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<ノベル>
ぽつん、と、雫が一つ。砂地に丸い染みをつくった。
雨か、と思ったときには、雫はシャワーに変わっていた。にわか雨だ。“家”に帰り着くまでには、まだ距離があるというのに──。
海岸を歩いていた黒髪の青年、ルークレイル・ブラックは、思わず舌打ちをした。
空を見上げれば、灰色一色だ。出かけた時には青空で、汗だくになるほどの暑い日だったというのに、この天気の変わりようと言ったら。
どうにもこの街は、めまぐるし過ぎる。
海賊である彼が、丘での生活を余儀なくされることは珍しい。それもこんなに長い間、丘で生活するのは海賊になってからは初めてのことだ。早くヤサに戻りたいと思うものの、彼の家たる船──ギャリック海賊団の船は、この先の港に停泊している。
走って帰るにも、街で調達してきた両手の大きな包みが、その気分を萎えさせた。この荷物を持って走るのは骨だ。
結果、彼に出来たことは、クソッ、と悪態をつくことだけだった。
「災難だね、これは」
そんなルークに相槌を打つように言ったのは、彼の脇を歩いていた人物だ。黒い仮面をつけた青年、アディール・アークである。彼の方は午後の優雅な時間を、カフェ・スキャンダルで過ごした帰りだった。
「二人、雨に濡れるか。夏の終わりの通り雨で、水もしたたるいい男の出来上がりだね」
ちなみに彼の方は、手ぶらである。
「くだらねえこと言ってねえで、気の利いたことでも言ったらどうなんだよ」
雫が目に入り眼鏡を外しながら、ルークレイル。
「例えば?」
と、アディールが問えば、彼は自分の荷物を軽く持ち上げてみせた。
「──荷物を運ぶのを手伝ってやろうか、とか」
「それはいけないよ、ルーク」
雨に濡れるのも全く構わず、仮面の青年はひょいと肩をすくめてみせた。
「中身はリンゴやキャベツだろう? 君の可愛いゾウの食事じゃないか。私が手伝ってしまったら、君からゾウの親としての役割を奪ってしまうことになる。それは忍びないよ」
「テキトーなこと言って、ただ荷物運ぶのが嫌なだけだろ!」
肩を怒らせ、ルークレイルは言い返す。
連れの指摘通り、それは彼が先日とあるイベントで景品としてもらった子象の食事であった。
──なんでこんなものを俺が。と、毎日愚痴をこぼし続けていたが、言葉とは裏腹に彼はよくゾウの世話を焼いてやっていた。一緒に水遊びをしてやったり、食事をやったりなどして。
「とにかく早いとこ帰ろう」
アディールに荷物を持たせるのは無理だと判断し、ルークレイルは両手にいっぱいの野菜と果物の入った袋を持ち直した。このままでは風邪をひいてしまう。
「ふむ、そうしたいところだが。ルーク、ひとつ君に質問だ」
ポンと、アディールは連れの肩に手を置いた。何だよ、帰る気がないのか、とばかりにルークレイルが振り返れば、彼は顎を前にしゃくって見せた。
「……この海岸はこんな地形をしていたかな?」
言われて、ルークレイルは前方を見上げる。そこにはそびえ立つ断崖絶壁があった。おや、こんなに急な崖があったかなと思い、辺りを見回せば。いつの間にか砂浜は岩場に変わり、岬の下へ続いていた道は跡形もなく消えていた。
「これは──?」
「何らかのムービーハザードの類に巻き込まれたと考えるのが妥当だね」
あくまで落ち着いた口調で、つぶやくアディール。
「そして、これを越えなきゃ船に戻れない。それも自明の理ってやつだ」
二人はお互いの顔を見合わせた。
* * *
「思い出すね。こんな無人島を冒険したことがあったっけ」
アディールは前に立ち、レイピアを振るい前へと道を切り開きながら進んでいく。木々が生い茂る暗いジャングルの中である。ナイフを使いながら、後ろをルークレイルがついて歩く。
「そうだな。ジメジメして気持ち悪いったらありゃしねえ」
彼は泣く泣く荷物の半分を諦め、片方の包みを背中にくくりつけていた。
「あん時も、島からお宝を持ち出した途端に、魔法が溶けて灰になっちまったし。ジャングルにはロクな思い出もないな」
「言えてるね」
アディールのレイピアは、本来草木を断つには適していないが、彼は自身の能力を使ってそれを補うようにしていた。すなわち炎を刃にのせて障害物を断つのだ。
「君のゾウがきっと腹をすかせているに違いない。私も早く船に戻って紅茶を──うん?」
剣を手にしたまま、後ろを振り返るアディール。返事がないと思えば、相方は道端の蔦の葉を手になにやら思案顔である。
「どうしたんだい、ルーク」
「……見てみろ、南半球の植物だよ」
眼鏡をかけた青年は、手にした葉を見えるように掲げてみせた。ルークレイルはこう見えても学者肌で、とかく本を読むことが好きだった。彼の頭脳にはさまざまな情報が蓄積されており、そこにこの植物も掲載されていたのだ。
「俺らの世界じゃ、ルビネシアとか呼ばれる地域のことだよ」
「だから?」
アディールは首をかしげる。
「つまりここが未開の地ってことだ。見たことがない生き物や、恐ろしい怪物に遭遇するかもしれん」
何が起こるか分からんぞ。と、ルークレイルは囁くように言った。彼は天を仰いだ。灰色の、雨粒が落ちてくる空を。
「いや──怪物だけじゃない。動植物だって脅威だ。毒のある生き物や植物だってある。例えば、いい匂いのする花だと思って近づいたら、それは幻覚作用のある物質を放出していたなんてことも有り得るんだ。その匂いを嗅いだ者は辺りの者が敵に見えてしまい、仲間に向かって剣を向けたり──」
ふと、彼は言葉を止めた。
「アディ?」
降り注ぐ雨。その中で友人は、ただこちらを見て立ち尽くしている。声を掛けたのに、返事がない。辺りの暗さが災いしてか仮面の下の瞳を覗き込むこともできない。
ゆらり。アディールが剣を持ち上げた。こちらに向かって、だ。
ルークレイルは驚いて目を見張った。
「──まさか! アディ!?」
叫んだが、遅かった。
アディールはレイピアを閃かせ、ルークレイルに向かって剣を突き出した。頭を目掛けた強烈な突きだった。
──ズザッ!
「あ……れ?」
あまりのスピードに身動きも取れなかったルークレイルは、止めていた息を吐いた。
「危ないところだったな、ルーク」
レイピアは彼の顔のすぐ横にあった。見れば、それに貫かれた男の顔もすぐ隣りにあって、ルークレイルは短い声を上げて飛び退いた。
それは、死体、だった。
ただし、レイピアの一撃を受ける前に、それがすでに命を失っていたことは明らかだった。
腐りかけたドス黒い色の肉片が頭蓋骨に張り付いている。眼球はすでになく、そこは落ち窪んで暗闇が広がっていた。
ルークレイルが離れると、彼の背後にいたそれは、くちゃっ、と地面に崩れ落ちた。土砂降りの雨の中だというのに、広がった腐臭がツンと鼻につく。
「こいつは……?」
「少なくとも、喉を貫くまでは動いていたよ」
剣に付着した何かを、ブンッと振り払いながらアディール。「君を仲間とでも思ったんじゃないのかな。君の耳の下に熱いキスをしようとしていた」
二人は、もう一度、腐りかけの死体を見下ろした。
右手には湾曲した刀──カトラス。頭にはバンダナらしきものを巻き、ベストの背には心臓を突き刺す槍のモチーフが見える。
「──どう見ても海賊だろう?」
「そりゃ同感だが、お仲間ってのは言い過ぎじゃないか」
反論しかけて、ルークレイルはふと、脇に視線を流す。
「……俺はまだこんな死体になっちゃいないぞ」
何かに気付いたように視線を交わす二人。ルークレイルが懐から拳銃を抜くのと同時に、周囲の草むらが物音を立てた。
ザッ……。
二人が口を閉じると、ジャングルはとても静かだった。気味が悪くなるほどの沈黙が、迷い込んだ彼らを取り囲んだ。
かさり、シャカッ。
沈黙の合間に、ひどく無機質な物音だけが漏れ聴こえてきた。周りの木々の大きな葉を揺らすのは、雨粒か、はたまた移動する何かか。
ルークレイルの青い瞳が闇の中の何かを追い、アディールの目で留まる。
「──上だ!」
頭上に射す影。叫んだルークレイルが伏せ、アディールが跳んだ。
彼はレイピアを一閃! 空から落ちてきた何者かを両断した。ザギュッ、という濁った音がして肉片となった死者が地上へと落ちる。
腹の部分で胴体を二つに割られ、転がるそれに挟まれるように。
アディールは地面に着地し、ルークレイルがその背を守るようにステップを踏んだ。二人は背中合わせになり、周りに目を配る。
ジタバタと地面でもがく死体。それに近寄るように、暗闇から滲み出すように人影が草間から現れた。
腐り落ちそうな顎を揺らして刀を振り上げる者、歩いているそばから内臓の残骸を落としている者、ほぼ白骨化した足を動かしてよろよろと近づいてくる者……。武器を構えている者の方が少なく、死者たちの動きは非常に遅いといってもよかった。
この二人であれば、難なく倒せる連中だ。
しかし、いかんせん数が多すぎる。次から次へと現れるその数は数人というレヴェルではなかった。
ルーク、と短くアディールが声を掛ける。自分が最初に刺した死体を顎で指し示し、言う。
「どうやら、彼らはオツムが弱いとみえる」
「分かってる。頭さえブッ飛ばせばいいらしいな」
連れの答えに、ご名答、と。仮面の青年は頬をほころばせた。
「それにしても、まるで船の乗組員全員に歓待を受けてるみたいだね」
「ゾッとしないな」
アディールの皮肉に、ルークレイルは短く答えた。「連中は、俺らの肉でパーティをやらかすつもりだぞ」
「そりゃ、御免だね」
「全くだ」
二人は動いた。
ダァン! とルークレイルの拳銃が火を吹いた。フリントロック式の銃ではなく、かのレヴィアタン戦で仲間からもらった現代の拳銃だ。一発目が一番近くの死者の眼窩を貫き、二発目は隣りの者の頭蓋骨を割った。
「突破口を作るとしよう──!」
アディールのレイピアに、ボゥッと炎が灯った。降りしきる雨にも消えない炎だ。それを振るうと、黄色いバンダナの死者の首が宙を舞った。
手元に戻したレイピアを、再度突き出すように前へ。前方の死者を二体、串刺しにする。
「スターボード20!」
その彼に、ルークレイルが鋭く言い放った。反応して、アディールは素早く剣を引き抜き、傾けた柄に左手を添えて、両手で刃を一閃した。
右舵20度という意味である。まさにその方向から迫っていた死者の喉を、レイピアが掻き斬った。
どう、と後ろに倒れる海賊たち。容赦せず、アディールはその腹を踏みつけ、武器を大きく振るう。敵を倒すよりも、自分たちに近寄らせないように素早く剣を操りながら前へと進む。
数人が手や足を飛ばされ、ひるんだように、死者たちが動きを止めた。
ルーク! と剣士は声を上げた。呼応するようにルークレイルが、おうと応える。
地を蹴るアディール。反転し、銃でその背中を守りながら後を追うルークレイル。
一瞬、退いた死者たちが、わっと間合いを詰めてきた。だが──遅い! 二人は死者たちの手の波をすり抜け、森の中へと身を躍らせる。
ザンッ! アディールは剣で自らの進む道を切り開いていく。まだ連中から逃れられたわけではない。絡みつく蔦や、太い樹木も障害となって立ちふさがっている。
「アディ、連中が」
「分かっているさ!」
剣士は息を整えながら、レイピアを握る手に力をこめる。
走りこみ、彼が巨大な葉を持つ蔦を切り裂いた時。急に、前への視界が開けた。
──!
「おや、これは──?」
前につんのめるようになったが、彼はそれでも優雅に、平たい地面の上に足を付いた。その背中に、ドンとルークレイルが鼻をぶつける。
「痛ッ。どうした?」
彼は鼻を抑えながらも、友人の背中越しに辺りの様子に目をやった。
そこにあったのは、古びた鉄の門だった。
道らしきものも両脇へと伸びている。いきなり目の前に現れた両開きの門が、まるで二人を迎えるかのように正面に鎮座していた。ジャングルの中に、唐突に現れた門ではあったが、蔦が幾重にも絡まっており、この密林に長く存在していたものだとすぐ分かる。
そして雑草だらけの敷地内には、角ばった石造りの建物が見えているではないか。
「これは……!」
半ば慌てて、ルークレイルは鉄門に駆け寄った。彼は脳裏で、建物の建築様式を分析した。彼はよく見れば大まかな時代を特定できると踏んだのだ。
──そして、そこにお宝が隠されているかどうかも。
「アディ、見ろ。ゴシック様式の洋館だ。こんなところにあるのは妙だが、ありゃあ貴族のお屋敷だぞ。きっとお宝が眠ってるに違いない──」
返事が無いことに気付いて、ルークレイルは後ろを振り返った。
そこには友人の姿は無かった。代わりにいたのは迫りくる死者たちだけだった。彼の背筋に冷たいものが走った。
「アディ!?」
一体どこに? そうは思ったが、彼に選択肢は無かった。
クソッと悪態をついて。ルークレイルは覚悟を決めた。彼は身を翻し、洋館の方へ。死者から逃れるために、鉄の門に手をかけてそれをよじ登り始めた。
* * *
足を踏み入れると、室内は驚くほどひんやりとした空気に包まれていた。
服から水がしたたり落ちるが、磨かれた木の床には染みこまずに水滴のまま残る。
暗いな、と一言つぶやいて。アディールは自らの能力で、抜き放ったままの愛剣の先に炎を灯した。彼は独りだった。
外からこの洋館を見たとき、長く人が住んでいる様子も無かったし、きっと廃屋になっていると思ったのだが、実際、中に入ればそこはきちんと手入れがされていた。
人が住んでいる気配は全く無いが、埃一つ落ちていないのだ。
まったく不可解極まりない館である。
嘆息し、用心深く辺りを見回しながらアディールは耳をすませる。門の前で死者たちに襲われ、ルークレイルとはぐれてしまった。急に姿の見えなくなった友人も、きっとこの館に逃げ込んだはずだと、思ったのだが──。
彼の意に反して、あたりはシンと静まりかえったままだ。物音といえば、自分が床を踏むときの木がきしむ音だけである。
「ふむ。ゆっくり紅茶でも飲んで、ルークを待つことができればいいんだけどね」
そうこぼして、仮面の青年はゆっくりと館の中に視線をめぐらせる。
上の階へ行ってみようか──。大広間の階段に、彼は足を踏み出した。
ある意味、これはお宝だな。
ルークレイルは小さくこぼしながら、本棚の前に立っている。彼もまた、洋館の中におり、書斎に足を踏み入れていた。
ぎっしりと詰まった本棚の背表紙を指でなぞれば、『神聖カバラ』『霊魂の旅路』『魔術師アブラ・メリンの聖なる魔術の書』『死の教義』などの本が並んでいた。彼には見知らぬ書物ばかりである。試しに『転生の書/魂とその器』という本を手に取って中を見てみれば、それが魔術を扱った本であることは分かった。それもあまり性質の良くないタイプの。
頭を軽く振り振り、ルークレイルは本を棚に戻した。本はお宝にもなるが、何分、裁きにくい代物だ。
古い時代のコイン、貴金属や貴石で出来た装飾品が見つかれば良いのだが……。
振り返り、室内に視線を巡らせるルークレイル。その中で、ふと彼は大きな書斎机に目を留めた。埃など溜まっていない、きちんと手入れのされたものだ。
何気なく近寄り、机の引き出しに手を掛けてみる。──開いた。引き出しの中は、いずれも筆記用具の類が整然と収められていた。さらに手帳の類が数冊。裏返してみれば、金色の文字で名前が印字されていた。
Sir Russel Ormond, Bt.
この館の主の名か。彼は──気配もなく、現在も住んでいるのかすら判然としないが──とにかく、物事をきちんとしないと気の済まない人物だと思われた。
そんな人物であれば、金目のものをどこに隠すだろうか。ルークレイルは想像力を働かせてみた。隠し戸、隠し部屋などはないだろうか。
手を動かしながら、探索を続けていた彼は、ふと最後の引き出しで手を止めた。
そこに、明らかに異質なものが入っていたからだ。
──『レジデント・デッド/死者の館』とある、数ページの冊子だった。
ルークレイルは思った。これは、映画のパンフレットというものではないか、と。
アディールは、思わず窓に顔を近づけていた。
二階のホールの窓から見えている海の景色に、奇妙なものを見つけたからだった。
港の風景はムービーハザードのためか、全く変わってしまっており、彼らの海賊船の姿は少し沖の方に停泊していた。だが異様なものがさらに沖の海上にあった。
幽霊船だ、と彼は思った。
霧の中に、ボロボロの帆を垂らした船がいたのだ。相変わらずの豪雨と雷にさらされて。その姿はゆらめくように沖に停泊していた。
「──と、すると連中はあそこから?」
彼は先ほど遭遇した海賊の死者たちの姿を思い浮かべ、独りごちた。
何が起こっているのか分からないが、彼らの船には人影が見えない。何が起こっているのだろう。皆は無事なのか──?
そう思った時だった。
「やあ、ようこそ」
──! 場違いなほど穏やかな声を聞き、電光の速さでアディールは振り返った。
ホールの入口に、背の高い痩せた男が一人立っていた。気配もさせずに、いつの間にか。50才前後だろうか。古風なデザインの、身体にぴったりと張り付くようなグレーのスーツをまとっている。
「お客さまがいらしていたとはね。気付かずに失礼した」
なおも、アディールが黙っていると、男はさらに続けた。
「私はオーモンドと言う。ラッセル・オーモンド。つまらない世捨て人だよ」
先に名乗られてしまうと、さすがのアディールも襟を正した。まだ手に持っていた抜き身のレイピアをゆっくりと鞘に戻し、自分も名乗った。
「アディール・アーク。剣士だ。雨に降られてしまい、立ち寄らせていただいた」
相手の身なりと雰囲気を見てとり、彼は一言付け足す。「──サーを付けてお呼びした方がよろしいご身分か?」
「いいや結構」
男は破顔してみせた。
「本国を遠く離れ、世を捨てた身。こんな未開の地では爵位になど何の価値もない。──それよりも、君」
と、彼はホールの隅にある置時計を手で指し示した。つられて見てみれば、時計の短針は3の数字を指している。
「良い頃合だ。ティータイムにしないかい」
そう言われてしまうと──。アディールには、断る理由が無かった。
『レジデント・デッド/死者の館』は、近未来SFホラーというべきジャンルの映画だった。内容は、アメリカ中央情報局──CIAの研究ラボから“最初の生ける死者”が外へ逃げ出し、人々に噛み付くことで、未知のウィルスが生者に感染し、街の人々が次々とゾンビ化していくというものだ。
それを見てルークレイルは、真っ先に外で“歓迎”してくれた死者たちのことを連想した。だが、映画のパンフレットの中には、海賊のことは一言も出てこない。そもそも実際に遭遇した死者たちとは全く時代が違っている。
しかも──。
パラパラとページを繰りながらルークレイルは、パンフレットを隅々まで見た。だが、いくら見てもあらすじは途中までしか書いていなかった。
主人公たちがどうやって、このゾンビばかりの状態から抜け出すのかが分からない。
諦めて、彼はそのパンフレットを元あった場所に戻した。
次に手にしたのは、名前のあった手帳だ。中は日記だろうか。ルークレイルはページに手を掛けた。
中には文字が書き込まれていた。きちんと罫線に沿ったブロック体がぎっしりと。
──彼らは後悔するだろうラッセル・オーモンドという才能を闇に葬ったことを。ブリテン島に住まうこしゃまっくれた連中は猿と同等だ。連中は何も理解していないすぐそばに目の前にある真理から目をそむけ目に見えるものしか信じようとしないのだいいだろう私はあのちっぽけな島を去り広い大海原に出よう印度にゆくのだかの地で誰にも邪魔されない地で私は人智を超えた存在に出会うのだこの私の理論を完成させるのだただひとつの心残りはローザきみのことだきみさえきてくれればぼくはほかになにもいらなかッタノニドウシテキミハボクノコトヲミステテアンナオトコトイッショニ……
「こんなところにいたのかい?」
背後から声を掛けられて。彼は飛び上がるように肩を振るわせた。
振り返れば、そこには仮面の青年──アディールの姿がある。
「なんだお前か、驚かせるなよ……!」
ほっとしたように彼は言う。手帳を机の上に置き、口端に笑みを浮かべながらも相手を睨んだ。友人はこれといった表情も浮かべずに近寄ってくる。
「心配したんだぞ、アディ。門の前で急にいなくなっちまって」
「居なくなったのは君の方じゃないか」
すぐ近くに立ち、アディールが返してきた。どうしたことか。彼は仮面の下から射るような鋭い視線をルークレイルに向けてきている。
「君のことだ。どうせお宝に目がくらんで、仲間のことなどどうでもよくなったんだろう?」
「何?」
思わず返答に詰まり、ルークレイルは相手を睨んだ。
誤解だと言い返す前に、今の言いようはあんまりではないか。
「この際だから言っておく。君の卑しい魂胆は目に余る」
いつもだ、と吐き捨てるようにアディール。「この街じゃあ航海にすら出られないしな。君の大好きな財宝を見つける冒険にだって事欠く状態だ。そんなにお宝が好きなら、私たちと一緒にいることもないだろう。一人で好きに冒険にでも何でも出るといいのに。ウチの団員である必要も──」
「アディ、何を言ってる?」
「分からないか?」
眉を寄せたままのルークレイルに、仮面の青年は顎を引き、追撃を食らわせた。
「君のような人間は、私たちには必要ないんだよ」
「──変わった香りだ」
「産地から直に取り寄せたものでね」
ラッセル・オーモンド──どうやら準男爵らしい──この館の主は、メイドも使わずに自らマイセンのティーセットに紅茶を用意してくれた。そして菓子のショートブレッドも少々。
「スリランカのルフナ産だ。……と言って分かるかな? 香りも味も強いのでね。ミルクティーにすると、とても良い」
「名前は違うが、私の世界にもこんな香りのする紅茶は存在する」
「それは良かった。口に合わないということはないね」
アディールは、微笑を浮かべてうなづいた。彼も非常に紅茶が好きで、自分でもよく淹れている。海賊船の中でも団員たちにその点では一目も二目も置かれていた。
それは、確かに良い香りだった。
二人の会話が途切れると、雨の音がそれを引き継いだ。
「さて」
沈黙を恐れるように、オーモンドが口を開く。
「アディール。君はこの街についてどう思う?」
問われたものの、アディールはすぐには答えなかった。相手の質問の意図が見えなかったからだ。
「私には非常に脆い場所であるように思う」
彼は構わず話を続けた。「一人の夢が叶ってしまうような場所。夢が現実となり、現実が夢となる街。それがここだ。何かになりたいと願えば、叶えることも可能だ。現に、映画とは違う生業を営むムービースターもいるというじゃないか」
「──何を言いたい?」
鋭く、口を挟むアディール。
「いいね。君には時間が無いと見える。単刀直入にいこうか」
紳士は、うっすらと微笑んだ。
「私は神になろうと思っているんだ」
その口調は内容に反して、あまりに何気なくて。あまりに自然で。アディールは返す言葉を失った。
「だから君の力を借りたい」
「なぜ、貴方に」
「失った大切な人を、君の手に戻そう。それが君への褒賞だ」
会話が噛みあって──いない。
「失った人など」
「いるさ」
「いない」
「君のために死んだ者だ」
一瞬、アディールは息を呑んだ。まさか、と思う。この男が、自分の出生の秘密を知っているはずがない。竜の父親と、人間の母親。自分を守るために、二人の両親が命を賭してアディールを守ったことを。
「君の力──いや、血と言い換えた方がよいか。それは偉大なるものだ」
手を貸すよ、と、オーモンドは囁くように言った。
アディールは手にしていたティーカップをソーサーに置いた。かしゃん、という音。
「断る」
ほう、とオーモンドは嘆息する。まるでアディールの答えを咀嚼するかのように。
「なぜだね? 理由を聞かせてくれるか」
「構わないよ。理由は三つだ」
きっぱりと、アディール。
「一つ。私の大切な人たち自身が、生を望んでいない」
真っ直ぐ背筋を伸ばし、彼は続けた。「二つ。あんな腐った死者とともに戦うなんて、私の趣味じゃない」
喉の奥で、オーモンドが笑う。
「三つ。貴方の淹れてくれた紅茶は美味しくなかった」
「ククク、言ってくれるじゃあないか」
オーモンドもカップを置き、おかしくてたまらないというように背中を丸めた。
「──君は最初から私の紅茶なぞ味わっていないくせに」
彼がそう言い終えた途端、ホールの隅に人影が立った。幽鬼のような影だ。向こうから近づいてきていたのか、それにしても全く気付かなかった。
ガタンと椅子を蹴り飛ばし、立ち上がるアディール。
「眠り薬を飲まないのなら、君の友人に捕獲を手伝ってもらうとするよ」
だが、オーモンドは何事もないように、またティーカップを口に運んでいる。
彼の背後に、新たに現れたのは──
「ルーク!」
拳銃を手に、闇の中に立つ友人の姿を見て、アディールは思わず叫んでいた。
「失せろ!」
ルークレイルは銃の引き金を引いた。続けて二発。
銃の弾丸がアディールの身体にめりこみ、その威力で彼は後方へと。顎を仰け反らせて飛ばされ、背中を本棚に打ちつけた。
ズル、と力を失って床に崩れ落ちるアディールの姿。
だがルークレイルは気付いていた。
友人の姿からは血が流れず、大きな衝撃を受けたはずの本棚もビクともしないことを。
やがて数秒後には、霞がかかるようにアディールは消えていった。
「やはりな」
ルークレイルは銃を収めて言う。彼の顔には驚きの色はない。友人が友人でないことは最初から分かっていたかのように。
「俺たちはただの仲間じゃない。家族だ。くだらん幻を見せやがって──」
肩を怒らせ吐き捨てるルークレイル。そのまま彼は本棚に近寄った。
何かが落ちていたのだ。彼は腰を屈め、そして、床に落ちていたものを拾い上げた。それは布でできた簡素な──人形だった。
たったの、二戟だった。
向かってくるルークレイルの、銃を持つ手に切りつけた時。
どこからか銃声が聞こえたのだ。その音と、相手に切りつけた感覚が、アディールに正しいことを教えてくれた。
次の瞬間、アディールのレイピアは、相手の喉を貫いていた。
ただしそれは偽者のルークレイルだ。流れるような動きでアディールが剣を引き抜くと、それは床に倒れていった。まるで羽毛のような軽さで。
そしてルークレイルの姿はかき消え、跡にはポツンと小さなものが残っていた。麻布製の小さな人形のようなものだ。
「やるじゃないか」
それをレイピアで突き刺した時、頭上からオーモンドの声が聞こえてきた。だがその姿はホールから消えている。
「幻を見破られる前に、もっと君を弱らせることができると思ったんだがね」
「──貴様は大きなミスを犯した」
アディールは素早くレイピアを繰り、幻影の素になっていたと思われる麻布の人形を、あっという間に細切れにした。
「怒らせたな。この私を」
その声色は低く。シン、と周りの空気の空気を震わせた。怒りだ。竜の血を受けた男は本気で怒っていた。幻とはいえ友人の咽喉を貫かねばならなかったのだ。
気配が──オーモンドも気圧されたのか、しばしの間ホールは静寂に包まれた。テーブルの上のティーカップがチリ、と音を立てる。
「……残念だよ。君とはうまくやれると思ったのに」
ようやく、オーモンドが言う。
「自分の手に入らない武器なら──おっと、これ以上言うのは蛇足だな。この檻の中で苦しみ抜いて死ぬがいい。アディール・アーク」
そう彼が結んだ途端、アディールの立っていた床が、質量を失った。
どろりと床が溶けだし、まるで沼のように拠り所を失ったのだ。その上に立っていたアディールは足を飲み込まれ、螺旋上に下へ下へと沈んでいく。
「な──!?」
繰り出した手も、何も掴めず床の中へ飲み込まれていく。
驚くほど短い時間で、アディールの顔も飲み込まれた。そして、最後に伸ばした手も床の中に消え、辺りが暗転。
そこには、暗闇だけが──残った。
* * *
ボロボロの帆布が垂れ下がる船が、荒れた海の波に揺られていた。
船は海上から立ち込める霞の中にあり──奇妙なことにいくら暴風雨にさらされてもその霞が消えることはなく、外からではその全容を見ることはできなかった。
船首にはドクロのオブジェが見えている。海賊船か。しかし誰が見てもその船が自立して動くことができないことは明らかだった。
その船はまるごと死んでいた。
いや──死にきれなかったと言った方がよいかもしれない。甲板の上ではまばらな人影が、動いていた。腐った肉片を張り付かせた死者の乗組員たちだった。彼らは死んでいたが、それでも動き回っていた。自身の役目を果たすために。
船首には、一人の痩せた男が立っていた。
回りの者とは明らかに違う格好だ。漆黒のインヴァネス・コートに身を包み、頭にはトップハットを。白い手袋をきちんとはめて、右手には銀製の丸い握りのついたステッキを持っている。
彼は、目前を見据えた。
そこには海賊船──ギャリック海賊団が所有する船が停泊しており、そのさらに奥には断崖絶壁の崖がある。彼はそれを見上げ呟いた。
「戦力は少し不足気味だが──攻め入るには、いい頃合だな」
大粒の雨が降り注ぐ中、崖の上には洋館の屋根が見えている。頭を振り振り、男は残念そうに息をついた。
そうして、こちらを振り返る。それは、ラッセル・オーモンドと名乗った男だった。だが、その頬の肉はそぎ落とされ、皮膚は黒ずんで変色していた。落ち窪んだ眼窩には、ボゥッと淡い光を放つ燐光が灯っていた。それはおおよそ生者とは思えない顔であった。先ほどの姿が偽者で、これが彼本来の姿なのだろう。
竜の血が。惜しいことをした。
最後に彼がそう呟いた時、背後で轟音が鳴り響いた。
「──何!?」
もう一度、崖を振り返るオーモンド。
天から、ひとすじの光が射していた。
それに向かって、咆哮を上げながら飛び上がるのは──金色の竜だ。洋館の屋根を破壊して中から飛び出したドラゴンは、螺旋のように円を描きながら空を駆け上がった。背中には一人、黒髪の青年の姿がある。
ドラゴンは掛ける。ひとすじの光目掛けて、灰色の空を。
そして鎌首をこちらに向けた。──彼の敵へと。
「糞ッ」
それを見て、紳士らしからぬ悪態をついたオーモンドは身を翻した。ステッキを振るい、自らの死の軍団を振り返る。
「砲台──用意!」
「見えたぞ、アディ!」
雨に打たれ、竜の背から振り落とされないように必死にしがみつきながら、ルークレイルは叫んだ。背中にはアディールのレイピアが括り付けられている。
「ポート45、俺たちの船の先に、幽霊船だ!」
今度は左舷に45度という意味だ。竜と化したアディールは咆哮を上げ、友人に応えて、大きく旋回する。
眼下で波に揺られる霧の中の船。それと自らの船を見下ろしながら、ルークレイルは下唇を噛んだ。一体、皆はどうしているのだろう。彼は仲間が心配で堪らなかった。あの様子では、この状況に気付いていないか、もしくは幻影に惑わされているのではないだろうか。
崩れかけた館に飲み込まれそうになった彼は、竜に姿を変えたアディに助けられた。脱出する中で彼らは短く言葉を交わしたのだった。
魔術の研究をしていた洋館の主、ラッセル・オーモンド準男爵。
死者が動き回る映画。
そして、沖に浮かぶ幽霊船。
ルークレイルの中で、全てが一本につながった。
「幽霊船は、きっと実体化していたどこかの海賊船だ! ムービースターの海賊たちが、魔術か何かで死者にされちまったんだよ」
彼は自らの推測を、友人の背中の上で次々に披露した。「昨日や今日の話じゃない。それなのに、俺たちは連中に気付かなかった。ということはつまり」
『──幻影か?』
「そうだ。奴は魔術を使って自分の船と館を、この付近に巧妙に隠してたのさ。しかも、だ。奴はお前のことを知っていたんだろう? 奴は今までずっとあそこに居て、俺たちギャリック海賊団をそばで見張ってたってことさ」
『何のために?』
「何のため? 決まってるだろう、アディ」
真っ直ぐ切り込むように幽霊船へと降下するドラゴン。
「奴は、幽霊船の乗組員に、俺たちギャリック海賊団をスカウトするつもりなのさ」
翼をはためかせながら、フンッとアディールは鼻から息を吐く。
『そりゃ、御免だね』
「ああ。全く」
ルークレイルが、そう返した途端、前方からドォン! という爆発音が聞こえた。驚く二人は前方を見る。
──砲撃か!?
アディールは咄嗟に左に旋回して攻撃をよけた。さすがの竜の機動力で、弾は彼らの脇をすりぬけていったが、同時に背中で悲鳴が上がった。
「ルーク!」
乗っていたルークレイルが、バランスを崩し手を離してしまったのだった。彼は友人の尾のウロコを両手で掴み、かろうじて空に留まっている。
「大丈夫だ、アディ! このまま──船へ!」
『くっ……』
ドラゴンは、アディールは友人の言葉を信じた。そのまま転回して、もう一度幽霊船を目指して翼をはためかせる。
「うおッ」
ルークレイルの片手が外れた。彼は心を落ち着せようと、いったん瞳を閉じた。
落ち着け、落ち着け……と、心で念じる。そして、五、四、三、二、とカウントして最後にカッと目を見開く。
「ぬあああッ!!」
ルークレイルは、飛んだ。
ドラゴンと幽霊船の間。雷光が一人の落ちていく男を照らす。
驚いたアディールが反応しようとしたが、間に合わなかった。眼下へと落ちていく友人の姿。それが身体が船の甲板に叩きつけられる様を想像して、ドラゴンは息を呑んだ。
しかし──そうはならなかった。
ルークレイルが掴まえたのは、ボロ布と化した帆だったのだ。
ウオォッと雄叫びのように声を上げながら、彼は帆を破りながら甲板へと落ちていく。ビリビリビリ……と、敗れていく帆が彼の身体に絡まって、その落下速度を殺していった。
ダンッと彼が甲板へ着地する音。
「何だと!?」
反応したのは、甲板にいたオーモンドだ。
半ば慌てて、死者たちをそちらへ向かわせようとする。
「その男を始末し──」
彼は言葉を最後まで言うことが出来なかった。
何発もの銃声がそれをかき消したのだ。
「なっ?」
オーモンドは身体をくの字に曲げ、自らの腹を見た。仕立てのよいコートには多くの穴が開いていた。そしてそこからは黒としか形容のできない色の血液が流れだしている。
「──あんたも墓の中から出てきたのかい?」
バッ、と自らの身体にまとわりついていた帆を取り去るルークレイル。その手には弾を放ったばかりの拳銃があった。
「だったら、もう寝んねの時間だな」
彼は残りの弾を使って、黒いコートの男の頭を吹き飛ばした。
痩せた男の身体は放物円を描いて、背後の暗い海へと落ちていった。ひらひらと宙を舞うのは彼のトップハット。ルークレイルが銃のマガジンを落とすのと同時に、何かが水の中へ落ちた音が聴こえた。
『ルーク!』
「油断するな、奴はたぶん──」
今度は彼の方が、言葉を最後まで言えなかった。
船頭方面からいきなり波が湧き上がり、その上にあのオーモンドが。何事もなかったかのように元通りになった彼が、立っていたのだ。
そう。まるでそこが硬い地面であるかのように、踊り狂う波の上に。
「銃などで、この私を殺せるとでも思ったか? 笑わせてくれるな」
──ゴオッ!
そう言ったオーモンドの姿が、突然、炎に包まれた。
旋回したアディールが、彼に向かって炎のブレスを吐きかけたのだ。
「──無駄だッ!」
ステッキを回し、魔術師は炎を一瞬でかき消した。今度はアディールが驚く番だ。
間髪入れず、オーモンドはステッキを振り回した。ジャキンッ、と波が大きな刃物のような形に変化する。
その刃が、一気に四方八方からアディールの身体に降り注ぐ!
「アディ!」
しかしルークレイルのいた所にも水の刃が降り注いでいた。
舌打ちしながら彼は左舷へと飛び退いた。友人の身を案じながらも、背中のレイピアを引き抜き、その場にいた死者たちの首を跳ね飛ばす。
一方、アディールは翼を使い攻撃を弾いていた。しかし身体のあちこちに傷が出来てしまっている。こんな攻撃を何度も受けていたら、さすがの彼も耐えられない。
「逃げても構わんぞ。私の目はこの街の中、どこにでもついて回り、私の魔術はどこまでもこの船を霧に紛らわせることができる」
彼は次の攻撃のためなのか、タンッと船頭のドクロの上に真っ直ぐに立った。
そして、大きく両手を広げて、笑った。
「なあに、自らの死は悲しむこともない。ハッハハハァッ! 死んだ後も偉大なるこのオーモンドの下で働くことができるのだからな。フフフ、それにすぐに仲間も加わるさ。──死したギャリック海賊団がな!」
『我々は退かぬ』
狂ったように笑うオーモンドに、アディールが返した。それは相手の嘲笑に冷水を浴びせるような、冷たい口調だった。
『仲間たちは家族も同然。守りたいものがある限り、我々は決して退かない。退かぬからこそ、我々は前へと進むのみ』
一瞬、脇にいるルークレイルと視線を交わす。
『そして、我々は全ての元凶を討ち倒す』
「海賊風情が何をッ!?」
ステッキを振るうオーモンド。波が、彼の背後にたくさんの刃をつくる。まるで百人の海賊がカトラスを構えているような。無数の刃が、一斉に二人に向けられた。
「死ね、そして来い! 私の元へ──!」
ザアァァッと波のような音を立てて、二人に水の刃が襲いかかる──。
ギャアアアッ! と身の毛もよだつような悲鳴が上がった。
水の刃は、一瞬のうちに消えていた。
ルークレイルは自分の脇の下で握り締めたレイピアの柄をグッと後ろへと押し込む。彼は船前を向いたまま背後へ、剣を突き出したのだ。
彼の一撃は、誰かの身体を捉えていた。
それが何者であるか。ルークレイルは振り向いて確認することはしなかった。分かっていたからだ。
背後にいる者がラッセル・オーモンドの本体である、と。
「なぜ……だ……」
レイピアを喉元に生やしたまま、骨ばった男はガクと片膝を付いた。黒いコートは水に濡れ、最初にルークレイルが撃ち込んだ弾の跡がしっかりと残っている。
逆に、アディールとルークレイルが受けた傷は跡形もなく消えていた。波から沸き起こった刃も、攻撃を受けた痛みも、今や全く残っていない。……オーモンドの攻撃は痛感を伴っていたが、全て、幻覚だったのだ。
「あんたはあの館で、すでに自分の手の内をバラしてたんだ」
剣の柄から手を離さず、ルークレイルが言った。
「俺が、あんたほどの幻術の達人だったなら。偽の攻撃で惑わせて、自分はどこかに身を隠して隙を見て攻撃する──そう、思ったのさ。あんたの身になって考えてみりゃ簡単なことだ。それに──」
アディ、と、短くルークレイルは友人を呼び、続けた。
「あんたは、『レジデント・デッド/死者の館』の最初の死者の身体を乗っ取ったんだろ? あんたの魔術書のコレクションにやり方が載ってたぜ」
ニヤ、と彼は笑った。「──なら“元凶”はあんた自身だ」
「なっ……!?」
なぜそれを、と言わんばかりに、オーモンドは眼窩を歪ませた。
「最初の死者の血を滅せば、生ける死者はもう増えない」
ルークレイルが、そう最後の言葉を告げた時。ボッとオーモンドの身体が燃え上がった。レイピアを伝って燃え上がったそれは、アディールの炎だった。
恐ろしい悲鳴を上げながら甲板を転げまわるオーモンド。相手から、ルークレイルはそっとレイピアの柄を離した。
温度の高い青い炎が、死者の身体を容赦なく焼いていく。パリパリと木がはぜるような音をさせて、やがて男は悲鳴を上げるのをやめた。
炎の中で、人影が消える。オーモンドがフィルムになったのだろう。レイピアの刺さったままのそれは勢いよく燃え続けた。
「──これで終わったのか?」
燃える炎の前に人が立った。人間に姿を戻したアディールだった。
彼は燃えながら灰となっていくフィルムを、仮面の下からじっと見つめる。炎を消すつもりはないようだった。
「たぶんな」
応えるルークレイル。
「俺が奴だったら、自分の弱点となるようなことは排除する。生ける死者を作り出す元になった死体を見つけたら、もっとも安全で、最も自分に近いところに置くと、そう思ったんだ」
フィルムが残骸になるのを見届けて。アディールは自分のレイピアをそこから引き抜いた。そして──おや? と、友人の言葉に小首をかしげてみせた。
「うん? じゃあ、つまり君は──」
「ああ。最後に奴に言った言葉。あれは、ハッタリさ」
そう言って、ルークレイルは。にっこりと笑ってみせたのだった。
* * *
後日になってから分かったことだったが、幽霊船と死した魔術師の事件は、二つの映画から実体化した者たちが引き起こした事件だった。
ゾンビ映画『レジデント・デッド/死者の館』から、実体化した実験用の“生ける死者”。その効力を知った魔術師──オカルトホラー映画『バロネット・リターンズ』から実体化したラッセル・オーモンドが、自らの野望のためにその死者を捕獲したのが、全ての始まりだった。
彼はやがて生ける死者を使って、自分のための死の軍団を作り上げた。犠牲になったのは、オーモンドと同じ映画から実体化していた海賊たちだった。彼らは、金払いの良いオーモンドによく雇われていた者たちだったが、彼らは映画の中とは異なり、死後の姿で魔術師に仕えることになったのだ。
そしてオーモンドは幻術を使い、自らの軍団を霧の中に隠した。二人が砂浜を歩いていた昼下がり、まさにその時間に。オーモンドは新たな犠牲者を狙ってロケーションエリアを展開したのだった。目的は“軍備”の拡大だ。
もちろん、ギャリック海賊団はその中で最有力候補だったらしい。
「まったくもって、ハタ迷惑な話だな」
「言えてるよ」
豪雨も霧もすべてが消え。空にはギラギラと照りつく太陽があった。青い空にはまばらな白い雲。彼らを悩ませた幻はもう何も残ってはいない。
二人の青年は、砂浜に立っていた。
死者たちは幽霊船とともに海に沈み、彼らは船を脱してここにいた。わずか数分前の話だ。
「お宝は、たったこれだけか」
ピン、とコインを弾いて飛ばしながらルークレイルが言う。彼の手には、魔術で使うものなのか金でできていると思われる分厚いコインがあった。
とっさに、書斎からくすねてきたものだった。
クス、とアディールが笑う。
「何も無いよりはいいだろう、ね」
ああ、と答えたルークレイルは腰を屈め足元の大きな包みを拾い上げた。それは、街で彼が買ってきた果物のつまった買い物袋だった。彼のペットの餌だ。
砂浜に置かれていたこの袋を見つけたルークレイルは、大いに喜んだ。むしろ戦利品のコインが見つかったときよりも、もっと嬉しそうに。
「よっ、と」
微かに口元に笑みを浮かべながら、それを肩にかつぎあげてみせる。
喜ぶ友人の様子に、見つかって良かったな、と、アディールが微笑んでみせた。
「君のゾウに言ってやるといいよ。──墓場から帰ってきたんだゾウ、って」
「……」
ルークレイルは目を細めて友人を見た。
今のは笑うところだったのだろうが、彼は笑わなかった。代わりに長くため息をついてから口を開く。
「前から思っていたが、アディ。お前のそのダジャレのセンスは──」
「ん、待て。ルーク」
言いかけて、彼は口をつぐんだ。アディールも海の方を振り返った。そこには彼らの“家”が浮かんでいた。
ゆったり、ゆったり。揺りかごのように揺れるそれは、海賊船。
ギャリック海賊団の船だ。
船頭で誰かが顔を出し、二人を呼んでいるようだ。手を振り何かを伝えようとしているが、聞こえる声は小さく、うまく聞き取れなかった。
だが、二人はお互いに視線を交わした。
「早く帰ってこないと、アゼルのクッキーが無くなる、とさ」
「そりゃ一大事だ」
「走るか?」
友人の問いかけに、肩をすくめて答えるアディール。
なら、行くぞ! ルークレイルが荷物を担ぎ、走り出す。その隣りをアディールが軽やかに駆けだした。
墓場から出て、揺りかごのように心地よい我が家へ──。
二人の海賊は砂浜を、飛ぶように走っていった。
(了)
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クリエイターコメント | お読みいただいてありがとうございます。
過分にゴシックホラーちっくなノリになってしまったのですが、男二人のバディものとして楽しく書かせていただきました。
題名は「フロム・ダスク・ティル・ドーン」という、B級ヴァンパイア映画から取りました。(ご存知です?) 前半のギャング映画から、後半はヴァンパイアを殺しまくるハック&スラッシュになるという素敵な映画なのですが、今回はハック&スラッシュ(切り刻み叩き斬る)から、ゴシックホラー風へという二つのノリを楽しんでもらえればなあという願いをこめてこんな題名に。
クレイドルは揺りかご。グレイヴは墓のことです。「ゆりかごから墓場まで(from the cradle to the grave)」っていうイギリス労働党の昔の福祉政策のスローガンがあってですね。 それをちょっともじったりしてみたり(笑)。
ひょっとすると、もう少し気持ちのよいハック&スラッシュを楽しみたかったのでは? とも思ったのですが、陰影のある感じにしてしまいました。
いただいたオファーから物語を膨らませ、お二人のお気持ち、やりたいことの本筋を外さないよう、燃える展開を心がけてみたのですが、いかがだったでしょうか? 楽しんでいただければ幸いです。。 オファー、ありがとうございました(!) |
公開日時 | 2008-09-09(火) 17:50 |
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