★ To the under ★
クリエイター唄(wped6501)
管理番号144-5007 オファー日2008-10-18(土) 19:15
オファーPC エリック・レンツ(ctet6444) ムービーファン 女 24歳 music junkie
ゲストPC1 キスイ(cxzw8554) ムービースター 男 25歳 帽子屋兼情報屋
<ノベル>

 窓辺から眺める光景はまさに、彼女が観て来た映画の中そのものであった。
 例えば美しいキャリアウーマンが出世してゆく世界のような、そうかと思えば街中で起きる事件を加え煙草一本口に咥え、解決に乗り出す男が居るかのような。噂には聞いていたものの、実際目にしてみるのとは印象が違う。
(でも、今日は暗いわ……)
 アップタウンの豪奢な住宅街、その一つから外を見渡していた女はそう、ため息を吐いてソファの上へと身を落とした。沈む身体に視界、先には写真立てに写る男と、まるでこの世に居ないかの如く視線を虚ろにした少女が自分達の中央に立っている。
 この写真からもう何年経っただろう。既に時は年単位でその秒針を進め、女はまた彼女の子供と共に日本へと帰ってきてしまったのだ。逝ってしまった夫をアメリカに置いて。

 たった二人きり、映画の世界へ。


1.曇天

「へぇ、その女性(ひと)の物ですか。 ですが、私は全く関係御座いませんね。 そもそもそれと私に何か関係が? 無いでしょう、どうしました。 ヴィランズという存在はその程度のものなのですか?」
 銀幕市ダウンタウンの一角、その日は酷く暗い日だった。雷鳴は空を駆け、地上に言い知れぬ畏怖をもたらす。
 雨は、無い。闇に溶け込む白雪のような青年がただ一人、蹲る男に向かって独り言を呟く、ただそんな光景が人知れずその場所には流れていた。
「そ、そうだ。 女だ、これは……その――」
 蹲る男は着込んだスーツ姿に固められた頭髪といった、一見ごく普通の青年であった。目の前で無表情のまま、彼を見下す者を恐れるその姿はまさに雷に打たれんとする一人の人間のように怯え、震え。
「ふむ。 これは会話をするべきではありませんでした」
 男の言葉に聞く耳を持たぬと闇夜に溶けんばかりの青年はステッキを一つ、振るような仕草をする。途端、光る閃光の如き水の一閃。決して天からの裁きではない、彼――キスイの振るう力によって今、一つのヴィランズがその形をフィルムとして落とした。
「これは頂いてゆきますね。 有難う御座いました」
 キスイの手にした物はキャスケットだ。今フィルムと化した男にはおおよそ似つかわしくない、女物の帽子を恭しく手にすると白い指先がその縁をなぞる。
(良い気の入った物です。 矢張り仕入れはこういう場所でなければ)
 新品でもなければ中古と言うにもまだ新しい、焦げ茶色をしたキャスケットを手にしたキスイは上機嫌で表通りへと足を向ける。その軽い足取りからは映画から突如抜けたとはいえ、命とも呼べるものを奪った者がそうする行動とは全く思わせずに。

「ああ、あまり近くに寄らないで下さい、お嬢さん。 私は今特に機嫌が良いのですから」

 振り返りもせずに一言、澄んだ声はプレミアムフィルムが落ちている更にその奥へと投げかけられた。
「……聞こえませんでしたか?」
 そうしてかけた声の後ろから細い足音が聞こえる。子供のような大人のような、未発達な足音が自分へ歩み寄るという感覚は恐怖でないにしてもキスイにとって嬉しい事柄でもない。
「すげぇ……! すげ……――」
 擦れた女の声、あまり心地よい声とは思えず、瞬時にその命を絶とうかと意識が動く。歩み寄る者がヴィランズであろうと一般人であろうと関係無い。過ぎった心の赴くまま静かに、そして一瞬に事を起こせば良いのだから。けれど。
「おや、意外に勘が宜しいようで」
 自分が一撃を与える前に、おぼつかない筈であった女の歩調は一瞬にして何者かから『逃げる』足音へと変わった。まるで、キスイが小さな殺意を持ったそれを読み取ってしまったかのように。
(追う気にもなれませんね。 今は)
 キスイは銀幕市で言うヴィランズを片付けただけだ、それがどのような形でも。見られて損をする事柄ではなく、何よりも仕入れた商品を堪能したかった。人づてで渡り歩いた帽子。冷たく暗い、生の根本を記したそれを。


2.雨雲

 次の日は酷い雨が降っていた。よくバケツの水を返したような、とは言ったものだが傘をささずに外へ出れば案の定、短いゲームサントラの一曲が終わらぬうちにエリック・レンツは水浸しになっていた。質の悪い髪は濡れれば多少良く映ったが、如何せん暗さでよく分からない。ロック+――ローラ――は何処だっただろう、珍しくそう考え肩を見て、古びたアパートの中へ置いてきたのだと悟った。
「いつこっちに来たんだかしらねぇが、最近よォくうちのクラブでやらかしてくれるじゃねぇか。 こんのアマ!」
 長く伸びきったシャツの胸倉を男の腕で掴まれ、引き摺り上げられる。
 ここはダウンタウン、エリックのアパートから出たすぐ先の路地だ。部屋の扉は開けっぱなしにされており、その後ローラがどう動いているのか自分は知る術もない。ただ、いつも閉鎖された音楽という空間に一つノイズが入ったと予感したのだ。
 エリックの音楽という世界に入り込んだ、誰か――それは父だったかもしれないし、母だったかもしれない――の死にゆく音の如く。無音でいて不快にも音楽として成り立たない世界。人が来ると悟っていたわけではないが、自室の前で大きな音がした時、直感的にローラを玄関先に置き去りにして自分は外へ出、現在に至る。
「五月蝿い、うるさぁい、あぁーー?」
 一方的に殴られるのは久しぶりの経験であった。細身の身体は雨に濡れ、白いシャツにはエリックの血が点々と付着していく。男の手が何度殴られても意を解さない自分に苛立ちを覚えているのだろう、ふるふると震える度に覗く、胸元の小さな膨らみが艶かしくも女を主張していた。
「てめ、ヘッドホン外しやがれッ!」
 身体が宙に浮き、大空を駆けたような浮遊感を得た後、後頭部に鈍いコンクリートが当たる。痛い、考えるより先にエリックは耳元のヘッドホンの安否を確認し、ポケットに突っ込んだMP3の音量を更に上げる。
「散々荒れさせやがって……お陰様でうちはなァ、営業停止処分だ! ふざけるのも大概にしろォッ!!」
 映画の街というだけあり、洒落た場所もあればいささか怪しいクラブも銀幕市には多数存在している。そんな街でたった一軒のクラブに営業停止が来たとして何がおかしいのだろうか。
 一方的にエリックを嬲る男はただ単にいつも自分の店で暴れていた一人を見つけ、それが自分よりも劣った、弱い存在と認めたという、またごく自然な理由で拳を振るっているのだ。
「おォーー――ッ!!」
 エリックから次に出た音は言葉ではなく、ロックの音に反応し答える獣の雄叫びにも似たそれであった。拳を振りかざし、血の滲んだ口元をしっかりと上げ、死すら考えもしない獣のような。

「馬鹿にしやがって……――」
 その仕草に男の怒りは頂点に達したのだろう。或いは元からエリックの命など微塵の塵とも考えていなかったのかもしれない。いたぶって終わりではない、死を与えて全てを終わらせる。
 もう一度飛び掛ってくる無骨な腕についた筋肉、その隙間から自分を追ってきたローラを視界に捕らえ、エリックは言いようも無い興奮を覚えた。

 死がやってくる。

 音楽のクライマックス、燃え上がり爆発するミュージックのように今、何かが燃えている。そして消えるのだ、何かは分からないただ現在、その音を聴いている者が。ぎりぎりと首を締め付ける感触に乾いた息を吐きエリックは空を見た。
 美しい光り、きっと今日はこれから晴れるだろう。一つ言えば音楽を聴き続けて暫く思わなかった感覚が蘇ったという事実が一番、自分を不快にさせる。だからブラックアウトする曲のラストメロディーをよく聴く事が出来ないと大きく身を動かす。
「あ、あぁ? どーした、よ……」
 自分がどういう体格か位認識しているつもりだ。けれど、今まで力強くエリックの死を望んでいた男の身体はだらりと力無く、その場へ仰向けに倒れこんでしまったのだから。
「おーい、おー……い」
 丁度良く耳元で落着いたクラシックが流れたのも原因してか、エリックは倒れた巨体の頬をただ叩くだけであった。ローラもバッキーの遅い足並みでようやくこちらへ辿り着こうとしている。
 突如現れた静けさに高ぶった炎を忘れ、肩を落とし、大きく揺れる腹の呼吸で相手の生存を確認した。死んでいるわけではない、お互い死は迎えなかったのだ。

「道端で随分と五月蝿くしていらっしゃると思いましたら、この方だけでしたか」
「あ? アンタ誰?」
 首を絞められるというのは矢張り、その後も肺は酸素を必要以上に欲するもので、静かな曲の合間に薄く聞こえた今までの怒号とは別の声色にエリックは顔を上げる。
「ただの通りがかりですよ。 丁度店に帰る所でしてね、道端で五月蝿くされては少々気分が悪いものですから……ふむ」
 時を刻むクラシックピアノ、聴き入るにはエリックの趣味ではなく、闇夜を纏い歩くこの楽曲のような青年を虚ろな緑はただ眺め、手元では側に寄ったローラをいつもの定位置へ担ぎ上げた。
「どうやら私達は知った仲のようですね。 どうです、ここではなんですし一度店の方に来て頂けませんか?」
 青年が差し伸べる女とも男とも思える指先が自分を何処かへ連れて行くものだと、仕草でエリックは理解した。相手の言葉は相変わらず耳元で鳴る音の洪水により所々が流れている。それでも。
「ローラぁ、いくぞー」
 エリックは青年の手を取る事無く、けれど決して無視はせずに相手の後について歩いた。
 青白いと表現するに相応しい男の手は死人と手を結ぶようで背筋が凍る。背中を走る旋律が甘美なものであるか、恐怖であるか、首筋にしがみつきしきりに行くなと促すローラの頭を突いてエリックは彼の言う『店』へと歩き出したのである。

 ***

 キスイという青年は実に不可思議なムービースターであった。
 エリック・レンツというただの一般人である自分の名すら、店へ入った途端に口の端で浮かべ、更に聴覚を音楽で遮断しているこちらの意思をある程度ご丁寧にも尊重し、口で名を名乗ると同時に名刺を手渡してきたのだから。
 常時個人を認識しなくともこれで頭の中には一人、キスイという青年が住み着く原因が出来たとも言えよう。
「あーァ、アンタあん時のすげぇ奴かぁ……」
 柔らかく暖かな肌触りのソファは昔、アメリカに居た頃座っていた物に似ている。
 帽子屋をやっているという店内の内装全てをエリックが以前見た物、全て見覚えがあるものでは無かったが、自分に似つかわしくない高級な物であるという事実だけは十分に理解出来た。
 何より、昨日の路地裏で見た、ヴィランズの命が奪われた一つの事件がエリックの脳裏を過ぎる。そうだ、あの時自分はその場でキスイを追おうとしたのだ。閃光のような何かと共に奪われた命に全身が燃えたようで、後ろ姿を追おうと前へ出た時、首の後ろを引っ張るローラに耳を傾けたのである。

『行ってはいけない――』

 物言わぬバッキーの発する警告なのだろう。あの時はクラブで一騒ぎした後でもあり、反射的にローラの意見を聞き、キスイに背を向けてしまった。
「思い出しましたか? あの時随分必死で私を見ていらっしゃったようですから、こちらとしても気になりましてね」
 どうぞ、と差し出される華奢なティーカップはソーサーの上で壊れそうな勢いと共にエリックに掴まれ、一気飲みされる。何故だろう、この店に入ってからMP3は大人しいメロディーを刻み続け、相手の声は脳に響くロックの如く頭に刻まれる。
「ん、俺も気になってた、かな。 アンタのコト」
 耳に入るは柔らかなオペラ歌手の旋律となっているのに、今しがたキスイという男を始めて見たあの衝動と衝撃を忘れていた事実に相手側から柔らかく「嘘をおっしゃい」と返された気がした。
「ふふ、まぁいいてでしょう。 ――単刀直入にお聞きしたい事がありましてね。 ええ、そうです。 死が、いえ、ご自分が死ぬという事柄は怖くないのですか?」
 瞬間、エリックは空を舞う存在のように掴めぬ存在であるキスイが自分の居る地上に下りて来たのが分かった。相手は何か自分に望んでいる。
 それは、ある種人間が誰しも他人から抱かれるものであり、けれども今までエリックには無かった『考え』を聞かせて欲しいという、奇異の視線ではない、こちらへの純粋な興味。

「キレーだったんだ」
「美しい、ですか? あの醜悪極まりない光景が?」
 口をついて出た言葉に、キスイから問われるような一言が投げかけられたがエリックは構わず頭に浮かんだ昨日の光景――暗い、一日中夜のような路地裏で光が天から降りてきたかのような――一部始終思い出していた。
 ヴィランズが一人死んだ、勿論遺体は残らない。人間と映画の中の世界に居る人物は何かが違うのだから、それは分かっている筈ではあったが。ふいに、こんな光の中で『母』も死んでいったのかと。
「死んで怖いっつーのはよくわかんねー。 でも……」
 命が消える時、ヴィランズは何かキスイに縋りつくような形相をしていた。けれどエリックに彼が何を最期の言葉としていたのかは分からない。ただじわりと締め付けられるクライマックスよりも、大きく上がった水飛沫が背筋から脳髄を駆け上がって自分という存在をはっきりと印象付けたのだ。

 エリック・レンツは生きていた!

 ロック歌手がただその一フレーズを声高々に歌い上げる高揚感にも似ている。
「アンタにあーゆー風に殺されんならいーかな、って思った」
 ぽつりぽつりと、最後まで出したエリックの言葉は恐怖も高揚も無い人間らしいレコードが擦り切れた音となって出た。
「変わった方ですねぇ」
 生気の無い唇が上品に紅茶を含むシーンもまた、優雅なオペラだ。ヒロインの嘆きの声でも無ければ勇敢な騎士が声高々に歌い上げるそれではなかったが、悪魔が人間に囁く甘い蜜を含んでいて。
「とかく変わった、という表現は失礼に値するでしょうか」
 一人で何か納得したように漏らし、頷くと。エリックの視線をしっかと受け止めながらキスイはソファから立ち上がると奥の部屋へ行き、すぐにこちらへと戻ってきた。

「こちらを、どうぞ。 実に貴女にお似合いです」
「あーー? なんだ、コレェ……」
 エリックという人間に近づくキスイという暗闇はすぐ側まで身を寄せ、焦げ茶色のキャスケットを乱れきった赤髪の上に乗せた。当然、そんな帽子などという物には暫く縁遠い自分がにこりと笑みを浮かべる筈も無く、ブーイングを飛ばしながら外そうとする。が。
「エリック。 エリック・レンツ。 死にたくなればここに来なさい。 そうすれば、私が出来る殺し方の中で、貴女が望む殺し方をしてあげますから」
 キスイの指は氷で出来ている。咄嗟にエリックはそう思った。
 外そうとされたキャスケットの上から乗せられる青年の指は美しく、彫像が具現化したかのようでいて、恐ろしく心地良い。彼が闇というものの全てだとしたならばそのまま飲み込まれてしまいそうな程に。
「ほんとう?」
「ええ、本当です。 貴女と私の秘密の……ね?」
 子供が発する舌足らずな言葉を発して、エリックは耳元で囁かれる言葉の一つを胸に落とし、無邪気に笑った。アメリカに居た頃に彼女が無くした物が刹那に蘇る。独房から顔を出した歪んだ無邪気な子供。
 焦げ茶色のキャスケットを深く被り、今までと同じだらしない服装のエリックは相変わらず音楽の世界へと戻っていったが、時折奇妙な女の香りを醸し出すようになった。

 エリックが口の端を上げて笑う度にキャスケットから覗く髪が多少、纏まって見える。けれども口にする言葉は全て、奇声にも似た男の言葉、異様な空気の音楽が銀幕市の一角を流れるようになったのである。

 ***

「あの子に、食べ物を用意しなくちゃいけない……」
 女は写真から視線を逸らすと重い身体を引き摺りながら頭を上げた。夕食時はすぐ側だ、娘が帰ってくる前に出来れば暖かい食事を用意してやりたい。たとえそれで少女であった頃の笑顔が戻らなくても、最愛の夫が遺したたった一人の宝物であるから。
「頑張りましょう、ねぇ?」
 写真の男は女に笑いかけていた。その中に写る自分も心の底から微笑んでいる。上流階級の出身である身ながら、よく夫の趣味に合わせ衣類を選んだ自分はこの時焦げ茶色のキャスケットを被ったせいであまり目が写真に写りこんでいない。
(ああ……――でも、あなた)
 玄関のドアは娘が帰ってくる為に開け放ったままだ。それがかちり、と音を立てたから夕食を急がなければと思う。けれども、言い知れぬ不安に駆られた心は不安に満ち、たった一言を呟いてしまったのだ。

「疲れてしまったの。 どうしましょう、もう、あの子とは暮らせない」
 夢のような現実で、女は一人だった。娘の夢に入り込めずに佇む、彼女こそが少女のようで、やつれきった顔は帰ってきたであろう待ち人に薄らいだ笑みを向けたまま――。


3.快晴

「めんどくせー! バイクあったら振りきれんのにー!」
 あのオンボロは良い時に役に立たないと、帽子屋の扉を叩くではなく開け放ったエリック・レンツは開口一番、そう口にした。
「いらっしゃいませ、エリック。 エリック・レンツ、本日は何をお望みで?」
 数日後、まだ夕暮れにも満たぬ日の明かりがオレンジ色に染まりだした頃、エリックの言葉に何の興味も沸かぬかの如くキスイは手にしていたシルクハットを軽く胸に当て会釈をして見せる。
「……あー、何も」
「おや、そうでしたか。 それは残念」
 刹那的に見えて永遠を望んでいるような、虚ろでいて無垢。キスイから見たエリックの印象はそんなところだ。だからと言って特別な感情を持つ事も無かったが、ふいに沸き起こる興味という物は隠しきれないもので。
「以前差し上げた物は気に入っていただけたようですね? 見た所とても愛用されているご様子」
「アンタさぁ、んなトコまでみてんの?」
 出会いの記念にと贈ったキャスケットが心無しに汚れている。帽子屋としては手入れをしてやりたい所だが、吊りあがった瞳に意思を見つけキスイはただ肩を竦めて見せた。
「そういう仕事ですから。 特にその帽子は貴女によく似合うと見繕わせていただいたのですよ」
 仕事という言葉が無ければ赤面するだろう言葉を平気で吐く。とはいえエリックにそんな女性的感覚があるのかは分からなかったが確実に、キスイの言葉は彼女の音楽という世界の中に取り込まれているようで。
「こないだよー、俺んちに来たあいつ。 あいつが居たからムカッッいてよー」
 こちらを見たかと思えば、帽子屋内を忙しなく眺めるエリックはキスイが聞こうが聞いていまいが勝手に言葉を紡ぎだす。
「あいつのバイク、蹴っ飛ばしてきたら見つかっちまった。 あーー! スゲー間わりぃ! 俺!!」
 ソファに座らず汚れたブーツで床を叩き鳴らす。エリックがどれ程のショックをあの事件で受けたのか、キスイの知る所では無かったが、見れば腹が立ち行動に出る程度ではあるらしい。
「そう仰らずに、さぁこちらに来て、座ってください。 今紅茶をお淹れ致しますから」
「いらねー! コーラが良い!!」
「では、そう致しましょう。 我侭なお客人」
 不機嫌にそう返された言葉をキスイは甘んじて受ける。言葉の後ろには『無礼である』という音を染みこませ、口に出せばエリックは何かを感じ取ったのであろう、ソファに座りまたこちらを無垢な暗い瞳で見つめてくるのだ。
「アンタ、スゲー。 なんか、スゲーよ……」
 口元から零れる自身の発する声ですら、聞こえているのだろうか。肩に乗るバッキーはキスイを噛み付かんばかりに、愛らしい瞳を尖らせているようにも見えるが、だからこそ、自分は面白おかしくて仕方がなくなるのだ。淀んだ夢に浸かる主人をこの小さな生き物は本当に助けて行けると思い込んでいるのだろうかと。

(バイク……ですか)
 帽子屋にコーラなど勿論、無い。自販機で買い付けるなどという行為はあまりしたいとは思わず、からかい半分に外へ出たキスイは思い立ったように柔らかく、口の端を上げると傾いた日の光を闇色に染めながらまた、夜を連れてその先を歩んだ。

 ***

 心の闇というものがある。それが人間の何処にしまってあるものなのか、或いは病気であるのか、そんな事は分からない。
 ふいに思い立ち、寄った場所にはスーツ姿の男が立っていた。手には焦げ茶色のキャスケットを持った、自分が見るにあれは銀幕市に『実体化』したムービースターであり、ヴィランズと呼ばれる者であると。紫色の瞳は相手が質屋に行ったその帰りだという事も見通した。
(そんな後ろ暗い物を引き取る主が居るとでもお思いなのでしょうかね?)
 舌打ちをしながら歩いている姿は別段『人の行動の先が見える』等という能力を持たなくても想像はつくもので、ヴィランズが盗品を売っていてもさして不思議ではないだろう。
(ならば……)
 帽子屋として、自らが頂いておこう。ふいに、萎れた花が如く咲いて見えたキャスケットを眺めながら故意に男へとぶつかって行く。
「失礼、その帽子。 何処で手に入れられましたか?」
 通り過ぎるその時に肩を擦った事に対しての謝罪ではなく、キャスケットへの話題が出た事で男の顔色が変わった。

「おやおや、言わずとも分かっていますよ。 それは持ち主に返すべき物です。 いいえ、居なければ私がお預かり致しましょう」
 ダウンタウンのクラブが連なる路地からは大分離れているから、ここには雑音一つ届かないというのに男の不機嫌にして殺意を表した音は、キスイの言い知れぬ闇によって泥濘にはまる脆弱な生命の如く消え去っていく。
「心配なさらずとも、『ソレ』はお似合いになる方に差し上げますよ。 私が、ね」
 喉も鳴らさずにキスイという男が笑った。同時に闇が青年の身体をした背後から大きな口を開け、音も無く凍てついた死神の鎌をもたげて来る。
 ひい、と。男が目玉を剥き、キスイへ狂気の声を上げ狂犬のように走り出す。恐怖に満ちた鼓動の音を聴きながら死へのクライマックスへ向かって。

 走り出した。

 ***

「――そう、ですね。 あの時から気付くべきでした。 ですから今後も特別に、また商品をお譲り致しましょう。 エリック・レンツ。 貴女が私の興味を惹き続けるというのならこれから先、何度でも……」
 キスイはそう、唇に浮かべた言葉をさも面白げに口に出すと自分の帽子を深く、被り直すのだった。


End

クリエイターコメントエリック・レンツ様/キスイ様

エリック様はお久しぶりで御座います、そしてキスイ様は始めまして。
この度はプラノベオファー有難う御座いました。唄です。
オファー文を拝見致しまして、どちらも人間の感情から少し離れた何かを持っていらっしゃると私なりに解釈し、そのような描写をさせて頂きました。
その反面、エリック様には人らしいテーマも織り交ぜてみましたが如何でしたでしょうか?
キスイ様に対しましては何処か現を彷徨うような雰囲気や言葉の表現を致しました。気に入って頂ければ幸いです。
お二人の出会いと共に、少しばかり色々想像出来るようなシーンも入れ、今回も音楽を織り交ぜた雰囲気や、かなりの捏造も書かせて頂きましたが、設定や雰囲気等やってはいけなかった事等御座いましたら申し訳御座いません。
それでは、またプラノベなりシナリオなりでお会い出来る事を願いまして。

唄 拝
公開日時2008-10-24(金) 19:00
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