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<ノベル>
銀幕市役所内の映画実体化問題対策課本部。その本部内にあるソファーに座って、シャノン・ヴォルムスは呟いた。
「……何と言うか、色々厄介な依頼だな」
「……はぁ」
対策課の現場責任者である植村直紀は、困ったように相槌を打つ。
「まぁ、この依頼。受けよう」
シャノンは読んでいた資料をテーブルの上に放り、立ち上がる。長身痩躯に全身黒の服装は、彼の色白の肌と、長く伸ばした金髪の髪を一際引き立たせる。
そのまま部屋を出て行くシャノン。その直前で植村は、シャノンの背中に声を掛ける。
「シャノンさん」
シャノンは顔だけで振り返り、続きを促す。植村は軽く息を吐いた後、意を決したように話し出す。
「私は、あなたに、橘ユウキ実体化の問題を解決して欲しい。と依頼しました」
「……そうだな」
「私は……卑怯でしょうか?」
俯いて言う植村。その声は少しだけ震えていた。
「少なくとも」
顔をあげた植村に、シャノンは背を向けていた身体を戻し、続ける。
「有無を言わさず殺せ。という依頼だったら、俺は引き受けはしなかった」
「……」
「実際どう転ぶかが分からないが……とは言え、行き成り殺すのもな。軽々しく可能性の芽を摘んではならんからな」
言い放ち。シャノンは再び植村に背を向けて対策課を出て行った。
「まだ暑い時期だってのに、ご苦労なこったねぇ」
夕暮れの住宅街。たった今自分の横を走り抜けていった数人の黒スーツの男達を振り返って梛織(ナオ)は呟く。
黒髪サラサラのショートカットに銀の瞳を宿すその目は、ほんの少しばかり目つきが悪い。高い背丈に白の無地Tシャツの上から羽織った黒のジャケットは夏ということで半袖仕様。愛用の淡いもえぎ色のチノパンは左の裾が膝までしかなく、片足だけ露出している。
「おーおー続々来るね」
視線を前に戻すと、またも前から走ってくる数人の黒スーツ。そのうちの一人が梛織の前で立ち止まり、話しかける。
「おい。この辺りでガキを見なかったか?」
「さあね。見かけてたとしても言ったらまずい雰囲気出してるけど? アンタ達」
高圧的に言う黒スーツに、梛織は軽口で答える。
「なんだとっ!」
それを受けて黒スーツの男は梛織の胸倉を掴む。が、すぐに違和感に気づいてぎょっとする。左の膝に、梛織の黒い革ブーツの靴底があてられていたのだ。
「放せよ。その手」
梛織は僅かに右足を踏み出すように力を込めて、真顔で言う。
「……チッ」
舌打ちをして押しのけるように手を放す黒スーツ。そしてそのまま梛織の横を駆けていく。
「探し人はガキ……。穏やかじゃないねぇ」
梛織は掴まれた胸倉を正しながらそう呟いた後、右側に沿った梛織の頭ほどの高さのブロック塀に飛び乗る。
「ガキ、とやらの隠れ場所なんて見当つかないもんかね……っと、ほらな」
言い終わる前に、庭の隅の草むらの影に身を隠すように小さくなっている人影を発見して、右手で作ったピストルを向けてバン。と小声で呟く。
梛織は周囲に黒スーツがいないのを確認し、音を立てないようにその人影に近づく。
「大人しく死んだ方が、いいのかな」
草むらの人影、橘ユウキは弱々しくそう呟く。顔を伏せている為、梛織の接近には気づいていない。
「あきらめちゃ、駄目だね」
自分を心配した姉の泣き顔を思い出し、ユウキは言い聞かせるように震える手で膝を抱える。
「そーそー。死ぬなんて良くねぇよ」
「――っ!!」
突然の声に文字通り飛び上がって逃げ出すユウキ。その行動を予測していたのか、梛織はすぐさま逃げ出そうとするユウキの後ろ襟を掴む。
「いやいやいやいや。その行動は無いでしょ? 何? おまえの目にはあれ? 俺は人影を見たら速攻蹴りつけるような人間に見える訳? あれだよ? いくらこの家が俺の家で、おまえが不法侵入者だったとしても。いきなりは蹴らねぇよ? まっ、この家、俺んちじゃねーけどな」
「は、はぁ……」
今までの追っ手とは明らかに違う梛織に、困惑顔のユウキ。放された襟を正しながら梛織を見る。
「それともなに?」
そう言った後、にっ。と口を歪めて梛織は続ける。
「俺が黒スーツの仲間かと思った?」
「――っ!」
再び逃げようとするユウキ。が、すぐに止まって梛織のほうを見て、口を開く。
「きっと、違うね。僕を殺そうとしている人達じゃ、ないよね?」
「へぇ……おまえ。やっぱ命狙われてるのか。名前、なんての? ああ俺は梛織ね」
込み上げる怒りを、今は必死に押し込めて梛織は何気なく言う。
「僕は、橘ユウキ。梛織さん。僕の傍にいないほうがいいよ。梛織さんまで命を狙われちゃうよ」
そう言って自嘲気味に笑うユウキ。その笑顔が、梛織にはとても痛かった。
「ふーん」
梛織は興味無さそうにそう答えると、ユウキの向かって手を差し出す。
「生きたいなら、この手を掴め。俺がおまえを、守ってやる」
しっかりと、ユウキの目を見据えて言う梛織。
「な……なんで」
「ん? なんで? ってなんで?」
ユウキの問いに同じ言葉を返す梛織。
「梛織さんは、僕の事情を知らない。なのになんで! 守るなんて言えるのっ!」
興奮したようにユウキは続ける。
「僕は、死ぬ定めなん――!!」
ユウキが最後まで言えなかったのは梛織の拳がユウキの頬を捉えたからだ。梛織は怒りをあらわにした顔でユウキを睨み付けて、言う。
「今度またその言葉を言おうとしたら。次はこの10倍の力で殴るからな」
ユウキは流れてきた涙を軽く拭いた。かなりの威力だったけど痛かったからじゃない。前に同じ事をしてくれた姉を思い出したからだ。自分はまた、同じ間違いを口にしてしまったのだ。
「どんな事情があったって、人を殺しても何も変わらない。人が死ぬ事は良く分かんないけど悪い事だ。だって死んだらそれっきりだろ?」
そう言って再び笑顔で手を差し出す梛織。
「変なこと言って、ごめんね、梛織さん」
ユウキは笑顔でそう言って、梛織の手を握った。
「僕は、生きたい」
「おっけ。任せろ」
ユウキの言葉に笑顔で返事する梛織。
「どうやら、纏まったようだな」
「――!」
突然聞こえた声に、梛織は声の聞こえた方向とユウキの間に立って戦闘態勢をとる。そこに物陰から姿を現したのは、黒ずくめの男――シャノン・ヴォルムスだった。
「ってか紛らわしいわ!」
つい、勢いで蹴りを放ってしまう梛織。シャノンはその蹴りを軽く受け止めてから愉快そうな顔で言う。
「ほう。おかしいな。俺は梛織が人影を見たら速攻蹴りつけるような人間では無いと聞いたのだが?」
「なっ!」
「それともなにか?」
絶句する梛織に、シャノンは愉快そうに口の端を歪めて続ける。
「俺が黒スーツの仲間かと思ったのか? くっくっく」
「シャノン! てめぇーっ! 最初から居たんじゃねーかよっっっ!!」
「え……っと」
状況を呑み込めないでいるユウキを向いて、シャノンは口を開く。
「シャノンだ。橘ユウキ実体化による問題の解決を依頼されて来た」
その言葉にびくっと身体を硬くするユウキ。
「あーだいじょぶだいじょぶ。シャノンは嫌な奴だけどそんなに悪い奴じゃねーから。すっげぇ嫌な奴だけどな!」
「……ほう。俺が嫌な奴、だと?」
梛織の言葉にぴくりと片眉をあげるシャノン。
「あはは」
二人のやり取りに笑顔を見せるユウキだが、不意にそのお腹から音が漏れた。
――ぐうぅぅぅぅ。
「ん?」
きょとんとした顔でユウキを見つめるシャノンと梛織。ユウキはみるみるうちに顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「くっくっ……。これはいいタイミングだ。ユウキに救われたな。梛織」
そう言ってシャノンは懐から袋に入った何かを取り出しユウキに放り投げる。慌てて受け取ったユウキが手元を見ると、それは袋に入ったパンだった。
「え? あ。ありがとう……シャノン、さん?」
「ま、取り合えず俺の事務所に行こうぜ。そんな何混入されてるか分からないパンなんかよりずっと美味いもの作ってやるよ。それに、状況も聞きたいしな」
「悪意を感じる言い方だが……まぁいい。ユウキに仮眠も必要だしな。俺が子守唄でも歌ってやろうか」
くつくつと笑いながらシャノン。
「げっ。なんだよそりゃ。そんなので眠ったら二度と起きれなそうだぜ」
歩き出す二人に遅れて、ユウキも付いていく。
「歩きながらであれですけど、パン。頂きます。すごくお腹空いてて」
恥ずかしそうな笑みを浮かべながらユウキはシャノンに向かって言う。
――ユウキの呪いが発現するまで、残り54時間。
「あら」
夕暮れの道、遥か前方を歩く三人の集団を見つけてその女性は呟いた。
夕焼けに染まることは無いどこまでも深い紅の着物に曼珠沙華の花を咲かせ。腰まである漆黒の髪と同じ色の瞳。それと相反する白い肌を持つ日本人形のような女性。鬼灯 柘榴(ホオヅキ ザクロ)である。
自分の専門分野である呪いが絡んでいると聞いて、珍しく対策課から話を聞いて現場へと赴いたのだが、先に接触していた梛織とシャノンを見て引き返す。
歩いている方角から見て、恐らく二人はユウキを連れて梛織の事務所へと向かっている。それならば無駄に自分までそこらの黒スーツの妨害に巻き込まれる必要は無い。と考えたのだ。梛織の事務所の場所は知っているから、直接赴けばいい。と。
そうして道を曲がった先に、柘榴は見知った顔を見て話しかける。
「あら、貴方は以前……お花見の席でお会いしましたね」
190近い高い身長に前髪に隠れて見え辛い瞳は灰色。銀色の短髪はボサボサで、睫毛が長い端正な顔立ちだが、良く見ると童顔。グレーのTシャツの上に羽織った黒のジャケットの腕をまくり、手には黒のグローブ。
「ああ……。その着物は、憶えてる」
「改めまして、鬼灯柘榴と申します。以後、よしなに」
「ロスだ、ところで聞きたいことがある」
微笑む柘榴に真顔でロスは返す。
「橘ユウキという男を捜している。知らないか?」
「あら、ふふ……奇遇ですね。私も今、橘ユウキさんの元へと向かっている所なんですよ。よければどうでしょう……? ご一緒しませんか」
ゆったりとした口調で微笑んで言う柘榴。
「そうだな……頼む」
街でユウキの噂を聞いて、いてもたってもいられずに飛び出してきたロスだったが、柘榴の態度でとりあえずユウキは安全な場所にいるのだと感じ、軽く笑顔を見せて柘榴の後を追う。
一方、住宅街から少し少し離れた場所で、一つの戦闘が終わろうとしていた。
「クソッ!」
高らかに叫んで銃を構える黒スーツの男。だが、撃つべき対象を捉えることが出来ない。
その対象は194cmという大きい体躯からは予想もつかない人間離れしたスピードで撹乱し、あっという間に間合いを詰めて黒スーツの銃を蹴り落とす。
「なんなんだよ! てめぇは」
周りに倒れている5人の仲間を見渡して黒スーツは叫ぶ。
「……質問したのは俺だ。早く言え……」
金色の眸に睨まれて言葉に詰まる黒スーツ。が、言った方が自分にとって得策だと判断したのかすぐに話し出す。
「ユウキって男だよ。居場所は知らない」
「……」
そのまま無言で殴りつけて黒スーツを気絶させたのは、精悍な顔つきに異彩を放つ金色の眸。学生服と思われるブレザーを着た学生兼霊能力者のムービースター。榊 闘夜(サカキ トウヤ)。
「ユウキっていう男。だってよ」
闘夜の近くでふわふわと浮きながら喋るのは、闘夜に憑いた神格を持つ狼の霊。鬼躯夜。
「……俺も優姫を女として見れたことはない」
「やっぱ姫じゃなくてコウなんじゃねーの? 実体化したの」
「……どっちでも変わらない」
面倒くさそうにそれだけ言う闘夜。実体化したのが親友か弟か、どっちだろうと自分のやることは変わらない。どの道やることもなかったし、二人とも自分にとって大切な存在なので、その為に動くのは悪い気はしない。と、いうのが闘夜の本音だったが、敢えて言うことはしない。
「とりあえず。その辺の霊から情報集めてみるわ」
闘夜にそう言い残して離れていく鬼躯夜。闘夜に憑いているが、100メートルくらいの距離なら闘夜から離れることもできるのだ。
そもそも闘夜がこんなことをしているのも、鬼躯夜と霊との世間話が原因だった。テレビ、新聞等をまるで見ない闘夜は、鬼躯夜と霊の世間話を主な情報収入源としていた。霊達の情報は割りと信憑性が高いのだ。
その時にユウキだかコウキだかって名前の子が死の呪いをかけられたとかいう話がでた。
親友の名前は優姫、弟は光煕。しかも自分が元いた映画内で同じような死の呪いがあった為、……助けとく、か。と鬼躯夜に言って探しに来たのだ。黒スーツの集団がその子を殺そうとしていると聞いて、そいつらに聞けば早いと、今に至る。
「どうも、二人組みが連れて行ったらしいぜ。そのうち一人は黒ずくめだってよ」
戻ってきた鬼躯夜の言葉に僅かに顔をゆがめる闘夜。
「とりあえず案内させるから、行こうぜ」
「……」
無言で答え、闘夜は霊と鬼躯夜を追って走り出す。
「えーっと、状況を整理したいんだけど」
事務所内の来客用ソファーに腰掛けて、梛織はそろそろと手を上げて発言する。
「そうだな。俺も腑に落ちない点がいくつかある」
シャノンは頷いてから辺りに居る柘榴、ロス、闘夜を見回して言う。ちなみにシャノンは事務所に一つだけあるリクライニングチェアに足を組んで座っている。
「……俺が一番腑に落ちないのはアンタが俺の席に座ってることだけどな」
ボソ、と小さな声で言う梛織。それを聞いてふふ、と柘榴。壁際に佇んで着物の袖口を口に当てて微笑んでいる。
「とりあえず。ここにいる理由ね、勿論ユウキ絡みな訳だけど」
隣の部屋で仮眠を取っているユウキの方を親指で指してから梛織は続ける。
「俺はまぁ、気まぐれね。シャノンと柘榴さんは対策課からの依頼。ロスさんは依頼のようなもの、ね。まぁいいやそれで。んで、闘夜、でいい? 闘夜は」
「……」
早口で喋る梛織に無言の闘夜。ユウキを助けるべくここに乗り込んだのだが、実際のユウキを見て自分の知ってるユウキと違ったのだ。
「俺が腑に落ちないのは、何故、貴様がここに来れたかということだ」
シャノンが強い口調で言う。柘榴達と違って、闘夜はまだ事務所にきた動機も方法も口にしてなかった。
「ふふ……このままでは話が進展しませんね。貴方が喋った方がよろしいのではありませんか?」
闘夜、正確には闘夜の肩あたりに向けて柘榴が言う。
「……見えるのか?」
闘夜は静かにそれだけを言う。
「私ではありませんが……この子。<子>の宮毘羅(クビラ)が教えてくれました」
いつのまにか柘榴の手には顔の大半が大きな一つの眼になっているねずみのような姿のものがいた。が、すぐに逃げるように柘榴の影へと入っていく。柘榴の影に棲んでいる使鬼なのだ。
「……俺には声も聞こえているぞ。狼の霊」
と、ロス。
「……」
本当に面倒そうに溜め息をついた後、闘夜は全員に鬼躯夜の存在を教えた=B
「やーーっと教えた≠ゥ。伝わらないってもどかしーのな」
霊感の強い人間には最初から見えるし会話も出来る鬼躯夜だが、一般の人間には闘夜が存在を教える≠アとで認知、会話が出来るようになる。
「あー質問の答えだけどユウキ? あの少年の場所が分かったのはその辺の霊に聞いたから。んで、来た理由ってのが傑作なんだぜぇ。なんと勘違い」
「……五月蝿い」
「ユウキって名前、闘夜の親友と同じ名前なんだわ。その親友のことだと思ってここに来たんだぜ」
けらけらと笑い出す鬼躯夜に梛織は唖然としている。
「ま、まぁいいや。闘夜はこれからどうするんだ?」
「まー。ここに来る途中闘夜、何人も黒スーツのしちゃってるしな。今更引けないんじゃねーのー?」
「……」
鬼躯夜のその言葉に無言で肯定する闘夜。
「おっけ。闘夜は同行ね」
そこまで話したところで仮眠を取っていたユウキが隣の部屋から現れる。時計は夜の九時半を指していた。
「おはようございます。ユウキさん」
ユウキの前へと歩いていって話しかけたのは柘榴。
「鬼灯柘榴。呪い屋です。以後お見知りおきを……」
「呪い……屋?」
ユウキは僅かに期待した表情で柘榴を見る。
「ええ……呪いは私の専門分野ですが、さて……ああ、勘違いなさらないでくださいね。私が興味があるのは貴方の呪いだけです。されど、私はただでは呪いを行わないと決めています。『人を呪わば穴二つ』……この言葉の意味をご理解されているのなら、貴方の呪いを叶えましょう」
「えっ……と」
困惑顔のユウキ。
「ですが、まだ……時ではありませんね。然るべき時まで、私は貴方に同行いたしましょう」
そう言ってユウキから離れていく柘榴。変わってロスがユウキに近づく。そしてユウキの目をじっと見た後。
「……ロスだ」
そう言って元いた場所へと戻る。
「さて。作戦会議だ」
ある程度状況が纏まったので、梛織は話し出す。
――ユウキの呪いが発現するまで、残り50時間。
銀幕市街地から少し離れた場所にある時計塔。ヨーロッパの時計塔を模して作られたそれは、ゆうに市街を一望できるくらいの高さを誇る。その見晴らしの時計塔の上部。通常は立ち入り禁止区域にあたる場所に、ディーファ・クァイエルは佇んでいた。
のぼってきたばかりの朝日が照らす顔は憂いを含み、吹きさらす強風になびく、やわらかそうな白に近い薄い水色の髪を片手で押さえている。
「少し……似て、いる……」
口を出た呟きはきっと無意識。
それはついさっき、ディーファが使用人を務めるBAR“トキノハザマ”の店主に言われた言葉だった。
店主は客から聞いたと、橘ユウキという人間についての話をディーファにした。そして一通り説明した後、最後にこう加えた。「今、彼は逃げているらしい。君は始め死にたがっていた。今君はどう思う? 彼は生きようとしている。まるで違うが少し似ているね」と。
そして話を聞いて仕事が上の空になっていたディーファに、店主は優しく言った。「気になるなら行っておいで? 見届けておいでなさい」
一際強い強風に、ディーファは紫色の瞳を閉じる。
彼のことを、橘ユウキのことを聞いた瞬間から。自分がしたいことなんてきっと決まっていた。
閉じていた目を開けたディーファ。その瞳の色は、黒へと変わっていた。
生きるナノシステムを体内に宿すディーファは、意思のアクセスでネットワークを介し、様々な情報を集めることが出来る。その時、ディーファの瞳は紫から黒へと変化するのだ。
やがて瞳の色が黒から紫へと戻り、必要な情報を集め終わったディーファは、誰に向けるわけでもなく柔らかく微笑んで、呟く。
「……うん」
「どうだった!?」
事務所に入ってきたシャノンに、梛織は問いかける。
「駄目だ。いくつかあたってみたが、実体化は確認できない」
静かに首を振るシャノン。映画内でユウキの呪いを解いた解呪師が実体化していないか、いくつかの情報屋に聞いて回ってきた所だ。
「こっちも、通りかかる霊に聞いて回ったけど知らねーってさ」
事務所の前で情報を集めていた鬼躯夜もシャノンと共に事務所に入ってきて言う。ちなみに闘夜はその間、事務所のソファーに座っていた。
「……こっちの世界での似たような呪いの情報は、ないのか?」
「色々回ってみたけど、それらしいのも見当たらない」
ロスの問いかけに、梛織は手の甲でパソコンを小突きながら言う。
――ブーーーッ。
来客を告げるブザーに、各自警戒を強めてドアを見る。
シャノンが梛織に視線を送り、梛織はちらりと時計を確認してから首を振る。現在、朝の6時過ぎ、万事屋はまだ空けていない時間だから客でないことは確かだった。
「どちらさまー?」
普段の感じを意識して梛織は言う。高まる緊張の中、来訪者が喋りだす。
「あ……えっと、ディーファ・クァイエルと申します……こちらに――」
言い終わる前にシャノンがドアを開けてディーファに話しかけてハグをする。
「おお。ディーファか」
「え……あ、……シャノン。おはよう」
突然のことで驚いたディーファだが、ゆっくりと身体を離したあと、にこ。と笑って言う。その後、梛織、柘榴、闘夜、ロス。と律儀に一人一人に挨拶していく。
「初めまして……僕はディーファ・クァイエル、と申します……以後お見知り置きを……」
そして最後にユウキの前に出て。
「橘、ユウキ様……ですね?」
「あ、うん……」
状況を呑み込めないのかおっかなびっくり答えるユウキに、にっこりと微笑んで話しかける。
「貴方に会いに来ました、力になりたいんです……」
ゆったりと、優しく話しかけたその言葉だったが、はっきりとした意志の強さがあった。
「ありがとう……」
困っている自分を見て、手を差し伸べてくれた人がいる。
自分を殺せば、受けた依頼を解決できるのに。そうしない人達がいる。
きっかけは勘違いだったけど、残って力になってくれる人がいる。
多くは語らないけど、とても優しい目で自分を見てくれる人がいる。
力になりたいと、危険を顧みずに尋ねてきてくれた人がいる。
「みんな、どうも……ありがとう」
ユウキの目から流れ落ちるそれは、決して流さないと決めた涙。
どんな恐怖にも。どんな悲しさにも決して流さなかった涙が。
その嬉しさだけには、どうしても止めることが出来なかった。
昼。再び話し合いが行われる。
「僕の……元の世界でも、そのような呪術は……聞いたことないです。永遠の命を目的とした呪術の研究はあったのですが」
ユウキの呪いについては調べて知っていたディーファだが、銀幕市へ来ての変化が無いかどうか、改めて聞いてからそう答える。
「呪術の研究。非常に興味の引かれるものですね。宜しければ後日、お聞かせ頂けませんか?」
「あ……はい。といっても、僕のマスターは薬物の研究者でしたので、あまり詳しいことは僕も知らないのですが……」
笑顔の柘榴に、同じくにこりと微笑んで返すディーファ。
「手を斬れば解けないか?」
ぼそっと言う闘夜。
「いやいや確かに印は手に出てるけどね。ってか闘夜、霊能者なのにその発想!? おかしくない!?」
突っ込む梛織。
「まぁ、命を失うよりはマシだが、最終手段だな」
「って、おい! シャノンまで」
相槌をうつシャノンにユウキをちらっと見て言う梛織。
「ごく低級な呪いでしたら、そういった類の方法でも解決できますが、恐らくユウキさんの呪いでは効果は見込めませんね」
「……ちょっといいか」
何かを考えていたロスが顔を上げて言う。
「俺のロケーションエリアの効果の一つに、影響を受けた者がエリア内で受けたダメージの殆どを俺が担うという効果がある。呪いが発動する時にこれを――」
「駄目だよそんなの!」
ロスの言葉を遮って、ユウキは強い口調で言う。
「大丈夫。俺は病気や怪我では死なない……不死身なんだ」
そう言ってふっと笑ったロス。どこか哀愁を湛えてた笑みを見て、ユウキは言葉に詰まる。
「でも……」
「危険ですね」
と柘榴。
「ロケーションエリアの効果の有無は判りかねますが、最悪、行き場を失った呪いが暴走することも考えられます」
「……そうか」
「柘榴さんのロケエリってどんな効果なの? ほら、ロケエリって複数同時に展開されると、変な効果とかでるじゃん。それでうまく解決ーなんて、無理か」
名案を思いついたように喋りだした梛織だったが、どんどん声が小さくなって自己結論に至る。
「ええ。少々無理がありますね。一応問いに答えますと、私のロケーションエリアの効果は、髪の毛等の代価を無しに呪いが行えるようになり、効果増加、副作用軽減。それから、展開中はエリア内のモノに呪いが無差別に降りかかりますね」
ひえぇ。と怖がる梛織を見て、ふふ、可愛らしい方ですこと。と微笑む柘榴。無差別に降りかかる呪いを回避する方法はあるのだが、敢えてそれを言わなかった。
そのまま幾つか意見を出し合っては、それじゃ厳しいという問答を何度か繰り返し、夕日が差し込む時間には誰もが口を閉ざしていた。
「なぁ、ユウキ」
長い沈黙を破って梛織がユウキに話しかける。
「うん?」
「おまえのねーちゃんさ。おまえの為ならどんな事でも笑って許してくれるか?」
「え? お姉ちゃん? あれ? 僕、梛織さんにお姉ちゃんいるって言ったっけ?」
梛織の問いに疑問を感じて問い返すユウキ。
「いや、ってか俺、ユウキの出てた映画知ってるし。まぁ最初は気が付かなかったけどさ」
「あ、なるほど。それじゃあ、知ってるんだ。僕の呪いを解呪するのが、お姉ちゃんだって」
映画内で、ユウキは姉と友人と共に様々な解呪師を尋ねるが、結局最後にユウキの呪いを解呪したのはユウキの姉なのだ。ユウキは銀幕市に実体化してから自分の出ている映画を見ていて、それを知っていた。
「ああ。まぁ、話戻すけど、おまえの為ならなんでも許してくれると思うか? 俺一人じゃどうにも判断つかねぇ。笑って許す気はするけど確証がない」
「どうして、そんなこと?」
問いかけるユウキに梛織は、ベルトからポケットに繋がったチェーンを引っ張り懐中時計を取り出して言う。
「ユウキがそうだって言うなら。ユウキのねーちゃんを銀幕市に呼ぶ」
「え……」
驚いたのはユウキだけではない。その場に居た梛織以外が驚いて梛織を見る。
「そんなこと、可能なのか?」
と、シャノン。闘夜やロスも怖いくらいに真剣な表情で梛織を見る。
「わかんねえ。でも、やってみる価値はあると思う」
懐中時計を掲げて、梛織は続ける。
「この懐中時計。前に依頼で貰った物なんだけど、一度だけ思い描いた魔法を使えるらしいんだわ」
「……」
みんなが懐中時計を見る。
「直接呪いの解呪。とも思ったが、思い描いた魔法ってのがどうにも引っかかって。呪いの具体的なこと、あまり知らねぇし俺」
梛織は立ち上がってユウキの前に行くと、そこに座り込んでしっかりと目を見て話を続ける。
「俺は、実体化されたやつが、元いた世界でどうなってるのか知らねぇ。突然消えるのかも知れないし、向こうでも普通に居るのかもしれない。呼べるとして、呼んでいいのか判断つかねぇ。だからユウキ。おまえに聞く」
「……うん」
「おまえのねーちゃんは、向こうの世界でどうなったとしても、おまえの為なら笑ってそれを許してくれるか?」
ユウキは、その問いかけに少しだけ考えるように目を瞑る。そして笑顔で目を開けると、こう答えた。
「……うん。絶対に許してくれる」
「どう? ディーファ」
「いえ……まだ、確認できないです」
梛織の問いかけに答えるディーファ。
「あーくそっ。無理なのかよ……ちくしょう!」
悔しそうに、梛織はデスクを叩く。梛織が懐中時計を使って、解呪師であるユウキの姉を呼び出そうと試みてから3時間。時刻は夜の10時を過ぎていた。
「まだ無理だと決まった訳ではない。タイムラグがあるものなのかもしれんしな」
シャノンがそう言って立ち上がり、窓のところへと歩いて外を見る。
「あ……誰かが、実体化しました」
スターの実体化を感知できるディーファが、その実体化を確認し、言う。
「こっちも、来たようだな」
外を見ていたシャノンが窓から離れ、愛用の二挺拳銃を取り出して言う。
「ごめんなさい……実体化の感知に集中していて、気が付くのが遅れてしまいました。数は……50近いです。通行人では、多分ないと思います」
「いや。ディーファはそのままスター実体化の感知を頼む。50か。攻め入ってこないところを見ると、もっと増えそうだな」
シャノンがそう言うと。すっ、と闘夜が立ち上がってユウキの所へ行き、耳に大量にあるピアスを数個外してユウキに渡す。
「……敵に投げれば武器。……地面に投げれば護身になる」
そう言ってドアへと向かう。闘夜の渡したピアスは霊力の制御装置で、これを外せば外すほど闘夜の霊力は開放される。ピアス単体でも強大な力を秘めているもので、霊力がある者なら色々な使い方ができるのだが、霊力の無いものでも説明したような単純な使い方ならできるのだ。
「おい闘夜。どこにいくんだ」
「……」
「囮になるってよ。闘夜、目立つから丁度いいんじゃねーの」
無言の闘夜に変わって鬼躯夜が言う。
「どの道、実体化ポイントまで行かなければならんしな。俺も陽動役になろう。穴を作るから、ディーファ。ポイントまで先導してくれ」
「はい……シャノンも、闘夜様も気をつけて……」
それを聞いて事務所を飛び出していくシャノンと闘夜。
「それじゃディーファ先導で、俺は邪魔なのを叩く。ロスさんと柘榴さんは」
「俺はユウキの護衛につく」
「私も邪魔者を遠ざけるくらいは致しましょう」
梛織の言葉にロスと柘榴が答える。
「頼むから事務所は壊すなよぉ……」
みんなが事務所を出た後に、そう呟いて梛織も出て行く。
シャノンと闘夜はやり辛さを感じていた。
一定の距離を保って自分達を包囲する敵。一人を追えばその他の全員が距離を詰め、追った敵は逃げる。そんな状態がずっと続いていた。格上の者と集団で戦うことに慣れている敵の動き。
普段ならそんな小細工を気にせずに、後ろからの攻撃を避けながら一人ずつ確実に潰すことのできる実力を持っている二人だが、ユウキ達との距離をあまり離すことも出来ないため、それが出来ずにいた。
一方。ユウキ達の方も目立った妨害は無く、目的地へと足を進めることが出来ていた。
「おかしいな、これ」
ちらちらと視界の端に映っては消える黒スーツを見て、梛織は言う。
「罠か? だが、こちらの目的の場所が判っている筈はない」
ぴったりとユウキの傍を走りながらロスが答える。
「もうすぐ着きますけど、どうしましょうか」
しつこく追ってくる黒スーツを視界に入れてディーファは言う。
「僕が」
そう言ってユウキはシャノンと闘夜の位置を確認する。二人ともユウキ達の少し後を敵を牽制しながらついて来ていた。
「うん。あの距離なら平気かな」
そう言ってユウキはロケーションエリアを展開する。
瞬間。ユウキの足元を中心にものすごいスピードで世界が色を変える。
埃っぽい地面。箱が欠けている積荷。一瞬のうちに辺りは寂れた廃工場に変わっていた。
「ちっ」
舌打ちして物陰から姿を現し始める黒スーツ達。彼らにはユウキをはじめ、ユウキの味方の姿も映っていないのだ。
「ロケーションエリアか。どうなっている」
辺りの景色と黒スーツの動きが変わって、異変を感じて戻ってきたシャノンと闘夜を含めて、ユウキが自身のロケーションエリアを簡単に説明する。
その後、ユウキのロケーションエリアを展開したままポイントへと向かい、突然の出来事に途方にくれている様子の女性を発見する。
「あのお方ですか? ユウキさん」
柘榴の問いかけにゆっくりと首を振るユウキ。実体化したスターはユウキの姉ではなかった。
「僕は……このまま実体化したムービースターを訊ねることにします。皆様は、安全な場所で待機しながら……他の方法を考えてみてください」
ディーファの言葉に、ユウキが僅かにうなだれる。ほんの僅かにだが、諦めの念がユウキの頭に浮かんだのだ。
それを見逃さずに、ディーファはユウキを向いて言う。
「……だいじょうぶ。絶対、お姉様を見つけ出しますから」
にこっと微笑んで言うディーファに、ユウキも笑顔に戻ってありがとう。と言った。
ユウキの呪い発現猶予の最後の一日。太陽はもう沈んでいる時刻。
ディーファはユウキ達と別れてからずっとスター実体化の感知。感知したスターとの接触を繰り返していた。
「こんばんは……僕はディーファ・クァイエルと申します。……失礼ですが。貴方様は解呪師でしょうか?」
ディーファはユウキの姉、ソヨの顔を調べていて知っているので、違うスターには解呪師かどうか確認する。
「え、あ……いや。違う」
「すいません。突然世界が変わって混乱していると思いますが……僕には貴方様の状況を説明している時間がありません。銀幕市役所という場所の映画実体化問題対策課を訊ねてください。今の貴方様の状況を詳しく説明してくれるはずです」
「あ、ああ。…………ありがとう」
そして確認が済んだら次の実体化を感知するまで少しでも呪いに関連する情報を徹底的に探る。
「あと……3時間……」
時間を確認したディーファが呟く。
「大丈夫、きっと……」
俯きかけた顔をゆっくりと振って、新たに実体化を感知したスターの所へとディーファは歩き出す。
「チッ。鬱陶しくて敵わん」
ちらちらと姿を見せる黒スーツに向かって発砲しながら、シャノンは毒づく。
逃げ続けるこちらに対し、一定距離を置いてユウキだけを淡々と狙い、こちらが反撃に出ればすぐさま姿を消す。そんな状態がもうずっと続いていた。
「これは、少々ストレスが溜まるものですね。いっそ全てを焼き払ってしまいましょうか?」
ふふ。と微笑みながら言うのは柘榴。
「このままじゃ埒があかない。誘き出そう」
「でも、どうやって? 相手は攻めてこないぜ?」
ロスの言葉に梛織が返す。確かに敵は遠くから銃などでユウキを狙ってくるが、一定の距離以上は近づいてこない。
「相手が有利な状況にすればいい」
そう言ってロスはユウキを抱えると、走る速度を上げる。
「広い場所か。近くに学校があったな。そのグラウンドなら丁度いいかもしれんな、敵を入れてしまえば逃げ道も塞げる」
ロスの言葉を瞬時に理解してシャノンは言う。そしてそのままロスを追い越すと、前を警戒しながら学校がある方向へと進路を変える。梛織はユウキを抱えるロスに張り付き、闘夜は後ろを守りながら走る。柘榴は黒馬の使鬼。<午>の因達羅(インダラ)に乗って同じく後ろを走る。
やがてユウキ達が学校のグラウンドに入ると、続々と黒スーツ達も入ってきて周囲を取り囲む。ゆうに100は越えてそうな数だ。
「観念したのか? こんな場所でこの数から守りながら戦うのは無理だ」
黒スーツの一人が集団から一歩前へ出て喋りだす。
「おまえら、なんなんだよ。何でユウキを狙うんだよ」
その黒スーツに向かって梛織。
「何故? 可笑しなことを言うガキだ。橘ユウキは生きていてはならない。死ぬ定めなのさ」
「ふざけんじゃねぇ!!」
黒スーツの言葉にしゅんとしたユウキだが、その大きな叫び声にびくっとして顔を上げる。叫んだのは梛織だ。
「死ぬ定め? なんだよそりゃ。いい大人がガキ1人追いかけて殺す暇あんなら、呪いを解く方法を見つけやがれ! 殺して解決するなんてふざけてるっ!」
怒りをあらわにして言う梛織。
「仕方がないだろう? 呪いを受けた者が悪いのさ。そうなってしまえば大人しく死んで貰うよりほか――ぐあぁあ」
言い終わる前に炎に包まれて倒れこむ黒スーツ。
「呪いなど関係ない。おまえはもう喋るな」
静かな怒りに、ロスは喋っていた黒スーツに炎を飛ばす。それが引き金となりユウキ達を取り囲んでいる黒スーツが一斉に発砲する。
ごうっ。と炎が奔り、壁となって銃弾を全て無にする。
「ロケーションエリアを展開した。ユウキのダメージは俺が担う。尤も、ユウキに攻撃が届けばだが」
「と、いうことは。私達は好きに動いても宜しいということでしょうか」
柘榴の問いに、ああ。とロスが返す。
「ふふ……あんまりにしつこく私を追いまわすものですから。使鬼達が怒ってしまっていて。止めるのに苦労していたものです」
言うが早いか柘榴の影から真っ先に飛び出したのは長い耳と赤い目を持つ兎。<卯>の安底羅(アンチラ)。長い鋭い耳を鞭のようにしならせ、柘榴に向かってくる銃弾をすべて切り落とし、撃ってきた者に攻撃を仕掛ける。
移動能力に乏しい40cmほどの大きさの蜥蜴。<辰>の摩爾羅(マニラ)は短距離瞬間移動が可能な<寅>の迷企羅(メキラ)の背に乗って次々と瞬間移動しては敵を石化させていく。
黒スーツは柘榴に反撃しようにも、柘榴の足元で安底羅(アンチラ)がぴったりとついている為に銃弾は届かない。
「うへぇ。柘榴さんおっかねぇ……」
呟いた梛織に、柘榴は振り向いて微笑む。50m近く離れているのに偶然とは思えないくらいタイミングよく自分を見て微笑んだ柘榴に、梛織は背筋が凍る。
「ま、俺もぼちぼち戦いますか」
梛織は辺りを見回して、離れて何かをしようとしている敵、連絡を取ろうとしている敵を優先して狙って潰していく。一般レベルを遥かに超える強さを持つ梛織だが、100人以上いる訓練された敵。それも銃を持つ相手に正面からぶつかるのは無謀すぎる。
グラウンドの隅の方に寄って何かをしている三人を見つけ、梛織は走って距離を詰める。
黒スーツの一人がすぐに気がついて銃を構えるが、それを見て梛織は拾っておいた石を銃に向かって投げつける。
構わず発砲する黒スーツ。だが、その銃弾は発射されてすぐに梛織の投げた石に当たって軌道を変える。元々梛織は銃口と自分の軌道に石を投げたのだ。そのまま梛織は三人の真ん中に入り、先ほど銃を撃った一人に容赦ないハイキックを浴びせて一撃で沈める。
残りの二人はこの状態で撃てば味方に当たると判断したのか、銃を捨ててナイフを取り出し、梛織に切りかかる。
迫る突きを身体を捻って避け、恐らく来るであろう後ろからの攻撃を予測して横に飛ぶ。思ったとおりに一瞬前まで自分がいた場所を切りかかった黒スーツを足払いで転ばし、立っている一人との距離を詰めて相手の攻撃を誘う。
黒スーツが焦って突きを繰り出したその腕を絡め取り、そのまま折る。同時にブーツで膝の皿を思いっきり踏みつけて壊す。手から落ちたナイフを蹴り飛ばすと、立ち上がった最後の一人が体勢を立て直さないうちに一気に近づく。それを恐れた黒スーツが、梛織に向かって手にあるナイフを投げつける。
「惜しい……けど残念」
ほとんど反射的に顔を逸らしてナイフを避け、そう言って最後の一人を蹴りで沈める。
シャノンは戦いが始まってすぐに一箇所しかない入り口に場所を移動していた。逃げようとする敵、もしくは増援を阻止する為だ。
「そろそろ纏めて退場して貰わないとな。鬱陶しくて敵わん」
逃げようとしていた集団が、シャノンが一人しかいないのを見て雪崩のように押し寄せてくる。それらを銃で迎撃し、近づいてきた敵には銃を持ったまま蹴りを主体に倒していく。やがて突破は難しいと判断した黒スーツ達は、物陰に隠れて様々な場所からシャノンに銃をを撃ち始める。
にや。とシャノンは口の端を歪めて、地を蹴る。人間の比ではないその脚力での移動は、黒スーツ達にはとても反応できるものではなく、銃すら撃てずに次々と倒れていく。
そのころ、闘夜は学校の屋上で黒スーツの一人と対峙していた。明らかに他のものと動きの違うその敵は、闘夜を誘うように校内に入り、屋上へと上っていったので誘いに乗ってついて行ったのだ。
「多対一は好きじゃなくてね」
黒スーツはそう言って刀を取り出すと、静かに構える。それを見て闘夜は何も無かったはずの空間から槍を呼び出し、それを構える。
「あんた。ムービースターかい? 俺はムービースターだ」
「……」
黒スーツの言葉に無言の闘夜。
「随分と無口だねぇ。まぁいい。あんたの仲間がロケーションエリアを展開してるからね、お互いロケーションエリアは無しでいこうや」
言い放ち、切りかかる黒スーツ。刀と槍の戦い。間合いを取ろうとする闘夜に対し、黒スーツは執拗に攻める。
――ガキィン。
響く金属音。闘夜はその剣檄を力技で弾き、一瞬の硬直を狙って突きを繰り出す。黒スーツはその突きを反転して避け、そのまま遠心力を乗せて刀を薙ぐ。咄嗟に柄で相手の腕を叩き、軌道を逸らす闘夜。その柄でそのまま喉をめがけて突きを出す。
後ろに飛びながら突きを払う黒スーツ。が、手ごたえ無く払うことが出来た突きに一瞬だけ躊躇する。
――瞬間。闘夜は黒スーツの懐、至近距離からの渾身のボディーブロー。闘夜は突きを繰り出した槍から手を離し、そのまま懐へと潜り込んでいたのだ。慣性で飛んでいった槍を黒スーツは弾き、その手ごたえの無さに躊躇したところを決められたのだ。得物の長い槍だからこそ手を離している事を気がつかれることなく出来た技だ。
「がふっ」
咳き込んで膝をつく黒スーツに容赦なく蹴りを放ち、その身は屋上から下へと落ちていく。闘夜はすぐさま槍を拾って屋上から飛び降り、敵を確認。死んではいないが戦闘不能を確認してから残りの敵の殲滅へと向かう。
「あー俺も混じりてぇ。でも黒スーツに憑依しても巻き込まれそうだし。なあ闘夜? ユウキに憑依したら……駄目か?」
騒ぎが大好きな鬼躯夜がぼそりと言う。控えめな提案だったが、朱色のその眸は大真面目だった。
ユウキを守りながらその敵を殲滅していたロスは、辺りを見て呟く。
「……片付いたか」
自分の周りにいた最後の一人を焼き尽くしたのを確認すると、右腕に纏っていた炎は徐々に弱まっていき、やがて消える。
「……大丈夫か、ユウキ」
ユウキの元へといき、訊ねる。
その時、倒れていた一人がロスの背中に銃を向けていた。
「あっ」
咄嗟にユウキが闘夜から預かったピアスをロスの後ろの地面に投げつける。
――パン。
ピアスが地面に触れたのと発砲はほぼ同時。だが、その銃弾はロスに当たることなく、地面から発生した霊力の障壁によって阻まれた。
すぐさまロスは鳥を模した炎を打ち込み、焼き尽くす。そしてユウキに向いて優しい声で言う。
「……助かった。ユウキ」
「ううん。僕のほうこそ」
笑顔で答えるユウキに、ロスも微笑む。
「こんな数……僕、もう駄目だって思った」
そのユウキの言葉に、ロスはユウキの目をしっかりと見て話し出す。
「いいか。目前にある問題、壁を乗り越えなければ、先は見えてこないし、次に進むことも出来ない。諦めてしまえばそこで終わりとなる」
一呼吸置いて、ロスは続ける。
「定めが如何だろうと、死に意思を傾けないでくれ。ユウキには、そうしてほしくない」
「……うん」
しっかりとした動作で、ユウキは頷いた。
「片付いたな」
戻ってきたシャノンの言葉に、ロスはロケーションエリアを解く。
全員集まったところで、梛織が思い出したように言う。
「そうだ! 時間は!?」
その言葉に時計を確認する。時間は11時45分。もう15分ほどしか猶予はない。
「さて、そろそろ……頃合ですね」
ユウキの前に出て、柘榴が言う。
「今一度お伝えしましょう。『人を呪わば穴二つ』……この言葉の意味をご理解されているのなら、貴方の呪いを叶えます」
柘榴以外の全員が真面目な顔でその言葉を聞く。
「呪いの代価は、貴方のお名前、生年月日、髪の毛一本。生年月日は無くともよいですけれど。そしてもう一つ……貴方の命です。貴方は貴方自身の為に呪詛を行う。当然でしょう? 言った筈ですよ。『人を呪わば穴二つ』と。勘違いなさらないでください。私は優しい解呪師ではありません。呪い屋です。……さて、如何致しますか?」
「橘……ソヨ様。橘ユウキ様の、お姉様ですね?」
目の前にいる女性に、ディーファは尋ねる。
丸一日以上。ずっと実体化を感知したムービースターを尋ねていたディーファは、ようやく探していた人物を見つけた。
「うん。そう、だけど……っ!! ユウキ! ユウキはどこ!?」
キョロキョロと辺りを見回した後、ディーファに掴みかかるソヨ。
「大丈夫です。ユウキ様のところへ、急ぎましょう」
にっこりと笑ってディーファ。それを見て敵ではないと判断したソヨは、ディーファにユウキの状態を訊ねる。
「後、15分しかありません。急ぎましょう」
その言葉を聞いたソヨは、がっくりとうな垂れて呟く。
「後15分……無理よ、もう。ユウキの呪いの解呪には30分以上どうしたってかかるもの」
「大丈夫です」
そう言うとディーファは、ソヨの手を掴んで走り出す。ソヨは引かれるままに力なく走る。
解呪にかかる時間のことは、ディーファも知っていた。だけど、諦めることはしたくなかった。決して。
「大丈夫です……ここは、銀幕市。奇跡を起こせる街です」
「……柘榴さん? 代価が命って……なんだよそりゃ。それじゃ解呪したって意味ないだろ」
柘榴がユウキに言った言葉に対し、冗談に対する返答のように、口元に笑みを浮かべて言う梛織。だが、その目はまるで笑っていない。
「いいえ、私にはユウキさんの呪いの解呪は出来ません。ユウキさんにかけるのは……死の呪いです」
呪い屋として、自分の扱う呪いを始め様々な呪いの解呪もこなせる柘榴だったが、ユウキの呪いに対する解呪法は柘榴は知らなかった。そもそも、ユウキにかけられた呪い自体、初めて見る呪いなのだ。呪いを理解して初めての解呪なので、ユウキの呪いの解呪は柘榴には出来ないのだ。
「駄目だ。……させない」
ユウキの前に一歩出てロス。が、そのロスのさらに前に一歩、ユウキが踏み出してロスを振り向き、微笑んで言う。
「いいの。ロスさん」
「駄目だ」
決して引こうとしないロスに、ユウキは続ける。
「定めの所為じゃないよ。ロスさんが、みんなが僕にしてくれたように。僕もみんなを守りたいんだ」
ユウキの呪いは、辺りに同じ呪いをばら撒いて死ぬ呪い。映画内では発現されることはなかったからどの位の規模なのかは判らないが、このままだと一番の候補はここにいるみんなになる。ユウキはそれだけは絶対に避けたかった。
「待てよ! まだ、まだ時間はある! ディーファがユウキのねーちゃんを連れてくるかもしれないだろ!」
梛織が叫ぶ。シャノンと闘夜は覚悟していたのか、成り行きを見ている。
「梛織さん。僕の映画見たなら知ってるよね? 解呪には、時間がかかるんだ」
「くっ……」
確かに、梛織はそれを知っていた。
「みんな……ありがとう。柘榴さん。お願いします」
柘榴向いて、ユウキは言った。
「ええ……それでは、貴方の呪い、叶えましょう」
ふふ。と微笑んで柘榴はロケーションエリアを展開する。
瞬間。月が不気味に輝き神社の境内と杉林が現れ、柘榴本人は丑の刻参りスタイルとなる。
「この釘が、貴方に呪いを届けましょう」
柘榴はそう言って藁人形にユウキの髪の毛を入れ、その釘を打ちつける。
途端にユウキは、胸を押さえて蹲る。
「うあああぁああぁあぁぁぁぁぁぁ」
一回、また一回と打ちつける度にその間隔が短くなっていき、柘榴の口からは大量の吐血。さらには狂ったように笑い始める。
その間、ユウキは声すらも失い体中が引きちぎられるような、内側から爆発するかのような痛みに耐える。
柘榴の白装束は、吐血のためにもはや赤装束に変わり、高らかに響く文字列のような笑い声。さらには指一本動かせずに蹲って震えているユウキ。端から見れば麻薬の禁断症状を起こしているかのような二人は、遠巻きに見ている者にとってはひどく滑稽に映るものであったが、誰一人笑うものはいなかった。
「くそっ。ままならねぇ……」
そう呟いたのは梛織だった。その言葉を受けて、ぎり。とロスのグローブが音をたてた。
「もう……すぐ、です」
ユウキ達の情報を探ってその居場所へと向かっていたディーファが、学校のグラウンドへと繋がる入り口を走りながらソヨに言う。
グラウンドへと入り、すぐに真ん中に集まっている集団を見つけ、そこへと向かう。が、近づいてみるとそこには。倒れているユウキに、普段と同じ曼珠沙華の花を咲かせた柘榴。
柘榴の呪いは、既に終えていた。
時計を見ると、0時2分。
「そんな……」
呟いたのはディーファ。
「ユウキ……? ユウキ。ユウキー!」
仰向けに倒れているユウキの手を握って、ソヨは泣き出す。
「ユウキ。ユウキぃ。嫌だよ。うあぁ」
だが、ふと。ソヨはあることに気が付く。
ユウキの手の甲にある呪いの印。その印が一日目の状態で刻まれていた。
ぎゅっ、と手を握られた感触に、ソヨはユウキを見た。
「おねえ……ちゃん」
弱々しく、だけどしっかりと搾り出されたその声に、ソヨは泣きながらユウキを抱きしめた。
夜のグラウンド。優しく照らす月明かりの下、ユウキの解呪は行われていた。
「ええ、と。どういうこと?」
ユウキとソヨを遠巻きに見つめる梛織が、隣にいる柘榴に訊ねる。
「あら。先ほど申し上げませんでした? 私は呪いの業が欲しかっただけですので」
呪いを終えた柘榴は、僅かに息があったユウキに微笑みを浮かべて言った。貴方の呪い、確かに頂きました。と。
「いや。もうちょっと詳しく知りたいなーって」
「私がユウキさんにかけた死の呪い。それはユウキさんが受けていた呪いです」
「ふむふむ」
説明を始める柘榴に梛織は頷く。
「一度ユウキさんの呪いを取り出して、新たな対象としてユウキさんにもう一度呪いをかけたのですよ」
「んー良くわからないけど、代価ってのは? 死が代価じゃなかったの?」
「あら、それも申し上げたはずですが」
面白そうににこにこと柘榴。
「以前。私にロケーションエリアの効果をお聞きになった時です」
「ああ。あれ? でも代価が不要なのは、髪の毛だって」
思い出したが、それでも疑問に残り訊ねる梛織。
「今回髪の毛を使ったのは、呪いが無差別に降りかからない為です。それと、私が言いたいのはそちらじゃなく。申し上げましたでしょう? 副作用軽減。と」
「確かに、そう言っていたな」
と、シャノン。
「でもまぁ、死の激痛をどんなに軽減したところで、簡単に生きれるものではありません。生き残れたのはきっと、ユウキさんの想いが強かったからでしょうね」
ふふ。と笑って柘榴。
「ああ」
と、僅かに笑ってロスが言う。
「それにしても。柘榴さんのロケエリ、強烈だったなー」
「あらあら。何がですの?」
梛織の言葉に柘榴が冗談っぽく言う。
「いや。なんというか。柘榴さん自身が?」
「あら、ではもう一度見せて差し上げましょうか? 今度は梛織さんが呪われることになりますけど、平気ですわよね?」
「わっ。それは勘弁」
両手を小さく挙げて降参のポーズをとる梛織。
「ふふ……相変わらず可愛らしいお方ですこと」
微笑んで柘榴。そこへ解呪を終えたユウキとソヨがやってくる。
「みなさん。本当に、ユウキがお世話になりました。有難うございます」
丁寧に頭を下げて言うソヨ。
「あれ? 闘夜さんは?」
気が付いて言うユウキ。
「そういえば……いませんね」
辺りを見回して言うディーファ。解呪を始めた頃、自分の仕事を終えたと、すでに闘夜は帰っていたのだ。
「きちんと、お礼言いたかったんだけど」
「次に会ったときに言えばいいさ。二人ともこれからは銀幕市に住むことになるんだからな」
と、梛織。
「みんな。ありがとう。本当に、みんなのおかげだよ」
ユウキとソヨを連れて対策課にいき、解呪したことを説明して二人を預けた後、梛織とシャノンは同じ帰り道を歩いていた。
「結局、懐中時計の効果だったのかわかんねーな」
梛織は懐中時計で魔法を使ったとき、今すぐ解呪師をここに呼ぶ、と思い描いた。 だけど実体化したのは随分経ってからだった。
「効果じゃないとしたら、そんな奇跡みたいなこと起こるもんかね」
「まぁ。こうして解決したんだ。どっちだっていいだろう」
と、シャノン。
「いやしかし。もっとすげーことに使えば良かったかな。あの懐中時計。世界一の金持ちになりたい。とかさ。事務所を超高層ビルにしたい。とか」
「おまえらしいな」
梛織の軽口にふっ、と笑ってシャノンは言う。
「おい! なんだシャノン! その言い方、あんた、俺が金の亡者みたいにおもってる訳!?」
「いや。そうじゃない」
真面目な顔で言うシャノンに疑問符を浮かべる梛織。
「ユウキの為に懐中時計を使ったことに、梛織は何も未練なんて持っちゃいない。なのにそうやって軽口で言うところがおまえらしい、とな。俺は梛織のそういうところが、好きだ」
真顔で言うシャノン。
「なっ! 何気持ち悪りーこと言ってんだよ!! ってか恥ずっ!」
慌てたように早口で言う梛織。
「なんだ? 照れてるのか? 残念だが、今言った好きというのは梛織が期待してる好きじゃないぞ? 一応言っておくが」
「いやいやいや。照れてねーし。ってか俺が期待してるってなんだよ! うわぁ。寒気がしたぜ」
両腕を抱いてぶるっと震える仕草をする梛織。
「でも、ま」
急に真面目な声に戻って、梛織は続ける。
「ユウキが死ぬことなく解決して。よかった」
「ああ、そうだな」
「……おい」
鬼躯夜に向かって、闘夜は言う。もう自分がいる意味はないし、何より面倒だからと解呪をしているところを抜けて帰る途中だった。
「……知ってたろ?」
黙ってる鬼躯夜に闘夜は訊ねる。知っていたというのは、橘ユウキが自分の探していた優姫や光煕と違うということを、最初から知っていただろ。という意味だ。
「……ぷっ。ぎゃはははは」
堪えきれず、鬼躯夜は笑い出す。
「だってよ。考えてもみろよ。そもそも姫はそんな呪いに掛かるわけねぇし、光ならもっと頭捻って動くだろーが」
「……」
「いやぁ最高だったぜ、闘夜がユウキを見たときの顔。ぎゃははは」
不機嫌そうな顔をして黙っている闘夜に、鬼躯夜は続ける。
「ん? なら次からそういう情報聞いても、言わないほーいいか?」
「……いや。言った方がいい」
「ほほーなんで?」
にやにやしながら鬼躯夜は言う。
「…………あいつらがいたほうが、楽しい」
そう言って、しばらく歩いた後に闘夜は続けて言う。
「…………多分」
BAR“トキノハザマ”そのドアの前に、ディーファは立っていた。
自分のやりたかった事は出来た。願った通りにうまくいった。それなのに、ディーファの心には不思議な想いが残っていた。
それは、ユウキとソヨ。その家族という形。
自分には血の繋がった家族はいない。研究所ではあくまでも実験体だった。家族の暖かさも、データでのみしか知らなかったディーファ。
だが、このBARに来てからは違った。ここのみんなは家族のように自分に接してくれる。データじゃない、家族の暖かさをここでは感じることが出来た。
それでも、ユウキを心配するソヨの涙を見て、少しだけ心に何かが張り付いた。みんなは、こんなにも自分を心配してくれるだろうか。
ドアを開けて中に入るのが、怖かった。
それでもいつまでもドアの前にいる訳にもいかないので、意を決して中に入る。
おかえり。と店主をはじめみんなが微笑む。
抱きついてきて、連絡くらいしなさいよ。と涙を一筋たたえて言ったのは、自分にとって姉のような存在の人。
何も、心配することなんてなかった。
だからディーファは、笑顔で答えた。
「ただいま」
呪い屋としての店である自分の家に戻り、柘榴は足を崩して畳に座ってくつろぐ。
元々、自分が興味があったのはユウキの呪いだった。だけど、事件を通していくうちに、家に戻ったらしようと思ったことがあった。
「宮毘羅(クビラ)、伐折羅(バサラ)、迷企羅(メキラ)……」
柘榴は自分の影に住まう12匹の使鬼の全員を、その名前を順番に呼ぶ。
「招杜羅(ショウトラ)、毘羯羅(ビカラ)。みんな……いつもありがとう」
普段は思っていても、口にすることは滅多にない。
ユウキとソヨを見ていて、どうしても言いたくなったのだ。柘榴にとって使鬼達は家族だから。
柘榴の影から、<卯>の安底羅(アンチラ)が出てきて、ひょいと柘榴の膝の上に乗る。
「あらあら……私も眠たいのですけどねぇ」
そのまま眠り始めた安底羅を見て柘榴が優しげに呟く。
一時間後。そこには12匹の使鬼全員が柘榴によりそって(部屋に対して大きすぎて出ることが出来ない使鬼は身体の一部分だけを柘榴の影から出して)使鬼達に囲まれて眠っている柘榴の姿があった。
ユウキの呪いが解呪されて数日後、聖林通りを歩いていたロスは、聞き覚えのある声に目を向ける。
「お姉ちゃん。早くー」
「ちょっとユウキ。引っ張らないでって」
それはユウキとソヨだった。何処かへ向かう途中なのだろうか。ユウキはソヨの手を引いて早足に歩いていた。引っ張られているソヨも、口調こそは怒ったようだが、その顔は笑顔だった。
自然に、口元が緩むロス。
ある事件で、家族をすべて失ったロス。その中で自分だけが生き残り、こうして今も生きている。
何度となく思った。自分が死ねばよかった。と。一時期は、自分だけ生きているその罪悪感に潰されそうだったこともあった。
どうして、自分だけがこんな能力を手に入れて生き残った。
そのことに理由があるかなんて判らないけど、ロスはこう思うことにした。
自分の能力で、守れる命がある。守りたい命がある。それならば、全部守ろう。
ふっ。と微笑んで、ロスはユウキ達の歩いていった逆の方向へと足を向けた。
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クリエイターコメント | こんにちは。依戒 アキラです。
OP提出段階では私自身もユウキがどうなってしまうのやらと心配だったのですが、定めの果てに、無事、生き残ることができたようです。
シナリオに参加して下さった6名の方々には、心よりお礼を申し上げます。 とても素敵なプレイングの数々。全てのプレイングをそのまま採用することは出来ませんでしたが、精一杯、汲み取る努力を致しました。が、力及ばず、でしたら申し訳ないです。
作品に関してのご感想等ありましたら、是非是非お送りください。叱咤激励どんなことでも構いませんので。是非に。
ほんの一瞬だけでも、これを読んだ誰かが幸せを感じてくれたなら、私は嬉しく思います。
それでは最後となりましたが、私の作品を読んでくれた全ての方々に、感謝を。 |
公開日時 | 2007-09-12(水) 22:40 |
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