★ Malice to hide behind in daily life ★
<オープニング>

「ふー。まったく、今の世の中おかしいとは思いませんか? おや、この銀幕市でそんな事を言う方がおかしいとおっしゃいますか?」
 男は指の腹で眼鏡をくいっと押し上げる。
「これでも……?」



 キーンコーンカーンコーン……

「下校時刻になりました。教室に残っている生徒は、直ちに下校して下さい。繰り返します……」
 間延びしたチャイムに続いて、放送係の女子生徒のアナウンスが下校を促す。
 まるでそれが合図だったかのように、教室に残っていた生徒達は、ガタガタと音を立てながら椅子から立ち上がった。
「なーなー、今日はどうする?」
「あー、俺、今日塾なんだ」
「かったりーよなー」
「ほんと、ほんと」
「勉強なんて、学校だけで充分だっつーの」
 最近では口をついて出てくるのは愚痴ばかり。下駄箱を目指しながら、お喋りは続く。
「ムービースターってさ、死んだらフィルムになるんだってさ」
 靴を履きながら、一人がそんな事を言い出した。
「知ってるよー、そんな事」
「でもさ、フィルムになるとこ見た事あるのか?」
「え……?!」
 いつものお喋り、いつものメンバー、だけど今日は何か変だった。
「おいおい、待てよ、何の話してんだぁ?」
「見たくない? スターがフィルムになるところ」
「マジかよ? 俺、スプラッタはごめんだぜ」
「それならファンシー系っていうの? そういうヤツ狙えばいいんじゃねえ?」
「ちょっと、冗談だよね?」
 さすがに変な方向へと話が向かっているのを見かねて一人が口を挟む。
 話を持ちかけた男子生徒がニヤっと嗤う。
「冗談? いいや、本気さ」
 悪意に満ちたその笑顔に背筋が凍る。
 何が彼を変えたのだろう? いいや、理由は分かっている。全ては大人が悪いのだ。そう、全て……



「いや、まったく。おかしな世の中になったもんです。ま、私には関係ありませんけどね。ええ、関係ありませんよ。私は何も聞いていない、ただ、ここを通りがかっただけですから」
 そう言って学校から男は遠ざかって行く。
 しかし、数歩進んでから足を止め、振り返る。
「でも……このままにしておいたら、まずいかもしれませんね。あなた方はどうしますか?」
 問いかけに似た呟きを残し、男は姿を消した。

種別名シナリオ 管理番号236
クリエイター摘木 遠音夜(wcbf9173)
クリエイターコメント暗いシナリオのお誘いです。
OPに出ている男性は直接この事件に関わりません。
子供達が取ろうとしている行動を、あなたは見逃しますか? それとも止めますか?
あなたが取りたい行動、子供達に言いたい事、何故、こんな事を考えたのか等プレイングに書いて頂ければ、と思っています。
もしかしたら、嫌な気分を味わうかもしれない……。そんなシナリオですが、ご参加頂けると幸いです。

参加者
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
ルースフィアン・スノウィス(cufw8068) ムービースター 男 14歳 若き革命家
羊(ctrs3874) ムービースター その他 15歳 羊
<ノベル>

 大人は勝手だ。
 大人はずるい。
 お父さんもお母さんも大っ嫌い。
 あいつ等なんて、いなくなっちゃえばいいのに。
 ――じゃあ、殺す?
 ダメだよ、そんな事したら俺達が犯罪者になっちゃうだろう?
 ストレス溜まるよな。
 人間を殺したら犯罪者になるんだよな? なら、人間じゃなければいいんじゃない?
 どういうこと?
 ――スターを殺すのさ。





「けどさぁ、どうやって探んだ? スターなんて」
 杵間山山中をウロウロしながら武志(タケシ)がそんな事を言った。武志はやんちゃ坊主、ガキ大将タイプの少年だ。
「町にいる奴等は知り合いとかいそうだから、すぐばれちゃうだろうし」
 同意するように衛(マモル)が答える。衛はムードメーカー。
「だからここに来てんだろうが!」
 苛立たしげにリーダーとおぼしき少年――亨(トオル)が言う。ムービースター狩りを言い出したのは彼。
「どういうこと?」
 キョトンとした顔で聞き返した聡史(サトシ)に、利発そうな顔をした昭晃(アキラ)が答える。聡史は天然でみそっかすとグループ以外の人間に思われている。天然……はグループ内の皆も思っている事だったが。昭晃は秀才・ガリ勉タイプだが、整った顔立ちをしているので、密かに女生徒に人気があったりする。
「何もここ、――銀幕市に実体化したスターが、全員市役所に住民登録してるとは限らないだろ。それに、そういう奴等は町中よりもこういう山の中に潜んでる事が多いのさ」
「へぇー、なるほどねー」
 感心したように武志が言う。
 彼等は市内の小学校へ通う、いわゆる仲良し五人組だ。性格も家庭環境も全く違う彼等が上手くやっていけているのは、それぞれが心に仄暗いものを抱えているから、なのかもしれない。
 しばらく歩いていると、小さな庵が見えてきた。
「なぁ、ちょっと休憩しねぇ?」
「さんせーい」
「あー、俺もちょっと疲れたー」
 三々五々と呟きながら庵へと足を向けた。

「こんにちはー」
 カラカラと戸をスライドさせながら声をかける。
「いらっしゃい、休憩かの? 好きなところに座るがよい」
 中から帰ってきた声――自分たちより小さいが、大人びた雰囲気を持つ少女に一瞬驚いたが、それぞれは思い思いの場所に腰を下ろした。
 庵の中は、土間にテーブルと椅子が置いてあり、その奥に座敷があった。子供達は自分達しかいないこともあって、好きなように陣取っている。座敷にゴロンと寝そべっているのは武志と衛。
「あー、結構疲れるよなー」
 ぼやいたのは武志。
「ふふ。山には昆虫採集にでも来たのかの? まだまだ昼間は気温が高いから、いっぱいおるじゃろうの」
 少女――鈴(スズ)がふわりと笑いながら、何の気なしに問いかける。
「んー、そんなとこ」
「なぁ、あんた、結構最近実体化したムービースターじゃなかったっけ?」
 亨が鈴に問いかけた。
「なんじゃ、よく知っておるの。わしは八月にここに来たから、まだ二ヶ月しか経っておらんな」
 感心したように答える鈴を見て、聡史が不安そうに亨の服を引っ張った。
「ねぇ……」
「んぁ? ああ、やんねーから安心しな」
 聡史の不安を察した亨が、聡史の頭を撫でながら答える。
「ん? なんじゃ?」
 二人のやり取りを不思議そうに鈴が見詰めている。
 なんでもない、と亨が告げると、鈴はちょっと待っておれ、と奥へと姿を消した。彼女の姿が完全に見えなくなってから昭晃が口を開く。
「彼女はジャーナルにも載っているし、市役所にも登録してあるから、いなくなると騒ぎになるだろうし、な」
「そういう事」
 昭晃の言葉と亨の相槌を聞いて、聡史は安堵した。
 鈴が人数分の湯のみを持って、奥から出て来て、各人へと配って回る。
「飴湯じゃ。疲れておるのなら、甘いものが良かろうと思ってな。口に合うと良いんじゃが」
「ありがとう」
「サンキュー」
「どうも」
「悪いな」
「ありがとうございます」
 それぞれがお礼の言葉を言うと、鈴はにこりと笑う。――だが、その顔が少しだけ寂しげに見えた。
「あの、君はまだ、ユウタって子に会えてないの?」
 おずおずと聡史が口を開く。
「うぬ、まだじゃ。……必ず逢えるとも限らんしの。ゆっくりその日が来る事を持っておるところじゃ」
「そう……。いつか会えるといいね」
 優しい子じゃ。鈴はそう思う。
「ごちそうさま。お金は?」
 飴湯を飲み終わった亨が聞く。
「要らんよ。童(わらし)からとったりはせん」
「それじゃあ……」
 心配気に言葉を漏らす聡史に微笑みかけ、続ける。
「ここを利用する大人達が時折置いていってくれるからの、心配は無用じゃて。それに、わし自身は食事をとらんでも大丈夫じゃから、あまり必要ないんじゃ」
「そう……」
 ホッとした聡史から思わず笑みがこぼれる。
「じゃあ、行こうぜ」
「うん」
「お邪魔しました」
「じゃ……」
「またねン、可愛い子ちゃん」
 衛がふざけて投げキッスをする。
「ふふ、また疲れたら寄ってくれ。歓迎するぞ」
 鈴は彼等の姿が見えなくなるまで見送った。更に山奥へと進む彼等の目的など知らずに……。





「う〜ん、いないなぁ。はぐれスター」
「あ、そういえばさぁ、キャンプ場に殺人鬼が出るって噂、知ってる?」
「怖えー。本当だったらやばいんじゃねえ?」
「あ、でもそういう奴だったら殺しても文句は言われないよな?」
「バッカ! 返り討ちにあっちまうって!」

 ガサ、ガササ、ゴソ……

 そんな事を言っていたら、茂みが蠢き、子供達の間に緊張が走る。

 バキバキバキ!

 数本、小枝が折れる音が響き、勢いよく何かが茂みから飛び出てきた。
「わあ!」
 子供達は驚き、尻餅をついたり、飛び退いたりした。心臓がバクバクと喧しい音を立てているが、出てきたそれは
「めぇ」
 と、間の抜けた声を発した。
「ひ、羊?!」
「羊……だよな?」
 疑問系なのは無理もない。人目でそれは羊と分かるものの、丸っこくデフォルメされていたうえに、羊毛が薄桃色をしていたのだ。
「おい、スターだよな? これ」
「ああ、しかもファンシー系だぜ」
「やる?」
 ヒソヒソと会話を続ける子供達に羊は首を傾げる。
「何をやるんですか?」
「喋った!」
「凄えな……」
 感嘆の声を上げる衛と武志だが、
「殺しちゃうの?」
 聡史がポロリともらす。
「あっ、馬鹿!」
「殺……す?」
 羊が聡史の台詞を反芻する。羊からは、先程まであったのほほんとした雰囲気は消え失せ、ジリジリと後退りを始めていた。
「今のはわたしの聞き間違えでしょうか?」
 少しずつ後退しながら羊は問う。
「そうそう、聞き間違いさ」
 子供達は目配せをし、羊を捕獲しようと距離を詰める。
「ちょっとその毛を刈らせて欲しいなって思っただけさ。刈ってみてもいいかな? 羊毛刈りってやった事ないからさ、してみたいんだけど……」
 目が笑っていない。あれは嘘をつく時の目だ、と羊は思った。
「毛を? 本当に毛を刈るだけですか?」
 会話を交わしながら、子供達が一歩踏み出すごとに羊は一歩……いや、二歩後退する。
「やだなぁ、疑っているの? こんないたいけな子供を?」
 まるで舞台俳優のように、大仰におどけた振りをして衛が近付く。気が付けば、衛は羊の眼前にまで迫っていた。
「ほらほらこの眼を見てちょーだいよ。嘘を言っているように見えるかな?」
 衛は羊の顔に自分の顔を近付け、チッチッチ、と指を振ってみせる。羊は首を竦ませ、足を突っ張らせる。
 衛がニィ、と笑ったその瞬間、子供達が一斉に飛びかかって来た。
「は、放して下さい!」
 驚いた羊が逃げようとするが、時既に遅し。子供達に取り抑えられてしまった。ピョンピョン跳ねたり、首を振り、ジタバタもがいても手を放さない。
羊は軽くパニックに陥り、能力を開放してしまった。

 ン・メエェェェェェェェエエ……

『くそ! 大人しくならねーな』
『わわ、あぶねー!』
『もっとしっかり押さえろよなー』
『もっと大人しい獲物の方が……』
『本当に、殺しちゃうの?』
 不意に自分ではない誰かの思考が頭の中に流れてくる。
「!!」
 驚いた子供達は羊から手を離してしまう。その隙に、羊は前面にいた子供を頭で突き飛ばし、藪の中へ逃げ込んでしまった。
「痛ってー」
「大丈夫?」
「なんとかなー」
 飛ばされたのは衛だった。衛は差し出された聡史の手を借りて立ち上がる。
「だけど……」
「ああ、何だったんだろうな、今の」
「あれ? 気のせいじゃなかったんだ」
「あれってテレパシーてヤツ?」
「さあ? ちょっと違うような気がするけど……」
 溜息をついて昭晃が言う。
「どうする? もう少し他のヤツ探してみる?」
「んー、何か気が削がれたなぁ」
「じゃあ、帰る?」
 皆が帰る気になっていたが、亨だけは違った。
「あ、俺、もうちょい探してみるわ。皆は先に帰っていいぜ」
 とりあえず、明日また探す約束をして別れる事になった。
「わかった。じゃあな」
 武志が言い、皆もそれに倣って踵を返す。少し歩いたところで聡史が立ち止まった。
「どうした、聡史」
 訝しんだ衛が声をかける。
「僕、ちょっと……。皆、先帰って」
「おう。じゃあ、明日」
「うん、明日ね」
 聡史は手を振って仲間に別れを告げ、亨が向かった先へと引き返す。





 大変、大変、止めなくちゃ!
 羊は山を下り、町中向けて懸命に走っていた。どこに行けばいいのか分からないまま、あまりに一生懸命走ってたもんだから、前方の障害物に気が付かなかった。
 
 ドッシーン!

「あたたたたた」
 思いっきりぶつかった羊は目を回し、よろよろとその場で足踏みをしている。
「痛いのはこっちだよ! 前見て歩けよ。ん? 走れ?」
 羊に体当たりされ、一人ボケツッコミをしているのは李白月(リ・ハクヅキ)。長い白髪を包帯で一本にくくり、カンフースーツを着た青年だ。
「あああ、大変なんです。子供達を止めないと! でも、どこに行ったらいいのか分からないんです」
 羊は話を聞いてくれそうな人物に出会えて、一気に捲(まく)し立てた。
「ちょっと待て! 意味が分かんねーぞ。ひとまず落ち着いて深呼吸しろ?」
 白月は羊を宥(なだ)めて落ち着かせる。深呼吸を数回繰り返して気を落ち着かせた羊は、杵間山であった事を白月に話した。
「うーん、でもまだスター殺しはしてないんだよな?」
「……多分。でも時間の問題かと。どうしたらいいんでしょうか?」
 困り果てた羊は、首を傾げながら白月に聞く。
「うん、あれだ。こういう時は市役所の対策課に行けばいいんだよ」
「対策課? 警察ではないんですか?」
 羊がキョトンとした顔で聞き返す。
「あんたの話を聞くと、ターゲットはスターのみみたいだからな。人間に被害が及ばないようなら、警察は動かんだろ。しかもまだ未遂みたいだし?」
「そう……ですか。分かりました、市役所の対策課ですね?」
 そう言って一匹で市役所へと向かおうとするのへ、白月が慌てて引き止める。
「待てって。俺も行くぜ、乗りかかった船だからな」

 ザワザワと銀幕市市役所は今日も賑やかだった。他の町ではこんな事はないのだろうが、銀幕市という特性上、仕方のない事だろう。新たに出現したムービースターの住民登録や仕事・住居の斡旋、ヴィランズやムービーハザードによる事件の相談などが連日ひっきりなしに行われているのだ。
 特に対策課の植村直紀は各人の対応に急がしそうだったが、こちらも緊急事態の為、心を鬼にして声を掛ける。
「おーい、植村さん、ちょっといいかな〜?」
 白月に声を掛けられ、植村は顔を上げる。
「ああ、はい。ちょっと待って下さい」
 と律儀に返事を返し、手際よく対応を終わらせて、白月達の元へとやって来た。
「どうされましたか?」
 日々住民の対応に追われ、疲れているだろうに、植村はふわりと微笑んで用件を問う。
「あー、いや、こいつがな……」
 とそこまで言って、相手の名前を聞いていなかった事に白月は気が付いた。
「あれ、あんた、名前何て言うんだ?」
「わたしですか? 名前はありません。ただの羊です」
「そっか。俺は李白月ってんだ、よろしくな」
 白月はそう言うと、わしわしと羊の頭を撫でた。
「っと、用件だったな。当事者が話した方がいいな」
「そうですね。実は……」 
白月に促され、羊は先ほどあった出来事を話し出す。

「うーん、なるほど。確かに少し注意した方が良さそうですね。まだスター殺しは行われていないんですよね?」
「多分、まだだと思います。わたしと会った時はまだのようでしたが……」
 言いながら羊はあれ? と思った。先ほど白月と交わした会話とさほど変わらないやり取りだった。
「わかりました。対策課の方でスターの皆さんに注意するように呼びかけてみましょう。できれば、そちらの方でも引き続き注意を払っていて欲しいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、俺はかまわないぜ」
「わたしも子供達の動向が気になるので、そのつもりです」
「ありがとうございます。こちらでも協力していただける方を募りますので、宜しくお願い致します」

「……とは言ったものの、どうするか」
 市役所を出た一人と一匹は顔を見合わせる。
「そう……ですね、もう一度山へ戻ってみませんか? まだ、いるかどうか分かりませんが、町中を探すよりは会える確率が高いような気がします」
「そうだな、そうするか」
 時刻は十五時を回っていた。あと数時間もすれば陽が落ちるだろう。それまでに彼等と会えればいいのだが……。そう思いながら、杵間山へと足を向けた。





 彼等が出会ったのは全くの偶然だった。
 ルースフィアン・スノウィスは対策課で彼等の事を聞いて、協力を申し出たばかりだった。植村は彼の身体の事を心配して止めたのだが、ルースフィアンはかえって好都合だと考えていた。
 亨と聡史と別れて山を降りた三人は、哀れな犠牲者となるスター探しは明日にまわして、それぞれの家へと帰る途中だった。今日はもう、何も起こらない。そう思っていた。

 ドンッ
 カラカラカラ……

「あ……」
 帰宅途中のサラリーマンが、自作の青い氷の杖をつきながら歩くルースフィアンとぶつかった。運悪く、サラリーマンの足は彼の杖を引っ掛けしまい、杖は路地裏へと滑り込んでしまう。
「チッ」
 ぶつかってきたサラリーマンの口から零れたのは、謝罪の言葉ではなく舌打ち。彼は杖を拾わずに、そのまま立ち去ってしまった。
 ルースフィアンは、はぁ……と溜息を一つつき、ビルの壁に手をそえ、杖が転がっていったと思しき方向へと、動かない左足を引き摺りながら向かう。こういう事はままある事で、別段特別な事でもなんでもなかった。こんな事で傷付く心など、疾(と)うに消え失せてしまっている。
 
 カツン……

 昭晃の足にルースフィアンの杖があたる。武志がそれを拾い上げて、彼が来るのをじっと待っていた。衛はただ、不自由そうに歩いているルースフィアンを見詰めているだけだ。
「これ、あんたの?」
 武志が杖を彼の方に差し出しながら問う。
「ええ、そうです。拾って下さったのですね、ありがとうございます」
 白い顔(かんばせ)に微笑を浮かばせながら礼を言う。
「この杖って変わってるな。こんなん、見た事ねーや」
 一度は差し出した杖を再び引っ込めて武志が言った。
「なあ、あんたってスター? ムービースターだよな?」
 衛がしげしげとルースフィアンの容姿を見ながら聞く。
「そうですけど……?」
 微妙におかしな雰囲気を察していたルースフィアンだったが、自分の台詞を聞いて、明らかに変わった空気を肌で感じていた。
 ――この子達が……?
 子供達が目配せをし、ルースフィアンの肩を両側から抱えるようにして、路地の更の奥――廃ビルが幾つか連立する場所へと連れて行く。
 
「痛っ……!」
 投げ出されたのは廃ビルの二階。窓ガラスは割られ、ゴミが所々散在し、壁にはスプレーで落書きがしてあった。意味不明の文字とも模様とも取れないものから、淫猥な言葉や絵といったものが書き込まれている。およそ子供達にもこの銀幕市にも不釣合いな場所。だが、確かにそこに存在している場所。
 ザリ……と床に散らばる砂を踏みしめ、昭晃が近付く。その手には鈍く光る小型のナイフが握られていた。
 冷静に自分達を見詰めているルースフィアンを見下ろしながら、昭晃が口を開く。
「随分と冷静なんだね。自分が今からどうなるのか、全く分かってないのかな?」
 ルースフィアンは口を噤(つぐ)んだまま、じっと昭晃を見ている。何も喋ろうとはしないルースフィアンに、昭晃はなおも続ける。
「……気に入らないね。何故何も喋ろうとしない? 恐怖で、って訳じゃなさそうだけど」
 そこでやっと、ルースフィアンが口を開いた。
「貴方が何をするかなんて聞かなくても、何となく察しはつきます。好きなようにすればいい。僕は逃げたり叫んだりしませんのでご安心を」
「そう……。じゃあ、好きなようにさせてもらうよ」
 そう言った昭晃はルースフィアンの右腕を取り、ナイフで服の上から傷を付ける。傷付けられた腕が一瞬強張るが、彼は呻き声一つ上げはしなかった。ただ、顔を少し顰めただけ。
「やせ我慢は、どこまで続くかな? もっとも、生かして返すつもりはないけどね」
 フッとルースフィアンが彼等を嘲るような、酷薄な微笑みを浮かべる。
「貴方がたに、僕が殺せると……? 出来るのなら、どうぞご自由に……」
「……っ!」
 不意に薄く微笑みを浮かべるルースフィアンと己の姿が重なって、昭晃は微かに狼狽した。他者を拒み、他人を見下すその顔。己を殺し、感情を封じ込めたような仕草。消してしまいたい自分が、そこに居た。
 ルースフィアンが傷付いた右腕を昭晃へ伸ばし、頬へと触れる。
「知ってますか? 体外へ出たばかりの血液って温かいんですよ。ほら、触れてみて下さい。……夢の存在であるはずの僕が、おかしいですよね」
 腕から流れ出る血を指先で拭い取り、昭晃の唇に塗りつける。どこか艶めいた仕草に、嫌悪感が背筋を這い上がる。苦しそうに顔を歪める昭晃を見詰めながら、ルースフィアンは続けた。
「僕の血は、どんな味がしますか? 貴方には、フィルムになる直前の僕を、直視出来ますか? ……それを見る覚悟がありますか?」
「出来るさ。その為にあんたをここに連れて来たんだからなァ!」
 壮絶に微笑んだ昭晃の瞳に狂気の炎が宿る。そんな昭晃の様子を見ていた衛と武志は、背中に冷たいものを感じていた。いつも一緒にいる彼等だが、こんなに感情を露にした昭晃を見るのは初めてだった。
 激昂した感情のままに昭晃はナイフを持った腕を振り上げる。勢いよく振り下ろした先にはルースフィアンの心臓があった。だが、ナイフが胸に突き刺さる一瞬、
「何をしている!」
 怒号と共に衝撃が昭晃を襲った。ガッとナイフを持った腕を蹴り上げられ、ナイフが昭晃の指から離れる。落ちてきたナイフに再び蹴りをかまし、部屋の隅へと飛ばす。
 どこから入ってきたのかと、子供達は驚いた。先程まで人の気配など全くなかったのに!
「町で見かけて、様子がおかしいとつけてみれば、一体何をやっているんだ?! お前は!」
 今度はルースフィアンに向かって怒鳴りつける。
「貴方が声を荒げるなんて、珍しいですね、シャノンさん」
 怒鳴られた方はふぅ、吐息を吐き苦笑する。先程までの冷ややかな感じが抜け、歳相応の雰囲気を纏う。だが、それもシャノンと対する一瞬だけ。
「何をやってるかと聞かれても、僕は巻き込まれただけですよ? その質問はそこの子供達にして下さい」
 ルースフィアンの言葉にシャノンが振り返ると、蹴られた弾みで転んだ昭晃が起きながら言った。
「そう。その人は僕達が連れ込んだんだ。……実験台になってもらう為にね。さっきはつい、頭に血がのぼって一息に殺しそうになったけど、あなたが邪魔してくれて助かったよ。お陰で頭が冷えた」
「実験台? 何のだ?」
 シャノンが密かに眉を顰めて問う。
「ムービースターが死んだらフィルムになるって言うじゃない? 僕達はまだ、スターがフィルムになるところを見た事ないんだ。それと、ムービースターをどこまで傷付けたら、フィルムになるか興味があってね」
「……っ!」
 昭晃の台詞に思わず激昂しそうになる自分を抑え、シャノンは提案する。
「わかった。此処は一つゲームをしよう。簡単なゲームだ。そんなにフィルムが見たいのなら、俺を狩ってみせろ」
「あなたを?」
「そうだ。見つかってもOKなかくれんぼや鬼ごっこみたいなものだ。俺はお前達に対して武器は使わんし、捕まったらそれ以上は抵抗しない。お前達が逃げる俺を追う、そういうゲームだ」
「ふうん?」
 シャノンは行き過ぎた行動を起こす子供には、それ相応の躾が必要だと思っていたし、看過する訳にはいかないとも思っていた。
「だが、それだけではつまらん。一定時間以内に俺を捕まえる事が出来なければ、立場は逆転する。…お前達にも狩られる恐怖を味わってもらうぞ」
 シャノンの提案を聞き終えた子供達は一瞬キョトンとしていたが、
「ぷっ……。くくく、あーはははは!」
 と、一斉に笑い出した。
「何が可笑しい?」
 訝しんだシャノンが言うと、子供達は笑うのを止めた。
「あんた知ってるぞ」
「ああ、有名だもんな。俺も知ってる」
「シャノン・ヴォルムス、吸血鬼の始祖でヴァンパイアハンター。そんなヤツにただの子供が敵(かな)う訳ないだろ? それとも子供だから騙せると思った?」
 暗い笑みを浮かべ、昭晃は言い放つ。
「ふん、もういいや。行こう、衛、武志」
「おい、ちょっと待て!」
 シャノンの制止を無視して子供達は行ってしまう。たった一つ、言葉を残して。
「大人って、本当、ずるいよな」





「亨ー!」
 皆と別れた聡史は亨の姿を見つけて声を上げた。
「……聡史。何だ、皆と帰らなかったのか?」
「うん。戻って来ちゃった」
 にっこり笑って言う聡史に、亨は咎めるでもなく苦笑して
「そうか……」
 と一言だけ言い、聡史の頭をわしわしと撫でる。
「ね、まだムービースターを探してるの?」
「ああ、手頃なのがいないかと思ってな」
「……そう」
 聡史は亨の台詞を聞くと、ぎゅっと彼の服を握り締め、背中に頭を押し付ける。
「本当は、嫌なんだろ? 聡史」
「うん……」
 本当は亨にこんな事はして欲しくない。だけど……。
「いたぞ」
 亨の台詞にハッとして、聡史は顔を上げる。視線の先には大きな羽虫――いや、ピクシーがいた。それはトンボのような細長く透き通った羽に尖った耳、レオタードのような服を着ていた。
 ピクシーに気取られぬよう、そろりと体を動かし狙いを定めて飛び掛る。
「ビッ?!」
 驚いたピクシーが逃げようとしたが、既に亨の手は背後に迫っており、あえなく囚われの身となってしまう。
「はは、やった!」
 囚われたピクシーは亨の手の中でジタバタもがき、それでも逃れられないと悟ると牙を亨の手に衝(つ)き立てた。
「痛ってー!!」
 噛み付かれた激痛に亨は叫んだが、手を離すとせっかく捕まえた獲物が逃げると思い、指に力を入れて耐える。自然、ピクシーの体を締め付ける形となり、
「ギッ……!」
 とピクシーはくぐもった声を上げた。
「痛ぇだろ!」
 亨は力任せにピクシーの羽を引っ張った。簡単に千切れるかと思ったそれは、意外に頑丈であり、なかなか引き抜けない。
「こ、の……!」
 半ば意地になって、なおも亨はピクシーの羽を引っ張る。
「ギ、ギッ!!」
 ピクシーは苦悶に顔を歪ませ、歯を食いしばっていたが、最後の気合と共に思いっきり引っ張られ、ブッ、ビチッ、と嫌な音を立てて、羽は背中から引き千切られた。

 キィィィイイイイィィイィ――……

 羽を毟(むし)られたピクシーの悲痛な叫び声が、杵間山に木霊する。

 杵間山の麓に到着した白月と羊は、遠くに甲高い悲鳴のような音を聴き、顔を見合わせた。
「いけない、急がないと!」
「ああ!」
 一人と一匹は、声とも音ともつかぬものの元へと駆けて行った。

 その頃、シャノンとルースフィアンは車の中にいた。車はシボレー・トレイルブレイザー、シャノンの所有する防弾仕様の車だ。
 ルースフィアンの腕は応急処置がなされ、病院へと向かうところだった。ルースフィアンは病院に行くのを拒んだのだが、シャノンはそれを許さず、強引に車の中に詰め込んだのだ。
「このぐらい、何でもないのに……」
 と、ボソリと呟くと、
「何か言ったか?」
 と、少し怒ったような声が返ってくる。
「いいえ、なんでもありません」
 ふう、と一つ溜息をつき、そっと傷付いた方の腕を撫でる。
 つと、シャノンの方を見ると、険しい顔をしていた。いや、さっきからずっと、しかめっ面をしていたのだが、今は先程よりも更に険しくなっていたのだ。
「どうか、したんですか?」
 ルースフィアンが問う。
「悪い、急用が出来た。病院は後回しだ」
 言うが早いか、急ハンドルを切り、杵間山の方へと車を走らせる。シャノンの耳には聞こえていたのだ。あの、叫び声が。

 白月と羊の目に映ったのは、子供二人と子供の手に握られた人形のようなもの。だがそれは、時折ビクビクと痙攣していた。背中からは抉(えぐ)られたような傷跡と、そこから流れる血が見てとれた。
「なんて、事を……!」
 羊が絶句する。
「何故、こんな事をするんだ?」
 冷静な声で白月が問う。
「何故? 理由が必要? ムービースターなんて夢のようなもんだろ? いなくなっても誰も困りはしないだろ?」
「そういう、問題じゃない」
 白月が低く唸るように言う。
「ムービースターって、死んだらフィルムになるんだろ? でもこいつはまだ、フィルムにならないんだ。どこまでやったらフィルムになるのかなぁ?」
 それは純粋な疑問。だけどその中には密やかな悪意があった。
「あなたたちはムービースターさんが死ぬところを見たいんですか? それはダメです。良くないです。わたしたち、普通の生き物とは違うかもしれないけど……今はこうして、人と同じように、笑ったり泣いたりして生きているんです」
「生きてる、ねぇ……」
 亨はおもむろに、ピクシーの抉られた背中に指を捩じ込む。
「ピギィ……ッ!」
 それまで、だらんとしていたピクシーの体が跳ね、悲鳴を上げる。
「止めて下さい! その子を放して下さい」
 羊は懸命に言うが、亨は耳を貸そうとしない。
「生きて、いるんです……! わたしたちだって痛みを感じるんです。感情も、あるんです。わたしが言ってる事、わかりませんか? わかってくれないんですか?」
「わかって、くれない? わかってくれないのは、大人達だ……」
 どこかぼんやりとした目で、白月達を見る。
「子供だから……わからないだろうからって、何でも勝手に決めて、押し付けて!」
「甘えた事を」
 くすりと笑って白月が言う。だが、その表情は氷のように冷たかった。
「子供が甘えて何が悪い? 夫婦の問題だからって、子供が口出すなって、なんだよ?!
関係ないってなんだよ?! お父さんとお母さんの板挟みになって、俺だって苦しいのに!」
 感情が昂った亨は、支離滅裂に胸の中にあったものを吐き出していく。
「だからって、俺達ムービースターを殺していい道理はないだろう?」
 あくまでも静かに、白月が言う。
 ……わかってはいた。これがただの八つ当たりだって。ただ、この感情をどこにやればいいのか解らなかった。誰かに聞いて欲しかった。……「大丈夫だよ」って言って欲しかったのだ。
 少しスッキリしたのか、落ち着きを取り戻した亨がピクシーを差し出して問う。
「こいつ、大丈夫かな?」
 ピクシーは誰が見ても、もう駄目だった。肌の血の気は失せ、小刻みに震えていた。
「見せてみろ」
 声を掛けたのはシャノンだった。微かに漂う血の匂いに導かれて、ようやくここまで辿り着いたのだ。傍らにはルースフィアンもいた。
 返ってきた答えは、予想通りのもの。このまま放っておいても、いずれフィルムになるだろう。
「血を失い過ぎている。もう、助からんな。このまま苦しませるより、今、楽にしてやった方がいいかも、な」
「そう……」
 少しバツが悪そうに亨は言う。
「……よく、見ておけ。これが俺達スターにとって死ぬという事。フィルムになるという事だ」
 そう言ってシャノンは小型のナイフを取り出し、苦しまないように急所へと突き刺した。元々消えかけていた命だ、五秒もかからない内にそれはフィルムへと変じた。
 あっけない幕切れ。つい先程までそこにあったものが、夢のように消えてしまった。
「さあ、もう家へ帰れ。……なんだったら、送っていくぞ」
 シャノンの言葉に、ふるふると首を振って答えたのは聡史。
「ううん。僕達、歩いて帰れます。すみませんでした」
 ぺこりと頭を下げ、亨の手を握ってシャノン達の前から去って行く。

 ヴィランズでも敵対する者でもない命を奪うのは、これが初めてだっただろうか?
 少なくとも、銀幕市に着いてからは――。

 解ってはいた事だけど、こうしてまざまざと見せられると思い知る。
 自分達が、ここの人間達とは違う事。夢の存在である事。
 そして……
 ――そう遠くない未来に消えてしまう存在である事を。




                        ―了―

クリエイターコメントお届けが遅くなって申し訳ございません。
色んな意味でモニョモニョな感じになってしまいましたが、少しでも心に響くものがあれば幸いです。
ご意見、ご感想等ございましたら、遠慮なく申し出て下さい。
また何か事件が起こった際にはご協力下さると幸いです。
公開日時2007-10-23(火) 18:30
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