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<ノベル>
バロア・リィムは市役所に来ていた。この暑い中ご苦労なことだ。家主に代わって税金を払いにきたのだ。三月家の名誉のために言っておくが、決して銀行口座に残金が無かったのではない。引き落とし型ではなかっただけである。で、家主は最近何がしかがあったようで、すっかり意気消沈している。出歩く事すら好んでいない様子なので、バロアが代わりにやってきた。
彼はこの暑い最中、やはりネコミミフードをつけている。魅惑のネコ耳。誰もがときめかずにはいられない。さぞかし蒸れるだろうと思われるのに、バロア自身は涼しい顔をしている。ちょっぴり将来が心配だ。主に頭皮が。
暑さは我慢できても、喉の渇きは我慢できないのか、順番待ちの間、チルドカップのカフェラテを飲んでいる。座っていたが、なにやらフードの裾が引っ張られる。
もしかして椅子に引っ掛けたか?と、振り返ると、4〜5人のお子様たちがバロアを見上げている。中の一人は銀幕ジャーナルを後生大事に抱えている。嫌な思い出が過ぎる。逃げよう、と椅子を立とうとした直後。
「ねこみみふーど!」
「うわぁ、ねこみみっ!」
「バロナだバロナっ!」
「じょそう〜!」
「のぉっ!」
子どもたちに襲撃される、魅惑の君。
椅子から引き摺り下ろされ、無理矢理ネコ耳をひっぺがそうとする。こんな小さな子たちのそんなポテンシャルが眠っているのだろうか、バロアが必死になって防御体制を貫いている。
「ちょ、やめろってば!なにするんだよお前等!引っ張るなってば!つか誰だ今バロナって言った奴!!!」
慌ててバロアがローブを引っ張り返す。ローブとフードは二人で一つ。
魅惑のネコ耳フードはお子様にも効果絶大らしい。ネコ耳は大きなお友達だけでなくも小さなお子様までゲット可能。
バロナ、バロナ!ねこみみちょうだい!バロナ!女装に合う〜!ババロア!ねこみみよこせよおっさん!バロナ!ねこみみ〜!
「煩いってば!つかなんなんだよ、お前等!!しかもおっさんって言った奴いるだろ!!」
なんとか上半身を起こしてついでに子どもたちを振り払おうとするが、逆に子どもたちは振り回されて楽しそうである。バロアがムキになるのも楽しいのかもしれない。それにまたバロアが逆上する。大人気ないぞ、実年齢28歳。バロナ呼ばわりよりもおっさんの方が嫌らしい。
「ちょっと!なにしてるの、あなた達!!」
そんな中、若々しく、それでいて凛とした声がちみっ子達を一喝する。バロアが見上げると(結局子ども達に押し倒されたらしい)、そこには、まだ幼さが残る愛らしい顔立ちの褐色の肌をした女の子が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
以前会った事がある。沢渡ラクシュミ。
端正な眉を吊り上げて、子ども達を睨んでいる。
その剣幕に驚いた子ども達が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。きゃー、あのおばちゃん怖いー!などと言える余力があるのがまた憎たらしい。
しかしラクシュミは構わず、バロアに手を差し伸べる。
「大丈夫、バロアくん?」
「あぁ、何とかね。つか何なんだよ、あのガキども……!」
子ども達が去っていった方向を壮絶な目付きで睨みつけながら、バロアはラクシュミの手を借りて立ち上がる。
「なんかね、外国の小学生が来てるみたい。全く、どんな躾されてきたのかしら。親の顔が見てみたいわ」
沢渡家も躾らしい躾は無いのだが。彼女の場合は親が反面教師となっている為か、子どもの頃からしっかりしていたし、それは今も変わらない。
そんな時。対策課の方から聞き覚えのある、しかし違う人間かもしれないと思わせる声が聞えてきた。
「今の笑い声……植村さん、よね?」
「その割には壊れた感じがしたけどね」
二人は顔を見合わせて、対策課へと足を向けた。
ふははははぁ!!
泣け、喚け、そして鼻詰まれ!!
植村の笑い声が響く。そんな声を上げながら納涼大会のポスターを壁に打ち付けていく。金槌で叩いていたら恐怖も増すかもしれないが、そこは只の市役所職員の植村なので、画鋲をぐりぐりぐりぐりと壁に塗りこませることが精一杯なのだが。
その様子を、斑目漆は興味深そうに見ていた。
なんで鼻詰まれやの。普通叫べとかそんなんやろ。 とか思ったが敢えて口には出さない。だってこのまま放っておいた方が面白そうだし。
彼はお馴染みの狐面をつけていたから、表情までは読み取れない。
「おや斑目さん。いらしたのですか」
ぐるりと漆に振り向いた植村の目は充血していた。その何時もとあまりに違う様相を見、ちょっぴりひいた。
「……あー、ちょう用事あってな。もう済んだからとっとと帰るわ。ほな!」
忍びの勘か、銀幕市に召喚されてからの経験か、嫌な予感が漆の背中を走る。面倒事に巻き込まれる前に退散した方が良さそう、なのだが。
「……逃がしませんよ、逃がすものですか……ッ!」
首根っこをわしっと掴まれる。ゆっくりと振り返ると、植村が通常よりも3割増(当社比)の笑顔を浮かべている。
「……それはお化け屋敷手伝えちゅー話なん?」
先程までの子ども達の暴れ振りを静観していた漆が、ちょっと嫌そうに言う。
「そうです。それはもう阿鼻叫喚の様を直視させて生きるべきか死すべきかそれが問題だ的なまでの心的外傷を負わせて尚且つこの世の地獄を見せて自分達の犯した過ちの大きさを思い知らせてやるんですよ……」
ふふふふふ、と御伽噺に出てくる怪しい魔法使い的な笑い方をしながら、やはり画鋲をねじ込んでいる。そんな植村を見直しつつ、漆は小学生達を思い出す。気配、もしくは雰囲気が街行く小学生とは違う。勿論、ムービースターとも同じではない。
そう突き詰めていくと、誰に関連した小学生達かが判る。
「なんやあんま乗り気がせぇへんのやけど。植村の旦那の頼みならしゃあないね。……ところで、バイト代は出るん?」
面の下で、最高な笑みを浮かべているのに気付いたのか、それとも親指と人差し指で作った輪で気付いたのかは定かではないが、植村も眼鏡をくっと上げて無駄に逆光で光らせて。そして近くの机においてあった業務用以外の何物でもない、無骨な電卓をバチバチと叩き漆に見せる。
「当然でしょう。では……このくらいで如何です?」
「せやねぇ、現金にはそんな困ってへんしね。あれやったら現物支給でもええよ」
「現物、ですか」
「そや。先月は寒ぅて今月は暑いやろ。せやから野菜とかえらい高くなっとるさかいに。うちは食費がなぁ……」
声の調子でなかなかにご機嫌である事が伺われる。
「結構ですよ、幸い市と提携している農園がありますしね」
え、それどんな農園!?
なんて野暮な事は突っ込んではいけない。きっとあれだ、食堂に卸しているに違いない。
「会場はどこなん?まさか市役所ではやらんよね」
「ふ、ご心配無く。会場は既に用意してあります。市立体育館を徴は……もとい、借り出しましたから」
徴発なんてかっこつけた物言いだが、市立体育館は事前に申し出れば誰だって貸切可能なのだ。
「あれ、漆じゃん」
振り返ると、魅惑のネコ耳バロア・リィムと、インド系大和撫子沢渡ラクシュミが居た。
バロアと漆には面識があり、バロアとラクシュミも面識がある。しかし漆とラクシュミには面識が無い。漆とバロアの挨拶が終わり、漆とラクシュミが挨拶をする。
「はじめましてー、斑目漆言いますねん。宜しゅうな」
「こちらこそ!あたしは沢渡ラクシュミっていいます、宜しく!」
屈託の無い笑顔が好感を与える。
「そういや、漆は何してるわけ?」
「ん?いやな、植村の旦那に頼まれたんよ。お化け屋敷の……脅かし役?でええんよね?」
植村に問いかける。彼は今度は画鋲ではなく、不要になった書類をシュレッダーにかけていた。あのちみっ子達はある意味見る目があるのか、不要な書類は一切破っていなかった。
そのシュレッダーのかけ方は、やはりふふふふふと怪しい笑い方をしながらで不気味だ。数枚を一気に掛けるが、たまに咬む。その様子をやはり歪んだ笑み(黒い所じゃない)を浮かべている。
漆とラクシュミは結構その様子にひいているが、バロナ……もとい、バロアは無言で大股に近寄る。ぐわしっと植村の手をとる。シュレッダーかけてる時にこういう事しちゃいけないよ、良い子も悪い子も普通の子も真似しないように!
「―植村さん」
「はい?」
「僕も力を貸します。……恐怖を、恐怖を見せてやる!」
バックに炎すら纏っているかのような決意である。やっぱり大人気ないぞ、実年齢28歳、バロア・リィム。
漆はそんな二人を呆れながら見ているラクシュミに、耳打ちする。
「手伝うとバイト代出るらしいで」
「え、なにほんと!?じゃああたもし手伝おっかなー、今月のお小遣い、ちょっとピンチなんだ」
怒りにキャラをちょっと変えてる二人を全く気にせず、漆とラクシュミは盛り上がる。
「いざ鎌倉!!」
それは一大事が起きた時の掛け声ではないだろうか。
ラクシュミは言い損ねたが、バロアと植村は盛り上がっているし、漆も何も言わなかったから、自身もそれ以上は言わなかったのだけど。
バロアと漆はムービースター、それもファンタジーと平安時代の人だから知らなくても違和感はないけど、植村はどうかと思った。
尤も漆は、学校に通っていたから知っていたのに敢えて黙っていたのだが。そこまでは、ラクシュミは気付かなかった。
銀幕市立体育館は結構立派である。外観は体育館にはあまり見えず、美術館然としている。勿論中は立派な体育館だ。それも大分広い。
事前に申し込んでおけば、5人以上からであれば個人利用も出来る。これは現在の市長になってから改定された。当然団体利用も可で、駐車スペースも無料。かなり市民からは愛されている。
今年の納涼大会は、銀幕市不老町老人会のロックフェスティバルが開催される予定だったが、お上の権力を傘に来て後日に延期させた。爽やか中間管理職ポジションにいるくせに酷い男だ。
「会場のセッティングや道順などはうちがやります。これが概ねの道順です。恐ろしい罠を仕掛けてください。……八熱地獄全て堕とされる程の罪状があるのですから」
「ー八熱地獄って罪状殆ど被っとる気がしたけど、ええんかいな」
漆が別の面を弄りながらポツリと呟く。
「あと、今回は協力な助っ人もいるんですよ。梛織さん」
梛織と呼ばれた青年が、植村の後ろから現れる。右手にスーパーのレジ袋を持っている。
「ども、こんちは!」
夏にも拘らず、さらさらの黒髪。中世的な顔立ちで、若干目付きが悪い。
「あ、梛織さん」
「おひさしー」
バロアとラクシュミは知り合いであるようだ。三人は軽く再会の挨拶をする。
「これ差し入れな。っつっても俺も働くけどさ」
笑った顔は人が良さそうに見える。梛織はバロアとラクシュミに冷えたペットボトルを渡す。黄色いスポーツドリンクと爽やかに健やかなお茶だ。
漆とは初対面らしく、梛織は彼に向かって人の良い笑顔を浮かべる。
「よ、俺梛織ってんだ。お近づきの印にこれどーぞ」
「ありがとさん。俺は斑目漆や、宜しゅうな」
漆には彼の忍び装束を考慮されたのか、嘉永元年創業が謳い文句の日本茶を手渡す。
「じゃ、宜しく頼みますよ」
手を上げて植村が体育館から出て行く。時計と書類を見ながら出て行ったから、何か打ち合わせがあるのかもしれない。
「じゃ、早速だけどさ、俺等はどうするか決めようぜ」
どこから用意したのか梛織は人数分の椅子を3人に勧めた。粗末なパイプ椅子だが、床に直接座るよりはいいだろう。男3人は床でもいいが、ラクシュミは女の子、れもスカートをはいているのでよろしくない。冷房が入っているので女の子に冷えは大敵だ。
因みに何故大敵なのかは判っていないのがポイント。
「僕は直接ナビゲータをしたいね。ほら、僕のこのローブを黒くしてカンテラでも持てば結構雰囲気出ると思うんだ。他にもちょっとした罠を思いついたしね……くふふふふ」
「いや、バロア。罠じゃないと思う。仕掛けだと思う」
「あたしもナビやるわ!子ども達、結構人数多いみたいだし」
ラクシュミはどこかウキウキした明るい表情なのに、バロアは口元を歪めて笑っている。
何か余程恨みがあるのだろうか。梛織の背中に冷や汗が一筋走る。
「お前はどうする?」
「俺は脅かし役や」
相変わらずの狐面をつけていて、漆の表情が読み取れないのが少し恐ろしい。その漆は椅子に座りながら背中を反らしている。梛織は前かがみだ。なんとなく、こんな椅子に座るとそういう体制になってしまう。
「普段は脅かす方でも脅かされる方でもなくて、退治するほうやさかい。上手く行くか不安やけど頑張ってみよか」
ぎいっ、と古臭い音を立てて漆が座りなおす。
「そうだな、俺も脅かし役頑張らねぇと」
どことなく和やかな雰囲気が広がる。
「トラウマ?ちゅうもんは負わせるのは可哀相やけど、怪談のトラウマなんて成長するにつれて無くなるもんやし、植村の旦那の言うとおり、八熱地獄巡りでもしてもらおか?」
「やり過ぎだろ、八熱地獄ってどんなのか知らないけど、トラウマ負わせるのはやり過ぎだろ!!」
ぺしっと裏拳が決まる……筈だったが、「冗談やてー」と笑い声交じりに漆が梛織の手を受け止める。
「梛織さんもお化け役?どんなのにするの?」
ラクシュミが目を輝かせて尋ねる。
「そうだなー、和洋折衷な感じにしたいよな。な、お前はどうする?」
「俺はこれ使こうて脅かそ思てるよ」
漆が見せたのは、般若の面。素人目に見ても只者では無さそうな事が伺える。
「た、確かにこれだけでも怖いよな、暗がりで見ちまったら」
明るい光の下で見ても十分怖い。
この忍者、悪いやつではなさそうだが、結構素で怖い。無意識の内にやり過ぎないように気をつけねば、と梛織は心に誓った。
「メイクなら任せてね、あたし得意なの!」
元々手先は器用だし、ラクシュミはメイクアップアーティスト志望なのだ。そして自分の夢の為の努力は厭わない。まだ女子高生の身分だが、その技術はなかなかのもので、きちんと勉強や経験を積めばかなりの腕前になるだろう、と思われると言われている、と思っている。くどい。
漆や梛織も相当な器用者だが、ラクシュミの器用さとはまた種類が違うだろう。仕事でもなく女装癖もない男があまり化粧が巧くても、なんだか少し切ない。
「漆が日本風なら、梛織は洋風?」
バロアが身を乗り出す。
「そうだよな。ムチャクチャな感じがまた恐怖をそそるかもしれないよな」
「バックベアードなんてどうや?あれ怖いで、生で見たら」
「こらこらこらこらこら、それは危険だから、色んな意味で危険だから!第一できねぇよ、あんな格好!!」
バックベアードというのは。……個人で調べていただこう。漆と梛織が知っているのが非常に不思議だ。
「じゃ、これなんてどう?結構怖そうだよ」
懐から一冊の本を取り出すバロア。そのローブは四次元にでも繋がっているのか?!
“日本妖怪大全”と書かれたその本は、厚さ5センチはあろうかというシロモノだ。それをぺらぺとめくり、とあるページで止め、全員が見られるように見開く。
そこ書かれていた妖怪とは。
狂骨。井戸などに捨てられて白骨化した死体が、その強い怨念により死霊化したもの。 その姿は白髪をした骸骨の幽霊そのものである。
怖い。なかなかに怖い設定である。挿絵がまた水墨画っぽいタッチで恐怖感を煽る。
「でもこれ、日本の妖怪じゃない」
「だよなぁ」
「しゃあけど、おっかないもんがあればええんとちゃう?」
「狼男とかだとワンパターンじゃない、どうせならおどろおどろしてた方が怖くていいだろ?」
結局、バロアの意見が採用された。
配役としては、
バロア→ナビゲータ、及び途中で罠(と言い張る)を仕掛けて脅かす係り
ラクシュミ→メイク係り、及びナビゲータ、途中でそれっぽいエピソードを語り牽制
漆→脅かし担当。他にも道中に仕掛けを施す予定。
梛織→子どもの扱いには慣れているので(自己申告)子ども達の引率係り、脅かし係り
という具合になった。
まだ陽は高いので、6時からの納涼大会までには十分間に合う。
対策課や他の課の職員総出で、会場を作り上げている。
体育館の付属設備に控え室も数部屋用意されているので、4人はそこを使って準備をしている。
ラクシュミは梛織に手際よく特殊メイクを施す。その脇で漆は梛織に着せる様の衣装をちくちくと縫っている。バロアは少し席を外している。黒いローブを取りに帰っているらしい。
「うわー……俺じゃないみたいだ……」
手鏡を覗き込んで、絶望的に梛織は呟く。後ろのラクシュミは素晴らしい笑顔だ。
前が見えなくなると危ないので、頭蓋骨そのままという見た目ではなく、片目が潰れている設定のようだ。他の部位も潰れていたり、爛れている様体に仕上げた。骸骨は見ようによってはどこか可愛らしい部分もあるから、この方が恐ろしい雰囲気は上がるかもしれない。
「出来たでー。梛織の旦那、着てみて」
「お、おう」
びろりんと出された白い布切れは、あまりに粗末な着物だった。漆の裁縫技術が未熟なわけではない。その証拠に、着てみるとジャストフィットする。当然ピチピチにはならない。裾がズルズルしていのに、少し歩いてみると実に歩きやすい。袖口にも邪魔にならない。
「すっげーな、おい!何で着物縫えんの!?」
「実はな、俺こう見えても呉服屋の息子やねん」
「え、本当に!?」
期せずしてラクシュミと梛織の声が重なる。漆の狐面では表情は読み取れない。つか読み取れたら逆に恐ろしい。
「嘘嘘。そんなわけあらへんやろ」
くつくつという笑い声。
「なんだ、そうなの?」
「くそ、一瞬でも信じたのが悔しいぜ……!」
ツッコミプリンス、一生の不覚か。
「ただいまー、そしておみやげ」
大きな音を立ててドアを開け、バロアが帰ってきた。手には小さめのスポーツメーカーのボストンバッグ、もう片手にはビニール袋を二つ、提げている。
「おみやげ?なになに?」
嬉しそうにラクシュミが駆け寄る。
「暑かったからさ、カキ氷。外の売店でもう出されてたんだ」
テーブルの上に無造作に置き、逆に丁寧に中身を取り出す。
中身は、赤・青・黄色・緑のシロップがタップリとかけられていた。全員の顔が輝く。多分、漆も。
「こういう時はレディ・ファーストだな。ラクシュミ嬢、なにがいい?」
紳士的な態度でも、見た目が現在アレなので好感度アップにはならなかった。しかしラクシュミは梛織に礼を言ってから、ウキウキした様子でカキ氷に手を伸ばす。
「あたしイチゴ貰うね」
「んじゃ俺はブルーハワイだな」
「僕はメロンにしようかな。あ、漆はレモンで平気?」
「ああ、かまへんよ。気にせんといて」
暫く氷とシロップをかき混ぜるしゃくしゃくとした音だけが響く。程よく混ざり合った頃、照らし合わせたわけではないが、バロア、ラクシュミ、梛織はチラチラと漆を見る。
……どんな顔をしているのか気になるし、どうやって面をつけたまま食べるのかが気になるらしい。
「あ、外にお子達が来たみたいやけど」
「えぇ、もう!?」
漆以外の3人が、一斉に窓の外へと向かう。予定より大分早い。しかし子ども達の姿は見えない。
おかしい、と漆を振り返る。その時彼の器は空っぽになっていた。
「あぁ!もう食べたの!?」
「早っ!ちょっと早すぎるよ漆!」
「何で一気に食べて頭キーンてなんないんだよ!」
「冗談やてー。ちゃんとこっちにあるがな」
言って後ろにあるテーブルからちゃんとレモン味のシロップが乗ったカキ氷を取り出す。
そして躊躇いもせずに狐面を外してしゃくしゃく食べ始める。
「秘密の顔かと思っちゃった」
ラクシュミがすとんと椅子に腰を落として、漆の青い瞳を眺めながら再びカキ氷を食べ始める。漆は人の良さそうな笑顔で、
「隠さなあかん程の色男やないからねぇ」
「あ、そういやさ、俺植村さんからおやつと夕飯が出るって聞いたんだけど。何か聞いてる?」
「聞いてないけどおやつはアレじゃん?“ご自由にどうぞ”ってメモと一緒に置いてあったから」
そこまで言って、キーンという現象が起きたらしく、バロアは眉間を押さえてそのあと上向きになり首筋を叩く。それでもどうにもならないようで、立ち上がって地団太を踏んでいる。
「お夕飯、なんだろうね?やっぱり出店の差し入れなのかしら」
「どうせなら駅前スーパーの惣菜セットがいいな、俺。安くて美味いからさ」
「あ、そうなん?俺そこ行った事ないんやけど。野菜とか魚とかも安いん?」
梛織のお得な情報に、俄然漆が乗ってくる。何しろ彼は一応お嬢様の護衛と言う仕事があるが、日常は高校生だ。家賃・光熱費等々全て自分でまかなわねばならないし、仕送りなんてものもない。それは梛織も同じだからか、どこのスーパーは何時から安売りだ、とか、あそこのデパ地下の惣菜は安くて美味いとか。そんな話題で相当盛り上がっている。ラクシュミは黒い権力の匂い満々の父のお陰か(?)、金銭的な苦労は二人ほどはしていない。が、そこはやはり女の子、安くて良いものが好きらしい。
ラクシュミから女の子ならではのスイーツの店の特売日などを伝授している。お年頃の男子が一人で行くのは少し照れくさいが、やはりあり難いのには変わりなく。
一人我関せず、とバロアはローブとカンテラの調整している。彼は居候だったし(その割りに態度が大きい)、何より家主は料理の鉄人じゃない達人。材料云々はともかく、惣菜なんて食べた事がない。ついでに言うと、一人で買い物なんて行かない。
「あ、そうそう。これ地図だって。僕らの希望は殆ど実行されてる罠になってるよ」
バロアはが無造作に地図を取り出し、3人に見せる。続いて、MP3プレーヤーの様な機器を差し出す。色は全部同じ、黒だ。
「で、これが罠を作動させるリモコン」
「懲りすぎじゃね?」
梛織が不安そうに問う。だが当然と言うか、復讐心に燃えるバロアには響かない。梛織は納得がいかないのか、首を捻りながらリモコンを見つめている。尤も梛織だってちょっとしたトラップを作ったのだから、あまり強くは言えない。
「そろそろ時間ね……。梛織さん、一回脱いで、メイク落として。迎えにいってもらわなくちゃ」
「や、落とす必要ないんじゃね?着替えはしなくちゃかもしれねぇけどさ」
悪戯っぽく梛織は笑ったが、ラクシュミはそのメイクの効果でぞっとする。
でもちょっぴり、“あたしの腕も相当上がったわね”なんて思ってたのは、ここだけの話。
夕暮れの銀幕公園。陽は翳り始めたが、そこは夏。まだ十二分に明るい。
10人近い子ども達が、ブランコに乗ったりして時間を潰している。翳り始めたとはいえ、まだ暑い。だが子ども達は暑さなんて気にしていないらしい。
「こんばんわ。お迎え来ましたよ」
暑いのにも関わらず、足元へ冷気が漂うい始める。子ども達に声をかけてきたのは植村と、白装束の……に、人間?だと思われる。男か女かも判別付かない。
怖いもの知らずの子ども達も、流石にちょっと引いている。足元の冷気が怖いようで、見えない冷気を足で振り払う子達も多い。
「じゃ行きましょうか。準備は出来ていますから」
子ども達は判らなかったが、常ならば柔和な笑みを浮かべている植村が目だけしか笑っていない。
連れと思われる白い奴についても何も触れようとしない。
一番初めに植村にたて突いた、もとい暴れ始めた金髪の少年はチラチラと白装束の物体Xを見ている。このお年頃の少年は、女の子や同年輩の前では弱みは見せられない。実は結構怖かったのだが、服の裾をつかんで平気な振りをしている。
梛織は―勿論、白装束の人物は狂骨コスプレした梛織である―それに気がついた。植村やバロアのいう事を真に受けすぎていたが、何の事はない、こういう所は普通の子と大して変わらない。
少し顔が綻びそうになったが、慌てて引き締める。
人の迷惑を顧みない子を懲らしめるのも必要だが、夏の思い出の一つを作って上げるのも悪くはないだろう。意外とちゃんと諭せば理解してくれる子達かもしれないのだし。
列をちゃんと作っているが、やはりそこからはみ出す子はいるもので、梛織がそっと列に戻す。
ひんやりとした冷気と共に。
「……っ!!」
栗色の髪をした女の子が声にならない声を上げる。
「おや、どうしたんですか?」
流石に女の子相手にはムキにならないのか、しかし淡々と植村が声をかける。
「こ、このしろいおじさんがッ!」
誰がおじさんだ、俺はお兄さんだ!!
と、うっかり心情も手伝って反射的に突っ込みそうになってしまう所を、梛織は必死で堪えた。今の梛織はお化け屋敷の前振りとして、“植村には見えていない=存在しなくね?=え、なにそれ幽霊的なかんじなわけ?”という設定なのだ。
「ははははははははははは。何を言っているんですか?白いおじさんなんていませんよ。花嫁という白いおばさんならこの世に存在しますけどね白いおじさんといえば……いやいや、君達にはまだ早い話ですね」
「はやいってなんだよ!おれたちもうこどもじゃねーぞ!」
「じゃあ知りたいんですか……?」
子ども達の倍ほどある上村が眼鏡を光らせて倍ほど声を低くして問いかける。殊更梛織が冷却装置(自分作成)のスイッチを強に入れる。すると、梛織の足元襟首の部分から、しゅわぁぁぁ、と冷気が舞い落ちる。実の所足元からの方がそれっぽいかなぁ、とも思ったのだが、それでは子ども達が発見してしまうということで、襟首に落ち着いた。ドライアイス製である。十二分に気をつけているが、良い子も(前述の為以下略)。
女の子―面倒なのでAと勝手に命名―Aは怯えきった眼差しで梛織を見上げる。目が合う。
梛織は今時珍しい蛇の目傘を持っていた。それが夕日からの光を遮り、梛織の顔を翳らせる。でも歯は白いものだから、愛想笑いをしてもAにとっては恐怖以外の何物でもない。
Aは、ひぃっと喉の奥で声を上げ、金髪の少年(Bと呼称)の服の裾をぎゅっと握る。
「な、な、な、なにびっくりしてんだよ、だいじょうぶだよ」
Bの言葉にAはかくんかくんと首を縦に振る。
ちょっと微笑ましい気分になりつつ、植村の先導する列の殿軍を務めて歩き出した。夕暮れとはいえ夏は暑い。蛇の目が日傘代わりになっているとはいえ、着物は意外と暑いし汗もかく。
ポタリ、と袖口から汗が落ちた。
それが黒髪の少年(Cでいいよね)の頭に落ちる。
「ひぃぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
瞬間、少年が絶叫しながら走り出す。そして植村に激突する。そこは植村とて大の男だから転んだりはしないが、ちょっとふらつく。
悪気も驚かす気もなかった梛織は、ちょっと切ない気持ちになった。
一方その頃。
体育館内は突貫工事とはいえ、立派な迷路になっていたし館内メインホールも暗幕で覆い尽くされ、僅かな明かりだけが灯されている。
明かりは蝋燭の方が雰囲気は出るが、暗幕等に燃え移ると危険なので、クリスマスツリーに使う豆電球的なイルミネーションを灯している。どこから調達してきたのか、全て赤いものだ。
入り口には漆黒のネコ耳と黒いイブニングドレスを着て懐中電灯を手にした美少女が立っていた。
「あの二人の後に付いて行ってくださいね。いう事を聞かずに脇道に反れたらどうなるか判りませんから。はっはっはっはっはっはっ」
目が笑っていないぞ、植村直紀二十七歳。すすすすす、と音もなく立ち去る上村を見て怯えたらしいBが、白ずくめのおっさん(※梛織)に文句をつけようと振り返るが、そこには既に人影は無い。
子ども達がまた固まる。
「ほらほら、こっちよ」
優しい声でラクシュミが声をかける。
手前に居たAの背中を押し、他の子を促す。子ども達は顔を見合わせ、それでも平気な顔をしているBを先頭にして扉を開けているバロアを睨みつける。
バロアは少年然としたいつも声色ではなく若干低めに、
「じゃあ行こうか。この世とあの世の繋ぎ目に」
神様の子というのは、何となく感づいてはいた。リオネと気配が似ていたからだ。確信めいたものはなかったが、漆もそう感じていたのを知り確信したようだ。
曲がりなりにも神様なのだから、こんな事言っても怖がらないかと思ったら天罰覿面、違った効果覿面だった。予想外だったが、少し溜飲が下がった。
漆黒の闇の中。バロア、ラクシュミと子ども達の足音だけが響く。体育館と言うものはどうしてこう反響が良いのだろうか。
バロアのカンテラだけが進む道を幽かに照らしている。
ほんの僅かしか進んでいないが、何事も起こらないので子ども達は慣れてきたらしい。目も慣れてきたようだ。
バロアのネコ耳は相変わらず大人気で、子ども達はまたネコ耳寄越せ、バロナー!と騒ぎ立てる。
「ね、みんな。あそこ見てご覧?」
そんな中、ラクシュミが一点を指し示す。
「色が違うでしょ?何でだと思う?」
子ども達の目線まで腰を屈めて、ラクシュミが赤茶けた髪をした少女Dに声をかける。
「しらなーい。なんで?」
バロアがタイミングよく床を照らす。より鮮明に色の違いが判る。赤黒い部分と、体育館の床らしい黄色の板。あまりに異質だ。
「……あれは今日みたいな暑い日だった。明美と言う小学生が、新しく買ってもらった帽子が嬉しくて、友達に見せに行こうとしていた。そして横断歩道を渡ろうとした時……」
がしゃん!!
低く朗々としたバロアの話の途中で、何かが激突した音が響く。ラクシュミが仕込んでおいた音響の仕業だ。トラップ作動用のリモコンでの仕事だ。
効果は絶大で、子ども達は固まったりラクシュミにしがみ付いたりしている。
「くっくっくっくっ……」
「酷いぶつかり方したみたいでね、身体がバラバラになっちゃったみたい。列車事故でもないのに。それでね、その子の身体の一部……まだ見つかっていないんだって」
言葉の最後に、どこからかぽたん、と水の落ちる音が響く。
子ども達が固まる。ラクシュミのスカートを握っていた子の手に力が更にこもる。
「さ、先に行こうかっ」
「くふふふふ……」
爽やかな笑い方が逆に恐ろしいラクシュミと、怪しい笑いのバロア。黒ローブで表情が読み取れないので余計に怖い。
ずずず、と何かが這いずる音がする。
Bはがばっと後ろを振り向くが何も居ない。前を向くとみんながさくさくと進んでいたので、慌てて追いかける。やはり音は聞こえていたが、耳を塞いで必死に逃げ……追いかけた。
舞台裏。
ぜぇぜぇと息を切らせて梛織が水を飲む。
体育館に着く少し前から先回りして、水を一滴落としたりしていた。折角のメイクが崩れる、と思っていたが、手で拭ってみても崩れる気配は無い。
「最近のってすげぇな〜」
感心しつつも、はたと振り返る。
「……まさか落ちないなんてこと、無いよな……」
汗とは違う何かが、梛織の背中を駆け抜けた。
漆はひっそりと佇んでいる。
サボっているわけではない。罠も仕掛けて後は子ども達を待つばかり、という状況である。
お化け屋敷なんて行った事はないが、夏休み前に級友が行ったらしく、どんなものかは聞いている。
その話を参考にしてみた。般若の面もその為である。
漆本人は“ぼちぼち普通のお化け屋敷レベル”を意識しているが、実際にやられたら、多分一人で眠れない。
そんな罠を仕掛けた漆が、次のステージで待っている。
で、漆が待機しているステージより少し前。
子ども達はまだ絶叫こそしないものの、雰囲気にすっかり怯えていて単独行動すら取らない。
バロアが事ある毎に怪しい笑いを浮かべ、ラクシュミが優しい笑顔でポロリとおどろしい怪談エピソードを語る。
ずずず、と再び音がする。
今度はBだけでなく、A、C、D以下も気付いたらしい。
「え、え、なになにぃ?!」
「へんなおとするよぅ!!」
ラクシュミがふと床に目をやり、目を見開いて口を覆う。更に床を示す。
子ども達はラクシュミを見、そのまま指し示される方向へと視線を移す。
そこには。
暗闇が盛り上がる。
はじめはほんの少しだけ盛り上がっているだけだったが、徐々に、確実に盛り上がり人の形を成していく。
「……」
子ども達は口と目を大きく開けている。
バロアがたった一つの光源であるカンテラの明かりを小さくした。ラクシュミの懐中電灯は予備として持ってきていたので使ってはない。
やがて闇はバロアやラクシュミと同じくらいの高さで、人の形を成す。
それが、ゆっくりと、確実に腕を伸ばしてくる。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「くっ、くんなよっ!こっちくんなぁぁぁぁぁ!!」
子ども達の拒絶と絶叫を物ともせずに、闇は躊躇いなく腕を伸ばして、短髪黒髪少年Eを掴んで持ち上げた!
「ひぃぎゃぁぁぁぁぁ!!やめてぇっ!!」
「エピィ!エピィがおばけにつかまっちゃったよぅぅぅ!」
子ども達が泣き叫ぶ。
それはそうだろう。ラクシュミだって、あの闇がバロアの闇魔法で作られたものだとしらなければ、叫んでいたかもしれない。今だってちょっぴりドキドキしている。
バロアもあまりに子ども達が泣き叫ぶから、ちょっぴり可哀相に思えたのかもしれない。二度ほどE(エピィという通称があるようだ)を激しくならない程度に振り回し、遠心力を利用して着地させる。
Eはがくがくっと崩れるように座り込み、呆然としていたが、すぐに号泣し始める。
闇はゆっくりと音もなく床へと消えていく。が、子ども達はその様を見てもまだ信用できないらしく、辺りを警戒している。泣きながら。
「ちょっとバロアくん、やりすぎたんじゃない?」
「うーん……。でも、おばけ屋敷なんてこんなもんじゃないの?」
「それは、まあ。そうなんだけど」
ぽそぽそと子ども達に聞こえないよう、ひそひそ話し。
バロアの言う通り、先頃話題のおばけ屋敷なんて、もっと怖いらしい。テレビや雑誌の特集なんか見ると、もっとお化け(に扮したスタッフ。勿論だけど)がうようよしているようだし、セットも凝っている。ここはお化けは自分達……というか、バロアの作り出した闇に漆、梛織だけだ。
バロアとても少しやりすぎたと思ったのか、顔をぽりぽりかいている。
「次のステージ……ってほど大したもんじゃないけど、漆だよね。やり過ぎてなきゃいいんだけど」
「そうよね……。やりすぎていないと良いんだけど」
心配そうに、チラリと子ども達を見る。
おうちかえるー!とか泣いているが、大人二人が帰る気配を見せないので、怖くて帰る事すら出来ないのだ。
多少のお灸は必要よね、斑目くんも言ってたじゃない、“怪談のトラウマは大人になれば消えていく”ものよね?
と、ラクシュミは自分を誤魔化すように、うん、と一つ頷いた。
バロアが少し明かりを大きくした。
周囲の闇も当然少しばかりだが晴れる。照らしている周囲だけなので、バロアの周りだけが明るい。足元や子ども達周辺までは暗いままだ。
進んでも進んでも、やはり暗幕だらけだったが、はっきりと判る埃のかおりが古臭い印象を増していく。会場は細かく仕切れらていて、くねくねと曲がる。
子ども達はすっかり怯えきっている筈なのに、暫く何もないとまた強気になってくる。
もしかしたら強がっているだけなのかもしれないが、ラクシュミのスカートをめくろうと画策している。Bが。
ニヤリとBが笑ってラクシュミのスカートに手を伸ばした瞬間。
「あ、ここはね。今は掃除されたけど、凄い血だまりがあったの。二人分くらいだったかなぁ?でもね……」
Bの……子ども達全員の動きが固まる。顔も引きつっている。
「ま だ 遺 体 は 見 つ か っ て な い の よ 」
がらん!
またもタイミングよく大きな物音がする。Bはラクシュミのスカートから手を離し、ぴくぴくと震えている。
先導していたバロアが振り返り、にやりと歪んだ口元が固まる。
バロアの様子に気付いたラクシュミも、視線の先を辿り……ぴきっと音を立てて固まる。
子ども達もラクシュミの視線を辿り、振り返って床を見て、ばきびきっと固まる。
何故か。
カンテラの明かりから出来た影の中から、手が、伸びている。
手首より少し下まで出ている。手首の辺りに白い布が巻かれている。手首の群れは好き勝手に四方八方を向いていた。それが視線に気付いたのか一斉にぐるっとバロア、ラクシュミ達の方を向く。
……暫く睨みあう。睨みあっていると言うより、動けないだけなのかもしれない。
手の一つがずずぃと、だがゆるゆると接近してくる。
人間達(+神様の子ども)が同じ距離だけ下がる。別の手が振り向いて近付く。徐々に数が増えていき、それがはじめゆっくりそしてアッチェレランド。
誰とは無しに、絶叫が響き渡る。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
バロアとラクシュミが、子どもを両脇に抱えたり手を引いたりしてダッシュして逃げる。
「なにあれなにあれなにあれぇぇぇ!」
気丈なラクシュミですらちょっぴり涙目になりかけている。そりゃまあ手首がわらわらわらわらわらわら襲ってきたら、そりゃおっかない。
「知らないよ、なんだよあのマドハンド的なやつっ!仲間呼ぶんじゃないの、倒したら仲間呼ぶんじゃないの!!経験値たくさん貰えるよ!!」
「知らないわよ、何言ってるのよこんな時に!!」
走り続けて、何でこんなに広いんだよこの体育館!とかちょっと思ったが、角を曲がってバロアが男らしくこっそりと後ろを覗く。
「……居ないよ。消えた」
カンテラで奥の方まで照らすが、もうあの無数の手は見えない。
ラクシュミと子ども達も、わらわらとバロアの周りに近寄る。
「な、なんだよ、たいしたことなかったなっ」
Bが声までガクガク震わせながらまだ強がっている。ここまでくるとちょっと立派でどこか微笑ましい。ラクシュミが少し笑いながらBの頭に手をやる。
その為に下を向くと、Bの足を何物かが掴んでいる。バロアのローブを掴んで引っ張る。気付いたバロアがカンテラで床を照らす。
そこには。
上半身だけの般若が這いずっている。
バロアがびくっとなったが、般若の面には見覚えがあった。
漆だ。
確か彼は影に溶け込むことが出来た。その能力を使っているのだ。
さっきの手首の群れも漆の仕業だろう。忍びだから影分身の術が使えるんだってばよ。違うか。きっと普通の分身の術。
それをラクシュミに耳打ちする。彼女もそれを聞いて安心したようで、何度か深呼吸をした。
Bは可愛らしいと評されても不自然ではない顔立ちを恐怖に歪めて、漆の手を乱暴に振り解く。あっさりと外れたが、漆はゆっくりと這いずって子ども達に近付いていく。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
「こ、こっちくんなぁっ!!」
「もうやだー!!」
口々に叫んでバロアとラクシュミの間を走って逃げる。その後を漆が同じスピードで追いかけていく。
「……バロアくん、結構本気でビビッてなかった?」
「な、何言ってくれてんの?僕が漆に驚くわけないじゃん」
「その割には大声出しとったみたいやけどなぁ」
「ぎゃあ!!」
またも突然の漆の声に、バロアが大声を出してラクシュミの後ろに隠れる。
「斑目くん、今追いかけて行ったんじゃ?」
「ああ、あれは分身やから。梛織の旦那が待機しとる場所に巧く行ける様に、手ぇも出る筈やし」
言いながら本人はペットボトルのお茶を飲んでいる。
「あんだけ反応されたら、脅かした甲斐があるっちゅうもんやね」
軽い調子で言われたが、二人は「絶対に普通のお化け屋敷レベルじゃないやい」と、心で思った。
口に出したら怯えていると思われそうで悔しいから、言えなかったけど。
般若漆(分身)に追われていた子ども達は、導かれているとも知らずに自分達で逃げ切ったと確信していた。
今居る場所は先ほどまでのただの暗幕に囲まれているだけのスペースとは違い、和風に作られていた。バロアのカンテラも非常用のラクシュミの懐中電灯もない今、辺りを照らしているのはクリスマスツリー用の赤い豆電球のみ。子ども達同士の顔も、余程近くに行かないと判別できないほど暗かった。
えっくえっくとしゃくりあげる子達を、BとCが励まして前へと進む。
女の子の前、あの大人たちに弱みを見せたくない一心だが、結局進むしか出る方法はない。道を戻ったらまた闇の化け物や遺体の出ていない殺人現場、無数の手に上半身般若の居る道を通らなければならない。それは避けたい。絶対に。
男の子達が女の子の手を引いて道を進む。曲がり角の先から明かりが漏れている。
「でぐちだ!」
Aが叫ぶ。
その言葉に勇気付けられたのか、子ども達が、わぁっと叫んでその方向へと走り出す。
しかし、そこは出口ではなかった。
今までよりも随分と明るかったが、白色蛍光灯の明かりではない。水色の人工的な明かり。冷気が一層強くなる。ある種幻想的な雰囲気すら漂っている。
古ぼけて苔だらけの井戸がぽつねんとある。まわりは枯れたススキや竹林。
子ども達は今までの経験上、“あの井戸は危ない、そして怪しい”と学んだようで、井戸と正反対の壁にピッタリくっついてジリジリと進む。恐怖からか井戸から目を逸らさない。何かあったらすぐになんかしちゃるけんと言わんばかりの視線を向けている。
ヒュ〜……ヒュ〜……
風が通り抜ける音が聞こえてきた。
行軍が止まる。
井戸の内側から光が漏れる。
中から何かがせり上がってくる。子ども達はその様をただ呆然と見ている。
井戸から、ゆっくりと、だが確実に、爛れてこけた顔、腐りかけた頭皮、ボロ布のような着物を纏った何かが出てくる。
子ども達には見覚えがある。
「あ、あああああ……!」
ウエムラとかいうちょっといい男が迎えに着たとき、一緒にいた白ずくめのおじさんだ。本当はお兄さんなのだが、子ども達の外見年齢を鑑みるとおじさんなので、申し訳ないが梛織には我慢して頂くしかない。
梛織はせりあがっている最中、はたと我に返った。
……狂骨ってなんか決め台詞的なものってあるのか?
と。
ラクシュミから聞いた、番長皿屋敷の「いちまーい、にまーい」というものがあればもう少し脅かせると思ったのだが、やはりラクシュミから聞いた某ホラー映画のワンシーンのように、何も言わずに井戸から這いずるのも悪くないかもしれない。その映画はテレビ画面から出てきたようだが。
因みにせりあがりの仕掛けは単純にワイヤーとウィンチである。漆と梛織の二人で共同作成し、外部の業者が点検してくれた。1度リモコンのボタンを押せば、設定している高さまで登り、止まる仕組みになっている。
だらりと両手を下ろしているだけだが、効果は絶大のようだ。
壁にへばりついて、きゃあきゃあ泣いている。一応男の子は女の子を守るようにしている。それを見た梛織はちょっと嬉しい気持ちになる。
うんうん、お前等いい男になるぜ……。
ぐわん!!
痛くはない。殆ど痛くはなかった。
しかし何故。何故自分の頭に上に。
「いきなり金盥!?なんだよ、なんのコントだよ!これコントじゃないだろ、お化け屋敷だろ!?しかもお化けの俺になんで金盥なんだよ、仕掛けたの誰だ!責任者出て来い!!」
くわっと目を見開いてついついうっかり子ども達に向かって突っ込みを入れてしまう。プリンスは仕事に手を抜かない。
は、と我に帰ったときには時既に遅く、子ども達は撃沈していた。合掌。
「や、やべっ! お、おーい、大丈夫か〜……?」
着物の下に通していたワイヤーを外して、梛織は子ども達に駆け寄る。
子ども達にしてみれば、幽霊の頭に突然金盥が落ちてきてブチ切れて怒鳴ってきたのだから無理もない。
ぺちぺちと頬を叩いてみればみんな気絶しているだけの様だ。ほっとしたが、ちょっとやりすぎたかな、とも思えてちょっぴり罪悪感。
この子達をどうやって外に運ぼう、と頭を抱えていた時。
「すまんなぁ、金盥仕掛けたの俺やねん」
リモコンを片手に、門から狐面が顔を出した。その下に、黒いネコ耳フードのバロアと悪戯っぽい笑顔のラクシュミが覗き込んでいた。
子ども達は幸いすぐに意識を取り戻した。それ程大したものではなかったの様だ。
言葉もなく、放心したように星月夜の下で座り込んでいる。
バロアが植村に事前申請したおいたので、全員にはアイスがいきわたっている。気温も大分下がってはいるが、やはり暑いのに変わりはないのでとても美味しい。
「どお?怖かった?」
ラクシュミが近くに居たAに声をかける。
「……うん。とってもこわかった」
「あれだぞ、あんまり人を怒らせてると、お化け出るぞ。今日出た奴みんな」
「えぇっ!?」
梛織がちょっと驚かす。
「そうよー。あまり他人様に迷惑かけてばっかりいると、お化けが怒って出てくるのよ?」
この程度ならば、いわゆる“好き嫌いばかりしていると勿体無いお化けが出るぞ!”というレベルと同等だろう。
「おれたち、わるいこだった?」
「結構ね。僕としては大迷惑だったけど」
憮然とした表情のまま、バロアがアイスを食べながらバッサリとEを切る。
しょぼんとした子ども達が、誰ともなく、
「ごめんなさい」
と言いだした。
ラクシュミと梛織は満足げに頷いたり、子どもの頭をなでたりしている。二人は、子供が反省した事が嬉しいらしい。子どもの頃のいたずらと言うのは際限がないし加減を知らない。だからやり過ぎた時に誰かが怒ってあげなければいけない。荒療治だろうと、なんだろうと。
自分達が子供の頃もそうだった様に。
梛織には子どものころはない。そんな設定は作られていなかった。でも何度か子どもと接してきた経験で、そう感じる。
今反省したって、きっところっと忘れてまた悪戯をするだろう。けれど、“お化けが来るぞ!”という恐怖が丁度いい抑制剤になる時だってきっとある。
バロアもそう思ったのか、アイスの最後の一くちを口に入れて呟く。
「なんだ。神様の子っていっても、普通じゃん」
子ども達は少しずつ落ち着きを取り戻して、アイスを食べ始める。
「おーい、晩御飯の準備できよったよー」
般若のときとは違う格好の、でも狐面は付けたままの漆が植村を引き連れて帰ってきた。
ラクシュミが植村に反省している旨を伝える。
「成程。ではここにサインをして下さい、反省しています、と」
丁寧に折りたたまれた紙を懐から取り出し、リーダー格と思しきBの前に突き出す。
梛織が顔を出して文章を読む。
「ディオニュソスの子バッカナール(以下甲)は植村直紀(以下丙)に誓約をし、何事にも優先して甲は乙の為に全力を尽くす様にすること……」
以下つらつら。
契約書特有の小難しい単語の羅列。
バロア、ラクシュミ、梛織の視線が植村に突き刺さる。漆は一人離れて差し入れの食事のセッティングをしている。
「あんた何してんの!!」
「ちっ」
いっそ小気味良い程の高音で植村が舌打ちする。
三人は植村に対しての印象がちょっと変わってしまった。
「おぉーい、準備できたでー!」
漆のよく通る声が響く。
粗末なテーブルの上には、大皿に移し変えられた焼きそばとたこ焼き、異化焼き子どもが大好きなフランクフルト、焼きとうもろこしが所狭しと並べられている。
別のテーブルには綿菓子にりんご飴、チョコバナナにポップコーンが存在していた。
「遊んだ後は沢山食べんとな」
狐面に子ども達は少し怯えたようだが、そこはやはり食欲には勝てない様で。
わぁっ、と叫びながら漆の周りに集まる。喧騒が嫌いなのか、漆はさらりと子ども達をかわして、少し離れた縁石の上に立つ。手には既に程よく盛られた焼きそばがのっている。
バロア、ラクシュミ、梛織も疲れて重くなってしまった腰を上げて、テーブルに近寄る。
そして満天の空に、どんどん、という音が鳴り響く。意外と空気が澄んでいるのか近いのか、大きな音が体中に打ち付けてくる。
花火だ。
夏の夜空に良く映える大輪の花。
子ども達は恐らくはじめて見るであろう花火に大興奮で、食べ物片手に飛び跳ねたり回ったりしている。ラクシュミに窘められてすぐに大人しくなり、食べるか見るか、どちらか一方にしたようだ。
夏の夜空に花が咲く。
すぐに散ってしまうが、何より記憶に残る美しい花が。
何かと意外だったり腹が立ったりしたが、何度も何度も咲いては散っていく花を見ている内に、どこか晴々として、郷愁の思いに包まれる。
とても疲れた。けれど、とても楽しい日でもあった。
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クリエイターコメント | はじめまして、遠野忍と申します。 この度はシナリオにご参加頂き、誠にありがとうございました。 頂いたプレイングの恐ろしさをお伝えできていたら幸いです。
誤字脱字・ご意見等ございましたら、お気軽にご一報下さいませ。すぐに対処させて頂きます。
少しでもPC様のイメージに添う様に、皆様のお心に残る仕上がりである様に、と思いつつ。 重ね重ね、この度は誠にありがとうございました。 またご縁がある事を心よりお祈り申し上げます。 |
公開日時 | 2007-08-20(月) 10:00 |
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