★ 【銀幕市的百鬼夜行〜妖魅暗躍編〜】地の底に在りし繭玉の ★
<オープニング>

 銀幕市という街は、北を山に、南を海に抱かれた、一風変わった街だ。北側半分を取り囲んでいる山々を杵間連山といい、その連山の中で最も高い山を、杵間山という。登山路やキャンプ場があり、夏のレジャー場となっており、頂上近くには展望台があってそこから市を一望することも出来る。また夜景は美しく、密かなデートスポットともなっているようだ。
 その、杵間山の裾野。深い鎮守の森に囲まれた、静謐な空気に包まれた場所に、それはある。
 杵間神社。
 銀幕市の守り神ともされている神社だ。
「……静かですねぇ」
 縁側で熱い茶を啜りながら、年の頃は十四、五といったところの、巫女装束を纏った、長く艶やかな漆黒の髪を携えた少女、日村朔夜はゆるりと微笑んだ。他ならぬ杵間神社の神主の一人娘である。彼女の座るすぐ横では、ピュアスノーのバッキー、ハクタクが午後の暖かな陽射しにうつらうつらとしている。
 祭や正月には大層賑わいを見せる境内だったが、今はただ本来の姿である静けさを湛えている。連立した杉の木も、ただ静かに社を見守っている。
 また、近頃は手足を生やして散歩へ出掛けてしまった品物を探しに行くこともなく、本当に久しぶりにのんびりと過ごしていた。
 ほうと息をついて、再び湯呑みに口を付けた時。
 ぴん、と、何かが引っかかった。
 朔夜は湯呑みを置く。微睡んでいたハクタクが、朔夜の肩によじ登った。ハクタクを一撫でして、朔夜は駆け出した。何とも言えない焦燥感が、朔夜の体を動かした。
 静かな境内に、朔夜の慌ただしい足音が響く。
 行き着いた先は、杵間神社が神宝、『雲居の鏡』が納められた本社のその奥。
 一式の祭壇がしつらえられた、その中央で、神宝『雲居の鏡』が鎮座している。鏡の中の朔夜と目が合った時、その鏡面がゆらりと揺らめいた。
「これは……っ?!」
 『雲居の鏡』が映し出したのは、杵間神社。玉砂利の敷き詰められた境内、その入り口に堂々と立つ鳥居。その先には鎮守の森を抜ける参道。その中を、歩くものたちがある。
 しかしそれは、人ではない。
 人のような手足を生やした、動くはずの無いものたち。
「……百鬼夜行……」
 ぽつり、朔夜が呟いた時、ぞわりと背筋が泡立った。慌てて奥社を飛び出すと、そこには今まさしく『雲居の鏡』に映し出された光景が広がっていたのである。
 朔夜は息を呑んだ。
 その後ろで、かたりと何かが倒れる音がする。
 はっとして振り返ると、『雲居の鏡』もまた手足を生やして駆けて行くところだった。
 一昨年の秋のことが朔夜の脳裏に甦る。神宝を失くすなど、神社に使える者にとってこれ以上無い失態である。
「いけない!」
 慌てて追いかけるが、予想外に素早い動きに、朔夜はあっという間に『雲居の鏡』を見失ってしまった。
「大変、急いで父上とおじいさまに……」
 言いかけて、朔夜は一升瓶を抱えて眠りこける父親と、ボケて昼ご飯は食べたかいの〜と聞く祖父を思い浮かべる。
「いいえ、対策課に知らせなければっ!」
 動き出した器物たちは、妖怪という名をその身に冠して、一様に銀幕市を目指し行列を成すのであった。


☆☆☆☆☆


「ほぅ、なかなか面白い現象ですね」
 佐野原冬季(さのはら とうき)は眼前の異変を楽しむように薄く笑みを浮かべた。不謹慎極まりない行為ではあったが、その場にいた誰もがそれを咎める余裕を持っていない。
 普段は静寂に包まれている杵間神社の境内を、パソコンや通信機器、カメラや弁当などを抱えた市職員が駆けずり回っていた。力のある若い職員は、運動会などでよく使われる簡易テントを立てている。冬季の指示で対策ベースを設置しているのだ。対策とは、もちろん杵間神社の異変に対する対策だ。
「確かに、よく見ると左右対称ですね」
 冬季は右の神社と左の神社を交互に指さした。
 右の神社と左の神社――杵間神社がふたつあることに最初に気づいたのは、神主である朔夜の父だったという。突如として二つに増えてしまった社に、彼は頭を抱えた。なにしろ、当神社の神宝である『雲居の鏡』が自らの意志でもって逃走するという珍事――いや、凶事か――が起こった、まさしくその直後だったからだ。
 彼はすぐに着物の懐から携帯電話を取り出し、娘の朔夜に連絡した。彼の娘は、器物の大量妖怪化、神宝の逃走のふたつを市の対策課に報告しに行っていたからだ。そこにもうひとつ、相談事項を付け加えることにしたのだ。
 そうして、対策課に依頼を受けてやって来たのが『計画者』佐野原冬季だった。
 冬季は、市役所から荷物を運んできた軽トラックの荷台から折りたたみイスを持ってくると、神社と偽神社との境界線上に腰を下ろした。軽く足を組み、顎に手をやる。計画を立案するときの、それが彼のポーズだ。
「佐野原さん、でしたかな?」
 そんな冬季に、神主が声をかける。
「ええ、対策課に依頼されてきました。『計画者』佐野原冬季と申します」
 思考を邪魔されたにもかかわらず、すっと立ち上がり、爽やかな笑みとともに手を差し出した冬季に、不機嫌さはかけらもない。営業も仕事のうちだと理解しているからだ。
「いったいこの神社はどうなってしまったのでしょうか」
「今はまだわかりません。これから調査するところです」
「調査?」
「はい。偽物と思われる神社、そして本物と思われる方の神社にも、それぞれ銀幕市のみなさんから有志を募って調査に入っていただきます」
「本物にも、ですか?」
 神主が露骨に眉をひそめた。偽物はともかく、本物を荒らされては神性が怪我されてしまうと思ったのだろう。
「神主様はまだお聞きになっていらっしゃいませんか?」
「なんのことです?」
「本物の神社の地下になにやら空洞があるようのです」
 神主は跳び上がらんばかりに驚いた。杵間神社にも、神主だけが知りうる代々受け継がれてきた秘事というものがあるだろう。しかし、彼の反応は、地下に何かが存在するなどとは聞いたこともないといった様子だ。
「どうやら本当にご存知ないようですね。すると、この地下迷宮とでも言うべき空洞は、神社にではなく今回のハザードに関係するものと考えた方が良さそうです」
 冬季の双眸が底光りし、神社の地下と偽の神社とを順番に射た。
「こちらの偽物と同じようにね」
 そこに何が待ち受けているのか?
 それは危険を顧みず、自ら闇の中へと飛び込んだ者たちのみが知りうることだった。



 深い深い闇の中。紫色の地の底で。
 ――どくん。脈打つ。
 ――どくん。胎動する。
 ――どくん。あふれ出る。
 どこまでも透き通るように白い繭状のものに、男は優しく語りかけた。
「もうすぐ。もうすぐだよ」
 なめらかな表面に手の平を滑らせる。愛おしげに、狂おしげに。
「もうすぐきみはこの世界に生まれ出る。そうしたら……」
 そこまで言うと、男はくるりと背を向けた。それ以上は口にする必要がないとでも言わんばかりに。
 かつん、かつんと男の落とした足音だけが地下道にむなしく響く。
 最後にぽつりと、
「もうすぐ。もうすぐだよ。誰にも邪魔はさせない」
 言葉も落として。

種別名シナリオ 管理番号375
クリエイター西向く侍(wref9746)
クリエイターコメント七つ目のシナリオになります。西向く侍です。

今回のシナリオは七名のWR様との共同による、コラボレーションシナリオとなっています。
すべてのシナリオが多少なりともリンクしていますが、特に【妖魅暗躍編】とタイトルのついた西WR様・依戒WR様のシナリオとは完全リンクとなっています。
当シナリオでは、器物の妖怪化と時を同じくして杵間神社の地下に現れた地下迷宮の探索がメインとなります。
地下迷宮には妖怪たちの仕掛けた様々な罠がありますので、十分な備えをしたうえでシナリオにご参加ください。
以下、シナリオ参加時の注意点です。

▼NPC佐野原冬季が連絡役として同行します。プレイングに彼を絡めることも可能です。

▼すべてのタイプのPCで参加可能ではありますが、ムービーファンの方はファングッズを装備しての参加をおすすめします。

▼地下迷宮はTRPG(またはRPG)におけるダンジョンのようなものと考えてください。内部を無事に探索するためのアイディアなどをプレイングに盛り込んでくださると採用率が上がります。
『○○に備えて××を持っていく』や『必ずしんがりをつとめて後背を警戒する』などなど。

▼道中、以下の内容の災難(罠やトラブル)がPCを襲うことになります。プレイングには必ずそれぞれの災難に対する対処法を、簡単でけっこうですので書き込んでください。

@火難
A水難
B風難

『@火を剣で斬り裂く』や『A魔法で水を操って乗り切る』や『B風の流れを読んでかわす』などなど。

▼最後に、みなさんの対処が適切であれば、OPに出てきた繭玉にたどり着くことになります。繭玉に関しては、他のリンクシナリオに参加いただいているPC様のプレイングにもよりますので、どうなるのかわかりません。
ですので、繭玉にたどり着いた際にPCを襲う災難に関しては、ランダムに判定させていただこうと思います。
よって、プレイング内に一言でけっこうですので、『紅』『蒼』『橙』の三色の中から好きな色を選んで書き込んでください。

▼【銀幕市的百鬼夜行】関連のシナリオはすべて同時期に起こっていることになりますので、同一PCでの複数シナリオへの参加はご遠慮ください。

それでは、みなさまが無事に迷宮より脱出できることを心から祈りつつ。

参加者
轟 さつき(cczt1135) ムービースター 女 20歳 魔法少女
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
沢渡 ラクシュミ(cuxe9258) ムービーファン 女 16歳 高校生
<ノベル>

▽メンバーそろう▽

「これはこれは。なかなかにバランスの良いメンバーがそろいましたね」
 探検隊ルックそのままの佐野原冬季(さのはら とうき)は、四人の若者と手元の資料とを見比べながら満足げな笑みを浮かべた。
「まずは自己紹介をしておきましょうか。これから、五人で生死をともにするわけですからね」
 冬季の言葉は大げさでもなんでもない。これから彼らが挑むのは、決してただの地下道などではないのだ。なにが起こるかわからない未知の世界。良くも悪くもここは銀幕市だった。
「私は佐野原冬季です。『計画者』とも呼ばれています。市役所の対策課から依頼され、今回の地下探索のリーダーを務めさせていただきます。私の戦闘能力は皆無だと思っておいてください。かといって無理に私を守る必要はありません。自分の身は自分で守りますので」
 矛盾したような言いぐさだったが、つまりは、攻撃には参加できないが逃げ足だけは速いぞということだろう。
「では、そちらの方からどうぞ」
 冬季が最初に指し示したのは、ひときわ目立つ巨躯の持ち主だった。禿頭に四白眼という異相ながら、にじみ出る雰囲気はいたって穏やかだ。害意に敏感な小動物でさえ、彼の肩で小休止をとることがあるという。
「私はランドルフ・トラウトです。みなさん、よろしくお願いします。頑丈さには自信がありますので、なにかあれば私がみなさんの楯になります」
 頼もしげに胸を叩く動作とは裏腹に、彼の服装は微妙なラインを漂っていた。ズバリ、笑っていいのかいけないのか、その微妙なラインだ。まず上半身は裸だ。逞しい筋肉が朝の光を照り返してる。もちろん下半身は裸ではない。それでは別の意味でラインを超えてしまう。彼は腰に、遥か昔の蛮族が身につけていたような獣皮の腰巻きを巻いていた。着衣と呼べるものはそれだけだ。そして、背中に巨大な諸刃の斧を背負っていた。
 他のメンバーが対応に困る中、冬季は服装など関係ないとばかりにランドルフに握手を求めた。
「この先、なにが起こるかわかりません。ランドルフさんの再生能力を考えれば、重視するのは防御力よりも敏捷性。この軽装はベストの選択でしょう」
 ホントにそうなのか?!と誰もが首をひねったが、口には出さなかった。
「さて、次は……」
 ランドルフの隣にいた青年が、手にしていた棍棒を器用に操ってみせた。「おお」とランドルフが感嘆の声をあげる。
「李白月だ。よろしくな」
 短く挨拶して、拳を掌でつつみ、礼をする。拳法使いの礼だ。その腕には蒼色の宝石がついた腕輪がはめられていた。
「ふむ、近接戦闘が得意と見えますね。しかし、狭い地下通路ではその棍は振り回せないのでは?」
 冬季の疑問に、白月はにやりと笑った。棍を横向きに両手で持ちつつ、手首をひねると、不思議なことに棍が三つに分かれた。三本の短い棍と化したそれは、それぞれが短い鎖でつながれていた。三節棍だ。
「なるほど。それならば、あらゆる状況に対応可能ですね」
「ああ。もちろん、棍無しでも俺は強いぜ」
「そのようですね。よろしくお願いします」
 冬季と白月が握手を交わす。
「次は私の番かしら」
 一歩前に進み出たのは、派手な衣装に身を包んだ女性だった。紫紺のマントをたなびかせるその姿からはちょっと想像できないが、彼女はいわゆる魔法少女だ。魔法使いらしく持っている杖は、しかし、彼女の場合、少しばかり使い方が違うのだが、それは知り合いである白月と資料に目を通した冬季のみが知っていることだった。
「轟さつきよ。よろしくお願いするわ」
 さつきは、きちんとサングラスを取って挨拶をした。
「あなたの魔法にはお世話になることも多いと思います」
 冬季とさつきは握手を交わした。
「はーい、最後はあたしね」
 もっとも左端に並んでいた女の子が元気よく手を挙げる。
「沢渡ラクシュミよ。よろしくね」
 ウィンクするラクシュミに、白月とさつきは鼻白み、ランドルフは困惑した様子になった。なにせラクシュミはどこからどう見てもただの女子高生だ。どこから入手したのか、軍隊さながらの迷彩服に大きめのバックパックを背負っているものの、特殊な能力があるようには思えない。銀幕市の住民は外見で判断できないものだが、彼女の腰にぶら下がったガードケージが、他のメンバーに不信感を抱かせる決定打となった。
「ちょっと待ってくれ。あんた、さっき生死をともにするって言ったよな?」
 白月が厳しい顔つきで冬季に言う。
「ええ、今回の仕事は命がけと思っていただきたい」
「だったらなんで戦闘力もない女の子がメンバーに入ってるんだ?」
 白月の射るような視線に、ラクシュミがたじろいだ。
 なにも白月はラクシュミのことを責めているわけではなかった。彼女を邪険に扱っているのではなく、むしろ安否を気遣っているのだ。彼女が足手まといになった時のことより、自分が彼女のことを守れなかった時のことを考えていた。だからこそ、厳しい態度で臨んでいるのだ。
「ふむ。轟さんはどう思いますか?」
 冬季はなぜか白月の質問に答えず、さつきに話を振った。
「そうね。私も白月の意見に賛成だわ。ただの女子高生が参加するには、今回の仕事は危険過ぎると思うもの」
「ランドルフさんは?」
「言いにくいことですが……沢渡さんの身の安全を考えたら、私もみなさんと同じ意見ですね」
 三人の意見を聞いたラクシュミが必死に言い募る。
「あたしだってきっとみんなの役に立つわ。自分の身くらい自分で守れるし。それに、ハヌマーンの力が必要になることだってあると思うの」
 真剣な表情をしている――ように見えるシトラスのバッキーが入ったガードケージを撫でた。
「それでも、危険過ぎるぜ」
 白月が冷たいまでの抑揚のなさで言った。普段のおちゃらけた態度からはあまり想像できない口調だった。
「……でも、でも、あたしは!」
 言いかけたラクシュミを遮ったのは冬季だった。
「沢渡さんには予定通りメンバーのひとりとして参加してもらいます。これはリーダーとしての決定です」
 決然と言い放ち、さらに反対意見が出る前につづける。
「すべてが力で解決できるとは限りません。白月さんやランドルフさん、轟さんの戦闘力では対処できない事態のために、私が、そして沢渡さんがいるのです」
 冬季の決定にうなずき、さつきは「それもそうかもしれないわね」とラクシュミに謝意を伝えた。ランドルフも「私がラクシュミさんを絶対に守ります」と彼らしく優しく微笑んだ。そして、白月もまた不承不承といった感じではあるが、ラクシュミの同行を認めたのだった。



▽地下通路へ▽

 地下通路への入り口は、杵間神社の本堂の床にぽっかりとその顎(あぎと)を開いていた。
 内部に電灯の光を当てると、人ひとりが通れるほどの広さの通路が薄ぼんやりと浮かびあがった。階段が整然と並んでいるところから、通路は人工的なものだとわかった。
「風?」
 入り口をのぞき込んだ拍子に、ラクシュミの頬を冷風が撫でた。風は外から中へと吹いている。
「風が吹き抜けるってことは、どこか外につながってるってことか?」
 白月が楽しそうに漆黒の行く先を睨みつけていた。先ほどまでの刺々しさは霧散している。戦闘能力を持たないラクシュミの参加に納得したわけではないものの、気持ちの切り替えが大切だということをわかってもいた。
「私が先頭に立ちましょう」
 ランドルフが率先して闇に足を踏み入れようとした。
「冬季さんもおっしゃっていたように、私には再生能力があります。なにか危険が襲いかかってきたとしても、私なら耐えきれます」
「ちょっと待って。私が先に行くわ」
 さつきが魔法の杖でとんと床を叩いた。
「いくらランドルフが頑丈だっていっても、ダメージを受けないに越したことはないでしょう? 私ならこの杖で罠を探りながら先へ進めるわ」
 ランドルフとさつきは同時に冬季の方を振り向いた。決定するのは冬季だと思ったからだ。
「轟さんに先頭をお願いしましょう。ランドルフさんはその後ろを」
「だったら、しんがりは俺だな」
 白月が言い、冬季がほほ笑んだ。
 さつきが口の中でなにかを唱えると、ぽっと杖の先に明かりが灯った。炎のような赤ではなく、電灯のような白でもない。魔法特有の青白い光だった。つづけて、ランドルフの斧、白月の棍の先にも同じ光が宿った。
 さつきが、感謝を述べるランドルフと白月につづき、冬季とラクシュミの持ち物にも明かりを灯そうとすると、冬季が首を横に振った。
「私と沢渡さんは懐中電灯を使いましょう。すべての明かりを轟さんの魔法に頼ってしまっては、もしも轟さんが倒れてしまった時、光を失ってしまうことになりかねませんからね」
「わかったわ」
 さつきが杖を突き出す。光が届く範囲では、階段に果てはない。いったいどれほど深くまでつづいているのか。
「いきましょう。『トルバドール』の導くままに」
 さつきは魔法の杖の名を口にすると、ゆっくりと歩を進めていった。



▽火難に遭う▽

 さつき、ランドルフ、冬季、ラクシュミ、白月の順番で一行は進んでいく。
「あからさまに人工的な通路だけれど、罠などはないようね」
 さつきが杖の先で地面や壁をつつきながら用心深く進んでいるが、なにか怪しいものを発見することはなかった。壁や床の向こうが空洞なら、叩いたときに違った音がするはずだ。少なくとも落とし穴や隠し扉などはこの方法で見つけることができる。
「まぁ、実はここが危険な場所ではないという可能性もありますからね」
 ランドルフがつぶやいた。その声音からは、かすかな安堵が感じられた。
「階段が終わるわ」
 さつきの言葉どおり、ようやく階段が途切れている。
「階段の向こうには、大きな広間があって、そこに人が住んでて……なんてこと、ないかな?」
 ラクシュミが思いついたそのままを楽しそうに話した。
「それって、なんの話だ?」
 白月が訊くと、ラクシュミは「地底人の話」と笑った。
「残念ね。地底人はいないようよ。それに、ランドルフの期待も裏切られたみたい」
 一足先に階段の奧を目にしたさつきが、苦笑気味に一同を振り返った。ランドルフも冬季もラクシュミも白月も、足早に階段を下りた。
「あぁ……」
 誰とはなくため息が漏れる。
 通路は三つに分かれていた。標識もなにもないということは、これは侵入者を迷わせるための枝分かれの可能性が高い。少なくともここが安全な場所ではないことが証明されたようなものだった。
「沢渡さん、マッピングの準備はよろしいですか?」
 肩に手を置かれ、ラクシュミはあわてて方眼紙とペンを取り出した。冬季が自分の頭を指さしながら言った。
「私もここに刻んでいきますが、どちらかがいなくなった時のための用心です。しっかり書き込んでくださいね」
 ラクシュミは真剣な表情で首肯した。
「壁に印をつけていくのはどうです?」
 ランドルフが提案すると、「できることはすべてやっていきましょう」と冬季も承知した。
 時間を短縮し手間を省くには、五人が分散してそれぞれの分かれ道を行くの上策だ。しかし、今回は全員の安全を第一に考え、まとまって動くことにした。
「三日くらいは大丈夫だよ。非常食をたくさん持ってきたからね」
 ラクシュミが安心できるような不吉なような微妙なことを口にする。
「その格好とか持ち物とか、そもそもどこで手に入れたんだ?」
 心底不思議そうに白月が訊ねた。ラクシュミの持っている軍服や非常食、それに懐中電灯も普通の電器屋で売っているようなものではない。
「お父さんの持ち物だよ」
 ラクシュミはあっけらかんと答えた。どんな父親だ?!とさらにツッコミたくなった白月だったが、話がややこしくなりそうだったので、やめた。
「私も食料や医療キットは用意しているわ」
 先頭で相変わらず慎重な作業を繰り返していたさつきも、話に割って入る。
「どこにも荷物は見あたらないようですが?」
 その後ろで、ランドルフが首をかしげた。確かにさつきは魔法の杖であるトルバドールしか持っていないように見える。あとは腰にロープの束をくくりつけているくらいだ。
「それは、あとのお楽しみにしておきましょう」
 さつきが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 と、ランドルフの瞳が訝しげに細められた。
「なにかいます。あの角を曲がった先です」
 小声で告げられた事実に、四人とも足を止めて息を殺す。トルバドールの先から放たれる光は、十メートルほど前方で通路が突き当たり、右に折れている風景を映し出していた。彼らの位置からは視界に入らないはずなのに、全員がランドルフの言を信じたのには理由があった。彼の嗅覚はすべての命あるものを嗅ぎ分けることができるからだ。
「あちらも動きを止めました。光でこちらに気づいたのかもしれません。ひとつ、ふたつ、みっつ……臭いは三人分です。たしかに生命体ではありますが、記憶にない臭いですね」
 ランドルフの記憶にないということは、未知の生物――少なくともランドルフの実体化した映画の中と銀幕市にはいなかった生物だということだ。
「はてさて、敵か味方か」
 ふむとうなったきり冬季が沈黙する。対応策を考えているのだろう。
「相手が敵意を持つ者だったとして、闘わざるをえないなら、先手必勝が上策でしょう。そして、相手が敵意を持たざる者だったとしても、友好的な関係を築くために、こちらから誠意を見せる必要があります。どちらにしろ、私たちの側から動くべきでしょうね」
 冬季が素早く指示を与えた。まずは武器を持たない冬季が対話を試みる。話が通じないようなら、その背後に控えたランドルフが冬季の楯に、白月が冬季の槍になる。さつきとラクシュミ、女性たちは待機だ。
 冬季、ランドルフ、白月の順に並び、三人は用心しつつ角を曲がった。
 ここから先の出来事は、一瞬の間に起こったものだ。
 まず敵の姿を最初に視認したのは、冬季だった。彼らを見てぱっと思いついたのは小鬼という単語だった。半裸で、皮膚が原色に近く、頭部に角がある。いかにも御伽噺に出てきそうな格好だ。
 冬季が両手を挙げて挨拶しようとする間もなく、彼らは動き出した。いや、すでに動き出していたと言った方が正しいかもしれない。なぜなら小鬼らは、各々の手にかかえた火の玉を振りかぶった体勢で待ちかまえていたのだから。
 火の玉。それはそう呼ぶにふさわしいものだった。魔法の産物なのか、呪術の産物なのか、まったくもって謎ではあったが、問題はそこにはない。彼らは冬季たちと顔を合わせる前から、戦闘の準備をしていた。それは、とりもなおさず、侵入者はすべて排除する心づもりでいたということだ。
 なるほど、ここは敵地でしたか。胸中につぶやくと、冬季は身を固くした。小鬼たちが投擲した火の玉が猛スピードで迫っており、恐怖に筋肉が縮こまってしまったのだ。もともと彼は戦闘要員ではない。
 ランドルフが雄叫びを上げつつ、冬季を突き飛ばした。両腕で顔を防御し、仁王立ちになる。右太腿と臑、脇腹、左腕、計四ヶ所に衝撃と刺すような痛みが走り、肉の焼ける嫌な臭いが、彼自身の鼻孔をついた。
 ぐらりとランドルフの巨体がかしいだので、小鬼たちがとどめを刺すべく掌に新たな火球を生み出した。
 ところが、彼が身体を傾けたのはダメージのせいではなかった。背後にいた白月を前に出すためにスペースを空けたのだ。
「哈ッ!」
 ランドルフの背を蹴って、カンフースーツが空を舞う。
 小鬼たちが焦りながら炎を飛ばした。ところが、白月は見事なまでの体捌きで火球の間をすり抜けて走る。ちらりと後ろを気にする余裕すらあったのは、その驚愕すべき体術のおかげだったろう。
 白月が背後を気にかけた理由はランドルフだった。彼のよけた攻撃は、このあとすべてランドルフが引き受けることになるからだ。
「シュメルツリヒ!」
 朗々たる声が通路に木霊した。白月のさらにあとからランドルフの前方に躍り出たさつきが、魔法の杖であるトルバドールを剣形態に変形させ、魔剣技を振るったのだ。『シュメルツリヒ』は剣に冷気をまとわせて攻撃する技で、火の玉すら一瞬にして凍らせることができた。
「ランドルフさん、大丈夫ですか!」
 ラクシュミも援護に来たようで、彼女はバックパックから取り出した携帯用消火器でランドルフの腰巻きや冬季の衣服に燃え移った火を消していた。
 白月にとって後顧の憂いは消え去った。瞳に殺気を、口の端に微笑をたたえて、突進する。小鬼たちの三撃目は間に合いそうにない。
「遅ぇんだよ!」
 一気に敵の喉元に食らいついた白月は、手にした棍を最小限の円の動きで振り回した。人間であれば急所に当たる部分を的確に突いていく。どうやら小鬼たちの身体組織は人間とあまり変わらないようで、全員が一撃で昏倒してしまった。
「他愛もねぇ」
 勝利の余韻に浸っている白月のもとに他のメンバーたちがやってきた。
「よぉ、リーダー。それにランドルフさんも。二人とも色男になったな」
 白月がこらえきれずに笑い出す。冬季もランドルフも消化器のせいで全身真っ白な粉まみれだった。さつきもまた必死に笑いをこらえている様子だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい! もうなにがなんだか夢中で……」
 ラクシュミが何度も頭を下げる。
「いえいえ、助かりましたよ」
 ランドルフは素直に感謝し、冬季は少し疲れた様子で苦笑していた。
「なぁ、ラクシュミ」
 笑いをおさめた白月に突然名を呼ばれ、ラクシュミはびくりと身を震わせた。なにか厳しいことを言われると思ったのだ。
「その調子で、危ないときはまた頼むぜ」
 白月が少なからずぶっきらぼうな口調で言った。最初に冷たく当たったことに対する彼なりの謝罪なのだと気づいて、ラクシュミは顔を輝かせ「はい!」と元気よく答えた。



▽風難に遭う▽

「だいぶ全体像がつかめてきたわ」
「そうですね」
 地下通路の地図をメモ帳に書き記しているラクシュミと、脳みそに刻みつけている冬季の双方が、同じ考えにたどり着いていた。
 彼らが地下に潜ってから長い時間が経過していた。途中、通路の全体が円形をしていると予測が立ち、探索の効率が上がった。しかも、円の中心に向かって大回りするかたちで迷路が組まれていることまで判明したのだ。
「いかにも中央がアヤシイわね」
 ラクシュミの言うとおり、いかにも中心部から敵を遠ざけるような造りだ。敵と言えば、巡回している小鬼との遭遇は、全部で九回にも及んだ。慣れてしまえばどうということはないのだが、さすがに警戒し続けるのは骨が折れる。さらには、吊り天井や毒矢の自動発射装置など、トラップが仕掛けられている場所もあった。そのすべては事前にさつきの手によって発見され回避することができた。
「ここで一度、大休止にしましょう。今後のことを話し合う必要もありますし」
 冬季の提案で、少し広くなった広間のような場所で休憩をとることになった。五人とも車座になり、ラクシュミの持ってきた非常食を食べながらの会議となった。
「問題は、このまま我々だけで中心部まで突入するかしないか、です」
「それは問題ないんじゃねぇか? 俺たちだけで対処できねぇ事態になったらトンズラすればいいわけだし」
「どうかしらね。逃げられる相手だったらいいのだけれど」
「相手?」
 さつきのつぶやきに、白月が反応した。
「え? あ、いえ、なんとなくそう思っただけ。ちょっと気になることがあって」
 そう言ったきり、じっとラクシュミ作のマップを見つめている。
「誰かがいるとしたら、話し合いができるといいな」
 ラクシュミの嘆息に、ランドルフも「まったくそのとおり」と乾パンを噛み砕いた。
 彼らは小鬼たちを殺してはいなかった。さつきとラクシュミが持ってきたロープで縛り上げて、その場に転がしてきている。対話を試みたものの、言葉が通じないのは当然で、さらに小鬼たちの知能は低いらしく意思の疎通は不可能のように思えた。握手しようと差し出した手を噛まれたのはランドルフだ。殺してしまおうという意見も出るには出た。冬季が主に主張したのだが、もしかしたら小鬼たちの大事な聖域を荒らしているのが自分たちの方だという可能性もあるわけで、他の四人の反対を受けて引き下がった。
「でも、真ん中にいるのはそうとう大切な物か人なんだろうね。小鬼さんたちのボスは、偽物の神社まで作ってあたしたちを騙そうとしてるわけでしょ?」
 ラクシュミが言っているのは、彼らが今調査している杵間神社とは別に、突如として現れたもうひとつの杵間神社のことだった。今ごろは別の調査隊が、そちらの建物も調べているはずだ。
 そのとき、非常に場違いな陽気な音楽が全員の鼓膜を震わせた。
 ランドルフも白月もさつきも、咄嗟に武器に手を伸ばした。そのような中、ラクシュミだけがもっとも的を射た行動をとったのかもしれない。バタバタと迷彩服のポケットを探り出したのだ。そして、ふと手を止める。
「あれ? あたしの携帯じゃないや」
 そう、さきほどから聞こえてくるのは携帯の着信音だった。しかも、特撮ヒーローであるミソレンジャーのオープニング曲だ。
「もしもし、こちら佐野原です」
 冬季の携帯だった。短く会話し、すぐに通話を切った彼に、皆が白い目を向けている。
「これですか? 地下でも通じる特殊な技術で作られた携帯です。便利ですよ」
 きょとんとしている冬季に、四人の、着メロの件にツッコミを入れる勇気が消えていった。
「それで、内容はなんだったのかしら?」
 さつきの質問に、冬季は眉根を寄せて答えた。
「地上の対策ベースからの連絡なのですが、どうやら、偽物と思われる神社を探索していたメンバーとの連絡が途絶えたようです」
 冷たい空気が場を覆った。もうひとつの調査隊の身を案じたということもあるし、自分たちの身に同じことが起こってもおかしくないと気づいたこともある。
「私たちは私たちのやるべきことをやるだけです」
 冬季が立ちこめる暗雲を払うように首を振った。
「みなさん、食後におひとつどうですか?」
 ランドルフがつとめて明るい態度で、腰に下げた小さな袋から可愛らしいウサギの形のクッキーを取り出した。
「きゃー! かわいいっ!」
 ラクシュミがさっとほおばる。
「うん、美味しい! ランドルフさん、これどこで買ったんですか?」
「いやぁ、実は……私が作ったんです」
「え?! ランドルフさんがこれを?」
 ラクシュミがしげしげとクッキーとランドルフを見比べた。無骨な彼からはどうにも想像できない。
「へぇ、器用なんだな」
「でも、本当に美味しいわ」
 白月とさつきは面白がるような反応だ。冬季もまた、珍しく穏やかな笑顔でクッキーを食べていた。
「あっ! 最後の一個はあたしが……」
 伸ばしたラクシュミの手から逃れるように、最後のひとかけらが地面に転がった。
「意地汚ぇ真似すっからだろ」
 白月が拾ってやろうとしたが、一度止まったはずのクッキーがまた動き出す。物体は力が作用しない限り動かない。いったいどんな力が働いたのかと、誰もが思った。
「みんな! 荷物を持って壁際に……」
 最初に気づいたのは音に敏感な白月だった。手早く三節棍だけを拾い、立ち上がり様に壁に背をくっつける。
 轟音を立てて、突風が吹いた。突風という表現は生やさしいかもしれない。ハリケーン並の風力が五感をすべて奪い去った。目も口も開けられず、耳には風音だけ、臭いなどとうに吹き飛ばされ、身体に感じるのは恐ろしいほどの風圧だけだ。
 白月は心中で激しく後悔した。クッキーが転がったのは風の余波だ。早く気づくべきだった。他のみんなはやはり吹き飛ばされてしまったのだろうか。そうであるなら、悔やんでも悔やみきれない。
 ここは獣人化してでも行動を起こさなければならない。そう考え始めた頃、不意に風が凪いだ。急に風圧がゼロになったため、反動で地面に倒れ込んでしまう。
「みんな、どこだ!」
 ボサボサになった白髪を梳かす暇もなく、立ち上がろうとした白月の視界に、地面から突き出ているさつきの杖が飛び込んできた。つづけて、さつき自身も地面の下から姿を現した。
「さつきさん! 無事だったのか?」
「なんとか、ね」
 その後、ぞろぞろと床に空いた穴からラクシュミや冬季やランドルフも出てきた。
「こっちは気が気じゃなかったぜ。いつの間に穴なんか掘ったんだよ?」
「ランドルフが楯になってくれたのよ」
 風が襲いかかってきたとき、ランドルフは筋肉を可能な限りパンプアップさせ、全体重をかけて踏ん張った。
「持ちこたえるのは数秒でいい。あとはみなさんがなんとかしてくれると信じていました」
 ランドルフは照れ隠しに頭をかいた。
 冬季は咄嗟にランドルフの右腕にしがみつき、ラクシュミは左足にしがみついていた。
「もう死んでもはなさないって思っちゃった」
 ラクシュミが悪戯っぽく舌を出す。
 唯一、ランドルフの巨体の陰で自由に動けたのは、さつきだけで、それが彼らを救うことになった。
「グラヴェメンテで穴を掘ったあと、シュナイデントで広げたのよ」
 『グラヴェメンテ』とは地面にトルバドールを突き立てて衝撃波を起こす魔剣技であり、『シュナイデント』数メートルにわたって突きを繰り出す魔剣技だった。
「ねーねー、あたしたちってチームワーク抜群じゃない?」
 ラクシュミが嬉しそうにランドルフと白月の腕を取った。ランドルフは顔を真っ赤にし、白月は「うわっ、なにすんだよ」と振りほどこうとする。
「だってランドルフさんも白月さんも素敵なんだもん! この調子なら、どんな障害もみんなで乗り越えれちゃうよね!」
 さつきも冬季もそんな三人を笑って見ていた。
 このあと、自分の考えが甘かったことをラクシュミは思い知ることになる。彼らは決して近づいてはいけない封印の間へと足を向けてしまうのだ。



▽地の底の壁画▽

 さつきには、ずっと気になっていることがあった。
 この地下通路の形と、先ほどの突風のことだ。この二つには何か関連があるように思えてならない。それは、魔法使いである彼女だからこその発想だったのだが、最後の決め手がなかなかつかめず、まだその予感は仮説の域に達していなかった。
「さつきさん、どうかしたのですか?」
 うわのそらの魔法少女を心配して、巨人が声をかけた。
「少し、気になることがあって」
 杖で罠がないか探りながら、さつきは口をへの字に結んだ。
「なんのことです?」
「この地下通路の形がなにかに似ているような気がして……」
「円形、ですよね?」
「そう、円なのよ。円といえば魔法の世界では循環を表していて――きゃっ!」
 唐突に身体が横倒しになり、さつきが軽く悲鳴をあげた。彼女は左手を壁についていたのだが、その壁が扉のように開き、その向こう側へ投げ出されたと気づいたのは、床に倒れ込んでからだった。
「大丈夫ですか?!」
 ランドルフがさつきを素早く抱き起こした。罠の類であればと考え、彼女を庇うように抱きすくめる。
「え、ええ。大丈夫よ。ありがとう。でも、そろそろ放してくださるかしら?」
 非常に言い出しにくそうな申し出を受け、ランドルフが頬を赤らめ腕を広げた。
「きゃー! ランドルフさんったら! 積極的ね」
 ラクシュミがひゅーひゅーと口笛を鳴らすと、ランドルフはゆでダコのように頭頂からつま先まで真っ赤になってしまう。
「大人をからかうんじゃねぇよ」
 白月がこつりとラクシュミの頭をこづいた。
「いったーい! 白月さんだってそんなに年変わらないじゃない」
 唇をとがらせてのブーイングをあっさり無視して、白月も壁の向こうへさっさと入った。
「入り口に罠はなさそうだな。ま、隠してるんだからわざわざ罠なんて仕掛けねぇか」
 白月がそう断言したのは、三節棍に灯された明かりを使い、周りを見渡してからだ。そこは隠し部屋のようだった。部屋の大きさは約二十メートル四方で、足跡もないことから長年誰も入っていないことがわかる。
「怪我の功名ってやつか?」
「ちょっと違う気もするけれど」
 少しばつが悪そうに、さつきが肩をすくめた。
「扉になくとも、中に罠があるかもしれません。気をつけてください」
 冬季とラクシュミも部屋に入ってくる。忠告に首肯しながら、全員で部屋の探索をはじめた。
 ものの数分で、隅から隅までを探索し終え、五人が五人とも同じ結論に達した。この部屋に彼らの興味を引くものは一点だけしかない。
「壁画かしら?」
 ラクシュミが言うと、「でしょうね」と冬季が応じた。
 四方の壁すべてにびっしりと、不可思議な文様が描かれていた。たとえば人間を表していると思われる絵もあり、たとえば判読不能な文字列もあった。すべてに共通しているのは、メンバーの全員がそれらを初見だということだった。
「文字が多いですかね」
 ランドルフは壁の表面を指でなぞっている。なんとか文字らしきものを読もうとしているようだ。
「なにかこの通路についての情報かしら」
 さつきも興味深げに壁画を観察していた。
「ねーねー、これってなんだか繭とか卵に見えない?」
 ラクシュミは女子高生らしく絵から内容を推測していた。
「俺は頭を使うのは苦手だ。入り口を見張ってるぜ」
 白月だけがさっさと解読をあきらめて見張りに立つ。
 それからしばらく謎の絵や文字とにらめっこをしていた一同だったが、量も多く、さすがにきりがないようだった。
 ランドルフやさつきが途方に暮れた頃、おもむろに冬季が携帯電話を取り出した。
「どうするの?」
 ラクシュミが首をかしげる。
「地上の対策ベースに連絡して、この文字について調べてもらうのです。私たちでは手に負えそうもありませんからね」
 冬季が用件を伝えている間、さつきがラクシュミに地図を貸してほしいと頼んだ。
「いいけど、どうかしたの?」
「少し、ね」
 さつきは曖昧に返事をかえし、地図に視線を走らせた。じっくりと通路の道筋をなぞり、彼女はついに確信に近いものを得た。隠し扉で倒れたショックが良い方向に働いたのかもしれない。
「やっぱり……この通路全体が円形をしているのは、魔法陣だからじゃないかしら」
「魔法陣?」
「そう。正確には魔法ではないのかもしれないけれど、呪術や仙術やそういったものを使う際に、力を強めるために使われるものよ。通常、文字や図形を組み合わせて陣を描き、それをなぞることによって発動するわ」
 そこで電話を終えた冬季が話に加わった。
「なるほど。面白い仮説ですね。この通路全体がその魔法陣だということですね」
「ええ。円は力の循環を表すから、この手の魔法陣に使われることが多いわ」
「ええっと、ええっと、ということは、この地下自体がぜーんぶ魔法を強める装置だってこと? だとしたら、魔法を強めてどうするつもりなのかな?」
 ラクシュミが必死に理解しようと頭をひねっている。
「それに関しては、対策ベースから面白い話が聞けました」
 冬季がにやりと笑う。
「私が電話をした時、ちょうど対策ベースでこのハザードの原因となった映画を観ていたそうです」
「え? このハザードの原因となった映画がわかったのですか?!」
 一人でねばり強く壁画に挑んでいたランドルフも、事件の核心に迫る話を聞きつけ、皆の輪に入った。
「この地下通路の元は、『ほとりの闇』という映画に出てくる地下迷宮だそうです。この際、私たちに必要な内容ではないので、映画の中身は割愛させていただきます。問題はこの迷宮の中心にいるものです。おそらく魔法陣はそれに力を注ぐために働いています」
「で、そいつがこのダンジョンのボスってわけか?」
 事ここに至り、白月も見張りという名の休憩を中断する気になったらしく、挑戦的な笑みを浮かべてランドルフとさつきの間に割って入った。
「ボスですか。確かにその呼び名がふさわしいかもしれません。この迷宮の中心には、巨大な繭があり、多大な霊力を得ることにより、大妖怪がそこから孵化するという設定のようです。映画内ではその大妖怪は結局復活することなく終わるのですが、ある人物が自らの妖力と杵間神社に充ちる霊力とを利用して、この銀幕市での復活を企んでいるようですね」
「その、ある人物というのは?」
 さつきの疑問に冬季はさらりと「そちらは地上の対策ベースに集まったメンバーが対処するようです」とだけ言った。他のメンバーには伝えなかったが、電話の相手はこう言ったのだ。復活のために力を提供した大元の人物が死ぬことにより、大妖怪の力が弱まるだろう、と。その言葉はこれから起こるであろう、ある悲壮な未来を想起させるに十分だった。そのことをラクシュミや白月が知る必要はない。
「私たちがやるべきことが決まりましたね。これから地下迷宮の中心部へと急ぎ、大妖怪が復活する前に繭を破壊するのです」
「でも、急ぐって言っても、まだしばらく、中心までは迷路がつづくよ」
 ラクシュミが困って眉根を寄せると、さつきが自信たっぷりに宣言した。
「その点は問題ないわ」
「なにか良いアイディアがあるのかよ?」
 訊ねる白月に「あの突風が鍵よ」と、さつきは説明を始めた。
「魔法陣はそこにあるだけでは効力を発揮しないの。少なくとも呪文を詠唱したり、文様をなぞったり、動きが必要なのよ。呪文を唱える声なんて聞こえないし、これだけ大きな魔法陣を誰かが歩いてまわってなぞるなんて無理だわ。でも、風だったら短時間でこの通路内を移動できる」
「なるほど。あの風は罠や攻撃ではなく、魔法陣を走り抜けて魔術を行使している、いわば魔術師だったのですね。魔法使いでなくては気づけませんね」
 冬季が感心して手を打った。
「となれば、風のあとを追えば少なくとも行き止まりにはならない、ということですね?」
 その時、タイミング良く、風の音が遠く響いてきた。
「ある程度、風の流れは読めるけどよ。あの突風を追いかけるなんて、口で言うほど簡単じゃねぇぜ」
 誰が言い出すまでもなく、白月が風を追いかける気満々でいる。彼の四肢がざわざわと波立ち、銀色に輝く白毛が現れた。本気を出して走るつもりの人狼化だ。あっと言う間に手足が狼のそれになる。
「中心部にたどり着いたら、この携帯で連絡してください」
 冬季が二つ持っていた携帯を渡す。
「人使いが荒いリーダーだぜ」
 言うが早いか、白月は駆け出していた。それこそ一陣の風を残して。



▽繭玉と死闘▽

 繭玉が在るとおぼしき部屋は明らかに様子が違っていた。まず、古びた木製ではあったが、きちんとした両開きの扉で封がしてある。表面に細かい彫り物が施されていたが、ほとんどつぶれていて判別は難しかった。ただ、最終的に風がたどり着いた場所という意味で、冬季たちはここが今回の探索の目的地だと確信していた。
「少し休みましょうか?」
 冬季の気遣いは白月に向けてのものだ。
 彼は全力疾走の疲労によって肩で息をしていた。全身が汗でびっしょりだ。なにせ一度風を追いかけたあと、再びメンバーの元へ戻って、さらにまたこの場に戻ってきたのだから仕方がない。さすがにメンバーとともに移動する際には、ランドルフが彼を背負った。それでも、激し過ぎる消耗はすぐには回復しなかった。
「この程度、気にするな。それよりも時間がねぇだろ」
 ランドルフの背で、白月が力なく手を挙げた。
「では、先ほど決めた作戦どおりでいきましょう」
 白月の帰りを待つ間、彼らは何もしていなかったわけではない。繭玉の元へたどり着いた際に、どういった行動を取るべきなのか話し合っていたのだ。その結果、最初に突入するのはランドルフとさつきと決まっていた。護衛がいた場合、戦闘力のある二人が倒す計画だ。白月は疲れていることが分かり切っていたので、ラクシュミと冬季を守る護衛に回る。繭玉がどれほどの大きさか想像もつかなかったたが、一番膂力のあるランドルフが斧で破壊することになっていた。
「準備はいいわ。いきましょう、ランドルフ」
 さつきがトルバドールを槍形態にしてかまえた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
 これまで守りに徹してきたランドルフもついに巨大な両刃の斧を手にした。
 後方には棍を持った白月、そしてラクシュミと冬季。ラクシュミは無意識のうちに、汗で粘つく手で腰のガードケージを撫でていた。
 さつきとランドルフがお互いに視線を交わし、一気に扉を開いた。
 さつきが槍を突き出し牽制し、ランドルフが素早く内部に身を入れる。緊張した様子であたりを油断なく警戒し、何もないと確信できてから、二人とも武器をおろした。
 大広間には繭玉しかなかった。警護の小鬼もいないどころか、生き物の気配すらない。ただただ繭玉だけがそこに在った。
「うわぁ、綺麗」
 あとから慎重に広間に入ってきたラクシュミが思わず漏らした。
 なめらかな表面は赤子の肌のように艶やかで、その楕円形は優美な曲線を描いている。広間の中央で、天井と床に糸を張り、宙に浮いたような格好だ。大きさはちょうど人間の大人ほどか。大妖怪という名称が勝手なイメージを膨らませ、巨大な繭を想像していた一同は少々拍子抜けしてしまった。
「邪魔がいなかったのはラッキーね。早いところ壊してしまいましょう。私も手伝うわ」
 さつきが呪文の詠唱を始める。槍の穂先が魔法の光を帯びた。
「よし」
 ランドルフも気合いを入れると、斧を振りかぶって、繭玉に近づく。
「ズヴェリアンド!!」
 さつきの槍が高速で動き、残像を曳きながら数十の突きが繭玉に迫る。同時に、ランドルフも雄叫びをあげつつ、斧を振り下ろした。
 そのとき、ラクシュミはえも言われぬ悪寒に背筋を舐め尽くされた。
 白月は放射される殺気に全身の毛が逆立つのを感じた。
 ランドルフは本能で覚醒状態へと変化した。
 さつきは恐ろしいほどの力の奔流が繭玉へと流れ込み、一気に目覚めの時がやってきたのを感じ取った。
 そう。彼らの希望を打ち砕くように、彼らを絶望に誘うように、目覚めの時が来てしまったのだった。
 繭玉が割れ、中からあふれ出した光の帯に、さつきの槍がはじき飛ばされた。ランドルフの斧も同様だ。
 ゆっくりと姿を現す生き物は、蛾のような蝶のような形をしていた。異様に長く伸びた触覚と、大人が二人で両手を広げても届かないほどの大きさの四枚の羽が特徴的だ。きらきらと虹色に輝いて見えるのは、鱗粉だろうか。極彩色の美しい羽の模様を、壁画の中で見たことがあると、ラクシュミはぼんやりと考えていた。
「きゃっ!」
 そのラクシュミを突き飛ばしたのは白月だった。一瞬前まで彼女の立っていた場所が蒼く輝く鱗粉に包まれる。産声を上げるように大妖怪が大きく羽ばたいたのだ。巻き起こされた気流に乗って鱗粉が拡散していく。
「白月さん!」
 もちろんラクシュミの身代わりとなった白月と冬季は、鱗粉の中に囚われている。大妖怪の近くにいたランドルフとさつきも、姿が見えないほどに蒼い光に押し包まれていた。激しく咳き込みながら、地面に膝をつく四人。
 はじめに、最も耐久力のない冬季が血を吐いた。次に、さつき、白月。ランドルフまでもが吐血する。もはや鱗粉が毒素を帯びていることは明らかだった。
「白月さん! さつきさん! ランドルフさん!」
 泣きそうになりながら駆け寄ろうとするラクシュミに、白月が声を荒げた。
「馬鹿っ! こっちに来んな! 口ふさいでそこに――げほっ! がはっ!」
 はっとしたラクシュミは、背負っていたバックパックから防毒マスクを取り出した。顔全体を覆うタイプの毒ガス対応軍事用マスクだ。持ち主である父親に感謝しながら、白月と冬季近づいた。
「うぉぉおおおおおぉぉぉおおおおっ!!」
 ランドルフが咆吼を上げた。覚醒した彼の、力強い吠え声により、一瞬だけ大妖怪の動きが止まる。
 さつきはこの隙に魔剣技を使うべく呪文を唱えようとするが、咳が邪魔をして一向に進まない。仕方なくトルバドールで突きを繰り出すも、毒に蝕まれた身体では通常の半分のパワーもスピードも出ない。大妖怪は槍の届かない天井近くまで、ふわりと舞い上がった。
「じゃあ、こいつはどうだっ!」
 ランドルフが渾身の力で斧を投げつけた。動きの鈍い大妖怪に、猛スピードで迫る凶器を防ぐ手段はないように思われた。ところが、大妖怪の長い触角が器用に動いて斧を絡め取る。
「俺がやる!」
 背中をさすっていたラクシュミの手を振り払って、白月が立ち上がった。すでに手足は獣化し、風と同じスピードで地を蹴り、壁を蹴り、宙を走っている。三節棍を分離させ、大妖怪の複眼めがけて攻撃を伸ばす。
 大妖怪が触角を振り抜いた。斧が棍をはじき、白月自身も吹き飛ばされ、吐血しながら天井に叩きつけられた。
「シュナイデント!!」
 そこに、ようやく完成した、さつきの魔剣技が炸裂する。突きの衝撃が空気を裂く。防ごうとした大妖怪の斧が折れ飛び、触角が分断される。だが、もう一本の触角が、さつきをなぎ払った。肩から袈裟懸けに血がしぶき、もんどりうって倒れ込む。
 ランドルフがもう一度咆吼を放とうとして、喉につまった血塊にむせんだ。
 巨人と計画者はしゃべれないほど咳き込み、人狼と魔法少女は血を流しながら倒れ伏し、ラクシュミだけが立ちつくす。
 彼女は恐怖と絶望の中、みずからの台詞を反芻していた。
「この調子なら、どんな障害もみんなで乗り越えれちゃうよね!」
 そうはしゃいでいたのが遠い昔のことのようだ。このままでは全滅してしまう。みんな殺されてしまう。いったい自分に何ができるだろう?
 ラクシュミは震える心と身体を抱きすくめ、苦しむメンバーを見、大妖怪を睨みつけた。荷物の中から携帯用の火炎放射器を取りだす。今満足に動けるのは彼女しかいないのだ。ここで闘わなければ、最初にみんなの反対を押し切ってまでついてきた意味がない。
 ラクシュミは唯一の武器を持ち、気配を殺して広間の隅へと移動した。なんとかして火炎放射器の射程まで近づかなければならなかった。
 一方、白月もランドルフもさつきも、ラクシュミの動きに気づいていた。気づいていたからこそ、再び立ち上がる。大妖怪を倒すために、大妖怪の注意をひきつけるために。
「ミンストレル!!」
 さつきが呼ぶと、傍らに突如としてバイクが現れた。魔法のバイクであるミンストレルには、食料や医療キットが積んである。彼女が以前にお楽しみと言っていたのはこれだったのだ。荷物をその場に下ろすと、自分がバイクにまたがった。このスタイルこそが彼女の本気なのだ。
「ぐおぉぉぉおおおおおぉおぉぉおおおお!!」
 ランドルフの口からは低い獣のような唸り声が発せられている。筋肉が徐々に膨張し、見る見るうちに体格が大きく変貌していった。大妖怪すらも超える巨体になった彼の心には、すさまじい破壊衝動と仲間たちを守りたいという想いが渦を巻いていた。
「俺も本気でいかせてもらうぜ」
 白月の全身から不可思議な力が放たれると、周囲の景色が緑の草原に変わっていく。天井があった場所には真っ白な満月が浮かんでいた。彼のロケーションエリア『狼が吼えし時』だ。その中では、人狼としての本領を発揮できる。腕や足だけでなく、身体や顔までもが狼の毛に覆われていった。副次的な効果として、さつきやランドルフ、ラクシュミの身体能力もアップする。
 三人はそれぞれの全力をもって大妖怪へと立ち向かっていった。



▽水難に遭い、終局へ▽

 冬季は、ロケーションエリアの影響で生まれた草木と、立ち向かっていく仲間たちをうつろな目で眺めながら、独りごちた。
「大男さん、あなたの覚悟を信じていますよ……」
 彼の言葉が届いたのか、それとも神の采配か。地上で起こった出来事が、今まさに大妖怪への力の流入を途切れさせようとしていた。
 それに気付いたのは草の中に身を潜めていたラクシュミだ。徐々にだが大妖怪の高度が下がってきている。飛ぶ力が失われつつあるのだ。
 ラクシュミは意を決して立ち上がった。足がもつれる。気ばかりが焦る。それでも、確実に大妖怪の背中が近づいてくる。白月たちの方を気にかけている大妖怪は、火炎放射器の噴出口を向けられたことに気がつかない。
「やあっ!!」
 目をつむり、引き金を引いた。
 細々とした炎の糸は、大妖怪の右の羽に燃え移ると、もの凄い勢いで広がっていく。鱗粉が可燃性だったらしく、見る間に半身を焼き尽くす。
「ラクシュミ! さがりなさい!」
 さつきが呪文を唱えつつ叫んだ。草原を魔法のバイクが疾駆する。狙うは左の羽だ。
 炎に身もだえしつつも、大妖怪が触角を伸ばした。首をひねることで、かろうじてそれをかわすことに成功するも、サングラスがはじけ飛ぶ。それでも、スピードは緩めない。
「シュヴングフォル!!」
 すり抜け様に、さつきがトルバドールを突き出した。炎を纏った槍が左の羽を突き破る。この炎もまた猛々しく燃え上がり、さらに半身を焼き尽くす。
 大妖怪は左右の羽を失い、弱々しく地に落ちていくしかない。
 そこへ白月が跳びかかった。彼もまた一撃を加えるべく、さつきの真後ろを走っていたのだ。
 完全な人狼となった彼の俊足は、両手の爪に鋼鉄をも切り裂く鋭さを与える。銀色に輝く獣の瞳が捉えているのは、もはや倒すべき敵の姿のみ。
 右から一閃、左からもう一閃。
 あまりの勢いに、脚が止まらず、地面を転がっていく白月の後方で、大妖怪の胴体が上下にまっぷたつになった。弾ける血潮は紫。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 とどめは、ランドルフの仕事だ。地響きを立てながら、突き進む姿はまさしく鬼神。
 最後の抵抗を試みた大妖怪の触角は、ランドルフの肉体を傷つけることはできても、心にまで傷を負わせることはできない。皮膚が裂け、肉が爆ぜようと、何事もなかったかのように近づき、横たわった大妖怪の上半身に馬乗りになった。
 そして、鉄拳をもって容赦なく殴りつける。
 殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。殴りつける。
 大妖怪の無惨な躯が痙攣すらしなくなった頃、ランドルフはようやく拳を停止させ、
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 白明の月に向かって勝利の雄叫びをあげた。
「やった……やった!!」
 ラクシュミが跳ねながら喜び、さつきはバイクの上で突っ伏した。白月は満足そうな笑みを浮かべながら、大の字になって寝ころんでいた。
「……ありがとうございます」
 冬季の独り言は誰にも聞き取られることなく消えた。
 ラクシュミも、白月も、さつきも、冬季も、息も絶え絶えながら、静かに喜びをかみしめた。
 だがしかし、勝利は彼らに安息を与えなかった。
「なんの音だ?!」
 ロケーションエリアを解き、人間の姿に戻った白月がよろめきながらも立ち上がる。彼の耳は地鳴りのようなものを聞きつけていた。
「あたしにも聞こえる! これって……」
 ラクシュミは嫌な予感に襲われた。と、同時に広間の壁の一角にヒビが入った。隙間からちろちろとにじみ出ているのは、水だ。
「大妖怪が死んだから、迷宮が崩壊している?!」
 さつきがつぶやくと、それを肯定するかのように壁が次々とヒビ割れていく。あれよあれよという間に、四方八方から水が噴き出し始めた。
「地下水でしょうか?! ともかく、早く脱出しなければ」
 冬季は片膝をつくのが精一杯だ。大妖怪が死に、毒の効果はなくなったようだったが、だからといってダメージが回復するわけではない。
「冬季! ラクシュミ! つかまって!」
 さつきがミンストレルのアクセルをふかす。ラクシュミと冬季を救出すべく水上を走る姿は、まさしく魔法のバイクだ。
「わ、私は泳げないんです」
 通常状態に戻ったランドルフが腰まで水に浸かりながら、必死に水をかき分けている。
「ちょっと待ってな」
 白月がランドルフの近くに寄ると、不思議なことに水が彼らをよけた。彼らを中心に球体ができあがり、その中には水が入ってこないのだ。
「これは?」
「知り合いからのもらいものでね。水に対するお守りになるのさ」
 白月はアクアマリンの魔法石がはめこまれた腕輪をかざしてみせた。
「みんな、仕事は終わりだよ。地上に帰ろう!」
 さつきの後ろでバイクにまたがったラクシュミが手を振った。
「ったく、さっきまで死ぬところだったのに、呑気な奴だぜ」
「そうですね」
 白月とランドルフは微苦笑して、走り出した。水は防げても、生き埋めにされてはたまらない。
 さつきは地上への道筋を思い出しながら、最後に、水に流されていく大妖怪の屍を一瞥した。
「私たちはここへ来て、彼を殺しただけ。それで、なにかを解決できたのかしらね……」
 彼女のつぶやきはすぐに、水音に消されてしまった。それきり彼女は後ろを振り返らず、仲間とともに地上へと一直線に向かっていった。

クリエイターコメントこのたびはコラボレーションシナリオ『銀幕市的百鬼夜行』にご参加いただきありがとうございました。

すべてお読みになった方はおわかりのとおり、このシナリオは西WRのシナリオと依戒WRのシナリオとリンクしています。
どのあたりがリンクしているのかは、みなさんでひとつずつ確かめてみてください。

今回、色の選択で、三人のPC様が同じ蒼を選ぶという事態になり、ああいったラストバトルになりましたが、いかがだったでしょうか?

口調や言動等で気になる点や誤字脱字等があれば、遠慮なくご連絡ください。
皆様に少しでも満足していただければと祈りつつ。
公開日時2008-03-01(土) 12:00
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