★ 続・狐狸を斬る ―魍魎城斬魔行― ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-4820 オファー日2008-10-01(水) 19:24
オファーPC 岡田 剣之進(cfec1229) ムービースター 男 31歳 浪人
ゲストPC1 清本 橋三(cspb8275) ムービースター 男 40歳 用心棒
<ノベル>

 1.暗夜

 禍々しい、おどろおどろしい空気が周囲には満ちていた。
「まったく……難儀なことでござるな」
 岡田剣之進(おかだ・けんのしん)は、溜め息とともに刀を振るい、刀身にまとわりついた赤黒い液体を払い落とした。
 分厚く空を覆う雲の間から、ほんの刹那顔を覗かせた満月は、その黄金の蜜光によって、周囲に横たわる累々たる屍を照らし出したが、まるでそのことに怖じたとでも言うように、すぐにまた雲の中へと隠れてしまった。
「『ふぃるむ』に戻らぬ、と、いうことは……」
 剣之進と同じく、刀から血を払った清本橋三(きよもと・はしぞう)が、鋭い眼光を足下に落とし、武骨な手を顎に当てる。
「こやつらは、『むぅびぃすたぁ』ではなく、『むぅびぃはざぁど』ということになる……か」
 分厚い雲間から漏れる、かすかな月明かりに浮かび上がるのは、どこからどう見ても人間とは思えない、おぞましい異形たちだ。
 角や尾のあるもの、牙や翼の生えたもの、目が五つも六つもあるもの、人間の何倍もの巨体を持つもの、全身を鱗や羽毛や苔や眼球で覆われたもの、目が眼窩から飛び出したもの、首が三つも四つもあるものなど、およそ『化け物』と称するしかないような、幼い子どもたちが見たら失禁のひとつでもして泣き喚きそうな、恐ろしい風貌の異形が、無数の骸となって転がっている。
 ふたりは、人気のない広場で向き合っていたところを、唐突にここへ飛ばされ――もしくは迷い込んだのか、それとも落ちたのか、感覚は曖昧だ――、同じく唐突に襲ってきた化け物たちと一戦交えることとなったのだが、化け物たちを一掃したあとも、事情はまったく判らない。
「しかし……ここは一体、なんでござろう? 見たところ、あれは、城のようだが……」
 周囲の気配を伺いつつ、剣之進は前方を見上げる。
 そこには、日本特有の形状をした城が、その威容を見せ付けるかのようにそびえ立っていた。輪郭式平城と呼ばれる、本丸もしくは天守閣と呼ばれる中心を、二の丸三の丸と呼ばれる曲輪(くるわ)が取り囲む、平地に多い造りの城だ。
「……異様だな」
 鋭い眼を眇め、橋三が言う。
 剣之進は頷いた。
「ああ……人間の所業とは、思えぬでござるな」
 ふたりの視線の先の、天守閣の屋根には、瓦の代わりに人間のしゃれこうべが使われているのだ。
 この屋根を作るために、一体どれだけの人間が命を落とし、己の頭蓋骨を奪われたのか、つやつやとした、白く輝くしゃれこうべの奇妙な美しさ、艶かしさと、落ち窪んだ眼窩から伝わってくる無念の思いに、肺腑が鈍い冷たさを訴える。
「襲ってきた、こやつらといい」
 橋三の視線が異形へと落とされる。
「ここの主は、ヒトならざるもののようだ」
「では……それを斃せば、ここから出られる……と、言うことでござるか」
「恐らくは。どちらにせよ、あの門から向こう側に行くほか、我々に道はないようだ」
 橋三が指し示す先には、地獄への入り口を髣髴とさせる、鬼が口を開けた形状の、悪趣味かつおどろおどろしいモティーフの門があって、ふたりを今か今かと待ち構えているのだ。
 その先に何があり、何がいるのか、判然とはしないが、踏み込んでゆくしかないこともまた事実だった。
「……ふむ」
 剣之進は息を吐くと同時に歩き出した。
 橋三がその隣に並ぶのへ、かすかな笑みを向ける。
「手合わせを再開するためにも、早くここを抜けねばならぬということでござるな」
「そのようだ。……それに、俺たちを見るや否や問答無用で襲いかかって来るような連中だ、彼奴らを捨て置いて、この『むぅびぃはざぁど』が銀幕市の皆に害をなしても困る」
「確かに、その通りでござるな。……なかなかに骨が折れそうではあるが、しかし」
「ああ、どうした、剣之進殿」
「清本殿とともに戦えるのであれば、それも悪くないと言うもの」
 剣之進は、にやりと笑って橋三を見た。
 橋三から、存外邪気のない、静かな笑みが返る。
「……それは、何とも、面映いことだ」
 剣之進にとって、橋三は目標、見本のような存在だ。
 よい時間の重ね方をして、いつかは、橋三のような、武士の中の武士になりたい。そう思っている。

 ヒイイィイィ――――――アアアァア――――――………………

 不意に、身の毛がよだつような絶叫が、どこかから聞こえてきた。
 声の主は、もう生きていないだろうと思わせる、断末魔の絶叫だった。
「……やはり、城の方から、か」
 橋三が歩みを速める。
「一体……何が起きているのでござろうか……?」
 答えなどあるはずもないと知りつつ、小さく呟いたのち、剣之進もまた、橋三に並ぶべく足取りを速めた。
 しかし、実を言うと、剣之進に不安はなかった。
 恐怖よりは、高揚感が彼を満たしていた。
 ――理由など、問うまでもなく、判っている。



 2.狐狸か、渇望か

 剣之進が橋三を呼び出したのは、あの、アイドルの手作りチョコレート争奪戦とやらで刀を交えた興奮、緊張、そして研ぎ澄まされてゆく自我の感覚を、忘れられずにいたからだった。
 それは、武士である剣之進にとって、生きていることと同義だった。
 不可解で、少々素っ頓狂ではあるが、平和で、日々を生きてゆくことが決して困難ではないこの銀幕市は、剣之進のようなムービースターにとって、第二の故郷とも呼べる、日常を体現した場所だ。
 剣之進は、武の腕前を買ってくれる雇い主を切望しつつも、ハンバーガーショップでのアルバイトにはすっかり馴染んでいるし、その他の内職に関しても特に疑問は抱いていない。故郷でもそうだったからだ。
 ハンバーガーショップの人々は、店員たちも客も、剣之進に対して好意的で、彼に、言葉でではなく、ここにいてもいいのだと、岡田剣之進という人間が生きる場所はここにもあるのだと、教えてくれる。
 しかし、彼の本質は侍で、武士だ。
 なにものにも代え難い主を得、武を持って、命をかけてその主に仕えたいという渇望、武士としての誇りを、捨てることは出来ない。
 その願いを抱いたまま、腕試しというよりは腕慣らしに挑んだあの戦いで、剣之進は、橋三から様々なことを学び、そしてたくさんのことに気づかされた。
 己の内側に潜む狐狸。
 それは何も、無害な動物たちを指すわけではない。
 己が心の目を塞ぎ、惑わす、惰弱で蒙昧な『己』を言うのだ。
 あの一件で、剣之進は、そのことを深く思わされた。
 武士とは何なのか。
 戦うとは、どういうことなのか。
 何のために戦い、何を持って充足とし、最期の日を迎えるのか。
 それを知りたいという思いは、渇望めいている。
 ――己が内に潜む狐狸を斬ることは、難しい。
 弱さは、畢竟、自分が伸びるためのよりしろでもあるからだ。
 弱さも、ずるさも、波立つ心も、言葉にならぬ焦燥も、それなくしては、剣之進は今の剣之進たり得ないのだ。
 己を未熟だと剣之進は思う。
 未熟であるからこそ、日々鍛錬に励み、行き着けるところまで行きたいとも思う。
 どこまで足掻き、もがけば、武士の中の武士という頂点へ辿り着けるのか、未だ答えは見えない。
 見えないが、飄々と、しかし確固たる足取りで我が道を歩む、清本橋三という男と、もう一度刀を交えれば、何かが判るのではないかと、そう思って、剣之進は彼に、真剣での手合わせを所望した。
 橋三の方でも、何か思うところがあったようで、剣之進の申し出を、快く受けてくれた。
 そして剣之進は、橋三を、人の来ない広場へと誘ったのだ。
 彼と無心に打ち合うことで、また、何か得られるのではないかと、何かを得たいと、そう思いながら。



 3.魍魎城

 城の中はまさに地獄のようだった。
 金切り声の悲鳴と絶叫、子どもの泣き叫ぶ声、男たちの怒号、いやらしい嗤い声、断末魔、歯軋りする音や無念を呟く声。
 白く灼けた砂利が敷き詰められた、天守閣が遠くに臨めるその場所で、女子どもや老人がもつれる足を引き摺って右往左往し、それを守ろうと刀を持った男たちが刃を閃かせ、襲い来る異形たちと戦っているという、そんな場面にふたりは行き逢っていた。
「これは……一体……!?」
 見れば、彼らの衣装は、剣之進や橋三のものとあまり変わりがない。
 彼らも――というよりは、このムービーハザードそのものが――、ふたりのような、江戸時代前後をモティーフとした映画から実体化したのだろう。
「む……危ない」
 橋三が刀を引き抜いた。
 よろよろとよろめく老人を背後に庇い、奇声をあげて斬りかかって来る牛頭鬼の斧をがしりと受け止めると、ほんのわずかに力を逸らして牛頭鬼をよろめかせ、刃の切っ先を咽喉に突き込む。
 ぐぶ、という音を牛頭鬼の咽喉が立て、憎悪に満ちた赤瞳で橋三を見据えたあと、異形はゆっくりと後ろに倒れ、そのままフィルムへと転じた。
「……大事ないか」
「は、はい……ありがとうございます……!」
 腰を抜かした老人を助け起こしながら橋三が言う頃には、剣之進もまた、襲われている人々を助けるべく、刀を引き抜き、走り出している。
「一体何ごとなのだ!」
 頼まれても男などは助けたくない派の剣之進だが、この非常事態、異常事態にあってはそうもいっていられず、手近な場所にいた毛むくじゃらの化け物を、腕力にものを言わせて一刀の元に斬り伏せ、危うく食い殺されそうになっていた若い侍に向かって怒鳴るように問う。
「わ、我々にも、よく判らぬ……!」
 あちこちに深い掻き傷を作った若い侍は、しかし戦意を萎えさせてはいないようで、刀を掴んで飛び起き、襲い掛かってきた三つ目の鬼と切り結びながらそう答えた。
「判らぬとは何なのだ、くそうこの役立たずめ!」
 八つ当たりを込めて、目の前の、全身が口という化け物を切り倒し、怒鳴る。
 怒鳴られた方は――と言っても、剣之進は彼に悪態をついたわけではないのだが――非常に不本意そうな顔をしたものの、それどころではないと判断したのか、何も言い返さず、黙って、近場にいた蜘蛛の化け物に刀の切っ先を突き入れる。
 地面に崩れ落ちたそれがフィルムに戻るのを見届けもせず、若い侍はその隣の、頭がふたつある巨大な猫の化け物へ斬りかかった。
「……事情はあと、か。剣之進殿、まずはこやつらの殲滅に力を尽くそうぞ」
「うむ、承知致した」
 冷静極まりない橋三の言葉に頷き、剣之進は意識を研ぎ澄ませる。
 一対一の戦いを身上とする剣之進は、乱戦は少し苦手だが、この際そんなことも言っていられない。
 幸い、銀幕市に住まって早二年、騒動や荒事には慣れている。
 こういう時は、自身が恐慌の波に飲まれさえしなければ、何とでもなるものだ。
「岡田剣之進、推して参る!」
 朗々と名乗りを上げ、八双に構えた日本刀を巧みに扱い、また化け物たちの繰り出してくる攻撃を冷静に見極めて避けながら、剣之進は地獄のごとき戦場を駆け回る。
 橋三は、常に剣之進の背後にいて、ところどころで、絶妙のタイミングで彼を補助してくれたし、剣之進もまた橋三の背中を守り、時にはふたり同時に攻撃することで相手を撹乱し、ともに目の前の敵を倒すことに没頭した。
 守り守られることへの喜び、戦場に生きるもののみが見出すことの出来るこの胸の高鳴りを、何と説明すればいいのか、剣之進には判らない。
 判らないが、ふと背後を見遣れば橋三がいる、背中を気にする必要のない自分を、幸せだとも思うのだ。
 助っ人と言っていいのか判らない、たかだかふたりの闖入者だったが、化け物を恐れるでもない戦いぶりに勇気付けられたらしく、侍たちの動きは目に見えて力強いものとなった。
 無論、まったく犠牲者が出ていないわけではないが、それを悼む暇もなく、守るべきものを、手の届く誰かを守るのだという強い意志の元、彼らは一丸となって戦った。
 ――結果。
「ふう、やれやれ……」
 恐らく、一時間半ばかり、夢中で刀を振るったと思う。
 化け物の、最後の一体を斬り倒したのは剣之進だった。
 ようやく一息つくことが出来た剣之進は、橋三が額の汗を拭いながら刀を腰に戻すのを見遣ったあと、周囲を見渡す。
 足下には、プレミアフィルムがごろごろと転がっていた。
 当然、化け物たちのものばかりではない。
 追い詰められて右往左往していた非戦闘員たちのものも、彼らを守るべく奮闘していた侍たちのものも、勿論、ある。
 激流の中、掬い上げられなかった命を無念には思うが、彼らにはまだやるべきことがあるのだ。悲嘆に暮れてもいられない。
「それで、この騒ぎは一体なんなのだ。多少は知っているのだろう」
 剣之進が、先ほど助けた若い侍に声をかけると、彼は頬についた血を拭い、頷いた。
「おぬしらは、旅のものか」
「ふむ……まぁ、そのようなものだ。お陰で、この辺りのことには詳しくない」
「そうか……ここは、妙朗城(みょうろうじょう)と言ってな、代々、佐々木一族が統治する、春我(かすが)と呼ばれる地だ」
「妙朗城……城の形状からは想像もつかぬ名前だな」
 剣之進が言うと、坂下一真と名乗った侍は、表情を曇らせて視線を俯けた。
「殿は、三ヶ月前までは民思いの善君であらせられた。だが、三ヶ月前、天守閣に黒い星が堕ちて以降、人が変わってしまわれたのだ」
「ほう」
 そこからの話は、銀幕市という場所に馴染んだ剣之進には、決して荒唐無稽な、ありえない出来事ではなかった。
 曰く、佐々木某の背後に巨大な獣のような影が見えるようになったとか、最愛の奥方を亡くして以降、側妻も持たずに独り身を通していた彼の隣に、いつの間にか妖艶な美女が侍るようになったとか、側仕えのものが、赤子を貪り食う佐々木某の姿を見てしまっただとか、その側仕えは身内にその話を漏らした次の日に惨殺死体となって発見されただとか、城内を夜毎化け物が闊歩しているだとか、佐々木某に召されて城に上がった若い娘や青年が、誰ひとりとして戻って来ないだとか、夜な夜な、妙朗城の方から断末魔の絶叫が聞こえて来るだとか。
「城下の者は、初め、それらは殿の敵対者が流した根も葉もない噂だろうと思っていたのだ。何者かが、我々を疑心暗鬼にして、この地を混乱させようと思っているのだと。――だが」
 そこまでいって、坂下は、ぞっとした眼差しを天守閣へと向けた。
 生き残った人々と、彼らを守る侍たちも、同じような表情で、同じ場所を見ている。
「だが、なんなんだ?」
「……城下のもののみならず、近隣の村々からまで、人が召されるようになったのだ」
「ふむ。しかし、何故だ」
「それが……あれだ」
 坂下の視線の先には、頭蓋骨で覆われた天守閣の屋根がある。
「召されたものは皆、首を刎ねられて、あそこにしゃれこうべを連ねている」
「……なるほど」
 剣之進が頷くと、坂下は何ともいえない笑みを浮かべ、
「ここは、本当に美しいところだった。妙なる、と称するに相応しい、住みよい地だった。それが、今では、」
 そこで少し言葉を切った。
「……今では、人々はここを、恐怖を持って、魍魎城と呼んでいる」
 剣之進は、何と相応しく皮肉な名前だと思ったが、坂下の表情がとても辛そうだったので、口にはしなかった。
 善君が突如として暴君に変わり、悪鬼のごとき所業で領内の人々を惨殺していくのだ、その衝撃は、恐らく今の剣之進では理解出来まい。
「殿が何を思ってあれをされたのかは我々には判らぬ。判らぬが、彼は、未だに領内の人々を、この城へと集めている。従わぬものは、力尽くでだ。――あの、化け物たちを使って」
 そこでまた言葉を切り、坂下は、ここにいる人々は、今回城へと召された地方の農民たちであり、彼を含む侍の一団は、農民たちに混じって城へと上がり、ことの真相を探ろうとしたのだということを教えてくれた。
「だが、中へ入った途端、これだ。生きている必要はないということなのか、我々が同行していたことが原因なのかは判らないが」
 銀幕市に実体化した今や、彼らは死ねばフィルムに転じ、しゃれこうべを取るも取らないも関係なくなってしまうのだが、それは恐らく、『実体化』云々を知らぬ彼らにも、その殿とやらにも、判るまい。
「ならば、やはり」
 うっそりと声を上げたのは、橋三だ。
 どこからどう見ても悪役の彼だが、先ほどの乱戦において、子どもや年寄りを誰よりもよく守っていた姿から、今の橋三には、彼を唯一の拠りどころと頼るかのように、小さな子どもたちが何人も、ぎゅう、とくっついている。
「……あそこまで行くしか、あるまいな」
 剣之進は頷いた。
「そのようでござるな。すべての元凶が黒い星だとして、それに操られているにせよ、乗っ取られたにせよ、その佐々木某に会わねば話は始まるまい」
 それから、橋三とほぼ同時に歩き出す。
「岡田殿、清本殿、我々も……」
 坂下がそう言いかけたが、剣之進はそれを目線だけで制した。
 当然、生き残った、五十人近い非戦闘員を守るものが要るからだ。
 生き残った侍たちは全部で二十二人、また先ほどのような化け物が襲ってきたとして、戦うことの出来ない人々を守ろうと思ったら、これ以上誰が欠けても苦戦を強いられることとなるだろう。
「弱きもの、民を守ることこそ武士の本分。お前たちはそれを果たせ」
 どちらが危険かなど、今の段階では判りはしない。
 坂下が唇を引き結ぶのを見遣ったあと、剣之進は橋三と目配せを交し合い、歩みを速めた。
 ――また、どこかから、悲鳴が聞こえたような気がして、自然と表情が引き締まる。



 4.誘(いざな)う闇

 仁王像を飛び切り邪悪にして、生命すべてへの嘲笑を貼り付けたらこうなるんじゃないか、という印象の、『魔王様をお守りする三将軍のひとり』という連中の、最後の一体を斃したら、その向こう側が城主の座す大広間だった。
「何でござろうか、この威圧感は……」
 たとえ、悪鬼が人間を頭から貪り食う悪趣味な絵柄で、普通の二倍以上のサイズとは言え、たかだか襖一枚で隔てられているだけなのに、何故か、もうこれ以上前には進めない、今すぐここから逃げなくては、という錯覚に捕らわれる。
 足が竦む、などという感覚は、剣之進にとっても珍しく、また常に武士たらんとする彼には、不名誉で情けないものでもあった。
 無論、ファンタジー要素を含まない、普通の時代劇から実体化した剣之進に、すべてを受け入れて悟れ、というのもまた、酷な話ではあるのだが。
「ふむ、では……この向こう側にいる何者かが、もともとはこの城の主であった佐々木某ということになる、か」
 しかし、橋三はどこまでも冷静で、静謐だった。
 彼が取り乱すことなどあるのだろうか、と、それどころではないのに剣之進は思った。
「……清本殿は」
「ああ、どうした、剣之進殿」
「恐ろしいとは、思われぬのでござるか」
 剣之進が問うと、橋三は武骨な手で顎を撫で、かすかに笑みを見せた。
「無論、恐ろしいとも」
「しかし、」
「だが……まァ」
「うむ?」
「やらねばならぬことを天辺に挙げれば、恐ろしさなどは二の次、三の次だろうよ」
「……なるほど」
 単純に年の差のゆえなのか、それとも潜ってきたものの違いなのか。
 橋三の言葉には重みと真実がある。
 自分も、彼と同じだけ時間を重ねれば、彼のように……否、彼を超えることが出来るのだろうか、などと考え、剣之進は苦笑した。
「いかにも、その通りでござるな」
 ここで逃げ帰ったところで、事態が好転するわけではないのだ。
「では……参る」
 どろどろとした陰気、瘴気を溢れさせる障子に手をかけ、開け放つ。
 ――その、途端。

 どろり。

 大広間から、物理的な粘度すら伴った暗闇が溢れ出し、ふたりを包み込んだ。
「な……!」
 刀を振るうもくそもない。
 濃厚な闇に捕らわれて、下手に身動きをしたら転倒しそうだ。
 そうでなくとも、ずるずると蠢くそれらに絡め取られ、橋三と距離を隔てられてしまっているのに、不利としか言いようのない情況だった。

『よく来たな』

 そこへかかる、ねっとりと妖艶な女の声。
「何奴……!?」
 声の方向を見遣れば、そこには、真紅の内掛をまとった妖しい美貌の女がいた。
 彼女は、虚ろな目をして脇息に身を預ける、青白い顔色の男に寄り添っていて、彼が恐らくこの城の主、佐々木某であろうと思われた。
 ――生気のない彼の表情からは、彼が『生きて』いるとは到底思えなかった。
「何者だ……?」
 橋三が、焦りの欠片も感じさせない声で問うと、女はその美貌を残酷な喜悦のかたちに歪めてみせた。それは、弱いもの、抵抗するすべを持たない獲物をいたぶる、獰猛なケダモノのする表情だった。
『わらわが何者であるかなど、そなたらに知る必要はなかろう』
 女は傲然とそう言った後、ふたりを値踏みでもするように睨めまわした。
『ふむ……どちらも、少々薹(とう)が立っておるが、活きはよさそうだ。これは……使えそうだな』
 薹が立つとは失礼な、とは思ったが、それどころではないので黙っておく。
 女はそれに気づいているのかいないのか、ぬめぬめと光る真っ赤な唇を凄艶な笑みのかたちにして、言った。
『ここへ踏み込んだからには、そなたらに選べる道はふたつにひとつだ』
 女の黒瞳が、ぬるりとした光をはらんで細められる。
 彼女の、豊満な、男を虜にしそうな身体のすみずみから、邪悪で不吉な、黒々とした気が溢れ出し、周囲をどろどろと覆っている。
 しかし城主は微動だにせず、まるで人形のようにそこにあるのみだ。
 もう、正気など、とうの昔にないのかもしれない。
 剣之進も、城主の気持ちが判る気がした。
 この邪気、瘴気の強さは異常だ。
 ここにいるだけで、思考が、意識があらぬ方向へ向かいそうになる。
 視界が狭まり、頭の芯に重苦しい何かを詰め込まれたかのように、意識がぼうっとしてくる。
「選択肢とは、何だ」
 常日頃と何ら変わりのない、橋三の声が聞こえる。
 何と揺るぎない男だろうか、と思ったら、嫉妬すら感じた。
 彼は一体、どうやって己を、ああも強く作り上げたのだろうか。
 それが知りたい、と、剣之進は思った。
『ほう……これは、稀に見る強き精神の持ち主よな。おぬしのような男には、久々にお目にかかるわ』
 女が嬉しげに言う。
 声に滲むそれが食欲だと知って、剣之進はゾッとした。
『そなたらに選べるのは、わらわに服従し生き永らえるか、あくまでも隷属を拒んで食われるか、そのどちらかだ』
 半ば想像はついていたことだったが、それが当たったとしてもあまり嬉しくはない。
 化け物に従うのも化け物に食われるのもごめんだ、とすれば、あとはもう戦うしかないだろう。と、剣之進が腰の刀に手をやろうとするより早く、
『わらわに従うのならば、未だ人間の誰ひとりとして得たことのない誉れと、歓びとをくれてやろう』
 女の、妖しく光る目が剣之進を見据え、彼を金縛りにする。
 ――女は、いつの間にか、手に妖美な日本刀を持っていた。
『そなたの望み……見えるぞ』
「なん、だと……」
『武の腕前を認め、己を取り立ててくれる主が欲しいのであろう』
 女の目が赤く明滅する。
 それを見ていると、意識がそこに吸い込まれそうになる。
『わらわならば、そなたにそれを与えてやれる』
 蜜のような微笑。
 すべての小さな虫が蕩かされるような。
『そなたに、もののふとして、絶対の主人に仕える歓びをくれてやろう。そなたが、わらわにすべてを捧げると誓うのならば』
 ――いつの間にか、剣之進の手は、女が先ほど手にしていた刀を握り締めていた。
 同じくいつの間にか剣之進の隣に佇んでいた女が、微動だにせずこちらを見ている橋三を、毒蝶のような眼差しで見詰め、剣之進に囁く。
『あれを斃してみせよ。そして、わらわに、そなたの勇猛を教えておくれ』
 女の指先が、剣之進の頬を撫でた。
『さすればわらわは、そなたに、なにものにも変え難い力と、栄誉と、歓びを与えてやれる』
 耳朶から思考へと浸透していく、毒蝶の言葉。
 剣之進は刀を握り締め、一歩踏み出した。
 ――橋三は、何ら変わりのない眼差しで、彼を見ている。



 5.闇夜に、星ひとつ

 絶対の栄誉。
 己を信じ、己に命を預けてもくれる絶対の主と、彼とともに歩む道。
 もののふとしての、辿り着くべき高み。
 矜持、歓び、自負。
 手に入れたい、そう思う。
 そのいただきへ辿り着きたいと。
 ――そして、女は、それを与えてくれるという。
 彼に、誰も今まで手に入れたことのない、素晴らしい未来を与えてくれるという。
 欠片も心が揺れることはないと、聖人面をするつもりはない。
 富や名声や強い力を、そんなものは要らないと潔癖な顔をすることは出来ない。
 彼は普通の、どこにでもいる人間だからだ。
 それらを欲してもがきのたうちまわる、弱くて滑稽な人間の一員だからだ。
 しかし。
『どうした。――栄誉が欲しくはないのか。力が欲しくはないのか』
 剣之進に寄り添った女が、耳元に囁く。
 囁いて、橋三を殺せと唆(そそのか)す。
 剣之進はゆっくりと刀を持ち上げた。
 ちらと見遣った先の橋三は、鋭い、揺らぎひとつ感じられない眼光の中に、確かな剣之進への信頼を滲ませて、こちらを見ている。
「まったく……人の好い御仁でござるな」
 苦笑とともに、刀を八双に構える。
 女が楽しげに、邪悪に笑った。
『そうだ、それでよい。さあ、わらわに見せておくれ、そなたが同胞への愛を断ち切る様を』
 剣之進は小さく頷き、一歩踏み出し――……
「しかし、生憎と」
 瞬時に前へ出た右足を軸にくるりと回転するや、
「そのような、血塗れの栄誉など、要らぬ」
 一気に踏み込んで、
『何、』
 女の身体を、一息に、左首筋から右脇腹まで、袈裟懸けに斬りおろした。
 がつりという硬い手応えに怯まず、返した刃で胴を薙ぐ。
 血は出なかったが、確かに斬れた。
『ぐ、がッ!?』
 苦悶の表情を浮かべた女がよろめくと同時に、気味の悪い空気がほんのわずかに揺らぎ、剣之進は刀を放り捨てるや否や、その場から跳んで女の追撃を避けた。
『ぐぐぐ、ぐぐ、貴様あああぁ……』
 その場に蹲った女の身体が、怨嗟に満ちた声とともに、ぶよぶよとふくらみ始めた。
「確かに欲しいものならばたくさんある。だが、そのために信念を曲げるようなことは、俺には出来ん」
 己の内の狐狸を斬る。
 それは、己の持つ弱さやずるさから目を逸らさず、それすら足がかりにすることなのではないかと、思った。
 少なくとも、今この時、剣之進の真実は、それだった。
 く、とかすかに笑った橋三が刀を抜く。
「やはり……剣之進殿は、強いお人だ。俺の目に間違いはなかったようだな」
「世辞はやめてくれ、清本殿。拙者、たった今、己の至らなさを実感したばかりでござるよ」
「おや、世辞など俺が口にすると思うのかい」
「……むう」
 橋三の隣に並んで刀を構えながら、剣之進は思わず照れる。
 この男は、自分を認めてくれているのだと、そう思ったら、誇らしい気持ちで胸が熱くなり、身体が軽くなったような気がした。

『そんなに、死にたい、のなら……』

 どろどろどろどろ。
 女は、いつの間にか、巨大な化け物に変わっていた。
 銀幕市の単位で言えば、十メートルほどだろうか。
 蛇と蛞蝓と竜を混ぜ合わせたかのような、おどろおどろしくおぞましい姿のそれに、しかし、不思議と恐怖は感じなかった。
 戦意に、意識が高揚しているからだろう。

『貴様らふたりとも、頭から噛み砕いてくれる……!』

 牛でも一飲みにしそうな口、牙だらけの、いやらしい粘液でぬらぬらと光るそれを開いて、女が――否、女だったもの、化け物が――襲いかかって来る。
 化け物の怒気で、しゅういがびりびりと震えた。
「……出来るのならば、な」
 にやと笑った橋三が、ロケーションエリアを展開する。
 彼のロケーションエリアでは、展開されると、エリア内にいる敵は皆、率先して橋三を斬りたくなる。
 化け物もまた同じだったようで、

『まずは、貴様からだ!』

 大口を開けたそいつが、轟々と空気を揺らがせながら迫る。
「やられ役としちゃァ、ここでぱっくりやられてやるのが筋なんだろうが、な」
 橋三はそう言って、ちらと剣之進を見た。
「生憎と、今宵は主役を待たせているのでな」
 そして、軽やかな踏み込みで化け物のあぎとを回避し、同時に、切っ先を化け物の目玉へと突き入れた。
 ぶちゅり、という、生々しくいやらしい音がして、

『ギィ、が、あああああああっ!』

 大きく仰け反った化け物が、鼓膜が破れそうな大音響で絶叫するのを、その隙を――橋三のロケーションエリアの高価なのかどうかは、定かではないが――、顔をしかめつつも剣之進は見逃さなかった。
 女から手渡された刀を拾い上げ、その刃を尻尾の先端に突き刺して化け物の動きを封じるや否や、素早く化け物の側面に回り込み、
「これで、終わりにするぞ!」
 裂帛の気合とともに刀を振り下ろす。
 振り下ろした先は、化け物の、首。
 ごつ、ぶつん。
 剣之進自身の気分の高揚の所為なのか、それともこのムービーハザードの中でそういう約束になっていたのか、刃は小気味よいほど深々と潜り込み、硬い手応えとともに、化け物の首を断ち切った。

『ぐぎっ』

 奇妙な声を上げてびくりと痙攣し、それきり化け物は動かなくなった。
 その巨体が、フィルムへと変わる。
 それと同時に、周囲を覆っていた粘液のような闇がどろどろと『外』へあふれ出して行き、唐突に白い光が辺り一帯を覆い尽して、
「……な、なんなのでござるか、今度は!?」
「む……?」
 剣之進が眩しさのあまり目を瞑った、次の瞬間には。



 6.そして、剣戟は続く

「……ここは」
 目を開けると、そこは、ふたりが手合わせのために選んだ、人気のない広場だった。
「夢……だった、のか……?」
 まさかあんなグロテスクでリアルな夢はあるまいが、あまりにも何ひとつとして変化がなく、不安になって、剣之進は周囲をきょろきょろと見渡す。
「夢だったとすれば」
 目の前にいる橋三にも、なんの違いも見受けられない。
 しかし橋三は、妙に楽しげに口元を緩ませていた。
「俺たちは、ふたりで、何時間もの間、同じ夢を見ていたことになるな」
 言われて見渡せば、空は赤く、手合わせを始めたのは正午を過ぎた辺りだったはずなのに、もう、太陽は西へと沈もうとしている。
「……あれは、何だったのでござろうな」
「さて、俺には何とも」
 狐狸に化かされでもしたかのような気がして、剣之進が呟くと、橋三は静かに首を振った。
「だが……」
「うむ、なんでござるか、清本殿」
「夢だったにせよ、悪くはなかったと思う」
「……そうでござるか」
「剣之進殿と、背中を合わせて戦った、あの昂揚……病み付きになりそうだ」
 言って、にやりと笑う。
 剣之進は苦笑して、頷いた。
「うむ……確かに。悪くはない一時であった」
 あのムービーハザードがどうなったのか、残された人々がどうなったのか、気にはなるが、生きている人々が何とでもするだろうという確信もあった。
 ただ、あの中で得た、いくつかの真実に教わったこと、まだまだ自分はこれからで、たくさんの修行と鍛錬が必要なのだと、しかしいつかは必ず目指す高みに辿り着くのだと、強く思わされる。
 足掻き続けることが、剣之進に、力を与えてくれる。
 それも悪くないと思う。
「さて、剣之進殿、これからどうしようか」
「うむ、少々疲れたでござるな……日もじきに暮れようし、手合わせはまた、日時を改めるとするか」
「ああ、そうだな。では……飯でも、食いに行くか」
「否やはござらぬ」
 互いに顔を見合わせ、かすかに笑みを交わした後、どちらからともなく歩き出す。
 空気は徐々に冷たくなり、深まってゆく秋を感じさせたが、不思議と、寒さは感じなかった。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました!
時間をいただいておりましたのに、お届けが遅れまして申し訳ありません。

オファー文から比べると、少々ファンタジー風味に捏造してしまったのですが、困難を伴う戦いの中で、おふたりが真実を確かめられ、何かを新しく見出すことが出来たのなら、幸いです。

強さとはどこから湧きいずるものなのか、何を持って強さというのか、そういう問いに、少しでも答えられていればよいのですが……。


ともあれ、素敵なノベルを書かせていただいて、どうもありがとうございました。大変楽しく書かせていただきました。

また、ご縁がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
公開日時2008-11-03(月) 19:00
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