★ CALM DIVER ★
クリエイター八鹿(wrze7822)
管理番号830-6941 オファー日2009-03-09(月) 12:20
オファーPC リョウ・セレスタイト(cxdm4987) ムービースター 男 33歳 DP警官
<ノベル>


 瞬時に過程と結果の行き交う電気信号の世界。
 無数にバラ撒いたダミーバグを検出修正しながらフェンリルの機能が、システムに介入したリョウの意識の痕跡を追う。
 それは予想以上の早さだった。リョウは変種新種のバグプログラムを組み撒きながら次々と回線を渡って端末を飛ぶ。
(さすがに完璧に逃げ切るのは無理、か。なら――)
「……ん」
 冷えた床の感触。
 背に感じる微動、耳に溢れる動作音と送風音。
 リョウの体はスゥと目を開いた。
 白い、サーバー室の壁。
『はぁ……リョウ、ひとまず君が無事で良かったよ。でも、これからどうするんだい?』
 頭の中で鳴る声。
「統合解析ソフトとリストは、まず間違い無くランクS区域にある。だが、フェンリルから逃れる際に痕跡を完全に消し切れなかったからな、俺の侵入があっちに勘付かれた筈だ」
 リョウは言いながら立ち上がり、端末に差し込んであるメモリースティックを抜き取る。
『え――ヤ、ヤバイよ、リョウ。すぐに銃を構えた警備員が飛び込んでくるぞ、早く逃げないと!』
 既に、通路に響く靴音が聞こえてきていた。
 しかし、リョウは床に付いていた部分のスーツの汚れを軽く払って携帯を取り出す。
『な、何してるのさ……?』
「電話だ」
 とサーバー室のドア認証が解かれドアが開かれる。
 踏み込んできた警備員の構えた銃口。
 ――21時23分。


 ◆Calm Diver◆


 21時00分。 
 上昇を続けるシースルーエレベーターの中からは、様々な光の瞬く夜景が広がっていくのが見えた。
 我先にと空に向かって伸びる超高層ビル郡と、その根元を煌びやかに伸びるストリート、チカチカとサイレン。
 喧しさすら伺わせる地上の明かりによって夜の空はぼやかされ、そこに星は無い。代わりにジャンボジェットが腹を光らせながら空の高い所を飛び、低い所をヘリが滑空していく。
 エレベーターのガラスに映るリョウ=セレスタイトのスーツ姿は、上昇によって徐々に明かされるそれら摩天楼の景色と重なっていた。冗談のように整ったその顔とスタイルは、100万$の夜景と共にあって違和感が無い。
 彼は携帯電話に耳を傾けながら、やんわりと薄い微笑を浮かべている。電話の向こうの女との会話は続いていた。
『――それで今、何してるの?』
「今かい? 仕事だよ」
『あら、ごめんなさい』
「君が気にする必要はないさ。俺が君の声を聞きたくて、たまらず電話に出たんだ。ちょうど君の事を考えていた」
『ふふ、本当に? 私も貴方の声が聞けて嬉しいわ、本当よ。ねぇ、リョウ、仕事って何の仕事をしているの?』
「潜入捜査官、いや、正義の味方かな」
 わざと大真面目な声で言ったら、電話の向こうで彼女は笑った。彼女は笑いながら、嘘つき、と言った。
『可愛い事を言うのね』
「君の仕草や声に敵うほど?」
『くやしく思ってるわよ』
「君のスネた顔を見れないのが、とても残念だよ」
『私も貴方のいじわるな顔が見れなくて……あら、私、またはぐらかされてる?』
 女の声はそう言いながらも楽しそうで。
 彼女の声の向こうで鳴るフライパンの音。夕飯の支度をしながらの電話。
「そんなつもりは無いさ」
『そうかしら? そろそろ切るわね、あんまり仕事の邪魔をして貴方に嫌われたくないもの。また電話するわ』
「ああ、待ってるよ」
『それは本当?』
 クスッと笑ってからリョウが囁く。
「俺は女性に嘘を吐かない」
 電話向こうで囀ったような笑み。
『信じるわ』
 携帯にキスを落とし、それを閉じる。そして、リョウは携帯を仕舞いながら身を返して硝子面へと背中を付けた。エレベーターの階数表示はスルスルと数字を重ねている。
 耳元の目立たないピアスに触れる。カチリと小さな音。
「もういいぜ?」
『……仕事中に私用電話とはね』
 頭の中にノイズと共に響く声。
 自分の心の声なんて、いじらしいものではない。他人の男の声だ。耳に付けているこれは純粋なピアスではなく、小型のテレパシーマーカー。頭の声の主たるテレパシストの能力に指向性を持たせ受信率を増幅させる……つまり、テレパシーの送受信機のようなもの。
「女性からの電話はどんな時でも出る主義なんだよ」
 耳元のマーカーを弄って調節し、ノイズを減らす。
『マーカーの電源を切ってまで?』
「プライベートな電話だったからな」
 夜景のガラスの中、戯れて笑んだ己の口元を見掠る。斜めに見た地上は更に更に遠ざかっている。何もかも豆粒だ。
『はぁ……まあ、今回は事前に言ってくれたから助かったよ。さっきはいきなりマーカーの電源が切れたからビックリしたし、クラクラしたけど』
 頭の中の声は嫌味たっぷりに言う。
 リョウは楽しげに笑い、
「へぇ、気づかなかったな。誰かが騒いだからじないのか?」
『君が切ったんだろッ、そりゃ騒ぎもするよ! 仕事中に受付嬢を口説き出すなんてどういうつもりさ、全く……』
「なあ、お前」
『なんだい……?』
「童貞?」
『リョウ!! い、今は、そんな、そんな、関係ないだろ、そんなこと』
「図星、かな」
 そこに居ないチェリー君の慌てふためく顔を想像するのは楽しい。
『リョウー……君はもっと現状を自覚した方が良い』
「自覚、ねぇ。俺は今、スーツを着て天下の優良大企業MDC(メリル・ディズ・カンパニー)ビルのエレベーターに乗っている」
『潜入捜査の為にね』
 頭の中の声が、気を取り直すように少しの間を空けてから。
『……ともかく、テレパシーマーカーのテストも兼ねて、状況整理をこのままテレパシーでやらせてもらうよ』
「ああ」
 頷く。
『K&Sラボ、バーズグレイ大DDラボ、TOJCのラボが能力者を用いた違法な人体実験と人身売買で検挙されたのが1ヶ月前。連邦捜査局は各研究所から繋がる人身売買のルートを潰しに掛かったが、引っ張り上げられたのは小物ばかりだった。そして、背後に大掛かりな組織があるのは確かとしながらも、彼らは捜査に行き詰る』
「まあ……能力者の売買なんてリスクの高い商売に手を出してるんだ。簡単にバレるような仕掛けはしてないだろうからな」
 ぽつり、と零しながらリョウは渡されていたメモリースティックの中身を携帯端末で確認する。
『三件の人身売買ルートを繋ぐ唯一の手掛かりは各研究所で押収された発注書用の偽装マニュアルの存在と、発注方法だ。偽装マニュアルは各研究所ごとに全く別の様式を用いていて互換性は無かったけど、発注書を一見無意味な迷惑メールに偽装し発信元を不明にさせながら不特定多数へ送り出すという方法で共通していた』
 リョウの携帯端末のモニターには意味不明なメールの文字郡が映し出されていた。それが警察が押収した発注書の偽装データ。
「徹底して発注先を隠す為に」
 発注先以外に送られた偽装発注書は迷惑メール扱いで破棄されるが、発注先は予めメールの偽装パターンを知っているのだからメールを選別する事が出来るわけだ。
『各ルートの商品確保、納入報告もその方法で行われているようだ』
「そういえば、ランダム送信のログから発注先は割り出せなかったのか?」
『各研究所の不特定多数送信ログから、三日三晩かけて特定しようとしたんだけど駄目だったらしい』
「統計学、力及ばず、か」
『今回、このMDC(メリル・ディズ・カンパニー)が選ばれた理由は、検挙された三つの研究所から受けていた成果提供率の高さからだ』
「しかし、ここと繋がる糸は一切出ていない。かといって下手に手を出したら証拠が消されてしまう可能性がある」
『だからDPに……君にお鉢が回ってきたのさ』
「元、情報屋の?」
 ――通称DP(Division Psychic)――
 正式名は刑事部能力捜査課。
 様々な能力者の犯罪に対抗する為、能力者には能力者を根幹として開設された組織。
 属している警官は全員が能力者であり、対能力者事件・犯罪や一般の他部課では手に負えないリスクの高いファイルの解決を手掛けている。その組織としての特殊性もさることながら、課メンバー個々が特殊な事でも有名であり、彼もまたその例に漏れない。彼はかつて、名の通った情報屋だった。
『君に要求されているのは、MDCがこの大掛かりな人身売買を取り仕切っている証拠が無いか探ること。つまり――』
「もしMDCがクロなら、様々な形で偽装され送られてくるメールの統合解析ソフトと、それによって更新されているリストがある筈だ」
『……その通り。それらを探ってみてくれ。慎重にね。MDCのセキュリティ主任は”悪評高い”あのエイブ=マーローだ。油断していると、マジで殺される。十分気をつけてくれ』
「解ってる。ところで……この偽社員証が通行許可ランクBなのは何故だ?」
 エレベーター内の明かりの中で、己の顔写真入りの社員証を眺めながら問いかける。
『それでもシステム課の力作なんだ……君の能力ならそれだけでも、十分だろ?』
「まあ、いいけどな」
 努力が微笑ましい、とリョウは指先でクルクルと社員証に努力賞の丸を描いた。
『ビルの電力消費の実態から56階にサーバー郡が置かれているのが判っている。多分、そこからなら最機密域の社内クローズネットにも侵入出来る筈だ。エレベーターを56階で止めるにはランクA許可が必要だけど……』
「解決済みだ。ついでに防犯カメラの方も……今」
 
 MDCビル56階。
 エレベーターのフロア側の扉を見守る防犯カメラの映像に一瞬の僅かな乱れ。その後、防犯カメラは、静かに扉を閉ざしたままの56階エレベーターの映像を送り続ける。現実の56階エレベーターの扉が、チン、と軽やかな音を立てて開いても。
 リョウはフロアへと降り、視線を巡らせる。こちらを狙う防犯カメラを発見。そして、ごくろうさん、と笑いかけた。
 彼の持つ2つの力。
 一つは、電磁波干渉能力(エレキネシス)……電磁波を発生させて物体に干渉する力。
 その力を用いれば、半径50m内の様々な機器の停止、起動、破壊、誤作動等を行う事が可能で、更に彼は、この力を応用し端末へ意識を侵入させ、直接情報を拾い出したりプログラムを書き換えたりする事を得意としている。彼にとって、エレベーター内の通行ランク認証システムを弄るなど、造作も無い事だった。
 そして、もう一つの力は――
「お疲れ様です」
 通路でシェード付きヘルメットの警備員に声を掛けられる。
「お疲れ様」
 簡単な笑顔を向け、擦れ違おうとする。
 と。
「ああ、待ってください」
 呼び止められ、リョウは彼の方へと振り返り首を傾げてみせた。
「特別警戒中です。失礼ですが……社員証の確認を――」
 こちらに手を差し出しながら近づく彼に向かって、リョウは何も言わず微笑んだまま、すっと一歩大きく近づく。
 そして、彼の目が驚きに瞬くより早く、”力の宿る声”で囁きかける。
「――おまえは誰も見ていない。そうだろ?――」
 警備員は一瞬焦点を失い、
「ああ、そうだな」
 頷くと、まるで本当に誰にも出会わなかったかのように、自然な動作で向こうへ歩いていってしまった。
 リョウの持つ、もう一つの力……それは催眠能力(ヒュプノシス)。
 力を宿した声によって相手に強力な催眠を施し、囁き一つで相手を意のままに操る事が出来る力。
 相手の精神力次第で掛かる催眠の程度は決まるものの、対象が一般人であればまず間違いなく彼の言葉から逃れる事は出来ない。
 警備員の足音が遠ざかるのを見送って、リョウは再びシンと寂しい通路を歩む。
 オフィスエリアでは無いため人気は無い。
 無機質に照らす照明、白を基調とした味気の無い壁、微かに聴こえる作動音の振動。
 硬く照明を返すタイル地の床の続いた先、サーバー管理室の入り口の前で立ち止まる。
 扉の脇に付いている認証システムはカード認証と虹彩認証。エレベーターに備えられていたものにオマケが付いている。だからなんだ、という話で。リョウは、カードをゆっくりと差し込みながらシステムに介入して、各種ブロックを手早く誤魔化す。ピ、と電子音が鳴って扉が開いた。カードを引き抜いた後で、アクセスログを消すのを忘れない。
 開いた扉の隙間からさざなみの様に、こちらへ溢れた無数の動作音。
 その中へ入り、閉まる扉の内側の淵にスーツの内ポケットから取り出した小型の赤外線装置を付けておく。
『それは?』
「保険。誰かが来れば感知出来るようにしてある。これから少し体を空けるからな」
 赤外線装置の電源を入れ、改めて室内を見回す。
 コォゥ、と調温機の風音。少し肌寒いくらいの室内は狭く、壁の押し迫った通路のような形をしている。その壁一面にはロッカーのように四方形の白いパネルが並べられていた。
 リョウは一旦、最奥へと進み排気口の柵のネジを隠し持っていたナイフの先で回して外す。
『何をやってるんだい……?』
「これも、保険だ」
 取れた柵を床に落としてから、部屋の中央へと戻り、壁にポツリと置かれたカードリーダーへ社員証を通した。そして、先程と同じ対応をする。
 目の前のパネルがスライドされ、奥から姿を現した端末のモニターにMDCのシンボルマークが踊った。次いでモニターに現れた文字が、別の高位許可カードを求めてくる。恐らく、これが目標の端末。
 リョウはメモリースティックを端末に差し込んでから、床に腰を下ろし、壁に背を預けた。
 目を閉じる。
 冷えた床の感触、背に感じる微動、耳に溢れる動作音と送風音、自分の鼓動。
 馴れた順序で自分の力をコントロールする。ス、と五感が剥離する。意識は体を離れ、そして、消失した感覚は電子配列で編み上げられた世界を捉えるための新たな知覚と共に再構築されていく。
 リョウは己の意識が完全にこちらに馴染むのを待たずに、メモリースティックから入手済みの偽装ファイルを拾い出し、回線を渡ってメインサーバー内へと飛んだ。そして、正式な段階を数段すっ飛ばして、さっさと記憶粋のログの場所を探り出し、手持ちの偽装ファイルと同じファイルがこちらのネットに持ち込まれていないかを検索に掛ける。数秒たらずで幾つかのヒット。ヒットしたデータ痕跡をピックアップし、周辺データとの組み合わせパズルを行わせながら状況の概要を再現する。
(オープンネットの端末から移される人事評価データや顧客データに付着する形でこちらのネットに持ち込まれてるな……偽装メール自体が一定条件のデータに付着するようになっているのか)
『証拠になりそうかな?』
(これだけでは、システム不備や偶然で逃げられてしまうさ。MDCが能動的に関与している証拠にはならないしな)
 データが持ち込まれた端末に移り、一番最近の痕跡から偽装メールの付着したデータを復元する。その復元データを泳がせ、そのデータがどのような経路を辿るのかを追跡していく。
『現実の追跡捜査みたいだね』
(これも現実の追跡捜査だ。人間なんかよりよっぽどシンプルなのは認めるけどな)
 サーバのデータベースに分類蓄積される際に掛けられるチェックソフトの機能を通過する際に、復元データから偽装メールが離れるのを確認した。その後、偽装メールが送られた先は、ランクS認証を必要とする端末。
 リョウは、そちら側へ行くために認証システムのプログラムを書き換えようとして
(――と)
 留まる。
『……どうしたんだい?』
(ああ……ちょっとな)
 そこに組まれているプログラムの構成に、僅かな違和感を感じたのだ。
 直接に認証プログラムへ触れるのは止めて、面倒だが別の当たり障りの無いシステムを通じながら慎重に、認証プログラムの大きさや概要に探りを入れてみる。
 暫くして。
(やっぱりな……ガルムだ。さすがに最上級のコストを掛けてくるか)
『ガルムって、対能力者用のセキュリティ監視システムのことだよね?』
 リョウの様な能力者による意識侵入を想定して造られたセキュリティシステムだ。
(ああ。こちらの干渉パターンに反応するから俺は下手に近づけない)
『どうするんだい?』
(そうだな……毒リンゴを使うか)
 偽造メールにクラックプログラムを混ぜるのだ。
 ガルムに気付かれないようにあちらへ渡らせ、クラックプログラムで内側から穴を空けてしまえば、ガルムの守備範囲外から中へ侵入できる。
 クラックプログラムを組みながら、ついでに何か不測の事態があった時のためにダミーバグを幾つか用意しておく。万が一、侵入を検知されたとしても、それをバグによる誤作動であるかのように装わせ、そちらを検出修復している内に、こちらが痕跡を消す時間をほんの少しでも稼ぐためだ。
(さて、白雪姫にしっかり届けて来いよ……)
 仕掛けを施した偽装メールを放つ。それは認証プラグムとガルムのチェックを受け……
(いや、あれはガルムの動きじゃない)
『え?』
(――なるほど。さすが、エイブだ)
 得心して、リョウはすぐさま意識撤退の準備を行う。
『どうしたんだよ?』
(面白いものがあった)
『面白いもの?』
(ガルムに擬態しているフェンリルだ)
『――殺人プログラムじゃないか!!』
 対能力者デリート機構フェンリル。侵入した能力者の意識を破壊する違法プログラム。
(わざわざガルムに擬態させてるってことは、示威行為すら行う気がない。完全に狩るつもりだぜ、ヤツは)
『だ、大丈夫なのか?』
(ガルムと違ってフェンリルは能力者の意識の保護を考えられていないからな、チェック範囲が広い……じき異変に気付かれる)
『じゃ、じゃあ、早く逃げないと! 君がそこで廃人になって拘束されればMDCは必ず身元を割り出す。君の死んだ脳を弄くってまでね。そうしてDPへ法的攻撃が行われれば――大問題だ!』
(俺の身を案じた発言どうもありがとう)
『もちろん君の事だって心配してる! って、何気楽に構えてるんだよ! 早く体へ戻れ、リョウ!』
(いや、やってる最中だ。しかし、やはり早いな。痕跡を消すのが間に合わない)
 フェンリルの機能が予想以上の早さでリョウの追跡を行い――
「……ん」
 冷えた床の感触。
 背に感じる微動、耳に溢れる動作音と送風音。
 リョウはスゥと目を開く。
『リョウ、ひとまず君が無事で良かったよ。でも、これからどうするんだい?』
「統合解析ソフトとリストは、まず間違い無くランクS区域にある。だが、フェンリルから逃れる際に痕跡を完全に消し切れなかったからな、俺の侵入があっちに勘付かれた筈だ」
 リョウは言いながら立ち上がり、端末に差し込んであるメモリースティックを抜き取る。
『え――ヤ、ヤバイよ、リョウ。すぐに銃を構えた警備員が飛び込んでくるぞ、早く逃げないと!』
 既に、通路に響く靴音が聞こえてきていた。


 ■エイブ=マーロー


 21時30分。
 エイブ=マーローは、まず珈琲の香りを楽しむ。わざわざ豆を挽かせて淹れさせた物だ。インスタントなんかとは深みが違う。
 そして、彼はオフィスの壁一面を陣取っている防犯カメラのモニター郡を眺めた。ここからオフィスフロアを覗く事が出来る。そこは平和なものだった。
 モニターに映っているのは、通しの良いオープンオフィス。毛の短い靴馴染みの良い絨毯を敷き詰められた床。照明は柔らかく明るい。随所に観葉植物が置かれ、気の利いたパステルカラーのインテリアが彩っている。
 ホワイトカラー達は各々のデスクに置かれたモニターとにらめっこをしているか、珈琲を飲んでいるか、廊下でベースボールチームの話をして盛り上がっているか、している。
 誰も、現在、社内に賊が一人紛れ込んでいるなどとは思っていない。それでいい。人知れず、社の安全を守るのが我々の仕事なのだ。
 彼の耳に付けられたインカムには、侵入者の排除に奔走する警備員達の報告が逐一流れていた。
『侵入者は排気通路を使い、資材搬入層へ逃亡した模様です』
「囲い込め」
 フェンリルに感知された時点で、もう勝負は付いたようなものだ。資材搬入層のリフトの昇降路を使うつもりだろうが、そこに活路は無い。こちらは今までありとあらゆる企業スパイどもを相手にしてきたのだ。賊が考えそうな逃走経路など、全て知り尽くしている。
 と、エイブのオフィスのドアがノックされる。
「入れ」
 彼は珈琲に鼻を近づけたまま許可する。
「失礼します」
 ドアを開いて警備員が入室する。
「なんだ?」
「サーバー管理室の扉に貼られていた賊の遺留品です」
 彼がデスクの上に置いた物は小型の赤外線装置だった。
 エイブはそれを一瞥して、詰まらなそうに眉根を寄せ、珈琲を一口啜る。
「玩具のアラームだ。今日び10歳のガキでも教室に仕掛けてる。捨てておけ」
 と――エイブは、防犯カメラに映し出されているオフィスの様子が変わった事に気付いた。
 皆、不審な表情でそれぞれの端末モニターを覗き込んでいる。
 エイブは珈琲を置いて、己のオフィスに置いてある端末モニターの一つへと視線を走らせた。外部のネットに繋がっている方だ。
 そこには、見覚えの無いウィンドウが開いており、何処かおどけたフォントの文字が並べられていた。”ハロー”から始まり、今日の天気について、最近思いついたジョーク、今朝パンを落としたらジャムを塗った面が床に落ちてしまったというどうでもいい報告と続き、そして、”爆弾を仕掛けた”の文字。
 文字は言う。”これからデモンストレーションを行う”。
 防犯カメラの中で誰かが叫んだ。おそらく、「伏せろッ!!」と。
 フロアの全員が床にしゃがみ込むと同時に、そのフロアのコピー機、珈琲メーカーといった電気機器が火花を散らして一斉に暴発した。そして、全ての防犯モニターがザッと音を立てて映像を失う。
 エイブは、そちらの方を捨て置いて再び端末モニターに目を走らせた。
 モニターには、要求が一つ掲げられていた。
 ”ゲームをしよう。俺がクローズネット内に仕掛けた玩具を見つけてみせな。見つけられれば他の爆弾を何処に仕掛けたか教えてやるぜ”。
 オフィスの人間からのコールが鳴る。ボタンを押して、それを受ける。耳元で状況を喚きたてられて、エイブは顔を顰めた。どうやら、あちらの方のモニターにも同じ文面が映し出されているらしい。
 まだ興奮気味に捲くし立てる声との通信を強制的に切って、エイブは苦く息を吐いた。
「……ハ、馬鹿馬鹿しい」
「どうするんですか?」
 警備員が聞いてくる。
「ゲームに付き合う義理は無い。少しばかり方向性を変えるだけだ」
 警備連中への一斉通信ボタン。
「賊は生きたまま捕らえろ。用事が出来た」
 これらを行ったのはクローズネット内に侵入した例の不審者だろう。
 妙なトリックを仕掛けていたようだが、こんな事でこちらと交渉出来るなんて簡単に考えてもらっては困る。エイブは、椅子にギッと背を預け手を組みながら、捕らえられた不審者をどう痛ぶるのかについて考えを巡らせた。
 と――コールが入った。
 一階ロビーの受付からだ。組んでいた手を解いて、通話ボタンを押す。
「どうした?」
『今、受付に警察の方がいらっしゃっています』
「何……?」
『1時間前、署の方へ我が社にクラッキングを行うという犯行予告があったそうで、警戒のためにシステム巡回させろと言っています』
「――ッ」
 彼の声が詰まる。
 口元に親指を寄せて、カリ、と爪を噛む。
 今、警察に社の現状を見られれば即クローズネットの調査が開始されてしまうだろう。そうなれば、フェンリルを始め、ランクS内の情報も全て見られてしまう事になる。それは避けなければいけない。ならば、彼に取れる行動は一つだった。
「出来る限り時間を稼げ」
 受付嬢にそう命じる。
『はい、わかりました』
 彼女との通信が完全に切れるのを待つことなく、彼は席を立つ。
 そこにボンヤリと立っていたボンクラな警備員に「来いッ」と命じて、彼はオフィスを出た。警備員と共に、ランクS区域の部屋へと急ぐ。
 警察が社の現状に気づく前に、フェンリルを解体しなければいけない。それと同時に、例の人身売買のリストシステムを凍結して、ランクS区域内のリストとソフトを物理的に切り離して確保しておく必要がある。
 ランクS区域の入り口で警備員を通路に残し、エイブは己が仕掛けた様々なロックを解いて通行許可ランクSの室内に入った。置かれている端末にメモリースティックを差し込む。そして、フェンリルを解体している間に、隔離が必要な内部情報をメモリースティックに移してしまう。これで、ここには目眩まし用のファイルしか残されていない。
 エイブは全ての作業を予想より35秒も早く終えられた事に満足して、踵を返す。
 ランクS区域から通路に出るまでの間にインカムで警備連中に通信を繋ぐ。
「侵入者の方はどうなった?」
『今、捜索中ですッ!』
「なんだと?」
『資材搬入層にも、資材搬入用の昇降路にもいませんッ!』
「馬鹿を言え、そこ以外に逃げ道は無いんだ、よく探せ! この給料泥棒どもッ!」
 ランクS区域から通路に出る。
 くくっと笑う声。
「給料泥棒は酷いな。連中はよくやってる方だと思うぜ?」
 エイブは警備員を睨みつける。このボンクラが軽口なんぞ叩きやがって――
 向けられたキツイ視線にたじろぎもせず、警備員はヘルメットを取りながら、エイブが罵倒を口にする前に軽やかに言葉を並べた。
「一番簡単で誰にでも出来るクラッキングの方法は、人間が腰にリボルバーぶら下げて馬に跨っていた時代から変わっていない。そうだろ? エイブ=マーロー」
 涼しく笑う均整の取れた顔が、あっと気付いたエイブの耳元にズイッと近寄る。
「――その手にあるものを渡せ、エイブ――」
 その声に逆らえない。
 彼は彼の意に反して、その男にメモリースティックを手渡していた。
「ッ……ヒュ、ヒュプノシス」
「良く知ってるな」
 受け取ったメモリースティックを片手の中で回しながら、リョウはナイフをエイブの首元に突きつける。
 ヒ、とエイブが身を縮こませている間に、片手で携帯端末にメモリースティックを差し込み、データの中身を確認する。
「ビンゴだ。それどころかレアな情報の宝庫じゃないか。俺のツテで捌ければ、しばらくは遊んで暮らせる」
 リョウが、ここに居ない誰かをからかうような調子で言い零したのを聞いて、エイブがナイフに怯えながら掠れた声を漏らす。
「情報屋か……?」
「いや、正義の味方だ」
 メモリースティック内の情報を携帯端末に全てコピーして、リョウはエイブの手にメモリースティックを返す。
 そして、彼の耳元に顔を近づけ、力の織り込まれた言葉を囁いた。
「――10秒後、お前はお前の仕事に戻れ。俺に出会った事を忘れて、な――」
 21時39分。


 ■少し前


 21時35分。
 受付に座っている彼女は携帯に届いたメールを見て、エイブ=マーローへの直通コールのボタンを押していた。
『どうした?』
「今、受付に警察の方がいらっしゃっています」
『何……?』
「1時間前、署の方へ我が社にクラッキングを行うという犯行予告があったそうで、警戒のためにシステム巡回させろと言っています」
『――ッ』
 彼の声が詰まる。
 暫くの沈黙の後、苦々しく彼が命じてくる。
『出来る限り時間を稼げ』
「はい、わかりました」
 彼女は静かに言って、コールを切り、誰もいないロビーを見る。
 そして、ふと気付いて小首を傾げた。
 今、私は何をした?
 

 ■更に前


 21時23分。 
 銃を構えながらサーバー室に踏み込んできた警備員は二人。
 彼らが最初に目にしたのは、驚いたように振り返るリョウの姿だった。リョウは携帯電話を持ったまま両手を挙げる。
「動くな」
 警備員の一人がリョウに銃を突きつけたまま近づいてくる。
「何の騒ぎですか?」
 迷惑げに眉根を寄せながら、リョウが両手を挙げた格好で首を傾げる。リョウの持つ携帯からは細く声が漏れている。
「携帯を渡してもらおう」
 言われた通りに携帯を渡す。警備員はその携帯のスピーカーに耳を当てた。
『リョウ? なぁに、こんな時間に電話なんて……ふふ、でも嬉しい』
 聴こえた女の声に、ヘルメットシェードの下、警備員の口元に複雑な表情が浮かぶ。
「社員証も確認させてもらう」
 警備員が気を取り直すように言って、片手をこちらに差し出す。
「ええ、いいですよ。――問題は無いですから――」
 社員証を渡しながら顔を近づけ、ヒュプシノス。
「ああ、問題無いな」
 警備員は頷いて、社員証と携帯をリョウに返した。
 リョウは携帯を受け取り、それを耳に当て、電話の向こうの相手の怪訝な声に苦笑する。
「ああ、すまない。君にこっそり電話しようと思ったら、警備に見つかって銃を突きつけられた」
 電話の向こうの彼女が、なにそれ、と笑う声がこちらに漏れる。
 リョウは、「また電話する」と言って携帯を切り、目を細めながら首を傾げてみせる。
「それで、何があったんですか?」
「侵入者が検知された。何か見なかったか?」
「いえ、私が来た時には誰も……」
 リョウが軽く肩をすくめる横を、もう一人の警備員が奥の方の様子を確認しに行く。
「こりゃあ、排気通路だな」
 柵の開けられた排気口を確認した警備員が仲間に合図を送り、彼らは部屋を出て行こうとする。
 奥に行っていた警備員が出口へ向かうすれ違い様、リョウは彼にトン、と延髄への手刀を落とした。
 とさ、と力無く倒れる警備員。先にサーバー室を出ようとした仲間の警備員が、それに気づいて振り返る。
「お、おい、大丈夫か!?」
 倒れた仲間に駆け寄ろうとした彼の耳に、リョウは囁く。
「――大丈夫だ。先に行け――」
「ああ、判った」
 警備員Bは頷き、くるっと踵を返すと駆け足でサーバー室の外へ駆けて行った。
 彼の背中に軽く手を振ってやってから、リョウは床に転がる警備員の服を剥ぎに掛かる。
 どうしても苦笑が浮かぶ。
「……男の服を脱がすってのは、楽しいもんじゃないよな」
『贅沢言ってる場合じゃないよ! さっさと警備員の服を奪って脱出を』
「何言ってんだ、ここで逃げたら元も子もないだろう?」
『……え?』
 手早く警備員の格好へと着替え終え、扉淵に貼ってあった赤外線装置を回収する。
『そ、そういえば、それ、作動しなかったね。ある意味助かったけど』
「作動させなかったんだ」
『あ、電磁波干渉……』
 リョウは通路に出る。
 慌しい足音の行き交う中、リョウは閉まったサーバー室のロックシステムの認証を書き換え、まずは外部ネットに繋がっている適当な端末を探す。そこへ意識侵入し、社内地図からエイブ=マーローのオフィスの場所を調べ、”ハロー”で始まる偽テロプログラムを組み上げてから、リョウはエイブの元へと向かった。
 そして、彼のオフィスに入る前に通信を開く。
「侵入者は排気通路を使い、資材搬入層へ逃亡した模様です」
 寸分置かずに言葉が返ってくる。
『囲い込め』
 味気無い声だ。
 リョウは手の中でクルリと赤外線装置を弄びながら、ドアをノックした。


 ■そして現在


 21時43分。
 エレベーターは降下を続け、見える景色も夜空の割合を減らしながらビルの影濃い地上へと滑り落ちていく。
 硝子に映るスーツ姿のリョウは携帯端末からDP本部へと先程入手した情報を送信している。
『頭が、まだこんがらかってる。あー……偽サイバーテロプログラムを組んで起動、その内容に信憑性を持たせるために電磁波干渉による機器の破壊。同時にエイブに受付の様子を悟られないように、防犯カメラの電気系統のダウン……。受付嬢へ声を掛けた時から全部狙ってたのかい……?』
「彼女を口説いた時に掛けたヒュプノシスは、オールマイティカードみたいなものだ」
 データの送信が終わった携帯端末をポケットに仕舞う。
「つまり、何にでも使えたんだ。逃げるため、逸らすため、奪うため、乱すため……タイミング次第でどんなカードにもなる」
『彼女のアドレスを手に入れたのもヒュプノシス?』
「そっちは実力。女性を口説くのに力を使うのは無粋だろう」
『なるほど……。で、どう騒ぎの収集をつけるつもりさ……』
「エイブならすぐに爆弾なんて仕掛けられていない事に気付くだろう。クローズネットサーバーの中には環境保護を訴える声明を置いてきたし、あのテロプログラムは一度、貸しのある知り合いのスケープ用サーバー三つを経由させてある。そこらへんを漁られても出てくるのは適当に見繕ったテロ屋のホームグランドだ」
『……そ、それって、罪を他人になすりつけ……』
「今更一つ二つ傷の付いた所で何が変わる連中でも無し。それに、ここは数日中に踏み込まれる。その数日さえ稼げれば良いんだよ」
『爽やかに言うよね……。一階でゴネている筈の警察は?』
 チン、とエレベーターが一階に付く。
 暖色の明かりに照らされたロビーを受付の方へと近づきながら、そこに座っている彼女に手を振る。
「やぁ」
「ハァイ」
「さっき見た時より美人になった」
「変わらないわよ」
 心地良さそうに笑う彼女の耳元へと顔を寄せる。
「――俺がビルを出たら、”警察はクラッキング予告は誤情報だったと本部から通達があって帰った”とエイブに伝えてくれ――」
 受付嬢の焦点が一瞬うつろう。リョウは彼女の髪を一つ撫でて。
「映画の約束、忘れないでくれよ」
「ええ、貴方こそ。その後は食事だからね、他の女と済ませてお腹一杯だなんて事の無いよう気をつけて」
「君への誓いの証に、映画のクライマックスで腹の音を鳴らしてみせようか?」
「鳴る前に言ってくれればポップコーンを口に入れてあげる」
「優しいな。じゃあ後で」
 彼女の下唇を啄ばむようにキスをして、出口の方へと向かう。
『……なるほど』
「もうリストの確認は取れてるんだろ?」
『ああバッチリだ』
「なら、これから俺はプライベートに入るわけだが……このままピーピングを続けるか? チェリー」
『もう十分刺激的で……腹一杯だよ。残念だけど遠慮しておく』
 小さく笑って
「じゃあな」
 カチリとマーカーを切る。
 摩天楼の根元ではパトカーが走り、冷えたビル風が夜空に向けて吹き上がっていた。


 二日後。
 一斉捜査が行われた。
 MDC本社を始め、リストに記されていた各地の人身売買ルートや販売先。
 物々しい装備の警察官達に踏み込まれた各所の様子がテレビに映し出されていた。
 ベッドの端に腰掛けてテレビを見ていたリョウの首に、後ろから伸びた女の腕が絡まる。ブラインドの隙間を縫って部屋に落ちる明かりが、煙草の煙の揺らめきを照らしていた。
「……楽しい? ニュース」
 リョウの肩に顎先を乗せながら女が呟く。
 MDC本社前からの現場中継画面には、記者達のフラッシュの中を連行されていく本社トップ陣らに混じってエイブ=マーローの姿。
 煙草を灰皿に押し込んで、リョウは軽く笑んだ。
「それなりに」
「自称、正義の味方クンとしては気になるところなのかしら」
 悪戯げに耳元で囁く彼女の頭を片手で捕らえて、キスをする。
 現場の喧騒に紛れたレポーターがやや興奮気味に、この突然の逮捕劇の様子を語っている。
 リョウはベッドの上に投げられていたテレビのリモコンを手探りに拾い上げて。



 ◆Calm Diver◆



クリエイターコメントこの度はオファー有難う御座います。
男前潜入捜査官の仕事っぷりを、なんとなしクライムストーリーげなテイストで書かせて頂きました。
最初に詳細設定を組んだ段階では、登場人物がこの倍は居たり、受付嬢がリョウさんの知り合いだったり、テレパス君が居なかったりなどなど……妙に裏話の多い作品となりました。


心理描写、言動などなどイメージと異なる部分があればお気軽にご連絡ください。
出来得る限り早急に対応させて頂きます。
公開日時2009-03-19(木) 18:30
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