
「逃げ続けても、らちがあかないわね。どうする?」
『街を出たいところですが、周囲の軍が目障りですね。さしあたっては、逃げ続けるしかないでしょう。――そのうち、隙も生まれます。本気になるのは、それからでも遅くはありますまい』
 逃走を続けながら、彼女は水龍と相談しあった。状況は悪いが、人間の行うことに完璧はない。やり方次第で、いくらでも切り抜けられるだろう。
『しかし、おかしいですね。いくら敵兵が精強であっても、こうも短時間に街を落とすとは……』
 国境近い街であるから、防備においては城砦と同程度はある。いかに大軍が相手でも、数ヶ月篭城するくらいならば、難しくないだろうに。
『内部から、誰かが手引きした……とも考えられますが。それにしても、見事すぎる。これは、別の要素が関わっているかもしれません』
「別の要素と言うと?」
『さて……たとえば、エルーカが敵軍に力を貸しているとすれば、これくらいの芸当は、たやすいでしょう。もちろん、確証はありませんがね』
 いやな想像だった。それはつまり、己と同じ存在が、軍に利用されているということである。
「もしそうなら、助けてあげないと……ね」
『わざわざ苦労を買って出る、と? エルーカの力を行使するにしても、逃げるだけなら、影響は最小限に抑えられるかと考えますが』
「でも、放っておいたら、そのエルーカがどう道を踏み外すか分からない。……私にも、経験があるもの。自分を万能だと勘違いして、際限なく暴走する。そんな悪い例は、私だけで充分だから」
 カグヤは善意から、行動を起こそうとしている。彼女自身、己の判断に迷いはないが……水龍は不安であるらしい。
『エルーカなら、己の力もわきまえているはずです。下手な情けは、相手にとっても非礼ですよ?』
「……自覚がないとしたら? 自分が権力者に捕まって、飼いならされているという事実に、気付いてなかったら?」
 水龍は、もう口出しする事をやめた。カグヤの中には、すでに結論があるのだ。これを変えるのは、簡単なことではない。
 ただの思い込みではないかと、指摘したところで、彼女は受け入れないだろう。万が一の可能性を捨てきれず、結局苦労を重ねることになるのだ。
 まさに、カグヤこそ正しい老師の弟子である。その精神の根幹まで、似通うようになってきていた。


 カグヤは精霊の力を借り、兵を避けながら街の外へとたどり着く。
 水龍は、こうした隠密行動にはあまり適さないが、もうカグヤは一流のエルーカ。必要な時に、最適の精霊を用いる事を、すでに覚えている。

――取り越し苦労なら、それにこしたことはないけれど……どうかな。

 そして、近くの見晴らしの良い丘から、移動する軍の内部を探った。風にまつわる精霊は、こうした遠くを見聞する作業に向いている。
 ほどなく、カグヤは己の懸念が正しかった事を知る。それも、自身が最悪だと思われるような形で。
「うそ……」
『よりにもよって、彼らですか。なんともまあ、節操のないことです』
 水龍はどこか皮肉げに呟いたが、カグヤはそれどころではない。まさかジンイェンとバオグーが、軍にいるとは思わなかった。
 実際にどうであったかはさておき、彼女には兄弟子たちが軍に捕まって、協力を強制させられているように見えたのである。
「迷っている暇なんて、ないわね」
『カグヤ?』
「個人が軍隊に対するには、速攻。それも速戦即決しか、手立てはない。……老師の教えよ」
 そして、彼女は兄弟子たちがいる場所へ、一直線に駆けた。兵が彼女の姿を確認すると、警戒して槍の穂先を向ける。
「貴様がエルーカか? 答えろ!」
 彼らが仕掛けるより早く、さらにカグヤは精霊を召喚する。
「く……」
 水龍はもとより、セラフとレギオンまで同時召喚。手練のエルーカでさえ、二重召喚が限度だというのに、この時の彼女はその上を行ったのだ。
『久しぶりだな、カグヤよ』
『おォうゥ……我の手が、必要か。ふーむ、これはナカナカ、愉快な状況ではないかァ……?』
『二人とも、自重なさい。エルーカの御前ですよ』
 破壊と憎悪の精霊が、この場の空間を支配する。それを水龍が牽制し、拮抗状態を作った。
 良くも悪くも、個性が強すぎる連中である。無駄口を叩かせず、早々に役目を果たさせるべきであろう。
「セラフ」
『……言わずとも、了解している。まったくつまらぬことだがな』
「レギオン」
『フフ、そう睨むな。――餌をもらいに来たのだと思えば、茶番にも意味があると、いうモノ』
 兵たちが、精霊の生み出す異様な雰囲気に飲まれているうちに、彼女は手を打った。セラフがまず力を行使し、破壊を行う。
「うおッ! なんだ、武器が」
「壊れる……。くそッ、これでどうやって戦えってんだ!」
 セラフの破壊は、負の力。使い方次第で、人の命も容易く奪える代物だが――今回、カグヤは兵士の武器破壊にこれを用いた。
 武器を破壊された兵士たちは、戦闘能力を失ったに等しい。この上、さらに心まで摘み取ろうと、レギオンが動く。
『ホォォォ……ウゥ。憎悪を、食らわせよォォォ……』
 憎悪の精霊は、戦場の狂気と憎悪を食らいつくした。兵からこれらの感情を奪えば、もう普通の人と変わらない。
「あれ? ……おかしいな。なんで俺たち、戦争なんてやってるんだろうな」
「――やりたくねぇなぁ、武器もないしなぁ」
 そして、普通の人は、人殺しなどしたくないものである。よって戦意は衰え、士気は激減する。戦おうとする気力すら、今の彼らにはない。
 ここでようやく、水龍の出番である。
『二人とも、もういいでしょう。加減なさい』
 二精霊の暴走を抑え、場に血を流させないための水龍の浄化。セラフにしろレギオンにしろ、調子に乗りやすいところがある。
 水龍は、ついやりすぎてしまった……という言い訳をさせないためのお目付け役であった。これで準備は万端、整ったといえる。
「突っ切るわ。皆、力を貸して」
 後は、前進制圧あるのみ。カグヤは三重召喚の負担をものともせず、兄弟子たちの下へと直行した。まさに疾風怒濤といってよい、凄まじい勢いであった。


 ジンイェンとバオグーは、兵からの報告を待っていた。彼らが望むのは、カグヤの捕獲、あるいは脱出を確認したという報告である。
 捕獲は虫が良すぎるにしても、脱出を確認できたなら後を追い、足止めをした上で軍とかち合わせる。その程度の算段は、ついていた。
 しかし、現実は彼らの想像を飛び越える。
「助けに、来ました」
 カグヤは兵どもを制圧し、瞬く間に彼らの元へと迫ってきた。異常に気付いた頃にはもう遅く、二人は今度こそ覚悟をしていたというのに。
 彼女の口から出たのは、なんとも要領を得ない言葉。バオグーとて、理解するのに数秒かかったほどである。
「さあ、逃げましょ……う」
 ここまでたどり着くのに、相当無茶をしたのだろう。笑顔を見せながら、カグヤは倒れた。
「気絶しただけ、か。やろうと思えば、やれるな」
『無情ですね。誰のために、ここまで彼女が苦労したと思っているのです?』
 水龍が、二人に語りかける。もとより、多少は縁の深い相手であるから、会話も通じやすい。カグヤが気を失っていても、少しならば話ができそうである。
「……なんだよ。何が言いたい」
『カグヤは、あなた方が軍に捕まっていると思って、助けに来た。……命まで狙っていた相手に対し、危険を顧みず、ここまで来たのです』
 お人よしといえば、これ以上のものはない。老師とて、ここまで無謀な行為は行わなかったであろう。
 遅まきながら、彼らは気付く。カグヤは、自分たちを嫌うどころか、好意を抱いているのだと。その理由こそ、老師とのつながり。
 彼女にとって、兄弟子という存在が、いかに大きかったかを物語る、よい一例であった。
「……お前馬鹿だろ」
 ジンイェンが、倒れているカグヤに向かって呟いた。バオグーも同感であったが、責める理由はない。自分もまた同類だと、自覚していたからである。
「馬鹿は治らぬ病気だ。手の施しようがない……が。それをいうなら、我らも愚か者だ」
「そうだな。――どうする? 一応、こんなのでも仇は仇だ」
 老師の仇である、カグヤを受け入れることはできない。今までは、確かにそう思っていた。だが戦いを仕掛けながら、何度も自分たちを許す彼女の心根に、情が湧き始めていたのも事実である。
 ここに来て、カグヤの意外な行動に呆れ果てて……今や、当初感じていた怒り、憎しみの感情は、ほとんど消えていた。むしろ、興味の方が強くなっている気がする。
「もう、よかろう。ジンイェン、ここから離れるぞ」
「そうだな。……オレが運ぶのか?」
「お前の方が、体力はある。任せた」 
 そして、二人はカグヤを連れて、この場を去る。後には、戦意を失った、兵どもが累々と横たわるのみ。
 死者は、一人もいなかった。このことは歴史の影に埋もれるが、数少ない奇跡として、当事者たちの胸の内にしまわれることになる。


 カグヤが目を覚ますと、傍には二人がいた。
 なぜこうなったのか、とっさには理解できなかったが――少し話し合うと、それも思い出す。
「そうか。助けられたんだね、私」
「……助けられたともいえるし、助かったともいえる。どちらに対しても、な」
「こうなったらもう、しょーがねーさ。妹分だと思って、認めてやるよ」
 社交辞令として、素直に礼を言うこともできただろう。だがあえて不器用な物言いで済ませ、彼らは別の話題を持ち出した。
「老師について、だが」
「……うん」
「お前が望むなら、思い出話くらいは、してもいい。どうする?」
「お願い。あの人のことなら、何でもいいから」
 バオグーの問いに、カグヤは即座に答えた。彼もまた彼女の意気に応え、昔話をする。
「老師と我らが出会ったのは、子供の頃だ。たしか、十歳くらいだったか? ともかく二人して弟子入りしたことは、良く覚えている。老師は悲しげに首を振るばかりだったが、どこまでも付きまとって、本気だとわかると、諦めて受け入れてくれたよ」
「へぇ、そうなんだ。……根性あるのね、二人とも。ジンイェンとバオグーは、元々知り合いだったの?」
「おう。こいつとは幼馴染でなー。今じゃあ、義兄弟みたいなもんさ。老師の下でも、互いに切磋琢磨したもんだぜ」
「――もっと、聞かせてくれる? とにかく、あの人のことが知りたいの。そして出来るなら、貴方たちのことも」
「まあ、いいだろう。時間は、たっぷりあるのだからな」
 これにはジンイェンも加わって、その日一日は、語るだけで過ぎ去ってしまった。
「修行は厳しかったが、あの人は優しかった。甘いことと、優しいことは違う。老師はそれをわきまえて、人を導ける方だった」
「……懐かしいなぁ。あのころが一番、楽しかったぜ。鍛えていけば、強くなれる。強くなっていって、いずれは支配する側の人間になれる。そう、信じられたからな」
 カグヤは知る、兄弟子たちの事を。そして彼女が知らない、老師の一面も、このときに教えられたのである。


 しばらく、三人は共に旅をした。思い出話をしながら、ついでに彼らはカグヤに、人との接し方を教えていく。
「俺たちは戦災孤児でさ、本当にガキん頃は、よく悪さをしたモンだよ」
「人の気の緩みを見極め、その隙を狙って獲物を掠め取る方法。あるいは効率よく人を騙す方法。……大人から見れば、いやな子供だったろうな、我々は」
 小ずるいやり取りや駆け引きなどは、その後も鍛錬を重ねたらしく、実演してもらうとこれがまた、妙にはまる。
 普通の人間とは年季が違うのだと、ジンイェンは胸を張って言った。バオグーは別に誇るようなことではないが、知っていれば役に立つ。だから覚えておけと、カグヤに言う。
「エルーカは、異質さから目立ちやすい。カグヤ、お前は特にその傾向が強いな。まずは、人の中に溶け込むこと。次に人の心を読み、利用して立ち回ることが出来るようになれ」
「それから、お前。読み書きと礼儀作法も、きちんと習ってないだろ? 最低これが出来なきゃ、溶け込む前に爪弾きにされちまう。勉強には付き合ってやるから、頑張るんだぞー」
 兄弟子たちは、カグヤにとって、第二の師となった。礼儀などはともかく、弁論術や交渉術は、真っ当すぎる老師には教えられなかったものだ。それを学べたことは、彼女にとって非常に大きな出来事だった。
 一年もすれば、教えられることは何もなくなる。兄弟子を超えたわけではない。以後は実戦で場数を踏むことで、伸ばしていくしかない。そこまでの水準に、カグヤは達していたのである。
「教えられることは、すべて教えた。これで卒業だな」
「あとは、ちゃんと笑えるようになるこったな。それもできたら、一緒に笑い合える仲間を作るのがいい。なにをするにしても、一人じゃあ楽しくないからな」
 旅をしながら、教えられたことは多かった。だが、卒業ということは、彼らから離れる事を意味する。
「ちょっとした縁で面倒を見ちまったが、ここまでだ。あとは、一人でしっかりやれよ?」
「……ずっと一緒には、いてくれないんですね」
「不可能だからな。それに、意味がない。我々は、世界を支配する。のしあがる、という道を捨てられぬ。だが貴様は、そうではないだろう? 志を共にできぬ相手と、同じ道は歩めない。――聡明なカグヤには、理解できるはずだ」
 彼らが野望を抱く理由、その原因については、カグヤは一度も追求しなかった。
 彼女とて、探られたくない過去はある。ジンイェンもバオグーも、同じだろう。語らないことにまで、踏み込むことは失礼に当たる。そう察することが出来る程度には、彼女も成長していたのだ。
「しょうがないですね、本当に、もう」
「ああ、仕方ない。たとえ志半ばで倒れても、悔いは残さんよ」
「逆に言えば、悔いを残すような生き方はしたくないってこった。……お前さんはお前さんで頑張れよ、簡単に死ぬんじゃねぇぞ?」
 そして、カグヤは兄弟子たちと別れた。
 以後数百年。彼女は、彼らと再会していない。
 あの二人の無茶な生き方を考えれば、案外あっさりと『なくなって』しまったのかもしれない。けれど、真偽を確認する術はなく、するつもりもなかった。

――いつか、会えるかもしれない。けれど、会えないなら、それはそれでいい。

 カグヤは人と交わり、人の想いを継いでいく道を選んだ。
 兄弟子たちが消えていようと、いまいと。人の想いを知るきっかけとなった二人の『兄』は、今でも彼女の胸の中に在る。

――私は、忘れていない。暖かい思い出は、いつだってここにある。

 きっと、それで、いいのだ。悲しむことは、むしろ彼らを侮辱することになる。
 悔いは、残さない。その生き方を、彼女も見習いたいと思うから。
 そして、エルーカは道を行く。自らの求める未来が、その先にあると信じて――。

クリエイターコメント このたびはリクエストを頂き、まことにありがとうございます。

 カグヤの過去にまつわるお話も、これで終わり。そう思えば、感慨深くもあります。
 私などに、このような重大な部分を任せていただけたこと、本当に光栄だと思っています。
 ライター業務は続けますので、機会があれば、こうして依頼を受けることもあるでしょう。
 そのときはまた、よろしくお願いします。では、これにて。
公開日時2009-07-17(金) 20:00
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