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<ノベル>
秋津戒斗はぶらぶらと街を歩いていた。珍しく予定がなかったから、たまには一日中家でごろごろでもしていようか、とは思っていたのだが、それにも飽きてしまった。
大きく欠伸をして、空に向かって体を伸ばす。
よく晴れたいい天気だ。まだまだ寒さは残っているが、今日は比較的暖かい。特に用があるわけでもないが、そろそろよく読んでいる映画雑誌が発売なので、本屋まで足を伸ばす気分になった。多少時間がかかるが、歩いていれば暖かくなるだろうし、自転車と言う気分でもない。
戒斗は両手をジャケットのポケットに入れて、軽快な足取りが石段を降りていく。最後の一段をノックバックする形で降り、ふと右手前方を見やる。
そこには更に長い石段が聳えているように伸びている。石壁には“杵間神社 この上”と書かれた古びたプレートが張られている。
チラリと杵間神社の騒動を思い出す。あの時はなかなかの騒動だった。
騒動を思い出し、あのころは大変だったが今ならくすりと笑って思い出せる。気が緩んでいたのか、つい小さくだが声を上げて笑う。はたと気付いてささっと辺りを見回して誰もいないのを確認する。
そして乱暴に足を出した瞬間。
ガッ!
と、何かを蹴っ飛ばした。
ヤバい!と思った時には、蹴った物は結構前に吹っ飛ばされていた。何を蹴飛ばしたかは判らないが、かなり固い感触だった。割れ物だったら一大事だ。
−いやでもこんな道路っ傍に堅いもん置いておく方が悪ぃよな……!?
戒斗の頭の中は万が一に備えて言い訳塗れになるが、彼は口の悪さと反比例して、根は真面目で誠実だ。だからいざ怒られたりしたらきっと、きちんと謝るのだろうけど。
駆け寄ってみると、それには見覚えがあった。
杵間神社のご神宝。秋祭りの時に逃げ出したものだ。
「……あれ? でもなんか違うような…?」
目を回しているのか、鏡はきゅるきゅるとしているままだ。
「うわわぁぁぁぁ、どいてぇぇぇっ!?」
戒斗が鏡に駆け寄ると、遠くから女性の声が聞えてきた。
はっとして、思わず鏡を手に取って石段を二段ほど上がって身を避ける。
原動付き自転車ー俗に言う原チャリ、が先ほどまで戒斗がいた場所で思い切り転んでいた。
ずしゃぁっ、と派手な音がした。
「……おい、大丈夫か?」
「うう……だいじょばない……けど、慣れてる……」
近くで見ると、女性と言うよりまだ少女然としたものだった。もしかしたら、戒斗と同世代なのかもしれない。原付ならば16歳から乗れるから。
だが実際には齢ハタチになる、役者志望のフリーター・悠里だった。つまり戒斗より3歳年上になるが、全くそうは見えない。きっと悠里が若いのだ。多分。
彼女は膝丈のキュロットを履いていて、砂埃が付いた辺りをパシパシと払っている。ヘルメットから零れる髪は戒斗と同じ、けれど人工物のような栗色だった。染めているのだろう。
擦り剥けてはいるが、血は出ていないらしい。
「あ、ごめんね。君は大丈夫だった?」
ヘルメットを外して、女性は心配そうにじっと戒斗を見る。髪を染めて薄く化粧をしている。特別美人と言うわけでもないが、小首を傾げている様子はなんだかリスみたいで愛らしい。
「ああ、俺は平気だよ」
ぷいと目を逸らしながら戒斗は答える。それを怒っていると受け取ったのか、悠里は慌ててしまい、さもコメツキバッタの様に頭を下げる。
「うあああ、ごめんね、本当にごめん。ちょっと考え事してたら……っ!」
「だぁぁぁぁ、いいっつってんだろ!?それとな、アンタ。事故った時とか事故りかけた時に謝っちゃだめだぜ。全面的に自分が悪いって、認めた事になんだからな?」
「え?でも今のは完全にあたしが悪いんだし……」
きょとんとした表情で、悠里が戒斗に聞き返す。どうも、ヒトが良すぎるタイプのようだ。
気にするなよ、と言おうと口を開けた瞬間。
物凄い勢いで―そう、喩えて言うなければ、マタドール目掛けて突き進む牛の様な、そんな勢いで、石段から何かが降りてきた。
「チェストぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!」
「なぁっ!?」
「え? ひゃああっ!」
向かい合っていた戒斗と悠里を切り裂くように、何かが木刀を振り下ろしてきた。戒斗は持ち前の反射神経を生かして避けたが、悠里は勢いに吹っ飛ばされた様で、また転んでいた。
鈍くさい奴、と言う前に、降りてきた奴は戒斗を睨みつけた。多分。
「っ!?」
多分なのは、彼(?)に顔がなかったから。のっぺらぼうなのである。
「カップルはいねかぁぁっ!?」
「ば、ちげ!? 俺らはそんなんじゃねぇよ、馬鹿!」
つい戒斗が大声で否定する。相手に失礼も何も、今さっき会ったばかりなのだから、そう否定するしかない。
戒斗の答えにのっぺっぼう……ではなくのっぺらぼうはチッと大きく舌打ちをして去っていった。
怒涛の出来事に呆然とする戒斗の手から、ぴょいっと鏡が逃げ出した。
「ちょ、待てよ!おいアンタ!それ捕まえて!」
「え? あ、う、うん」
少し混乱気味の悠里だったが、言われるままに足元に来た鏡を捕まえようと身を屈める。
鏡の表面が悠里を照らし出す。日光の反射以外の輝きが、さぁっと悠里を照らし出す。
「……な、なに……?」
光っただけで何事も起こらない。
戒斗と悠里はゆっくり目を開けて、鏡を見る。
そこには。
『待てぇ!』
『な、なにやつ!?』
『私は銀幕戦隊ヒイラギレンジャー・レツド!悪党共、覚悟しろ、とぅっ!』
ばっと半分埋まったタイヤの上から、女性がジャンプして、そして、着地に失敗して顔面を強打している。
『だいじょうぶかよー、ゆうりー』
『あは、あははは…うん、だいじょぶ、なんとか』
顔面を強打した女性は。
悠里だった。
しかも幼稚園児と思しき子供からヒーロー役を奪ったらしい。
……。
………。
…………。
悠里の背中に、戒斗の視線が突き刺さる。非難とか蔑みなどではなくて、ただ。
悲しい目で。
「な、なによぅぅぅぅ!何で知ってるのよー!!!」
真っ赤になって、しかも涙目で悠里が珍しく怒鳴る。捕まえようとしたが、するんと悠里の腕から逃れて、その奇妙な手足を器用に動かしてさっさか走っていく。
悠里も追いかけようと立ち上がるが、やはり地面で滑って(勿論バナナの皮なんて仕掛けられてない)顔面を思い切り地面にぶつける。
……女の子なのに。
朔夜が二人に泣く泣く説明をした。
泣く泣くと言うより、憎憎しげにと言った方が正しいかもしれない。
戒斗の予想通り、またご神宝に手足が生えて逃げ出したらしい。挙句、ご神宝そっくりの鏡の妖怪まで出たらしい。
「またかよ…。確か前にもこんな事あったよな。管理が悪りーんじゃねぇのか?」
ズバリな戒斗の一言に朔夜が言葉をつまらせる。
「まあ、普通なら道具が動くわきゃねぇし、縛り付けとく訳にも行かねーんだろうけどよ。妙なもんに街中をうろつかれても迷惑だし、俺も手伝うぜ」
しょうがねぇな、と言いたげだ。街中うろつかれても迷惑だしな、と付け加える。口は悪いが表情は迷惑がっている様子でもない。
悠里は半泣き状態であるが、追いかける気は満々らしい。二人で原付は道交法違反なのでしない様子だ。ヘルメットはシートの中に仕舞っている。
朔夜が擦り傷用の軟膏を悠里の鼻の頭と膝小僧に塗っている。悠里は塗られるたびにくすぐったがっているとも沁みているとも取れる声を出す。そしてブツブツと「絶対許さない」等と呟いている。
その悠里の肩を朔夜がポンポンと叩く。……共感したらしい。
そんな二人の様子を見ながら、戒斗は虫取り網を探さなくちゃ、なんてのんびりと考えていた。
クラスメイトP。別名にリチャードやリヒャルト、果てはブルーと呼ばれる事すらある、一般市民だ。
ムービースターだけど。若干局地的ムービーハザードになるけど。
そんな彼は今日ご機嫌だった。何故ご機嫌かといえばアルバイトしている九十九軒での出前がスムーズに行ったからだ。こんな事初めてだ。きっとこれからの……いいや多くは望むまい。今日一日、きっと快適に過ごせる予兆だろう。
岡持ちを右手に持ち、左手で自転車のハンドルを握り、丁寧な運転を心がけてすいすいと道を進んでいた。
この肌寒くも暖かく日差しがなんと心地良い事か。LAの気候に比べると大分寒いのだが、最近はすっから日本の気候に慣れている。
「あれ?」
前方の横断歩道で、手足の生えた鏡がてってこてってこと歩いている。もしかしたら走っているのかもしれない。なんだかクラスメイトPの目には愛らしく見えて、きっ、と音を立てて自転車を止めた。
貨が見はPの気遣いに気づき、1度止まってペコリと丁寧にお辞儀をして、また小走りに去っていく。が、途中でべちんとこけた。
「大丈夫!?」
急いで自転車から降りて、Pは鏡を抱き起こす。傷が付いたりヒビが入ったりはしていないようだ。
「良かったね、気をつけるんだよ?」
どこかで見たことある鏡だなぁ、とは思いつつ、ポケットからハンカチを取り出して埃を払う。鏡は感動したのか、その小さな手できゅっとPの手を握り、上下に振った。
「あはは、気にしなくていいよ。助け合いって当然じゃない」
嫌味のない爽やかに笑いながら、Pも手を握り返す。そして、手を振り合って鏡を見送る。
小さな親切をすると気持ちがいい。
お礼をされるととても嬉しい。
基本的に事だけど、とても大切だなぁ、なんてしみじみとPは思った。良い事をすると気持ちがいい。
さあこのまま九十九軒に帰って仕事をまた頑張ろう。
「待ちやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
がほっ
クラスメイトPの頭に網が被せられる。
「あり?」
「秋津くん、違うよ、それヒトだよ!」
戒斗と悠里だ。
鏡を追いかけて、追いついたらしい。
「え、えーっと。何があったの?」
怒りもせずに、不思議そうに戒斗と悠里を見ながらPは尋ねた。網は被ったままで。
「杵間神社のご神宝がまたいなくなったのかい? うわぁ、前の時の依頼、僕がこの街に来て最初の事件なんだよ!懐かしいなぁ!」
「危機感0かよ!」
「へぇー? 偶然って言うやつなのかなぁ?」
「お前もかよ!!」
突っ込み通り、全く危機感を覚えないセリフと口調のPに同調する悠里に戒斗が勢いよく突っ込む。
「コレも何かの縁だね、僕も手伝うよ!」
やる気満々らしいが、直接の面識は無くても噂は知っている。
銀幕市の歩くムービーハザード。
ついでに、このヒトは良さそうだけど鈍くさそうな悠里。
自分がしっかりしなければ、と戒斗を気を引き締める。彼の中に、1度引き受けた事を適当にこなす、などと言う発想は無い。
悠里やPもほやほやしすぎているだけで。うん。
「だから網を持っているんだね、えっと……」
「ああ、俺、秋津。秋津戒斗ってんだ」
「あたしは悠里。宜しくね?」
簡単な自己紹介を済ませる。こういう時はちゃんとしなければいけない。
「……そういや、あんた、名字何?」
戒斗がじっと悠里を見ながら尋ねる。先程も名前しか名乗らなかったから、少し気になっていたのだ。Pも気になっていたようだ。
二人に見つめられて、悠里はうぐっとつまる。その視線から目を逸らし、
「名字なんて……こっち着た時、駅のホームのゴミ箱に弁当の空き箱と一緒に捨ててきた、の……」
……家出だな。 と戒斗は確信した。
……悠里ちゃんてカッコイイなぁ…! とPは思った。
「そっ、そんな事より!早く鏡追いかけよう!?」
「あ、そうだよね。よし、僕は山田さんと追いかけてみるよ!」
ぴょこんとPの背中から、メカバッキーの山田さんが顔を出す。彼(?)は常々Pを狙っているが、Pはあんまり気付いていない。
「いや……確かに分散した方が効率はいいかもしんねぇ。けど、一緒に固まって探していた方が捕まえるの楽だと思うんだよ」
なるほど確かに尤もだった。
特に、戒斗は運動神経も反射神経もかなりの自信があるし実際にそうなのだが、悠里とPは、どうもその言葉からは縁遠い気がする。なので、人海戦術よりも複数同時攻撃の方が効率が良いと、戒斗は判断した。
悠里もPも反対どころか、戒斗の的確な判断に感動しているようで、キラキラした目で見つめている。
「すごいなぁ、秋津君。僕より年下なのに、テキパキしてて」
「うんうん。あたしの方が年上だと思うけど、しっかりしてるよ!」
……
暫しの沈黙。
戒斗とPが悠里を見つめる。彼女は「え?」と言った風に、男性陣二人をきょろきょろと見る。
−だって悠里が一番年下だと思ってたんだ。
何となく悠里が傷つきそうだったから、敢えて言わなかったけど。
バロア・リィムは公園に居た。
何故公園に居るかといえば、家主に「お掃除するから、何処か出かけててくれる?」なんていわれた訳ではない。決して「掃除の邪魔だから出て行って」と言われたわけではない。家主はお人好しが過ぎるくらいなので、そんな事は露とも思っていないのだ。とバロアは思っている。
確かに家主はそんな事は言ってなかったし思ってもいないのだけれど、はっきり言ってバロアがいたところで掃除の役には立たないのもまた事実なのだったりする。
夏場には蒸れるんじゃ、と思われるバロアのトレードマークのネコミミフードは冬場は暖かそうだ。
実際はヒラヒラしているので、風通しが良すぎて寒いのは秘密だ。
分厚い魔道書を読んでいたら風が吹いてきて、ページを勝手に捲っていく。イラっとしていたら、眼の前に奇妙な物体を見つけた。
それは銅鏡のような見た目をしていて、手足が生えていた。
鏡に手足なんてあるわけがない。だから捕まえて解体して研究し尽くしたいと思ったって、それは仕方ない。だってバロアは闇魔導師だから。
ベンチから立ち上がる。鏡は気付かない。
一歩踏み出す。鏡が振り返る。
しまった、と思う。なので結構優れた運動神経を活かしてガバっと飛び掛る。しかし「掴んだ」と思ったとき既に遅く、鏡は大きく輝いた。今度はバロアの過去を映し出したのである。
つるりと磨かれた鏡の表面に、長閑な田園風景が広げられる。
鮮やかな赤毛の小さな男の子がえーんえーんと泣いている。真っ白の布団が干してある横で、大きな声を上げて延々と泣いている。
その布団の前には道が出来ていて、荷車を引いた老人が、買い物途中の女性が、その他色々な村人が微笑ましげに男の子―バロアと布団を見て笑みを浮かべていく。
布団には模様が出来ていた。
雄鶏の模様が白い布団に太陽に照らされ燦然と輝いていた。
バロアのおねしょが作者だった。
傍から見れば微笑ましい作品でも、バロアにとっては屈辱以外の何物でもない。しかもコレが一度ではないのだから、たまらない。因みに器用に村の地図(素晴らしく正確)やドラゴンなど、最早芸術の域である。
「って、なんで知ってるんだよ、コイツ!!!」
意外と短気な実年齢28歳。
鏡を掴んでガクガクと揺さぶる。いっそ破壊してやろうかと思ったのが、やはり貴重な検体を粗末に扱うわけにもいかない。バロアの握力が100を超えていたらきっと割れていただろうと推測されるほど淵を握り締める。
痛いのか、鏡はジタバタと手足を動かす。痛覚があるとは新発見なので、脳にマジックで書き込んでおく。
「あ。裏に名前書いておこう」
油性マジックでキュキュッと裏側に大きく“バロア・リィム 銀幕市東西町2−9−26”とちゃんと住所まで書く。もしどこかに忘れたり落としたりしてもこれでちゃんと届く。
「あ、バロナ姫!」
「だから誰がバロナ!? 僕はそんな奴知らないよっ!」
忌まわしい名前で呼ばれて、つい振り返ると、そこには男子高校生、二十歳前後の女性、クラスメイトPがいた。戒斗と悠里である。
3人は鏡を追いかけて、辿り着いたのである。
「なるほどね、そういうわけか」
3人から大まかな事情を聞き、バロアは納得した。彼の記憶にも秋祭りの事は刻まれている。
「じゃあ返さないといけないわけだ」
「ったり前だろ。人様のもんなんだぜ」
鏡はまだじたばたしている。戒斗が借りてきたらしい虫取り網で捕獲して、口を塞いでいけばいいだろうということになり、鏡をバロアから受け取ろうとする。
一瞬気の緩みがあったのだろう。バロアの手をそのちみっこい足で、げしっと蹴飛ばした後、キャット空中三回転をビシッと決めて華麗に着地する。
そのメダリスト張りの美しい所作に4人は思わず歓声を上げつつ拍手する。
鏡は照れたように頭(?)をポリポリとかくが、すぐにはっとしたように身体を震わせて悠里の方向へと逃げ出そうと走る。
「おい、捕まえろ!」
「う、うん!」
素早く戒斗が指示を出し、悠里が足元を走る鏡を捕まえようとするが、やはりぱぁっと光り、悠里の動きを止める。
体育館のようだ。
部活動発表会らしい。舞台上手袖に“演劇部公演 センチメンタル・アマレット・ポジティブ”と書かれている。女子3人が壇上で演技をしている。生徒達は真面目に見ている者と友達と話している者、半々だ。
『わたしなんてシルクのパンツ買ったのに!』
一人の女子がわあっと嘆く。中々に過激なセリフだ。隣にいた悠里は、
『わたしだって、シルクのブルマー買ったのに!』
というセリフと共に、衣装らしき制服のスカートをがばっと盛大に捲る。
わぁ、すげぇ、おいおいっ、まじで!? 等と、様々な声が上がる。よしウケた、と悠里は内心ガッツポーズだったが、パンツを買ったと公言した子が慌てて悠里の肩を叩く。
……サテンで作ったブルマーではなく、白と水色のストライプのパンツを見せていた。
単純に履き忘れていたのだ。ほぼ全校生徒の前で、パンツ姿を公開。チェックのパンツなら生徒会副会長になれたかもしれない。
直後、悠里の絶叫が体育館に響いた。
「うわあああああああああああああ!!!」
映し出されたわけだから、悠里のパンツ姿は男子3人にもバツチリ見られたわけで。3年前と言えども自分のパンツ姿には変わらないわけで。
戒斗もPも顔を赤くして目を逸らしている。バロアは嘆息してるだけだ。この辺に差が出るのだろうか。
鏡はその隙を狙ってさっさかと走っていく。
「もう絶対に許さないんだから!!!」
涙目で激昂しながら、悠里が走って鏡を追いかける。
悠里は基本、少し引っ込み思案な所がある。少し鈍くさいけれど真面目なタイプだ。
そういうタイプは基本、キレると怖い上に始末が悪い。
鏡は少し開いた窓の隙間からコソリと入ってじっとした。暫くここでやり過ごそう。
……だが、自分は自由を手に入れてどうしたいのだろう。今はただ捕まりたくない、それだけで逃げているけれど。
何もない自分、何かを見つけたくて逃げているのだろうか。その何かすら判らないというのに。
「うふふ、はい、アナタ。あ〜んして?」
「あはは、君の作る食事はいつもサイコウだね」
若い夫婦が中途半端な時間帯に食事をしている。小さなテーブルに敷き詰められたおかずのひとつを妻が夫に食べさせようとしている。周りにハートマークとピンクのオーラが漂っていそうな程イチャイチャしている。
妻が夫の口に出汁巻き卵を入れようとした時。
「ちょっとすいません失礼します!」
バンッと乱暴に玄関のドアが相手、悠里を先頭に戒斗、P、バロアと続く。
「おま、ちょ!マズいって!」
戒斗が家主夫婦に頭を下げつつ悠里を止めるが、彼女の耳には届いていないらしい。目が爛々と血走っている。 「あ、居た!」
Pが叫ぶ。
そして勢いよく、何処から調達したのかトリモチ付き虫取り網を振り下ろす!
「ぎやあっ!」
ベゴッとそれは新婚旦那の頭に直撃する。
「ああっ、剥がれないよ!?」
そりゃトリモチなんだから簡単に剥がれたら意味が無い。Pは慌てて引っぺがそうとするが、髪の毛がブチブチと抜けていくばかりで、解決する様子は全く見られない。
「きゃぁぁ、アナタぁぁ!?」
妻が絶叫して、一緒になってトリモチを剥がそうとするが、ボッサボッサと勢い良く髪の毛が抜けていく。夫は市内中に聞えるのではないか、という叫喚を上げた。
「ヤバくね? この状態マジでヤバくね?」
戒斗は少し嫌な汗をかきつつ、それでも一応鏡を探す。
こんな短期間で鏡をこの夫婦がかくまう可能性は低く、しかし確かにこちらの方向へ来たのは判っているのでこの部屋に居ることは確かだ。
「秋津くんも探してよッ!」
先程までのほやほやした様子は何処へやら、怒っている時の母親以上の形相で悠里が怒鳴る。女って怖い、と改めて実感しつつ、でもまあパンツ見られたら女の子ならそりゃ怒るだろう、とも思うのだ。
「あ。アレじゃないかい?」
やけに落ち着いたトーンでバロアが窓際の飾り皿を指し示す。そこには某フライドチキンチェーン店で貰ったと思われる皿の隣に、手足の生えた皿が鎮座していた。
「見つけた!」
戒斗と悠里が同時に叫ぶ。
鏡がすくっと立ち上がって逃げ出そうと存外身軽な動作で二人の頭上を飛び越えた。Pは若妻と二人で頑張ってトリモチを取り除こうと必死で格闘していて、無理っぽいのでとうとうハサミを持ち出していた。……
惨劇が目に浮かぶ。
「−昼と夜の狭間、眠りの底にたゆたうもの。隔たりの嘆きと喜びに満ちれ。星々の瞬きすら届かぬ奥底へと眠るがいい!」
バロアの足元が光り、ふわっと何処からとも無く風が舞い上がりローブを巻き上げる。これがスカートだったら出血大サービス。マリリン・モンローも吃驚のせくしぃ・しょっと。
開いた分厚い魔道書を開いて、ページがパラパラと自動的に捲れる。風の影響ではない。
戒斗や悠里、Pがバロアをじっと見守る。というか見てるしか出来ない。Pはハサミで若夫の髪を切っていたので、手元が狂って大惨劇。
鏡が窓を小器用に開けて出る。
直後、漆黒の不透明な壁が出来た。
「ちっ、間に合わなかげふはぁ!」
闇魔法でバリアを張って、鏡を逃がさない様にしようとしたらしい。しかし一歩遅く、逃げられてしまった。そして魔法の反動だけが残り、盛大に吐血した。若夫婦の室内に。
なんていうかまるで殺人現場。
「バロナ姫、大丈夫!?」
悠里が慌てて駆け寄る。
「僕はそんなヒト知りませんげふふぉっ!」
またも大量の吐血。
「大丈夫かよ……?」
心配そうに戒斗がバロナ、もといバロアの背中を摩る。大丈夫、と言うようにバロアが手で戒斗を制した後、口元の血を拭う。
「ババロアくん、しっかりっ!」
「だから僕はバロアですババロアじゃないってぶはぁっ!」
よほど強い魔法だったのか、駆け寄ったPが間違えて覚えたらしい名前の訂正もきちんとしつつまた吐血する。 吐血の割りに本人が憎まれ口も叩くので案外大丈夫そうだ、と数少ない、もしかしたら唯一の常識人の戒斗は何だか温い眼差しでバロアとPを見つめる。悠里は非常識ではないし、むしろ十二分に常識はありそうだけれど、なんか、ズレてる。
「バリアからは、逃げられたけど。魔法の一部が鏡に付いたから、確実に追跡できるよ」
勝手にテーブルクロスを拝借して、バロアは口元の血液を拭う。
「GPSみたいなもんか」
戒斗の言葉に、徐々に冷静さを取り戻した悠里が、感動したようにバロアと戒斗を見て何度も頷いた。
「でも、なんで逃げてるのかな、鏡くん」
丁寧に若夫のトリモチを剥がしながら(勿論ハサミでグサグサに)Pはポツンと呟いた。
「アレだろ、神社の管理が悪かったから……」
「管理が悪くても、大事にされて無いとは限らないでしょ」
「……あ。でも、ご神宝って、過去を写すのじゃなかったっけ?」
遠い記憶を掘り起こした悠里が、3人に尋ねる。彼女が家出、もとい、映画女優を夢見て移住したのは秋祭りの後だったから、詳しくは知らない。が、ジャーナルで見聞きした知識はあった。
言われて見れば、と男子3人が顔を見合わせる。戒斗が記憶を呼び起こす様に顎に手を当てる。
「朔夜のヤツ、偽物の鏡もでてきたって言ってたよな」
「それを鑑みると、偽者が意思を持ってしまったが為に逃げ出したって事だね。折角だから自由を満喫したいって所じゃないの?」
冷静にバロアが推測を述べる。
「……なんだかそれ、僕には少し判る気がするな」
どこか寂しそうに、だが優しい雰囲気で、穏やかに微笑んだPの顔が印象的だった。
バロアが居た公園とはまた違う公園。オフィス街の只中にあり、働く人々の憩いの間となっている。公園の道路を挟んだ通りには、太陽の光を反射して輝くビルが立ち並んでいる。
鏡は身体全体と足をふるって何とか違和感を取ろうとしている。目には見えないが(いや鏡に目なんて無いけど)、足にタールのような物がへばりついて離れない。あのネコ耳の仕業だろう。
魔法の端子だと言う事は判る。自分も種類は違うが魔法の産物から出来た副産物だからだ。
自分の逃亡劇はここまでだろう。
何も出来ず何も起こさず何も生み出さずに自分の一生は終わるのか。過去を映し出す力を持っていたって、原物のアイツには敵わない。だって自分は偽物なのだから。偽物が反旗を翻しても消されるだけ。黒く深い闇に落ちて、誰にも見取られずに塵へと還る。
それが怖かった。
用無しと見做され襤褸屑のようにうち捨てられたくなかった。一人でもいい、一人きりでもいい。誰にも無用だと言われない場所に行きたかった。それはとても孤独で寂しい事かもしれないけれど、不要だと言われるよりは、きっと、哀しくない。
「居た!」
悠里がつい大声を上げる。彼女が来ている白いPコート風キルティングコートのウェストベルトを、バロアが軽く引っ張って制止する。驚かせない為だ。
軽くつんのめりながらも悠里は何とか駆け寄るのを抑える。取り敢えず怒りは覚めたらしい。立ち直りが早いのも長所の一つだろう。
「ねえ、鏡くん」
意識しているわけでもなく、Pが優しく声をかける。そのおかげで鏡も少し警戒を解いたー様子ではないが、話を聞く気にはなったようだ。
「君の気持ちは…何となくだけど、判る気がするんだ。でも朔夜さんは困ってるし、ご神宝は必要だし。戻って……くれないかな?」
「いやだからそいつ本物のご神宝じゃないって」
冷静に戒斗が突っ込む。最早ここまで来ると義務と化している。
「あ。いやでもほら、それでも朔夜さん困ってるし。 ……僕でよければ話を聞いたり遊びに行ったりもするしさ!」
「でもそいつ喋んないじゃん」
ビジッと指で鏡を指してバロアが言い放つ。彼はまだ許していないらしい。
「ちょっとバロナ姫。Pくんの気遣い、台無しにしちゃだめだよ」
「だから誰がバロナ姫!?」
くいっと悠里がバロアのフードをくいっと下におろす。
ぴょこん、と飛び出たのは愛らしいネコ耳。本物のネコ耳。ふわふわの毛並みが目に眩しい。某王女様を奪還(厳密には違うけど間違ってはいない)計画の時に生えたものの名残で、今だ収まっていない。最悪一ヶ月って言ってたのに!と、バロア・リィムは内心地団太を踏んでいる。
話しは慌ててフードを被り直そうとするバロアとネコ耳を触ろうとする悠里の壮絶バトルを無視して続けられる。
「例えば君の魔法…なのかな。それが解けても、僕は君に会いに行くし、朔夜さんだって、粗末になんて扱わないよ。信じてあげられないかな?」
そっと、Pが鏡の手をとる。鏡はほんの少し、Pですら判定が微妙なほどの力で手を握り返す。
「……ったく、随分とかかっちまったよな。たかだか鏡一枚に」
頭をかきながら、戒斗が嘆息する。悪気は無いがつい振り回された一日を嘆いてしまったのだろう。
鏡が一瞬苛立った。様な気がした。Pにはそう見えた。
かっと光ると、戒斗を映し出す。眩い光に戒斗が顔を覆うが、時既に遅く、鏡の表面にバッチリと映し出されていた。
幼児二人が居た。男の子と女の子だ。
公園で遊んだ帰りらしく、二人とも大概泥だらけだ。ふと、男の子が女の子の陰に隠れる。ラブラドール・レトリバーが飼主と共に悠然と散歩をしている。漆黒の毛並みは美しく整えられていて、その迫力に拍車をかける。きちんと訓練されているようで、子供二人と目が合うと嬉しそうに尻尾を振ってじっと見つめるが喜びすぎて飛び掛ることも無い。女の子は嬉しそうに犬を見て、飼主に「さわってもいーいー?」と話しかけている。飼主は喜んで応え、犬も大人しく女の子に撫でられている。
−このこね、大きいからつい怖がられちゃって。遊んでくれてありがとうね?
−こわくないよ、あったかくてきもちよかったの! カイちゃんもなでさせてもらいなよぅ
カイちゃんと呼ばれた男の子は街路樹の陰にビクビクとして隠れている。大きな瞳を恐怖に染めて涙をいっぱいにためている。
戒斗だった。
『はーかちゃん、あぶないよやめなよっ!』
従兄妹の遥の事を上手く呼べずに、はーかちゃん、と呼んでいた。遥の方が一つ年少だが、きょとんと首をかしげたまま、戒斗に呼びかける。しかし戒斗は犬が怖くてたまらず、足もガクガクと震え始めている。
『はーかちゃん、だめだよあぶないよっ!たべられちゃう!』
−よわむしなんだからぁ。 ごめんね、カイちゃん、よわむしさんなの。
犬に謝りながら遥は撫で続ける。飼主の女性は気を悪くした様子もなく、戒斗の怯え振りがなんだか可愛い、と言った風だ。それに遥が遊んでやっているのが嬉しいらしい。
それだけではなく。戒斗が幼少時の記憶に顔を青くしたり赤くしたりしているのを横目に、鏡は新しく過去を映し出す。
また、戒斗と遥が歩いていた。
近所でも有名な顔が怖いおじさんも進行方向から歩いてきた。遥はその人を知っていたから、ちゃんと丁寧に止まって、『こんにちわ!』と元気よく挨拶をする。おじさんは顔は怖いがとても心根の優しい人で、礼儀正しい遥を優しく褒めて頭を撫でた。
戒斗は、じっと立ったまま、おじさんを見ていた。じっと固まっている。
やがてじわじわと涙が溢れ出て、間も無く滂沱となって大声を上げて泣いてしまった。
びぇぇ、びええ、と容赦なく泣き叫ぶ戒斗におじさんは心なしかショックを受けてしまっている。遥が気遣って戒斗をベチンと殴ったが、それが余計に戒斗の泣き声を悪化させることになった。
それだけでは済まず、家族で行った遊園地の遊覧船でワニのハリボテが怖くて泣き叫んだ事や、お城の中の探検で最後に出てくる魔女が恐ろしくてダッシュで逃げ出しアトラクション内で迷子になって、係員のお兄さんに保護されたこと等がダイジェストで映し出された。
「お、おま……っ!! ざけんなーっ!!!」
真っ赤になった戒斗が慌ててジャケットを脱いで鏡に被せる。肩でハアハアと大きく息をしている。
Pは「気にする事無いよ、子供だったんだから」という目をしている。言わずとも判る。目は口ほどにものを言う。悠里とバロアも微笑ましそうな目で見ているのが癪に障る。
「可哀相だよ、被せたら」
丁寧にジャケットをはがし、Pが戒斗に手渡す。幸い既に映像は消えていた。
「君は過去を写せるんだね。僕は大丈夫だよ、過去がないから」
彼は端役だった。バロアの様に綿密に作られた設定なども無い。本人は殆ど気にしていなかったが、その辺りの共通する何かが鏡に気を許させる要因になったのかもしれない。
「でも…僕の思い出といえば、あれかな。秋祭りのお化け屋敷で地獄を見た事や、最近は“楽園”での美★空間とかかなぁ。あはは、過ぎてしまえば全部楽しい思い出だね!」
軽やかな笑顔でPは言うが、その阿鼻叫喚の様をダイレクトに知っているバロアはげんなりと顔を背け、ジャーナルや人伝に聞いている戒斗と悠里も気まずそうに目を晒した。
鏡はそんなPを見て、優しくして貰った恩返しではないが、何かをしたかったのだろう。
きっと楽しい思い出に違いない。だからまた見せてあげたい。
鏡がPを照らす。
眩く光り、それに耐えかねてついPが反射面を別方向へと向ける。
そこには、市内でも大きさトップ3に入るオフィスビルが聳えていた。
オフィスビルって、大概、窓ガラスが特徴。
窓ガラスってフロート法によって製造されている。20世紀半ばに開発された大面積の板ガラスを連続的に作成出来る技術で、20世紀最大の発明のひとつに数え上げられている。
それはともかく、普段は大空を映し出すオフィスビルの窓ガラスが今、雲居の鏡の映し出した虚像を反射して映し出している。
穏やかで端正な美大生が。忌まわしき悪魔の従僕が。軽快な万事屋が。愛らしい狸の少年が。赤い瞳の天才音楽家が。紅蓮の闇魔導師が。逃げ惑う青年が。ベビーピンクの君が。気弱なホラーアクション映画の主人公が。ムービースター疑惑をかけられている俳優が。
彼ら、いや彼女たち漢女でみっちりと埋め尽くされた、某殺人教師(勿論漢女)作成のお化け屋敷が、今。
銀幕市中に映し出された。
4人の動きが固まる。待ち往く人々の絶叫が当たりに響き渡る。閑静なオフィス街が一瞬でお化け屋敷や絶叫マシンもかくやと言わんばかりの騒乱に包まれる。
鏡は良い事をしたとご満悦気味に胸を張る。
そんな鏡を、メカバッキーの山田さんがかじかじと齧っていた。
「ああっ、山田さん!齧っちゃ駄目ー!」
本物のご神宝は無事に神社に戻っていた。他の銀幕市民とアルラキスのメンバーの力添えで解決したようだ。
朔夜の説明では、戒斗、悠里、バロアにPが追いかけていた鏡は、別の鏡妖怪の能力で生まれたらしかった。
鏡は神社に戻って間も無く沈黙した。元々そう長く保てるいのちでは無かったのだろう。最後にPが優しく背中を撫でた。しかし鏡そのものは失われず、ちゃんと姿形を残している。神社に居る所為だろうか。
バロアが居候している家の住所と、彼の名前が油性マジックで刻まれている。
その後は祀られているわけではないが、丁寧に安置され、クラスメイトPだけではなく、戒斗や悠里もたまに覗きにきているらしい。バロアは家に居ても魔法がまだ剥がれていないので判るらしい。
誰かに特別必要とされているわけではないけれど、誰かが尋ねてきてくれたり、ふと思い出してくれているから、そんなに寂しくは無いかもしれない。
もう殆ど無い意識の根底で、鏡はふとそう思った。
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クリエイターコメント | はじめまして、しそて二度目まして。 この度はどうもありがとうございました。
お届けが遅くなってしまって、誠に申し訳ございませんでした。 最初は全面的にコメディにしようかと思ったのですが、最後ちょっとしんみりとした形で締めさせて頂きました。 皆様の素敵すぎるプレイングを生かしきれなくて、申し訳ございません。
またのご縁と、皆様のこれからのご活躍とご多幸を心からお祈りしております。 |
公開日時 | 2008-02-29(金) 21:00 |
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