★ 風と光とが生まれる場所 ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-6705 オファー日2009-02-17(火) 21:40
オファーPC 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC1 十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
<ノベル>

「もういい、俺が向かう!」
 刀冴は勢いよく椅子から立ち上がった。勢いが強すぎて、後ろに滑っていった椅子がそのまま豪快な音と共に転がる。刀冴の言葉と椅子の転げた音に、それまで取り留めなくざわめいていた執務室の中の空気が一瞬にして凍りついた。
「と、刀冴様。今、刀冴様が自らあの場所へ向かわれると仰いましたか?」
 老獪な男がひとり声をかけ、すでに歩き出している刀冴の足を止めた。老獪の声はわずかに震え、不快を顕わにした面持ちで振り向いた刀冴の顔をまっすぐ見据えられず、視線をあちらこちらに移ろわせている。
 星翔国東側の端が妖魔の群れの襲撃に遭ったのは、十日ほど前のことだった。かつて賑わいをみせていた神殿を中心とした小さな集落跡地があった場所で、情報に依れば、どうも群れの中心には彼らを産み出す母胎がいるらしい。初めの内こそ兵卒たちの手でどうにか対峙できるようなレベルの妖魔しか産み落としていなかった母胎だったが、日に日にそれを上げつつあるらしいのだ。今は、下手に隊を送りこんだところで、瞬く間に敗北し、無残にも喰い散らかされて終わってしまう状況にまでなった。結果的に神殿跡地周辺は妖魔に溢れ、どうにも対処しきれずにいる。
 星翔国は今、激動の渦の中にある。乱世の只中にあると言っても過言ではない。各地の鎮圧や対応にあたるため、兵力はいずれも各地に散らばり配置されている状態だ。ゆえに、どうしても兵力は不足してしまう。つまり、妖魔の鎮圧に兵力を割くだけの人足は無いに等しい状況なのだ。
 数ヶ月前、刀冴は星翔国第三軍の将軍の地位を、半ば強引に付与された。生来の性格ゆえ、どうしても最前線に立ち、単騎で先陣をきって突進していくタイプの刀冴には、数多の兵卒たちを束ねるという将軍職には不向きであると思われた。たしかに彼は奴隷上がりだと蔑視され、不良崩れだなんだと蔑まれることもあった。が、ふたを開けてみれば、じつのところ、刀冴は国民や兵卒たちの信頼や人気を多大に受けている。そういった者が上部に立つということは、けして悪いことではない。むしろ喜ばしいことだ。
 神殿跡地からみて真逆の方角にある土地の鎮圧に赴いていた刀冴が妖魔の出現を聞いたのは、鎮圧から帰還した、すぐ後のことだった。それからは妖魔殲滅のためのオペレーションを組むための会議に顔を出した。軍部はやはり出払っており、会議の中心を務めていたのは執政部の老獪たちだった。
 会議は遅々として結果を生まず、時間は無碍に過ぎてゆくばかり。ついに刀冴は痺れを切らし、自らが単身妖魔殲滅に乗り込むことにしたと宣言を立てたのだ。
「ここでこのままチンタラやってても意味ねェだろう? つうかあんたらジジイが連中とガチでやるわけでもねェんだし、今ここで闘えるのは俺しかいねェ。っつったら、結果は見えてくるだろうが」
 早口で吐き捨て、言い終えるのと同時、刀冴は再び執務室の出入り口へと向けて足を進めた。
 困ったのは老獪たちだ。奴隷上がりのならず者とはいえ、刀冴は天人を祖母に持つ。しかもその天人は天人の国の中でも特出した存在である、貴き姫君なのだ。その刀冴を単騎で妖魔退治に乗り込ませたとあっては、万が一に何かがあった場合の責任問題に通じる。
「いや、何れかの隊を呼び戻して殲滅に向かわせよう。さすがに多勢に無勢。刀冴様のお力だけでは及ばぬ部分もあるやもしれぬのだし――」
 おろおろとしているばかりの老獪たちを尻目に、刀冴はもう既に言を返そうともしなかった。自らの保身ばかりを望む彼らに、何を言っても時間の無駄にしかならない。今は一刻も早く神殿跡地へと向かう必要がある。もしかすると生き延びている民がいるかもしれないのだから。
 
 鎮圧の疲れや身体に残る土汚れもそのままに、手早く武装のしたくを整え終えると、刀冴は休む時間をとることもなく外に踏み出した。
 問題は移動手段だ。常人をはるかに凌ぐ身体能力を保有している刀冴ではあるが、それでも丸一日は要するだろう。その移動中にも、妖魔の脅威はますます規模を増大していくかもしれないのだ。
 ――もっとも、考えていても始まらない。移動手段として、己が足を用いるしかない。
 走り出そうとした矢先、刀冴の視界は瞬時にして暗く翳りを帯びた。一瞬にして陽が沈み落ちてしまったかのような薄闇が広がっている。
 上空を仰ぎ見た刀冴の目に映ったのは巨躯をもった黒い竜。瞬きの間に町ひとつ滅してしまうほどの火炎を放つその黒竜の主を、刀冴は知っていた。
「若!」
 案の定、降ってきたのは見知った男の声だった。
「十狼」
 名を呼び、空を仰ぐ。と、黒竜は見る間に上昇を始め、その竜の上から体格のいい男がひとり舞い降りてきた。むろん、常人であれば地に叩きつけられ絶命してしまいかねない高さだ。しかし十狼はその高さをものともせずに着地を済ませ、涼やかな顔で膝を折る。
「東部の神殿跡地においでか」
「ああ。よく分かったな」
「無論。――若お一人で向かわれるおつもりで?」
「生憎、俺以外の戦力はすべて出払っていてな。今ここにいるのは老い先短いジジイばかりよ」
 皮肉めいた応えを口にし、後ろ手に今さっき出てきたばかりの城を示す。十狼は刀冴が示した先をちろりと一瞥し、肯いた。
「私もお供つかまつろう。戦力は多いほうが、かかる時間も少なく済んでよろしいかと思われますが、如何か」
 十狼には黒竜がいる。竜の翼に乗れば、一時間とかけずに妖魔の群れにまで辿りつけるだろう。何より、十狼の戦力が如何ほどのものか、星翔国の中では、おそらくは刀冴が一番理解できているはずだ。――いや、そんな事よりも。
「だな。頼むぜ、十狼」
 言って、刀冴は十狼の肩を叩いた。悪戯をこめて強めに叩いてみたところで、眼前にいる頑強な天人は表情ひとつ変えはしないのだから、まったく面白みがない。表情を変えるどころか、一見すれば何ら表情らしいものの感じられないような端正な顔に、じわりと喜色さえ滲ませる。刀冴は諦めとも呆れともとれるようなため息をひとつ深々と吐き出して、十狼の視線の先にいる黒竜の巨躯に目を向けた。

 数分後。ふたりを背に乗せた黒竜は、眼下に広がる広大な森の上に大きな影を落としながら飛行していた。
 神殿跡地に向かうまでの道程はけして短くはない。地理に長けた案内人を雇わねば、数日の後には深い緑の迷路に囚われてしまう、と言われているほどに広大な森。それを抜ければ一変、四方を砂で囲まれた広い砂漠へと通じる。さらにそれを超えれば岩山が待ち受けているのだ。とてもではないが、生半なことでは辿り着くことのできない土地に神殿はかつて存在していた。いや、だからこそその神殿は信奉者たちによって盛り立てられ、だからこそ衰退していったのだとも言える。今ではある種の観光地的な意味も含め、それなりに名を残し続けているばかりの状態だ。
 黒竜は瞬く間に森を越え、砂漠を過ぎて、岩山の絶壁や勾配を易々と過ぎる。
「若、程なく見えてまいりましょう」
 あの辺りが神殿跡地です、と。十狼はつと片腕を持ち上げ、そうしてふと目を細ませた。
 岩山に囲まれた緑豊かななだらかな斜面、その上に、神殿跡地は確かに存在していた。
 同時に、その周辺、そうして上空に、無数の妖魔たちの黒い影もひしめいているのが見えたのだった。爬虫類とヒトとが混ざり合ったかのような風貌をした妖魔たち。あるいはヒトの顔に蟲の身体を得たような風貌の妖魔もいる。
 羽らしきものを得て飛空できるタイプのものもいれば、蛇のように地を這うものもいた。そのいずれもが、黒竜の巨躯に畏れを抱いているのか、一様に黒竜を仰ぎ見て黙している。
「……数はそれなりにいそうだな」
 刀冴が呟いたのをうけて、十狼も静かにうなずいた。
「エルガ・ゾーナの焔で焼き滅するのが最短にて解決できうる術かと」
 さらりと言いのける十狼の涼やかな目を覗き見て、刀冴は小さく笑う。
 エルガ・ゾーナ。竜の王にして、十狼の半身とも称すべき黒竜。今彼らを乗せて瞬く間にここまで運び連れてきたこの竜の焔ならば、確かに、驚くほど容易く、妖魔たちを殲滅できるだろう。まして妖魔たちは黒竜を畏れ、蠢くこともままならないでいる状態なのだ。
「確かに。――だが、万が一、この周辺にまだ逃げ送れた生存者がいないとも限らないからな。俺たちはこいつらを殲滅し、ひとりでも多くの人間を救わなきゃなんねぇんだ」
だろ? 言いつつ、拳を作りそれで十狼の胸下を軽く小突いた。
 十狼は刀冴の言葉に喜色を満面に浮かべ、大きくうなずく。
「御意。ならば、我らは地にいる輩を殲滅すれば宜しいのですね」
「そうだ。人間は空を飛べねぇからな。空を飛んでる連中に関しては、お前の判断に任せる」
 言って笑った刀冴に、十狼はいよいよ表情を緩め、次いで黒竜を地表近くにまで降るようにと指示を出した。黒竜は地表から数メートルほど離れた位置で止まり、刀冴と十狼が難なく降り立っていったのを確認すると、再び上空へと戻っていった。
 降り立った地表は見渡す限りの平原で、そこにたどり着くまでに広がっていた岩山地帯を思えば、まるで別世界に来たかのような、奇跡的なほどに美しい土地だった。この地に神殿が建ち、それを信奉する人間たちが居住地まで築き上げたという理由も納得できるほどに。
 膝下ほどにまで伸びた豊かな草花が冷えた風を受けて波打っている。さほど離れていない場所では白亜の廃城が沈黙していた。空は西の端がいくぶんか朱を帯びてきているばかりで、雲ひとつない、清々しく晴れ渡った青を湛えている。
 それなのに、
 刀冴は廃城から出てきた妖魔を目にして表情を一変させた。
 初め、小さな子供が出てきたのかと思い、目を見張った。が、それはすぐに名状し難いほどの怒りへと変じたのだ。
 子供は大きな口の中にいた。おそらくはもう絶命しているだろう。生命の感じられないその姿は、次の瞬間に閉じられた口中へと収まり、咀嚼され、飲みくだされて消えた。
 大きなカエル様の顔を得た妖魔だった。身体はヒトに近く、四肢らしいものを持っている。それが子供を一口に食み、美味そうに舌なめずりさえして、それから辺りを見渡して大きな目をぎょろりと回転させた。
「……喰いやがった」
 ぼそりと刀冴が呟いたのを聞きとめたのか、妖魔はこちらに顔を向け、不快そうな表情を目に浮かべる。そうして、
 ギチギチギチギチギチギヂギヂギチと、金属を引っ掻いたような不快音を叫び、後ろ手に神殿の柱をひとつ崩落させた。
 黒竜に萎縮していた妖魔たちはその咆哮を聞くとようやく思い出したかのように蠢き、刀冴と十狼の周りは妖魔たちによって幾重にも取り巻かれるところとなった。涼やかに吹いていた風は、今では生臭い異臭を交えたものとなっている。
 じりじりとにじり寄ってくる妖魔たちに取り囲まれ、刀冴は明緋星を鞘から抜き出し、構えた。
「まさかとは思うが……こいつらがヒトの形をしてんのは……人間を喰ったからってことはねぇよな」
「……外道めが」
 十狼は剣を構えることをせず、刀冴の背に自分の背を合わせる恰好で姿勢を正す。天空では十狼の半身、黒竜が怒号を吼えている。
 ピリ、と空気がわずかに震えた。高い岩山から吹き降りてくる風が、轟、と低い唸りをあげながら平原を舐めてゆく。
「若」
 刀冴の顔を検めるでもなく十狼が名前を呼ぶと、名を呼ばれた刀冴は地を蹴り上げるのと同時に応えを述べた。
「俺が赦す。十狼、一秒でも早く、こいつらを殲滅するぞ」
「御意」
 間を置かずにうなずく。そうして刀冴が向かったのとは逆の方向に走りだし、一瞬の後には数十メートルほど離れている位置に見えていた妖魔の背後に立っていた。吹き荒れている風よりも速かっただろう。蟷螂に似た姿の妖魔は、たった今まで見えていた十狼の姿が消失してしまったことを理解できず、自分の首が自分の体を仰ぎ見ている現状をも理解できずにいた。
 妖魔の体から噴き上げる血煙の中、十狼は喜色を満面にたたえた顔を浮かべていた。妖魔をひねり潰すことが楽しいのではない。刀冴が「赦す」と言ったのだ。それはつまり「任せる」ということだ。今ここには刀冴と十狼のふたりしかいない。その状況下で己が背を預けてくれるということは、つまるところ絶対的な信頼を寄せられているということに他ならない。それを思えば、十狼の心はいくらでも跳ね上がるのだ。
しかし。
刀冴は“未だ身を潜めているかもしれない人間”を危惧しているが、覚醒領域を広げればすぐに知れることだ。――この周囲には、妖魔しかいない。生者の息吹はわずかほどにも残されてはいないのだ。刀冴も恐らくそれを知ってはいるだろう。認めたくないのだ、おそらく。
 通常の使い手ならば傷をつけることすら難しかったであろう妖魔の体は非常に硬質化していた。その硬い体で攻撃を跳ね除けながら先陣を切るための、いわば切り込み役だったのかもしれない。だが、十狼の前ではその硬い体もまるで意味を成さなかった。そもそも、己が背後を位置取られたことにすら気付くことが出来ないような相手では、敵と呼ぶにも相応しからない。まして今の十狼は絶好調だ。妖魔の硬く長い腕を掴み、そのまま身を翻して周囲にいた妖魔たちの腹を一度に数体分ほど裂いた。
「じきに陽が落ちる。即ち夕餉の刻が近いということだ。……貴様らに時間をかけている閑など、微塵もない」
 長引けば刀冴が腹を減らしてしまうかもしれない。
 十狼にとり、“生き延びているかもしれない”人間を思い測る必要など、わずかほどにもないのだ。

 十狼が妖魔たちを薙ぎ倒していくのを遠目にしつつ、刀冴は刀身の長い大剣を振るっていた。刀身の長さに比例して、本来ならばかなりの重量をも誇る剣である。だが刀冴はそれを片手で易々と振るい、舞踊でも舞うかのような滑らかな無駄のない動きで平原を走り回っていた。
 剣術だけならば十狼のそれをも凌ぐ、とさえ謳われている刀冴だ。妖魔たちの中でもある程度の知性を持つものは、皆、刀冴の見事な太刀筋に目を奪われ、動くこともままならないまま切り捨てられていった。
 空の上では黒竜が飛空する妖魔たちを殲滅している。一瞬で炭化し霧散しているためか、妖魔たちの死骸らしきものはひとつも落ちてはこない。黒竜の調子は十狼のそれに比例する。つまりは十狼もまたかなり好調に動けているということだ。それを思えば、刀冴の口許は知らず弛むのだ。
 しかし。
 妖魔たちと戦いながらも、刀冴は周辺に気を配るのを忘れずにいた。
 妖魔の数は思いのほか多かった。この跡地にどれほどの人間たちがいたのかは分からないが、いずれにせよ、おそらくはもう、絶望的だと見ていいだろう。それを確かめるためには天人の能力である覚醒領域を広げてみればいいのだが、しかし、確かめるのもしょうじき気が引ける。――それでももしかするとまだどこかに、という希望を、能力をもって自ら打ち消してしまうのが躊躇われるのだ。
 結果、刀冴は天人としての能力を使うのをやめた。あくまでも将軍としての力のみで妖魔たちを殲滅する。それが多勢に無勢という現況もあって、どれほどに体力を削られるものであったとしても、だ。
 
 十狼が妖魔を粗方殲滅し終えて刀冴を見ると、刀冴はまだ妖魔たちとの対峙を続けていた。むろん相対している数は減っている。八割はもう潰し終えているといったところか。
 十狼は刀冴の戦力を信頼している。彼がどれほどに戦士として強靭な力を誇っているかということなど、刀冴が置かれている位置を顧みるまでもなく明らかなことだ。だが、十狼はわずかに目を眇め、そうしてすぐに目を見開いた。
「若!!」
 叫び、駆け出す。
 
 刀冴は身体の数箇所に怪我を負っていた。もちろん致命的なものなどではない。刀冴はたぶん「かすり傷だ」と言って笑うだろうが、それでも、怪我は怪我だ。動くたびに赤い筋が流れ平原に落ちる。
 十狼にとり、傷の深さは問題ではない。
「貴様ら……っ! 若に怪我を負わせてくれたな!」
 叫び、地を蹴る。
 驚き振り向く刀冴の眼前で、十狼は怒号を吼えながら平原を焦土へと変えてゆく。それは圧倒的なものだった。カエルのような姿の妖魔も、瞬く間に炭化して消えた。
 ほんの瞬きのときの後には、あれほどに溢れかえっていた妖魔たちの姿も全てが消え失せていた。平原の緑も消え、残ったのは岩山とそれに囲まれた白亜の廃神殿、そうして涼やかに吹く風と青々とした空ばかり。

「若、御身体は」
 駆け寄り、すかさず刀冴の身体のあちこちを検め始めた十狼に、刀冴は呆れたように深い息を吐き出し、かぶりを振る。
「お前は本当に……」
「若、ただちに城へ戻るといたそう。薬草の手配を整え、傷痕も残さずに手当てを施しましょうぞ」
「バカかお前は本当に。俺ぁ将軍だぞ。怪我のひとつもするだろうよ。しかもこんなかすり傷、放っといてもその内勝手に治るって」
「しかし、若」
 まだ何かを言いたげにしている十狼を制し、刀冴はゆっくりと周りを見渡し、視線を細めた。
「……好い場所だな」
「……まこと」
「こんなにも好い場所で、これほどに美しい神殿が、今じゃ廃墟として扱われているなんてな」
 十狼は刀冴の言に静かにうなずく。
 刀冴はしばし何事かを思案した後、ゆったりと目を伏せ、そうして次の瞬間、覚醒領域を広げて“生存者”の有無を確かめた。
 十狼は黙したまま刀冴の次の言を待っていたが、ほどなくして目を持ち上げた刀冴が一瞬物悲しそうな顔をしたのに気付き、視線を移ろわせた。
「斯様な土地は一箇所だけに限らず、他にも多くあると聞き及んでおります。人気も少なく、ましてそこを護衛する者も長く不在な土地であれば、これからも妖魔共が勢いづくやもしれませぬ」
「……だよな」
 うなずき、刀冴は小さく唸り声を漏らす。
「少しでも早く、隅々にまで護衛を回す必要があるっつうことだ。……そのためには、ジジイ共を黙らせて……」
 言いながら、刀冴は小さく項垂れた。
「若?」
 呼んでみるが応えはない。
 項垂れたまま身じろぎもしない刀冴の顔を覗きこむ。――刀冴は小さな寝息を立てていた。
 刀冴は天人の血を使うことなく、数知れぬ妖魔たちと相対した。どれほどに剣術や対術の達人であるとはいえ、そうしてどれほどに常人離れした体力を持っているとはいえ、気力共々大きく削られたことには違いないはずだ。その上で最後、ようやく覚醒領域を放った。――刀冴であればこそ、疲労して眠りに就いただけで済んでいるのだろう。常人であればとうに死んでいてもおかしくはない。
 十狼は大きく肩を上下させ、上空に留まっている黒竜を仰ぎ見てその名を呼んだ。
「若を起こさぬよう、静かにな」
 黒竜の首を撫でてやりつつ声をかけると、黒竜は小さくうなずいた。そうして、来るときとはまるで異なる、穏やかで静かな飛び方で風を切り、神殿跡地を後にしたのだった。

 十狼は刀冴を護るように抱きかかえ、寝息を立て続けているその顔を見つめ頬を緩める。
 可愛らしい、と言う表現は、刀冴の年齢を思えば相応しからぬものではあるのかもしれない。しかし、十狼からすればそれでもまだ稚い年の子供と呼ぶに等しいものでしかない。もちろん、それを言えば刀冴は怒るだろうが。
 いや、今はそんなことよりも、刀冴が風にあたって身体を壊したりしないよう、しっかりとガードしていることが大切だ。
 十狼は刀冴の髪が風に踊るのを見て目を眇め、それからふと視線を持ち上げて空の端に放った。
 落陽までには間に合ったようだ。が、それでも空の端には夜の色が色濃く浮かびだしている。
 比較的ゆっくりとした速さで飛んでいるとはいえ、それでも通常の移動よりははるかに速く、刀冴を部屋へ届けることができそうだ。

★ ★ ★

「そういえば、あの時のことを覚えておいでか、若」
 背中ごしに十狼が声を弾ませる。眼前に――見渡す限り、周囲を一面に埋め尽くすほどの数を揃えた怪物がいる。それを検めながら、十狼はひどく楽しそうにしているのだ。刀冴は呆れたように笑いながら首をかしげた。
「あの時っていうと、いつだ?」
「神殿跡地に、エルガで向かったことがありましたな」
「ああ……? ああー、そういえばあったな。あの時の妖魔と今回のこいつらと、どっちの数が多いと思う」
「さて……どちらも同じようなものかと」
「だよな」
 言って、刀冴は喉を鳴らす。
 
 杵間山中に現れた怪物の群れは市街地を目指し進んでいた。対策課から怪物の足止めを依頼されたふたりは、今、怪物たちの群れのただ中にいる。

「この街は不可思議な場所でございますな」
「だな。――でもまぁ、この街は面白ェ連中ばっかいるよな。まあ、いけすかねえヤツもいるけどよ」
「ふふ、まったく」
 うなずきながら、十狼は周囲を囲む怪物たちに気を配る。
 怪物たちはじりじりとした動きながら、少しずつ間合いを詰めてきている。
 ある程度の距離にまで近付けたら、そこから一気に襲撃をしかけようという考えなのだろう。十狼は口の片端を歪めあげて嗤った。
「……しかし、この街の影響かもしれぬが、若はずいぶんと変わられた」
「そうか?」
 応えて肩越しに振り向き、十狼の顔を見据えながら刀冴は笑う。
「そういうお前も変わったぜ、十狼」
 言いながら十狼の腹を軽く殴りつけた。が、相変わらず、十狼はわずかほどにも痛みを見せない。肩をすくめて微笑み、刀冴は再び視線を元の位置へと戻した。
「お互いに変わりましたな」
 十狼がぽつりと落とす。
「だな」
 刀冴もうなずいた。

 星翔国にいたころには、自分が果たして人間なのか天人であるのかを思い悩んでいた。人間相手の戦闘において天人の力を放出するのはある種卑怯な手段だと思っていた。
 けれども、銀幕市という街に来てからは、その考えが劇的に収束したのだ。
 自分が天人であろうが人間であろうが、それは大した問題ではない。大切なのは自分らしくあり続ける、その一点のみ。
 十狼にはこれまで刀冴だけが世界のすべてだった。他に生きている者たちなど、その命の価値もない存在だと思っていた。
 が、それは違った。
 刀冴以外にも大切な存在は多く現れた。心を傾け、笑いあい、そんな時を共有することのできる相手を、この街で見出すことができたのだ。
 以前であれば、怪物たちが市街地に向かおうがどうしようが、十狼にとっては大した問題ではなかったはずなのだ。だが、今は違う。

「まあ、でも、こういうのもな」
 悪くない。そう続けて笑う刀冴に、十狼もまた頬を緩める。
「まったくですな」
 うなずき、互いに背中ごしに視線を合わせて微笑みあった。
 そうして次の瞬間、ふたりは同時に地を蹴り上げ、怪物たちの群れの中へと走っていた。

 護るべきものは多く、それゆえに身も心も削られる。だが、それゆえに身も心も満たされる。それはとても素晴らしい奇蹟だ。

 空が青い。
 ふたりは同時に吼えた。――新たな風を生み出すために。

クリエイターコメント大変お待たせしてしまいました。伏してお詫び申し上げます。

このたびはオファーありがとうございました。大好きな主従さんおふたりを書かせていただけて、光栄の至りであります。しかもステキなピンナップへのノベルとは!興奮至極であります。

全体的に明るいイメージで書かせていただきました。
今、銀幕市は暗い影に脅かされてはいますが、それでも、希望や奇蹟は必ずあり続けているはずです。
主従さま方のご武運をお祈りしております。
公開日時2009-04-11(土) 14:00
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